ハイスクールD³   作:K/K

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責務、岐路

 焼け付く様な暑さだというのに、その一カ所だけは極寒かと錯覚を覚える程の空気が流れる。実際に寒い訳では無い。ただ両者から放たれる殺気は、見る者全てに死という概念を烙印の様に与え、その心と魂を震わせるのは間違い無かった。

 片や、激しい激情を隠すことなく放ち、相手を呑み込み圧壊させんばかりの龍の殺気。片や、さざ波の様に静かだというのに、刀の様に一切の無駄や零れも無く、一点にだけ集中して向ける殺気。

 対照的な気が混ざり合い、その場を異界へと変える。

 タンニーンは、雷鳴の如き咆哮を上げると、シンの真正面を狙い、拳を振り下ろす。拳が空を奔るだけで、風が巻き起こされる。

 何処か気怠げで覇気が無いとも言える表情のまま、シンは足を滑らせる様に右へ一歩移動する。だが、どう見てもタンニーンの拳を避けるには足りない距離。体の中心で受け止め、全身が粉砕されることは無くなった。代わりに左半身が消失する未来が予約された。

 拳圧で巻き起こった風が先にシンの前髪を揺らす。すると、一歩移動した筈のシンはそこから、更に右斜め上に半歩移動する。

 自分から当たる様に前進したかと思えば、迫る拳に向かって躊躇することなく焼け焦げた左腕を押し当てる。

 女性の胴体はありそうな太さを持つタンニーンの指に触れると、そのまま拳の側面に左腕を滑らせる。

 鋼の如きドラゴンの鱗と焼け焦げた人間の皮膚。それが接触すれば結果がどうなるか、無知なる者でも分かるであろう。だが、凡その予想を覆す展開がそこにはあった。

 接触する両者の間に激しい火花が散る。あろうことかシンの左腕は吹き飛ばされるどころか、その衝撃に耐えているのだ。

 飛び散る火花を浴びながら、シンは左腕に右手を押し当て更に密着させる。

 側面から力を加えられたタンニーンの拳は進む筈であった軌道を逸らされていく。それと同時にシンは左腕を当てながら前進する。

 拳は地面に向かって振られ、大地を大きく陥没させた。その勢いでタンニーンは前のめりとなる。

 拳を逸らすことで出来た隙を狙い、再び足を狙うシン。体格が大きく違う為、狙う場所がそこしかないのは勿論だが、相手の機動力を奪うのも目的であった。翼が使えない今、タンニーンはどうしても足を使って移動するしかない。

 接近するシン。その時、視界の端に巨影が映る。

 足元を払う様にして振るわれたタンニーンのもう一本の手。シンの逃げ場を奪う様に五指が開かれた状態であった。

 勢いが付いたシンに後退は出来ない。急停止すれば只の的になってしまう。

 絶妙なタイミング。タンニーンは、最初からシンを誘い込む目的で初撃を大振りの攻撃にしたのではないかと思ってしまう。

 思考は一瞬。行動は刹那であった。

 加速がついたままシンは跳躍。間髪入れず足元にタンニーンの手が通過する。膝を折り曲げ、身を縮めていた状態でも靴底にタンニーンの指が掠ったのが分かった。

 だが、辛うじて回避出来たのは事実。そのままの状態を維持し、瞬きよりも早く通り過ぎていくだろうタンニーンの手を見送ればいい。

 シンは目的を定め静観――することはなく、何故か曲げていた膝を伸ばす。何事も無く通過する筈であったタンニーンの指先に両足を着けた。

 着地は一瞬。次の瞬間には指先から跳び上がる。両足に力を加えるだけの足場がほんの少しの間だけ必要だった。

 下手をすればタンニーンの手に弾き飛ばされ、宙に無防備な姿で投げ出されてしまう危険があった。だが、シンは敢えて危険な方に我が身を賭ける。安全、無難などの保身をして勝てる相手では無い。それこそ全力を以って戦わねば勝てない相手である。

 だからこそ命を懸ける。生き残る為に今ある保身や命を捨て、その先を手に入れる為に。

 跳躍したシンが次に着地したのはタンニーンの腕の内側、肘窩という部分である。鱗に比べれば比較的軟らかい感触を足裏から感じた。

 降り立つと同時に腕部を駆け上がるシン。人などとは比べものにならない程の太さを持つドラゴンの腕は、全力で走っても十分な幅があった。

 シンが駆け上がっていくのを見て、タンニーンは地面に叩き付けていた手を急いで戻し、大きく手を開き、止まっている羽虫でも潰すかの様にシン目掛けて振り下ろした。

 が、その直前に三度の跳躍。タンニーンの肩部に手を伸ばして掴み、潰されるよりも早く体を引き上げ、タンニーンの肩に降りる。

 今まで見上げてばかりいたタンニーンと、この時初めて同じ目線となった。

 瞳の中に渦巻く怒り、憎悪。折れそうな程食い縛った鋭い歯からは、歯同士が擦れ合う音が絶えず聞こえる。

 シンは気付く。その瞳はシンを見ているようでいて見ていない。シンを通して別の何かを見ているようであった。

 ここまで他人から恨まれる存在。果たしてそんな人物と自分がどの様にして重なり合うのだろうかと一瞬考えたとき、不意に脳裏に高らかに笑う白骨の闘牛士の姿が浮かびあがった。

 根拠があるわけではない。他に心当たりがないからとも言えるが、一番の理由としてはシン自身、その人物が心底嫌いだからである。

 タンニーンがシンに向かって大口を開ける。それに合わせ喉が鱗越しに赤く輝き始めた。

 ブレスを放つ動作。一方でシンもまた、タンニーンが口を開くと同時に息を吸い込み始めていた。

 その時、胸の奥で何かが訴えてきた。前に『氷の息』を初めて使用したときと同じ前兆。新たな力が産み落とされる度にシンの体内で起こる異変。

 肺の中に限界まで取り込まれた空気。いつもならば魔力によって取り込んだ空気を冷気へと変換するのだが、この時のシンは胸の奥の衝動に従い、いつもとは異なる魔力の込め方をする。

 体内で暴れる熱をそのまま空気へと混ぜ込む様なイメージを頭に描きながら、肺の中の空気の温度を上昇させていき、やがて一定の温度を超える。

 放つ準備を済ませたシン。溜めていたタンニーンよりも一手早い。

 肺を絞り、喉を通過し、口から吐き出された息は紅蓮の炎と化し、タンニーンに吐き掛けられる。それは『氷の息』とは真逆の『炎の息』であった。

 今まで出来なかったことが当然の様に出来る。普通に考えれば恐怖なのかもしれない。だが戦いに徹している今のシンには、切れる手札が増えた程度の認識であった。

 胸の奥の疼きは少しだけ弱まったが、まだ収まる気配はない。

 得意の炎を今度は浴びせられる立場となったタンニーン。だが、それに構うことなくブレスを吐く準備を進める。迫る炎は彼にとって脅威とはなりえなかった。

 種によっては異なるが灼熱の炎を操るドラゴン。ましてやその中でも上位にあたるタンニーンの鱗は、並大抵の炎では焦げ跡一つ残すことは出来ない。タンニーンの鱗を溶かす事が出来る者などそれこそ同じ龍王か、炎を司るフェニックスぐらいしかいない。故にシンの炎を歯牙にもかけないのは当然の理であった。

