ハイスクールD³   作:K/K

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横槍、悪化

「派手なことになっているな」

 

 駒王学園から数キロほど離れた場所に建つビルの屋上で数人の男女が、学園の敷地内から天に向かって昇る複数の光の柱と漆黒の光を見ていた。

 通常の視力ならばまず見ることなど出来ない距離である。しかし、彼らは学園内で何が起こっているのか、その詳細について把握していた。

 彼らの正面には歪んだ空間が広がっており、そこには複数の映像が映っている。

 校庭で突如起こった惨劇に動揺する三勢力の姿。旧校舎内で魔術師たちに襲われ、そこから逃げ始める二名と他数匹の使い魔。三勢力の軍団を一掃し意気揚々としている妖艶な女性等々。同じ時間、違う場所の光景が映し出されていた。

 

「にしても結局はじいさんの力に頼るのかよ。はっ! 情けねぇな! 自信たっぷりでやった結果がこれかよ!」

 

 複数の男女の中で筋骨隆々とした男が映し出された映像を見ながら、鼻で笑い嘲笑を向ける。

 

「まあ仕方ないんじゃないの? おじいちゃんがいれば大概のことはできちゃうしさ。あー、でもそれを自分の力と錯覚してたらどうしよう」

 

 筋骨隆々とした男の言葉に対し、嘲笑している人物への肩を持つ様な発言をする金髪の女性であったが、言葉の端には男と同じく見下すような響きがあった。

 

「というかここで指を咥えて見ているよりもここはいっちょ俺っちたちも参戦としゃれこみましょうぜ! いやー、只見ているだけだと色々フラストレーションが溜まる一方なんですよー! 更に更にー、画面には俺様が殺してやりたいランキング堂々一位のイッセーきゅんと間薙きゅんも映っているじゃあーりませんか! ここで黙って見ているのは男じゃないですたい! ――つーか殺らせろ」

 

 そんな中、一際高いテンションで喋り続ける男。白髪に神父服を纏った青年――はぐれ悪魔祓いフリードは自らの欲望と殺気を隠すことなく曝け出す。

 

「あまり勝手なことを言わない方がいいよ、フリード。それに大人しく見ているという条件で連れてきたのを忘れていないよね? ……それに参戦したところで大した成果なんてだせないさ。君、あんまり強くないし」

 

 フリードと同じ白髪をした青年。その腰には複数の剣が帯刀されている。

 

「あーん? ジーク君? もしかして僕チンの聞き間違えかなー? 今、俺のことを『弱い』って言わなかったー? 同郷のよしみでもう一度だけちゃーんと正しく言えるチャンスをあげよう! さっきは何って言ったの?」

「腕も良くなければ耳も良くないんだね、フリード」

「はい! 殺ーす!」

 

 只でさえギラつくような殺気を放っていたフリードはジークと呼ぶ青年の一言で更なる殺気を周囲にばら撒き、いつでも戦う状態に持って行ける様懐に手を入れる。

 

「誰が誰を殺すのかな?」

 

 一般人ならば呼吸が止まる程の重圧と殺気を向けられても、ジークはそよ風でも受けているかのようにあっさりと流し、それどころか口元には微笑を受かべている。

 

「俺様がーチミを殺るに決まってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁ! ちょうどいいからじいさんから貰った『アレ』の試し切りをお前さんでしてやんよぉぉぉぉ! 前々から気に入らなかったんだよねー! 俺! てめぇのこと! その笑い方はどこぞのクソ騎士くんを思い出すしさぁぁぁぁぁぁ! そして何よりその髪の色! キャラ被ってんだようらぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 今にも飛び掛かりそうなフリード。それを見たジークも何本も帯刀している剣の内の一本の柄を軽く握る。その途端、場には肌が粟立つような闘気が満ちる。

 あらゆるものを燃やし尽くすような烈火の如き殺気と、まるで最初から無いかのような静寂な闘気。対照的な気が場を渦巻き、一触即発の空気と化す。

 

「そこまでだ」

 

 そんな空気の中で響く凛とした声。声の主はフリードとジークの間に割って入り、二人に手を向け制止を促す。

 場に満ちる気だけで失神しそうな程であるにもかかわらず、最も濃密な気が流れる両者の間に立つその人物は、さも何も無いかのように普段通りに振る舞っていた。

 漢服を羽織った青年は二人に不敵な笑みを向ける。

 

「俺達はあくまでここで傍観をするために来ている。傍観者は傍観者らしく大人しく事の成り行きを見守っているものだ。それに俺達は。目的はどうあれ同じ旗の下に集う仲間じゃないか。仲間同士争うのは悲しいことだぞ?」

 

 諭す様な口調で話し掛ける漢服の青年。それを聞いて先に臨戦態勢を崩したのは、剣の柄から手を離したジークの方であった。

 

「君の顔を立てるよ。僕も少々大人気なかった」

 

 そう言ってジークはフリードから顔を離し、他のメンバーと同じように映像の方に目を向ける。

 

「フリード、君も――」

「あー、はいはい! 分かりました分かりましたよー! ここであんたと争っても何の得もありませーん! 大人しく鑑賞タイムを続けさせていただきますよー!」

 

 漢服の青年が言うよりも先にフリードは懐に伸ばしていた手を引き、争う意思は無いことを証明するように両手を上げると、そそくさと逃げていった。

 

「分かってくれればそれでいいさ」

 

 漢服の青年が微笑み、映像が映る空間へと戻ろうとすると、その側にローブを纏う眼鏡の青年が近付き、小声で話し掛ける。

 

「本当に奴〈フリード〉を我らの仲間に加えていいのか? 情緒不安定な上に今の様に誰彼構わず殺意を向ける。余計なトラブルを生むかもしれないぞ?」

「そうかい? 結構、ユーモラスがあって面白いと俺は思うがな……」

 

 眼鏡の青年がフリードの性格を不安視するが、漢服の青年は逆にそれを良しとする。その態度を見て眼鏡の青年は溜息を吐いた。

 

「……お前が選んだ相手だ。俺達には分からない何かが見えたのだろう。お前はそういった点が優れているからな。分かった、この話はここまでにしよう」

 

 眼鏡の青年は漢服の青年を信頼し、危険分子になりえるかもしれないフリードのことについては一旦保留し、別のことを聞く。

 

「さっき言っていたが本当にわざわざ観る為だけにここに来たのか? 他のメンバーを引き連れて……お前の狙いは一体何なんだ?」

 

 その問いに漢服の青年は口の端を歪め、愉しそうな表情を造る。

 

「今はただ静観するだけさ。――今は、ね」

 

 敢えて強調する言い方であったが、眼鏡の青年はそれ以上追及することはなく、そうか、と言った後漢服の青年から離れた。その行動は眼鏡の青年が漢服の青年へと示す信頼の証とも言えるものであった。

 

「さて、次はどう動くかな?」

 

 期待する様に呟きながら、刻一刻と変化する映像を見詰める漢服の青年たち。

 だが、この場所で傍観している彼らも知ることは無かった。この場所より遥か高く、空より遥か遠い場所で、彼らと同じく駒王学園で起こっている戦いに眼を向けている存在について。

 その存在は、肉眼では見られない程離れた距離で起こっている戦いを眺めながら、短くも強い罵倒の言葉を吐き捨てた。

 

「馬鹿共がっ!」

 

 

 

 

