ハイスクールD³   作:K/K

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冥界、防衛

『もうすぐ次元の壁を突破します。繰り返します。もうすぐ次元の壁を突破します』

 

 列車内に響き渡るアナウンスで、シンは閉じていた目を開く。

 同じ姿勢のままであった体を伸ばしながら目線を落とすと、あれほどはしゃいでいたピクシーたちが席で横になって眠っていた。アナウンスにも反応せず、寝息を立てている。

 

「あら、起きた?」

 

 シンが眠りから覚めたのに気付いてリアスが声を掛けてくる。上級悪魔で主という立場から、本来この列車の先頭車両が指定席であった筈だが、一誠たちの席に座っているのを見ると、どうやら独りでいるのが嫌であったらしい。

 

「うふふ。貴方たちの寝顔って可愛いのね」

 

 シンたちをからかうリアス。自分がどんな寝顔であったのかなど自分には分からない。可愛いと言われて別に不機嫌になることも無いが、逆に気分が良くなることも無い。

 

「そうですか?」

 

 照れ隠しという訳ではないが、言われたシンの反応は素っ気ないものであった。

 

「貴方も外を見てごらんなさい」

 

 リアスが窓の外を指差す。

 差された方に目を向けたシンの目に最初に飛び込んできたのは、夕と夜の境界がそのまま空を覆い尽した様な紫色の空であった。

 神秘的というべきか非現実的というべきか分からない、まず見ることの無いであろう空。青い空に見慣れた者にとっては激しい違和感を覚えるかもしれないが、それを見上げるシンはそれを淡々と見た後、視線を上から下に向ける。

 山があり、そこから無数の木々が生えている。大きな湖があり、そこから伸びる川があり、その川を下った先には民家と思わしき建物が密集している。

 

「ここから見える全ての土地がグレモリーの領地よ」

 

 誇らしげに言うリアス。

 

「え! そうなんですか!」

 

 一誠が大袈裟なぐらい大きな反応を示すと、リアスは嬉しそうに笑う。こういった直球かつ期待通りの反応を見せるのもリアスが一誠を好んでいる理由なのかもしれない、とシンは密かに思った。

 現に自分がさっきのリアスの言葉を聞いても目立った反応を見せず、

 

(それは凄い)

 

 そう心の中で思ったぐらいである。

 リアスの家のスケールの大きさを改めて思い知らされた一誠は、そのままリアスにグレモリーの領地はどれぐらいの広さなのかという質問をする。

 返ってきた答えは、日本の本州と同じ大きさというものであった。

 リアスが説明するには、冥界は地球とほぼ同じ大きさであるものの、そこに住む者たちの数が遥かに少なく、更に海も無い為土地が有り余っているらしい。

 説明を終えると、リアスが急に何か思いついた表情となる。

 

「すっかり忘れてた。イッセー、アーシア、ゼノヴィア。貴方たちにも領土を与えるから」

 

 領土と言われ一誠はギョッとした表情をするが、アーシアとゼノヴィアは元より無欲な性格な為かあまりピンとこない顔をしていた。

 

「りょ、領土ですか?」

「ええ。次期当主の眷属悪魔である貴方たちにはグレモリー眷属として領土に住むことが許されているわ。朱乃、祐斗、小猫、ギャスパーも自分の敷地を持っているのよ」

 

 するとリアスは何も無い場所から地図を出現させ、皆の前に広げる。地図にはいくつか赤く染められている部分があった。

 

「赤い所は既に手が入っているところだからダメだけど、それ以外の場所は大丈夫だから好きに指差してね。貴方たちに上げるから」

 

 気前の良い台詞で微笑む。

 一誠は広げられた地図を前にし、どうしたものかと頭を悩ませていた。十数年程しか生きていない者が、いきなり土地を貰えると言われれば無理も無い。大人ですらこうなるであろう。

 アーシアとゼノヴィアは、どうすればいいのかイマイチ理解していないようであり、一誠の動きを様子見ている。

 すると悩める一誠の脇から伸びる手。

 

「じゃあ、アタシここー」

「ヒホッ! ならオイラはここホー!」

「じゃあボクはここにするよ~。ヒ~ホ~」

 

 いつの間にか起きたピクシーたちが、リアスの地図を指差す。

 

「おい」

 

 はしゃぐ仲魔三人をシンは咎める。先程も言っていたが、リアスはあくまで眷属である一誠たちに土地を与えると言っていた。眷属どころか悪魔ですらない者たちが、貰える権利など当然――

 

「じゃあ、印を付けておくわね」

 

 ――無いものかと思われたが、あっさりとリアスは承諾してしまった。

 

「……部長?」

「どうかしたのかしら?」

 

 思わず声を掛けてしまう。

 

「さっきの話を聞く限り、別に俺達には領土を貰える権利なんて」

「大丈夫よ。貴方にも謝礼という意味も込めて領土を与えるつもりだったわ。色々と力を貸して貰ったから。ちゃんと話は通してあるわ、安心して」

 

 そんなことを言われてどう反応していいのか分からない。

 

「ああ、この子たちが指定した土地は一応貴方の名で登録しておくわね」

 

 見知らぬ土地に来て早数分。あっという間にシンは地主に成ってしまった。

 

 

 ◇

 

 

 列車が完全に停止し、アナウンスが目的地に着いたことを報せる。

 皆が荷物を持って出ようとする中、アザゼルとマダは席に座ったままであった。

 

「あれ? 二人は降りないんですか?」

「ああ、俺はこのままグレモリー領を抜けて魔王領に行く。サーゼクスたちにお呼ばれしているからな。終わったらグレモリーの本邸に向かう。後こいつは……」

 

 マダの方を顎で指す。するとマダから寝息が聞こえてきた。爆睡している様であった。

 

