ハイスクールD³   作:K/K

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区切、新入

 コカビエルが起き上がる気配が無いのを見てシンは大きく息を吐いた。立て続けに魔力を使用したことと蓄積した疲労のせいで、膝が震え全身が重く感じられる。

 

「しゃあ! やったな!」

 

 校舎から降りてきた一誠が走り寄ってくるのを感じ、シンは振り返る。いつの間にか禁手化で出した鎧は解除されていた。

 振り返ったシンの表情を見て一誠はその場で急停止し、不意打ちを貰ったような顔をしながらシンの顔を指差す。

 

「お前……眼が!」

「これか……」

 

 シンの左眼は瞼で閉ざされそこから血涙が流れていた。

 コカビエルへ攻撃を放ったときから、左眼から映る光景は白くぼやけており、まともに機能していない。

 

「安心しろ。潰れてはいない。時間が経てばもとに戻る筈だ」

「一体何があったんだ……?」

「少しばかり身の丈に合わないことをした。その結果だ」

 

 シンは左眼から流れる血を拭いながら心配しない様に言うが、相手は納得し切れていないという表情であった。

 

「ふふふ、面白いな」

 

 初めて聞く男の声。それは頭上から聞こえてくる。

 一斉に空を見上げる。それと同時に白い光が結界を突き破り中へと飛び込んで来るのを目撃した。

 目撃と同時に光が着地をする。その速度は凄まじく、間すら無い程のものであった。

 着地の衝撃で地面は大きく窪み、校庭の土や小石が巻き上がる。巻き上がった土煙の中、やがて姿を見せたのは龍を模した白い全身鎧。

 細部は一誠の『赤龍帝の鎧』と異なるが、大まかな形は酷似していると言っていい白い鎧。最も異なる点を挙げるとすれば、その背から生える八枚の光の翼であり、それが神秘的且つ神々しい印象を他者へと与える。

 突如として現れた乱入者。しかしその姿を見て誰もがある存在の名を思い浮かべる。

 

「『白い龍〈バニシング・ドラゴン〉』……」

 

 それを代弁したのが意外にも、戦闘不能になっている筈のコカビエルであった。『白い龍』と呼ばれたそれは無言で倒れたコカビエルの側に歩いていく。

 度々聞かされる『赤い龍』と争う宿命を持つ対となる龍、『白い龍』。

 約束された宿敵がいきなり現れた一誠は唾を呑む。気付かぬうちに緊張からか、喉がからからに乾いていた。

 シンの方もいつでも戦う準備を備えているが、どうにも目の前の存在から敵意というものを感じられない。こちらは意識しているが向こうはこちらに対して無関心であることが窺える。

 

「派手にやられたな、コカビエル」

「……俺を笑いに来たか? ヴァーリ」

 

 見下ろす白い鎧を見て忌々しげに名を呼ぶコカビエル。一度その名を出していたが、どうやら目の前の人物がそうであるらしい。

 

「『白龍皇の鎧〈ディバイン・ディバイディング・スケイルメイル』……お前の禁手化を見るのは初めてか……『白龍皇の光翼〈ディバイン・ディバイディング〉』などとっくに極めていた訳だな……流石に器が違う……忌々しい」

 

 吐き捨てる様に言うコカビエルに一瞬ヴァーリは身体を揺らす。どうやら鎧の下で笑っているようであった。

 

「俺にそこまで露骨に敵意を見せるのは堕天使の中でもお前ぐらいだ。まあ俺自身は別に不快とも思わないが。しかし――」

 

 両手を失い、堕天使の象徴でもある黒翼も片方失ったコカビエルの姿を改めて眺める。

 

「半死半生という言葉が相応しい程の傷だな。余程激しく戦ったみたいだ」

「……それがどうした。無様に見えるか?」

「いや、逆だよ。今のお前の姿、最高に美しく見える。お前の黒翼を見る度に鴉の抜羽を束ねたような不細工な羽だと思っていたが、今はどうだ。アザゼルの漆黒の羽に優るとも劣らない輝きを感じる。鬱屈した感情を解き放ったせいか? それとも極限まで命を賭けて戦ったせいか? どちらにしても少しお前のことを見直した」

 

 賞賛の声を掛けるヴァーリ。だが掛けられたコカビエルは特に表情を変えず、掛けられた言葉を鼻で笑う。

 

「世辞を言う為にここに来たのか? ならばとっとと失せろ。それとも赤に惹かれてやって来たか? ならば勝手に戦っていろ」

 

 コカビエルはあくまで邪険な態度を崩さない。しかし次に聞いたヴァーリの言葉に態度を一変させた。

 

「どちらも違う。俺はお前を回収しにきた」

「――ふざけるなぁ!」

 

 命を救いに来たと知って最初に出てきた言葉が罵声であった。そして今まで冷めていた表情を憤怒一色に染める。

 

「俺の命を助けに来たというのか! この俺が命を惜しんでこのようなことに及んだと思っているのか! 誰だ! 誰がそんなふざけた命を出した!」

 

 死に掛けとは思えない程の怒鳴り声を出しながらコカビエルは地べたで蠢く。まともに動けないにも関わらずその身から迸る殺気は、それだけで他人の心臓を止めてしまいそうな重圧が込められていた。しかしそんな殺気の奔流の中でもヴァーリの態度は至って平静そのものであり、浴びせられる殺気など露ほどにも感じていない様子であった。

 

「どうこう騒いでも無駄だ。命が在る内にお前を連れて戻ってくるようアザゼルに言われているんだ。我儘を言うな」

「やはり……やはり貴様か、アザゼル! 俺から奪うのはやはり貴様かぁぁぁぁ!」

 

 激しい憎悪を剥き出しにしコカビエルが吼える。

 

「この俺から死に場所すら奪うかぁぁぁ! 全てがお前の思い通りに行くと思うな!ならば――」

 

 コカビエルが大きく口を開く。だがその口が閉じるよりも先にヴァーリの手が下顎を掴み、閉じらせなくする。

 

「『ならばいっそ俺自身の手で俺を終わらせてくれる』と続くのか? その先は? 俺の前で自害なんて出来ると思ったかい?」

 

 口を押えられ喋ることの出来ないコカビエルが、目だけでも反抗の意志を示す。その眼を見たヴァーリは軽く肩を竦める。

 

「まだそれだけ抗う力があるのなら仕方ない。使うつもりは無かったが致し方ないな。奪わせてもらうぞ、コカビエル」

『Divide!』

 

 『赤龍帝の籠手』の様な音声が響くと同時にコカビエルから何かが抜け落ちていく様な光景が見えた後、ヴァーリの背中に備わった八枚の翼がその輝きを高める。

 

