ハイスクールD³   作:K/K

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決意、闘志

「ほれ。撃って来い。撃って来い」

 

 左腕を突き出して構える一誠に向かって、マダが指招きしながら挑発する。

 限界まで倍化を済ませている一誠は、全魔力を左手に集中させ、そこからマダの巨体をも上回る魔力弾――ドラゴンショットを放った。

 山合宿で放った時とは質も大きさも上回っている。直撃すればこの山ごとマダを消し去ってしまうかもしれない。

 しかし、マダは迫るドラゴンショットを見て口の端を吊り上げて笑うと大口を開ける。そして、ガチンという歯が嚙み合う音がしたかと思えば、マダに迫っていた筈のドラゴンショットは跡形も無くなってしまった。

 

「まあまあ。と言ったところかぁ」

 

 鋭い歯に爪を当て、見せつける様に掃除する。口の端からはドラゴンショットの残骸らしき微小の魔力が、煙の様に立ち昇っていた。

 

「ならば、これはどう対処する?」

 

 タンニーンが息を吸い込み、胸が膨らんでいく。ブレスを吐く準備をしているのを見た瞬間、一誠はその場から走り出す。

 だが、それは逃走の為に走り出したのではない。一誠は近くに流れる川にまで移動する。

 足首まで水に浸かると、タンニーンの方を注目しながら左拳を足元に向け、腕を振り上げる。

 

「ガアアッ!」

 

 咆哮と共にタンニーンの口から、先程のドラゴンショットと同等の大きさの炎弾が放たれる。

 距離があるというのに肌や目が一気に乾いていく程の熱気。加減はしてあるが、それでも修行初日の一誠だったならばその場で腰を抜かしていても可笑しくはなかった。

 しかし、マダとタンニーンから連日地獄そのものの様な修行を受けてきた一誠には、その炎に対する恐怖は無い。棺桶に片足を何度も突っ込む様な体験をしていれば、嫌でも慣れてしまう。

 慌てず臆せず、一誠は左拳を川面に突き入れ、更にその下の砂利まで沈み込ませる。拳が埋まると同時に増大している力を『赤龍帝の贈り物』によって譲渡し、一誠を中心にした水の消火能力を高める。

 感覚的に倍化している時間がもう間もなく終わる。時間切れになるよりも先に、一誠は砂利ごと水を掬い上げながら、その左手から再びドラゴンショットを放った。

 土砂が混じった水が巻き上がりそれが口を開いたかの如く、タンニーンの炎弾を包み込む。

 爆発しながら広がっていく水蒸気。消火能力が高まった水や土砂が一気に熱を奪い、炎を鎮火させていく。が、それでもタンニーンの炎を完全に鎮めることは出来なかった。ただ、巨大な炎の塊は拳大程の大きさにまで縮小してしまい、一誠が水に濡れた『赤龍帝の籠手』で叩くと、シャボン玉の様に呆気なく消え去ってしまった。

 

『Reset』

 

 同時に一誠の倍化も解除される。軽かった体に錘の様な疲労が圧し掛かってくるが、マダを担いで全力疾走していたときの疲労に比べれば遥かに楽なものである。

 

「あれぐらいは防ぐぐらいには成長したか。初日と比べれば、大分力が高まってきたな。神滅具を連続で使用してもその程度で済んでいる。体力の方も十分備わったな」

「及第点ぐらいはやってもいいかもなぁ。まあ、それぐらいになってもらわなきゃ俺たちの面子が立たないってもんだ」

 

 いつもは弱い、遅い、立て、寝るな、死ぬなと言いながら殴る蹴る投げる焼く叩き付ける等をしてきたマダとタンニーンが一誠の成長を認め、褒める。

 

「うっす!」

 

 褒められた一誠は、勢い良く頭を下げて二人に礼の意思を示した。

 冥界に来る前もリアスによって鍛えられていたが、それでも同年代と比べれば少し体つきが良い程度のものであった。だが、この山でマダとタンニーンによる地獄の修行を潜り抜けてきた一誠の体は無駄なものが削ぎ落され、太く、厚く、逞しいものへと生まれ変わっていた。

 水面も映る顔がふと目に入る。鏡など碌に見ない生活をし続けてきたせいで、自分の顔を久しぶりに見た一誠。我ながら少し精悍な顔付きになった、と思う。

 

「最初見た時は一日持つか不安だったが……良く喰らい付いてきたものだ。――だからこそ惜しいな。あと一月、いや半月ほどあればお前を禁手にまで至らせられたかもしれない」

 

 タンニーンは申し訳なさそうに溜め息を吐く。

 タンニーンの言葉から分かる通り、一誠はこの修行の最大の目標であった禁手化に到達することが出来なかった。

 そして、今日は八月十六日。レーティングゲーム前に行われるパーティー。修行で疲労した体を回復させる為の休養日を入れて修行出来る期間は今日までであった。

 

「折角、色々してもらったのに――」

「こればかりはお前のせいじゃねぇよ。俺たちがもっと効率良くお前を鍛えていれば済んだ話だ。こんなことならもっと彼奴に頼んでも神器のことをもっと詳しく教えてもらっとけば良かったぜ。あーあ、アザゼルにでかい口を叩いた手前、だっせぇなぁ、俺」

 

 一誠が期待に応えられなかったことを謝ろうとするが、その言葉を遮り、マダは四本の手を頭の後ろで組みながら空を見上げる。心なしかその顔は悔しそうに見えた。

 

「でもまあ、本命は出来ずとも『あれ』と『あれ』をほぼ完成させたのは偉いぜぇ、イッセー」

「マダ師匠の指導のおかげっす! あとは実戦だけです!」

 

 二人で盛り上がっているが、タンニーンは『あれ』と『あれ』が何のことか全く知らない。一日の修行が終わると一誠がマダと共に山の奥で行っているので、詳細については分からない。疲労困憊の体を引き摺りながらも毎日欠かさずに行っていたことから余程執着しているか、凄まじいものなのであろう。

 

「一体どんなことが出来る様になったのだ?」

 

 一誠やマダではなくドライグに尋ねる。

 

『……口が裂けようとも俺が言うことは無い』

 

 だが、返ってきた答えは拒否であった。何故か悲壮感を感じさせる口調である。

 

「ふっふっふっ。今おっさんに見せられるのはこんなぐらいかな」

 

 川から上がっていた一誠が荷物を纏めている場所からペットボトルを一本取り出す。容器の中に三分の二程水が入っていた。

 それを、神器を発現させている左手で掴むと、意識をペットボトルに集中させる。するとパンという音を立てペットボトルのキャップが飛び、飲み口から水が零れ出す。どう見ても零れる筈の無い水が溢れ出ていくのを見て、タンニーンは訝しむ表情となった。

 それを見て、一誠は悪戯が成功した子供の様に笑うと、ペットボトルの水を一気に呷り、乾いていた喉を潤す。

 

