ハイスクールD³   作:K/K

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休憩、宴会

 この世に生まれ落ちたとき、初めて見たものは拒絶の意を宿した生みの親の目であった。

 最初から何もかも違っていた。

 体色が違う。

 体格が違う。

 尾が違う。

 そして何よりもあるべきものが無かった。

 三つ首として生まれるべき筈の自分には一つの首しか無かった。

 『クビナシ』。生まれて最初に言われた言葉がそれであった。

 明らかな異形。異形を前にして連中が抱いたのは拒絶と言う名の嫌悪だった。

 連中の一匹が、生まれて間もなくしての自分の命を奪おうとしたのが分かった。欠陥を持って生まれたものを育てる程の義務も義理も無い。

 弱肉強食の世界に於いて、間引くと言う行為は当たり前のことであった。

 だがここで連中にとって予想外のことが起きたのだ。

 生まれて間もない脆弱と言える子供。その子供が、連中が束になっても敵わない程の力を持っていたのだ。

 生まれて初めて戦った相手は自分が生きる筈の群れであった。戦いの経験など皆無。そもそも何故自分が襲われているのかも分からない。ただがむしゃらに、体の内側から起こる衝動に身を委ねるだけであった。

 群れの連中を全員地面に平伏させ見下ろしたとき、嫌悪の視線が別のものへと変わっていた。今思えば、あれは恐怖と命乞いの目であったと思う。

 それを見た時、何の知識を無い筈の自分は悟る。

 ここは自分の居場所では無い、と。

 だから群れから離れ、独りで生きることに決めた。自分が居るべき場所を探す為に。

 去り行く自分の背に連中の謗る声が刺さる。『クビナシ! クビナシ!』と何度も。

 ケルベロスとして生まれた筈の自分。だが同種である筈のケルベロスからはそれを否定された。

 しかし、それでも自分はケルベロスと信じ続ける。何者か分からない自分にとって、それだけが唯一存在を示すものだったからだ。

 だから誰であろうと自分はケルベロスであると名乗る。それを嘲る者、否定する者がいれば誰であろうと八つ裂きにし、灰にする。

 それをいつまで続けるかなど分からない。きっと、自分を認めない存在が居る限り延々と続くであろう。

 ――そう思っていた。

 

 

 

 

 目が覚めた時、まだ生きていることに驚いた。戦いに敗れ、意識を失った時点でこの森の中では勝者の餌になるのが常識であった。

 体を起こそうとしたが起き上がらない。見ると、両前足と両後足が蔦で一つにまとめられた上で何重にも縛られていた。少し力を加えてみたが蔦はびくともしない。尤も、この場から逃げる意思など今の自分には無かった。

 

「あ、起きた」

 

 頭の上から声がした。見上げるとそこには、森では見たことのない形をした虫が飛んでいた。形だけ見ると戦ったあの二人の様な姿をしている。

 その近くには白く丸い形をしたモノと、橙色のデコボコしたモノがいた。

 自分が目を覚ましたことに少し驚いている様子であったが、怯えている訳では無い。どちらかと言えば好奇心に満ちた瞳を向けてきていた。

 今まで向けられていた視線といえば、殆どが恐れと怯えに満ちたものであった為、慣れない視線に戸惑い、目を逸らすついでに自分を倒した者たちの姿を探す。

 目を動かすとすぐに見つかった。

 

「起きたか」

「グルル……ドレクライネテイタ……?」

 

 質問に答えたのは火を使う者ではなく、どことなく見た覚えがある者の方であった。火の方はライザー、見覚えある方はシンと呼ばれていた気がする。

 

「せいぜい三十分といった所だ」

「サンジュップン……? ツマリドレクライダ?」

「……気絶して起きるまでそんなに時間は経っていないということだ」

 

 身動きがとれないと思っているのか、聞いたことに素直に答える。尤も今の自分には暴れる気も抵抗する気も無かったが。

 

「ナゼ、オレハイキテイル……?」

「殺していないからな」

「ナラコロセ。マケタモノハ死ヌ。ソレガココノキマリダ。スキニシロ。オレハナニモシナイ」

 

 するとシンはライザーの方を見た。どうするかと尋ねているかのようであった。

 

「死にたいのだったら望み通りにしてやればいい」

「それはそうだが……」

「なんなら俺が止めを刺してやろうか?」

「オマエノ温イ炎デハムリダ」

 

 思ったことを口に出した。

 

「今から丸焼きにしてやるから覚悟しろ! 犬っころ!」

「落ち着け。挑発に乗るな」

 

 額に青筋を浮かべながら手に炎を出して怒るライザーを、呆れた表情をしながらシンが宥める。

 少しの間言い合いになっていたがやがてライザーの方が折れ、自分の方を憎らし気に見下ろすと舌打ちをして、手に出していた炎を消す。

 

「ドウシタ? オマエモナニモシナイノカ? マケタモノハカッタモノニナニヲサレテモ文句ハナイゾ?」

「うるせぇ! 負けた奴が勝った奴に従うっていうなら暫くの間黙っていろ!」

 

 そう言われたので大人しく黙っていることにした。沈黙した自分の前で、二人は再び言い合いを始めた。

 

 

 

 

「お前があいつを生かすと決めたんだ。責任を持ってあいつをどうにかしろよ?」

 

 険しい表情を浮かべるライザー。先程の挑発への怒りがまだ薄れていないのが分かる。

 

「俺はさっきあのクソ犬を殺そうとした。つまりあいつの命なんざこれっぽっちも惜しくないということだ。というかこれ以上あの犬に関わるのは御免だ」

 

 お前が引き取れと暗に言う。

 シンがケルベロスを殺さなかったのは、戦う前に覚えた既視感のせいであった。知らないのに知っているという妙な感覚のせいで命を奪うことに抵抗を覚え、今の様に身動きを封じるだけに止めていた。

 

「もし俺がお前を引き取ると言ったら、どうする?」

 

 その言葉が意外だったのかケルベロスは目を見開いてこちらを見たが、すぐに興味を無くしたかの様にそっぽを向いた。

 

「イッタハズダ。カッタモノハマケタモノノ命ヲスキニ出来ル。オマエガソウ望ムナラ従ウダケダ」

 

 投げやりとも言える台詞であったが、一応シンに従うらしい。

 

「じゃあ今日から仲魔だねー」

 

 ケルベロスの言葉を聞いてピクシーがそう告げる。

 

「仲魔? ナンダソレハ?」

「仲魔は仲魔だホー! シンの仲魔ならオイラとも仲魔だホ! オイラはジャックフロストっていうんだホ!」

 

 答えになっていない答えを言いながらジャックフロストが自己紹介する。

 

「ボクは~ジャックランタンだよ~。よろしく~ヒ~ホ~」

 

 ジャックフロストに続き、ジャックランタンも名乗る。

 

「それでアタシがピクシー。よろしくね」

 

 最後にピクシーが挨拶をする。ケルベロスはそれをポカンとした顔で眺めていた。

 

「……オマエタチノコトガヨクワカラナイ。言葉モソノ態度モ……」

 

 敵意も無く、悪意も無い言葉を掛けられたことにケルベロスは戸惑いを覚えていた。

 

「これから慣れていけばいい」

 

 座っていたシンが立ち上がり、ケルベロスの側に行くと巻き付けていた蔦を解き始めた。

 

「グルル……イイノカ? マタオソウカモシレナイゾ?」

「その時はその時だ。それともまだ戦う気があるのか?」

 

 蔦を解きながらシンはケルベロスの目を見た。

 

「……イヤ、何故カ今ハ戦ウ気ガオコラナイ」

 

 蔦が解けるとケルベロスは徐に立ち上がり、体に着いていた土を身を震わせて払う。

 

「……ソウイエバキチント名乗ッテイナカッタナ」

 

