ハイスクールD³   作:K/K

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キャラも話も詰め込み過ぎて最長の話になりました。


終戦、授名

 全身から噴き上がる赤い魔力。怒りの形相を浮かべ、親の仇でも見るかの様に一誠はヴァーリを睨み付ける。

 

「アハハハ! まさか目の前で胸を揉まれたぐらいでそこまでドラゴンの力が跳ね上がるとは! 君は本当に面白いな!」

「何笑ってんだこの野郎! こっちは笑えねぇんだよ!」

「別にそこまで大したことをしてないと思ったんだけどね」

「部長の胸が大したものじゃねぇっていうのか! ぶっ殺すぞ!」

「いや、別にそう言った意味じゃ……」

「ならどういう意味だ! 言ってみろてめぇ! ぶっ飛ばすぞ! と思ったけどやっぱ言うな! 言ったらぶっ壊すぞ! てめえ!」

 

 怒りで思考が若干空回りしているせいか、言動が支離滅裂になっていく。

 

「こういうのを怒り狂うというのかな? アルビオン」

『もうこれ以上会話するのは止せ。話が嚙み合わん』

 

 これでもかと怒る一誠の姿にヴァーリは興味深そうに見るが、アルビオンの方はそんなヴァーリを窘め、さっさと戦うことを促す。

 

「一誠……」

 

 怒る一誠であったがリアスの声だけは簡単に耳へと届いた。一誠がリアスの方を見る。胸を抑える格好をしていたリアスは一誠と目が合うと、すぐにその目線を下ろしてしまった。

 好きでも何でもない異性に辱められるという場面を見られてしまったという羞恥。真面に一誠の顔を見ることが出来ない。

 ほんの僅かだけ混じり合った二人の視線。そのとき一誠は見た。リアスの目の淵に輝く涙を。

 自分でもこれ以上怒りを覚えることは無いと思っていた。だがどうやらそれは間違いであったらしい。

 想い人を泣かせた相手への怒り。想い人を泣かせてしまった不甲斐無い自分への怒り。自分でも制御し切れない感情が炎の様に理性を焼く。

 

「ドライグ、もしものときは止めてくれ」

『任せろ。だからお前は存分に暴れろ』

 

 その言葉を最後に一誠はあれこれ考えるのを止めた。ただ自分の胸の内で暴れ狂う感情に身を委ね、動く。

 一誠が地を蹴る。それを見たヴァーリも動こうとするが――

 

「がはっ!」

 

 ――ヴァーリが動くよりも先に、一誠が肩からヴァーリの腹部に体当たりを決めていた。

 亀裂が生じる『白龍皇の鎧』。自分を上回る速度で動いた一誠に驚きつつ、すぐに距離を取ろうと後ろへ飛び退る。

 だが離れたかと思えた瞬間、ガクンとヴァーリの体が宙で止まったかと思えば、一誠の方に向かって引き寄せられていた。

 後退する直前、ヴァーリの片足を一誠が掴んでいたのだ。

 ヴァーリを引き寄せながら一誠は拳を握ると、目の前に来たタイミングに合わせて亀裂がある箇所目掛け、拳を叩き込む。

 鎧は砕け、その下へ拳が捩じり込まれる。そしてすかさず掴んでいた方の手を離し、そのまま両拳に拳の乱打がヴァーリの全身を叩く。

 素人が放つ拳ならばヴァーリはすぐに捌けた。しかし、ドラゴンの魔力が極限にまで高まっている今の一誠は速度と手数により、技を力で捻じ伏せていた。

 また一撃一撃が先程とは段違いの重みを持っており、拳が鎧を打つ度にその箇所に拳の跡が残っていく。

 

「くっ!」

 

 打撃を受け続けるヴァーリも黙ってはおらず、拳打の嵐の中、ほんの僅かに生まれる間を縫って拳による反撃の繰り出すもそれが一誠に触れる前に一誠の拳によって叩き落される。

 

「ここまで速いとはな!」

 

 打撃を浴びながらも楽し気な表情を崩さないヴァーリ。

 

「何笑ってんだ! リアス・グレモリーのおっぱいを揉んだ罪! そしてリアス・グレモリーを泣かせた罪! こんなもんで済むと思うなよ!」

「ここまで引き上がるならあんなことでもやった甲斐があったもんだ!」

「部長の素敵なおっぱいを『あんなこと』だぁ! 二度と転生出来ないぐらいに魂ごと破壊してやらぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 更に力を爆発させた一誠は渾身の右正拳をヴァーリの胸部に打つ。拳から鎧以外のものが折れるのが伝わってきたが、今の一誠がそれに構うことはない。

 

『Divide』

 

 白龍皇の力が埋め込まれた『白龍皇の籠手』から鳴る音声。その途端、ヴァーリが纏っていた魔力が半分の大きさにまで下がる。

 そこに一誠の右の回し蹴りがヴァーリの脇腹に炸裂。魔力が低下していることで鎧の強度は一段下がり、今度は一撃で鎧が砕けた。

 

「ぐはっ!」

 

 ヴァーリの口から血混じりの吐瀉物が吐かれ、その場から二、三歩程よろめいて後退する。

 それによって出来た両者の間。一誠はその短い距離で背中から魔力を噴射させ、瞬間的に加速するとヴァーリの一歩前になって地を舐める様に身を低くし、一歩踏み込むと同時にそこから通過するだけで地面が抉られていく威力を秘めた拳を突き上げながら体を起こす。

 突き上げた拳はヴァーリの腹部に深々とめり込み、体が浮き上がる。更に追い打ちでそこから両脚で地を踏み切り、揃えた両足をヴァーリの腹部を蹴り、真上に飛ばした。

 蹴り飛ばされた体が宙を飛んでいくヴァーリ。すぐに光翼で体勢を取り戻そうとするが、既にそこには一誠が居た。

 

「ドライグゥゥゥゥ!」

『細かい制御はこちらが受け持つ。お前は力の限り放て!』

 

 名を呼ばれ力強く、頼もしく、最も望んでいる答えを返す。共に在る故に想うだけ相手が何をしたいのかを既に察していた。

 

『Transfer』

 

 『赤龍帝からの贈り物』の効果によって高まっている一誠の魔力が左手に収まっているアスカロンへと注ぎ込まれる。それによって龍殺しの効果が最大限にまで高められた。

 龍殺しの力が宿った左拳を握り締める。そして今度は右手に魔力を収束させる。

 

「おおおおおおおお!」

 

 咆哮を上げてヴァーリへと突進しながら、龍殺しと魔力を秘めた両拳を重ね合わせる。

 一見すればドラゴンショットの構え。しかしドラゴンショットとは大きな違いがあった。

 重ね合わさった両拳がヴァーリの胸部に押し当てると同時に一誠は両拳の魔力を開放する。

 龍殺しの力にドラゴンの魔力を単純に注ぎ込めば互いの力を食い合うこととなるが、今回の場合『赤龍帝からの贈り物』という繋ぎと呼べる力を事前に送り込んでいる為、互いの力を殺し合わず融和し合う。

 解き放たれた二つの力はさながら剣の様にヴァーリの胸に突き立てられ、そこからヴァーリの体内に龍殺しの力を帯びた魔力が流し込まれていく。

 今までドラゴンショットが魔力を『放つ』ものだとしたら、今一誠が使ったドラゴンショットは魔力を『撃ち込む』もの。

 

「がはっ!」

 

 ヴァーリは吐血しながら魔力の勢いで吹き飛ばされ旧校舎の壁を突き破り、中へと消えていく。

 飛ばされたヴァーリを見て、構えを解く一誠。その途端呼吸が乱れ、顔中から汗が流れ落ちていく。力が爆発的に上昇した状態でも疲労を感じる程に大量の魔力を消費してしまっていた。

 

『あの技も白龍皇の力も初めて使った割には上出来だ。だが、半減するだけであいつの様に半減した分の力は取り込めん。そしてあの技もそう燃費の良い能力ではない。膨大な魔力で無理矢理制御したからな。あまり連発は出来んぞ』

「ははは……それでも結構な威力だっただろ? 名付けるなら『ドラゴンショット・A〈アスカロン〉』ってのはどうだ?」

 

 移植した白龍皇の力や新技について助言を送るドライグ。それに対し、少しだけ興奮が収まり頭が冷えた一誠が変型ドラゴンショットに名称を付けるという軽口を交えながら頷く。

 まだ力に余力はある。アザゼルから貰った禁手化を維持するリングも制限時間を超えていない。

 

「――今日は色々と経験が多い日だ。指一本触ることなく一方的に攻撃をされたかと思えば、物理攻撃が全く効かないどころかそのままこちらに返してくる奴、龍殺しときて最後は今まで散々使ってきたが白龍皇の力だ。力を半減されるという感覚か、自分で言うのもなんだが中々、鬱陶しいな」

 

 突き破られた旧校舎の壁の中から聞こえるヴァーリの声。いまだに健在であることを示しており、心なしか饒舌になっている気さえする。

 やがて瓦礫を歩いてヴァーリが姿を現す。殴られての流血以外にも片目から涙の様に血が流れており、龍殺しの力が体内に流れた為かその血は赤い鮮血ではなく時間が経った様に赤黒く変色していた。

 ドラゴンショット・Aを受けた胸部は血痕で白い鎧が斑に染まっている。だが直撃した割には思っていたよりも傷が浅く、血の量も少ない。

 口元の血を拭っているもののあれ程の連撃を浴びせられても何事も無かったかの様なしっかりとした足取りであった。

 

「マジかよ……」

 

 手応えは感じていた。手を抜いたつもりは全く無い。間違いなく一撃一撃に全力を注ぎ込んだ。だというのに相手が想像以上に壮健であることに少なからず動揺する。

 

『あれほど受けても、その程度とは……』

 

 ドライグもまた一誠と同じような心境であった。最高潮にまで達した一誠の力はドライグでさえ、瞠目するものであった。同じドラゴンの力を持つとはいえ、いくら何でも頑丈過ぎる。

 

「いや、それでも結構効いた。特にアスカロンはな」

 

 そう言うとヴァーリは咳き込む。すると血の飛沫し、足元を汚す。

 

「そのまま受けていたら正直、命の危険もあっただろう。だが、俺たちの力を忘れてはいないか?」

 

 どういうことだ、と一誠はすぐに理解出来なかったが、ドライグの方はその言葉ですぐに察する。

 

『まさか、自分自身に半減の力を使用したのか……』

「ご名答。流石に影響が出なくなるほど半減化することは出来なかったが、それでもこの程度で済んだ。ついでに傷の方も縮めてみたが、初めてやった割には結構上手くいくものだな」

 

 自分の力が更に一歩先に進んだことに喜びを感じているらしく、上機嫌そうに話す。それを聞いて一誠は『何て奴だ』と驚く。ドライグもまた一誠の様に驚いていたが、その驚きは一誠の比ではない。驚愕、驚嘆、唖然、という言葉を並べてもなお足りない程である。

 長い時間を生き、何度も白龍皇と戦ってきた彼だからこそ分かる、ヴァーリの精緻の極致と呼べる技術。

 ヴァーリは軽く言っているが、そもそも体内に流れ込んだ力のみに限定して半減の力を行使するなど、今まで聞いたことも見たことも無い使い方である。ドラゴンの力は強力だが、その分繊細な扱い方には向かない。もしヴァーリの言った力の使い方をすれば、龍殺しの力どころか体の内側が半減する恐れがある。

 傷の方もそうだ。下手をすれば体そのものが縮小するかもしれない。ヴァーリの言葉を信じるならばどちらも今日初めて試みたということになる。恐れ知らずというなどという段階ではない。

 白龍皇の力を取り込んだ一誠を馬鹿を貫いた大馬鹿と思っていたが、このヴァーリもまた馬鹿を通り越した大馬鹿者である。

 

「――で、だ。こうして悠長に説明している間に別の目的も果たさせてもらった」

『ヴァーリ、奴の半減の力に対する分析は済んだ。赤龍帝の力を介して発動しているが元は私の力だ。こちらの制御方法と照らし合わせれば対処可能だ。もう奴らから力の影響を受けることはない』

 

 アルビオンから『白龍皇の籠手』の対策がもう済まされたことが報告される。あの説明自体がこれの為の時間稼ぎであることを知らされる。そんな可能性など微塵も考えず普通に話を聞いてしまったこと、命を削り、痛い思いをして手に入れた力がもう通用しなくなってしまったことに、一誠は歯ぎしりをしたい衝動に駆られた。

 

「しかし、我ながら随分とボロボロにされたな……ここまで傷を負ったのはマタドールと初めて会ったとき以来だ……」

 

 所々、装甲が剥がれ落ち、自分の流す血で汚れた鎧を見て懐かしむ様な口調で話すヴァーリ。

 

「――だとしたら『あの力』を使うのも必然だな?」

 

 『あの力』それが何のことを指しているのか一誠には分からなかった。だが代わりにドライグが焦った声を上げる。

 

『まさか、もう既にその段階に至っているというのか!』

『待て、ヴァーリ。この場でその選択は良策ではない。無闇に使えばそれが呼び水となってドライグの力を呼び起こすかもしれない』

 

 アルビオンもまたヴァーリに異を唱える。感情的ではないもののドライグと同じく焦っているのか口調が速い。

 

「アルビオン、兵藤一誠は赤龍帝として新たな可能性を見せてくれた。ならばこちらも返礼として見せるだけだ。『白龍皇』の『覇龍〈ジャガー・ノートドライヴ〉』を!」

『待て! ヴァーリ! 自重しろ! 我が力に翻弄されるのがお前の本懐か!』

「安心しろ、アルビオン。見せるのは全部じゃない、ほんの一部だ」

『な、に?』

「言っただろう新たな可能性に対する礼がこれだと」

 

 怒っていたアルビオンもヴァーリの言葉を聞いて戸惑う。一心同体であるアルビオンすら知らないことをこれから見せるという。

 