 脆弱な炎ごと自身の炎で吹き飛ばす。それがタンニーンの考えであった。しかし、その選択は結果として間違いであった。

 何故ならば、シン自身も自らが放った炎がタンニーンに傷を与えるなど微塵にも思っていなかったのだ。

 シンは炎を吐きながら首を上に傾け角度を変える。それに合わせて軌道を変化させる『炎の息』。狙うはタンニーンの眉間付近であった。

 突如として軌道が変わった炎。元から避けるつもりは無かったのでタンニーンの眉間に直撃する。

 タンニーンの顔に当たり、広がっていく炎。シンやタンニーンが考えていた通り『炎の息』はタンニーンの鱗を溶かす程の火力は無かった。

 タンニーンからすれば温いとすら感じる炎。しかし、シンの本当の狙いはこの先にある。

 鱗を伝わり這う様に広がっていく炎。顔を覆い尽していく炎が向かう先にはタンニーンの双眼。赤い炎が憎悪に燃えるタンニーンの眼を舐める。

 眼球の湿りが『炎の息』によって急速に乾かされていく。普通の人間ならば失明しても可笑しくない筈だが、生物として格の違うドラゴンにしてみればその程度で済むこと。

 乾いた眼も数度瞬きすれば何の問題も無い。だからこそ反射的な行為であった。乾燥し、痛みを覚える目を、敵を前にして瞬かせてしまったのは。

 タンニーンが目を瞑ると同時にシンは動く。しかし、タンニーンも鱗越しにシンが動いたのに気付き、目を閉じたまま肩に立つシン目掛け、ブレスを放った。

 灼熱の塊が肩の上を通過していくのが分かる。だが手応えを感じない。空気が焦げるニオイはするが、生命が焼けるニオイはしなかった。

 外したのかと思い、次に来る衝撃に備えるタンニーン。その予想通り、直後痛みが走った。神経に突きささり、毒の様に広がっていく痛みが足の脛から発せられる。痛みを覚えた箇所はタンニーンにとって予想外であった。

 碌に狙いを定めないままタンニーンは片足で地面を蹴り、跳び上がると同時に地面を尻尾で薙ぎ払う。

 大地を砕き、抉る尾の一撃。

 着地点にある木々を小枝の様に踏み潰しながら着地したタンニーンは、まだ痛む脛を見る。脛には四本の裂創が刻まれており、鱗を削り、その下の肉へと届き、血を滲ませていた。

 金属よりもなお固いドラゴンの鱗にここまで傷を負わせたことに、少なからず衝撃を受ける。

 あの時シンの姿を見失ってしまった為、どの様な方法でこのような傷を負わせたのかは分からない。或いは、自分の知らない武具を隠し持っているのではないかとタンニーンは考えた。

 傷のことは気になりつつもタンニーンはシンの姿を探す。あの尾の一撃で吹き飛んだとは微塵に思ってもいない。その程度の相手に傷を負わされた方が余程誇りが傷付く。

 タンニーンの思った通りシンは生きていた。尾で抉った場所から少し離れた位置にある木へいつの間にか登っており、その枝の上に立っていた。

 焦りも恐怖も無い双眼がタンニーンの姿を捉え続ける。

 

 

 

 

 炎を吐き出しても、胸の奥の疼きや衝動はまだ消えることは無かった。以前は新しい力を使えばすぐに消えたというのに。

 取り込んだ力が余程良質なものであったらしい。体の内に滞る熱や魔力を貪り、新たな力が今も産み落とされようとしていた。

 未知である筈の力なのに、使い慣れたものの様に自然と使い方が頭に浮かんでくる。

 普通ならば恐怖してもおかしくはないが、シンの胸中にそんな感情は湧いてこない。それを不自然に思うことはなかった。寧ろ、戦いの最中に余計な感情に振り回されなくて済むとすら思っていた。

 今ある力をどう有効に使うか、どうやって相手を翻弄するか、どうやって相手を倒すか。その思考だけを駆け巡らせる。

 喉の奥で一際強い疼きを感じた。再び未知でありながら既知の力が目覚める。

 シンの頭の中にどの様な力か自然に浮かび上がってきた。

 それを使えると判断すると即座に行動に移る。

 息を吸い込み、大気を体内へと取り込む。『氷の息』や『炎の息』を吐くときと全く同じ準備であったが、ここから少しだけ変化する。

 体内に入った空気を魔力によって冷気へと変換。それと同じくして魔力で熱にも変換していく。

 体内で同時に熱と冷気を操る。

 互いに相殺され、相手を燃やし尽くす力も相手を凍て付かせる力も失っていくが、構わずに更に変質した体内の空気に魔力を練り込んでいく。

 これは攻撃の為のものではない。シンの戦いをより有利に進めていく為のものである。

 タンニーンは力で捻じ伏せられる様な相手ではない。だからこそこの様な力が生きてくる。

 準備が整うと、シンは腹筋に力を入れ、肺を絞り、体内で変質したものを一気に吐き出した。

 

 

 

 

 胸を膨らませるのを見て、タンニーンは僅かに警戒する。ドラゴンの様に冷気、炎をブレスとして吐くのは既に分かっているし、それが自分に対して効果的ではないことも承知していた。だが、あれを吐く時は必ず目晦ましとして使用しており、姿を見失う度に手痛い一撃を受けている。怒りで鈍くはなっているが、まだ潰された親指も脛の傷も痛む。

 これ以上相手に攻撃の機会を与えれば、次はこの程度では済まないかもしれないと考えた矢先、シンの口からブレスが吐き出された。

 初めに見た冷気のブレスと同じ白い靄。それはタンニーンに向かって吐き出されず首を動かして周囲に広げていく。だが、その広がり方は異常であり、空間に染み渡る様にしてあっと言う間に広がり、シンの体を覆い隠してしまう。

 タンニーンの体に白い靄が触れる。触れた箇所から冷たさは感じなかった。冷気では無い。触った箇所に僅かな湿り気を感じる。つまりこれは――

 

(――霧か?)

