ハイスクールD³   作:K/K

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幕間 召喚、✕✕?

 どんな分野においても、人の何倍もの成果を生み出すいわゆる『天才』という人物が存在する。

 同じ時間で人並み以上のものを造り出すか、あるいは創り出す。限られたもので最高のものを生み落す。停滞していたものの時間を動かし、そこから更なる発展をさせる等々、『天才』という存在はどのような形ではあれ必要であり、また希少な存在なのである。

 故に今、思い起こすとあの日あった人物は、紛れも無く『天才』であった。ただ、本当の天才というものは凡人の思考ではまず理解出来ないものであり、そしてこの上なく厄介な存在であることを同時に思う。

 

 

 ◇

 

 

「では私の番だな」

 

 夜のオカルト研究部内、その中央に描かれた魔法陣の中にゼノヴィアが入って行く。リアスの眷属になり、チラシ配りという雑用もとい契約者勧誘活動を終え、今日が初めての悪魔としての仕事であった。

 よく見る鉄面皮な顔にも、若干であるが緊張の色が見える。今まで教会に仕えてきて、あまり世間を知らないゼノヴィアにとって、これからのことは全く未知の出来事であった。

 

「そんなに緊張しなくてもいいわ、ゼノヴィア」

「大丈夫ですよ。あなたをサポートしてくれる人がちゃんとついていますから」

 

 リアス、朱乃がゼノヴィアから視線を横にずらす。そこにはいつものようにシンが無表情で立っており、これもまたいつもの様にその肩にはピクシーが座り、足下にはジャックフロストがいた。

 

「初めてでもきっと間薙くんが上手く手助けしてくれる筈だから、あまり焦らないようにね」

「……間薙先輩、ピクシーさん、ジャック君、頼みます」

 

 木場は緊張を解すような言葉を言い、小猫はサポートする三人にゼノヴィアのことを頼む。

 本来ならばこの後に一誠やアーシアの言葉も続く筈であったが、既に二人は呼ばれているので姿は無かった。

 

「すまない。まだ悪魔としては未熟な私だ。色々と世話を掛けることになるだろう」

「気にするな」

 

 シンの対応はそっけなく短いものであったが、その態度が逆に安心感を相手に抱かせるような頼もしさがあった。

 

「頼りにしている。ふふ、初めての日にこれほど頼もしい相手が助力してくれるなら私も大分肩の力が抜ける。これも主のお導きか」

 

 そんな台詞を言うゼノヴィアを咄嗟にシンは止めようとするが、時既に遅く胸の前で十字を切り――

 

「アーメン……うっ!」

 

 祈りの言葉を捧げると同時に、急に殴られたかのように頭を押さえる。悪魔になって日が浅く、教会に居た時間が長かった為に習慣と化しているのか、ことあるごとに神に感謝し祈りの言葉を口に出しては、悪魔の弱点のせいで悶絶している。

 頭を押さえるゼノヴィアを見て、シンは不安な気持ちになってくる。

 

「……大丈夫か?」

「だ、大丈夫だ。日に何度かやっているせいか最近、少し慣れてきた」

(慣れるよりも止める方が先だと思うんだが……)

 

 本気か冗談か。恐らくは本気で言っているのであろう。ゼノヴィアとの関わり合いはそう多くは無いが、接してきて少し分かってきたことがある。環境から真面目に育ってはいるが、その真面目の軸が一般人よりも少し横にずれているらしく、そのせいか度々ずれた行動をすることがある。

 そこで真新しい記憶が脳裏を過ぎる。

 昼休みどきクラスでアーシア、桐生とゼノヴィアが会話していた際、いつもの様に下ネタ混じりの会話をしてアーシアをからかっていた。そしてその矛先がアーシアからゼノヴィアへと向けられたときそれは起こった。

 

「で? アーシアはまだまだみたいだけどそっちの方はどうなのかなー? ゼノヴィアはそういった準備とかしてるの?」

「ふっ、当然だ」

 

 振られたゼノヴィアは心なしか自慢げな表情をして、ポケットからあるものを取り出す。

 

「見ろ」

 

 出されたものを見てアーシアはどういったものか理解出来ず首を傾げていたが、桐生の方はそれが何なのかを知っていた為、絶句する。

 

「そ、それって……」

「淑女としての嗜み。相手である男性に恥をかかせない為に常に所持するべき、と私が呼んだ本には書いてあった」

 

 誇らしげに見せるそれに桐生はただただ唖然としていた。

 

「あの、ゼノヴィアさん。それっていったい何なんでしょうか?」

「ああ、これはコ――」

 

 最後まで言うよりも先に、ゼノヴィアの脳天に手刀が打ち落とされ無理矢理止められる。

 

「真っ昼間から何を出しているんだ。お前は」

 

 手刀の主はシンであり、たまたまゼノヴィアたちの方を向いたときそれを取り出したのを発見し強制的に止める。

 

「い、いきなり何を……!」

「こっちの台詞だ。それを早くしまえ。先生たちに見つけられたら問答無用で職員室に連行されるぞ。文化の違いなんていう言い訳は通じないからな」

「私はただ嗜みと心得を――」

「それよりも先にモラルと恥じらいについて学べ」

 

 頭を手で抑え痛がっているゼノヴィアを急かして手に持ったものをさっさと仕舞わせる。

 

「会話の邪魔をして悪かったな。ただ少々特殊な環境にいたせいか人とは違う反応をするから気をつけろよ」

「あー、うん」

 

 若干、動揺した様子で桐生は返事をする。普段下ネタなどでアーシアや一誠をからかって遊んでいるが、ゼノヴィアから思わぬカウンターを貰ったせいで少し反応がおかしい。

 

「結局、あれは何だったんですか?」

 

 無垢な瞳でアーシアは尋ねる。本当のことを伝えるべきかと桐生は横目でシンを見るが、これ以上話をややこしくする必要は無いと軽く首を横に振るう。

 ならば何というべきか、言い訳を考えているのか桐生は十数秒程黙った後、アーシアへ質問の答えを返す。

 

「……ゴム風船?」

(苦し過ぎる)

「へー、変わった形をしていますね」

(鈍過ぎる)

 

 何て無理な言い訳だと心の中で思いつつも、アーシアの純真さでこの場は何とか誤魔化すことに成功するのであった。

 そんなことがあった為に消えない不安が残るが、基本的には勤勉的であることをとりあえず信じることとする。

 もし万が一のことがあったとしても近くに居れば止めることも出来る。

 

「では行ってくる」

「行ってきます」

「また後でねー」

「ヒーホー」

 

 魔法陣が一際輝きその光に包まれると、一瞬の浮遊感の後に固い地面の感触が足から伝わって来た。

 

「着いた様だな」

 

 ゼノヴィアとシンは周囲を見回すとそこには並べられた靴や靴箱、その上に置かれた花瓶、壁には絵画が飾られている。玄関に呼び出されたらしいが、簡単に見ても塵一つ無い敷き詰められた床の綺麗さ、長く幅のある廊下に高い天井と輝くシャンデリア、そして整えられた広い玄関など、相当裕福な家であることが分かる。

 ただ少しおかしい。ゼノヴィアは初めて召喚された為に知らないが、本来依頼人から呼び出されると、ほぼ間違いなく呼び出された直後に依頼人と顔を合わせることになるが、どう見ても近くに依頼人の姿は無く、また簡易召喚用の勧誘チラシも無い。

 普段とは違うことに違和感を覚えていると、廊下の方から小走りで走ってくる足音が聞こえ、また少し経つと足音の主が姿を見せる。

 体型は中肉だがかなり背が高い。彫りが深く、高い鼻、そして整えられたブロンドの髪型から、外国人であることが分かる。年は見た目からして三十代後半から四十代前半といった感じではあるが、その全身から放つ雰囲気は年相応というよりも、落ち着きが感じられない少年のようなものであった。

 

「やあやあ! よく来てくれたね!」

 

 爽やかにシンたちを迎え入れる男性。シンは悪魔では無い為、外国語を自動的に翻訳されることが出来ないが、男性が喋った言葉は間違いなく日本語、それも日本人と遜色ないほど流暢な言葉遣いであった。

 

「夜分遅くに失礼する。私たちは悪魔グレモリーの使い――」

「うんうん! 大丈夫、大丈夫! リアス・グレモリーさんの眷属さんたちだね? 二回目だから知っているよ。固っ苦しい挨拶は後にして、ささ! どうぞどうぞ!」

 

 二回目という言葉に引っ掛かるものを覚えたが、相手の有無を許さない勢いに乗せられ取り敢えず玄関から廊下へ上がる。

 そのときふと、玄関に並べられている靴が目に入った。履き慣らしたスニーカーと女性ものと思われる革靴。どちらにも見覚えがあり、革靴の方に至っては駒王学園指定のものである。

 

(先に来ているのか……?)

