ハイスクールD³   作:K/K

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鉄拳、電撃

「そいつをどうするつもりだ……」

 

 シンの口から発せられた言葉は、自分でも驚く程低く、獣の威嚇のような敵意が含まれていた。しかし、シンの言葉にもドーナシークは涼しげな顔色を変えることは無い。そもそも、この時点で格下と認識をしているシンに対して、怯むことはまずあり得ることではなかった。

 

「なに、街の散策をしていたら、偶然にも珍しい羽虫が飛んでいたのでな、ついつい手を伸ばして捕まえてしまった。これが貴様のものだったとは驚きだ、この偶然も神のお導きか」

 

 本音とは思えない、わざとらしさを感じる口調。この言葉をシンは鵜呑みにするつもりは毛頭無かった。どこかでピクシーと共にいる場面を見られ、このようなことを行ったのではないかと考えたが、結局の所は、自分の不注意が原因である。

 

「しかし、どうしたものか。この者自体に罪は無いとはいえ、悪魔と関わる存在。逃がすわけにはいかないな」

「一応、言っておくが、俺もそいつもグレモリーの協力者だ」

「ほう、そうか。なら、グレモリーの悪魔に助力を求めたらどうだ?」

 

 こんなことをする相手にシンは無駄だと思っても、リアスの名前を出してみるが効果は皆無に等しい、それどころか余裕すら感じる。

 仮にここで馬鹿正直にリアスへと助けを求めたとしても、リアス達が来る間までピクシーが生き残っている可能性は絶望的である。ドーナシークは文字通りピクシーの命を握っている状態。リアスへ連絡をしたら最後、すぐにピクシーの命を奪い、その場から去ってしまうだろう。協力者の使い魔が堕天使に殺された、という事実だけでは、リアス達が堕天使と徹底的に争う理由としてはあまりに弱すぎる。シン自身も堕天使との小競り合い程度で片づけられると思っていた。

 だが、逆にこうも考えられる。

 ピクシーを見捨てれば、この場は流れる。

 使い魔を失ったとしても悪魔にとって痛手になるわけではない。ただ、目や耳となるものを失うだけだ。わざわざ、代替できるものの命を懸ける義理は無い。

 そもそもシンとピクシーは、出会って三日しか経っていない。たったの三日で自分の命を危険に晒してでも救う関係に、普通ならなれるわけがない。

 

(何を躊躇っている……)

 

 このまま相手に背を向けて走り去るか、ポケットの中にある携帯電話を取り出してリアス達に連絡すれば、この場はすぐに終わる。

 シンの手がポケットへと伸ばされようとする。

 

(たった数日の付き合いだ……)

 

『うん! 上手くいった! ねえ、キミがあたしの呼んだ悪魔でいいんだよね?』

『じゃあ、改めて。あたしは妖精のピクシー! 今後ともよろしくね! シン!』

『うん! やっぱりこれにする!』

 

(たった数日……)

 

『フフ、あなたの『仲魔』、大切にしてあげてね』

 

 伸ばした手を止め、拳を作る。

 

(数日でも……見捨てるのは寝覚めが悪いか――)

 

 この時、シンの中から見捨てるという選択肢は完全に無くなった。代わりに『仲魔』を取り返すという選択肢のみがシンの中に残った。

 

「それで、こんな人目がつく場所で殺すのか?」

「ついてこい」

 

 これと言って抵抗する意思を見せないシンの姿をドーナシークは鼻で笑い、自分の指示で動くようにシンに命令をする。

 下手な真似をさせない為にシンを先頭にして、二人はこの場から離れていく。

 歩きながらシンは、落ち着いて考える。これから相手は何処に向かうのだろう、と。まず、人目が付かない場所であることは間違いない。

 移動する距離にしても相手は、一刻も早く自分を消し去りたいと思っている為、そんなに遠くまで移動することは無く、また時間を掛け過ぎるのも相手は好まないと推測する。リアスなどの悪魔に感づかれる可能性が高まる危険がある。

