ハイスクールD³   作:K/K

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きりが良いとこまで書こうとしたら思いの外長くなってしまったので試しに三分割して投稿します。


選択、進路(前編)

 ホテル前に造られた噴水の縁に腰を下ろしている二人の男女。どちらも落ち着かない様子であり、男性の方は絶えず足踏みをし、女性の方は時折空を見上げていた。

 

「小猫ちゃん、大丈夫でしょうか?」

「私も心配よ。それに今の小猫をあまり一人にしたくないわ」

 

 二人の男女――一誠とリアスは互いに深刻な表情をし、ここに居ない小猫の心配をしていた。

 ことの発端は、ケルベロスに差し入れをすると言ってシンが席を外してから数分経った後に起こった。

 一誠が他のメンバーと会話していた際に、偶然視界の端に小猫の姿を映した。それだけならば気にすることなど無かったが、普段無表情の小猫が血相を変えて、何かを抱きかかえてパーティー会場から出ていったとなると話は変わってくる。

 その必死な様子に不安を覚えた一誠は小猫の後を追うことにした。事を荒立てたくないという理由から、他のメンバーに適当な嘘を吐いて会場に残しておく。

 会場の外に出ると下に向かって降りるエレベーターを見て、すぐに隣のエレベーターに乗り、下へ向かおうとボタンを押す直前、誰かがエレベーターへ乗ってきた。

 見るとそれはリアスであった。何故ここにと尋ねると、一誠が慌てた様子で会場の外に出るのを見つけたかららしい。

 一誠は小猫のことを説明すると、リアスもすぐに小猫を探すことに決めた。

 エレベーターが下まで降りるとすぐに下の階にいる従業員たちに小猫を見ていないかを確認し、その中で外に出たという情報を掴む。

 ホテルの外に出ると、リアスは空に向かって使い魔の蝙蝠を放ち、小猫を探す様に指示し、蝙蝠が戻って来るのを待つ今現在へと至る。

 

「一体どうしたんでしょうね? あんなに余裕の無い顔をした小猫ちゃんは初めて見ました」

「あの子がそんな風になるとしたら、理由は限られてくるでしょうね」

 

 全く分からない一誠に対して、リアスの方は思い当たる節がある様子であった。

 

「――そういえば、小猫ちゃん、会場を出て行くときに何かを抱きかかえていました」

「抱きかかえて? 詳しく思い出せない?」

 

 リアスに言われ、一瞬見た光景を必死に思い出す。

 

「確か……黒っぽくて……ふわふわしていた様な……」

 

 そして、同時に小猫がその黒いふわふわしたものを抱いている姿には既視感を覚えていた。何度か見たことがある様な――。

 その時、キィ、キィという鳴き声を上げながらリアスの蝙蝠が戻って来る。

 

「見つけたようね」

 

 蝙蝠は、リアスの手に降りると鳴き始める。

 

「――森? ホテル周辺の森であの子を見つけたのね」

 

 使い魔からの情報を受け取ると再び放ち、小猫の所までの道案内を指示する。飛んで行く蝙蝠の後を追おうとしたとき、一誠が小さく『あっ』という声を上げた。

 

「どうしたの?」

 

 反射的に足を止め、声を上げた理由を問う。

 

「いや、大したことじゃないんですが……」

「いいから言いなさい」

 

 リアスの足止めをしてしまったことに申し訳無さそうな表情をし、前置きをしてから、つい先程思い出したことを話す。

 

「あの、部長とその使い魔の蝙蝠を見て思い出したんですが――」

 

 使い魔。その言葉が一誠の頭を過った時に、過去の記憶が唐突に掘り起こされる。それは、オカルト研究部の面々がそれぞれの使い魔を紹介したときの記憶。その中で、小猫は自分の使い魔と言って、白い猫を抱き上げていた。

 あの時の姿が、会場を後にする小猫との姿と重なり合い、小猫が何を持って会場を出て行ったのかを思い出す。

 

「小猫ちゃん、会場を出て行った時に猫を抱いていたんです。使い魔の白い猫じゃなくて、黒い猫を」

 

 告げられたリアスは、固いものでも呑み込む様に体を一瞬硬直させた。そして、納得した様な表情となる。思い当たる節であったものが、確信へと変わった瞬間であった。

 

「急いで小猫を探すわよ、イッセー。ますます今の小猫を独りにする訳にはいかないわ」

「一体何が分かったんですか?」

「走りながら説明するわ」

 

 リアスが蝙蝠を追って走り始める。それに慌ててついていく一誠。人工の光で照らされた夜を抜け、二人の姿は闇夜の森の中へと消えていく。

 彼らは気付いていなかったが、走り去って行くその姿を、ホテル内から見ている人物が居た。

 その人物は、その辺りを歩いていた従業員を呼び止める。

 

「はい? 何で――ひっ!」

「怯えるなよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだからよぉ。別に取って食ったりしないぜぇ? へっへっへっへっへっへ」

「な、な、何でしょうか?」

「さっきあそこにいた二人が何していたか知っているか?」

「さ、さあ? 申し訳ありませんが私には分かりません」

「そうか」

「あ、噴水前で何をしていたかは存じませんが、それより前に何をしていたかは知っております」

「ほう? 何をしていたんだ?」

「人を探しておいででした。私も尋ねられましたので。確か探していたのは、小柄な少女だったと思います」

「小柄な少女ねぇ……ありがとよ。これやるよ」

「え? うわっ!――ってこれうちのカジノの換金用チップじゃないですか! こんなに受け取れません!」

「賭け事は好きだが、金は別に好きじゃねぇんだよ。全部くれてやる」

「と言われましても……お客様? お客様ぁ!」

 

 

 ◇

 

 

 光源の無い森を走ること数分。幸い完全に放置されている森では無かったので、走る分には問題は無かった。特に一誠は山の中で何日も過ごしていたこともあって、森の中を自在に駆けていく。そのせいで森に不慣れなリアスと、徐々にだが差が広がっていた。

 リアスを気遣い、少し移動速度を緩めようかとリアスの方を見る。そのタイミングで横に伸びた枝が現れ、一誠の後頭部に当たろうとする。

 

「イッセー! ま――」

 

 前、というよりも先に、ごく自然な動作で一誠は頭を下げて、伸びた枝の下を潜る。完全に死角となっていたにも関わらずに、である。

 

「どうかしましたか?」

 

 枝よりもリアスが声を上げた方を驚いていた。その大した事をしていないという態度に、リアスは一誠の成長を再認識させられる。

 

「逞しくなったわね。貴方」

「まあ、色々とありましたから」

 

 褒められて一誠は苦笑いを浮かべる。

 成長した喜びというよりも、あれだけやれば嫌でも成果を出すだろうというのが、山での特訓の感想であった。

 そこから更に数分走った時、リアスが一誠の手を引く。地面を強く踏み締めて急停止すると、リアスに木の陰へと引っ張り込まれた。

 リアスが指を差す。その方向から顔を出すと、そこには小猫がいた。

 小猫は、両腕に黒猫を抱えたまま森の真ん中で何かを探している。

 

「ニャー」

 

 黒猫が鳴き、小猫の腕から飛び出す。そして、トコトコと歩き始めた。

 黒猫の動きを目で追う小猫。すると何も無かった筈だというのに、いきなり白い両手が黒猫に伸び、そのまま抱き上げられる。

 

「よしよし。いい子だにゃー」

 

 続いて女の声。木の陰から見ていた一誠たちは驚く。本当に何の前触れもなくその人物が現れたからだ。滲み出た、浮き出たと表現していいほど突然であった。

 

「白音もいい子だにゃー。この子に大人しく連れ出されてくれるなんて」

 