 

 靴のことから脳裏に二人の人物の姿が浮かび上がった。

 目の前の人物に不穏なものを感じつつ、様子を見ながら後ろについていく。

 

「いやいや! まさかこんなに大勢来てくれるとは思わなかったなぁ! 何せ最初に呼び出したときはすぐに出てこなくてね! あれ、失敗しちゃったかな? とか思っていたんだけど何と二十分もしてから現れたんだよ! どうやって現れたと思う? 何とわざわざ呼び鈴を鳴らして玄関先に現れたんだよ!『こんばんは。呼び出された悪魔ですがー』という感じで! 今まで何度か悪魔の呼び出しをしてきたけどあんな風に出てきたのは初めての経験だったね! しかも一度に二人も現れたんだから何というか一石二鳥というのかな? 貴重な経験だったからね。思わず何で玄関から来たのか、とかどうやって来たのか、とか色々質問しちゃったよ! でも質問し続けたら何だか泣きそうな顔になっていたね。ボクは触れちゃいけない部分に触れちゃったのかな」

 

 捲し立てる早口かつ間が全くない長い話をする依頼者に内心辟易してしまうが、それでもいくらか情報を聞くことが出来た。

 まず依頼人が呼び出した悪魔は間違いなく一誠とアーシアである。世の中広しと言えども自力で依頼者の下に向かう悪魔など一誠ぐらいしかいない。そしてどうやらこの依頼者は、悪魔を呼び出すことを既に経験している人物だということも分かった。

 

「でも二人だけというのも寂しいからもう少し増やそうと召喚してみたけど次の召喚も少し失敗しちゃったね。本来だったら僕の前に現れる筈だったんだけど、召喚先の位置固定がずれていたみたいだ。うーん、あの手の魔法陣は何度か弄くっているんだけどね。外面の術式に気を取られ過ぎて、肝心の組み合わせの部分が疎かになっちゃたかなー。まあまあ過ぎたことは仕方ないよね。こうやってまた沢山来てくれたんだから二人と――その小さな子たちは何て数えたらいいだろうか? 『匹』だと虫みたいで感じ悪いね。うん『人』で数えさせて貰うよ――今度は四人も来てくれたからね」

 

 息継ぎをしているのか不思議に思えてくる長い喋り。だがその中には聞き捨てならないことがいくつも含まれている。

 召喚用の魔法陣に手を加えていたという事実。最近ではまともに悪魔を召喚する技術は人の中で廃れてきていると前にリアスから聞いたことがあるが、目の前の人物はそれらについて一定以上の知識を有しているということになる。そしてこの人物、ピクシーとジャックフロストの姿まで見えている。一般人には見えない二人であるが、たまにではあるが見える人もいる。悪魔の仕事で見える相手には殆どあったことが無いが、見えている人物は決まって常識から外れた人間が多い。

 シンの頭の中に某自称魔法少女の姿が浮かび背筋が軽く寒くなった。見えるということは最低でも同等、もしくはそれ以上である。

 

「間薙シン。彼は大丈夫なのだろうか?」

 

 話の内容から流石にゼノヴィアも少々不安になってきたらしい。

 

「何度か悪魔を呼び出している口振りだ。もしも生粋の『悪魔崇拝者〈サタニスト〉』だとしたら私はどうするべきか。生贄を捧げる手伝いでもさせられたら……取り敢えず斬るか?」

「何だその物騒な結論は」

 

 教会に務めていたときの性分が抜けきれないのか、危うい発言をするゼノヴィアをシンは嗜める。ただ本当にゼノヴィアが言うような人物では無いと言い切れず、そのような手伝いをさせられる可能性もゼロでは無い。

 だがその不安は本人の口によって否定された。

 

「いやいや! ボクはそのようなタイプの輩ではありませんので!」

 

 かなり声を抑えて喋っていたが聞こえていたらしい。凄まじい地獄耳である。

 

「喚び出すっていうのは一口に悪魔だけでは無いです! 降霊や精霊を喚び出そうとしたりしていますからねボクは! 一つのことに拘らず広く深く知ることをモットーとしているんだ! どちらかといえばボクは『悪魔崇拝者』じゃなくて『召喚士〈サマナー〉』といった所かな? でも最近はそれらの知識も手に入り難いんだよね! たくさん知りたいんだけでねー! その点では君達悪魔の魔法陣は重用させて貰っているよ! 一見すると複雑そうに見えて誰もが扱えるようなシンプルな使い易さ! 何よりもこうやって用紙に直接描いているのがいいね! グッドだ! ボクは生粋のアナログ派だからね。 ボクの友人はデジタル派だけど」

 

 首だけ後ろに向けながら饒舌に喋り続ける。口数の多い方で無いシンやゼノヴィアは間も無く突き詰めて喋る彼に対して一応の頷きを見せ、話を聞いているという態度を見せるぐらいしか出来なかった。

 一体この短い間にどれほどの文字を吐き出したのか分かり辛い程に喋り続けていたが、やがて目的の場所に着く。

 ドアを開くとそこは居間であり、本棚などが周囲に置かれている。中央にはテーブルとソファーが置いてあり、そこに見知った二人が座っていた。

 

「あっ」

「間薙たちも来たのか?」

 

 一誠とアーシアは現れたシンたちに驚くも、少しだけ安堵した表情となった。恐らくはシンたちが呼ばれる前にも、似たような話を依頼人から聞かされていたのであろう。そこに知り合いが現れたのだから不安が和らぐのも分かる。

 

「さてさて。悪魔の皆さんにこんなにも集まって頂いて嬉しい限りだね! 前はせいぜい一人か二人程度だったんだけどね。でもそのせいで――いや、なんでもない、詰まらない話は置いといて、そうだ! 自己紹介がまだだったね! ボクの名前はマニー・カターというんだ、マニーでもカターでも好きな方で呼んでくれていいよ。で、集まってもらって早々悪いんだけど場所を移動しましょう。付いて来てくれるかな?」

 

 マニーはそういって近くに置かれていた本棚の側に寄ると、そこからそこに並べてある本を数冊手前に倒す。すると歯車が噛み合ったような音がし、本棚が動き始める。

 並んでいた本棚が動き終わると、下に続く階段が本棚の向こうに現れる。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 笑みを浮かべながらマニーは階段を降りて行く。その後ろを不安を感じながらもシンたちは付いて行く。

 居間とは違い冷えた空気が流れる石造りの階段。照明も電気では無く燭台に刺さった蝋燭と、妙に拘りを感じさせるものであった。

 

「どうしてこんな隠し部屋を?」

 

 思わず一誠がマニーへと尋ねる。正直な話、あんな大掛かりな仕掛けを作らなくとも、普通に地下への階段を設ければいいと思ってしまう。

 

「ボクの趣味だよ。雰囲気あるだろう?」

 

 ある意味、身も蓋も無い答えであった。そんなことを言われてしまえば変に突っ込むことも出来ない。現に尋ねた一誠も『そ、そうですか』と言って口を閉ざしてしまった。

 ある程度階段を降りると、やがて前方におどろおどろしい装飾が施された扉が現れる。所々、苔が生え爪で引っ掻いたような傷が無数にあり、赤黒い染みが両開きの扉に点々と付き、中央には古めかしい大きな錠前が付けられていた。

 

「さあさあ。この先だよ。ところでこの扉を見てどう思う? そこのキミ」

 

 いきなり話を振られたシン。数秒沈黙した後に質問の答えを返した。

 

「――良い趣味をしていますね」

「ありがとう。キミもいいセンスしているよ」

 

 それだけ言って仕舞っていた鍵を取り出し始めた。

 

(何だ今の質問は……もしかしてこの扉を褒めて貰いたかったのか?)

 

 皮肉にしか聞こえない返答に満面の笑みを浮かべ嬉しそうに笑うマニーを見て、理解が深まるどころかますます分からなくなっていく。

 

「こっちだよー」

 

 シンの悩みを無視しマニーは趣味の悪い扉を引いて開く。趣味の悪い扉の先には更に趣味の悪い空間が広がっていた。

 かなり広々とした部屋の中心に描かれた魔法陣。その周囲には様々の物が置かれていた。毒々しい色をした花に動物の剥製、それぞれポーズの違う四つの人形が置かれた壇など様々。不気味なものをこれでもかと置いてあるせいか、部屋の外と中では空気がまるで違い、いわゆる瘴気というものが漂っていた。

 

「じゃあ、とりあえずここで待っていてくれるかな? ボクは正装に着替える準備があるから」

 

 マニーはそう言って、部屋の奥にある別の扉の中に入っていた。

 マニーの姿が消えると同時にシンたちは一斉に喋り始める。

 

「なあ……大丈夫、だよな?」

「悪い人には見えませんでしたが……」

 

 不安を示す一誠にアーシアは一応マニーのフォローを入れていたが、どうにも歯切れが悪い。傍から見ても当人の人間性、そしてこの部屋の状況、それらから導き出せる答えは危険人物しかない。

 

「うーむ、これが私にとって初仕事なんだが……皆から見てもあの人物は危なそうか?」

「まあ……何度か喚び出されたことがあったがああいうタイプの人間は初めてだな」

 

