ハイスクールD³   作:K/K

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黄金、混戦

 先端から血の雫を垂らす剣がカテレアの胸から引き抜かれる。それと同時に宙に飛んでいたカテレアの身体は地に落ち、土煙を上げながらうつ伏せの状態で着地するとそのまま動かなかった。

 カテレアを背後から突き刺した本人である、闘牛士の衣装を纏った白骨――マタドールもまた、宙から地に音も立てずに降り立つ。

 

「――何でお前も来てんだよ」

 

 マタドールに向かってアザゼルは苦虫を噛み潰した表情をしながら問う。口振りからして、顔見知りであることが分かる。

 

「戦い、それもこのような大規模なものとなれば私が駆け付けるのは必然。闘争と勝利の気配を私が見逃がすと思ったかな? アザゼル」

 

 マタドールはおどろおどろしい見た目とは裏腹に饒舌に喋る。が、その最中に血の付いた剣を振り払い、血や脂を飛ばす。

 

「……ヴァーリならここには居ないぞ」

「確かに。少々残念だが仕方ない。もっともこの場に訪れたのはそれや戦いだけが目的ではないのだがね」

「何だと……」

 

 それを聞き、信じられないという表情をアザゼルは見せる。それを横目で見ていたシンだがこれほどの顔になるということは、目の前の存在は余程戦いが好きだと見える。

 

「この場に訪れた理由、それは新たに生まれた私の『同類』の顔を一目見ようと思ってね」

「『同類』の顔だと……?」

 

 その言葉を聞きアザゼルの目線が自然にシンへ向けられ、そしてマタドールの眼球の無い眼窩もまたシンへと向けながらその場から歩き始める。

 

「ふむ。造りは異なるがこの気配、間違いない。貴公が新たに産声を上げた魔人だな」

 

 マタドールの口から断言されたとき、意外にもシンの胸中は穏やかなものであった。事前に他の人物たちから言われていたせいもあるかもしれないが、『魔人』という存在から自分が『魔人』であること告げられ、変な話ではあるが『腑に落ちる』ような感覚があった。

 

(晴れて俺も人外か)

 

 あるいは、人と魔の境界を彷徨っていた自分が、マタドールの言葉を受けてようやく魔の領域に入ったことで、ある種の吹っ切れた様な気持ちになったのかもしれない。

 尤も、晴れやかな気持ちには程遠いが。

 

「名を尋ねてもよろしいかな?」

 

 独りそんなことを考えているシンの耳に、名を聞いてくるマタドールの声が入ってくる。

 

「……間薙シンだ」

「間薙シン。ほう、まだ『人』としての名を持っているのか」

 

 名を告げるシンにマタドールは興味深いといった声色を出す。

 

「『人』としての名?」

「魔人は過去の名を名乗らない。名乗るとしても魔人としての名のみだ。まさか私のマタドールという名が本名だとは思ってはいないだろう?」

 

 軽く肩を竦めながら言う姿は、見ようによっては愛嬌を感じさせるかもしれなかったが、周囲に振り撒く瘴気のような気配が、それすらも他者への恐怖へと変える。

 

「貴公の気配を感じて間も無い。仕方の無いことか」

 

 一人納得するマタドールを見ながら、シンは奇妙な感覚を覚えていた。

 初めて会った筈なのに、何処か会ったことのあるかのような既視感。その挙動を見て、喋り方を聞きながら、遠い何処かでこのような対峙をしたかのような、ありえない感覚。今まで一度も魔人など見たことは無く、マタドールも今初めて会った存在にも関わらず。

 

「話はそれで終わりか?」

 

 シンの前に立つようにしてアザゼルが一歩前に踏み出す。それを見てマタドールは足を止めた。

 

「やれやれ。折角、新たな同類と言葉を交えているのだ。ここは静観するのが大人としての嗜みではないのかね?」

 

 割り込むようにして喋りかけてきたアザゼルに、マタドールは大袈裟な仕草で首を振る。

 

「そんなに殺気を振り撒いている奴を黙って見ている方がどうかしている。それにこっちもお前には色々迷惑を掛けられたからな」

 

 アザゼルの声に僅かではあるが怒気が混じる。

 

「前に俺の戦友〈ダチ〉の一人もお前のせいで腹に風穴を空けられたしなぁ」

「戦友――ああ、バラキエルのことかね? ああ、彼は実に手応えのある人物だった。堕天使の幹部としても『雷光』という異名を持つ者としても素晴らしい実力の持ち主だ。あのときの感触、確かに覚えている」

 

 当時のことを思い出しているのか口調には僅かに熱が入り、少しだけ早口になる。思い出しながら語る表情など、無い筈の白骨の顔がシンには笑って見えた。

 

「彼は今、どうしているのかね?」 

「知ってどうする」

「私がこの手で討ち漏らした数少ない人物だ。生きているのであれば最大の敬意を払いながら――」

 

 マタドールは剣を持っていない方の手をアザゼルに見せつける様にして握り締める。

 

「この手で殺したい」

「……ここ数日の間に三勢力の軍勢の中から何人かが行方不明になったが、あれもお前の仕業か?」

「如何にも」

「目的は何だ?」

「暇潰しだ」

 

 発言と同時にアザゼルは右手を振るう。振り払われた手から数十を超える光の槍が放たれ、それら全てがマタドールを狙い一斉に襲い掛かる。

 一本一本が異なる軌跡を描き、上下左右から全ての逃げ場を奪う様に迫る光の槍の群。しかし、圧倒されるような光景を前にしても、マタドールは微動だにしなかった。

 最初の槍が命中したのか、土煙と土塊が舞い上がりながら着弾音が響くと、それに重なるようにして無数に光の槍が押し寄せる。

 一点へと収束するようにして着弾する槍はやがて一つに束ねられ、真夜中に太陽が現れたかのような眩い光の塊と化す。

 その眩さにシンは目を細める。

 光が収まると中心には抉れた大地の跡のみ。他には何も無い。

 

「物騒なことだ」

 

 その声を聞き、アザゼルとシンはすぐに目線をそちらに向ける。光の槍が集束した地点から数メートル離れた先に、何も無かったかの様に佇むマタドールがいた。

 アザゼルはそれを見て、相手に聞こえる程の大きさで舌打ちをする。

 

「暇潰しに他人を襲っている奴に言われたくねぇよ」

「ははははは。確かに」

 

 アザゼルの嫌味を聞いても余裕な態度でマタドールは笑ってみせる。自らの異常性を自覚しているといった様子であった。

 

「――さて。避けたとはいえ先手を受けたのであればこちらも返すのが礼儀」

 

 マタドールは右手に握る白銀の剣の向く先を地面からシンたちの方に向ける。曇り一点の無い銀色の剣身は空に昇る月の光を受け、その輝きが一層増す。

 剣先をシンたちに向けたまま、剣を後方に引きつつも肩の高さまで持ち上げ、それと同時に左足を一歩前に踏み出し、左肩を前に出す半身の状態となると、左足のみ足踏みさせるという独特の構えをとった。

 一定の間隔で鳴る二度の足踏みの音。タイミングを計っているのか、あるいは意味の無い癖のようなものか。詳細は分からない、ただ一つ言えることは、マタドールが戦闘の体勢に入ったということである。

 

「いざ」

 

 構えるマタドールの姿を見ながらシンは緊張から口の中が乾き、反対に額からは汗が流れる。このとき額から流れ落ちる一筋の汗が眼へと流れ、反射的にシンは目を閉ざしてしまうものの一秒も満たない内に眼を開いた。

 たった一秒未満の暗闇の中で、次に目に映る光景は劇的までに変化する。

 シンの眼前に立つマタドール。その手に握られた剣は既に心臓を目掛け突き出されている。

 初めは自分が引き寄せられたかと思えた。だがシンは今の場所から全く動いてはいない。

 あまりに急であまりに静かな接近。まるで途中の過程を全て省かれたかのようであった。

 避けなければ。そう考え咄嗟に体を動かそうとするものの、反応が無い。だというのに意識だけはマタドールの動きを見ている。

 このときシンは気付いてしまった。事故などのときに一秒が何千分の一の感覚で見えるという、言わば走馬灯。ただその間に過去を振り返るのではなく、目の前の出来事を何千分の一に引き延ばされているのであると。

