ハイスクールD³   作:K/K

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時系列が前後している箇所があるので分かり辛くなっているかもしれません。


魔人、襲来

 魔人と魔王。

 片や死を撒き散らす恐怖の存在として語り継がれ、片や悪魔の頂点として敬われる存在。ある意味で対極に位置する両者が狭い空間の中、互いに視線を交わす。

 

「これはこれは。悪魔でも名高いルシファーの名を継ぐ者が拙僧のような者と手合わせを願うとは。名誉なことじゃのう」

 

 言葉だけならば好々爺という印象を受けるが、ほんの数分前には大量の悪魔、天使、堕天使を一方的に葬り、つい先程もこの会議室内にいる者たちを皆殺しにしようしていた。にも関わらず険の無い言葉を放つだいそうじょうという存在は異常であった。あれ程の殺戮をしていても昂りも無ければ後ろめたさも無い。

 至って平常。それがあまりにも恐ろしかった。

 

「それにしても良いものを見せて貰った。我が術を真っ向から打ち破られるのは久方ぶりよ。どうやら少々変わり種の魔力らしい。まこと大したものだ」

「貴方の術を破るにはこの方法しかなかったので」

 

 褒め称えるだいそうじょう。その口振りからして、サーゼクスがどのようにして自分の術を破ったのか、ある程度理解しているものであった。

 日常の様に言葉を交わす二人。しかし、だいそうじょうからはあらゆる生を奪い尽くす様な濃密な死の気配が漂い、サーゼクスからは静かながらも周囲が歪む程の魔力が漏れ出している。

 桁違いの力同士の衝突。しかもどちらも意図的に出している訳では無く、無意識に外へ出てしまった力の一片にしか過ぎない。

 天使長のミカエル、堕天使総督のアザゼル、同じ四大魔王のセラフォルー、サーゼクスの眷属であるグレイフィアといった上位陣は二人の力の余波に対し、僅かに表情が強ばるといった程度で済んでいるが、それを近くで見ている木場たちは生きた心地がしない。

 

(気を抜けば膝から崩れ落ちそうだ……!)

 

 体験したことが無い圧倒的な力。自分に向けられていないのに、少しでも気を緩ませればそのまま膝を屈してしまいそうになる。

 木場はそれを奥歯を噛み締めながら懸命に耐える。他の皆もまた木場同様に、懸命な様子でこの異様な場を耐えていた。

 戦いに慣れていないアーシアなど顔面が蒼白になっており、いつ気絶してもおかしくない様子だった為、側に居たゼノヴィアが支えている。そのゼノヴィアもアーシアと似たような顔色をしていた。

 

「あれがサーゼクスの滅びの魔力です。触れれば全てを消してしまう消滅の力。たとえ貴方でも真面に受ければ只では済まない」

「成程のう」

 

 カテレアの説明を聞きながら、だいそうじょうは会議室内を一瞥する。

 

「尤もサーゼクス殿が手を出さずとも何人かは生き残れた筈じゃがの」

 

 だいそうじょうの眼球の無い眼窩がミカエル、セラフォルー、グレイフィア、アザゼルに向けられた。

 

「かかかか。久方ぶりだのう。ミカエル殿、アザゼル殿」

 

 顎を震わせて笑いながら、だいそうじょうは面識があるミカエルとアザゼルへと喋りかける。

 

「……お久しぶりですね」

「……全く変わらない様子だな、爺」

「相変わらず口が悪いのう、アザゼル殿」

 

 顔見知り同士の会話であるが、そこに親しみの情など無い。だいそうじょうには敵意は無いものの、返答するアザゼルの口調には棘が有り、ミカエルもまた穏やかな表情を消して鋭い眼差しを向けていた。

 

「積もる話をしたいところではあるが……今はサーゼクス殿の誘いを受けるとしよう。なあに、その後で話すことが出来る」

 

 魔王相手に遠回しで勝つことを宣言するだいそうじょう。その言葉を聞いたサーゼクスは、赤い球体が集う手の平をだいそうじょうへと向ける。

 

「そう容易くはありませんよ?」

 

 サーゼクスの手の平に納まっていた十を超える魔力の球体が一斉にだいそうじょうへと向かって飛ぶ。それぞれが異なる軌道を描きながら、だいそうじょうの身体の至る箇所を狙う。

 それを感知すると同時にだいそうじょうの周りが光に囲まれる。自分自身を破魔の光で包み込むことによって外界からのあらゆる力を防ぎ、同時に滅する攻防一体の結界。この力の前では浄化の力を弱点とする悪魔の力など通じない。

――その筈であった。

 破魔の光に赤い球体が触れた瞬間、その箇所から光が消滅する。

 綺麗な円形状に抉られた箇所に目を向けながら、だいそうじょうは胸の裡で感心を抱く。

 光すら喰らう悪魔の力。直前にカテレアが説明した、サーゼクスの持つ滅びの魔力を改めて目の当たりにし、その言葉の意味をしっかりと理解する。

 悪魔を滅する光を滅ぼす力。明らかに通常の悪魔とは異なる異質の力。

 だいそうじょうは確信する。

 サーゼクスという悪魔は悪魔でありながらその枠を超えた存在であることを。そして、自分たちに近い存在であることを。

 破魔の結界を突き抜けた複数の魔力の弾は、そのまま中に居るだいそうじょうも滅ぼそうと四方から迫る。

 しかし、逃げ場を埋める様にして襲い掛かるそれを見てもだいそうじょうは焦りの態度一つ見せず、手に持つ独鈷鈴を鳴らす。

 音が室内に響き渡ると同時にサーゼクスの頭上に破魔の術式が浮かび上がり、範囲内にいるサーゼクスを滅せようとするが、術式の光が最高点に至る前に、その術式に先程放った魔力の弾が飛び込む。

 魔力の弾が術式にある一点へと触れたとき、描かれていた筈の破魔の術式が瞬時に形を崩し、最初から何も無かったかの様に消失する。

 これこそが、だいそうじょうの術から室内にいた全員を救ったサーゼクスの方法である。

 術を発動するにあたって、必ず力が集束する基点が存在する。だいそうじょうの破魔や呪殺の術も例外では無い。しかし、通常の術とは違いだいそうじょうの術は展開から発動までの間が極端に短く、それこそ始動と完了までほぼ同時である。

 そんな高速の術に対し、あのときサーゼクスは瞬時に滅びの魔力を込めた球体を複数形成し、形成するまでの僅かな時間の間に展開している術の基点を全て見抜き、そこに向けて魔弾を放つ。基点と言ってもどれも同じ位置にある訳ではないが、放たれた魔弾はそれぞれが独立して動き、針の穴を通すような正確さで撃ち抜き、見事基点を消滅させた。