 

 今更になって攻撃でも何でもない、霧による目晦まし。まだ冷気の方に脅威を覚えた。

 稚拙な隠れ蓑で自分の目を二度も誤魔化せると思われたことに侮辱を覚え、怒りのままに翼を広げる。

 冷気を消し去った時と同様に、翼の羽ばたきでこの霧ごとシンを彼方へと吹き飛ばしてしまおうと考え、広げた片翼で勢いよく扇ぐ。

 ドラゴンの一羽ばたきで場に旋風が巻き起こる。その羽ばたきは木々の枝が悲鳴を上げる程激しく揺らし、木の葉を毟り取る様にして散らせ、木から緑を奪っていく。が、次に起こったことにタンニーンは驚く。

 大気に漂っている筈の霧は突風に扇がれても吹き飛ぶ所か、微風でも受けているかのようにゆったりと漂い続けているままなのである。

 まるで空間そのものに絡みつくかの様な霧。否、最早ただの霧では無い。魔霧と呼べるそれはどんどん浸食し続け、気付けばタンニーンの視界は白一色に染まっていた。

 魔霧に包まれたタンニーンは、そこで改めてこの霧の異常を実感する。

 まずは視覚。ドラゴンの眼を以ってしても霧の中では何も見えず、自分の体すら胸から下が見えない程であった。

 次に聴覚。包まれる前までは聞こえていた音も、霧の中に入った途端遮断され、静寂と化してしまった。

 同じく嗅覚も働かなくなり、場を覆う霧のニオイが鼻の動きを阻害。また、纏わりつく霧の湿った感触のせいで、鱗越しにシンの気配を感じることも出来ない。

 まるで白い闇の中にいるようであった。

 

(何処に――)

 

 その瞬間、右足の腱に痛みが走る。抉られる様なその感覚は、先程脛に傷付けられたときと同等のものであった。

 すると再び走る痛み。場所は前に傷付けられた脛。だが今度の痛みは前の時の比では無い。抉った箇所を正確にもう一度抉ったらしく、肉は削がれ、骨にまで達し、その骨も削られた。

 声を発しそうになったが耐えて呑み込む。痛みを怒りに、その怒りを力に変え、尾を地面に押し当てると、大地を削りながら周囲一帯を薙ぎ払う。シンの居場所に見当も付けず放たれたそれは地表を剥ぎ、その生えた木々を根元から砕き、巻き上がった土砂や木片を凶器と化して周囲に飛散する。

 人に当たった手応えは無いものの飛び散る土砂などを避けたせいか、タンニーンはこれ以上追撃をされなかった。

 熱の様な痛みを訴える脚にタンニーンは表情を歪める。足への執拗な攻撃は確実にタンニーンの動きを鈍らせていた。それだけではない。攻撃を放つ際も両足でしっかりと大地を踏み締めなければ、力を十分に乗せることも出来ない。速さだけでなく力すらも削ごうとしているのが分かる。

 翼が動けばすぐにでも反撃に移ることも出来たのだろうが、未だに翼は痺れ、力が入らない。あとどれくらいの時間が経てば動くようになるのか、タンニーンに知る術は無い。

 五感を鈍らされた状態で防戦一方。片やシンは霧に乗じてタンニーンへ着実にダメージを与えている。漂う霧の中を自由に行動出来るらしい。尤も、自分で放ったそれに惑わされるなど間の抜けた話でしかないが。

 タンニーンは神経を尖らせシンが接触してくるのを待つ。冷静でいなければならないが、今のタンニーンには無縁の言葉であった。怒りが腹の底で今も尚マグマの様に煮え立ち続けている。気を抜けば暴発しかねない怒りを抑えるのに精一杯で、思考を冷ますことなど出来はしない。

 霧の中に静寂が満ちていく。先程とは違って次の攻撃までに間があった。意図的に造られた間。いつ、どのタイミングで仕掛けてくるのか完全にシンの考え次第。戦いの主導権を握られた状況にタンニーンは苛立つ。

 無音と緊張感がタンニーンの精神を緩やかに削っていく。もし、ここにいるのが並の存在だったならば、これに耐え切れずに動き始めていたかもしれない。だが、タンニーンは動かない。その内に激しい激情を宿しているというのに、それに振り回されず、手綱を握る。

 彼は怒りの使い方を心得ていた。怒りとは無闇やたらにまき散らすものではない。怒りの矛先を正確に定め、そこに叩き付けることこそ正しい怒りなのだと考えていた。

 だからこそ今、激しい怒りを溜める。次にシンの姿を捉えた時、その全てをぶつける為に。

 そして、その時は訪れる。音も無く、気配も無く、タンニーンの右脚の膝が裂かれる。

 

「ガアアアアアアアアッ!」

 

 神経を張り巡らせていたタンニーンは、傷が付けられたと同時に右膝周囲を左手で振り上げる。

 空気が擦れる様な風切り音。手応えからして空振ったのが分かった。しかし、この行為は無意味なものではない。

 タンニーンの手刀は文字通り空を裂き、僅かながら空間に纏わりつく魔霧に隙間を生み出す。その僅かに出来た隙間から見えるのはシンの姿。裂かれた魔霧に瞠目している。

 この瞬間、タンニーンは耐えることを止めた。一切の余力を残さない全力を腹の奥底から押し上げ、それが喉を通過し牙の隙間から覗くそれは小型の太陽の様であった。

 怒りのブレスを自らの足元に向かって放つ。

 最初に閃光。次に爆発、そして熱。最後に音が来た。

 光が霧を内側から食い尽くしていく。

 タンニーンを爆心地として起こった爆炎は、漂う魔霧を一気に蒸発させる。太陽の光が闇を祓うかの様であった。

 視界を妨げるものは消え去った。だが、それ相応の代償も払うこととなった。

 爆発の中心地にいたタンニーンは、全身から白煙を上げている。自身の炎で鱗が溶け始めていた証拠である。尤も、元龍王であるタンニーンだからこそ代償がその程度で済んだと言っても良い。二天龍や龍王を除いたドラゴンであったならば、自慢の鱗など紙の如く容易く燃やされ、灰と化していたであろう。

 炎によって霧を払う手段はやろうと思えば何時でも出来た。しかし、闇雲に炎を吐いた所でシンに対し大きな隙を見せるようなもの。やるとすれば相手の位置を確実に把握した時と決めていた。

 その結果が先程の大爆発であるが、やはりタンニーンの行動には冷静さが欠けている。殺意だけが先行し、自身を顧みない。どこまでも荒々しいその戦い方は、見る者に不安しか与えないものであった。

 晴れた霧の中、タンニーンの目が素早く動く。度重なる破壊のせいで荒野同然となってしまった元森林で、シンの姿を見つけるのは簡単であった。

 爆発の衝撃で数十メートル以上離れた場所に目の前で腕を交差しているシンを見つける。その全身からはタンニーンと同じく白煙が上がっていたが、原型を保っている。タンニーンの炎を吸収した際に炎への耐性も得たようであった。しかし、それも完璧な耐性では無い様子であった。重傷は見当たらないが火傷が体の何箇所かに見える。

 全力の炎の余波を受けてそれならば、もし直撃を受けたならば――

 シンを見つけてからのタンニーンの動きは迅速であった。

 吹き荒ぶ風。それはタンニーンが息を吸い込む際のものであった。タンニーンの爆炎で未だに燃える大地。揺らぐ炎が、舞う火の粉が、立ち昇り消え行く筈の熱が全てタンニーンへ吸い込まれていく。

 場に漂っていた魔力を再び体内へと取り込んでいるのだ。

 取り込んだ魔力に自身の魔力を上乗せし、先程以上の炎を先程以下の時間で放てる様にする。

 狙う的は見えている。決して外すことは無い。

 全てを消し去る煌炎がタンニーンより解き放たれた。

 

 

 