 たった一瞬で死地へと追い詰められている。

 コカビエルとの戦いで得た新たな左眼。桁外れの動体視力を持つその眼ですら、引き延ばされた状態のマタドールの動きが止まっては見えない。実際にはどれほどの速度で動いているのかは分からないが、少なくともシンの反射神経を軽々と凌駕するものであることは間違いなかった。

 脳、神経、細胞、どれでもいいので動かすことを強く念じる。このままでは、マタドールの剣が容易く自分の心臓を貫く未来しか待っていない。

 どこに力を込めればいいのかなどまるで分かりはしないが、それでも最悪の未来を防ぐ為に体に動く様命令を下し続ける。

 その甲斐あってか指先が僅かに動き、それに連鎖するように手、腕と徐々にだが動き始める。

 しかし、その動きはマタドールの速さと比べれば蝸牛の歩みのようなもの。間に合う速さでは無かった。

 突き出される白刃が胸部十数センチ手前まで接近するが、シンが出来ていることと言えば、動かした腕を僅かに曲げている程度。既に時間切れであった。

 終わる。呆気なく訪れる自分の終焉を予感した次の瞬間、真横から現れた黄金の短剣の腹が迫る刃の先端を受け止める。

 花火の様に火花が散る。剣を受け止めた短剣はそのまま刃を押し当て、上に向けて持ち上げる。

 誰が、何が起きたか、と考えるよりも先に生み出された一筋の希望を逃すまいと、血管が血流で擦り切れるのではないかと思える程、全身の力を右腕一点へと集中させる。

 刻まれた右腕の紋様は蛍光の輝きを増し、鈍かった動きを加速させ、その勢いのまま空いた空間から前方に立つマタドールに向かって拳を放つ。

 だがその拳にマタドールの姿は無く空を切る。

 視線を動かすと、マタドールは既に離れた場所に悠然と立っていた。

 

「――ありがとうございます」

「礼は後でいい」

 

 視線をマタドールに固定したまま自分の守ってくれた人物――アザゼルに礼を言う。アザゼルはシンの胸の前に翳していた短剣を手の中で器用に回し、逆手から順手に持ち替える。

 

「気を抜くなよ。少しでも油断したら即あの世逝きだ。神経をこれでもかってぐらい張り詰めさせていろ」

 

 真剣な口調のアザゼルにシンは無言で首を縦に振る。それを見ていたマタドールは肩を微かに上下させる。どうやら声を出さずに笑っているらしい。

 

「風の噂ではアザゼルは神器の研究に没頭して力を衰えさせていると聞いたが……どうやら噂は所詮、噂らしい」

「はっ。誰が流しているのかは知らないが少なくとも昔よりも弱くなったつもりはねぇよ」

「素晴らしい台詞だ。猛ってくる」

 

 マタドールは言葉通り、その圧力をより高める。より重さが増していく空気、底知れない相手の実力に、シンはただそれに呑み込まれない様に耐えるしかない。

 

「そちらの方も生まれたてにしてはまずまずといった所だ。臆せずに攻めた姿勢は評価できる。もし引いていたとしたら同じ魔人として失望していたところだ」

 

 マタドールの送る賞賛の言葉を聞いても、嬉しいという気持ちなど微塵も湧かない。あくまで評価する側、自分が絶対的有利な立場にある者の言葉である。だが悔しいことに、今のシンにはその立場を崩せる力は持っていなかった。

 

「……何で真っ先にこいつを狙った? 先に仕掛けたのは俺だろうが。魔人の世界にも新人いびりなんてあんのか?」

「あれが私流の歓迎のようなものだ。防げればそれでよし。駄目だったのであれば所詮はそこまで。魔人の力を持つ者に弱者は不要」

「――本当にそれだけか?」

「他に理由があると思うかね?」

 

 この場に於いて最も力が無いのはシンであり、それは本人は勿論のことマタドールやアザゼルも理解していた。しかし、それでもマタドールが最初に刃を向けたのはシンであった。

 隙があったかもしれない、同類として興味があった故の行動かもしれない。だがマタドールという魔人の行動に対しアザゼルは何故か違和感を覚えていた。その違和感が何かまだ分からなかったが。

 

「まあ、どうとでも解釈してくれればいい。さて、次の攻撃も――と言いたいところだが、どうやらまだ場が整ってはいないみたいだな」

 

 マタドールの言葉にシンとアザゼルは怪訝そうな表情をするが直後、咳き込む音が二人の耳に入ってくる。

 

「ごほっ! くっ! うう……」

 

 咳き込んでいるのは倒れ伏していたカテレアであった。カテレアは咳き込む度に血を吐きながら弱々しい動きで顔を上げる。

 

「ふむ。オーフィスの力はどうやら魔力だけではなく生命力も強化するようだ。急所を貫いてもまだ生きているとは。自分の未熟さを嘆くべきか、それともオーフィスの力を賞賛すべきか。まあ、オーフィスの力があの程度では無かったとがっかりさせられずには済んだがね」

 

 顎に手を当てながら悶えるカテレアを見下ろすマタドール。

 

「おい待て。お前、オーフィスと会ったことがあるのかよ」

 

 聞き捨てならない言葉にアザゼルは思わず問う。アザゼルもオーフィスとは一応面識があるものの、そう簡単に会えるような存在では無い。しかも、この戦いに飢えた魔人と『無限の龍神』とが接触していたとなると、それは大事件である。

 

「一度勝負を仕掛けてみたのだがね。見事に振られてしまったよ」

「――お前、やっぱりまともじゃねぇよ」

 

 マタドールの言葉にアザゼルは心底呆れたといった表情となった。『無限の龍神』という存在がどのようなものか知っている者からすれば、マタドールがどれほど無謀なことを試みたのかが理解出来る為に。

 その間にも胸を刺し貫かれたカテレアは刺された胸に手を当て、口から血を流しながら上体を起こす。

 

「私の不手際で不要な苦しみを貴女に与えてしまったな。すぐにその苦しみから解き放とう」

 

 半死半生のカテレアの顔にマタドールの持つ剣の光が当たる。

 

「……ょう」

 

 蚊の鳴く様なカテレアの声。皆、最初にそれが現状に対する恨み言だと思っていた。

 

「……じょう」

 

 二度目に聞こえる声。先程よりも声量が上がり、恨み言ではなく何かを呼んでいる様に聞こえた。

 

「だい、そうじょうっ!」

 

 三度目の声。文字通り血を吐く様な叫び。カテレアが呼ぶのはこの場に居ないもう一人の魔人の名。

 その瞬間、カテレアの身体が淡い輝きの光によって包み込まれたかと思えば、全員が視ている前でカテレアの胸に刻まれた刺傷が一瞬にして塞がれていく。

 傷が治ると同時に、先程まで死に掛けていたとは思えない程の機敏な動きでカテレアは身体を起こすとシン、アザゼル、マタドールへと向かって、青黒い魔力の光弾を無数に放つ。

 

「なんだそりぁ!」

 

 理不尽に思える程瞬時に回復したカテレアに対し、アザゼルは抗議する叫びを上げながら横へと大きく跳び、シンもまたアザゼルの後を追う様にして光弾を避ける。

 シンたちが先程まで居た場所に光弾に触れた途端、不発弾でも埋まっていたかのように爆発。土を上空へ大きく巻き上げる。

 爆発の余波や飛び散る砂利、土などを身に受けながらも、シンは決して目を閉ざすことは無かった。一瞬の瞬きでも即終わりとなるのは、嫌と言う程身に染みている。

 宙に漂う塵すら皮膚で感じる程に、神経を集中させながら周囲に意識を配る。

 視界の端にマタドールの姿を捉える。先程立っていた場所から数メートルの位置に立ち、当然のことながら無傷であり、それどころかその衣服には爆ぜた土の汚れ一つ無い。尋常では無い程の見切りを見せ付けるマタドールであったが、どういう訳か悠然とした態度を崩し、どこか苛立つ様な気配をその身に纏っている。

 

「折角、私が整えた場を荒らしてくれるとはな……」

 

 静かに呟く声には並々ならない怒気が込められていた。端から聞いているだけでも、臓腑が冷たくなるような感覚が襲ってくる。

 マタドールは暗闇を閉じ込めたような眼窩で離れた場所に移動していたカテレアを見た後、今度は旧校舎の方を見る。

 マタドールの行動に釣られてシンもまた旧校舎の方を見る。すると旧校舎内から聞こえてくるざわめく声。先程まで静寂に満ちていた筈の旧校舎内が騒がしくなり始めた。

 瀕死状態であったカテレアの復活、マタドールの台詞、旧校舎内で見た魔術師たちの亡骸。それらが合わさり、シンの脳裏に嫌な推測が浮かび始める。

 

(まさか、治ったのは一人だけじゃないのか?)

