手に持ったチラシをポストの中へと入れ、シンはポケットから携帯機器を取り出す。そこに映っている何かを確認すると前篭にチラシを入れた自転車に乗って、近くにある自動販売機まで移動すると缶コーヒーを一本買い、飲んで一息を吐く。
現在、彼が行っているのは簡単に言ってしまうと勧誘である。悪魔は、人と契約をしてその人の願いを叶える。その代償として、それに見合った代価を得ることを生業としている。
しかし、近代化が進む昨今、態々魔法陣などといった正式な儀式などを行う人間は殆どいなくなり、結果として悪魔側が人間に歩み寄ることとなった。それが、シンが今配っているチラシである。
チラシには『あなたの願いを叶えます』と書かれた上に奇怪な魔法陣が描かれており、そのチラシを使えば誰もが、悪魔を呼び出して簡単に契約を行えるというものであった。一誠も堕天使――天野夕麻に襲われ、瀕死の状態となった際、このチラシをたまたま持っていたことでリアスを召喚し、命を救うために悪魔へと生まれ変わり九死に一生を得た。
しかし、一誠のようなケースは稀であり、ただチラシだけでは、一般人の心を動かして悪魔召喚を行わせるのは難しい。実際、一誠やシンが初めてチラシを見たときの印象は怪しいオカルト、性質の悪そうなカルトといったものであった。
その問題を解決するために使用するのが、シンが見ていた携帯機器である。この機器の画面には欲望を強く持った人間の居場所が表示される。欲望の強い人間を選別することで、配ったチラシから悪魔の召喚を行う可能性を高めるようになっている。
現在シンが小休憩を取っているのは、先程画面を見たとき強い欲望を持った人間を表示するマークが無かったため、そのマークが出るまでの待機である。
何故、シンが悪魔の仕事を行っているか、それは数時間前まで遡る。
◇
一誠、シン、両者の力を示し、リアスから悪魔について軽く説明をされた後、オカルト研究部の面々が改めて自己紹介をすると同時に、悪魔ということを証明するかのように背中から蝙蝠のような羽を生やした。一誠もまた、悪魔の力に触発されたのか背中からオカルト研究部と同じ羽を生やし、それを見て驚いていた。
一応人間のシンは、当然羽を生やすことは出来ず、変わりに一誠の生やした羽を興味深そうに見て、その羽を掴んでみた。掴んだ羽からは人肌と変わらない温かさがあった。
「や、やめてくれ! く、くすぐってぇ!」
「悪い」
悶える一誠に謝罪の言葉を言い、シンは掴んでいた手を離した。すると、羽は一誠の体内に納まるように消えた。
悪魔となったことを一誠に自覚させたリアスは、次に悪魔へ転生をした者の義務を話す。それは、転生をさせた悪魔に対する忠誠である。転生をした悪魔は主となる悪魔、一誠の場合、リアスの下僕として生涯を生きなければならない。
望まずに悪魔となった一誠にしてみれば、いきなりのリアスの話に腑に落ちない様子であったが、心の中では短い時間ではあるが、下僕になったという不満に思う心とリアスの下僕となったことを満更悪くないと思う心が吊り合っていたのは彼だけの秘密である。
不満そうな様子の一誠に悪魔になることで爵位を得られ、誰もが成り上がっていくことが可能だという利点を説明するが、一般的な学生のため地位というものに対し、いまいちピンとこない一誠の心を動かすには足らない。
「やり方しだいでは、モテモテな人生を送れるかもしれないわよ?」
誘惑するかのように囁くリアスの言葉。この言葉を聞いた瞬間に一誠の顔付きと目の色は劇的なまでに変わり、隣に座っていたシンが一人分離れる程の迫力が全身から迸る。
詳しい説明を強く求める一誠の様子を楽しげに見ながら、リアスは最初に人間を悪魔にするようになった経緯を軽く説明する。