 喚び出す人間の大概は逸脱した様な人格を持っている者――ただし見た目は別とする――はあまりおらず、叶える願いにしてもそう危険なものはない。今回の依頼人からの仕事内容についてはまだ聞いていないが、本人の言動からどうしても不穏なものを感じずにはいられない。

 

「うぅー、どうもアタシはああいう人間って苦手……」

 

 この家に入ってから黙り続けていたピクシーが弱々しい口調で意見を言う。普段陽気な彼女を見ている側としては意外な反応だった。

 

「どういうことだ?」

「昔さー、アタシのことを捕まえようとしていた連中と目付きや雰囲気が似てるんだよねー。こう、何ていうの、物凄くぎらぎらとした感じが。 何だか寒気がしてきたー」

 

 追い回されたときの記憶が蘇ったのかピクシーはシンの肩を強く掴む。

 

「取り敢えず仕事の内容を聞くまでは判断できないか。……流石にこの魔法陣の中で生贄になってくれとかいう依頼だったら断るけど」

「そうならないことを祈るしかないな」

 

 一誠の挙げた可能性を否定し切れず、シンは少し適当なことを言う。

 

「おまたせしましたー!」

 

 扉から着替え終わって出てきたマニーの姿を見て、一同ギョッとしたように目を丸くする。

 出てきたマニーは、頭頂部から足首まで覆い尽くす一枚の灰色をした厚地の粗末な布を巻きつけていた。腰にはベルトの代わりに荒縄で締められており、とてもじゃないが綺麗とは言い難く、どちらかと言えば小汚い印象を受ける格好である。

 

「それが……正装ですか?」

「そうだよ」

 

 数少ない露出している箇所である顔の部分。そこに浮かべられるマニーの顔。さっきと同じ笑みだというのに服装が変わった途端、不気味に感じてしまう。

 

「おやおや? 君達、ボクのこの格好を汚いと思っていないかい? まあ答えずとも分かるよ。大体の人はそういった第一印象を受けるからね。だけどね! この汚さはただの汚さでは無いんだよ! この生地が灰色になっているのはとある川の奥底で採れた泥を染料にしているからなんだ。その川っていうのが昔から枯れずにずっと流れ続けているといわれている川でね、そこではあらゆるものを川に流し続けていたんだ。だからその川の奥底に眠る泥には多くの歴史が含まれていてね、この泥を体に塗ることでその地域では魔除けになるという言い伝えがあることに目を付けたボクは、それを染み込ませた衣服を纏うことで、あらゆる状況下においても魔に憑りつかれる危険から身を護る効果があるんだ。そしてこの腰に巻きつけた一見ボロく見える縄も――」

「すみません。大変申し上げ難いのですが、そろそろ仕事の内容について教えてくれませんか?」

 

 止まらずに喋り続けるマニーに気分を害させるかもしれないのを覚悟してシンは口を挟み、話を先に進めようとした。途中で話を遮られたマニーは特に感情を荒立てることはせず、シンに言われてそこでようやく依頼内容に触れていないことに気付いた様子であった。

 

「ごめんごめん。会話がすぐに脱線してしまうのがボクの悪い癖なんだ。済まなかったね。それで依頼の内容なんだけど今からここでボクが召喚術を試すから、君達にはそれの観客兼護衛を頼みたいんだよね」

「観客兼護衛ですか……?」

「そうそう。召喚のときに自分以外の誰も見ていないと何というか詰まらないだろ? だから君達にボクが召喚術を使って呼び出す姿を見ていて欲しいんだ。何せ、こういった人には言えないことがボクの趣味だからねー、見てくれる友人が殆どいないから寂しいんだよ。ああ、でも一応共通の趣味を持つ友達は一人いるけど彼は遠いところに住んでいるし、少し体が不自由だからね。そう簡単に招くことも出来ないんだ」

 

 この趣味のおかげで未だ独身だよ。はっはっはっ、と朗らかに笑うが周りはあまり笑えない。観客の意味は概ね理解したがもう片方の護衛ということに関して誰もが疑問に思い、代表して一誠が質問をする。

 

「観客の件に関しては分かりましたが……その、護衛というのは一体どういうことで?」

「偶にね、あるんだよ、喚び出したものが襲い掛かってくることがさ。いやね、一応この魔法陣を通った対象には強制的に従属させる術式も施してあるんだけど、強い力や意志を持っているのを喚び出しちゃうと、その力と反発し合って暴走するんだよね。それで一回死に掛けて病院送りにされちゃったから、今は喚び出す度に護衛をつけているのさ」

 

 死に掛けて懲りたのならば、護衛を付けるよりも召喚の儀式そのものを止めた方が遥かに安全だというのに、それでも止めないということは根本的に反省していないことの証明であった。

 というよりも話の中に聞き捨てならない言葉がある。

 

「きょ、強制的に従属……?」

 

 アーシアが若干怯えた様子でその聞き捨てならなかった箇所を口に出す。アーシアに指摘され言った本人も意識せずに言っていたのか、ハッとした表情となり慌てて言い直す。

 

「いやいや! ごめんごめん! 嘘嘘! そんな相手を無理矢理従わせることなんてしないよー! ちょっと日本語が間違ってキツイ表現になっていたね! いやー、日本語って難しいね! 本当は喚び出した側にほんのすこーし親しみが湧く程度のものだからさ! 本当だよ! 決してボクが命令したら死ねる、なんて強力なものじゃないよ!」

 

 日本語は難しいと言いながら流暢な言葉で喋り、喚び出した相手と仲良くなりやすくなるとマイルドな表現に変えてみても、結局は洗脳の一種にしか聞こえない。如何にも言い繕っているという姿に不安が膨れ上がっていく。

 

「まあまあ! 言いたいことは山ほどあるかもしれないけど結局の所はどうなの? 受けてくれるの? 駄目なら潔く諦めるよ」

 

 そう言われてしまえば呼び出された側としては契約するかどうか調べるしかない。シンはゼノヴィアに言ってこの内容で契約できるかどうか調べて貰う。ゼノヴィアはポケットから悪魔用の携帯機器を取り出し、やや覚束無い手付きで情報を入力していく。それによって代価が表示されるが、それはかなりの額の金品の要求であった。

 

「代価としてこれを払ってもらうが……」

「うんうん! 了解了解! 契約は出来るってことだね。じゃあ早速頼むよ」

 

 画面に映された額を見て、驚くことなく即了承。この家の大きさや地下室の存在からかなり裕福だと思ってはいたが、実際その通りだったらしい。

 

「じゃあじゃあこの魔法陣の側まで来てね」

 

 手招きしながら軽い足取りで魔法陣に向かうマニー。対照的にシンたちの足取りは重い。契約出来ると相互で分かってしまった以上従わなければならない。

 魔法陣の側まで移動した一行はこれから召喚を行う魔法陣を実際に見てみて、皆が怪訝な顔をする。魔法関連については一通り学んできたが、魔法陣に描かれている文字は初めて見る形をしていた。

 

「おーおー。この文字に目を付けちゃう? 君達は良い観察眼を持っているね。これは既存の図形や文字をボクが独学でより効果を発揮するようにアレンジしたものさ。この魔法陣は自然や人が無意識に洩らしている魔力を掻き集めることで、ボクのように少ない魔力の者でも召喚可能なようにするんだ。これによって召喚者の力量に対し一定のレベルのものしか呼べなかったのが、力量以上の存在を喚び出すことが出来るんだ――理論上」

 

 不安になる一言を最後に付け加える。確かに図形などは見たことのない形が多かったが、文字の方をよくよく見てみると、崩してはあるが既存の文字を使っている。ただ、その文字がアルファベットだのギリシャ文字だの梵字だのと、無秩序かつ多国籍であり統一性など皆無に等しかった。

 

(書いた本人にしか分からない法則でもあるのか……?)

