ハイスクールD³   作:K/K

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覚醒、爆発

 身を魔力の嵐に晒しながら、マタドールは自分の身に起きた不可思議なことについて思考していた。荒れ狂う魔力の渦で煌びやかな装飾が施された衣服の所々が裂けながらも、頭の中は至極冷静に働いている。

 いつの間にか自分の足下から消え、別の場所へと移動していたシン。放つ瞬間も、自分に接近してくる過程も分からなかったアザゼルの光の槍。そして今自分が、恐らくシンが放ったであろう魔力波の真っただ中にいること。

 戦いの中で無意識になるなどという愚行を自分が犯す訳が無く、考えられる可能性があるとすれば、新たに現れた少女しか考えられない、とマタドールは直感で断定する。

 自分の身に何が起きたのかは一先ず後に置くとして、問題は少女が『何をした』ことで自分がこの様な状態にすることが出来るのか、それが重要である。

 そして既にマタドールは『何をした』かの大体の予想は出来ていた。最初の異変のときは気付かなかったが、二度目の異変のときに気が付いた。

 尤も一目見たからそれに気付いた訳では無い。

 そういった考えに即座に辿り着いた理由は、マタドールが過去から今に至るまで積み重ねてきた戦いの経験によるものであった。

 自分を見ていたあの眼。過去に似たような能力、あるいは神器を所有していた者たち特有のものが感じ取れた。

 戦いとは自分にとっての財である。マタドールは心の中で、自分の勝利の為に屍になっていった数々の戦士たちに感謝の念を送る。

 ならば今からするべきことは、数多の戦いの中でそれらの能力者を屠ってきた戦い方。マタドールは魔力波の中でカポーテを振るった。

 

 

 

 

 ギャスパーの神器で停止させた隙に熱波剣を放ち、避ける暇も無く魔力の波で呑み込んだが、致命的なダメージを与えているとは言い難い状況であった。それでもこの戦いが始まってから初めてまともに技を直撃させたのは間違いない。

 

「――まさか、一人でここに来るとはな」

「は、はい! ま、間薙先輩の助けになるかもって、そ、それで……」

 

 最初は勢い良く返事をしたものの後半になるにつれ、勝手な真似をして怒られるかもしれないのでは、と思ったのか、どんどんと声が小さくなっていき、最後の辺りなど虫の羽音の様な声であった。

 

「赤龍帝〈アイツ〉の血を飲んだみたいだな。神器の精密さと力が格段に上がっている。いいタイミングだ。飲んでなきゃ出力不足で停められなかったかもしれないな」

「そ、そうなんですか?」

 

 初めて見る鎧の男がアザゼルであったことに驚きつつ、その言葉で一誠の血を飲むと決断したことがその時だけではなく、後にまで影響する好判断であったことをギャスパーは知った。

 

「このままずっと奴の動きを――」

 

 そこまで言い掛けたとき、マタドールを包む魔力波に変化が生じる。

 砂利や土を巻き込みながら、中のマタドールにダメージを与えていた筈であったが、巻き込む土などの量が最初に見たときよりも明らかに多くなっており、そのせいで中にいるマタドールの姿が隠れてしまっている。

 本来ならば時間が経つことで威力が弱まる筈であるが、唸る魔力波は弱まる所か、明らかに威力が増していた。

 技を放った本人であるシンも自分の技を熟知している為、異変が起きていることにすぐ気付く。

 

「――止められる訳無いか」

 

 悟った様な台詞をアザゼルが吐くと共に、マタドールを囲んでいた魔力波が内側から弾け、中から高速で回転する竜巻が新たに現れた。

 シンたちの前でマタドールが何度か使用していた、風の魔法を応用したものだと考えられる。

 竜巻がこちらに向かって一歩近付く。

 それに反応し、ギャスパーはすかさず神器を発動。迫ってくる竜巻ごとマタドールの動きを停止させようとした、そのとき。

 

「うあっ!」

 

 ――ギャスパーが悲鳴を上げ突如仰け反ると、反射的に両目を手で押さえた。その指の隙間からは血が流れている。

 

「大丈夫か?」

 

 すぐにシンがギャスパーの側に寄り、手で押さえていた場所を見る。

 ギャスパーの両瞼に裂傷が生じ、赤く腫れ上がってまともに開けない状態になっている。

 

「少し我慢しろ」

 

 そう言ってから閉ざされた瞼を開き、眼の確認をする。幸い眼球自体に傷は無かったが、この腫れではまともに開くことも見ることも出来ない。

 

「まあ、そうくるよな」

 

 アザゼルはギャスパーの下で転がる二つの石を見る。大きさは一センチ程の小さなものであり、恐らくは竜巻に混ざっていた石礫を飛ばして来たと考えられる。荒れ狂う竜巻で姿を隠し、動きを悟らせないようにしてからの奇襲。そのマタドールの慣れたやり方にアザゼルは口の端を歪める。

 

「中々、セコイ真似をしてくれるじゃないか」

「派手に魅せる大技も必要だが、それに至るまではこういった『小技』も必要なのだよ、アザゼル」

 

 竜巻を解き放ちマタドールが姿を現す。

 

「尤も想定していて防げなかった貴公のミスとも言えるがな」

「この野郎……」

 

 それ以上強く言わなかったのは、マタドールの言葉に自覚があったのかもしれない。

 

「あ、あの人は! あの人はど、何処ですか? 僕はまだ見えます!」

 

 瞼を腫らした状態でも懸命にマタドールの位置を尋ね、目を開こうとするギャスパー。そんなギャスパーにマタドールは挑発する様な声を掛けた。

 

「私はここだぞ。その眼を見開いて良く見たまえ」

 

 声を出し、自分から位置を報せるマタドール。ギャスパーはマタドールの声を頼りにして、内出血をして重くなっていく瞼を必死になって開こうとし、その両眼にマタドールの姿を納めようとする。

 その直前、マタドールは地面を力強く踏み付ける。するとそれによって地が割れ、細かく砕かれた土や砂が舞い上がり、マタドールの姿を隠す。

 何とか目を開くことが出来たギャスパーであったが、ギャスパーが思っていた以上に瞼は持ち上がらず半目の状態であり、視界の方も焦点が合わずぼやけて見える。

 それでもギャスパーの神器が発動するが、瞳に納められた姿はマタドールではなく、宙にあった土や砂であった。

 

「あっ」

 

 ギャスパーが声を出すも既に手遅れであり、対象を捉えていなかったことで神器はマタドールではなく土砂の時間を停止させ、停められた土砂や砂埃は、マタドールの目の前で壁の様にそびえ立つ。

 

「ほう」

 

 時間を停止させられ、宙に固定された土砂に対し、興味深そうな声を漏らしながら、剣先でその壁を軽く突く。

 

「成程……最初は視線を媒介にした催眠の類の邪眼、もしくは神器かと思っていたが、どうやらそれよりも更に厄介なものらしい。――『停止世界の邪眼』、名と能力は知っているが実物を見るのは初めてだ。貴公も希少な神器を宿しているな」

 

 このとき、シンとアザゼルは同時に同じ言葉を頭に浮かべる。

 

『完全にばれた』

 

 ギャスパーの神器の詳細がまだ判明していない段階であれば、マタドールも必要以上に警戒し、深く踏み込んで来ないと考えていたが、神器の能力が分かってしまえば、マタドールの行動は早くなる。

 恐らくこの先、二度とマタドールがギャスパーの視線に納まることはない。

 正解を当てられても二人は動揺を表に出さず冷静な態度を維持していた。マタドールが僅かでも自分の答えに疑問を抱かせる様にする為のささやかな抵抗であったが、当の本人はそれを気にすることなどなく、自分の出した答えが当たっていたという前提で話を進めていく。

 

「それにしても私ともあろうものが戦いの場で、神器の効果だったとはいえ数秒も意識を失うとは――」

 

 シンたちには見えなかったが、マタドールは壁の向こうで俯き肩を震わせている。第三者が見れば自らの失態から来る怒りで震えている様に見えたであろうが、次のマタドールの態度を知れば、その考えもすぐに消え去ってしまうだろう。

 

「――くくくく、ははははははは! まさに屈辱だな!」

 