 

 眩しい。タンニーンから放たれた火球を見た第一印象はそれであった。まるで太陽を間近で見ている様な気分である。

 熱。速度。大きさ。どれをとっても今まで見た中で最高と呼べる炎であった。直撃すれば跡形も無くなってしまうであろう。

 神罰が顕現したかの様な攻撃を前に、シンは交差していた両腕を解き、それを前に突き出す。

 太陽の如き炎を前にして突き出されたシンの両腕はあまりに矮小であった。対比となる大きさは勿論のことだが、構える両手は共に焼け焦げ、炎の熱によって爛れ、傷付いている。一目で受け止めるのは無謀だと分かってしまう。

 だというのに、両手を突き出して構えるシンの表情は、焦り、恐怖と無縁の涼やかなものであった。人によっては、絶体絶命の状況を前にして諦観していると捉えるかもしれない。それ程までに落ち着いたものであった。

 シン自身、今からすることに対し絶対的な自信が有る訳では無い。シンとて絶対に無理なことがあれば、逃げるという選択もする。ただ今回は背を向けて逃げた所で無駄だと思い、それならば今思い付いた方法で真正面から挑んだ方が生き延びられると思ったからに過ぎない。

 顔を炙る炎の熱。森でのケルベロスとの戦いを思い出す。尤も、あの時と比べれば迫る炎の桁が違うが。

 しかし、シンもまたあの時とは違う。

 黒く焦げた左手から感じる脈動。まだ完全に起きてはいないが、もう少し刺激を与えれば目を覚ます様な気がした。そして、熱く滾る右手。タンニーンの炎を取り込んだ時から末端から、端にかけて熱いものが行き場を求めて循環している感触があった。

 もし、これを上手く操れたら――

 シンが思い出すのはライザーから教わった炎を扱う時の基礎。シンが炎を伸ばす時にイメージしていたのは真っ直ぐな『軸』であった。それに炎を伝わらせ対象まで届かせようとしていた。

ケルベロスの時に使ったのはそれを逆に応用したもの。ならばもっと『軸』を伸ばし、更にそれを両手で行ったのならば――何が起こるか。

 シンの両手に炎が点る。燃え上がる双炎。爆ぜる音が立つ度に、左手から焼け焦げた破片が落ちていく。

 タンニーンの炎に向かって炎上する両手を突き入れる。入れた瞬間、炎越しでも分かる圧倒的熱量。耐性が無ければ、両手が灰を通り越して気化していたであろう。

 炎の中を真っ直ぐ進んでいく二つの『軸』。

 時間の猶予は無い。全身を呑み込まれるどころか、炎が肘から上に来た段階でお終いである。

 刹那の時間が何千にも引き伸ばされて感じる。

 タンニーンの炎が手首を超える。『軸』はまだ突き抜けていない。

 腕の半ばまでくる。まだ『軸』は炎の中を進んでいる。

 肘まで残す所が無くなってきた。まだ抜けない。

 炎が肘を超えシンを呑み込む――前に伝わってくる『軸』が炎を貫く感覚。両手からそれを感じると同時に突き出していた両腕を左右に広げた。

 太陽がその身を分かつ。

 灼熱が裂かれる。

 シンを呑み込む筈であった炎が二つに分断され、左右に走っていく。消し去られる筈のシンはその場から一歩も動くことなく、堂々と正面を見据えたままタンニーンの業火を捌いたのだ。

 全力の炎が断たれる光景に、激情するタンニーンも流石に思考が一瞬止まる。

 炎を捌けたシン。だが無傷という訳にはいかなかった。突き入れた両手から煙が昇り、傷の酷さが一層増している。まだ動くことが奇跡の様であった。

 互いに負傷はしているものの、傷の深さと体力の消耗ではシンの方が圧倒的に不利。タンニーンの全力はシンの全力だけでは足りず、命懸けまでしてようやく回避するのが精一杯なので、無理も無いことであった。

 これ以上時間をかければ、どちらに勝利が傾くかは明白である。

 動揺からすぐに立ち直ったタンニーンは、もう一度息を吸い込み、ブレスを吐く準備に入る。胸部から喉にかけて赤く輝き始める。体内で創り出している炎がタンニーンの分厚い皮膚や鱗を赤熱させているのだ。

 ほぼ全ての攻撃がシンからすれば必殺の域であるというのに、その中でも最強の一撃を惜しむことなく使い続けてくるタンニーン。その殺意の高さは計り知れないものである。

 シンもまた躊躇することなく、持てる全てを己の両腕に注ぎ込み始める。

 炎を捌いた時、ふと思い付いたことがあった。

 炎の射線や軌道を逸らす為に使用していた『軸』。今までは左手から一本しか出せなかったそれが、タンニーンの炎を吸収したことで右手からもう一本出せられる様になった。

 もし、この二つの『軸』を一つに重ね、そこに持てる力を注ぎ込んだら一体どんなことが起きるのか。

 言うまでもなく何の確証も無しに実戦でそれを行うのは愚行である。だが、今もシンの体の中では燃え盛る様な魔力が行き場を求め、その熱を高めながら暴れ回っている。

 熱によって突き動かされる衝動に抗えない。冷静な判断をするべきだと頭では分かっていても、自らを止めることが出来なかった。

 焼け爛れたシンの両腕から炎が噴き上がる。赤炎は空気を焦がし、音を立てず静かに燃え盛る。左手に入った亀裂がその炎の勢いで更に大きくなり、隙間から生じる光の量も増える。溢れた光は、炎の中に薪の様にくべられ糧となる。

 轟音のタンニーンに対し、静黙のシン。対照的な姿勢だというのに、共にその身に灼熱を纏っている。

 タンニーンの口から炎が零れ始める。シンもまた最大まで高めた炎を掲げ始め、それを頭上で一つに合わせようとしたとき――

 突然、その炎を消し、あろうことか余所見までする。

 愚かとしか言い様の無いシンの行動に、タンニーンは大口を開きそれを断じる様にブレスを吐き掛けようとする。

 

「待て!」

 

 制する声。それを命乞いと捉えるタンニーン。それに聞く耳を持たない。

 タンニーンの口からブレスが吐かれる――その直前。

 

「こっちへ来るな!」

 

 怒鳴る声。焦りはあるものの恐れが含まれていない。このことがタンニーンの思考に僅かな疑問を生じさせる。

 

「おっさん! ちょっと待ってくれ!」

「ヒーホー!」

 

 その時、滑り込む様にして二人の間に割って入ってくる二人の人物。修業場で待っている筈の一誠とジャックフロストであった。

 怒りに囚われていたタンニーンの頭が、この時一気に冷える。

 止めなければ、外さなければ、逸らさなければ。だが無情にも一度動き出したものは止められない。一誠たちが現れたタイミングは文字通り間が悪く、体内で高められたブレスは既に喉を通り、口内から吐き出される寸前であった。

 

(何をしてもいい! 避けろ!)