 

 見たり聞いたりする度にどんどん怪しさが増していく。

 

「じゃあ、あれは何ですか?」

 

 一誠が気になったのか壇に置かれた人形を指差す。色と格好が違う四種類の人形。マニーはその内の一体を手に取る。不思議なことに、その人形には表情などが無いが、何故か怒っているような印象を受ける人形であった。

 

「いやいや。良い目の付け所いいね。これもボクの持論なんだけど、こういった儀式を行う際、喚び出す側は喜怒哀楽どれかの感情を昂らせていた方が成功率が上昇するということがあるんだ。感情が昂ったときに出るある種の波長が魔法陣に作用して成功率を変動させていると睨んだボクは、各種の感情の波を放つ人形を作り出したのです! それがこの四体の人形というわけさ!」

 自慢げに人形を見せるがどうにも胡散臭さが目立つ。持論自体も眉唾ものにしか聞こえない。

 

「へー、どうやって感情の波なんてものを放つようになるんですか?」

 

 マニーの言葉に一誠は興味を持ち、同時に疑問が浮かんだのか素直にそれを口にする。シンもそれに関しては同じ疑問を抱いていた。

 

「ああ、簡単だよ。こうやるんだ。ッザケンナオラぁァァァァァァァァァァ!」

『なっ!』

 

 いきなり態度を豹変させ、怒声を上げながら手に持った人形を勢いよく地面へと叩きつける。眉や目が吊り上がり、顔も一気に紅潮させ、般若のような顔になりながらドスの利いた大声を出すマニーに一同驚いてしまう。

 

「舐めてんのかぁぁぁぁ! このオレを舐めてんのかァァァァァ! この××××の××××人形がぁぁぁぁぁぁ! ××× you!  ぶち殺すぞ! この××以下の×××よりも劣る×××がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 叩きつけられ地面へと転がる人形に対し、唾を撒き散らしながら聞くに堪えない卑猥且つ汚い罵声を浴びせ続けるマニーの姿に一誠、ゼノヴィア、シンは唖然。アーシア、ピクシー、ジャックフロストらに関しては完全に怯えていた。

 血管が切れるのではないかと思える程力の限り罵倒し続けたかと思うと、前触れも無く表情を戻しニコリとした笑みをシンたちに向ける。その表情を向けられた途端、アーシアたちはびくりと一瞬震えていた。

 

「とまあこんな感じにありったけの感情を人形に向けることでその感情を感染〈うつ〉すことが出来るんだよ。大体、これを一年ぐらい毎日やれば結構いい具合に仕上がるね」

「一年も……」

 

 想像してみて欲しい。一年三百六十五日欠かさず人形に向かって本気で喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。

 誰がどう見てもまともじゃない。

 

(本物だ……色々な意味で本物だ……)

 

 全員シンと似たような感想を抱いているせいか、笑うマニーに対しこちらも笑えばいいのか、それとも素直に引いてしまえばいいのか分からず沈黙してしまう。だが当の本人は特に気にした様子は無く、他の人形への感情の移し方を実演しようとしていたので皆で丁重に断っておいた。

 

「それじゃあ、時間もいい具合になってきたことだしそろそろ召喚に取り掛かろうか。ではでは、皆さんは一応ボクの背後に立っておいて下さいね」

 

 マニーの言った通り時刻は深夜近くを指していた。全員、マニーの指示に従い一旦魔法陣から離れる。そしてマニーも魔法陣の中から外に出るとそこで目を瞑り、意識を集中し始めた。

 そして――

 

「ィィィィィィエエエエエエエルォイムエッサイィィィィィィィィムゥゥゥゥゥ!」

「だ、大丈夫ですか!」

 

 奇声を上げ、痙攣したように身体を細かく震わすマニーの姿を見て、思わずアーシアが声を掛けてしまう。相手の行動を妨げになるのは分かっているが、その明らかな異常行動を見ればアーシアの性格上、寧ろ人並みの感覚の持ち主ならば気を掛けずにはいられないだろう。

 

「え? 大丈夫だけど」

 

 奇声を止めてキョトンとした表情でアーシアを見るマニー。その顔から何を一体心配そうにしているか全く理解出来ていない様子であった。何処までも客観的に自分を見ない男である。

 

「ご、ごめんなさい。いきなり震え出したので何か異常が起きたのかと思って……」

「ああ、この細やかな動きは魔法陣から出て来る魔力の波長に合わせているんだよ。こうやってボクと魔法陣の波を合わせることによってより大きな効果が得られるのさ」

「そ、そうですか……」

「じゃあ、気を取り直して……ィィィィィィエエエエエエエルォイムエッサイィィィィィィィィムゥゥゥゥゥ!」

 

 再び奇声を上げながら細かく震え出すマニーを見て一同は、まだ何もしていないのにも関わらず重い疲労感を覚えていた。低音と高音、金切り声を巧みに操りながら唱える詠唱は不協和音そのものであり、聞く者にとんでもない不快感を与える。現にシンの側にいるピクシーとジャックフロストは、耳を押さえて表情を蒼褪めさせていた。

 

「……すまない、何だか気分が……」

「耐えろ、とにかく耐えるんだ」

 

 新手の拷問のようなものを味わいながら兎に角黙ってマニーの奇行を見守る。激しい揺れと不協和音の詠唱は約十分程続けた後、ぴたりと動きを止める。

 そしてマニーは魔法陣の前で首を傾げていた。

 

「うーん……」

「……どうしたんですか?」

 

 考えている様子のマニーに一誠が声を掛ける。先程の儀式に一誠も相当応えているのか、若干声に張りが無い。

 

「失敗だね……手応えがないや」

「え、じゃあ……」

「うん。少しパターン変えて次をやってみよう!」

 

 このまま中断かと思えた希望を潰す無慈悲なマニーの言葉に、一同肩を落とす。そんな一行の様子など気にすることなく、マニーは再度奇声を発しながら身体を震わし始める。非常にどうでもいいことであるが、震えが横揺れから縦揺れになっていた。

 そして十分後。

 

「また失敗だ……次のパターンも試してみよう」

 

 めげることも無く再度挑戦。あれほど動きつつ叫んでいるにも関わらずマニー本人は元気そのもので息切れ一つしていない。その姿を見てこれが延々と続く未来を幻視し、シンたち全員の顔色が一層悪くなったのは言うまでもない。

 

「;・:#$%&‘!“?<|=!#$%&’+*」!”##$!」

 

 儀式を初めて丁度二時間が経過しようとしていた。相変わらずマニーは最早人の言語とは思えない呪文を叫びながら身体を斜めに震わせている。

 そんな光景を二時間も見続けていたシンたち一行の精神状態は、ほぼ底辺を這いずるように下がりきっており、メンバーで会話する元気すら枯れ果てていた。

 いつまでこの頭の螺子が飛び散ったような儀式を見なければならないのかと考えていたとき、今まで淡く輝いていた魔法陣が一気に発光し出す。

 

「あ、釣れた」

 

 召喚する者の台詞としてはどうかと思えるような言葉を吐きながらマニーは動きを止めて、変化し始めた魔法陣を注視する。

 

「いよいよ来るぞー! もしもの場合に備えて皆さん頑張ってくれ!」

「え、あー、はい」

 

 マニーは嬉々とした様子でいるが、精神的疲労が溜まりきった一同は気合を入れようにもその値まで持ってくるのに少々時間が掛かるのか、言葉を返したイッセーは生返事であった。

 

「来るぞー! 来るぞー! ん……?」

 

 魔法陣の上で赤黒い光が稲光の様に奔り、何度も魔法陣の上に落ちていく。その魔法陣の様子を見ていたマニーは急に振り返り、シンたちの方に顔を向け一言。

 

「ごめん。たぶん失敗した」

 

 あまりにあっさりと言うので最初何を言いだしたのか理解出来ず、皆二度、三度と瞬きをする。その後、シンはつい聞き返す。

 

「すみません。もう一度言って貰えますか?」

「これから喚び出した奴はきっと暴れる。ボクの洗の――もとい術式が上手く決まらなかったようだね。まえに病院送りにされたときと全く同じ現象が起こっているよ。いやー、まいったね。手応え的には結構な大物が引っ掛かったと思ったんだけど大物過ぎたかなー。ボクの術式が効かない相手だからね、かなり強いのだろうね今から現れるのは」

 

 他人事のように笑うマニー。それを聞いたシンたちの行動は迅速なものであった。

 

「アーシア! 今すぐこの部屋から退避してくれ! いいか、俺が大丈夫って言うまでこの部屋には入らないでくれ!」

「は、はい!」

「ついでにこいつらの様子も見ていてくれ。相手によっては手を借りるかもしれないが、とりあえず呼び出したモノがどういう相手か判断してからだ」

「は、はい!」

 

 一誠の指示にアーシアは頷き、シンからピクシーとジャックフロストを手渡される。

 その間にも魔法陣内では魔力が嵐の様に荒れ狂い、近くに置いてある人形を祭壇ごと吹き飛ばしている。

 

「いやいや、大荒れだね」

 

 他人事のように呑気でいるマニーの台詞に思わずシンは殴りたくなってくるが、何とか理性を働かせその衝動を押しとどめた。

 やがて荒れ狂う魔力は一つに集束し、魔法陣が強い光を放つ。その光の強さから反射的に目を逸らしてしまう。やがて光は収まり、一同が魔法陣の方に目を向けたとき。

 『それ』は居た。

 現れた『それ』を見てシンと一誠は絶句。ゼノヴィアは目を丸くし、マニーはおー、と歓声を上げていた。

 魔法陣から出て来たモノは全体が黒みかかった緑色をしている。目は無いが代わりに口が付いており力無い様子で半開きになっている。だがその様な些細なものなど殆ど意味を成さないような特徴がそれにはあった。

 あまりに見たままであり、ある種の力強さ。ある種の繁栄の象徴。男を現すシンボルであり、男に生を受けた者ならば必ず目にするような形。モラルが重視される時代の中直接言えば社会的に抹殺されかねないその卑猥且つ逞しい形は――

 

「……これってあれだな……」

「……まあ、そうだな……」

「まるで×××だな」

『おい』

 

