ハイスクールD³   作:K/K

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激突、解放

 兵藤一誠は混乱していた。今、目の前に立つ銀髪の美丈夫、ヴァーリから殺気と共に殺意の言葉を叩き付けられたせいで。

 『死ね』という言葉は生まれてから今までの間に耳慣れているという程、異性から――主に覗きなどがばれて――散々言われ続けていた言葉であった。堕天使との戦いのときも、ライザーとの戦いのときも聞いた。だがヴァーリの一言はそれら全ての謗りを合わせてもなお重かった。

 感情に任せて言い放つといったものの比では無く、明確に殺す意志を込めての言葉であった。

 

「――一体、どういうつもりなんだ?」

 

 殺気に呑まれる中で何とかその一言だけが一誠の口から出た。

 一誠の認識ではヴァーリはアザゼルに言われ、新校舎の方に出現した魔人の相手や魔術師たちを掃討していた筈である。

 だというのにいつの間にか旧校舎内に移動し、尚且つ一つ目の巨象と戦っていたという訳の分からない状況であった。

 

「何でお前はここに居る? 魔人はどうした? アザゼルに言われたのか? てかどうして今、ここで俺とお前が戦わなきゃならない」

 

 新校舎で魔人や魔術師たちに襲撃され、間もなくして旧校舎へと転送された一誠は、新校舎内で何が起こったのか全く知らない。故に憶測でヴァーリがここにいる理由を尋ね、またいきなり殺気立っている理由も尋ねた。

 その問いにヴァーリは溜息を吐き、呆れた視線を一誠に向ける。

 

「君は鈍いな」

「えっ?」

 

 そう言うとヴァーリは突然一誠の胸倉を掴み、片手で一誠の身体を持ち上げる。

 

「くっ! 何だよ!」

 

 その行動に驚き、咄嗟にその手を引き剥がそうとするが、倍加が掛かった一誠の両手でも、制服を掴むヴァーリの指一本すら剥がすことが出来ない。

 ヴァーリは自分たちが落とされた場所に一度だけ視線を向けた。

 

「これ以上、邪魔が入るのは御免だ。場所を変えよう」

 

 するとヴァーリの背部に展開されている『白龍皇の光翼』から光が噴き出し、一誠を掴んだまま飛翔する。

 

「うおお!」

 

 一誠自身も悪魔である為、背中の羽で何度か飛んだことがあるが、それとは比較にならない程の速度で上昇する。

 顔面に強風が当たり、まともに目を開くことが出来ない状態であったが、突如として上昇感が消える。

 そこで目を開けた一誠が見たのは、旧校舎よりも数十メートル高い位置で見ることが出来る光景であった。

 僅かな時間であったが、旧校舎を見下ろす位置からは様々なものを一誠は見ることが出来た。

 一誠たちよりも更に高い場所で、真紅の光が眩くも寒気を感じさせる光に包まれている光景。

 

(もしかして……サーゼクス様!)

 

 そして旧校舎の正面付近では、見覚えのある人物が堕天使の光と共に、蛍光色の魔力を放っている。

 

(間薙!)

 

 無事とは言えない状況であるものの、死なずに未だ戦い続ける仲間の姿を見て、場違いであると分かっているが胸中に一抹の安堵を覚える。

 だがその安堵も、次なるヴァーリの行動によって全て払拭された。

 十分な高さまで上昇したと判断したヴァーリは一誠を掴んだ腕を振り翳す。その行動が何を意味するか瞬時に理解した一誠は更なる力で抵抗を試みるものの、相変わらずヴァーリの手はびくともしない。

 そして、ヴァーリは振り翳した腕を地上目掛け、一気に振り下ろした。

 一誠は目に映るものが全て混色したように見えた次のときには、上昇したときよりも上回る速度で地上目掛け落下していた。

 

(だああああああ!)

 

 口から絶叫を出す余裕すら無い。地上まで数秒も待たずに激突する。

 仮に悪魔の羽を広げても減速させるには力も時間が全く足りない。

 だとすればこの状況から生還する方法は一つしかない。

 

『相棒!』

(分かっているさ!)

 

 プロモーションにより『兵士』から『女王』へと昇格し、基礎能力を底上げする。本来ならば『王』であるリアスの承認が必要であるが、旧校舎に転送される前に既に承認を得ているので、いつでも自分のタイミングで発動出来る様になっていた。更に腕に装備していたアザゼルから貰った腕輪が光を放つ。その光が一誠の『赤龍帝の籠手』に填め込まれた宝玉へと取り込まれたとき、『赤龍帝の籠手』から赤色の強大な魔力が噴き出し、一誠の身体を包み込む。

 

『Welsh Dragon Over Booster』

 

 籠手から響く声と共に一誠を包み込んでいた魔力は実体へと変わり、全身を覆う鎧と化す。

 『赤龍帝の籠手』の禁手化、『赤龍帝の鎧』を纏った一誠は宙で素早く身を翻し、地面に向けて背を向ける。そして、背中に備えられた噴射口から一気に魔力を噴出させ、落下速度の相殺を試みた。

 残された限り在る時間の中で、生き延びる為に全力を尽くす一誠。その甲斐あって、落下速度は最初のときよりも落ちる。

 だがやはり時間は足りず、完全に勢いを殺すことは出来ずある程度減速した後、背中から地面へと着地する。そしてそのまま地面を削りながら数メートル程滑っていく。

 

「ぐっ!」

 

 背中から胸に突き抜けていく衝撃に堪らず声を上げた。しかし、鎧を纏っていたおかげで呻く程度で済んだとも言える。生身であったならば、声など出す余裕も無いかもしれなかった。

 

『大丈夫か?』

「ああ、何とか……」

 

 ドライグの気遣う声に答えながら、一誠は身体を起こす。

 アザゼルから貰った腕輪のおかげで代償無く禁手化を行うことが出来たからこそ軽傷で済んだ。仮に腕輪が無かったのであれば、否応無しに代償を支払っているか、もしくは今頃地面の染みと化していたかもしれない。

 もしもの未来に軽く身震いをしながら、一誠は左手の籠手にある宝玉を見る。そこには禁手化が解けるまでの時間が表示されており、残り時間は十五分であった。

 

「流石に生き延びたか。――まあ、それぐらいはしてくれなきゃ逆にこっちが困る所だ。何一つ力を発揮せずに終わるなんて、敵とはいえ可哀そうだ」

 

 ヴァーリもまた地に降り立つ。『赤龍帝の鎧』を纏う一誠を見て、ほんの少しではあるが口の端を吊り上げる。尤もそれは愉し気な笑みというよりも、落下死などというつまらない結末で無かったことに対する、安堵の様な笑みであった。

 

「……内通者がいるかもしれないとアザゼルが言っていたが、それはお前なのか?」

 

 『禍の団』が現れたとき、何気なく呟いたアザゼルの言葉を思い出した一誠。それに今のヴァーリの行動と合わせて、自分なりの推測を口にする。

 

「そうだよ」

 

 ヴァーリはあっさりとそれを認めた。

 

「何で……!」

「会談のときに言った筈だ。俺は戦えればそれでいいと。三勢力の和平で争いが無くなるならば、戦える場所を求める。必然だろう?」

 

 悪びれない態度のヴァーリに、一誠は頭に血が昇ってくるのを自覚した。ヴァーリのせいで、今も仲間が危険な戦いに巻き込まれていると知ってしまった故に。

 

「……ふざけんなよ、この野郎!」

 

 自分でも驚く程、低く唸る様な声が出る。今まで一誠が生きてきた中で、ここまで怒りを相手に抱いたのはレイナーレぐらいであった。

 

「――ははは! どうしたんだい? さっきよりも力が上がっている。俺のしたことに腹が立ったかい? 『怒り』、単純な理由ではあるが神器を動かすにはこれ以上ない想いだ」