 新校舎校庭。そこでは二つの力が衝突し、周りの魔術師たちはその被害に巻き込まれ、戦う前から脱落させられていく。

 一方の力は槍を携えるセタンタ。その速度はその身を霞ませる程であり、一瞬たりとも実体を見せない。

 もう一方の力は白龍の鎧を纏うヴァーリ。神速と言える速度で突きを繰り出すセタンタの動きについていく。

 セタンタとヴァーリの距離約二メートル。ヴァーリからすれば間合いの外ではあるが、セタンタからすれば槍の範囲内である。

 短く息を吸い、吐き出すと共に手に持つ槍が、地に映る影すら置いて行く速度で繰り出される。その数、刹那の間に五。額、心臓、肺、肝臓、腎臓、どれもが急所となる部位を狙っていた。

 ほぼ同時に迫る突きに対し、ヴァーリは頭部を覆う鎧の下でその技量に見惚れながらも、己が四肢を全て動かす。

 額狙いの突きは左の拳を刃先に接触させ軌道を逸らし、次に狙われた肝臓、腎臓は右腕を盾にして防ぐ。そして肺を狙う突きをその場でやや上体を仰け反らせつつ、振り上げた爪先で柄の側面を蹴り上げ、狙いをずらす。

 最後に残るは心臓。だがこのときヴァーリは避ける動作を見せず、寧ろ迫る槍を迎え入れる様に両手を広げる格好をする。

 それを見た瞬間、セタンタは神速で突き出した槍をほぼ同じ速度で手元へ引く。穂先が鎧に触れるか触れないかの瞬間、槍は同じ軌道に沿って後ろに引かれて行くが、直後先程まで穂先があった場所にヴァーリの両掌が打ち鳴らされる。

 鎧を纏う両掌が衝突し合う音はそれだけで武器になるのではないかと思えるものであり、事実、その轟音を聞かされた魔術師たちの何人かは両耳を押さえて赤子のように身体を丸める。至近距離でそれを聞かされたセタンタも、他の魔術師たちほどではないがその音が少し堪えたらしく、僅かに眉間に皺が寄る。

 耳鳴りを感じながら、セタンタはヴァーリと距離をとった。

 それが狙いではなかったことはセタンタも分かっている。本当の狙いはセタンタの武器を破壊することであり、先程のはただ空振っただけに過ぎない。

 しかし、とセタンタは内心考える。あのとき間違いなくヴァーリは自らの心臓を囮にしていた。例え白龍皇の鎧を纏っていようとも完全に防ぎきれる保証など無い。実際、セタンタはヴァーリの鎧に傷を付けている。

 それだというのに、己の身を危険に晒してまで相手を攻める姿勢には、少々納得は出来ないものの、敵ながら見事と言わざるを得ない。

 これでリアスや一誠とほぼ変わらない齢だというのだから、末恐ろしさを感じさせる。

 

「あと少しだったかな?」

 

 挑発するような言葉をセタンタに向けるが、セタンタは答えない。

 ヴァーリとの戦いが始まってからそれほどの時間が経過しているわけではないが、短い時間で濃い内容の戦いをしてきた。

 最初の方はまだセタンタの槍捌きがヴァーリの動きを凌駕していたが、戦いを重ねるにつれ槍の動きにヴァーリの動きが追い付いて来ていた。

 無論、まだセタンタの方も全力を出し切っている訳では無い。白龍皇の能力を警戒し、踏み込みを浅くし、間合いも必要以上にとって戦っているが、それでもこの短時間の間にセタンタの動きを観察し、それによって得たものを自らの力に還元している。

 天賦の才とも呼ぶべきもの、その才を生かす為に齢に合わない程の死線や場数を踏んできたことが、槍から伝わる拳の重みで理解出来た。

 だからこそ腹立たしく思う。その力や才をこの様なことに使うことが。

 

「そんなに愉しいか?」

「ん?」

「思う存分、戦うことがそんなに愉しいのかと聞いている」

 

 顔が隠れていようとも全身から放たれる闘気に喜色が混じっているので、嫌でも仮面の下の表情がセタンタには分かった。

 

「愉しい……本当に愉しいさ。俺にとって生きることなんてどうでもいい。生きることに命を消費するぐらいなら戦いにだけ命を注ぎたい」

「その考え、長生きしないな。その身に宿る白龍〈アルビオン〉も同じ考えか?」

『ヴァーリがその生き方を願うならば私はその生き方を見守り、力を貸すだけだ』

 

 セタンタの問いにアルビオンは迷いなく答える。

 

「長生きしない、か……はははは。前にも同じことを言われたよ。だがそれでもこの性は変えられないな。戦いを求め、強敵と戦う。それだけが俺を満たす」

 

 典型的とも言える戦闘狂思考を持つヴァーリにセタンタは辟易する。単純にその思考のみならばすぐさま排除しているところだが、厄介なことにその思考の持ち主は天稟の才を持っている。思考と素質が嫌気が差すほどに噛み合っており、それ故に短い期間で異常なまでの成長を続けている。

 

「あなたには感謝しているんだ。あなたは強い。その強さは俺が戦う相手に求める強さだ。『彼奴』以外にもこれほどの強者が居るのを知ると、世界の広さを感じられる」

 

 嬉しそうにセタンタの実力を褒めるヴァーリであったが、セタンタの方は褒められても何一つ嬉しくなど無かった。こうでもしなければ白龍皇という危険な存在を足止め出来なかったことは理解出来るが、結果として彼の欲求を解消する手伝いをしていると思うと複雑な気分になる。

 

「もっとだ! もっとあなたの力を俺に見せてくれ!」

『Half Dimension』

 

 宝玉から声が響き、ヴァーリの全身が白いオーラによって包まれる。

 それを見たセタンタは槍を握る手に力を込め、何時でも動ける状態を維持する。

 ヴァーリの手がセタンタへと向けられた瞬間――

 

(何っ!)

 

 眼前にヴァーリの姿があった。

 瞬きなど視界を遮るようなことは一切してはいないにも関わらず、離れた場所にいたヴァーリのとの距離がいつの間にか零となっている。

 既に拳が届く範囲にまで接近しているヴァーリは、セタンタの胴体目掛け拳を突き出す。何故間合いが一瞬で詰められたのかセタンタは分からなかったが、それを考えるよりも先に目の前に迫る拳に体が動いていた。

 セタンタは手に持つ槍の柄頭を地面に叩き付けると同時に、その柄をヴァーリの拳の側面へと当てる。僅かな接触で軌道が逸れたのを見たセタンタは、突き立てた槍を軸にして身体を旋回させる。

 ヴァーリの拳の圧を背中で感じつつ、身体を回す勢いのままヴァーリの首に踵を叩き付けた。

 踵越しに伝わる鎧の感触。鎧越しでも分かる、今恐らくヴァーリの首は鋼の如き筋肉で固められており、放った蹴りなどでは決して折れはしないことを。

 首筋に当てられた足にヴァーリの手が伸びるのを見たセタンタは、もう一方の足をヴァーリの胸部に叩き付け、その勢いで後方へと宙返りする。

 そのまま追撃が来ることを考え、着地と同時に更に後方へと跳んだが予想は外れ、ヴァーリの追撃は来なかった。

 

「今のを初見で避けたのはあなたで二人目だ」

 

 蹴られた箇所を擦りながら、動きを確認するように軽く首を回す。その動きを見るだけで全く効いていないことが分かる。

 自分の技を使用してもセタンタに触れることが出来なかったヴァーリだが、悔しさなど無く、寧ろ避けられたことを嬉しがっているようであった。

 セタンタはヴァーリへの注意を向けつつも、自分が今立っている位置を確認する。見間違いでなければ、そこは先程までセタンタが立っていた位置である。ヴァーリの方も良く見ると最初に立っていた位置から前進している。

 つまりあの瞬間、セタンタとヴァーリは互いに急接近していたということとなる。

 先程の攻撃を辛うじて回避することは出来たが、それはセタンタの方が戦う者としての経験の厚みがヴァーリよりも上回っているからである。ここから先、同じような方法で攻められるなら今の様に回避出来る保証は無い。一度でも触れられたら、その時点でセタンタとヴァーリの実力は逆転する。

 こちらは一度でも触れられたら負けに繋がるが、向こうは何度も触れられようが一切問題無い。つくづく『神滅器』の能力に嫌気を覚える。

 

(何をした? 相手の力を半分にして自分に加算するのが白龍皇の能力だった筈だが……まだ他に能力があるのか?)