 シンを真っ直ぐ見据える。

 

「グルル、オレハケルベロス。コンゴトモヨロシク」

「ああ、よろしく」

「これで完全に決着がついたということですね」

 

 前触れも無くいきなり挟まれた声に皆が驚き、一斉に声のする方を見た。少し離れた場所にセタンタが立っている。

 

「……いつの間に来たんですか?」

「いつの間にと言いますか、ずっと私はここにいましたが?」

「ソイツノニオイハズット感ジテイタ」

「ずっと? セタンタ様、もしかして俺たちがこいつと戦っているのをずっと見物していたんですか?」

「見ていましたが、それが何か?」

「え! いや、別に問題があるという訳じゃ、まあ、勝ちましたし……」

 

 後ろめたさも悪びれた様子も無く、平然とした態度で言葉を返され、むしろ聞いたライザーの方がしどろもどろとなる。

 

「見ていたなら手助けの一つでもしてくれても良かったんじゃないですか?」

 

 手助けなど微塵も期待していなかったが、それでも命懸けの戦いを見物されていたことに少々腹が立ち、厭味を感じさせる口調で問う。

 

「手に負えない相手だったなら救けましたよ。何せ相手がこの森の主ですからね。ですが貴方は勝ちました。こちらの期待を上回る成果です」

 

 本当だったら一対一で戦わせる予定でしたが、という本音を隠しながら、セタンタはシンの戦いぶりを称賛する。

 誤魔化す様な称賛の言葉を素直に受け取れないシンであったが、それよりもセタンタの言葉に聞き捨てならないものがあった。

 

「森の主? こいつがですか?」

「ええ。その筈です。前の主を貴方が倒しましたね?」

「アノデカイダケノヤツカ? 手応エノナイヤツダッタ」

 

 ケルベロスはセタンタの言うことを肯定する。

 確かに戦う前、ケルベロスは縄張りに入ったと言っていたが、それはこの辺り一帯のことを指していると思っていた。

 

「森の主っていうなら何であんな深くに行くまで襲って来なかったんだ?」

「グルル。オレガ眠レル場所サエアレバ充分。ソレ以外ハベツニイラナイ」

 

 広大な森を全て縄張りにしても、本人は意外と質素な生活を好んでいるらしい。

 

「この森の主を倒すのが貴方への最終試練でしたが、まさかここまで早く試験を突破するとは大したものですね」

「それじゃあ、もうこの森で特訓することは無いということですか?」

「はい、そうです。彼の存在で魔物たちの動きが殆ど無かったのは誤算でした。だからといってこの先もそれは期待できません。何せ貴方たちは森の主を倒してしまったので」

 

 その言葉にシンもライザーも怪訝そうな表情をする。

 

「今日から貴方たちがこの森の主という訳です」

「……主ということは、この森全体を手に入れたということですか?」

「はい」

 

 そんなことをあっさり言われシンとライザーは同時に思う――

 

『要らない』

 

 ――と。

 

「いやいやちょっと待って下さい! この土地はグレモリーの土地ですよね! それなのにフェニックスである俺が勝手に領地の所有者になるなんて不味いですよね!」

「まあ、何とかなるんじゃないですか?」

「軽く言わないで下さい!」

「そもそもこの土地は、貴方が所有しているんじゃないですか?」

「正確に言えば管理しているだけです。土地自体の所有者は現在いません」

 

 そう言われ、シンとライザーは顔を見合わせる。

 

「さっきも言ったが俺の立場上、勝手に他所の土地を所有するのは不味い。だからお前に譲ってやる」

 

 明らかに不要なものを押し付けようとしていた。

 

「生憎、冥界に土地なんて在っても俺には必要の無いものだ。――それに冥界〈ここ〉に来る時に部長からいくつか領地を貰っている。これ以上は必要無い」

 

 人間であるシンが何度も冥界に足を運ぶ機会がそう何度もある訳では無い。今回は色々な事情が重なった結果訪れているだけであり、この先も余程の理由が無い限り、冥界に来るつもりは無かった。

 

「いいじゃん貰っちゃえば」

「ヒホ! 主ってことはシンがこの森の王様ってことだホ! 羨ましいホー!」

「ヒ~ホ~。いいじゃないか~主になっちゃえば~。減るもんじゃないし~」

 

 気乗りしないシンとは反対に仲魔たちは乗り気であり、シンをこの森の主にしようとしてくる。

 

「チビ達もお前のことを推しているんだ。素直にお前が受け取れ」

 

 ここぞとばかりにライザーがピクシーたちに同調する。

 急速に塞がれていく逃げ道。この流れは不味いと思い、シンはまだ意見を言っていないケルベロスの方を見る。

 ケルベロスは我関せずといった態度で頭を後足で搔いていた。シンの視線に気付くと、どうでもいいと言わんばかりの緩慢な速度で口を開く。

 

「グルルル。別二主トナッタカラトイッテ特別ナ事ヲスル訳ジャナイ。時折、主ノ座ヲ狙ッテクル生意気ナ奴ヲ殺レバイイダケダ。楽ナモノダ」

 

 今の流れに従ってシンを主にしようとしていた。味方がゼロという状況に肩を落としたくなる。

 このまま首を縦に振らざるを得ないのかと考えてしまう。

 

「早急に決める様なことでも無いですしね、気が向いたら私に連絡して下さい。それまでの間は今まで通り私が管理しておきます」

 

 が、セタンタからの助け舟によりこの場で決断せず、取り敢えず答えは保留という形となった。

 見知らぬ土地にある魑魅魍魎蔓延り弱肉強食が渦巻く森の頂点に自分が納まるのを免れることができ、内心ほっとする。森の主の座に自分の名が予約済みであるという現実からは一旦目を逸らしておく。

 

「さて、するべきことも済ませましたし、一度城の方へ――」

 

 そこでセタンタは一同を見回す。

 

「――戻る前に少しさっぱりしていきますか」

 

 

 

 

「ひゃ……百……九十一! ひゃ、ひゃく……百……九十二!」

 

 絞り出す様な声を出しながら回数を数える一誠。今、彼は日課となっている体力及び筋力作りの為のトレーニングの一つ、腕立て伏せをやっていた。その回数の大変さを表す様に、一誠を中心にして地面が流した汗を吸い、黒く変色している。

 

「ほれほれ。頑張れ頑張れ」

 

 マダの呑気な応援が一誠の頭上から聞こえてくる。決して腕立て伏せをして苦しんでいる一誠を見守っている訳では無い。寧ろその逆であり、腕立てをしている一誠の背に胡坐をかいて座り、彼を苦しめていた。

 

「肩をもっと広げろ。顎をきちんと地面に着けろ。膝を伸ばせ。神滅具の維持も忘れるなよ」

「は……い……! 百……九三……!」

 

 知らず知らずのうちに楽な体勢になろうとしている一誠を注意し、トレーニングの質を落とさない様にする。

 マダが言っていた通り、今の一誠は『赤龍帝の籠手』を発現させ、能力を倍化させた状態でトレーニングを行っている。

 通常状態の一誠ならばマダを背負った状態で腕立て伏せなど出来ない。倍化を数度行った状態でようやく人並の速さで腕立て伏せが出来る。

 厳しいトレーニングを熟すには『赤龍帝の籠手』の力が不可欠なのも理由の一つだが、別の理由として一誠の体に倍化の負担を慣らすという目的もあった。

 倍化は文字通り能力を倍にするというものであるが、デメリットとして倍化すればする程、解除したときの負担が大きくなるというものがある。『赤龍帝の籠手』に倍化の限界は無いが、反動のせいで一誠の倍化には限界があった。

 その限界を少しでも伸ばすのが今行っているトレーニングである。兎に角体に負荷を掛けさせ、それに無理矢理慣らせる。

 文字通り身を削る思いをさせているのである。

 