 現れた女性は、黒の着物を纏う妖艶な女性であった。纏う黒のお陰で、着物から覗く肢体の白が映える。しかし、その頭頂部から生えている猫の耳と腰から垂れた二股の尾を見れば、その女性が人外であることが分かる。

 

「黒歌姉さま……」

「そうにゃー。お姉ちゃんよ。久しぶりじゃない?」

 

 笑い掛ける黒歌に対し、小猫は怒気を含んだ表情をしていた。

 

「……姉さま。今更何の用ですか?」

「にゃははは。そんな顔をしないで欲しいにゃー。折角、久しぶりの再会なのにそんな冷たい態度をされたらお姉ちゃんは悲しいにゃん」

 

 くすんくすんと言いながら目尻を指で擦り、涙を拭う仕草を見せる。一目で演技だと分かるほど、わざとらしいものであった。

 からかわれていると思ったのか、小猫の語気は更に強まる。

 

「最初はちょっとした野暮用のつもりだったのよ? 悪魔さんが、それもお偉いさん達が大きな催しをしているっていうじゃない? だからちょっと気になっちゃったにゃん――そしたら、懐かしいニオイと気配がしたから驚いたにゃん。まさかここで可愛い妹と会えるなんて運命って素敵だにゃー……そっちの御二人さんもそう思わないかにゃん?」

 

 明らかに一誠とリアスの存在に気付いている口振りの黒歌。二人はドキリとするものの、元より最後まで隠れているつもりでは無かったので、黒歌の言葉を切っ掛けにして木陰から出る。

 

「……部長、イッセー先輩」

 

 姿を現した二人に小猫は驚き、その後に気まずそうに視線を伏せた。黙って独りで行動したことに後ろめたさを覚えている様子であった。

 リアスはそんな小猫に近付き、無言で頭を撫でる。怒っていないことを伝える為のものであった。

 

「もう。折角の姉妹水入らず、涙の再会を邪魔するなんて無粋だにゃー」

「……明らかにそんな穏やかなものじゃなかっただろうが」

 

 黒歌の言葉に一誠はぶっきらぼうに返す。

 

「そんな怖い顔をしないで欲しい――にゃん♪」

 

 手を猫の手の様に丸め、ウィンクする黒歌。容姿と相まってかなりの破壊力。敵対している一誠も思わず『可愛い』と内心思ってしまうほどである。尤も、そんな一誠の心情はリアスにあっさりと見破られ、小猫を撫でる反対の手で一誠の頬を抓る。

 

「そっちの紅髪の悪魔はリアス・グレモリーだと知っているけど、そっちの子は誰にゃん?」

「小猫ちゃんと同じリアス・グレモリーの眷属で『兵士』の兵藤一誠だ!」

 

 一誠の名乗りに黒歌は目を丸くする。

 

「ヒョウドウイッセー……赤龍帝かにゃー」

 

 黒歌は、一誠の頭の天辺から爪先までをじっくりと眺める。

 

「ふーん……これがヴァーリに手傷を負わせたおっぱい好きの現赤龍帝かにゃー……へぇー」

 

 ヴァーリの名前を出され、一誠たちの表情が変わる。ヴァーリと繋がりがあるということは『禍の団』との繋がりがある可能性も高い。

 

「ヴァーリって……お前も『禍の団』の一員かよ!」

「正解だにゃん」

「……姉様、何てことを……」

「まあ、『禍の団』の目的よりもヴァーリに惹かれて入っただけだにゃんだけどね」

「冥界に居たのもテロが目的か!」

「違う違う」

 

 一誠の詰問に黒歌は、手と尻尾を振って否定する。

 

「そういう指示は私たちには降りてないにゃん。されたのは冥界での待機だけ。さっきも言った様にここに来たのは本当に偶々だにゃん」

 

 黒歌の言葉を鵜呑みにするつもりは無かったが、本当にテロを企んでいたとしたら今回の行為は迂闊とも呼べるものであった。尤も、ばれてもどうにかなるという、自信の表れとも捉えることが出来る。

 

「テロも目的じゃないし、冥界にいることもバレたんだからもうここには用はないだろ」

「それがあるにゃん。正確に言えば出来たとも言えるけど。ねぇ、白音?」

 

 目を細め笑う黒歌。その瞳を向けられた瞬間小猫が纏っていた怒気は霧散し、体を小刻みに震わす。

 

「白音は頂いていくにゃん。あのとき連れていってあげられなかったからね」

「ふざけたことを言わないで。この子は私の眷属よ。貴女には指一本触れさせはしないわ」

「酷いにゃー。姉妹が一緒に暮らすことがそんなに間違っているかにゃん?」

「自分のしたことを覚えているの? 貴女がこの子の姉を名乗ることに寒気がするわ」

「あらあらあらあら? そっちがどう思っていようと白音は私の妹。上級悪魔様にはあげないにゃん」

「それがどうしたっていうの? 覚えておきなさい。塔城小猫はリアス・グレモリーの『戦車』! そして私の大切な家族! 貴女に渡したりなんてしない!」

 

 女と女の激情を込めた視線が激しく衝突する。並みの胆力を持つ者ならばその光景に腰を抜かすであろう一触即発の空気。現に一誠は背中から冷や汗を流していた。

 

「これ以上話しても無駄だにゃん。だったら――」

 

 黒歌が両手を広げる。

 

「――もう殺すしかないにゃん♪」

 

 両掌を打ち付け合う音が響き渡ると、同時に世界が変わる。色やニオイが変わった訳では無いが、漂う空気や雰囲気が明らかに異質なものへと置き換えられる。

 

「これは!」

「空間をちょっとだけ弄ったにゃん。これでこの森一帯は外と遮断されたにゃん。どんなに音を出しても漏れないし、外から悪魔が入ってくることもない。人知れず、私に殺されてグッバイだにゃん!」

 

 明らかに高度と思われる術を容易く操る黒歌。実力の片鱗を見せつけられるが怯むことも脅えることも出来ない。負ければ命を奪われるだけでなく、小猫をも奪われてしまう。

 

「もう一度聞くけど私と本気でやるのかにゃん? 今だったら小猫を渡してくれれば命だけは助けてあげるにゃー。因みにこれは最後のチャンスだにゃん」

『断る!』

 

 一誠とリアスが黒歌の提案を、口を揃えて一蹴する。

 黒歌は、口には笑みを浮かべているもののその目は笑っておらず、縦に割れた瞳からは、ぎらつく様な妖しい輝きを放つ。

 

「じゃあ、もう死ぬしかないにゃん」

「……姉様! 止めて下さい!」

 

 小猫が叫ぶが既に遅く、黒歌は再び手を打ち鳴らす。

 

「はあ?」

 

 それによって起こった現象に、一誠は呆けた声を上げてしまった。

 周囲を囲む青々とした木々が、黒歌が手を鳴らした瞬間、その枝に一斉に花を芽吹かせる。森の青いニオイが、あっという間に花の甘い香りで覆い尽された。

 

「枯れ木に花を咲かせましょー。何てにゃん」

「何だこれ……?」

「イッセー、気を付けなさい! これが黒歌の仙術よ!」

「仙術? これが……?」

「そうだにゃん」

 

 黒歌が会話に割って入ってくる。

 

「魔力や光力とは似て非なる、生命の源流である気を操るのが仙術だにゃん。命在るものならばその中の気を操って、こんな風に花を咲かせたりもすることが出来るにゃー。逆に――」

 

 黒歌が指を鳴らす。すると、数本の木から咲いていた筈の花が全て散ったかと思えば、瞬く間に枯れ始め、やがて自重によってへし折れる。

 

「こんな風に気を乱したり、断ったりすることも出来るにゃん。――もし、この木と同じことを悪魔がされたらどうなるか、試してみる?」

 