 

 その考えを肯ける様に旧校舎の中から金切り声がしたかと思えば、一階の教室から外へと向かい、ガラス窓を突き破って魔術による光弾が飛び出す。見間違いでなければ光弾が飛び出した場所は、ここに来る前にシンが魔術師たちの遺体を見た場所である。

 立て続けに二階、三階からも爆音が響き渡り、窓ガラスが吹き飛んでいく。

 

「うふ、ふふふふ。残念だったわね。仕留め損ねたのが貴方の誤算。だいそうじょうの力が在る限り私たちは何度でも蘇るわ!」

 

 完全に回復した様子にカテレアが勝ち誇ったようにマタドールに言うが、肝心のマタドールはそんな姿を一瞥するだけであった。

 

「そのようだ。まだまだ私も詰めが甘い。そのせいであの偽善者にこうも易々と私の領域を侵されるとは……ところで貴女に質問があるのだが?」

「……何かしら?」

「貴女は誰かな?」

 

 場の空気が静止したかの様な錯覚を覚える。

 カテレアはマタドールの質問を聞いて陸に上がった魚の様に口を何度も開閉し、アザゼルの方は頭痛を堪えるかのような表情をする。そして、シンは名前も素性も知らない相手を、何の躊躇いも無く殺しにかかるマタドールに戦慄を覚える。

 

「……旧魔王派、カテレア・レヴィアタン。……ここまで言えばその脳の無さそうな頭でも分かるでしょう?」

 

 般若の如き凶悪な顔付きで、怒りを押し殺しながら自らの身分を明かす。わざわざ言う必要も無いことを言うのは、自分の素性を全く知らない相手にプライドを傷付けられた為なのかもしれない。説明の最後に付けた台詞はそれを証明するかのように、相手への悪意に満ちていた。

 

「旧魔王派……ああ、そうか。戦争でも勝てず、同族にも負け、冥界の端に追いやられた負け犬たちの残党のことか。失礼、私としたことがあまりにどうでもよく、記憶の隅におくことすら碌に価値を見出せない存在だったので、今の今まで忘れていた」

 

 一の嫌味がマタドールによって十の悪意となってカテレアに戻ってくる。

 本音かあるいは挑発か。答えは分からない。ただ真実があるとすれば、カテレアを激怒させるには十分過ぎる台詞であった。

 瞬間、無数の光弾がカテレアから放たれ、マタドールに降り注ぐ。軽く上げられたマタドールの足が地に付くと同時に、消えるかのような速度でその場から左方向へと移動。体勢は変わらないまま、まるで空間ごと切り取られ、別の場所に張り付けられたかのような程不自然なまでに体勢が崩れていない。

 間も無くして先程マタドールが居た場所に光弾が着弾するが、既に目標が居なくなっていることを感知していたカテレアは、その血走った目で消えた対象を探す。

 そして、視界の端に一瞬でも入ると、即座に次弾をマタドールに放つ。

 今度の攻撃も同じような動きでマタドールは移動し回避しようとするが、マタドールがその場から居なくなると放たれた一発一発の光弾は軌道を修正し、対象の後を追跡し始めた。

 

「ほう」

 

 光弾の動きを見て、マタドールの白い歯が剥き出しになっている口から面白がる様な声が漏れると、再びその場から移動する。

 今度の移動した場所は左右でも後方でも無い。マタドールを狙う無数の光弾がある前方へ、自分から飛び込んでいく。

 複数の光弾が周囲を取り囲む中、一切の焦りも無く平静そのものと言った様子で両腕を垂れ下げた格好のマタドール。光弾はマタドールへと反応して即座にその軌道を変えるが、マタドールは襲い掛かる光弾に視線を変えることなく、接触する直前となって上体を引いた。

 マタドールの胸前を横切る光弾。すぐにこれも軌道を変えるかに思えたとき、反対側から同じく軌道を変えて来た光弾と衝突し合い、マタドールの前で衝突し合う。

 接触し合った光弾から閃光が放たれると、マタドールの眼前で大爆発が巻き起こる。しかし、その爆発の中から何事も無かったかのようにマタドールは飛び出し、その後を残りの光弾が追う。

 偶然とは思えない出来事。それを証明するかのようにマタドールは光弾の中でその身を動かし、自分に迫る光弾を次々と相殺し始めていく。

 僅かに動かした手の動きに反応した光弾を、体の動きに反応した光弾と相殺させたかと思えば、滑る様な足捌きで光弾を誘導し、他へとぶつける。

 次々と誘発されて起こる爆発。だがどれもが至近距離で起こっているにも関わらず、引き起こした張本人には目立った怪我も汚れも見当たらない。

 剣を使って払うことなど一切せず、己の見切りと動きのみで容易くカテレアの攻撃を捌く姿は、さながら舞踏とも呼べるものであった。しかし、本当の舞踏のような優雅さはそこには無く、あるのはマタドールが見せる底知れない実力の片鱗。見る者たちに魔人という存在が持つ実力を見せつける様な、挑発染みたものが感じられた。

 事実、先程まで怒りを見せていたカテレアも、楽しむ様にして自分の放った光弾を消していくマタドールに慄いている。

 最後の光弾が爆発し、決まりきったかのように爆発の中からマタドールが跳躍。そのまま旧校舎の壁面の上に垂直に立つ。

 重力などまるで感じさせないさも当然のような格好でこちらを見ながら、マタドールは垂れ下げていた腕を持ち上げる。

 相手の反撃の動作だと思いカテレアは身構え、端で見ていたシンやアザゼルも緊張感を高めていく。

――が、次に起こったのはカタカタという音。

 音の正体はマタドールの拍手であった。

 

「見事、と言わせてもらおう。精緻な魔力の形成と操作。オーフィスの力で元々の力は増幅されているとはいえ技術まではこうも向上はしまい。研鑽と練度の高さをこの身でしかと味あわせてもらった。賞賛の言葉を送ろう。そして、先程の非礼を詫びさせて貰おう。貴女の実力は非常に価値あるものだ」

 

 並べられていく賞賛と詫びの言葉。カテレアを罵倒した者から出て来たとは思えない程の敬意が込められていた。そして、性質の悪いことにマタドールが口にする言葉はどれも皮肉や嫌味などではなく、『本気』で相手を褒め称える響きがある。

 戦いの中でこんなことを言われればただ戸惑うしかない。事実、カテレアは目を瞬かせていて、マタドールが何を言っているのか理解が追い付いていない状態であった。

 

「あの一撃で倒れたときは些か拍子抜けをしたが、改めて実力を見れば魔王の系譜を継ぐ者としては十分な資質を持っている。――だが」

 

 急速に場の空気が冷たくなっていく。賞賛していたマタドールの態度は一変し、殺意に滾るものへと変貌した。

 

「それが私の場を荒らしたことへの免罪にはならないがね」

 

 マタドールは左手に真紅の魔力を集束させ、銛を形成する。それを見て周囲は構えるが、マタドールの視線は周りには向いていなかった。

 彼が向けているのは上空。マタドールの存在に集中していたせいで気付かなかったが、このときシンは上空で光と赤い閃光が絡み合う様に衝突していることを知った。

 その光目掛け、左手に持つ銛を投擲する。

 

「死ね。偽善者が」

 

 吐き捨てる台詞と共に投げ放たれた銛は、赤い光の帯を僅かに残しながらすぐに肉眼から消える。

 数秒後。雷鳴の様な轟音が天から響くが、それでも上空の二色の光は何事も無かったかのように互いを喰らい合い続けていた。

 その様子を見てマタドールは舌打ちをした後、視線をシンたちの方へと戻す。

 

「失礼。あの邪魔者には一言物申したいと思っていたのでね。戦いを中断させてしまったことを詫びよう」

 

 露骨なまでも嫌悪を示していた態度が、一瞬にして元の紳士といった態度の下に隠される。その変わり身の早さには不気味さすら覚えさせられる。

 