『想いが純粋であればある程、神器の力は増大する。ドラゴンにとって純粋な心は良き糧だ』

「たしかに」

 

 目の前で力を増大させていく一誠を見てもヴァーリの余裕は消えず、アルビオンと言葉を交わす余裕すらある。

 

『もっとも――』

「てめえはぶん殴る!」

 

 怒りに任せ、一誠は左腕を大きく振り上げ、薄ら笑いを浮かべるヴァーリに向かって、背部の噴射口から魔力を噴出し加速して接近する。

 速度を上乗せした一誠の拳が、ヴァーリの顔面目掛け放たれる。

 直後、響き渡る金属同士が擦れ合う音。

 

『――お前の方が遥かに上だがな』

「なっ!」

『馬鹿な……』

 

 一誠とドライグがほぼ同時に驚愕の声を上げた。

 ヴァーリはその場から一歩たりとも動かずに一誠の拳を掴み、押さえ込んでいたが、二人が驚いたのはそこではない。一誠の拳を掴むヴァーリの右手は、指先から肘に掛けて白の鎧で覆われていた。

 

「何を驚いているんだい? ドラゴンの力を扱うんだ。せめてこれぐらいの芸当はできないとな」

『部位限定で禁手化だと!』

 

 全身ではなく体の一か所のみを限定として禁手化を発動させる。少なくともドライグが見てきた歴代の白龍皇の中で、そのようなことが出来た者は居なかった。

 ヴァーリは掴んでいた手を引く、その力で一誠は前のめりになりそうになるがすぐに踏み止まる。だが、そのときに起こる体の硬直を見逃さず、ヴァーリの方から踏み込むと、無防備に曝け出された一誠の腹部に拳を突き立てた。

 

「ぐう!」

 

 鎧を貫く衝撃。ドラゴンの皮膚と変わらない装甲を纏っていても感じる痛み。ヴァーリの左手もまた右手同様に手甲で覆われていた。

 ヴァーリは更に数発拳を叩き込む。一発の拳速は早く、一誠の視点から見ればほぼ同時に叩き付けられた感覚であった。

 白の手甲が赤の胸甲を打ちつける度に甲高い音が鳴るが、八発目の拳が装甲に叩き付けられると甲高い音に異音が混じった。

 一誠の鎧に罅が生じていたのである。

 

「だあ!」

 

 痛みを堪え、一誠は狙いなど碌に定めずに右腕を大きく振るう。掴まえられた左手を離させることが目的とした、技術も何も無い攻撃。

 ヴァーリはそれを受け止めることはせず、意外にも一誠の思惑通りに掴んでいた手を離して回避した。

 空を切る一誠の拳。このとき空振った勢いで一誠の身体は拳の軌道に沿って動いてしまう。そのとき、ほんの僅かの間、一誠の視線はヴァーリから外れてしまった。

 一秒未満の見逃し、だがヴァーリにとっては十分過ぎる程の隙であった。

 逸らしてしまった視線を戻したとき、先程まで居たはずのヴァーリの姿が無い。

 

(どこだ――ッ!)

 

 首に突如として掛かる圧力。背後から伸びたヴァーリの手が一誠の首を絞め、そのまま後ろへ引き倒そうとする。

 それに抗い、腹筋に力を入れて上体を前に倒そうとする一誠。このとき丁度、胸部を仰け反らせる格好となる。

 

「貧弱だな、赤龍帝」

 

 その仰け反らせた胸部目掛け、ヴァーリの肘が振り下ろされた。拳のときよりも遥かに大きな音を立て、ヴァーリの肘が一誠の胸甲へとめり込み、刻まれた罅を更に大きくする。

 

「ぐはっ!」

 

 堪らず一誠は苦鳴を上げる。首を絞めていた手は外れており、一誠の身体は背中から地面に強く叩き付けられた。

 

「困ったな……想像以上に手応えが無い。弱いなぁ、本当に弱い。君の実力はそんなものなのかい? 俺は強い奴と戦うのは好きだが、弱い者いじめは嫌いなんだよ」

 

 ヴァーリは一誠を見下ろし、失望混じりの言葉を掛ける。

 

「く……そ……!」

 

 悔しさを滲ませながら立ち上がろうとする一誠であったが、そこに容赦の無くヴァーリが足底で踏みつける。その足は膝まで装甲に覆われ、腕と同様に限定的に禁手化をしていた。

 両腕を交差し、それを防ぐ。しかし僅かに拮抗した程度であり、交差した両腕は胸部へと押し込まれ、更に地面に背を付けている状態では衝撃を逃すことが出来ず、踏み付けの威力で一誠の身体は地面へと文字通り沈み、その圧力で地面に亀裂が生じる。

 

「これが君の限界かい?」

 

 尋ねながらも踏みつける威力は劣らず、寧ろ徐々に圧力を増していく。押し込まれている両腕は胸部へとめり込み始め、ミシミシと破壊されていく音が鎧の裡に響く。

 相手の方が実力は上であることは分かっていたが、ここまで圧倒的なものであるとは一誠も思わなかった。こちらは禁手化して力を上げているというのに、部分的に禁手化しただけのヴァーリに手も足も出ていない。

 あまりに高く分厚い壁であった。

 

(このまま殺られるのか……!)

 

 焦燥、恐怖が胸中に湧く。レイナーレ、ライザー、コカビエルとの戦いでも感じたことがあるが、ここまで明白に感じたことはなかった。

 

「俺はどうすればいいのか……君の実力を改めて知って君を嘲笑えばいいのか、それとも己の運命を嘆けばいいのか……対と成る龍の神器を持つ所有者、だというのに生まれた時点で差が出るとは本当に運命は残酷だ」

 

 そう言うとヴァーリの背中から何かが飛び出す。

 

「なっ!」

 

 一誠にも見覚えのあるソレは紛れも無く悪魔の羽。それも一対ではなく何対も生やしている。

 

「赤龍帝、俺の本名はヴァーリ・『ルシファー』というんだ」

「ヴァーリ……『ルシファー』だと……!」

 

 サーゼクスと同じ魔王の名。それが含まれているということはある事実を示していた。

 

「大戦時に死んだ先代ルシファーの血を受け継ぐ者、旧魔王ルシファーの孫である悪魔の父と人間の母との間に生まれた混血児、それが俺だ」

 

 頭を殴られた様な衝撃であった。悪魔として最高位にある血を持ち、そして半分が人で在るが為に神器として最上級である神滅具を手に入れる。それは一体、どれだけ確率が重なればこのようなことが起こるのであろうか。

 

『……馬鹿げた奇跡だ』

『否定はしない。だが実際に起きた、それが全てだ』

 

 信じ難いといった様子のドライグに、アルビオンは至って冷静に告げる。

 

「それに対して君は至って平凡だな。父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦、血縁を何代遡ろうが異能者や術者は無し。見事なまでに一般人だ。自分や周りを含めてごく普通の君が『赤龍帝の籠手』を手にするとは……俺とは違った意味で奇跡のようだ」

 

 いつの間にか調べ上げられた一誠の情報。それを語りながらヴァーリの声はどんどんと暗いものへと変わっていく。

 

「ここまで普通だと興味を持つ方が難しいだろう? 気持ちを昂らせること自体が空しい。どうすればこれ以上失望せずに済むのか――と考えていたがさっきの君の態度を見て思いついたことがある」

 

 ヴァーリは一誠の目を真っ直ぐ見ながら淀みの無い口調で言った。

 

「君の両親を殺そう」

「……何?」

 

 あまりに爽やかに言うので一誠は一瞬、ヴァーリが何を言ったのかが理解出来なかった。

 

「不幸によって両親を失う。これで君の人生にも多少なりとも厚みが出て来るだろう? 復讐という名の厚みが。どうせ君は転生悪魔だ。余程のことが無い限り君よりも先に親は逝く。生きて老いて死ぬぐらいならばドラゴンに葬られたという最期の方が箔が付くんじゃないかな?」