そもそもの原因は、天使、堕天使との戦争による純粋の悪魔と呼べる存在の激減である。悪魔と悪魔の配合による出生率は人に比べれば著しく低く、このままでは天使、堕天使に対応できなくなることを危惧し、穴埋めとして素質のある人間を取り込むようになった。
しかし、ただ下僕となるだけでは数や質を保つことは出来ない。そこで考え出されたのが実力ある転生悪魔への爵位の贈与。それにより成功や出世をする機会を得たことで転生悪魔を希望する者が増加。世間には正体を隠した転生悪魔が多く存在するような状態となった。
「じゃ、じゃあ! やり方しだいでは俺も爵位を!」
興奮して尋ねる一誠に、リアスは相応の努力と年月が必要ではあるが可能だと答えると、部室の窓を震わすほどの叫びが一誠から放たれた。
更に興奮した様子で一誠は畳みかけるように、本当に自分にハーレムは可能なのか、それにいやらしいことをしていいのか、という質問を投げかける。
リアスの答えは、自分の下僕なら可能。
最早、一誠の興奮は限界を突破し、部室外の窓を揺さぶるほどの咆哮を上げる。
その様子に朱乃は頬に手を当て面白そうに、木場は苦笑を浮かべ、小猫は引いた様子で各々見ていた。
「悪魔、最高じゃねぇか! 何、これ! チョーテンション上がってきたよ! 聞いたか間薙! 俺の夢が! 男のロマンが! 手に届く!」
「少し落ち着け」
目を煩悩で血走らせ、シンへと詰め寄る一誠。その勢いは以前、教室で天野夕麻の話をしたときを上回っていた。
「いまなら秘蔵のエロ本も捨てられ――いやエロ本は駄目だ。アレは駄目だ」
上昇し続けるテンションのまま口走るが、即座に否定。いくら高揚していたとしていてもそういった関連の方では、変に冷静になれるらしい。
一人はしゃぐ一誠の姿に、リアスは楽しげな表情で面白いと評し、朱乃もそれに同意する。
一誠の興奮が上がりきったと見越して、リアスは改めて自分の下僕になるかの同意を尋ねる。
「はい! リアス先輩!」
迷いの一切無い一誠の返事。
「違うわ。私のことは『部長』と呼ぶこと。あなたも分かった?」
一誠、そしてシンにそう指示をする。とここで一誠――
「『お姉さま』じゃダメですか?」
――と提案。それを聞き、シンは横目で、何を言っているんだこいつは、といった視線で一誠を見るが、当の本人は至って本気の様子。聞かれたリアスも何故か本気で悩んでいるような表情をし、少し間を空けてから、一誠の提案を満更でもない様子で断り、しっくりくるからという理由で『部長』の方の呼び方を選んだ。
「分かりました! では、部長! 俺に『悪魔』を教えてください!」
意気込む一誠の姿に満足し、リアスは一誠に寄ると官能的な手つきで、一誠の顎を撫でながら耳朶を溶かすような声で『私が男にしてあげる』と一誠に告げる。
傍から見ていても分かるほどに、一誠のモチベーションが上がっていく。
「ハーレム王に俺はなる!」
その上がったモチベーションのままに自らの夢をこの場で宣誓する。その清々しいまでの欲望に満ちた願いに、シンは色々と思うことよりも先に、素直に賞賛したいとさえ思うほどであった。
「それでシン。あなたのことなんだけど――」
「俺もオカルト研究部に入部をしたいんですが、いいですか?」
リアスの言葉を遮り、あっさりとした態度で入部を希望するシン。躊躇いのないその言葉に、流石にリアスも面を食らった顔となる。
「……随分、返事が早いわね」
「……もしかして、勧誘の話じゃありませんでした?」
「いいえ。あなたさえよければ、私の力になってくれるか尋ねるつもりだったけど……そんなに早く決めていいのかしら?」
「悪魔になって眷属になれという話だったら時間が欲しいですけど、一協力者という立場ならすぐにでも大丈夫です」