 哄笑しながら屈辱であると叫ぶ。怒りを通り越して笑いへと転じたとも考えられるが、笑うマタドールの声に怒りなど無く、あるのは喜色のみ。遠くまで突き抜けていく様な快活な笑い声であった。

 いきなり笑い出すマタドールにシンやアザゼルは瞠目し、ギャスパーはその声量にびくりと肩を震わせる。

 

「屈辱って言っている割には随分と嬉しそうだな」

「くくくく。この屈辱は元を正せば私の隙が生み出したもの。隙があるということは私にはまだ至らない点があるということを突き付けられたという訳だ。これを喜ばないでどうする? 私にはまだ強さの先があるのだ」

 

 自分の隙ですら糧にしようとするマタドール。その貪欲なまでの強さへの執着はシンたちの理解の範疇を超えていた。

 

「強くなるためだったら屈辱や失態すら飲み干すってか?」

「必要ならば一時の敗北にすらこの身を沈めよう。恥や屈辱も啜り、この誇りが擦り切れる寸前になろうとも耐えて見せよう。戦う敵が那由多の数だろうが、全知全能の神が相手だろうが構わない」

 

 マタドールの全身から膨大な魔力と覇気が溢れ出す。この戦いで全開だと思っていたが、未だ実力の底へと辿り着いていないらしい。

 

「最後に勝利するのはこの私だ」

 

 一体どれほど研鑽を詰み、数多の戦いを潜り抜けてきたら、これ程までに確信に満ちた自信と言葉を得られるのであろうか。ただ肥大した誇りから来る中身の無い言葉ではなく、聞く者誰しもが無理だと分かっていても『もしかしたら』と思わせる様な台詞であった。事実、シンたちも一瞬ではあるが、その様な言葉が脳裏を過ぎってしまった。

 

「くっだらねぇ――と言い切ったら楽なんだがな。性質が悪いなお前は」

 

 善悪問わず、この様に本気で言っている相手に否定の言葉一つでも吐けば、途端に小物染みた印象を自他ともに受けてしまう。故にアザゼルはマタドールのことを、性質が悪いと評した。

 

「自分の可能性を信じてこそ得られるものがある。今日に至るまで私は私自身を信じ抜き、そしてこの力がある。己を信じぬものに先など無い」

 

 数多の生命を殺めてきた魔人の口から出て来る、青臭いと言える台詞。ただ言った本人が本人である為に、恐ろしさを感じさせる程の説得力があった。更にはその考え自体にはある程度の共感を覚える為、強く否定できない。だからこそシンとアザゼルは表情には出さないものの顔を顰めたくなる。

 

『本当に性質が悪い』

 

 二人はそんな悪態を胸の中で吐きつつ、それぞれ次にどう動くかを思案する。

 

「さて能力の正体が分かったのはいいが、戦いの中で一々それに注意を払うのも些か鬱陶しい」

 

 マタドールの視線がギャスパーへと向けられる。腫れた目でまともに状況を把握出来ていない筈のギャスパーだが、マタドールに見られた途端、何かを敏感に悟ったのか反射的に身を縮ませた。

 

「その両目――抉り出すとしようかな?」

 

 放たれた言葉に感情の起伏が無い。だからこそ実感してしまう。その言葉が冗談などではなく間違いなく本気であることに。

 魔人から直々にそう宣言されたギャスパーの顔から、血の気が引いていくのが見て分かった。シンはそれを見て臆病、弱気などと責めるつもりはなかった。恐らくギャスパーと同じ立場になって平然としていられる人物など、この世に数える程しかいないであろう。

 ギャスパーは魔人への恐れに背を押され、再び神器の力を使用しようとするが、その直前、両瞼を手で抑えられる。

 

「今は我慢しろ」

「間薙先輩……?」

 

 ボソボソとギャスパーにしか聞こえない声量でシンは話す。

 

「奴の注意はお前に向けられている。何度やろうともさっきの二の舞だ」

「でも! でも!」

 

 助けられたシンの手助けをしたくてこの場所へと来た。だというのに足手まといになってしまっている自分の現状に焦燥を覚え、余裕の無い声を出すギャスパー。

 

「よく聞け。『今は』と俺は言ったんだ」

「『今は』……?」

「必ずチャンスは来る。その力を使うチャンスが。だから今は耐えろ。俺たちの切り札はお前だ、ギャスパー」

 

 興奮するギャスパーを宥める為に言った言葉ではない。あの魔人に対し最も有効な手段は間違いなくギャスパーの『停止世界の邪眼』である。その証拠にマタドールはギャスパーから潰しにかかろうとしている。

 

「……はい」

 

 シンの言葉に応じ、ギャスパーの体から無駄な力が抜けていく。

 

「言うのは結構だが、俺が黙って見ているなんて思っていないだろ? そう易々とお前の思った通りにことを運ばせられるか」

 

 アザゼルがシンとギャスパーから離れ、数歩前に出る。シンもアザゼルに続く為に体を動かそうとするが、それを制する様にアザゼルから視線が飛ぶ。

 無言で向けられた視線はシンからギャスパーの方へと移動する。それは言外に、ギャスパーから離れるなと指示しているようであった。

 シンはそう解釈し、動くのを止める。それを見てアザゼルは何も言わずに視線をマタドールの方へと戻した。シンの判断を無言で正解であると告げる。

 

「まだまだいけるだろう? アザゼル。私はもっと貴公と戦いを愉しみたい」

「お前の趣味に付き合うのは不本意だが、何もせずにやられるのはもっと不本意だ。――いいさ、とことんやってやる」

「素晴らしい返答だ」

 

 言うと同時にマタドールは一歩踏み込む。その途端マタドールの姿は消え、直後アザゼルの前の前に現れたときには、右手に持つ剣から突きが繰り出されていた。

 アザゼルもマタドールの動きを読んでいたのか、胸部に向かってくる突きに対し槍を水平にして構えていた。

 実体の無い光の槍から既に元の黄金の槍へと戻っていた槍の柄で、マタドールの突きを受け止める。

 両者の間では眩い火花が盛大に散って、大気が震える程の衝撃が走り、見ていたシンやギャスパーの髪が揺れる。

 突いたマタドール。受け止めたアザゼル。衝突し合った位置から二人とも動くことなく拮抗したかと思えば、マタドールは左手に持つカポーテを前方へと翳す。

 アザゼルの視界全体に映る赤一色。それによってアザゼルは極短時間、マタドールから目を離すこととなってしまう。

 そして突如来る力の消失。せめぎ合っていた筈のマタドールの力が消え、その拍子にアザゼルは僅かに前のめりになる。

 カポーテに突っ込む様な形になるが、アザゼルが触れるか触れないかという絶妙なタイミングでカポーテは翻り、赤一色であったアザゼルの視界が開ける。

 だがカポーテの向こう側には、立っていた筈のマタドールの姿は無い。

 何処へ行ったのか、そう考えるよりも先に背筋を駆け上がる悪寒。アザゼルの身体は直感が感じ取った危険信号に反応し、背後に向けて狙いなど定めずに槍を突き出す。

 突き出した槍に手応えは無く、空しく空を切っただけに思えたが、槍の柄に上から何かが落ちた様な軽い感触が伝わってきた。

 突き出した槍から少し遅れ、アザゼルの首が背後に向けられる。

 そこでアザゼルが見たものは槍の柄の上に器用に立っているマタドールであった。

 

「狙いは良かったぞ」

 

 そう褒めるとマタドールは狭く短い槍の上を滑る様に前進。アザゼルは咄嗟に槍を振り上げようとするが少し遅く、接近したマタドールの蹴りを頬へと叩き付けられる。

 生身であったのであれば首に損傷を受けていたであろうが、纏う鎧のおかげでその一撃を僅かに体勢が傾く程度に抑え、その状態から槍を力の限り振り上げた。

 下から押し上げる槍に逆らうことなくマタドールは宙へと跳ね上げられる。間髪入れずアザゼルはマタドールに向けて手を翳した。

 マタドールの周囲360度に発生する無数の光の槍。逃げる隙間、躱す間など与えない様に密集している。

 

「はっ!」

 

 自分を狙う全方位に見える槍の穂先に対し、マタドールは笑う。嘲り、見下しといった笑いでは無く、今自分に迫る攻撃への敬意と感謝を込めた笑いであった。

 襲い掛かる攻撃は試練であり、苛烈な攻めによる苦境はその先にある勝利をより円熟させる。無論、そこには如何なることも乗り越えることが出来るという確固たる自信がある為。