 直球かつ飾りの無いゼノヴィアの発言に、シンと一誠は思わず咎めてしまう。男ですら時と場合によっては言い淀むことを平然と口に出す。

 

「何かおかしなことを言ったか? それとも××××と言った方が良かったか? もしくは×××、または××××、あるいは――」

「やめろ! 言い方変えても全部同じ意味だろうが!」

 

 各種読み方を披露するゼノヴィアを一誠が必死になって止める。

 

「どうした? こういうことを女性に言わせると殆どの男性は喜ぶと本に書いてあったんだが……」

「俺にそんな趣味は無ぇ!」

 

 ずれた返答をするゼノヴィアとそれに振り回される一誠は一旦置いておき、シンは改めて召喚された物体を見た。見れば見る程、男性のそれに酷似した相手であるが、元からかあるいは召喚の儀式が不完全なせいか体が半液体のようになっており、上から下に垂れるように流れて行ったかと思えば形を戻そうと突然隆起をする。

 

『グ……ギ……グゴゴ……』

 

 『それ』から声らしきものが洩れるが、殆ど聞こえない上に言葉になっていなかった。

 

『……もしかしたらこいつは『マーラ』か?』

 

 今まで沈黙を続けてきたドライグが、召喚された存在の正体に心当たりがあったのか口を開く。

 

「知り合いか?」

『俺もあったことは無いが存在については聞いたことがある。見ての通り特徴のある姿をしているからな、すぐに思い至った。だがこいつは自分で創り出した世界の中に閉じこもっていた筈だが……』

 

 ドライグは少し考えているのか短い沈黙が挟まれる。

 

「そんなに凄いのか……アレ」

『一応、神と呼ばれる存在だ』

「神っ! 見た目がアレでもっ!」

『アレでも神だ』

 

 素っ頓狂な声を出し、信じられないといった様子で一誠はマーラを見る。マーラは魔法陣の中で相変わらず伸び縮みしていた。

 

『……どうやらマーラはマーラでも少し違うようだな。力が弱すぎる。不完全体どころか、恐らくアレはマーラの力の一部が漏れ出してマーラの形になっているだけのようだ』

「力の一部?」

『ああ、多分あの魔法陣が偶然にもマーラの住む空間と繋がり、そこからマーラの力のみが喚び出されたんだろう。もし本物のマーラだったのなら、今のオレ達ならば一秒も満たずに終わるはずだ』

 

 状況を冷静に分析するドライグ。その言葉が本当だとしたならば、もしかしたら召喚した本人ならばこれを逆に送り返すことが出来るかもしれない。そう思いシンはマニーの方を見た。

 

「マニーさ――」

「なんて、なんて御立派な姿なんだ! 素晴らしい! 美しい! 麗しい! そしてなりより逞しい!」

 

 マニーが膝を地面に付き、全身全霊を込めてマーラを崇めていた。その崇め方は尋常ではなく、感極まって感涙しながら激しく崇拝している。

 

「この日、この時、この瞬間! ボクは貴方様に出会う為に生まれてきたのですね! ああ、マーラさまぁぁぁぁぁ! 御立派さまぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 その余りの心酔っぷりに全員言葉を失ってしまう。

 

『あのときアーシアたちを後退させたのは正解だったな……』

「え? どういうことだ?」

『あいつはマーラの魔力によって完全に魅了されている。あいつの姿、もしくは魔力に触れただけで、あいつを心の底から尊敬、信仰、崇拝する信者へと早変わりするみたいだ』

 

 心底嫌な話である。

 

「あれを崇拝って……まあ、ある種の憧れを抱くかもしれないが……」

「何を言っているんだ、お前は」

「そうだぞ。私の見た本にも書いてあったがでかければいいという訳じゃない」

「悪いことは言わない。その本捨てろ」

『話を戻すぞ。オレ達が影響を受けないのは神滅具や聖剣の加護、そこの小僧は……まあ特殊な成り立ちをしているから影響されないんだろう』

 

 その言葉で一誠の脳裏に恐ろしい未来図が過ぎる。

 

「――もしアーシアが見たらどうなると思う?」

『十中八九、あの男みたいにマーラを崇め称えているだろうさ。通常の神器では防ぎきれない筈だからな』

「……マジかよ」

 

 ドライグの言葉に一誠は戦慄するしかない。一誠の中で聖域、清純の象徴としているアーシアがあのような卑猥な存在を崇め称える。ただの妄想でもその光景はあってはならないものであり、滝の様な冷や汗が一誠の顔から流れ滴り落ちていく。

 

『言っておくが魔力の一部のみであれだからな。本体が出てきたら今のオレ達ならば見た瞬間に速攻でアイツの信者だ。それどころかこの周囲、いやこの都市全体が瞬時にアイツを崇めるようになるだろう。きっと身を粉にしてアイツを祀る為の塔でもつくるんじゃないか?』

 

 想像をしてみる。誰もが疲労困憊でありながらも、顔には喜色と恍惚の笑みを浮かべ、一心不乱となって働き続ける。労働者の口からは愚痴などは吐かれず、出て来るのはひたすら讃える言葉のみ。そしてその中心にそびえ立つはあのマーラ。

 地獄絵図以下の光景であり、悪夢という言葉すら生温い。

 

「あの、もう入ってもいいでしょうか?」

 

 そのとき扉越しから、中に入ってもいいか了承を求めるアーシアの声がする。激しい音を立てていた魔法陣が静まったので、様子を窺っている様であった。

 

「駄目だ! アーシア! 絶対にこの中に入っちゃ駄目だ!」

 

 ドライグの言葉もあって一誠はアーシアの申し出を強く拒絶する。だがその言葉の強さが返ってアーシアの心配を煽る。

 

「ど、どうしたんですか? そんなに大きな声を出して……今、中はどうなっているんですか、イッセーさん!」

「シーン。アタシたちも入っちゃダメ?」

「ヒーホー。待っているのは退屈だホ」

 

 アーシアに続き、ピクシーたちも中に入りたがり始める。

 

「悪いがもう少し待ってくれ。今の状態で入られると困る」

「ふーん。分かったー」

「ヒーホー。了解したんだホー。アーシアももうちょっとだけ待つんだホー」

 

 しかし、シンの言葉を聞いてピクシーたちはあっさりと引き下がり、ついでにアーシアも宥める。その後にピクシーたちとアーシアは数言会話を交わしたが、アーシアも取り敢えず待つこととなり、中に入ってくる事態は一応避けることが出来た。

 

「それでこれはどうするんだ?」

「退治するしかないだろう。召喚に関しての詳細な知識なんてこの中で持っているのは居ない。唯一持っている人物も……」

「Mara is GOD! Because Mara is GORIPPA!」

 

  意味不明な英語でマーラを讃えている。気のせいか若干崇拝の度合いがおかしくなっているような気さえした。

 

「ふむ。力尽くであれば私の得意な方だな」

 

 ゼノヴィアが詠唱をすると空間の一部が歪み、そこから剣の柄が現れる。それを掴み引き出すと、ゼノヴィアの愛剣にして聖剣デュランダルの剣身が露わとなった。

 そのとき魔法陣の中にいたマーラに変化が起こる。今まで呻き声の様な音を洩らしながら讃えられるがままであったが、聖剣の登場と共にその意味の無い筈であった呻きが意味を成すこととなった。

 

『グギギ……ゴゴゴ……キサマラ……』

 

 呻き声に混じって聴こえるこちらを指す言葉。それが耳に入ると同時にシンたちは一斉に臨戦態勢に移る。

 

『ゴアアアアアアアア!』

 

 

 こちらの敵意に反応したのか、明確な意志があるように見えなかったマーラは咆哮と同時に、自重で潰れたような形をしていた姿が一瞬だけであるが元となる姿を彷彿させるように大きく伸び上がる。元々大きな姿をしていたマーラがそれによって何倍も大きくみえるが、同時によりソレっぽくも見える。

 だがそんなことを考えている暇も無く、マーラの全身に赤黒い魔力が波打ったかと思えば、シンたち目掛け地を這うようにして濃密な魔力が襲い掛かる。

 このとき最初に動いたのはシンであり、残りの二人を護るようにして先に出ると、既に紋様の力によって溜めていた魔力で魔力剣を形成し、這い寄ってくるマーラの魔力に向けて『熱波剣』を放った。

 這う魔力と歪む様に迫る魔力。その二つが衝突したかと思えばシンの魔力がマーラの魔力を裂き、それによってシンたちを避けるようにマーラの魔力が流れていく。結果的に見ればシンの勝利に見えるかもしれないが、シンの表情は明るくは無い。寧ろ苦みを噛み締めているような表情をしていた。

 ほぼ加減無しで放った『熱波剣』であるが、やれたことといえばマーラの魔力の軌道を逸らしたのみ。それだけで殆どの魔力が相殺し尽くされ、マーラ自身にはそよ風程度の魔力波しか届いていない。肝心のマーラの魔力は消えずにまだ現存し続けている。