「ったく、勝手に始めて勝手に中断して勝手に再開させようなんてどんだけ自己中なんだよ」

「戦いの主導権というものは常にその場に於いて最強の者が握る。つまり私が戦いの流れを自由に動かすのは当たり前のことだ」

「自己中に加えてナルシストときたか。色々な意味で面倒くさい連中だよ、お前らは」

 

 さも当然の様に語るマタドールにアザゼルは眉間に皺を寄せながら毒吐く。

 

「はははは。私の性分は私が良く理解している。さて、思わぬ所で役者が増えてしまったが別に構わないな? このまま三つ巴と洒落こもう」

 

 マタドールが構えをとる。それを見てシンやアザゼル、そしてカテレアも身構える。

 

「別に全員が私に掛かって来ても構わない。そちらの方も燃えるのでね」

 

 その言葉を聞き、アザゼルはハッと鼻で笑う。

 

「上等だ。前々から一度お前とは全力でやり合わなきゃならないと思っていたところだ。お前、いやお前らの存在は異質だ。そしてその異質は周囲に悪影響をばら撒く。いい加減消えて無くなれ」

 

 アザゼルは手に持つ短剣を胸の前に掲げ、シンにとっては聞き覚えのある言葉を発する。

 

「禁手化〈バランス・ブレイク〉ッ!」

 

 その言葉を切っ掛けに握られていた短剣がその形を崩し始め、複数の欠片へと変わっていく。黄金の光に包まれた欠片はアザゼルの身体を包み込み、やがて巨大な光へと変わる。

 繭の様に形作られた光を突き破る様にして光の槍の先端が飛び出し、そのまま横一文字に光の繭を斬り裂く。

 裂けた繭から現れたのは、龍を模した黄金の全身鎧〈プレート・アーマー〉を纏ったアザゼルであった。

 禁手化した一誠の鎧と酷似はしているが、一誠の鎧と比べるとやや生物的な外見をしており、背中から生えた一二の黒翼がそれにより拍車を掛けていた。

 

「――素晴らしい」

 

 アザゼルの姿を見たマタドールから出た言葉は、心の底から籠められた敬意の言葉であった。

 

「神器の研究を進めていることは知っていたがまさかその段階まで踏み込んでいたとは! 神域を己の知力と探究心で入り込むとは恐れ入る! その姿には感動すら覚える!」

 

 興奮し、やや語気が強くなるマタドール。それだけならばまだ純真さすら感じさせるが、それに伴って場の空気そのものを入れ換える様な殺気までも昂らせていく。

 凄まじい勢いで浸食していく殺気にシンは、呼吸をする度に臓腑が締め付けられるようで

あった。

 

「お前に褒められても何一つ嬉しくねぇよ」

 

 それとは対照的にアザゼルは冷めた言葉を返す。

 

「まさかドラゴンをベースにして新たな神器を創り出すとは……」

 

 カテレアもまたアザゼルの見せた神器に驚きを隠せなかった。

 シンはこちら側のことを知って日が浅い為、アザゼルがどれほどのことを成したのか、その凄さについてイマイチ理解出来ていなかったが、二人の反応からして前代未聞なことだというのは分かる。

 

「神器マニアをこじらせすぎちまってな。どうにも自分でも神器を創りたくなっちまった。それで創ったのはいいが出来が良すぎるとどうにもその先を求めちまう。だからこそこの傑作が出来たのかもしれないがな」

 

 アザゼルは空いている方の手で軽く自分の胸を叩く。

 

「『堕天龍の閃光槍〈ダウン・フォール・ドラゴン・スピア〉。そして、それを疑似的に禁手状態にした『堕天龍の鎧〈ダウン・フォール・ドラゴン・アナザー・アーマー〉』。それがこの神器――いや、人工神器の名だ」

 

 纏う神器の名を聞きながらマタドールは観察するように、上から下にかけてアザゼルの鎧を眺める。

 

「並のドラゴンでは持ち得ないこの力の波動……その鎧の色から察するに『黄金龍君〈ギガンティス・ドラゴン〉』ファーブニルの力を封じてあると見受けする」

「……人型の奴にだけ興味があると思っていたが」

 

 ほんの少しの間に力の根源を見抜くマタドール。アザゼルの言葉からして正解であるらしい。

 ファーブニルの名はシンもアザゼルの口から聞いたことがあった。『五大龍王』に数えられる、上位のドラゴン。それが今アザゼルの纏っている鎧に宿っていることになる。

 

「昔、興味本位でドラゴン狩りというものを興じてみたことがあったのでね……尤もすぐに飽いてしまった。私の本質は狩人ではなく戦士だからな」

「どこの誰にでも怨みをかってやがる」

 

 語るマタドールにアザゼルは冷めた反応を返した。

 

「ふふふふふ。ここに来て正解だったと改めて思う。誰を相手にするか目移りしてしまうな」

 

 滾る様な殺意を仄めかしながら、マタドールは鈍色に輝く剣身を皆に見せつける様にして構える。

 

「さあ、戦おう! 血と屍を重ねた先になる勝利を己がものにする為に!」

 

 

 

 

「う、うう! ぐすっ!」

 

 とある教室の片隅でギャスパーは膝に顔を埋めながら静かに泣いていた。シンと別れ、ピクシーたちに引き摺られながら逃げ延びた後、ずっとこのような調子である。

 

「いい加減泣くの止めたら~?」

 

 ジャックランタンがギャスパーにそう言うものの、返事は無い。いつもならば、手に持っているカンテラで頭を一つ小突いて無理矢理泣き止ませている所であるが、付き合いがそれなりに長いジャックランタンの目からして、普段の怯えて泣くのとは違い、心底精神的に追い詰められたことからくる涙であることを理解している為、今殴るのは逆効果だと判断していた。

 

「大丈夫だって。シンは強いからさー。きっと勝っちゃうって」

「そうだホー! オイラが認めるくらい強いんだホー!」

 

 ピクシーとジャックフロストも慰めるものの、ギャスパーの涙は止まらなかった。

 

「ランタンくん……ジャックくん……ピクシーちゃん……僕は……僕は……今日ほど自分のことが嫌になった日はないよ……」

 

 しゃくりあげながら、か細い声が俯いたギャスパーの口から出る。

 

「この眼のせいで皆に迷惑ばかり……襲われたのも僕のせい……それを助けてくれた間薙先輩が敵を前に置き去りにしてしまったのも僕のせい……きっとこれからも部長や先輩たちに迷惑を掛け続ける……」

 

 うずめた膝の隙間から涙が零れ落ち、床に点々と染みを作る。

 

「僕は死んでいた方が良かったんだ……あのときヴァンパイアハンターに襲われたときに……部長には部長の為に生きて、自分が満足する生き方を見つけるって眷属に転生されたときに誓ったけど……僕には見つけられなかった……生きる価値も眷属としての価値も僕には……無い」

 

 塞ぎ込み、自分という存在に絶望するギャスパー。

 

「……ふ~ん」

 

 それを聞いたジャックランタンは、いつも以上に感情を感じさせない声を出しながら、俯くギャスパーのすぐ側に近寄る。

 

「じゃあ今日までのことをぜ~んぶ無意味に変えるんだ~?」

 

 ジャックランタンの問いにギャスパーは答えない。

 

「ヒ~ホ~。リアスや朱乃が慰めてくれたことも~、イッセーやシン、小猫、ゼノヴィア、匙、アーシアが特訓してくれたことも全部、ぜ~んぶ何の意味も無いことにしていいんだ~?」

 

 なじる様なジャックランタンの言葉にギャスパーは答えなかったが、無視し切れないのか行き場の無い感情が言葉の代わりに震えとなって、ギャスパーの身体を小刻みに動かす。

 

「全部放り捨てるのは簡単だけどね~。そっちのほうが楽だっていうのも分かるけどね~。でも楽なことが良いって訳じゃないとボクは思うけどね~」

 

 ギャスパーはそこで俯かせていた顔を上げる。涙で目が赤く腫れ、鼻水まで流してぼろぼろな顔であった。

 

「僕は……僕は一体どうしたらいいんだろう……苦しいんだ……悲しいんだ……辛いんだ……このまま死んだ方がいいとさえ思っている……でも、でも……」

 

 そのとき集団の足音がこちらの方に向かって来る音がする。集団は一定の距離を走るごとに止まり、その度に扉を開ける音が聞こえてきた。

 一室一室調べているらしい。根気と時間が必要な探し方ではあるが、確実にギャスパーたちが隠れている教室に迫っていた。

 