「本当だったら最初にマタドールに見せる予定だったが予定変更だ。これは俺なりの君への敬意だと思ってくれ」

 

 胸部の宝玉が七色の閃光を放つ。

 

「我、目覚めるは――」

 〈消せ! 消し飛ばせっ!〉〈消すの! 消しちゃうの!〉

 

 ヴァーリの詠唱に合わせ、鎧から放たれる金切り声、怨嗟の籠った声、感情的な声、冷たい声といった様々な声が重なっていく。

 

「覇の理に全てを奪われし、二天龍なり――」

 〈夢に終わりを!〉〈幻に始まりを!〉

「無限を妬み、夢幻を想う――」

 〈全部だっ!〉〈全てを捧げろ!〉

「我、白き龍の覇道を極め――」

 〈全てを、全ての力を!〉〈捧げ、消し、誘え!〉

「――されど、求めるは一筋の極光」

 〈何だ! どういうことだ!〉〈知らない! こんなの知らない!〉

 

 続いて紡がれた詠唱が違うものだったのか、無数の声は激しく動揺し出すが、ヴァーリはそれに構うことなく最後の一唱を詠み上げる。

 

「極限への片鱗! 現在〈いま〉ここに顕在せよっ!」

『Juggernaut Drive』

 

 眩い銀色の光。そして圧倒的な魔力が場を埋め尽くす。

 閃光に思わず目を瞑ってしまった一誠。魔力の探知に関しては鈍い彼でも一瞬にして分かってしまう程の魔力の量。それは明らかに今の自分を凌駕していた。

 瞼越しに感じていた光が収まるのが分かり、一誠は目を開いていく。目を開いた先にどんな光景があるのか、そんなことを考えるだけで心臓の鼓動が早まっていく。

 

『……ヴァーリ、今日ほどお前の才を頼もしく、そして恐ろしく思った日は無い』

 

 瞼を開き切った一誠の耳に、アルビオンの感嘆とも戦慄とも言える声が入ってくる。

 

「これが……」

 

 それ以上の言葉を続けることが出来なかった。

 一誠によって破壊されていた鎧は修復されており、手足などを覆う装甲に目立った変化は無い。最も目立った変化を起こしていたのは胴体の方である。丸みを帯びていた鎧が全体的に鋭利な形状に変化、その背からはより巨大な光翼が生えており、光翼の輝きが夜の闇を全て消し去っている。

 胸の中心に填め込まれていた宝玉は一回り以上巨大化しており、まるで眼の様であった。

 

「これが覇龍だっていうのか?」

『――違う、違うぞ相棒』

「え?」

『確かに覇龍の力を使用している。だがあいつの今使っているのはその『覇龍』の一部、部分的に『覇龍』の力を開放している』

「そんなこと出来るのかよ?」

『出来る筈が無いっ!』

 

 一誠の問いにドライグは激しい口調で否定した。目の前の出来事に対し、信じられないという気持ちが込められているのを感じる。

 

『覇龍は一度使えば理性を失い、周りも自分を含めて破壊する云わば暴走だ! 一部の力だけを取り出せるなどといった融通が効くものじゃない!』

「だけど現にあいつは……」

『ああ、だからこそ恐ろしい! 禁手化だけでなく覇龍すらも完全に制御しようとしている奴が! これほどの使い手は俺も初めてだ!』

 

 前代未聞。その言葉がこれほどまでに嵌る事態は無かった。

 

「完全な状態で覇龍を使用すれば俺でも意識を保つのは持って数分。だがこれならばそれの何倍もの時間を維持することが出来る」

 

 ヴァーリの言葉通り、正気を失っていれば出来ない流暢な喋り。面で覆われている為、表情が分からないが恐らくはさっきの様な笑みを浮かべながら喋っているのであろう。

 

「鎧の一部が変わったってぐらいでなんだってんだ! そんなことでビビッてたまるか!」

 

 啖呵を切る一誠にヴァーリは哄笑する。

 

「無知からくる恐れ知らずか? それとも天然か? まあ、嫌いじゃないがな。だが――」

 

 ヴァーリは両手を巨大な宝玉がある胸元に持っていく。

 

「これを見ても折れずにいられるかな?」

『なっ!』

 

 ドライグとアルビオンが声を上げ、そのまま絶句する。

 宝玉の収まっている鎧の縁を掴むとそれを左右に開き、胸部を展開させ宝玉を剥き出しにしたかと思った次のとき、途轍もない脱力感が一誠を襲う。

 

「うあっ! こ、これは!」

 

 纏う鎧が信じられない程重く圧し掛かる。それを支えている脚にも力が入らなくなり、その場で四つん這いになってしまうが、更に腕にも力が入らなくなっていき最終的にはうつ伏せとなってしまう。

 

「なん、だ、これ!」

 

 自分の身に起こった事態に戸惑う一誠。その間にも力が抜けていき、動かす舌すらも重い。

 

「うう、力が……抜けて……」

 

 離れた場所に居るリアスもまた表情を蒼褪めさせ、地面に伏せる。

 

『待て! 待つのだ、ヴァーリ! もう十分だ! お前の強さは十分に理解した! だからそれを地上で放つのは止めろ! ここ一帯を消滅させる気か!』

「済まないな、アルビオン。――どうにも抑えることが出来ない。どうやら赤龍帝からもそうだが彼奴の熱にもあてられたようだ」

『何を――むっ』

「楽しそうだな、向こうも。これが終わったら是非とも混ぜてもらおう」

 

 声を荒げて止めようとするアルビオンだが、ヴァーリは止めようとはしない。寧ろ何かに張り合うかの様に力を更に高めていく。咎めていたアルビオンもヴァーリを通じ、何かを察知したのか、驚きを交えて声を漏らす。

 

(一体、何をしようとしているんだ?)

『覇龍最大の一撃を放とうとしている』

 

 碌に動かなくなってきた口の代わりに頭の中でドライグに問う。

 

(今、動けなくなっているのもその一撃による効果なのか?)

『違う。ただ奴は体内で力を溜めているだけだ。だがその溜めるという行為そのものの強さに、周りの力が引き寄せられているに過ぎない』

(嘘だろ……)

 

 この脱力もただ力の余波を受けているだけだと教えられ、唖然とする。

 その間にも周囲のあらゆる力がヴァーリへと引き寄せられていく。青々としていた木の葉や雑草などの植物は色が緑から一気に茶へと短時間で変色し枯れていく様を見せる。

 与える影響はそれだけに止まらない。

 ガラスに罅が入った様な音が断続的に聞こえてきた。その音の元は何かと一誠が首を動かし音の方へと目を向けたとき、絶句する。

 空に刻まれる無数の亀裂。学園全体を覆っている筈の結界に綻びが生じ始めていた。結界を維持する為の力もまた、ヴァーリに取り込まれていく。

 

「受けてみろ、この一撃を!」

『待てっ!』

 

 やがて力が十分に溜まったのかヴァーリは宣言の後、胸に収まった宝玉が視認出来ない程の輝きを放つ。最後までアルビオンが制止するもののヴァーリは止まらない。

 

『Longinus――』

 

 

 ◇

 

 

 魔人として本当の意味で目覚めたシンは、無言のままマタドールの手を握り締める。締め上げる力はマタドールの白骨に軋みの音を上げさせるが、マタドールはその痛みすらも愉しんでいるかの様に下顎を震わせて笑っている。

 

「くくくく! 私としたことが早計であったな! まさかこれ程の力がまだ眠っていたとは!」

 

 マタドールはシンへと向き直り、その顔を覗き込む。

 

「魔人として本当に目覚めた気分はどうかな?」

 

 答えの代わりに出されたのはシンの拳であった。

 

「はっ!」

 

 それを笑いながら頭を傾けて避けるマタドール。だが完全に避けたと思っていたマタドールの耳にピシリ、という音が聞こえた。外から聞こえた音ではない、体の内側から聞こえてくる音。

 触れずとも分かった。避けたと思えた先程の一撃、それが頬を掠め、骨の一部を削り取っていったのだと。

 完全に避けたとマタドールは思っていた。だが掠めていた。左腕を掴まえられてカポーテが使用できず、自由に動くことも出来ないとはいえ、避けられると思った攻撃を避けきれなかったのだ。

 マタドールの心が衝撃で震える。喜びによる衝撃で。

 

「随分と動きにキレが増したなぁ!」

 

 シンの首筋を狙い、マタドールの横薙ぎの斬撃が銀色の閃光となって奔る。しかし、その銀光は躊躇なく割って入った左腕が防ぐ。

 左腕の半ばまで食い込む刃。だがそれ以上先には進まない。マタドールにしてみれば称賛に値する硬さである。少なくとも今までマタドールが斬ってきたものの中で生身の状態で斬れなかったものは無い。魔人化によって肉や骨が変質しているのかもしれない。

 更に力を込め切断しようと考えたマタドールであったが、何故か刃がそれ以上先に進まない。

 するとマタドールの見ている前で、はっきりと分かる程の速度で斬られた部分が再生し始めていった。切断された筋肉組織が糸を垂らす様に繋がり、互いに引き寄せ、刃が食い込んでいる骨も切断部分が急速に埋められていき、マタドールの刃を押し返していく。

 掲げる左腕から流れる血はもう既に止まっている。胸の傷に注目しているあまり気付かなかったが、貫いた膝、折れた指、流血していた左眼も完治していた。

 

「再生――いや、回復魔術か!」

 

 僅かに発せられたシンの魔力の波動にそう結論付ける。だがその回復速度は尋常ではない。高度な回復魔術でも治癒の神器でもここまでの速度で傷は治らない。更に目立った動きも詠唱も無い。難度が高いほど手順の複雑性は増していく、これは『魔術』というよりも『魔法』という言葉の方が相応しく思えてくる。

 腕が半分切断されかかっていたシンは顔色も表情一つも変えず、些末なことの様に傷が治るよりも先に攻撃を仕掛ける。爪先で地面を蹴り付け、勢いをつけながら上げ、そのままマタドールの胴体に向けて左脚による回し蹴り。

 至近距離。直撃するのに一秒も掛からない。だがそんな極短時間であってもマタドールにとっては十分過ぎる時間であった。

 左腕に食い込む剣を素早く抜き、そのまま手首を返して剣先を地面に向け、刃は迫る左脚へと向けられた形で防御の構えを取る。

 剣の刃が足に刺さったら、そのまま反撃に転じようと考えた故の構え。

 間もなくしてマタドールの思い描いた通り、マタドールの剣にシンの左足首が食い込む。

 そして、このまま剣で斬り払おうとしたときマタドールは異変に気付く。

 

(――動かない!)

 

 剣が振り払えない。斬り裂こうとしていた左脚の脚力によって剣を持つ右手が微動だにしない。

 マタドールの剣は左足首の三分の一ぐらいまで裂いているが、シンは引く処か更に力を加える。

 均衡は刹那の間。

 

「おおっ!」

 

 蹴り抜かれた左脚は突き刺さった剣もろともマタドールの胴体へと叩き付けられる。

 この戦いの中でマタドールは初めて痛みに耐えるかの様な声を上げる。

 強い痛みがあった訳ではない。力負けしたことがショックだった訳ではない。ただ今、受けた一撃が響いたのだ。肉体の根幹を為す『芯』とも呼べる部分に深く染み込む様に。

 経験したことが無い感覚。その戸惑いから来る動揺の声であった。

 一撃、受けただけで解る。危険であると。何がどうなってこうであるから危険などという理屈など無い。己の裡から『危険』という言葉が意識しなくても湧き出てくるのである。

 だが、それこそマタドールの望むもの。己自身の声すら無視し、戦いの続行を望む。

 血が舞い、肉が弾け、骨は削られ、痛みが交う。まさに戦いの醍醐味――の筈であるが、マタドールは未だに拭い切れない感情のせいで没頭することが出来なかった。

 シンの顔を見る度、拳と剣を交える度、戦えば戦うほどに増していく、苦く、黒く、鬱陶しくへばり付く『それ』。知っている気がするが何故か言葉にすることが出来ない。

 一度は『それ』のせいで、気の乗らない殺しに手を掛けてしまった。何故突き動かされたのか、見当もつかない。

 

(――本当にそうか?)

 

 否定した自分に自分が問う。

 

(――認めたくないからではないか?)

 

 知っているのに知らないと思い込んでいる。それは何故か? 頑なにまで認めようとしない理由は?