 

 

 白龍皇の詳細について知らないセタンタは、険しい表情でヴァーリを睨みつける。

 

「なら次はこれを――」

 

 そこまで言い掛けた瞬間、ヴァーリの足元に魔法陣が描かれる。術式の紋様からして転送用の魔法陣であった。

 

「こんなときに!」

 

 明らかに苛立った声を出すヴァーリを見て、それが強制的に呼び出されたものであることを把握する。

 

「――また次の機会に」

 

 憮然とした声と共に、ヴァーリの姿は魔法陣の中へと消えて行った。対象を転送したことで描かれた魔法陣も消える。

 

「……こうなるとはな」

 

 魔法陣があった場所を見ながらセタンタは一人呟く。互いに実力を完全に出しきってはいない為、不完全燃焼な結末であった。

 だがそれにいつまでも浸る訳にはいかない。誰がヴァーリを呼び出したのかセタンタは知らない。

 

『グレイフィア、聞こえるか?』

 

 通信用の魔術で新校舎内にいるグレイフィアに脳内で呼び掛ける。まだ周りには魔術師たちが居るが、セタンタの眼中には無かった。

 

『どうしました? もう間もなく魔術師転送用の魔法陣の解析が済みますが』

 

 セタンタの頭の中にグレイフィアの声が響く。

 

『単刀直入に言う。白龍皇は敵と内通していた』

 

 その報告を聞いた瞬間、グレイフィアは無言であったが、動揺していることは声を聞かずとも分かった。

 

『――そうですか。分かりました』

 

 次に聞いたグレイフィアの声に動揺による揺らぎは無かった。魔王の『女王』を務めるだけのことはあり、切り替えの早さは流石であった。

 

『こちらからも報告します。サーゼクス様は現在、魔人と交戦状態にあります』

『――そうか』

 

 短く答えながらセタンタは視線を上空に向ける。そこでは赤い魔力の光と閃光の様な光が衝突しては消え、衝突しては消えを凄まじい勢いで繰り返していた。

 推測出来ることではあった。魔人という存在を相手にしてこちら側でまともに戦える戦力があるとすれば魔王であるサーゼクスとセラフォルー、四大天使であるミカエル、堕天使総督であるアザゼルしか居ない。

 自分が仕えるサーゼクスが魔人だいそうじょうと戦っていると知り、セタンタは気持ちがざわつくのを感じるがそれを表には出さない。出せる筈が無い。

 この場に於いて最もサーゼクスの身を案じているのはグレイフィアであり、そのグレイフィアが冷徹な態度を貫いているのに、自分などが軽々しく感情を表に出す訳にはいかなかった。

 不安はある。だが、セタンタはサーゼクスの力を信じていた。サーゼクスならば魔人に敗れる筈が無い、と。

 

『そして、今回のテロの首謀者は旧魔王派であるカテレア・レヴィアタンです。彼女はアザゼル様と交戦中です』

 

 旧魔王派。その言葉を聞き、セタンタの眉間に深い皺が刻まれる。

 いつか何らかの行動を起こす。そう思い、不審な動きが無いか監視の目を光らせていたが、こういった肝心なときにそれを見逃してしまい、このような事態を招いた己の不甲斐なさに腹の奥で怒りが煮え滾る。

 

『貴方の責任ではありません。このようなことになったのは悪魔全体の問題です』

 

 沈黙から何を考えているのか悟られたらしく、グレイフィアからフォローをする言葉を掛けられた。有り難いが、男としては内心を見抜かれたことに恥ずかしさも感じられる。

 

『すまない。――そして、現状は把握した』

 

 転送されたヴァーリ。可能性としてはカテレアが増援として呼び寄せた可能性が高いと考えられた。ヴァーリの裏切りはまだアザゼルには知られてはいない。戦力として、またはヴァーリをアザゼルの前に出して精神的動揺を与える為に呼んだのでは、とセタンタは推測した。

 

『ここ一帯の魔術師たちを一掃した後、アザゼルと合流する』

『分かりました。ならば間も無くそちらに援軍が来ると思われます』

『援軍?』

 

 その瞬間、雲の無い場所に稲光が見える。その音と轟音に魔術師たちの視線が集中したときを狙い、三陣の影が魔術師たちの間を駆け抜けていく。

 影の一人、木場はその両手に持つ二振りの魔剣を素早く振り、接近した魔術師の手足を斬る。派手な流血はしているものの致命傷には遠く、斬られた魔術師たちは絶叫を上げて地面で身悶えする。

 もう一つの影、ゼノヴィアは手に聖剣デュランダルを持ち、聖剣の腹を魔術師たちへと叩き付ける。単純に斬るだけでは殺傷力が高すぎる為、斬るのではなく叩くという方法で魔術師たちを蹴散らしていくが、聖なる力は無くとも客観的に見れば金属の塊であるデュランダルを叩き付けられた魔術師たちは無事では済まず、腕に叩き付けられれば腕が曲がり、足に叩き付けられれば足が曲がり、胴体に叩き付けられた者などそのままくの字になって地面を滑空し、地面を転がるころには白目と泡を吹いて気絶していた。

 そして三つ目の影、イリナがその手に持つ『擬態の聖剣』を振るえば、たちまち刃が枝分かれを起こし、イリナが正面を向いたまま背後の魔術師の脹脛を抉り、それとほぼ同じタイミングで左右に立つ魔術師たちの両膝を貫く。

 閃光が起こり、消えるまでの間に半数以上の魔術師たちが戦闘不能状態に追い込まれるものの、それでもまだ残っている魔術師たちがいる。

 新手の存在に気付き、すぐさま魔術を唱えようとする魔術師であったが、唱えるよりも先にその首に黒い紐状の物体が巻き付く。慌ててそれを外そうとするが、途端に体から力が抜け始める。力が急速に失われていく指先では巻き付く黒い紐を外すには無力であり、そのまま完全に力を吸い取られて意識を断たれてしまった。

 三人よりも少し遅れて登場した匙は自らの神器である『黒い龍脈』を操り、その力で次々と魔術師たちの力を吸い取っていく。

 だが魔術師もそれを黙って見る訳も無く、匙の神器から逃れた魔術師が匙を狙い魔術師を唱える。

 しかし、その魔術師の懐に飛び込む白く、小柄な姿。それに魔術師の意識が向くと同時に懐へと飛び込んだ人物――小猫の拳が魔術師の鳩尾にめり込み、腕力にものをいわせてその身体を宙に舞わせる。

