ハイスクールD³   作:K/K

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会談、急襲

 三大勢力会談前日。翌日に重大な会議があるせいか、駒王学園の中では一部の存在が浮き足立っていた。

 その浮き足立っている一人であるソーナは、当日のことについて書き記した書類に何度も目を通しながら最終確認を行っていた。

 一歩間違えれば再び泥沼の戦いが起こるかもしれない、重要な話し合い。その舞台となる駒王学園の責任者であることから、普段から固いソーナの表情には険しさも混じっていた。

 

「椿姫、これに書かれているものがきちんと揃ってあるか確認してくれるかしら?」

「はい。分かりました」

「……それとサジはどうしたのかしら? 姿が見えないけど」

「サジ君ならいつもの様にリアスさんの眷属の特訓の手伝いをしていますよ」

 

 副会長の椿姫の言葉にソーナの眉間に皺が寄る。

 

「あの子ったら……」

「大丈夫です。会長が匙君に与えておいた仕事はきちんとこなしてから特訓をしていますから」

 

 そう言って椿姫は匙の机に置いてあった書類の束をソーナの机の上に置く。

 ソーナは置かれた書類の何枚かに目を通すと、自然と眉間に寄っていた皺が消えていく。少なくともこの時点で、匙の仕事に不手際が無いということを現すものであった。

 

「特訓もいいけど生徒会役員としての自覚はきちんと持ってほしいわ。今回はきちんと仕事が出来ているからいいものを……」

「うふふ。会長の『兵士』としての責務を果たせる為の特訓をしているのですから、大目に見てあげてください。それにサジ君も、イッセー君や間薙君という超えたいライバルのような存在が出来ましたし、大人しくしていられないのでしょう」

「意識するというのも無理はないというのは分かりますが……」

 

 会長と副会長が談笑している一方で噂となっている匙は――

 

「ふぁっくしょい!」

「うぇ! きたねぇ!」

 

 盛大にくしゃみをし、その飛沫から逃げる様に一誠が大きく身体を仰け反らせる。

 

「悪い悪い。何か鼻がむずむずして……」

「風邪か? 移すなよ」

「別にお前は風邪なんて引かないだろう?」

「ん? ――馬鹿って言いたいのかこの野郎ぉぉ! 俺だって風邪ぐらい……ひ、引いたことがない!」

 

 漫才のような二人のやりとりに内心呆れながら、シンは手に持ったボールをギャスパーに向かって放る。放られたボールを見開いた両目でギャスパーが凝視するが、特に何かが起こるという訳でも無く、そのままボールは地面に落ちて、跳ねながら転がっていく。

 

「貰いー」

「オイラが取るホー!」

「渡さないよ~」

 

 転がるボールを犬の様にピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンが追い駆け、誰が一番に取れるか競う。暇な時間を潰す為の即興の遊びであった。

 

「ぐふぅぅぅぅ……」

 

 重い息を吐きながらギャスパーは両目を擦る。失敗したから泣いているのではなく、何度も目を見開いたことで目が乾燥してしまった為の行動であった。

 目を何度も瞬かせるギャスパーの頭には黒いラインが付けられており、それは匙の腕に出現している神器まで繋がっている。

 アザゼルの助言通り、ギャスパーの特訓の際には今の様に匙が少しずつ神器の力を吸収することで暴発を妨げていたが、最初の特訓のときと比べると、匙の神器がギャスパーから力を吸う頻度が少なくなった印象を受ける。

 それはギャスパーの特訓の成果にも表れており、視界に映る範囲を一気に停止させていたギャスパーの『停止世界の魔眼』も、狙いを絞って停止させることが出来始めていた。尤も、数十回に一回という低い割合ではあるが。

 

「ギャスパー君、どうぞ」

 

 目を擦るギャスパーにアーシアが濡れたタオルを差し出す。

 

「あ、ありがとうございます! ひんやりするー」

 

 受け取ったタオルを両目に当て、気持ち良さそうな声を出すギャスパー。最初の頃はアーシアと碌に目を合わせずに怯え、アーシアも同じ『僧侶』として全く会話することが出来ずに悲しんでいたが、一誠が間に入ったことと、アーシアが持つ柔らかい雰囲気や優しさに触れて歩み寄るようになり、今では大分アーシアに心を許していた。

 

「ギャスパー、少し休憩なぁ」

「は、はい!」

 

 シンは一誠と交代しながらボールを投げていたが、ギャスパーの方は立て続けに神器の特訓をしている。シンも何となくボールを放った回数を数えていたが、放った回数は百を超えていた。

 本来ならばリアスたちも訓練に参加する筈であったが、明日の会議の為に打ち合わせをするという理由で不参加であった。ただ特訓は中止しないようにリアスから言われた為、シン、一誠、アーシア、ピクシーたち、そして途中で合流した匙を入れたメンバーでギャスパーの特訓をしていた。

 

「ヒーホッホー! オイラが取ったホー!」

「負けたー」

「次は負けないホ~」

 

 拾ったボールを誇らしげに掲げるジャックフロスト。それを見てピクシーが少し悔しそうな表情をし、ジャックランタンはいつもの様な喋り方で一応負けたことを悔しがる台詞を言う。

 

「ヒホホホ! 次もオイラが――」

 

 そう言い掛けてジャックフロストの身体が瞬時に停止する。続けてピクシー、ジャックランタンも空中で停止した状態で固まる。

 

「あっ」

 

 皆の視線が当然、ギャスパーへと向けられた。休憩に入ると同時に匙が神器の接続を解いた僅かな間に、いつもの暴発が起きたらしい。

 

「あ、あああ! ジャ、ジャック君! ピクシーちゃん! ランタン君! ご、ごめんなさい!」

 

 意図せずに停止させてしまったことで血相を変えて謝るギャスパーであるが、時間が停止しているピクシーたちの耳には当然届かない。

 土下座でもするような勢いで地面に身を屈めるギャスパー。最初のときよりも少しは明るくなったかに思えたが、やはりというべきか、心に染みついたネガティブな考え方はまだ抜けきってはいない。

 数分後、ギャスパーの能力が解除されたピクシーたちは、ピクシーたちの視点から見ればいきなり目の前で頭を下げているギャスパーに驚き小さく声を上げる。

 

「ヒホッ!」

「わっ! ……びっくりしたー」

「あれ? もしかして停められた~? ヒ~ホ~、最近停められてなかったから油断したかな~? ちょっと不覚~」

 

 ジャックランタンは慣れているのか、目の前の現れたギャスパーに動じず、冷静に自分の身に起こったことを理解する。

 

「う、ううう……ごめん、ごめんなさい……少しだけ能力が使いこなせると思った途端これだなんて……君達だって色々と励ましてくれているのに……くぅ、うううう、グス」

 

 めそめそと泣き始めるギャスパーにピクシーとジャックフロストはどうすればいいのかオロオロし始めるが、ジャックランタンは慌てることなくギャスパーに近寄る。

 

「ギャスパ~」

「ごめんよ、ランタン君……また君を停めるようなことをして……」

「え~い」

「ふぎゃあ!」

 

 ジャックランタンが泣くギャスパーの頭を手に持ったカンテラで叩く。その痛みに泣いていたギャスパーは悲鳴を上げる。

 

「君と最初に会ったとき僕が何回停められたと思っているの~? いちいちそんなことでメソメソ泣かれるのも嫌だからね~ボク」

「ランタン君……」

「だからせめて泣く理由を変えてあげるよ~」

「え? どういう意――にぎゃあ!」

 

 再びカンテラを頭に打ちつけられたギャスパーは頭を押さえて悶絶する。しばらく痛みで震えていたが、やがて半泣きの顔を上げながら恨めしそうにジャックランタンを見た。

 

「ひどいよぉぉ、ランタン君」

「ウジウジして泣くぐらいだったらボクが殴って泣かしてあげるよ~。そっちの方がボクもスカッとするしね~。ヒ~ホ~」

 

 見せつける様にランタンを振り回す。それを見たギャスパーは裏返した声を出しながら後ずさる。

 

「それが嫌だったら泣くのを止めてとっとと訓練する~。イッセ~、この泣き虫吸血鬼をビシバシ鍛えて上げて~」

 

 名を呼ばれた一誠は面食らった表情をしていたが、すぐに切り替えて地面に座っているギャスパーに自らの気合を分け与えるように叫ぶ。

 

「ギャスパー! 俺もここに居るみんな全員、お前が失敗したって責めないし怒らないから安心して全力を出せ! あんまりくよくよした姿を見せているとさっきみたいにランタンに活を入れられるぞ!」

 

 一誠の気合に気持ちが引っ張られたのか、ギャスパーは涙を拭い、少しだけ引き締めた表情をしながら立ち上がる。

 

「は、はい! ぼ、僕、が、がんばります!」

 