 

(認めてしまえば自分自身の存在を揺るがすことになるかもしれない)

 

 久しく無かった魔人同士の戦い。それは閉ざされていたもの、封じられていたものを互いに抉じ開ける戦いであった。

 

 

 ◇

 

 

 体が熱い。内側に籠った熱が肉や血、骨を炙っていく様な感覚。

 その熱は脳にまで至り、思考は半ば止まっていた。

 

「それが貴公の本当の姿か!」

 

 目の前で闘牛士の恰好をした骸骨が嬉しそうに叫んでいる。見覚えはある様な気がしたが、殆ど働いていない頭のせいで名前が出てこない。

 骸骨が言う『貴公』とは当然、骸骨の前に立つ存在のことを指している。

 ぼんやりとした回らない頭で考える。『貴公』と呼ばれた自分は何であったのか、と。

 自分自身の名前すら思い浮かばない。何故こうしてここにいるのか、骸骨と向き合っているのか、そして骸骨の腕を掴んでいるのか、ほんの数秒前の出来事であった筈なのに何一つ思い出せない。

 本当の姿とは何か『貴公』――つまり自分のこと――は目線を落として体を見た。

 見せる範囲で指先から肩、腹から胸に掛けて浮かび上がる赤い光で縁取りされている黒い線によって描かれた紋様。

 何がおかしいのか、やはり本当の姿の意味が分からない。

 何一つ変な所は無い。見慣れた『いつもの姿』だ。

 その後も骸骨がなにやら喋っているが耳には入ってこない。

 目の前に殺気を放ちながら立っている。それだけで何をするか決めるには十分であった。

 骸骨に拳を振るう。当てるつもりであったが、躱され僅かに掠るだけであった。思っていた以上に速い。

 骸骨の方も剣で斬りかかってくる。避ける必要性を感じなかったので腕で受け止めた。軽い衝撃と共に腕の半ばまで剣が食い込むが痛みは無い。

 斬られた部分はすぐに治す。負った傷は自分か、あるいは××たちが治すのが当たり前であった。

 

 ――××たちとは何であったか。

 

 自然に思い浮かんできたが、考え直すとその部分だけ記憶が欠落している。

 思い出せないものを深く考えてもしょうがないと思い、それ以上考えるのは止め、剣を抑えている内に骸骨の方を倒すことの方を優先した。

 腕が使えないので代わりに足で蹴る。だが今度は剣で防がれてしまった。構わずそのまま蹴り飛ばすも、剣が間に入っているせいで十分な威力が出せない。

 力もそこそこ。素早さはかなり。守りも硬い。単純に強い。普通に戦えば手古摺る相手。

 やはり前に何処かで会った様な気がする。だからこそなのか、このような相手とどうやって戦えばいいのか、頭に方法が浮かんでくる。

 

 強ければ弱くすればいい。

 

 

 ◇

 

 

 答えの出ない思考を頭の片隅でしつつも、意識は常に相手から離さなかったマタドールはまたシンから瞬間的な魔力を感じると、体に撃ち込まれた剣ごとシンの脚を振り払う。

 何が来るかと剣先を向け身構えたマタドール。その変化はすぐに身を以って体験することとなる。

 

(ん?)

 

 明らかな違和感。それは剣やカポーテを持つ手から感じた。

 

(――重い)

 

 最早、体の一部と言っても過言ではないマタドールにとっての象徴。だというのに両手からは伝わってくる重み。信じられないことに気を抜けば指先が離れてしまいそうになる。

 

「何を――」

 

 その言葉の先を発するよりも早く、シンから再び魔力の波を感じた。途端、腕に掛かる重量が倍以上のものとなる。

 武器の重さが増した訳ではない。武器を持つ手や腕の力が急速に弱まっているのだ。繊細な指先の感覚が失われていき、渾身の力を込めなければ握っている実感すら湧かなくなってくる。

 大きく削がれていくマタドールの力。だが削がれていくのはそれだけに収まらない。

 両脚もまた数百キロの重りを架せられたかの様に重くなっていき、膝を折らないだけでもかなりの力を有する様になる。

 

(私の力が封じられていく!)

 

 四肢の力を奪われたマタドールは表情の無い顔の下で驚く。

 マタドールから自由を奪ったシンはすかさず拳を振り翳す。

 それを見て先程の様に躱そうとするマタドールであったが、動くよりも先にマタドールの頬にシンの拳は打ち込まれていた。

 

「ぐっ!」

 

 殴られた個所から脳天にまで貫いていく衝撃。その威力を物語る様に、頬から顎にかけて白骨に亀裂が生じていた。

 全く反応が出来なかった。脚の自由だけではなく、反応速度まで鈍らされていることに気付く。

 だが、マタドールも黙って攻撃を受ける訳も無く、伸び切っているシンの腕を下から斬り上げる。

 しかし、先程とは違い刃はほんの数ミリだけ腕に食い込んだだけであり、それ以上先には進まない。

 長年己の技術を研磨し続けてきたマタドールにとっては衝撃的な光景であった。

 頬に打ち付けた拳を引くと、もう一度同じ個所に拳が叩き付けられる。亀裂は更に延び、眼窩、こめかみにまで届き、白い骨に黒く太い線を刻まれる。

 

(何たる無様)

 

 顔を殴った後、今度はマタドールの鳩尾をシンの拳が抉る。

 

(何たる醜態)

 

 二回、三回、四回と同じ箇所に同じ威力の拳が同じ間隔で叩き付けられていく。

 

(この様な姿を他人に見せるときがくるとはな……)

 

 手も足も出ずにいい様にされる情けない姿。このような姿にしたシンに怒る気持ちは無い。あるのは自分に向けての強烈な羞恥心であった。

 

(何たる鈍重! 何たる非力! これが私か! 最強にして最高の戦士に至らんとするマタドールなのか!)

 

 一方的に蹂躙されつつある自らを叱咤する。そんなマタドールの心情など全く介することなく五回目の拳が繰り出されると、文字通り鳩尾に突き刺さり、そのまま背から握った拳が飛び出す。貫いた拳には血は付いていなかったが、代わりに砕けたマタドールの骨の破片がいくつか刺さり、それによって流れるシンの血があたかもマタドールの流した血の様に錯覚させる。

 

(これほどまでに傷を負ったのはいつ以来か……)

 

 腹部を貫く拳を見ながらマタドールはそんなことを考えていた。

 初めてサーゼクスと邂逅しその異質なる力を身を以って知ったときか。あるいは遥か昔、三勢力との戦いに介入し、他の魔人たちと死を以って死を滅する戦いを繰り広げたときか。

 

(そういえばあの時も……)

 

 戦った魔人の中でラッパを吹く魔人の姿を思い出す。神の下僕であり走狗、その在り方はマタドールから見れば唾棄すべきものであったが、忌々しいことにその実力は本物であった。

 その魔人が使った術の中で今の様に大きく力を削ぐ技があった。それを身に受けたマタドールは全身の力だけなく魔力すらも大幅に削がれた記憶がある。

 もしシンが今使っているものがその魔人と同じものであったのであれば――マタドールの中にはそれを解く術が既にある。

 

(あの日以来か、これを使うのは)

 

 剣による近接戦闘を好むマタドールが長年の間使わなかった術。正確に言えば使う様な場面が今日の日まで一切無かった。

 何故ならば今から使用する術は攻撃目的のものではなく、補助を目的とした術であるからだ。

 マタドールは頭の中で術の式を思い描く。長い間使用せずとうに錆び付いていると思っていたが、それに反しその術の式は驚くほどすんなりと浮かび上がってくる。

 思考の中で描かれた術式にマタドールの魔力が反応し、それに従い魔力が性質を変えていく。

 質を変えた魔力はマタドールを包み込む橙色の球体へと形も変えると、中にいるマタドールに干渉、すぐに弾ける様な音と共に橙の球体が割れ、それを形成していた魔力は霞の様に消え失せた。

 マタドールの行ったことに関心など示さず、突き刺していた腕を引き抜き、マタドールの顔を狙う。

 波打つ様な金属音。放たれた拳はマタドールが眼前に翳す剣の腹によって受け止められていた。

 剣が拳によって僅かに撓んでいる。

 

「全く何様だ……」

 

 押し込もうとする拳。だが防いでいる剣はその力に拮抗している。

 シンによって施された弱体化は既に解けていた。マタドールにはそういった魔法や術を解除する対抗術を備えていたのだ。

 しかし、それを戦いの場で使用したのは今までで一度しかない。そんなことをされるよりも先に相手を倒しているか、弱体化されても尚相手の実力を上回っていたということばかりだったのである。

 

「絶えず勝利と修練を積み重ねてきたと驕り……」

 

 拳を抑え込みながらマタドールは独白する。

 

「その驕りと勝利に溺れて自分でも知らないうちに慢心、そして怠慢を抱く。――醜態にも限度がある」

 

 自分でも認識していないうちに腕が鈍っていたことを自覚する。その証拠が先程の弱体化である。かつての自分であったのならばもっと早くに気付き、対策をとっていた。

 

「痛みが足りなかった。苦しみが足りなかった。執念が足りなかった。だからこそこのような無様を晒す」

 

 風穴が開いた胴体のことを指しながらマタドールはかたかたと顎を震わす。

 

「だがそれでも恥知らずだと罵られようと敢えて言わせてもらおう――何と愉しい!」

 

 未だに胸の裡では染みの様な違和感は消えない。しかし、それでも思いもよらぬ強敵と戦い、追い込まれている状況だがこの逆境に打ち勝ち、その先にある勝利を手にすることを想像すると高揚が抑えきれず、全身を突き動かす衝動と化す。

 マタドールの剣がシンの拳を突き上げて押し返し、胴体を大きく開けるとそこを袈裟切る。

 傷口から血が噴き出す。しかし、散った血が地面に付く間に斬られた傷は閉じてしまう。

 返す様にシンの拳がマタドールの左胸に打ち込まれた。拳は衣装越しにマタドールの骨を砕く。砕かれた肋骨が衣装を突き破って飛び出てくる。

 

「ははははははははははははは!」

 

 痛みは在る。だがそれを上回る高揚が今のマタドールにはあった。

 高笑いを上げながらマタドールの突きがシンの脇腹を貫き、そのまま横へ滑らせ腹を裂いた。

 噴き出た血がシンのズボンを汚す。

 流れ出る血を這わせたまま、シンの脚がマタドールの大腿を蹴りつけた。

 空中に赤い弧を描く血。割れる骨の音。更に上がる哄笑。

 拳が骨を砕き、剣が肉を削ぐ。両者の間には奏でられるのは血の滴る音と骨の破砕音。

 加速する拳と剣の交わりは、宙に舞う血を赤い霞へと変えてしまう。

 

「もっと! もっとだ! この時、この場所こそ! 私と貴公による血のコロッセオだ!」

 

 

 ◇

 

 

 殴る。貫く。蹴る。折る。掴む。砕く。

 それを何度も繰り返す。

 強かったので弱くしたにもかかわらず、すぐに元に戻ってしまったので仕方なく手足を動かし、相手を攻める。

 何か所も折り、何か所も貫いたというのに相手は弱っていく気配はない。寧ろ勢いが良くなっている気さえする。

 こちらも斬られ、抉られ、貫かれたりしているがその度に元に戻している。

 靄がかかった頭は未だに晴れず、何の為にこれを繰り返しているのか分からない。

 このまま続ければ死ぬだろう。それがどちらかは分からないが。

 繰り返す。繰り返す。淡々と殺意を込めて。繰り返す。繰り返す。

 そのうち終わるであろうと考え、繰り返す。

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。

 ――い。

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。

 ――輩。

 何かが聞こえた気がした――繰り返す。繰り返す。

 ――先輩。

 やはり誰かの声が聞こえた気がした。

 ――薙先輩。

 覚えのある声。覚えのある名前。

 

 ――間薙先輩!

 

 ――名前。呼ばれた名前。その名前は知っている。思い出した。それが自分の名前だ。

 そして、呼ぶ者の名は――

 

 

 ◇

 

 

 低下した視界でも分かる舞う血の量。寒気立つ様な気配が突如増えたかと思えば、半吸血鬼であるギャスパーも噎せ返りそうになる程の血のニオイが場を満たす。

 初めは誰が戦っているのか分からなかった。ただ二つの衝突し合う大きな力に呑まれ、震えて動くことも声を出すことも出来なかった。

 そのとき口元に何かが付着する。鼻腔をくすぐるニオイ、それは間違いなく血であった。

 半吸血鬼であるが、吸血という行為に対し嫌悪感を持つギャスパーであったが、このとき何故かその血を手で拭うことはせず、無意識に舌で舐めとってしまった。

 口内に広がる血の味によって自分のした行為に戸惑い、そしてその血の持ち主が誰なのかを知る。

 

「間薙、先輩?」

 

 血の味で誰の血か当てるなど本来のギャスパーには出来ないことであった。しかし、どういう訳かその血がシンのものであるのが確信の様に分かってしまった。

 マタドールによって倒された筈のシンが何かしたことによって立ち上がり、今はマタドールと死闘を繰り広げている。

 その身からマタドールと全く同じ気配を放ちながら。

 それによって思い至った考えにギャスパーは唾を呑み込む。それによって口内にあったシンの血を意図せず嚥下してしまった。

 血が喉を通り抜けていく、すると胸の奥が熱くなる。

 

「うぐっ!」

 

 臓腑が一気に熱を帯びた様な感覚。苦しくは無いが、いきなりのことで戸惑い呻く様な声を出してしまう。

 体の内側で起こった熱の様な力が体中へと広がっていく。

 広がった熱が最も集中したのは怪我を負った両目であった。眼球、瞼に籠っていく。

 その感覚に慣れず紛らわす為に両目を強く瞑る。その状態が少しだけ続いたが、その内、両目から熱が消えていくのが分かった。

 

「あっ……」

 

 違和感が消え、閉じていた目を反射的に開こうとする。すると、マタドールによって腫れ上がり重くなっていた瞼がすんなりと持ち上がる。

 続いて霞んでいた視界も徐々に焦点が合い始め、完全に見える様になった。

 一瞬にして完治した両目。それに驚いているものの、次に見た光景にその驚きも消え去ってしまう。

 

「ひっ!」

 

 出てしまった悲鳴。ギャスパーの両目はしっかりと捉えていた。

 マタドールと姿が変わっていたシンとの壮絶な殺し合いを。

 互いに一歩も引かない状況で剣と拳が傷付けあう。マタドールはシンの拳によって至る所を砕かれ、折られていき、シンの方もマタドールの剣によって斬られ、貫かれていく。

 傷つけられていくマタドールは笑い、血に塗れていくシンは表情一つ変えない。

 その凄絶さに目を逸らしてしまう。

 あれは本当に自分の知っている先輩なのだろうか、ギャスパーは分からなくなる。

 出会ってから今日までそれほど長い期間行動していた訳ではない。同じ日に知り合った一誠とは違い、感情を表に出すことは殆どなく、無表情であることも多かった。それでもまだ完全に感情が見えなかった訳ではない。

 しかし、今のシンの表情はギャスパーの記憶にあるシンの表情とは違い、完全に感情が欠落しているといってもよかった。

 何を考えているのか全く分からない。暗い底を見ているかのように何も見えない。

 素直に恐ろしいと思ってしまった。だがその恐ろしさは傷を負ってもすぐに治してしまうことでも、淡々と殺し合う姿でも無かった。

 自分の体のことなど一切考えず、削る様に酷使し、命を絞り、燃やし尽くす様な破滅的な戦い方が、ただ恐ろしかった。

 このまま消え去ってしまう様なシンの戦い方に焦燥感をギャスパーは覚えた。

 シンの身に何が起きてしまったというのか、ギャスパーはただ何も出来ずただ茫然とするしかなかった。

 そのとき――

 

「え?」

 

 ――声が響いた。

 淡々とした声。何処を狙い、どうやって攻め、どうやって守るのか、という考えが最低限の言葉のみで重なっていく。

 声には何一つ感情らしいものは無く、機械的とも言ってよいものであった。聞いているだけで体の温度が下がっていく様な気さえする。

 少なくとも通常の人間が発する様な声ではない。

 

「これは……」

 

 耳から聞こえてくる音ではない。声は頭の中から聞こえてきた。

 それはギャスパーの知っている者の声であった。

 自然と視線は向けられていた。

 頭の中の声に沿うようにシンが動く。攻めると考えたときには攻め、守ると考えたときには守る。

 何がどうしてこうなったか理由は分からないが、シンとギャスパーとの間に繋がりが出来ていた。

 ふとギャスパーは思う。向こうの考えが頭の中に流れてきているのであれば、こちらの考えも向こうに流せるのではないか。

 目を固く瞑り、神器を扱うときの様に精一杯意識を集中させ、頭の中でシンへと呼び掛ける。

 

(間薙先輩!)