「百……九十四……! 百……九十……五!」

「おーおー。最初の頃に比べればいいペースで出来る様になったじゃねぇか」

 

 二百を区切りとしている腕立て伏せ。初めにやったときは二時間以上も掛かっていたが、今は三分の一も時間を短縮出来ていた。

 

「あと五回だ。だから負荷増しな」

「百……え? ふぐおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 途端、背中に乗っているマダの体重が増加。その重みで一誠は屠殺される家畜の様な声を出す。

 支える両手はガクガクと震え、今にも限界を迎えそうであったが、辛うじて堪えていた。

 

「一回崩れる度に十回追加な」

 

 そんな無慈悲なことを宣告されれば、意地でもやり切らなければならない。

 

「ひゃ、ひゃく……百、きゅ、きゅ、きゅう……九十、ろ、六……!」

 

 絞り出す様な声は血を吐く様な声へと変わり、額は千切れそうな程血管が浮き出て、顔は今にも破裂しそうに真っ赤であった。

 それでも一誠は崩れずに耐え切り、数分かけて残りの回数をやり遂げた。

 達成すると同時にマダは一誠の背中から降りる。その途端、一誠は地面に倒れ伏せて動かなくなる。

 

「ひゅー……ひゅー……」

 

 一誠から隙間風の様な、か細い呼吸が聞こえてくる。

 

「休んでいる暇はないぞー。まだ次のがあるんだからな」

 

 そんな一誠の状態を見ても特に同情することなく、それどころか無慈悲な催促をする。だが、一向に起き上がらない一誠を見て、マダは溜息を吐きながらうつ伏せになっている一誠を仰向けにし、顎を掴んで無理矢理口を開かせると、瓢箪を取り出して中の液体をそこに注ぐ。

 

「……ごふぉ!」

 

 されるがままであった一誠であったが、注がれた液体を嚥下した瞬間、体力の限界を迎えていたとは思えないほどの勢いで跳ね上がる様に地面から立ち上がる。液体が気管に入ったらしく、しばらく咽ていた。

 

「げほっ! げほっ!」

「おし、起きたな。次行くぞ、次」

 

 するとマダが再び一誠の背に飛び乗る。

 

「重っ!」

 

 咽ていた時にいきなり背中へ飛び乗られ、バランスを崩して左右によろけるも、何とか踏み止まる。

 

「……今度は何すか?」

 

 背後にいるマダへ若干恨めしそうな声を掛ける。

 

「あそこを目指してみようか」

 

 マダが指差す。

 指の先にあるのは山。より正確に山の頂上に生えている大きな木であった。

 

「師匠を担いで走れってことっすね」

 

 ここ数日で精神的にもタフになってきたのか、一誠もすんなりと受け入れる。

 

「ああ。ただし『全力』でな」

「はい?」

 

 当然そのつもりであった一誠だが、わざわざ強調して言う意味が分からず聞き返してしまう。

 だが、その疑問はマダからではなく、背後で大きな音と共に降り立った巨影が教えてくれた。

 音に驚いて振り返る。腕を組み仁王立ちするタンニーン。

 どうしたんッスか、と聞く前にタンニーンの口の端から炎が零れるのを見て、一誠の顔から血の気が引いた。

 

『走れ! 相棒!』

 

 ドライグの声と同時に一誠は駆け出していた。直後、背後に轟く爆音と衝撃、炙る様な熱。

 振り返って確認しなくても分かる。タンニーンの炎が地面に着弾したのだ。

 

「死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「走れ、走れ。赤龍帝の小僧。少しでも速度が緩まったら炭になるぞ」

 

 マダを背負った状態で必死の全力疾走。背後から迫る重圧に精神が圧され、無理矢理体を突き動かす。

 以前にも似た様な特訓をしたことがあるが、あの時とは緊張感が全く違う。

 

「あ、そうそう。俺に少しでも当たったらその度に拳骨一発な」

 

 何気なく言うが、マダの拳骨など貰ったら頭の原型が変わってしまう。どんどんと重なっていく恐怖に一誠は涙を流していた。

 

「地獄だ! ここは地獄だぁぁぁ! 部長! 朱乃さん! アーシア! ゼノヴィア! 小猫ちゃん! 会いたいよぉぉぉぉぉ!」

 

 マダとタンニーンの特訓は地獄であるが、何よりの地獄はここに全く女っ気が無いことである。人一倍煩悩が強い一誠にとっては耐え難い。ほんの少し前の一誠であったのなら耐え切れたかもしれないが、美女、美少女と接点を持つ今だからこそ、その落差に苦しめられていた。

 

「こんな時にも女の名か。その筋金入りの女好きな点だけは褒めてやる。――しょうがねぇ。少しサービスしてやる。『イッセー』」

「な! 部長!」

 

 背後から聞こえてきたのは間違いなくリアスの声であった。

 

「『イッセーくん』」

「朱乃さん!」

「『イッセーさん』」

「アーシア!」

「『イッセー』」

「ゼノヴィア!」

「『イッセー先輩』」

「小猫ちゃん!」

 

 次々と変わっていく声。その見事なまでの声真似には驚くしかない。

 

「どうよ?」

「――びっくりするぐらいそっくりでした」

 

 マダの変な特技を披露され、そう言うしかなかった。そして同時にマダを背負った状態で良かったと思う。もしマダの姿を見ながら皆の声真似をされたら、そのギャップで気持ち悪くなったかもしれない。

 

「少しはやる気が出たか?」

「ええ、まあ……」

「ならこういうのはどうだ? 『ああ……んんん……』」

「なっ!」

 

 リアスの声真似をしながら喘ぎ始める。

 

「『んんん……あっ』」

 

 艶のある声。まるで本当にリアスが後ろにいるかのようであった。

 反応してはいけない。あくまで後ろにいるのはマダ、と言い聞かせるが、一週間以上女性を見ることも触れることも出来なかった一誠の煩悩を強く刺激し、ダメだと理解していても頭の中で妄想が始まってしまう。

 

「『ああん……イッセー……』」

 

 悩ましげな声で呼ばれる自分の名。背後で火球が迫っているという危機的状況だというのに聞き入ってしまう。

 

「『イッセー――のより凄ぉい』」

「うあああああああああああああああああああ!」

 

 天国から地獄というのは、このことを言うのかもしれない。

 

「『イッセーの×××な××××より貴方の×××な××××が私の××××××××××××××××――』」

「いぃぃやぁぁだぁぁぁぁ! 部長はそんなこと言わない!」

 

 刺激された妄想が最悪な光景を生み出すので、それを掻き消す様に一心不乱で走る。

 

「お前が頂上行くまで延々と聞かせてやる。喜べ」

「俺にそっちの趣味は無いっす!」

「脳髄に刻まれるまで聞かせてやる。次はアーシアな」

「やめろぉぉぉぉぉぉ!」

「いっそのこと目覚めちまえ」

「やめてくれぇぇぇぇぇ!」

「ならとっとと走ることだな」

 

 肉体的にも精神的にもこれでもかと追い込まれながら一誠の特訓〈じごく〉は続くのであった。

 

 

 

 

 どうしてこうなった。そんな言葉をもう既に何回も呟いている。

 世の中何が起こるか分からない。まさにその通りであると痛感させられる。よもやこのような事態が我が身に降り注ぐとは欠片も思ってもいなかった。

 

「どうしたのですか?」

 

 黙考しているシンの顔を覗き込む様に尋ねるのは、ライザーの『女王』であるユーベルーナであった。

 妖艶ともいえる顔立ちから発せられる甘い声は、それだけで凡人を虜にするであろう。そしてそこに惜しげも無く裸体を晒しているのであれば、生涯の隷属を誓っているかもしれない。

 