 

 身勝手なことを言うヴァーリに一誠よりも先にドライグが声を出す。

 

『……血筋は一流でも挑発は三流だな』

『生憎、挑発でも冗談でも無い。ヴァーリが言うのであれば本気だ』

『ならば一流なのはその身に宿る血だけだな』

 

 ドライグは明確な敵意をヴァーリたちに向けた。自分の相棒を追い込む様な台詞を聞いて不快感と怒りから口を出さずにはいられなかった。

 

「それでも足りないというのであれば、君の友人たちにも死んでもらおう。――今の状況ならばすぐにそれが出来るが?」

 

 更に重ねられていく言葉。それを聞いたとき、一誠は頭の中で複数の糸が千切れる様な感覚を覚えた。

 

「……殺すぞ、この野郎」

 

 生まれて初めて本気で他人へと向けるその言葉。口に出さずにはいられなかった。身勝手な理由で自分たちの為に身を粉にして働く父、そんな父や自分を支えてくれる母の命が奪われる。それだけでも血の煮え立つ様な気持ちになる。それだけでは留まらず日々を過ごす上で最早欠かすことが出来ない仲間たちにすら手を出そうとしている。

 怒りは昇華し『殺意』へと転じる。最早、体の内に宿る衝動を抑えることなど出来はしなかった。

 

「てめえの都合で俺の親や仲間を殺すだと……そんなの許すことなんてできるわきゃねぇだろうがぁぁぁ!」

 

 踏み付けるヴァーリの足を掴むと同時に、背中の噴射孔からありったけの魔力を噴出させる。真上に飛び上がると何処へ飛ぶのか本人すら分からない無軌道を描き、空中を不規則に飛ぶ。

 

「ははははは! その調子だ! また力が上がった! もっとだ! もっと力を上げて俺の退屈を消してくれ!」

 

 飛びながらも哄笑を上げるヴァーリは掴む足を無理矢理捻り、一誠の側頭部を蹴りつける。

 頭を突き抜けていく衝撃。視界が揺れ、吐き気が込み上げて来るが一誠は掴む力を緩めず、そのまま地面目掛け吶喊する。

 

「おおおおおおおおおおおお!」

 

 なりふりなど一切構わない単純な動作。しかし、驚異的な加速を得たことでそれは必殺に近い威力を秘めている。

 しかし――

 

「残念だが」

 

 掴まれている方の足の膝を曲げ、自分から一誠の方に近付くと、ヴァーリは足を掴む一誠の指を狙い、肘を振り下ろした。

 ミシリという嫌な音が一誠の体内で木霊する。折れてはいないが、罅は間違いなく入っていた。それにより掴んでいた力が僅かに弱まる。

 ヴァーリはそのタイミングを狙い、掴まれていない方の足底を一誠の腹部に叩き、その反動で足の拘束を解く。そしてすかさず一誠から離れると、何事も無かったかのような動作で軽やかに地面へと着地。一誠の方が勢いよく地面にその身を叩き付け、砂煙を上げた。

 

「こ、の……!」

 

 仮面の下で歯を食い縛りながら一誠は立ち上がる。全身が痛むが、そのようなことなど気にしていられない。目の前のヴァーリを殴る。その思いが一誠の身体を動かしていた。

 

「ほんの少しだけだが興味を向ける程度の力にはなったかな? さっさと構えたらどうだい、赤龍帝。ここからは俺も強さを一段上げるぞ?」

 

 立ち上った一誠が見たのは顔以外に鎧を纏ったヴァーリであった。完全に禁手化していない状態でも一誠を圧倒していたが、ここから先の戦いは禁手化を存分に使い戦うことを意味していた。

 

「まずは十秒ぐらいは耐えてくれよ?」

 

 ヴァーリの顔が装甲で覆われた次の瞬間、ヴァーリは既に一誠の懐へ飛び込んでいた。その状態から拳を突き上げると、重々しい音と共に一誠の足が地面から離れる。

 殴打の衝撃で浮き上がった一誠にヴァーリは続けざまに拳を打ち込む。その拳は正確に一点だけを叩き、その度に『赤龍帝の鎧』に亀裂が生じた。

 一撃一撃の殴打の重さに一誠は鎧の下で苦悶の表情を浮かべる。ヴァーリが言った様に先程よりも一撃が強く、受ける度に肺の中の空気を全て吐き出しそうになり、目の前の光景が白黒に反転する。

 反撃を試みようとするものの、ヴァーリの拳撃はその暇など与えず、一誠は豪雨の様に直撃してくるそれに耐えるしかない。

 そのとき前触れも無くヴァーリの連撃が止まる。何事かと思うよりも早く、ヴァーリの掌が一誠の仮面を鷲掴みにした。痛みは無いが、凄まじい音を上げて仮面が軋む。握力のみでドラゴンの鎧を破壊していく。

 一誠も黙ってそれを見ている訳にはいかず、掴んでいるヴァーリの腕に手を伸ばすが、指先が触れる前にヴァーリの前蹴りが一誠の鳩尾に突き刺さり、そのまま蹴り飛ばされた。

 勢い良く飛ぶ一誠の身体は進路上に生えていた大木に背中から衝突。それにより樹齢何十年といった樹がへし折られる。

 

「く、そ……!」

「意識があるか偉いぞ。そして丁度十秒だ」

『Dvide』

 

 ヴァーリの鎧から音声が響くと一誠は脱力感に襲われる。白龍皇の能力によって力を半減された証であった。半減された力はヴァーリに吸収され、更なる力がヴァーリへと加わる。背部に備わった光翼からは一層激しく光が噴き出していく。

 白龍皇の能力について事前に知っていたが、自分で味わうとどれほど厄介なものかが分かる。只でさえ圧倒されている状況だというのに更に手枷や足枷を嵌られた様に体が重い。

 

『相棒、半分にされた力は俺の能力で元に戻すことは出来る。だがその度に鎧を維持する力を消耗していくことになる。腕輪の力で補助されているとはいえ仮初めの禁手化だ。注意しなければすぐに限界を迎える』

 

 相手の禁手化は無制限に対しこちらは有限。時間が経てば経つほどに今でも開いている両者の差が更に開くこととなる。

 圧倒的不利な状況。しかし、それでも一誠は屈することは無かった。

 

「なおのこと! 立ち止まれないだろうが!」

『そうだな。全力で助力する、いけ! 相棒!』

『Boost』

 

 失われた力を倍加によって埋めた一誠は背後の樹を蹴りつけ、勢いを得ると構えずに立つヴァーリに突撃する。

 

「単調だな」

 

 その突撃を軽く笑いながらヴァーリは真正面から迫る一誠の拳を見ると、地を滑る様にして動いて迫っていた拳の側面に移動すると、その拳を両腕で掴み、地を蹴ったことで跳ね上がった膝で一誠の顎を突き上げる。そしてそのまま掴んでいた腕を振るい、一誠を地面に叩き付けた。

 地面に転がる石礫が宙に浮く程の勢いで背中から叩きつけられるが、一誠は痛みを全部無視して脚を上げ、腕を掴んでいるヴァーリの顔面に爪先で狙う。

 しかし、ヴァーリは顔を後ろに逸らして難なくそれを回避。だが一誠は僅かに意識が別の方へと向けられた瞬間を狙って、掴まれている腕を全力で振るいヴァーリの手から引き剥がした。

 すぐに立ちあがる一誠であったが、次にヴァーリを見たときに目に映り込んだのは無数に浮かぶ魔力の弾。

 

「避けるか、耐えてみろ」

 

 その言葉を合図に宙に浮かんでいた白色の魔力弾が一斉に放たれる。

 

「上等だぁぁぁ!」

 

