ハイスクールD³   作:K/K

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楽観、痛感

 朝、シンは欠伸を噛み殺しながら、生気の薄い顔で学園へと続く道を歩いていく。何故、こんなにも彼は陰鬱な気を纏っているのか。その原因は、彼の肩に腰掛けて無邪気な瞳でシンを見る、小さな妖精が原因であった。

 

「やあ、おはよう二人とも」

 

 シンの陰鬱さとは反対に、全ての者に癒しを与えるような爽やかな挨拶と共に木場が現れる。

 

「おはよう」

「やっほー! ゆーと」

 

 シンはいつものように、ピクシーは長年の友人にでも声を掛けるかのような軽やかさで挨拶を返す。

 

「随分と眠そうだね?」

 

 あまり良いとは言えないシンの顔色を心配し、木場が尋ねてくるが、シンはいつものように軽く手を振り、そんなに心配することではないと口に出さずに示す。

 

「睡眠不足の原因はこいつだ」

「ピクシーが?」

 

 シンは、ピクシーを指差し、昨日のことを話し始めた。

 

 

 

 

 ピクシーを仲魔にした後、シンは転送用の魔法陣の力で部室へと戻された。部室に戻って最初に見たのは、シンが無事に仕事を終えて戻ってきたことを安堵するリアスたち――一誠を除く――の笑みであったが、シンの肩に乗っている見知らぬ存在を見たときには、その笑みは困惑の表情へと変わっていた。

 シンは、ピクシーの事情を伝え、仲魔にしたことをリアスへと伝えると、一応は、契約を取れたことを労ったが、前例のない事態だったらしく、その表情は笑っているのか呆れているのか何とも言えないものであった。

 

「今日は、前代未聞が多いわね……」

「どういう意味ですか?」

 

 呟くリアスに同意するように、朱乃は困った様に笑い、木場も苦笑を浮かべ、小猫は、あれは無様でした、と言う。

 事情を知らないシンは、リアスに何があったのかと尋ねる。

 

「イッセーがね――」

 

 聞けば、シンが転送された後に一誠が現れ、シンと同様の準備を行った後に、いざ転送という矢先にまさかの転送失敗。原因は、あまりに低すぎる一誠の魔力のせいらしい。だが、呼ばれた以上行かないわけにもいかず、一誠は自力で依頼者の下へと向かうことになった――自転車に乗って。

 今頃、インターホンやドア越しの依頼者に対して、呼ばれた悪魔です、と挨拶をする一誠の姿を想像し、不憫に思うシンであった。

 

「……それはそれとして。あなたもいきなり使い魔を持つことになるなんてね。機会を見て、イッセーと一緒に持たせる予定だったけど。まあ、早いに越したことないわ。……そういえば、あなた、使い魔の契約儀式を済ませたのね」

 

 そう言われて、シンは目を瞬かせる。肩に座っているピクシーを見ると、ピクシーもまた同じような表情をしていた。二人の様子を察し、リアスは眉を顰める。どうやら、それほどまでに基礎的な知識であるらしい。

 

「儀式って……『使い魔になる』って言うだけじゃダメなの?」

「当たり前でしょ。そんな口約束だけならとんでもないことになるじゃない。シンは知らないのは仕方ないとして……あなたから使い魔になるって言ったのに知らないの?」

「だってあたし、使い魔って悪魔と一緒に行動するってことぐらいしか知らないもん」

 

 ピクシーの悪びれた様子のない態度に、リアスは呆れて息を吐く。

 

「仕方ないわね……ここで、儀式を行うわ。そんなに時間の掛かるものでもないしね。朱乃、準備を」

「はい、部長」

 

 リアスの指示で、朱乃は魔法陣の中央に立つと、シンたちも来るように手招きする。それに従い、魔法陣までピクシーを連れて移動する。朱乃は、メモ用紙を一枚取り出すと、持っていたペンを走らせ、書き込んでいく。十秒ほどで書き終わると、そのメモ用紙をシンへと手渡した。

 

「はい。これが契約の儀式を行うための詠唱です。この通りに詠んで下さいね」

 

 手渡されたメモ用紙に目を通す。細く達筆な文字で書かれた簡素な詠唱。口の中で何度か暗唱した後、リアスに準備が完了した合図をする。

 