「……ん?」

 

 水を飲み終えた一誠から怪訝な声が洩れる。何か今、急に体の中で異変が起こった様な、何とも言えない曖昧な感覚が全身を走った気がしたのだ。

 

『相棒、俺を見てみろ』

 

 ドライグが話し掛けてきたので、左腕を見る。

 

「何だこれ?」

 

 光沢のあった赤い籠手が、今は埃でも被った様なくすんだ色に変化し、手の甲の中心に備わっている宝玉にはいつもの光が点っておらず、切れた電球の様な薄黒い色に変色していた。

 明らかに只事では無い。様子を確かめる為、一誠はいつも使っている様に倍化を開始させるが、反応は返ってこなかった。

 

「動かない……一体何が起こったんだよ! ドライグ!」

『まさかこのタイミングとは……相棒、今相棒の神器は曖昧な状態になっている』

「曖昧?」

 

 ドライグが言うには、修行により力を高めたことで神器が成長し、次の段階へと進む分岐点に立ったのだという。だが、問題なのは神器が単純にその性能を高める方向に進むのか、あるいは禁手化という別次元の段階に進むのか混乱した状態になっているらしい。

 

「成程ねぇ。今日一日隙間無く鍛えてやるつもりだったが、逆に下手なことは出来なくなったなぁ」

『その通りだ。鍛え続ければ神器が目を覚ますかもしれないが、恐らくは禁手では無い。ただの性能の底上げだ。禁手に至るには使用者の心に劇的な変化が起きなければならない』

「そうか、そうか」

 

 納得した様子で首を縦に振りながら、ごく自然な動きでマダが一誠に近寄っていく。何気無い動作であったかもしれないが、タンニーンはそれを見た途端嫌な予感がした。

 

「イッセー、そこを一歩も動くなよぉ」

「はい?」

 

 機能停止した『赤龍帝の籠手』に気を向けていた一誠は、急にマダから声を掛けられ意味が分からず声の方に意識を向ける。

 次の瞬間、ただでさえ大きなマダが一瞬にして数十メートルもの巨体に膨れ上がったかと思えば、いきなり拳を振り上げ、振るう。

 突然の展開に一誠の脳が追い付かないうちに、自分よりも大きな拳が真正面から迫る。

 

(え? あれ? あ? 死ぬ? もしかして? え? え?)

 

 巨大な暴力が風を切り、当たれば四散するかの速度。避ける暇など無かった。

 頭の中にこれまでの記憶が一瞬で駆け巡る。ここまではっきりと走馬燈を見たのは生まれて初めての経験であった。

 拳の影が一誠を覆う。と、同時に体が後ろ仰け反る程の風が吹き抜けていく。

 唖然とする一誠の目の前、鼻先に触れるか触れないかのぎりぎりの所で拳は急停止している。吹き抜けていった風は拳圧によって巻き起こされたものであった。

 思考も体も一秒停止。三秒後に理解が追い付き、鳥肌が立ち、五秒後には全身の毛穴から汗が噴き出て、十秒後には膝から力が抜け、震え始める。

 

「急に、な、な! 何を! す、すすすす!」

 

 時間差で起きている恐怖に呂律が回らなくなりながらも、マダにこの暴挙の理由を問い質す。

 寸止めしていた拳を引きながら元の大きさに戻るマダ。その際に一誠の神器を一瞥した。

 

「何だ、変化無しか」

 

 がっかりした様な台詞であったが、口調は軽い。最初から何かを期待していた訳では無いらしい。

 

「一体何するんですか!」

 

 ようやくちゃんと舌が回る様になった一誠が、マダの真意を問う。一誠からしてみれば理不尽な暴力にいきなり襲われたので仕方の無いことであった。

「死ぬかと思いましたよ!」

「一応寸前まで殺す気でやってたからなぁ」

「ええっ!」

 

 躊躇なく言うマダに一誠は慄く。確かに先程の拳からは修行の時とは違う威圧感、恐怖、冷たさがあった。

 

「刺激が必要らしいってんで、試しに与えてみたんだがぁ。こういうのは手っ取り早く『死にそうになったから覚醒』ってのがお決まりだと思ったんだが……」

 

 当てが外れたなぁ、と笑う。一誠からすれば笑えない。今でも気を抜けば腰が抜けそうな程である。

 

「もう本当に止めてくださいよー。俺、心臓が止まるかと思いましたよ」

「動くなって警告しただろ?」

「あんなの心の準備しててもびびりますよ!」

「おいおい。あれ程度でびびってたら心臓がいくつあっても足んねーぞ? この先俺よりももっと強い奴と戦うかもしれないのによぉ」

「正直、タンニーンのおっさんやマダ師匠よりも強い奴って想像出来ないです」

 

 この修行の間に嫌という程実力を見せつけられた一誠からしてみれば、マダの台詞に全く実感が持てなかった。

 

「へっ。全盛期の俺だったら敵う奴なんて殆どいなかっただろうなぁ。だが、今は昔よりも確実に弱くなっている」

「えっ? 何かあったんですか?」

「イッセー、お前は俺が何の代償も無しに色々と好き勝手やっていると思っているのかぁ?」

「はい。思っています」

 

 マダの好き勝手、傍若無人ぶりを知っているからこそ一誠は即答する。

 

「なわけねぇだろうが。外で自由に動いても良い代わりに、俺はインドの神々〈奴ら〉に力の四分の三を捧げてんだよ。他所の神と手を組んだりしない為の保険と誠意代わりに」

「何? お前はそんなことをしていたのか?」

『成程、道理で昔ほどの力を感じない訳だ』

 

 タンニーンとドライグも初耳らしく、マダの発言に驚きつつも納得した。二人ともマダの全盛期の強さを知っている為である。

 

「四分の三って……じゃあ、本当だったらもっと強いんですか?」

「少なくともさっきの寸止めでお前を挽肉に出来るぐらいには、な」

 

 マダの言葉で自分が粉砕されて散らばる光景を脳裏に描いてしまい、一誠は表情を青くした。

 

「しかし、何故そんなことをした? わざわざ弱体化するなど……」

「馬鹿な真似って言いたいのか? まあ、否定はしねぇよ。でも外でどうしてもしたいことがあってなぁ。国の外に行きたかったんだよ」

「どうしてもしたいこと?」

 

 自由に生きているマダがそこまでしてしたいことなど、一誠には思いつかない。

 

「――ぶッ殺したい奴がいるんだよぉ」

 

 変わらない平坦な口調。ここに居ない誰かに向けられた言葉だというのに、殴り掛かられた時以上の震えが一誠の全身に走る。紛れも無いマダの本気且つ純粋な殺意。こんな殺意を向けられる相手は一体どんな相手なのだというのか。

 