 五人の迅速な動きで魔術師たちの数は既に三分の一を下回っていた。目に見える早さで仲間の数を減らされていくことに焦った魔術師たちは口早に詠唱を唱えるが、それらが完了するよりも先に再び空が光、そこから発生した無数の雷に体を貫かれ、絶叫する暇も無く地に伏し、その身体から焼けた匂いと白煙を上げる。

 

「これで全部ですわね」

 

 雷を放った本人である朱乃は、地面に倒れ、呻き声を上げながら悶えている魔術師たちを見ながら地面に降り立つ。

 

「セタンタ様、無事ですか?」

「ええ、私は無事です。そうですか、援軍は貴方たちでしたか……」

 

 セタンタは六人の顔を見回した後、戦闘不能になった魔術師たちを見る。

 

「腕を上げましたね、皆さん」

「いえ、師匠にもセタンタ様にも敵いません」

「まだ、セタンタ様には及びませんわ」

「……日々、鍛練中です」

 

 セタンタの賞賛に木場、朱乃、小猫は謙遜した態度を見せる。

 

「貴女もリアス様が見込まれただけあって、良い腕をしています。この先が楽しみですね」

「ふっ。そう褒められると少しこそばゆいな」

 

 初めてゼノヴィアの実力を見たセタンタはその実力を高く評価する。それを聞き、ゼノヴィアは少しだけ照れていた。

 

「貴方達も御助力感謝します」

 

 イリナと匙へ頭を下げるセタンタ。それを見た匙は慌てて首や手を振る。

 

「いや! そんな頭を下げられる様なことをしていませんって! それに噂に聞くセタンタ様の実力なら寧ろ足を引っ張ったかも――」

「いえ。助けられたのは事実です。この恩は必ず返します」

 

 丁寧な態度でそう言われてしまうとこれ以上、言うのは失礼と考えたのか匙は『そ、そうですか』とだけ言い、そこで会話が終わる。

 

「あの?」

「はい?」

 

 イリナがセタンタに声を掛ける

 

「魔術師たちの命、奪わなかったんですね」

「それは貴方方も同じ筈ですが?」

「直前までは裁くつもりでしたけど、事前に倒されていた魔術師たちにまだ息があったのを見て、倒すだけに留めました。正直、貴方ならば魔術師を簡単に殺せる筈だと思いますが……」

 

 イリナの言った通り、イリナを含め木場たちは、最悪魔術師たちの殺害も考えの一つとして含めていたが、戦闘不能になっている魔術師たちの生存を確認したと同時に気絶、もしくは戦えない状態にする方針へと決めた。理由としては木場たちがセタンタが何かを考えて魔術師たちを生かしているのに、自分たちがそれを台無しにする訳にはいかないというものである。

 

「大層な理想や理由がある訳じゃありませんよ。場所さえ違えば私はこの魔術師たちを殺していたでしょうし」

「場所?」

「リアス様、貴方達、そして顔も知らない生徒の方々が通う学び舎を死臭で染める気にはならなかっただけですよ。只の私の独り善がりです。貴方達には気を遣わせましたね」

「そうですか。でもその気持ち、少しだけ分かります」

 

 イリナは横目で一瞬だけ、ゼノヴィアを見るのであった。

 

『セタンタ、援軍は着きましたか?』

 

 途切れていたグレイフィアの声が再度、頭の中に響く。

 

『ああ。十分な成果を見せて貰った』

『それならば、良かったです。こちらも相手の魔法陣の解析が済みました。これ以上の増援は――』

 

 そこでグレイフィアの声が止まる。

 

『どうした?』

『これは――新たな――こちらの魔術を――利用され――罠――気を――』

 

 突如としてグレイフィアの声に雑音が混じり始める。通信用の魔術が妨害されている証であった。

 

『何だ! 何があった!』

『解析――魔法陣――逆に――送られ――』

 

 必死になってこちらに何かを伝えようとしているが、断片的な単語のせいで正確な内容が分からない。

 そこに追い打ちを掛ける様に木場の鋭い声が飛ぶ。

 

「セタンタ様!」

 

 グレイフィアとの会話に傾けていた意識が自分の周囲に向けられ、そこで広がる光景に僅かに目を見開く。

 地面に倒れ伏し、悶えていた魔術師たちの身体が淡い光に包まれたかと思えば、見る見る内に裂かれた傷、折れた手足が元の状態へと修復されていく。それだけでも厄介であったが、傷が治り立ち上がった魔術師たちの眼は明らかに焦点があっておらず、口の端からは獣の様に涎を垂れ落としている。

 そして事態を更に悪化させる様に、新たな変化が起きる。

 変化が起きたのは校庭内に浮かび上がる魔術師たちを送り込んでいた魔法陣。そこに描かれた文字が生物の様に蠢き、その形を変え別の文字へと変化していく。

 

「リアルタイムで魔法陣を書き換えている! それも遠隔で!」

 

 魔術に精通している朱乃が魔法陣の変化と何が起きているのか理解し、驚きの声を上げた。

 

「気をつけて下さい! 恐らく転送前の場所が変更されています! 次に出て来るのは魔術師ではないかもしれません!」

 

 変化した魔法陣。そして四方を囲む理性を失った表情をした魔術師。先程まで勝利の雰囲気から一転し、窮地へと変わっていた。

 

「――来ます!」

 

 書き換えられた魔法陣から魔力光が溢れ出す。何か出て来るのか警戒する一同。別の魔術師か、あるいは怪物か、それとも別の何かか。

 緊張する一同の前で魔力光が収まる。

 

「あ、あれ?」

 

 が、どういった訳か魔法陣の中には何も無く、拍子抜けしたのか匙が呆けた様な声を洩らす。

 だが、一瞬の間を置いて魔法陣の中から霧が突如噴き出し、一帯全てを覆い尽くすのであった。

 

 

 

 

「繋がったぞ」

「ご苦労、ゲオルク」

 

 ビルの屋上に描かれた魔法陣の中心に立つ眼鏡の青年、漢服の青年からゲオルクと呼ばれた彼はそう言って魔法陣から離れる。

 

「我が霧の一部は充分にあの学園を包み込んでいる。新校舎内に居る者は誰一人旧校舎には向かえまい」

「良し良し。これで整った舞台は誰にも邪魔されることはないな――と言いたい所だが、念には念を押しておかないとな。レオナルド」

 

 名を呼ばれ前に出て来たのは集団の中で最も幼い、まだ少年と呼べる年齢の男子。レオナルドと呼ばれた少年は無言のまま漢服の青年の側に寄る。

 

「何十体か向こう側に送ってくれるか?」

 

 漢服の青年の頼みに一言も喋らずに頷く。するとレオナルドの足元に映る影が人型から大きく姿を変え、魔法陣に向かって伸びていく。

 そこでレオナルドは漢服の青年の顔を見上げた。

 

「強さはさほど必要ない。あくまで足止めに向いたしぶとい奴がいいな。対攻撃用と言った所かな?」

 

 何を意味した言葉なのか傍から聞けば全く理解出来ない内容であったが、レオナルドは理解したのか首を縦に振る。

 それを切っ掛けに魔法陣にまで伸ばされたレオナルドの影が、沸き立つ湯の様に黒い泡を出し始める。

 弾けて飛び出した黒い泡はそのまま魔法陣の中に吸い込まれ、消えていく。その数は漢服の青年が先程言った数と同じ数十程であった。

 

「お疲れ」

 

 漢服の青年は労う様にレオナルドの頭を軽く撫でる。撫でられているレオナルドの表情に変化は無く、黙ったままであったが、それを拒まないことから彼自身、悪い気はしないらしい。尤も反応は極端に薄いが。

 