「初めてだから、朱乃がサポートするけど、そんなに難しい儀式じゃないわ。詠唱を間違わなければ、すぐ終わるわ」

「使い魔を選ぶのに比べたら、儀式なんて一瞬だよ」

「……ちゃちゃっと終わっちゃいます」

 

 不安を払拭するような優しい顔で、リアスたちがシンたちに微笑む。

 

「こっちも準備できました」

「さあ、始めましょう」

 

 朱乃が短く詠唱すると、床の魔法陣が輝きを放ち始める。転送したときの光とは異なる光であった。転送をされたときよりも魔力の光が落ち着いているかのように見えるのは、朱乃が外部から補助しているおかげなのだろう。

 

「シン、詠唱を」

 

 リアスに言われ、メモ用紙に書かれた文字を思い出しながら、シンは詠唱を始める。

 

「間薙シンの名において命ず、汝、我が使い魔として、契約に応じよ」

 

 シンの詠唱に呼応し、魔法陣が最大限の光を放った――かと思いきや、突如として光は霧散。あれほど高まっていた魔力は、何処かへと消失してしまい、残ったのは魔法陣の上で棒立ちをしているシンとピクシーのみ。

 

「……」

「あれ?」

「あら?」

「まあ?」

「え?」

「?」

 

 場に沈黙が訪れる。シンは思わず、周りを見る。

 全員が、この状況に対して、目を丸くし不意打ちでも貰ったかのような表情をしていた。

 

「……これは……失敗ですか……?」

 

 意を決したシンの言葉が、最初に沈黙を破る。話しかけられたリアスは、二、三度瞬きをしたのちにこう返す。

 

「あなた、もう契約を済ませているわ」

 

 リアスの言葉に今度は、シンが不意打ちを貰う。ピクシーと出会い、部室へと戻ってくるまで、ほんの数十分程しか経過していない。その中で、シンは今のような儀式など行っていない。そもそも契約の儀式すら知らなかった。

 

「失敗ではなくて、もう終わっていたんですか?」

「ええ、そうよ。一度契約をした相手に対して契約の儀式を重ねることは出来ないわ。それにただの失敗なら、魔力の暴発があるし。そもそも朱乃がサポートしている時点でまず失敗はありえないわ」

 

 朱乃の能力をどれほど信頼しているかが、リアスの言葉から感じ取れる。シン自身も契約の儀式を行っている最中、力の安定を感じていた。完了間際の魔力も制御できずに消えたというよりも、空回りをして何処かへ行ってしまったという印象であった。

 

「あなた、本当に儀式をやっていないのね?」

「ええ、特に何もしていません」

 

 リアスは顎に手を当て、考える姿勢を取る。その端麗な顔が、現状の疑問に対して険しいものとなる。その険しさが、今起こったことが異例であることをシンに感じさせていた。

 

「シン。申し訳ないけど、あなたの紋様を見せてくれるかしら?」

 

 顎から手を離し、リアスがシンの右手を見たいと言う。シンは『悪魔の力』を右手に浮かび上がらせると、それをリアスへと差し出した。リアスは、シンの右手首を掴み、空いた方の手で、シンの浮かび上がった紋様の一つ一つを確かめるように指でなぞる。

 手首から伝わってくるシンよりも低いリアスの体温、なぞられる度に感じるこそばゆさ、オカルト研究部及びピクシーから来る視線、これらの要素がシンに緊張感を与え、意識をしても心臓の鼓動は早まっていく。早く終わることを願うも、触れられている間は一秒を何倍もの長さに引き延ばされたかの様な錯覚を覚えていた。

 やがて、リアスの確認は終わり、シンに礼の言葉を掛けると、触れていた手を放す。意識していたことを悟られないように、平常時の態度で差し出していた手を戻すが、肩に乗っていたピクシーにはシンの緊張や鼓動が伝わっていたらしく、ニヤニヤと笑みを浮かべてシンの頬をからかうように指で突いてくる。

 

「あなたの右手を見てみて感じたことは、もしかしたら、あなたの右手に浮かんでいた紋様が、契約の儀式を行う効果を持っていたのかもしれないわね」

「契約の魔法陣を直接体に刻み込んであるようなものですか?」

「そういう解釈でいいと思うわ。だからこそ、互いの同意のみで使い魔の契約が出来たのかもしれない」

「へぇー! もしかしてシンって意外とスゴイ?」

 