シンの言葉にリアスは嘘を感じず、一瞬考える仕草をした後にシンを見た。
「あなたが私に協力する『目的』は何?」
「まあ、兵藤と同じですね……」
「え! お前もハーレム王に……」
「そっちじゃない」
驚く一誠の言葉を真顔で一蹴。
「『目的』はこれです」
シンは、すでに紋様が消えた右手を自分の眼前へと持ってくる。
「俺はこの『力』について詳しく知りたいんです。これが何なのか、どうして俺が使えるのか、その理由を。……俺も『悪魔』を教えて欲しいんです」
「悪魔に協力して、得られるメリットがそれだと少ないと思えるけど」
「構わないです。このまま、独りこの『力』と向き合っていても何も分かりません。なら、少しでもこの『力』を理解するには、『力』と同じ『悪魔』と関わらなければならない――と俺は考えています」
「……本当にいいのね?」
リアスの碧眼が、シンの僅かな心の揺れを見逃さないように射抜くように見ながら、最後の確認をする。
「ええ、今後ともよろしくお願いします」
それを揺らぎの無い眼と言葉でシンは返した。
「……分かったわ。あなたもこれからよろしくね、シン」
笑みを浮かべ、歓迎の言葉を送るオカルト研究部のメンバーにシンは頭を下げる。
「それじゃあ、さっそく悪魔としての初仕事をして貰おうかしら」
リアスが、パチンと指を鳴らすと木場と小猫が立ち上がり、部室の奥へと歩いていく。少し時間が経つと、二人が帰って来る。その両手には大量に積まれた紙の山を持って。
そして、それを一誠とシンの前に置いた。
一誠が紙の山から一枚手に取る。そこには『あなたの願いを叶えます』の文字。
「部長……これは?」
すでにチラシのことについての説明を受けていた二人であるが、その心の中に嫌な予感が走る。
その両者の予感を裏付けるかのように、今度は朱乃がそのチラシの山の上に、携帯機器を置き、簡単な操作方法を説明。
「はい」
最後にリアスから二人に自転車の鍵が手渡される。
「契約は足と数よ。二人とも頑張ってきなさい」
小悪魔めいた笑みで言葉を送るリアス。
「ははは……ええい! やってやる! やってやるぞ!」
「……まあ、こういうのは新入りの仕事だな……」
大量のチラシを前にして、一誠はヤケクソ気味に自らを鼓舞し、シンは小さく溜息を吐く。
一誠はチラシの束を一気に抱えると一目散に部室を出て、自転車が置いてある場所を目指す。シンもそれに続くかと思いきや、持っていた鞄を開き、中から缶コーヒーを一本取り出すとリアスの前に置いた。
「あら、これは?」
「安いものですが、助けてくれた一応のお礼です」
虚をつかれたような表情を浮かべるリアスにシンは一礼し、チラシの束を持つと部室を後にする。シンが部室からいなくなって、僅かな間の後に、艶なる声が小さく笑う。
「うふふ。部長は兵藤くんを面白いと言っていましたけど、彼も負けないくらい面白い子ですね」
「フフフ。ええ、そうね」
リアスは置かれた缶コーヒーを手に取り、新たに入った部員二人の顔を浮かべ、おかしそうに笑うのであった。
◇
缶コーヒーを飲み終えたシンは、空き缶をそのままゴミ箱へと捨てず、右手へと持ち替えると、『悪魔の力』を呼び起こす。
何故、彼はそんなことをするのか。
紋様が浮かび上がった右手で軽く缶を握る。缶は音を立てて握り潰され、下半分が完全に掌の中に隠れた。
(紙コップでも潰しているみたいだ)
呆気なく潰れていく空き缶に、悪寒に似たような冷たさがシンの背中を奔っていく。
彼が行っていたのは、自らの力を測る為の一種の実験であった。
自転車を漕いでチラシ配りをしていた時も、今と同様に力を使用して作業を行っていた。結果として疲労感はあったものの、全力で漕ぎ続けたと思えないほど軽い。また、ペダルを回し続けた脚は運動した後の怠さを全く感じられず、日常的に運動を行っていないシンの身体能力を考慮すれば、『悪魔の力』による能力の上昇は劇的なものであった。