 その時見せたことをもう一度再現して見せるサーゼクス。魔王という肩書を持つ者の底知れぬ実力の片鱗を垣間見せる絶技である。

 しかし、その魔王の前に立つモノもまた魔王という存在に勝るとも劣らず、あらゆる勢力から畏怖の対象と見られている存在、『魔人』。

 攻撃を放ったサーゼクスに対し、その隙を狙うつもりで破魔の術を発動させたもののあっさりと打ち消されただいそうじょう。そうしている間にも周囲を囲んでいる破魔の光を食い破り、滅びの力が迫る。

 だが、彼に焦る様子は無い。

 だいそうじょうは顎関節を動かし、その口を大きく開ける。

 その途端、だいそうじょうへ向かっていた魔弾の群は球体から糸が解ける様に形を変えながら崩れ、開かれただいそうじょうの口の中へと吸い込まれていく。

 自分の魔力を吸収していく様に、流石のサーゼクスも目を見開く。

 滅びの力を喰らい糧にする。だいそうじょうもまた、魔人という存在の異質さを存分に知らしめる。

 やがて全ての魔弾は形を無くし、だいそうじょうの体内へと取り込まれていった。

 滅びの魔力を吸い込んだだいそうじょう。しかし、何事も無かったかのようにサーゼクスの方を見てこう言った。

 

「流石は魔王の魔力。美味也」

「――お口にあったのならば幸いだ」

 

 共に自らの業を破られているものの動揺した様子は無く、互いに軽口を言い合う。容易く相手に実力の底を見せない。

 一進一退の攻防。しかし、それを理解出来たものはこの場の上位陣のみであり、他の皆は一瞬何が起きたのか分からず、瞬間的に両者の力が膨れ上がったかと思えば、次の時には終わっていた。

 それでも上位の力を持つ若い悪魔の何名かは何が起こったのかを辛うじて見ることが出来たが、それは未知と言っていい領域の戦いであった。

 

(早過ぎる……!)

 

 その一人である木場は、目の前で起きた攻防に戦慄を覚えていた。どちらも木場の速度を上回る速さで術や技を展開し、その場から一歩も動かない状態で相殺し合っていた。

 もし自分が対峙していたのであれば、初撃でこの世から永遠に存在を消されていた。あまりに簡単に想像出来るIFの未来に、人知れず冷や汗を流す。

 

「ここでは互いに力も振るえまい」

 

 だいそうじょうの姿が消える。

 

「ついて参れ。カテレア殿も構わぬな?」

 

 消えただいそうじょうは窓の外へと姿を現し、この場から離れることをカテレアに告げる。カテレアは妖艶に唇の端を吊り上げ笑みを浮かべた。

 

「ええ。魔王ならば貴方にとって不足は無い筈です。頼みましたよ。この世界の変革の為にも」

 

 何処か白々しさを感じさせる口調。ほくそ笑むその様子から、このような展開になることはカテレアにとって都合が良いらしい。

 

「では参られよ」

 

 だいそうじょうはそのまま窓から離れて行く。

 

「済まないが私は彼を抑えてくる。後のことは頼んだ」

 

 ミカエル、セラフォルー、アザゼルに後のことを託す。魔人と戦うのならばここから先、手助けをする余裕が無くなることが分かっていた為である。

 

「グレイフィア……行ってくる」

「お帰りを……お待ちしています」

 

 恭しく頭を下げるグレイフィアを見てサーゼクスは微笑を浮かべると、ヴァーリが破壊した窓から飛び出し、翼を広げるとだいそうじょうの後を追って姿を消した。

 

「ふふふ。幾ら魔王であっても魔人相手ならば無事では済まない。どうやら運命の流れは私たちの方へと傾いているみたいですね」

 

 勝ち誇るかの様に言うカテレア。実際、カテレアの頭の中で思い描いている通りの展開が続いていた。魔王と魔人の激突はカテレア自身が望んでいたこと、この二名が戦い合えば両者共に無事では済まない。

 今は禍の団に協力している立場であるが、いずれ旧魔王派は禍の団の力を掌握するつもりである。その際に邪魔になると考えている派閥が二つあり、その内の一つがあの魔人であった。

 他の派閥と違いたった二名しか居ないが、その力は飛び抜けたものであり、旧魔王派全ての戦力を投入したとしても勝てるかどうかは分からない。更にこの魔人たちはもう一つの派閥と繋がりを持って居る為、その戦力は考えている以上のものを持っている。

 その為、カテレアはあわよくば共倒れを願っていた。

 それが向こうから都合良く、自分の望む流れに沿って動いていく。これには笑いを抑え切れなかった。

 だが独り笑うカテレアの耳に別の笑い声を聞こえてくる。喉の奥で笑う声。その声の方に目を向ける。

 笑い声の主はアザゼルであった。

 

「――何が可笑しいのですか? アザゼル」

 

 昂揚する気持ちに水を差された気分となり、笑みを潜めてカテレアは笑うアザゼルに問う。

 

「いやなに、笑っているお前の姿が滑稽だったもんでな。お前内心でこう思っていたんじゃないか? 『このまま魔人と魔王が共倒れになればいい』って」

 

 思っていたことをそのまま言い当てられ、カテレアは言葉を詰まらせる。それを見たアザゼルは、心底意地の悪そうな笑みをカテレアに見せた。

 

「おいおい図星か? だったら分かり易過ぎだぜ、お前。まあ、世界の変革なんて陳腐なことを臆面も無く言っている奴ならやっていることと思っていることなんて直結しているだろうがな」

 

 鼻で笑いながら先程のカテレアの言葉を嘲る。この態度にはカテレアも頬を引き攣らせる。

 

「私たちがすべきことが馬鹿げているとでも言いたいのですか?」

「言いたいんだよ」

 

 アザゼルの即答にカテレアは絶句する。

 

「今時世界の改革なんてナンセンスなんだよ。理由は何だ? 世界の腐敗か? 人間の愚かさか? 地球が滅ぶか? 審判の時か? きっとこん中のどれかが当て嵌まるんだろうがな」

 

 相手を先回りした言葉を並べ、口にした理由の陳腐さにアザゼルはまた笑う。

 アザゼルの言葉が当て嵌まること、そして明らかに自分を馬鹿にした態度のカテレアの顔がみるみるうちに紅潮していく。

 

「言っていることや考えていることは小物だっていうのに実力の程はそれなりにあるから本当に始末に負えないな。その実力の方もオーフィスや魔人を笠に着ている節があるから疑わしくもあるがな」

 

 その言葉を聞いた途端、爆ぜる様にしてカテレアの全身から魔力が迸る。積み重ねられていく暴言に我慢も限界に近い様子であった。

 

「アザゼル……今すぐにその口を閉じなさい。今ならばまだ苦しまずに殺してあげます」

 

 怒りを押し殺したカテレアの言葉。だが、アザゼルが打ち寄せる様な魔力を浴びながらも涼風の中に居るような態度であり、カテレアの言葉も鼻で笑う。

 

「つまらん台詞だな。お前、レヴィアタンの末裔だとか真に魔王に相応しいとか言っているがはっきり言って――」

 

 ――器じゃねぇよ。

 