「これだからこのままこいつも連れてく。こいつだけグレモリー領に置いておくと、どんな悪さをするか分かったもんじゃないからな」

 

 マダについて詳細を知らない一同であるが、このとき何故かはっきりとそのイメージが頭に浮かび上がってくる。

 グレモリー領の酒屋を飲み潰すマダ。領内の女性に手当たり次第手を出すマダ。そして、悪びれた様子も無く豪快に笑うマダ。

 

「じゃあ、マダのことはよろしくね、アザゼル。くれぐれもお兄様たちに迷惑を掛けないようにね」

「わーってるよ」

 

 アザゼルにすんなりと従い、マダはこのまま残していくことにする。リアスの頼みを聞いて、起きない内に早く行けと言う代わりに手を振る。

 アザゼル、マダを抜いた一行がホームに降り立った瞬間、リアスの帰還を祝福する声が駅全体から上がった。その大きさは、同時に打ち上げられた花火の音が掻き消されてしまう程である。

 歓迎の声の大きさと人の量に圧倒されたギャスパーは、情けない声を出しながらフワフワ浮かぶジャックランタンを抱いて、その背に顔を隠す。

 

「ヒ、ヒィィィ……人がいっぱい……」

「人じゃなくて悪魔だけどね~」

 

 駅内を埋め尽くす程の人もとい悪魔たち。それどころか上空にも人間界では見たことが無い動物に跨って飛んでいる悪魔もいる。

 兵士、メイド、執事といった明らかに一般的ではない格好の者たち。よく見るとその中にシンも知っている顔の人物がいる。

 その人物は一歩前に出ると優美な動作で一礼する。それに合わせて他の者たちも頭を下げた。

 

「お嬢様、おかえりなさいませ。道中無事で何よりでございました」

「ええ。ただいま、グレイフィア。他の皆も元気そうで何よりだわ」

 

 リアスの里帰りを安堵するかの様に微笑を浮かべるグレイフィア。そして、その視線はシンたちに向けられる。

 

「皆様方もご無事で何よりです」

 

 そこで一瞬グレイフィアの視線が左右に動く。確認する様な動き、恐らくは聞かされていた人数よりも少ないことに気付いた様子であった。

 

「もう一人は、アザゼルと一緒にお兄様の所へ向かったわ。後で合流する予定よ」

「左様ですか。では皆様方、馬車を用意していますのでどうぞこちらへ。本邸までこれで移動します」

 

 すぐにグレイフィアの考えを察し、その答えを出すリアス。長い付き合いを感じさせるやりとりであった。

 グレイフィアに促されて馬車に乗る一同。

 数台ある馬車の内、先頭の馬車に一誠、リアス、グレイフィア、朱乃、アーシア、ゼノヴィアが乗り、二台目にシン、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、木場、小猫、ギャスパーが乗る。

 テレビかあるいは雑誌でしか見たことの無い馬車に実際に乗ってみたシンは、何とも落ち着かない気分であった。乗り心地が悪い訳ではない。ただ自動車、電車などに乗り慣れた現代人からくる認識の差の様なものである。

 そんなシンとは反対にピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンは列車のときみたく無垢な好奇心を発揮させ楽しんでいた。

 細かな揺れと蹄鉄の音。人の世では中々味わう機会の無い感覚を身で感じながら、緩やかに変わっていく窓の景色を見る。

 綺麗に舗装された道にはゴミ一つ落ちておらず、周りに植えられた木は見事に剪定され、整えられている。

 その徹底された綺麗さは、シンの目には非現実的にも見えた。

 人間の世界でこれ程までに清潔感を保つにはどれぐらいの労力が必要なのであろうか、とそんなことをぼんやり考えてしまう。

 

「ほら、あれが部長の家だよ。家は数あるけどあれが本邸なんだ」

 

 木場が窓を開け、そこから手を伸ばしてある点を指差す。指差す方に目を向けるとそこには家は無かった。正確に言えば家という表現は相応しくない。そこにあるのは城であったから。

 

「わー! おっきー!」

「ヒーホー! でっかいホー! オイラが王様になったらあれぐらいのが欲しいホー!」

「ヒ~ホ~。君には大き過ぎない~?」

 

 初めて見る城に喜ぶピクシーたち。それとは反対にギャスパーはあまり嬉しそうではない。

 

「うう……あんな大きくて広い所にこれから行くのか……きっとヒトがいっぱい待っているんだろうな……ヒィィィィィ……段ボール、段ボール箱が欲しい……」

「……ギャー君もいい加減段ボール離れをするべき」

「いやだぁぁぁ! 段ボールは僕の第二の故郷なんだぁぁぁ!」

 

 世にも情けない台詞を言いながら涙目になるギャスパーを見て、小猫とジャックランタンは口を揃えて言う。

 

『へたれ』

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁん! 小猫ちゃんとランタン君がいじめるぅぅぅぅ!」

 

 泣き叫びながら何故かシンの腕に抱きつくギャスパー。

 

「あははは。懐かれているね、間薙君」

「……まあな」

 

 邪険にする訳にもいかずされるがままのシン。それを木場が微笑ましく見ながら言った。

 城周辺にまで来ると、非現実的な光景がより非現実さを増す。

 見たことも無い種類の花が煌びやかに咲き誇り、職人が手間と時間を掛けて造ったと一目で分かる芸術品の様な噴水、その噴水の縁には色彩豊かな鳥たちが羽を休めている。

 凡人ならばそれだけで気圧される程に絢爛とした物が、当然の様に至る所に設置してある。

 馬車を降りると城までの道に赤いカーペットが敷かれ、その脇に執事とメイドが整列している。

 ここまで徹底して来るとシンは一種の滑稽さを感じ、逐一反応するのも馬鹿らしいと考え、目に映るもの全てを流す様にした。

 