「本当に良かったのか?」

「何がだ?」

 

 レオナルドの頭を撫で終えた漢服の青年に、ゲオルグが声を掛ける。

 

「俺達がここに来ていることはだいそうじょうには報せてはいない。俺の霧を見ればすぐに俺達が来ていることが分かるぞ」

「だいそうじょう殿ならば笑って許してくれそうだがな。それに付いて来るなとは一言も言われてなかったしな」

 

 冗談っぽく言いながら、漢服の青年は愉快だといった感じで笑みを見せた。それを見てゲオルクは溜息を吐く。

 

「自分で大人しく傍観すると言っていたくせに……」

「ははははは! ちゃんと聞いておけ、ゲオルク。 あのときは『今は』と言っていた筈だぞ?」

「分かった分かった」

 

 如何にも生真面目そうなゲオルグは、飄々とした態度の青年とこれ以上会話をしても無駄だと悟り、それ以上この話については追及しなかった。

 

「魔人と魔王。赤龍帝と白龍皇。そして魔人と魔人。折角出来上がったこれ程上等な組み合わせの戦いに、他の奴が横槍を入れるのは興醒めだ。思う存分、心行くまで戦い合ってもらおう」

 

 そう言いながら漢服の青年は、年に見合わない覇気に満ちた笑みを駒王学園に向けるのであった。

 

 

 

 

 ごく短時間で両者の間にどれほどの数の攻防があったのであろうか。

 周囲に遮蔽物の無い上空。そこでは一秒たりとも途切れずに、あらゆるものを滅する赤の魔力光と、あらゆる邪を祓う破魔の光が交錯しあっていた。

 破魔の光を操るだいそうじょうは相手の死角を狙い、三百六十度あらゆる角度に破魔の陣を描き、そこから破魔の光を顕現させる。それも一つや二つなどでは無く、一度に数十もの陣を生み出し、逃げ道を完全に封じる。

 並どころか上級の悪魔ですら、それを見た途端心を折られ、自らの生を諦める光景を見ても、陣に囲まれたサーゼクスは顔色も表情も変えず、冷や汗すら流さない。自分を囲む破魔の陣の位置を正確に判断すると同時に、両手から集束させた滅びの魔力の球体をその陣に向けて放つ。

 放たれた魔弾は正確に幾つかの陣の核となっている部分を撃ち抜く。それにより完全に塞がれていた逃げ道が一部開き、サーゼクスは開けた場所から抜けると直後、さっきまで居た場所に多方から破魔の光が襲い掛かっていた。

 破魔の囲いから抜け出したサーゼクスはすぐさまだいそうじょうに向け、魔弾を放とうとするがそれよりも先にだいそうじょうが動く。

 

「破ッ」

 

 数珠を持つ手を突き出した瞬間、見えざる衝撃がサーゼクスの全身を叩く。勢いで木の葉の様に吹き飛ばされるサーゼクスであったが、飛ばされながらもその眼はだいそうじょうから離れず、錐揉みした状態で魔弾を放った。

 どれもが意志を持った様に複雑な軌道を描いてだいそうじょうへと襲い掛かる。

 

「喝」

 

 だが、だいそうじょうが言葉を発した瞬間、破魔の光がだいそうじょうの周囲を包み込む。

 赤い魔弾が破魔の光の膜に触れると、滅びの魔力で容易く触れた部分を消し去る。しかし、だいそうじょうが展開する光の膜は一枚や二枚などという生易しいものではなく、何百という層を造り上げていた。

 破魔の力と滅びの魔力。対抗する力としては相応しいかもしれないが、結局の所、滅びの魔力は悪魔の力である。サーゼクスの力がそれら全てを滅するにはサーゼクスとだいそうじょうの力とは相性が悪く、力業で超え様にも両者の力に差は無い。故に放たれた魔弾もやがて破魔の力を消滅しきれなくなったのか、光の膜の三分の二程を貫いたときに自壊してしまった。

 

「怖い怖い。ここまで入り込まれるとはのう」

 

 一度展開すれば、魔に属するものならば決して踏み込むことも出来ない絶対的な領域に深く侵入してきたことに対し、だいそうじょうは賞賛に似た言葉をサーゼクスに向ける。

 対するサーゼクスは羽を器用に動かし、体勢を整えると油断無く構える。全身に魔力を纏っていた為、サーゼクスもまた無傷であった。

 

「もう少し『本気』であったのならば危なかったかもしれんのう」

 

 内心を見透かす様な言葉にサーゼクスは、表面上は無反応であったが心臓の鼓動は僅かに早まる。

 だいそうじょうの言った通りサーゼクスはまだ全力を出し切ってはいない。否、出せなかった。

 仮に全力を出す様な真似をすれば、この学園を結界ごと消し去り、そのまま街ごと滅ぼしかねない。更にサーゼクスが本気を出せば必然的にだいそうじょうもまた本気を出すのは間違いなかった。

 今は抑えた実力のサーゼクスに合わせてはいるものの、魔人であるだいそうじょうが全力を出せば、この街に住む人々を一瞬にして昇天、もしくは呪殺することなど容易い。

 

「わざわざこのような高い場所で戦うのも単に周りの被害を最小限にするためであろう?」

「やれやれ――老獪とはこのようなことを言うのかな?」

 

 目論見を全て見抜いた上で敢えて相手に合わせるだいそうじょうに、サーゼクスは苦笑を浮かべる。

 自分の戦い方に付き合ってもらう点では有り難いが、逆に言えば、だいそうじょうがその気になればいつでもこの戦いを破綻させることが出来る。

 戦いの主導権がだいそうじょうの手に握られつつあった。

 

「いつまでも小技で攻めたところで拙僧には届かんぞ?」

「ふむ。――ならこれはどうかな?」

 

 その瞬間、自壊し漂うだけであった魔弾の残滓がだいそうじょうの死角で急速に集まり、再び球体を形作る。

 

「む?」

 

 だいそうじょうもそれに気付き、再び破魔の光で自身を包もうとするが、その展開よりも魔弾の方が速さを上回っていた。

 背後から撃ち出された魔弾はだいそうじょうの肩部に触れた瞬間、拳程の大きさからだいそうじょうの身体を呑み込まんと一気に膨張する。

 赤い魔力に触れた箇所から消失し、だいそうじょうの肩から腕にかけて消滅の魔力の中へ消えていく。

 体の半身が消え去り、残りの半身も消し去ろうとするがそれよりも速く、だいそうじょうの姿が消える。

 すぐさま消えただいそうじょうの姿を眼で追う。消えただいそうじょうはサーゼクスから十数メートル程距離が離れた場所に居た。

 

「不覚。拙僧も耄碌したかのう」

 

 片腕を失っただいそうじょう。しかし、その声に動揺など全く無い。

 

「恐るべき精緻な力の操作。感服する」

 

 例え己の魔力であろうと一度その身から離れれば、それを操作するのは至難の業である。だがあろうことかサーゼクスは遠隔で散った魔力を操り、それらを再び形にするという離れ業を、実戦の場で容易く行ったのだ。

 

「しかし――」

 

 だいそうじょうは独鈷鈴を鳴らす。涼やかな音色と共にだいそうじょうの身体は淡い光に包まれた。すると消失していた部分が時を逆回しにされたかのように修復されていき、最後には元の数珠を握る白骨の手へと戻っていた。御丁寧にも黄衣の袖まで元に戻してある。

 

「拙僧の命を絶つには程遠い。狙うのであれば次はここにするべきじゃ」

 