 妖しく微笑みながら、散って舞う花びらの一枚を指先で摘まむ。

 聞かれなくとも、折れた枯れ木を見ればどうなるか容易く想像が出来る。

 

『相棒。絶対にあいつに触れられるなよ』

 

 一誠の頭の中でドライグが警告する。

 

『悪魔の魔力や魔術師の魔術と比べると、生気の乱れを治す術は限られている。外からのものではなく内にあるものを狂わせられるのはかなり厄介だ。数回程度なら俺の力で無理矢理流れを正すことが出来るかもしれないが、即死を免れるだけだ。代わりにまともに動くことが出来なくなるぞ』

(ドライグでも不味いのかよ)

『生憎、気は俺の専門外だ。――玉龍辺りなら容易く対処出来るかもしれないがな』

 

 この相手に身動きが取れなくなればすぐに死に繋がる。ましてや、今の一誠は神器を使えない。体一つでどうにか足掻くしかないのだ。

 

「でもそんな面倒なことをしなくてもすぐに終わりそうだにゃん」

 

 黒歌は摘まんでいた花びらを指先で弾く。消える花びら。直後、鋭い痛みが一誠の右肩に起きる。

 

「くあっ! な、何だ?」

 

 制服が流血で赤く染まり始めていた。肩を僅かに動かすと、再び起こる痛み。肩に埋まった何かが肉と擦れあっている。

 歯を食い縛って傷口に手を伸ばす。そして、傷口を撫でるとそこに異物感があった。指先で掴んで一気に引き抜く。

 一誠の血で赤く染まっているが、それは間違いなく、今もなお宙を漂っている花びらの一枚であった。

 

「気を込めればこんな花びら一枚だって、あっという間に立派な刃になるにゃん」

 

 黒歌は人差し指を立て、それを軽く回す。すると舞っていた花びらがその動きに合わせて動き、黒歌の頭上で花の渦を作り上げる。

 幻想的な光景であったが、先程の花びらのこともあり、一誠たちにとっては寒気のするものであった。

 

「ばいばいにゃー」

 

 黒歌が手を振り、別れの言葉を言うと、花の渦巻きから凶弾と化した花びらが一誠たちに向かって放たれる。

 一誠がその場から跳ぶようにして移動する。狙いを外された何枚もの花びらが地面に突き刺さった。

 間髪入れず軌道を変えた花びらの追撃が、移動した直後の一誠を襲う。

 

「おおおお!」

 

 地面に飛び込む様にして回避するものの、腹這いになっておりすぐには立ち上がれない体勢であった。だが、一誠はそこから地面を勢い良く転がり、追撃の花びらを立て続けに避けていく。

 傍から見れば無様に映るかもしれないが、これは一誠がタンニーンとマダとの修行の中で学んだことである。兎に角動きを止めないこと。相手に狙いを定まらせない。天から降り注ぐタンニーンの業火や、魂すら吹き飛びそうなマダの豪拳を少しでも味わわない為に、身を以って得たことである。

 一方でリアスは滅びの魔力を周囲に天幕の様に展開し、弾丸の如く撃ち込まれる花びらを消していた。いくら気を込めた花びらであってもリアスの力の前では、ただの花びらとは変わらない。

 しかし、だからといってリアスにとって有利な展開とは言えなかった。リアスの滅びの魔力の使い方は、守りよりも攻めに趣がある。小猫をかばう為今の様に防御として使っているが、あまり慣れていないこともあって、いつも以上に魔力の扱いを集中せざるをえなかった。

 集中する。一見何も悪い様には思えないが、裏を返せば余裕が無いのである。することどれもに必要以上の力を込めてしまっており、リアスはかなりの勢いで魔力を消耗していた。

 本当ならば一誠を助けたいが、それも現状出来ない。神器を使用出来ない一誠が非常に厳しい状況に置かれていることは理解しているが、今のリアスにはこの凶弾の嵐から一誠が無事生き延びることを祈るしかなかった。

 降り注ぐ凶器を掻い潜りながら一誠はひたすら動く。以前の自分であったのならばとっくに体力が切れていてもおかしくない程に激しく、そして休まず動く。

 そんな一誠の動きを見て、黒歌は疑問を抱く。

 

「どうして神器を発現させないのかにゃん?」

 

 尋ねても避けることに必死な一誠の耳には届かない。

 『赤龍帝の籠手』の能力は当然黒歌も知っている。能力で力を倍化させれば、あのように無様に転げ回る必要も無い。最初はこちらを舐めているのかと思ったが、あの余裕の無さを見れば思い違いだというのが分かる。

 なら何故使わないのか。否、もしかしたら――

 一誠に襲い掛かっていた花の刃が空中で静止する。

 

「――神器、使えないのかにゃん?」

 

 今度の言葉は一誠の耳に届いたらしく、弾かれた様に黒歌の方を見た。その反応を見れば答えた様なものである。

 

「あははははははは! 何だ! 今のあなたは赤龍帝ですらないじゃん!」

 

 哄笑すると静止していた花が動き出し、再び襲い掛かってくる。

 

「ヴァーリには悪いけどここで死んでもらうにゃん。別にいいにゃん? こんなことで死ぬなら最初からヴァーリのライバルになんて相応しくないから」

 

 冷めた言葉を吐きながら一誠を追い詰めようとする黒歌。しかし、この言葉が一誠の感情に火を点ける。

 

「なめん、なよ!」

 

 地面に拳を打ち込み、その反動で立ち上がると黒歌に向かって一直線に走り出す。

 

「お馬鹿さんにゃん」

 

 無謀な行動を嘲笑し、黒歌は頭上に花びらを集めると迫る一誠を迎撃する準備をとる。

 

「イッセー!」

「イッセー先輩!」

 

 数秒後の未来を幻視し、リアスと小猫が悲痛な声で一誠の名を呼ぶが既に手遅れ。黒歌の集めた花びらが放たれる。

 一誠の身を穿つ為に放たれた無数の花びら。あと一秒もしないでその全てが一誠の体で血の花を咲かせる。

 ――そう思っていた。

 

「だあああああああ!」

 

 一誠は声を上げ、一段階加速する。当たる直前の花びらの刃を、走り抜けることにより間一髪で回避した。

 

「にゃ!」

 

 先程までの走りが最高速だったと思っていた黒歌は驚く。確かに黒歌は一誠の身体能力を見誤っていた。だが、だとしてもあの無数の凶器を前にして、速度を緩める所か逆に上げることなど出来るのであろうか。

 拳の間合いに入った一誠が拳を振り上げ。だが、黒歌もまた残りの花びらを眼前に集め、花の壁を作り出す。ただ攻撃を防ぐだけではない。触れれば切り裂く、攻防一体の壁である。

 しかし、一誠は躊躇うことなく花の壁に拳を叩き付け、その腕が所々裂かれながらも壁を突き破り、黒歌の目の前に拳を突き出す。

 

「い、痛くないのかにゃ?」

「こんなもんが何だって言うんだ!」

 

 黒歌はもう一つ見誤っていた。特訓によって鍛えられた一誠の精神。理不尽な特訓を受け続けてきた一誠は、並みのことでは怯まない。

 無謀な行動に半ば呆れそうになる黒歌であったが、その表情が突如怪訝なものへと変わる。仙術によって気の流れを見ることが出来る黒歌は気付いた。一誠の気が目の前の拳に集まっていることに。

 咄嗟に動こうとするが、一誠の方が一歩先に動く。突き出した拳を開き、その手の中には集められた魔力の塊が露わになると、それを黒歌に向かって放つ。

 両者の間に魔力の閃光が奔る。

 

 

 ◇

 

 

「おりゃあああああああ!」

 