 一誠は吼えると背中の噴射孔から魔力を噴き出させ、魔力の弾幕に向かって突き進む。

 魔力弾の中に入った途端、四方から迫る弾が次々と鎧に着弾していく。当たる度に鎧に亀裂が生じ、欠ける部位もあり、ただの魔力であっても一発一発がヴァーリの拳と同等の威力が秘められていた。

 そんな中を進む一誠の身体は見る見るうちにボロボロになっていき、弾幕を突き抜けたときには鎧は傷だらけになっており、顔を覆う仮面部分には大きな縦の亀裂があった。

 勢い良く背部から噴き出ていた魔力も弱まり、立っているのがやっとのような有様である。

 そんな状態でヴァーリの前に立った一誠はよろよろとした弱々しい動きで左拳を突き出す。

 突き出された拳を難なく受け止めるヴァーリ。

 

「耐えたことは褒められたものだが、それだけではね……兵藤一誠、君はドライグを使いこなすには些か知恵が足りないみたいだな」

 

 ヴァーリが見下すような台詞を言うのに対し、一誠は荒い息を吐くだけ。既に限界が近い様子であった。

 

「罪だよ、その力の使い方の下手さは。こういうのは君の国の諺でなんて言ったかな――ああ、『宝の持ち腐れ』か」

「……だったら」

「ん?」

 

 ぼそりと呟く一誠の言葉にヴァーリは耳を傾ける。

 

「こういうのはどうだ?」

『Blade』

 

 その音声が響くと同時に『赤龍帝の籠手』に納められていたアスカロンが展開。左手を押さえる形であったヴァーリの手を貫通。腕内部を通過し、肘辺りからその切っ先を現した。

 

「くっ!」

『ヴァーリ! その剣をすぐに抜け! 竜殺しの力を帯びている!』

 

 初めて痛みを耐えるような声をヴァーリが洩らし、アルビオンも初めて焦りを帯びた声で指示を出す。

 

「しゃあ!」

 

 思わずしてやったり、という意味を込めた歓喜の声を上げる一誠。剣術の心得など全く無い一誠が確実に一太刀入れる為に考えた即席の策。それが見事にはまった。

 ようやく入れた一撃。変わるかもしれない流れに喰らい付く為に、すぐさま次の行動に移る。

 ヴァーリの肩部を掴むと面で覆われたヴァーリの額に向け、己の頭を叩き付ける。

 

「ツッ!」

 

 アスカロン程ではないが痛みを覚えた様なヴァーリの声が面越しに聞こえてきた。それと同時に叩き付けた衝撃で一誠の面の一部が割れ、破片が落ちていく。面が割れたせいで顔の一部が露出するが、今はそんなことなど気にしていることなど出来ない。

 二度目の頭突き。一誠の面が更に割れるが、ヴァーリの面にも亀裂が生じる。

 三度目。ヴァーリの面の亀裂がより大きなものとなる。

 そして、四度目の頭突きを放とうとしたとき一誠の肩にヴァーリの手が伸びる。このまま押し止める気かと思った一誠はより勢いをつけて叩き付けようとしたが、止められるのではなく逆にヴァーリは一誠を引き寄せた。

 

「ぐあっ!」

 

 四度目の衝突。しかし、苦鳴を上げたのはヴァーリではなく一誠の方であった。ヴァーリの方から頭を叩き付けてきたからである。

 赤と白。互いの鎧の仮面が接した状態から両者の仮面が割れる。

 仮面越しでは無く、素顔で互いに睨み合う両者。二人とも額が割れており、そこから流血をしていた。

 

「中々、粘るじゃないか。兵藤一誠!」

「お前の思い通りになると思うなよ! ヴァーリ!」

 

 ヴァーリは凄絶な笑みを浮かべ、一誠は鬼気迫る表情をする。

 

「アスカロン。正直、これを君が持っているのは誤算だったよ。――だがおかげで気力が湧いてきた! ようやく君と面を向かって戦えそうだ!」

 

 アスカロンが貫く傷口からは夥しい血が流れている。『白龍皇の鎧』の強度でも竜殺しの特性の前には紙同然であり、刺し込まれた刃はヴァーリの左腕の肉と骨を裂き、尚且つ剣身から竜殺しという毒をヴァーリの体内へと流し込んでいた。

 しかし、ヴァーリに焦りは無い。寧ろこのような展開となることを喜んでいる自分がいた。痛みを与えられたことに喜んでいるのではない、余裕の無い状況へと変化していく自分の立場に心を燃やしていた。

 何の特徴も無く、ただ神滅器に選ばれただけという凡百の好敵手。運命が戦えと言っているように、目の前の良質な戦いから引き離された挙句に持ってこられた、眼中にも無かった相手。

 運命、因縁という見えない柵のせいでこの様な相手を充てがられることに嘆き、いっそのこと始末してしまい、未来に希望を託すことを考えていた。

 だが、結果はどうだ。左腕を使い物にされなくなっている。

 気力が湧かなかったことも気分が高揚していなかったことも油断していたことも認める。それでもここまでされるほど近い実力では無かった。

 だからこそヴァーリは笑う。自らが考える以上に喰らい付いてくる一誠のことを嬉しく思い。

 

「愉しくなってきたな、兵藤一誠」

 

 底が見える様で見えない一誠の実力をもっと見たいと考え始めるヴァーリ。

 

「うるせぇ! この野郎!」

 

 気を抜けば呑み込まれてしまいそうになる覇気を前に一誠は啖呵を切る。だが忘れてはいけない。

 ヴァーリが一誠の実力を見抜くことが出来なかったのと同様に、一誠もまたヴァーリの実力について何一つ見抜いてはいない。

 歴代最高の白龍皇と称されるヴァーリの実力。その実力の底はあまりに深い。

 

 

 

「イッセー!」

 

 ヴァーリに首を掴まれ、そのまま空に連れられていく一誠の姿を見て思わず窓から身を乗り出してリアスは叫ぶ。だがその叫びに応じる声は無く空しく夜空へと木霊した。

 赤と白の光はすぐにリアスの視界の中の外へと消えてしまい、二人が今どうなっているのか全く分からなくなってしまう。

 

「一体どういうつもり!」

 

 リアスは足元に伸びる影に向かって怒鳴りつけた。突如としてヴァーリと一緒に廊下を突き破って現れたかと思えば、そのままヴァーリを窓の外へと投げ飛ばし、更に序でと言わんばかりに一誠も窓の外へと投げ飛ばした、今起きたことの元凶とも呼べる一つ目の象の獣人がこの影の中に潜んでいる為である。

 

「どうしてヴァーリと戦っていたの! 何故、ヴァーリはイッセーを連れて行ったの! さっさと出てきて答えてくれるかしら!」

 

 詰問するリアスであったが影には一切の変化は無く、鳴き声一つ上がらない。完全にリアスのことを無視していた。

 側ではギャスパーがリアスの剣幕に完全に怯えており、ピクシーたちを抱えながら廊下の端でどうすればいいのか、といった様子でリアスと影を交互に何度も見ている。

 

「――そっちがそういった態度をとるなら、こっちもそれ相応の手段に出るわよ?」

 

 低い声を出しながらリアスの手の中に滅びの力を備えた赤色の魔力が炎の様に揺らぎながら現れる。だがそれでも影に変化は無い。

 

「このっ!」

 

 魔力を持った手を掲げ、そのまま廊下の影に向かって振り下ろす――ことはせず、リアスは溜息を吐いた後、溜めた魔力を霧散させた。

 

「こんなことをやっている場合ではないわね」

 

 徹底してこちらのことを無視する巨象に怒りを向けることを馬鹿馬鹿しく感じてしまい、感情が冷えていく。一旦怒りが冷めていくことで、自分が状況のせいで焦り、昂り易くなっていることを自覚、より心が静まっていく。

 そうすることで一度に起こったことを頭の中で冷静に分析し始め、すぐにヴァーリが一誠を連れ去っていったのか、大よその推測が浮かぶ。

 