 アザゼルに心からの感謝を送ると共により殺意を高める。

 いつの時であろうと強者の猛攻を掻い潜り、その心臓へと剣を突き立てる瞬間は甘美なものである。

 翳した手を握った瞬間、全方位から一斉に光の槍が射出される。

 優に百を超えるであろう光の槍が、常人では視認出来ない速度でコンマ一秒のずれもなく、マタドールへと群がる様に襲い掛かる。

 三界の者たちであったのならば抵抗する前に絶望するであろう光景の中、マタドールは迫り来る死に対し、己の力を存分に発揮する。

 まずは前方からくる光の槍にカポーテを振るう。カポーテに触れた光の槍は貫くことなく布地の上を滑っていくかと思えば、マタドールはそこでカポーテを僅かに動かす。すると滑っていた筈の光の槍たちはそれぞれ軌道を変えて、四方へ飛び散る。

 上下に飛んだ光の槍は同じく上下から来る光の槍と正面から衝突し、互いの力で相殺され、別方向へと飛んでいった槍は向かってくる槍の側面に当たり軌道を逸らすと、その別の槍もまた更に別の槍へと接触し向きを変える。

 瞬時に多数の槍を無力化させたマタドールは、今度は剣を構えると残った槍へと向け、銀の軌跡を描く。

 前方から来る槍を斬り落としたかと思えば、背後に眼でも付いているかのように後方の槍を振り向き様に薙ぎ払う。左右から来た槍には最小限の動きで躱しつつ、避けきれないと判断した槍は剣で払う。

 このときのマタドールは宙から落下し始めた状況であり、重力に従い地面に向かっているにも関わらず、それを感じさせない程自由自在に動き続ける。

 判断から実行まで殆ど間も無く動き、全方位から来る光の槍を次々に消滅していくマタドール。あと数秒も掛からずに全ての光の槍は消え去ってしまう。

 だがそれもアザゼルにとっては想定の範囲内のことであった。

 槍の持ち方を替え、穂先をマタドールへ固定しながら槍を持つ腕を可能な限り引き、投擲の構えをとる。

 光の槍はあくまで目くらまし。本命は今から放つ槍の一撃である。

 鎧に宿る『黄金龍君』ファーブニルの力とアザゼルの力を相乗させ、限界まで威力を高めた『堕天龍の閃光槍』最速にして最大の一撃。現在のアザゼルにとって、これが最強の火力である。

 放てば文字通り閃光となって相手を貫き、魔王クラスであっても恐らく無事では済まない。

 だがそれを今から放つ相手は魔人の中でも武に長け、その技を以て如何なる攻撃をもいなし、逸らすことが出来るマタドールである。

 故にアザゼルは限られた時間の中で相手に悟られぬ様に慎重且つ、だが迅速に力を収束させていく。いずれ来るであろう最大の好機を狙って。

 そんなアザゼルの人知れず行っている攻撃の準備を知ってか知らずか、マタドールはアザゼルに視線を向けないまま、四方八方から来る光の槍の対処をしていた。

 光の槍を避けるかあるいは斬り落とすか、逸らすか。その単純とも言える動作を繰り返す度に、光の粒子となって消えていく槍。

 数え切れない程大量にあった光の槍も、瞬く間に数え切れてしまいそうなぐらいに数を減らしていく。

 そのとき、マタドールは側面から迫る気配を察知。それを剣で払うこともカポーテで逸らすこともせず、僅かに体を反らして避けるという選択をした。

 マタドールの眼前を通り過ぎていく光の槍。彼にしてみれば何気無い行動だったかもしれない。だが光の槍がマタドールの視界を刹那の間遮った瞬間、これを待ちに待った好機と見て、アザゼルは水面下で進めていた準備を一気に加速させる。

 全身を駆け巡る全ての力が一本の槍の中へと一気に注がれる。膨大な力が無理矢理収束させていくせいで、少しでも気を抜けば暴発しそうになる綱渡りであるが、アザゼルはそれを長年の経験と知識、そして地力によって驚異的な速度で完了させた。

 マタドールの目の前から光の槍が通り過ぎ去ったとき、マタドールの目に入ってきたのは黄金色の閃光を発する槍を構えたアザゼルの姿。この戦いで見てきた中で最も強い輝きを放っており、その閃光はマタドールの無明の洞同然の目が、輝きで奥底を照らし出させられるかの様であった。

 

「これは」

 

 マタドールの胸に湧くのは軽い驚き。そしてそれを上回る期待と緊張感であった。

 一目見ただけで理解する。今まさにアザゼルが放つのは、彼が持てる力の全てを注ぎ込んだ最強の一投であると。

 構え、投げ放とうとするアザゼル。それを迎え撃とうとするマタドール。

 しかし――

 

「何?」

 

 この戦いの中で初めて聞くマタドールの声色。それは困惑が含まれたものであった。

 投げ放つ直前になって紐が解ける様に黄金の槍が分解されていき、それと同じくしてアザゼルが纏っている黄金の鎧も解除されていき、最後にはアザゼルの手の中に神器の核となっている宝玉が残るのみ。

 

「……このタイミングでかよ」

 

 当事者であるアザゼルは、この現象に心当たりがあるのか、激しい動揺は見せないものの、鎧の下から現れた顔には悔しさを滲ませていた。

 アザゼルが発動させた禁手化は正確に言えば禁手化ではない。神器に対し許容範囲以上の出力を出させることで、神器内に眠るファーブニルの魂に無理矢理働きかけ、そこから更なる力を得るという、一種の暴走である。その為、一度使えば解除と同時に神器は崩壊する。

 人工神器という修復が効く神器だからこそ可能な荒業であり、完全な制御も難しいものではあるが、精力的に神器の研究を行っているアザゼルはその制御も熟していた――筈であった。

 

(こっちが想定している活動限界時間よりも早い……あいつから受けた損傷がこっちの考えている以上に負荷を与えていたって訳かよ)

 

 目の前の敵が強敵である為に細かい配慮が出来なかったなど、ただの言い訳に過ぎない。敵と自分、その二つを考慮してこその戦いである。

 

(はっ! ――俺も鈍ったな)

 

 重要な局面で失敗を犯し、自嘲するアザゼル。その前に全ての光の槍を捌き切ったマタドールが降り立つ。

 

「やれやれ。折角心を昂らせていたというのに、その終わり方は些か拍子抜けだぞ? アザゼル」

「ふっ。生きていく上では付きものだろう? 失敗も失望も」

「反論はしない」

 

 危機的状況でもアザゼルは口元には太々しい笑みを浮かべ冗談を口にする。そんなアザゼルを見てマタドールは安堵に近い感情を覚える。

 今まで数え切れない人数を絶望の淵に追い込んできた。そのとき見せる表情には大体二通りある。一つは心を折られ、目の前の絶望を受け入れようとする者。この表情を見せた瞬間にはマタドールはその者の首を刎ねるか心臓を貫いていた。

 そしてもう一つの表情は絶望に対し折れず、歯を食いしばり、抗って何が何でも生き抜こうとする表情。この顔を見たときマタドールの選択は決まっていた。

 マタドールは徐に歩き始める。

 アザゼルもまたマタドールに向かって歩き始めた。鎧が解除されたことでマタドールから受けた右肩への負傷の影響が出たのか、アザゼルの右腕は力無く垂れ下がった状態であり、一歩進む度に左右に揺れる。

 二人の距離が近づく毎に両者の挟間では見えざる力が衝突し合い、空間が歪んでいるように見える。

 遠くからそれを見ているだけのシンもその余波を受けてか、口の中が急速に乾いていくのを感じていた。

 両眼が塞がっているギャスパーは見えないせいかより一層、場に満ちていく重苦しい空気を感じ取っているらしく、側にいるシンの制服の袖を掴む。

 掴んだ場所から伝わってくる震え。シンにはギャスパーの心境がよく分かる。声を出すことすら出来なくなるほど場の空気は張り詰めている、だというのに目の前の光景から目を離すことが出来ない。