シンは空き缶を片手で弄びながら、リアスへ言った言葉を思い出す。自分に宿っている『悪魔の力』を知りたい、その言葉に嘘は無い。しかし、それが全てではない。
シンがリアスたちに協力を願い出たのは、この力を独りで持ち続けることに、先の見えない不安を感じたからだ。もし、誰にも頼らず、誰にも知らせず、独りこの力を持ち続けたとして、自分は果たしていつまで自制をしていられるか、シンは自分の精神の限界を知らない。
人並み外れた力を持って、それを思いのままに振るう誘惑に耐えられるか。この力がいずれ消え去る可能性も考えられるが、いつ消えるか分からなければ、確実に無くなる可能性もない。
今は普通に使えるこの力も、いずれはコントロールが出来なくなり暴走する危険性もある。あらゆることが出来てしまうほど万能ではない、だが何もしないでいられるほど弱い力ではない。考えれば考える程、不安は積もり続ける。
(我ながら格好だけの言葉を言う)
さも立派な言葉を盾にして、恥と感じた言葉を覆い隠す。結局の所シンの本音は、独りだと不安だから頼れそうな貴方達の仲間になって自分を安心させたい、というものに近い。
いつの間にか手の中に納まる程潰され、丸くなった空き缶をゴミ箱に捨てると、携帯機器を取り出して、画面を見る。そこには新たなマークが映されていた。
小休憩が終わりだと分かると、シンは自転車に跨り、次の目的地に向けて勢いよく漕ぎ出した。
シンがこの場を去って間も無く、小さな影がその場に現れる。
「やっぱり、悪魔だ」
小さな影は、そのまま空中を音も無く羽ばたき、シンがチラシを入れたポスターまで飛ぶと、中からシンの入れたチラシを取り出す。
「成程ね」
そのチラシを見て、影は楽しげに笑うのであった。
◇
チラシ配りを続けて何日かした後、シンは部室へと訪れる。部室はこの間と違い、光は遮断され、代わりの明かりに蝋燭が、床に置かれていた。
室内には一誠を除くメンバーが集まっており、シンが来たのに気付くと、リアスは床に描かれた魔法陣を指差す。
「来たわね。早速だけど、あそこの中央に立ってくれる」
「分かりました」
リアスの指示に従い、シンは魔法陣の中央に立つ。すると朱乃がシンへと近寄ってきた。
「じっとしていて下さいね」
朱乃の手がシンの制服の襟元に触れる。髪の香りすら分かる密着すれすれの位置に立つ朱乃に対し、シンは照れ隠しのように明後日の方向を向いて、指先一本動かさないほどの不動の姿勢をとる。朱乃は、そんなシンの初心な態度を微笑ましげに見ながら、離れる。シンは朱乃が触れていた襟元を見る。そこには駒王学園の校章が描かれたバッジが付けられていた。
シンから二、三歩程離れた位置に立った朱乃は目を瞑り、聞きなれない言葉を呟き始める。すると朱乃の呟きに連動し、足元の巨大な魔法陣が輝き始めた。
「これは?」
「魔法陣にあなたの刻印を記憶させているの。あなたに付けたその校章は刻印の代わりよ。本来なら眷属の体に書き込むものだけど、あなたは協力者という立場だからそれは出来ないわ。あと、それには転移用の魔法陣も書き込まれているわ。」
リアスの言葉に反応して、今度は校章が青白い光を放つ。
「今日は、あなたとイッセーには本格的に悪魔の仕事をしてもらうわ」
「それはいいですが……俺にできますかね?」
本来、正式な悪魔では無いシンであるが、協力者という立場上、他の悪魔が行けなくなった場合の穴埋め要員として現場に向かったり、サポート役として同行するなどの仕事を主に任せたいとリアスから言われ、シンはそれを了承。