「不味い不味い! 来た来た!」

「近いホー!」

 

 ピクシーとジャックフロストが逃げる準備をしようとする。

 

「待って~」

 

 だがそれをジャックランタンが止めた。

 

「ギャスパー、キミが選んで」

「えっ?」

 

 いきなりのことに何を言っているのか理解出来ず聞き返す。

 

「それってどういう――」

「だ~か~ら~逃げるかここで倒しちゃうかキミが選びなよ~」

 

 ギャスパーの顔がサッと蒼褪めた。

 

「そ、そんなこと出来ないよ! それにジャックくんやピクシーちゃんの意見を無視するなんて!」

「だそうだけど~二人はどう~?」

 

 ピクシーとジャックフロストはギャスパーとジャックランタンの顔を交互に見た後、口を開く。

 

「じゃあ任せる」

「オイラもそうするホー」

「ええっ!」

 

 逃げ道を塞がれたギャスパーの顔色を一層悪くなり、死人の様な肌色となる。

 

「ほらほら~早く選ばないと逃げる時間も無くなって戦うしか選べなくなるよ~?」

「ううぅ……ううぅ!」

 

 急かすジャックランタン。何も言わないピクシーたち。迫りつつある魔術師たちの足音。悠長な時間は無く、ギャスパーは否応無しに選ばざるを得なくなる。

 

「僕は……」

 

 

 

 

 教室を扉が勢い良く開き、それと同時に数名の魔術師たちが中に入っていく。全員が目を血走らせながら教室内を隈なく探したとき、その人物はいた。

 

「ヒィィィ!」

 

 教室の隅に背を預け、辛うじてと呼べるほど震えながら立っているギャスパー。

 

「ようやく見つけた」

 

 当初の目的よりも大分遅れ、作戦の内容も変更されたが、ギャスパーを捕らえること自体まだ中断の指示は出されてはいない。既にこちらの動きは相手に知られてしまってはいるものの、ギャスパーには十分な価値があった。

 

「大人しくしていなさい。下手な動きを見せれば痛い目を見ることになるわ」

 

 見せつける様に手の中で青白い火花を出す魔術師。他の魔術師も同様に手の中に炎を生み出し、白い冷気を昇らせるなどして、視覚的に分かり易く『痛い目』というのがどういったものかを表現していた。

 

 

「あう……うああ……」

 

 がたがたと更に震えを増すギャスパー。その怯え様には滑稽さを感じたのか魔術師は含み笑いをする。

 

「どんなに優秀な神器を持っていても使う者がこれだと単なる宝の持ち腐れね」

 

 魔術師の一人が怯えるギャスパーへと歩み寄った――そのとき。

 

「ヒホ!」

 

 背後から聞こえる無邪気な声。魔術師たちが一斉に振り向くとそこには手を挙げた格好をしているジャックフロスト。

 魔術師たちの注意が全てジャックフロストへと向けられた次の瞬間、ギャスパーの履いているスカートが風も無く翻り、その中から両手を突き出して構えるピクシーが姿を見せた。構えた両手には既に魔力が集中されており、魔力は次々と電気に変換され爆ぜる様な音を鳴らす。

 その音に気付いた魔術師たちであったが、その時点で既にピクシーの準備は完了していた。

 

「バイバーイ」

 

 放たれた電撃は幾筋にも分かれ、それらが魔術師たちの身体へと突き刺さる。魔術師たちの身体に触れた電撃は瞬時にその全身を駆け巡り、内と外を蹂躙する。

 悲鳴を上げる事無く、怯えるギャスパー以上に全身を痙攣させた後、白目を剥いて全員床に倒れ伏してしまった。

 

「はい。せいこーう!」

 

 一撃で魔術師たちを戦闘不能状態に追い込んだピクシーは上機嫌に笑顔を浮かべる。

 

「オイラが気を逸らしたおかげだホー!」

 

 それに負けじとジャックフロストが自分の成果を誇るが、ピクシーはそれに意地の悪い笑みを返す。

 

「気を逸らしたって……机の下に張り付いて隠れただけじゃん」

「ヒーホー! 絶妙なタイミングだったホー! オイラにしか出来ない入り方だったホー!」

「ふ、二人とも! あ、ありがとうございます!」

 

 いまだに震えながらギャスパーは魔術師たちを倒した礼を言った。

 

「ギャスパーも囮、ありがとうね」

「ナイスな演技だったホー!」

「あ、はははは……」

 

 一切演技などしていなかったとは言えず、ギャスパーは乾いた笑いを洩らす。

 

「どうでもいいけどギャスパーって下着も女の子のものなんだね」

「そ、そんなこと言わないで下さい!」

 

 ギャスパーは反射的にスカートを押さえてしまう。

 

「くうう!」

 

 そのとき倒れていた魔術師の一人が上体を起こす。

 

「ふざ、けた、真似、を!」

 

 電撃の影響からか呂律の回らない喋り方ながらも、聞けばどれほどの怒りが込められているのかが分かる。

 魔術師が手を伸ばす。その先に居るのはジャックフロスト。

 伸ばし掌に炎が宿り、それがジャックフロストに向けて放たれる。

 

「ヒホ!」

 

 驚くジャックフロスト。距離が近い為、回避する余裕も無い。

 誰もが次に起こる惨状を脳裏に浮かべ、間に合わないと悟っていても思わずその場から駆け出そうとする。

 

「――ヒホ?」

 

 が、何故か放たれた炎はジャックフロストに直撃する前に宙で止まり、そのまま向きを変え、別方向へと飛んで行く。

 向かう先に居るのはギャスパー――より正確に言えばギャスパーの背後から出ているカンテラに向かっている。

 

「世話が焼けるな~」

 

 呑気な声を出しながら、ギャスパーの背後に身を隠していたジャックランタンが顔を出す。

 見えない力で引き寄せられた炎は、そのままジャックランタンの持つカンテラへと吸い込まれ、中の炎をより一層燃え盛らせた。

 

「ごちそうさま~」

「馬、鹿な!」

 

 あまりにあっさりと自分の魔術が無力化されたことに驚く魔術師だったが、その隙を狙われ接近したピクシーの手が頭に置かれる。

 

「今度こそお休みー」

 

 ピクシーの手が一瞬発光すると、魔術師の身体が陸に打ち上げられた魚の様に跳ね上がった後、口から泡を噴いて今度こそ気絶する。

 

「あ、ありがとう」

「礼を言うのはギャスパーじゃなくてそっちじゃな~い?」

 

 からかう様な口調でジャックランランが言うとジャックフロストは少し顔を顰めた後、蚊の鳴く様な声で礼の言葉を言う。

 

「……ありがとうだホー」

「え~? 聴こえな~い――って言いたい所だけどそんな暇も無いしとっととここから出よ~う」

 

 その言葉にジャックフロストとピクシーは同意を示すが、何故かギャスパーの反応が無い。

 

「ヒ~ホ~。どうしたの?」

「……やっぱり僕は駄目な奴です」

 

 背後から顔を覗くジャックランタンに対し、ギャスパーは顔を俯かせる。

 

「これだけ追い詰められなければ選ぶことも出来ない。選んだとしても結局は誰かの助けが無ければ何もできない。出来ることがあるとすればただ怯えるだけ。本当に僕は役立たずだ……」

 

 今にも泣き出しそうに声を震わすギャスパー。そんなギャスパーを見たジャックランタンが次にとった行動は――

 

「まあ、いいんじゃないの~。何も選ばずに黙ったまんまよりはましだよ~」

 

 立ち尽くすギャスパーの背に手を当て、前に押し出す。

 

「選んで何も出来なかったから僕が背中を押してあげるよ~」

「ま、待って! ランタンくん!」

「待たな~い。ここからとっとと出たいしね~」

 

 無理矢理背中を押されながら、ふらふらとした足取りで前に進んで行く。

 

「こ、転んじゃうよー!」

「大丈夫、だいじょ~ぶ」

 

 そう言った直後、ギャスパーの右足が左足に引っ掛かり、体勢が前のめりになる。

 

「あっ!」

 

 顔から倒れる。そう思ったとき、行き成り襟を掴まれ倒れる途中で止まった。

 

「おーもーいー!」

 