 だいそうじょうは自らの額を指先で叩く。

 悪魔にとって毒そのものである破魔の力を自在に操り、重傷と言える傷を即治癒する力。底知れない相手だということは分かっていたが、これほどまでの力を難なく操るだいそうじょうという存在を前にし、サーゼクスは改めて魔人の強大さを知らしめられる。

 並の精神ならばこの時点で心を折られているかもしれない。だが、魔王という悪魔を導く立場にあるサーゼクスの心には、魔人に対しての怯み、恐れなどは一切湧かない。寧ろその力を知り、相手を自分が引き受けていることに安堵すら覚えていた。少なくとも自分が魔人の相手をしている限り、その力の矛先が他に向かうことが無いと。

 しかし、事態は常に動いていく。それもサーゼクスが望まぬ方向へと。

 

「――ふむ」

 

 微かな呟きと共にだいそうじょうの身体が、一瞬ではあるが硬直した様な動きを見せた。その動きにはサーゼクスも見覚えのあるものであった。

 脳内に念話が飛ばされたときの動きである。

 

「世話が焼ける」

 

 だいそうじょうは再び独鈷鈴を鳴らし、その音色を響かせる。今度はだいそうじょうの身体は淡い光に包まれない。

 ならばその音色は誰に届けたものなのか。

 途端、サーゼクスは宙に無数の魔弾を生み出し、それら全てをだいそうじょうに向けて放つ。

 だいそうじょうは独鈷鈴を奏でたまま短く呟くと、だいそうじょうを中心として四角に破魔の陣が描かれ、それらが光によって結びつき四角状の破魔の光を生み出す。

 破魔の柱に魔弾が衝突するが、今度は滅びの魔力を以てしても奥へと侵入することが出来ない。滅びの魔力の力は確かに機能しているが、消滅した部分から即座に光が溢れ出し、抉られた傍から修復されていく。

 より強固な結界の中に身を潜ませるだいそうじょう。放った魔弾も破魔の光を消滅し切れずに次々と消失していく。

 

「今、拙僧が何をしているのか。聡明なる汝ならばすでに気付いているであろう?」

 

 サーゼクスの内心を見透かす様な声。だいそうじょうが言った通り、サーゼクスは奏でられた独鈷鈴の音色に魔力の波動を感じ、それが新校舎、旧校舎へと向けられていることを察知していた。

 あれほどの傷を瞬時に治す程の治癒能力。それが広範囲に渡って送られている。未だにリアスたちが戦っている状況を考えれば、最悪な援護である。

 一体どれほどの数の魔術師たちがだいそうじょうの力で戦線へと戻るのか。流石に死人までは蘇らせないとは思うが。

 

「カカカカ。拙僧の力で戻せるのはせいぜい三途の川の手前までよ。渡る者、向こう岸に居る者までは引き戻せん」

 

 こちらの心を読んでいるかのようにだいそうじょうが語る。つまりは死んでいる様に見えても、場合によっては復活させることが可能だということである。

 

「現に今、呼び戻せたのは半数程度。残りは魂が既に黄泉の国へと旅立っておる。……あの狂人め。相変わらず手だけは早い」

 

 感情の色を感じさせなかっただいそうじょうの声に侮蔑の色が混じる。そのことにサーゼクスは疑問を抱くと同時に、『狂人』という単語が耳に残る。

 少なくともこの会談の場において、だいそうじょうが『狂人』と呼ぶ人物に心当たりは無い。

 誰のことを指しているのか問おうとしたとき、サーゼクスの背筋に悪寒が駆け上がる。

 まるで脊椎に氷柱を突き刺された様な感覚。それはかつてサーゼクスが体験した記憶のあるものであった。

 

「まさか……!」

 

 サーゼクスの視線が悪寒のする方へと向けられる。その先にあるものは旧校舎。一誠とリアスがシンとギャスパーを救出に向かった場所である。

 

「こんなときに!」

 

 初めて焦りに近い表情をサーゼクスが見せる。しかし、それは無理も無いことであった。最愛の妹の向かった先に最凶とも呼ぶべき敵が居る。

 その焦りを加速させるように旧校舎から高速で飛来する物体。魔力で出来た銛と思わしきもの。それを見た瞬間、サーゼクスの不安は確信へと変わった。

 空を裂きながら飛ぶ赤い魔力で形成された銛はサーゼクスの側を駆け抜け、その先に座すだいそうじょうに襲い掛かる。

 赤い銛が破魔の光に触れた瞬間、雷鳴の様な轟音を空に響き渡らせ、互いの力が反発し合う。

 銛の先端がだいそうじょうの結界へと喰い込んでいくが、そうはさせまいと破魔の力がそれを押し返そうとする。拮抗する両者の力は火花のように周囲へと散り、その余波だけでも悪魔、天使、堕天使問わず滅せられるものであった。

 それを最前線で見ていたサーゼクスは絡み合う二つの力を眩しそうに目を細めて見ていたが、やがてその拮抗が収まっていく。

 結界に突き刺さった銛が徐々に魔力を失い、形を崩し始めていき、やがて塵の様な魔力の残滓を残しながら消えていった。

 

「誰彼構わず噛み付く癖は相変わらずのようだ」

 

 銛の一撃を防ぎ切っただいそうじょうは蔑む言葉を吐く。

 だいそうじょうに注意を向けながらも、サーゼクスは今にでも旧校舎へと駆け付けたい衝動に駆られていた。

 魔人一人でも脅威だというのに現在、この学園内にはもう一人の魔人が存在している。そして、その魔人の実力はサーゼクス自身が身を以て知っている。

 

「マタドール……彼までもが来ているのか……!」

「その口振りからして顔見知りか? ならば御愁傷様と言わせて貰おう。あの様な狂人に目を付けられて益などありはしないからのう」

 

 もう一人の魔人マタドールの存在を知り、事態がより最悪な方へと向かっていることを認識したサーゼクスは、苦いものを含んだ様な表情となる。それに対し、だいそうじょうはサーゼクスとマタドールが知り合いであることを知り、心底同情した台詞を言う。

 

「――貴方が彼を喚び寄せたのか?」

「冗談でもそのようなことを言わないでもらえるかのう。アレと同類であること自体、拙僧にとっては恥そのもの」

 

 露骨な嫌悪を見せるだいそうじょう。

 魔人が初めて表舞台に出て来たとき、壮絶な殺し合いをした話は有名である。仲が良いなどとは思ってはいなかったが、ここまで険悪な仲であることを初めて知る。

 

「――まあよい。認めたくはないが奴がここに来た理由は拙僧と同じ。同類で在るが為に新たな同類を拝見しに参った。もっとも拙僧は顔を見る程度で終えるつもりだったが、彼奴はどうやらそうではないらしい」

 

 新たな同類。それを聞き、サーゼクスが思い浮かべる人物は一人しかいない。

 

「……彼に会いに来たのが本当の目的か」

「左様。正直、新たな魔人が生まれるなど全く思ってはいなかったのでのう。年甲斐も無く好奇心に駆られてしまった」

 

 どうする、とサーゼクスは自身に問う。先程まではだいそうじょうの足止めに注力すれば良いと考えていたが、だいそうじょうと同じ脅威が現れてしまい、そのような考えはもう出来ない。

 魔人ほどの存在を相手に出来るのは自分以外でミカエル、アザゼル、セラフォルー、ヴァーリぐらいしかいない。その内、ミカエルとセラフォルーは学園の結界の為に動くことも出来ない。