 洩れだした力であるとは言え、やはり神に数えられる存在。そう易々とは事が運ばないらしい。

 

「ならば今度は私が」

 

 裂けたことで生まれたマーラまでの道を、ゼノヴィアが聖剣を構え駆け抜ける。『騎士』の『悪魔の駒〈イーヴィル・ピース〉』の特性により転生前よりも速度を増し、一足でマーラの懐まで潜り込むと同時に、手に持つデュランダルを一閃させた。

 頭部付近から地面近くの部分まで斜めに斬り裂く。魔力で出来た存在故に血を噴き出すことはなかったが、裂かれた部分が大きく開き、マーラの上体が後ろに倒れる。かに思えたが、すぐさま倒れた上体を引き起こし斬られた部分を密着させたかと思えば、瞬きよりも早く接合し元の姿へと戻る。聖剣であるデュランダルで傷付けられたにも関わらず、掠り傷以下と言わんばかりの傷が治る速度だった。

 桁外れの再生能力を見せ付けられたゼノヴィアは眉間に皺を寄せると、続けざまに三度ほど斬るがどれも同じ結果となり、三度目の傷が治るよりも先に後退しシンたちの下へと戻った。

 

「手応えが全く無いな。斬った側からすぐに治ってしまう……ん? どうした兵藤一誠。内股になっているぞ」

「いや、なんか、見ていたら、こう、何と言うか……」

「感情移入している場合か」

 

 軽く一誠の頭を叩きながら、シンはマーラの動向から目を離さない。そのときシンはマーラを見てある違和感を覚えた。

 

「――よし! 気を取り直していくぜ! ドライグ!」

『Boost!』

 

 音声が鳴り一誠の力が倍加したのを告げると一誠は床を蹴り跳び出す。マーラは身体を脈打たせているが、先程の攻撃には溜める時間が必要なのか、あっさりと一誠の接近を許すどころか回避の為に移動すらしない。

 

「おりゃあ!」

 

 そこに叩き込まれる『赤龍帝の籠手』の一撃。その威力でマーラの身体が波打ち、撃たれた箇所が大きく凹むも、すぐに膨張し元の形に戻ろうとする。一誠はすかさずそこに拳を撃ち続けた。撃ち込まれる度に大きくマーラの体は曲がっていくものの、特に痛がっている様子は無くされるがままになっている。

 

『どうやらこいつは魔法陣の中でしか動けないようだな』

 

 一切の回避を見せないマーラの様子を見てドライグはそう判断した。ドライグの言った通りマーラの身体は魔法陣一杯に広がっているものの、垂れていく末端は決して魔法陣の外に出ようとはせず、近付く度に縮こまっている。

 

『自由に動き回られたら厄介だったが、動けないならばでかい的だ。このまま押し切れ相棒。……ところで』

 

 一誠に助言をしていたドライグの声が急に改まる。

 

『相棒はさっきからなんで左手〈オレ〉でしか攻撃しないんだ?』

 

 ドライグの指摘した通り一誠はずっと左拳のみをマーラに撃ち続けている。それを聞かれ一誠は――

 

「すまん……すまん! ドライグ! もしも……もしもこれが! 女性のおっぱいだったなら躊躇う事無く両腕、いや両足を使ってでも攻撃をしていたさ! だがな! これはおっぱいじゃないんだよ! それどころか男のアレじゃねぇか! 例え死んでも、死ぬとしても素手では触りたくない! すまない、本当にすまない! ドライグ、オレの代わりに犠牲になってくれぇぇぇぇぇ!」

『いや、別に俺は気にしていないからいいんだが……泣く程のことか?』

 

 涙どころか血の涙すら流しそうな一誠の慟哭に、ドライグは呆れながらも寛容さを見せる。

 

「こんなのを素手で触ったら死ねる! この状態でも結構がりがり心が削れていく!」

『あ、ああ、そうか』

「そんなことを言っている場合か」

 

 呆れた声を出しながら遅れて飛び出したシンが、前方に居る一誠の背を踏み台にしながら跳躍、マーラの額と思わしき場所を蹴り飛ばす。見事に靴底の跡が刻まれたマーラはそのまま大きく上体を仰け反らした。

 

「ついでだ」

 

 蹴り飛ばした反動で大きく宙返りをしながらマーラへ開いた左手を向ける。その左手を右手でしっかりと固定し狙いを定めると、蛍光の球弾が左手から射出される。それは仰け反った状態のマーラの胴体に大きな風穴を開けた。

 

『ゴゴゴ……ガガ……ギギ……』

 

 それでもマーラは損傷に対して堪えた様子も無く、身体を細かく震わしながら仰け反った上体を戻していく。それと同時に開いた穴も縮まっていき、最後には元の姿へと戻っていた。

 シンと一誠はマーラが再生を終える前に距離を取る。

 

「くそ! 不死身かよアイツ」

「……縮んでるな」

『――確かに小さくなっている』

 

 相手の再生能力の高さに焦りと苛立ちを見せている一誠であったが、反対にシンは何か気付いたかのように呟き、ドライグもその呟きによってその何かに気付いた様子であった。

 

「一体どうした?」

「ゼノヴィアが斬ったときから思っていたが、アイツの身体が徐々にだが小さくなっている」

「マジで?」

『こいつの言っていることは間違いじゃないな。確かに小さくなっている。成程、アイツ自身は魔力の塊に過ぎない。恐らくは再生や攻撃をする度に魔力を消費しているんだろう。その結果、体が小さくなっているんだ』

「――つまりこのまま攻撃したりされたりし続ければ自然とアイツは萎えていくと……」

「その表現は止めろ。……多分、消滅するんじゃないのか」

 

 どれほど時間を掛ければ倒せるのかは分からないが、取り敢えずの目標が出来た一行。だがその一行の前でマーラが再び不穏な気配を見せる。

 今度は先程の赤黒い魔力を纏うのではなく、体色と同じ緑色の魔力を纏い始めた。

 その姿を警戒する三人。魔力を纏ったマーラが小刻みに震え始め、やがて大きく身体を隆起させると全身から緑色の炎が噴き出した。

 

「うわっ」

 

 引き攣った声を出し、一誠は大袈裟な程身体を動かして必死な様子で緑色の炎から逃げる。シンも左目を使い、飛んでくる炎の動きから直撃しない位置を見極めて回避した。そしてゼノヴィアは迫り来る炎に向かってデュランダルを振るうが、炎とデュランダルが接触すると炎は包み込むよう剣身に纏わりつく。デュランダルの力でも炎を消し去ることは出来ず燃え盛っているが、そんなことよりも気になったことが、三人にマーラの放った炎が普通の炎でないことに気付かせる。

 デュランダルと接触した際に鳴った湿った物体と、壁に叩きつけたような粘着音。明らかに炎が触れて出る音ではない。

 その考えが間違っていないと肯定するように、デュランダルに纏わりついていた炎が糸の様な尾をひきながら剣身から地面へと垂れる。よく見れば壁に張り付いた炎が、ゆっくりと炎を広げながら下へと垂れ下がっている。

 

「何だ……これ……」

 

 露骨に嫌そうな表情をする一誠の前でゼノヴィアは炎に手を近付ける。

 

「触るな、ゼノヴィア。ばっちぃぞ!」

「不思議な炎だ。燃えているが熱くない」

 

 手を近づけたゼノヴィアはそのような感想を告げる。確かに炎が触れている床や壁の部分は焦げ跡が出来ているが熱さを感じない。熱くないのに燃える。矛盾しているが、今確かに起こっていることであった。

 

「しかし、中々取れないな」

 

 ゼノヴィアはデュランダルに付いたマーラの炎を振って払おうとするが、いくら払っても聖剣から取れない。それを見て、先程回避したことが正解であったとシンは内心思った。張り付いて取れない炎となれば、一度でも付着すればその周囲を切り落とすなどの荒療治をしなければならず、顔などに付けば即致命傷となる。特殊の炎に水などの消火はほぼ効果が無いと思ってもいい。

 

「このっ」

 

 そんなことをシンが考えている間に、片手から両手に持ち替えたゼノヴィアは更に勢いよくデュランダルを振るう。いい加減周りに被害が出るかもしれないので咎めようとしたとき、デュランダルの剣身に纏わりついていた炎が剣速に敗けて、糸を引きながら離れていく。

 その軌跡を何となく目で追っていたシンであったが、その行きつく先に気付き一瞬呼吸が止まった。近くに居た一誠も同じく何処に飛んで行くのかに気付き、阻止しようと駆け出し始めるがもう間に合わない。

 べちゃりというあるまじき音を出しながら扉へと付着する炎。そしてその衝撃によって閉ざされていた扉が開く。扉の先には張り付くように中の様子を気にしていたアーシアたちの姿。一誠が制止するよりも先にアーシアたちはマーラの姿を直視してしまった。

 

「遅かったか……」

「その……すまない」

 

 これから起こる惨劇を予想しシンは天を仰ぎたい気持ちになる。一誠に至っては今すぐ死んでしまうのかと思える程蒼い顔をしていた。これにはゼノヴィアも反射的に謝ってしまう。

