ハイスクールD³   作:K/K

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焦燥、再起

「……」

「……」

 

 街中で偶然出会ったレイヴェルとシン。しかし、話す話題も無ければ、それほど親しいという間柄でも無く、寧ろ敵対していたのでお互い牽制する様に無言となる。

 シンの方は普段と変わらない無表情であるが、レイヴェルの方はというと、会いたくない人物に会ってしまったと顔に書いてあった。

 

(そこまで嫌われる様なことをしたか?)

 

 シンが覚えている記憶で最後にレイヴェルと接したのは、敵を倒した直後に炎で焼かれた時の記憶である。シンの方がレイヴェルの表情をするのならまだしも、レイヴェルが露骨にこちらを避けようとしているのには覚えが無かった。

 

「まさかまた会うとは思いませんでした。それも冥界で。リアス・グレモリー様に連れられて来たのですか?」

「ふむ。お前がここにいるということは、リアス・グレモリーの『騎士』も来ているのか? そうなると是非もう一度手合わせを願いたいのだが……」

 

 無言の二人を見兼ねたのか、ライザーの『女王』であるユーベルーナと『騎士』のカーラマインが話し掛けてきた。

 

「――ええ。こっちに来てもう一週間は経ちます。それと木場の方とは今は別行動をしているので連絡を取る手段が無いんです」

「そうなのですか。ルシファード(ここ)にはリアス・グレモリー様たちもおいでで?」

「連れはいますが――」

 

 レイヴェルとは異なり、親し気に話し掛けてくる。

 レーティングゲームの際、ユーベルーナを脱落させたのはシンであったが、それに対するわだかまりを抱えてはおらず、一定の敬意を抱いている感じすらあった。

 

「ねぇねぇ。これ、買ってってばー」

「買ってホ! 買ってホー!」

「ヒ~ホ~。早くしないと売り切れるよ~」

 

 そこに戻って来た仲魔三人。

 

「あれ? 何か見たことある人たちがー?」

「オイラも見たことあるホ」

「ボクは初対面~」

 

 レイヴェルたちの姿を見て、ピクシーとジャックフロストは思い出そうとして首を傾げている。

 ピクシーは、レイヴェルたちとは部室で一度だけ顔を合わせているが、ジャックフロストはレーティングゲームの際観客側だったので面識は無く、ジャックランタンは言った通り初対面であった。

 

「貴方は……随分と可愛らしい使い魔を持っているのね」

 

 ピクシーたちの姿に少し気が和らいだのか、レイヴェルがようやく口を開く。しかし、どうにもやや偏った趣味を持っていると誤解されている様であった。

 

「自然の成り行きでこうなったんだ。別に俺が好んで集めた訳じゃない。それとこいつらは使い魔じゃない、仲魔だ」

 

 要らぬ誤解を解こうと早口且つやや荒い口調になる。

 

「仲魔? 随分と変わった表現をなさるのね。ところで貴方は……」

「間薙シンだ」

「失礼。間薙さん、今日は――」

 

 

 レイヴェルがきょろきょろと周囲を見渡す。

 

「――赤龍帝はご一緒じゃないのかしら?」

 

 頬を染めながら一誠がいるかどうか尋ねてきた。

 

「……会いたいのか?」

「えっ! そ、それは……! そ、そうですわ! 赤龍帝に負けた上にリアス様を奪われたショックでお兄様が塞ぎ込んでしまいました! そのことに関して色々と言いたいことがありますわ!」

 

 明らかに取って付けた様な理由に聞こえた。文句は建前で、本音としては純粋に一誠に会いたいと思っているらしい。

 

「ライザー・フェニックスは今も落ち込んでいるのか?」

「ええ。まあ、悪魔として才能に恵まれていたのを鼻に掛けていた節もありましたし、いい薬になったと思いますわ。……少々長く落ち込み過ぎだとは思いますけど」

 

 婚約解消以来、自分の屋敷に引き篭もっているという話をリアスから聞かされたが、未だに継続していたのを知って軽く驚く。見るからにプライドの高そうな性格をしていると思っていたが、ここまで精神的に落ち込んでいるとは思わなかった。

 

「あの一戦以来、ライザー様はひたすら自室に籠ってレーティングゲームの仮想ゲームをしているか、一人でチェスを延々としてばかりいます」

 

 表情を曇らせるユーベルーナ。余程痛ましい姿なのであろう。

 プライドをへし折った当事者ではなく間接的に関わったシンは全く同情などしていなかった。しかし、話を聞いてしまったことで何とも言えないもやついた感情が芽生え、お節介だとは分かっているが何かするべきなのか、と思ってしまう。

 

「ユーベルーナ。ヒトにお兄様の情けない姿をあまり話さないで」

「失礼しました」

「申し訳なかったわね。貴方に言った所で何か解決する訳でもないのに」

「気にするな。それと俺たちと話し込んでいていいのか? 目的があるならそちらを優先した方が良いと思うが?」

「今日は、魔王様主催のパーティーに着るドレスの衣装合わせに来ただけですわ。もう既に終わりましたわ。これから帰る所でしたの」

 

 レーティングゲーム前日にその様なパーティーが行われることはシンも事前に聞いていた。そういった煌びやかな催しを少し苦手としているシンにとっては、気が晴れる所か少々気が重くなるものであった。

 

「そうか。引き留めて悪かったな」

「貴方は、まだここに?」

「一応、迎えが――」

「お待たせしました」

「――来た」

 

 音も気配も無く現れる。一週間以上毎日同じことをされていたシンたちは慣れたが、前触れも無く現れたセタンタにレイヴェルたちは驚き、そして、それが誰なのかを認識して二度驚く。

 

「え! セ、セタンタ様! ど、どうしてここに!」

 

 位であれば純血であり、上級悪魔であるレイヴェルの方が高い筈であるが、敬称を付けてセタンタの名を呼びながら動揺する。

 

「この様な場所でお会いするとは思いませんでした。レイヴェル・フェニックス様」

 

 恭しく頭を下げるセタンタ。

 

「お、御止めになって下さい! 魔王の槍とも称される貴方がその様な真似を!」

「いえ。私は所詮、グレモリー家に仕える一介の使用人に過ぎません。貴族である貴女に礼儀を尽くすのは当然」

 

 慌てふためくレイヴェルにセタンタは態度を崩さず、丁寧に接する。

 

「少しいいか?」

 

 二人が会話している中、カーラマインが静かにシンへと喋り掛ける。

 

「何故、お前がセタンタ殿と一緒なのだ?」

「今あの人に色々と教えて貰っているので」

「何っ! 色々ということはセタンタ殿から直々に戦い方を学んでいるというのか!」

「そういうことになります」

「くっ! 何と羨ましい!」

 

 嫉妬と羨望が混じった視線を向けられる。

 レイヴェルやカーラマインの反応を見て、セタンタが大物であることを改めて知る。が、それに反して街を行く悪魔たちの反応は薄く、時折視線を向けられることはあるものの、二人の様に過剰に反応することなくすぐに去ってしまう。

 リアスが自分の領地を移動したときには、老若男女問わず多くの悪魔が見物に来ており、歓声も上げていた。

 反応の差に矛盾を感じ、思わず尋ねてしまう。

 

「あの人は有名みたいですが、その割にはこう、周りに人だかりとかが出来ないですね」

 

 するとカーラマインは『何を言っているんだ?』と言わんばかりの、呆れと困惑を含んだ目でシンを見る。

 

「セタンタ殿がどれほどの人物かも知らずに師事していたのか!」

 

 それもシンの無知さに対する怒りへと変わり、噛み付かん勢いで顔を近付けてくる。

 

「そこまでにしなさい。彼は冥界出身ではないのですよ?」

 

 ユーベルーナがカーラマインをシンから離し、冷静になる様に諭す。

 

「数え切れない程の戦歴を持つ御方ですが、滅多に人前に出ることはありません。そのせいで冥界に広く名前は知られていますが、どのような姿かなどは殆ど知られていません。上級悪魔や私たちの様な上級悪魔に仕える眷属ならば顔を見る機会がありますが、それでも私たちがセタンタ様の御顔を見たのはこれで二度目です」

 

 シンの疑問にユーベルーナが答える。

 

「へー。そうなの。セタンタ、カッコいいんだからもっと人前に出ればいいのに」

「ヒホ! 分かってないホ! セタンタはカッコいいことを敢えてしないからカッコいいんだホ!」

「何それ~。分かるような~分からないような~」

 

 子供の様な無邪気な評価をするピクシーたちに、カーラマインも頭に昇っていた血が下がったらしく、軽く息を吐いていた。

 

「間薙様、ちょっとよろしいですか?」

 