 振り上げられていた如意棒が、シンの脳天を砕く為に風切り音を発しながら振り下ろされる。

 シンは左足を軸にし、右足を下げて右に九十度回転。振り下ろされた如意棒は、シンの前髪を掠り、その風圧で数本切り取る。外れた如意棒は地面を強打。その一撃で半径数メートルの地面が割れ、隆起する。

 大きな動作ではなく最小の動作によって如意棒の狙いを外させると、シンは不安定な足場の中で足元に叩き付けられている如意棒の先端を踏み付け押さえ込み、美候の鼻先目掛けて左の裏拳を放つ。

 獲物に喰らい付く蛇の如くしなりながらその牙を突き立てようとするが、突如背筋を走る悪寒を覚え、シンは放ったとき以上の速度で左手を戻す。その直後、左手が通過する筈であった場所に白い塊が通り過ぎていく。

 外れたそれは進路先にある木に当たるとその木を一瞬にして凍結させ、凍らされた木は急激な凍結に耐えられず折れる。もし左手を直前に引いていなければ、あの木と同じ結末を辿っていたのが容易に想像出来る。

 凶悪なまでの冷気を放った主が、シンの視界端に映る。冷気の主――ジャアクフロストは、目を吊り上げ、口には笑みを浮かべるという、怒っているのか笑っているのか分からない曖昧な表情のまま二撃目の冷気を投げ放つ。

 今度はピンポイントの狙いでは無くシンの体全体を狙ったもの。直撃すれば命は無い。しかし、シンは避ける素振りを見せない。それどころか美候に向け、再び拳を放とうとしている。

 避けるのを諦めたのか? ――否、彼の心に諦めなど無い。この戦いが一人のもので無い為に避ける必要が無いのである。

 シンの期待に応じるかの様に炎の壁が冷気とシンとの間に現れ、熱を以てその冷気を阻む。

 冷気と高熱が接触すると一瞬大きな音を立てて、何も無かったかの様に相殺される。

 飛翔しているライザーは、それを見て不快そうに舌打ちをした後腕を組んで、偉そうにふんぞり返っているジャアクフロスト目掛けて炎を放つ。

 迫る灼熱。氷精ならば音も立てずに蒸発されるだろうが、ジャアクフロストは腕を組んだままその場から一歩も動かず、あろうことか眼前にまで来た炎に対し鼻で笑う程の余裕を見せる。

 不死鳥の炎が顎の様に広がりジャアクフロストを呑み込む――かに思われたが、ジャアクフロストに触れる直前に常に揺らいでいた炎が、その形を固定させたかと思えばガラスが砕ける様に散り、炎が氷の礫となって空気中へと消え失せていく。

 消え去った炎の後には、ライザーに対し心底憎たらしい笑みを見せつけるジャアクフロストのみ。

 炎が凍る。現実を知るものならば如何に非常識な光景かは分かるであろうが、だが両者の扱う炎も冷気も共に魔力を使って顕現させたもの。ゆえに現実では計れず、また常識でも考えられない。

 ライザーとジャアクフロストの熱凍対決の最中も、シンと美候の攻防は続いていた。

 シンに力強く踏み付けられた如意棒の先端は地面に深々と埋まっている。シンごと持ち上げるのも美候の力を以ってすれば容易であるが、力を込める際に僅かな隙が生まれる。目の前の人物がその隙を見逃す筈は無いと、短い時間ながらも拳と棍を交えたことで確信に近い予感はしていた。

 ならばどうするか。美候が考えるがその暇を与えることなく、今度はシンの右拳が美候の側頭部を打ち抜く為に振るわれる。

 片手は棍を握ったまま、もう片方の腕を上げそれを受ける。拳頭が腕に触れると骨の髄まで痺れる程の衝撃と痛みが走る。

 

「いっ」

 

 ――そこから先の言葉は奥歯で噛み殺す。正直声に出したい衝動に駆られるが、プライドからそれを無理矢理飲み込み、胸の奥に押し込む。単純な威力ならば禁手したヴァーリよりも劣るが、痛みという観点から見ればもしかしたら上回るかもしれない。技術ではなく別の何かを感じさせる一撃であった。正直、何度も受けたくはない。

 だが、受け止めた甲斐というものもあった。腕を掲げて側頭部を守るというこの守りの形。極めて自然な動作で指先を伸ばすことができ、そして、相手に感付かれない程の滑らかな動きで頭髪を一本引き抜くことができ、棍を掴む動作に紛れさせながらそれを最小の指の動きで弾いて飛ばすことが出来る。

 飛ばされた美候の髪は、夜の闇へ溶け込む様に消えていく。美候と対峙しているシンは気付いてはいなかった。飛ばされた髪が空気の流れに逆らい、自分の背後に移動していることに。

 頭髪が完全な死角へと移動したとき、美候は小さく音を鳴らす。シンの耳には舌打ちにしか聞こえなかったが、これこそ術の発動させる合図であった。

 宙を漂っていた頭髪が美候の姿へと変わり、無防備なシンの背後目掛け如意棒を振るう。

 後ろからの奇襲に気付いたシンは、上半身を捻りながら背後に向かって右拳を放った。

 狙いなど碌に定めておらず何処かに当たればいいという考えで振るったそれは、分身体の美候の如意棒を腕で受け止める形となる。

 手加減抜きで叩き付けられた如意棒の一撃は、神経に電流を流したかの様な衝撃であった。しかし、それを面には出さない。

 だが、完全に隠し切れた訳では無い。その証拠に背後に意識を向けたことで足元への注意が弱まる。結果、美候に攻撃の機会を与えることになる。

 踏み付ける力が弱くなった瞬間、美候は如意棒に指示を飛ばす。

 

「縮め! 如意棒!」

 

 その掛け声通り如意棒は長さだけでなく太さを瞬きよりも早く変化させ、縮小したことで出来た隙間から抜ける。

 

「戻れ! 如意棒!」

 

 引き抜いた如意棒を振り上げながら続け様に出した指示により、縮小していた如意棒は縮む速度と同程度の速さで元の大きさへと変わる。

 そして分身と挟む様にして美候本体もまたシンの脳天目掛け、気を練り込んだ如意棒を振り下ろした。

 直撃すれば頭蓋どころかその中身も叩き割る一撃。これをどうするのか。勝負だというのに美候は、シンの次なる行動に期待をしていた。

 シンは短く息を吐き、腹部に力を込める。そして、如意棒を引き抜かれたことによって浮いた足を地面に叩き付ける様にして踏み込む。隆起した大地がその一歩に震えた。

 大地を踏み込むことによって返ってきた力を利用し、下から上に向かって魔力を込めた拳を突き上げた。

 重力の鎖を引き抜くが如く速度で振るわれた力強い拳が、逆に重力をも味方につけた様な振り下ろしの一撃と衝突し合う。

 金属音と打撃音。二つの音は拳と棍との挟間で生まれた気と魔が混じり合った衝撃と共に散り、周囲の木々を騒めかせるだけではなく、シンに棍を叩き付けていた美候の分身をその余波で砕く。

 当然その中心にいた二人も無傷では済まず、シンは衣服の一部が破れ、頬や腕に無数の裂傷を負う。美候もまた鎧の肩当ての部分が破損し、シンと同じく体のいくつかに裂傷が刻まれていた。

 

「――聞いた話じゃ」

 

 如意棒と拳がせめぎ合いながらも、美候が世間話でもするかの様に気軽に話しかけてくる。

 

「『それ』が在るのって右腕だけじゃなかったかぃ?」

 

 美候の視線の先にあるもの。それは、左手の甲に浮かび上がる紋様。右腕と同じ蛍光の様な魔力の光を放っている。

 シンは答えず、自由になった右手を美候に向けて振るう。

 

「つれないねぇ」

 