 移動した先に他の堕天使たちが集まっている可能性もあるが、この周囲はリアスの縄張りである為、堕天使が集まれば、自ずとリアス達が動く危険性がある。今回の行動は、動きの悟られない可能性を少なくさせるため、ドーナシーク個人の可能性が考えられた。

 ここまで考えたシンは、内心自分の考えを自嘲する。どれもこれも推測の域を出ず、どの予想も自分にとって、そうであって欲しいという願望に塗れたものであったからだ。

 所詮、数日前までただの学生であった自分に、戦いについての思考など備わっていない。故にその未熟さを補う為に必死にならなければならない。この先に起こること全てを耐えて、飲み干し、己の糧にしなければピクシーを救うことは出来ない。

 初めてドーナシークと対峙した時とは違い、今度はリアスの助けはまず望めない。ドーナシークに戦いの場所へと誘導されていくなか、シンは己の裡で覚悟と意志を研ぐように昂らせていく。

 シンは生まれてこのかた喧嘩というものは何度かしたことはある。しかし、いまからシンは生まれて初めて生死を賭けた戦いをする。

 

 

 

 

 ドーナシークに指示されて着いた場所は、寂れた公園であった。そこそこの広さはあるが、遊具の数は少なく、手入れをされた形跡も無く、殆どの遊具に錆が浮いている。時間のせいもあるだろうが、公園からは全く人気が無かった。

 公園で始末しようとするのは、初めてシンと会ったのが公園であり、仕留め損ねたのもまた公園であったゆえにこの場所を選んだのか、それとも単なる偶然か。数メートル離れて向かい合うドーナシークの表情からは、それが読めない。

 シンは、目だけを動かして周囲を探る。公園に入ってからドーナシーク以外の堕天使が現れる様子は無い。この時点でシンが想定する最悪の事態は免れた。

 そのとき、ドーナシークの空いた手が光を放ち、その手の中で伸びて槍を形作る。思わず身構えるシンであったが、予想に反し、ドーナシークは作り出した光の槍を頭上へと投げ放つ。

 光の槍は頭上高く飛ぶと、空中で静止し、その身を四つに分けて四方へと散りながら落下していく。

 ちょうど公園を囲むようにして分かれた槍がそれぞれ地面へと突き刺さったとき、公園内の空気が一変する。つい先程まで何も感じなかった筈なのに、肌に触れる空気はざらつくような不快感をシンへと与え、吸う空気は腐臭でも混じっているかと錯覚さえ覚えるほど気持ちが悪い。

 

「この一帯に結界を張った。少なくとも貴様の頼りのグレモリー家の悪魔には、そう易々とは察知できまい」

 

 助かる可能性の一つであったリアスたちの登場は、ドーナシークの言葉でほぼ絶望的になったと考えられる。詳しい仕組みはシンには分からないが、ドーナシークの張った結界というものは、索敵を妨害する効果があるらしい。

 

「ふっ、顔色が悪いな。まあ、貴様たち悪魔には結界内の浄化された空気は毒に等しいからな」

 

 尋ねてもいないのにペラペラと結界について説明をするドーナシーク。この有利な状況に優越感でも感じているせいか口が軽い。尤も、シンは結界の能力を聞いてもこれを破壊や無効化する術は無い。もし、自分にもっと力があったならばどうにか出来たのかもしれないが、今のシンの『悪魔の力』は、精々相手を殴り飛ばすぐらいにしか使えない。

 気分が悪くなっていく結界の中、ピクシーも影響はないかと見てみるが、まだ瞼を閉じて気絶をしている。目立った傷はなく一定の間隔で上下する胸で、ただ意識を失っているだけだと若干安堵するが、軽いとも考えられない。

 この状況を打破する鍵の一つは、ピクシーの意識を覚ますことであることは間違いないと、ドーナシークに悟られないよう、シンは表情を変えず静かに考える。

 

「では、そろそろ駆除するとしよう」

 