 

「ア、 アーシア……?」

 

 震えた声でアーシアの様子を尋ねる一誠。だが予想に反しアーシアは一誠の声に笑顔で応じた。

 

「何ですか? イッセーさん」

「アーシア! 正気――」

「私、イッセーさんと出会ってから色々なことを経験しました。嬉しいこと悲しいこと楽しいことを。人だった時には経験できなかったとても素敵なことを、悪魔に転生してから沢山出会うことが出来ました。そして主の死を知っても挫けずに生きることができたのは、そういった『支え』となる思い出を一杯得ることが出来たからだと思うんです」

「ア、 アーシア?」

 

 いきなり過去を振り返り始めるアーシアに、折角顔色が戻りかけていた一誠の顔が今度は困惑の色に染まる。

 

「でも私分かったんです。その全ての経験や思い出を経て、一体何の為に生きてきたかということを」

 

 そこでアーシアは浮かべていた笑みを一誠からマーラへと向ける。そしてあろうことか頬を赤く染め、初恋に恥じらう乙女の様な表情を浮かべ――

 

「今日、この日にこの御立派なお方に全てを捧げる為だったんですね!」

「こんなアーシア見たくねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 一旦上げてから地に落とされた一誠は頭を抱えて絶叫する。一誠にとって清純の象徴であるアーシアが、あんな卑猥なモノ相手に恋する乙女のような表情を浮かべていること自体認めがたい事実であり、例えそれがマーラの魅了する力であっても耐えがたい現実であった。

 

「ああ……何て大きくて逞しいんでしょう……あれこそが真に信仰すべき御方なんですね……私、目が覚めました!」

「心が……心が死んでしまいそうだ……!」

『おい! 気をしっかり持て相棒! このままだと本当にオレが使えなくなるぞ!』

 

 気力を根こそぎ奪われた一誠を何とか励ますドライグ。そんな一誠を余所にアーシアは軽やかな足取りでマーラの下へと走り去っていく。

 

「イエー! マーラ! イエー!」

「ヒーホー! 王様よりも御立派様だホー! オイラも将来御立派様になるホー!」

 

 いつの間にかピクシーとジャックフロストも魅了されており、マーラの側でマニーと仲良く一緒にマーラを讃えている。

 

「Is this a pen? No! this is Mara! Mara is Greatest!」

 

 新たな信者を加えたことによってマニーの熱狂も増していく。そのせいか讃える言葉も支離滅裂で意味不明なものへと化していく。

 

「こんなことになるとは……私の不注意で……!」

「……まあ、気にするな」

 

 悔やむ様子のゼノヴィアに、シンは一応軽い慰めの言葉を掛ける。シンも仲魔を奪われた状態であるが、あの様な姿を見ていると怒る気力も湧かない。それに気付いたことであるが、あのマーラが攻撃の対象としているのはマーラに対して敵意を向ける相手のみらしく、先程から広範囲を攻撃しているが敵意の無いマニーには攻撃の対象外として避けている。この戦いにおいてはマーラに魅了された状態の方が、戦闘能力が皆無に等しいアーシアや低いピクシーたちにはとってはある意味で安全であった。

 

『マーラ! マーラ! マーラ! マーラ! マーラ! マーラ!』

 

 魅了された状態の全員から送られるマーラコール。そのコールに合わせてマーラも左右に揺れたり伸び縮んだりしている。滑稽というよりも、シュールと表現していい空間が地下室内に広がっていく。

 

「間薙ぃぃぃぃ! ゼノヴィアァァァァァ!」

 

 今まで悶絶していた一誠がいきなり顔を上げ二人の名を叫ぶ。その顔は今にも血管が千切れそうな程鬼気迫るものであった。

 

「一秒でも早く、あの卑猥物体からアーシアたちを解放する! ドライグ! アレが消えたらアーシアたちも元に戻るんだろ! そうだよなッ! そうだと言ってくれッ!」

『あ、ああ。恐らくな……魅了状態から解放される筈だ……』

 

 必死過ぎる一誠の様子に若干圧倒されるドライグ。ドライグの言葉を受けて一誠は雄叫びを上げる。

 

「この公然猥褻物野郎ぉぉぉ! よくもアーシアに卑しい台詞を吐かせてくれたなぁぁぁ! あの、あのアーシアがあんな言葉を……何でよりにもよって、てめえなんかに向かって言わされてるのを見なきゃいけないんだッ! それならいっそのこと俺の方が言われたいわッ!」

 

 心底悔しそうに言いながらもその心の底からの本音による怒声に比例し、神滅器から放たれる魔力が増大していく。

 

『この力の増加は……! 気になっている女が卑猥な台詞言わされたぐらいでここまで感情が爆発するのか……! ――色々と馬鹿すぎるぞ!』

「お前は絶対この先苦労すると思うぞ」

 

 一誠のあまりに馬鹿馬鹿し過ぎる理由での力の増加に、ドライグは改めて宿主である一誠に戦慄を覚え、その二人の様子を見てシンは不吉な予言をする。

 マーラも一誠の激しい怒りと敵意を向けられたことで信者たちと戯れるのを止めて、その体に再び赤黒い魔力を充填させていく。マーラの身体が赤黒い魔力光で満たされていく度にその身体は縮み続け、最初の頃と比べると既に二回り以上小さくなっている。

 

「神様がなんぼのもんじゃぁぁぁ! そうだろ! 間薙! ゼノヴィア!」

「ま、まあ。そうだな」

「……」

 

 感情が振り切れている一誠の問い掛けに少し付いて行くことが出来ないのかゼノヴィアは戸惑いが混じった返答をし、シンに至っては最初からその勢いに付き合うつもりはないらしく沈黙をしていた。

 

『グゴゴゴゴゴ……!』

 

 地響きのような咆哮を上げ、マーラの全身から赤黒い魔力の波が放たれる。最初のときのようにシンが『熱波剣』で軌道を逸らそうとしたが、それをゼノヴィアが制止しシンのように前方へと出る。

 

「こういった禍々しい魔力が相手ならばデュランダルの方が相性がいい」

 

 ゼノヴィアは手に握るデュランダルを床へと突き刺す。すると剣身が輝き赤黒い魔力の波に対抗するように眩い閃光が下から噴き上げる。閃光と赤黒い魔力が接触すると互いに互いの色を塗りつぶす様に混じり合い最終的には無となって消えていく。干渉しあった結果による消滅であった。

 

「今だ」

 

 デュランダルの力によりマーラの攻撃を完全に消し去ったことで開かれるマーラへの道。一度攻撃を行えば力が溜まるまで無防備を晒すマーラに攻撃を加える絶好の機会である。

 爆発した感情で『赤龍帝の籠手』からドラゴンの力を引き出した一誠は、倍加が続いている状態で両手を合わせ、魔力をそこに込める。シンもまたマーラへ左掌を向け、何処となく一誠と似た構えをとった。

 

「一気に行くぜ! 合わせろよ、間薙!」

「タイミングはお前に任せた。いつでも準備は出来ている」

 

 一誠の合わせた両手の中に赤い魔力が収束され、突き出したシンの左掌には蛍光の魔力光が充満する。

 

「とっとと元の持ち主の下へ帰りやがれッ! この御立派野郎ッ!」

 

 突き出された一誠の両手から放たれる赤い魔力の波動。そしてシンの左掌から繰り出される蛍光の魔弾。シンの光弾はマーラの頭部を吹き飛ばし、その破片を魔法陣内に四散させ、胴体に直撃した一誠のドラゴンショットは根元からマーラの胴体を突き破り、上体と下体へと分割させ元の形から大きく破壊した。

 だが破壊された頭部の破片は個々に意志があるかの様に、床を活き活きとした様子で這いずり千切れた上体へと吸収され、床に根付いているかの如く動いていない下体は断面部が勢いよく伸びると横たわる上体の断面部と癒着し、そのまま引っ張って起こすと元の場所へと納めた。

 

「マジで不死身だなこいつは……」

「だがかなり消耗したみたいだな」

 

 折角の大技でダメージを与えてもまるで無かったことのように再生するマーラを見て、呆れたように呟く。しかしシンの言っていることも正しく、攻撃と再生に大量の魔力を使ったせいもあってその身体は更に小さくなっており、最初は見上げる程の大きさであったマーラも目線を下げる程の大きさになっていた。

 

『せいぜいあと一発でも食らわせれば魔力の消耗も合わさって自滅するだろうな』

「なら!」

 

 ドライグの言葉を受け、一誠は止めを刺すべく構えるとその場から大きく踏み出した。マーラまでの距離は数メートルあるも、強化された一誠の身体能力ならば二歩ほどで辿り着く距離である。