 そう言いながらも未だに頬を突いてくるピクシーに流石に鬱陶しさを感じたのか、シンの人差し指がピクシーの小さな額を容赦なく小突く。いたーい、というピクシーの悲鳴の後、シンの頬は突かれなくなった。

 

「まあ、儀式を飛ばしていきなり使い魔になるなんて、前代未聞だけど、取り敢えずその子が、あなたの使い魔になっていることは分かったわ。……そういえば、ちゃんとこの子に名乗っていなかったわね。わたしの名前は、リアス・グレモリーよ。よろしくね、ピクシー」

 

 ピクシーに手を差し出すリアス、ピクシーはシンに叩かれて赤くなった額を涙目で押さえていたが、リアスの手に気付くと、握手の代わりにリアスの指を両手で掴み、軽く振った。

 

「よろしく」

 

 リアスの自己紹介の後に、朱乃、木場、小猫の順に自己紹介を済ます。

 

「もう一人、イッセーという子がいるんだけど、まだ仕事から戻ってこないみたいだし、彼の紹介は明日にしましょう」

 

 ここでリアスからシンに帰宅するように言う。既にシンの初仕事が完了したこと、朱乃、木場、小猫の仕事のサポートはシンにはまだ荷が重いことから、これ以上部室内に留めるのは、シンにとって時間の浪費とリアスが判断したからであった。

 シンは、リアスの指示に不満の色を見せることなく応じ、ピクシーを連れて部室を出ようとする。

 

「シン、ちょっといい?」

 

 そこで、リアスはシンだけを呼び止める。シンは、ピクシーを肩から降ろし、ドアの前で待つよう指示する。リアスはシンの近くへと歩み寄ると、シンの耳元でシンにしか聞こえない声量で囁く。

 

「ピクシーのことを大事にしてあげてね。妖精は、この世界では希少な存在よ。だから、よくない輩が彼女を狙ってくることもあるわ。わたしの方でも手は打っておくけど、それでも止まらない相手もいる。……だから、もしものときはあなたが守ってあげて」

「やれることはやるつもりです……『仲魔』にしたからには」

「?……『仲魔』?」

 

 シンの口から出た言葉にリアスは、言葉の意味よりも先にそのような言葉がシンからでたことに軽く驚いた。

 

「……ああ、その……使い魔よりも『仲魔』という言葉の響きが、個人的に気に入っているというか……」

 

 つい口を滑らしてしまったことに、シンは気まずそうに明後日の方向を見て、言い訳の言葉を並べていく。その姿を見て、リアスは、優しげな微笑を浮かべ、シンの頬をその細く白い手で触れる。

 

「フフ、あなたの『仲魔』、大切にしてあげてね」

 

 最後にそう言うと、リアスはシンから離れていく。

 シンはリアスたちに一礼をすると、ピクシーを連れて部室から去っていった。

 部室を出て、旧校舎を後にし、校門を潜るまで、シンとピクシーの間に会話は無かった。代わりに何度かピクシーが、額を押さえて呻く声だけがあった。

 

「うー……」

「……悪かったよ。叩いて」

 

 呻くピクシーに根負けしたのか、軽く溜息を吐いた後にシンが謝罪の言葉を述べる。ピクシーは頬を膨らましてそっぽを向くと、ボソリと言葉を洩らした。

 

「……ケーキくれたら許してあげる」

「残念だが、もうケーキを買える時間じゃない」

 

 既に時計が示す時間は、店の閉店時間を過ぎていた。

 シンの言葉を聞いて、ピクシーの頬がますます膨らんでいくが、次のシンの言葉を聞いたとき、一気にピクシーの興味が向く。

 

「ケーキの代わりの甘いものを食べさせてやるから……」

「本当?」

「家についたら、食べさせてやるさ」

「じゃあ、早く行こう!」

 

 ようやく機嫌が治ったのか、ピクシーはシンの制服の袖を引っ張り、急いで帰るようにせかすのであった。

 

 

 

 

「――で、プリンを食べさせて機嫌を治させたのはいいんだが、その後、部屋のあちこちに置いてあるものを片っ端から聞いてくるから困った……あれは何か、どう使うのか、実際に使ってみてくれないか、と。結局寝たのは、日の出間近の時間だった……」