 こういった状況に於いて一誠の性格というものは有り難いものであった。シン自身、自分の性格は冷めたものであり、人にあまり良い印象を与え辛いというのを理解している。人を奮い立たせるという点から見ればあまり向かず、それが出来るまでには長い期間を共に経る必要が有るだろう。

 その点、一誠ならば思ったことと行動がほぼ直結しているので、あれこれ考えず先へ先へと進んで行く。考え無しで強引とも言えるが、ギャスパーの様にその場で足踏みして立ち止まる性格ならば、ある程度強引でも構わないので、手を掴んで引っ張っていくような相手の方が向いている、とシンは思っていた。

 

「おう! その意気だ! よっし、休憩が終わったらボールの停止を百球立て続けに行くぞ! そして夢への道を駆け昇るぞ!」

 

 ――尤もそのやる気も、お決まりの煩悩関連が底にあると分かると、手放しでは褒めることが出来ない。それがなければかなりましだと思うが、それを失うと今の性格も消えてしまうと考えると、複雑な気分となる。

 

「夢って……どういう意味でしょうか?」

 

 男子だけが集まった際に一誠が語った心底呆れた夢――と言う名のただのセクハラ――あのとき周りの反応は冷たい筈であったが、それでも捨てきれないらしい。それについては当然アーシアが知る筈も無く、それに興味を持ったのかアーシアがシンへと尋ねてきた。

 

「それは……」

 

 尋ねられたシンはそこで言葉を止めた。ここで正直に話せば全て済むが、きっとアーシアは泣くか、あるいは一誠の煩悩を鎮める為に自らを贄にするかもしれない。

 アーシアは思いも寄らず大胆な行動をする。と言いながら、自分も一誠の入っている浴槽に一緒に入ったことを語るリアス。それを聞いたときは思わず『痴女ですか?』と本気で聞いてしまった。

 

「後で本人に聞いてみてくれ。アーシアが聞いたらきっと快く答えてくれる筈だ」

「はい! 分かりました!」

 

 よくよく考えなくても自分がそんなことの為に頭を悩ますのも馬鹿らしくなり、全てのことを一誠に放り投げる。

 

(まあ、頑張って答えてくれ)

 

 近い未来、己の業に身悶えする一誠の姿を想像しながら、適当な励ましの言葉を心中で呟く。

 一誠とギャスパーが再び特訓を開始する中、ボール拾いに飽きたのか、ジャックランタンがピクシーたちから離れてシンたちの方へと寄って来た。

 

「少しはましになったけど~、やっぱりギャスパ~は泣き虫だね~」

 

 ケタケタと笑いながら、投げられたボールを必死の形相で停めようとするギャスパーを眺めるジャックランタン。

 

「お前も可愛い顔して容赦ないなー」

 

 匙が先程のジャックランタンの姿への感想を洩らす。少し顔色が悪いのは、自分の主であるソーナの厳しさを思い出したせいなのかもしれない。

 

「ヒ~ホ~。メソメソ泣かれるのは嫌いだからね~。まあ、ボクも前は泣き虫だったから~、少し八つ当たりが入っているかも~」

「前?」

「だってボクは元々人間だし~」

 

 あまりにあっさりと告げられた事実に最初は何を言っているのか分からず、シン、匙、アーシアは呆けてしまった。

 

「え? ……ええ!」

「マジか……」

 

 アーシア、匙がようやく声を出すが、やはり出て来たのは驚きの言葉であった。

 

「ホントだよ~。でも人だった時よりも今の姿の方が長いからね~」

「長いって……もしかして俺達よりも年上?」

「少なくともボクが生きていたときは今ほど便利な世の中じゃなかったね~。今みたいに車や飛行機なんてなかったから~」

 

 少なく見ても百年以上は存在しているということらしい。

 

「……そんなことを簡単に話していいのか?」

「別に~。言う機会が無かっただけで隠すようなことじゃないし~」

「ギャスパーは知っているのか?」

「そう言えばまだ言ってなかったっけ? ヒ~ホホ~、うっかりしてた~」

 

 軽く言うジャックランタンに周りは沈黙してしまう。そんな中で、こちらのことなどお構いなしに特訓をしている一誠たちの声が、やけにはっきりと聞こえてくる。

 

「随分とあっさりとばらすな」

「ヒホホ~。調べればすぐに分かることだと思うよ~。寧ろ、ボクが元人間だったと知らなかった方が驚きだよ~」

 

 確かに、ジャックランタンは昇天しきれずさ迷う魂が、カボチャあるいはカブに宿った姿である、という説がある。

 だからといって、そのことに対し抵抗も無く言うジャックランタンに、一同は戸惑いを覚えてしまっていた。

 

「その……人からその姿になったのは何か訳があるんでしょうか?」

 

 アーシアが恐る恐るといった態度で尋ねる。

 

「別に~気が付いたらこうなってたよ~。その前も幽霊やってて意味も無くフワフワ漂ってたいだけだし~」

「幽霊? ……やっぱ何か未練でもあったのか?」

「未練? う~ん。忘れた」

「忘れたってお前……」

 

 ジャックランタンの他人事のような答えに、匙は呆れた表情を見せる。

 

「長いこと幽霊やっているとね~色々と記憶が曖昧になってくるんだよ~。ボクが覚えている生きていたときの記憶って殆ど無いんだよね~。だから未練も忘れちゃった~」

 

 どうしてこうも悲嘆も無く言えるのか。そう思わせる程ジャックランタンの声には暗さが無く、いつもの飄々とした口調であった。

 

「お前はそれでいいのか?」

「ん~。この姿になったら前みたいに忘れることは無くなったし別にいいかな~。割と今を愉しんでるし~。ヒ~ホ~」

「……分かった」

 

 本人がそう言うのであれば、これ以上シンは深く聞こうとはしなかった。あれこれ言うのは簡単であるが、少なくとも今のジャックランタンの考えを改めさせる言葉は見つからず、変えさせる気も特に無かった。

 

「俺達だけじゃなくて気が向いたらギャスパー達にも教えてやってくれ。仲間外れにされたと思ってショックを受けるかもしれない」

「うん。分かった~」

 

 ジャックランタンは頷く。そしてそのまま特訓している一誠たちの方へと飛んで行った。

 

「みんな~、実はボクね~」

 

 あまりに呆気なく自らの正体を明かしにいくジャックランタンに、シンたちは再び言葉を失うのであった。

 

 

 

 

 その日の訓練の終わり、シンは匙に付いて生徒会室へと向かっていた。ギャスパーの特訓に付き合うというリアス側の仕事を終えた為、次はソーナ側の仕事を手伝う為である。

 

「にしても、ほんの少しだけど特訓の成果が出てきているな。前はやたら暴発してたけど、今は両手で数えられるぐらいには落ち着いてきているし」

「お前の神器も操作が大分上手くなったのも理由かもしれないな」

「うーん? そうか?」

 

 シンの言葉に匙は自覚が無いといった様子で惚けてみるも、その口元は僅かに緩んでいる。褒められたことに対する照れ隠しであることが良く分かる。実際にシンが言った様に、最初の時は匙も加減が上手く調整出来ず、吸い過ぎてギャスパーが途中でダウンしてしまうことがあったが、特訓を重ねていく内に吸い取る神器の量の調整が精密になっていき、それに伴いギャスパーが特訓できる時間も増えていった。

 シンたちが見ていない所で神器の特訓を行っていたのかもしれない。

 そのときふと、脳裏にアザゼルが助言をしていったときの記憶が蘇る。ギャスパーに赤龍帝の血を飲ませれば神器の能力が向上すると言っていたが、同時に匙にも同じことを言っていた。

 

「お前は試してみないのか?」

「……何を?」

「赤龍帝の血を飲むのを」

「――別に」

 

 口調も声も変わらない。だが、僅かではあるが言葉の中に棘のようなものを感じた。どうやら余計なことを聞き、匙の気分を害す結果となってしまったらしい。

 だが、匙も自分の言葉の中に含まれる負の感情を敏感に察知し、慌てて弁解するように言葉を並べて行く。

 

「いやいやいや! いくら強くなれるからって野郎の血を飲むのなんて生理的に無理だろう! つーか野郎じゃなくて相手が女子でも無理だって! 俺は吸血鬼ってわけじゃないし!」

 

 先程の言葉を掻き消すかのように冗談っぽく喋る匙。シンから振った話題であり、余計な世話をしてしまったのだが、匙の方からシンを気遣うような言葉を掛けられる。

 悪いのは間違いなく自分なのにも関わらず、こちらへの配慮をされた態度を取られると申し訳ない気持ちになった。

 場の空気を誤魔化す様に軽く笑う匙であったが、それも次第に乾いた笑いとなり、最後に大きな溜息を一つ吐く。

 

「――俺な、出来れば自分の力だけでどこまで行けられるのか試してみたいんだ」

 