 言われた当人以外も思わず固まってしまう言葉。旧魔王派にとっては禁句中の禁句であり、旧魔王派の怒りを煽るならばこれ以上無い程の暴言である。

 カテレアは何も言わず、その全身を怒りで震わせ血が出るのではないかと思えるぐらい唇を強く噛み締める。

 そんなカテレアの様子に構う事無くアザゼルは言葉を重ねて行く。

 

「惨めなもんだよな。血は受け継いでいるっていうのに肝心の地位までは受け継げないなんて。おまけにその場所や名を血も縁も関係ない奴に奪われたとなると正直同情するぜ。なあ? 『自称』カテレア・レヴィアタン?」

 

 アザゼルの言葉の一つ一つが、決して癒えることの無いカテレアの誇りに付いた傷を抉る。

 妖艶さは全て消え、その表情はさながら般若の如き形相であった。

 

「アザゼル……!」

 

 地の底から響くような怨嗟が篭った声。その言葉だけで、気の弱い人物ならば心臓の鼓動が止まってしまうのではないかと思える程、呪詛に満ちている。

 しかし、カテレアの怒り、憎悪を一身に受けてもアザゼルの態度は変わらない。

 

「本当のことを言われて怒るなよ」

 

 それどころか更に煽る。

 瞬間、カテレアの右腕に燃え盛る様な魔力が集まったかと思えば、躊躇う事無くその腕を振るう。

 アザゼルだけではなくこの会議室内にいる全ての者を屠る為に放たれた魔力。

 だが、カテレアが魔力を放つ同じタイミングで乾いた音が室内響く。

 直後、魔の力が突如として出現した光の壁に阻まれる。魔と光、相反する力が接触すると互いに互いの力を食い合い、相殺し切れなかった力が逃げ場を求め四方に飛ぶ。木場たちは光の壁によってその身を守られていた為無事であったが、その力によって会議室の窓際全域が壁ごと吹き飛ぶ。

 

「あぶねぇなー」

 

 右手を挙げたアザゼルはカテレアに意地の悪そうな笑みを向ける。光の壁を作り出したのはアザゼルであり、先程の乾いた音はアザゼルが指を鳴らした音であった。

 

「貴方は私を――いえ、私たちの誇りを愚弄しました。その代償は払ってもらいます」

「誇りってのはその身体に流れる魔王の血のことか? はやらねぇよ、今時血筋云々なんて」

 

 昂る感情に合わせ会議室内へと漂うカテレアの魔力。アザゼルはそれを見ながら挑発するような笑みを向けながら、仕舞っていた十二の黒翼を展開する。

 

「向こうはこっちを殺る気みたいだから、こいつの相手は俺がやる。お前たちは手を出す必要は無いぞ」

 

 ミカエル、セラフォルー、グレイフィア、そして木場たちに告げる。

 

「アザゼル、貴方は……」

 

 そこまで言い掛けたミカエルは言葉を呑み込んだ。

 先程からの執拗なカテレアへの挑発。それは敢えて自分に矛先を向ける為の演技であったのではないかとミカエルは考えた。

 だいそうじょうはサーゼクスが押さえている今、残された禍の団で最も力を持っているのはカテレアである。

 そのことが分かっていて、怒りを自分に向けさせることで周りの被害を最小限に抑えようとしているのではないか、そう問う代わりにミカエルはアザゼルに眼差しを向ける。

 それに気付いたアザゼルは悪ガキを彷彿とさせる、何処か幼さを感じさせる笑みを浮かべた。

 

「まあ、どうせ戦うなら美人の方がいいしな」

 

 惚ける様な台詞を言いながらアザゼルはカテレアに向かって手招きをする。

 

「『終末の怪物』の血を受け継ぐ存在。相手としちゃ不足無しだ。こいよ、カテレア。俺といっちょハルマゲドンの前哨戦としゃれ込もうじゃないか?」

「……いいでしょう。貴方は私の手で葬らなければ私の気が済まない! ここで朽ち果てろ! 堕ちた天使の総督!」

 

 アザゼルはその場で宙に浮き、破壊された窓際から外へと飛び出す。カテレアもまたアザゼルの後を追い、外へと飛び出した。

 

「悪魔の貴方たちにこのようなことを頼むのは申し訳ありませんが、転送されてきている魔術師たちの相手をしてくれないでしょうか?」

 

 その言葉に木場たちは一斉にミカエルの方を見る。

 

「サーゼクス殿と魔人、そしてアザゼルとカテレアが戦っている以上被害は想像を上回るものになるかもしれません。学園、そして学園の外にも被害を出さない様に結界を維持しなければなりませんが、正直私だけの力では維持し続けることが困難です。魔王であるセラフォルー殿、貴女の力も必要になります」

「うん! 分かったわ! 暴れている人達の力を考えると私の力も必要だしね!」

 

 ミカエルの願いをセラフォルーは快諾する。

 

「魔術師たちが転送されてきた魔法陣の解析は私がします。解析が済み次第、援軍が送られないように妨害用の魔術を施すつもりです」

 

 グレイフィアの言葉を聞き、皆を代表してソーナが答える。

 

「分かりました。それまでの間、魔術師たちの相手は私たちがします」

「気をつけて下さい。白龍皇殿やセタンタ殿が数を減らしているとは思いますが、それでも撃ち漏らした者たちがかなりの数いると思われます」

 

 ソーナは木場たちの方を見た。

 

「リアスが不在の為、代わりに私が指示を出しますが、よろしいですか?」

「構いませんわ。リアスは貴女のことを信頼していますから」

 

 窺うソーナに対しリアスの眷属を代表して朱乃が答える。

 

「ありがとうございます。では校庭からこちらに向かっている魔術師の相手は――」

「僕が行きます」

 

 ソーナが言うよりも先に、木場が先陣を切ることを希望する。

 

「木場祐斗が行くならば私も行かなければならないな。私もリアス・グレモリーの『騎士』だ。『騎士』の剣は二振り揃ってこそ真価を発揮する」

 

 そこにゼノヴィアも立候補する。

 

「構いませんね?」

「ええ。私も貴方たちに敵を撹乱してもらおうと思っていたところです」

「なら私も行くわ」

 

 更に聞こえてくる声。声の主はイリナであった。

 

「イリナ……」

「二人よりも三人の方がいいでしょう? 大勢相手なら私のエクスカリバーもお誂え向きだし」

 

 そういってイリナは懐に手を伸ばすと一本の紐を取り出す。取り出された紐はイリナの手の中で瞬く間に姿を変え、一度は破壊され形を失った聖剣『擬態の聖剣〈エクスカリバー・ミミック〉』へと変化した。

 

「修復は既に済んでいたんだな」

「ええ。貴女の『破壊の聖剣〈エクスカリバー・ディストラクション〉』と変わらない程に新品同様よ」

「……もう私の剣じゃないさ」

 

 イリナの言葉に対しゼノヴィアは自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

「分かりました。木場くん、ゼノヴィアさん、イリナさん、では私の方からは――」

「会長、俺が行きます」

 