 答えないシンにそう言い残しながら、美候は後方に大きく跳んでそれを回避した。

 追おうとするシンであったが、ジャアクフロストがこちらに向けて腕を上げる動きを見ると、急停止する。

 

「ヒホッ!」

 

 その直後に手で地面を叩くジャアクフロスト。すると地面が盛り上がり、それがシン目掛け迫ってくる。

 直感で危険を察知したシンは、美候との距離を詰めるのを止め、逆に下がって距離をとる。

 地面の盛り上がりが先程までシンが居た場所に到達すると、そこから勢いよく冷気が噴出。その際に巻き上げた土や地面に含まれていた水分を凍結させ、巨大な霜柱の様な突き出された氷柱を作り上げた。

 

「オラッ! オレ様の前で情けない姿を見せるんじゃないホ! それでもオレ様の子分かホ!」

「……いつ俺っちがお前の子分になったんだぜぃ?」

 

 後方に下がった美候に対し、ジャアクフロストが叱咤する。慣れたことなのか美候は疲れた様な表情で軽く反論する程度に止めた。

 ジャアクフロストとせめぎ合っていたライザーが地面に降り立つ。

 戦いに少し間の様なものができたので、その間に改めてジャアクフロストをまじまじと見つめる。

 見れば見る程に仲魔のジャックフロストに良く似た姿。というよりも、ただの色違いぐらいの差しかない。しかし、ジャックフロストに比べるとかなり粗暴で口や態度が悪い。そして露骨なまでにこちらを見下してくる。

 シンの視線に気付いたのか、ジャアクフロストがこちらに向かって眼を飛ばしてくる。

 

「ああーん? オレ様をじろじろと気安く見るんじゃないホ!」

 

 愛想どころか可愛さの欠片も無い態度であったが、それでも聞かずにはいられないことがあった。

 

「お前は……ジャックフロストとは違うのか?」

「あっ」

 

 他意も無い質問に対し、美候が『やっちまった』と言わんばかりに天を仰ぐ。

 変化は劇的なものであった。

 

「――誰が、ジャックフロストだホ?」

 

 その反応に既視感を覚える。シンたちの後方で未だに料理を貪っているケルベロスに、禁句を言った時の反応と良く似ていた。

 

「このオレ様を……あんな弱っちい連中と一緒にするんじゃないホ!」

 

 シン、そしてジャックフロスト個人というよりも、ジャックフロストという存在そのものに対し強い拒否感や嫌悪、怒りを露わにする。

 

「ヒーホッ!」

 

 ジャアクフロストがシンに向けて拳を突き出す。すると拳の先から冷気が拳速に乗って放たれた。

 顔目掛けて迫るそれを、胴体を横に傾けて回避する。が、直後に痛みが耳から伝わってくる。反射的に触れると耳の一部から硬い感触が伝わってきた。かなり距離をとって避けたつもりであったが、白い冷気は見た目以上の範囲を持っているらしい。

 

「ヒホホホホホ!」

 

 続けて繰り出される拳の連打。そのどれもから冷気が放たれる。シンは避けるのを止め、両手に熱を込めようとすると、そこにライザーが間を割って入ってくる。

 迫る冷気に向かって右手を一振り。空気が歪んだかと思えばそれが炎へと転じ、冷気を次々と呑み込んでかき消してしまう。

 全ての冷気を無力化させると、ライザーはジャアクフロストの方を見て――

 

「ふん」

 

 ――鼻で一笑。先程の意趣返しである。

 

「ヒホッ!」

 

 それにプライドが甚く傷付いたらしく、子供が癇癪を起した様に地団駄を踏み始める。

 

「生意気な奴ホ! 絶対にあいつ性格が悪いホ!」

「お前が言うんじゃないぜぃ」

 

 荒れるジャアクフロストの頭を軽く叩く。

 

「美候も悔しくないホ!? オレ様は舐められるのは嫌いだホ!」

「お前のプライドの高さは見習うべきもんがあるかもねぃ。まあ――」

 

 美候は、如意棒を素早く回した後に構える。その先端はシンたちに向けられていた。

 

「俺っちも戦うのは楽しくて好きだが、負けるのは大っ嫌いだぜぃ」

 

 美候が頭部に手を伸ばし、そこから数十本の髪を一気に引き抜く。そして、それを空目掛け息で吹き上げた。

 宙に散る頭髪。するとそれが閃光を放つ。夜の闇もあってその眩さに直視出来ない。夜目が効く悪魔であるライザーには尚のこと効いており、目を瞑ってしまっていた。

 閃光が収まり美候たちの方を見る。たった数秒間で変化したそれにシンたちは絶句する。

 美候、ジャアクフロストたちが、合わせて数十人もその場に立っていたのだ。美候が分身を創り出せるのはついさっき見たので知っていたが、まさか自分以外の分身も生み出せるとは思っていなかった。

 

『おいおい。そんなに驚くことはないぜぃ? 孫悟空が分身を生み出すのは有名な話だろう?』

 

 数十人の美候の声が、一切のぶれなく重なることで大声量となる。

 

「また面倒くさいことに……」

「嫌なら下がってもいいぞ」

「ほざけ。誰に向かって言っている」

 

 シンの発破とも気遣いともとれる言葉に、ライザーは吐き捨てる様に答え、その背から生やす炎の翼を更に燃え上がらせる。折れればとことん弱いが、折れなければ持ち前のプライドの高さからくる気丈さで強気を見せる、ある意味で仲間に居れば頼もしく感じさせる存在である。

 二対多の状況。それでもシンとライザーに怯えは無かった。

 

『んじゃ、いくぜぃ?』

 

 わざわざ開戦の合図を窺ってくる。余裕からくるものか、はたまた挑発の一種か。

 答える代わりに、ライザーが炎を投げ放つ。

 炎は、美候たちの足元に着弾。そこから一気に燃え広がり、炎に包まれる。しかし、次の瞬間には炎を突き破って美候、ジャアクフロストの分身たちが一斉に飛び掛かってきた。

 最初に接近してきた美候が如意棒を突き出す。シンはそれを脇で挟んで受け止め、カウンターで顎を掌打で突き上げる。すると美候の顔が仰け反り、後頭部が背中に付くまで折れ曲がる。明らかに致命傷であるが、シンはそれを見て眉一つ動かさない。

 手から伝わってくる手応えの無さ、完全に分身の一体である。

 美候の分身の全身に罅が入りそして砕ける。あまり頑丈で無い事が救いではあるが、それでも眼前に迫ってくる無数の分身たちを見ると気休め程度にしかならなかった。

 上から斜め振り下ろされる如意棒を右手で受け止めるが、続いて別の分身が胴体に横薙ぎの一撃を放つ。今度はそれを左手で受けるが、更に足元にジャアクフロストが迫っていた。冷気を帯びた手で触れようとするが、触られるよりも先にシンの爪先がジャアクフロストの顔の中心に突き刺さり、そのまま蹴り飛ばす。リーチの差で辛うじて防げた。

 顔面を蹴り抜かれたジャアクフロストは地面を転がりながら砕け散る。またもや分身。

 次の瞬間、側頭部に衝撃が走ったかと思えば脳が揺さぶられる。視界が一気に傾いていく中で、一撃貰ったことを理解するシン。いくら周りに気を取られていたからといって、ここまで反応出来なかったのは久々のものであった。

 劣化している分身とは切れが違う。分身の中に本体が紛れているのは間違いない。すぐに視線だけでも受けた方向に向けるが、そこには既に数人の美候が立っている。既に身を隠された後であった。

 一方でライザーの方も苦戦を強いられていた。

 ライザーの両足にしがみつくジャアクフロストたち。それを炎で引き剥がそうとするもジャアクフロストの全身から冷気が放たれ、自分たちごとライザーの足を凍結。地面に張り付けてしまう。