 レイヴェルとの会話を終えたセタンタが、シンに呼び掛ける。

 

「何ですか?」

「今からライザー・フェニックス様のお見舞いに行こうと思います」

「は?」

 

 いきなりのことにそんな返事しか出てこなかった。

 

「……どういう成り行きでそんな話になったんですか?」

「ライザー様がひどく落ち込んでいることは私も小耳に挟んでいましたが、改めてレイヴェル様に聞いたところ、こちらが思っているよりもひどいことがわかりまして。元とは言え婚約者であった方です。ここは様子を窺った方がいいかと。貴方もレーティングゲームに参加していましたし、その縁で」

「絶対にそんなことを思っていませんよね? 婚約を解消させたのはリアス部長側ですよ? 俺も殆どライザー・フェニックスとは接点がありませんし。行った所で意味が無いどころか逆効果にしかなりません」

「分かっていますよ」

 

 自分で言ったことをあっさりと否定した後、セタンタは目を細める。その表情には見覚えがあった。初日の修行の時に疲労困憊のシンを魔物が蠢く森に一人置き去りにした時の表情と同じであった。

 

「私の様な者の願いを承って下さったこと、レイヴェル様の器量には尊敬の念を禁じ得ません」

「そ、そんなことを仰らないで下さい」

 

 大袈裟と呼べるほど感謝するセタンタにレイヴェルは赤面しながら謙遜する。

 

(絶対に良くないことを考えている。俺にとってもライザー・フェニックスにとっても)

 

 嫌な予感がしつつも、拒否するという選択が無いシンは大人しく従うしか無かった。

 

 

 ◇

 

 

 ルシファードから転送用魔法陣をいくつか経由し、フェニックス家の城へと辿り着く。

 グレモリー家の屋敷と大差ない大きさを持つ城を見上げる。フェニックスの家は、回復アイテムとして重宝されている『フェニックスの涙』で利益を生み出しているというのを聞いたが、この城を見ればその利益が多大であることが良く分かる。

 

「おおー。ここ大きいー。リアスの家とどっちが大きいかな?」

「オイラも王様になったらこんな城に住みたいホ!」

 

 ピクシーたちはフェニックスの城を前にしてもいつも通り能天気な反応。そういった緊張とは無縁な所が少々羨ましく感じる。

 門の前に立つと独りで門が開き始める。

 門の向こうには庭園が広がっており煌びやかな花が咲き誇っている。

 門の中に入ると衛兵たちが道の両脇に整然と並んでいたが、シンたちの姿を見た途端、若干ではあるが皆の表情に戸惑いが生まれていた。

 誰なのかは分からないが、レイヴェルたちが連れてきた相手ということで疑問を心の裡に留めたまま、一斉に頭を下げる衛兵たち。

 衛兵たちの中心を歩くシン。その間にも疑問の念が至る所から突き刺さってくるのが分かる。

 庭園を抜けると遠くにあった城が近くに見える。

 

「フェニックス家の者や従者が住む居住区がここです。お兄様もここに住んでいます」

 

 入口の門よりも装飾が凝った扉の前に立つと、自動的に扉が開き始める。すると中から何人か出て来た。

 

「お帰りなさいませ。レイヴェ――」

『お帰りなさ、ゲッ!』

 

 顔半分に仮面を付けた女性『戦車』のイザベラはシンたちの姿が目に入った途端戸惑いを露わにし、口を揃えて出迎えをしていた双子の『兵士』は、特にシンの顔を見ると品の無い声を出しながら驚いていた。

 知らなかったとはいえ全裸されるのを手伝った――ように見える――シンには良い印象を持ってはいないのであろう。

 

「……何故、セタンタ様と彼がいるのですか?」

 

 意味が解らない、を言葉と表情で表しながらイザベラがレイヴェルに問う。

 

「偶然出会って、それから――」

 

 シンたちがフェニックス家に訪れた理由を軽く説明する。

 

「そういうことですか。お気遣い感謝致します」

 

 イザベラが礼をしようとし、それにならって双子も慌てて頭を下げようとするが、それをセタンタは軽く手を振って止める。

 

「私に頭を下げる必要はありません。レイヴェル様にも言いましたが、私は所詮グレモリー家に仕える一介の家来に過ぎません。寧ろ、ライザー様の眷属である貴女方に礼を尽くすのが本来の立場です」

「あ、貴方にそんなことを言われてしまうと……」

 

 あくまで自分は下であると言い張るセタンタ。著名な人物にそんな態度をとられイザベラたちは戸惑い、言葉を詰まらせてしまう。

 レイヴェルの時もそうであるが、セタンタは有名であるとは思えない程下手に出る。シンは、それがセタンタなりの処世術なのではないかと推測する。目立つことを好まないのは本気だろうが、自分の名声については客観的に理解しており、それと謙虚な姿勢を使い、物事を自分の好む様に進めているのではないかと考えた。

 恐縮しているイザベラに案内されながら城内へと入っていく一同。

 その道中――

 

『……』

 

 ――双子の視線をチラチラと何度も受けていた。その視線は、決まってジャックフロスト、ジャックランタンを見た後に向けられている。

 最初は黙っていたシンであったが、いい加減気になってきたのでつい口を開く。

 

「何か?」

「えっ!」

「あっ!」

 

 丁度向けられていた視線に合わせて声を掛けたので、双子は揃って驚く。

 急に話し掛けられて戸惑う双子であったが、やがて決心した様に喋り出した。

 

「その子たち」

「ちょっと触ってもいい?」

 

 

 言われてシンの視線は、ジャックフロストとジャックランタンに向けられる。

 二人は構わないらしく、返事の代わりに双子の側に近寄っていった。

 二人が接近すると、双子は堪らずといった動きで抱き上げる。

 

「うわー! ひんやりしてふわふわー!」

「こっちはポカポカしてるー!」

 

 抱き上げた二人の感触を満面の笑みを浮かべながら語る。

 

「私はイル」

「私はネル」

 

 自己紹介する双子。ジャックフロストとジャックランタンもそれに応じて名乗る。

 暫く二人と戯れていた双子であったが、不意にシンの方を見た。

 

『この子たちってキミの趣味?』

 

 口を揃えて言われたのは、最早聞き慣れたと言ってもいい台詞。

 言われる度に思うことだが、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンの存在は余程自分に似合っていないらしい。ならばいっそのことギリメカラでもこの場に呼び出そうかと考えたが、よくよく考えれば怠惰という言葉に命を吹き込んだ様なギリメカラが呼び出しに応じる筈も無く――森で魔物に襲われていた際も一切手助けしなかった――否定することも億劫に感じ始めていたので――

 

「好きに解釈してくれ」

 

 ――適当に投げてその会話を終わらせた。

 その後双子が小声で。

 

「無愛想な顔の割には可愛いモノ好き」

「ああいった風だから集めているのかも」

「物凄いギャップを感じる」

「逆にそれのせいで親しみが湧く」

 

 等々言っていたが聞き流していた。その間ずっと肩に座っていたピクシーは笑っていた。

 

 複雑な通路を歩き、多すぎる部屋を通り過ぎた後、ようやくライザーの部屋の前に到着する。扉には、中にいる者の存在を主張するかのように不死鳥を模ったレリーフが刻まれていた。

 

「ここがライザー様のお部屋です」

「案内ありがとうございます」

「その……もし、ライザー様とお話をなさるのでしたら……出来れば赤龍帝、というよりドラゴンそのものの話題を避けて欲しいのです」

 

 複雑な表情を浮かべながらイザベラが懇願してきた。

 

「お兄様は、赤龍帝に負けたのが余程のトラウマになってしまったのか、赤龍帝どころか関係の無いドラゴンですら拒絶する様になってしまいました。前にゴシップ誌に赤龍帝の写真が載っていたのを見て、その本を燃やしてから三日もベッドの上でシーツに包まっていました」

「それは……重症だな」

「というかですね、情けないんです! 兄は! 今まで生きてきた中でも赤龍帝に負けたのが最もショックな出来事だというのは私も重々承知しています! だからといって怖がって、拒絶し続ける姿は情けないにも程があります! それだったらまだ恨み言を吐きながら逆恨みして、仕返しの方法を考えている方がまだましです! 例えネガティブであろうが前に進む意思があるのですから! ですが今の兄には、その意思が全くありません! 停滞しているだけ、男ならば敗北すらも飲み干して糧にする器を見せてほしいものです!」

 

 情けない姿にかなり鬱憤が溜まっていたのか、堰を切った様に喋り続けるレイヴェル。粗方言い終えると皆の視線が集中していることに気が付き、恥じらって顔を背ける。

 

「ま、まあそれだけ今の兄は情けないということです! イザベラ! お兄様を呼んでくれるかしら!」

「かしこまりました」

 