『よく見ておけよ、相棒』

「えっ?」

『あれが白龍皇の能力だ。触れた相手の力を半減させ、それによって奪った力を自らの力に加える。――俺たちと真逆の能力だ』

 

 初めて見る白龍皇の力を食い入る様に見る一誠であったが、別の方の視線に気付き思わずそちらの方を見る。視線の主はシンであり、珍しく目を丸くしていた。

 

「――その籠手、喋るんだな」

 

 今まで一誠の頭の中でのみ語りかけていたり、他にメンバーがいない場所で会話していた一誠とドライグであったが、このとき初めて人目が在る場所で会話をしてしまった。

 何か言おうかと一誠が考えるがそれよりも先にドライグが話す。

 

『そう長いこと隠すつもりは無かったからな。この際俺自身の存在についてばらしておこうと思ったまでだ。初めまして、でいい筈だな?』

 

 どこか含みがある言い方であり、微かにだが敵意らしいものを感じさせる。それが何からくるものかは何となくであるが予想できたが、この場において明言する必要も感じなかったので敢えて流す。

 

「そうだな。初めまして、だ」

 

 若干、空気がひりつくような挨拶が両者で交わされた中、ヴァーリは未だにコカビエルから力を奪い続けていた。やがて十分な力を奪ったのか、掴んでいた手を離す。

 手を離されたコカビエルは息をするのもやっとといった具合に疲弊し切っており、残っていた力は生きるのに必要な最低限の分を残しほぼ全て奪い尽くされた様子であった。

 

「これで下手な真似は出来ないな」

「こ……の……」

 

 まともに動かない口で何か罵声を繰り出そうとするが呂律が回らず、声というよりも音が漏れ出しているようであった。

 

「さんざん好き勝手やって来たんだ。自分の結末ぐらいは他人に好き勝手やらせてみたらどうだ?」

「き……さ……」

 

 ヴァーリは軽く拳を握る。

 

「とりあえず眠っていろ」

 

 握られた拳が躊躇なくコカビエルの額に叩きつけられた。死なない様に手加減していると思われるが、打ちつけられた衝撃でコカビエルの四肢が跳ね上がる。叩きつけた拳を引くと、コカビエルは完全に意識を断たれたらしく呻き声一つ洩らさない。

 ヴァーリはそんなコカビエルを肩に担ぎ、そのまま立ち去ろうとした。

 

『せっかくの再会に挨拶の一つも無しか、アルビオン』

 

 それを止めるドライグの声。

 

『再会を祝するような間柄ではないと記憶しているが? ドライグ』

 

 答えたのはヴァーリの鎧に埋め込まれた宝玉であり、一誠の籠手の様に声を発している。

 

『いずれ戦う運命だと思っていたが思っていたよりも早い再会だったな』

『誰であろうと運命を計ることなどできぬさ。だが今日は互いの運命が一瞬交差したに過ぎない。まだその日ではない』

『随分と丸くなった発言をするな。お前もお前の宿主共々敵意が薄い』

『お前がそれを言うか? 似たようなものだろう? 少なくともヴァーリの意志を尊重した結果だ。ヴァーリはまだそちらとの決着に興味が持てないのでな』

 

 ヴァーリは肩にコカビエルを担いだまま一誠の方を見るが、特に何かを言うわけでも反応するわけでもなくすぐに目を離し、次に側に立つシンの方へと目を向けた。

 このときも特に何かを言うわけでも無かったが、何故か僅かに肩を震わせる。鎧を纏っているせいで表情が分からないが。何となくであるがヴァーリが笑った様な気がした。

 

『それではな、赤いの。いずれまた相まみえよう』

『そのときまでじゃあな、白いの』

 

 そしてそのまま翼を広げ飛び立とうとするが、直前になってヴァーリが振り返る。一誠たちに何かを言うのかと思ったが視線が明らかに外れており、校舎の上、虚空を眺めているようであった。

 

『ヴァーリ。またの機会にしておけ』

「――そうだな」

 

 アルビオンに急かされ少々名残惜しそうにしながらも振り返るのを止め、乱入してきたときのように白い光に包まれてそのまま空へと飛び立っていった。

 本当に終わった。そう実感するには少々引っ掛かるものを感じたが、この街を破壊する魔法陣も発動せず、コカビエルたちも戦闘不能に追い込み、エクスカリバーも破壊してしまったが何とか回収することも出来た。

 長い戦いは兎に角終わったのだ。

 

「本当に終わったんだな……俺たちの勝ちで」

「だろうな」

 

 余韻を噛み締める訳では無いが、今まで張り詰めていたものが緩んでいくのを感じる。

 

「そうだ! 部長たちを――」

「心配いりませんよ」

 

 怪我を治療中のリアスたちのことが気になり、慌てて振り返った一誠の正面に立つ、色白の美青年。マフラーで顔を半分隠し、軽装であるが鎧を身に付け、手には長槍を持っている。

 シンにとっては面識の無い人物であった為、警戒しようとするがそれよりも先に一誠が反応をする。

 

「あ、あなたは!」

「あのときは名乗れませんでしたが改めて自己紹介させていただきます。私の名はセタンタと申します」

 

 セタンタと名乗る青年。初めてその姿も名も知った筈であるが、何故か既視感を覚える。それはピクシーやジャックフロストと初めて邂逅したときのものとよく似ていた。

 

「あなたとは『初めまして』でよろしいですね?」

「――ああ、『初めまして』」

 

 つい先程似たような挨拶したなと心の中で思う。

 どこか探っている印象を受けたがセタンタはそれ以上聞いてくることはなく、シンと一誠に懐から取り出したガラスの小瓶を渡した。

 

「フェニックスの涙です。いざというときの為に人数分用意して来ました。既にリアス様たちには渡しておりますのでご安心下さい」

 

 そう言うとセタンタは二人に頭を下げる。その行為に一誠は慌ててしまう。話に聞けばかなりの大物であるセタンタに、そのような真似をさせてしまうことを恐れ多いと感じてしまった。

 

「あ、頭を上げてください!」

「いえ、もっと私が早く着いていればもっと被害を少なくできたかもしれない。若い貴方達に命を張らせてしまったことを謝罪させて下さい。そして感謝します。リアス様やあの子たちを死なせずに済んだことを」

 

 真摯とした態度での謝罪と礼。こういった態度に慣れていない二人は反応に困ってしまう。

 

「これに生き残れたら何でも――いや! その! 部長の眷属として当然のことをしただけです! なあ、間薙!」

 