 呟く匙の言葉。シンが匙の横顔を見たとき、心の裡から湧き出る照れを覆い隠しているのか、硬い表情をしている。

 

「情けない話だけど、俺はあいつの中に二天龍が宿っているって知ったとき、嫉妬しちまった。同じ龍の神器は持っているけど、向こうは伝説になるような神滅器だぜ? ――劣等感の一つでも覚えちまうよ」

 

 自嘲する匙。そこには未だに割り切れず、拭いきれない感情が浮かんでいた。

 

「だからアザゼルに自分の神器が五大龍王なんて大層な龍の神器の一部で、自分でもまだ知らない力があるって教えてもらったとき、正直小躍りしたいような気分だった。……あいつとの距離が少しだけ縮まったような気がして」

 

 匙は己の神器が現れる手をじっと眺める。

 

「――きっと俺が頼めばあいつは俺に赤龍帝の血をくれるだろうさ。良い奴だからな。でもそれじゃあ駄目なんだよ。それを受け取った時点で俺はあいつと同じ場所に立てない。――いや、超えていくことが出来ない」

 そう言いながら、拳を作り強く握る。そこに込められる並々ならない決意。自らの裡にある想いを言葉にして外に出し、あまつさえ他人に聞かせる。自らに言い聞かせ、他人にも教えることで、決意から逃げないようにする為の行為に思えた。

 しばらく自分の拳を見詰めていた匙であったが、急にはっとした表情となり顔を赤く染める。

 

「ま、まあ、あれだ! 兵藤にも負けないけどお前にも負けないからな! いっつも特訓でボコボコにされているが、いつかは俺が勝って終わってやるからな! という訳で生徒会室に行くぞ! また新しい仕事があるかもしれないからな!」

 

 早口で言い終えると匙は、この場から逃げる様に早足で去って行く。

 場の空気か、あるいは話の流れのせいか、言うつもりのないことまで口走っていたらしい。決めるときは決めるが、抜けているときとことん抜けているという落差。一誠を彷彿とさせる。

 

(でもまあ……)

 

 他人から超える壁として見られているというのは悪い気がしない。そう思われているのならば、それに恥じない様に、一層自分に磨きをかける気概が湧いてくる。

 今度、匙と実戦形式の特訓をするときがあれば、先程の宣言に応じて力の限り殴り飛ばそうと、シンは密かに決めるのであった。

 

 

 

 

 三勢力会議当日。

 既に深夜の時間帯。本日が休日である駒王学園では、会議を前にして静かな緊迫感に満ちていた。

 本校舎を前にして陣取る黒い翼を生やした悪魔たち。その右手には白い羽を生やした天使たち。それに向かい合う様にして、対と成る黒い羽の堕天使たちが居た。

 誰もが声を放つことは無かったが、長年の宿敵を前にして殺気を隠すことなく放ち、誰かが少しでも行動を起こせばたちまち今の均衡が崩れ、流れるように殺し合うような空気が校庭を満たしていた。

 そんな重苦しい空気から少し離れた場所に建つ旧校舎。その中にあるオカルト研究部部室内にはいつものメンバーが既に揃っていた。

 

「離れている筈なのにここまで息苦しいね」

 

 眉を下げ、少し困った様子で笑う木場。

 

「誰かが先走る真似をしなければいいがな」

「大事な場で自分の主の顔に泥を塗るような真似はしないさ……多分。あははは……あんな一触即発な状態を見ていなければ言い切れたんだけどね」

「怖いこと言うなよ……」

 

 様子見ということで三勢力の軍勢を直に見てきた木場の言葉もあって、一誠は引き攣った表情をする。しかし、そんな顔をするのも無理はなかった。ことと次第によっては今から数十分後に、この学園が戦場と化すかもしれないからだ。

 

「大丈夫よ。悪魔も天使も――一応堕天使も望んで行う会議なんだから。馬鹿な真似をする訳無いわ。……ところでシン、本当にいいのね?」

 

 リアスがシンに問う。シンはその問いに首を縦に振った。

 

「俺は部外者なので」

 

 リアスが確認してきたこと。それは事前に話しておいた会議への不参加であった。あくまで三勢力が行う会議。その中に一応は人間である自分が混ざるのはどうなのであろうか、という考えから決めたことであるが、それを話した時リアスはいい顔をしなかった。

 

「貴方はコカビエル襲撃の件で大きな貢献をしてくれたわ。それにそれ以前の件もお兄様や他の魔王様たちにも報告しているし、人間だからといって遠慮する必要なんて無いわ」

「決めたことなので」

 

 改めて説得してくるリアスの厚意を有り難く受けつつも、自らの考えを曲げないことを告げる。リアスもそれを聞き、シンの考えが変わることが無いことを悟り、残念そうな表情をした。

 

「――貴方がそう言うなら仕方ないわ……でもいいの? 不参加だけじゃなくてあの子と付き添いまでしてくれるなんて」

 

 あの子と言い、視線を部室の隅に向ける。そこには封が閉じられた段ボール箱が置いてあった。

 

『ぼ、僕のことはき、気にしないで下さいぃぃぃぃ! こ、こうやって部屋の隅でじっとしているのでま、間薙先輩には迷惑をかけません!』

 

 ギャスパーの言葉から分かる通り、彼もまた会議に不参加することとなっていた。

 理由としてはやはり彼の不安定な神器によるものであり、会談中に何らかの拍子で神器が発動するかもしれないのを危惧してのことであった。

 

「本当だったら皆揃って出たかったけど……ごめんなさいね」

『ぶ、部長は悪くありません! つ、使いこなせていない僕がわるいんですぅぅぅぅ!』

 

 申し訳なさそうに謝るリアスに、ギャスパーは段ボール箱をガタガタと震わせて自分の責任であると主張する。

 

「貴方一人だけに任せるなんて申し訳ないけど――」

「一人じゃないよ~」

 

 リアスの声を遮りながら、ジャックランタンはギャスパーが入っている段ボール箱の上に座る。

 

「ボクも残るし~」

「アタシもいるよー」

「オイラもだホ!」

 

 ジャックランタンに続いて自分の存在を示すピクシーとジャックフロスト。

 リアスはその様子に頬を緩め、身を屈めると二人の頭を撫でる。

 

「そうね、貴方達もいたわ。頼りにしているわ」

「任せるホー!」

 

 元気良く答えるジャックフロスト。リアスは小さく微笑みながら、撫でていた手を離す。

 

「これ、渡しとくな」

 

 一誠からシンに手提げ袋を渡される。中を覗くと携帯ゲーム機とそのソフトが数本。菓子袋がいくつか入っていた。

 

「暇になったら今、間薙に渡したもので時間を潰しておけよ。まあ、ピクシーたちがいるから大丈夫だと思うが」

『は、はぃぃぃ!』

「あー、あととっておきも入れておいたから寂しくなったらそれで気を紛らわせておけよ」

 

 とっておきという言葉が気になり、シンは手提げ袋の中を少し漁ってみる。携帯ゲーム、菓子袋の下にまで手を伸ばすと指先に何かが触れる。それを掴み引っ張ってみると中から何故かゼノヴィア手製の面が――見えたかと思った次の瞬間には、すぐさま元の場所へと戻しておく。

 

「それじゃあ行って来るわ。あとのことは任せたわよ」

「行ってきますね。御二人とも」

「……ギャーくんのことを頼みました、間薙先輩」

「ふむ。君ならば大丈夫だろうが一応、私からささやかな贈り物を送らせてもらった。ふふふ、中々の力作だぞ?」

「実は少し緊張しています。憧れのミカエル様にお会いできるので。終わったら色々と何があったのかお話させて頂きますね」

「イッセーくんもだけど君もやっぱり面倒見がいいよね。彼のこと大事にしてあげてね」

「同じ後輩を持つ身としてギャスパーのこと頼んだぜ、間薙」

 

 口々にシンたちに言葉を告げた後、全員部室から去って行く。

 残されたのはシンとギャスパーとピクシーたち。数人が居なくなっただけで部屋の空気から暖かみが抜けていくような感覚がした。

 

『あ、あ、あの……!』

 

 段ボール箱を揺らしながら蚊の鳴く様な声でギャスパーが話し掛けてくる。

 

「なんだ?」

『ひぃ、ひぃぃぃ! なななな、何でもありません! ごめんなさいぃぃぃぃ!』

 

 少しはこちらへの恐れが消えたかと思っていたが、一誠たちが居なくなった途端、元の状態に戻ってしまっていた。尤も、そうまで怖れる理由について心当たりが多々あるので、ギャスパーを責めることなど出来はしないが。

 

「ほらほら~、自分から声を掛けたんだから何か話す~」

『う、うううう……せ、せめて会議が終わる頃までには今日の天気の話ぐらいは……』

 