 ピクシーがギャスパーの襟を両手で握り、必死になって羽を動かしその動きを止めていたのだ。

 その間にギャスパーは体勢を元に戻す。

 

「あ、ありがとう」

「足元気をつけてねー」

「こんな感じで大丈夫だったでしょ~?」

 

 再びギャスパーの背を押す。

 

「動けなくなったら背を押してあげる。転びそうになったら支えてあげる」

「……このまま前に進んでも僕は大丈夫なんだろうか?」

「前に進むのが不安になったらキミの手を引いてくれるヒトがいるよ~。キミもわかっているでしょう?」

 

 その言葉を聞き、ギャスパーの頭に浮かぶのはオカルト研究部のメンバーの顔であった。

 

「今は周りに支えてもらえばいいよ~。基本的にキミってヘタレだし」

「うう……」

「でも、その内一人で歩ける様になったら今度がキミが誰かを支えてあげればいいさ」

「ランタンくん……」

「まあ、今の所はとっととここから出て逃げること~。分かった~?」

「……うん」

 

 頷くギャスパーを見て、ジャックランタンは押していた手を離す。

 ギャスパーがその場から一歩踏み出す。誰かに押されず、自分の力で踏み出した一歩は、心なしか少しだけ力強く見えた。

 

 

 

 

 旧校舎内を隈なく見回し、ギャスパーやシンたちの姿を探す一誠。だがその視線は時折、自分の隣にも向けられていた。

 一誠の隣には蒼褪めた顔のリアス。部室から出てきてからずっとこの状態であった。

 何度か声を掛けてみるが、その度に「大丈夫、大丈夫よ……」と力の無い微笑を見せるものの、一誠にはそれが自分に言い聞かせている様に聞こえた。

 その横顔を見る度に、自分への不甲斐なさで血が沸騰する様な気分になる。部室の外で見張りとしていた僅かな時間に、リアスは突如として現れた新たな魔人と接触していたという。

 それを全く気付くことが出来なかった一誠は、自分の実力不足を痛感する。

 

(これじゃあセタンタさんにもサーゼクス様にも顔向けできねぇ)

『気を落とすな、相棒』

 

 一誠の心の声に反応して、ドライグの声が脳内に響く。

 

『彼奴の存在に気付けなかった俺も同罪だ。それに本気で気配を殺した彼奴に気付くことができる奴なんて上から数える程しかいない』

(そうだとしても……)

 

 慰めの言葉を掛けてくれるが、一誠の気が晴れることは無かった。魔人と自分との間に途方も無い実力差があると分かったとしても、それを言い訳にして隣に立つリアスの現状から目を背けることなど出来なかった。

 

(早く、間薙たちと合流を……うっ!)

 

 突如として鼻孔に流れ込んでくるニオイ。鉄と生臭さが混じったそれを吸い込んだ瞬間、胃袋が一気に締め上げられる様な感覚があり、次に喉を這い上がってくる嘔吐感を覚えた。

 漂うや微かに、といった生易しいものではなく、その領域へと踏み込むと同時に空気そのものが変えられたかと思う程の濃いニオイであった。

 それが何のニオイかすぐに理解したが、これほど濃く臭うことから次に目の当たりにするであろう光景を想像し、その考えを拒否したくなる。

 周囲を包み込むニオイ。それは間違いなく血のニオイであった。

 

「部長……」

「……ええ、分かっているわ」

 

 リアスもまたニオイが何なのか理解しており、蒼い顔のまま鼻と口に手を被せている。

 周りの光景が赤色に染まっている様な錯覚を覚えそうになるニオイの中を突き進む二人。

 それから間もなくして――

 

『相棒、意識を強く持てよ』

 

 不意に掛けられるドライグの言葉。直後、廊下の曲がり角を出た二人が見たものは、まさに死屍累々と呼ぶべき光景であった。

 

「くっ! うう!」

 

 事前にドライグに言われた通り、どんなものが目に入って来ようとも耐える様に意気込んでいたが、その意気込みが激しく揺さぶられる。

 廊下には重ねる様にして倒れる魔術師たち。壁にもたれ掛かりながら息絶えている魔術師たち。誰もが共通して心臓部分が穿たれており、そこから流れる血が廊下や壁を染め上げている。

 一誠とて人の死体を見ること自体は初めてではない。以前、フリードが一般人を惨殺した現場に立ち会わせたこともある。だが、そのときは比べものにならない程の死体の数が目の前に転がっている。

 初めて見た死体と比べれば横たわる魔術師たちの亡骸は、変な話ではあるが綺麗と言ってもいい。しかし、一誠の心を激しく揺さぶるのは血の量でも死体の数でも無い。場に満ちた本能が感じ取る死のニオイ、『死臭』とも呼ぶべきものに動揺していた。

 

「全員一撃ね……」

 

 隣からポツリと呟やかれる声を聞き、一誠は心の裡で気合の声を上げた後、本当ならば見たくも無い死体の群を注意深く観察する。

 リアスが言った通り、血で汚れているがどの魔術師も胸の傷以外、外傷は無い。つまり襲った側は一切の無駄なく、魔術師たちを一撃で葬ったということを示していた。

 

「これもあの魔人の仕業ね……」

 

 顔色は悪いが、それでも一誠よりも冷静に状況を判断するリアス。一誠は魔人と直接出会った訳ではないが、目の前に並ぶ魔術師たちの死体やその手際に恐れを感じてしまう。

 

「……先に進みましょう。ここに居ても精神的に良くないわ」

「は、はい! ……この廊下を渡るんですか?」

 

 リアスの言葉に頷く一誠であったが、すぐに思い直す。廊下の全体を染め上げる血。その上を歩いていくというのは、些かというかかなりの抵抗を覚える。

 

「飛べば問題ないわよ」

「あ、そうか」

 

 あっさりと解決策をリアスに出され、一誠は若干の恥ずかしさを覚えてしまう。日常生活であまり使う機会が無かった為に失念していたが、自分は羽を出して飛ぶことが出来る。悪魔にとって常識的なことを忘れていたことに、未だ死体を見た動揺が抜けきっていないことを実感した。

 羽を広げ、横たわる死体の上を飛ぶ。既に事切れていると分かっているが、心情的にはあまり気分の良いものでは無かった。襲撃した敵だと分かってはいるものの、自分が何か酷く非道徳的なことを行った様な気分となる。

 死体から少し離れた場所に二人は着地すると、そのまま先に進もうとする。が、そのとき二人の聴覚が足音を捉えた。

 足音の数は多くは無い。聞こえてくるのは二人程度。だが決して油断は出来ない為、一誠は左手に『赤龍帝の籠手』を発現し、リアスもその手に真紅の魔力を宿らせる。

 徐々に近付いて来る足音。息を潜め、それを待つ二人であったが、近付いて来るにつれ聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「うう……! うう……!」

「はいは~い。前に進んでいるのはいいけど周りを気にし過ぎ。カタツムリよりも遅いよ~」

「ヒホ! 後ろはオイラに任せるホー!」

「じゃあ、アタシは前ー」

 

 この状況にも関わらず、何処か抜けている様な会話。どのような状況でもマイペースな会話に心当たりしかない。

 

「ギャスパー! ピクシー! ジャックフロスト! ジャックランタン!」

 

 一誠は思わず名を呼ぶ。

 その声を聞いた途端、静かだった足音が騒がしくなった。

 

「イッセー先輩!」

 

 慌ただしい音と共にギャスパーたちが姿を見せる。

 

「イ、 イッセー先輩! 部長!」

「あ、イッセーとリアスだ」

「こっちから会いに行く手間が省けたね~」

「ヒーホー! 二人とも会いたかったホー!」

 

 無事に再会出来たことを喜ぶギャスパーたち一行。それに釣られ一誠たちも喜ぶ――かと思いきや、その中にシンの姿が見えないことに気付いた瞬間、喜びから一転して不安げな表情となる。

 

「なあ……間薙はどうした?」

 

 その問いに、ギャスパーは気不味そうに目を下に向ける。

 

「ま、間薙先輩は……僕たちを逃がす為に魔術師たち相手に一人で足止めを……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、リアスと一誠は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。二人ともシンの実力は十分知っている。だが、それでも魔術師たちの数はこちらを遥かに上回っている。それに魔人までもがこの旧校舎内を徘徊して、手当たり次第死体を築き上げている状況である。安堵するというのが無理な話であった。

 

「私が……もっと注意を払っていれば……!」

 