「それは、大変だったね」

 

 シンの言葉に、木場は苦笑を浮かべる。

 

「だって、見たことないものだったり、知らないものがいっぱいあったし……」

 

 シンの愚痴にピクシーは頬を膨らます。純粋な好奇心から尋ねたことを咎められるようなことを言われて不満に思ったからだ。シン自身は咎めるつもりで言ったのでは無かったのだが、ピクシーが拗ねてしまったのを見て、内心で溜息を吐く。

 

「今日、ケーキを買いに行くから、拗ねるな」

「本当!」

 

 シンの言葉を聞いて、ピクシーは不満そうだった表情を一転して、喜悦に満ちたものへと変わった。

 そんな二人のやり取りを微笑ましく見る木場。

 

「ふふふ、間薙くんも大変だね」

「あっちに比べたらまだ軽いと思うがな」

 

 シンが背後を指差す。指した方向へと目を向ける木場とピクシー、そこには、目の下に隈を作り、シン以上に眠たげな様子をした一誠の姿があった。

 

「昨日間薙くんが帰った後、部長たちとかなりの時間、部室で兵藤くんを待っていたけど戻ってこなくて……もしかしたら、一晩中、依頼者の相手をしていたのかな……」

「あの様子じゃ、その可能性が高いな」

「あの人間が、イッセーっていうのでいいんだよね? 遠くで見たときは怖そうだったけど、近くで見ると、スケベそうだね」

 

 ほぼ初対面と言っていい相手に対してのピクシーの容赦ない感想。

 

「あまり、印象だけで人を判断するのはよくないよ」

「じゃあ、違うの?」

『……』

 

 残念なことにその感想が概ね間違っていない為、シンも木場もピクシーの一誠に対しての印象を否定することが出来なかった。

 そうこうしているうちに、一誠の方もシンたちの存在に気付き、声を掛けようと近寄って来るが、挨拶をする前にシンの肩に乗っているピクシーを発見し、目を見開いて驚いた表情でピクシーを指差した。

 

「うおっ! なんだそれ!」

「大きな声を出すな。こいつは一般人には見えないから変な目で見られるぞ」

 

 驚愕する一誠を小声で注意するシン。思わず一誠は口を手で押さえ、周囲を見渡す。案の定、複数の生徒の視線が一誠たちに向けられていた。

 

「……はははは……なーんてな! お、おはよう!」

 

 かなり強引な誤魔化し方ではあったが、周りの生徒たちも特に興味を持っていたわけでもないらしく、怪訝そうな顔をしていたもののすぐに一誠への興味を無くし、変わりに木場の存在に気付いた女生徒たちが、黄色い歓声を上げ始めた。

 

「これだけ見られていると、間薙くんもその子を兵藤くんに紹介できないね。僕は先に行っているよ」

 

 木場がシンたちよりも早足で学園へと向かうと、蜜に誘われた蝶のように女生徒たちも後を追って移動し始めた。

 

「相変わらず人気者だな」

「ちくしょう、イケメンめ!」

 

 木場の人気っぷりを改めてシンは実感し、一誠は僻みの言葉を放つ。

 

「で? それは?」

 

 目でピクシーを指し、さっきとは違ってシンにしか聞こえない大きさの声。シンは、とりあえず昨日起こった出来事を簡潔に話した。

 

「――まあ、そういうわけでこのピクシーを『仲魔』にした」

 

 話を聞き終わった瞬間、一誠の目から滂沱の涙。その様子にシンは一歩引き、ピクシーは呆気にとられた表情をする。

 

「す、素晴らしい……! 悪魔になって毎日、毎日、チラシ配りばっかでファンタジーの欠片もない日々を過ごしていたが。まさか……まさか、幻想の産物だと思っていたものが……! 可愛らしい妖精が――サイズはあれだが――いたなんて……! 俺のハーレムの夢にまた一つ光が差した!……そして、それをゲットしたお前が妬ましい!」

 

 最初は涙と歓喜、最後は嫉妬と羨望の目でシンとピクシーを見る一誠。シンの耳元でピクシーが、イッセーって変な悪魔? と聞いてきたが、時折とだけ返しておいた。

 

「いいよな……初仕事でそれなんて。それに比べて俺は……」

 