 ポンポンとジャックランタンに段ボール箱を叩かれて急かされるギャスパーは、何とも小さな目標を掲げる。

 

「ヒ~ホ~、仕方ないな~。ギャスパ~、取り敢えずここから出ることを先にしようよ~」

『よ、よおし……ううう……ラ、ランタンくーん、せめて顔を少し出すだけじゃ駄目?』

「ダメ」

 

 踏ん切りが付かず妥協点を出すが、それを一蹴するとジャックランタンはピクシーたちを呼んだ。

 

「お~い。このひきこもりを出すの手伝って~」

「いいよー」

「ヒホー」

 

 呼ばれたピクシーとジャックフロストは、段ボール箱を左右から挟むようにして立つ箱を揺らし始めた。

 

「それそれ」

「ヒーホー」

『わ、わわわ! ゆ、揺らさないでぇぇぇぇぇ!』

 

 ピクシーたちの遊びを横目で見つつシンはソファーに腰を下ろし、背を預ける。これ以上は特にすることは無く。ひたすら時間が過ぎるのを待つのみ。

 

(長い夜になりそうだな……)

 

 まだ延々と続く時間を感じながら、シンは独り予感する。

 この予感は後に良くない形で的中することを、このときまだシンは知る由も無かった。

 

 

 

 

 三勢力会議が行われる職員会議室。その前ではリアスを始め、彼女の眷属たちが緊張した面持ちで立っていた。

 リアスは表情を引き締めると会議室の扉をノックし、失礼しますと言いながら中へと入って行く。

 職員会議室は今回の会談に合わせて内装が一新されており、部屋の中央には見事の造形のテーブルが置かれており、それの周りには各勢力の代表たちが既に腰を下ろしていた。

 悪魔側の代表として魔王のサーゼクス、セラフォルーがおり、サーゼクスは従者としてグレイフィアとセタンタを連れている。

 セラフォルーの側には妹であるソーナが立っており、リアスと同様に眷属たちを連れていた。

 堕天使側にはアザゼル。十二の黒い翼を最初から広げ、浴衣と言った軽装では無く、この場に相応しい上質な布で作られた黒いローブを纏う。その姿はかつて戦ったコカビエルを彷彿とさせる格好であり、それを見たリアスたちは僅かに表情を曇らせる。

 リアス達の視線に気付いたアザゼルは小さく笑い、彼の背後に建つ人物『白い龍』のヴァーリに一誠たちが現れたことを告げるように目線を送るが、ヴァーリは一瞥するだけであり、それ以上は何もせず、関心がないのか瞑想をするように目を閉じた。

 そして最後となる天使側には最近顔を合わせたミカエルの姿。その背には金色の翼が生やされている。他の勢力と同じく彼にも付き添いの人物がいたが、その人物を見たとき、一誠とゼノヴィアはほぼ同時に声を洩らしてしまう。

 

「イ、 イリナ……」

「イリナ……」

 

 一誠は驚きの声、ゼノヴィアは気不味そうな声。彼女を裏切るような形で悪魔に転生したゼノヴィアにとっては後ろめたい再会であった。

 イリナもまたゼノヴィアの方を見るが、彼女もまた気不味そうに目を伏せてしまう。

 

「私の妹とその眷属だ」

 

 サーゼクスは場の空気の変化を察知したのか、リアスたちの紹介をする。その紹介にリアスは会釈し、朱乃たちもそれに続く。イリナの存在に気を取られていた一誠とゼノヴィアは僅かに遅れて会釈はするものの、その眼はイリナに向けられたままであった。

 

「先日の聖剣奪還、コカビエルの襲撃で彼女たちが活躍してくれた」

「報告は受けています。改めて礼を申し上げます――彼女の方にもその件の当事者ということで、この場に参加してもらいました」

 

 ミカエルが礼を言いながら頭を下げる。それに合わせてイリナも頭を下げるが、終始その表情は硬いままであった。

 

「うちのコカビエルが迷惑をかけたな。まあ、奴にはちゃんと灸を据えておいたが一応言っておく。悪かったな」

 

 軽く言うアザゼルに、リアスを始め何人かの表情がやや険しくなるが、アザゼルは知ってか知らずか自分のペースで話を続ける。

 

「そういや、もう一人眷属がいなかったか? 少々変わり種の奴が」

 

 アザゼルがシンの不在を指摘する。

 

「……彼は悪魔ではなく人間だということを理由に、今回の会談の参加を辞退しています。それに彼は私の眷属ではありません。協力者という立場です」

 

 刺々しい敬語でリアスが答えるが、アザゼルは口の端を吊り上げ、嘲笑のような笑みを浮かべる。

 

「――そうかい。聞きたいことがあったがしょうがないな」

 

 アザゼルはそう言って椅子に背をもたれさせた。どこまでも自分のペースで動くアザゼルの態度に、リアスの表情から隠しきれない苛立ちが出て来る。

 

「話は一区切りついたかな? リアスたちも席に座りなさい」

 

 サーゼクスはリアスに着席するように促す。いつの間にかグレイフィアが壁側に椅子を用意してある。

 リアスは既に椅子に座っていたソーナの近くに腰を下ろし、リアスに続き他の眷属たちも席に着く。

 悪魔側は、給仕を担当しているグレイフィアとセタンタを除き全員席に着いたが、天使側のイリナは立ったままの状態、堕天使側のヴァーリは設けられた席には座らず、壁に背を預けた状態のままであった。

 

「さて、全員が揃ったところでまず先に確認させてもらいたいことがある。ここに居る者たち全てが最重要禁則事項である『神の不在』について認知しているのかな?」

 

 『神の不在』。コカビエルが暴露した誰にも明かしてはならない秘密。既に知っているリアスたちは黙ったままであるが、ソーナたちもまた沈黙していた。驚いた様子も無いことから事前に知らされていたらしい。

 そしてイリナもまた沈黙していた。敬虔な信者であれば取り乱してもおかしくはない内容であるが、イリナはきつく口を結んだまま黙っている。恐らくはミカエルあたりから、このことを聞かされているようだ。

 本当ならば神の死など知らずに生きていて欲しかったと願っていたゼノヴィアは、元同僚の沈痛な表情を見て、居た堪れない気持ちとなる。

 誰も異を唱えることを無いのを確認し、サーゼクスは会談の始まりを告げる。

 

「では話を始めるとしよう」

 

 

 

 

 ピクシーたちによって段ボール箱から出されたギャスパーがジャックランタンたちと戯れていたとき、ソファーに座っていたシンが急に立ち上がった。

 

「……」

 

 無言のまま立つシンに、ギャスパーはびくびくした態度で話し掛ける。

 

「ど、どどどどうしたんですか?」

 

 シンはギャスパーの問いに答えず、いきなり悪魔の力である紋様を浮かび上がらせる。初めて間近に見るそれにギャスパーは悲鳴を上げそうになるが、空気を読んでか背後から伸ばされたジャックランタンの手がそれを防いだ。

 

「静かに聞いてくれ」

 

 辛うじてギャスパーたちに聞こえる程度に抑えたシンの声。それは今までに聞いたことが無い程に低く、真剣なものであった。

 

「囲まれている」

 

 シンの言葉にギャスパーたち全員が眼を丸くした。

 

(……何人だ?)

 

 突如として現れた気配。正確な数字は分からないが、扉の向こう側と窓の下から複数いることを感じていた。

 元々、悪魔や堕天使などを本能的に感じ取ることが出来ていたが、悪魔の力が浸食してきた影響からか、最近では感じ取れる範囲も拡がってきていた。

 

(悪魔でも無い……天使でも堕天使でも無い……この感じは……人か?)