今回の初仕事は、身を以て内容を体験するためのものである。チラシ配りの最中に悪魔の仕事の内容については一誠とともにマニュアルを渡され、レクチャーなどを受けていた。
しかし、いざ本番となるとシンは柄にもなく緊張をする。悪魔の力を使えるといっても、シン自身は自分の持つ『悪魔の力』を万能的なものとは思っておらず、契約をするにしても精々力仕事ぐらいにしか役に立たないと思っている。
「大丈夫よ。最初だから、難易度の低い仕事だから、そう難しく考えなくてもいいわ」
「間薙くん。そう緊張しなくても大丈夫だよ」
「間薙先輩……頑張ってください」
木場や小猫から少しでもシンの緊張をほぐそうと言葉を掛ける。初めてお使いに行く幼児にでもなったかの様な気分になんとも言えない恥ずかしさを覚え、返事の代わりに軽く手を振ってそれに応えた。
「校章とその魔法陣があれば、一瞬で依頼者のもとに移動できるわ。そして契約が終われば、この部室に戻してくれるわ」
便利な魔法陣の効果に、自分の力と比べて心の裡で感心した。リアス等が使用する『悪魔の力』の多様性を見る度に、自分の力の単純さを実感する。
やがて、刻印の記録が終わった朱乃が魔法陣の外へと移動する。間も無く下の魔法陣が更に強く輝き始めた。
「魔法陣が依頼者に反応したみたいね。今日は、あなたとイッセーの初仕事よ。頑張ってきなさい」
「精一杯やってきます。それでは」
シンの右手の紋様が浮かぶと魔法陣の光が最大まで輝き、その光量でシンは自然と目を細める。視界が光で完全に見えなくなったとき、足下が消え去ったかの様な浮遊感を覚える。
ほんの数秒ほど落下したかのような感覚を味わった後、どこかへと着地をした。光によって細めた目よりも先にシンの鼻が、周囲の空気の匂いを感じる。
(屋外……?)
土の湿った匂いと木々の青々とした匂い。明らかに室内から漂うものではない。細めていた目を開いたとき、シンの嗅覚が正しかったことが明らかとなる。
周囲には木々が生え渡り、シンが立っていたのはその中の開けた空間。屋内を予想していたシンをいきなり裏切る展開であった。
一瞬何かの手違いかと思ったが、足下を見るとシンらがあちこちに配ったチラシが置かれ、間違いなくこの場で召喚したことを示している。
「あ、来た来た!」
少女を彷彿とさせる高く幼い声が、シンの頭上から聞こえる。顔を上げ、声のした方へと向けると、そこには小さな少女が、羽を動かし飛んでいた。
どう見ても数十センチ程の高さしかない身長、短く纏められた栗色の髪に、青いレオタードの様な衣服、手には衣服と同じ青の長手袋に太腿辺りまで覆う青のサイハイソックス、そして、背中から生えた半透明の二対の羽。
明らかな人外。
その人外は、器用に羽を動かして、シンの目線の高さまで降りてくると、その場で止まる。
「……」
「うん! 上手くいった! ねえ、キミがあたしの呼んだ悪魔でいいんだよね?」
予想の斜め上をいく展開に、シンも黙り込んでしまう。
「ねえねえ、聞いてる? キミ、悪魔だよね」
「……一応、そうです」
話を先に進めようとする小さな少女に、辛うじて返事だけを返すシン。この時点で、リアスから教えられたことが全て無に帰した状態であった。
「……先に確認させてもらってもいいですか……一体、あなたは何ですか?」
「あたし? あたしは妖精のピクシー。知ってる?」
自らをピクシーと名乗った少女。その名にシンは覚えがあった。
シンの記憶が確かならば、ピクシーとはイングランドの伝承に出てくる妖精の名前である。家具などを揺らしたりする軽い悪戯から、人間の赤子を盗んだりするという悪質な行為をする妖精。
「その名は知っていますが、妖精が何故、悪魔の召喚を?」
「そんな固い言葉でしゃべらなくてもいいよ。あたし別に人間じゃないし」