「――私はこのままイッセーとヴァーリを探すわ。ギャスパー、貴方は」

「ぶ、部長! 僕、どうしても行かなきゃいけない所があるんです!」

 

 リアスが指示を出す前にギャスパーが自らの意志を主張する。リアスはそれに一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその表情を消し、真剣な眼差しをギャスパーに向けた。

 

「それは何所かしら?」

「間薙先輩の所に」

 

 リアスの目を真っ直ぐ見つめながらギャスパーは言う。

 

「間薙先輩は僕の力のせいで僕たちを守る為に独りで戦うことになりました。でも、今だったらほんの少しだけでも先輩の力になれるんじゃないかって……」

「罪滅ぼしをしたいの?」

「――かもしれません。自己満足だと分かっています。でも……」

「分かったわ。行ってきなさいギャスパー」

 

 最後まで聞かずにリアスはギャスパーの意志を尊重する。

 

「いいんですか!」

「イッセーのことは私に任せなさい。貴方にはシンのことを任せたわ」

「は、はい!」

「貴方達はどうするの? ギャスパーについていく?」

 

 リアスはピクシーたちの意見を聞いた。

 

「うーん。もしもシンが居たら『俺のことはいいから部長たちを守れ』って言いそうだからアタシ、リアスについていく」

「オイラもそんな気がするからリアスについてくホー!」

「じゃあ~ボクは~」

 

 ピクシー、ジャックフロストがリアスについていくという選択をする。最後の一人となったジャックランタンはちらりとギャスパーの方を見た。ジャックランタンの視線に気付いたギャスパーは小さく首を横に振る。

 それを見たジャックランタンの中で選択は決まった。

 

「リアスについていくよ~。ギャスパ~、それでいいんだよね?」

 

 ジャックランタンの問いにギャスパーは頷く。

 

「貴方達はそれでいいのね? もしかしたら後悔するかもしれないわよ?」

「大丈夫だって。きっとシンにはまた会えるから」

 

 悪魔、魔人、魔術師たちが跋扈する戦場の中で、無事再会できるというピクシーの言葉には何の根拠など無かった。

 ピクシーは事態を楽観視してこのようなことを言っているのではなく、信用、信頼といったもの以上の言葉に出来ないナニかによって、シンとの再会を信じていた。

 

「分かったわ。なら行きましょう。飛んでいった位置から大体の場所は推測出来ているから。貴方の無事を祈っているわ、ギャスパー」

「じゃあ、行こう。ギャスパーは、シンのこと頼んだよ」

「ギャスパーは、また後でホー!」

「ボクが居なくても~ベソかかないでね~ギャスパ~」

 

 それぞれがギャスパーに言葉を送りながら、リアスを先頭にして走り去って行く。

 一人残されるギャスパー。その状況が怖くないと言えば嘘になるが、今のギャスパーはそれに屈する程弱くはなく、一誠の血を呑んだ影響で身体に残る熱がギャスパーの身体を突き動かす。

 

「大丈夫、大丈夫……行こう」

 

 ギャスパーはリアスたちが走って行った方向に背を向け走り出す。

 自らが為すべきことを為す為に。

 

 

 黒い粘液を固めた様な異形が人の頭よりも大きな拳を握る。しかし、ゼノヴィアはその拳が振るわれるよりも前に異形の懐へと飛び込んでいた。

 『騎士』の駒で得た力は、ゼノヴィアに韋駄天の如き速さを与えていた。振りが大きな大剣を武器とするゼノヴィアにとって、速度を強化されることは自らの弱点を埋めることに繋がり、その実力をより高めさせていた。

 懐に入ると同時にゼノヴィアは、肩に担ぐ様にして構える聖剣デュランダルを異形の胴体へと振るう。刃先が体に埋まり、抵抗も無く進みやがて腹から背に抜けると、デュランダルが斬り付けた周辺はまとめて背後へと散り、異形の身体を両断どころか、切断面が一致しようが無い程に吹き飛ばされる。

 上半身はそのまま錐揉みしながら上空へと飛び上がり、下半身はその場で膝を折る。だがゼノヴィアが息吐く暇も無く、下半身の断面が波打つと宙にある上半身の断面目掛け、無数の触手を伸ばす。触手は上半身の断面に触れるとそのまま同化。一気に引き寄せて元の位置に上半身を納め、何事も無かったかのように近くに立つゼノヴィアへ手を伸ばす。

 すぐにそれをデュランダルで払うと、ゼノヴィアは一旦異形から距離を取った。

 

「限が無いな」

 

 既に何度か繰り返した光景を見ながら、ゼノヴィアはやや疲れた様な声を洩らす。

 この短時間でゼノヴィアは十数を超える聖剣の斬撃を異形に対し浴びせているが、その体を聖剣で吹き飛ばされる都度、すぐに修復をしていた。悪魔ならば数十回滅んでも釣りが来る程聖剣の力を流し込んでいるが、異形に効果は見えなかった。

 せめて表情の一つさえあれば変化を見て取れたかもしれないが、生憎、異形には表情どころか顔すらない。

 斬り付ける度に体の一部が飛沫と化して飛び、その分異形の身体が縮んでいることから全くの無意味という訳ではないが、十数度斬りつけてせいぜい数十センチ程の縮小ではあまりに先が長い。

 迫り来る拳を腕ごと吹き飛ばしたゼノヴィアは視線を動かし、周りの状況を確認する。

 異形に対し朱乃、小猫、匙は危なげなく立ち回っている。そして、セタンタ、木場の二人は異形の相手をしつつ復活した魔術師たちの相手もしており、異形の攻撃を掻い潜りながら魔術師たちを斬り伏せたかと思えば、魔術の隙間を縫って異形を穿つという行為を繰り返していた。二人の奮闘のおかげで他のメンバーも異形の方に集中することが出来ていた。

 残るイリナの方はというと――

 

「それ!」

 

 イリナが『擬態の聖剣』を異形に振るうと、その途端剣身が解れ、無数の糸の様な形に変わるとそれらが一斉に巻き付く。四肢や胴体に深く喰い込むとイリナは聖剣を手元へと引いた。

 すると巻き付いた聖剣の刃は異形の体に吸い込まれる様に入っていくと、粘着質な音を上げてまず両手が斬り落とされる。その次には両脚が幾つものパーツに分割され、最後に胴体が細切れの形となった。

 だが細かく切り刻もうが異形に痛覚など無く、すぐに切断された部位同士が結合し始め、元の形へと戻ろうとする。

 それを見たイリナはすぐに追撃をしようとするが、そのとき斬り落とされた腕が一人でに動き、指先をイリナへと向ける。

 すると五指の指先が同時に伸び、聖剣を振るおうとしているイリナに襲い掛かろうとする。

 それに気付いたゼノヴィアは慌ててイリナの名を叫ぶ。

 

「イリナ!」

 

 だが不幸にもこの叫びによってイリナの顔がゼノヴィアへと向けられ、迫る指たちから完全に意識を逸らされた格好となってしまった。

 異形の五指がイリナの身体を貫く。心臓、肺、脇腹、肩、そして最後の一指が頭を貫く。誰がどう見ても即死は免れない傷であった。

 

「イリナァァァァァ!」

「何?」

「ァァァ――ああ?」

 

 絶叫するゼノヴィアであったが、何故かすぐ側からイリナの声がする。声の方に目を向けると無傷のイリナがキョトンとした顔でゼノヴィアの方を見ていた。

 

「どうしたの?」

「どうしたって……何故、生きている?」

「何故って? あれあれ」

 

 ゼノヴィアの最もな疑問に対し、イリナは答える代わりに突き刺されているもう一人のイリナを指差した。

 貫かれているイリナは今側に居るイリナと全く同じである。だがそこでゼノヴィアはある違和感に気付いた。刺された部位から血が流れてはいない。

 そのことに気付いたとき刺されていたイリナの身体が『解れ始める』。人型の輪郭はすぐに崩れ、色味もすぐに失われる。解れたイリナの身体は大量の糸の塊へと変貌していた。

 