 

 タンニーンの考えとは裏腹に、龍王の獄炎が放たれる。その時、頬に強い衝撃が走った。何者かがタンニーンを背後から殴りつけたのだ。無理矢理首の向きを変えられたことによって一誠たちへの直撃は避けられた。しかし、例え外れたとしても余波だけで十分殺傷の域にある。ましてや熱に弱いジャックフロストなど、瞬時に蒸発してしまうだろう。

 外れた炎弾が一誠たちから大きく右に逸れた後、森に着弾。炎がドーム状に広がりながら周囲の木々を吹き飛ばし、広がる熱波が森を焼き尽くしていく。

 

「そこから動くなよ!」

 

 見えない熱波が一誠たちに襲いかかろうとした時、声と共に空から降り注ぐ光の壁。一枚だけではなく同時に何枚も重なって降り、一誠たちを守る様に囲む。

 光の壁は熱波を完全に遮り、中の一誠たちは汗一つ掻くことはなかった。

 

「はあ……冷や冷やさせるなよ、お前ら」

「アザゼル先生!」

 

 空からアザゼルが、安堵の息を吐きながら光の壁の縁に立つ。

 

「間一髪、ってところか」

 

 これ以上何かをさせない様にタンニーンに肩を回すマダ。その体はタンニーンと同じ大きさにまで巨大化していた。

 

「待っていろと言っただろうが」

 

 光の壁が消え去り、地面に降りたアザゼルが目を細めて一誠たちを睨む。

 

「うっ……すみません」

「正直、寿命が縮むかと思ったぜ。お前らの姿を見つけたときは……」

 

 先に出た筈のアザゼルたちよりも一誠たちの方が先に着いたのは、偶然と呼んでいいものであった。アザゼルたちはシンとの待ち合わせ場所を大まかにしか知らず発見が遅れ、一方の一誠たちはジャックフロストの仲魔共有の探知を使ってシンの位置に最短で向かっていた。更にそこでシンとタンニーンが場所を変えながら戦闘。その方角が、偶々一誠たちがいる方角だったのだ。あの時、シンがタンニーンよりも先に一誠たちの存在に気付いたのも、ジャックフロストの存在を感じ取った為である。

 

「……派手にやられたな」

「――生きてはいます」

「そういう問題じゃねぇよ」

 

 シンの両腕を見て、一瞬アザゼルは表情を歪めた。

 

「イッセー、お前らはそいつ連れて一旦リアスの屋敷に戻れ」

 

 アザゼルは、懐から一枚の紙きれを取り出し一誠に渡す。紙には魔法陣が描かれており、見覚えのあるそれは転送用の魔法陣であった。

 

「それを使えばすぐに屋敷に跳べる。そんで俺たちが戻るまで待っていろ」

「え、でもタンニーンのおっさんは――」

「こいつとは俺たちが話をする。いいから早く戻れ。一秒でも早くそいつの治療をしてやれ。分かったな?」

 

 さっさと行けと言外に含ませる強い口調に、一誠はそれ以上何も言えずアザゼルの指示に従う。

 

「大丈夫か、その怪我。早くアーシアに見せないと……」

 

 そう言って一誠はシンに肩を貸そうと思い、シンの腕を首に回す。

 

「あっちぃぃぃぃ!」

 

 首に腕が触れると同時に一誠は叫ぶ。まるで焼けたアスファルトや鉄にでも触れた様な感覚であった。

 

「どうなってんだ! お前の体温! というか何でお前上半身裸なんだ!」

「……成り行きだ」

「どんな成り行き!? ジャックフロスト! 冷やせ! 冷やせ!」

「ヒホー!」

 

 一誠に言われてジャックフロストがシンに息を吹き掛ける。雪の混じった『氷の息』は、シンに触れると一瞬音を立てて蒸発する。

 

「騒いでないでとっとと行け」

 

 さっきよりも少し強い口調で言われ、一誠はシンの隣に立ち、ジャックフロストを側に寄らせると魔法陣に触れる。描かれた魔法陣が発光すると、一誠たちは光に包まれ目的地へと転送された。

 

「――さて、少し話をするか、タンニーン」

「話をするまで逃がさねぇ……つもりだったがそんな心配はねぇな」

 

 マダはあっさりとタンニーンから手を離す。

 タンニーンは項垂れ、その背に生える翼も萎れた様に畳まれていた。ついさっきまで殺気溢れる姿は見る影も無く、同一人物かと疑ってしまう程に弱々しい姿を晒していた。

 偶然とはいえ、危うく自らの教え子と友人の忘れ形見を殺めてしまいそうになってしまったことに、少なからず衝撃を受けていた。理性を無くし暴れ狂う元龍王とは思えない醜態。皮肉にも一誠たちによって冷え切った頭に、その事実が深く刺さる。

 マダとアザゼルの介入が無ければ――最悪の想像をしてしまい、吐き気すら催す。

 

「……無様だな」

「自己嫌悪していないで何があったか詳しく話せ。あいつを襲ったことも、あいつを襲った理由も全部だ」

「……ああ」

 

 何を思い、何を理由にシンへ襲いかかったのか、本音を何一つ隠さずにタンニーンは語り始める。

 既に拭い切れない醜態を晒した。最早これ以上の恥は無いと思い、淡々とタンニーンは語り続けた。

 

 

 

 

 一誠たちによってグレモリー邸へと連れ帰られたシンは、疲労からすぐに眠りについた。その間、夢か現実かあやふやな感覚の中で、聞き覚えのある声らが飛び交っていたような気がする。

 

『イッセー、どうした――シン! その怪我はどうしたの!』

『事情は後で話しますから、兎に角医者を!』

『ヒホー! 早くシンを助けてホ!』

 

『グルルル……焦ゲテル……美味ソウ……少し齧ッテイイカ?』

『ダーメ! シンを食べたらアタシ怒るよ!』

『冗談ダ』

『笑えないよ~』

 

『アーシアを呼んできて! あと可能ならばフェニックスの涙も!』

『リアスお嬢様。そのことなのですが……』

『何? ど、何処で手に入れたの、そんなに大量のフェニックスの涙を!』

『匿名で間薙様宛に今送られてきました』

 

『君を保護する為に冥界へ連れてきたのに、こんな目に遭わせるなんてね……』

『あの時、一人で向かわせずに私も同行すべきでした。私の浅慮が原因です』

『いや、全ては私の不測が招いたことだ。責を負うのは私だ』

『いえいえ。全部の責任は私が取るべきだよ。サーゼクス君』

『貴方は――』

 

 目が覚める。目線の先にあるのは高い天井に吊られた豪華なシャンデリア。続いて体を起こす。体中の筋肉が引き攣り痛みが生じるが、耐えられないものではない。

 上体を起こして周囲を見渡しながら、状況を確認する。今はベッドの上で、そこから見覚えある光景を見ている。記憶に混乱が無ければグレモリー邸で、シンが泊まっている部屋であった。周りに人は居らず、部屋の中にはシンだけである。

 そのままベッドから降りようと掛けてあったシーツを掴む。その時、シーツを掴んでいた右手に大小様々なガーゼが貼られていることに気が付いた。もっと傷は酷かった筈だが、眠っている間に治療されたらしく、三分の一は治っている。