「……いや、大したことじゃない」

 

 色香に惑わされずいつもの鉄面皮で素っ気ない対応をするシン自身も、ユーベルーナと同様に衣服を纏っていない。

 

「俺の自慢の『女王』が隣にいるのに、何だその辛気臭い顔は」

「この顔は生まれつきだ」

 

 少し離れた場所で周りに『兵士』や『僧侶』を侍らせているライザーもまた服を着ていない。当然周りの眷属もである。

 どこを見ても肌、肌、肌。だがこの事態を誰も咎めない。

 

「折角、セタンタ殿の好意でこの『湯』を使わせて貰っているんだ、それなりの顔をしたらどうだ?」

 

 何故なら彼らは今温泉に浸かっているのだ。

 切っ掛けとなったのは、セタンタのさっぱりしようという言葉だった。

 森の中をしばらく移動し、着いた場所は明らかに場違いと言える露天風呂であった。

 以前森を調査していたセタンタが、天然の温泉が出ている場所を偶然発見。このまま放っておくのも惜しいと考え、わざわざ日本の露天風呂を参考にしながら周りを整備して、露天風呂を一人で自作したという。

 ここで体を清めてから戻ろうという話となったが、露天風呂を見ていたライザーがぽつりと言葉を洩らす。

 

「華が足りない」

 

 そこから先のライザーの行動は早かった。あっという間に眷属たちをこの場に呼び寄せ、今の状況となっている。

 ライザーの眷属たちは、タオルで体を隠すということはせず躊躇無く全裸となっているので、シンとしては目のやり場に困っていた。

 一誠がここに居れば涙を流しながら喜ぶシチュエーションであろう。そして、この場に居られなかったことを知れば血涙を流す程に悔しがるであろう。

 レーティングゲームの時に一誠の『洋服崩壊』を受けて羞恥で叫んでいた者たちもいたが、あの時と違って観客がいないせいか、割と平然としていた。尤もこの場にいる異性らしき異性はシン、ライザー、セタンタしかいない。眷属の彼女らが主人であるライザーに肌を見せることに羞恥を覚えるのも考え難い。

 セタンタの方はというと――

 

「なんとしなやかな筋肉だ……剛と柔、二つの特性を持ち、互いに持ち味を殺し合っていない……!」

「これが歴戦の戦士の体か……見事としか言い様が無い」

 

 ――『騎士』のカーラマインとシーリスに体をあちこち触られていた。

 冥界に名を轟かせる戦士であるセタンタの肉体にぜひ触れてみたいと頭を下げてまで懇願されたので、渋々了承したセタンタ。相変わらず顔の下半分にタオルを巻くという奇妙な姿をしているが、上半身の至る所を触られているというのに表情どころか眉一つ動かさないのは流石であった。

 

「ほーら!」

「ヒーホー」

「ほーら!」

「ヒ~ホ~」

 

 セタンタから少し離れた場所では湯桶に乗って浮かんでいるジャックフロストとジャックランタンが『兵士』の双子イル、ネルと戯れていた。

 ジャックフロストはお湯が嫌いなので、水を張った桶に体を浸けており、ジャックランタンもそれを真似して湯が張った桶に体を浸している。

 離れた場所にいる双子は、桶に乗った二人をお互いの間を行ったり来たりさせながら遊んでいた。

 

「沁みるー」

「しっかり目を閉じていろ」

 

 温泉の外の洗い場では、ピクシーが『戦車』のイザベラに頭を洗われていた。風呂場でもイザベラは仮面を付けている。

 ピクシーの小さな頭を指先で器用に洗い、栗色の頭髪は白い泡であっという間に覆い尽されていった。

 

「グルル……」

「にゃ。痛かった?」

「にゃにゃ。変なとこ触っちゃった?」

「気ニスルナ。マダ慣レテイナイダケダ」

 

 同じく洗い場ではケルベロスがレーティングゲームでシンと戦った獣人の『兵士』ニィ、リィによって体中を洗われており、泡のせいでケルベロスの体は倍近く膨れ上がっていた。

 体を洗うという習慣がなかった為、体を洗われることに抵抗を示していたが、シンに洗ってもらえと言われると嫌々といった態度で従った。

 最初は汚れのせいで泡立たず、泡立っても真っ黒な泡であったが、数回繰り返すうちに汚れも落ちて、白い泡が立つようになっていた。

 戦っていたときは針金の様な体毛であったが、ニィ、リィのボディブラシはしっかりと梳いていた。ケルベロスとの戦いの後にシンも偶然触れて気付いたことであるが、戦闘体勢に入ると体毛が硬質化する特性を持っている様であった。戦闘時以外だと厚手のタオルの様な感触である。

 

「わしゃわしゃー」

「ごしごしー」

 

 獣人二人は楽し気な様子でケルベロスを洗う。洗われることが思ったよりも良いらしくケルベロスは目を閉じて二人の好きな様にやらせていた。

 余談だが、獣人という人と獣という二つの視点を持つ彼女たちから見て、ケルベロスは驚く程の美形であるという。二人が楽しげなのも、容姿が良いケルベロスの相手が出来ているのも理由であった。

 

「こういう入浴があるのは知識として知っていたが、実際に入って見ると案外悪くないな。お前らの文化もそう捨てたもんじゃないな」

 

 何処で仕入れた知識なのか、頭に手拭いを載せているライザー。そのライザーの前には盆が浮かんでおり、盆にはグラス二つと氷によって冷やされているワインのボトルが載っている。微妙に間違っている辺りが、言葉通り知識だけであることを強調していた。

 ライザーが盆のグラスを取ると、隣の眷属がワインをそれに注ぐ。それを一気に飲み干すと、向かい側にいるシンに向かって盆を押した。

 盆がシンの目の前で止まる。シンはそれを無言で見つめるだけであった。

 グラスを手に取らないシンにライザーは怪訝そうな表情をする。

 

「どうした? 飲まないのか? 入浴しながら酒を飲むのはお前の国の文化だった筈だぞ?」

 

 合っている様で間違っている知識を晒すライザー。

 相手の気遣いを無下にすることも出来ないので、シンは一応グラスを手に取る。すると隣にいたユーベルーナがボトルに手を伸ばす――前に、シンの隣にいるもう一人の人物が先にボトルを取った。

 

「注ぎますわ」

 

 そう言ったのはレイヴェルであった。他の眷属たちとは違い、胸までバスタオルを巻いて隠している姿であった。

 

「あの時はごたごたしていたのできちんと言えませんでしたが、お兄様を立ち直らせて下さってありがとうございます」

「ライザー自身が自力で立ち直っただけだ。これといって特別なことをしたわけじゃない」

「だとしても切っ掛けを作ったのは間違いなく貴方ですわ」

 

 ボトルの口から赤いワインがグラスの中に注がれていく。やがて十分な量を満たすとレイヴェルはボトルを離した。

 シンは注がれたワインを無言で見つめる。赤い液体に無表情な自分の顔が映っていた。

 好意としては有り難いものであったが、今まで一度もアルコールというものを摂取したことが無いシンにとっては、目の前のワインは非常に冒険的なものに見えた。

 

「何だ? 俺の妹の酒が飲めないのか?」

「お兄様。そういう言い方は止して下さい」

 

 手にワインを持ったまま飲もうとしないシンを見て、ライザーが急かすと、レイヴェルがそれを注意する。

 

「ちなみに聞くが、酒は何歳から飲んでいいんだ?」

「そんなもの、飲んだ時が飲める歳だ」

「――そうか、分かった」

 

 ライザーの答えを聞いてから、シンはグラスの中のワインを一気に飲み干す。何時までもどうこう理由をつけて飲まないことよりも、相手の好意を素直に受けることを選んだ。

 ワインが舌の上を通ると甘味と渋味を感じた。そのまま喉を通り、胃に注がれると臓腑が熱を持ったかのような感覚を覚えた。

 想像していたよりも飲み易い。それが第一印象であった。

 シンが一瞬でグラスを空にしたのを見て、ライザーがニヤリと笑う。

 