 炎で溶かそうにもジャアクフロストの冷気の影響で炎を出すことが出来ない。身動きがとれないライザーの胸部に美候の分身たちが如意棒を突き立てる。

 如意棒の群が胸を貫き、先が背中から飛び出す。普通ならば致命傷である。だが、それを受けるのがライザーならば話が変わってくる。

 ライザーの全身が一瞬膨張したかと思えば、爆発を起こし身の内から生じる炎が周囲の美候たち、ジャアクフロストたちを呑み込んで焼き尽くす。

 一帯が炎に包まれる。すると燃え盛る炎から幾筋の炎が線の様に伸び、絡み合う様にして形を作り始め、それが人の形になると炎が消え去り、中から無傷のライザーが現れた。

 シン、ライザーによって分身たちは数を減らしていっている筈だが、全体を見て減少した様な印象を受けない。寧ろ、最初の数よりも増えている印象すらあった。

 術の発動者である美候さえ無事ならば幾らでも分身を生み出すことが出来る。シンたちの行動はいたずらに体力を消耗させていることに等しい。

 かといって美候やジャアクフロストの本体を探そうにも全く分からない。色々な意味で眼の良いシンでも、本体と分身との差を見極められないでいた。

 複数の如意棒を捌いているシンの死角から、急所を狙って更に別の如意棒が突き出される。しかし、それが届く前に横から獣爪が、突きを繰り出している美候の分身の頬を殴り飛ばし、消し去ってしまう。

 

「休憩はもういいのか?」

「グルル……次ハ腹ゴナシダ」

 

 食事を終えたケルベロスが戦列へと加わる。頼もしいが、口の周りに食べカスがついているのが若干緊張感を損なわせる。

 

「コノ数ヲドウスル?」

 

 何か策は無いかケルベロスが尋ねてきた。自分、ライザー、ケルベロス。この三人の戦力でこの状況をどう打破するか、戦いの中で思考を高速で回転させる。

 ふとその時思い浮かぶ、今いる三人の共通点。それに気付くと同時に、一つの考えを思い付いた。

 そして、思ったことそのままをケルベロスに念じて送る。頭の中で響くシンの声にケルベロスは驚くが、すぐに順応してシンの考えを受け取ると一言。

 

「正気カ?」

 

 策とは言えない考えにシンの正気を疑ってくるが、シンの眼を見てすぐに本気であることを悟ったらしく、少しだけ嫌そうに顔を顰めた。

 

「餌ヲ運ンデキタ礼ダ。乗ッテヤル」

「ついでにあいつにもこのことを伝えてくれ」

 

 目線でライザーを指す。

 

「注文ノ多イ奴メ」

 

 愚痴るが断るつもりはないらしく、ライザーの下に向かって走っていく。

 途中それを妨害しようと分身たちが道を阻む。ケルベロスは速度を緩め無いまま真横に跳ぶ。跳んだ先にある木の幹を足場にしてそこから更に真横に跳び分身たちを越えていってしまう。

 ライザーは分身たちと格闘し続けていた。炎で薙ぎ払うも次から次へと分身たちは迫ってくる。いい加減鬱陶しく感じ始めた時、目の前からジャアクフロストが飛び掛かって来た。

 炎で撃ち落とそうと手に炎を宿すが、それを放つ前にジャアクフロストが宙でガクンと不自然に停まった。

 よくよく見ると顔の両端から鋭い牙が見えている。すると両端にあった牙は閉じられ、間に挟まっていたジャアクフロストの頭が砕け、消失する。

 ジャアクフロストの分身を噛み砕いたケルベロスは、口内から何かを吐き出す。唾液に塗れたそれは、分身の媒体となっていた美候の髪であった。

 

「……手助けならいらんぞ」

 

 ケルベロスに対し、礼ではなく強気な言葉を向ける。

 

「オマエノ命ナゾ興味無イ。アイツカラノ伝言ダ」

 

 爪で周りの分身たちを蹴散らしながら、ケルベロスはシンの言葉をそのままライザーに伝える。

 

「正気か? というか出来るのか?」

「知ラン。ヤルト言ッタカラニハヤルダロウ?」

 

 共に分身を消し去りながら会話する二人。シンの言葉に懐疑的な態度を見せるライザーであった。

 

「ナンダ? コワイノカ?」

「はあ! 誰が怖がっているっていうんだ!」

「オマエダ。オマエ」

「どいつもこいつも俺を、フェニックスを舐めやがって……。いいだろう乗ってやる! ただし手加減無しだ。あいつもお前も死んでも恨むなよ!」

「コッチノ台詞ダナ」

「お前もあの黒雪だるまも本当に生意気だな!」

 

 悪態を吐きながらライザーは炎の翼を広げ空に飛び立つ。それと同時にケルベロスもその場から駆け始めた。

 真反対に向かって移動する二人。その行動に美候は違和感を覚える。

 

「おい。あいつら何かするつもりだぜぃ。警戒を強めろ」

「ヒホ! この無敵のオレ様に何をしても無駄だホ!」

「偶には人の言うことぐらい聞け」

 

 我が道を行くジャアクフロストに頭が痛くなる思いの美候であったが、すぐにそんなことを気にしていられない状況となる。

 目的の位置にたどり着いたのか、ライザーは翼を消して降り立ち、ケルベロスは急停止する。

 互いに向かい合う二人。その中心にはシンの姿。

 美候の感じた違和感が悪寒へと変わる。

 

「おい――」

 

 危険を感じ、ジャアクフロストに呼び掛けると同時に半数の分身をシンたちに向かわせ、残りの分身はシンたちから離れさせた。迅速に対応されるものの、シンたちは構わず動く。

 ライザーの全身が炎に包まれる。そこから放たれた熱は、離れた場所にある木々が延焼する程のものであった。それほどの熱量が籠った炎が移動し始め、ライザーの右手に集まると、それをシン目掛けて放つ。放たれた炎は巨大な火の鳥そのものであった。

 ケルベロスもまた深く息を吸い込み始める。胸部が膨れ上がる程ケルベロスは上体を仰け反り始めた。やがてそれも限界にまで達すると、咆哮と共にケルベロスの口から火が吐かれる。初めは小さな火であったが、ケルベロスが吐き続けるごとに大きさが増していき、最終的にはライザーの放った火の鳥と変わらない程の炎の巨塊と化す。

 向かっていた分身が火の鳥と炎の巨塊に呑み込まれて焼失する。阻む壁にすらなれないほど呆気ないものであった。

 左右から膨大な質量の炎が迫っているにか関わらずシンはその場から移動もせず、また恐れの感情も抱いていない。

 左右の炎に向かって己の両手を突き出す。触れれば灰すら残さないであろう炎に向かって。自殺行為にしか思えない行動であったが、それを見た美候の頭の中で先程よりも強い警鐘が響く。

 突き出された両手に炎が直撃する。そこからシンを呑み込むかと思われたが、両手が触れると同時に炎の進行が止まった。

 するとシンの掌の中で二つの炎が姿を変えいく。火の鳥は形を崩し、炎の巨塊は圧縮されていき、最後には二振りの剣の形と化す。

 

「ジャア――」

 

 名を呼ぶよりも先にジャアクフロストが美候の前へと飛び出した。

 シンが二振りの炎の剣を振るった瞬間、周囲は焦熱の嵐に包まれる。無作為に動く炎と魔力はその場に居る全員を包み、蹂躙し焼き尽くす。分身たちはある者は炎と熱によってその身を焼かれ、ある者は魔力の渦によって引き裂かれる。

 彼が行ったことは至って単純なこと。熱波剣と二人の炎を合わせただけである。タンニーンとの戦いで炎への耐性を得た為、限られた時間ではあるがライザーとケルベロスの放つ膨大な熱量を受け止めることが出来た。それを、熱波剣を創るときの様に魔力で無理矢理形を留め、一気に放っただけである。