 強引に話を戻して、扉の前に立つイザベラにライザーへ見舞いが来たことを報せる様に言い付ける。

 イザベラが扉をノックする。

 

「ライザー様、起きていますか? ライザー様にお客様です」

 

 呼び掛けるが返事は無い。

 

「ライザー様?」

 

 もう一度ノックして呼び掛けるがまたも返事は無かった。

 

「イザベラ、変わってくれるかしら?」

 

 レイヴェルが扉の前に立つと、握った掌で先程の何倍もの勢いで扉を叩く。

 

「お兄様! お客様です!」

 

 呼び掛ける声もまた何倍もの声量。

 すると扉越しに何かが動く音がする。シンの耳には、布の擦れるような音に聞こえた。

 

「……レイヴェルか」

 

 初めその声が誰のものかシンには分からなかった。部屋の中に居るのはライザー一人である為、ライザーの声には違いない。だというのに、聞こえてくる声とシンが記憶しているライザーとの声には落差があった。

 扉越しだの数ヶ月振りに聞いた声だのという理由だからではない。あまりに覇気が無い声。過剰な自信が込められていたライザーの声とは似ても似つかなく、そのせいで繋がらない。

 

「……済まないが帰ってもらってくれ。今は誰とも会う気がしない」

「またそんなことを……そう言って前も出てきてくれませんでしたわ」

「寝て起きる度に嫌な夢を見る……それが続く限り誰とも会う気は無い」

 

 傍から聞いていると同情を通り越して苛立ちすら覚えてしまうぐらい弱々しい。蚊の羽音の方が力強く思えてしまう。

 そんな弱々しいライザーの態度に溜息を吐きながらも、レイヴェルは引かない。

 

「今回だけは、絶対に会ってもらいます。来ている方は、セタンタ様と間薙さんです」

「……はっ?」

 

 一瞬間が空いた後に呆けた声が聞こえた。予想の範囲外の訪問者に動揺しているのが分かる。

 

「セ、セタンタ様と――間薙、あの時の小僧だと! ど、どういうことだ!」

 

 狼狽えるライザー。セタンタは構うことなく扉の前に立ち、話し掛けた。

 

「突然の訪問、申し訳ございません。ライザー様」

「……その声、間違いなくセタンタ様ですね。何をしに来たのですか?」

「偶然街でレイヴェル様に出会い、その時にライザー様の不調を知ったので心配になってつい。あくまで私個人の意思で来ているので、リアス様は居ません」

「そ、そうか」

 

 声に安堵が混じっているのが分かる。当然と言えば当然であるが、やはりリアスには会いたくないらしい。

 

「お兄様。いつまでも扉越しで会話するのは失礼と思われますが?」

 

 レイヴェルがタイミングを計らって出てくることを促す。リアスが居ないことに安心したのかは分からないが、レイヴェルの言葉に従ったのか扉がゆっくりと開いた。

 

「……あの時以来だな」

 

 扉から出て来たライザーの目に真っ先に入ったのはシンの姿であった。間接的とはいえ自分が負ける要因を作ったシンに対し、つい恨みがましい視線を向ける。

 一方でシンの方もライザーを見るのはレーティングゲーム以来であったが、大分風貌が変わっていた。

 後ろに撫でつけていた髪は全て垂れ、整えていないせいでボサボサであった。口周りにも手入れをしていないせいで不精髭が生えている。顔色も悪く、頬もややこけている。服もズボンも皺だらけ。服に至ってはボタンを何箇所も掛け違えている。そのせいで初めて見た時の高慢さはすっかり抜け落ちている様に見えた。

 尤もこれはこれで陰をもった野性味がある感じで様になっており、ライザー自身が紛れも無く美形であることを証明しているようであった。

 

「どうも」

 

 シンは軽く頭を下げる。それを見てライザーは鼻を鳴らし、セタンタの方に目を向ける。

 

「今更何をしに来たのですか? 俺のことを笑いにでも? あの時、貴方が俺とリアスの婚約に反対だったのは分かっているのですよ?」

「さて、一体何のことか? あの時はあくまでリアス様の御友人を守っていただけですので」

 

 白を切るセタンタに若干怒りの籠った眼差しを向けるが、すぐにその怒りは冷め、目線を落とす。

 

「見舞いに来てくださったことには礼を言います。しかし、何も話す気分ではありません。では」

 

 言い終えると同時に扉を閉めようとする。が、ガチンという音が鳴り、扉が途中で止まる。いつの間にかセタンタの槍が扉に挟まれており、閉まるのを阻んでいた。

 

「……何のつもりですか?」

「ライザー様に話すことは無くとも私にはありますので。聞きたくありませんか?」

「……何をですか?」

「『赤龍帝』の今を」

 

 イザベラから禁句と言われていた言葉をあっさり口に出したセタンタに、ライザーを含む眷属たちの顔色が変わる。特にライザーの変化は著しく、ただでさえ悪かった顔色が更に悪くなり、全身が震え始め、汗が噴き出し、目の焦点が激しく揺れる。

 

「せ、せ、赤龍帝だと……」

 

 上手く舌も回らないのか、どもりながらやっとその言葉を口にする。

 名を聞くだけでこれほど動揺するのなら、本人を連れてきたら発狂するかもしれないと、シンは今のライザーを見ながら思った。

 

「彼は、今冥界で特別な訓練を受けています。『禁手』に至る為の特訓を、それこそ命を削る様な内容をこなして」

「そ、そんなこと俺がし、知ってどうするんですか!」

「知っておいた方がいいと思いますよ。もし赤龍帝ともう一度戦う気があるとするならば」

 

 ライザーの肩が震える。セタンタの言葉を想像し、恐怖によって震えたのか。あるいは心の奥底で本当は考えている図星を指されたせいなのか。

 

「ここでこのまま何もせずにただ部屋の中で無為に過ごし続ければ、貴方は赤龍帝に追い付く機会を失う。それこそ永遠に。貴方はそれでいいのですか?」

「そ、そんなことは……」

 

 ライザーの中に葛藤が見えた。ただ腐っていくだけの現状に対する焦燥。抜け出したくとも折れた心、恐れや不安が枷となり抜け出すことが出来ず逃避の日々。

 一度は一誠によって叩き潰された誇りが、ライザーをここまで落ちぶらせていると同時に、完全に折れない為の唯一の支えとなっているのが分かる。

 今、セタンタはその支えを激しく揺さぶっている。支えがどちらに倒れるのかは誰にも分からない。完全に倒れるのか、それとも――

 

「断言します。今の貴方ではきっと彼にも勝てないでしょう」

 

 ――が、その矛先は突如としてシンへと向けられた。

 皆の視線が一斉にシンへと注がれる。事前に何も聞かされていないシンもセタンタの発言は寝耳に水であり、咄嗟に声が出なかった。

 

「……どういう意味ですか?」

 

 先程とは打って変わって、低い声を出しながらセタンタを睨み付ける。セタンタの言葉を挑発と受け取った様子であった。そうとってしまうのも無理は無い。いくら赤龍帝に負ける敗因の一つを作った人物とはいえ、一度たりとも戦っていないライザーの認識からしてみれば、自分の『女王』を倒したそこそこの実力者程度のもの。それがいきなり自分よりも強いと言われれば、流石に舐められていると思うかもしれない。

 

「言葉通りの意味です。きっと貴方は彼には勝てない。ああ、先程『今』のと言いましたが訂正しておきます。『万全』の貴方でも勝てないでしょう」

 

 挑発に挑発を重ねていく。これにはレイヴェルたちも絶句してしまう。

 蒼白かったライザーの顔色は今や憤怒によって赤く染まっており、扉から覗く指先は力が込められすぎて、血の気が引いて白くなっている。

 

「俺がこいつに勝てない……本当にそう思っているのですね?」

「ええ、確信しています」

 

 ライザーがシンを睨み付ける。明らかな敵意が込められていた。

 度重なるセタンタの挑発。そして、赤龍帝との一戦の時にあった手助け。それらが鬱屈した精神の中で混じり合い、殆ど何もしていないシンに対し異常なまでの敵意を持たせる。

 身も蓋も無い言い方をすれば八つ当たりに過ぎないのだが、それに気付く程の余裕は今のライザーには無かった。

 

「すぐに訂正してもらいます」

 

 弾ける様にして扉が開くと同時に、中にいたライザーがシンに向かって問答無用で拳を振るう。

 いくら先にセタンタが挑発していたからとはいえ、客人に対しての蛮行。レイヴェルたちも慌てて止めようとするが、飛び出してきたライザーの動きの方が遥かに速い。

 大振りの拳がシンの側頭部へと叩き付けられる――かに思えた次の時には、何故かライザーは後ろに向かって数歩後退し、飛び出した扉を潜るとそこでバランスを崩して尻餅を突いてしまう。

 

「え?」

 

 信じ難い様子で兄とシンを交互に見るレイヴェル。襲い掛かったライザーが逆に床に座り込んでいることを理解出来ていなかった。

 困惑しているレイヴェルとは逆にユーベルーナ、カーラマインとイザベラは、あの一瞬の出来事で何が起こったのかを正確に把握し、戦慄していた。

 シンがしたことは至ってシンプルであった。殴り掛かるライザーの拳を片手で撥ね除けた後、その手でライザーの胸を押したのだ。

 たったそれだけのことであるが、いくら不調とはいえ主であるライザーの実力を十分に知っている者たちからすれば驚くしかない。それも実力の底が見えない程軽くやってのけたことが更に驚きを増させる。

 だがこの場で一番驚いているのは、他ならぬライザー自身であった。

 

(何で俺がこいつを見上げているんだ?)