 

 呼び掛けるが返事は無い。シンは手を止めず黙々と戦い続けている。

 

(間薙先輩!)

 

 もう一度呼び掛ける。やはり返ってくる声は無い。

 強く強く、その名を呼ぶ。

 

(間薙先輩!)

 

 返事は来ない――そう思った。

 

「手を貸してくれ。ギャスパー」

 

 自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 ◇

 

 

 どれほどの間、意識がはっきりしないまま好き勝手動いていたのか分からないが、ようやく頭が冷えた。

 自分に起こった変化に驚くのは一先ず置き、今は目の前の状況を打破しなければならない。

 高揚した笑い声を上げながらマタドールの突きが胸部に向け繰り出される。反射的に掌を翳す。

 切っ先が掌を貫くが、胸に届く前に掌を閉じ、力尽くで動きを止める。

 貫かれる痛みと切れる痛みが熱の様に感じるが、耐え切れない程ではない。それよりもマタドールの剣を止められるほど力が増していることに今更ながら驚いてしまう。

 剣の動きが止まった間にマタドールの腹部を膝で蹴り上げる。だが直撃する前にマタドールの方も膝を持ち上げ、脚でそれを防いだ。

 ぶつかり合う脚。体内でミシリという音が響く。骨に罅でも入ったのかもしれない。

 

「動きが鈍ったな」

 

 新たに負った怪我でほんの一瞬であるが意識が逸れたのを指摘し、マタドールは掴まれていた剣を斬り上げる。掌が半分に裂けるが、それも瞬く間に閉じていく。

 人離れしていく体。状況が状況であれば思う所もあったかもしれないが、今はそんな些細なことに構っている暇は無い。

 斬り上げられた剣が今度は振り下ろされる。狙いは左の肩。

 避けようと思えば避けられるだろう。しかし、避けた所で追撃が来るのは分かり切っていた。

 ならばどうするのか。その回答は既に在った。

 頭の中であることを考え、それを強く念じる。

 振り下ろされた剣の刃が左肩に食い込む。

 

「ぬぅ!」

 

 マタドールが呻く様な声を出す。振り下ろされる瞬間にこちらが放った拳がマタドールの腹部に深く刺さり、逆に左肩に食い込んだ刃はそこから一ミリたりとも先へと進まない。

 押しても引いても刃はその位置から動かず『固定』されていたのだ。

 すぐにマタドールの視線がシンから外れ、別の方に向けられる。その先にはギャスパーが居た。

 

「いつの間に……」

 

 塞いでいた両眼が完治し見開かれているのを見て、僅かに驚きを混ぜた声を漏らす。

 あのとき強く思ったのはギャスパーへ時間停止のタイミングを教えるものであった。ギャスパーの身体能力ではマタドールの剣速を追うことは出来ない。しかし、自分の目ならばマタドールの剣の動きを追うことが出来る。謂わば自分の目とギャスパーの目を連動させたのだ。

 離れた相手に意思を伝えるのは仲魔にも使うことが出来るが、それ以外の相手に使ったのはこれが初めてであった。いつの間にか出来た繋がりであるが、おかげでマタドールの虚を突くことが出来た。

 打ち付けた拳を開き、そのままマタドールの体を鷲掴む。掌を密着させた状態から体に籠った魔力は掌に向けて流し込む。

 掴んでいる指の隙間から零れる蛍色の光。零距離から光弾を撃ち込むつもりであった。

 充填まで一秒も掛からない、確実に当てる。そう思っていたが、マタドールの執念は予想の上を行く。

 

「はああああ!」

 

 気合いの籠った叫びと共に時間停止していた筈の剣が震え始める。神器の効力を力と魔力で無理矢理解除しようとしていた。

 まだ十分ではない状態だが、すぐにでも放たねばと思い、掌に込められた魔力を開放しようとした瞬間、マタドールの剣の拘束が解かれる。

 そこから先のマタドールの動きは、神速と呼ぶに相応しいものであった。

 剣の自由を取り戻したマタドールはそのままシンを斬り裂くのではなく、切っ先の向きを変えて突き出す。

 放った先にあるのはカポーテを持つマタドールの腕を掴むシンの右手。そこを自分の腕もろとも容赦なく串刺しにした。

 突き刺すことで生まれるほんの僅かな隙間。それによって力が緩む紙一重の間を使い、突き刺された自らの腕を刃で裂きながら強引に引き抜いた。

 それと同時に後ろへ大きく上体を逸らし、掴んでいる腕を膝で突き上げる。掴んでいる部分が引き千切られようとも構わずに。

 これにより光弾は狙いから逸らされ、マタドールが居た位置から斜め上に向かって放たれる。

 直撃を避けたマタドールは突き刺していた剣を引き抜きながら反った体勢から大きく後方へと宙返りし、着地を待たずに空中でギャスパーの方に向けて剣を振るった。

 剣から放たれた空気の歪みはギャスパーに当たらなかったものの、その足元に着弾し、土砂を巻き上げて視界を閉ざす。着地の瞬間を狙っての時間停止を妨害する為のものであった。

 ギャスパーの神器を塞いでいる内にマタドールは無事着地。腕が手の甲から肘まで二つに裂かれているにも関わらず、それでもカポーテを離さなかった。

 有利とも言えた状況が瞬く間に五分の状況へと戻った。

 一見すれば、だが。

 

(――体が重くなってきた)

 

 制限時間の終わりが体の負荷となって現れる。表情には出さないものの四肢が徐々に怠くなり、血や肉が錘に置き換わっていくかのような感覚となっていく。

 更には体中を巡る紋様からは最初のときと比べ、光が翳った様に思えた。

 この姿でいられる時間も残り少し。恐らく全力で戦えるのは次で最後であると直感的に悟った。

 

「そろそろ限界かな?」

 

 こちらの考えを読んでいるかの様なマタドールの台詞。完全に隠せてはいないとは思っていた為、動揺は無い。

 

「安心してくれ。私は待たない。――お互い悔いが残らないようにしよう」

 

 敵に掛ける言葉にしては随分と優しいものであった。マタドールが言った様にこのまま戦いを引き延ばせば確実にマタドールの方が勝つ。だが相手は敢えてそのような選択はしない。きっと裏も無く言葉の通りの理由なのであろう。

 間もなく終着となるであろうこの戦い。そして場の空気もまた終わりに近づいていることを示していた。

 

「ほう?」

 

 関心を含んだ声を漏らしながらマタドールの目線が別の方向に向けられる。自分の視線も同じタイミングでそちらの方を向いていた。

 戦いの最中で目線を逸らすのが愚行だというのは分かっている。しかし、反射的に向けてしまうほど、肌が粟立つ様な巨大な魔力を感じてしまったのだ。

 

「――ヴァーリと赤龍帝か、これは面白い!」

 

 マタドールは魔力の持ち主に気付き、骨の表情でも分かる程喜びを露わにする。

 

「部長、イッセー先輩、ランタン君、ジャック君、ピクシーちゃん……」

 

 ギャスパーもまた突如現れた巨大な魔力を感じ、不安そうに次々と名前をつぶやく。恐らくはあの場所に皆がいるのであろう。手助けしたいという気持ちはあるが、状況が状況である為にそれも出来ない。

 今はただ皆の無事を願うしかなかった。

 

「恵まれているな、私は。これほどの好敵手たちと出会えた。――尤も今宵一人消えるかもしれないがね」

 

 マタドールが構える。最初に出会ったときと比べ、今のマタドールの姿は酷いものであった。絢爛とした衣装は所々裂け、破れており、大きな穴が開いている箇所もある。衣装の穴から見える白骨には折れていたり、亀裂が走っているものもある。

 カポーテを握る手は二つに真っ二つに裂けて、中指、人差し指、親指の三本で辛うじて握っている状態であった。

 誰が見てもボロボロと呼べる姿だというのに、最初に感じた凛とした印象が何故か薄れることは無かった。

 だからこそ実感する。衣装などがこの魔人を飾っている訳ではない。こちらが想像できない程の年月を戦いに費やしてきたことで生まれた隠しきりようの無い金剛石の如き自信こそが、この魔人を彩っているのであると。

 人格面ややってきたことははっきり言ってしまえば好感も無く不快感しか覚えないが、自らの生の中で一つのことを極めようとする姿勢だけは、不本意ながらも凄さを感じた。

 構えるマタドールを見て、こちらもいつでも動けるように構える。

 離れた場所にいるギャスパーもマタドールを警戒し神器を発動する状態となるが、その前に待つよう指示を飛ばす。

 何度か意識の隙間を上手く突いて動きを止めることが出来たが、今の状態のマタドールにはとてもじゃないが神器を当てることは出来ない気がした。

 少なくともギャスパーが発動させた途端躱し、優先目標を自分からギャスパーに変えるのが予想出来る。そうなると身体能力が低いギャスパーがマタドールの凶刃から逃れることは出来ない。

 ならばどう有効的に使うか。そう思ったときギャスパーの方からある提案が送られてくる。その案を聞き、成程と思った。出された案は過去のギャスパーを知る自分ですら全く知らなかったものであったからだ。そして、一度限りではあるがこの作戦はマタドールにも刺さると思った。

 マタドールはギャスパーの特異な生い立ちを知らない。

 今の状況で他にいい策も浮かばない。ギャスパーが出した案。それに全てを賭けることを決意する。

 それにしても、人と目を合わせることを恐れ、いつも震え、引っ込み思案であったギャスパーが自分から積極的に考えを伝えてきた。

 場違いだと分かっていても妙な感慨深さを感じてしまう。

 だからこそ、この策は必ず成し遂げなければならない。

 

 

 ◇

 

 

 シンとマタドール。数メートル離れた位置で互いに対照的な視線を飛ばす。

 マタドールは内側に滾る殺意、覇気、闘気などのそれらをくべた様な烈火の如く激しい意志を込めての眼差し。シンの方は逆に強い意志を感じさせず冷めているといってもいい、感情の揺らぎを一切感じさせない冷徹な眼差しを向けていた。

 無言で互いを見る両者。その間にも秒単位で場の空気が張り詰めていく。

 傍からそれを見ていたギャスパーはその重圧に押し潰されそうになるのを懸命に堪え、片時も二人から視線を外さない様に努める。

 痛みすら錯覚しそうになる凍てつく空気の中で終わりに向け遂に動き始める。

 先に動いたのはマタドールの方からであった。

 シンに向かって一足飛び、その速さは今まで見てきた中でも最速であった。

 それを見たシンは即座に判断する。避けることは不可能であることを。故にシンはその場から動かずマタドールを待ち受ける。

 刹那に剣の間合いまで動いたマタドールは渾身の力を以って突きを繰り出す。狙う先にあるのはシンの顔の中心。心臓を貫いても殺しきれなかったことから、次は頭を貫いて仕留めるつもりらしい。

 音すら裂いて進むマタドールの剣。

 それに対するシンは僅かに首を回す。剣を躱すにしてもあまりに動きが小さい。

 やがて剣の先端がシンに刺さるかと思われた次の瞬間――シンは僅かに口を開いた。

 そして迫る刃に向け、自分の方から剣に喰らいつく。

 口内に入った刃は奥歯の上を滑り、金属の摩擦音が鳴る。そこから開いた口を力の限り閉じ、刃と歯で鳴る甲高い衝突音。

 シンはマタドールの剣を口で受け止めていた。

 無論その様なことをしてシンも無事ではない。現に剣はシンの頬を貫通している。しかし、口腔内でしっかりと刃を噛み絞め、それ以上動かない様に固定させる。

 それと同時に逃がさない様にマタドールの袖を掴む。

 

「――貴公には驚かされる」

 