 

 常日頃から感じ取っていた気配ではあるが、どういう訳かそれとは少し異なる感覚。言葉にすると難しいが、敢えて言うならば気配に、悪魔の気配に似た何かが混じっていた。

 

「……ギャスパー、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン」

 

 名を呼ばれギャスパーはシンの方を向くが口を押えられている為返事が出来ない。ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンも声には出さず、代わりに真剣な眼差しを向ける。

 

「今からここを出る。そして部長たちが居る会議室を目指す」

 

 シンは膝を折り、地面に座っているギャスパーに目線を合した。

 

「付いてこられるな?」

 

 押さえていたジャックランタンの手が外れる。それはシンに対し明確な意志を見せろというジャックランタン言葉代わりの行動であった。

 

「は、は、は、はいぃぃぃ」

 

 言葉を詰まらせ、声は震えている。だが間違いなくギャスパーは自分の意志を示した。

 それを聞いたシンは頷くと、突如その場で大声を上げる。

 

「それで姿を隠しているつもりかっ! とっくに気付いているぞっ!」

 

 普段静かであまり感情を出さないシンが、窓を震わす程の声で吼えたことで、ギャスパーは怯えを通り越して呆然とした態度となる。

 シンの大声に反応したのか教室の扉が開き、窓ガラスの向こうに複数の人影が現れる。

 全身を覆うローブを目深に被った集団。魔道士、あるいは魔法使いと呼べるような格好をしていた。

 

「まさか護衛がついて――」

 

 魔法使いのような格好をした集団の一人――声からして女性――が何を言おうとするが、そこから先を聞く前に、シンの両手に魔力剣が形成される。

 薄暗い部屋の中で白く輝く魔力の輝き。それを一目見た魔法使いたちは何かを呟き始めたが、それよりも早くシンの両腕が振るわれる。

 右手は扉方向に向けて、左手は窓の方向に向けて。振るわれた魔力剣の切っ先が床へと接触した瞬間、剣身に圧縮された魔力が解放され、全てを吹き飛ばす魔力の波となって魔法使いたちに襲い掛かった。

 眼前に広がる魔力の波によって引き起こされる陽炎の如き景色の歪み。それが切っ先の先に居る相手を呑み込む。

 扉側にいた集団は巻き上がる床の破片などと共に入ってきた扉から押し戻され、窓側に居た集団は魔力の波で砕かれた窓ガラスの破片を散弾のように浴び、地面に落下していく。

 シンは剣を振り下ろした直後、シンの魔力剣によって起こった音と破壊で、目を白黒させて床に座っているギャスパーを小脇に抱え、人の気配が少ない扉側の方に向かって走り出す。その後にピクシーたちも続く。

 扉を潜り廊下に出ると最初に目に入ったのは、魔力剣で吹き飛ばしたローブを纏った女性たち。全員、壁に叩きつけられて気絶しているのか動かない。

 次に目に入ったのは、轟音とシンたちの登場に驚く複数のローブの集団。

 シンはその中で最も近い位置にいた者に手を伸ばし、その顔を鷲掴みにすると、踏み出すと同時に腕力にものを言わせ、地面に向けて投げつける。

 咄嗟のことで反応出来なかったローブの姿の人物は、自分の身に何が起こっているのか判断するよりも前に後頭部が床に叩きつけられ、その反動で一度跳ねた後、動かなくなる。

 叩きつけられた衝撃で、目深に被っていたローブが捲れる。すると中から、白目を剥いた妙齢の女性が現れる。容姿からして、少なくとも日本人では無かった。

 良く見れば他も、体型から女性であることが分かる。

 しかし、それが分かってもなおシンは止まらず、さらに踏み込み、別のローブの女性の足を蹴り払う。

 女の体はその場で一回転し、膝から床に着地する。何が起こったのか訳が分からないという顔をしていたが、ふと視線を落とすと膝から下が直角に曲がっていることに気付き、そこで這い上がってきた激痛が脳へと至り、痛みから絶叫を上げた。

 その絶叫を背に受けながらシンは一秒たりとも集中を途切れさせずに、次に狙うべき相手を瞬時に定めようとする。

 残りは三人。誰を狙うべきかと考えたとき、その中の一人が何かを呟き始める声を聞いた。

 呟き自体に何の意味があるかはこのときのシンには分からなかったが、ただそれに対し本能的な危機感を覚えると、既に体が動きを開始していた。

 女性たちとの距離は数歩分開いていたが、シンは片足に力を一気に込めるとその場を蹴り、数歩分の距離を一歩で埋める。

 そして間合いが縮まると同時に呟いている女性の口を黙らせるように手で掴み、顎の関節が悲鳴を上げる程の力で締め上げながらもう一歩踏み込み、掴んでいる女性の後頭部を別の女性の脳天に叩きつけた。

 骨と骨がぶつかる鈍い音。その音の生々しさに、抱えているギャスパーが身震いする。

 衝突させられた二人の状態を確認するよりも前に、シンは踏み込んだ方とは逆の足を持ち上げ、最後に残った一人の側頭部にその爪先を叩き込む。

 蹴り飛ばされた女性は壁まで飛ばされ、再び頭を打ち、壁を伝う様にして崩れ落ちる。

 取り敢えず外に居た連中を無力化したシンであったが、息吐く暇も無く複数の足音がこちらへと向かって来るのを感じ取る。

 ついでに何か話し合っている様子であったが、襲撃してきた者たちが異国人であるため、悪魔特有の翻訳能力を持たないシンには、何を言っているのか理解出来ない。ただ、いくつかの単語だけは聞き取ることが出来た。

 その単語は『神器〈セイクリッド・ギア〉』『ハーフヴァンパイア』の二つ。

 相手の狙いがギャスパーである可能性が出て来る。

 

「あ、あの人たち……ぼ、僕を狙って……!」

 

 ギャスパーの耳にも聞こえたのか、顔色を悪くしながら震え出す。シンとは違って翻訳する力があるギャスパーが言うのであれば、シンの推測はほぼ確信となる。

 

「なら逃げるまでだ」

 

 シンはそう言い、足音のする方向とは逆に向かって走り出す。

 幸い地の利はシンたちの方に有り、上手く行けば敵と会わずにこの場から抜け出すことが出来る。

 また最初の一撃で盛大に音を立てたので、それに気付いて会談を行っているリアスたちや、それの護衛に付いてきた三勢力の軍勢が気付くことを期待していた。そうなれば、最悪隠れて時間稼ぎをすれば良い。

 

「あ、あの人たちは一体な、何なんでしょう?」

「さあな」

 

 殆ど出会い頭に倒してしまったせいで、相手が何者であるか全く分からない。今になって一人ぐらい捕まえておけばよかったのではという考えが浮かんだが、すぐに追われている状況ならば尋問する時間が無いという考えに至り、その考えを消し去った。

 

「あ、ああああの……!」

「何だ?」

 

 小脇に抱えているギャスパーが更に質問を重ねる。

 

「ぶ、部室壊しちゃいましたけど、ど、どどどどうしましょう?」

「それは……部長たちに言われたときに考えるとしよう」

 

 このとき、珍しく歯切れの悪い返答をする。

 

「だ、だだだだ大丈夫でしょうか……?」

「そのときになったら――」

 

 シンの言葉が途中で止まる。急に言葉を止めたシンにギャスパーは何事かと顔を上げた瞬間、ギャスパーは絶句する。

 先程まで恐ろしくも頼もしく襲撃者を撃退していたシンの顔から血の気が引き、額から一筋の汗を流していた。

 

「せ、先輩?」

 

 気に掛けるギャスパーの言葉。だがシンは返事をしない。

 正確に言えば返事をするような余裕が無かった。

 脳天から手足の末端まで凍てつくような感覚。なのに体中の汗腺が開き、そこから汗が滲み出て来る。

 気を抜けば全身が震え出してしまいそうになるような衝動。それらを無理矢理押し止め、シンは無意識に感じ取った気配の方向へと目を向けた。

 目線の先に在るのは新校舎。気配の本はその先から漂ってくる。

 今まで経験したことのない感覚。コカビエルと相対したときも、このような感覚を覚えることはなかった。

 人としての本能を直接揺さぶるもの。

 陳腐な表現となってしまうが、シンが感じ取ったものを言葉にすると、それは――

 

『とてつもなく恐ろしい気配がする』

 

 

 

 

 三勢力の会談。天使、悪魔は現状を維持すればこのまま滅びの道を辿って行くことを危惧する内容を話していたが、堕天使側のアザゼルは特に関心を示す態度を見せず、時折茶々の様な意見を述べ、他の勢力の顔を顰めさせていた。

 尤も、アザゼルが空気を読めずに発言しているのではなく、意図的に場を惑わすような発言をしている節が有り、アザゼルの底意地の悪さの片鱗を見せているようであった。

 やがて会談の内容は、先日コカビエルが起こした聖剣強奪事件の話へと移っていく。

 事件の詳細について直接関わったリアスから報告される。この際に天使側は聖剣の強奪に天使が複数名関わっていたことを謝罪し、それらを処罰したことを報告した。また悪魔側も、コカビエルに対し秘密裏に協力を行っていた悪魔がいたことを告げる。

 

「そして、アザゼル。この事件に関して堕天使総督である貴方の意見も聞きたい」

 

 天使、悪魔が仄暗い部分を腹を割って話したことで、アザゼルに誤魔化し、保身の無い意見を求めることを暗に告げる。

 サーゼクスの問いにアザゼルは、この場の空気を愉しむように笑った。

 

「コカビエルの刑を執行したこと自体が俺の意見みたいなものだ。はっきり言おう。『神の子を見張る者』の幹部の中でコカビエルだけが戦争強硬派だ。――だいぶ前から俺達とあいつの間には溝があった。それはお前たちも分かっている筈だと思うが?」

 

 アザゼルの言った通り、リアスの報告の中では、コカビエルがアザゼルに敵意を向ける発言を幾つかしていたことが報告されている。

 

「俺は戦争に興味なんて無いが組織ってものは必ずしも一枚岩じゃねえんだ。そのことはお前らも痛い程分かっているだろうがな」

 