 ドーナシークの手が再度、光を放つと今度は、槍ではなく杭と表現するような長さの形となる。それを握り、シンに目掛けて放つ。シンは咄嗟に頭部と胸部の前に腕をかざすが、放たれた光の杭は、そのどちらにも命中はせず、シンの右太腿に突き刺さった。

 最初に感じたのは指で押されたかのような軽い衝撃であったが、すぐにそれは熱のようなものへと変わり、そしてすぐに激しい痛みへと転じる。

 

「ぐ、ああああああああああ!」

 

 貫通はしなかったものの表情の無かったシンの顔が苦痛で歪み、公園の中で絶叫が響く。痛みに耐えかねたのか、シンはその場でしゃがみ込み、刺された右太腿を手で押さえる。

 

「この間の悪魔のように逃げ回られたら少々厄介なのでな、まずは足から潰させてもらった」

 

 痛みに悶えるシンを冷めた表情で睨むドーナシーク。悪魔の苦痛の叫びなどでは、彼の同情を誘うことはなく、むしろ耳障りでしかない。

 

「ふん、苦痛であろう。冷めた表情をしていてもその痛みには耐え切れまい。少々風変わりな悪魔だと思ったが、所詮は下級か」

 

 シンを見下すドーナシークの言葉。

 それを聞き、その言葉を否定するかのように立ち上がるシンであったが、その姿は弱々しく、痛みからか両脚は細かく震えている。

 

「ま、まだだ……」

 

 小さく呟くシンの右手が淡く輝き、紋様を浮かび上がらせる。それを見てもドーナシークは脅威を感じず、再びその手に、今度は光の槍を形成する。

 両手をだらりと下げ、構えらしい構えをとらず無防備なシンに光の槍の先を向ける。ドーナシークが槍を掴む手を放すと、空中で急加速し、光の軌跡を描きながらシンの左脇腹を穿つ。一息遅れて反応したシンの右手が光の槍を掴み、これ以上突き刺さるのを阻むが、その弊害として掴んだ手から白煙を上げさせられる。

 槍の勢いは辛うじて止めたものの、突き刺さった衝撃でその場から数歩後退し、背後にあったジャングルジムにぶつかり、それに背を預けるようにしてなんとか立っていられている様子のシン。

 

「く……ぐう……!」

 

 新たに生まれた痛みで悶え、呻きながらも刺さった槍を無理矢理引き抜き始める。深くは刺さっていないが、傷口から槍を抜いていくたびに白煙が上がり、シンの顔に汗が滲んでいく。

 

「ああああああああ!」

 

 痛みを誤魔化すかのように獣のような声を上げ、一気に槍を引き抜くと地面へと投げ捨てる。光の槍を抜かれた脇腹からは、鮮血が湧き出し、光の槍を掴んでいた右手も赤く爛れていた。

 

「ちっ、あのときの反省を踏まえて、強めの光を込めて放ったつもりだったが、この間の悪魔といい貴様といい、最近の悪魔は随分と頑丈だな」

 

 光の槍を防いだシンに対する感心は無く、面白くない、といった不快の感情を隠そうとはしないドーナシーク。

 俯き、荒い息を吐くシンであったが、右手に拳を作ると、もたれているジャングルジムに無言で拳を叩きつけた。

 公園内に響く甲高い金属音。その音にドーナシークは不快そうに表情を歪めた。

 叩きつけられたジャングルジムは激しく揺れ、シンが拳を打ちつけた部分は、右拳の形が分かるほどに変形し、シンの腕力がどれぐらいのものかを語っている。

 

「……頑丈さと力が数少ないとりえだからな……どれほどか試してみるか?」

「……つまらない強がりにつまらない挑発だな。くだらない戯れも、もう十分だ。次で終わりだ」

 

 ドーナシークの掌から今までの比では無いほどの光が溢れ出す。殺すつもりで放った一撃で死ななかったことがドーナシークのプライドを強く刺激した。ドーナシークにとって不本意ではあるが、確実に始末するために全力を込めて光の槍を形成していく。