 零す様に呟くマタドール。今まで経験したことのないことであったらしく、口調からも高揚が薄れていることから心底驚いているらしい。

 シンは剣を押さえたまま拳を握る。マタドールもまた放たれる拳に対しカポーテを振るう――かと思いきやそれをシンではなくギャスパーに向けて振るった。

 マタドールはシンと対峙しながらもギャスパーから意識を逸らすことは無かった。故にギャスパーが神器を発動させようとしている気配を感じ取っていた。

 今度は先程の様な空気の歪みが弾丸の様に放たれるのではなく、ギャスパーの足元に小さな旋風を発生させる。

 足元から吹き上がる風に思わず下を向いてしまったとき、小さな旋風はギャスパー一人を呑み込む竜巻と化し、その体を風によって裂く。

 悲鳴も苦鳴も吹き荒ぶ竜巻の中に消えていく。

 時間停止の神器発動を妨害されたシン。しかし、動揺は無い。まるでそれが予定調和だったかの様に。

 シンが拳を突き出す。マタドールはそれをいなし次の攻撃に繋げる為にカポーテで受け止めようとした。

 シンの拳がカポーテに触れる。だが翳したカポーテから伝わってくる力は想像していたよりも遥かに弱い。まるで赤子が撫でたかのような感覚。

 拳がカポーテに触れた状態からシンはゆっくりと拳を押した。その力があまりに小さ過ぎる為、カポーテでいなすことも出来ない。

 微弱な力で押されたカポーテはそのままマタドールの体に押し当てられる。カポーテ越しに伝わってくるシンの拳。だがそこに力も殺気も感じられなかった。

 殺し合いという場、ましてや先程の寒気すら感じさせる者には似つかわしくない程、弱弱しい一撃。

 受けるマタドールも内心戸惑いを感じさせるものであった。

 一体何を考えているのか。そう思いながらマタドールがシンの目を見る。その瞬間、マタドールは理解する。自分が逃れられない状況に追い込まれていると。

 その双眸に曇りは一切なく、外部に悟らせないぐらい恐ろしい程静かに闘志を滾らせていた。

 瞬間、マタドールの体を衝撃が貫く。体の中を通り抜けていく何か。少し遅れて痛みが走り、更に遅れて体がくの字に折れ曲がっていく。

 拳を密着させた零距離の状態から打たれるシンの拳。それはマタドールがカポーテで捌き切れない程の一瞬の力の爆発であった。目立った動作も無く、力みなどの予兆も無い形で零から百まで過程を飛ばして打ち込む。

 人の形から放たれる人外の一撃であった。

 衝撃に耐え切れずマタドールの両脚が地面から離れる。その勢いで掴んでいた袖は千切れ、同時にシンも捕らえていた剣を離す。口から離した剣は頬から口角までを裂きながら口内から出ていく。

 斜め上に吹っ飛んでいくマタドール。

 既にシンはこの力を維持できるのもこれが限界であることを悟っていた。次に放つのは正真正銘最後にして最期になるかもしれない。

 シンは両手を胸の前で交差しながら前傾となり自らの体を抱える様な格好となる。末端に流れる魔力ですら吸い上げる様に心臓を中心として体内で収束されていく。心臓に集まった魔力が行き場を求めて一気に膨れ上がり、そこを中心とし魔力が黄昏色に輝き、さながら太陽の様であった。

 それを無理矢理束ね、抑え、制御し、膨れ上がった魔力を限界まで縮小させる。そして限界値に達した魔力を押し出す様に心臓が一際強く膨らみ、そして中に溜め込まれているものを押し出すかの様に一気に収縮する。鼓動が零となった瞬間、交差した腕を開くと同時に体を仰け反らせる。

 引き絞った弓が矢を放つように極限まで溜め込まれた魔力はそれを開放の合図とし、シンの体から幾本に分かれて放たれる。

 放たれた矢――否、矢と呼ぶには相応しくない。一本一本軌跡を描きながら太く鋭い魔力の弾が、逃げ場を埋め尽くす程雨の如く無数となってマタドールへと迫る。

 飛び上がっているマタドールも自分を追い、迫ってくる魔弾の雨の動きを捉えていた。

 数も多く威力も強い。だが死力を尽くせば捌き切れない数ではない。

 コンマ1秒ほどの猶予があれば切り抜けることが出来る。

 マタドールがカポーテを構えようとした――が。

 

「ッ!」

 

 マタドールは息を呑む。僅かではあったがまだ距離があった筈の魔弾の群が突然眼前に迫っていたからだ。

 瞬きも意識を逸らしてはいない。そんなことをしている暇すらも無かった。

 そんな筈は無いと思っていても、この感覚には心当たりがあった。

 神器による時間停止を受けたときの感覚である。しかし、マタドールはこの神器に対し細心の注意を払っており、事前に発動出来ない様に潰していた。

 現にギャスパーはマタドールの風の術を受け、体の至る所から血を滲ませた姿で横たわっている。

 ならばいつ時間停止を受けたのか。そのときマタドールは視界の端に何かを捉えた。

 目線だけ動かす。

 そこに居たのは一匹の蝙蝠であった。だが只の蝙蝠ではない。蝙蝠にはあるまじき赤い瞳をしており、その瞳は不可思議な光を放っていた。

 その光には見覚えがある。それは時間停止の神器を発動させたときのギャスパーの瞳の光と酷似していた。

 それを見てマタドールは瞬時に理解した。何故、停められたのかを。そして自分が重大な見落としをしていたことを。

 

「――不覚!」

 

 直後、マタドールの体を無数の魔弾が貫いていった。

 

 

 ◇

 

 

 体中を貫かれたマタドールが地面に落下しそのまま動かないのを見て、シンは大きく息を吐いた。

 全身全霊の力を込めた最後の攻撃。それを何とか当てることが出来た。

 安堵と同時に全身から力が抜けていき膝が折れるが何とか堪え、ふらふらとしながらも体を真っ直ぐにする。

 全身を覆っていた紋様から輝きは失せ、生き物が這う様にシンの右腕へと移動していく。首から生えた突起物はそのまま砂の様に崩れ、風に舞って何処かへ消えていってしまった。

 やがて全身の紋様が右腕に移動し終わる。しかし、元通りという訳ではなく肘までであった紋様は肩の辺りまで伸びており、シンには見えないが背中の右肩甲骨付近まで浸食していた。

 シンはギャスパーの方を見る。横たわったまま動かない。頭の中で呼び掛けて見るが返事は無い。というよりも先程の戦いの中で感じていた繋がりを今は感じられなかった。

 

「ギャスパー」

 

 今度は声に出す。するともぞもぞと動きながらギャスパーが顔を上げる。その顔の至る所に小さな切り傷が出来ていた。

 

「……終わったんですか?」

「ああ、多分な」

 

 ギャスパーは痛みで顔を顰めながら立ち上がる。体の方も顔と似た様な状態で制服はずたずたに裂けており、近寄って分かったがそこから覗く肌には血が滲んでいいるものの深いものではない。

 

「大丈夫か?」

「僕の方は――って! 間薙先輩の方こそ大丈夫なんですか!」

 

 無事を聞いてきたシンの顔を見てギャスパーは驚き、顔を蒼褪めさせる。言われてシンの方も自分の頬に大きな裂傷が出来ていたことを思い出す。戦いの最中はすぐに傷が治っていたが、その力はもう無いらしい。

 意識した途端、熱の様な痛みを感じ始めた。アーシアの神器によって治療してもらえばすぐに治るだろうが、その前に傷を見て驚かれるのが容易に想像出来る。

 

(きっと今のギャスパーみたいな顔をされるんだろうな)

 

 そんなことを考えていると、ギャスパーの方が何か言いたげな顔でシンを見上げる。

 

「その、あの、先輩は本当に大丈夫なんですか?」

「これ以外の傷は無い筈だが?」

「そうじゃなくて……『あの姿』になって、体に変なことは起きていないんですか?」

 

 戦いに集中していたときは何とも思わなかったが、冷静になって考えると魔人としての姿をギャスパーに見られていたことに今になって気付く。後ろめたいことでは無いが、自分自身の問題に他人を巻き込むのを良しとしないシンは悩む。このまま素直に事実を云うべきか否かを。

 そのとき背筋を駆け抜ける悪寒と共に膨大な量の魔力を感じた。方角はヴァーリと一誠たちが戦っていると思わしき場所からであり、その魔力の大きさは先程感じたものよりも遥かに大きい。

 

「ひぃ!」

 

 ギャスパーもそれを感じ、その桁外れの量に身を竦ませている。

 それと同じくして学園の空に無数の亀裂が生じ始めた。学園中を覆っている見えないそれを恐らく外と中を隔絶する為の結界の様なものと判断したが、特に何かした訳でもないというのに綻びが出来始めたことに事態の異常さが分かる。

 

「ヴァーリか」

 

 聞こえてきた声。シンはそれに瞬時に反応し、身を竦ませているギャスパーをやや強引に下がらせる。

 警戒するのも無理は無い。声を発したのは紛れも無くマタドールであったからだ。

 マタドールは仰向けの体勢からどういった原理か音も無く立ち上がる。

 

「先程の技は効いた。体の波長も狂わせるのか少し動けなかった」

 

 立ち上がったマタドールの姿は、一言で言えば無惨であった。

 体には拳大の穴がいくつも開いており、そこから向こう側の景色が見える。左腕は殆ど千切れかけており、力無く揺れているもののその状態でもカポーテを指先に引っ掛ける様にして持っていることに執念染みたものを感じる。両脚も抉られた部分が目立ち、立っていられるのが不思議に思えてくる。顔の左頬骨辺りも魔弾によって削られており眼窩と繋がって顔に大きな穴が開いている様に見えた。

 満身創痍の姿。唯一無事な部位は剣を持つ右腕ぐらいである。

 

「――くく、くははは……はははははははははははは!」

 

 いきなりの哄笑。激しく笑うマタドールに後ろにいるギャスパーが飛び上がる様にして驚く。

 

「そうか……そういうことか……成程……」

 

 一人ぶつぶつと呟き何やら納得している。前の姿も十分不気味であったが、その不気味さは今一層上がっている。

 

「今になって漸く理解した。この胸の奥に渦巻く感情――羨望と堪えがたい程の嫉妬、貴公とは今日が初対面の筈だが間違いない」

 

 射貫く様な眼差しがシンに向けられる。

 

「この『敗北感』! 分かる、分かるぞ! 私は貴公に『負けた』ことがある! 自分でも可笑しいことを口走っていると思っている! だが紛れも無いことだ! 私は負けた! それもただの敗北ではない! この魂が覚えている! 死という唯一無二の『完敗』を!」

 

 今までに無い程感情を剥き出しにして叫ぶマタドール。

 

「あ、あの人は何を言っているんですか?」

「――さあな」

 

 狂人の戯言と切って捨てればそれまでであったが、シンはそれを否定しなかった。何故ならばシンもまたマタドールに対し、会ったことがあるという既視感を覚えていたからだ。

 

「まさか、まさかこのようなことが起こるとは……」

 

 マタドールがボロボロの体で構える。だがその構えは今までに見たものでは無い。

 剣を持つ右手と突き出す様に構え、カポーテを持つ左手ごと左半身を一歩下げるという最初の構えを逆にしたものであった。

 

「分かる、分かるぞ! あのとき何故私が貴公を刺したのかが! 今なら理解できる! 私は貴公に勝ちたかったのだ! 心の底から! 敗北を濯ぐには勝利しかない。だが死という完敗に二度目の機会は無い――そう思っていた。だが! まさか! そのあり得ることの無い二度目が訪れようとは! これに滾らずして何が戦士か! 失われた誇りを取り戻すことに燃えずして何が『闘牛士〈マタドール〉』か!」

 

 その言葉の通り周囲一帯を燃やし尽くすのではないかと思える程の魔力が、マタドールを中心にして吹き荒れる。満身創痍とは思えない程の魔力と覇気。密度と量が最初に会ったときの比ではない。

 

「この一撃にて貴公を葬ろう! 死と血と勝利によって研鑽された私の技を以って! 受け取り給え! これが貴公へ送る最大の敬意だ!」

 

 吹き荒れるマタドールの真紅の魔力が剣に集っていく。気合いを込めた叫びと共に膨大な量の魔力が一点に収束していく様は悪寒しかしない。シンも似た様な技を持っているが、これはそれの比較にならない程、桁が違う。

 全力で戦った。それ相応に善戦した。だがそれでもマタドールを倒すには至らなかった。

 『死』、それを明確に意識したのはこれが初めてかもしれない。

 

「血の――!」

 

 目の前に顕現する暴力。圧倒的な力。確実なる死。間も無くして自分たちの命が失われる。――そう思っていた筈なのにこのときシンはマタドールから視線を外し、何故か空を見上げた。

 見上げた後に、自分でも何故この様な真似をしているのか分からない。空を見上げてもあるのは星々。その中でも一際大きく黄金に輝く星が見える。

 生きるか死ぬかの瀬戸際であるまじき行為。だが相対するマタドールはそれを咎めなかった。

 何故ならばマタドールもまたシンと同じように空を見上げている。

 彼だけではない。この場に居ないが離れた場所にいるヴァーリや一誠、サーゼクスなどの上位者たちもまた空を見上げている。

 

「この期に及んで私の邪魔をするか! 走狗ども!」

 

 剣を構えたまま、マタドールは怒りの言葉を空目掛けて吐き捨てた。

 

 

 ◇

 

 

 極限まで高まった魔力が見る見るうちに萎んでいく。相手から唐突に戦意が失われていくことに対し一誠は疑問を持たなかった。正確に言えば疑問を持つ余裕が無かった。

 上空に光る黄金の光。それから目を離すことが出来なかったのだ。

 

『長く見るな、相棒。あの光は悪魔にとって猛毒以上だ』

 

 ドライグからの警告。

 

「あれが何なのか知っているのか?」

『ああ、あれは『神矢』の光だ』

「『神矢』?」

 

 初めて聞く単語に戸惑う声を漏らしつつふらつきながらも立ち上がる。するとそこにヴァーリとアルビオンの会話が聞こえてきた。

 

『目立ち過ぎたな、ヴァーリ。これ以上暴れると『騎士』どもが介入してくるぞ』

「それはそれで面白いな」

「面白くないっての」

 

 突如として現れた新たな声。その声の主は一誠が気付かぬ内にヴァーリの隣に立ち、その肩に手を置いていた。

 歳はヴァーリと差ほど変わらない。短く切り揃えた髪に整った顔は他者に爽やかな印象を与え、同時にその身に纏う中華風の鎧一式が相反する様に威圧感を放っていた。

 