 自虐的な笑みを浮かべる一誠。シンは木場から一晩中、一誠が戻って来なかったのを聞かされている。一体何をしていたのか、好奇心から一誠に聞いてみた。

 

「兵藤、お前は一晩中、契約者の所に居たみたいだが、何をしていたんだ?」

「……ドラグ・ソボールごっこ」

「お前は、本当に何をしていたんだ」

 

 

 

 

 その日の放課後。

 オカルト研究部の部室の中、憮然としたリアスの前で、処刑を待つ死刑囚のように顔を蒼褪めた一誠が、昨日の契約であった内容を事細かに説明する。内容を短く纏めると、依頼者と好きな漫画の話で盛り上がり、契約まで至りそうになるが本人の希望と契約内容が吊り合わず破談、落ち込む契約者を慰めるため一晩中、漫画の場面を再現した遊びをしたという内容。

 あまり他人には聞かせたくない内容ではあるが、契約者との契約までの流れを報告も眷属悪魔としての義務である故に仕方がない。報告をする一誠は、シンの目から見ると羞恥から泣きそうな顔に見えた。

 説明し終えると同時に深々と頭を下げ、反省と謝罪の言葉を述べる。一誠自身もこの結果でリアス達に申し訳ないという気持ちがあった。次にリアスからどんな怒りの言葉を落とされるか覚悟をしていたが、一誠の予想に反し、リアスは配っていたチラシを取り出し、チラシには依頼者の契約についてのアンケートをとることが出来ると語った。その声は怒りというよりも弟に話し掛ける姉のような優しさが含まれていた。

 リアスはそのアンケートの内容を読み上げる。

 

『楽しかった。こんなに楽しかったのは初めてです。イッセーくんとはまた会いたいです。次はいい契約をしたいと思います』

 

 一誠の顔が感極まって赤くなっていくのが分かる。自分から見ても失敗だったと思われた仕事が、これでもかと絶賛されて胸にくるものがあったのであろう。

 前例の無い結果ではあるが、次の契約の布石を打つ結果ならばリアスも叱るはずは無く、むしろ今までにない結果に楽しげな笑みを浮かべ、一誠に激励を飛ばす。

 

「はい! 頑張ります!」

 

 一誠も感極まった声でそれに応えた。

 

「それで次はシンのアンケートだけど……」

「え?」

 

 リアスに言われて、シンは思わずピクシーの方を見る。依頼者からのアンケートであるならば、必然的に書いたのはピクシーしかいない。

 いつの間に書いたのか、と考えるがすぐに答えは出た。今日は、ほぼ一日中シンのクラスで飛び回り、消しゴムなどを床に落としたり、授業中居眠りをしている生徒の頭を突っついたりするなどの小さな悪戯を繰り返して、一部の生徒に『ポルタ―ガイストだ!』と騒がせ、シンや一誠をどぎまぎさせていたが、昼放課の数分の間、その姿を消していた。恐らくはその間に、オカルト研究部の誰かが接触し、アンケートを取ったのであるとシンは考えた。

 

「ピクシーもアンケートが必要でしたか?」

「勿論、今はあなたの使い魔という立場でもあなたの依頼者だったということには変わりないわ」

 

 そうリアスに言われてしまえば、シンもこれ以上口を挟むことは出来ない。

 

「『ありがとー。あとケーキお願い』ですって……そう言えば、その子、使い魔になったらケーキが食べてみたいって言ってのよね。もう食べさせてあげた?」

「いえ、まだです」

「なら、買ってきてあげなさい。仕事の時間まで、まだ余裕があるわ」

 

 ちらりとピクシーを見る。ピクシーの目はリアスの言葉を聞いて爛々と輝いていた。このような状態の相手を失望させるような行為は流石に気が引ける。

 シンは、ソファーから立ち上がると、いますぐ行ってきます、と言ってピクシーを連れて部室を後にする。

 目指すは洋菓子屋。

 

 

 

 

 いくつものケーキが並ぶガラスケースの前で、一人の男が無言かつ無表情で、商品を眺めていた。ケースの前に立つこと彼是三十分、立った場から動かない変わりに、その感情の色を映さない瞳だけは、並べてある商品の質を測るかのように一点を見つめては動き、また別の一点を見つめては動くという繰り返しであった。