「お嬢様、そして皆さま。どうぞお進み下さい」

 

 会釈しながらグレイフィアが先に行くよう促す。

 

「さあ、行くわよ。皆、付いてきて」

 

 リアスが赤いカーペットの上に一歩踏み出そうとしたとき、列の間をすり抜けて赤い髪の少年が飛び出し、リアスへ抱き着く。

 

「リアス姉さま! おかえりなさい!」

「ミリキャス! ただいま。大きくなったわね」

 

 ミリキャスと呼ばれた赤い髪の少年を抱き締め、自分と同じ赤い髪を撫でながらリアスは嬉しさと慈愛を混ぜた笑みを浮かべる。

 

「ミリキャス様。急に走っては転んでしまいますよ」

 

 シンたちにとって聞き覚えのある声。執事とメイドたちが左右に退くと、そこからセタンタが姿を現した。

 

「だって久しぶりにリアス姉さまに会えるんだもん」

「お気持ちは分かりますが、転んで怪我をされたらリアス様も私もここに居る者たち全員悲しみます」

「セタンタは心配性」

「それが私の仕事ですので」

 

 セタンタはリアスたちの前に立ち、頭を下げる。

 

「リアス様。お待ちしておりました」

「ええ、ただいま。セタンタ」

 

 突然現れた少年とセタンタ。少年のことが気になり一誠が恐る恐る尋ねる。

 

「あ、あの、この子は?」

 

 一誠の問いにセタンタが答える。

 

「この方はミリキャス・グレモリー様でございます、兵藤様。サーゼクス・ルシファー様の嫡男であり、リアス様の甥にあたる方です」

「サーゼクス様の!」

 

 セタンタの説明を聞いて、シンは思わずミリキャスの顔をまじまじと観察してしまう。赤い髪は確かにサーゼクスを彷彿とさせるが、顔立ちはサーゼクスと比べるとあまり似ておらず、幼い故か中性的であり、愛らしさに寄った容姿をしている。

 

「ほら、ミリキャス。挨拶をして。この子たちが私の新しい眷属よ。そして、そちらの彼が、私が招いた新しい友人よ」

「はい。ミリキャス・グレモリーです。初めまして」

 

 礼儀正しく挨拶をするミリキャスに一誠やアーシアは緊張しながら自己紹介し、シンとゼノヴィアはいつもと変わらない態度で自己紹介をした。

 改めて正面から見るミリキャスの顔。その顔立ちには既視感を覚えた。記憶の中のとある人物とよく似た顔をしている。ふと、シンは背後に目線を向ける。

 振り返った視線の先ではグレイフィアがこちらを見ている。が、良く見るとその視線はシンたちに向けられているのではない。リアスに抱き着いているミリキャスに向けられている。

 すると、シンの視線に気付いたのか、一瞬グレイフィアがハッとした顔でシンの顔を見るもすぐに顔を伏せてしまった。

 それを訝し気に見るシンであったが、次のリアスとミリキャスの会話を聞いて思わずそちらに意識が傾いてしまう。

 

「ミリキャス。私が居ない間寂しくなかった?」

「いえ。セタンタが遊んでくれるから寂しくはありません」

 

 微笑むミリキャス。すると何か思い出したかの様な表情となる。

 

「ああ、そういえば少し前にリアス姉さまの御友人がいらっしゃいましたよ? 少し話をさせてもらいましたが、とても楽しい方ですね」

「……友人?」

 

 ミリキャスの言葉に全員疑問符を浮かべる。そんなことを言われても心当たりがないのだ。

 

「リアス姉さまたちが来ましたよー!」

 

 ミリキャスが振り返って、その『友人』を呼ぶ。

 

「おー、やっと来たか。待ちくたびれたぜ」

 

 現れたのは、アザゼルと一緒に魔王領へと向かった筈のマダであった。

 

「あ、貴方、どうしてここに!」

「元々ここに来る予定だったのに、どうしてはないだろう」

「アザゼル先生とサーゼクス様の所に行ったんじゃないんですか?」

「アザゼルに付き合うのが嫌だったから、途中で列車から飛び降りた」

「ええ……」

 

 一誠が困惑した声を出す。豪快というべきか考え無しというべきか、評するに困る行動力である。

 

「リアス様。ここで立ち話も結構ですが、そろそろ……」

「そうね。先に屋敷の中に入りましょう」

 

 セタンタの言葉にリアスも同意し、取り敢えず屋敷の中に入ることとなった。

 ミリキャスはリアスと手を繋ぎ、嬉しそうに歩いていく。

 眷属一同もそれに続き、その後からシンたちやマダも付いていく。

 赤いカーペットの上を歩きながらマダが脇に並ぶメイドたちをジロジロと眺めながら歩いていく。尤も彼に目はないのでそういった仕草だけであるが。

 するとマダの隣に無言でセタンタが並んだ。

 すぐ前を歩いているシンにすら聞こえない程の小声で何やら会話をしている二人。

 穏やかさなど皆無であり、背中越しにひりつく様な空気が伝わってくる。

 両者の極限られた空間の中で途方も無い殺気が行き交う。

 ピクシーやジャックフロストはそれを敏感に察し、恐れる様にシンにしがみ付く。ジャックランタンも表面上は恐れを出さなかったが、ギャスパーに張り付く様にくっついている様子から、内心では怯えを抱いているようであった。

 

(一体何を話しているのやら……)

 

 気にはなるが足音ですら掻き消される二人の会話を聞き取れることが出来ず、グレモリー邸に入るまでシンはひたすら耐えるだけであった。

 

 

 ◇

 

 

 グレモリー邸に入るまでの両者の会話。

 