 アザゼルの皮肉に空気が凍る。

 

「ではここ数十年の間に神器の所有者を掻き集めているのも一枚岩では無い故にか、アザゼル?」

「『白い龍』のみならず『刃狗〈スラッシュ・ドッグ〉』も手に入れたという情報を得たときはある程度の覚悟を決めましたが、貴方は……」

「仕掛けなかっただろう? つーか信用ねぇな俺も。そんなに戦争を勃発させたいような好戦的な奴に見えるのかよ?」

「その通りだ、アザゼル」

「その通りよ☆ アザゼル」

「鏡を見てきなさい。アザゼル」

 

 三者三様の肯定。特にミカエルの方は、元同僚であったこともあり辛辣である。

 

「あーあ。俺の信用も地に落ちたもんだ」

 

 拗ねた様に頬杖を突いて嘆く。その姿を見て興味が無さそうに会談を聞いていたヴァーリが小さく笑う。

 

「ならここは俺の信用回復も狙って一つ和平でも結ぼうぜ。尤もそれがこの会談の目的なんだがな。天使も悪魔も……堕天使も」

 

 アザゼルの口から飛び出してきた『和平』という言葉に、この場に居るほぼ全員が驚愕の表情を浮かべる。余程思いがけない発言だったのか、いつも茶を注いでいたグレイフィアがカップの縁に茶を溢し、直立不動であったセタンタの肩が一瞬震える。リアスは目を見開き、その隣に座るソーナも普段の冷徹な表情が剥がれ、リアスと似たような表情をしていた。

 そして唯一この場で驚いた表情をしていないのは一誠とヴァーリであり、一誠は各陣営の因縁、歴史などに対し深く知らないため、その発言の重みが分からず、やや戸惑った表情で周囲の驚いた顔を眺めていた。それに対しヴァーリは、一誠の様に周囲を見回すようなことはせず黙したままであったが、美麗な顔の眉間に皺が寄り、腕組みをしている手が腕を強く握る。

 

「信用できないなら俺がここ数十年集めてきた神器の研究資料の一部も送ろうか? 悪魔も天使も人間界に俺達が居るせいで満足に研究が進んでいないようだしな」

「本気なんですね?」

「ああ、マジで言っている。人間の世界が目まぐるしく変化していっているのに俺達が過去の因縁で延々といがみ合うなんて格好悪いだろうが。いい加減どこかで落とし所を見つけないと流れる時間に追い付けない程に取り残されちまう」

 

 念を押すようにして聞いてくるミカエルにアザゼルは笑みを消し、会談が始まってから初めて真剣な表情を見せた。その顔を見たミカエルはやがて微笑む。

 

「私も貴方の様にこの会談で和平の案を出すつもりでした。――まさか貴方の方から持ちかけられるとは予想外でしたが」

「何だよ、嫌味か?」

「そういう訳ではありませんよ。ただ貴方は昔から少し捻くれ者でしたからね」

 

 ミカエルの言葉にアザゼルは顔を顰め『だから昔を知っている奴は嫌なんだよ』と小さく愚痴る。

 

「このまま三勢力が争い続けたとしてもそれは世界にとって害にしかなりません。私の立場からこのようなことを言うのは不敬かもしれませんが、戦争の大本である神と魔王が消滅した今、私たちにこれ以上争う理由はありません」

 

 天使長という立場にあるミカエルの口から出たのは、神の意志を継がないという言葉。その発言に悪魔側は驚くが、アザゼルは声を押し殺しながら笑っている。

 

「ククク。あの堅物ミカエル様の口からそんな台詞を聞くようなことがあるなんてな」

「貴方も先程言いました。このままでは時間の流れに取り残されると。私、いや私たちセラフの意志は既に決まっています。亡き存在を偲ぶことは大切なことですが今も私たちにとって重要なのは今の人々を導くことであり、神の子らを見守ることにあります」

「とんでもねぇこというな、ミカエル。神が生きていたら即『堕天』していたぞ、お前。……まあ、神のシステムを受け継いだお前だから言えるのかもしれないがな」

 

 旧知の間柄であるアザゼルとミカエルは、お互いの言葉を聞き小さく笑う。遥か昔ならば絶対に口には出来ない言葉を互いに交わしながら、そのような言葉を交わすことが出来るようになった今に対し、様々な感情を潜ませていた。だが、二人の顔に不快感は無い。それどころか互いに、長寿の者しか分かることの出来ない、特殊な感覚を噛み締めているようであった。

 

「ミカエル殿が言った様に、我々悪魔側も今回の会談で和平の案を持ち出すつもりだった。魔王の立場である私がこう言うのもおかしな話ではあるが、魔王という存在が消滅した今でも悪魔は生き永らえている。悪魔の種を存続させる為にも、これ以上無駄な争いはしたくはない。次に戦争が起こったとき、大きな犠牲を支払うのは純血の貴族ではなく無辜の民だ。そうなれば悪魔は滅びの道を辿るだけだ」

 

 サーゼクスの言葉にアザゼルはニヤリと笑う。

 

「その通りだ。次の戦争を起こせば俺達に次は無くなる。今度こそ仲良く共倒れだ。運良く生き延びる勢力もあるかもしれないが、恐らくすぐに外の勢力の餌食になる。俺らだけで収まるんだったらそれでいいかもしれないが、きっとその波紋は人間界にも広がっていく。俺たちのせいで世界を一つ駄目にするなんて間違っているだろう?」

 

 天使側も悪魔側も無言ではあるものの、アザゼルの言葉に態度で肯定の意を示している。

 

「今を見ろよ。神がいなくても世界は滅んじゃいないし衰退もしていない。そういう時代になったんだよ。これを良いと思うか残念に思うか、判断は任せるがな。しかし、そんな時代でも俺達はこうやって存在し、こうやって話し合いをしている」

 

 気付けば誰もがアザゼルの言葉に真剣に耳を貸していた。

 

「神がいなくても世界は回るのさ」

 

 その一言に場の空気が変わる。皆の緊張感によって張り詰めていた空気が、僅かではあるが弛緩したのだ。

 

「――という訳だ。これで俺の腹ん中見せた筈だぜ? さっきよりは信用を得たんじゃないのか?」

 

 アザゼルのおどけた態度に、魔王たちや天使長は苦笑を浮かべた。

 

「ええ、そうですね。さっきよりかは幾分信用できます」

「ならその信用が冷めないうちに次の話に移るとしようぜ」

 

 そこから先は各陣営の戦力など外部にはあまり知られたくない情報を交換し、互いに意見を出し合う場面が続いた。

 そして会談から丁度一時間が経とうとしたとき、話は一区切りされる。

 

「――というわけだ。話はまだあるがここで少し休憩を挟もう。彼女が用意してくれたお茶を無駄にはしたくないのでね」

 

 サーゼクスが冗談を交えつつ他のメンバーに尋ねる。皆それに同意する態度を見せた。

 グレイフィアが淹れた茶は魔王たちは勿論のことミカエル、アザゼル、会談を見学していた一誠たちにも振る舞われた。

 

「そういや魔王様方の意見は散々聞かせて貰ったが今の若い悪魔は和平についてはどう思ってんだ?」

 

 茶を口にしながら何気なくアザゼルは言う。そんなことを言われリアス達一同、目を剥く。

 

「そこんとこどうなんだ? サーゼクスの妹とレヴィアタンの妹」

 

 代表してリアスとソーナの意見を聞きたいらしい。

 

「……一悪魔に過ぎない私たちに口を挟む権限などないわ」

「別に畏まった意見を言う必要も無いし、これは会談には関係の無い、ただの雑談だ。何を言われようが臍を曲げるつもりはない」

 

 応じるつもりは無いといったリアスの態度にアザゼルは軽く笑いながら、何でもいいから意見が聞きたいと言う。

 困った様にリアスとソーナは身内に視線を向ける。サーゼクスとセラフォルーは、好きなようにすればいいといった様子で軽く頷いた。

 

「……なら私から言わせてもらいます」

 

 先に口を開いたのはソーナであった。

 

「和平については率直に言わせてもらえば賛成です。過去の大戦のことは忘れるべきではありませんが、今の私たちにとってははっきり言えば関係の無いこと。いつまでも引き摺って今を台無しにすることなど正直ナンセンスです」

 

 ソーナの歯に衣着せぬ言い方にソーナの眷属たちの表情が青褪める。サーゼクス、セラフォルーは直接関係ないが、大戦を経験したミカエルとアザゼルを前にして、大胆過ぎる発言であった。

 

「言うねぇー」

「私には、いえ私たちには叶えたい夢がありますので今を失う訳にはいきません。――気分を害されましたか?」

 

 ソーナの問いにミカエルは何処か嬉しそうに微笑み首を横に振る。

 