 

 まず自分の身に起きている状況に疑問を持たずにはいられなかった。

 殴り掛かり、本来ならば自分が見下ろしている立場の筈であった。だが現実の立場は逆である。

 

(手加減なんてしていなかった……)

 

 自室にずっと籠っている為、万全とは言えない体調ではあるが、だからといって実力が何割も落ちている訳ではない。シンに向かって放った拳は、レーティングゲームで赤龍帝を一方的に嬲った時と同じくらいの威力はあった筈であった。

 しかし、それを軽々と払われたかと思えば、気遣いを感じられる程軽い力で押しのけられた。まるで駄々を捏ねる子供に仕方なく付き合ったかの様に。

 

(こいつはこんなにも強かったのか?)

 

 弱いとは微塵にも思っていなかったが、自分よりも強いなどとは微塵も思っていなかった。だが、ほんの僅か戦っただけで分かる相手の実力。それは間違いなく強者のものであった。

 

(こいつがこれだけ強いとなると今の赤龍帝は……)

 

 そう考えた途端、臓腑が爛れる様な不快感と心臓を握り締められたかのような動悸がライザーを襲う。

 

(あれからもっと強くなっているのか? あの時は十秒で負けてしまったのに今度戦えば瞬殺されてしまうのか? このまま引き離されていいのか? ならもう一度戦うのか? もう一度戦って負けたらどうする? なら鍛えるか? 鍛えて負けたらどうする? ならこのまま何もしないでずっと部屋の中にいるのか? そんなことをしていれば更に離されるぞ? ならやっぱりもう一度戦うのか? なら――なら――なら――)

 

 今の自分を甘やかそうとする自分自身の声と今の自分を否定する自分自身の声。いわゆる焦燥がライザーの中で激しく駆っていた。だが、どんなに考えても答えなど出て来ない。未だに迷っているライザーが答えなど出せる筈が無かった。

 ライザーが考えている中、シンが歩み出る。そして、セタンタの隣を通る際に横目で視線を送った。

 最初からこうするつもりでしたか? という批難を含んだ視線であったが、セタンタの方は一切反応を見せない。

 恐らくレイヴェルの話を聞いたときから、この様な展開にすることをセタンタは考えていたのであろう。森で戦う相手が居なくなったので、別の修行相手として上級悪魔であるライザーをぶつけ、量よりも質を高めた修行をさせる腹積もりなのであろう。

 下手をしなくてもグレモリー家とフェニックス家との間に問題が発生してしまうだろうが、余程上手く捌く自信があるのか、あるいは何も考えていないのか。セタンタを見てもその真意は分からない。

 

(このヒトはかなり性格が悪いのでは?)

 

 セタンタの言動を見ていたシンは、そんな感想を抱いてしまう。

 シンがライザーの前に立つ。するとそこでようやくシンの接近に気付き、ライザーがビクリと肩を震わせた。

 

(どうするか……)

 

 シンには二つの選択肢があった。セタンタの思惑通りにライザーを挑発、そこから更なる戦いに発展させる選択。セタンタの考えに反して先程のことを詫びて事を収めるという選択。

 いくら修業とはいえ、好き勝手に巻き込まれることに不快感を覚えたシンは後者を選択。座り込んでいるライザーに向けて手を差し伸ばした。

 が、これが失敗であったと十数秒後思い知らされることになる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 出された手を見て、ライザーは一瞬何をしているのか分からない、という表情となった。しかし、すぐに相手から気遣われていることに気付く。思い至ると同時にライザーの胸の裡に屈辱の感情が激しく沸き立った。

 シンからすれば別に他意の無い行為であるが、ライザーの視点からすれば見下されている行為に等しい。互いの考えの違いが摩擦を生み、それが更なる戦いの火種となる。

 

「そんなに俺が弱々しく見えるか?」

 

 ぼそりと呟いた言葉にシンは不穏な気配を察知する。

 

「お前に同情されるほど弱く見えるかぁぁ!」

 

 怒声を上げながらライザーの両腕から炎が噴き上げる。左右から挟み込む様にして振るわれるそれは、炎の軌跡もあって鳥の羽ばたきの様に見えた。

 殺気立った一撃にシンもまた反射的に動く。

 左右からくる熱を肌で感じながら、正面に立つライザーの胸部に前蹴りを叩き込んだ。

 最速を以て出されたそれは手加減出来る筈も無く、ライザーの体は部屋の端まで蹴り飛ばされる。

 蹴り飛ばされていくライザーの姿を見て、咄嗟にやってしまったこととはいえ、事が取り返しのつかない段階に行ってしまったことを悟る。最早言い訳のしようなど無い。こうなってしまったのならば、後は流れに任せるしかない。

 ライザーの後を追って、シンは部屋の中に踏み入れる。するとシンの後をピクシーたちが勝手についていく。

 行き成りの事に言葉を失っていたレイヴェルであったが、部屋に入っていくシンたちの姿を見て気持ちを持ち直すと、ここで意外な指示を飛ばす。

 

「ユーベルーナ。今すぐこの部屋全体に結界を張りなさい。周りに被害が出ない様に。そしてカーラマイン、美南風(みはえ)をここに呼んできなさい。ユーベルーナの補助をさせます」

 

 指示の内容に一瞬戸惑うライザーの眷属たち。

 

「――分かりました」

 

 しかし、リーダー格のユーベルーナが了承したことで他の眷属たちもそれを了承。カーラマインが指示に従って、眷属の一人を呼ぶ為に駆け出す。

 

「残った者は、私と一緒に行動してもらうわ。――お兄様と彼の戦いを見届けます」

 

 そう言い、レイヴェルもまた部屋の中に入っていこうとする。

 

「こういう台詞を私が言うのは何ですが、『よろしいのですね』?」

 

 切っ掛けを生み出した張本人であるセタンタが、二人の戦いを収める所か舞台を整えようとしていることに対し問う。セタンタからしてみれば即拘束されても処分されてもおかしくないことをしている自覚はあった。

 

「私は兄に一日でも早く立ち直ってもらいたいと思っています。今までは、時が過ぎることによって受けた傷が埋まると思っていましたが、実際の所は傷が埋まる所かそれの影響で日々を腐った様に生きるという状態になってしまいました。そろそろ活を入れる時なのかもしれません」

 

 シンはセタンタが計算や算段の上でこれを起こしたと思っているかもしれないが、実際の所はほぼ賭けの様なものであり、ギリギリの綱渡りである。こうなると思った根拠も街でレイヴェルと会話している中、ライザーの現状に対して憤りを覚えたという非常に薄いものであった。

 だが、結果としてセタンタは綱を渡り切った。

 

「私はお兄様にどんな形であれ立ち上がって欲しいのです。今から一歩前に踏み出して欲しいと願っています。これが切っ掛けとなってくれればいいのですが……」

「今のライザー様は、完全に自信を喪失しています。ですが、誇りまでは完全に失ってはいません。傷口に爪を立てる様な荒療治ではありますが、この戦いを機にもう一度取り戻してもらいましょう」

 

 シンの能力向上にライザーを利用しているのは間違いないが、引き篭もっているライザーを立ち直らせようという気持ちに偽りは無い。その為の手段に、セタンタは一切の遠慮などしない。下手をすれば折れかけているライザーの心を完全にへし折り、誇りごと木っ端微塵になって、二度と表舞台に出て来なくなる可能性も考えていた。

 レイヴェルが部屋の中に入ると、壁にもたれていたライザーがゆっくりと立ち上がっている所であった。

 胸を押さえながら俯いていた顔を上げる。そこには言い様の無い絶望感の様な表情が浮かんでいた。

 

「こんな……! ことが……!」

 

 ほんの少し外の世界から目を逸らしていたつもりだったのに、その間に信じられないぐらい力を上げたシンに対し、ライザーは動揺を隠せない。

 