 脳が熱を帯びる程に思考を加速させ、一に満たない秒数の間に現状を打破する策を考えるサーゼクスであったが、目の前に座す魔人はその刹那すら与えない。

 

「辛いのう……魔王という立場は。治める者としての責任と重圧。伸ばし、救える手の広さは決まっているのというに皆がその手を求める。果ては無く、間違いは許されず、自身を救う手も無い。辛いのう、哀しいのう、憐れだのう」

 

 与えられる同情の言葉。他者が聞けば心の底からサーゼクスという存在に同情を抱いていると思わせる程に真摯なものであったが、聞かされているサーゼクスにはとっては神経を逆撫でする煽りそのものであった。

 

「――何が言いたい」

「救われぬ汝を拙僧が救おう。我が救済によって」

 

 だいそうじょうの白骨の手を重ね合わせ合掌の構えをとる。この戦いが始まってから初めて構えらしい構えを見せた。

 

「下で戦っている魔術師たちには我が祈り以外にももう一つ術を施してある。その術が最初に汝から『魔王』という己を縛る枷を外すこととなるであろう」

 

 合掌するだいそうじょうの身体から魔力が迸り、空一帯を埋め尽くしていく。

 

「己の裡を曝け出すがよい」

 

煩 悩 即 菩 堤

 

 

 

 

 魔法陣から噴き出した霧が瞬く間に周囲を霞ませていく。

 漂う白い霧に触れるとそこから生温かい感触が伝わり、それと同時に魔力も伝わってくる。

 明らかに自然現象で発生したものではない霧にセタンタたちは警戒を強める。

 

「本来なら一か所に固まるのは危険ですが、この得体の知れない霧の中で孤立する方がもっと危険です。なるべく離れない様に」

 

 霧が周りを包み込んでいく中でもセタンタは冷静な指示を出す。その冷静さは謎の霧を前にして多少なりとも動揺している他の者にとって有り難いものであった。

 

「それにしてもこの霧は……」

「あまり当たっては欲しくはないですが、一つ心当たりがあります」

「セタンタ様はこの霧が何か分かるんですね?」

「検討はついていますが――その前にゼノヴィア、一つお願いがあります」

「何だ?」

「貴女のデュランダルでこの霧を吹き飛ばせるか試してはくれませんか?」

「心得た」

 

 セタンタに頼まれ、ゼノヴィアはデュランダルを頭上に掲げ、上段の様な構えをとる。

 

「ふん!」

 

 気合と共に振り下ろされたデュランダルの剣身から聖なる波動を纏った斬撃が放たれ、校庭を深く抉りながら形の無い霧を裂いていく。それに巻き込まれる形で蘇った魔術師たちも宙に飛ばされていく。

 

「むっ」

 

 斬撃を放ったゼノヴィアから驚く様な声が漏れる。聖剣の中でも最高峰にあるデュランダルの斬撃。ゼノヴィアが未熟な為に完全の制御は出来ず、斬撃からは縦横無尽に聖剣の波動が撒き散らされているが、漂う霧はそれを受けても霧散はせず、波動を透過し何事も無かった様に漂い続ける。

 

「うそ……デュランダルで吹き飛ばせないなんて……」

 

 聖剣の力を良く知るイリナは目を丸くする。ただの霧であるならば、斬撃の余波だけでもこの学園全体を覆い尽くす程度なら軽々と消し飛ばせる。

 

「どうやら私の考えていた通りのようです。この霧は『神滅具』の一つ、『絶霧〈ディメンション・ロスト〉』」

 

 神滅具の名に全員が戦慄する。身近にそれを扱う人物が居る為、より衝撃が強くなる。

 

「『絶霧』の霧が満ちた空間を操るというのを聞いたことがあります。――恐らく私たちはこの霧の中に閉じ込められています」

 

 それを証明する様にセタンタは足元に転がる石を槍の柄で後ろへと弾く。それから間もなくしてセタンタの足元に向かって真横から何かが転がり、爪先に当たって止まる。それは後ろへと向けて飛ばした筈の石であった。

 

「完全に空間を捻じ曲げられているみたいですね」

 

 事態を重く見て、セタンタの眉間に深い皺が刻まれる。

 周りから隔絶され、四方を正気を失くした魔術師たちに囲まれる。どう見ても劣勢な状況。

 だがその最悪は更に加速していく。

 霧が噴き出してきた魔法陣が更に輝く。再び何かが転送される予兆であった。

 身構える一同。やがて魔法陣から出て来たのは黒く丸まった複数の物体。

 バスケットボール程度の大きさで、艶の無く、コールタールで出来ている様な黒一色に染まった球体が、魔法陣の中から転がり出て来る。

 

「何だありゃあ?」

 

 思わず拍子抜けした様な声を洩らす匙。だがそれもすぐに驚きへと変わる。

 転がり出て来た球体が一斉に形を変え始める。最初に変わったのは大きさであった。体積が二倍、三倍と膨れ上がり、やがて二メートル近い大きさへとなる。膨張した黒い球体の複数の部分が隆起し始めるとそれが手足を形作り、完全に生え切ると四肢を突いて身体を起こす。

 眼、耳、鼻、口どころか頭部すらなく、胴体に手足を生やした異形。まるで、幼子が作った粘土細工の様な見た目をしている。大きさも足が生えたせいで今は三メートル近くあった。

 冥界に住む生物などについて詳しいセタンタですら初めて見る生物である。

 黒い異形達は形が整えられると同時に、セタンタたちに向かって一斉に歩み寄って来る。

 

「ここは僕が!」

 

 如何なる相手か見定める為、木場が先陣を切って前に飛び出す。

 感知する器官を持っていないが、何らかの方法で木場の接近に気付いたらしく、黒い異形は手を振りかざす。だが、その動きは木場と比べれば緩慢そのものであった。

 最も近い位置にいる異形に接近した木場は、二本の魔剣を異形の身に斬り付ける。が、斬り付けた瞬間木場の表情に僅かな驚きが混じる。

 足に刃を喰い込ませるとそのまま刃を滑らせ、胴体まで走り最後には刃が突き抜けていく。異形の胴体は大きく裂かれ、そのまま左右に分かれた。

 しかし、それを見ても木場の顔からは警戒の色は消えない。

 すると分かれた断面部分から黒い触手のようなものが伸び、それらが互いに絡み合うと断たれた部分が引き寄せられてくっ付き、切断面も綺麗に消える。

 それを見て木場はやはり、と納得した。刃を喰い込ませた瞬間、伝わって来たのは手応えの無さであった。水、あるいは薄紙を斬るよりも抵抗感は無く殆ど力を入れずに斬れてしまった。

 最初から防御など考慮していない体の造り。剣などの物理攻撃では効果が薄いと悟った木場は、距離をとりながらすぐに次の行動を起こす。

 

「朱乃さん!」

 

 名を呼ばれた朱乃はすぐに木場の意図を察し、魔力を高めると異形達の頭上に閃光が奔る。

 

「雷よ」

 

 朱乃の言葉と共に異形達の脳天に落雷が降り注ぐ。直撃すればまともに動くことが出来ない朱乃の雷撃であるが、異形達に痛覚は無いらしく、雷撃を浴びたまま鈍い足取りで動き続ける。

 高電圧と高電流でその身はやがて表面に泡が立ち始め、白煙を上げながら焼け焦げていくが、表面の焦げた場所から剥がれ落ち、その下から無傷の部位が現れる。破壊と再生を繰り返しながら着実にセタンタたちに接近をしていた。