 目を背ければ死ぬ。危険に対し警戒する本能が、そうシンに促しているのかもしれない。

 二人の距離が残り五メートルを切る。マタドールは血糊を払うかの様に剣を振り、剣身が放つ冷たい銀光をアザゼルに見せつける。対するアザゼルは左手に持っていたファーブニルの魂を封じ込めた宝玉を懐へと仕舞い、今度はその手に光で形作った剣を握り込む。

 やがて二人の距離が互いに握る剣の間合いへと入った瞬間、マタドールとアザゼルは同時に踏み込む。

 心臓目掛け突き出してくるマタドールの剣にあらん限りの力で光の剣を叩き付ける。剣身の側面に当てられたことでマタドールの剣は僅かに軌道をずらされ、心臓への狙いは逸れたものの依然として胴体に向かって剣が奔る。

 直後に響く肉が貫かれる鈍い音。だがその発生源はアザゼルの胴体からではない。剣と胴体の間に割って入ったアザゼルの右腕から鳴った音であった。負傷し使えないと思われていたが、どうやらマタドールを騙す為の演技であったらしい。

 右腕が貫かれると同時にその腕を素早く持ち上げる。マタドールの剣を持つ手もそれに連動して上がり、胴体が無防備となる。

 アザゼルは更にそこから一歩踏み込む。マタドールもそれに反応し、カポーテを振るおうとするが、アザゼルはそうはさせまいとマタドールの腕に左腕を下から叩き付け動きを制止させる。

 両腕共に持ち上がった状態になったマタドールの胴体に、今度はアザゼルの方が光の槍を突き立てようしたとき――

 

「流石だ」

 

――マタドールは称賛の言葉を発し柄を握っていた手を放すと、今度はその手に魔力の槍を握り締め、光の槍を放つ寸前であったアザゼルの左肩へと突き刺す。

 

「くっ!」

 

 血飛沫が舞い、アザゼルの顔に一瞬苦悶の表情が浮かぶ。そして刺された衝撃と痛みによってその体がほんの僅かの間、硬直してしまった。

 隙とも呼べない様な極々短い時間。だがマタドールにとってそれは付け入る絶好の間であった。

 突き刺した赤の魔槍から手を放すと再び剣へと手を伸ばし、アザゼルの腕から引き抜く。と同時にアザゼルの右肩に向け、剣を振り下ろした。

 右肩から脳天に向かって走り抜ける激痛。そして体内に響く骨の砕ける音。確認するまでも無く間違いなく右肩の骨は折れている。

 

(あ?)

 

 そこでアザゼルの中に疑問が生じた。斬られた筈なのに何故折れているのか、と。

 叩き付けられた肩の方へと視線を向ける。

 アザゼルの肩には確かにマタドールの剣が食い込んでいた。だが、食い込んでいるのは刃ではなく、背面の部分。

 斬れる筈がない。

 どう考えても手心を加えられた。

 そう思った瞬間、アザゼルは全身の血が沸騰するかの様な怒りが体の奥底から湧き出てくる。今まで長い年月を生きてきたが、これ程までに相手に舐められたことが無い。

 

「――何のつもりだ」

 

 激昂することは無かったが、体中に渦巻く怒りを辛うじて抑え込んでいるせいで、アザゼルの口から出てきた声は絞る様な掠れたものだった。

 アザゼルの静かな怒りに対し、マタドールは一笑すると肩に食い込ませていた剣を素早く引き、アザゼルの膝に打ち付ける。今度もまた刃では無い。

 短く呻きながらアザゼルは膝を折るが、そのまま俯かず見下ろしているマタドールを睨み付ける。

 

「何の…つもりだ」

 

 先ほどよりも語気を強くして問い質す。

 

「貴公から可能性を感じた」

「ああ?」

 

 返ってきた答えの意味が分からず、アザゼルは眉間に皺を寄せる。

 

「言葉通りの意味だ。最初に称えたであろう? 貴公が創り出した神器と禁手化に。アレは良いものだ。強い力と可能性を感じた。だが惜しむらくは未完ということだ。だからこそ先程の様なことが起きる」

 

 『堕天龍の鎧』が強制解除されたことへの指摘にアザゼルは屈辱を感じたが、指摘自体間違いではないので反論出来ず、もっと時間を掛けて研究するべきだったと思うも今は臍を噛むしかない。

 

「……それがどうした?」

「私はとても不満なのだよ。不完全な決着に。あれは私が望むような勝利ではない」

「勝ちは勝ちだろうが」

「分かっていないな。私にとっての勝利で重要なのは私が納得するか否か、だ。納得できない時点で勝利などではない」

「この骸骨野郎……」

 

 要は、結果が気に入らないからやり直しを相手に求めているということである。しかも求められる側に拒否など一切考えていない。どこまでも自分勝手な相手にアザゼルは怒りを覚えるものの、悔しいかな、それを行動に移す力は既に残っていない。

 

「眠れ。次に目覚めるときには全てが終わっている」

 

 マタドールは剣を持ち上げると、柄頭をアザゼルに向かって振り下ろす。

 

「くそ」

 

 アザゼルは短く毒吐く。この瞬間、彼の頭の中にあったのはマタドールへの怒りではなく、背後にいるシンたちのことを守り切れなかった己への不甲斐無さであった。

 

(こんなことを考えるのは柄じゃないが、せめて――)

 

 ――せめて死ぬ順番があるとすれば年長の自分からであるのが望ましかった。

 そう思った直後、額に衝撃が叩き付けられ意識が黒く染まっていった。

 アザゼルが額から血を流し崩れ落ちるのをシンは見ていた。そこだけ切り取られたかのようにゆっくりと見える。

 アザゼルが倒れた今、次に狙われるのは自分であるとシンは理解していた。初めて会ったときから、何とも言えない執着の様な気配をシンは敏感に感じ取っていたからだ。

 同じ魔人だからというには何処か仄暗さを感じさせる感情。そんなものを何故抱いているのかは全く分からないが。

 

(どうしたものかな)

 

 シン自身片足と片手を負傷し満足に戦える状態ではない。例え、完全な状態であっても今のシンとマタドールとでの実力の差は歴然である。アザゼルがいたからこそ辛うじて死を免れていたが、そのアザゼルも今は戦闘不能である。

 そして、次の問題としては隣にいるギャスパーである。目を負傷しているためここから逃げるにも視界がまともに利かないせいで何処へ行っていいのか分からない筈。仮にシンが戦って時間を稼いだとしてもマタドールの俊足にすぐ追いつかれてしまう。

 考えれば考える程、手詰まりだということを実感する。更に言えば考える時間の猶予も殆どない。アザゼルを倒したマタドールがこちらへと向かって歩いてきているからだ。

 

(八方塞がりか。ここまで先が見えないなんてな……いや、違うな。決まった未来〈さき〉しか見えない、だな)

 

 どんなに考えたとしても結局の所、シンが選ぶ選択は戦うしかない。それも自分が死ぬことが分かっての絶望的な戦いである。希望的な観測など抱けない。援軍が来るなどという都合の良い未来など見えないくせに、必死になって戦ったとしても敗北し、せめて一人でもと思って逃がしたギャスパーがマタドールの手によって命を落とすという未来は容易に想像出来る。

 一秒がもっと長ければ、とあり得ないことを思ってしまう。迫る現実から目を背けさせようと心の片隅にある臆病が囁いているかもしれない。

 マタドールとの距離は二十メートルも無い。あと数秒もすれば剣の間合いの中である。

 妙案など何も無い。だが行かなければならない。

 立ち向かっても死。逃げても死。同じ結末を辿るのであればせいぜい自己満足出来る選択を選ぶ。

 碌に動かない片足を引き摺り、マタドールの方へと向かおうとしたとき、シンは制服の袖が引っ張られる。

 目線だけ向けると泣きじゃくるギャスパーが震える指先でシンの袖を掴んでいた。

 

「もっと、僕が! しっかり、していたら!」

 

 恐怖から震え泣いているのではない。役に立てず足手まといとなっている自分の状況に悔恨を抱き、無力さで慟哭しているのである。

 

「お前が来ていなかったら、俺はここに立っていることも立ち向かうことも無かった。――ありがとう」

 

 そう言い残し、シンはギャスパーの手を剥がして先へと行く。

 

「ありがとう、なんて、言われる資格! 僕には、無いです!」

 