 その実力はまるで赤龍帝の禁手の様な――

 

 そこで思考を中断させる様にライザーは両腕から炎を生み出す。部屋の中に一気に熱気が吹き荒れるが、ユーベルーナが既に結界を施しているお陰で周りの家具などに炎が引火することは無かった。

 

「そんな、筈は、無い!」

 

 目の前の男は少々特殊ではあるが人間であることは間違いない。神滅具どころか神器すら持っていない人間である。

 ライザーは、赤龍帝に敗北し意気消沈していたものの、心の何処かでは自分に対してある言い訳をしていた。

 

『あれはドラゴンの力を持っていたから勝ったんだ』

『神器の中でも特別な神滅器を所有していたから負けたんだ』

『十秒とはいえ神滅器の禁手が発動していたから勝つことが出来なかった』

 

 かつて一誠が神滅器を所有していることに嘲笑を向けたライザーであったが、皮肉にもそれが誇りに付いた深い傷を抑えてくれていた。

 だが、今の相手にはそんな言い訳は通用しない。

 もしここで負ける様なことがあるとすれば――

 

「おおおおおおおおおおおお!」

 

 想像したくない光景を振り払う様に燃え盛る腕を振るう。炎が散弾の様に奔り、シンの逃げ場を奪う。

 その場から一歩も動こうとはしないシン。だが、それは逃げ道を塞がれたからではない。もとより逃げるつもりなど無かった。

 シンの右手に魔力が集中し、瞬く間に魔力による剣が形成される。

 それを見たレイヴェルとユーベルーナが目を見開く。レーティングゲームで見せられ、実際に受けた技であったが、あの時よりも発動が早く、剣から感じられる魔力の量も上がっている。

 シンが魔力剣を振り払う。蓄積されていた魔力が解放され、それが飛んで来た炎を包み込むと、そのまま押し返すのではなく無茶苦茶に暴れ狂う魔力の波によって四散してしまう。まるで見えざる咢に食い散らかされた様に見えた。

 フェニックスの炎をあっさりと掻き消されたことにライザーは目を見張ったが、すぐに自分へと向かってきている魔力の波を見て、急いで駆け出す。

 魔力の波が壁に衝突。結界の効果で壁を破壊することは無かったが、行き場を失った破壊は結界全体に伝わって結界そのものを激しく揺さぶり、その揺さぶりはユーベルーナへの負担と化す。

 

「くっ! これほどとは!」

 

 歯を食い縛りながら耐えるユーベルーナ。その額から汗が流れ落ちている。

 結界を維持するだけでも相当の負担が掛かっていることが分かる。

 一方、シンの熱波剣を辛うじて躱したライザーであったが、彼は激しく傷付いていた。肉体では無く、その精神が。

 炎と風を司るフェニックス。それが放つ炎は魔術で生み出された炎とは比べものにならないものであり、その威力はライザーも自負していた。赤龍帝の鎧ですらライザーの炎を完全に耐えることが出来なかった。

 それがまるで蝋燭の炎の様に吹き消された。それがどれほどのショックなのかは当人にしか分からない。

 だが、シンはライザーが激しく動揺していることが分かった。何故ならば拳が届く範囲まで接近している自分の存在に未だに気付いていないのだから。

 シンが拳を握り締めたとき、ようやくライザーはシンの接近に気付くがもう遅い。防御しようと交差させようとしている腕の隙間を縫って、ライザーの頬にシンの拳が突き刺さった。

 当たった拳をそのまま振り抜くのではなく、更に押し込む様に捩じりながら真横ではなく斜め下に向かって振るう。押し込む度にライザーの顔は変形し、拳から伝わる感触が肉から骨のものへと変わっていった。

 床目掛けて拳を振り抜くと、ライザーは側頭部から床に叩き付けられ、それでも力はまだ残っていたのか、そこから跳ね上がり側転する様に転がっていく。

 

「お兄様!」

『ライザー様!』

 

 流石のレイヴェルや眷属たちも悲痛な声を上げる。それほどまでにライザーが痛々しい殴られ方をしていたのだ。

 殴り飛ばされたライザーは、壁際に置いてある高級な装飾がされた衣装棚へとぶつかって動きを止める。

 最初の数十秒は全く動かなかったが、やがて呻き声を上げながらゆっくりと動き始める。

 

「ぐ、ううう!」

 

 口内が切れたのか血が混じった唾液を垂らしながら立ち上がろうとしている。いくらでも追撃出来る程隙だらけな姿であったが、シンは手を出さずにライザーが立ち上がるのを待っていた。

 やがて衣装棚にもたれ掛りながらライザーが立ち上がる。

 

「血が出ているな」

 

 ライザーを見ながらシンが呟く。

 

「ああ! お前のせいでな!」

 

 それを馬鹿にしていると捉えたライザーが苛立ち混じりに言うが、シンが言っているのはそのことではない。

 

「治さないのか?」

 

 その言葉にライザーが硬直し、反射的に口の端から流れる血を拭う。

 フェニックスは瞬時に傷を治す再生能力を持っている。実際にシンは見た訳ではないが、ライザーとのレーティングゲームの事前にリアスから聞いたことがあった。しかし、今のライザーからは聞いていた様な再生能力が感じられなかった。その証拠にシンが殴りつけた痕は頬に刻まれたままであり、さっき拭った筈の血も新たに流れ始めている。

 精神が疲弊すれば再生能力も鈍ると知っていたが、今のライザーは小さな傷を治せない程精神が落ち込んでいるらしい。

 

「お兄様、そこまで心を痛めて……」

 

 再生出来ない不死鳥。それがどれほど痛ましいものか、同じフェニックスであるレイヴェルは衝撃を受けていた。戦いが始まる前は不甲斐無い兄と憤慨すらしていたが、本当に弱り切った姿を見せつけられ、それも憐憫に変わってしまう。

 だが、この場で最もショックを受けていたのは、紛れもなくライザー当人であった。

 

(痛い……)

 

 何もしなくてもズキズキとした痛みが顔全体を蝕む。口の中には不快な鉄の味が広がっていく。舌を動かして頬の内側にある傷に触れれば、ざらついた感触と鋭い痛みが伝わってくる。

 通常時ならばとっくに治っている傷だというのに、それが治らない。不死身と称しても過言ではない再生能力を持つ身として、この様な継続する痛みは無縁なものであった。

 頭を吹き飛ばされようが、全身を吹き飛ばされようがその度に再生していた。だが、今の自分はこんな軽傷一つ治せないでいる。

 不死。フェニックスにとって代名詞とも呼べるそれが今の自分には無い。不死身では無い不死鳥に、一体どんな価値があるというのであろうか。

 

(なら俺は……俺の存在価値は……)

 

 今にも崩れ落ちそうになるアイデンティティー。

 そのとき――

 

「怖かったら逃げ出してもいいですよ?」

 

 ――シンが弱っているライザーへと言葉を掛ける。

 

「……何だと?」

「言葉通りの意味です。怖いんだったら今すぐ止めましょうか?」

 

 明らかな挑発。言葉に憐みが入っているが口調自体には含まれていない。どこまでも感情を感じさせない平坦なものであった。

 何を意図してそんなことを言い放ったのかは分からない。しかし、シンから言われた言葉はグチャグチャになっていたライザーの思考を一気に凍結させ、一つの考えに纏めさせようとしていた。

 

「貴様は……俺を、舐めているのか……!」

「何か言うぐらいなら行動で示したらどうなんですか? そんなのだから舐められてもしょうがないと思いますが? まあ、舐められたくないなら――」

 

 さっきまでこの世の終わりかのように蒼白であったライザーの顔色が、怒りで赤く染まっていく。

 真っ向からシンの言葉を受けているライザーはそれを嘲りと捉えたが、傍から聞いていたセタンタたちには違って聞こえていた。まるでライザーを焚き付ける様にわざと挑発しているかのようであった。

 

「――かかって来い。『ライザー・フェニックス』」

 

 指招きするシンの姿を見て、ライザーは頭の奥で何かが切れるような音が聞こえた気がした。

 ここに至るまでに溜まっていた鬱憤。引き篭もっていた間に少しずつ溜まっていた鬱憤。それらが重なり、混じり、一つとなっていた所にシンのこの一言。心の中で積りに積もったものへの火種となり、ライザーの中で感情が暴発する。

 ようはキレたのだ。

 

「舐めてんじゃねぇぞ、このクソガキがぁぁぁぁぁぁぁ! 俺を! ライザー・フェニックスを! 不死鳥を! 見下すんじゃねぇぇぇぇぇぇ!」

 