 何か引っ掛かる言葉を言い掛けていたが取り敢えず追及はせず、一応頷き同意を示す。

 

「そう言ってくれるのであれば幸いです。校舎等の後始末は全て私やソーナ様が行いますので皆さま方は休んでいて下さい」

 

 もう一度一礼すると、セタンタは倒れているリアスたちの方に向かって行った。

 

「何か改めて喋ってみると威圧感というか、気配が違うというか……」

『相当の手練れだな。今の相棒だったら瞬殺されるぞ』

 

 一誠がセタンタに抱いた感想について、シンもまた概ね同意であった。ただ会話しているだけで言い様の無い緊張感を覚える。それは本人がきっとあれでも抑えているのであろうが、抑えきれず無意識に滲み出て来る強者としての気配に触れたせいであった。

 去り際にヴァーリが校舎の方を見たのは、もしかしたらセタンタが現れるのを感じ取ったせいなのかもしれない。

 

「終わったんだね……」

 

 リアスたちの側に木場が二人に歩み寄ってきた。コカビエルの戦いで負った負傷はセタンタから渡されたフェニックスの涙で治っていたが、光の毒までは完全に消え去っていないらしく、少し片足を引き摺っている。

 

「いよ、色男。色々援護してもらって助かったぜ! にしてもこれがお前の禁手化か……改めて間近で見ると不思議な色をしてるなー、綺麗なもんだ」

 

 戦いの中ではじっくりと視えなかった聖魔剣をまじまじと眺める。

 

「イッセーくん、それに間薙くん。僕は――」

 

 木場が言うよりも先にシンが右手を差し出す。それを見て木場は驚いた様子でその手を見た。

 

「これは……」

「色々と言いたいことがあるんだろうけど、全部ひっくるめてこれで水に流そうってことだ。仲直りの印みたいなもんだろ? 握手ってさ」

 

 木場は聖剣のことで数々の自分勝手な行動について謝罪をしたかった。独り苛立ち仲間を護る為の刃をその仲間に向けてしまったこと、独断専行し周りに心配を掛けてしまったこと、突き放すつもりで自分と相手との信頼関係を否定したこと、まだまだ挙げればたくさんあったが、それを聞かず、ただ今まで通りの関係に戻ろうとシンは無言で示す。

 

「――ありがとう」

 

 木場は差し出された手を握り握手を交わす。

 

「その言葉は部長にも伝えておけ。――心配していたみたいだしな」

「ふふ、そうだね」

「なら間薙も部長にちゃんと謝っておけよ。お前が行方不明になって滅茶苦茶責任感じていたみたいだからな」

「――分かっている」

 

 交わした握手を離し、木場は二人から視線を動かし別の方へと向ける。その視線の先には横たわるバルパーの死体があった。

 過去の悪夢の象徴のような男。散々好き勝手なことをしたあげくにコカビエルの手で葬られた。その死に様に同情を覚えることは無かったが、聖剣への妄執に憑りつかれた結果、今のように地面へと転がる死体となった老人に、言い様の無い空しさの様なものを覚えた。

 木場は一度溜息を吐いた後、バルパーから視線を外し別の人物に向けようとする。だがどういう訳か木場の視線は左右に何度も往復していた。

 

「――居ない」

 

 木場の呟きにシンと一誠が反応する。木場の視線の方向へシンたちも目線を向けた。そこには血溜まりと砕けた聖剣の残骸が地に残っている。そう、血の跡と聖剣の残骸しかその場にない。

 木場によって片腕を切断され、倒れていた筈のフリードの姿だけが無かった。

 

「逃げたか……」

 

 自分たちの明らかな失態にシンは眉間に皺を寄せた。フリードが倒されてそれ以降、コカビエルのみに注目していたことが裏目に出てしまった。恐らくは全員の意識がそちらへ向いている内にこの学園から去ったのであろう。

 戦いは終わった。しかし、完全に終わった訳では無い。半死半生の深手を負っているフリードの逃亡。それは次の戦いへの予兆に思えた。

 

 

 

 

「はあ……はあ……はあ……い、いひひひひ! 今頃あの悪魔ちゅわんたちは……どんな顔をしているんですかねぇ……」

 

 今このときに死んでしまってもおかしくない顔色をしながらも、フリードは蛞蝓が這う様な歩みで学園から離れていた。

 斬られた右腕を左手に持ち、切断された部分を適当な紐できつく縛り付けていることで大量の出血は抑えているものの、逃げる前の段階で既に多くの血を流しているため、フリードの視点は殆ど霞んだ状態であった。

 

「ああ……いてぇ……いてぇ……くそったれの……悪魔どもがぁ! 俺様の大事な右腕……斬りおとしやがって……死んだらどうすんだぁ? もしも死んだら悪魔どもを……ぶっ殺してやらぁ……!」

 

 支離滅裂なことを独り口走りながらただ逃げ続けるフリード。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 自分が死ぬかもしれないという状況であるにも関わらず、その頭の中は溢れ出してしまいそうになるほどの悪魔への殺意で満たしていた。この殺意こそが死に掛けの身体を動かす原動力となり、ひたすら前へ前へと踏み出させ続ける。

 

「もしかしたらとは思っていたが――お前は私の想像以上に生き汚い男だな、フリード」

 

 聞き覚えのある言葉。だがフリードの記憶が確かならばその声はもう二度と聞くことは無い筈であった。

 

「あー、やっべー。遂に幻聴まで聴こえてきた……命のカウントダウンが始まっているんですかねぇ……」

 

 聴こえてくる声を無視して先に進もうとする。幻聴と思わしき声は短く息を吐くとフリードの側を通り、正面に回る。

 

「死ぬ間際まで口が減らんのか、お前は?」

「あー、やっべー。幻聴の次は幻覚だよー。……死んだ筈のバルパーのじいさんが見えるよー。……やっべー棺桶に片足突っ込んじゃってるよー」

「――ならこれでも幻覚と言えるか?」

 

 バルパーがフリードの腕を掴む。しかもそれは切断された方の腕であった為、それによって脳まで貫くような痛みが襲い、はっきりとしていなかったフリードの意識が一気に覚醒する。

 

「イッデェェェェ! ぶち殺すぞ! クソ爺ィィィ! ――って本当にじいさんじゃん……死んで無かったけ? ボスに殺られて? でも足はあるし」

 

 一度は激昂仕掛けるが、死んだと思っていたバルパーが生身であることにようやく気付き、怒りが醒めるが代わりに何故生きているのかという疑問が湧く。

 