 一歩目で加速し、二歩目で更なる速度を加え、その勢いのままマーラを殴り飛ばそうと考えていた一誠は、予定通りに二歩目を踏み込む。

 だが、ここで想定外のことが起こる。

 何度かあったマーラの魔力による衝撃、それを迎え撃ったシンの『熱波剣』やゼノヴィアのデュランダルの力。これによって地下室の床はかなりのダメージが蓄積されていた。そしてそこに加わる一誠の強力な踏み込み。これによって起こる事態は――

 

「へっ?」

 

 一誠の身体が突如前のめりになる。一誠はこのとき気付いてはいなかったが、背後で見ていたシンとゼノヴィアは一誠が踏み込んだ拍子に床が破損し、それに躓くのを見ていた。

 躓いた一誠の身体が生み出された加速によって投げ出されていく。矢のような勢いで低空を飛ぶ一誠の向かう先にあるのはそびえ立つマーラの姿。

 

『あっ』

 

 それは誰が発した声なのかは一誠には分からなかった。何故なら迫り来る最悪の結末を前にして一誠の脳が現実を拒否し、逃避するように勝手に走馬灯を流し始めていたからである。

 幼い頃の自分、まだ若かった父と母、色々と訳合って他人よりも早く性に目覚めた少年時代、思春期特有の持て余す力に鬱憤としていた中学時代、そして大きな出会いと変化のあった高校時代、特に思い出すのがリアスの――

 そこまで考えたとき顔面に伝わってくる今まで感じたことのない触感。それが何なのかと認識するよりも早く、脳が危機を感じて無理矢理意識を断ち切る。

 

『生温かい』

 

 それが意識が途切れる前に一誠の中で最後に残った記憶であった。

 

 

 ◇

 

 

「――さん。マニーさん」

 

 名を呼ばれ誰かに体を揺すられていることに気付き、マニーはいつの間にか閉じていた瞼を開く。初めに目に入って来たのは天井。そこで自分が仰向けになって倒れていることにも気が付いた。

 

「おやおや?」

 

 身体を起こしたマニーが周囲を確認する。儀式に使っている地下室はこれでもかというぐらい破壊されており、壁や床には無数の罅割れ、儀式に使用した道具一式は全部二度とは使えない程に壊されていた。

 

「気が付きましたか」

 

 まだはっきりとしない思考で声の方に目を向ける。そこにはシンが立っていたが、何故かその背には白目を剥いて気絶している一誠が背負われていた。

 

「あー、どうなったんだっけ……ボクは失敗しちゃったってことでいいのかな?」

 

 魔法陣から何かを喚び出したまでは記憶に残っているが、それ以降の記憶が殆ど無い。唯一覚えていることがあるとすれば、何やら物凄いモノの前ではしゃいでいたという記憶ぐらいであった。

 

「まあ、そうですね。ですが一応依頼の方は完了しました」

 

 何があったかは深くは言わず事務的な対応でシンは契約の完了を告げる。マニーの方も怪我の無い身体を見て護衛はきちんとこなされていたのだと思った。前にも似たようなことがあったときは病院のベッドの上で目を覚ましていたので、そのときに比べれば遥かにマシである。

 

「ちょっと待っててね」

 

 そう言ってややふらついた足取りでマニーは立ち上がり、着替えをしていたときに入って行った扉の中にもう一度入って行く。その途中、アーシアとピクシーたちの姿が横目に入って来たが、どういった訳か今のマニーと同じく寝起きの様な表情をしている。

 マニーが扉に入ってから数分後、その手に分厚く年季の入った表紙の本を持って戻って来た。

 

「はいこれ」

 

 それをゼノヴィアに手渡す。するとシンたちの足元に転送用の魔法陣が浮かびあがった。それは渡されたものが提示した代償と吊り合っていたことを示す帰還用の魔法陣である。

 

「最後に聞きたいんだけどさ。ボクが喚び出したモノってどんなのだった?」

 

 魔法陣から出て来る光に包まれていくシンたちにマニーは肝心なことを聞く。

 聞かれたシンは余り思い出したくないのか、少しだけ表情を顰めた後にこう答えた。

 

「凄く立派なものでしたよ」

 

 皮肉混じりに聞こえる答えを言った直後、シンたちは魔法陣の中から姿を消し、魔法陣も消失した。

 一人残されたマニーは瓦礫だらけの地下室で腰を下ろし暫し呆けたように動かなくなる。だが何かに気付いたのか衣服の中に手を伸ばした。出てきた手にはマナーモードで震動する携帯電話が握られている。

 液晶画面に映った相手の名を見て通話ボタンを押す。

 

「やあ、君か」

 

 電話の向こうの人物と親しげに会話し始める。

 

「儀式? うん半分成功半分失敗と言った所かな? 良い線は行っていたとは思うけどまだまだ改良の余地はありだね。これからも精進しなきゃね。え? ボクに君の手伝いをしろっていうのかい? 前にも言っただろうボクは根っからのアナログ派で君みたいなデジタル派じゃないんだ。旧いものに魅力を感じるのさ、ボクは。まあ、君のやろうとしていることにも魅力を感じるけどね。でも最初に成功するのならばそれはきっと君の方が最初だろうね。だって君は天才だから」

 

 マニーはニヤリと笑いながら電話越しの相手の反応を窺う。

 

「謙遜するなよ。それじゃあ、ボクはまだまだすべきことがあるんでここで切らせてもらうよ。またね、スティーブン」

 

 通話相手の名を言ってからマニーは電話を切るとその場で大きく背を伸ばした。

 

「さーて! 次はどんな方法で喚び出そうかなー」

 

 

 ◇

 

 

 次の日の放課後。オカルト研究部の部室では、昨晩シンたちが手に入れた報酬の本を眼鏡を掛けたリアスが目を通していた。

 リアス曰く入手した本は、古今東西ありとあらゆる悪魔や怪物、精霊、妖精などといった、この世ならざる存在についてを文章や絵で詳細に説明した貴重な資料であり、扱っている内容が内容だけに当時は危険視され、焚書により殆ど現存していないと言われる作者不明の謎の本『悪魔全書』と呼ばれるものらしい。

 そんな本を所持していたマニーは何者か、と考えられるがこれもリアスからシンたちが聞いた話であるがマニーという男、悪魔の中では悪い意味で有名らしくブラックリストにも載っている程の契約者だという。

 本人自身には悪気は無く報酬の払いもいいが、マニーのすることに巻き込まれた悪魔の多くが多大な被害を被っており、その為悪魔から出禁ならぬ呼禁を受けている唯一の人間であるらしいが、あの手この手を使ってはその禁止の網を掻い潜り、悪魔たちを巻き込んでは騒動を起こしているという。

 そのことを聞かされて改めて自分たちが無事戻って来たことの幸運を噛み締めた――と言いたいところではあるが、この件に関しては一人深刻な傷を負っている人物がいる。

 

「ねえ……本当にイッセーは大丈夫なの? 戻って来てからずっとあの調子よ?」

 

 本に目を通していたリアスは顔を上げ近くにいるシンに小声で尋ねる。

 

「……今は放っておきましょう」

 

 部室に置かれたソファーの上で一人体育座りをしている一誠が、死んだ魚のような目をしたまま動かず、時折何かを思い出しては涙を流している。

 

「放っておいても大丈夫なんでしょうか……?」

「昨日からずっとあんな感じだよ?」

「……色々と死んでいます」

 

 朱乃、木場、小猫がそれぞれ気遣うが、本人があまりに昏く塞ぎこんでいるので、下手に慰めることも出来ない。

 

「本当に覚えていないの? アーシア」

「……ごめんなさい。本当に何も覚えていなくて……気付いたらイッセーさんは気絶していて目を覚ましたらずっとあの調子なんです……私が覚えていることといったら何か凄いモノを見たというぐらいで……」

「うーん、アタシも何も覚えていないんだよねー」

「ヒーホー、オイラも全く覚えてないんだホ……」

 

 アーシアとピクシーたちは首を傾げながら昨日のことを何とか思い出そうとするが、その部分だけは穴が開いたように思い出すことが出来ずにいた。

 

「シンたちも何か思い出せない?」

 

 リアスの問いにシンは一瞬だけゼノヴィアに目配せをした。

 

「――いえ、全く」

「……残念だが私もだ」

 

 両者口を揃えて思い出せないという。

 だがそれは嘘である。本当は何があったのかをしっかりと覚えているが、一誠の名誉の為にもこのことは黙っていることと決めて口裏を合わせていた。

 言える筈など無い。巨大なアレに顔面を盛大に押し付けたなどという事実は。シンはこのことを墓場まで持っていく秘密とした。

 

『まあ……あれだ……月並みな言葉だが元気を出せ』

 

 独り静かに泣く一誠に、相棒であるドライグが慰めの言葉を掛ける。

 

「俺……俺……汚れちゃった……」

 

 そう呟き一誠は静かにまた泣いた。

 

 

 




そんなに長い話にするつもりは無かったのに気付いたらこれだけの量になってしまいました。御立派な方が出てくるから仕方ないですね。
最初は題名に漢字でマーラ様の名前を入れようと思いましたが流石にストレート過ぎて止めました。
今回の話は本編とあまり深く関わる予定はございません。

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