 見学していたピクシーたちが思わず仰け反る程の怒気と声量を放つライザー。

 燃え盛っていた炎は両腕に止まらず、全身から噴き上がり、一瞬にして部屋の温度を上昇させる。

 

「ヒホ! 暑いホ! 熱いホ! 溶けちゃうホー!」

 

 熱を嫌うジャックフロストが急激な温度変化に、堪らずパニックを起こす。

 

「慌てな~い、慌てな~い」

 

 ジャックランタンがカンテラを掲げる。

 

「あっ。涼しくなった」

 

 その途端、カンテラを中心にして周囲の温度が平常時のものとなる。以前、カンテラで炎を吸収してみせたジャックランタンであったが、炎だけではなく熱も吸収出来るらしい。

 

「ライザー様! これ以上は……!」

 

 ユーベルーナの額から玉の様な汗が流れ落ちる。部屋の中に急速に満ちていく熱気だけではなく、許容範囲を超えそうな程の炎を放つライザーによって結界を維持し続けられなくなってきたのも理由であった。

 

「レイヴェル様! 連れてきました!」

 

 その時、レイヴェルに命令されていたイザベラが戻ってきた。その後ろには十二単を纏った女性の姿。ライザーの『僧侶』の美南風である。

 

「これは――」

 

 部屋の中で何故か戦っているライザー。そして、その戦っている相手が何故か以前レーティングゲームで戦ったことがある人物。その戦いを何故か眺めているのは、公の場に姿を滅多に見せないセタンタ。

 一体どういった経緯でこうなったのか全く分からず、来て早々に困惑してしまう。

 

「呆けていないで、貴女も結界の維持を手伝いなさい!」

 

 ユーベルーナの声を聞き、考えるのを止めてすぐにユーベルーナの手助けをする。本当ならば事情を聞くべきなのであろうが、ライザーの全身から放たれる膨大な炎に一刻を争うと判断したようであった。

 

「絶対に! ぶちのめしてやる!」

 

 血走った眼でシンを睨み付けるライザー。

 

(少し焚き付け過ぎたか?)

 

 予想以上に激怒しているのを見て、成功とも失敗とも言えない結果に何とも言えない気持ちになってしまう。

 

「があああああああああああああああ!」

 

 咆哮を上げるとライザーの背から翼の様な炎が噴き出す。それと同時にライザーが床を蹴り飛ばした瞬間、背中の炎が倍以上の勢いで噴き出し、一気に加速する。

 まるで背中にロケットエンジンでも背負っているかの様な急加速。先程放たれた炎弾よりも遥かに速いが、シンの目はライザーの動きを正確に捉えていた。

 五指を鉤爪の様に広げてそこに炎を燃やしながら、シンの肩から腰に掛けて斜めに裂こうと右腕が振るわれる。

 しかし、振るわれる直前にシンは拳を振り上げながら前に踏み込み距離を縮め、攻撃の内側に入り込むと同時に突き出した拳を絶妙なタイミングでライザーの頬へと叩き込む。

 シンの拳の威力とライザーの加速で二人の動きが僅かな間均衡するが、最終的に勝ったのはシンの拳であった。

 頬に入った拳をそのまま振り抜く。ライザーの体がその場で一回転したかと思えば、背中の炎の翼による加速で天井目掛けて飛び上がり、そのまま天井へと叩き付けられたかと思えば、そこから無理矢理体を捻って方向転換して今度は窓に体を叩き付けた後、床へ降りるが、ダメージがあるのか四つん這いとなる。

 無軌道という言葉が相応しい程、無茶苦茶な飛び方であった。

 ライザーが立ち上がる。その頬には殴られた拳の跡が深々と刻まれていた。それを覆い隠す様に炎が立ち上るが、それだけに止まり、ライザーは顔半分に仮面の様に炎を被っていた。

 恐らく傷を再生させているのであろうが、再生能力が完全に戻っていないらしく中途半端な状態となっていた。

 一方、ライザーを殴ったシンは僅かに顔を顰めながら、殴った手に目線を落としている。

 拳から上がる白煙。手の甲全体が赤くなっており水泡が出来ていた。ライザーに触れたあの僅かな瞬間で火傷を負わされていたのだ。

 シンは焼け爛れた拳に息を吹き掛ける。白い冷気となって出された息は両手を包み込み、霜を降ろした。ライザーの熱に対する慰め程度の防御策である。

 体勢を戻したライザーが、再び翼を羽ばたかせ、シンに向かって突撃してくる。

 それを見たと同時に、シンは左手を突き出して構え、照準を固定させる様に右手で左手首を掴む。

 左手の中に蛍光色の魔力が収束されていく。だが、ライザーはそれを分かっているのか分からないのか、避ける動きを見せることなく一直線に向かってくる。

 両者の距離が約三メートルとなったとき、左手に収束されていた魔力は完全に溜まった訳ではないがこれ以上は待つことが出来ないと判断し、ライザーに向けてそれを放つ。

 蛍光色の魔力の光弾がライザーを呑み込まん勢いで襲い掛かる。しかし、ライザーは横へ僅かに体を動かして、それを受けた。

 光弾に呑まれ通過したとき、ライザーの体は右腕から右足に掛けて消失していた。だがそれに構うことなくライザーは前進、シンとの距離を詰めた。

 右半身が消失した状態のライザーが左腕を振り上げると、肘から炎が噴き出し、それによって勢いを得た大振りの一撃を放つ。光弾を放った直後を狙われたシンに躱す余裕は無く、咄嗟に右腕を掲げた。

 拳が腕に触れた瞬間、シンは体内で骨が軋む音を聞き、耳で皮膚が焼ける音を聞いた。

 上半身が吹き飛ばされそうになるのを両足に力を込めて耐える。

 そのとき、シンは視界の端にあるものを捉えた。

 先程の攻撃で無くなったライザーの右半身。その断面から炎が噴き出し、それが右腕を形成している光景であった。

 炎が腕らしき形になると同時に横振りの一撃が襲い掛かってくる。

 反射的に左腕を向けるシン。辛うじて受け止めることが出来た――かに思えた。

 ライザーの炎の拳を防いだと思ったら突如右腕が膨張、次の瞬間爆発音と共に右拳が停止状態から加速し、シンを左腕ごと殴り飛ばしていた。

 体の側面から壁に衝突。肩や腰、側頭部を激しく打ち付ける。

 だが呻き声一つ上げることなく、ダメージを感じさせない素早い動きでシンは壁から離れる。

 左腕は先程の爆発で焼け爛れ、赤黒く変色している。左耳も同様に爆音を至近距離で聞いたせいで聴力が麻痺しており、キーンという音が頭の中に鳴り響いている。口内は裂け血の味が広がり、血が溜まってきたので静かにそれを嚥下する。少しでも相手に傷を負ってないと思わせる為のやせ我慢である。

 シンはライザーを改めて見る。体の至る所から炎が噴き上がっており、右半身は炎によって形作られている。損傷を負う度に異形化していくライザー。果たしてこのまま戦い続けるとどうなってしまうのか。

 荒い息を何度も繰り返すライザー。吐き出された息は高熱を帯びており、息が炎と化している。

 暴走に近い状態のライザー、そして傷を負ったシンの姿を見て、レイヴェルは予想を超えた惨状になってしまったことに堪らず側にいたセタンタへ声を掛ける。

 

「今すぐに止めないと!」

「何故ですか?」

 

 返ってきたセタンタの反応は淡白なものであった為、レイヴェルは更に焦りを募らせる。

 

「このまま放っておいたら死人が出ますわ!」

「大丈夫です。お互い本気ですが殺気は薄いので」

「だからといって万が一のことも!」

「大丈夫です。死人は決して出ません」

「どうしてそう言い切れるのですか!」

 

 平然としているセタンタの態度に苛立ち、詰問する。

 

「私が出させませんから」

 

 ただ自分がこの場にいるから死人が出ない。傲慢にも自信過剰にも聞こえる台詞であった。しかし、その言葉を聞いてしまった瞬間、レイヴェルは無条件に納得し掛けてしまった。

 根拠がある訳ではない。だが、セタンタという存在が放つ目に見えない何かが、言葉に説得力を持たせていた。故にレイヴェルはそれ以上に何も言うことが出来なくなる。周りの眷属たちも同様であった。

 閉口してしまったレイヴェルの前で再び両者が激突する。

 舞う炎や揺らぐ熱が容赦無くシンの身体を焼いていく。致命傷は避けているものの、見る側が痛々しく思える程の火傷が次々に出来ていた。だが、シンの方も相手が不死身だからか、苛烈な攻撃を繰り返している。

 至近距離で氷の息を吹き掛けたかと思えば、間髪入れずに熱波剣を叩き込み、ライザーの体の一部を四散させたかと思えば、空いた手でライザーの顔面を鷲掴みにし、手が焦げていくのを構わず、密着した状態で光弾を撃ち出した。