「前にも言っていた筈だ。『常に二重、三重に保険を掛けておくものだ』と」

「保険って、それが……?」

「私が死んだとき全ての記憶を引き継いで動く予備の肉体だ。とある奴らに協力する見返りとして何体か頂いた」

「何それ。そんな便利な物持ってたの? つーか本人が危険冒して前に出て来るよりもその体使って隠れてたら良かったんじゃないの?」

 

 フリードが柄にもなく尤もな指摘をする。しかし言われた本人は真顔でこう言い返した。

 

「記憶〈ここ〉さえ残っていればそれでいい。本人か複製かなど些細なことだ」

 

 生というものに対してあまりに無頓着な台詞にさしものフリードも呆れる。過去の所業から他人の命に関心が無いことは分かっていたが、まさか目的の為ならば自分の命すら投げ捨てる人物であるとは思わなかった。

 

「……ボスもイカれてたけどさぁ、改めて思うわ。じいさんも大概」

 

 元より真面では無いと思っていたが、その度合いが自分の想像を上回るものであったことをこのとき初めてフリードは知った。

 

「それでそのとある奴らって?」

「すぐに分かる」

 

 その言葉に合わせたかのように頭上から羽ばたく音と聞き覚えのある声がフリードの耳に入ってくる。

 

「迎えに来た――まさか、お前まで付いているとはな」

「あんらぁ? 懐かしい声だこと」

 

 降り立ったのは黒のスーツに黒の山高帽をかぶった男性。その背からは堕天使の象徴である黒い翼が生えていた。

 

「とっくの昔にくたばってたと思ってましたよん、ドーナシーク」

「それはこちらの台詞だな」

 

 フリードのからかう台詞を能面のような表情で返すのは、かつてフリードと手を組んだことのあったドーナシーク。

 だが、どちらも再会を喜んでいるように見えなかった。

 

「コカビエル様ではなくよりにもよってこいつを連れて来たか、バルパー」

「流石にあれを引き入れるのは無理だな。質は大分落ちるがこれもそれなりに戦力になる。戦力の増強は必要であろう?」

 

 露骨な嫌悪を露わにし不満を漏らすが、バルパーは言葉を聞いて渋々といった感じで了承する。その際、フリードに聞こえる程の大きさの舌打ちをした。

 

「ねぇねぇ、何か勝手に話が進んでいるんですが。じいさんってボスと組む前に別の誰かと組んでたの?」

「その通り。コカビエルも引き入れようと思っていたが……まあ、事はそう思った通りに進まないな」

 

 苦笑するバルパー。フリードはその顔を見て生気を失っていた顔に再び活力を宿す。

 

「すると、このワタクシめもそこに連れてってくださるということで」

「お前にはまだ利用価値があると思ってな。嫌ならばここに置いて――」

「行きます! 行きます! 今後ともよろしくお願いしやーすッ!」

 

 バルパーが最後まで言い終える前にフリードは即答する。その勢いは先程まで死に掛けていたとは思えない程、溌剌としたものであった。一方、その返答にドーナシークは露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「――まあいい。バルパー、お前が望むものは全て揃えてある。その頭脳、生かして貰うぞ」

「場所が何処だろうと関係ない。私は私の研究を究めるだけだ。そして――」

 

 そこで言葉を区切り、バルパーは駒王学園のある方向へと顔を向ける。

 

「今度こそ私は必ずエクスカリバーを手に――いや、エクスカリバーすら凌駕してみせる。必ずだ」

 

 バルパーのエクスカリバーを打ち破った者に対しての戦線布告。それは伝説と言われた聖剣に敗北という泥を被せたことに対する怒りか、あるいは自分が超える筈であったものを先に越されたという嫉妬か、言葉で言い表せない感情をその目に混ぜていた。

 

「それでじいさんたちが入っている組織ってなんてー名なの?」

 

 バルパーの様子を気にすることなくフリードは尋ねる。その言葉に昂らせていた気持ちも醒めたのか、フリードの方へと顔を向け、組織の名を口にした。

 

「ようこそと言っておこう。無限が支配し混沌を望む者たちが集う『禍の団〈カオス・ブリゲード〉』ヘ」

 

 

 

 

 気絶するコカビエルを抱えたヴァーリは、そのまま一直線で『神の子を見張る者〈グリゴリ〉』に戻るのではなく、途中とある寂れたビルの屋上に降り立った。

 ヴァーリたち以外人の気配など無い暗闇に満ちた場所であったが、ヴァーリはそこで確信を持って呼び掛ける。

 

「いるんだろう?」

 

 その声に応じる様に、闇の中から月光の下に姿を見せる一つの影。まるで闇から浮き出てきたその人物を見て、ヴァーリは纏っていた鎧を解除した。

 

「こんな島国にあんたが態々足を運ぶなんてな」

「戦いのニオイを感じたのならば赴く。貴公ならば私のこの心情をよく理解していると思うのだが?」

 

 金糸が施された翠玉色の衣装、それと同じ装飾の闘牛帽子。そしてその帽子の下から覗かせる顔は白骨そのもの。先程まで静かだった夜の闇はその人物が現れたことでその質を一変させ、奈落へと引きずり込まれるような恐ろしい闇へと変わる。

 『殺戮者』の名を持つ魔人マタドールがこの場に現れた。

 

「『神を見張る者』の幹部も随分と痛めつけられたものだ。いずれは手合わせを、と思っていたがその様子では当分無理のようだ」

「幹部の何人かに手を出しているというのに欲張りだな」

「そう簡単に満たされるものでは無い。勝利への渇望というものは」

 

 客観的に見れば親し気とも言える両者の掛け合い。だがその場に満ちていく互いの覇気が、その捉え方が間違っていると説明していた。

 

「コカビエルがこんな風にズタボロだったせいで満足に戦えることすら出来なかった。色々と鬱憤が溜まっているんだ。ここで一戦交える気にはならないか?」

「会って早々の台詞がそれか。だからこそ私は貴公を気に入っているのだがね。まだ私から受けた傷は完治していないようだが?」

 

 マタドールが指摘したように鎧を解除したヴァーリの身体には、前回の戦いのときに受けた傷が未だに残っていた。頬にはガーゼが貼られ、衣服から覗く肌には包帯が巻かれており、決して軽い傷ではないと分かる。

 しかし、ヴァーリはその言葉を聞き鼻で笑う。

 

「だからどうした?」

「期待通りの返答だ。素晴らしい」

 

 即座に出てきたヴァーリの言葉を褒め、称えるように軽く拍手を送る。

 