「くくくくく。あのミリキャスという坊や、可愛い面して中々肝が据わっているじゃあねぇか。周りがビビっている中で堂々と俺に話し掛けてくるとはなぁ」

「あの方は将来グレモリーの当主となる御方です。器の出来が違いますよ」

「そりゃあ将来が楽しみだ。ただ、真面目過ぎる雰囲気はいただけねぇ。もう少し遊び心が欲しいところだ。ここは一つ俺がそれを――」

「結構です。余計な知識や経験を覚えるのはもっと先で十分なので」

「おいおい。こういうのは学べる内に学んでおくもんだぜ。無駄だと思った経験が将来無駄じゃ無くなるってこともあるもんだ」

「その意見を否定はしません。だが、決めるのは貴方じゃない」

「つまんねぇな。ガチガチな教育をしたって頭の固い奴になるだけだぜ? 上を立つ者には柔軟性も必要だ」

「先程も言いましたが、それを決めるのは貴方じゃない。こういった言い方は気分を害されるかもしれませんが、他所の方があの御方の将来にあれこれ口出すのは止めて頂きたい。仮にあの御方の将来を導く者が居るとすれば、それはあの御方の父君、サーゼクス・ルシファー様か、あの御方の母君だけです」

「そう言われるとますますちょっかいを掛けたくなるなー」

「――あまり調子に乗るなよ」

「ほう?」

「サーゼクス様が招いた客人ならばそれに合った対応はする。しかし、その範疇を超えるようであれば、今度はそれに相応しい対応をこちらでさせてもらう」

「言うねぇ。その殺気だった喋り方、鳥肌が立ちそうになる丁寧口調よりも好ましいぜぇ。お前さんのことがようやく好きになれそうだ」

「周りがどう思っていようがこの際はっきりと言わせてもらう。俺はお前を信用していない。三勢力外の連中が何を考えているのか未だに分からない内は、な」

「いいんじゃねぇの? お前の言った通り誰が何を考えているのかわかったもんじゃないからなぁ。まあ、俺はそういった争いには興味なんてさらさらないがな。めんどくせぇ」

「……警告はした。もし、不穏な動きを見せたときは覚悟してもらうことになるぞ」

「へへへへへ。そりゃあ楽しみなことで。――ところでよ」

「何だ?」

「お前さん、どっかで会ったことなかったか? 何かそんな気がするんだが……」

「……さあな」

 

 

 ◇

 

 

 グレモリー邸に案内されてから数十分。シンは持ってきた荷物を部屋に置いた後、グレモリー邸の庭に出ていた。

 部屋の中でじっとしているのを退屈に思ったのもあるが、何よりも人一人が過ごすには広過ぎて、豪華過ぎる部屋の中に居ることが逆に息苦しく感じてしまい、気分転換の為に外の空気を吸っていた。

 庭には至る所に花が咲き、彫刻や噴水が置かれている。花はどれも手入れが行き届いており、萎れた花や枯れた花が一本も無い。飾られている彫刻も外に置いてあるのに汚れ一つ無く、まるで新品の様であった。

 

「キャハハハ!」

「ヒーホー!」

 

 一緒に連れてきたピクシーとジャックフロストは早速広い庭をあちこち遊び回っている。何処へ行ってもいつもの態度を崩さない二人にある種の安心感を覚えてしまう。

 シンは空を見上げる。相変わらず紫色の空が広がっていた。

 冥界には冥界の時間の流れがあるらしいが、転生悪魔や人間界に住んだり喚ばれたりした悪魔の為に特殊な術を使用して調整しているという。

 シンは携帯電話を開き時間を見る。外出しているリアスの父と夕食時に顔を合わせる予定になっているが、まだ数時間ほど先のことであった。

 

「冥界の空気は肌に合いますか?」

 

 呼び掛けられて振り向く。そこには亜麻色の髪を持った、リアスと酷似した妙齢の女性が立っていた。

 

「ええ、まあ。ただ、人の世界の空気と比べると少し重みの様なものを感じます」

 

 言葉を選びながらも思った感想を口にする。

 女性はそのままシンの顔をジロジロと眺める。気分を害した様子では無かった。その証拠に眺めた後、小さく笑う。

 

「不思議なものね。人間から転生した悪魔は何度も招いたことがありましたが、人間を私たちの家に招いたのは初めてかもしれないわ」

 

 私たちの家。その言葉が示す通り、この女性はグレモリー家に関係する女性である。名は、ヴェネラナ・グレモリー。リアスと殆ど変わらない外見をしているが、れっきとしたリアスの母親である。

 グレモリー邸に入って最初に挨拶されたときは素直に姉かと思っていた。悪魔はある一定の年になれば魔力で自由に見た目を変えることができ、それ故に若い姿でいられる。

 一瞬リアスの父と母が並ぶ姿を想像し、何処となく犯罪のニオイがすると思ってしまったのはシンだけの秘密である。

 

「人間の貴方から見て、冥界はどう見えます?」

 

 厳密に言えば、シンは純粋な人間とは言い辛い。魔人という得体の知れない存在である。だが、おいそれとは他人に言えないことである為シンはヴェネラナの問いに対しシン個人が純粋に思ったことを言う。

 

「不思議、という言葉に尽きます。人間の世界ではまず見ることが出来ないものが多々あるので」

「好きになれそうですか?」

「……どうでしょうね。まだ悪魔も冥界もほんの少ししか見ていないので」

 

 世辞でも言うべき場面であったかもしれないが、シンは率直な感想をつい言ってしまった。しかし、決して間違ったことは言っていないとも思っていた。出会った悪魔もリアスやサーゼクス、ソーナといったお人よしとも言える者、冥界に関してもグレモリー領という上級の悪魔の領土である。それだけで簡単に決めることなど出来はしない。

 

「そうですか。貴方は真面目な方なのですね」

 

 気分を害した様子も無く逆に笑う。

 

「そうですか?」

「ええ。貴方の様な人間がリアスの友人で良かった」

 