「美候か。何をしに来た?」

「酷い言い草だぜぃ。迎えに来たって以外に何があるっての? ていうかヴァーリ、お前の役目はカテレアの暗殺の監察兼手助けだろう? それなのに派手に暴れて……」

「そんなつもりは無かったんだがな」

「こんだけ結界をバリバリにしておいてよく言うぜぃ。まあ、そのお陰で入り易かったんだがねぃ。で、カテレアがしくった以上もう役目も終わりだ、一緒に帰ろうや。本部で別の仕事が待ってるぜぃ」

「もうそんな時間なのか……」

「でなきゃこいつもうるさいしな」

 

 自分を親指で差す美候と呼ばれた青年。すると美候の肩側から顔を覗かせる存在がいた。今まで美候の背中にしがみ付いていたらしい。

 

「ヒーホー! こんなつまらないことに何時までも時間を割いているんじゃないホ! そんな暇があるならオレ様と戦えホ!」

「おーおー、耳元で叫ぶんじゃないぜぃ」

 

 顔を覗かせたのは紫色の二股に分かれた帽子を被り、同色の前掛けをした黒い肌に赤い目をした一誠にとって記憶にある存在と酷似した姿をしている。

 

「ジャック、フロスト?」

「あ゛あ゛ーんだホ!」

 

 そう呼ばれたことが気に食わないのか、愛らしい顔から想像出来ない程ドスを効かせた声が発せられる。

 円らな瞳をこれでもかと吊り上げながら一誠を睨み付ける黒いジャックフロスト。しかし、そこへ間が悪いというべきか、ある存在が偶然一誠の言葉を耳にしてしまっていた。

 

「ジャックフロストだってホ!」

 

 今までヴァーリの影響で倒れていたジャックフロストが勢い良く起き上がり、美候の方を見る。そこに居た自分と同じ姿の存在を見つけると目に涙を浮かびながら走り出した。

 

「ヒーホー! オイラ以外のジャックフロストだホ!」

「あ! だ、駄目よ!」

 

 敵に不要に走り寄っていくジャックフロストを見てリアスが慌てて止めようとするが、その制止を聞かずに全速力で駆けていく。

 

「お! あれってお前の同族じゃあねぃか?」

 

 駆け寄るジャックフロストを見て、美候は珍しいものを見た様な表情をしながら背後にいる黒いジャックフロストに話し掛ける。

 黒いジャックフロストは無言で美候の背から降りると駆け寄ってくるジャックフロストの前に立ち――

 

「ヒーホー! ヒーボッ!」

「近寄るんじゃないホ!」

 

 ――右のストレートで迎え打った。

 

「ヒホホホホホ!」

 

 顔の中心を殴られたジャックフロストは、悲鳴を上げながら駆け寄ったときと同じ速度で後ろへと転がっていき、元居た場所まで殴り飛ばされ、そのまま気絶してしまった。

 

 

「ひでぇことするねぃ。お前のお仲間だろぅ?」

「ふんだホ! 弱っちぃジャックフロストなんかと仲間じゃないんだホ! オレ様はサイキョーでサイコーなジャアクフロストだホ!」

 

 ジャアクフロストと名乗った黒いジャックフロストはそのままビシリと一誠の方を指さした。

 

「おい! 赤龍帝!」

「な、何だよ」

「少しばかりヴァーリに傷を付けたくらいでライバル面するんじゃないホ! ヴァーリの永遠のライバルはこのオレ様だホ! たまたま『赤龍帝の籠手』を宿した奴なんてお呼びじゃないホー!」

「なっ! こ、この野郎! いきなり出てきて何だ! それとそっちのお前も誰なんだ!」

 

 面と向かって邪魔者扱いされたことに絶句しかけるが、何とか言葉を紡ぎつつ突然現れた美候と呼ばれた青年のことを問い質す。

 

「俺っちのことかい? 美候ってんだ。よろしくな、赤龍帝」

「お、おう」

 

 思いの外爽やかに挨拶され戸惑いながら返答する一誠。一方でリアスの方は美候の自己紹介を聞き、険しい顔つきとなる。

 

「びこう? 美猴?……それにその姿――もしかして」

「博識だねぃ。だけど生憎だが、想像しているのとはちょっと違うぜぃ。ま、闘戦勝仏の血は引いているけどねぃ」

「やっぱり……!」

 

 戦慄するリアスであったが、話についていけない一誠は見て分かる様な程疑問符を浮かべている。それを見兼ねたのか、美候の方から分かり易い説明をされた。

 

「ま、簡単に言えば西遊記の孫悟空の末裔ってことだぜぃ」

「そ、そん、孫悟空だって!」

 

 知らぬ者は殆どいないであろう存在の名を出され思わず叫びながら驚く。そして、そんな人材までもが集まっている『禍の団』に更なる脅威を覚えた。

 

「まあ、挨拶はここまでってことでそろそろお暇するぜぃ、ヴァーリ」

「――少しもの足りないんだが」

 

 美候は棍を手元に出現させるとそれをくるりと回して、ヴァーリの頭を軽く小突く。

 

「我儘言うんじゃないぜぃ」

「そうだホ! こんなヤツほっとくんだホ! そしてオレ様と勝負するんだホ!」

「お前はうるさいぜぃ」

 

 返す刀でジャアクフロストの頭も軽く叩く。そして、そのまま手の中で器用に回すと地面に棍を突き立てた。

 棍を中心にして地面が黒い闇に覆われていき、その闇の中にいるヴァーリたちの体が闇に沈んでいく。

 

「待て! 逃げるのか!」

 

 思わず叫ぶ一誠。

 

「逃げる? 勘違いするなよ、赤龍帝。君たちが見逃されるんだ」

 

 ヴァーリの拳が一瞬霞む。軌跡の残像すら見ることが出来なかった程の瞬速。刹那、割れる様な音と共に一誠の手甲が剥がれ落ち、その下に収まっていたリングも砕ける。

 砕けたリングが地に落ち、崩れ去る。禁手化を補助する為のリングが壊れたことで一誠の体は閃光を放つと、鎧が消え、禁手化が解除された生身の姿が現れる。

 

「やろうと思えばいつでも出来た」

「なっ!」

「だがしなかった。つまらないだろう? それじゃあ」

 

 突き付けられた事実に、一誠は今まで味わったことが無い程の敗北感を覚え言葉が出なくなってしまう。

 

「いずれは再び戦うことになるだろうが、次に戦うときはそんな玩具など使わずに同じ段階で戦えることを期待している。強くなれ、赤龍帝。俺を昂らせるぐらいに」

 

 それだけ言うとヴァーリたちは完全に闇の中へと消える。ヴァーリたちの姿が無くなると同時に地面に広がっていた闇も消え去った。

 

「……チクショウ」

 

 絞り出す様に出てきたのは悔しさに満ちた言葉。

 立ち尽くす一誠にリアスは掛ける言葉が見つからず、ただ悔しさに震える背を見ていることしか出来なかった。

 

 

 ◇

 

 

 天に向かって怒声を浴びせるマタドールであったが、間も無くして構えを解き、その全身から放たれる魔力と殺気が薄れる。戦闘態勢を解いた様に見える。

 

「……至極残念だが今宵はここまでだ。このままでは私の敵があの走狗どもの餌になってしまう」

 

 心底不満気であるといった様子のマタドールであったが、シンたちからすれば思ってもいないことであった。

 マタドールの言葉に偽りが無ければ生き延びたことになる。

 

「ならば早々に去って頂けるかな?」

 

 空から聞こえてくる声。羽ばたきの音ともにシンたちとマタドールの間に降り立ったのはサーゼクスであった。

 

「――久しいな、サーゼクス。我が好敵手〈とも〉よ」

「久しぶりだ。――随分と派手にやられたみたいだ」

「戦士の箔が付いただろう?」

 

 顔見知りらしい両者の会話。言葉だけ聞いていれば友人同士の会話の様であったが、二人の間で渦巻く濃い密度の殺気と魔力がそれを否定する。

 

「君は変わらないな」

「貴公は少し変わったな。貫禄が付き、雰囲気が前よりも丸みを感じる。まあ、嫌いではないが好みの感じではないな」

「そうかな? 自覚はないな」

 

 会話しつつもサーゼクスの周囲にはいくつもの真紅の光球が浮かび、それらが衛星の様に動いている。いつでも戦いに入れる構えであった。と同時にサーゼクスは視線を至る所に向ける。それはマタドール以外の何かを探している様であったが、すぐに視線をマタドールに戻してしまった。

 

「それでどうするんだい? あれの介入覚悟でこのまま戦うか?」

「今宵はもう終わりだ。これ以上戦うつもりはないさ」

 

 そう言うとマタドールの姿が消える。と同時にシンとサーゼクスの視線は旧校舎の方に向けられた。

 旧校舎の屋上、月を背景にマタドールが立っている。

 

「今日は中々有意義な戦いであった、決着を付けられなかったことが少々心残りではあるが、それは次の楽しみにとっておこう」

 

 するとマタドールの視線がギャスパーの方に向けられ、見られたギャスパーは反射的にシンの背後に隠れる。

 

「貴女の神器には苦しめられた。出来れば名前をお聞かせ願えるかな? ハーフヴァンパイアのセニョリータ〈お嬢さん〉」

「あ、あの僕、男なんですが……」

「――それは失礼。訂正させてもらう。では、改めてお聞かせ願えるかな? ハーフヴァンパイアのセニョール」

 

 声に動揺を一切出さなかったことは流石であるが、困惑を完全に隠し切れなかったらしく話すまでに一瞬間があった。

 

「ギャ、ギャスパー・ヴラディです……」

 

 律儀に名乗るギャスパー。ただし消え入りそうな声であった。

 

「ギャスパー、その名前しかと刻ませて貰った。では――」

 

 マタドールがこちらに背を向けた――かと思えば首を回し、視線だけをこちらに向ける。

 

「ああ、忘れていた。私にここまで傷を負わせた褒美、という訳ではないが私から貴公に魔人としての名を送ろう」

 

 そこで一旦言葉が切れる。

 

「『人修羅』」

 

 その名を聞いたときシンの心臓が今まで聞いたことが無い程、大きな鼓動音を鳴らす。初めて聞く言葉。だというのに何処かで聞いたことのある名。懐かしさすら感じる。

 

「きっと貴公に相応しい名だ。人修羅、そしてギャスパー、覚えておいてくれたまえ、貴公らの命は私が必ず頂く。次に会う日を楽しみにしている」

 

 そう言い残し、マタドールの姿は完全に消え失せてしまった。

 人修羅。その言葉を頭の中で反芻するシンであったが、そこであることに気付いてしまった。

 マタドールが、よりにもよってサーゼクスの前で堂々と、シンのことを魔人と呼んだことである。

 サーゼクス個人が魔人のことをどう思っているかは知らないが、魔人という存在自体、三勢力にとっては厄介極まりないもの。悪魔全体のことを考える魔王という立場であるならば、早々に葬りたい存在には違いない。

 もし仮にサーゼクスに殺す気があるのであれば、今の状態では瞬きする暇も無く殺されるであろうという確信がシンにはあった。尤も万全の状態であっても結果は然程変わらないであろうが。

 

「あの――」

「おーい……喋っているのは構わないが……こっちの心配もしてくれー」

 

 シンが何かを言う前に割って入る声。アザゼルの声である。

 仰向けの体勢のまま腕を上げ、こちらに向けてひらひらと振っている。

 

「おや? アザゼルともあろう者がここまでやられているとは」

「うるせー、生きているだけ大したもんだと思えー……あー、頭いてぇー」

 

 サーゼクスがシンの肩に手を置く。

 

「もう敵は居ない。だから今は休みなさい。色々と言いたいことがあるだろうと思うがね。――それにしても無茶をするな、君は」

 

 裂けている頬を見ながらサーゼクスは苦笑する。

 そう言うとサーゼクスはアザゼルの方へ歩いていく。

 離れていくサーゼクスの背を見て、こちらの心情を見透かして気を遣われたのが分かった。

 

「本当に、本当に終わったんですよね……?」

 

 戦いが終わったことに実感が無いのか、不安そうな声でギャスパーが聞いてくる。

 

「ああ、終わった。生き延びたんだ、俺たちは」

 

 その言葉に緊張の糸が完全に切れたのか、崩れ落ちる様に地面に座り込む。初めての実戦がこれだと考えると無理も無いことであった。

 

「良かった……本当に良かったよぉぉぉ!」

 

 座り込んだまま泣き出す。今までの怯えからくる涙ではなく、歓喜からくる涙であろうとシンはこのとき思っていた。

 

「僕、ずっと役立たずだったから、と、と、取り返しのつかないことをして間薙先輩の足を引っ張ってばかりだったから! よ、良かった! 先輩が生きていてくれて、本当に良かったぁぁぁぁぁ!」

 

 シンは気付く。この涙が、ギャスパー自身が助かったことではなく、シン自身が生きていた為のものであったことに。

 恐らく旧校舎内でシンに誤って神器を使ってしまったときからこの気持ちを抱えていたのであろう。だからこそ、あのときマタドールとの戦いに参戦したのであろう。

 シンは座り込むギャスパーに手を差し伸べる。

 

「お前がいてくれたから俺は生き延びられたんだ」

「僕が、居たから?」

「ああ、お前の能力〈チカラ〉があったからこそ助かった。言った通り切り札はお前だったな」

 

 一度言った言葉を今度は真っ直ぐ目を合わせながらもう一度ギャスパーへ送る。

 

「ありがとう」

 