『そういうことか。お前らしいと言えばお前らしい』

「あの決着、今でも納得していないという訳か……」

 

 マダが殺意を向ける相手に心当たりがあるらしく、タンニーンとドライグは独り納得する。

 誰のことか気になったが、マダが執着している相手のことを下手に詮索すれば不機嫌になると思い、それよりも先に気になったことを聞く。

 

「でも、いいんですか? 倒したい相手がいるっていうのに俺の修行を見てても」

「ん? それとこれとは別だろう。彼奴のことは殺したいほど嫌いだが、そいつの為に時間を割くのも勿体無くねぇか?」

「ええ……?」

 

 先程までの話を聞いていた印象では血眼になって相手を探しているとばかり思っていた一誠は、決着を二の次にしているマダに困惑してしまう。

 

「よくよく考えてみろよ? 何で大っ嫌いな奴の為に俺の貴重な時間を捧げなきゃいけないんだ? お前は嫌いな奴の為に人生を懸けられるか?」

「いや、そう言われるとそうなんですが……」

「だろぉ? どうせそのうち会うことになるんだから適当なタイミングで仕掛けりゃいいんだよ。もしくはどうしても時間が空いた暇な時にでもなぁ」

 

 あっけらかんと語るマダに一誠は何も言えなくなってしまう。よくある物語の話では自分の人生を全て懸けて復讐を成し遂げたり宿敵と決着を着けたりするものだが、マダの考えは定命では無い者特有のものかもしれない。

 

「……お前は本当に決着を着ける為だけに外に出たのだろうな?」

『それを言い訳にして外で好き勝手やろうと思っていないか?』

 

 マダの言葉に最初の言葉の説得力が吹き飛び、疑わしい眼差しを向ける二頭の竜。

 

「へっへっへっへっへっへっ」

 

 マダは答えず、笑いながら酒を呷るだけであった。

 

 

 ◇

 

 

 全ての修行を終えた一誠は、マダと共にタンニーンの背に乗せられてグレモリー邸へと戻って来た。

 タンニーンとパーティーで再び会うことを約束し、タンニーンが飛び去っていくのを手を振って送った後、一誠はその姿に憧憬を向ける。

 

「やっぱりドラゴンってカッコいいな」

 

 最初の時は、その姿、威圧感、存在感から恐れを抱いていたが、共に行動する内に慣れ、改めてその造形に見惚れる。一誠が頭の中で描くドラゴンの姿とタンニーンの姿は重なる点が多かった。

 

『――俺もドラゴンではあるんだぞ?』

 

 タンニーンを褒める一誠に少し面白くなさそうにドライグが呟く。

 

「はっ。そんな神器に封印されている姿じゃ威厳もねぇよ。悔しかったらイッセーの体を利用して実体化ぐらいのことをしなきゃなぁ」

『そんなことをしたら、俺が現れる前に相棒が壊れるだけだ』

「俺越しに物騒なこと言わないでくれよ……」

 

 とんでもないことを何でもない様に言いあう二人に、一誠は少々恐ろしくなる。

 

「やあ、イッセー君」

 

 グレモリー邸に入る前に声を掛けてきたのは木場であった。一誠と同じジャージ姿で所々破れていたり、土汚れが付いてお世辞にも小奇麗とは言えない格好だったが、何故かそれでも様になっていた。改めて男としての造形の差を見せつけられた気分になり、内心悔しくて歯ぎしりする。

 そんな一誠の心情を他所に、木場は一誠の体を上から下にかけて眺める。

 

「……良い体になったね。服越しでも分かるよ……」

 

 その発言に良からぬものを感じたのか、一誠は身を守る様に自分を抱きしめながら背を向ける。

 

「な、何だその台詞は……俺はお前の眼の保養になるつもりはないぞ!」

「い、いや。筋肉が付いて立派な体格になったねって言いたかっただけなんだけど、そ、そんなに強く拒絶しなくても……」

 

 生じた誤解を解こうとする木場。一応、その言葉を信じて一誠は木場の方へ向き直る。

 

「お前は――あんまり変わってないな」

「僕は元々細身だしね。でも今回の修行で結構肉が付いたと思うよ? ……イッセー君のを触らしてくれたら僕のも触って――」

「やめろっ!」

「べ、別に深い意味はないんだけど、ただのスキンシップで」

「深かろうと浅かろうとそういうのはやめろ!」

「いいじゃねぇか、触らせるぐらい。減るもんじゃあるまいし」

「嫌です! きっと何かが減ります!」

 

 三人で色々と騒がしい会話をしていると、そこに掛けられ声。

 

「おや? イッセーに木場――それとマダだったか? もう来ていたか」

 

 ゼノヴィアの声がし、振り返った一誠と木場は揃って目を丸くする。ゼノヴィアは、頭から足にかけて至る所に包帯が巻かれていた。

 

「ど、どうしたんだ? それ? もしかして大怪我をしたのか?」

「うん? いや、確かに怪我はしているが別に大したほどじゃない。怪我する度に包帯を巻いていたらこんな風になっていた」

 

 そう言いながら顔に巻いていた包帯をめくる。ゼノヴィアの言った通りうっすらと傷跡らしきものが見えたが、それだけであった。

 

「ならいいんだけど……なんていうか、少し雰囲気が変わったか? ゼノヴィア」

 

 修行する前に比べてゼノヴィアの雰囲気は落ち着いている様に見えた。前の荒々しい魔力が静まってみえる。それと同時に、一誠は感覚的に相手の魔力をより鋭敏に感じ取れる様になったことに気付く。これもまたタンニーンとマダとの修行の成果であると実感した。

 一誠の脳裏に突如浮かび上がる修行風景。絶対に振り向いてはいけないという条件の下、背後から放たれるタンニーンの火球を避ける修行。突如前振りも無く休憩中、食事中、睡眠中と四六時中殴り飛ばしてくるマダの修行。

 

「あ、あ、あああああああ……」

 

 思い出した途端、頭を抱えて震え始める。

 

「イ、 イッセー君! 大丈夫かい!」

 

 短い期間の間にしっかりと刻まれたトラウマに悶える一誠とそれを心配する木場。そんな二人を無視してマダはゼノヴィアを観察する様に眺めた後、不敵な笑みを浮かべる。

 

「ちょっと前までじゃじゃ馬だったのに、少しはしおらしくなったじゃねぇか、お嬢ちゃん?」

「ふっ。私をお嬢さん扱いすると痛い目をみるかもしれないぞ? 自分で言うのも何だが、落ち着いているのはあくまで外見だけだ」

「いいねぇ。その強気な感じ。そういう女を色んな意味でナかせるのは大好きだぜぇ?」

「生憎、子供の様に泣くのはとっくに卒業している」

「いや、きっとそういう意味で言ったんじゃないと思うけど……」

 

 微妙に嚙み合わない会話をする二人に、つい木場は口を挟んでしまった。

 