 面と向かって言われると気恥ずかしさを覚えてしまう。自分ではさして特別なことなどしている訳でも言っている訳でもないと思っていた。

 

「おばあさま!」

 

 そこにミリキャスが小走りで近寄ってくる。おばあさまと呼ぶことにどうしても違和感を覚えてしまうが、実際にそうなのだから仕方ない。慣れるまで少し時間が掛かりそうだが。

 

「あら? ミリキャス。どうしたのかしら? セタンタは一緒じゃないの?」

「はい。セタンタは少し用があると言っていたので。僕の方は――」

 

 言い辛そうに口籠るミリキャス。その視線はチラチラと遊んでいるピクシーたちに向けられていた。

 ミリキャスの視線に気付いたヴェネラナが、シンに目配せをする。シンもまたミリキャスがピクシーたちを見ていたことに気付いていたので、ピクシーたちを手招きする。

 すると、二人は遊ぶのを止めてシンの方に近寄って来た。

 

「なーにー?」

「ヒホ。どうかしたのかホ?」

 

 首を傾げる二人に対し、シンは二人にミリキャスの方を見させた。

 

「まだきちんと挨拶をしていなかっただろう? いい機会だから挨拶をしてみたらどうだ?」

「そう言えばそうだね。アタシ、ピクシー。よろしくねー」

「ヒホ! オイラはジャックフロストだホ!」

 

 二人の自己紹介にミリキャスは頬を紅潮させる。

 

「こちらこそ初めまして! 凄いです! 妖精と雪精に会えるなんて!」

 

 嬉しそうに挨拶を返す。するとミリキャスは上目遣いでヴェネラナに対し何か言いたげな眼差しを向ける。

 何が言いたいのか言葉にしなくても分かったのか、ヴェネラナはミリキャスの真紅の髪を撫でながら言った。

 

「まだ勉強の時間まで余裕があります。あの子たちと遊びたいのであれば構いませんよ」

「はい!」

 

 無邪気に笑うとピクシーとジャックフロストに駆け寄る。元より人懐っこい二人はすぐにミリキャスと打ち解け、手を引いて庭の奥へと走っていく。

 

「貴方の断りも無く勝手なことをしてしまいましたが、今更ですが迷惑では無かったかしら?」

「仲魔のあいつらが良いと言うなら俺が口を挟むことはありませんよ」

 

 するとヴェネラナはキョトンとした表情となる。

 

「『仲魔』ですか? 使い魔ではなく?」

「……あー」

 

 久し振りの反応を見て、シンは自分の失言に気付いた。当たり前の様に言ってきたことではあるが、やはり初めて聞く相手には疑問が浮かぶ言葉なのであろう。

 

「まあ、何と言いますか……使い魔だと上下関係の様に聞こえるので、対等という意味を込めて『仲魔』と呼んでいます」

「――そうですか」

「変に聞こえるかもしれませんが……」

「いいえ。変ではありませんわ。そう、『仲魔』ですか。良い響きの言葉ですね。やはり、貴方がリアスの友人で良かったと思います」

 

 

 ◇

 

 

 一誠に与えられた個室。一人で過ごすにはあまりに大きく、充実し過ぎている部屋。しかし、今その部屋は一人では在り得ない賑わいがあった。

 天蓋付きのベッドに腰を下ろして、一誠、アーシア、ゼノヴィアの三人が談笑していた。

 教会で質素かつ慎ましい生活をしてきたアーシアとゼノヴィアは与えられた個室の広さと豪華さに強い拒否反応を示し、グレイフィアに頼んで荷物を運び入れ、一部屋を三人で使用することになった。

 夕食までの時間、こうやって三人で話をしながら時間を潰していくのであろうと共通して思っていた時、部屋をノックする音が聞こえる。

 

「はい」

 

 返事をして一誠はドアの前まで行き、相手が誰か確認するよりも先にドアを開く。

 

「どうも」

「セ、セタンタさん?」

 

 ドアの前にはセタンタが立っていた。

 

「な、何か御用ですか?」

 

 思わず動揺した声を出してしまう。

 セタンタという人物は好人物であることは十分知っているが、時折見せる穿つ様な視線を何度も浴びせられたせいで、一誠は若干苦手意識を持ち始めていた。そして何より一誠自身が、セタンタに対しある負い目を持っていたので、それも相まって非常に気まずい思いがあった。

 

「少しお話を――」

 

 と言いかけ言葉が止まる。セタンタの視線が一誠では無くその奥に居るアーシアとゼノヴィアの方に向けられていた。

 

「――旦那様が帰って来られる夕食の時間までまだ大分ありますからね。部屋に御友人を招くのも仕方の無いことですね」

 

 状況を説明しているというよりも自分を納得させるかの様に呟く。

 

「え、ええ、まあ……」

 

 とそこに――

 

「しかし、本当に広いベッドだ。一人で眠るには大き過ぎるが三人で眠るには丁度良いな」

 

 ――ゼノヴィアの不意を突く発言。

 

「ほう、三人で?」

 

 瞬間、セタンタの声が絶対零度の冷たさを持ち、空気が軋む様な錯覚を覚える。その声に一誠は心臓が縮み上がる様な気がした。

 

「ちなみにその三人とは誰と誰ですか? 兵藤様」

「そ、それは」

 

 セタンタの問いに上手く言葉が出て来ない。まともに顔を見るのも恐ろしく、視線をさげたまましどろもどろとなる一誠。

 

「ゼノヴィア様、ちなみにそのベッドでは誰と誰と誰が眠るのでしょうか?」

 

 問う相手が一誠からゼノヴィアに代わる。

 

「愚問だな。私とアーシア、そして一誠に決まっている。――丁度いいし今晩ここでもう一度私と子作りに挑戦してみないか?」

 