 当然狙いを定めることなど出来ず、手当たり次第に射程内の者に襲い掛かる。ライザー、ケルベロスも射程内におり、放った本人も例外では無い。シンたち一同炎の烈風にその身を捲かれる。

 暫くの間、局地的に灼熱の地獄が顕現されるが、時間が過ぎると嘘の様にあっさりと炎は消え去ってしまった。

 縦横無尽に暴れ狂う業火が通り過ぎた後、残るのは焼け焦げた平地だけ。周囲の木々は炎と魔力波によって根こそぎ倒されていた。

 そんな何もかもが無くなった大地の上で、何事もなかったかの様に立つ複数の影。

 

「無茶苦茶なことしやがって、全く……」

 

 苛立った声を出しながら乱れた髪形を手櫛で整えるライザー。

 

「グルル……」

 

 唸りながら体に付着した燃え滓を、身を揺すって払うケルベロス。

 そして、燃え上がっている衣服の一部を素手で叩いて消しているシン。全員、焦熱の嵐をほぼ無傷で耐え切っていた。

 皆が炎に対し、一定以上の耐性を持っているからこそ出来た無茶。その結果、美候やジャアクフロストの分身は全滅させることが出来た。

 肝心の本体たちは――

 

「ヒホ」

 

 ――皆の視線が声の方向に向けられる。その先には、シンたちと同じく炎の中を無傷で切り抜けたジャアクフロストが腕を組んで堂々と立っていた。そのジャアクフロストの後ろには、真っ白な氷に包まれた人型の彫像。

 

「ックション!」

 

 くしゃみと共に表面の氷が砕け、中から身震いしている美候が出てきた。鎧や衣服にはまだ氷が張り付いている。

 

「や、やるならい、言え! じゅ、準備も何もせ、せずにいきなりこ、凍らせて……と、凍死す、するかとお、お、思ったぜぃ!」

 

 あまりの寒さに呂律が回らなくなっており、顔色も蒼白い。

 

「文句を言う前にオレ様に礼を言うのが先だホ! この恩知らず!」

 

 美候の体調よりも態度が気に入らなかったらしく、ジャアクフロストが罵倒する。

 ジャアクフロストの冷気によって美候は灼熱の中を無傷で済んだが、そのせいで凍死寸前まで追い込まれたとなると、感謝の気持ちも素直に抱けない。

 

「こ、こいつめ……!」

 

 美候もまた売り言葉に買い言葉で言い返そうとするが、何故か途中で口を噤んでしまう。

 

「……黒歌か」

 

 ポツリと呟くここには居ない者の名。名を呟いた後、美候は黙り続けていたが、その表情はコロコロと変化していた。

 非常に不服そうな顔をしたかと思えば、苦渋に満ちた表情となり、最後は諦めた様な表情をして溜息を吐く。

 

「――急用が出来ちまったぜぃ」

 

 そう言うと美候の足元に筋斗雲が現れ、美候を乗せる。

 

「おい――」

「先に行ってろホ。オレ様はこいつらの相手をするホ」

 

 美候の言葉に被せ、この場に残ることを告げる。

 ジャアクフロストの我儘に美候は怒るかと思いきや、『そうか』とあっさりと引き、美候だけが乗った筋斗雲が浮き上がり始める。

 流石に度が過ぎて面倒が見切れなくなったのかに思えた。少なくともシンたちの視点からすれば。

 

「今俺っちのことを、仲間を見捨てる冷たい奴、とでも思ったかぃ?」

 

 上昇していく筋斗雲の上で美候が、こちらの内心を見透かしてきた。

 

「勘違いするんじゃないぜぃ。確かにこいつは我儘だし、偉そうだし、人の言うことを全く聞かないろくでなしだ」

「うるさいホッ!」

「だけどなぁ。我儘だけで、俺っちがこいつを戦いの場に連れてくるわけないぜぃ。『戦力』になるから連れて来てるんだ。例え、独りにしても何の問題もない」

 

 それは、美候からジャアクフロストの強さへの信頼であった。そして、同時にジャアクフロストならば、シンたち三人を相手にしても生き延びることが出来ると本気で思っている。

 

「足止め任せたぜぃ」

「そういう言い方止めるホ! 何かオレ様がお前の為に戦うみたいだホ! オレ様の戦いはいつだって打倒ヴァーリの為の戦いだホ!」

 

 強く否定するが、美候はそれを聞いて笑いながら何処かへ飛んでいってしまった。

 

「……全く。まあいいホ。美候に付けられた変なイメージも、これから見せるオレ様の偉大さと強さで吹き飛ばされるホ!」

 

 気を取り直し、ジャアクフロストがシンたちに向き直る。

 

「前を向いたまま聞け」

 

 シンの近くにまで来ていたライザーが、シンに小声で話し掛けてきた。口の動きでばれない様に片手で顔の下半分を隠している。

 

「お前とケルベロスはさっきの奴を追え。放っておいたら何をするか分かったもんじゃない」

 

 シンは答えず、横目でライザーを見る。それは『いいのか?』という確認を込めたもの。

 

「ジャアクフロストとかいう奴は、俺がこの場に引き留めておいてやる。――あのむかつく黒ガキは俺の手で倒さないと気が済まない」

 

 ライザーの怒気に呼応して、背部が陽炎で歪む。

 一人置いていくことに気乗りはしなかったが、ライザー自身が言い出したことを却下するのは、それこそ彼の気遣いを無下にするものだと思い、シンは微かに頷いてライザーの案に乗ることに決めた。

 ケルベロスにもそのことを念話で伝える。ケルベロスは特に反対せずあっさりと了承する。

 

「そこぉ! 何をこそこそしてるホ! オレ様の鷹の如き鋭い目が、それを見逃すと思ったのかホ!」

 

 己の円らな瞳を指差すジャアクフロスト。

 

「ヒーーーー」

 

 ぐるぐると片手を振り回しながら肩を上げていく。

 

「ホッ!」

 

 拳を地面に突き立てる。一秒、二秒経っても何も起こらない。しかし、シンらは不発したなどとは思っていなかった。三秒経過したとき、ジャアクフロストの足元が膨れ始める。

 そして、五秒が過ぎようとしたとき膨張は最大に達し、大地が割れると共に白い冷気が噴出し、シンたちに向かって襲い掛かる。

 少なくとも視界全域にまで広がった冷気は津波の様に押し寄せ、飲み込むもの全てを凍結させていく。

 高さも幅も簡単には乗り越えられない冷気の壁。

 

「風穴は俺が開けてやる。タイミングをずらすなよ」

 

 ライザーの両腕が燃え上がる。胸の前で両手を合わせると、左手の炎が右手に移り、更に燃え上がる。

 煌々と燃える右手の指を軽く曲げながら揃え、そこに親指を当てる。鳥の嘴を彷彿とさせる手の形であった。

 

「それぐらいでフェニックスの業火を防げると思うなよ!」

 

 右手を突き出す。炎が収束され、一本の線の様に真っ直ぐ飛ぶ。炎が奔ると同時にシンとケルベロスも走り出す。もし、仮にライザーの炎が冷気に通用しなかった時、彼らは自ら絶対零度の中に身を投じることを意味する。しかし、それでも二人の走りには一切の恐れが無かった。

 冷気と炎、何度目かになる衝突。熱と冷気が互いに喰い合い、それによって生まれる余波が蒸気となって周囲を包み込んでいく。

 跳び上がり躊躇うことなくその蒸気の中に飛び込んでいく。視界が白一色に染められている為に分からないが、目指すのは炎の着弾点。

 空中では最早身動きなど取れない。ただ冷気の壁に穴が開いていることを信じ、蒸気の中を突き進んでいく。

 