 今度は左手の方を見る。指先から肘まで包帯で隙間無く巻かれていた。明らかに重傷である。試しに指を一本曲げてみた。剥き出しの神経を紙やすりで擦ったかと覚える程の深く、鋭い痛みが脳の奥底へと突き刺さる。曲げた指を元に戻す時も同じ痛みが電流の様に突き抜けていった。尤も、それを表情に出していないので、傍から見れば大したことの無いように見えるかもしれない。

 しばらくの間、ベッドの上で動かず自分の左手を凝視するシン。すると扉をノックする音が聞こえてきたので返事をする。扉が開けられ、その向こうから姿を見せたのはサーゼクスであった。

 

「もう目が覚めたのかい? 良かった」

 

 安堵した表情を見せるサーゼクス。

 

「どれぐらい眠っていました?」

「一日ぐらいだよ」

 

 サーゼクスがベッドの側に来たのでシンはベッドから降りようとするが、サーゼクスは手でそれを制止する。

 

「安静にしていてくれ。君に万が一のことがあったら君は勿論だが、リアスにも申し訳が立たない」

 

 そう言われ、シンは大人しく元の位置に戻る。

 

「先に君の両腕のことなんだが、今は痛むだろうが安心してくれ。その傷は必ず完治する。傷跡一つ残さないと誓わせてもらう。ただ左腕の傷は右に比べて深い。治るまで少しだけ時間が掛かると思う」

「そうですか」

 

 普通は安心するものだが、他人事の様にそっけない返事。

 

「……君には謝らないといけない」

「あのドラゴンのことですか?」

 

 何が言いたいのかを察し、先に話題に出す。

 

「そうだ。あれは――」

「そこから先は僕から話させてもらうよ、サーゼクス君」

 

 サーゼクスの言葉を遮り、突如としてその人物は現れる。音もニオイも、魔力も気配も無く、今この場に貼り付けられたかのように出現した。

 見た目は中年にさしかかった男性。皺の無い新品同様の品の良いスーツの上から外套を纏い、赤と青の派手派手しい色味がかった頭髪は、毛一つ跳ねることなく整えられている。切れ長の鋭い目から覗く瞳は頭髪と同じ赤と青で、左右の色が違う。

 現魔王を君付けで呼んだこと、そして、その身から放たれる妖しい気だけで只者では無いことが分かる。

 

「やあ、初めまして間薙シン君。シン君と呼んでも良いかな? 成程。君とは初対面だけど君を見ると重ねざるを得ないな――『魔人〈彼ら〉』と」

 

 厳ついとも怖いとも言える顔付きからは想像出来ない程、親し気な喋り方をする。

 

「ああ、自己紹介が先だったね。僕の名はメフィスト・フェレスです。そこそこ名の通った悪魔だよ」

 

 悪魔と言えば、まず候補に浮かぶ名。『光を愛せざるもの』という意味を持ち、戯曲や本などで記される有名な悪魔である。

 

「訳あって今は冥界ではなく人間界の方で暮らしているんだけど、事情が事情だから直接会いに来させてもらったよ。流石にこの件は人間界から映像という訳にはいかないからねぇ」

 

 メフィストはそこで笑みを消し、真面目な表情となる。

 

「君を襲ったタンニーンは僕の『女王』。つまり眷属さ」

 

 タンニーンの主。つまり古参の悪魔であり、相当の実力の持ち主であるらしい。

 

「彼は滅びゆくドラゴンという種族を出来る限り救済したいと言って僕の眷属になったんだよ。やー、龍の鑑、まさに龍王の器だよねぇ。でも今回のことはそれが仇になってしまったようだね」

 

 メフィストは、タンニーンが何故シンを襲ったのかを説明し始めた。

 ドラゴンという種が環境の変化によって数を減らしていったこと。そこにマタドールが竜狩りという行為をしたせいで更に激減させたこと。そのときの怒りをタンニーンは根深く持っていること。

 

「――ということさ」

 

 メフィストが語り終えるまで、シンは口を挟まず黙って聞いていた。

 

「こんな風に説明をしているけど決して同情を誘っている訳では無いよ。ただ本当にタンニーン〈かれ〉というドラゴンを君に知って欲しかったんだ。彼は決して我欲で動く様なドラゴンじゃない、今回のことももしかしたら彼の背負っているもの故の行動だったかもしれないねぇ」

 

 可能ならばタンニーンに対して温情を与えて貰いたい。メフィストの言葉の端々にそれを感じ取っていた。シンは怒る訳でも無く、静かにメフィストを見詰める。

 

「色々と言わせて貰ったけど、今回の件は間違いなくタンニーンが加害者で、君は被害者だ。タンニーンもそれを認めている。彼をどう裁くか、それは君の考え次第だ」

「俺次第、ですか……」

「重罰を望むのならそれも仕方ない。速やかに然るべき罰を与えることになるだろうねぇ。――ただ」

 

 メフィストは床に片膝を突き、ベッドに座っているシンと同じ目線に合わせた。

 

「たった一度でいい。彼と言葉を交わしてくれないか? 彼という存在に触れてほしい。それが叶うなら僕の持つ知識、財、力を君の望むままに譲ろう」

 

 紛れも無い懇願であった。長い刻を生きる悪魔が彼からすれば生まれて間もないに等しいシンに対し、嘆願している。それも自分よりも若い悪魔であるサーゼクスの前で。

 話を聞く限り、メフィストはタンニーンに命令も指示も与えず放任している。仮にタンニーンを失ったとしても、メフィストに損失が有る訳では無い。それでもメフィストはタンニーンの助命を願っている。

 真剣に乞うメフィストに対し、シンの答えは――

 

「いいですよ」

 

 ――非常にあっさりとしたもの。メフィストの言葉を聞いて悩む間もない即答であった。

 これにはメフィストも目を数度瞬きする。

 

「え? 本当に良いの? 自分で言うのも何だけど結構虫の良い話をしているつもりだよ?」

「元々話をしたいと思っていました。だから望み云々は結構です」

「いやいや。悪魔として契約は大事だからね?」

「だからいいです」

「だめだめだめ。僕の方から言い出したんだからきちんと何かしらの代価は受け取って貰うよ? じゃなきゃ格好がつかないよ」

 

 要らないと言ってもメフィストの方は頑として譲らない。このままだと埒が明かないので、とりあえず代価は保留という形となった。

 

「すまない。ありがとう、シン君。じゃあ、タンニーンと会う日取りなんだけど――」

 

 メフィストの言葉を最後まで聞かずに、シンはベッドから降りる。

 

「今から行きます」

「今からっ! ――君って変わっているって言われない?」

「さあ?」

 

 メフィストの言葉を軽く流しながら動き易い服装に着替えようとしたとき、勢い良く扉が開かれた。

 

 

 

 

 タンニーンとシンとの戦いが終わった後も、休むことなく一誠は禁手化に向けての特訓を続けていた。

 マダ監視の下いつも通り苦しいメニューをこなす一誠であったが、この日はそんなことが苦にならない程特訓に身が入らない。理由は、少し離れた場所で銅像の様に微動だにせず暗い目をしたタンニーンの存在であった。