 その周囲では魔術師たちも魔力を火花の様に散らし、いつでも魔術を唱えられる状態となっている。

 

「どうしますか?」

 

 朱乃がセタンタに戦いの指示を仰ぐ。セタンタは僅かに顔を俯かせ、朱乃たちに表情を見せないまま、それぞれがどう動くか簡潔ながらも適切に指示を出した。

 俯くセタンタに若干、訝しむ様子を見せる朱乃たちであったが、すぐに各々に与えられた行動に移る。

 セタンタは朱乃たちが動くのを見て、巻いているマフラーの位置を上にずらし顔を殆ど隠す。そうでもしなければ、朱乃たちに自分の今浮かべている凶相を見せてしまう為であった。

 喋り方から、セタンタは冷静かつ穏和な人物であるという印象をよく受けられるが、実際はかなり頭に血が昇りやすい性格をしており、自分でもその気性について自覚していた。

 敵の襲撃、ヴァーリの裏切り、援護の妨害、度重なる出来事にセタンタの怒りは溶岩の如く煮え滾っている。

 マフラーの下、威嚇する様に犬歯を剥き出しにしながら口を歪める。

 怒りで滾る熱を抜く為に重く、深い呼吸をする姿は、さながら『猛犬』のようであった。

 

 

 

 

「ははは! 急に呼ばれて来たが面白い! マタドール! 何時の間に来たんだ! アザゼル! その鎧は初めて見る! まさか禁手化か! やっぱり凄いな! アザゼルは!」

「……チッ。こんな状況下で反旗か、ヴァーリ」

「そうだよ、アザゼル」

 

 アザゼルの光の槍をその手で砕いたヴァーリが地に降りる。

 

「……お前が状況を見て寝返るなんて思っちゃいない。いつからこいつらと繋がっていた?」

「コカビエルのときに受けたんだ。協力という形で」

「目的は何だ? 自分の力を存分に試す為か?」

「そうだよ。よく分かっているじゃないか、アザゼル。『強くなれ』、俺はその言葉を実践しているんだ」

「その後に『世界を滅ぼす要因だけは作るな』とも言った筈だが?」

「覚えているよ。だが強くなるにはそんなことは必要ない。俺は俺の性を縛り付けるつもりはない」

「――本気なんだな?」

 

 問うアザゼル。それに応じる前にヴァーリの全身が輝き、纏っていた鎧が解除され、ヴァーリの顔が露わになる。

 

「ああ。本気だ」

 

 敢えて素顔を晒したのは、自らの意志に嘘偽りなど微塵も無いことを示す為なのであろう。仮面越しに言えば万が一にも何か別の考えがあるのではないかという思いを全て断ち切る為に。

 

「――そうか、分かった」

 

 言葉は短く、含ませる感情も希薄。だが仮面で覆われたその顔が今、どのような表情を浮かべているのか、誰にも分かることなど出来なかった。

 ヴァーリはそのまま視線を周囲に向ける。

 

「赤龍帝は居ない、か……だが近くには居る」

「あいつが目的か?」

 

 シンがそう聞くと、ヴァーリは一瞬質問の意味が理解出来ていないかのようにキョトンとした表情をするが、すぐにそれが笑みに変わる。尤もその笑みには嘲りが含まれていたが。

 

「白龍皇だから赤龍帝と戦うってやつかい? 正直、この因縁というのは俺には鬱陶しく感じるんだがな」

 

 露骨なまでに興味が無いという態度を見せる。

 

「少し調べて見たら現赤龍帝というのは両親が魔術師だったとか特殊な能力が有った訳でも無い。育ちも普通、環境も普通、そこから出来上がった奴は当然普通でしかない。とことん普通だ。そんな相手に因縁を持ったり、興味を持つ方が難しい。本音を言えばとっととその因縁を断ち切って次の赤龍帝に期待した方がまだ愉しめそうだ」

 

 一誠を完全に下に見た発言。それを言うに相応しい程の実力をヴァーリが持っていることを、シンは直感で感じていた。

 だが、それでも口に出さずにはいられない。

 

「断ち切れるなら断ち切ればいい――出来るならな」

「――へぇ、キミは俺にそれが出来ないと?」

「さあな。ただ言えることがあるとすれば、あいつはしぶといぞ」

 

 それを聞いたヴァーリは不敵に笑う。既に嘲りは消えていた。

 

「なら少しだけ期待するとしよう。――その前にこの前にも言ったが、俺はキミにも興味があるんだ」

 

 目に好戦的な色を浮かべる。ヴァーリが自分に狙いを定めたのをシンは感じ取った。

 だが、その視線を遮る様に両者の間に銀の剣身が割って入る。

 

「ヴァーリ、済まないが彼は私の獲物でもある。貴公であれど譲る訳にはいかないな」

「順番なんて関係あるのか? こういうのは早い者勝ちの筈だ。――所で」

 

 顔見知りなのか妙に親しげに言葉を交わす二人であったが、突如ヴァーリは不機嫌そうに目を細める。

 

「何で手を抜いているんだ? 俺のときはいつも『全力で来い』と言っているのに……」

「別に手を抜いているつもりなど無い。貴公は知らないが私はこういう戦い方もする」

「『アレ』を出していない時点で俺には手抜きにしか見えない。とっとと出せ。今のあんたを倒しても面白くも何ともない」

 

 ヴァーリは魔人相手に臆さずに物を言う。言われているマタドールは特に気を害した様子も無く、子供の我儘でも聞いているかのように軽く肩を竦めた。

 

「生意気に育てたな、アザゼル」

「知るか、気付いたらこうなってたんだよ。――それに生意気度合じゃあ、お前も似たようなもんだろ? こっちを舐めて余裕を残して戦ってるんだから」

「誤解の無いように言っておくが、私は常に真面目に戦っている。余力を残して戦っている様に見えたのが腹立たしいかね? ならその怒りを私に向ける前にその余裕を消し去ることの出来なかった自分の不甲斐なさに怒りでも向けたらどうだ? それとも本当に貴公らを舐めて戦おうか? 私とてそれぐらいの『遊び心』はある」

「そうしてくれるとこっちも楽だな。それにこっちが勝った後、お前を指差して腹を抱えて笑えられる」

 

 その後もお互いに相手の神経を逆撫でするような挑発の言葉を交わす。傍で聞いているシンですら腹の奥が熱くなる程怒りを覚える言葉が飛び交うが、それでも両者とも声質が一切変化しないのは流石としか言えない。

 

「で? 出す気になったのか?」

 

 挑発の言い合いにヴァーリが口を挟む。

 

「――貴公が望むのであれば、その期待に応じるとしよう」

 

 マタドールはそう言って目線をアザゼルからシンへと向ける。

 

「出来れば貴公の強さをもう少しだけ見たかった……だが、それもここまでだ」

 

 マタドールの右手が何もない筈の宙を掴む。その瞬間、滲み出る様にして現れる左右に伸びた金属の棒。変化はそれだけに留まらず、今度は金属棒から広がり、現れる一枚布。染み一つ無く、鮮やかな赤一色。

 マタドールの姿を見たときから何かが足りないと思った。闘牛士が戦うときに欠かせない、命を絶つ為の剣、そしてもう一つ、あらゆる猛攻をいなす闘牛士の代名詞ともいうべきもの、それは――

 

「――赤のカポーテ」

 

 

 




別に主人公が善戦している訳でも無いのに難易度が上昇した回でした。
もう少し先で関わる人たちを少しフライングして関わらせてみました。と言っても間接的にですが。

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