「中々良い飲みっぷりじゃないか」

「酒を飲んだのなんて今日が初めてだがな」

「飲んだことがないのか? 珍しいな」

「俺のところでは酒を飲んでいいのは二十歳からだ」

「なんだ、生まれてすぐじゃないか」

 

 長い寿命を持つ悪魔からすれば、人間の二十年など、赤ん坊が立って歩くまでぐらいの感覚なのであろう。

 

「まだまだいけるだろ? どんどんいけ」

 

 空になったグラスが今度はユーベルーナの手によって満たされていく。当分続くであろうこの宴に心の中で溜息を吐きながらも、半ば自棄になりながら注がれたそれを一気に呷るのであった。

 

 

 

 

「おーい。調子はどうだー?」

 

 一誠たちの特訓の様子を見に来たアザゼル。その手には大きな風呂敷を持っていた。

 広大な山で三人の姿を発見するのは本来ならば難しいところであるが、特訓地点から大きな爆音が常に聞こえてくるのですぐに見つかった。

 アザゼルの姿を見た途端、タンニーンは何故か目を逸らし、マダは何かを体で隠す様に移動する。

 

「様子を見に来たが、イッセーの仕上がりはどうだ?」

「んん……? まあ、そこそこだな……」

 

 タンニーンの歯切れの悪い言葉にアザゼルは訝し気な表情となる。

 

「ところでイッセーは何処だ?」

『……ここだ』

 

 一誠の代わりにドライグが呼び掛けに応える。声のする方向からマダの後ろにいるのが分かる。

 

「んん?」

 

 遮っているマダの横から覗き込むと、そこには襤褸屑があった。

 

「――って、イッセー!」

 

 一誠であった。

 慌てて駆け寄り、抱え上げる。一誠は白目を剥いたまま譫言を呟いている。

 

「へへ……ダメですよ……部長……そういうのは……もっと段階を踏んで……」

「おい! しっかりしろ! 戻って来い! お前、まだリアスに何もしていないだろうが!」

 

 正気に戻させる様に揺さぶる。すると白目が元の目へと戻り、周囲を確認する様に数度瞬かせる。

 

「……あれ? アザゼル先生?」

「……取り敢えず無事か」

 

 意識を取り戻した一誠に安堵し、地面に寝かせると原因となったであろう二人の方を見る。

 

「とことんやらなきゃダメなのは分かっているが、やり過ぎだ」

 

 叱責することは無かったが、それでも若干口調に棘があった。

 

「言い訳のしようが無いな。済まぬ」

 

 責任を以って預かる身として過剰であったと自覚しているらしく、タンニーンは素直に謝罪する。

 

「すまんすまん」

 

 一方マダの方は反省した様子が感じられない程軽いものであった。

 

「お前なあ……」

 

 そんなマダの態度に、アザゼルは怒りを通り越して呆れてしまう。

 

「まだ時間はあるとはいえそれでももう期限の中盤なんだぞ? どうするんだよ、こんなボロボロで。いくら悪魔の回復力でも限度があるぞ」

 

 禁手に至るには生半可な特訓では駄目だと理解しているものの、小猫の件もあってかアザゼルは教え子たちの体調に関して、少し過保護気味になっていた。

 

「ふぅん……」

「――何だよ」

 

 付き合いの長いマダは、そんなアザゼルの心情を何となく見抜いたのか、顎に手をやりながらアザゼルを見ていた。

 

「まあ、安心しろ。こういった時の為の準備をちゃんとしているからな」

 

 ニヤリとマダは笑うと、最早修行恒例と化しつつある謎の液体を一誠の口に注ぐ作業を行う。

 それを初めて見るアザゼルは訝しむ目で見ていたが、注がれて数秒後完全回復した一誠を見て、その目を丸くさせた。

 

「お前、一体何を飲ませたんだ?」

 

 その効き具合を逆に不審に思い、アザゼルは問い質す。

 

「別に、そんな怪しいもんじゃねぇよ」

「十分怪しいだろうが」

 

 はぐらかそうとするマダ。そうはさせまいとするアザゼル。

 暫し同じ様な応答が続いていたが、不意に何か思い付いた様にマダがある提案を出す。

 

「そんなに気になるんだったらお前も飲んでみるか?」

「何?」

「害が無いか心配だからしつこく聞いてくるんだろう? だったら身を以って知るしかないよなぁ? 安心しろ。俺も飲んでやるから」

 

 何やら企んでいる様に見えるが、指導者として確かめない訳にはいかない。

 

「……分かったよ」

「よし。タンニーン、ついでにお前も飲んでみるか?」

「俺もか?」

「悪いもんじゃねぇから安心しろ。中々良い味してるんだぜ、これ」

 

 タンニーンも誘うとマダは返事を聞く前に腰を下ろして座り、何処からか杯を取り出す。アザゼルとマダの杯は通常の大きさのものであったが、タンニーン用の杯は通常の何倍もの大きさがあった。人の手では両手でも足りないぐらいだが、タンニーンの大きさならば丁度良い大きさである。

 置かれた杯に瓢箪の中身を注ぐ。杯の中が乳白色の液体で満たされていく。

 

「ほれ」

 

 皆の分を注ぎ終えるとマダは飲む様に促す。それぞれ杯を手に取る。

 杯を顔に近付けたとき、ニオイがアザゼルたちの鼻孔をくすぐる。マダが持ってきたものである為、酒の類だと思っていたが、酒精のニオイが全く無い。今まで経験したことの無いニオイであったが、敢えて近いニオイを上げるとすれば花の香りであった。

 まだ警戒するアザゼルとタンニーンであったが、そんな二人をおいてマダは自分の杯を一気に飲み干し、すぐに替わりを注いでいた。

 意を決し、二人も杯の中の液体を一口含む。その瞬間、舌から頭を駆け抜ける衝撃が二人を襲った。

 美味という言葉では言い表せない程の至上の味。甘い、辛い、しょっぱいなどという普通の味とは異なる別次元の味に、全意識が舌に集中してしまう。

 一口飲んで確認するだけであったが、その美味さに意識を乗っ取られたかの様に、杯の中を飲み干してしまった。

 

「何だこりゃ……」

「これ程とは……」

 

 飲み干した後、二人は暫し陶然としてしまう。長年生きてきた二人ですら経験したことの無い、極上の味であった。

 

「中々良い味だろう?」

「中々なんてレベルじゃねえぞ……」

「お前はどこでこれを手に入れたんだ……?」

「そんなに特別なもんかね? ちょいちょい飲んでたからあんまり有難味も感じねぇがなぁ」

 

 そう言って杯では無く直接口の中に注ぎ込む。あまりに勿体無い飲み方にアザゼルとタンニーンは揃って声を上げそうになった。

 

「この味が気に入ったんならもう一杯どうだ?」

 

 瓢箪の口を二人に向ける。二人は無言で杯を瓢箪の口に向けた。杯が再び液体で満たされる。

 

「しかし、とんでもないなこれは……」

「一体何なんだこれは……」

 

 杯の液体に再び陶酔しながら呟く。すると、その答えは意外な程あっさりと返ってきた。

 

「ん? これ? ソーマ」

『ぶほぉあ!』

「うわ! 汚っ!」

 

 アザゼルとタンニーンが揃って噴き出す。それを一誠がもろに浴びせられる。

 二人が何か言いた気な表情でマダの方を睨み付けているが、咳き込んで上手く喋られないでいた。

 その間に一誠はドライグに小声で尋ねる。

 