 名を呼ぶよりも先に匙が名乗りを上げた。

 

「お願いします! 俺に行かせてください!」

 

 真剣な目でソーナを見詰めた後、匙は頭を下げる。

 ソーナは少し悩む。自分たちの側から誰を出すか考えたとき候補として名が浮かんだのは『女王』である椿姫であった。彼女ならば魔術の腕も長けており、『神器』の能力も合わさって先陣を切る者たちの補助に向いている。

 しかし、匙の能力もまた魔術師たちとの相性もいい。だが、それはあくまで『神器』の能力であって、匙自身は身を守る様な魔術など使用できない。

 どうするべきかと真剣に悩むソーナであったがその最中突如として両頬を掴まれ、左右に引っ張られるという事態が起こり、思わず考えを中断して顔を上げる。

 そこには眼前一杯に広がるセラフォルーの笑顔があった。

 

「お、おねえひゃま! ひったいなにほ!〈お姉さま! 一体何を!〉」

「ソーナちゃんの顔がすっごく怖かったからついやっちゃった☆」

 

 真剣な場の空気が一瞬にして緩む様なセラフォルーの行動に、ソーナは頬を引っ張られたまま抗議するが、セラフォルーは会議の場では見せなかった無邪気な笑みを浮かべ、惚ける様な態度をとる。

 

「ひゃのみますから、ひんけんになってくだはい!〈頼みますから、真剣になって下さい!〉」

「私はいつだって真剣なんだからね、ソーナちゃん! 魔王のときも魔法少女の時も!」

「ほういうほとではなふて……〈そういうことではなくて……〉」

「だから自分以外のヒトが真剣かそうじゃないかって一目でわかるの。サジ君はものすっごく真剣にお願いしているよ?」

 

 自分を後押しするセラフォルーの言葉に、匙は驚いた表情を向けた。

 

「でふが……〈ですが……〉」

「サジ君は神器使いだったよね? 神器を使うのに必要なのは強い想い。今のサジ君だったら十分想いがあると思うけどなー。それにサジ君を眷属に選んだのはソーナちゃんだよね? ソーナちゃんが自信を持って選んだ眷属が『自分には出来る!』って言っているのに主人であるソーナちゃんがそれを否定するのはどうなのかなー?」

 

 いつもは妹をこれでもかと甘やかしているセラフォルーの口から、溺愛しているソーナに向けて明らかに挑発ととれる言葉が向けられた。

 セラフォルーの性格を知っている者からすれば珍しいことであり、事実ソーナの眷属たちは皆目を丸くしている。

 ソーナは暫しの間セラフォルーを見詰めていたが、やがて頬を掴んでいたセラフォルーの手に触れてそれを離す。それと同時にセラフォルーから目を離し、匙の方へと向けた。

 

「なら匙、貴方も木場君たちと同行しなさい。――くれぐれも気を付けて」

「――はい! 絶対に無事に戻ってきます!」

 

 願いを聞き届けられた匙は一度頭を上げた後、再び勢い良く頭を下げた。

 

「では残りの人員も決めましょう」

「状況が状況だったらソーたんの為だったらお姉ちゃんも一肌脱ぐつもりだったんだけなー」

 

 悔しそうな表情をするセラフォルーに、ソーナは少しだけ柔らかい笑みを見せる。

 

「いえ。お姉さまの手は煩わせません」

 

 ソーナの毅然とした態度に皆の士気が高まるのを見ていたミカエルは、頼もしさを感じていた。天使としてあるまじきことだと自覚しているが、今後の成長を楽しみに思えてしまう。

 そのとき人知れずミカエルは微かに顔を顰めた。

 学園と学園の外を守る為に張った結界。その外と内を隔絶する結界にまるで雑音の様な、ほんの僅かな違和感を覚えたのだ。

 あまりに一瞬であった為、何が起きたのか把握出来なかった。通常ならば魔術師の放った魔術の流れ弾が当たったのか、あるいは魔王や魔人の攻撃の余波を受けたのかと考えるところであるが、何故かミカエルの胸中には言い様の無い不安が芽生えていた。

 

 

 

 

 部室へと転送された一誠たちは、目の前に広がる荒れた部室に驚く。

 中央に置かれていたソファやテーブルは部屋の隅にひっくり返った状態で置かれ、本棚に置かれた資料等も床に散乱し、いつもリアスが座っている部長専用の机は壁にめり込み半壊している。そして、何より破壊が目立つのは部室の入り口と、丁度反対側にある窓際である。

 入口は扉が吹き飛び、壁も一部崩れ落ちて拡がっており、窓際もまた窓ガラスが窓枠と壁ごと綺麗に吹き飛んでおり、そのまま旧校舎の庭が見える。

 

「どうやらシンたちは魔術師たちとここで一戦交えたらしいわね」

「くそ! 俺達の部室を!」

 

 放課後の大半を過ごしてきた部室がここまで無残に破壊されたことに、一誠は怒りを露わにする。リアスもまた表情には出していないものの、色々な思い出が詰まる場所をこのようにされたことに静かな怒りを見せる。

 両者共に魔術師たちの仕業だと勘違いをしているが、実際にここまで荒らしたのはシンである。しかし、それを知る術は今の二人には無かった。

 

「こんなのを見せられたら二人が心配です! 早く探しに行きましょう!」

「ええ。分かっているわ。でも少し外で待っていてくれるかしら?」

「どうしたんですか?」

「念の為に『悪魔の駒』を回収しておくわ。あれが敵の手に落ちたら厄介なことになるから。すぐに済むけど少しの間、見張っていてくれるかしら?」

 

 その言葉に一誠は納得する。『悪魔の駒』には悪魔しか知りえない特殊な技術が組み込まれている。それが一つでも相手の手に渡ったら、悪用されるのは明らかであった。

 

「分かりました。誰が来ないか見張っておきます」

 

 そう言って一誠は半壊した入口から外へと出る。

 リアスはすぐさま壁にめり込んでいる自分の机に近寄る。幸い駒が入っている引き出しの部分は壁に入り込んでいなかった為、すぐに取り出せる状態であった。

 引き出しの取っ手を掴み、短い詠唱をする。それによって引き出しに施されていた魔術が解け、引き出せる状態となる。

 リアスは取っ手を引き、中に入っている塔の形をした『戦車』の駒を取り出し、無くさない様に懐の中へと入れる。

 そして、そのまま一誠と合流しようとしたとき――

 

「美しい色をしている。――やはり赤は良い」

 

 不意に髪を手で梳かれる感触と髪の色を褒め称える声に、リアスの動きは止まった。

 何時。いったいどうやって。あまりにも簡単に後ろを取られたことにリアスは激しく動揺する。

 

「赤は私が最も好きな色だ。まるで鮮血を彷彿とさせる。――ふふふ。女性の髪を褒める言葉としては不適切だったかな?」

 