 ライザーの頭部が下顎から上が光弾で消し飛ぶ。常人ならば即死しているだろうが、ライザーはものの数秒でそれを再生させた。だが、復活した部分は元通りになっておらず、目鼻や口の形は認識出来るものの、再生した箇所が発火した状態となっており、ますます異形化が進む。

 内側から溢れる怒りを叫びながら無茶苦茶な攻撃を繰り返すライザー。対照的に無言のまま攻撃を繰り返すシン。一見すれば冷静さを保ち続けているシンの方が有利に思えるが、シンの攻撃を受ける度にライザーは不完全ながらも再生し、その都度シンは新たな傷を負っている。尤も、ライザーがこのまま不完全な再生を繰り返せばどんな影響が起きるかは分からず、両者とも未だ先が見えない状態であった。

 突き出されるライザーの手刀。躱せないと判断したのか、シンはその手首を掴んで止める。当然、高熱を帯びているので掴む手は焼け、煙が上がる。

 そしてそのまま反撃に移ろうとしたとき――

 

「……何故だ?」

 

 ――ライザーの呟きに振り上げた拳が止まった。

 

「何故お前はそこまで戦える?」

 

 怒りが冷めてきたのか、最初の時とは比べものにならない程静かな声であった。

 

「そこまで傷を負ってまで何で戦える? 何故折れない? 俺の炎が怖くないのか?」

 

 今も焼けていくシンの手を見ながら、理解出来ないといった感情を籠めて問う。

 

「深い理由なんて無い。強いて言うなら――負けたくないからだ」

「負けたくない? 誰にだ?」

「――目の前のお前以外にいるのか?」

 

 呆れたと言わんばかりに溜息一つ吐く。

 

「……俺に勝って、意味や価値なんてあるのか?」

 

 激昂していたのが嘘の様に卑屈になっていく。それに伴ってあれほど燃え盛っていた炎や熱も感情と同じく消沈していった。

 

「質問を質問で返して悪いが、そっちこそ俺と戦う意味があるのか?」

「お前が、俺の! フェニックスの誇りに傷を付けたからだろうが!」

 

 再び熱を帯びていくが、シンは冷めたままあることを聞く。

 

「何故そこまで自分の家に拘るんだ?」

「……何?」

「お前はフェニックス家の三男なんだろう? 当然、家督権は長男にある。どんなに足掻いても余程の事が無い限り、お前がフェニックスを継ぐことは無い」

「それが……どうした……」

「レーティングゲームで勝ったり、接待なんかをして他所の家から点数を稼いだりしているみたいだが、フェニックス家の株は上がっても、お前自身の株が上がるかと言えば……」

「……黙れ」

「継げない家の誇りを護って何の意味がある?」

「――黙りやがれ」

 

 ライザーがシンの胸倉を掴む。

 

「お前は……俺が……フェニックスの家を継ぐ為にあれこれしていると思っているのか……舐めるな」

 

 今までの怒りが爆炎と例えるなら、青炎の様に静かな怒りであった。だが、その内に込められた感情は先程の比では無い。シンは真にライザーを怒らせたことを感じた。

 

「俺が、俺がこの家に尽くすのは……」

 

 思い浮かぶのは二人の兄の姿。どちらも自分よりも悪魔として遥かに優れている。嫉妬を感じないと言えば嘘になるが、それを上回る程の尊敬の念を持っている。二人の弟として誇り高くもあり重圧も感じていた。

 フェニックス家は間違いなく長兄が継ぐ。万が一のことがあったとしても同じくらい優秀な次兄がおり、どう考えてもフェニックスの家は安泰である。

 三男である自分がフェニックスの家を継ぐことはないとライザー自身重々承知していた。ならば自分はフェニックスの為に何が出来るのか、考えた上で起こした行動といえばレーティングゲームの際に名家との繋がりを強くする為に接待。将来のことを見据え、魔王も輩出している名家であるグレモリー家との婚約であった。ライザー自身、リアスには色々な理由で好感を持っていたが、それよりも名家としての義務、悪魔の将来についての考えの方が強かった。

 

「俺が、俺が家に尽くす理由は……」

 

 尽くす理由。そんなものは最初から決まっている。

 

「俺がこの家のことを誇りに――」

 

 違う。理由はもっと、ずっと単純である。

 

「――この家が好きだから尽くすんだよ!」

 

 好きだから。子供の様な単純な理由。だが、それこそがライザーにとっての原点であった。故に一誠に負けた時に精神はどん底に落ち込んだ。初めて完敗したことや想像していた輝かしい未来を失ったのも理由の一つであるが、一番の理由はそんな醜態を晒して家の名に泥を塗ってしまったことであった。

 言った後にライザーは後悔し目を伏せる。昂った感情のままに本音を曝け出してしまったが、傍から聞いていれば幼稚そのもの。きっと相手は呆れか、冷めた表情をしているのが目に見えていた。

 

「――そうか」

 

 至って平坦な声。だがそこに蔑みの感情は無い。伏せていた目を上げれば、変わらない表情のシン。

 

「今のを聞いて、少しだけお前に好感が持てた」

「――はっ。野郎の好意なんているか」

 

 どちらかという訳では無く両者は掴んでいた手を離す。直後、掴んでいた手は拳となって互いの頬へと叩き付けられ、弾かれた様に二人が吹き飛ぶ。

 壁際まで移動する両者。先に体勢を立て直したのは再生能力を持つライザーの方であった。

 ライザーは頭上に手を掲げ、そこに炎を生み出す。轟々と燃える炎が一つの塊になる。さながら太陽を掲げているかのようであった。

 手加減抜きの本気の一撃。まともに受ければ下手をしなくても命は無い。だが、ライザーは躊躇うことなくそれを放る。しかし、先程までとは違い全力ではあるが殺意は無かった。

 自分相手にあれだけ出来たんだからこれもどうせどうにかするだろう、という一種の信頼であった。尤も、それはそれで腹が立つという感情もあった。

 体勢を戻した直後のシンにライザーの火球が迫る。

 

(どう出る?)

 

 そう思った直後、シンは避けることなくライザーの炎に包まれてしまった。

 この光景に誰もが息を呑む。放ったライザーも驚いていた。あまりに呆気無く炎に呑まれてしまったことに。

 そのとき、ライザーは炎の中で揺らぐ影を見る。朧気なそれは段々と輪郭がはっきりとしていき、それが人の影と分かった瞬間炎を突き破り、中からシンが飛び出してくる。

 出てきた体のあちこちから煙を上げているが、フェニックスの炎を受けたと考えるとあまりに軽傷。

 飛び出したシンは、そのままライザーの場所まで跳躍しながら大きく左腕を振り上げる。

 急接近するシンに反応が遅れ、避けることよりも防御することを選択したライザーは眼前で両腕を交差する。

 数秒も満たない内に両腕に圧し掛かる力。だが、そんなことよりも驚くべき感覚がライザーを襲う。

 

「熱っ!」

 

 口にして驚愕した。炎を使役するフェニックスがまず味わうことはないであろう『熱い』という感覚。

 その熱の源は突き出しているシンの左腕。どういう理屈かは分からないが、シンの左腕自体が燃え盛っていた。

 

「何だ? そ――」

 

 最後まで言うよりも先にシンの左拳は受け止めているライザーの両腕ごと殴る。交差していた腕がそのまま額に叩き付けられ、衝撃が額から後頭部まで突き抜けたかと思えばそのまま殴り抜けられ、ライザーの体が大きく回転。空中で数度回転した後に後頭部から床に叩き付けられる。

 不完全な再生。直前の動揺。それらが重なった結果、再生能力が上手く働かずライザーの意識は一瞬で黒く塗り潰されるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 床に倒れたライザーの体から炎が消える。炎で補填されていた部分も人の形に戻っていた。

 それを見た後に、シンは左腕を振るう。するとさっきまで燃え盛っていた炎は消え、その下からはライザーから受けた火傷以外は無事な腕が現れる。

 ライザーの放った火球を咄嗟に左手で受け止めたとき、まるでその火に触発された様に左腕の中から炎が噴き上がった。

 シンには心当たりがあった。この左手はコカビエルに灯っていた魔人の炎を吸収した左手である。得体の知れないものが相変わらず体の内に残っていることに若干の不快感を覚えるが、あるものは仕方ないと割り切り、どう使うかと前向きな方向に考える。

 

「お疲れー」

 

 見学していたピクシーたちがシンの方に集う。

 

「お疲れ様です」

 

 その中に混じる様にしれっとした態度でセタンタが話し掛けてきた。

 