「そう言えば宿敵の『赤龍帝』と会ったみたいだがどうだった? ドライグは息災かね?」

『見ていたのか?』

「直接ではないが懐かしい赤い龍の魔力を感じた。赤と白、二つの龍が並び立つ姿はさぞ荘厳だったであろう」

 

 期待する様に聞くマタドールであったが、ヴァーリの反応は冷めたものであった。

 

「言う程のものじゃない。はっきり言えば期待外れもいい所だ」

「ほう?」

「力が足りない。魔力も足りない。気迫も足りない。あれが俺の好敵手となる予定の男ならば泣けてくるな」

「そこまで扱き下ろすか。そこまで言うと彼らに同情したくなってくるな」

 

 肉の無い白骨の顔からでは表情が読めないが、その動作から笑っている様であった。

 

「今の所は戦っても面白くも楽しくも無さそうだ。――そう言えば少し気になる奴が居たな」

「貴公の興味を引くか、どのような相手だ?」

「姿形は普通の人だった。ただその纏っている気配がそっくりだったよ、あんたに」

「――ほう」

 

 マタドールの声のトーンが下がる。

 

「恐らくそれは私が以前感じた存在。十人目の『魔人』だろうな」

『お前がそう確信しているのであれば、私たちが感じたものは間違っていないのであろうな』

「大戦から長い年月をかけてまさか十人目の魔人が誕生するなんて……はははは! 愉しくなってきたじゃないか! マタドール、あんたもそう思うだろ?」

 

 昂揚するヴァーリとは対照的にマタドールは、顎に手を当て何か思案している。その姿は初めて見るものであったが、ヴァーリは直感的にマタドールが当惑している風に見えた。

 

「十人目……十人目……」

「どうかしたのか?」

「……『人修羅』」

「何だって?」

 

 初めて聞く言葉にヴァーリは聞き返す。

 

「十人目の魔人の名は『人修羅』というのか?」

『出会ったことがあるのかお前とそいつは?』

 

 聞き返されたマタドールはそこでハッとしたように顔を上げる。

 

「――『人修羅』? 一体なんだそれは?」

「――あんたが自分で言ったんだろう? どうした? 様子がおかしいぞ?」

 

 マタドールはそこで天を見上げる。そこには眩しく輝く月があった。

 

「少し月光の下に身を出し過ぎたようだ……『人修羅』、知らない筈の名なのにどういう訳か聞き覚えがある。……記憶に齟齬があるな」

 

 そこまで深い付き合いがある訳ではないが、明らかに混乱しているマタドールの態度にヴァーリは訝しげな表情となる。マタドールはそれ以上人修羅について語る事は無く、ヴァーリへと背を向けた。

 

「どうも今夜は興が乗らないみたいだ。折角の誘いではあるが今宵はこのまま下がらせてもらいたい」

「あんたがそう言うのなら別にいいさ」

 

 何度か戦ったことのあるヴァーリからすれば、戦いを断るマタドールを意外に思った。仮にこのまま戦いを仕掛けたとして、マタドールは気が乗らないとしても応戦してくるのは間違いない。だが、きっとそれはヴァーリが望むような戦いにはならない。ヴァーリにしても質の無い、空虚な戦いに時間を割くつもりは無かった。

 

「感謝する。まあ、今日戦わずともいずれ大きな戦いが来るだろうがね」

 

 ヴァーリはその言葉でマタドールの方に顔を向けた。月光から闇の中に消えようとしているマタドールの横顔、それは哂っているかの様に見えた。

 

「それがここに来た理由か? 大きな戦いとは何のことだ?」

「さて? そんな気がすると思ってここまで足を運んだだけのこと。私の『直感』に過ぎない」

 

 本気なのか冗談なのか分からない。この時ばかりはヴァーリもマタドールから感情を読み取ることが出来なかった。

 

「ではそのときまで。御機嫌よう『白龍皇』」

 

 月光を遮って出来た影の中へと全身が入り込んだと思えば、すぐにそこから姿が消える。闇の中に溶け込むようであった。

 先程とは違い、この辺り一帯からはマタドールの気配が感じられなくなった。

 

『奴め……もしや勘付いているのか?』

「さあね。演技かはたまた本当にただの勘か。まあ、どちらにしても関係無いな」

 

 マタドールの言った大きな戦い。その言葉が何を意味するのか二人には心当たりがあった。

 

「また一つ楽しみが増えたな」

 

 

 

 

 コカビエルとの戦いが終わって二日ほど経過した。

 この二日間、シンを含むオカルト研究会の一同は、コカビエルとの一戦が原因で全員体調を崩して、皆が自宅で横になっていた。怪我などはアーシアの神器やセタンタが持ってきたフェニックスの涙で問題無かったが、戦いの中で蓄積した疲労、もしくはコカビエルの使う光の毒のせいか以前経験したような風邪のような症状となっていたので、大事をとって休んでいた。

 その間にセタンタやソーナたちがコカビエルによって破壊された校舎や校庭を修復してくれたらしく、またバルパーがこの街に仕込んだ術式も全て無力化してしまったらしい。そして消えたフリードの探索もしてくれたらしいが、残念ながら痕跡を見つけることは出来なかったという。

 何日かぶりにみる駒王学園。心なしか前よりも綺麗に見えた。

 

「よお、間薙」

「おはようございます、間薙さん」

 

 背後から掛けられる聞き慣れた声。シンも振り返りながら挨拶を返す。

 

「おはよう」

「おはよー」

「おはよーだホー!」

 

 ついでに肩に腰掛けているピクシーとジャックフロストもシンに倣って挨拶をする。

 振り返った先に居る一誠とアーシア。二人の様子は以前と変わりなく元気そうであった。

 

「部長はどうした?」

 

 アーシアと同じく一誠の家に同棲している筈のリアスの姿が見えない。

 

「何か用事があるからって先に学校に行った。あーそうだ、部長からの伝言で今日の放課後に部室に集まるようにだってさ」

「分かった」

 

 頷き了承すると今度は別の方向から同じく挨拶が掛けられる。

 

「やあ、おはよう。みんな」

「……おはようございます」

 

 小猫はいつもの様に無表情、そして木場はここ数日の陰のあった表情ではなく、前と変わらない爽やかで、周りの女子たちは黄色い歓声を上げる二枚目な顔で挨拶をしてきた。

 

「ああ、おはよう」

「その眼はもう大丈夫なのかい?」

 

 木場が聞いてきたのはシンの左眼につけられている眼帯のことであった。コカビエル戦で自分でも加減を知らず放った攻撃のせいで、少しの間片目が見えなくなってしまっていたが、この二日間の間に視力の方は殆ど回復していた。眼帯を付けているのは大事をとって、念の為にというぐらいの気持ちである。