クスクスと笑いながらピクシーは、シンの言葉遣いを改めるように言う。少しの間、シンは黙ったが、次にピクシーに話しかけたときには、普段の彼の口調となっていた。
「……それじゃあ、もう一度聞くが、何故悪魔の召喚を?」
「そんなの叶えて欲しい願いがあるからにきまってるじゃん」
「その願いは?」
「あたしを使い魔にして欲しいの」
「……なんだって?」
ピクシーの願いにシンは、思わず聞き返してしまう。
「だから、あたしを――」
「いや、待て。いきなりなんだ」
「そのまんまの意味だけど? ダメなの? キミが配ってたそれには『あなたの願いを叶えます』って書いてあるのに?」
ピクシーが足下に落ちているチラシを指差す。
「キミが配ってたって……もしかして、見ていたのか?」
「うん。見てたけど?」
あっさりと認めたピクシーの態度にシンは額に手を当てる。
「キミって不思議だよね。悪魔だったり人間だったり、コロコロ気配が変わるんだもん」
「……色々と事情があるんだ――あっ」
この時になって、シンは一誠の家から出たときに声を聞いたことを思い出した。よくよく思い出してみると、あのとき聞いた声と今、聞いているピクシーの声、全く同じ声であった。少なくともあの時からピクシーに見られていたらしい。
「堕天使に襲われたときも、いきなり人間から悪魔になってたし、あれはビックリしたなー」
「あのとき、居たのか……」
愉快そうに言うピクシーであったが、襲われていたシンの心境としては正直、笑い事で済むものではなく、表情には出さないものの心の中では渋面を作っていた。
「で? なんで俺を見張るような真似をしていたんだ?」
「うーん……初めは、面白そうだからだったんだけど、途中でそのチラシを見つけてチャンスだと思ったの」
「チャンス?」
「うん。強そうな悪魔に近づくチャンス」
「どういうことだ?」
ピクシーの意図が分からず、シンの眉間に皺がよる。
「だって、キミの使い魔になったら、あの強そうな紅髪の女悪魔の知り合いになれるでしょ? あれだけ強そうな悪魔の知り合いなら、変な奴らも寄ってこないだろうし」
「そっちが目的か……」
シンはピクシーの真意を悟る。ピクシーの本来の願いは、リアスの庇護である。恐らくは堕天使との一件で、リアスの存在が大きな力を有しているのを知り、その傘下に入ることで、外敵から身を守る術を手に入れたいのではないかと、シンは考える。しかし、直接的に求めるのは危険だと判断し、間接的に求めようとした結果、口添えをする者を必要と考え、自分が選ばれたのであろうという考えも浮かんだ。
「呼んだ悪魔なら誰でもよかったわけか」
「ううん。出来ればキミがよかった」
「何故?」
「一番、弱そうだったから」
「……」
歯に衣着せぬピクシーの言葉に、流石のシンも閉口する。
「あの紅い髪の悪魔は強くて無理そうだし、黒い髪の方も厳しそうだし、一番小さい悪魔も駄目っぽそうだし、綺麗な顔をした男悪魔も難しそうだし、公園でキミと一緒にいた男悪魔は、何か怖そうな気配がしたし――」
「それで残ったのは俺だったと?」
「うん」
「いざ使い魔になって危ないことをされそうになっても、自力で何とかなりそうな相手だと思ったと?」
「うん」
「……まあ、いい」
全く、悪びれた様子も無く頷くピクシー、シンとしても自覚があるだけに反論することも出来ない。強く否定したところで、後々惨めになるのは自分だけである。
「……取り敢えず、使い魔になりたい理由は分かった。もう一つ聞きたいことがある」
「まだあるの?」
先程からの質疑応答の繰り返しに、ピクシーも飽きてきたのか、口調と表情が露骨に退屈だといっている。
「これで最後だ。もし、俺の使い魔になって、グレモ――紅髪の女悪魔の知り合いになって、お前の言う変な奴らが近寄らなくなったら、お前は何がしたい?」