 溢れていく光はやがて明確な形を作っていく。長さは先程の槍と変わらないものの、その太さは数倍になっており、槍ではなく柱を持ち上げているようであった。

 その光の激しさは、離れた場所にいるシンの目を強く刺激し、太陽を直に見ているかのように、目をぎりぎりまで細めなければ直視できないほどのものであった。

 全力を込めた光の槍を構え、滅するべき標的を睨むドーナシーク。シンは観念したのかその場から動こうとはせず、背後の遊具に持たれたまま立っている。

 

「終わりだ」

 

 光の槍を投げ放つ――

 

「ねぇ?」

 

――前に第三者の声がドーナシークの動きを止める。

 

「いつまで掴んでるの?」

 

 ドーナシークの意識が、シンからその声の主へと向く。

 自らの手を見るとそこには、不機嫌そうな表情を浮かべてドーナシークを見る妖精。

 

「はーなーしーてッ!」

 

 妖精――ピクシーの体に青い火花のようなものが散る。と同時に爆ぜるような音が響き、ドーナシークの手から腕にかけて青白い火花が蛇のように走ると、次の瞬間、ドーナシークの腕が凄まじい速さで跳ね上がった。その勢いで掴まれていたピクシーが空中へと投げ出される。

 痛みを伴う腕の震えを感じたかと思うと、それが一気に痺れとなって全身へと広がり、ドーナシークの体も腕同様に一瞬跳ね上がったかのように震えた。そのショックで収束させていた光の槍は霧散し、手の中から消える。

 『電撃』

 それが、ピクシーの思わぬ反撃を受けて、ドーナシークが最初に思った言葉であった。

 不測の事態にしばしの間、ドーナシークはこの原因となったピクシーの姿を探してしまった。この時、彼の意識は完全にシンから離れてしまっていた。そして、我に返り標的であるシンへと目を向けたとき、ドーナシークの目に映ったのは自分に向かって拳を振り上げるシンの姿。シンの顔は、ついさっきまでの痛みに悶えていた表情が、嘘であるかのように能面に徹している。

 顔面目掛けて放たれるシンの左拳。ドーナシークは咄嗟に腕を眼前に出して、それを防御する。骨と骨とが衝突する感触に、シンとドーナシークは互いに痛みを感じ、奇しくも両者は同じ感想を抱く。

 軽い。

 ドーナシークは今まで戦ってきた悪魔たちと比べて、シンの拳を軽いと評価し、シンは勢いのまま振るった自分の拳を当てたときの不十分な手応えを軽いと感じた。

 踏み込んだシンの右足、そこには未だにドーナシークの放った光の杭が刺さっている。ドーナシークが逃亡を妨げるように放ったものが、結果としてシンの攻撃を放つための溜めを不十分とさせ、絶好の機会を逃すこととなった。

 不意をもらってしまったが、今までのことでシンの力が削がれていることに気付くドーナシークは、好機と言わんばかりにもう片方の手に光の槍を形成し始めるが――

 

「っが!」

 

 ドーナシークは痛みに驚き思わず声を上げる。

 シンは槍の形成よりも先に、右手でドーナシークの胸倉を肉ごと掴み、成人男性一人の体重を右手一本で持ち上げる。

 爪を突き立てるようにして持ち上げたドーナシークを無事な左足を軸に、靴底で地を強く踏み締めると同時に足首から腿の付け根まである関節を稼働させ、力を込めて筋肉が膨張した右腕を大きく振るう。力を込めたことで、脇腹からは一層血が溢れ出すが、それに構うことなく背後にある、さっきまでもたれ掛かっていたジャングルジムに向けて、力の限り投げ飛ばす。

 一直線に飛ぶドーナシークの体は、背中と頭を鉄製のジャングルジムに強打して止まる。その際、ドーナシークの口から苦悶の声が漏れる。

 シンとドーナシーク、二人の立ち位置がさっきとは逆になる。

 シンは追撃を掛けようとドーナシークに向かって駆けるが、その動きは鈍い。片足を負傷している状態だと考えれば速いとも言える速度ではあるが、ドーナシークとの離れた距離は数メートル。ピクシーの攻撃に意識が向いた後の不意を突いて縮めた数メートルとは違い、いまの数メートルの間は確実にドーナシークの意識はシンへと向けられる。その間を駆けるには致命的とも言える速度であった。