 一度言われた言葉。だがあのときは自分の不甲斐無さから受け取ることが出来なかった。だが二度目に言われた言葉は自分の心の中にすっと入ってくる。

 ずっと嫌ってきた能力〈チカラ〉だった。そのせいで恐れられてきた、忌み嫌われてきた。こんなもの無くなってしまえばいいと何度も考えてきた。

 だから初めてなのかもしれない、自分の能力〈チカラ〉があって本当に良かったと心の底から思ったことは。

 

「あ、ありがとうございます! うぅ、うう……僕の能力〈チカラ〉にありがとうと言ってくれて、ありがとうございます……!」

 

 涙でグチャグチャになった顔で差し伸べられた手を掴む。掴んだ手の先にあるシンの顔は涙で滲んでいるが、ギャスパーには微かに笑みを浮かべているように見えた。

 

 

 ◇

 

 

 生命が存在しない遥か高度。光源も無く、唯一頭上から降り注ぐ月と星の輝きだけが夜の闇を照らしている。本来ならば。

 闇一色で染まっている筈の世界を黄金色で塗り替える例外が今まさに起こっていた。

 足場も何も無い場所で立たずむ影。あり得ないことにそれは人と馬の形をしていた。

 夜の闇をそのまま仕立てた様な艶の無い黒のローブで足先から頭部まで完全に覆っている。そしてその頭上には纏う黒とは対極とも言える金の王冠を被っている。

 唯一ローブから覗かせているのは顔面のみ。しかし、その顔に目も鼻も口も無い。肉を全て削ぎ落した骸骨の顔であった。

 跨る馬もまた異形としか呼べないものであり、体形は普通で白い体色。だが、鬣によって目が隠されているが、その代わりと言わんばかりに全身には無数の目。どれもが別々に動き時折瞬きをする。

 そんな異形の馬に跨った骸骨はその上で弓を構えていた。

 手甲で覆った手に網目の装飾がされたグリップを持ち、それに矢を番え、その矢先を足元に向けている。

 弓に特徴らしい特徴は無い。問題は番えている矢の方であった。

 太陽の輝きを矢という形に押し込めたかと錯覚するほどの眩い光。あまりの輝きに矢の形がはっきりと分からない。黒に染まる世界を黄金の光で一変させるそれは、さながら『神』の威光であった。

 足元に狙いを定めた骸骨。番えた矢を引き、張った弦によって弓が微かに軋む。

 限界まで引いたそれを解き放つ――

 

 ――そこまでだ。弓矢を仕舞え、ホワイトライダー。

 

 ――直前、何もない空間に響く声。抑揚のない何処までも平坦な声であった。

 制止された骸骨――ホワイトライダーは舌打ちをして苛立ちを表す。

 

「あの馬鹿共をのさばらせて何になるっ! 俺たちが黙っていれば調子に乗るだけだっ! ここで一掃した方が奴らも思い知ることになるっ!」

 

 その見た目からは想像が出来ない程、血気盛んかつ乱暴な口調であった。

 見えざる相手に噛み付く様に話すホワイトライダー。するとまた声が響く。その声は先程の声とは異なる人物のものであった。

 

 ヒッヒッヒッヒッ。血の気が多いのぉー、白いの。その白骨の体のどこに余分な血が蓄えられているのやら。

 

 しわがれた老人の声でホワイトライダーをからかう。

 

「黙れっ! 赤騎士っ! 己の使命に忠実であることの何がおかしいっ!」

 

 そなたの……熱心さは……誰もが知るところ……激情という渇きは……衝動でしか潤せない……引きたければ引くがよい……だが……それを引いた時点で……我らの使命に……汚点がつく。

 

 老人とも老婆とも判別つかない渇いた声。水を死ぬ直前まで飲まなかった者、あるいは飢餓で死を迎えようとする者の最期に発する声はこのようなものかもしれない。

 

「回りくどいぞっ! はっきりと言えっ! 黒騎士!」

 

 お前が矢を向けた時点で全ての勢力は戦う意思を失っている。既に人間が害を受ける危険は無くなった。私たちの役目はそこで終わりだ。これ以上は過干渉だ。

 

「今は良くてもまた事を起こすぞっ! 奴らはっ!」

 

 お前と言い争うつもりは無い。もう一度言う。弓矢を仕舞え。

 

 一切感情に揺れない声からの命令。暫しホワイトライダーは沈黙を続けていたが、やがて番えていた矢から輝きが失せ、何の変哲も無い矢に戻る。そしてそれを背負っていた矢筒の中に入れた。

 

「――今度似た様なことが起きれば俺は躊躇なく射るぞっ! 蒼騎士っ!」

 

 そのときが来れば、な。

 

 ホワイトライダーは足元にいる者たちに向け舌打ちを一つすると馬の手綱を引く。

 馬は嘶いてその場で立ち上がると夜の闇に向かって蹄音を響き渡らせながら駆け出していった。

 

「せいぜいこの『揺り籠』の中で心身を休ませておけっ! いつの日か俺たちと相見えるそのときまでなっ! 人修羅っ!」

 

 彼らは互いにいがみ合い敵対する魔人の中で、唯一集団で行動する。

 それぞれが地上の人間の四分の一を殺害する絶対的権威を持つ代償として、来るべき日まで人々を守護する使命を授かった者たち。

 白騎士、赤騎士、黒騎士、蒼騎士。総じて『黙示録の四騎士』とそう彼らは呼ばれている。

 

 

 ◇

 

 

「……にしても……だったな」

「無理も無い……魔王相手……上出来だ」

「このデータを……そして……」

「だいそうじょう殿……かな? 彼に会わなく……」

「一目……十分……挨拶はまたの……だ」

 

 何やら遠くから声が聞こえてくる。もう開かないと思っていた瞼が自然に開いてきた。

 最初に目に入ったのは空に浮かぶ月と星であった。

 空を見上げたまま身を起こし、周囲を見渡す。

 そこは明らかに駒王学園ではなく、何処かのビルの屋上であった。

 更にそこには見覚えがある人物たちも居る。

 

「ああ、目が覚めたか」

 

 雑談をしていた一人が気配を察して話し掛けてくる。

 

「貴方は……私は……何故生きて?」

 

 マタドールによって刺殺された筈のカテレアが、自分の置かれた状況を理解出来ていない様子で呟く。

 思わず胸に触れる。そこにある筈の刺し傷は痕も無く消えており、四肢の傷も同様であった。

 

「彼が態々連れて治癒してくれたんだ」

 

 漢服を羽織った青年は隣に浮かんでいるだいそうじょうを指さす。

 

「また助けられるとは……」

「気にするな」

 

 カテレアに対し目線を向けずそっけない態度をとるだいそうじょう。

 

「――そして、貴方たちも私を助けてくれるなんて……私たちには非協力的だと思っていましたが……」

 

 その言葉に漢服の青年は微笑を浮かべる。

 

「折角の力だ。勿体ないだろう?」

「――借りが出来ましたね」

「ましてや『オーフィス』の力をみすみす消滅させるなんて」

「――え?」

 

 嚙み合わない会話。そのとき背後に誰かの気配を感じた。急いで振り向こうとするカテレアであったが、振り向くよりも先に背中に何かが突き進んでくる。

 

「こ、これは!」

 

 喀血しながらカテレアが振り返った先にいたのは黒のスーツと同色の山高帽、そして同じく黒の翼を生やした堕天使が悪魔にとって猛毒である光によって形成された槍を刺している姿。

 

「まさかこの様な日が来るとな」

 

 口の端を歪め、見下す様な笑みを浮かべる堕天使――ドーナシーク。一介の堕天使に過ぎない者が、元とはいえ魔王を名乗っていた者に苦痛を与えているという状況が、加虐的な喜びを彼に与えていた。

 

「だ、堕天使如きが!」

 

 青黒い魔力が火花の如くカテレアの全身から迸る。

 

「ふん」

 

 しかし、ドーナシークはそんなカテレアを冷笑し刺している光の槍を更に深く刺し込んだ。

 

「ああっ!」

 

 カテレアは喉を震わしながら苦し気な声を上げる。魔力を練り上げる集中力も光が生み出す激痛によって妨げられ、四方へと散っていく。

 

「堕天使如きか――魔王崩れがほざいてくれる」

 

 ドーナシークが光の槍を押し込むと背から入った槍が胸元を突き破り、その先端をカテレアの眼前に現した。

 カテレアを貫き血が滴る光の槍の先端に血だけではなく巻き付く黒い蛇。カテレアが呑み込んだオーフィスの力の一部である。

 それを見つけたドーナシークは素早く槍を抜き取る。カテレアが呻くがそんな些細なことなど気になど留めない。

 突き刺した光の槍を手前に持っていく。巻き付いている黒い蛇を指先で摘まむと、血の滴るそれを躊躇うことなく呑み込んだ。

 直後、ドーナシークの全身から先程とは比べものにならない程の力が放たれ、その余波で彼を中心にして亀裂が屋上に生じる。

 

「――素晴らしい! 何だこの溢れる程の力は! これがオーフィスの加護なのか! 上位の堕天使たち、いや、アザゼル様たちに迫る程の力だ!」

 

 自分の身に起きた異常に、信じられないといった表情と歓喜の表情を入り交えた顔をする。

 力を爆発的に上昇させたドーナシークとは反対に、オーフィスの力を奪われたカテレアからは一気に力が消失していった。

 

「この、為に、私を生き返らせっ! あのときの、覚悟に、泥を――」

「それも理由だが、もう一つ別の理由もある」

 

 漢服の青年は瀕死のカテレアに歩み寄り、屈んで目線を合わせる。

 

「今回の件の失敗でどれほどの被害が生じたか理解しているかな? カテレア殿」

 

 微笑を消し、漢服の青年は今にも輝きが消えそうなカテレアの瞳を覗き込む。

 

「人材というのは金や資源では埋められないんだ。それ相応の年月がいる。ましてや魔術を扱う人間を育てたりスカウトしたりする手間と時間を考えれば眩暈がしそうだ。そんな貴重なものが無駄に散った」

 

 漢服の青年は立ち上がるとカテレアを見下ろす。

 

「貴女には責任をとる義務がある。だから死を以って償ってもらう――だが尊厳ある死や誇りを貫いた死など認めない、それだと罰にならない」

 

 青年はカテレアに背を向けた。

 

「落ちぶれた魔王が堕ちた天使に滅せられるのは中々皮肉が効いていると思わないかな?」

「曹、操……!」

 

 漢服の青年の名を怨嗟を込めた声で呼ぶカテレアの背後で、ドーナシークは掌では収まりつかない程の光球を生み出していた。

 

「さようなら。名を取り戻せなかった魔王よ。安心してくれ、せめて貴女の同胞だけにはカテレア殿は名誉の戦死を遂げた、と伝えておく」

 

 曹操の別れの言葉と共にドーナシークはカテレアに向け、その手を振り下ろした。

 周囲を白く染め上げる閃光。それが消えるとカテレアの存在は消え去っていた。唯一屋上に残った人型の黒い焦げ跡だけが彼女がここにいたという名残りであった。

 

「どさくさに紛れたとはいえ、そろそろカテレア殿が居ないことに気付くだろう。さっさと退散するとしよう」

「少し遅かったな」

「おや?」

 

 曹操も何かに気付いたらしく視線を上げる。

 そんな曹操を守る様に側にジークとゲオルクが立つ。他の者たちも既にそれぞれ構えて戦いをいつでも始められる状態となっていた。

 

「まさかこの私が気付かないなどと楽観的な考えをしていた訳ではあるまいな?」

「笑止。汝如きに気付かれたところでどうにでもなると思っていたまでのこと」

 

 音も無く現れたマタドールにだいそうじょうが敵意を以って応じる。

 二体の魔人が相見えた瞬間、初夏の熱を帯び始めた夜の空気はさながら極寒の冷たさに変り、場の空気が一気に重苦しいものとなった。

 常人ならば漂う気だけで卒倒しかねない状況。しかし、曹操と並ぶ者たちは敵意を込めて睨み付ける者、興味深そうに眺める者、好戦的な笑みを浮かべる者と、怯む者も脅える者も居ない。

 

「元より見下げ果てた奴であると思っていたがまさか戦士の魂すら凌辱するとは、どうやら恥という言葉を知らぬらしい」

「それは汝のことではないかえ? 自分の煩悩に従い無意味な殺生を繰り返す。正気の沙汰では無いのう。尤も狂人に最初から正気を望むことの方が阿呆というものじゃが」

 

 隠そうとはしない相手への嫌悪。同じ見た目を持つ者同士であるが、根本から合わない。

 侮辱の言葉を投げ掛ける度に殺意が膨れ上がっていき、ビルの屋上がそれだけで異界と化していく。

 傍から見ればただの謗り合いであるが、言い合う者たちが死を振り撒く存在であるだけに、誰も口を挟むことが出来ず静観するしか無かった――ただ一人を除いて。

 曹操が一歩前に出る。そして、マタドールに向かって左掌に右拳を当てながら頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります。俺がこの者たちを率いている者、本名は明かせませんが曹操と名乗らせて貰っています。マタドール殿の高名はかねがね伺っております」

「誰かとは違い礼儀を知っている者がいたか。高名か、フフフ、悪名の間違いではないかね? ――しかし、曹操とは随分大層な名を名乗っている」

「ええ、それに恥じないよう精進する毎日です」

「結構なことだ」

 

 魔人に対し気後れするどころか対等に喋り合う曹操。この時点で並外れた胆力の持ち主であることが伺える。

 

「貴方とはこうして一度話をしてみたいと思っていました」

「そうか――だがいいのかな? 見た所、貴公らは『禍の団』。私はそれに属する者たちを殺めたぞ? それも今回が初めてという訳ではない」

「重々承知していますよ。確かに貴重な戦力を削いだ貴方は俺たちの敵と言っていい。だが同時にその力に魅力も感じます」

 

 その言葉に含まれるものを敏感に感じ取ったゲオルクが次に曹操が何を言うのかを察し、その背中に向け『本気か?』という意思を込めた視線を送る。

 曹操もそれを感じ取っていたが、躊躇うことなくその台詞を言った。

 