「お望み通りの結果になりましたか?」

「ええ。予想以上の結果です」

 

 若干険を込めて言うが、セタンタの方は眉一つ動かさない。

 シンはちらりとライザーの方を見る。慌てて近寄った眷属たちによって介抱されていた。

 

「今更言うのもなんですが、大丈夫なんですか?」

「責任は全て私が負いますのでお気遣い無く」

「そうですか。ならお言葉に甘えて、何を聞かれても取り敢えず貴方の名前を出しときます」

 

 嫌味を込めた台詞だが、それを聞いてセタンタは軽く笑った。

 

「騒がしいと思って来てみれば、随分と愉快なことになっているな」

 

 部屋に響く威厳に満ちた声にライザーの眷属たちは思わず介抱する手を止め、レイヴェルも眼を見開いて新たな来訪者の方を見る。

 部屋に入ってきたのはライザーと良く似た顔立ちをしているが、ライザーよりもより気品と威圧感を備える美丈夫であった。皺一つ無く、細部まで刺繍が施された貴族そのものといった格好が、よりそれを際立たせる。

 

「……ルヴァルお兄様」

 

 ルヴァルと呼ばれた青年。レイヴェルの口振りからして、ライザーの長兄か次兄のどちらかであろう。

 

「ふむ」

 

 ルヴァルは部屋を一瞥する。気絶しているライザー。それを介抱しているライザーの眷属。セタンタ。そして、傷だらけのシン。

 ルヴァルは無言でシンに近付く。一瞬警戒するシンであったが、相手から全く敵意を感じ無かったのですぐにその警戒を解いた。

 

「これを受け取り給え」

 

 懐から小瓶を一つ取り出し、シンに手渡す。それはフェニックスの涙であった。

 

「実は――」

 

 セタンタが何が起こったのか話そうとするが、ルヴァルは手を上げ、それを制止させる。

 

「詳細は聞きません。ですが凡そ察せます。後のことは私が何とかしておきますので、セタンタ殿らはなるべく早くここから離れた方がいいでしょう。恐らく、今の騒ぎを聞き付けて他の使用人らがここに来ます。そうなると貴方方にとっては不都合な筈です」

 

 自分の領地内で暴れた相手に対し、手助けどころか見逃すという発言。

 

「――ルヴァル様の恩赦、心より感謝致します」

 

 深々とセタンタは頭を下げた後、セタンタはシンたちに外に出るよう目で促す。

 セタンタを倣ってシンも頭を下げた後、部屋を出る――直前に振り返り、レイヴェルを見る。

 

「起きたら伝えてくれ。『色々と悪く言って悪かった』と」

「お兄様を焚き付ける為に言ったことでしょう? 律儀なのですね」

「それと『やっぱり勝つ意味も価値もあった』とも」

「ええ、分かりました。きちんと伝えておきます」

 

 シンの台詞にレイヴェルは苦笑を浮かべる。街で会ったときはレーティングゲームでの印象から警戒していたが、今のを聞いて警戒心は殆ど無くなっていた。

 

 伝言を頼み終えると部屋の外に出る。ピクシーたちもシンたちの真似をしてそれぞれ軽く頭を下げてから後をついていった。

 

「うう……」

 

 シンたちが居なくなったすぐ後に、呻き声を上げながらライザーが目を覚ます。

 

『ライザー様!』

 

 開いた目に真っ先に映ったのは、自分の眷属たちの心配する顔であった。

 鈍い痛みがする頭ごと上体を持ち上げるライザー。

 

「目が覚めたか」

「あ、兄上!」

 

 何故かいる長兄の姿に、ライザーは裏返った声を上げた。

 

「漸く顔を見ることが出来たな。……まったく酷い顔だな、この愚弟め」

「……久しぶりにあった一声がそれですか?」

「あのゲーム以来、一度も私に会おうとしなかった様な奴を愚弟と呼んで悪いか? ライザー?」

 

 痛い所を突かれ、気不味そうに目を逸らす。

 

「正直に言えば、負けて落ち込むお前の気持ちも理解出来ていた。だから、なるべく干渉は避けていたが……まさか、あれから数ヶ月も部屋から出て来ないとは思わなかったぞ……いくらなんでも打たれ弱すぎる」

 

 肩を竦めるルヴァルに対し、ライザーは叱られている子供の様に不貞腐れた表情を浮かべた。

 

「……俺は、兄上の様に優秀じゃあ無いです。それに俺のせいでフェニックスの名に傷を……」

「フェニックス家は、婚約破棄や赤龍帝に負けたぐらいでお前を責める様な狭量な家だと思っているのか?」

「まさか! ですが……」

「外野の誹謗中傷か? 言わせたいなら言わせておけ。言っている連中は、フェニックスのことを何一つ理解していない」

 

 ルヴァルは、そう言ってライザーの正面まで歩いていく。

 

「どんなに傷付こうが必ずその傷を治す。例え、灰になってもそこから蘇り、舞い戻るのが不死鳥〈フェニックス〉だ。お前もフェニックスなら言っていることが分かるだろう?」

 

 その言葉にライザーは、引き篭もって以来初めて兄の顔を真っ直ぐ見た。完敗した後、恐ろしくて見られなかった目。その目に蔑みも失望の色も無い。前と変わらない兄の目であった。

 

「まあ、放っておいた別の理由として、お前なら自分で汚名を雪ぐことが出来るだろうと思っていたのもあるのだが……私の見立ては間違っていないな?」

「ああ……兄上は、間違って、いない」

 

 声が詰まりそうになるのを堪えながら、ライザーは必死に言葉を並べていく。

 

「必ず、絶対、フェニックスは、復活する」

「そうか。なら大丈夫だな」

 

 ルヴァルは軽く微笑んだ後、ライザーに背を向けて歩き出す。

 

「後は任せたぞ」

「はい」

 

 途中、レイヴェルにそう言い残して部屋から退室していった。

 

「ユーベルーナ。今すぐ風呂の準備だ」

「は、はい!」

「あと街から美容師も呼んでおけ。さっぱりしたい」

「かしこまりました!」

 

 ライザーの命令を叶える為、眷属たちが一斉に動き出す。

 

「レイヴェル」

「何でしょうか?」

「少し調べてほしいことがある」

 

 

 ◇

 

 

 燃え盛る左腕を勢い良く振るう。しかし飛ぶのは火の粉だけで、纏った炎は腕に絡みついたままであった。

 修行地である森に戻ったのは良いが、相変わらず何も出て来ないので、折角なので空いた時間を使い、新たに得た炎の力を早速試してみたのだが、全くと言っていい程活用出来ていなかった。

 炎が灯った手で何かを掴めば対象も燃えるが、はっきり言って拳で殴るのと然程変わらない。炎という強みを全く生かせない使い方である。

 どう上手く使えばいいのか考え、火を操るジャックランタンにも聞いてみたが、返ってきた返事は『教え方なんて知らな~い』というものであった。

 セタンタからの助言も正直期待できないので、あれこれ自分で試行錯誤しなければならない。

 今度は強めに腕を振るう。すると拳ぐらいの大きさの炎が腕から飛ぶが、一メートルも飛ばずに地面に落下。数秒程燃えた後、鎮火してしまった。

 

「何だ? それは?」

 

 聞き覚えのある声。しかし、この場にいることに違和感を覚える人物の声。

 皆が一斉に振り向く。

 鬱蒼とした森に不釣り合いなワインレッドのスーツを着ている。長く伸びていた筈の髪は整い、後ろに撫で付けられていた。口周りに生えていた筈の不精髭は綺麗に剃られ、剃り跡すら見当たらない。

 

「ライザー……フェニックス?」

「まさかこんな場所で特訓していたとはな。虫も多い、湿気も多いで最悪だな」

 

 初めて会った時の様に、傲慢さを感じさせる笑みを浮かべながらポケットに手を入れて立つライザー。何故ここにいるのか分からずに戸惑ってしまう。

 

「……何をしに?」

「あれだよ。リベンジしに来た――」

「ここで?」

「――つもりだったが、さっきのを見て気が変わった。何だ? その炎は?」

 

 ライザーが不機嫌そうな表情で燃えるシンの左腕を指差す。

 

「俺の、いや、フェニックスの前でそんな下手くそな炎を使いやがって……」

「……炎の使い方なんて全く知らないからな」

「だったら教えてやる」

「はあ?」

 

 思わず聞き返してしまう。

 

「俺がお前に、本当の炎の使い方を教えてやるって言ったんだよ」

 

 




話が長くなってしまったので、森の主の正体を明かすのは次回になります。
短く纏めたいのにどうも無駄に長くなってしまう。
ライザーは嫌いではありませんが、そんなに好きじゃない筈なんだけどなー。

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