 ドーナシークとの距離約四メートル。

 ドーナシークの注意が痛みからシンに向けられる。シンも走る速度を緩めない。ドーナシークの右手に光が収束していく。

 ドーナシークとの距離約三メートル。

 収束していく状態のままドーナシークは、右手を持ち上げて投擲の姿勢をすぐさま取り、迫るシンを迎撃する準備を急速に整える。ドーナシークが、自分を迎え撃つ姿を見てもシンは速度を緩めず、腕を交差して突き出し、頭部だけを守れるように最低限の防御を行う。

 ドーナシークとの距離約二メートル。

 光の収束が終わり、ドーナシークの手の中に光の槍が握られる。シンの走るスピードはそれでも緩まず、速度を維持したまま、左足の踵が地を踏みつけ、離れた瞬間、足の指先を発条のようにして蹴りつけ、ドーナシーク目掛けて飛び込んだ。

 両者の距離約一メートル。

 飛び込んでくるシンに光の槍を持つドーナシークが、シンの心臓にその槍を突き立てる為の刺突が繰り出された。

 槍と素手、どちらに分があるかは一目瞭然。シンが後数歩まで迫る必要がある距離をドーナシークの槍は、瞬時に零とする。

 槍の先端が、シンの胸へと迫ったとき――

 

 雷鳴が轟き、閃光が奔った。

 

 閃光はドーナシークを貫き、自らの意志に反してその体を仰け反らせ、動きを硬直させる。そのとき、ドーナシークの視線に入るピクシーの姿。一瞬ではあるがドーナシークには、ピクシーがこちらに向かって舌を出していたように見えた。

 ドーナシークの光の槍はピクシーの横槍により力の供給を断たれて、ただの光へと戻る。シンを阻むものは無くなり、仰け反って無防備なドーナシークに全体重を乗せて、体ごと突っ込んだ。押し込まれる衝撃は背後にある遊具によって押し止まれ、行き場を失った力は、ドーナシークの体の内側を蹂躙するかのように圧迫。骨は激しく軋み、肺も胃も、その他の内臓全てが本来の形を歪められた。

 技術など一切ない、ただ身体能力と自分の重さだけを使った、技とも言えないただの『突撃』。

 しかし、シンの全体重を受けたドーナシークは、その衝撃で目は限界まで見開かれ、口も目と同様に大きく開き、苦鳴の代わりに圧迫されて肺から絞り出された空気が吐き出される。苦悶に満ちた表情のドーナシーク、だが意識は失ってはいない。

 ドーナシークの見開かれた目とシンの冷めた視線が交差する。

 シンの右手が、整えられたドーナシークの髪を掴むと腕力にものを言わせて、強引に引っ張る。何本も髪が抜ける音が聞こえてくるが、構わず手前に引くと、地面に向けてその手を振り下ろした。

 

「ッ!」

 

 後頭部から地面へと土埃が舞うほどの速度で叩きつけられ、そのショックで意識が混濁したのかドーナシークは呆けたような表情を浮かべる。

 シンは、その顔を真上から見下ろし、容赦なくその中心に右拳を振り下ろした。

 鈍く、響かない潰れた音。

 ドーナシークの顔面の中心に血の華が咲く。未だドーナシークの意識は途切れてはいない。現状の消耗した状態のシンの一撃には、意識を断つほどの威力は無い。それが不幸にもドーナシークを苦しめる。

 シンは血の糸を引く右拳を振り上げる。

 

「ま、まて――」

 

 手を突き出して、止めるよう懇願しようとするドーナシークの言葉を最後まで聞くよりも先に拳を振り下ろした。

 再度、聞こえる鈍い音。

 

「く……あ……」

 

 めり込む拳の隙間から僅かに聞こえたドーナシークの悶える声。それを聞き、シンは躊躇うことなく拳を振り上げた。

 