「イッセーさん! 木場さん! ゼノヴィアさん! それとマダさんも!」

 

 邸宅前が騒がしいことに気付いたのか、扉を開いてアーシアが現れ、皆の姿を見て花の様な満面の笑みを浮かべる。

 

「おー! アーシア! 元気みたいだな!」

「はい! イッセーさんも元気そうで、嬉しいです!」

 

 小猫の一件以来の再会であり、共に大怪我も無く無事であることを喜ぶ。

 

「あら、外出組も帰ってきたのね」

 

 アーシアに続いてリアス、その後に朱乃が現れ、そして最後に小猫が現れ――一誠の顔を見た途端、気不味そうに視線を落とした。

 

「部長ォォォォォォ! 会いたかったッス!」

 

 子犬の様にリアスの下へ駆け寄る一誠。期間からすればそれほど長く空いてはいなかったが、色々と女っ気の全く無い場所で禁欲生活を送ってきた一誠には一日千秋の思いであった。

 リアスは駆け寄ってきた一誠の腕を徐に掴み、二、三回ほど揉み感触を確かめる。

 

「随分と逞しくなったわね、イッセー。そして、おかえりなさい」

 

 一誠の頭を両手で挟み、胸元に押し付けて抱き締める。

 久しぶりに感じる柔らかな感触と甘い香りに、一誠は自分がリアスの下に帰ってきたことを強く実感し、暫くの間陶酔する。その間、朱乃が少し不機嫌そうな表情をしていたことも、アーシアが頬を膨らませて嫉妬していたことも、幸い一誠からは見えなかった。

 そして、それ見てマダが笑いながら――

 

「なあ。あいつ、いつ刺されると思う?」

 

 ――と木場に聞いて、木場を困らせている光景も見ずに済んだ。

 

「じゃあ、皆。中に入りましょう。シャワーを浴びて着替えてきたら修行の報告会をしましょう」

 

 一誠を離し、そう告げると皆を伴ってグレモリー邸に入ろうとする。その時、ふと一誠が気付いた。

 

「あれ? 間薙はどうしたんですか?」

 

 一人だけ姿が見えないことに一誠が疑問を持つ。皆が揃っているというのに一人だけ顔を見せない様な薄情な性格をしていないのを知っているからこそ、気になってリアスに尋ねた。

 

「……あの子は、今ソーナの所に居るわ」

「え? ソーナ会長の所ですか? 何か用でもあったんですか?」

 

 理由が分からずに聞き返してしまう一誠であったが、朱乃、木場、小猫は、ソーナの所に行く理由を察し、問う様な眼差しをリアスに向ける。

 

「……修行の報告会の時に言うつもりだったけど、この場で言うことにするわ」

 

 真剣な表情を浮かべながらも、次の言葉を言うまでリアスの口の動きは重かった。

 

「今度のレーティングゲーム、シンはソーナ側のメンバーとして参加するわ」

「はあああああああ!?」

 

 思ってもみないことを言われ、一誠は思わず声量が狂った声を上げてしまう。ゼノヴィア、アーシアも予期せぬことであり、片方は目を丸くし、もう片方は口を手で押えて驚きを露わにする。

 

「経緯を聞いてもいいですか?」

 

 冷静に尋ねる木場。しかし、その表情は硬い。

 

「ソーナの眷属の中の一人がレーティングゲームに参加出来なくなったの」

「参加出来なくなったって――怪我でもしたんですか?」

「違うわ。病気によるドクターストップよ」

「病気! じゃあ重病なんですか?」

「いいえ。人間界で言う所の風邪に近いものよ」

 

 風邪と言われて、一誠は大病で無かったことに安心するも、同時に納得できない気持ちも湧く。

 

「風邪って、医者から止められる程なんですか?」

「私たちの様な冥界生まれの悪魔なら問題ないけど、転生悪魔となると話は違ってくるわ」

 

 リアスが言うに、今回ソーナの眷属が侵された病は冥界特有のもので、通常の悪魔ならば免疫を持っている為せいぜい微熱止まり程度で済むものだが、転生悪魔はそれらの病に対する免疫を一切持たない故に悪化し、中々治り難いものらしい。

 

「私や祐斗君、小猫ちゃんも罹ったことがありますが、最低でも二週間は熱が引きませんでした。熱が治まっても、その後暫くはまともに動くことが出来ませんでしたわ」

「あれは大変だったねー……」

「……はい」

 

 当時を思い出して三人の表情に苦いものが含まれる。余程辛い体験らしい。

 

「だから、その代わりに間薙が呼ばれたんですか?」

「ええ。公式戦だったのなら無理でしょうけどね。この件に関しては、既にソーナの方がお兄様とセラフォルー様に伺いを立てているわ。シンが参加できる条件は二つ。シン本人が参戦に同意すること。――そして、対戦相手がそれに同意すること」

「じゃあ、間薙がレーティングゲームに出ることは、部長の意思でもあるんですか!」

 

 敢えて間薙を送り出したリアスに一誠を含め、他の眷属たちも驚いた。

 

「まあ、驚くでしょうね」

 

 予想通りの反応にリアスは苦笑を浮かべる。

 彼女の脳裏に、シンがグレモリー領を出る前にした会話が思い起こされた。

 

 

 ◇

 

 

 サーゼクス、セタンタを経由して渡されたソーナの手紙を読み終えたリアスは、その内容に苦悩していた。

 本音を言ってしまえば、幼い頃から知っているソーナとは対等な形で戦いたい。グレモリーとして生まれたプライドも、正々堂々とした戦いを求めている。だが、レーティングゲームに勝つことを目的とするならば、ソーナの願いを蹴るべきなのである。

 戦力が一人欠けることは大きい。それによって戦略の幅が狭まり、逆にリアスの方は戦略の幅が広がる。

 何よりも埋める穴として参戦するシンの存在が大きい。初めは一誠よりも少し強いという程度の力であったが、戦いを重ねるにつれてその実力をどんどん上げてきている。

 堕天使ドーナシークの単独撃退に始まり、ライザーの女王の撃破、コカビエルのケルベロスを退治。そのコカビエル本人も一対多であったが倒し、更にはあの『魔人』と敵対して生還している。僅か数カ月の間にこれである。

 そして、サーゼクスの友であり『魔王の槍』と称されるセタンタから直々に戦いの教えを受けている。短期間で一体どれほど実力を伸ばしたのか、リアスも想像が出来なかった。

 仮にもしリアスがシンと戦うこととなったら。負けるつもりは毛頭無い。だが、勝つ光景を思い浮かべられない。

 共に戦う時は実力的にも精神的にも頼れる味方である。しかし、敵となればこれ以上無い難敵であった。

 正しい選択、後悔しない選択が思いつかない。リアスは苦悶する様に悩み続ける。

 すると、リアスの悩みに割って入る様に数回扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「部長、いますか?」