 ゼノヴィアが場の空気が凍り付く様な発言をさらりと口にする。

 

「ストップ! ストップ! ゼノヴィア!」

 

 これ以上発言されたら何故か不味いと思い、止めようと振り返る一誠であったが、振り返った瞬間肩を掴まれた。

 

「――中々、面白いことになっていますね。兵藤様」

 

 優しく掴まれているというのに、何故か指先一つ動かず、声も出ない。

 

「そうそう。実は私、貴方とは一対一で話をしたいと思っていたんですよ。貴方の人となりを是非知りたくて。後は、リアス様が人間界や貴方の御宅で普段はどういった様子なのかも」

 

 有無を言わせない言葉の圧力。背中越しに尋常では無い気配を放っているが、それを上手く操作し、ゼノヴィアやアーシアには悟らせず一誠にだけ集中して向けている。

 

「つきましては、アーシア様とゼノヴィア様には大変申し訳ないのですが、少しの間この部屋から席を外してもらいたいのです」

 

 口調も穏やか、声に険が在る訳ではない。だというのに背中からはひっきりなしに冷や汗が流れ続ける。

 

「お願い、出来ますか?」

『……相棒、ここは大人しく従っておけ』

 

 下手に逆らうとどうなるか分からない。そう思ったドライグはセタンタの指示に従う様に促す。尤もセタンタ自身断られた場合、特に危害を加えるつもりは全く無かった。しかし、そういう選択がされない様にわざと威圧を込めて喋っているのではあるが。

 油の切れた機械の様なぎこちない動作で、一誠はアーシアとゼノヴィアに一旦部屋の外に出る様にお願いする。

 二人は不審に思っていたが取り敢えず一誠の願いを聞き入れ、部屋を退出していった。

 ドアが閉まるとセタンタは、部屋に備えてある椅子に座りその正面にある椅子に一誠も座る様に促す。

 

「――さて、何から聞きましょうか……」

 

 一誠にとって長い様で短い時間が始まる。

 部屋から出て数十分が経過しようとしていた。部屋のドアの前では退出していたアーシアとゼノヴィアが中の様子を心配しながら時間を潰している。

 

「どうかなされましたか?」

 

 部屋の前で待っているアーシアたちに気付き、グレイフィアが話し掛けてきた。

 

「いや、中でイッセーとセタンタが二人きりで話したいことがあると言って席を外し、こうやって待っているのだが……」

「セタンタがですか?」

 

 一瞬目を丸くして驚いた表情になる。すると閉じていたドアが開いた。

 

「お待たせしました」

 

 中から出てきたセタンタ。この部屋に入って来た時と変わらず穏やかな表情と口調である。

 

「何か一誠様に御用があったのですか?」

 

 声を掛けられて、初めてグレイフィアの存在に気付いたセタンタは、少々ばつが悪そうに視線をグレイフィアからずらす。

 

「一応、聞きたいことは聞けました」

 

 セタンタは中にいる一誠に一礼した後、今度はアーシアとゼノヴィアの方に頭を下げる。その際――

 

「頑張って下さいね」

 

 ――という励ましの言葉を残してセタンタは去って行った。

 

「頑張れと言われたが……何を頑張れと?」

「さあ……?」

 

 言葉の意味が分からずに困惑する二人。

 

「もう問題が無いようなので失礼させていただきます」

 

 グレイフィアも優雅な一礼を見せた後にセタンタの後を追って行った。

 

「中で何かありましたか?」

 

 付き合いが長いグレイフィアは僅かな表情の変化から、セタンタが不機嫌半分疲れ半分といった状態であることを見抜いていた。

 

「進展が無さ過ぎて頭が痛い……。俺が、あの娘の恋敵になるかもしれない相手を励ましてどうする……」

 

 一つ屋根の下に複数の女性と暮らし、さぞ周りからチヤホヤされてリアスをやきもきさせていると思い、釘を刺そうかと考えていたセタンタであったが、本人から聞いてみると自分の想像と乖離していたことを知る。

 朱乃やゼノヴィア、アーシアから色々されリアスがそれに嫉妬しているのは間違いない。が、肝心の本人がその好意に対し恋愛的なものであると全く気が付いていない。まさかとは思っていたが、一誠宅で会話したときから全く現状が変化していないことにセタンタも驚愕せざるをえなかった。

 一誠自身周りが何かしてくることはスキンシップの延長と考えたり、リアスが急に不機嫌になったり怒ったりする理由を察していなかったりと筋金入りの鈍さを露呈している。そのくせ妙な自制心で自らを抑制している。

 正直、話を聞いていて目の前の男を殴ってやろうかとセタンタは考えたが、そんな時にサーゼクスとの会話を思い出す。

 

『彼は女性に対して人一倍の関心を持っている。だがモテたことが無い、それ故に多くの女性を囲むという夢を持った、恐らくモテなかった反動で。しかし運命が巡り巡って彼にもその夢を叶える機会がやってきたが、当の本人は全くそのことに気付いてはいない。何故なら他者から恋愛感情を向けられたことがないから、すなわちモテたことが無いから!』

 

 一応納得は出来る。だがそれでも思ってしまう。

 

「ハーレム築きたいなんて言うぐらいならせめて女心ぐらい勉強しておけ……!」

「真面目な貴方がそんなことを言うぐらいですから、余程なのですね」

 

 愚痴るセタンタ。グレイフィアしかこの場に居ないせいか、いつも以上に思ったことを口に出してしまう。

 

「失望しましたか?」

「……いいや」

 

 一誠に対しあまり良い心象を抱いていない印象を与えるセタンタであったが、グレイフィアの問いに対し少し間を置いたが否定する。

 

「確かに鈍感で乙女心なんぞ全く理解していない男だ。だが――」

 

 セタンタは一誠との会話の中で最も印象に残ったことを思い出す。

 