 

「少しぼやけるが問題は無い」

 

 そう言って眼帯をずらし回復した左眼を見せる。それを見て木場は安堵したように息を吐いた。

 

「良かった。……本当に良かった」

 

 心底嬉しそうに微笑む木場にシンは、良く見なければ分からない程微かであるが笑みを返す。

 そんな光景を見て、先程までキャアキャアと歓声を上げていた外野の女子たちは急に黙り込み、ひそひそと小声で話し始める。

 

「ねえ……よね? ねぇ」

「いいわ……あれ……」

「やはり……よりも……の方が鉄板……」

「私はどちらかと言えば……の方が……」

 

 どこか湿気を感じさせる囁き声。何を言っているのか聞き取ることは出来なかったが、話しこむ女子たちの表情を見るだけで碌な内容で無いことが分かる。

 いつまでもここにいるのも居心地悪いだけなので、他のメンバーを促しさっさと教室に向かうのであった。

 その日の放課後、リアスの指示通りに皆がオカルト研究部の部室へと集まる。部室内には既にリアスと朱乃、ソーナ、そして設置されているソファーに見覚えのある人物が、見慣れない格好で座っていた。

 

「やあ」

 

 気軽に挨拶をしてきたのはソファーに座っているゼノヴィアであった。コカビエルの戦い以降姿を確認していなかったが、何故か駒王学園の制服を着ている。

 その姿に一誠やアーシアが驚いているが、追い打ちを掛ける様にゼノヴィアは更なる驚きを見せる。

 全員が見ている前でゼノヴィアの背中から悪魔が持つ黒い翼が生えたのだ。

 その時点で大体のことを悟ってしまう。つまりここにいるゼノヴィアは――

 

「私も悪魔に転生した」

 

 さらりととんでもない発言をする。信仰者が悪魔へと転じる、アーシアという前例があるだけに決しておかしいという訳では無いが、あのときは命を救うという非常事態であった為というやむを得ない事情があった。確かにコカビエルとの一戦でゼノヴィアは負傷――主にシンが原因で――していたが、命を落とすようなものでは無かったはずだ。

 ということは、ゼノヴィアの転生は己の意志で行ったということとなる。

 

「ど、どういうことだ!」

「神の不在がを知ってしまった今、以前のように神を信仰することが出来なくなってしまってね。ならばいっそのこと堕ちるところまで堕ちてみようと思い、破れかぶれで転生してみた。幸いリアス・グレモリーから『悪魔の駒』の『騎士』を貰うことが出来たんでね」

 

 皆の視線が一斉にリアスへと向けられる。

 

「デュランダル使いの眷属なら『騎士』として不足が無いどころか頼もしいと思ったのよ。これで聖と魔を持つ二翼の剣士が誕生したわね」

 

 上機嫌そうに言うリアス。リアスの性格からしたら元教会側の人間だとしても特に気にすることもないし、聖剣としても上位にあるデュランダルも手に入ったことで申し分の無い結果なのだろう。

 

「そういうことだ。今日から駒王学園の二年生でオカルト研究部所属だ。よろしくね! 皆ぁ!」

 

 まさに作り声というのが分かる、媚びると言うべきかわざとらしいと言うべきか困る声を真顔で言い放つゼノヴィアに、全員どういう反応をしていいのか戸惑う。

 

「おや? 変だったかな。イリナの真似をしてみたんだ。警戒している相手には大体効く筈なんだが……」

(女の真似がここまで下手な女は初めて見る)

 

 思ったよりも反応が悪いことにゼノヴィアは首を傾げ、シンは内心でその真似を酷評する。

 

「まあ、いろいろ思うことがあるかも知れないがもうすでに私は悪魔だ」

 

 きっぱりとした態度で宣言するように言うゼノヴィア。その態度を見てシンはゼノヴィアが悪魔に転生したことについてあれこれ考えるのを止めた。神というものを支えとして生きてきた人間がその支えを失ったことによって、初めて突き付けられる神の意志では無く己の意志での選択。その結果、悪魔として生きることを決意したとあれば、それなりの思いがあって転生したことになる。他人があれこれ考えるのは無粋とシンは考えた。

 

「……そう、悪魔なのだ。……振り返って考えてみるとこれで良かったのか? 流石に一気に堕ちすぎてしまったのではないか? 神の使徒がいろいろの手順を省いていきなり神の大敵に降るというのは冷静に考えてみれば、かなりアレのような……」

 

 ゼノヴィアの口からダラダラと未練や後悔が漏れ始めてきたが聞こえない。それなりの思いがあって転生したと思っているシンの耳に入ってきているが聞こえない。決して聞いてはいけない。

 

「と、ところでイリナはどうしたんだ? 戦いが終わってすぐに家から出て行ったからさ」

 

 ぶつぶつと愚痴のようなものを吐き出しているゼノヴィアの気を変える様に別の話題を持ち出す一誠。途端、ゼノヴィアは陰気な顔から自嘲する顔となる。

 

「イリナなら既に教会へと帰ったよ。この街で死んだ神父たちとバルパーの遺体、そして回収した私の『破壊の聖剣』と統合されたエクスカリバーのかけらを持って」

「イリナには何か言ったのかよ」

「この地に残ることは告げた。怒られてしまったよ、きっとエクスカリバーを返却したことで私がもう教会に戻る意志が無いことが伝わったみたいだ。理由も聞かれたが答えることは出来なかった」

「教会には何も言わなくていいのかよ」

「既に連絡しているさ。神の不在についても、ね。電話越しでも息を呑む音は聞こえると初めて知ったよ。まあ、これで晴れて私も異端だな。何せ『神は死んだ』と主張するような輩だからな」

 

 神の不在についてイリナは戦線離脱をしていた為に知ることが出来なかった。だが、それで良かったのではないかとシンは考える。ゼノヴィアと比べイリナの方が教会の教えに深く傾いていた為、仮に知ってしまった場合、どれほどの反動がその精神にダメージを与えるか計り知れない。尤もそのせいで、共に戦った仲間と喧嘩別れをしてしまうという、イリナにとって後味の悪い任務となってしまったが。

 

「あと付け加えておくなら、そのイリナという方は独りで帰国していません。この街で唯一生き残った先遣の神父も連れています」

 

 捕捉するようにソーナが口を挟む。

 

「生き残り……ああ、彼か……」

 

 心当たりがあるが口調はそっけない。ゼノヴィア自身はその生還した神父にはあまり良い感情を持っていないらしい。

 