「もし良ければ我々と手を組んでは頂けませんか?」

「ほう?」

 

 魔人に対し仲間にならないかと誘う曹操。彼と比較的付き合いの長い者たちは『またか』という表情をしていたが、逆に浅いフリードやドーナシークはその言葉に目を見開いていた。

 

「如何かな?」

「ふふふ、ははははははは! 随分と大胆なことを言う! 貴公の度胸には敬服する!――が、断る。貴公と並び立つのも面白いがそれよりも相対することの方が魅力を感じる」

 

 曹操を気に入るが提案はすぐに断り、改めて敵対する意思を見せるマタドール。それに対し曹操は後ろに立つ仲間に肩を竦めて見せた。

 

「断わられてしまった」

「当たり前だ」

 

 ゲオルクが呆れた表情をしながら言う。

 

「ならもうここには用は無いな。マタドール殿、我々は帰らせてもらう」

「戦わないのか? 今の私は満身創痍だぞ?」

「その誘いには乗りませんよ。確かに今の貴方にならば勝てるかもしれない……だがきっと戦えば何人か犠牲が出るでしょうね――流石にそれは避けたい」

 

 すると曹操たちを包む様に霧が発生する。ゲオルクが持つ神滅具の霧である。

 

「それにしても十番目の魔人『人修羅』ですか、彼にも興味がある。一度話をしてみたいものだ」

「手出しは無用。あれは私の獲物だ」

「ふふふ、怖い怖い。では、いずれまた」

「ああ、その日を楽しみにしている」

 

 やがて曹操たちが完全に霧に包まれる。数秒も待たずして霧が消えると、そこに曹操たちの姿は無かった。

 何もせずに見送ったマタドールは、誰も居なくなった屋上で一人高らかに笑う。

 

「ああ、また一つ楽しみが出来た」

 

 

 ◇

 

 

 シンはいつもの様に駒王学園の校門を潜る。

 あれほどの激闘が在ったにも関わらず、戦闘の処理は完璧に行われており、校舎には戦いによって出来た傷が一切無い。

 あの時の戦いが幻であったかの様な徹底ぶりである。

 

「きれいになってるねー」

 

 ピクシーも似た様なことを思ったらしく感想を口にする。

 

「ヒホ……そうだホ……」

 

 いつも通りのピクシーとは違いジャックフロストの方には全く元気が無い。

 

「前よりもきれいに見えるねー」

「ヒホ……そうだホ……」

「ちゃんと聞いてる?」

「ヒホ……そうだホ……」

 

 完全に上の空といった様子。こうなった原因はシンもリアスから聞かされている。

 何でも折角の同胞を見つけたのはいいが、その同胞に酷い拒絶をされたらしく、今も深く傷付いているらしい。

 何度かシンもピクシーも慰めの言葉を掛けているが、効果は殆ど無く落ち込んだままであった。

 どうしたものかと考えていたとき、視界の端にあるものが目に入る。

 決して変なものという訳ではないが一つ置かれているといやに目立つ段ボール箱。それが校舎の入口から少し離れた場所にポツンと置いてあった。

 最近見慣れつつあるそれを見て、中に何が入っているのか大凡想像が付きながらもシンはその段ボール箱の近くに行く。

 すると段ボール箱がカサカサと動き出し、校舎裏に移動していく。人目に付くのが嫌なのだと思い、その後を大人しく追った。

 校舎裏に行くと日影となった場所に先程の段ボール箱が在った。近付くと今度は動く様子を見せない。

 シンは段ボール箱の縁を掴んで持ち上げた。

 

「何か用か? ギャスパー?」

「お、おおおはようございます! 先輩!」

「おはよ~う」

 

 中には想像していた通りギャスパーと何故かジャックランタンも入っていた。

 

「一体どうした?」

 

 日の光が嫌いでひきこもりのギャスパーが朝の、それも人が大勢いる学園に姿を見せたのだ。疑問を抱かずにはいられない。

 

「そ、そそれはランタン君が間薙先輩に話したいことがあるっていうから……」

「ヒ~ホ~ついでにギャスパ~の脱ひきこもりを兼ねてね~」

「ジャックランタンが?」

 

 ギャスパーから離れてフヨフヨと浮かびシンの前に立つ。

 

「色々とギャスパ~がお世話になったからね~お礼も兼ねてボクも君の仲魔になろうと思って~」

 

 その提案にジャックランタンではなくギャスパーの方を見る。既に聞かされていたのかギャスパーの方は驚いた様子は無かった。

 

「ランタン君が先輩の仲魔になっても僕とランタン君は友達のままですから」

「そういうこと~まあ、手を貸してくれる相手が増えたってぐらいに考えればいいよ~。ヒ~ホ~」

 

 双方納得しているのであれば、特に断る理由も見当たらない。

 

「じゃあ、よろしく頼む」

 

 シンがジャックランタンに手を差し出す。

 

「ヒ~ホ~。今後ともよろしく~」

 

 その手をジャックランタンの小さな手が握る。

 握った手からは微かではあるが、確かにある小さな熱が伝わってくるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 その日の放課後。オカルト研究部に向かう途中、シンはベンチに座る二人の人物を発見した。

 一人は一誠。もう一人はジャックフロスト。珍しい組み合わせである。

 声を掛けるよりも先にシンもまたそのベンチに腰掛ける。

 

「ああ、お前か」

「ヒホ……」

 

 座った人物を横目で見てシンだと分かった一誠。その声にはいつもの明るさは無く弱々しく感じる。一方のジャックフロストは朝と変わらず落ち込んでいる状態であった。

 

「珍しいな。そこまで落ち込んでいるなんて」

「俺だって落ち込むことぐらいあるさ……」

 

 そこで一誠はシンの顔を見て、一瞬悩む様な表情となるが意を決した様に口を開いた。

 

「実はな――」

 

 あの会談での戦いでヴァーリとどんな戦いがあったのかを語り出した。

 初めは圧倒されたものの何とか傷を負わすことが出来たが、本気を出してきたヴァーリには手も足も出ず、結局のところヴァーリの掌で踊らされていたことに過ぎなかったことを。

 全て言い終えると一誠は大きな溜息を吐いた。

 

「情けねぇ……」

 

 その言葉が今の一誠の中にある自分への評価なのであろう。手も足も出なかった自分に対しての不甲斐無さ。それが心に重く圧し掛かっている。

 

「なら次は勝てばいい」

「次は勝てばって……次に期待をするのってなんかこう甘い考えの様な……」

「現に次があるんだからいいさ。俺もお前も生き延びて次がある。負けたと思った分は勝ってきっちり返せばいい」

「そういうもんか?」

「落ち込んでばかりいないで先を考えて動くことだ」

 

 いまいち腑に落ちないといった顔をする一誠であったが、シンの方はいつまでも立ち止まっているなと暗に告げる。

 

「何か青春してんなー、お前ら」

 

 背後から一誠とシンの肩に手を回してくる。見上げるとそれはアザゼルであった。総督としての格好はしておらず、ネクタイを締めずシャツのボタンを何個か外して着崩すしたスーツ姿である。

 

「ど、どうしてここに!」

「当分こっちに滞在してお前と『僧侶』の神器の面倒見てやるよって言っただろう」

 

 アザゼルが言った通り、会談の帰り際にその様なことを言っていた。

 

「てなわけで今日から俺はオカルト研究部の顧問になったからよろしく。気軽にアザゼル先生とでも呼んでくれ」

 

 いきなりの発言に対しシンも一誠も固まるが、そんな中でジャックフロストがいきなりアザゼルに飛び掛かった。

 アザゼルはジャックフロストを反射的に掴む。

 

「ヒホー! アザゼル! オイラと会ったときオイラの仲間なんて知らないって言ったホ! でもヴァーリとオイラの仲間が一緒だったホ! ヴァーリが知っててアザゼルが知らないだなんておかしいホ!」

「悪かったな。確かにお前とそっくりなあいつのことは知っていたよ。だけどあいつは自分がジャックフロストだってのを絶対に認めなかった。正直、変に期待をさせるのを不味いと思ったんだよ」

「ヒホ……一体何者なんだホ?」

「さあな。詳しくは知らないがある日、ヴァーリが連れてきたんだよ。魔術師やハンターに襲われていた所を助けたらしい。何かそのせいでヴァーリの強さに憧れみたいなのを抱いているらしくてな。一方的にライバル宣言して、いっつもちょっかいを掛けていたな」

 

 ジャアクフロストの詳細を少し知ることができ、冷静になったのかアザゼルの手の中で暴れるのを止める。

 

「今度会ったらちゃんと話せるかホ?」

「さてね。それはあいつの気分とお前の粘り次第といったところかな?」

「ヒホ、分かったホ」

 

 ジャックフロストをベンチに戻すアザゼル。ジャックフロストによって出鼻が挫かれたが、一誠たちもアザゼルに質問し始めた。

 

「顧問ってどういうことですか?」

「セラフォルーの妹に頼んだらこの役職だ! まあ、俺には相応しいかもな」

「よく会長が了承しましたね」

「そりゃあサーゼクス経由のお願いだからな」

「それだけですか?」

「ちゃんと滞在する条件もある。一つは俺の知識を生かしてグレモリー眷属の未成熟な神器を正しく成長させる」

「もう一つは?」

「そいつの監察だ」

 

 アザゼルはシンを指差す。

 

「え! 何で間薙を……」

「実は分かっているんじゃないのか? 赤龍帝――いやイッセーでいいか? もしくはドライグが」

 

 その言葉に一誠の表情が固まるのを、シンもアザゼルも見逃さなかった。

 

「こいつが魔人だってこと」

 

 一誠が目に見えて動揺し、シンに対しこのままアザゼルを止めなくていいのかと尋ねる様な眼差しを向ける。

 一方正体について勝手にばらされたシンであったが、シンの方も一誠たちが知っているのではと考えていた為、アザゼルを止めず好きに喋らせる。

 

「少なくともドライグならこいつを一目見て気付いていた筈だ。何度も会ったことがあるだろうしな」

『……相棒に知らぬふりをさせていたのは俺だ。その男の詳細が分からない内は相棒の身に何が起こるか分からなかったからな』

「ドライグ!」

 

 アザゼルの言葉を認める発言。思わず一誠はシンの顔を見たが、シンの方はいつもの無表情のままで、特にショックを受けているという訳では無い。

 

「――気を遣わせていたかな?」

 

 寧ろこちら気遣う様な言葉すら掛けてくる。

 

「なんか悪ぃ……」

「気にするな。別に責められるようなことじゃない」

 

 隠し事をしていた後ろめたさから謝罪の言葉を口にするが、あっさりとシンはそれ許す。

 

「それで監察というと俺は今後何か調査されたりするんですか?」

「いや別に。今まで通りにしてくれればいい。――というか俺の監察ってのは正直アピールの様なものだからな」

「アピール?」

「サーゼクスの方は魔人に対してあれこれ干渉するつもりは無いし、お前の正体を広めるつもりも無い。だがもしお前の正体がばれたときの保険の様なもんだ。お前の立場が結構都合が良くてな。四大魔王を輩出したグレモリー家とシトリー家の協力者ってのを利用して魔王たちと俺が密かにお前の監視をしている――という設定にして他所が手を出せない様にしているという訳だ」

「それって部長も会長も知っているんですか?」

「いや、全く」

「俺は知らない方が良いと思う」

「何でだよ? せめて部長くらいには……」

 

 シンの言葉に不満そうな表情を見せる一誠。仲間に隠し事というのが本質的に受け入れ辛いのであろう。

 

「知ったら知ったで必要以上に俺のことを護ろうとするかもしれない。責任感が強いからな」

「あー、それは……」

 

 反論しないのは大いに納得出来るからである。

 

「まあ、言いたいことが山程あるかもしれないが一先ず部室に案内してくれ。他のメンバーにも話すことがあるからな」

「ああ、分かった――じゃなく分かりました。行きましょう」

 

 一応顧問という立場を思い出し、慌てて敬語に直す一誠。

 

「ヒホ? まじんって何ホー?」

「後で教えてやるからあんまり外で言うなよ、その言葉」

「分かったホ」

 

 ベンチから立ち上がりオカルト研究部がある旧校舎を目指す一行。前を歩くシンたちの背中を見ながら、アザゼルはサーゼクスに言われた本当の条件を思い出していた。

 

『魔人ではあるが彼の立場は非常に危うい。前に現れた九体の魔人と比べて彼の力はまだ弱い。恐怖や怒りを抱く者たちは彼を抹殺する為に動くだろう。欲望や野心を抱く者たちは彼の力を利用しようと動くだろう。――アザゼル、彼の力になってあげてくれ』

 

(自分らの都合でガキの人生を終わらすなんて正直見てらんねぇしな。まあ、いいさ。詰まらんことは何もかも全部こっちが背負ってやるよ。だからガキども、お前らは伸び伸びと生きな)

 

 

 

 

おまけ

「ところであの一つ目象ってあのマダって人の仲魔なんですか?」

「ああ、ギリメカラのことか? あれはあいつが昔知り合いから借りパクしたペットって話だ」

「あれを飼う奴がいるんですか?」

「かなり有名な奴だぞ『マーラ』っていう――おい。どうした、イッセー? 顔色が真っ青だぞ?」

「マ、マーラ……ご、ご立派……生暖かい……いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「お、おい! どうした! 『マーラ』と何かあったのか?」

「すいません。その言葉はこいつの前では禁句にして下さい」

「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

『相棒! 気をしっかり持て、相棒!』

 

 

 

 




これにて四巻の話は終わりです。アホみたいに時間を掛け過ぎましたね。
今更ですがメガテン側のキャラはペルソナなど他シリーズの技を使ったりしています。
技が一杯あった方が色々と書きやすいと思って。
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