 

 紛れも無くそれはシンの声であった。

 

「鍵は開いているわ」

「失礼します」

 

 

 扉を潜り、シンがリアスの部屋に入って来る。

 

「座って。お茶でも――あっ」

「大丈夫です。右手は普通に使えますから」

 

 怪我をしている両手を見て一瞬躊躇するものの、シンは問題無いと右手を開閉してみせた。

 部屋に備わった質素ながらも細部に拘りを感じさせるテーブルに座ると、シンの前にティーカップが置かれる。中には琥珀色に輝く紅茶。

 頂きますと言い、それに口をつける。リアスもまた椅子に座ると自分の分の紅茶を飲み始めた。

 何故来たのか、理由を言わず問わずの二人は、そのまま黙って茶を飲み続ける。中身を飲み干した後も会話は無く、そのまま三十分も沈黙が続いた。

 先に沈黙に耐え切れなくなり、リアスが口を開く。

 

「……貴方にもソーナから手紙が来ているわね?」

「――はい」

「貴方はどうするのかしら?」

「それは俺が先に言っても良いんですか?」

 

 問いに答えず、逆に質問を返す。双方の同意を得られなかった時点でソーナの願いは通らなくなる。仮にシンが参戦すると言ってもリアスが参戦を認めなければ、そこで終わる。シンの問いにはシンの答えを聞いて、リアスが返答を変えないかという意味が含まれていた。

 リアスも問いの込められた意味を理解するが、不機嫌になることは無かった。もし、同じ立場の者が居れば、十中八九ソーナの願いを拒むであろう。

 

「俺としては会長にはコカビエルの件で恩があります。ですが、部長たちにも日頃から良くしてもらっています」

 

 どちらにも義理を立てたいが、立場としてリアス、ソーナどちらかの義理を蹴らなければならない。

 

「選択しなければならないなら、俺は決断しました」

 

 リアスの表情に緊張が走る。

 

「俺はソーナ会長の申し出を受けます」

 

 シンの選択を聞いた時、リアスは自分が想像していたよりもショックを受けていないことに気が付いた。寧ろ、逆に安堵している。

 

(……ああ、そういうことね)

 

 きっとリアス・グレモリーとしての選択は既に決まっていたのだ。友と憂いなく戦いたい。それしか選ぶことが出来なかった。ただ、不安だった。自分の選択の先にあるものが。あれこれ選択を変えようと言い訳をしてきたが、シンの選択に背中を押される。

 

「――そう。シン、戦うなら全力で掛かって来なさい」

 

 その言葉こそリアスの選択の表れ。

 

「安心して下さい。一切手を抜くつもりはないです」

 

 両者の間で衝突し合う気迫と気迫。火花散る様であったが、それもリアスが苦笑を浮かべたことですぐに霧散してしまった。

 

「あの子たちに呆れられるわね。あー、私って本当に甘いわね」

「色々と言われるでしょうけど、それが部長の持ち味じゃないですか?」

「……それでも怖いと思う時があるのよ。私の選択のせいであの子たちを傷付けてしまう時がくるんじゃないかって……」

「例えその時が来ても大丈夫じゃないんですか?」

 

 シンは、空になっていたカップに紅茶を注ぐ。

 

「部長の眷属は、貴女のそういった所に惹かれて眷属になった筈ですから。今、皆が部長の周りにいるのは結局の所、貴女の性格が理由だと思います。もし、そうじゃなければきっと面子は変わっていましたよ」

 

 言い切った後、自分で注いだ紅茶を一気に飲む。

 

「貴方って基本的に控えめだけど、時折ストレートにものを言うわね」

 

 シンの言葉に照れたのか、リアスが目線を伏せながら言う。

 

「――ところでシンはどういう理由でソーナの依頼を了承したの?」

「それは――」

 

 その時扉が開き、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、ケルベロスが中に入ってくる。ケルベロスは何故か荷物を背負っている。

 

「ソーナの所に行く準備出来たよー」

「ノックぐらいしろ」

「何それ? アタシそんなの知らなーい」

 

 突然入ってきたピクシーたちを窘めるが、本人たちは全く悪びれた様子は無い。そういった習慣とは無縁そうに見える為、仕方がないとも言えるが。

 

「ちょっと待って」

 

 聞き捨てられない台詞があり、リアスはピクシーたちに聞き返す。

 

「ソーナの所に行く準備って言っていたわね?」

「うん。言ったよー」

「シンが行くことになるから準備しておいてくれって言ったからホ!」

「ヒ~ホ~。ちょっと手間取っちゃたね~」

「……何故オレガ運バナケレバナラナイ」

「順番、順番! アタシが最初にシンの仲魔になったから一番えらーい!」

「オイラは二番目なのかホ!?」

「ボク、三番目~? というかいつきまったのそれ~」

「気ニ入ラン。強サデ決メロ」

 

 ぎゃあぎゃあ揉めだす仲魔たちのことはとりあえず放っておき、リアスはシンにジトリとした眼差しを向ける。

 

「……どういうことかしら?」

「部長だったら、たぶんこういった形になるのを望んでいるだろうと思ったので」

 

 表情筋一つ動かすことなく平然と言う。

 

「……確かにそうなることは願っていたわ。でも迷っていた」

「紆余曲折あってもどうせその答えになっていたと思いますよ? 俺じゃなくても姫島先輩かイッセー辺りに相談していてもきっと同じことになると思います。……まあ、部長がそっちを選んでくれたお陰で恥をかかずに済みましたが」

 

 冗談を言っているのか本気で言っているのかいまいち良く分からないシンにリアスは一瞬ポカンとした表情になるも、すぐにそれを微笑に変えた。

 

「貴方って不思議ね」

「そうですか?」

「貴方たちも何時までも騒いでいないでこっちに来なさい。お菓子食べるでしょう?」

「食べるー!」

「食べるホ!」

「頂きま~す」

「オイ。話ハマダオワッテイナイゾ。……トコロデオ菓子トハ何ダ?」

 

 揉めるのを止め、目の色を変えて近寄ってくるピクシーたち。ケルベロスも不承不承といった様子だがこちらにきた。

 その後しばらくの間雑談する。それは、これから敵対する者たちとは思えない程和やかなものであった。

 

 

 ◇

 

 

 シンが敵対するという事実を告げられ衝撃が走る一同。この場をどうしようかとリアスが考えていた時、ゼノヴィアが真っ先に声を上げる。

 

「面白いじゃないか」

 

 ゼノヴィアは愉し気に笑う。

 

「シンとは今まで一度も手合わせしたことが無かったが、互いに本気で戦う機会がこうも早く巡って来るとは……」

 

 ゼノヴィアが言う通り、シンとゼノヴィアは訓練でも戦ったことが無い。剣と素手という理由もあり、ゼノヴィアの相手は専ら木場が務めていた。

 