 助けられたお礼がしたかった。だが残酷なことに現実はそれを許さず、ギャスパーが最も苦しむであろう状況へと追い込む。

 

「別れの言葉は済んだかね?」

「アザゼルは生かすが、俺は殺すか?」

「貴公の実力次第、というところかな」

「敵に媚びる趣味はないが、せいぜい足掻かせてもらう」

「ふふふ。では見させてもらおうか」

 

 シンとマタドール、手を伸ばせば届く様な距離で言葉を交わす二人。シンは間近に立つマタドールに恐れを見せず、マタドールの方は余裕といった態度を見せる。

 マタドールが言葉の後。両者間に沈黙が流れる。無言で睨み合う中、最初に動いたのはシンからであった。

 力強く一歩踏み込むと同時に左拳を突き出す。マタドールはそれをカポーテで捌かず、片足を軸にしてその場で半回転をする。それだけで拳は狙いから逸れ、胸元を通過する。

 だがシンにとって避けられることは予想外ではない。左拳はあくまで牽制。狙いは右手が握っている。

 右手の中で形成された魔力剣が地を擦り流れ、一拍遅れ下から上に向かって振り上げられる。

 加減無しで注ぎ込んで作られた魔力剣。触れれば内に閉じ込められた魔力が一気に襲い掛かる。

 半身の体勢になっているマタドールにそれを叩き付けた――かと思われたが、右手からは何の手応えも伝わっては来ない。

 そのときシンの目の前を何かが横切る。よく見ればそれは振るった筈の魔力剣の先。目線を握っている魔力剣の方に向けるといつの間にか握り手から先が切断されていた。

 知覚できない速度で振るわれていたマタドールの剣。油断など微塵もしたつもりは無い。だがこれこそが、今のシンとマタドールとの実力差であった。

 

「貴公に返そう」

 

 宙を飛ぶ魔力剣をカポーテに当て、勢いを殺さぬままシンに向かって放つ。自分に向かって飛んでくる魔力剣の一部。咄嗟に判断したシンは右手に残っている僅かな魔力剣の残骸を飛んできたそれに押し当て、そのまま上空目掛けて突き上げた。

 高々と飛び上がる魔力剣。一秒も待たず収められていた魔力が解放され、頭上から魔力の波が降り注ぎ地表の砂を巻き上げ、砂埃を起こす。

 視界が瞬時に悪化すると、それに乗じてマタドールの姿も消える。何処へ消えたのか気配も感じられない。

 周囲に漂う砂煙。あと数秒も立たずに落ち着くであろうが、相手はそれを待たずに襲い掛かってくるであろう。

 神経を尖らせてもマタドールが何処にいるのかは分からない。こうなる状況を想定して動いていたのであれば、流石だとシンは密かに思う。

 

(一々、考えても無駄か)

 

 相手が悠長にこちらを待つ筈がない。ならばとシンはある決断をした。

 砂煙に身を隠し、気配を殺しながらマタドールはシンの背後に立っていた。

 

(同じ魔人だが――まあこの程度か)

 

 目覚めたのが最近であり、自らを魔人と認識したのはつい先程である。そう考えれば今の実力でも中々かもしれないが、アザゼルと比べれば曇って見える。堕天使の総督以上に光るものを見せるのは高望みというもの。だが、それでも失望を感じずにはいられなかった。

 初めて見たとき、マタドールは不可思議な感情を抱いていた。強者と出会ったときとは違う、今まで感じたことの無い言葉に出来ない感情。それが何なのか未だに分からなかったが、それに対し答えを見出すことはもう無いであろう。

 このときマタドールはシンを殺すことを決定していた。

 音を消し、殺気すらも消し、マタドールは静かにその剣先をシンの心臓に向ける。

 そしてそこから踏み出そうとしたときマタドールは気付く。シンが背中越しに自分の姿を見ていることに。

 蛍色の光を放つ左眼。その瞳の中に自分の姿が写り込んでいるのが分かったとき、マタドールの中で警鐘を激しく鳴らされた。

 積み重ねた経験に体が勝手に動き、両膝を曲げてその場に沈む様に身を屈する。

 何故、自分はこの様な動きをしているのか、そう思うよりも先にマタドールの闘牛帽の頭頂部に何かが掠り、その衝撃で闘牛帽が落ちる。

 

(何?)

 

 目の前でゆっくりと落下していく闘牛帽。戦いの中で傷付けられることはあったが、落とされる様な事など無かった。ましてやカポーテを使う暇も無く、これ程まで避けるだけに意識を傾けたことなどない。

 頭頂部が解れた闘牛帽を見ながら、避けるのがあと少し遅かったのであればこの帽子を落とした攻撃は何処に命中していたのであろう。そんなことを考えてしまう。

 

(――避けられた)

 

 激しい左眼の痛みもシンにとっては重要では無い。視線を攻撃へと転じさせる今のシンが放てる最速の一撃。それが寸での所で回避されてしまった。

 何処から攻め入るのか己の直感だけを信じ、背後へと目を向け、そこでマタドールを捉えたまでは良かったが、まさかあれを紙一重で避けられるとは思わなかった。

 二発目はもう撃てない。閉じた左眼から生暖かいものが頬を伝っていく。恐らくは血であることは間違いない。

 マタドールの動きに辛うじて食らい付けたのもこの左眼のおかげであるが、使えなくなった今、マタドールの動きを追うことは出来なくなっているであろう。

 悪化する現状。だがそれでも引くことは出来ない。

 シンはマタドールの方へと振り返る。

 

(見誤っていたかな?)

 

 シンの新たな面を見せられ、マタドールは評価を改める。自分に技を使う暇すら与えなかった先程の技、左眼から流血していることから精々一、二回程しか使用出来ないものだろうが、それでも十分興味が惹かれるものであった。

 

(ならばもっとその力を――)

 

 そう思いマタドールがシンの顔を覗き込む。圧倒的な相手を前にしてもシンの顔に恐怖の色は無い。内心では抱えているかもしれないが、それを見事に隠す、場に似つかわしくない無表情であった。

 その顔を見たときマタドールの胸中で疼く感情がより一層濃さを増し、気付かない内に剣を握り締め、そして――

 

「ッ」

 

 短い息がシンの口から洩れる。

 

「――何だと?」

 

 マタドールの口から出る戸惑いの声。

 もっと実力を試す筈であった。ここで終わらすのは勿体ないと考え、もっと成熟させるつもりであった。だというのに今、自分は剣を相手の心臓へと突き刺している。

 刃を伝わり血の滴が土へと落ちていくのを見ながら、マタドールは自分でやったことに呆気に取られていた。

 無意識の内での殺人。戦いと勝利を崇拝し、殺した相手の顔を全て覚えているマタドールにとっては、自分のしたことが信じられない思いであった。

 

「こんなことが……」

 

 彼にしては露骨に動揺を見せるが、既に起こってしまったことは取り消すことは出来ない。

 マタドールの目の前でシンは口から血を吐くと力の無い動きで手を伸ばし、剣を突き刺しているマタドールの右手に触れる。

 最早、風前の灯となっている最後の足掻きとも呼べる行為をマタドールは静かに見ており、触れた手も振り払おうとはしない。

 やがてシンの体から力が抜けていくのを見て、マタドールは貫いていた剣を引き抜き、その場から一歩下がる。

 シンの体は崩れ落ち、うつ伏せとなって倒れ、間もなくして体の下から鮮血が溢れ出し血溜まりを作る。

 マタドールはそれを無言で見つめた後、落ちた闘牛帽を拾い上げるとそのまま被るのではなく、顔に覆い被せ天を仰いだ。自分のしたことを悔やむ様にあるいは黙祷でも捧げる様に。

 

「間薙……先輩……?」

 

 沈黙の中、ギャスパーは涙声でシンを呼ぶ。だが返ってくる声は無い。

 

「間薙……先輩……!」

 

 もう一度、シンを呼ぶ。それでも応じる声は無い。

 視界を封じられているギャスパーではあるが、耳から入ってくる音だけで何が起こっているのか大凡想像出来てしまっていた。

 短く、小さいけれど確かに聞こえたシンの苦悶の声。そしてその後に聞こえた何かが倒れる音。後に残る静寂。この三つが音を繋げることで嫌でも分かってしまう。

 流れ落ちる涙を止めることが出来ない。結局、最後まで守られてばかりであった。

 

(だけど、最期の最期ぐらい!)