「なあ、ソーマって何だ?」

『インドの神々だけが飲むことを許される霊薬だ。生命力を活性化させたり、寿命を延ばすことも出来る』

「ええ……俺ってそんな貴重なものを飲んでたの?」

『貴重などいうレベルじゃない。言っただろう? 神だけが飲むことを許されると』

 

 毎回気を失っている時に飲まされていた為、飲んだ記憶など皆無である。そんな希少なものを躊躇無く飲ませるマダは、想像出来ない程の太っ腹なのか、あるいは底無しの考え無しなのであろうか。

 今もソーマをラッパ飲みしているマダを見て、一誠は畏敬の念を覚えた。

 

「お前なぁぁぁ! 冥界〈こっち〉になんてもん持ち込んでんだぁぁぁ!」

「馬鹿なのかお前は! もっと常識を考えろ!」

 

 咳き込むのを止めたアザゼルとタンニーンが凄まじい剣幕でマダを怒鳴りつける。アザゼルは手に光の槍、タンニーンは口から炎が漏れ出していた。

 

「そう怒るなよ。ちゃんとやることはやって持って来たからよぉ」

 

 その言葉に少しだけ二人の怒りが治まる。きちんとした順序を踏んで持って来たのならば、多少――

 

「戴いた分はきっちり水でかさ増ししてきたから」

『この大馬鹿野郎がぁぁぁ!』

 

 ――大丈夫な訳も無く、アザゼルは槍を投げ放つ構えをとり、タンニーンは今にも炎を吐き出しそうであった。

 あわや一触即発。が、攻撃される直前にマダは四本の腕を上げ、降参の構えとなった。

 

「悪い悪い。悪乗りが過ぎたな。冗談だよ、冗談。これに関してはきちんと親父殿に許可を貰っている」

 

 その言葉に二人はピタリと動きを止めた。

 

「……本当なんだろうな?」

「俺が親父殿の名を出して嘘を吐いたことがあるかぁ?」

 

 少しの間、沈黙を続ける二人であったが、やがて同時に溜息を吐いて光と炎を霧散させた。

 

「あんまり質の悪い冗談を言うな。寿命が縮む」

「ソーマを飲んだのにか?」

「――本当に消し炭にされたいか?」

「すまんすまん」

 

 茶化すマダにタンニーンが、炎をちらつかせながら睨み付ける。

 

「許可を貰ったのはいいが、本当に良かったのか? ソーマは神にだけ許されたものだろう?」

「昔と今とじゃ、勝手も違うぜ。親父殿の言葉を借りるなら『もうそういった時代ではない』ってやつだ。まあ、もしコイツがうちんとこの神様になりたいって言ってんなら話は別だろうがなぁ。イッセー、お前はうちら〈インド〉の神様になるつもりあるか?」

「いやいやいやいや! 俺は部長の眷属で十分です!」

 

 首や手を激しく横に振る。

 

「だそうだ」

「まったく、ソーマがただの回復薬として扱われるとは贅沢な話だ。……というか毎回それを飲ませているんだったら、こいつの寿命もどうにかなっているのか?」

 

 アザゼルが一誠を指差す。

 ヴァーリとの一戦で一誠は白龍皇の力を無理矢理取り込んだ代償として、何千年と生きることが出来る悪魔の寿命を大幅に削ってしまっていた。リアスたちやアザゼルもどうにか寿命を元に戻そうと方法を探しているものの見つからずにいた。

 そこにマダが持って来たソーマである。寿命を延ばすと言われている霊薬があれば、その問題を解決出来るのではと思ったのだ。

 アザゼルの問いに対し、マダは答える前に手を振って、無理であることを報せた。

 

「出来ることは出来るが一回に飲む量じゃあたかが知れている。元の寿命に戻したきゃ、それこそそうだな……プール一杯分ぐらい飲む必要があるなあ」

「……ビニールプールですか?」

「お前んとこの学校のプールぐらいだよ」

「絶対に無理です! 腹が裂けます!」

 

 いくら寿命が戻るといってもそんな拷問紛いなことをされなければならないと思うと、嫌としか言えない。

 

「まあ、そう簡単に事が上手い方に行くとは思ってないさ。イッセー、どうせ腹を満たすんだったらこれで満たせ」

 

 アザゼルは持っていた風呂敷を一誠に渡す。受け取った一誠は、それが何なのか疑問符を浮かべつつ風呂敷を開けると、中には大量のおにぎりと三つの弁当箱が入っていた。

 

「これって……」

「リアスと朱乃とアーシアがお前の為に作った弁当だ」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 歓喜の叫びを上げながら三つの弁当箱を開ける。中には唐揚げ、卵焼き、野菜炒め、アスパラのベーコン巻き、ハンバーグなどなど、弁当の定番から少し変わり種も入った、彩りも中身も豊かな弁当であった。

 そんな弁当たちを前にし、一誠は滂沱する。

 

「久しぶりの……まともな……料理だ……! ああ! 文明のニオイがする!」

 

 特訓中の食事と言えば、川で獲った魚や山で獲れた木の実や茸を焼いただけのものばかりであった。そんなに日数が経っていない筈だが、人の手で作られた料理を見るのは久しぶりな気がしてならない。そんな風に感じる程、特訓の日々は密度が濃いものであった。

 素早い手付きで三つの弁当箱からそれぞれおかずを掴み、口の中へと放り込む。餓死寸前の様な食べ物への異常な反応を見せたかと思えば、口に入れたものを何十回も咀嚼し、嚥下せずにとことん舌で味わっていた。

 

「うみゃい! うみゃいよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ようやく口の中の物を胃に流し込むと絶叫を上げる。人の手で作られた料理、それも愛情の詰まった料理なら叫ばずにはいられない。

 

「多少は良い面になったが、そんな顔してるんだったら台無しだな」

 

 頬を歓喜で弛緩させただらしない表情で弁当を頬張る一誠を見て、アザゼルは苦笑する。

 

「だってしょうがないじゃないですか! こんなまともな飯を食べたら誰だってこうなります!」

 

 おにぎりを食べながら一誠は抗議の声を上げた。

 

「マダとタンニーンに大分鍛えられているみたいだな」

「あんなの特訓じゃない! 時間を掛けた死刑だ! 俺、何度も死にかけているし! そもそもタンニーンのおっさんとマダ師匠と実力が開きすぎてて話にならねぇぇぇぇ!」

 

 アザゼルが来たことでタガが外れたのか、今まで溜まっていた鬱憤をぶちまける。

 

「二人とも全然加減をしてくれないんだもん! 何度花畑や川を見たのか! 本当に死んじゃうよ、俺! 童貞のままじゃ死ねないッす!」

 

 泣き声混じりで言う一誠にマダは笑い、タンニーンは半眼で見る。

 

「これでもギリギリまで手加減しているぞ、馬鹿者め。お前がそうとう脆いせいでな。お陰で最近力の細かいコントロールが出来る様になってきてしまった」

「お前、いじ――特訓すると物凄い必死な顔になるからつい面白――こっちも熱に充てられてやり過ぎちまう」

「そもそもお前が禁手に至れば痛い思いも辛い思いもせずに済む。さっさと至れ」

「そう簡単に言うけど、あんだけ特訓しても何というか、切っ掛けもまだ掴めない感じなんだよ……」

 

 実力の方はついてきた自信はある。しかし、本来の目的である禁手の方はまったく進展が無い。どうすればいいのか、何をすればいいのか分からず、先の暗さだけを感じてしまう。

 

「ふん。そんな情けない顔をするな。お前はリアス嬢の『兵士』、ましてや最強の『兵士』になろうとしているんだろう? そんな調子では目指すこと自体片腹痛い。リアス嬢の下僕になりたい者がどれ程いるか知っているのか? そんな数多の中でお前が選ばれたんだ。もう少し自分の立場を自覚しろ。お前への評価はそのままリアス嬢の評価に繋がる」