 背後で囁く声。若いとも老いているとも言える声から年齢の判断が分かり辛い男の声に、リアスは答えることが出来なかった。

 殺意も殺気も無く他愛も無い言葉を発しているだけなのに体、否細胞の一つ一つから熱が奪われていくような感覚。それによって生まれる悪寒にリアスは身体を震わせる。

 心臓の鼓動が早まり、体の内に鼓動音が響き渡る。

 背後に立つ人物の顔を見ることも、すぐ近くに居る一誠に助けも呼ぶことも出来ず、ただの少女の様に独り恐怖に身を蝕まれていく。

 

「そんなに怯えなくてもいい。私は貴公に危害を加えるつもりはない。ここに寄ったのも偶然だ。貴女からは私の知る人物と同じ気配を感じたのでね」

 

 リアスに対し背後に立つ人物は優しく喋りかけるものの、声色一つでリアスの恐れが消える筈も無い。

 しかし、その人物は構う事無く話を続ける。

 

「この真紅の髪。そして、高貴さすら感じさせる魔力の香り。グレモリーの名を持つ者だと見受けするが?」

「わ、……私、は……」

 

 自分の家名を出されたことで僅かながらリアス自身の誇りが刺激されたのか、震え、途切れながらもリアスの口から言葉が出る。

 

「サーゼクスは息災かな?」

 

 兄であり、敬愛する魔王の名を出されたことにリアスは心臓の鼓動が一段と速まったのを自覚した。

 

「あ、貴方は、い、一体……」

「ああ、これは失礼。私としたことが随分と浮かれていたらしい。名乗りも無くものを問うとは」

 

 梳いていた手を降ろし、代わりにリアスの耳元に口を寄せ、囁くように自らの名を告げる。

 

「私の名はマタドール。貴女には『魔人』という名の方が良く伝わるかね?」

 

 ほんの一瞬ではあるが、リアスは心臓の動きが停止したと思った。言葉の意味を理性が判断するよりも先に、生きる者としての本能がその言葉が何を意味するのかを察知し、恐怖を知るよりも先に意識を断とうと判断した結果である。

 しかし、リアスは正気を保ったまま言葉の意味を頭で理解したとき、全身から冷や汗が流れ、震えはより激しさを増す。

 遥か昔より御伽噺の様にして語られてきた存在。それがあまりにも唐突に、あまりにも近くに現れたのである。

 

「では改めて問わせてもらおう。サーゼクスは息災かな?」

 

 再び同じ質問をしてくるマタドール。だがリアスは声を出すことが出来なかった。喉の奥が凍てついた様に動かなくなり、声を発するどころか呼吸すら満足に出来なくなっていく。

 リアスはマタドールの気配に完全に呑みこまれていた。

 

「先程も言っただろう? そんなに怯えなくてもいい、と。ただ私は旧友の今を知りたいだけなのだ」

 

 答えられないリアスを気遣う様な話し方であったが、その身から生み出される死が匂い立つ気配は、決して和らぐことはなくリアスの心を蝕む。

 そのとき、新校舎の方角から異なる二つの魔力が発せられた。どちらも質、量ともに異常とも言うべきものであり、遠くにある筈なのにまるで近くで起きているかのように肌で感じられるものであった。

 その内の一つはリアスにとって良く知るサーゼクスのもの。もう一つの魔力の気配は覚えの無いものであったが、魔王と互角に張り合える力を持った存在などあのとき現れた魔人、だいそうじょうのものとしか考えられなかった。

 

「――どうやらサーゼクスの力は今も健在らしい。いや、少し丸くなったな」

 

 マタドールもリアスと同じく魔力の気配から、持ち主の存在を感じ取っていた。

 

「相手は……ふん、あの偽善者か」

 

 穏やかで紳士的とも言える口調であったマタドールの話し方に嫌悪と侮蔑の色が混じる。リアスに向けられてはいないとはいえ、聞くだけで体温が数度下がるような気分であった。

 

「――まあ、良しとしよう。目的はサーゼクスではないのでね」

「目、的?」

「それは後のお楽しみだ。まずは舞台を整えなければならない」

 

 戦うにはそれ相応の舞台が必要だ、と言いながら背後に立つマタドールの気配が離れて行くのをリアスは感じていた。

 

「では一旦去るとしよう。向こうに居る赤龍帝にもよろしく伝えておいてくれ。御嬢さん」

 

 そう言葉を残し、マタドールの気配は完全に消え去った。

 

「部長、まだですか?」

 

 一向に部室から出てこないリアスを心配して、一誠が教室を覗き込む。時間にすれば二、三分程度のものであったが、すぐに済むと言っていい程の時間では無い。

 

「部長?」

 

 返事が無いリアスに一誠は訝しげな表情をしながら近付くと、いきなりリアスに抱き付かれる。

 

「え? ぶ、部長! どうしたんですか?」

 

 リアスの突然の行為に驚き、あたふたしながら赤面する一誠であったが、抱き付くリアスの異変にすぐに気付く。

 一誠の胸に顔を押し付けながら、リアスは寒さに耐える様に震えていた。

 

「部長? 部長!」

 

 一誠の声が聞こえているのか聞こえていないのかはリアス本人にしか分からない。だが今のリアスにはただ震えることしか出来なかった。

 リアスが一誠に抱き付いている時を同じくして、旧校舎内を駆けながら目的の存在を探している魔術師たち。

 数名が固まって行動しているが中々目的の人物が見つからず、徐々にではあるが苛立ちが募っていた。

 人間が悪魔、堕天使、天使に反逆の意志を見せる。その大事な刻を自分たちの失態で穢したくないという使命感からくる焦り。それが今の魔術師たちの裡に共通してあるものであった。

 先頭を歩く魔術師が廊下の窓を曲がったとき、何故かその場で急停止する。他の仲間は曲がり角付近でいきなり立ち止まったその魔術師に対し驚いた様な眼を向けるが、次に起こる展開にその眼は更に見開かれる。

 角を曲がっていた魔術師がゆっくりと後退をしていく。最初は他の魔術師たちには背しか見えなかったが、徐々に姿を現していったときその魔術師の首に白骨の手が喰い込んでいることと苦しみに悶える顔をしていることに気付く。

 

「勝利という戦う者にとって最高の栄誉を得るには何が必要だと思う?」

 

 魔術師の姿が露わになるにつれ、その白骨の手の主の姿も又魔術師たちの前に晒されていく。

 瑪瑙色服に黄金の刺繍がされた衣服。モンテラと呼ばれる、両端が突き出た闘牛士が用いる専用の帽子。そして何よりも目を引くのが、全ての肉が削ぎ落とされ白骨を曝け出す体。

 裏の世界を知る者ならばその姿を見てある単語が頭を過ぎり、そして恐怖する。

 

「ま、魔人!」

「魔人マタドール!」

「何故……何故ここに!」

 

 驚愕する魔術師たちを余所にマタドールは、魔術師たちの目の前で首を掴んでいる魔術師の心臓に、魔力によって生み出したバンデリージャ(銛)を容赦なく突き立てた。

 心臓を貫く一撃に魔術師の身体は一瞬痙攣した後、二度と動くことはなくなった。

 