 営業スマイルを浮かべている女店員も男の無言のプレッシャーにその笑みを段々と引き攣らせていく。周りの客たちも場違いな雰囲気を持つこの男を横目で何度か見ていた。

 無言で立つ男――シンは、そんな周りの状況に頓着せず、並べてある商品、正確に言えばその商品の前で、せわしなく飛ぶピクシーを見ていた。

 

「うーん……どれにしようかな、これにしようかな?」

 

 ケーキを前にこの言葉を繰り返しては、別のケーキに目移りさせていくピクシー。当然ながらその悩む姿も言葉もこの店の中にいる一般的な人間には、見えもしないし聞こえもしない。代わりに見えるのは、仏頂面をした男子高校生のみ。

 優柔不断なピクシーに急かすような言葉を言いたくなるシンであったが、店に入る前にピクシーから、自分で選びたいから口出ししないでね、と念を押されている。シン自身もピクシーの初めて食べるものに対しての心境をある程度理解できる為、喉元にある言葉を飲み込み、心の裡で溜息を吐き黙ってそのときを待つ。

 

「うん! やっぱりこれにする!」

 

 それから十分後、ようやくピクシーが食べるケーキを指差し決断した。指差したガラスの向こうにあるのは、黄金色のスポンジを純白のホイップクリームで覆い、赤く瑞々しいイチゴを頂点へと乗せたショートケーキ。

 

「……意外と無難だな」

 

 ケーキの代名詞とも言えるものを選び、ぽつりと言葉を洩らす。最もピクシーの選択にケチをつけるつもりも無く、店員に頼んで商品を取り出してもらう。数十分も粘ってショートケーキ一つだと気が引けるので、ついでにオカルト研究部のメンバーへの差し入れとして、他にもいくつか買う。

 会計を済ませて、店の外に出るシンたち。ピクシーは興奮冷めやらぬ様子で、早く食べたいとシンにせがむが、部室まで待つように言うと、今度はシンの袖を引っ張る。

 

「じゃあ、早く帰ろ!」

「分かったから離せ、袖がほつれる」

 

 急かすピクシーに内心呆れながらも、どこかこういったのも悪くは無いと思い、部室へと帰る足を早めていった。

 

「ほう?」

 

 そんな二人の様子を遠くから眺めていた人物がいた。

 その人物の目は、一般人には捉えることの出来ないピクシーの姿を認識し、その二人の微笑ましいとも思える様子を侮蔑と嘲りを含めて鼻で笑う。

 二人が視界に入らなくなると、その人物もまた姿を消す。

 その足元には、光を飲み込むかのような漆黒の羽根が一枚落ちていた。

 

 

 

 

 その日の夜、前日と同じように部室で待機をするシン。そのシンが座るソファーの前に置かれているテーブルの上では、自分の大きさの半分ほどあるケーキ相手に両手で持ったフォークで奮闘するピクシーの姿があった。

 昨日とは、違って部室にはメンバーが全員揃ってはいない。今、部室にいるのは、シン、一誠、木場、リアスの四名。小猫、朱乃は、予約の契約が入っていた為、そちらに向かっているため現在不在。

 依頼者が呼び出すまでただ待つしかないので、買ってきた差し入れと他愛のない雑談をして時間を潰す。シンは会話の最中、いつのまにか一誠が、朱乃と小猫を下の名前で呼んでいることに気付く。シンの知らないうちに他の部員との仲を一歩進めているようであった。

 

「あー、美味しかった!」

 

 雑談の中、ピクシーがケーキを食べ終わり、満足そうな笑みを浮かべる。自分の身長ほどあるフォークを使っていたため、その衣服はケーキの残骸がいたる所に付着していた。

 ピクシーの視点から見たら巨大とも言えるケーキを一つ平らげた割には、ピクシーの体型は食べ始める前と後で全く変わりなく、スリムなものであった。

 

「ねぇ、もう一個食べていい?」

「駄目だ。余りは無い。食べ過ぎると太るぞ」

「妖精がいくら食べても太るわけないじゃん」

 

 世の女性が聞けば絶句するような台詞を言うピクシー。人間と妖精、見た目が似ているが体内の構造は全く違うのか、とシンは考え、それならば悪魔もそうなのだろうか、とリアスを見たが、ピクシーの発言に衝撃を受けている顔からしてどうやら違うらしい。