「ヒホ!」

 

 ジャアクフロストもまた蒸気によって視界を遮られていたが、それを突き破って現れた何かが地面を転がっていく。

 自分の冷気を突き抜けたのだからあそこに転がるのは氷漬けにされた者らだと思っていた。

 だが、数度地面を転がると立ち上がって地面を駆けていく。

 

「ヒ、ヒホ! 何で凍ってないホ!」

 

 凍っていると思っていたものが動いている。ドラゴンですら凍結出来ると自負しているジャアクフロストにとっては信じ難いことであった。

 

「それだけお前の冷気が温いってことだろ。性悪雪精」

「ヒホ!」

 

 冷気の壁を抜けていった者たちに動揺し、気を取られていたことで別の人物の接近に気付けなかった。

 

「燃えろ」

 

 振り返ったジャアクフロストに浴びせる様に、ライザーが炎を叩き付ける。

 抵抗する間も無くジャアクフロストの全身が炎に包まれた。

 焼かれるジャアクフロストは、炎を消し去ろうと体を揺さぶったり、手で叩き消そうとするも無駄な足掻きに終わる。

 暫く暴れるジャアクフロストであったが、やがてその動きも鈍くなり最期の時を迎えようとする。

 熱のせいか両手で自分を抱き抱える様にし、前屈みに体を曲げると――

 

「ヒホホホホホホホホホ!」

 

 ――盛大に笑う。炎の中、腹を抱えて爆笑しているのだ。

 ジャアクフロストを包み込んでいる炎が体表を移動し始め、ジャアクフロストの右手に集まっていく。手の中で炎は球状となり、それを片手で上げては受け止めるという、さながら野球のボールの様にして遊ぶ。

 

「オレ様に炎なんて効かないホ!」

 

 ジャアクフロストが言う様に、体には焼け跡一つ無い。前は冷気によって防いでいたが、今回は間違いなく炎は直に当たっていた。にも関わらず無傷なのである。

 

「――雪の精じゃないのか? お前は?」

「はっ! 言った筈だホ! オレ様はジャアクフロスト! 弱っちいジャックフロストなんかとは格が違うホ!」

 

 同じ姿をしているジャックフロストを蔑みながら、ジャアクフロストは遊んでいた炎の球をライザーに投げ返す。ライザーは首だけを動かしてそれを避けた。

 

「どうだホ? 自慢の炎が効かなかった気分は? それも元とはいえ雪の精に効かなかった気分は?」

 

 煽ってくるジャアクフロスト。客観的に見れば、相性ではライザーの方が有利であった。だが事実は逆である。フェニックスの最も得意とするものが通じ無かったのだ。

 ジャアクフロストは意図してか、それとも性格からなのかは分からないが精神的動揺を誘ってくる。

 

「黙ってないで答える――ヒボッ!」

 

 答える代わりにライザーの拳がジャアクフロストの顔面の中心に叩き込まれる。ライザーはそれだけに留まらず、肘から炎を爆発させる様にして噴出し、瞬間的に加速させて一気に殴り抜けた。

 

「ヒホォォォォォ! ヒホッ!」

 

 殴られたジャアクフロストの声が遠ざかっていくが、十数メートル飛ばされた後に後頭部を木に打ちつけることで、二度目の苦鳴を上げながら止まる。

 

「炎が通じなくてもな、戦い方はあるんだよ」

 

 もし以前のライザーだったのなら、ジャアクフロストに炎が通じなかった時点でひどく動揺していたであろう。だが、一誠との一戦。シンとの一戦。ケルベロスとの一戦を経て、多少なりとも精神耐性が出来ていた。

 無防備な顔面に完璧な一撃を貰ったジャアクフロストは、木の根元でうつ伏せに倒れていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。今までのことから怒り狂い、喚き始めると思っていたライザーが拍子抜けするほど静かな動きであった。

 身体についた葉や土を払うと無言のままジャアクフロストは、ライザーに接近し始める。何か仕掛けてくるのではと思い、構えるライザーであったが、予想に反しジャアクフロストはただ歩いてくるだけであった。

 その足もやがて止まる。距離にしてライザーから三メートル程の位置。

 警戒心を強めるライザー。だが、ここでジャアクフロストは、ライザーの予想だにしない行動をとった。

 ライザーに向かって右の頬を突き出す。

 その行為の意味が分からず、ライザーは戸惑う。

 

「どうしたんだホ?」

 

 ジャアクフロストは、自分の右頬を指で突く。

 

「もう一度殴らせてやるから、殴って来いホ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ライザーの顔が引き攣る。湧き出す怒りによって意思では制御出来ない程感情が暴れ狂う。ようは舐められているのだ。あれだけ勢い良く殴り飛ばしてやったというのにまるで効いていないと暗に告げ、それどころかチャンスまで与えてくる。これほどまでにプライドを揺さぶってくる挑発はない。

 ライザーの右足が燃え上がる。脚を持ち上げると同時に集められた炎と風が噴射し、先程の拳と同様に爆発的加速を得ると、突き出しているジャアクフロストの頬に、右足の甲を全速力で叩き付ける。

 頬に足が触れると、その衝撃でジャアクフロストの全身が波打つ。続いて首が千切れ飛んで行きそうなぐらいに傾き、勢いに押されてジャアクフロストの両足が地面を削っていく。

 ライザーが、このまま空の彼方まで蹴り飛ばそうとしたとき唐突に脚の動きが止まった。未だに燃え盛り、炎が噴き出している右足を見るに凍らせられた訳では無い。

 ならば何が理由で止まったのか。答えはすぐに分かってしまった。

 地面に根付く様に踏み締められるジャアクフロストの両足。ライザーの蹴りを踏ん張って耐えた、ただそれだけの単純且つ馬鹿げた理由である。

 自分よりも遥かに小柄なジャアクフロストが、フェニックスの力によって極限まで高めた一撃をライザー以上の力で捻じ伏せているのである。

 頬に足を打ち込まれているジャアクフロストは、ライザーの内心を見抜いたのかニヤリと笑う。

 すると、ジャアクフロストに触れていた足が炎ごと凍り始め、膝から下が完全に凍結する。

 やろうと思えば今の様に凍らせて無力化することも出来た。しかし、敢えてそれをしなかった。ライザーに己の実力を見せつける為に。

 勝ち誇った様な笑みを浮かべるジャアクフロストであったが、その笑みも凍った足を顔面に突っ込まれたことで掻き消される。

 

「ヒボッ!」

 

 濁った声を上げるジャアクフロスト。顔の中心がライザーの足の形に凹んでいる。このジャアクフロスト、実力は間違いなく高いが、それ故かあるいは生来のものかは知らないが、すぐに調子に乗る悪癖が見られた。その度に大きな隙を作り反撃を受けている。

 一方、完全に凍結した足で蹴り飛ばしたせいでライザーの膝から下が衝撃で砕け、木っ端微塵となる。しかし、すぐに断面から炎が噴き出し、足が再生する。

 

「ヒィィィィホォォォォォ!」

 

 怒りの雄叫びを上げながらジャアクフロストは両手で顔を左右から押す。するとどういう理屈か凹んでいた部分が元に戻った。

 

「もう怒ったホ! お前はオレ様が直々にいじめてやるホ!」

「上等だ。この腐れ雪だるまが! 二度とそのでかい口を叩けなくしてやる!」

 

 両者拳を振り上げ激突。炎と冷気が混じり、反発し、飛び散る。凍結し炎上する周囲の木々。

 共にプライドが非常に高い性格。この戦いは勝つ、負けるの戦いでは無い。相手のプライドをへし折る為の戦いである。

 




続きは明日にでも投稿する予定です。

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