『セタンタさん……すみませんでした! 俺……セタンタさんに頼まれたのに部長のことを泣かせてしまいました!』

 

 頭を深々と下げて心底申し訳なさそうにする一誠。聞けば、ヴァーリとのいざこざでリアスを泣かせてしまったと言う。

 初耳であった為に驚いたが、一誠を責める気は起きなかった。

 少しの間だけであるが戦ったセタンタだからこそ分かる現白龍皇の実力。一誠の実力と比べれば天と地程の差がある。

 一誠自身も身を以ってそれを知っているであろうが、それでも自分の不甲斐無さを嘆いていた。

 

「……女にだらしのない輩は好きじゃない。だが、ああいった愚直さは嫌いじゃない」

「そうですか」

「それでもあの娘を振り回す所は嫌いだがな!」

「……サーゼクス様もリアス様に対して甘いですが、貴方も大概ですね」

「あいつには言うなよ。変な仲間に引き込まれる」

「片足は突っ込んでいると思われますが?」

「俺はあいつほど馬鹿にはなれないさ」

 

 褒めているのか貶しているのか微妙なラインの言葉でサーゼクスを評する。

 

「まあ、赤龍帝のことは当分放っておく。それよりもすることが出来たからな……」

「先にすること?」

「白龍皇を殺す……あの時、是が非でも殺っておけば良かった」

 

 目を細め、殺意を静かに滾らせる。

 

「彼は一体何をしたというのですか?」

 

 グレイフィアは、それを若干呆れた表情で見るのであった。

 

 

 ◇

 

 

 冥界に着いて翌日。

 列車や魔法陣を乗り継いで、魔王領にある都市ルシファードに来ており、シンはそこでリアスたちと一緒に若手悪魔、旧家、上級悪魔たちが集う会合に参加――せずに、それが行われている建物の前で待っていた。

 理由は簡単。悪魔ではないから、である。

 その横には同じ理由でピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、マダが退屈そうな表情で座っている。

 彼らが入れないと言われたときリアスが抗議してくれたものの、揉めるのも不味いと思い、シンたちの方から辞退した。

 何もせずに待つこと自体非常に退屈なことではあるが、シンにとっては心地好い時間と言えた。

 正直、冥界に来てからあまり気の休まる時間は無かった。

 昨夜の夕食時は、周りにメイドや執事たちが並ぶ中でリアスの両親らと食事。この時リアスの両親が、一誠を本気で婿に迎え入れる気でいることを知る。当の一誠本人は気付いてはおらず、それを見ていたシンは不用意な発言をしないか内心ひやひやしていた。

 都市に着くまでも魔王の妹であるリアスへ常に老若男女問わず黄色い歓声と熱い視線が送られており、間接的とは言え衆目に晒されていたシンは、そういったことに慣れていない為か何とも言えない気疲れを感じていた。

 

「暇だねー」

「暇だホー」

「暇だよね~」

「ああ、暇。今から街行って遊んで来ようぜ」

 

 この時間を満喫しているシンとは対照的にピクシーたちは、早くも痺れを切らしていた。

 

「ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、もう少し待て。マダ、貴方は特に何もせずにじっとしていてくれ」

「何だよぉ。俺だけ差別か?」

「昨日のアレを忘れたとは言わないでしょうね?」

 

 昨日のアレと言うのは夕食に招かれる少し前に起こったことである。

 メイドに間もなく夕食であることを告げられ部屋から出ると、ついでに部屋が近かったマダも呼ぼうと思い、部屋まで行くとドアをノックし中にいるか尋ねた。

 部屋の向こうから返事は無く不在かと思われたが、何やら部屋の中から音や声が聞こえてきた。

 はしたない行為だとは分かっているがドアに耳を傾けた。すると中から聞こえてきたのは女性の声。しかも一人や二人ではない。

 シンの脳裏にいつぞやの林での出来事が過る。

 ドアノブに掴み、回す。鍵は掛けていなかった。

 

「……何をやっているんですか?」

 

 ドアを開けるとそこにはこの家のメイドと思わしき全裸の女性たちがベッドの上で汗だくで横たわっている。皆、息も絶え絶えといった様子であった。

 

「勘違いするなよ」

 

 そのベッドの上で寝そべっていたマダは入ってきたシンに動じずに――

 

「ちゃんと合意の上だ」

 

 ――とほざいたのであった。

 その時のことを思い出し、シンは苦虫でも噛み潰した様な表情となる。幸い目撃者はシン一人であり、当事者のメイドたちも事が事なだけに喋らず、大事になることは無かった。

 

(本当にどういう神経をしているんだ。他人の家で)

 

 他人の家で情事を及ぶ神経も信じ難いが、たった数時間でそこまで親密な関係になれることも信じ難い。どんな奇跡や魔法を使ったのか見当もつかなかった。

 

「そんな顔するなよ。俺も幸せ、あのメイドたちも幸せ、誰もが幸せ、不幸になった奴なんて誰もいないじゃねぇか」

「理解出来ないです」

「堅物だなぁ。お前さんは」

 

 口の端を吊り上げて笑みを形作りながらマダは立ち上がるとそのまま歩き始める。

 

「この辺りをぐるりと散歩してくるわ。ここは地下だし、出入り口はそことそこだけだ。お前の言った通りに外には出ねぇよ」

 

 乗って来た地下鉄のホームとリアスたちが乗っていったエレベーターを指差し、シンが何かを言う前にさっさと消えていった。

 

「――自由なヒトだ」

「結構面白いと思うけどなー、マダって」

「オイラもそう思うホー!」

「ヒ~ホ~。ギャスパーもあの大胆さが百分の一ぐらいあればね~」

 

 シンと違って仲魔たちのマダへの評価は意外に高かった。こればかりは性格の差としか言い様がない。

 すると突然大きな破砕音が建物から鳴り響く。一瞬何かの襲撃かと思い身構えるシンであったが、それから暫く時間が経過しても、エレベーターから慌てて誰かが降りて来ることも、警報の類が鳴ることも、警備の悪魔たちが騒然となることも無く、拍子抜けする程簡単に先程の平穏が戻ってくる。

 

(こういうのも冥界では日常茶飯事なのか?)