「いいえ。貴女の言うことはもっともです。――ふふふ、今更ながら私も随分長生きしたことを実感します」

「何だよ、ミカエル。老け込むにはまだ早いぜ?」

「貴方はもう少し見た目相応の落ち着きをもった方がいいと思いますよ?」

 

 アザゼルと軽口を言いながらミカエルはセラフォルーの方に目を向ける。

 

「良い妹さんですね」

「そうよ☆ ソーたんは自慢の妹なんだから☆」

「……お姉さま。こういった場ではそのような呼び方は止めて下さい」

 

 大物たちを前にしてセラフォルーに愛称で呼ばれ、恥ずかしさを隠す為か、いつも以上に抑えた声でソーナは注意する。

 

「何だ? 姉妹仲は意外と悪いのか?」

 

 それを不機嫌から来るものととったアザゼルが茶化すが、セラフォルーは大きく首を横に振ってそれを否定する。

 

「そんなことないよ! ソーたんとお姉ちゃんはすっごく仲良しなんだから! それこそもう百合百合って関係なんだから!」

「……マジか」

「……すみません。立場上の問題で今のは聞かなかったことにします」

「お姉さま! お願いですから時と場所を考えて下さい!」

 

 大人びた、きりっとした態度で語っていたソーナも、セラフォルーの発言とそれを信じかけているアザゼルとミカエルの反応で一瞬にして崩れ、赤面涙目といった、年相応の顔へと変わる。

 

「何だよ違うのかよ……ちぇっ」

「何故少し残念そうなのですか? アザゼル」

 

 やや緩くなった場の空気の中、サーゼクスは愉快そうな笑みを浮かべ、今度は自分の妹へと話を振る。

 

「ではリアス、お前の意見も聞かせてはくれないかい?」

「言いたいことは殆どソーナが言ってしまいましたわ。私もこれ以上不毛な争いで血が流れるのを良しとはしません。和平で戦いが無くなり全てが解決するとは思っていませんが、各勢力で不満を持つ輩への抑止には繋がるとは思っています」

 

 今のこの瞬間から戦いが無くならないがこれから何年、何十年先の戦いは無くせるかもしれないというリアスの考え。それを聞いてアザゼルは意地の悪い笑みを見せる。

 

「とは言ってもなリアス・グレモリー。お前の下僕の中には、世界に多大な影響を与えるかもしれない奴が何人もいる。赤龍帝は勿論のこと聖と魔、相反する二つの特性を備えたバグみたいな聖魔剣の使い手にこの世で数本しかない本物の聖剣デュランダルに選ばれた者、悪魔も堕天使も関係無く治すことが出来る神器使いにこの場にはいないが将来的に禁手化に至れるハーフヴァンパイア、今だけでもこれだ。これから先、もっと増えるかもしれない」

 

 アザゼルの顔から不意に笑みが消える。

 

「強い力は他者の中に怯えを生み出し、その怯えはいずれ排除しようとする意志に変わる。力を持つ限りそれが火の粉となって降りかかるぞ? そして何よりもお前自身、手元にある力に溺れない保障はあるのか?」

 

 試すような物言いと眼差し。リアスはそれを真っ向から受ける。

 

「仰りたいことは分かるわ。はっきりと言います、私は溺れません。もし降りかかる火の粉があればそれを振り払うだけです。そして振り払ったことで恨みや憎しみが生まれることになったならば全て私が背負い、私で全て終わらせます。誰にもそれを残しませんわ」

 

 堂々と宣言するリアスにアザゼルは真剣な表情を止め、口の端を吊り上げて笑う。

 

「若いて青臭い台詞だな――だが嫌いじゃない。サーゼクス、お前の所の妹も中々頼もしいな」

「ええ、うちの自慢のリーアたんなので」

「お兄様! レヴィアタン様と変に張り合わないで下さい!」

 

 折角格好良く自らの考えを述べた二人であったが、身内の発言のせいで何とも締まらない結果となり、二人とも手で顔を覆い隠す。

 

「部長、最高でしたよ」

「会長、素敵でした」

 

 一応、一誠と匙が小声で二人の意見を讃えるが、リアスとソーナの羞恥は抜け切らず、顔を隠したままこちらも小声で『ありがとう』と礼を言う。

 

「では次に赤龍帝殿に話を伺ってもよろしいかな?」

「赤龍帝に? まあ、俺も意見を聞くつもりだったが。何せ俺達以外で世界に影響を与えそうな有力候補だからな」

「それもありますが。彼自身私に聞きたいことがあるらしいので」

 

 一誠がミカエルにアスカロンを授かった際、別れ際に聞いて欲しい話があると言ったが、その約束がこの場で果たされることとなる。

 一誠は傍から見ても緊張している表情をしつつ、側に居たアーシアとゼノヴィアに何かを小声で話す。

 それを怪訝な顔でイリナが見ていたが、イリナの見ている中でアーシアとゼノヴィアは首を縦に振った。

 二人の頷きを見て一誠は椅子から立ち上がる。

 

「ミカエルさんは神様に祈る悪魔ってどう思いますか?」

「といいますと?」

「アーシアもゼノヴィアも悪魔に転生してからも神様に祈ることを忘れてはいません。祈れば痛みを負うのを分かっていてもです。そもそも悪魔に転生する前のアーシアをなんで教会から追放したんですか? アーシアの神器はそんなに間違った力ですか?」

 

 悪魔すら治癒する神器のせいで教会から追放されたことで、アーシアは堕天使の庇護に入らなければなかった。

 それがなければ死ぬことも無かったのではないか。それが無ければ悪魔に成る必要などなかったのではないか。

 それのおかげでアーシアと出会えたということは一誠も承知している。しかしそれでも自分の中で拭い切れないものとして残ってしまう。

 天使たちの長に向け、怒りすら感じさせる強い瞳を向ける。

 ミカエルはそれを真摯に受け止め、その背後に立つイリナはオロオロとした様子で一誠とミカエルを交互に見る。

 

「赤龍帝殿、貴方の秘めた怒りはごもっともです。そして今から私が口にすることは本来恥ずべきことですが言わせて貰います。私たちは『保身』の為に貴女たちを異端として天界と関わる場所から遠ざけました」

 

 ミカエルは語る。神と言う存在を失ってしまったことで、どのような歪みが起こったのかを。

 神が起こす奇跡、加護、慈悲。それらは神が独自に造り上げた『システム』によって起こされていた。これにより聖水や十字架など悪魔が嫌う効果などを発生させることが出来、また強く真摯に祈り続けることで、それに相応しい慈悲や加護を与えることが出来ていていた。

 しかし、神がいなくなったことで、この『システム』を正常に動かす存在が居なくなってしまった。現在は『熾天使〈セラフ〉』たち全員によって辛うじて動かすことが出来ているものの、その機能は神に比べれば遥かに劣るものであったと言う。

 故に天使たちは、その最低限の機能だけでも神が死ぬ以前のように動かす為に、『システム』にとって害になる存在を近づけさせないことを決定した。

 その代表とも言えるのがアーシアの『聖母の微笑み』である。種族を問わずあらゆるものを癒す神器。治癒とは聖なる力であり、聖なる力は聖なる者しか癒すことが出来ないという考えを否定するものであった。

 信者の信仰によって天界は支えられている。だがアーシアの神器はその信仰を妨げるものであり、ひいては『システム』を破壊するものとなるかもしれない。その為に教会はアーシアを追放とする処分を下した。

 ゼノヴィアもまた、神の不在を知ったことで、その心に神への不信を宿してしまった。天界に最も近い場所に身を置く存在が不信の心を持つことは『システム』に悪影響を与えるものであり、また不信は不信を呼ぶ。

 生まれながらにして聖剣の使い手であり、教会にとっては代えのきかない存在であるゼノヴィアすらも遠ざけること自体、『システム』というものに対しどれほど過敏になっているかを示している。

 

「――それが私たちの『保身』であり罪です」

 

 ミカエルの言葉を聞き終えた一誠は複雑そうな表情をしていた。言っている内容について一定の理解をしているが感情が追い付いてはいない、そのような顔であった。

 

「ミカエルさんの言うことは分かります……分かりますけど!」

 

 一誠が声を荒げ始めたとき、誰かの手が一誠の手を握る。手を握る人物はアーシアであった。

 アーシアは驚く一誠に微笑んだ後、椅子から立ち上がる。ゼノヴィアもまたアーシアと同様に立ち上がった。

 

「ミカエル様、私のことを罪だと思わないで下さい」

「私もアーシアと同じ思いです」

 

 アーシアはミカエルの前で祈る様に手を組む。

 

「私は今、とても幸せに生きています。たくさんの大切なヒトが出来ました。そして憧れのミカエル様にこうやってお会いすることが出来ました。だからミカエル様に罪などありません。私は何一つ不幸など感じていません」