「『擬態の聖剣』か!」

 

 ゼノヴィアは理解する。糸の塊に見えたそれは、細く変形した『擬態の聖剣』の一部であると。

 先程までイリナであった『擬態の聖剣』は、そのまま異形の指に絡み付きながら本体の方に伸びていく。そして、本体にも絡み付くと細い糸の様な剣身で全身を包み込んで行き、最後は繭の様な形となり異形を完全に密閉してしまった。

 

「ふふーん。どう? あれから結構修行したんだから」

「――見事だな」

 

 本心からの言葉であった。

 『擬態の聖剣』の一部を切り離した状態で操るのもかなりの技術が必要であるが、更にそれを使い手の姿に変身させるなど凄まじいとしか言い様がない。身を守るための『擬態』と獲物を襲う為の『擬態』、その二つを完璧に熟しているのを見てゼノヴィアは、イリナが完全に『擬態の聖剣』を使いこなしているのが分かった。

 

「私も負けていられないな」

 

 元同僚の成長を見せ付けられ、ゼノヴィアは目付きを鋭くするもその口には微笑を浮かべていた。

 デュランダルの担い手であるが、未だゼノヴィアはデュランダルを完璧に使いこなしてはいないと自覚していた。先代の使い手があまりに偉大な存在である為にそれと比較して見ている部分もあるが、それでも担い手として不十分と言える。

 ゼノヴィアはデュランダルを構えながら先程腕を吹き飛ばした異形に近付く。

 肩まで腕を消し飛ばされた異形は失った部位を修復させていたが、ゼノヴィアが接近するのに気付き、残った腕で攻撃しようと構える。が、構えたときにはゼノヴィアの姿が異形の前から消えた。

 消えたゼノヴィアを探し、目の無い異形は体を左右に振るう。しかし、右にも左にも居ない。

次に異形の身体が空を仰いだとき、そこには大剣を振り翳して飛び上がるゼノヴィアがいた。

 

「はあ!」

 

 気合の声と共にデュランダルが振るわれる。剣身に帯びた聖なる力は、巨大な波動となって異形の頭上に振ってくる。波動に触れた瞬間、異形の身体は波動の圧によって地面に向かって勢いよく押し潰されていく。地面とほぼ平行に見える程に潰される異形の体、だがデュランダルの波動は更なる圧を加えていき、異形の身体は地面ごと沈んでいく。

 液体に近い柔らかさを持つ異形の身体が校庭の土ごと地面に押し固められていく様は、豪快と言っても差し支えなかったが、更にそれに対し飛び上がっていたゼノヴィアがデュランダルを突き立てる。

 纏っていた力を飛ばすだけでも絶大な威力を見せ付けたが、直接叩き付ける威力はそれの上を行く。

 ゼノヴィアの身体ごと地面が一気に陥没する。底が抜けたのではないかと錯覚する様な光景であったが、現実は校庭に底など無く、ただ凄まじい力で土が圧縮されているだけであった。

 

「ゼノヴィア?」

「何だ?」

 

 イリナがデュランダルによって出来た穴を覗き込むと、下から普段通りのゼノヴィアの声が聞こえてくる。穴の深さは少なくともイリナの身長は軽く超えており、悪魔ほど夜目が効かないイリナには、月の光が届かない穴の底に居るゼノヴィアの姿が見えなかった。

 

「倒したの?」

「この通りだ」

 

 カンカンという本来ならば聞こえない様な音が聞こえてくる。剣先で地面を突いているのであろうが、一向に土が堀返される様な音はしてこなかった。

 

「土に押し込めて固めてやった」

「うわー、物凄いごり押しな方法」

 

 清々しいまでに力任せなやり方に、イリナは驚きと呆れを混ぜ合わせた感想を述べるのであった。

 一方他のメンバーの戦況は――

 

「この!」

 

 匙は『黒い龍脈』から伸びるラインを詠唱している魔術師に伸ばす。ヤモリ、あるいはカメレオンの様な愛嬌を感じさせる神器、その口から伸びる舌の様なラインは魔術師の腕に絡み付く。

 それを見た匙は神器に意識を集中させ、ラインによって魔術師の身体から魔力を吸収していく。これにより、先程まで魔術師の手の中にあった魔力の弾は見る見る内に萎んで行き、やがて消失。そこから更に吸収することで、魔術師の体内にある魔術を空にしてしまう。

 

「ふう……」

 

 もう吸える魔力が無いことを確認してから匙はラインを解き、戦いの場ではあったが思わず疲れた様な息を吐く。

 体力や魔力が無くなってきたからではない。『黒い龍脈』によって魔術師たちから大量の魔力を吸い取っている。ならば何故疲労の様子を見せるのか。

 原因は、今の匙が大量の魔力を蓄積し過ぎていたからである。

 今までの間に何人もの魔術師たちから魔力を吸収してきた匙。いくら匙が悪魔だったとしても、吸い切れる魔力には限度がある。しかし、その魔力の限度を匙は神器によって補っていた。今まで吸ってきた魔力は全て匙の神器の中に納められている。が、神器とて溜め込む魔力に限りがあるのか、あるいは完全に神器を使いこなせていない匙の未熟さが原因なのか。

 徐々にではあるが、神器の中に溜め込まれていた魔力が匙に逆流し始めていた。

 

(気持ちわりぃ)

 

 魔力が自分の中に流れ込んでいくという感覚は、匙が想像しているよりも遥かに気分が悪くなる感覚であった。自分本来の魔力を高めたのであればこのような感覚に襲われなかったであろうが、他者の魔力で在る為に波長の様なものが違うのか、血流や筋肉が熱を帯びていき、頭の中で血管が脈打つ音が木霊する。

 戦えば戦う程に不調になっていく体調に苛立ちを感じながら、匙は少し離れた場所で戦う木場たちの姿を視る。

 一見鈍重に見える動きで手を翳す異形。その先には構える小猫がいる。異形の指先が複数の触手に分裂し、四方から囲むように小猫を狙う。

 小猫は無表情のまま、左右から迫る触手を大きく後方へ退きながら避ける。そしてそのまま背後に設置してある休憩用のベンチの側まで移動すると、ベンチの背もたれを手で掴んだ。

 しかし、一度持ち上げようとするものの持ち上がらない。小猫が視線を降ろしその原因を見る。ベンチの脚がボルトと金具によって地面に固定されていた。

 原因が何か分かった小猫は背もたれを掴んでいた手を離す。持ち上げるのを諦めたのかと思いきや、今度は腰掛けの縁を両手で掴み、持ち上げる。すると金具が弾け飛び、地面に固定されていたベンチが持ち上がる。

 どうやら持つ位置が悪かったらしい。

 既に拳などの打撃が効かないと分かっていた小猫はベンチを担いで持ち、迫る触手に向けて力任せに振るう。風切り音を出しながら振るわれたベンチは何十本もの触手を纏めて薙ぎ払う。砕け散った触手は地面に転がりその上で黒い粘液となって蠢く。

 片手を失った異形。だがすぐにもう片方の腕を小猫に向ける。

 そのとき轟音が鳴り、異形の身体を雷が貫く。一撃で全身が黒焦げと化す異形であったが、まだその体はぎこちなくも動いていた。そこに更なる雷が降り注ぐ。今度は一撃では留まらず、何発もの雷が立て続けに落ち、焼け焦げた異形の身体を砕いていく。

 最後の雷が異形に落ちたとき、異形の身体は完全に粉砕され、燃え盛る破片となって周囲に散らばった。

 

「ふう……」

 