「好戦的だね、ゼノヴィアは。――でも僕も同じ心境かな」

 

 ゼノヴィアの反応に苦笑しつつも、木場もまた静かに燃える。親友であり、同時にライバルとしても認めている存在。それと全力で戦う機会など少ない。剣士としての性が、強敵との戦いに歓喜していた。

 

「ぼ、僕も修行した成果を間薙先輩に見てもらいたいです!」

 

 普段だったら怖がるか怯えているかのどちらかであるギャスパーが、珍しく男気を見せている。三勢力会談の際、シンに色々と助けられたことからギャスパーはシンに尊敬を抱いていた。だからこそ、尊敬している人の前で自分の成長を見せたいと意気込む。

 

「――ってあれ? 間薙先輩がソーナ会長の所に行ったなら、ランタン君も一緒について行っちゃったんですか? ――ランタンくぅぅぅぅぅぅん!」

 

 シンと戦う。それを聞いた時の小猫の表情は、深く思い悩むものであった。未だに内にある迷いは拭い切れていない。正直、小猫にはこの場にシンがいないことが有り難かった。自分が倒れた時のこともあって、会ったとしてもどんな表情で会えばいいのか分からなかった。

 一誠は無意識に左手を握り締めていた。今まで何度か実戦形式の訓練をしたことがあるが、接近戦でシンには負け続けていた。勿論、『赤龍帝の籠手』の倍化はある程度抑えた状態で戦ってはいたが、シンもまた実戦の時に使用していた技を意図的に使用しなかった。

 もし、お互いに全力で戦ったら? 友人と呼べる存在に対しそんなことを自然と考える自分に、内心驚いてしまう。

 リアスは、最初皆がショックを受けると思っていたが、各々が戦意を高揚させていく姿を見て、見当違いだったことを知る。それと同時に自分の眷属たちが知らず知らずの内に逞しくなっているのを目の当たりにし、子の成長を喜ぶ母の気持ちとはこういうものかしら、とつい思ってしまった。

 

「おーおー、眩しいねぇ。とうに過ぎ去った青春が呼び起こされる気分だ」

 

 中々グレモリー邸に入って来ない一誠たちが気になって外を覗いたアザゼルが、眩しそうに目を細めながら一誠たちを見ていた。

 

「爺くせぇこと言ってんなぁ、アザゼル。そんなこと言ってるとあっという間に枯れちまうぜぇ?」

 

 その隣にいつの間にか移動していたマダが並ぶ。

 

「お前と違って俺は節操を持って生きてんだよ。お前もいい加減落ち着きを持ったらどうだ?」

「生憎、怪物はそんな殊勝なもんと無縁でなぁ」

「お前、いっつもそればっかだな」

 

 マダお決まりの逃げ口上に呆れ顔となるアザゼル。二人のやりとりに、一誠たちはアザゼルの存在に気付いた。

 

「あっ。アザゼル先生」

「よお。積もる話はあるだろうが、それは中に入ってからにしようぜ。俺も色々と聞きたいからな」

 

 

 ◇

 

 

 シトリー邸に招かれたシンは、匙に連れられてある部屋へと向かっていた。

 その道中――

 

「まさか、間薙がうちのメンバーとして出るとはな……」

 

 数十分前にソーナからシンが参戦することが生徒会役員全員に告げられていた。匙はまだその時の驚きが抜け切らないでいる。

 

「あまり歓迎はされていないみたいだがな」

 

 驚きの後に匙を含め皆が複雑そうな表情を浮かべていたのが、シンの記憶に新しい。

 

「勘違いすんなよ。誰もお前が俺らと一緒に戦うのを嫌がってねえよ。ただな、お前が来たってことは、由良はもう出られないんだなって……」

 

 今回、ソーナに呼ばれた理由となったのが『戦車』である由良のレーティングゲーム参加停止である。

 レーティングゲームの日の為に厳しい特訓に耐え、数え切れない程のシミュレーションを重ねてきたのである。だが、初のレーティングゲームにソーナたちと一緒に参加出来ない。苦楽を共にしてきた匙や他のメンバーたちも、由良の今の心境が痛い程理解出来てしまう。

 

「――失望したか? 俺を呼んだ会長に」

 

 ソーナの選択自体決して間違ったことではない。不測の事態に対して少しでも勝率を上げる為の苦肉の策とも言える。だが、同時に勝ちを重視して他のメンバーたちの思いを蔑ろにしているともとれる。

 

「それこそ勘違いすんなって話だ」

 

 少しだけ語気が強まる。見損なうなと言わんばかりに。

 

「お前を呼んでも呼ばなくても関係無い。……由良は、ずっと自分を責めているんだ。会長は、少しでも安心させてやりたいんだよ」

 

 あの時ああしていれば。もっと深く考えて行動していれば。病で倒れた時から、由良は日々後悔を募らせているという。匙曰く、見ていて非常に痛々しく、下手に慰めることも出来ない。

 ソーナにシンの出場を知らされた時、由良は泣くでもなく、怒るでもなく、小さな声で良かったと言い、微笑を浮かべていたらしい。自分の欠場の穴を埋められたことに対しての痛ましい安堵であった。

 

「まあ、俺もお前が来て心強いよ。……お前は俺よりも強いし」

 

 言葉の最後が、弱々しく聞こえた。

 

「……なあ。お前だったら兵藤に勝てるか?」

「――そんなこと聞いてどうする?」

 

 シンには匙の問いが肯定を求めているのを感じ取った。しかし、ここで肯定すれば匙から何かが抜け落ちていきそうな気がした為、敢えて答えずに聞き返す。

 

「――もし、俺が兵藤に」

「着いたな」

 

 聞き終える前にシンがある扉の前で急停止する。立ち止まった扉には由良の名前が刻まれたネームプレート。匙の方は勢い余って扉の前を通り過ぎていってしまい、慌ててUターンしてきた。

 

「話は後だな」

「……もしかしてわざとじゃないよな?」

 

 話を打ち切ったシンに匙は訝しむ眼差しを向けるが、最初の目的が由良の見舞いである為に大人しく引き下がると、扉を数度ノックする。

 

「どうぞ」

 

 中から聞こえてきた由良の声は小さく、掠れていた。

 

「入るぞ」

 

 扉を開けて中に入っていく匙。その後にシンも続く。

 中の様式はグレモリー邸の部屋と然程変わらないぐらい豪華な造りとなっている。

 大きなベッドの上で由良が横になっているのが見える。シンたちが入って来たのを見て、体を起こそうとしたが、匙がそれを制した。

 

「いいから。大人しく横になっててくれ」

「……済まない。こんな格好で」

 

 寝間着姿の由良が弱々しく微笑む。

 熱があるのか顔が赤い。目の下には隈があり、頬が心なしかこけている様に見えた。

 