 

 怯えが消えた訳ではない。今でも足が震えている。しかし、それでもここから逃げ出せない。せめて相手に一矢報いる為に。

 決意を込めあらん限りの力を神器へ注ぎ込もうとした瞬間――

 

「誰だ貴様は」

 

 警戒するマタドールの声。その声はギャスパーへと向けられたものでは無かった。

 

 

 

 

 一体何発目の拳を受けたのか。数え切れない程の拳を貰った訳ではなく数えられない程の速い拳打を身に浴びて、そんなことを考えつつ回転していく景色を見ながら吹き飛ばされていく一誠。

 

『――棒! 相棒!』

 

 ぼんやりとしていた一誠の頭の中に響くドライグの声。その声にハッと意識を覚醒させ慌てて体勢を立て直そうとするが、一歩遅れて背中から地面へと着地した。

 

「痛ぇ」

 

 仰向けの体勢で口元を拭う。赤い籠手に、口の中が切れて出てきた血が付着した。幸いまだ歯の方は折れてはいないが、口内の方はあまり想像したくない状態となっている。

 ヴァーリが半減する力を飛ばしてきたのを見てからは、距離を詰め放つ暇を与えないように無謀は承知で接近戦を挑んでみるが、やはり向こうの方が何枚も上手であり、いい様に殴られ続け、今の状況となっている。

 

『立てるか?』

「まだまだぁ!」

 

 自らを奮い立たせながら一誠は立ち上がるも、その場でふらつき一歩後退してしまう。気持ちはまだ折れてはいないが、体の方は徐々に限界を迎え始めていた。

 

「動きは直線的。攻め方は単調、おまけに力の使い方は下手。その粘り強さは認めるが、それを差し引いても弱いな、赤龍帝」

 

 一誠の実力をそう評価しながら、少し離れた場所にヴァーリが着地する。評価する声には若干飽きが混じっていた。

 

「あー、そうかい」

 

 言われるまでもなく自分の実力を把握している一誠は怒ることなく、どうでもよいといった口調で適当な相槌を打つ。

 

「そろそろ終わりにしよう。俺もまだ戦いたい相手がいるんだ。時間が勿体無い」

「終わらせられるもんなら、終わらせてみやがれ!」

 

 一誠は啖呵を切ると同時に背中から魔力を噴射させ、ヴァーリに向かって突進する。

 

「それがバカの一つ覚えだというんだ」

 

 代り映えの無い攻め方に失望した表情を浮かべながら、ヴァーリは魔力によって出来た光の盾を目の前に展開する。

 構うことなく一誠は右腕を振り上げ、加速した勢いのまま右拳を光の壁に叩き付けた。光の壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。だが砕くまでには至らない。

 

「非力だな」

 

 壁に阻まれたことで速度が落ちた一誠の顔面に、光の壁を突き破って出てきたヴァーリの拳が放たれる。

 

「くぅ!」

 

 咄嗟に首を倒し直撃は避けるが、拳は頬を掠めていき、触れた皮膚の部分が捲れ上がる。

 一誠が再度光の壁に右拳を叩き付ける。二度目の衝撃には耐え切れず光の壁は完全に砕ける。

 前進し、大振りの拳をヴァーリの側頭部に向けて放つ。ヴァーリは避けることはせず、拳の軌道上に手の平大の光の壁を展開させ、一誠の攻撃を防ぐと同時に、自分は一誠の腹部に鋭い拳を打ち込む。

 胃から喉にせり上がってくる不快感に耐えながらも一誠は何度も攻撃を繰り出すが、その度に光の壁によって防がれてしまう。

 先程指摘した通りの単調な攻撃に、ヴァーリは内心で呆れていた。

 一誠の方は繰り出せど繰り出せど攻撃が防がれることに焦る――ことはなかった。ヴァーリに自分の未熟さを指摘されたときから、一誠はある一つの狙いだけに絞っていた。次々に防がれていく攻撃、これもその狙いの布石でしかない。

 

(どうせ闇雲に殴っても当たらない。だったら!)

 

 二十を超える打ち合いが両者の間で繰り広げられた後、一誠が待っていた瞬間が訪れる。

 最初のときの様に一誠は左拳でヴァーリに殴り掛かる。

 それを見もせずに光の壁を展開させ、防ぐと同時に攻撃を加えようと構えるヴァーリであったが、その考えが愚考であったことをすぐに思い知る。

 

「ドライグゥゥゥゥゥ!」

『承知!』

 

 事前に頭の中で思い描いていた策をドライグへと伝えていたので、一誠の呼び掛けに直ぐに反応し行動を起こす。

 

『Transfer』

 

籠手から鳴る音声。それは赤龍帝の力を他のものに譲渡していることを示していた。

それを聞いたヴァーリとアルビオンは渡した力が何処へ流れていくのか、と思考し、即座に反応する。

 

『ヴァーリ! 回避しろ!』

 

 相手の狙いに気付いてアルビオンが叫ぶが、一歩遅い。

 一誠の左拳が光の壁に触れると同時に、一度目は完全に防いでいた壁が粉々に砕け散る。阻む間もなく容易く打ち砕かれた光の壁の向こうの先にあるのは、ヴァーリの顔面。そこに目掛けて全力で打ち込む一誠。

 だが当たるかと思われた直前、驚異的な反射でヴァーリが右腕を割り込ませた。『赤龍帝の籠手』が『白龍皇の鎧』に直撃すると、防いでいた右腕の指先から肘に至るまでが一斉に砕け散り、その下の生身の部分へと拳が打ち込まれる。

 

『くっ!』

 

 二人の口から似たような声が漏れるが、そこに込められたものは異なっていた。一誠の方は直撃を避けられたことへの動揺と悔しさ。ヴァーリの方は負った傷の痛みと、いつの間にか腑抜けていた自分への怒り。

 一誠は右手でヴァーリの右腕を掴み、逃れられないようにすると二撃目をヴァーリの腹部へと放つ。それを避けずに真面に受けるヴァーリ。鎧は先程の右腕と同じく紙のように脆く崩れ、その下に突き刺さる。

 目を見開き、額に血管を浮き出させるものの、声一つ上げずにそれを受け切ったかと思えば、体を折り曲げて一誠の左手を挟み、抜けさせない様にしてから負傷している左掌で一誠のこめかみを打つ。

 突き抜ける衝撃に一誠の体が傾くと両脚で飛び上がり、そのまま相手の胸に押し付けてから勢い良く蹴ると、両者ともに吹き飛んでいった。

 

「かはっ!」

「つっ!」

 

 二人揃って地面に大の字に倒れる。一誠は連打を放ったことと受けたことでの消耗。ヴァーリの方は生身で神滅具を受けたダメージのせいですぐには立てなかった。

 

「アスカロンか……中々、効いた」

 

 ヴァーリが言った様にあの時、一誠が力を譲渡したのは左籠手に収めているアスカロンであった。龍殺しの力を最大限まで高めたことで龍の力を帯びているヴァーリに絶大な効果を発揮し、防御を無視した攻撃が出来た。

 あと数発は食らわせたかったが、予想以上にヴァーリの反応と反撃は早く、結局打ち込めたのは二発だけ。

 アスカロンを加えた力がどの様なものか知られてしまった為、もう二度と同じ失敗は繰り返さないだろうと思いながら一誠は立ち上がろうとする。そのとき一誠は右手に何か掴んでいることに気が付いた。掌の中に納まっている青色の宝玉。それは『白龍皇の鎧』に填め込まれているものであった。ヴァーリの右腕を掴んだ際に外れたらしく、無我夢中であったため今まで気付かなかった。

 無用なものだとは分かっているがどうにも捨てる気にならず、それを持ったまま一誠は身を起こす。

 だがここで、思いも寄らないことが起きた。

 起き上がり、両手を突いてから足に力を入れようとした瞬間、脚ががくがくと震え、そのまま両膝が地面に着く。何度も同じことをするがやはり脚に力が入らない。

 ついにダメージが脚にまできたらしい。

 

「やれば出来るじゃないか。俺の鎧をここまで破壊するなんて。素直に凄いなと思えるよ!」

 