「それはあのアダムという人物が変装していた神父ですか?」

「そうです。去り際に入院している病院の名前を告げられたので行ってみました。そこでその神父は恐らくここに派遣された直後から入院していたみたいです」

「入院……そんなにひどい怪我だったんですか?」

「いえ、無傷です。その神父が入院したとき全裸でとんでもない酩酊状態だったらしく、まともに会話が出来ない様子だったそうです。身元を調べようにも身分証明書の類は全て奪われていたので全く素性が分からなかったらしいです」

「え? じゃあここに来てからイリナと帰るときまでずっと酔っぱらった状態だったんですか? そんなことが出来るんですか?」

「きっと彼ならば簡単に出来るでしょうね」

 

 アダムのことを指して言っているのだろうが、何故かソーナの言葉にはアダムに対しての敬意が含まれていた。それはソーナがアダムの正体について知っていることを示唆している。

 

「その口振り、あの男の正体に見当がついているのね?」

「ええ。彼の名は恐らく――」

 

 

 

 

「おい、『マダ』。それはがぶ飲みするような酒じゃねえぞ」

「だからどうした? 酒は酒だ」

 

 以前、シンが治療の為に寝かされていたマンション。その一室で二人の男が酒を酌み交わしている。一人は軽く後ろに撫でつけた黒髪に顎髭を生やした異国の男。年齢は二十代ぐらいではあるが、齢以上の雰囲気を持つ顔付きは男として熟したどこか危なげな色気を持ち、異性の方から寄ってきそうな女慣れをした二枚目という印象を与える。ただ格好は何故か日本風の浴衣を着用し、飲んでいる酒も冷酒と見た目とはギャップのある行動をしていた。

 もう一方の男性は浴衣を着た男から『マダ』と呼ばれてはいたが、その姿はシンたちの知るアダムであった。異なる名前を呼ばれ、それに反応したことから、それが彼本来の名前なのであろう。

 男と違い、マダの前には酒瓶がいくつも転がっており、酒に詳しい人物が居ればその銘柄と価値に驚き、そしてその豪快な飲み方で二度驚くことになろう。

 マダは空になった瓶をテーブルの上に置くと、別の酒瓶を手に取る。見た目からしてワインの瓶であるが、それをボトルキャップでも外すかのような仕草で付いているシールやコルクごと先端を捩じ切ると、そのまま瓶を掲げてから口の中に直接流し込んだ。

 

「一本、何十万すると思ってんだ? 年代もんだぞ? 少しは味わいながら飲めよ」

 

 呆れた様子の男を言葉を無視し、ほんの数秒で一気に飲み終えたマダは、全く酔いで変化しない表情のままワインの瓶をテーブルの上に置く。

 

「飲んで酔うことこそ酒の真価だ。鑑賞や美術品じゃねえんだよぉ。昔のものだろうが今のものだろうが酒は酒だ」

「飲んで酔うって――お前の酔った所なんて見たことねえぞ。はぁ……だからお前に酒を奢るのは嫌なんだよ。奢り甲斐がねぇ。ソムリエみたいな感想とまでは言わないが年代物の酒を飲んだなら少しは言うことあるだろう? 人間だったらもっと薀蓄とか語ってくれるぜ?」

 

 高級な酒が湯水のように飲まれていく惨状を見兼ねて男は言うが、マダはそれを一笑する。

 

「歴史を取り込んで酔っぱらうことが出来るのは人間ぐらいだ。俺のような存在にはあんまり分からん感覚だな。歴史に酔うってのは」

 

 お前はそうだろうよ、愚痴りながら男はチビチビと冷酒を飲む。

 

「で? いつまでそんな〈神父の〉恰好をしているつもりだ?」

「そういや、そうだったな。長い時間着てきたせいで少し慣れたみたいだ」

 

 へっへっへっとマダが笑った途端、その身が炎に包まれる。部屋中へと散る火の粉。だがその火は不思議なことに周りには引火せず、向かいに座る男は動じず酒を飲み続ける。やがて炎に包まれた体が崩れていくが、それは被せられたものが剥がれ落ちていく様であった。そしてその剥がれ落ちていくものの中から別の姿が現れる。

 その下から現れた者の頭部に頭髪は無い。替わりに燃え盛る炎が逆立っていた。

 その者に顔が無い。まるで石を彫って造られたような荒々しい瑠璃色の肌を持ち、目と鼻は無く大きく裂けた口が一つだけある。

 その者には他の者には無いものがある。左右にある大きな腕、そこに更に一本ずつ加えられており、合計四本もの腕がある。背には大きな車輪のようなものを背負い、台座の様な横幅の広い腰からは篝火のように炎が燃えている。

 まさに異形という容姿。これこそマダの本来の姿であった。

『マダ』。その名が意味するのは『酩酊者』。かつてある聖仙がとある神を追い払う為に創り出した阿修羅。口を開けば宇宙すらも呑みこめるとまで言われた存在。

 つまりは神を超えていながらも神では無い怪物である。

 しかし、神を追い払った後に生みの親である聖仙にその身を四つに分けられ、神話の中から姿を消した存在であった。

 

「ああー、この解放感、くせになりそうだ。お前の作った変装用の皮は出来がいいが俺には少し小さいな」

 

 首を軽く回しながら褒めつつも文句を言う。

 

「お前は体の大きさある程度変えられるだろうが」

「元よりでかくなるのよりも元より小さくなるのとじゃあ、労力が違うんだよ」

 

 そう言いながら首を軽く回す度にマダの身体が大きくなっていく。先程まで成人男性の平均値ぐらいの身長が既に二メートルを超え、三メートル近い大きさまでなっていた。それによって増加した重みで座っているソファーが悲鳴を上げる。

 

「壊したら弁償な、それ」

「さっきからケチくせぇことばっか言ってるな。素直に俺を労えよ。お前の為にあれこれ動いてやったんだからよぉ、アザゼル」

 

 『神を見張る者』、その頂点に立つ者こそ現在マダが向かい合って座っている男の正体であった。名を呼ばれたアザゼルは眼つきを鋭くする。

 

「結果上手くいったのは感謝するが、少しばかり好き勝手し過ぎだ。魔王の妹たちを堂々と戦いの中に放り込みやがって……下手したら悪魔と堕天使の間に一生ものの溝が出来てたぞ」

「元より仲なんて最悪だろうが」

「昔よりはましな方だ。特に今は天使も悪魔も、このいがみ合いの不毛さが身に染みてきた所だからな」

「俺にはあまり関係の無い話だがな」

 