 やがて、依頼者から呼び出しが来る。それを一誠が応じることとなり、一誠が気合を入れている所に、リアスがシンを同行させるように言うが、一誠はそれを快諾はせず、返事を渋る。

 

「どうしても、最初の契約は自分の力だけでやり通したいです」

 

 それが、一誠のシンを同行させるのを渋る理由であった。リアスを失望させたくないためにも仕事を成功させたいという思いもあるが、人に頼らずにこなしてみたいというプライドもある。

 傍から見ても一誠が葛藤しているのが分かり、シンの方からも一誠を一人で行かせられないか願い出た。自分が同行しても成功率が跳ね上がるわけではないなどと理由をつけて。

 リアスも一誠の様子を察していたらしく、軽く溜息を吐くとシンに待機しているように指示をした。

 

「よし! 見てろよ間薙! 俺も契約を成功させてくるからな!」

「ああ、頑張って行ってこい……自転車で」

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 

 シンの一言に心の傷を抉られた一誠が涙と共に部室から出ていく。

 この日も一誠は部室に戻って来なかった。

 

 

 

 

 翌日、授業を終えた後に部室へと向かい、オカルト研究部のメンバーと一緒に一誠の報告を聞いていた。結果はまたしても失敗であったが、何故か前回と同じく依頼者からの評価は最高のものであった。

 部室に来る前にシンは事前に一誠にどんな依頼人であったか聞いたが、一誠曰く、ゴスロリの衣装と猫耳を着け、『魔法少女』になることを夢見る、純粋無垢な瞳を持った筋骨隆々の男だったらしい。

 一誠の口から語られる想像を絶するような容姿をした依頼人、シンは一瞬その姿を想像したが、すぐに掻き消した。一誠から、もし次にその人物から依頼があったら手伝ってくれと懇願されるが、シンは即答せず、その時が来たら、と曖昧な返事をするだけであった。

 その日の部活は、一誠の報告で終了し、悪魔の仕事が始まるまでシンは自宅で待機をしていた。

 相変わらず、家の中で騒がしいピクシーを適当にあしらいながら、シンは時計を見る。仕事の時間までは少し早い。

 

「ねぇ、シン。あたし、またケーキ食べたいなー」

「昨日食べたのに今日も食べるのか?」

「いーじゃん、もっと別のも食べたいなー」

 

 ねだってくるピクシーを無言で見詰めるが、態度が変わる様子は無い。シンは、再度時計を確認する。この時間ならば、まだ店は閉まってはいない。

 

「この前の店でいいんだな?」

「うん! ありがと!」

 

 喜ぶピクシーを見て、内心甘い自分に対して溜息を吐くシンであった。

 それから少し時間は経ち。前回来た洋菓子店でシンは商品の会計を行っていた。

今回は、ピクシーがすぐに食べたい商品を選んだので時間は掛からず、長居をせずに済んだ。

 商品を持って、店の外で待たせているピクシーを探すが姿が見えない。ほんの数十秒の間だけ目を離していただけで、そう遠くには行けない筈であるが、少し歩いて左右何処を見ても姿が見当たらなかった。

 いくら落ち着きの無い性格であっても、自分の好きなものを置いて何処かへ行くとは考え辛い。

 シンの胸の奥に焦燥が生まれる。

 とりあえず、念のためにリアスへと連絡を取ろうとし、携帯電話を取り出そうとした瞬間――

 

「探し物はこいつか?」

 

 背後から聞き覚えのある声と共に冷たい悪寒がシンの体を走る。

 首だけ後ろに向けたシンが見たものは、黒のスーツを着た見覚えのある男と、その男に掴まれている意識を失ったピクシーの姿。

 この時、シンは自らの考えの甘さを痛感した。ほんの数日、日常を過ごしていただけで呆けていたことを嫌でも気付かされた。

 心のどこかで思っていたのかもしれない、自分が狙われることはないと。

 

「……ドーナシーク」

 

 シンはその黒のスーツの男の名を呟き――

 

「覚えていたのか、結構。悪魔に二度も名乗るのは流石に不快だ」

 

 ――黒のスーツの男、堕天使ドーナシークは敵意と殺意を持ってそれに応えた。

 

 

 




次回は戦闘パートです

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