「……怪我をしているのか?」

 

 会って早々、由良はシンの両腕に巻かれている包帯に気付き、気遣ってくる。

 

「大した怪我じゃない。ゲームまでには治る」

「……そうか。君には迷惑をかけるな」

「気にするな」

 

 『――と言っても無理か』という言葉は呑み込んでおいた。由良の顔を見れば、どんなに言い繕っても無駄だというのが分かったからだ。

 

「元士朗も来てくれてありがとう。……でも良いのか? 会長からはなるべく私の部屋には行くなと言われていた筈だが?」

「……ちょっとぐらいなら大丈夫な筈だ」

 

 どうやらシンを由良の部屋に案内したのは匙の独断らしく、それを指摘された匙は気不味そうに視線を虚空に逸らした。

 

「ははは……しかし……情けない話だよ。自分の体調管理もしっかり出来ないなんてね……」

 

 自嘲が浮かぶ。

 由良がこうなってしまった経緯をシンも事前に聞かされている。

 切っ掛けは、くしゃみや咳といったちょっとした症状であった。発熱をした訳でないので由良は誰にも告げず、いずれ治るだろうと放っておいたが、一向に症状は治まらず、それどころか微熱などの新たな症状まで出てきた。

 流石に体に異常が起こっていると分かった由良であったが、それでも皆に隠し、一人で治そうと陰でこっそりと薬などを摂っていたという。

 しかし、それでも症状は治まらず、また日頃の特訓のせいで体力を消耗していたこともあり、ある日を境に一気に悪化。常時四十度前後の熱に苦しめられる様になり、最後は特訓中に倒れてしまったという。

 医者に診てもらったおかげである程度症状を抑えることが出来たが、それでも病によって衰弱した体は元には戻らない。

 

「結果がこの様だ……。私のミスのせいで生徒会の皆ばかりではなく、君にまで迷惑をかけてしまった……大事なレーティングゲームだというのに……!」

 

 由良がシーツの端を強く掴む。自分への憤り、無念、不甲斐無さが込められた指先が震えている。

 こんな彼女を見て安心させる言葉など言える筈も無い。『お前の分まで頑張る』『俺に任せておけ』『後のことは皆に任せて養生しろ』どれもこれもただプライドを傷付けることにしかならない。

 弱った心には、例え耳あたりの良い言葉でも刃になりうる。

 

「それだけ一生懸命だったってことだろうが! 自分を責めるなって!」

 

 だが、そんなシンの考えを一蹴する様に匙が声を出す。こういう時に躊躇いなく言える性格にはシンも羨望を覚えてしまう。

 

「……あまり長居するのも悪いな。もう行く」

 

 あれこれ言葉を交わすのは、これ以上由良にとって身体的にも精神的にも負担になると考え、退出することを選ぶ。

 来て早々に帰るシンのドライな態度。案の定、匙が非難する様な眼差しを向けてきた。

 

「……そうだな。……これ以上私と居て病気を移したら、それこそ目も当てられない」

 

 由良の方が納得したので、匙はそれ以上何もせずにばつの悪そうにする。

 

「邪魔したな」

 

 そう言い残して去ろうとしたとき、由良の手が伸び、シンの手首を掴む。

 

「……間薙! 頼む……! 私の……私の代わりに、会長たちを守ってくれ!」

 

 ソーナの『戦車』としての役目をシンに託す。掴む手は、病人とは思えない程に強く、だが幼子の様に小さくも見えた。

 シンは掴んでいる手をゆっくりと離し、改めて離した手を握る。

 

「分かった」

「……有難う。元士朗も頼んだぞ」

「任せておけって」

 

 託されたものを確かに受け取ったことを告げると、由良は微笑み手を離す。そして、シンは匙と共に由良の部屋から出た。

 

「これで少しは由良も安心したか?」

「そう思うか?」

 

 部屋から出た後に匙の問いに対し、シンは聞き返すと同時に立ち止まる。急に止まったシンに匙が話し掛けようとするが、手を上げてそれを制止させた。

 沈黙の中、何かが聞こえてくる。悪魔の聴力でも微かな音。しかし、集中し始めると段々はっきりと聞こえてきた。

 声を押し殺しながら泣く女の声。音が何処から聞こえてくるかなど調べなくても分かる。

 思いを託した。安心した。寧ろその逆である。由良は、シンに会ったことで完全にレーティングゲームへの参加の道を断たれたことを理解したのだ。

 医者から止められても、病気で碌に体が動かなくても万が一の可能性に賭けていたのだ。だが、それは潰えた。悔しくない筈が無い。哀しくない筈が無い。

 普段は凛々しい仲間の泣く声を聞き、匙の表情は次第に決意に帯びたものとなっていく。

 

「間薙……今度のゲーム、勝つぞ」

「――その為には、色々会長たちと打ち合わせしないとな」

 

 ゲームを前にして戦意を高める匙を横に、シンはレーティングゲームの策を考える為にソーナたちの下に向かう。

 

 

 ◇

 

 

 魔王主催のパーティーが行われる前日。シンは左腕に巻かれている包帯を解いていた。

 ここ数日治療に努めていた為、まともに動かす機会が無かった左腕から全ての包帯が解けると、その下から火傷一つ無い状態の皮膚が現れる。炭同然であった状態からここまで回復することが出来た。

 元々のシン自身の回復能力もあるだろうが、やはり最も大きいのは――

 

「フェニックスの涙のおかげだな」

「ふん。せいぜい感謝するんだな」

 

 

 シンの言葉に答えたのは、背後でいつもの通りの不機嫌な表情を浮かべているライザーである。

 現在、シンはシトリー家から離れてフェニックス領に足を運んでいた。炎に関することでライザーに見て貰いたいことがあったのだ。

 

「怪我をした時に、大量のフェニックスの涙が送られてきたらしいがあれはお前が送ってくれたのか?」

「はあ? 自惚れるのも程々にしておけよ。幾ら量産が出来ると言ってもフェニックスの涙を欲しがる悪魔はごまんといる。それだけの価値があるんだ。お前なんぞにタダでくれてやるほど余裕なんて無い」

 

 顔を顰めながらはっきりとライザーは否定する。すると、そこにレイヴェルがユーベルーナとイザベラを伴ってやってきた。

 

「間薙様。フェニックス領へようこそ。お元気そうで何よりです」

 

 令嬢らしく丁寧にお辞儀をするレイヴェル。

 

「ああ。色々とあったが、ライザーが送ってくれたフェニックスの涙のお陰で助かった」

「それは良かったです」

「レイヴェル様っ!」

「――あっ」

 

 ごく自然にシンが言ったせいか、レイヴェルは普通に返してきた。直ぐに側近のユーべルーナが声を出すが時既に遅し。レイヴェルは、しまったと言わんばかりの態度で口元に手を当てる。恐らくは、ライザーから口止めをされていたのであろう。