「ケーキとかいうのが食べてみたい」
「……」
ピクシーの即答に思わず黙り込み、ピクシーの顔を凝視してしまう。ピクシーの表情にふざけた様子は無く、その真摯な瞳のせいで否応無しに、本気の言葉だということが分かってしまった。
「理由聞きたい?」
「頼む」
シンは少ない言葉から、その裏に秘めたモノを感じ取れるほど達者な人間ではない。それ故に、何故それを求めるのかは素直に本人の口から聞くしか無い。
「あたしってさ、森の中で生まれて育ったんだけど、生まれてからずーっと森の中で暮らしていくのが面白くなくて、飛び出してきたんだよね。それで人の居る世界に飛び込んだけど、あたし達って結構珍しいらしくって、毎日変な服着た人間たちが追いかけてきて、何かの材料にしようと捕まえに来たり、標本やコレクションにしようとしたりして大変だったんだよね」
口調自体は軽いものであったが、表情には並々ならない嫌悪感があった。あまり詳細に内容を語らないのは、思い出したくもない記憶なのであろう。
「で、逃げているうちに船の中に隠れたり、荷物の中に隠れていたりしてたら、ここに着いたの。それで、初めてここに着いたときに見つけた美味しそうな食べ物がケーキ。一度でいいから、周りを気にせずに食べてみたいの」
「……意味が分からない。そんなに食べたければいくらでも方法が――」
シンのこの一言にピクシーの顔が一気に紅潮した。
「だーかーら! こそこそしたり! 隠れたり! いつ襲われたりしないかビクビクしながら食べたいんじゃないの! 堂々とゆっくり落ち着いて食べたいの!」
感情を爆発させたピクシー。異性を怒らせるという経験が皆無のシンにとっては、対処の方法が思いつかない。よく見れば、段々とピクシーの瞳の端に光るものが溜まっている。
「軽率だった。頼むから落ち着いてくれ」
「……じゃあ、使い魔にしてくれる?」
とりあえず昂るピクシーを宥め、少し落ち着いたところで最初の願いの内容へと回帰する。
シンは、短く溜息を吐いた後――
「ああ」
――と一言告げた。
シンの言葉を聞いて、ピクシーの拗ねていた表情は花が開く様に喜びの表情へと変わり、嬉しそうにシンの周りを飛び回る。
シンが了承したのはピクシーへの同情か、それとも悪魔の仕事に対する義務感か、正直なところよく分からない。だが、ピクシーの願いを叶えると決めたとき、胸の奥が少し軽くなったような気がした。
まるで、ピクシーを通して誰かに借りを返したかのような不可思議な感覚。
どうしてそのような気持ちになるのか、シンには全く分からなかった。
「――まあ、まだいろいろと知らないことがあるが、とりあえず今日から『仲魔』だ」
飛び回るのを止め、シンの前で浮かぶピクシー。その顔は不思議そうな表情をしていた。
「『仲魔』? 使い魔じゃなくて?」
「ん?」
言ったシン本人もピクシーに指摘され、そこで初めて気付いた。意識して言った訳ではなく、自然と口から滑り落ちるかのように無意識にその言葉が出てきた。
「……使い魔よりもその呼び方がしっくりくるだけだ」
「ふ-ん。『仲魔』か……うん! 悪くないかも」
照れを隠すように頭を掻くシン。それを見てキャハハと笑った後にピクシーがシンの肩へと腰掛けた。それと同時に足下に置かれていたチラシが発光し、魔力を放ち始める。契約が完了したという合図である。
「あ、そうだ。まだ名前聞いてなかった」
「間薙シンだ」
「ふーん。シンっていうだ」
チラシから放たれる光がシンたちを包み込んでいく。
「じゃあ、改めて。あたしは妖精のピクシー! 今後ともよろしくね! シン!」
この場から離れる前にピクシーは微笑み、シンに向かってウィンクをするのであった。
仲魔はあと何体か出す予定です。