 上空で一息吐きながら、朱乃は雷撃で砕いた異形を見下ろした。最初に与えたときの数倍の魔力を込めて、再生が追い付かない程に雷を与え続けた朱乃であったが、結果としてそれなりの効果があった。だが消耗した魔力の量と比べて、割に合うとは言えない結果でもあった。

 見下ろした先には、まだ多くの異形達が控えている。

 そんな異形達の間をすり抜ける様にして駆け抜けていく、二つの影。異形の側を影が通り過ぎていく度に異形の身体は分断、あるいはその身が千切れる程に穿たれていく。

 走る影は木場とセタンタ。持ち前の速度を生かし、縦横無尽に動き続ける。

 木場は常に魔剣を創造し続け、異形を斬る度に魔剣に付与した効果を確認し、どれが最もダメージを与えられるか確認していた。

 木場が異形の側へと接近し、離れ際に異形の膝を斬り飛ばす。異形を斬り付けた剣身は何かの液体によって濡れており、振り抜いた剣先から粘度の強い毒々しい液体が滴り地面に落ちる。すると液体が落ちた土が変色し、白煙を出しながら溶けていく。

 木場が手に持っている魔剣は斬った対象を『腐食』させるという効果を備えていた。木場の性格とその効果の為に、実戦で使ったことなど全く無いものであったが、相手が通常の生物では無いと考え今回使用してみた。

 斬った部分が僅かに溶け、変色しているものの、相手の修復をほんの少し阻害する程度の効果しかない。この魔剣の効果も期待できないと判断すると、すぐさま近くにいた異形の胴体目掛け投げ放ち、それが突き刺さると同時に新たな魔剣を創造する。

 今のが駄目であれば、次はこれを試す。それも駄目であるならばその次を試す。試すべき魔剣は未だ無数にある。

 木場が魔剣を振るう裏でセタンタはその槍を振り回す。

 異形の真正面に立つとセタンタは構え、次の時にはその身が霞む。何をしているのか他者からは確認出来ない程の速度。僅かな時の中で尋常でない動きを繰り返す。

 時間にすれば瞬き程度。セタンタの動きが再び人が見える程度の速度に落ち着いたとき、セタンタの前に立つ異形の身体は穴だらけになっており、無傷の部分を探すのが困難な程であった。

 それでも風通しが良くなった体を動かし、異形はセタンタに向け手を伸ばそうとする。それを凍てつく様な眼差しで見ながら、マフラーの下で小さく息を吐き、同量を吸い込むと再び時間の流れを逸脱するような動きを見せた。

 神速の槍捌き。既に無数に穿たれている異形にそれを耐える道理など無く、辛うじて無事だった部分も槍の突きによって細かく破壊され、異形はセタンタの前から完全に姿を消されてしまった。

 

「すげえ……」

 

 遠巻きから眺めていた匙は思わずそう呟く。圧倒的身体能力と技術、それらが合わさって生み出す破壊に驚くしかない。

 だがそれと同時に胸の中で湧き立つ感情もある。

 羨望、あるいは嫉妬とも呼べるものであった。

 セタンタと自分を比べることなど烏滸がましいという自覚はある。しかし、そのセタンタに合わせる様に、木場たちも慣れた動きで異形たちや魔術師たちを無力化していた。悪魔としての年数は負けているが、自分と変わらないぐらいの年齢の木場たちの動きを見ていると、嫌でも自分の未熟さというものを見せ付けられる様な気がした。

 異形たち相手に互角に戦う木場たちに比べ、自分はせいぜい魔術師たちの妨害というサポート程度、どうしても劣等感を覚えてしまう。

 

(くそっ! もっと強く、もっと上手く神器を使えたら……)

 

 今、そう思っても意味の無いことだと分かっているが、どうしてもその様なことを考えてしまう。

 雑念を振り払う様に目の前のことに集中しようとした矢先、匙は視界の端で光るものを捉える。眼球のみ動かし、光の方を見るとそこには既に詠唱し終えた魔術師がいた。

 

「しまっ――」

 

 今更、ラインを伸ばしても遅い。戦いの中で一瞬でも違うことを考えてしまった自分の迂闊さを呪いながら、匙はありったけの力を込めて地を蹴る。

 直後、先程まで匙が立っていた場所に火柱が昇った。

 背中に炎の熱を感じながら転がる様にして回避した匙はすぐに立ちあがろうとして、その動きを止める。

 立ち上がろうとしてふと見た足元。そこにあるべき匙の影が無い。正確に言えば影があることはあるが、地面に映る影は匙の身体よりも遥かに大きなものであった。

 下げていた目線を上げる。見上げた匙が見たのは、自分に向かって異形が今にも拳を振り下ろそうとしている光景であった。

 

「あっ」

 

 自分で聞いて間抜けと言える声が無意識に漏れる。

 例え『黒い龍脈』を使ったとしてもあの拳を止めることなど出来ない。匙の神器にそれほどの力など無い。

 何かをしなければ、何か行動に移らなければ、情けない結末に至ると思っていても体が付いていかない。

 終わり。その三文字が頭の中に過ぎる。

 

(こんな所で? 何も成し遂げていないのに?)

 

 匙の思いなど異形には何一つ分かる筈も無く、無慈悲な拳が振り下ろされ、それが匙を圧殺するかと思われた、そのとき――

 

「まだまだですね、サジ君」

 

 冷めた声と共に、匙と異形の拳との間に巨大な鏡が現れる。縁に煌びやかな装飾をされたその鏡の鏡面に異形の拳が触れた瞬間、音も無く鏡が砕ける。と同時に異形の腕もまた木端微塵に砕け、その破壊は腕から胴体まで伝わり、異形の上半身が半分消失してしまった。

 

「副会長!」

 

 鏡を顕現させた人物、副会長こと椿姫の名を呼びながら匙は慌てて立ち上がる。

 

「助力に来て正解でした」

「か、会長ぉぉぉ!」

 

 椿姫だけではなく、会議室に居る筈のソーナも隣に居ることに気付き、半ば絶叫染みた声を上げる。

 

「油断しましたね、サジ」

「うっ!」

 

 大口を叩いて戦場に赴いた癖に結局大した活躍も出来ず、挙句の果てにはやられそうになる場面を見られ助けられている。

 醜態もいいとこである。

 

「この戦いが終わった後、特訓のメニューを再考する必要があるわね」

 

 その一言で匙の全身から血の気が引く。今のメニューですら悪魔である匙が地獄だと感じているのに、これよりも更に厳しくなると一体どのようなものが待っているというのか、匙の頭では想像すら出来ない。

 

「ですがこの様な不測の事態の中で今までよく無事でした。――大きな怪我が無くて良かったわ」

 

 ソーナの冷徹な表情がほんの僅か解け、その下から安堵と慈愛が混じった微笑が浮かぶ。

 

「え! あの! その!……はい」

 

 厳しい言葉の後に優しく気遣う言葉と微笑み。不意打ちでそれを貰ってしまった匙は顔を俯かせながら返事をする。こうでもしなければ、涙腺が緩んでしまった顔をソーナに見られてしまうからである。

 

「怪我があったら言って下さい、私が治します」

「アーシアさんも来たのか!」

 

 ソーナと椿姫の後ろから姿を現すアーシアを見て、匙は驚く。

 

「私だけ何もしないでいることなんて出来ません」

「いや、うーん……でもなぁ……」

 

 この様な戦いの場に非戦闘員であるアーシアが出て来ることに、匙は素直に喜ぶことが出来なかった。確かにアーシアの神器は便利ではあるが、そのせいで敵から狙われる可能性がある。ここには居ない一誠がもし今の光景を見たらどう思うか、大よそを想像するのは簡単であった。

 そんな中、椿姫の神器で半身を吹き飛ばされた異形が飛ばされた部分の断面を波打たせ、修復しようとしていた。粉微塵となった部位を戻すことが出来ないのか断面部分が風船の様に膨らませていき、それの形を変え足りなくなった部分を補っていく。