 立ち上がることに苦労している一誠とは対照的に、ヴァーリはすぐに起き上がった。

 一誠に殴られた右腕と腹部は青黒く変色し、内臓を痛めたのか口の端からは血が垂れている。決して軽い傷ではないが、それを感じさせない。

 

「だけどそれもここまでだな」

 

 未だに立ち上がれない一誠を見下ろしながらヴァーリは深く息を吸い込み、吐く。すると破損していた箇所が白色の光に覆われ、それが消えると傷一つ無い装甲が現れる。

 身を削って与えたものが一瞬で無と帰せられる光景に、一誠も唖然とする。

 

『多少の傷など所有者が力尽きない限りいくらでも修復出来る。だが相棒、お前の禁手化は自力で行っている訳じゃない。壊れたら壊れたままだ』

「でかいなぁ……差が」

『怖気づいたか? 逃げるならば止めはしないが……まだやれるか?』

「当たり前だ! 部長たちを置いて逃げられるかよ!」

 

 ドライグの発破に応える様に、一誠は震える脚を懸命に動かし立ち上がる。ふらふらと下半身が揺れて不安定ではあるが、確かに一誠は立っていた。

 

「気迫は十分だ。だが言った筈だ。ここまでだ、と」

 

 ヴァーリが構える。それはドラゴンショットの構え。一誠たちに見せたあの半減させる力を再び飛ばしてこようとしている。

 

『動け、相棒!』

「分かって、いる!」

 

 歯を食い縛って動こうとするが、気持ちとは裏腹に脚が動かない。それでも無理に動かそうとするがそのせいで膝が折れ、その場で倒れてしまう。

 

「くそっ!」

 

 毒吐く一誠。既にヴァーリの方は力を収束し切っている。最早避けることは不可能。

 

(どうする! どうする! どう――)

 

 その時、一誠は自分の手の中にある宝玉のことを思い出した。もしこれにまだ白龍皇の力が残っているならば――

 

「ドライグ、今から無茶苦茶だと思えることをするが付き合ってくれるか?」

 

 頭に思い描いたイメージをそのままドライグに伝える。ドライグが一瞬息を呑むかの様に黙ったが、すぐにそれを掻き消す哄笑を上げる。

 

『確かに無茶苦茶だ。正気の沙汰じゃない。だが面白い! この場を切り抜けるとしたらそれしかないな。覚悟はいいか? 死ぬとしても楽には死ねんぞ?』

「死ぬつもりはねぇよ。まだ部長の処女どころかおっぱいすら揉んでもいないんだぞ。これを乗り越えなきゃ、何一つ出来ねぇ! そして何よりも……」

 

 一誠はヴァーリを真っ直ぐ見る。

 

「俺はアイツに勝ちたい!」

『覚悟は出来ているか! フハハハハハハ! ならば赤き龍の王と称される俺も覚悟を見せるとしよう! 相棒――否! 兵藤一誠! お互い死を越えて生きるぞ!』

 

 何かしようと構える一誠。ヴァーリは少しだけ興味を込めた視線を向ける。

 

「女の処女や胸が戦う動機なのか? ――まあいいか、それで何かを見せてくれるならな」

 

 ヴァーリの両手から半減の力が放たれる。それを見ても回避しようとはしない一誠。

 次の瞬間には一誠の体は白色の光の中にいた。

 

「ぐぬぅおおおおお!」

 

 体が内側に向かって引っ張られていく様な感覚。痛みは無いが言い様のない不快感があった。

 

『急げ! 俺の力で抵抗出来るのもそう長くはない!』

「了、解!」

 

 一誠は右手の甲に填め込まれていた宝玉を叩き割り、そこにヴァーリから奪った宝玉を填め込む。

 

「うあああああああああああああああああ!」

 

 一誠から絶叫が上がった。神経が直に炙られているかのような、血管内に劇薬を流し込まれたような、体内の至る所を串刺しにされたかのような、今までの経験で味わったことのない最上の痛みが一誠の脳を焼く。

 

「成程、面白い!」

『無謀な……相反する我らの力が合わさる筈がない。そのまま消え失せるぞ』

 

 一誠たちの行為に異なる評価を下すヴァーリたち。

 

『ぐおおおおお! フ、ハハハハハ! 誰も、試したことが無いからといって、出来ないという道理は、無い! 頭が固くなったな、アルビオンよ! 不可能、だと言ってことを避けようとするとは! それでも、龍の皇か!』

 

 苦悶の声を上げながらもアルビオンを挑発するドライグ。

 激痛に激痛が重なっていく中、一誠は自らの中で脈打つものを感じた。その脈動の中心にあるのは宝玉を填め直した右腕。

 

「神器が、人の想いに応えるなら! 俺の想いに応えてみせろ! いや! 応えろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 一際強い声で叫んだとき、一誠の右腕に填め込まれた宝玉が白銀の光を放つ。光は右腕全体を覆ったかと思えば右腕の中へと吸い込まれていき、光が消えたときには、光と同じ色を持つ籠手が一誠の右腕に出現していた。

 

「おおおおおおおお!」

 

 変化した右腕を掲げる。宝玉が煌くと一誠たちを囲っていた半減の力が宝玉の中へと吸収されていく。

 

『馬鹿な! 我が力を得たというのか! こんなことが!』

「――あながち無理だったという訳じゃないさ。最近、聖と魔を完全に融合させ聖魔剣というものを創り出した存在がいるとアザゼルは言っていた。アザゼルの言葉を借りるなら神の不在によるシステムエラー、プログラムバグによって実現出来たもの。その可能性に賭けたということか……面白いじゃないか!」

『不安定な現状だからこそ出来たものか。だからといって実行するのは愚かに等しい』

 

 ヴァーリの力を無効化した一誠は白く変色した右手の籠手を見る。

 

「……へへへ、やってみれば案外出来るもんだな……『白龍皇の籠手〈ディバイディング・ギア〉』ってとこか?――ぐっ!」

 

 一誠は苦し気な声を漏らす。すると鼻から血が流れる。出血の量は尋常ではなく、すぐに足元が真っ赤に染まっていった。

 

『無理矢理適合させた不具合が出ているな。恐らく寿命もかなり削られているだろう』

「別に寿命が長かろうと短かろうと関係ないさ。俺の生き方だって寿命を削っているようなものだしな」

 

 白龍皇の力を取り込んだ反動で苦しんでいる一誠に接近するヴァーリ。

 そのとき――

 

「ん?」

 

 ――視界の端から飛んでくるものに気付き、確認するよりも早く右腕を振るう。電撃、氷柱、炎、それらが鎧に触れると瞬時に霧散する。

 

「これは――」

 

 それらから少し遅れ別の魔力がヴァーリに向かってくる。これも同じ様に右腕一本で払おうかと考えたが、その魔力が持つ真紅の色と波動に気付き、防ぐのではなく、その場から後退するという回避を選択した。

 

「一対一の勝負に横槍を入れるのは無粋じゃないのか? リアス・グレモリー」

 

 ヴァーリは真紅の魔力すなわち滅びの力を放った人物――リアスに顔を向ける。

 余程急いでこの場に来たのかリアスの呼吸は少し荒い。そのリアスを囲む様にピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンも居る。

 

「これ以上、イッセーを傷付けさせないわ!」

 

 殺気立った視線をヴァーリへと向けるが、ヴァーリの方はそれを涼風を受けるかの様に動ぜず、魔力の火花を散らすリアスよりも、小さな乱入者たちの方に目線を落としていた。あからさまに嫌そうな表情を浮かべて。

 

「妨害してもいいが、その小さなお供は何処か他所に置いてきてくれないか? 俺でも流石に戦う気が失せる」

 

 見下しているというよりは、幼子に気を遣っているといった口調。戦いが好きであると公言しているヴァーリでも、ピクシーたちと争う気は湧かないらしい。

 

「ヒホ! オイラ達は遊びに来たんじゃないホー!」

「でもま~たくボクらの攻撃効かなかったよね~。そう言われてもしょうがないね~。ヒ~ホ~」

「うーん。そんなことを言われるとねー。どうしようか?」

 

 それぞれバラバラな反応をする。戦場だというのに場違いな程マイペースであった。

 

「うん! じゃあお言葉に甘えて少し離れているね。リアス、後よろしくねー」

「ええっ!」

 