 一誠がシンたちをグレモリー邸に連れ帰ってから数時間後、言っていた通りアザゼルが迎えに来た。

 アザゼルが一誠を修行地である山へと連れていくと、そこにはマダとタンニーンが待っていた。てっきりもう修行を見てくれないと思っていた一誠はタンニーンが居ることを素直に喜んだが、そんな一誠にタンニーンが向けたのは、その巨体から放ったとは思えない程小さく弱々しい謝罪の言葉であった。

 偶然とはいえ一誠を殺めてしまいそうになったことを謝るタンニーンに対し、一誠はあの場に飛び込んだ自分に非があるから謝る必要は無いと告げる。だが、性根の真面目さ故かタンニーンはそれを素直に受け取ることが出来ず、自らを許そうとはしなかった。

 アザゼルが言うに、初めは一誠を教える資格は無いと言って自分の領土へと帰ろうとしていたらしいが、その際マダが――

 

「何だ? シン〈あいつ〉が原因で暴れたと思えば、今度はあいつのせいにして全部放り投げるのかぁ?」

 

――とかなり痛烈な言葉を浴びせ、無理矢理引き留めたという。

 修行が始まってもタンニーンは一誠と最低限の接触と会話しかせず、それ以外の時は沈黙を保ち続けていた。更にその身にはシンとの戦闘で受けた傷が今も残っている。治療を受ける様にアザゼルから言われたが、タンニーンはそれを拒否し、傷に一切手をつけていない。

 

(どうすりゃいいんだろうな……)

『こればかりは俺でも相棒でもどうにもできん。そもそも奴は生真面目に悩み過ぎだ』

 

 心の声にドライグが反応する。

 基本的にドラゴンは自由に生きる存在である。良く言えば周りに縛られない、悪く言えば周りを顧みない。ドラゴンの未来を憂い、身を粉にして働くタンニーンは異端と言える。

 

(確かにドライグじゃ励ますのは無理かもなー)

 

 ドラゴンは自由。その最たる例であるドライグ。三勢力が争っているときにアルビオンと戦いながら乱入して、戦争をぶち壊した者が慰めの言葉を掛けても、説得力が若干欠けるであろう。

 

『悪かったな。戦争のど真ん中で喧嘩する大馬鹿で』

 

 考えが筒抜けらしく、少し拗ねた声が頭の中に響いた。

 

(いや、別に馬鹿にしている訳じゃ――)

 

 その時、軽い衝撃を頭に受ける。後ろを見るといつの間にかマダが接近し、一誠の頭を軽く叩いていた。

 

「身が入ってねぇなぁ?」

「す、すみません!」

「……まあいいや。ちょっと休憩」

 

 そう告げるとマダが離れていく。

 一誠は戸惑っていた。いつものマダなら、もし修行中に気を抜いている様なものなら地面に埋まる勢いで頭を叩いていた筈。断じてあんな撫でる様な一発ではない。更に休憩まで取らせるとは考えられない。一誠の死にかけた姿を見て爆笑する様な人物である。

 マダもまた、タンニーンのあの様子に調子を狂わされているのではないかと思いつつ、一誠は休憩に入る。

 近くの川に行き、汗でべとついた顔を手で掬った水で洗い落とす。それを数回やった後に片手で滴を払いながら、もう片方の手で近くに置いたタオルを手探りで探す。

 左右に行ったり来たりし、中々目的の物に触れられない。

 

「もっと右だ」

 

 そう指示され手を右に動かすと、指先にタオルの感触を捉えそのまま掴み、顔の水気を取る。

 

「ん?」

 

 自然だった為につい大人しく従ってしまったが、この場に居ない筈の記憶にある声であることに気付き、タオルから顔を離して声の方に目を向ける。

 

「って間薙! 何でここに! というかお前大丈夫なのか!」

 

 負傷している筈の人物が普通に立っていることに驚き、声が思わず大きくなる。

 シンは一誠と同じジャージ姿であったが、上着には袖を通さず羽織っている格好であった。包帯やガーゼで治療してある両腕や治りかけの傷が、一誠から見ても痛々しい。

 

「用事があって」

「用事って……一人でか?」

「オイラも居るホ!」

 

 シンの存在に注目して気付かなかったが、シンの足元にはジャックフロストも付いていた。

 

「お前もここに何の用だよ、フロ助」

「シンと一緒にタンニーンに会いに来たんだホ!」

 

 一誠は、何を言っているのか理解出来ないといった表情をしながらシンとジャックフロストの顔を交互に眺めた後、いきなりシンの両肩を掴んだ。

 

「お前、一体何考えてんだよ! もし復讐しに来たって言うんなら俺はおっさんとお前を会わさないぞ!」

 

 殺し合い同然の戦いを昨日したばかりの二人が顔を会わせるなど黙って見過ごすことも出来ず、またそんな相手にすぐに会いに来たシンの正気を疑ってしまう。

 

「別に戦いに来た訳じゃない」

 

 シンは右手で肩を掴んでいる一誠の両手を軽く払う。

 

「――本当だな?」

「一言、二言言いに来ただけだ」

 

 一誠が探る様な目線を向けるが、シンの微動だにしない鉄の如き無表情から何かを読み取れる訳も無く、結局付き合いの中で得た経験から信じることとした。

 

「分かった……俺がおっさんのとこに連れて行く」

 

 先導してシンらを案内する一誠。万が一の時は自分が止めようと密かに決意する。

 

「ん?」

 

 マダは一誠が戻ってきたことに気付き、その後ろから付いてくる人物を見て、ほんの少しだけだが驚きで動きが止まる。しかし、それ以上は何もせず声を掛けることも無く、一誠らを静観する。

 タンニーンもまた、シンとジャックフロストが現れたことに気付いたが、こちらは一切驚く様なことはせず、何処か納得した態度で自分の方からシンたちの方へと歩み寄っていった。

 向かってくるタンニーンに一誠は緊張する。あの時の様に全身から殺気や怒気を振り撒くことは無かったが、その不気味な程落ち着いた反応にかえって不安になってくる。

 やがて両者の距離がある程度まで近付くと、タンニーンは徐に地面に片膝を突いて座り込む。

 

「言い訳は一切しない。俺がお前を殺そうとしたのは間違いなく事実だ。その報いを受ける覚悟は出来ている」

 

 タンニーンはシンに向けて頭を垂れ、手に届く位置にまで下げる。

 

「この首、持っていけ」

 

 自ら犯した過ちを正す為に自らの命を捧げようとする。その行為に一誠は声を出しそうになるが、それよりも先にシンが動いた。

 乾いた音。タンニーンの鼻先にシンの左手が叩き付けられていた。

 拳ではなく女、子供を叱る様な平手打ち。それを受け、タンニーンの方は意味が分からず困惑する。

 

「大した怪我じゃない」

 

 叩き付けていた左手を離し、見せつける様にひらひらと軽く振ってみせる。

 そして、それだけ言うとあっさりとシンは身を翻した。

 

(それで終わりっ!)