 一連の動きそのものが、シンの言葉を肯定している様なものであった。

 

「では私は色々とパーティーの準備がありますので失礼致します」

 

 早口で言い残すと二人を連れてさっさと戻っていった。

 三人が居なくなると場に何とも言えない沈黙が落ちる。

 

「――はっ! 俺が態々時間を割いてお前を教えてやっているのに、お前の怪我如きでこっちの予定を狂わされるのが腹立つからだよ!」

 

 堂々と前言撤回するその姿と面の厚さに、並々ならない胆力を感じさせる。

 

「ああ、そうか。分かった、分かった。ありがとう、ありがとう」

 

 これ以上深く突っ込むと爆発する恐れがあったので、この話題は適当に流して終わらせることにした。

 

「……で? 俺に見せたいものって何だ?」

「自分なりに炎の応用の仕方を思い付いたから、その出来具合を」

 

 説明しながらシンは両腕の袖を捲る。

 

「まあいい。見てやるよ」

 

 敷地に用意されていたテーブルに頬杖を突きながら面倒くさそうに言うが、その両眼はシンの動きをつぶさに観察している。

 ライザーが見ている前でシンの両腕に炎が灯る。それを見たライザーの表情は変わらないものの内心では驚いていた。ついこの間までは、片腕だけでしか炎を扱えなかったというのに。

 シンは、両腕で燃え盛る炎を頭上で一つに束ね、前方に何も無いことを確認すると、一つとなった炎を掲げる両腕を振り下ろす。

 それによって放たれた炎は――

 

「どうだ?」

「……」

 

 見せ終わった後、ライザーに評価を聞くが返事は返ってこない。

 黙っているライザーの視線は、シンの足元、正確に言えば足元から前方に一直線に伸びていく炎の軌跡に向けられていた。

 シンが放った技の余波で生み出された炎の轍。

 ライザーは無言のまま立ち上がると炎の轍に沿って歩き、ある程度の距離まで移動するとシンと向かい合う。

 

「さっきの技、もう一度やれ。今度は、俺目掛けてな」

 

 

 その指示に、シンも流石に即答出来なかった。

 

「見るよりも直接受けた方が早い。それに最低でも俺に通用しなければ、俺はお前の炎を認めない。俺が直々に教えてやったんだ。俺に、俺の予想以上のものを見せてみろ!」

「……本当にいいんだな?」

「さっさとしろ」

 

 これ以上語ることは無粋と判断し、応じる代わりに再び両手に炎を宿らせる。ライザーもまたその背から炎の翼を生やし、シンの全力を受ける体勢となる。

 

「――いくぞ?」

「殺す気でやれ」

 

 口止めされていたことをうっかり洩らしてしまい、逃げる様に小走りで離れていたレイヴェルは、フェニックス邸の前にまで戻っていた。

 

「……やってしまいましたわ」

「迂闊だったな、レイヴェル」

「間薙様の話術に嵌められてしまったわ」

「大して高度なことなどしていないだろうが」

「いいえ。あの自然な入り方は中々出来ませんわ!」

 

 自覚はしているものの、性格から自分の失敗を素直に認められず、あくまでシンの策にやられたことにしたいレイヴェル。そのプライドの高さに、イザベラは少し呆れた態度を見せ、ユーベルーナの方は小さく笑っていた。

 

「そもそもお兄様がいけないのですわ! 御友人の為にしたことをいちいち隠す必要なんてないとは思わない?」

「何と言いましょうか……ライザー様は異性との交友関係は広いのですが、同性との交友関係が極端に狭いというか、殆ど無いというか……だからなのか色々と照れているのかと……」

「照れ隠しをする様な年齢じゃないでしょう」

 

 いい歳をした男がそんなことをしても気色悪いだけですわ、と付け加える。実の兄に対して中々に辛辣な言葉である。

 言いたいことを言い終えると、屋敷内に戻ろうとする。扉を潜る直前、レイヴェルは立ち止まり、背後を振り返った。

 

「レイヴェル?」

 

 その行動に二人は不審がる。

 炎と風を司るフェニックスだからこそ感じ取れた微細な魔力。風によって運ばれた火の粉の様に散る炎の魔力は、間違いなくライザーのもの。そして、それに混じる別の炎。初めて感じたそれは、炎だというのに冷たい印象を受ける矛盾したもの。

 一体誰のかと疑問に抱いた瞬間、爆発と共に空に向かって炎が昇る。それは、空を掴みとる為に伸ばし、五指を広げる炎の腕の様であった。

 唖然とするレイヴェルたちであったが、その炎が上がっている場所が、シンたちが居る場所だと気付き慌てて引き返す。

 急いで戻ったレイヴェルたちが見たのは、一面焦土と化した大地の上に立つシンとライザー。

 

「お兄様!」

 

 思わず叫んでしまう。何故なら、ライザーの右半身が完全に焼失した状態であり、断面からは先程感じた炎が燃え上がっている。

 しかし、ライザーは燃える己に対し焦ることも恐れることも無く、至って冷静にシンを見詰めると、舌打ちを一つ。

 

「腹立たしい、本当に腹立たしいが……」

 

 顔を背けるが、目線だけはシンの方に向け――

 

「大した炎だ」

 

 フェニックスとして、シンの炎を認めるのであった。

 

 

 

 おまけ。その頃の仲魔一行。

 

「わぁ! 新しい子が増えたね☆ ピクシーちゃん、ジャックちゃん」

「よろしくね~」

「……」

「可愛い! お名前は何て言うの☆」

「ヒ~ホ~。ジャックランタンだよ~」

「じゃあ、ランタンちゃんだね☆ そっちの子は何て名前なのかな?」

「……」

「ほら、黙ってないでいいなよ」

「言うんだホー」

「……ケルベロスダ」

「かっこいい子だね☆ この中では珍しいクール系?」

「……」

「寡黙な所もカッコいい☆ 私はセラフォルー・レヴィアタンっていうの☆ 『レヴィアたん』って呼んでね☆」

「よろしく~。レヴィアた~ん」

「……」

「ねえねえ、ケル君☆ 君のことちょっとでいいから撫でていい?」

「……スキニシロ」

「わーい☆ じゃあ失礼して――わあ! ふっかふか!」

 

 セラフォルーの独特のキャラと内に秘めている不釣り合いな程強大な力に、ケルベロスは完全に圧倒されてしまい、シンが帰ってくるまでの間、セラフォルーにされるがままとなる。

 

「……アイツヲオレニ近付ケサセナイデクレ」

 

 この件でケルベロスは、セラフォルーに対し苦手意識を持つようになってしまった。

 

 




新技お披露目は、次の話になります。
レーティングゲームになったら、結構オリジナル要素を入れていくかもしれないです。

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