 いきなりピクシーが背を向けてここから去ろうとしたので、リアスどころか一誠も驚く。

 

「――なーんちゃって」

 

 かと思いきやピクシーは背後に手を向け、そこから電撃をヴァーリの顔面目掛けて放った。

 稲妻の如き速度でヴァーリへと迫るピクシーの電撃。相手の虚を突くタイミングで放たれたそれに、リアスも一誠も直撃したと、このとき思った。

 だが電撃がヴァーリの端正な顔に触れる直前、左腕が割って入り、鎧に当たった電撃が四散していく。

 

「今の不意打ちはいいセンスだったぞ」

 

 ヴァーリは微笑を浮かべて褒めながら、盾にした左腕で空を撃つ。

 

「きゃっ!」

 

 すると触れてもいないのにピクシーが吹き飛ぶ。

 続け様にヴァーリは二度空を打つ。

 

「ヒホ!」

「アウ」

 

 今度はジャックフロスト、ジャックランタンが後方へと吹き飛んでいってしまった。

 

「貴方たち!」

 

 慌ててピクシーたちの方を見る。目立った外傷は無いものの、三人とも地面に倒れて気を失っていた。

 

「加減がいまいちだったか」

 

 拳圧のみでピクシーたちを無力化したヴァーリ。白龍皇と比べれば確かにピクシーたちの力は格下である。だからといって決して弱くはない。こうもあっさりと倒してしまったことに少なからずともリアスの中に動揺が生まれる。

 

「部長! そいつらを連れて、逃げてください!」

 

 血を吐く様な絞り出した声を上げ、一誠はリアスに自分のことよりもピクシーたちのことを優先するように言う。

 

「私は自分の下僕を大事にする。貴方を決して見捨てることはしないわ!」

 

 リアスの手から滅びの力が撃たれる。手から放れるとすぐにヴァーリが隠れる程の巨大化するが、ヴァーリはそれに臆さず真正面から行きながら手を向ける。

 

『Harf Dimension』

 

 滅びの力に半減の力が作用し、その大きさが一気に半分となる。更にそこからまた半分の大きさとなり、それが何回か繰り返されると滅びの力は肉眼では捉えきれない程微小なものとなり、そのまま誰も気付かない内に空気の中へ溶ける様に消えていった。

 

「滅びの力と言っても魔王クラスじゃなければこんなものか」

 

 自分の力を脅威とすら感じず、淡々と処理してしまったヴァーリ。誇りを傷付けられた気持ちだが、改めて突きつけられる重圧感はそれを上回り、背筋が冷たくなる。

 

「まだやるのか?」

 

 無駄だと言わんばかりの冷めた態度。

 実力は向こうの方が圧倒的に上。だが逃げ出すことも見捨てるということもリアスは選ばない。

 もう一度最大まで高めた魔力をぶつける。そう思い構えようとしたとき――

 

「そう何度も撃たせると思ったかい?」

 

 既にヴァーリはリアスの目の前に立っていた。

 やられる。そうリアスが思ったとき、ヴァーリはリアスの予想を遥かに上回ることをした。

 

「――赤龍帝は随分と執着していたみたいだが、そんなに大層なことか? これは?」

 

 いきなりリアスの胸を鷲掴みにしたのだ。

 

『なっ!』

 

 リアスと一誠から同じような驚きの声が上がる。

 

「いや! やめっ!」

「よく分からん」

 

 そのまま二、三回程揉んだ後、ヴァーリは手を離す。

 前触れも無く受けた辱めにリアスは羞恥と怒りで顔を真っ赤に染め、目尻に涙を浮かべながらヴァーリの顔に平手打ちを繰り出す。しかし、それはあっさりと受け止められてしまった。

 

「何のつもり!」

「いや、赤龍帝が――」

 

 そう言ってヴァーリが一誠の方に目を向ける。そのとき彼の眼前にあったのは赤い拳。

 

「ツッ!」

 

 頬に拳が突き刺さり、そのまま殴り飛ばされるヴァーリ。すぐに立ち上がると、先程ヴァーリが立っていた場所には半死半生であった筈の一誠が、とてつもない魔力を立ち昇らせ、憤怒の形相で立っていた。

 

「何やってんだ、何やってんだ、何やってんだぁぁぁぁぁぁぁ! てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 木々や校舎の窓が震えるほどの怒声が響き渡る。

 

「まさか胸を揉んだくらいでそれ程の力が爆発するとは……」

「揉んだだけ? 揉んだだけだとぉぉぉぉ! てめぇ! 誰のおっぱい揉んだと思ってんだぁぁぁぁぁ!」

「別に誰のを揉もうと大したことはないだろう。胸ぐらい」

 

 何気なく言ったヴァーリの台詞。それが一誠の怒りを飽和させる。

 

「嫌味かぁ! この野郎ぉぉぉぉ!」

 

 

 

 

 体の中心から熱が抜けていく様な感覚。それに合わせて四肢が冷たくなってく。

 目の前が暗くなっていき、周りの音が遠くに聞こえる。

 これが『死』ということなのだろうか。

 鈍くなっていく頭でぼんやりと他人事の様に思ってしまう。

 このまま音も光も無くなり、最期は命が無くなっていくのかと考えたとき――

 

死の安らぎは 等しく訪れよう

人に非ずとも 悪魔に非ずとも

大いなる意思の導きにて

 

 ――聞こえなくなっていた筈の耳に詩が聞こえた。

 

このまま死の安らぎに身を委ねるか?

 

 聞き覚えのある声。

 

それともまだ足掻き、生きて、苦しむか?

 

 生きるか死ぬへの問い。ほっといても死ぬであろう自分に、その様な選択など出来はしない。

 

聞いているのはお前の意思だ。生きるのか、死ぬのか、どちらを選ぶ?

 

 ――このまま死ねない。やりたいことが山ほどある訳じゃない。何か成し遂げたいことがある訳じゃない。ただ――負けては死ねない。

 

それでいい。足掻いて、足掻いて、足掻き続けることで得られるものがある。最期のときあの魔人から力を吸って正解だった。おかげでほんの少しの間だが、『戻れる』

 

 『戻れる』ということがどんな意味かは分からない。ただこのときこの聞き覚えのある声が誰のものかに気付いた。

 

行け『――羅』

 

 この声は、自分の声によく似ていた。

 

 

 

 

 予期せぬことが起き、高鳴っていた闘争心は今まで無いくらいに沈み切っていた。

 視界の端では『停止世界の邪眼』を持つ少女が何やら覚悟を決めていたようだが、今の自分の冷めきった心に熱を入れるには足りない。

 それでも相手をしなければ失礼、と思いマタドールは徐に振り返り、少女のもとへと行こうとする。

 だが不意に左腕が誰かに掴まれた。

 驚愕するしかない。自分ともあろう者が間合いの中に誰かが入っていることに全く気付くことが出来なかったことに。

 一体誰だ。突然現れた存在を早く見たく、焦った様に背後を見る。

 そこに立ち、腕を掴むのはつい先程、刺殺した筈のシン。

 姿形は同じ。だというのに異質な存在感を放つそれは、まるで中身がそのまま入れ替わってしまったかのようであった。

 

「誰だ貴様は」

 

 敬称すら忘れて、そんな言葉が出てしまう。

 シンは応えず、血で真っ赤に染まった学生服に手をやると一気に引き千切る。

 露わになった上半身。胸の中央には確かに刺された跡が残っているが、それも瞬く間に閉じてしまう。

 傷が塞がると同時にシンの右腕に刻まれていた紋様が生物の様に伸び、体の至る所に新たな紋様を刻んでいく。そして放たれていた蛍光の色も徐々に変わっていく。

 

「そうか、そういうことか!」

 

 歓喜に満ちたマタドールの声。変わっていくシンの姿にマタドールは納得した。

 まだ不完全だったのだ。『魔人』としての力が。故に今、変わっていく姿こそ――

 

「それが貴公の本当の姿か!」

 

 右腕だけでなく全身から放たれる赤色の魔力光。赤く輝く双眼。首筋から隆起した角の様な突起。

 この世界において、十番目の魔人が真の姿を顕す。

 




今年、最初の投稿となります。
ペースの方はだいぶゆっくりとなっていますがあと一回程で四巻の話は終わりになります。
五巻の話は幕間を挟まずに入っていく予定です。

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