 

 確かに一言、二言言いに来たと言っていたが、本当に一言で終わらせてしまったシンに、一誠は内心で突っ込んでしまう。

 あれだけ覚悟を見せたタンニーンは、あまりに簡単に下がっていくシンの姿に絶句してしまう。だが、シンと入れ替わる形で今度はジャックフロストが前に出た。

 

「ヒホ!」

「……お前か。お前にも詫びなければいけないな」

 

 謝罪の言葉を口に出そうとしたとき、ジャックフロストが一際大きな声を出した。

 

「タ、タンニーンは王様し、失格だホ!」

「……はっ?」

 

 急にそんなことを言われてタンニーンは呆けた声を出す。元より龍王の名はとっくに返上している。

 

「そ、そんな情けないす、姿を王様は見せちゃいけないホ! 実はさ、最初からオイラは気付いていたホ! タンニーンは、お、王様としてまだまだだってホ!」

 

 聞いている方がいたたまれなくなる程の棒読み。左右に忙しなく動く目。落ち着きの無い態度に、一度たりとも止まらない胸の前での指の動き。一目でジャックフロストが心にもない嘘を吐いているのが分かる。

 

「ほ、ほ、本物の王様がどういうものか、いつかタンニーンにオイラが見せてやるホ!」

 

 ビシリと指差し宣誓するジャックフロスト。暫しの間、シンを除く皆がポカンとした様子であった。

 

「ふ、ふ、ふははははは。言ってくれるな! そうか俺は王としては未熟か! く、ははははは。そんなことを真っ向から言われたのは初めてだ!」

 

 沈黙を破ったのはタンニーンの笑い声であった。一頻り笑うとタンニーンは、ジャックフロストを正面から見つめる。

 

「お前が王になるときまで、この命、大事にしておこう」

「ヒホ! 待ってるホ! タンニーンやオイラの王様以上の王様になってやるホ!」

 

 二人が喋っている間に一誠がシンに近付き、小声で話し掛けてくる。

 

(これってお前の指示か?)

(あいつ自身の言葉だ)

(そうか……何はともあれおっさんが少しだけでも元気になってくれて良かった。お前もありがとな)

(大したことはしていないさ)

 

 それだけ言い残すとシンはジャックフロストを手招きし、来た時同様にあっさりと去って行く。

 

「おーい。何時までも喋ってないでとっとと再開するぞー」

「は、はい!」

 

 マダの声に反応し、一誠は慌ててマダの下に走り寄っていく。

 

「お前は――もう少し後でいいや」

 

 タンニーンに視線を送った後、一瞬だけ何も無い場所を見る。

 マダが一誠を連れていったのを見て、タンニーンは独り言葉を洩らす。

 

「いるのだろ? メフィスト」

「あれ? やっぱりばれてた? 上手く消えていた筈だったのになぁ」

 

 虚空から浮き出る様にメフィストが現れる。

 

「俺やあいつの勘を侮るなよ」

「怖いなぁ、全く」

「お前にまで心配掛けるとはな」

「そんな風に責任を感じるからシン君には僕の名前を出さないでもらっていたんだけど、いやぁ、台無しにしちゃったなぁ」

 

 苦笑を浮かべるメフィスト。

 

「正直、少し冷や冷やしたよ。君が首を捧げるなんて言った時は。――でも、もうそんな気はないんだろう?」

「子供らにあれだけ気遣われておいてこのまま腐り続けたのなら、ドラゴンとして、年長者としての沽券に関わる。それに約束もしてしまったからな、あいつが王になるのを見届けると」

「やっぱり君は真面目だねぇ。ところでさ、一つ提案なんだけど」

 

 メフィストが指を二本立てる。

 

「君の尽力でドラゴンの数は安定してきた。多分、余程のことが無い限りこのまま数は増え続けていくだろうね。つまり君の当初の目的はほぼ達成出来たと言ってもいい」

 

 そこでメフィストは指を一本折る。

 

「余裕も出来てきただろう? そろそろ返していたものを戻す時が来たんじゃないかなぁ?」

「――メフィスト、お前は俺にもう一度龍王の座に戻れと言うのか?」

「どうせ待つなら同じ高みで待つのがいいんじゃないかな?」

 

 タンニーンに見せる様に残った指を左右に振る。

 

「ふっ、成程。王として未熟と言われたばかりだ。もう一度目指すのも一興か」

 

 

 

 

 一誠たちと別れたシンたちはグレモリー邸に帰る為、近くに描いている転送魔法陣へと向かう。

 目的のものはすぐに見つかり、帰還しようとしたとき、声が掛けられる。

 

「無茶をしましたね」

 

 現れたのはセタンタであった。口振りからして、先程のタンニーンとのやりとりを見ていたらしい。

 

「どうしたんですか?」

「一応護衛に。杞憂でしたが。それと貴方に渡すものがありまして」

 

 セタンタが封に入った一枚の封筒をシンに渡す。

 

「サーゼクス様からリアス様と貴方に至急渡す様にと」

「部長と俺にですか?」

 

 受け取ったそれには差出人の名前は書いていない。裏面を見た時、僅かにシンの表情が険しくなる。今時殆ど見ることはない封蝋が施されていたが、その蝋に刻まれた紋章は見覚えがあるものであった。

 傷付いた左手を動かしながら封を開け、中の手紙に目を通す。

 

「何て書いてあるんだホ?」

「……」

「シン?」

 

 気になって声を掛けるが、反応が無い。シンの表情の険しさは先程よりも深いものになっており、何か悩む様な表情であった。

 

 

 

 

 夜。蝋燭の明かりの下、黒と白のチェス盤に向き合い沈黙し続ける一人の女性。

 黒の駒からは戦車が一つ取り除かれ、白の駒からは騎士が一つと戦車が二つ除かれている。

 その盤面を静かに見つめる女性は、時折時計の方に目を向けていた。

 チェスの打ち筋に悩んでいるというよりも、別のことで悩んでいる様子である。

 その時、部屋の扉をノックする音が響き渡る。

 女性は椅子から立ち上がり、扉の前に立つと、ゆっくりと深呼吸した後に部屋の扉を開く。

 扉の向こうには、彼女が待っていた人物が立っていた。

 

「まずは来てくれたことにお礼を言います」

「いえ、色々とお世話になっているので」

「ここに来てくれたということは、了承したと考えていいんですね?」

「はい」

 

 女性は扉の向こうの人物を部屋に招き入れようとするが、その直前に立ち止まり、念を押す様にして確認する。

 

「本当にいいんですね? 私たち――ソーナ・シトリー側としてレーティングゲームに参加してくれることに? 間薙君?」

 

 扉の前に立つ人物――シンは、答える代わりにソーナの部屋へ足を踏み入れた。

 

 




タンニーンに焦点を当てた話になったらなんか大分弱々しい感じになってしまったかもしれません。
色々とコネが増えていく主人公。メフィストと繋がりを得たのでスラッシュドッグの話とも絡められたらなーと思っていますが、いかんせん話を作るには材料が色々と足りません。
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