 心底どうでもいいといった様子でマダは再び酒を呷り始める。

 

「この苦労知らずめ」

 

 その態度に悪態をつきながらも釣られたようにアザゼルも酒を呷った。

 

「でもまあ、これでお前の思い描いた展開になったんだろう?」

 

 マダの言葉に酒を注ぐ手が止まる。

 

「コカビエルの独断を許してしまった堕天使側、そのコカビエルにまんまと聖剣を奪われた天使側、そしてその両方の失態を取り戻してくれた悪魔側。堕天使も天使も悪魔に借りを作った構図になるわけだ」

 

 マダは酒を飲むのを止め、アザゼルに顔を向ける。

 

「これで三勢力『和平』への布石が整ったわけだ」

「……まだ確定じゃないがな」

「嘘つけ。頭ん中じゃ大体は上手くいくと思ってんだろ? 神が不在、これ以上増えることが無い天使側、その天使が増えないせいで減少の一途を辿る堕天使側にとっては致命的だ。そして三勢力と言われているが悪魔側の戦力は他の二勢力よりも劣る。この件の借りを悪魔側がちらつかせれば仕方ないと言ったふうに堕天使も天使も賛同できる形になるしなぁ」

 

 アザゼルは無言でマダの話を聞く。

 

「だがそれでも不満を持つ奴は必ず出る。だからこその膿出しをしなきゃならない。コカビエルという過激派の代表は処罰され、他の奴らは黙らざるを得なくなった。天使側も今回の件で不正に関わった天使や教会の人間を皆追放したらしいじゃねぇか。悪魔側のそういった連中はとっくに端に追いやっている。これで障害も無くなった。それにしても――」

 

 マダはそこで刃の様な歯を見せながら口の端を吊り上げる。

 

「上手いことやったもんだなぁ。コカビエルの奴を利用してよ」

 

 マダの言葉にアザゼルは表情を変えることは無かったが眉が一瞬動く。

 

「あいつがお前に叛意を持ってたのを知ってただろう。それを上手く利用して今回の和平に繋げたんだから大したもんだ」

 

 白々しさを感じさせる態度で褒めるマダ。アザゼルは静かに笑う。

 

「まあな」

「おまけにコカビエルの奴も処分出来たしまさに一石二鳥。やるねぇ」

「あいつは戦争に興味があったが俺には無いからな。とっとと退場してもらった」

「おお、おお! 冷徹だ、策士だ。よっ! 悪の首領!」

「ハハハハハ! もっと褒めてもいいんだぜ」

 

 高らかに笑うアザゼル。

 

「――なーんてことが事実だったら本当に策士だったんだけどな」

「あん?」

 

 不意を突くような言葉を投げ掛けるマダ。

 

「本気で邪魔者だと思っていたら『地獄の最下層〈コキュートス〉』の氷の中にコカビエルを突っ込む前に首でも刎ねていただろうが。本心じゃあ死んで欲しくないと思っているのが透けて見える。そもそも今回のことだって、叛意を持っていた奴らを知ってながら、情けを掛けて放置していたのが原因だろうが」

 

 アザゼルは声を出して笑うのを止め、自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

「今じゃあんなんだが、あれでも昔は結構いい奴だったんだぜ」

「相変わらず仲間には甘い奴だな、お前は」

「仮に俺が本当にそんな奴だったらどうした?」

 

 アザゼルの質問に少しの間、考えるような動作をしていたが、答えはあっさりと出された。

 

「こうやって飲んでもいないし頼み事も聞いちゃいねえ。希少な飲み仲間が一人減ってたかもな」

「結局酒絡みかよ」

 

 マダの答えにアザゼルは思わず笑う。マダも肩を揺らして笑い、しばし二人の間で笑い声が交わされた。

 

「そういや、聞きたいことがあるんだが」

「何だよ」

 

 急に笑うのを止め、今度はマダがアザゼルに質問する。

 

「何で最後に白龍皇を差し向けたんだ? コカビエルの回収までが俺の仕事だろうが」

「最近、悪い奴とつるむようになってきたからな。自分の本当の相手が誰か目をむけさせるのが目的だったんだが……効果はあったかどうか」

 

 子の心配をする親の様な表情で嘆く。

 

「大概は言うことを聞くが、肝心な部分は聞かないところがあるからな、あいつは」

「子育てが下手くそだな。――悪い、昔からずっとだったな」

「うるせぇ。気にしていることを言うな」

 

 皮肉を言うマダにアザゼルは顔を顰める。本人にとってかなりデリケートな問題らしい。

 

「――まあいい。で、話は戻るがあちら側にはすでに会談の意志を伝えてある。ようやく一区切りが付けられる」

「そう都合よくことが運ぶといいがな」

 

 水を差す懸念が含まれたマダの言葉にアザゼルは反論をしなかった。アザゼルにもマダと同じ懸念すべきものがあったからだ。

 

「敵がいなくなったとしても別の敵がいるもんだ。特に俺らみたいな連中は、な」

「分かっている。だから言っただろう? 『一区切り』だと」

 

 

 

 

「では私はそろそろ失礼します」

 

 そう言いながらソーナは立ち上がる。

 ゼノヴィアのこと、アダムの正体のこと、今度この学園で行われる三勢力の会談についてのことなど、短い時間の割に濃い内容の話が展開していたがようやく話す内容も尽きた。

 そのままソーナが部室をあとにして、久しぶりにオカルト研究部全員での部活動再開かと思われたとき、入り口付近でソーナが突如立ち止まる。

 

「そう言えば私たち生徒会にも新しいメンバーが入ったのを紹介するのを忘れていました」

「え、いつの間に?」

 

 リアスも初耳であったのか軽く驚いた表情をする。

 

「ここで挨拶をしてくれますか?」

 

 リアスたちの方に向けて言うソーナに一同意味が分からないという顔をするが、そんな中に一人例外がいた。

 ソーナに言われてオカルト研究部のメンバーの中から一人歩みだし、ソーナの隣に移動するのを見て誰もが唖然とする。

 

「……まさか、貴方がソーナと契約したときに払った代価って……」

「では自己紹介をお願いします」

 

 ソーナに言われその人物はオカルト研究部全員を見回し、こう自己紹介をした。

 

「今日から生徒会役員『補佐』兼ソーナ・シトリー及び眷属の『協力者』を務めさせて頂きます間薙シンです。今後ともよろしくお願いします」

 

 




これで三巻の話は終わりです。
二足の草鞋を主人公が履くこととなりました。
次もまた幕間一話入れる予定です。
真面目な話ばかり続いたので不真面目な内容にしようと思います。

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