「最高の栄誉にはそれに相応しい最強の戦士。そして至高の戦場が必要だ」

 

 マタドールは周囲の反応に一切構うことなく独白を続けていく。

 

「最強の戦士は私がいる。だが至高の戦場にするには些か邪魔なものが多い」

 

 そう言いながら亡骸となった魔術師を放り捨てた。

 

「故にご退場願おうか。我が同類を迎えるのに相応しい場を作る為に」

 

 マタドールの手に新たな銛が握られる。

 

「さあ。間引きの時間だ」

 

 

 

 

「くぅ……」

 

 苦しげな声を出しながら魔術師が倒れていく。

 

(あと四人……)

 

 それを心の中でカウントしながらシンは残る四人の姿を見ていた。

 足止めし始めてからそれなりの時間が経過しているが、まだ時間を停められている片足は動かない。

 あの後、何度か増援が来たせいでまだ無傷の状態の魔術師が四人も残っている。しかし、一帯には残っている魔術師たちの倍の数が地面に倒れていたり、壁に寄りかかって気絶している。

 一方でシンの方は動けない程の傷は負ってないものの、右肩の一部分が制服ごと焼かれ、その下の肌が赤く爛れており、同じく右脇腹には裂傷が刻まれそこから流血をしていた。どちらも魔術によって出来た傷であり、見えてはいるが動きを制限されている為に受けた傷である。

 魔力もかなり消耗しており、本来ならば接近戦を好むシンであったが、足のせいで中距離戦をしなければならなくなっており、その為の技にかなり魔力を注ぎ込んでいた。完全に空になっている訳では無いが、これから先の戦いの事を考えるとあまり芳しくない消耗である。

 

「何て奴!」

 

 女魔術師の一人が独り粘るシンに、忌々しさと恐れを込めた言葉を吐いた。

 ハンデを背負っている状態で、魔術師たちを魔術とは言えないような独自の魔力操作によって圧倒する。魔術に生涯を捧げてきた者からすれば屈辱以外の何物でもなかった。

 このような存在を認めることは出来ない。共通した思いが魔術師たちの間で芽生える。

 ならばどうするか。

 魔術師たちは目配せしながら魔術によって考えを共有し、密かに策を練る。ただし仕留めるならば早くしなければならない。

 偶然にも味方の神器によって動きを制限されているが、時間が延びれば延びる程神器が解放される確率が高まっていく。

 故に決着は瞬時に付けなければならない。

 皆の考えが統一されたのか互いに向けていた視線が離れ、シンの方へと向けられる。

 シンは自分に向けられる目を見て僅かに表情を険しくさせた。顔付き自体は変わらない。だが明らかに何かを覚悟した様な表情をしていた。

 魔術師たちが一斉に術を唱え始める。それを見てシンも右手に魔力を集束し始めるが、そのとき魔術師たちが意外な行動に出る。

 詠唱したままその場を同時に駆け出したのだ。

 今まで距離を取って攻撃してきた魔術師たちが自ら距離を詰めていく。その姿にシンの勘が警鐘を鳴らす。

 魔術によって身体能力を向上させているのか走る魔術師たちの速度は常人を上回るものであり、夜の悪魔と同等以上の身体能力を見せている。

 予想以上の速さで接近する四人に対し、シンは右手に創りだした魔力剣を振るう。だがこのときシンは舌打ちをしてしまいたいような衝動に駆られた。

 急接近してくる四人の速さに釣られ、魔力剣の集束が甘い状態で剣を振るってしまっていたのだ。内に溜め込んだ魔力の密度が十分では無い為、剣の崩壊と共に外へと向かって放たれていく衝撃も当然弱まる。

 魔術師たちも狙ってそれをやった訳では無かったが、予想に反した行動が吉と出た結果である。

 前方から迫る空間が歪んで見える魔力の波に対し、他の魔術師たちよりも前に出ていた二名が両手を前方へと突き出す。

 突き出した手から魔力の光が溢れ出し、それが一枚一枚繋がった壁の様な形へと変化し、身を守るための防壁と化す。

 魔力波と魔力壁。その二つが衝突し合う。拮抗は一瞬。魔力波によって壁に無数の亀裂が生じ、次々と剥がれその奥にいる魔術師たちを呑み込もうとするが剥がれ落ちた壁の向こうに更なる壁が現れた。

 二枚重ねの魔力壁。一枚目で威力を削がれた魔力波では二枚目を一瞬で崩すことが出来ず、その間にも魔術師たちが距離を詰めていく。

 しかし、それでもシンの熱波剣は削がれた威力でも二枚目の魔力壁に徐々に亀裂を生じさせていく。

 細かい亀裂が繋ぎ合わさり大きな亀裂となり、それが壁の破壊へと至ったとき、防いでいた魔力波が亀裂をこじ開け、中にいる魔術師たちに今度こそ襲い掛かった。

 前方に立つ二人の魔術師の身体を呑み込み、そのまま後方にいる残りの魔術師二人へと襲い掛かる――このときまでそう考えていた。

 予想は前二人の魔術師を呑み込んだ瞬間から覆される。

 魔力波にその身体を包まれると同時に魔術師たちの体から閃光が溢れ、次の時には小規模ながらも爆発が巻き起こる。

 包んでいた魔力波だけでなく周囲を纏めて吹き飛ばし、視界が遮られる程の粉塵が狭い廊下に舞う。

 自爆。その二文字が頭の中に過ぎる。決して侮っていた訳では無い。相手を低く見てもいない。だからこそそんな相手が身を犠牲にした行為をする現実に暫し、呆気にとられてしまう。

 寧ろシン自身は自分のことを過少評価している節があり、こんな自分に対しここまでするのか、という思考がシンの行動を鈍らせてしまう。

 舞う粉塵を突き破り、二人の魔術師が姿を見せる。予め爆発のタイミングを合わせていたのか仲間が自爆しても事前に防御していたのか傷を負っておらず、また取り乱すことなく冷静とも言える動きでシンに向け、魔力が充填された手の平を向けた。

 距離にすれば二メートル程しか離れてはいない。だがその場から動くことが出来ないシンには絶対に届かない距離である。

 それを分かっていて魔術師の一人がシンの身体の中心を狙い、渾身の魔力弾を放つ。

 放たれたと同時にシンは避けきれないことを悟り、ならばどうするか一秒にも満たない時間の中で頭を働かせる。

 そのとき脳裏に過ぎるコカビエルとの決着の間際の行為。思い付くと同時にシンの身体は突き動かされていた。

 迫る魔力弾に向かって右手ではなく左手を突き出すシン。

 左掌に魔力弾に触れた瞬間、形作られていた魔力が一気に形を崩し、シンの左手の中へと吸い込まれていく。

 掻き消すわけでも無効化するでもなく、自らの裡へと取り込む『吸魔』と呼ぶべき現象。それを目の当たりにした魔術師たちは驚愕の表情と化したが、その間に吸い込んだ左掌から今度は蛍光の魔力弾が放たれ、魔術師の胴体へと直撃するとそのまま遥か後方へと吹き飛ばされていく。