 

「っと! また来ますよ! 今度こそ!」

 

 意気込んで神器を構える匙であったが、その肩にソーナが手を置いて制する。

 

「大丈夫よ。この戦いはもう終わったわ」

「はい?」

 

 そのとき一陣の風が校庭を吹き抜けていく。この季節の風にしては冷たく、体に触れていった瞬間、匙は身震いをした。

 風が向かった方向へ匙が目を向けたとき、目の前に広がる光景に絶句する。

 校庭内にいた全ての異形たちが動きを止めていた。その体表には白い霜が張り付いており、体から冷気が立ち昇っている。

 

「凍ってる?」

 

 そして、魔術師たちも同様に蒼褪めた顔で地面に倒れ伏しており、誰もが体を細かく震わせていた。だというのに、その魔術師たちや異形の側で戦っていた木場たちには何の影響も無く、唐突に凍らされた敵を見て困惑している。

 ほんの僅かな間で校庭内にいる敵のみを全て無力化する。こんなことが出来る人物など一人しか心当たりが無い。

 

「遅れてゴメンね☆ 魔法少女レヴィアたん、ただいま参上☆」

 

 能天気な名乗り口上を上げながら魔王セラフォルー・レヴィアタンが空から舞い降り、ポーズを決める。絵面だけ切り取れば可憐な姿に見えるが、全ての敵が凍結している現状ではシュールそのものであった。

 

「みんなを虐める悪い子はー、えい☆」

 

 パチンとセラフォルーが指を鳴らした瞬間、凍り付いていた異形のみが砕け散り、その身を粒子へと変えていく。再生出来ない程に細かくされた異形たちの身体は、風に吹かれて何処かへと散っていった。

 ものの数秒で、異形が溢れていた校庭が綺麗に清掃される。

 

「ソーナちゃん☆ どうどう? お姉ちゃんカッコよかった?」

「……ええ、流石お姉さまです」

 

 感謝はしているがソーナの顔はやや引き攣っていた。尊敬も敬愛もしているが、やはり姉のこういったキャラを割り切れないらしい。

 

「結界の方は大丈夫なんですか? ミカエル様のサポートをしてた筈じゃ」

「そのミカエル君がこっちに助太刀するように頼んできたの。流石に神滅器相手じゃ分が悪いからって☆ だから今、ミカエル君とグレイフィアちゃんが必死になって結界を支えているんだよね。私もすぐに戻らなきゃ!」

 

 事態がこれ以上悪化しない為に、自らに多大な負荷が掛かると理解した上でセラフォルーを送り出したミカエルの判断は、思い描いた通りの結果となった。

 

「会長たちは?」

「私たちも何らかの手伝いが出来れば、と考えここに来ましたがどうやら不用みたいでしたね」

「そんなことはないです! 副会長のおかげで助かりました! 会長の判断は間違ってないです!」

「――それなら良かったわ」

 

 そこに戦っていたセタンタたちも戻ってくる。

 

「やはりセラフォルー様の御力でしたか。魔王の力、感服させられました」

 

 合流するなりセタンタはセラフォルーに頭を下げ、感謝の言葉を述べる。

 

「セタンタ君に褒められちゃった☆ でもー」

 

 そこで一旦言葉を区切り、セラフォルーはセタンタの顔を眺める。

 

「セタンタ君が『本気』を出したら私が居なくても大丈夫だったんじゃないかなー?」

「――買い被り過ぎです。私の実力など魔王の方々に比べれば足元にも及びません」

 

 含ませた言い方をするセラフォルーに対しセタンタはその言葉を否定。あくまで魔王の方が上であると主張した。

 セラフォルーはそれ以上追及することはなく「そう☆」と言ってこの話を終わりとし、すぐに結界を張る手伝いをする為に校舎の方へ踵を返す。

 が、その途中で足を止め、セラフォルーは上空を見上げた。異形たちは全て倒したが、未だに新校舎の周囲には神滅器の霧によって覆われている。従ってセラフォルーが見上げた先も白い霧で何も見えない筈であるが、セラフォルーの目はその霧の先が見えているようであった。

 

「あっちの方ももうそろそろ終わりそうね☆」

「ですね」

 

 セラフォルーの言葉にセタンタが同じく上空を見上げながら同意する。

 木場たちも同じように空を見上げるが、やはり霧が漂っているだけであり何一つ見えない。

 

「――サーゼクスちゃん、勝つよね?」

 

 ソーナは驚いた眼差しをセラフォルーに向ける。姉妹だからこそ分かるほんの少し違いではあるが、どんな時でも明るく、能天気とも呼べる姉が言葉に僅かな不安を滲ませていたのだ。

 魔人という存在が、例え魔王であっても敗北の可能性を考えざるを得ない相手であることを認識させられる。

 

「勝ちます」

 

 だが、セタンタは毅然とした態度で断言する。

 

「魔王サーゼクス・ルシファーは相手が誰であろうと絶対に負けません、絶対に」

 

 

 

 

 煩悩即菩提。

 その言葉がだいそうじょうの口から放たれた途端、サーゼクスの裡にある衝動が湧き立つ。

 

「ぐっ……!」

 

 奥歯を噛み締めて耐える。精神の手綱を強く握らなければ、あっという間にその衝動に呑まれ、正気を失いそうになってしまう。

 全てを壊してしまいたい。全てを消し去ってしまいたい。自分の全力を以って、目に映る何もかもを、否、それ以上先も。

 今まで考えたことすらなかった、どす黒い破壊衝動。目を背け、嫌悪を覚えてしまう筈の感情がサーゼクスの心を蝕んでいく。

 

「ほう、流石は魔王、良き心の強さじゃのう。普通ならば我が言葉を耳に入れた瞬間、正気を失うというのに、まだ耐えるか」

 

 賞賛の声をだいそうじょうが掛けるが、それに応じる余裕は今のサーゼクスには無い。

 

「己を殺すことは苦痛かのう。煩悩即菩提、己の煩悩を捨て去る者に悟りの道は無し。己の煩悩すら受け入れることから悟りの道は開かれる」

 

 サーゼクスを取り囲むように破魔の陣が描かれる。先程までのサーゼクスならば陣が描かれる前に消し去ってしまっただろうが、今のサーゼクスにはそれほどまでの精密な魔力の操作は出来ない。

 瞬く間に完成される破魔の術。四方を囲まれたサーゼクスに退路など無かった。

 

「終わりだ、魔王よ。汝に死の救済を」

 

 陣から破魔の光が放たれ、サーゼクスの身体を包み込む。夜の中に太陽が突如として現れたような激しい閃光。例え魔王であっても、直撃を受ければその魂を消滅されかねない程の力を込めた破魔の光であった。

 辺りを白く染め上げる光の中で、だいそうじょうはある違和感を覚えた。

 破魔の光が注ぎ込まれているというのに、未だサーゼクスの魔力が消えない。上級の悪魔であろうと十度滅びる程の力が注がれているにも関わらず。

 

「……私の相手が貴方で良かった」

「むっ」

 

 破魔の光の中で響くサーゼクスの声。それを聞き、だいそうじょうは言葉に僅かな驚きを混ぜる。

 破魔の光の中で何かが動く。それは赤く輝き、人の形をしていた。

 

「貴方の言った通り抑えきれないならば、解き放つまで。だが貴方ならば私と拮抗し抑えられるだろう」

 

 光の中で赤の人型が動く。破魔の光に呑み込まれて動ける悪魔など存在する筈が無い。

 

「この場でいるのが貴方だけで――」

 

 赤い人型はだいそうじょうに掌を向ける。

 

「――本当に良かった」

 

 その瞬間、赤い魔力がだいそうじょうの胴体を突き抜け、その体に大きな風穴を開けるのであった。

 

 




あと二、三話で四巻の話は終わる予定です。
今年中に四巻の話が終わったら良いのですが。

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