 あのとき旧校舎にギャスパーを置いて行くなどということはせず、もっと手に届く範囲に置いていたならば、このようなことにはならなかった。

 眷属を率いる者として責任感の強さが『あのとき、ああしていれば』という仮定を考えさせ、不必要なまでにその両肩に責任と言う重圧を自ら載せる。

 そんなことを考えているリアスの肩に手が置かれる。

 

「間薙はそう簡単にやられる奴じゃないです!」

 

 リアスにも自分にも言い聞かせる様な言葉。

 肩に置かれた熱を感じ、そのまま向けられた一誠の視線を感じる。不安ながらも精一杯信じ抜こうとする意志、それが少しではあるが固くなったリアスの心を解かす。

 

「ええ……そうね」

 

 不安はある。恐れもある。だが今は会うことが出来た自分の眷属との再会を刹那ではあるが喜ぼう。涙を流した跡がうっすらと残るギャスパーの顔。どれほど心細かったのかは容易に想像出来る。

 自分もまだあの魔人の影に恐れを抱いている。だが、それでもその恐れや不安を他の者に伝播させる訳にはいかない。

 精一杯の気持ちを込めてリアスがギャスパーを抱きしめようとしたとき、突然ギャスパーは悲鳴を上げた。

 

「ヒ、ヒィィィィィ!」

 

 その悲鳴が何を意味しているのかリアスと一誠はすぐに分かった。すぐ近くに転がる死体の群。再会時には気付かなかったが、今になってようやく気付いたんだと思った。

 

「まあ、気分が悪くなるかもしれないが落ち着――」

「わっ!」

「ヒホッ!」

「う~わ~」

 

 続けてピクシーたちも驚き目を丸くする。ギャスパーが驚き、怯えるならば仕方ないがこの神経の太い三人が驚く姿には若干の違和感を覚える。

 

「う、ううう、後ろ!」

「ええ、分かっているわ」

「た、立とうとしてます!」

「――え?」

 

 リアスと一誠が同時に振り向く。そこで二人が見たものは、先程まで息絶えていた筈の魔術師たちが四肢を震わせ、爪を床に突き立てながら立ち上がろうとしている姿であった。

 いつの間にか纏っている淡い光の中で、穴が開いていた筈の胸の傷は塞がれ、傷一つ無い肌を見せる。

 

「嘘! 神器クラスの治癒を一度にこれだけ展開するなんて!」

「こ、これは……!」

『チィ! 恐らくはだいそうじょうの仕業だ! 命を奪うのも与えるのも得意な奴だからな!』

 

 そう言っている間に、倒れ伏していた魔術師たちの殆どが完全に傷を治した状態で立ち上がる。だが、立ち上がった魔術師たちは自分の身に起こったことに戸惑うこともなく、虚ろな目を一誠たちに向ける。

 まるで機械の様に同時に向けられた人形を思わせる様な瞳。その視線に少しだけ怯んでしまう。

 

「な、何だ?」

 

 一言も発さずにこちらを見る魔術師たちに疑問を覚える一同であったが、すぐにその疑問も吹き飛ぶような事態となる。

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』

 

 魔術師たちが同時に叫び、窓が激しく揺さぶられる。それも普通の叫びでは無い。腹の底から感情の全てを載せ、血管を引き千切るようにして放たれる声は、恥や外聞などかなぐり捨て、人でありながら獣の咆哮と殆ど変らないものであった。

 血走った目。口の端からは涎が流れ落ちる。全身にどれほどの力を込めているのか、体の至る所で血管が浮き出ている。

 考えなくても相手が正気ではないことが分かる。

 魔術師たちが一斉に詠唱を開始する。最早、金切り声と言っていい程耳障りな高音を出しながら、その手に魔力の光が集束していく。

 

「退くわよ!」

 

 すぐさまリアスが指示を飛ばし、それに従い一誠たちは同時に駆け出し、すぐ近くにある教室へと逃げ込む。

 その直後、複数の魔力が束ねられた光が先程まで居た廊下の全てを埋め尽くす。光が触れた箇所は全て塵に還り、光が通り抜けた後は半壊した廊下が残るだけであった。

 

「おいおい……」

 

 魔術というもの自体、見るのは新校舎のときと今回の旧校舎とで二回しかない一誠であったが、それでも放たれた魔術の威力が、新校舎のときに見たものよりも上回っていることが分かる。

 逃げたリアスたちを追って魔術師たちも教室へと入り込んでくるが、入ってきた魔術師の姿を見て一同驚愕する。

 目から血涙を流す者、鼻孔から血を流す者、浮き出た血管が裂けてそこから血を流す者など、どの魔術師も戦っていないのに既に流血をしていた。

 

「まさか、命を魔力に変換して……!」

 

 信じられないといった様子のリアス。

 足りない魔力を他で補うというのは至極当たり前の発想ではあるが、それを命で補うというのは殆ど自殺行為に等しく、並みの神経ならばまず選ばない方法である。だが、そんな自殺行為を目の前に立つ魔術師たちは躊躇うことなく行っている。

 再び詠唱が重なり合っていく。先程の一撃が来ると警戒するリアスたちであったが、詠唱とともに魔力の輝きが増したかと思えば、魔術師の一人が血反吐を吐いて床へと倒れ伏した。

 それを切っ掛けにして他の魔術師たちも耳や鼻、目などから大量の血を流し、床へと崩れ落ちて行く。

 

「ど、どうして? 何が起こったんですか?」

「消耗している状態で無理に魔力を捻出したせいで限界が来たのよ……命を魔力に変えるということはこういうことなの……」

 

 戸惑いながら口に出した一誠の疑問にリアスは、痛ましいものを見るかのような視線を魔術師たちに向けたまま答える。

 戦う以前に呆気なく自壊してしまった魔術師たちに憐憫の様な感情を抱いたのかもしれないが、すぐにそれが要らない気遣いであったことを痛感させられる。

 血塗れの床に倒れた魔術師たちの身体が再び淡い光に包み込まれる。

 

「まさか……」

 

 力無なく横たわる体に活力が宿り、四肢を使って身体を引き起こすと体にあった傷は修復され、乾いた血が体から剥がれ落ちて行く。ほんの数十秒前に見た光景。それが目の前で繰り返される。

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』

 

 復活の咆哮を上げた魔術師たちは、目の前に立つ一誠たちに向かって再度襲い掛かるのであった。

 

 

 

 

 高々と開戦を告げる声を上げるとマタドールは左手をサーベルの腹に当て、柄から剣先へと向けて白骨の指を滑らす。すると剣身の周囲が歪み始めたかと思えば、剣を中心にして宙に漂う塵が集まり渦を描く。

 剣身に発生した小規模の竜巻。それを纏った剣を三日月を描くようにして振るったとき、塵を集める程度だった渦は剣身から離れ、地にある砂利などを巻き上げて巨大な竜巻へと一瞬にして変貌した。

 吸い込む渦が今度は外へと向け吹き飛ばす渦へと変わり、地面に転がる砂粒や石が散弾の様に飛ぶ。

 カテレアは魔術によって薄い膜の防壁を造り出してそれを防ぎ、アザゼルは纏う鎧によって防ぐ必要が無い。しかし、シンは前者の二人の様に身を守る術を持たない為、飛んで来る石礫などに敢えて生身を晒す。

 腕を上下に交差させ、視界を確保出来るだけの隙間を作り、尚且つ目は瞼を可能な限り狭める。ただ決して目は閉じない。

 砂粒が入ろうが、石が入ってこようが、シンはもう二度とマタドールの前で目を閉ざす様な愚行を重ねるつもりは無かった。

 放たれた旋風は巻き込んだ砂や土で灰色へと染まり、それがマタドールとシンたちを隔てる壁となる。知覚が遅れる程の速度で移動が可能なマタドールの動きが全く見えないということは、反応し切れなかったこちらの動きが更に一歩遅れるということになる。

 故に一瞬たりとも気を抜くことも、集中を途切れさすことも出来ない。あらゆる細やかな変化にも見逃すことが許されない。

 渦巻く壁が展開されて数秒も経ってはいないが、この場にいるものには数秒も何百倍に引き延ばされた様な心境であった。

 場を満たす緊張感が時間間隔を狂わす。

 間を詰めるようにして攻めるのではなく敢えて間隔を開けて、相手を焦らすことにマタドールの底意地の悪さを垣間見た様な気がした。

 狭めた視界で見る渦の動き。そのとき僅かに渦が揺らいだかに見えた。別段珍しいものでは無かったが、そのとき何故かシンは無意識に身体を半歩横へとずらす。

 その瞬間、脇腹に熱を感じた。何故、と思い視界を向ければ、脇腹のすぐ側には銀色に光る剣。

 体中の汗腺が全て開く。剣をなぞるようにして視界をずらしていけば見えるのは白骨の手、そこから更にずらせばマタドールの姿。

 渦巻く壁が今思い出したかの様に大穴を開く。巻き上がる風すらも認識することが遅れる程の神速の踏み込み、最早驚嘆すら出来ない。

 シンは半ば本能的に身を捩る。それによって裂かれた脇腹から血飛沫が飛ぶが、気になどしていられない。既にその段階では無く、自分の身よりも命を優先しなければならないからだ。

 身を捩る勢いのまま地を蹴り、マタドールとの距離を取ろうとするシン。だが――

 

(――遅い!)