 最後に残った魔術師が次は自分だと身構えるが、どういう訳か二撃目が来ない。

 不審に思う魔術師の前には、何かに耐える様にして歯を食い縛るシンの姿があった。

 コカビエルと戦った際、コカビエルの腕に宿る炎を吸収し自分の力へと変えた。今回も同じことをした筈であったが、魔術師の魔力を吸収した際、吐き気を覚えるような異物感が全身を駆け巡った。

 何とか出せられるだけの魔力を放ったが、すぐさま視界がおかしくなり、胃袋の裏表が変わったかのような嘔吐感、悪寒などがシンの身体を襲う。

 一度しか使ったことの無い技であったが、これほどの反動が来るとは思っておらず、戦いの最中にこの技に対する練度の低さを自覚させられてしまう。

 魔術師の方は突如体調を崩した相手を見て、降って湧いた絶好の機会に躊躇う事無くシンの頭部を狙い、魔力の輝きを放つ掌を向ける。

 言うことを聞かない体を何とか動かそうとするものの、既に避けられる間合いではなく、時間も無い。

 こうも呆気なく終わってしまうのか。そう考えたとき――

 前触れも無く廊下に嘶く声。

 犬や猫などの小型の動物では無く、もっと大きな獣の声。

 それが何の動物の声かと思うよりも先にシンの影の中から黒く、太い縄の様なものが飛び出したかと思えば魔術師の身体に巻き付く。

 

「何! 何なの!」

 

 同じような心境であるシンの眼の前で、その黒い縄の様なものは魔術師の身体を一気に締め上げる。

 骨の砕ける音が響き、締め上げられた魔術師の目は大きく見開かれたかと思えば白目になり、そのまま口から泡を噴き始める。

 何故か既視感を覚える光景だと思いながらシンの影から現れたものは気絶した魔術師を教室の方へと容赦など微塵も感じさせない動きでゴミの様に投げ捨てる。魔術師は半壊した窓ガラスを突き破って教室の中に消えていった。

 一体何が起きているのかと自分の影に目を落とした時、思わず身を固くする。

 影の中心にシンを見上げる眼が一つ。白の強膜の中心に黄色の瞳が爛々と輝いている。影の中の眼と眼が合う中、流石にどう反応すればいいのか分からず沈黙が続く。

 が、先に沈黙を破ったのは影の方からであった。影から伸ばした縄状の物体の先端から気の抜けた様な音がすると影の中の眼は徐々に閉じ始め、やがて縄状の物体も影の中へと収まり完全に消えてしまう。

 前触れも無く現れたかと思えば、何も言わずに消えてしまった眼に対し、戸惑いつつも自分の影を爪先で軽く叩く。だが何も反応は返ってはこなかった。

 

(一体どうなっているんだ……)

 

 何時の間にか自分の影の中に住みついている謎の存在に対し、シンは頭を抱えそうになるが、このとき唐突にあることを思い出す。

 コカビエルとの戦いが終わり、ソーナからアダムもといマダという人物から伝言を聞かされたときのことである。

 

『詫びとして『ソレ』はお前に預けておく』

 

 それをソーナから聞かされたとき、全く心当たりが無かった為に意味不明な伝言だと思っていたが、もしマダが言う『ソレ』というのが今、影の中に現れた存在だとしたら――

 

(……取り敢えず味方、ということでいいのか?)

 

 詳細が判らない為、断定するのは危険かもしれないが、危機を救ってくれたことは事実ではあるので、ある程度は警戒しなくてもいいのかもしれないと内心考えた。というよりも他にやることが多すぎて、いちいち気に留めておく余裕も無い。

 そのとき、今まで時間を停められて、廊下に張り付いて動かなかった足に感覚が戻ってくる。試しに軽く足を持ち上げると廊下から足が離れた。ようやくギャスパーの神器の効果時間が過ぎたらしい。

 これでギャスパーたちを探せると思い、離れているピクシーたちに心の中で呼び掛けようとしたとき――

 

――息が止まった。

 

 呼吸を忘れてしまう程の圧力、そして寒気。今まで何も感じていなかったのに、突如として全身をそれらが這う。

 戦いの後の余韻を全て吹き飛ばすほどの危機感。生まれた初めて味わう感覚であった。

 

(……見られている)

 

 どこからかは分からないが、体全体に感じる誰かの視線。それを向けられるだけで身体が穿たれそうな錯覚を覚える。

 少し前に旧校舎の方角から感じられた気配と酷似したものを感じられるが、それとは決定的に違うものがあった。

 向けられたこの気配には一種の血生臭さのようなものがあった。あくまでイメージのようなものではあるが、その気配に触れるだけで体内の血のニオイが溢れるような、死が付き纏う吐き気のするイメージ。

 吸魔によって崩れた体調も、それによって上書きされてしまう。

 気付けばシンはその場から走り出していた。何故自分が走り出したのかは分からない。あるいは少しでも謎の視線から逃れる為に、無意識に体が動いたのかもしれない。

 このような状況ではギャスパーたちを探すこともままならない。それどころか自分の身すら守れる保証も無かった。

 取り敢えず合流するのは後回しにし、全力で廊下を走り、角を曲がる。視線が少し弱まるのが感じられた。

 だが直後に別の方向から視線を感じ取り、向きを変えて走り出す。

 移動する度に感じられる視線。それに対しシンはあることを思う。

 

(誘導されている)

 

 どこに行くか導かれている感覚。未だに見えない相手によって動かされていると、何となくではあるが感じ取っていた。

 しかし、分かったからといってどうすることもできずただ走るシン。そのとき前方にあるものを発見する。

 無数に横たわる魔術師たちの体。誰もが血を流し、流れた血で廊下が一色に染まっている。

 うつ伏せになって倒れている者。仰向けになって倒れている者。格好はばらばらであるが、誰もが心臓の位置に穴を穿たれ、そこから大量の血が流れ出ている。

 まだ乾いては居らず、黒く変色していない血溜まりの上を駆ける。上履きが血を吸い、踏み込んだ勢いで血が跳ね、ズボンの裾を汚す。

 それだけでも最悪な気分になるが、仰向けで倒れている者たちの顔を見たとき、更にその気分はマイナス方向へと落ちて行く。

 何処を見ているのか分からない焦点の無い目。全身が弛緩したことで半開きになった口。

 シンとて死んだ人間を見たことが無い訳では無い。だがそれは葬式などといった整った格好にされた死体。今の様に死んだ直後の人間を見るのは初めてのことである。

 明らかに抜け落ちたと思わせる死に顔、それが否が応にも脳裏に刻まれていく。

 陰鬱な気分で死体が重なる場所を抜けながらシンは駆けるが、その気持ちが晴れることは無い。

 ふと目線をずらせば他の通路にもたれて息絶える魔術師たちの姿が何人も見えているからだ。

 誰がやったのか、考えなくても察する。今、自分に纏わりつくような視線を向けている存在。それが行ったのだと、根拠が無いが何故か確信出来た。

 気付けば旧校舎の玄関口まで来ている。しかし、そこには誰の姿も見えない。入口を抑えている者たちがどうなったのかは、ここまで来た過程でおおよそ予想が出来る。

 玄関を抜けた直後、眼前に広がる黒一色。思わず後ろへと飛び去る。数歩離れたことで目の前に広がっていた黒が、十二枚の黒翼であることが分かる。

 