 

 耳の痛い言葉である。ライザーにも同じ様なことを言われた。

 

「そうなんだよなぁ……もう俺だけじゃ済まないんだよなぁ……」

 

 心から慕うヒトの為に誰よりも強くなりたい。だが、現実はそう易々とその願いを叶えてはくれない。理想と現実の差に、一誠は柄にもなく少し落ち込んでいた。

 そんな一誠の心境を見抜いてか、アザゼルが一誠の背中を軽く叩く。

 

「まだ日数もあるんだからそう思い詰めるな。基礎トレーニングだけじゃなくてこの怪物二人との実戦形式での特訓もこなして今日まで生きてきたんだろう? 確かにお前には足りないものが多い。魔力なんてヴァーリと比べられると超えるのはどんなに頑張っても無理だ。だからそれを補う為には他を伸ばすしかない。道は長い。だけどな、確実にお前は先に進んでいる」

 

「蛞蝓ぐらいのスピードだけどな」

「茶化すなっ!」

 

 折角励ましているのに茶々を入れるマダをアザゼルが一喝する。

 一誠はヴァーリとの差を直に感じていた為、アザゼルの言葉を素直に受け入れる。あの時、あんな力を見せつけられれば、嫌でも実力差を認めるしかない。

 

「そういえば言って無かったんですけど、三勢力の会談のとき――」

 

 ヴァーリの名を聞いて、一誠はヴァーリが最後に見せた『覇龍』のことについて詳しく知りたくなり、アザゼルに尋ねた。

 戦いの顛末を話しているうちにアザゼル、マダ、タンニーンの顔付きが変わっていく。

 

「『覇龍』ならある程度使えるだろうと思っていたが、まさかあいつがそこまで使いこなしているとは……」

「おいおいおい。ヴァーリの奴、ちょっと信じられないくらい力を付けてるな」

「現白龍皇がそこまで実力があるとは……赤龍帝の小僧、今まで生死のぎりぎりまで追い詰める特訓をしてきたが、これからは死に片足を突っ込むぐらいの特訓をしなければ白龍皇に瞬殺されるな」

 

 想像していたよりも深刻な反応が相手から返ってきた。

 

「嫌です! 俺はまだ死ねない! 俺には叶えなきゃならない夢があるんだっ!」

「何だ? さっき言っていた貞操を捨てることか? リアス嬢に見合った悪魔になることか?」

「全部! あとハーレム王にもなりたい!」

「お、おお。そうか……」

 

 即答する一誠の気迫と予想以上の強欲に、タンニーンも言葉を詰まらせてしまう。

 

「まあ、俺たちが四の五の言っても仕方ないか」

「そうだな。ヴァーリと戦って死ぬのはどうせこいつだし」

「軽く言わないで下さいよ!」

 

 さらっと酷いことを言うマダに一誠は涙目になってしまう。

 

「まあ、今まで以上に死ぬ気で頑張れってことだな」

「そんな簡単に……でもそれしか無いってことか……」

 

 自分の未来に関わることなので簡単に割り切れるものではないが、結局出来ることがあるとすれば特訓しかない。というか、目の前の特訓に集中しなければ、ヴァーリと戦う前に特訓で死んでしまう。

 

「ええい! やってやる! ヴァーリも覇龍もなんだってんだ! こっちはハーレム王を目指してんだ! 男、それもイケメンなんぞに負けてたまるか!」

 

 若干ずれた感じの意気込みを見せる一誠。アザゼルとマダは笑っているが、タンニーンは少し呆れていた。

 

「で、アザゼル。お前は、この後予定はあるのか?」

「ん? ああ、イッセー、お前は一度俺とグレモリーの別館に戻るぞ」

「え? 俺に何の用が? 部長の命令ですか?」

「リアスの母上殿からのお願いだ。――社交界関係のことでな」

「社交界? 俺が?」

 

 自分とは一生無縁だと思われていた言葉を聞き、ポカンとなる。

 

「ふむ。小耳には挟んでいたがグレモリー家は本腰のようだな」

「完全に外堀を埋めにきてるなぁ。いや、一家総出で墓穴を掘っているのか?」

 

 マダとタンニーンはそれを聞いて何かを察するが、一誠の方は全く分からないという表情をしている。

 

「それは急ぎの用事か?」

「いや、明日の朝一に連れて行って、次の日の朝には返す予定だ」

「ほほう? アザゼル、明日の朝までは時間が空いているのか?」

「まあ、そうだな。――ああ、そういうことか。仕方ねぇな」

 

 付き合いが長いこともあって、アザゼルはマダの考えをすぐに理解する。

 

「食うものがあるし、酒もこの通りある」

 

 マダはどこからともなく別の瓢箪を出す。

 

「この二つが揃っているならやることは一つだよなぁ?」

「一体何ですか?」

 

 一誠が聞くとマダとアザゼルはニヤリと笑い――

 

『宴会だよ』

 

――声を揃えて答えた。

 

 

 

 

「ということで飲め飲め」

「あの、俺は未成年なんですけど……」

「冥界に人間界のルールなんて関係ねぇ。何事も経験だ」

「酒も飲んだことないし……というか飲んでも大丈夫ですか? 俺、父親が酒のせいで気持ち悪くなっている姿を何度も見たことがあるんですけど……」

「安心しろ。酒をこいつで割れば二日酔い知らずだ」

「これって……」

「ソーマ」

「また罰当たりな使い方しやがって……俺にも一杯くれ」

「おうよ」

「じゃあ、頂きます――何コレ! うまっ!」

「いいだろ? 酒のソーマ割り。俺はこれをハオマと――」

「お前、ゾロアスターの連中に殺されるぞ」

 

一時間後。

 

「いいんだよ、俺はー。結婚しようとすればいつだって出来るから」

「そう言って先越されているのはどこのどいつなんだろうなぁ? イッセー、見とけ見とけ。婚期を逃した哀れな男の姿をよぉ」

「は、はは」

「そういうお前だって結婚してねぇじゃねぇか」

「いいんだよ、俺は。怪物だし」

「シェムハザもバラキエルも昔は一緒に馬鹿やってたのにいつの間にか身を固めやがって……」

「バラキエルって朱乃さんのお父さんでしたよね?」

「ああ、そうだ。あいつらにとっちゃ余計なお世話かもしれないが、それの関係で朱乃のことは結構気になるのさ。お前も朱乃のことを気にしてやってくれ」

「はい! 朱乃さんには色々とお世話になっていますから、当然です!」

「アザゼル、お前の考えが全く伝わってないぜ?」

「これでいいんだ。たらしなんかより安心だ」

「そういうもんか? ――ところでお前は結婚しないのか? タンニーン」

「どういうタイミングで俺に振ってくるんだ……あと俺は既婚だ。子もいる」

「……ドラゴンにも先を越された」

 

二時間後。

 

「そして俺は完成させたって訳ですよ! 『洋服崩壊』を!」

「良い発想するじゃねぇか、イッセー。だからこそ惜しいと言わざるを得ない」

「な、何が惜しいって言うんですか、マダ師匠! 全裸ですよ、全裸! すっぽんぽんですよ! 一体これのどこが惜しいって言うんですか!」

「お前がその技を完成させようとしたとき、どんな気持ちだったか手に取る様にわかるぜぇ。脳細胞をすり減らさんばかりに妄想し、何度も何度も気の遠くなる程シミュレーションしてきたんだろ? だからこそ惜しい。完成させてしまったその技が、な」

「か、完成させたことが惜しい? それはどういう意味で――」

「半裸」

「なっ!」

「全裸が悪いとは言わん。だがそれは結果だ。脱ぐ過程で生まれる半裸というエロ。お前の技はその完成度の高さ故にそれが失われている。結果も大事かもしれないが、過程あってこその結果! お前は結果を重視するあまり、得られる筈であったものを切り捨てている!」