 

 マタドールの速度と比較すれば、自分は鈍足の極みとも呼べる程に動きが遅い。なまじ知覚する能力が高いために、より強く感じてしまう。

 背中から倒れ込む様な格好で徐々に離れつつあるシンとマタドールの距離。その最中、シンの眼がマタドールのがらんどうの眼と合う。

 眼の無い眼がこう語る、『そんなものか?』と。

 剣を突き出す構えをしていた筈のマタドールは、そのまま全身の駆動が一体化しているのではないかと思える程、無駄が無く且つ滑らかな動きで体勢を変えると、避けようとしているシンの心臓にその剣先を向けた。

 追撃が来る。そう身構えたシンであった。

 しかし、その追撃はマタドールの側頭部目掛け突き出される、アザゼルの光の槍によって中断される。

 顔をシンに向けたまま姿勢を低くして、それを難なく躱すマタドールであったが、アザゼルはその動きを見越しており、突き出された光の槍は途中で止まり、真下にいるマタドールに向けて振り下ろされる。が、それをマタドールは剣で受け止め、そのまま刃を槍の下で滑らせながら距離を詰め、アザゼルと鍔迫り合いする形となる。

 

「飛べ」

 

 片手でアザゼルの槍を押さえたまま、マタドールの左手の中に渦巻く疾風が生まれる。剣身に纏わせていた時よりも更に激しく、風の唸るような音が聞こえるそれを、開いていたアザゼルの脇腹に直接叩き込む。

 

「むっ?」

 

 竜巻を極限まで圧縮したそれを鎧に触れさせた瞬間、風が爆ぜ四方に突風が吹き抜けていくものの、直撃しているアザゼル自身は地に根を張る大木の様に微動だにしていなかった。

 

「硬いな」

 

 自らの攻撃を受けても動かず、傷も負わないアザゼルの鎧を見て、マタドールはそう呟く。しかし、声色には険が無く、寧ろ予想以上の硬度を持っていたことに喜びすら感じている含みがあった。

 アザゼルはマタドールの技を受け切ったと同時に、鍔迫り合いをしていた部分を基点にして、股下を狙って槍の柄を跳ね上げる。

 それを一歩後退しつつ半身の格好へとなるマタドール。跳ね上げられた槍の柄はマタドールの眼前を通り抜けていった。

 後退したことで剣と槍は離れ、それによって槍の動きの自由を得たアザゼルは、跳ね上げられた槍を指の動きのみで一回転させながら持ち直し、マタドールの顔面中心に向け突き出す。

 しかし、その動きを読んでいたのかマタドールは避けようとはせずに、アザゼルがやったように剣の柄を向けると繰り出された光の槍の先端を、直径にして数センチ程しかない柄頭でそれを防いだ。

 突きを受けたマタドールは片足を軸にし、勢いに身を任せその場で一回転すると、相手に受け切った威力をそのまま返す様にアザゼルの胸部を斬る。斬撃は内部まで届くことはなかったが、黄金の鎧の胸部には真一文字の裂傷が刻まれる。

 斬撃を受け、後方へと僅かに下がるアザゼルであったが、その状態のままでマタドールの四方を囲むように光の槍を生み出す。

 通常ならば、その挙動を見せない動きと囲む光の槍の本数に絶望を覚えるものだろうが、マタドールはそれに対し喉の奥で笑うと、四方から突き出す光の槍が身を貫く前に後退――するのではなく、前進してアザゼルとの距離を詰めた。

 黄金の仮面と白骨の面がほぼゼロ距離まで接近する。覗き込むはお互いの目。その輝き、動きで次に何をするのかを刹那の時間で探り合う。

 このとき最初に動きを見せたのはアザゼルの方であった。至近距離で互いの動向を探り合う中、僅かに首を動かす。

 息する間も致命的な隙になる圧倒的高密度な戦いの最中で、致命的とも言える動き。傍から見ていたシンはアザゼルのその無駄な動きを見て、内心では正気を疑った。

 だが、シンの悲嘆を他所にどういった訳かマタドールはその隙を狙わず、距離を詰めたものの、先程の様な鍔迫り合いを行う。

 明らかに不自然と思える行動。シンの眼からして大きな隙とも言える動作に付けこまなかったマタドールの動きに、言い様の無い不安を覚える。

 拮抗する両者の力。剣と槍が交わる中心でどれほどの力が集束しているのか、想像も出来ない。

 そのとき唐突にマタドールが剣を離し、後方へ退こうとする。牽制も何も無いただの後退。マタドールという存在について詳細を知らないシンではあるが、その行動には違和感を覚えた。

 それを追う様にして空の手を見せる。

 手首を返すという最小限の動作で掌底の先から出るのは、枝の様に細く鋭い光の槍――というよりも、針と呼称していいものであった。

 一見すれば容易く折れてしまいそうな程脆弱な印象受けるそれであったが、肝心なのは見た目では無く放たれた速度である。今まで堕天使の光を見てきたシンですら、速いと感じさせる程の構築からの射出。コカビエルと比べてもなお速いと思えるものであった。

 光の針が一直線にマタドールへと向かう。もしや、という考えが脳裏に浮かぶが、その期待も0.1秒に満たない間に裏切られる。

 極細の光の針をマタドールは目視し、体の中心という人体にとって回避し辛い箇所をねらった最速のそれを動作の間すら分からない動きで難なく躱す。

 あっさりと避けられた攻撃。しかし、本当の狙いはここからであった。

 マタドールという標的を外した光の針が向かう先に立つのは、魔術を放つ構えをとっていたカテレアであった。

 マタドールの体によって隠されていた光の針がいきなり現れたことで、カテレアは思わず驚愕する。

 このとき、シンはあのとき見せたアザゼルの不審な行動の意味を理解する。アザゼルはこともあろうに、あのとき目の動きでマタドールに、カテレアを狙わないか誘いを出したのだ。

 敵と敵が秘密裏に組み、第三の敵を討つ。乱戦の中では有効な手段と考えられる。

 そして、マタドールは誘いを受け、その答えとしてあの鍔迫り合いを行ったのであろう。

 どちらも戦いというものを熟知した連携。それを殺し合いの最中で行うアザゼルとマタドールの悪辣さに寒気立つ。

 最小の動きと最速の速さで繰り出されたそれをカテレアに避ける術がない。決まったとシンは思ったとき、光の針の射線上に突如として魔法陣が浮かび上がる。

 魔法陣の中に光が溢れ、中から誰かが現れようとするが構う事無く、光の針は魔法陣の中にいる人物を貫こうとする。

 だが――

 

「何の断りも無く呼び出して、いきなりこれか」

 

 その人物は最速の光の針を指先で容易く掴み取る。

 

「折角、ヒトが楽しんでいたというのに召喚されたときは正直、殺してやろうかと思ったが……」

 

 魔法陣が消えると同時に中の人物の姿も明らかとなる。

 龍を模した白い鎧。その姿はシンも知っている。

 

「こういった状況ならば大歓迎だ」

 

 掴み取った光の針を砕き、白龍皇ヴァーリは喜色に満ちた声を出す。

 悪魔、堕天使、魔人の三つ巴の戦いの中に新たな混沌が加わる。

 

 

 




時系列や場面が行ったり来たりしているのであまり進んではないかもしれません。
色々と合流などするのでしばらくは続きそうですが。

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