「教会でこの齢まで育てられた身ですが、教会から離れたことで今まで出来なかった経験を得ることが出来ました。それは今まで生きてきた人生の中で、とても鮮やかで貴いものだと感じています。……ですが他の信徒には申し訳無い気持ちも有ります。追放された立場でこのように満足した生活を送っていることに……」

 

 ゼノヴィアの目が一瞬だけイリナへと向けられたが、すぐに離れてしまう。

 

「そっか、今は幸せなんだ……」

 

 誰にも聞こえないほど微かな声でイリナは呟き、自らの言葉を噛み締める。

 

 

「貴女たち二人の寛大な心に感謝致します」

 

 ミカエルは席を立ち二人に向けて頭を下げた。天使の長が一介の悪魔に頭を下げることなど前代未聞なことである。この行動にアーシアとゼノヴィアも驚き、すぐに頭を上げる様に言った。

 

「おいおい謝るつもりが逆に恐縮させてるぞ、ミカエル。そもそもお前が頭下げる理由がねえよ。お嬢ちゃんらが悪魔になった理由は俺ら堕天使が原因だからな」

 

 アザゼルの何気なく言った言葉。しかしそれは一誠の記憶の奥底に押し込んでいた忘れたい記憶を一気に掘り起こす。

 

「そう、アーシアは堕天使に殺された! お、俺も殺されたけど。それにゼノヴィアの件についてもコカビエルが暴走したせいだし!」

 

 感情を昂らせていく一誠にドライグやリアスが落ち着けと言うものの、簡単には一誠の心は落ち着かなかった。

 

「堕天使が将来害になるかもしれない神器所有者を殺すのは組織としては当然だ。俺も黙認している。神器ってのは感情や想い一つでとんでもない悪影響を世界に及ぼすかもしれないからな」

「おかげで俺は悪魔だ」

「悪魔になったことが不満か? 意図せずとはいえお前が選んだ選択は正しかったように見えるが?」

「それは……」

 

 アザゼルの言葉に一誠は口籠らせる。アザゼルが言った様に、悪魔にならなければ今のようにリアスたちとは共に行動出来てはいなかった。そもそも悪魔としてそれなりに頑丈な肉体を得ていなければ、ドライグの力も殆ど使用できず、いずれは自滅していたかもしれない。

 

「ふ、不満じゃないさ! 周りのヒトたちには色々良くして貰っている! だけど!」

「納得出来ないってか? 何なら俺の顔でも殴らせてやろうか?」

 

 そう言いながらアザゼルは自分の頬を軽く叩く。

 そこまで言われると、噛みつく自分が子供染みているとものと痛感させられ、抑え切れない感情も少しは冷えたが、それでも完全には冷めなかった。

 

「詫びの言葉は言わない。今更言ったとしても嫌味にしか聞こえないだろうからな。まあ何だ、その代わりと言っちゃなんだが別の形で穴埋めはさせて貰う」

「別の形?」

 

 アザゼルの言葉に疑問を抱く一誠であったが、それが何かをアザゼルは言わず、話題を別のものへと変えた。

 

「んで話は元に戻るが、お前らドラゴンを宿す者は世界に対しどういった選択で行くんだ? この場で宣言してくれるなら各勢力も浮き足立つことなく済むからな」

 

 そんなことを言われ、一誠は咄嗟に答えることなど出来はしなかった。ついこの間までただの学生であった一誠に、世界などという規模のでかいことなど、簡単に答えられる筈も無い。

 

「俺は強い奴と戦えればそれでいい」

 

 答えられない一誠よりも先に、ヴァーリが答える。

 

「……修羅の道を行くと言うのかね? その先には何も無いかもしれないと分かっていてもかい?」

「果てのことなんてどうでもいい」

 

 サーゼクスの言葉にヴァーリは、興味など一切無いと言った様子で言葉を返す。

 

「悪いな。うちのが愛想悪くて」

 

 失礼な態度を取るヴァーリに代わってアザゼルが謝罪した。

 

「白龍皇はこう言っているが赤龍帝、お前はどうなんだ?」

「……正直、世界とか言われてもピンとこないっていうか……難しいことばかりで頭が追い付きません。ドライグの力も別に世界をどうこうする為に使おうなんて思ったことないですし……」

 

 煮え切らない言葉にアザゼルは『ふむ』と言いながら顎を撫でる。

 

「難しく考える必要は無い。お前が戦争に肯定的なら戦争が起こった際には戦争に駆り出される。否定的ならこのまま和平を結んでリアス・グレモリーを抱いてればいい」

 

 その言葉に一誠の目が見開き、いきなり名前を出されたリアスの顔が赤面する。

 

「和平の後は戦争の傷跡を治すのが役目ってもんだ。取り敢えずは少なくなった種の存続と繁栄が重要になってくるな。それを埋めるには子作りしかないだろ? 生めよ、増やせよってやつだ」

「そうですね和平が、平和が一番ですね。元よりこの力は仲間を守る為に使いたいと思っていましたし何一つ問題ないです、はい! そしてその暁に部長を抱いてみたいです!」

 

 先程とは違い即答する一誠。最後に隠しきれず漏れた本音にはサーゼクスも微笑を浮かべていたが、セタンタの方は刀剣の様に鋭い眼差しで一誠を見ている。

 

「……という訳です」

 

 言い終えた後に正気に戻ったのか、少し恥ずかしそうにする一誠。その姿を見てアザゼルが何かを言おうする――が、口を開く前に爆発音のようなものが会議室にいる皆の耳に届いた。

 

「な、何だ?」

「この音は……」

「方向からして旧校舎の辺りからです」

「……ギャーくんたちに何かがあったんでしょう?」

 

 リアスとその眷属たちが一斉に席を立つ。

 それと同じタイミングで、魔王たちやミカエル、アザゼル、ヴァーリが窓の外に目を向ける。

 

「どうやらこっちもみたいだな」

 

 リアスたちも窓に寄り校庭の方を見ると、三勢力の集団の真ん中に巨大な魔法陣が現れている。

 

「転送用の魔法陣……」

 

 

 ソーナの呟きの直後、魔法陣が輝き、その中から何かが姿を現す。しかし予想に反し大勢ではなく、姿を見せたのはたった一人であった。

 囲んでいる三勢力の集団もその数にざわめく。

 

「一人? どういうこと?」

 

チリーン

 

 透き通るような鈴の音が耳へと入ってくる。ただ聞くだけで心の裡にある不安が消え去ってしまうような、清らかな音色。

 

「綺麗……」

 

 その音に思わず感嘆の言葉を漏らすアーシアであったが、その鈴の音を聞いた直後、アザゼルとミカエルは椅子を飛ばすようにして立ち上がり、窓が割れるのではないかと思える程の勢いで開けるや、そこから叫ぶ。

 

「お前らぁぁ! 今すぐここから離れろぉぉぉ!」

「どこでもいい! 今すぐ逃げなさい!」

 

 冷静さを捨て、余裕の無い声を上げる。

 しかしその必死な叫びも――

 

「喝」

 

 ――俯いたまま放つその人物の一言で掻き消された。

 天使、堕天使、悪魔が、突如として現れた白と黒の光の柱によって動きが遮られる。

 悪魔には白く清浄な輝きを放つ光。天使、堕天使には光明一つ無く、冷たく、どす黒い輝きを持つ光。その二つの光が一体一体を取り囲む。

 

チリーン

 

 二度目の鈴が鳴り響くとき、二つの光は収縮しその幅を狭め、やがて一筋の光と化したとき、音も無く消え去る。後には何も残さずに。

 

「な……!」

 

 あまりにあっさりと集団が消えてしまったことに、一誠は驚きの言葉すら出せない。

 

「――全滅かよ……」

 

 怒りに震えるアザゼルの言葉。それは今までいた集団が何処かに連れ去られたのではなく、死んだということを示していた。

 

「まさかアレが出て来るとは……」

 

 悔恨を含んだミカエルの声。

 

「あれは一体……」

 

 現れた存在から目を離せないままリアスが問う。

 

「……よく見ておけ。あれが『魔人』だ」

 

 僧侶の中でも最高位の者しか着衣することが許されない黄衣。右手には数珠、左手には独鈷鈴、正座の姿勢のまま宙へと浮いている。

 

「あれが魔人……?」

 

 まるで一誠の言葉に合わせたかのように、俯いていた顔を上げる。その顔には肉や眼球が無く、白骨と底の見えない眼窩があった。

 

「南無阿弥陀仏、と唱えたところで、汝らの逝くべき場所は三途の川では無いがな。されどもこの『だいそうじょう』が祈ろう、その魂に救済があらんと」

 

 

 




気付けば初投稿から二年が過ぎていました。
これからもこんな感じで投稿し続けていきたいと思っています。
それとようやく魔人の一体を主人公たちの前に出すことが出来ました。

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