「お前は……」

 

 十二の黒翼の持ち主――アザゼルは背後に現れたシンに少しだけ驚いた表情を向けた。

 

「脱出したのか? あのハーフヴァンパイアはどうした? リアス・グレモリーと赤龍帝とは合流していないのか?」

 

 アザゼルの口から出てきた言葉に軽く衝撃を受ける。リアスと一誠がこの旧校舎に来ているらしいが、姿など見ていない。得体の知れない存在が居るこの旧校舎にまだ居るかも知れないと考えると、嫌な汗が背中に流れる。

 

「余所見をしていいのですか?」

 

 頭上の声と共に強力な魔力が雨の様に降り注ぐ。

 アザゼルは手を振るうとその軌跡に合わせて光の膜が現れ、降り注ぐ魔力から自分とシンの身を守った。

 

「まさか俺の方が先にお前と会うなんてな。名前、なんだったかな?」

「……間薙シンです」

「なら、間薙シン。俺から離れるなよ」

 

 短い名乗りが終えると同時にアザゼルは再び腕を振るう。それに応じてアザゼルの周囲を守っていた光の膜は大きさを増し、魔力の雨を押し返していく。

 

「チッ!」

 

 舌打ちが鳴ると魔力の雨が止む。これ以上は無駄射ちと判断した為であった。

 

「流石は堕天使総督。これほど手こずるとは……」

 

 ここで初めてシンは声の主の姿を見た。

 褐色の肌に扇情的な衣装を纏う妙齢の女性。どこの誰かとは言わないが、見れば喜びそうな色気のある女性である。

 

「あれが旧魔王派という奴ですか?」

「知っていたか。なら話は早い。旧四大魔王の直系、カテレア・レヴィアタンだ」

 

 サーゼクスやセラフォルー並みの魔力を持つことや旧校舎内で聞いた魔術師の話から推測して、アザゼルに小声で尋ねてみたシンであったが、推測は当たりであった。尤も当たった所で何一つ嬉しいことはなく、寧ろ状況が最悪な方向へと傾いていると感じていた。

 

「そこの子、この建物から出てきましたが……何者かしら? 人間? 悪魔? 貴方からは何か嫌な感じがするわ」

 

 シンを視るカテレアの眼が厳しくなる。一目見てシンの特異性に気付いた様子であった。

 

「私たちの策が上手くいかなかったのは貴方のせいかしら?」

「――さあ」

 

 恐らくはギャスパーを拉致しようとしたことを指しているのであろうが、正直に答える義理などシンには無いので適当な言葉を返す。

 

「――ッ まあいいわ。仮に貴方が原因だとしたら結果として余計な被害を生むことになったわね」

 

 シンの態度に一瞬額に青筋を浮かべるが、すぐに加虐的な笑みでそれを覆い隠す。

 

「被害?」

「本来ならばあのハーフヴァンパイアの神器でこの場に居る殆どの者たちを停止させる筈だった。でも貴方が妨害したせいで不要な犠牲を出さざるを得なくなった。知っているかしら? 三勢力の軍勢、全滅したのよ」

 

 まるで全ての責任がシンにあるかのような口振りであったが、シンとしてもそのようなことが起きていたことを初めて知ったので、少なからずとも衝撃を受ける。

 関係無いと一蹴すればそこまでだが、シンの性格上そのように切って捨てる様な言葉が簡単に出ず、口を真一文字に結んでしまう。

 

「はっ!」

 

 声を出さないシンの代わりにアザゼルがカテレアの言葉を鼻で笑った。

 

「語るに落ちるってのはこういうことを言うんだな、カテレア。自分たちのことを棚に上げてガキにその責任を押し付けるような真似するとは。まったく本当に傍迷惑な連中だぜ」

 

 アザゼルはカテレアに嘲笑を向ける。

 

「もう一度言ってやるよ。お前、器じゃねぇよ」

 

 アザゼルの一言でカテレアの加虐的な笑みは瞬時に剥げ落ち、憤怒が下から現れる。

 

「……いいでしょう。二度もその台詞を吐いたことを後悔させてあげます」

 

 カテレアは懐から小瓶を取り出す。小瓶の中には宙を泳ぐ小さな黒い蛇。蓋を開けるとカテレアはそれを一気に呑み込んだ。

 その途端、カテレアを中心に大気や建物が細かく震える程の圧力を持った魔力が場に生み出された。魔力の量が一気に跳ね上がり、先程の比では無くなる。

 

「おいおい、なんだそりゃ」

 

 軽口を言うアザゼルであったが、僅かに表情が引き攣っている。

 

「素晴らしい……これがオーフィスの『無限の龍神』の力……」

 

 自らの裡から溢れ出る力に酔いしれる様に力の源の正体を語るカテレア。

「あの爺の力を借りたと思ったら今度はオーフィスの力を借りたのかよ。――節操ねぇな」

「ふふふ。何とでも言いなさい。最早貴方など怖れるに足りません」

 

 アザゼルの挑発にも余裕に満ちた態度で返しながら、その両腕に青黒い魔力の光を宿す。

 

「さあ、ここで――」

「その力、私も興味があるな」

 

 場に響く軽い音。すぐに消えて無くなってしまいそうになる程小さな音であったにも関わらず、やけに耳に残る音であった。

 その音が自分の身体から鳴ったことに気付いたカテレアは視線を落とす。

 彼女がその時見たのは、自分の胸部から突き出す白銀の刃。

 

「……最悪だ」

 

 アザゼルは吐き捨てるように言う。

 シンはその光景から目を離すことが出来なかった。何の前触れも前兆も無く現れ、気付けばカテレアの背後から刃を突き立てる存在から。

 皮膚も肉も眼球も無い、全てを削ぎ落とし白い骨を曝け出す異形の存在。死と血のニオイを場に満たし、見る者全てに畏怖を与える。

 初めて会ったのにシンはその存在が何なのか理解した。確信を持って言えるこの存在は――

 

「今宵、全ての勝利は私が頂こう。最強の戦士にこそ最上の勝利が齎される。即ち私、マタドールに齎される」

 

――『魔人』であると。

 

 




新たな仲魔の存在を示しつつ、魔人を本格的に出すことが出来ました。
ちなみに作中の設定では魔人は一部を除いて皆仲が悪いということになっています。

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