 その後に聞こえる鈍い音。ただし今度は、それだけであった。

 

 

 

 

 顔面を真っ赤に染め、顔の形を変えて大の字で倒れているドーナシークの側で、シンは腰を下ろす。表情はいつもと同じ無表情であるが、呼吸は荒く、顔には汗と疲労の色が浮かんでいる。

 この時になってシンは、初めてドーナシークの状態を確かめた。完全に白目を剥いているが、胸は上下に動いているのでまだ生きているのが分かる。気付けば、公園内を漂っていたざらつくような空気は無くなり、足に刺さっていた光の杭も消えている。ドーナシークが気絶したことで結界などの力が消失したのが分かる。

 先程までは何も考えず、とりあえずは動かなくなるまで殴り続けたが、戦いの熱が冷めてきた今、自分の行いを冷静に振り返ると少々背筋が冷たくなってくる。

 ドーナシークが生きていたことに少々安堵する。もし、殺めていた場合、その責任は自分に留まらず、リアスなどの周りに飛び火する可能性があったからだ。シンも自分の行いで他人に悪影響を及ぼすのは不本意である。尤も、ドーナシークを殴っている最中にはそんな考えなど浮かばず、一切の手加減も慈悲も加えずに殴っていた。ドーナシークが生きていたのは、単純にシンの力量不足の結果である。

 そんなことをシンが考えている間にピクシーがシンの近くまで来ると、黙ったまま怪我をしている右太腿に両手をかざす。すると両手から光が溢れ、傷口に注ぎ込まれる。光が注がれた傷口は、ついさっきまで激しい痛みを訴えていたが、ピクシーの出す光によって和らいでいき、出血も徐々に納まり、目に見える速度で傷口を新しい細胞が埋めていく。

 

「電撃といい、これといい随分と芸達者だな」

 

 素直に褒めるがピクシーの反応は無い。

 

「――ねえ」

「何だ?」

「ぼんやりと覚えてるんだけど、何度かシンって叫んでたよね? あれってやっぱり、あたしを起こす為に叫んでたの?」

「まあな……久しぶりに腹の底から声を出したな――おかげで喉がひりひりする」

「じゃあさ……」

 

 俯いていたピクシーが顔を上げる。いつもの明るい表情は無く、暗く、申し訳なさそうな表情であった。

 

「あいつの攻撃をわざと受けてあたしを――」

「それは違う」

 

 最後まで言い終わる前に、ピクシーの考えをきっぱりと否定する。

 

「大げさに叫んだのは事実だが、あいつの攻撃は正直反応しきれなかったし、痛みも本物だった。ああいう状況じゃなきゃ、立っていられなかったかもしれない。それに俺はお前を起こしただけだ。あいつから逃れられたのはお前自身の力だ」

 

「でも――」

 

 なおも食い下がろうとするピクシー。しかし、シンはピクシーの額を人差し指で軽く小突いてそれを拒絶した。

 

「いたーい!」

「元はと言えば、俺が目を離したのがそもそもの発端だ。ピクシー、お前が責任を感じる必要はない。――それでも責任を感じるなら、いまので無しだ」

 

 明らかに吊り合わない内容であるが、シンはこれ以上この話はするつもりはない、と態度で示す。額を押さえ涙目でシンを見るピクシーであったが、先程までの暗さは幾分か消え、いつもの表情へと成りつつあった。

 

「ああ、そうだ。まだ言ってなかったな」

 

 シンはピクシーを真っ直ぐ見つめる。

 

「さっきは助かった。ありがとう」

 

 シンは生き延びられたのはピクシーの助けがあったからこそだと思っている。それがなければドーナシークとの戦いで二、三回は死んでいた。

 だからこそ、その思いを言葉にして口にする。一切の他意なく、純粋な感謝の言葉を。

 しばしの間、シンの口から聞いた言葉にぽかんとしていたピクシーであったが、やがてピクシーは笑みを浮かべ。

 

「うん! あたしも助けてくれて、ありがとう」

 