 

 初めての冥界である為、いまいちその辺りの線引きが分からない。

 再び時間を潰そうかと考えていたとき、エレベーターの扉が開いて中から複数の男女が降りて来る。

 

「クソッ! サイラオーグの奴め! 痛ッ! 離せ! 一人で歩ける!」

 

 肩を借りていた男が、怒りを吐きながら乱暴に周りの者たちを払いのけながら前に出る。

 逆立った緑色の髪。顔には術式を彷彿させる刺青が入れてある。素肌に上着を直接羽織り、ズボンには煌びやかな装飾品をこれでもかとぶら下げている。若干装飾過多なせいで品が無く見えてしまう。

 通常時ならば整った顔つきなのであろうが、今の彼の顔半分は青痣が作られ、腫れ上がっておりそれを台無しにしていた。

 先程の音と何か関係あるのかと思い、さりげなく見ていたシンであったが、運悪くその男と視線が合ってしまった。

 

「ああ! 何だ、お前は! 俺の顔が何か可笑しいのかっ!」

 

 あからさまに八つ当たりの対象として目を付けられてしまう。

 

「別に何も」

「明らかに見ていただろうがっ! そんなに俺の顔が可笑しいか! 無様か!」

 

 シンに近寄り恫喝してくる男。しかし、シンにはそんな恫喝に対し微塵も恐怖が湧かなかった。コカビエル、マタドールという敵と交戦してきたシンにしてみれば、彼らの重圧が獅子や虎の威嚇ならば、この男の恫喝など虫の威嚇以下にしか感じない。

 自分に対して全く動じないシンに更なる苛立ちを覚える男であったが、そこでふと気付く。

 

「……お前、人間か?」

 

 シンが人であることを悟る。

 

「何で只の人間が冥界にいるんだよ!」

「まあ、招待をされたので……」

 

 リアスの名前を出しても良かったが、迷惑が掛かるかもしれないと思い敢えて伏せる。しかし、この判断は正解とは程遠い結果を生む。

 

「人間如きがなぁ! 俺の前でふざけた態度でいるのも! 冥界〈ココ〉に居るのも気に食わないんだよ!」

 

 その瞬間、爆ぜる様に男の全身から魔力が迸った。

 

 

 ◇

 

 

 激しい音が広間に響く。

 

「はぁ……今度は外で八つ当たりか」

 

 溜息を吐くのは、一目見ただけで鍛え抜かれていることが分かる程逞しく、大柄な肉体を持った黒髪短髪の男性。

 まだ顔付きは若いが年齢以上の貫禄を持っており、紫の瞳は見る者を惹きつける強い輝きを放っていた。

 

「もう一度灸を据えてくる」

「待って、サイラオーグ」

 

 男を止めたのはリアスである。

 

「私たちも行くわ」

「いや、大丈夫だ。ここで眷属たちと茶でも飲んで待っていてくれ。お前たちは、リアスをもてなしていろ」

 

 サイラオーグと呼ばれた男は、自分の眷属たちにそう指示してエレベーターに乗って下に降りて行く。

 

「行ってしまいましたね」

「もう、サイラオーグったら」

 

 不満そうにするリアスに、ソーナが窘める様に肩に手を置く。

 

「『大王』の名を継ぐ者として、同じ若手悪魔の不始末が許せないのでしょう」

 

 去って行った男の正式な名は、サイラオーグ・バアル。魔王に次ぐ権威を持つ大王バアル家の次期当主であり、リアスとは母方の従兄弟にあたる人物である。

 

「あのサイラオーグってヒト、強いのか?」

 

 匙が隣にいる一誠に小声で尋ねる。

 

「会長やお前はまだ来てなかったから知らないけど、ここで揉めていたゼファードルっていう若手悪魔を一撃で伸した」

「ゼファードルってグラシャラボラス家の? はぁー、上級悪魔っていってもかなりの差があるもんだな」

「ああ、あの人物凄く強くて、それで凄くかっけぇよ!」

「お前がそこまで言うのか……なーんか、――しいな」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、別に……」

 

 

 ◇

 

 

 血の気の多いゼファードルに再び喝を入れようと考えていたサイラオーグ。

 表の入口には多くの悪魔たちが居る為、負傷した姿を周りに晒さない為にも地下鉄を使用してひっそりと帰ると予想し、地下まで下りる。

 そんな彼の目にエレベーターの扉が開いた瞬間、あるモノが入り込んでくる。

 水面を跳ねる水切り石の様に地面を何度も跳ねながら迫ってくる物体。それは丁度エレベーターの目の前で止まり、そこでサイラオーグはそれの正体を見た。

 

「ゼファードルか?」

 

 白目を向いて口と鼻から流血しているのは、少し前にサイラオーグが殴り飛ばしたゼファードルであった。サイラオーグが殴った場所に新たな拳の跡が刻まれて更に腫れ上がっている。

 ゼファードルが飛んできた場所に目を向ける。するとそこに佇む少年一人。

 サイラオーグの視線に気付くと少し目を丸くし、しまったと言わんばかりに目を逸らす。

 

「信じてもらえるか分かりませんが……一応正当防衛です」

 

 




真・女神転生Ⅳに出てくる人修羅は、結構荒っぽい口調でしたね。耐性の原作再現には軽く驚きました。
D×Dの最新巻を読み、今後の展開をあれこれ考えていましたが、取り敢えず神滅器の名前が長ーい。

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