「た、確かに……衣装系のDVDを見ていると、途中までは良かったのに何故か全部脱いでしまうのを見て、何とももどかしい気持ちになったことがあったけど……」

『何、本気で動揺しているんだ、相棒。お前たちの会話は傍から聞いていると恐ろしいぞ』

「マダ……一理ある!」

『お前もかアザゼル』

 

三時間後。

 

「――つまりだ、お前の今の力と白龍皇の力を合わせれば……」

「さっき言っていたことが実現出来るってことですか!」

「理論上は、な。だが今のお前に出来るか? 白龍皇の力どころか自分の力ですら満足に扱えていないぞ?」

「やってみせますよ、俺は! 必ず! 絶対に! ……ところでちょっと相談したいことが……」

「何だ?」

「実は……と……したい……」

「……その発想に至るとは……お前……天才だな!」

「ありがとうございます! 自分で言い出してなんですが……出来るでしょうか?」

「自信を持て。お前のその想いと赤龍帝の力が合わされば、可能性は無限大だ」

「はい! 俺、ゲームまでに絶対にこの二つを完成させてみせます!」

「……お前が先に完成させるのは禁手だろうが」

『何故だ、何故こうも悪寒が走るんだ……』

 

 五時間後。

 

「おっぴゃーい! おっぴゃーい! ぴゃぴゃぴゃぴゃおっぴゃーい!」

「見事に酔っ払っているな……」

「この酒、初めての奴には少し強かったか……?」

「あんな風にした張本人らが引くんじゃない」

『……どうにかしてくれ……痛々し過ぎる……』

「おっぴゃーい! おっぴゃーい! あいうえおっぴゃーい!」

 

 数時間後。

 

「うん……?」

 

 一誠は何時の間にか自分が眠っていたことに気が付いた。仰向けになって見上げる空には大きな月。

 体を起こして軽く捻ってみる。土の上で眠っていたせいで体のあちこちから音が鳴った。

 

「起きたか」

 

 頭の上から声がし、見上げるとタンニーンがこちらを見下ろしていた。

 

「いつの間にか寝ちゃってたか……」

「前触れも無く倒れて少し驚いた。その後に寝息を立て始めてすぐに杞憂だと分かったがな。体調の方は大丈夫なのか?」

 

 記憶が途切れるまで酒を飲んだ割には、一誠の体調に殆ど変化は無かった。敢えて言えば少し体の火照りを感じるぐらいである。マダが言った通り、霊薬と一緒に飲んだおかげであった。

 

「先生たちは?」

「あそこでまだ飲んでいる」

 

 タンニーンの目線を追うと、少し離れた場所で火を囲みながら、アザゼルとマダが雑談をしながら酒を飲んでいた。途切れる前の記憶では二人ともかなりの量を飲んでいた筈であるが、全く酔っている気配はなかった。

 

「明日は早くにグレモリー邸に戻るんだ、このまま眠れ」

「ああ、そうする。おっさんは二人と一緒に飲まなくていいのか?」

「もう十分飲んだ。それに酔ったお前を放っておいて万が一のことがあれば俺の不行き届きだからな」

「……おっさんって良いドラゴンだよなー」

 

 特訓の中では厳しいがそれ以外では色々と気遣ってくれるタンニーンに、思ったことをつい口に出してしまう。

 

「良いドラゴン? 俺がか? そんな風に言われたのは初めてだな」

 

 タンニーンは口の端を歪める。一誠には照れて笑っている様に見えた。

 口に出したついでに、前々から思っていた疑問も聞いてみた。

 

「おっさんはどうして悪魔になったんだ?」

 

 龍王という肩書を持ち、それに相応しい実力があるタンニーンが、悪魔の眷属になった理由が全く想像出来なかった。

 

「理由はいくつかあるが、最たる理由は種族の存続の為だ」

 

 タンニーンは語る。元々は人間界に住んでいたドラゴンであったが、環境が変化していったことである種の食物が育たなくなり、特定のドラゴンたちが絶滅の危機に瀕した。その特殊な食物しか摂取することが出来ないドラゴンたちを絶滅から救う為にタンニーンは奔走し、冥界でまだその食物が取れることを知って悪魔と取引をし、眷属になることを条件にその特殊な食物が生える土地を丸ごと領土にしたのだと言う。

 個では無く種族という全体のことを考えての行動に、一誠は素直に感動した。

 

「やっぱおっさんってすげぇな。流石は竜の王様」

「――いや、俺にはもう王を名乗る資格は無い」

「へ?」

 

 思いもよらない言葉に一誠は呆けた声が出てしまう。

 

『どういうことだ?』

「……俺が眷属になった理由はまだある。それは……」

 

 タンニーンの頭の中に消し去ることが出来ない記憶が蘇る。

 

『何故だ! 何が目的でこんな真似をした!』

『退屈しのぎ』

『なっ! 貴様……!』

『だが少々期待外れだったかな? どれにも属さないドラゴンの力を過大評価していたらしい。とはいえ貴公の様な存在が現れたと思えば、『暇』を潰していた甲斐があるというものだ』

『その為にどれだけの同胞を手に掛けた!』

『さて? 無意味なことには気を向けない性分なのでね』

『灰すら残ると思うなぁ!』

『はははははははは! いいぞ! もっとだ! もっとその怒りと力を私に見せてくれ!』

 

『本当にそれでいいのかい?』

『構わない。このことが他の者たちに知れ渡れば、必ず報復に走る者が出る。これ以上犠牲は出したくない。このことは俺とお前だけが知っていればいい。死んでいった者たちの無念と怒りを引き継ぐのも俺だけでいい』

『……僕も手を貸すよ。こんな形で契約してしまったが、僕は君の『主』だからね』

『気遣い感謝するが、不要だ。奴は俺のこの手で殺す』

『それが竜の王としての責務かい?』

『……今、ここにいるのは王の矜持も無く、復讐することだけを考えたただの一頭のドラゴンだ。そんな奴が王を名乗る資格なんて、ある筈が無い』

 

 タンニーンが沈黙し、何か思い返し始めた瞬間、一誠は言い様の無い恐怖を覚えた。

 厳しくも優しいタンニーン。その彼が言葉にも表情にも出さないが、体の内に途方も無い怒りを抱えている。

 一誠はその僅かに漏れ出した怒りを感じると口の中が渇き、体中から汗が噴き出て、意思とは無関係に体が震え始める。

 

「お、おっさん?」

 

 震えながら何とか出せた声でタンニーンに呼び掛けると、ハッとした表情となって、怒気も霧散した。

 

「……どうやら俺も少し飲み過ぎたようだな。少し夜風に当たってくる」

 

 タンニーンは翼を広げ、空へと羽ばたいていった。

 

「何だったんだろう……」

『奴にも人には言えない何かがあるという訳だ』

 

 タンニーンが去ってしまった以上、その何かが何なのか聞くことも出来ない。

 後ろ髪を引かれる気分であったが、仕方なく一誠は眠ることにした。

 

(まあ、大丈夫だよな。タンニーンのおっさんは立派なドラゴンだし)

 

 無理矢理でもポジティブなことを考えながら、一誠は目を閉じる。

 

 厳しい特訓を通じてタンニーンを信頼する一誠には想像も付かないであろう。

 少し先の未来にある光景を。

 燃え盛る大地の上で対峙する両者の姿を。

 それが片や師であるドラゴンであることを。

 もう片方が友である魔人であることを。

 

 




という訳で宴会回といった感じです。
そう言えばD×Dのアニメ四期が決まりましたね。正直、三期で終わりかなーと思っていました。
匙対イッセーの話はもう無理かなー。

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