 お互いに感謝の言葉を交わす両者。が、次の瞬間、シンの表情は一気に険しいものとなり、ピクシーをやや乱暴に掴むと、あらん限りの力で地を蹴り、倒れているドーナシークから急いで離れる。

 

「え? え? なになに?」

 

 事態が飲み込めず、されるがままになっているピクシーの耳に入る二つの羽ばたき。

 倒れているドーナシークを挟むように二人の人物が降り立った。一人はフリルの付いたゴシックローリータと呼ばれる格好をした幼い容姿の少女。もう片方は胸元を大きく開き、体のラインが浮かぶ挑発的な衣服を纏った妙齢の女性。

 どちらもシンが初めて見る顔であるが、二つの共通点があった。一つは、背中から生えた堕天使であることを示す黒い翼、もう一つは、こちらを見下している視線であった。

 堕天使の援軍。シンが考える限り最悪の事態である。堕天使二人を相手に、こちらは消耗したシンとピクシーの二人。数では互角であるが、戦力差は掛け離れている。

 

「様子がおかしいと思って見にきたら、なにやってんのよドーナシーク! 悪魔に伸されるなんてうちら堕天使としての恥よ」

 

 甲高い声でそう言って気絶しているドーナシークをつま先で軽く蹴る。

 

「よせ、ミッテルト。いまは、ドーナシークの失態を責める前にやるべきことがある」

「はいはい。カラワーナはせっかちね。で、あんたがドーナシークを伸した悪魔? なんだ、もうボロボロじゃん」

 

 いまだ脇腹から血を流すシンの姿を見て、ミッテルトが嘲笑う。

 

「それじゃあ、とっとと消えてね! うちらも暇じゃないんで」

 

 ミッテルトは、ドーナシークと同様に光の槍を作り出し、それをシンへと向けた。しかし、シンもそれに応じるかのように右手を差し出す。その手の中には何かが握られていた。

 

「……何のつもり?」

「その携帯電話がどうした」

 

 差し出した右手の中には携帯電話。

 

「分からないのか? もう既に助けは呼んである」

 

 シンの言葉に、ミッテルトたちの様子が変わる。見下していた視線は、警戒をするような鋭いものとなる。

 

「別に不思議なことじゃない。いまの状態ならすぐにでも助けを求めるのは当たり前のことだ。あと数分もすれば、俺の刻印から場所を探知して、転送してくる」

「へぇ、じゃあ、あと数分であんたを殺せばいいだけのことじゃん」

 

「出来るか? 俺はお前たち二人に勝つことはできないが――負けないことは出来る」

 

 射抜くような堕天使二人の睨みを怯まず、真正面から受け止め、睨み返しながら挑発的な言葉を口にし、いつでも戦う準備が出来ているのを示すように拳を握る。

 血は未だ流れ続け、顔色も悪い。堕天使二人でかかれば、倒すのは容易であるに違いない。だが、堕天使二人は、何故か躊躇う。

 それは、目の前にいる悪魔に得体のしれないものを本能が無意識に感じ取った。勝てるかもしれないが、手痛い反撃をもらうかもしれない、そのような利己的な判断が決断を鈍らせる。

 

「ふん! マジになっちゃってバカみたい」

「つまらない小競り合いをするほど我々も愚かではない。この場は不本意だけど見逃してあげるわ」

 

 あくまで、シンを下に見ている態度を崩そうとはしない二人。

 気絶しているドーナシークを二人で持ち上げると、さっさと離れていってしまった。

 堕天使たちが去り、数十秒が経ったのちシンは大きく息を吐いて、座り込む。

 

「大丈夫?」

 

 疲れた様子のシンを心配するピクシーの声、シンは軽く手を振って大丈夫であることを示す。

 緩慢な動作で右手に握った携帯電話の電話帳から番号を選び連絡をする。

 シンは、ようやくリアスたちに救助を求めることができた。

 

「……今日は、慣れないことばかりする日だ」

 

 




対ドーナシーク戦はこれにて終了です。
ちょこっと出したミッテルトとカラワーナはアニメを見るまで男だと思ってました。

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