ハイスクールD³   作:K/K

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信頼、戦闘

 黒歌、美候たちの襲撃を辛くも退けた一誠たち。何が起きたのか上に報告していたのもあって、気付けばレーティングゲーム前夜となっていた。

 現在は最後のミーティングの為にリアスの部屋に集まり、明日のことについてアザゼルも交えて話をしている。因みにマダの姿は無い。アザゼル曰く、目的であった一誠を鍛えるという役目が終わったので、何処かで女遊びでもしているらしい。

 

「で、イッセー。禁手の状態はどうなんだ?」

「はい。自力でなれるようになりましたが、いくつか条件があります」

 

 禁手に至った後、一誠はドライグから『赤龍帝の鎧』について聞かされていた。

 まず変身するまでに約二分かかる。黒歌の時は、既に力が溜め込まれていた状態だった為に覚醒してから即変身することが出来たが、あの後でもう一度禁手を試した際、変身するまでにそれほどの時間がかかってしまった。しかも、その間『赤龍帝の籠手』は使用できない。倍化も譲渡も出来ず、完全に無防備な状態になってしまう。

 さらに禁手になれるのは一日一回が限度である。一度なってしまうと、制限時間を残して禁手を解除しても変身出来ない。神器もほぼ使用不能になる。

 

「鍛えるか、慣れるかすれば短縮出来るだろうが、死活問題だな。前以って変身準備を完了させなきゃ実戦じゃ使い物にならねぇ。それに『赤龍帝の籠手』を使えなくなるのが痛過ぎるな。……もしもの話だが、お前、二分間間薙に殴られて立っていられるか?」

「それは……ちょっと厳しいかもしれないです」

 

 幾ら修行でタフになったとはいえ、アザゼルの言う『もしも』の状況を耐え切れるほど楽観的にはなれず、素直な意見を述べた。

 

「まあ、そういうこったな。二分あればお前を倒せる奴なんて山ほどいる。自分の弱点はよく把握しておけよ」

「はい!」

「それで、禁手はどれくらいの時間維持できる?」

「はい。フルで三十分です。力などを使って消耗していた場合、もっと減ります」

「初めてにしては上等――と言いたい所だが、レーティングゲームとして考えると短いな。『赤龍帝の籠手』状態での倍化と譲渡は使い方の幅があるから大事だ。それが出来なくなると戦術の幅が狭まる。使い所が難しくなるな。何せ無傷且つ消耗無しって都合の良い状況で禁手が出来るとは限らない」

 

 アザゼルの言う通り、戦況次第では禁手をしないで戦っている方が得策の場合もある。激しく消耗している状態で禁手をし、即燃料切れを起こして敵も倒せなかったなどという情けない状況など一誠も望まない。

 

「変身時、稼働時間、使用制限を聞かせてもらったが、過去にあった赤龍帝たちとだいたい同じデータという訳だな。ソーナ・シトリー側も赤龍帝のデータに目を通している筈だ。弱点は筒抜けになっていることを肝に命じておけよ?」

「はい」

「まあ、あれこれとネガティブなことを言ったが、やはり禁手が出来るってのは相手に相当なプレッシャーを与えられるからな。それに聞いた話じゃ修行で新しい技を覚えたらしいじゃねぇか」

「はい! 『洋服拘束』のことですね?」

 

 新技の名を誇らしげに上げる一誠。既に見ているリアスと小猫は何とも微妙な表情をし、詳細を知らない他のメンバーは、少しだけ興味を示していた。

 

「中々の技みたいらしいな。SS級のはぐれ悪魔の黒歌を無力化させるなんてやるじゃねぇか」

「色々と苦労した甲斐がありました!」

「で、あれか? やっぱ『洋服崩壊』と同じで女限定の技なのか?」

「勿論です!」

 

 即答する一誠。『あ、やっぱりそういう系統の技なんだ……』という木場の声が聞こえてきたが、無視する。

 

「禁手の状態で使ったみたいだが、『赤龍帝の籠手』の状態でも使えるのか?」

「うーん……難しいですね。あれって『赤龍帝の籠手』と『白龍皇の籠手』の合わせ技ですから、両方顕現していないと上手く制御が出来なくて……禁手無しの状態だと木の実の殻を握ったまま割ったり、ペットボトルの蓋を触らずに開けたりする程度ぐらいしか出来ません」

「そうか……一応聞いておくが『洋服拘束』の成功率ってのは分かるか?」

 

 その問いに一誠は申し訳なさそうな表情をする。

 

「すみません。自分の技なんですがよく分からないっス。使用制限があるせいで実際に試す機会が殆ど無くて……」

「そんな顔すんな。恐らくそうだろうとは思っていた。念のために聞いただけだ」

 

 軽く手を振り、身振りで気にするなと伝える。

 

「だが、見せかけだとしてもかなり使えるな。そうだろ? リアス」

 

 話題をリアスに振るう。急に話を振られてもリアスは落ち着いた態度でアザゼルがどんな解答を求めているかを瞬時に考え、それを口に出す。

 

「そうね。あの場にはシンも居たからきっとソーナの耳にも入っている筈だわ。そうなると女性を向かわせるのは避ける筈――尤も、そうじゃなくてもイッセーの相手を女性にさせる可能性は低いわ」

「何でですか?」

「……洋服崩壊。女性の敵ですし、公開セクハラですから。大勢の観客の前で晒されるかもしれないと考えたら絶対に戦いたくないと思いますし、会長も絶対に戦わせたくないと思います」

「ああ、うん……おっしゃる通りです」

 

 小猫の尤もな意見に反論の余地は無く、素直に認める。

 

「まあ、理由はともかくとして相手の戦い方の幅を狭める可能性が高いし、こちらも対策が取り易いって訳だ。ただ、だからといってこっちに分があるとはいかないがな。リアス、ソーナ・シトリー側はグレモリー眷属のことはある程度知っているんだろう?」

「ええ」

 

 アザゼルの確認をリアスは肯定する。

 

「というよりも殆ど知られていると言ってもいいわ。ライザー・フェニックスとのレーティングゲームでイッセー、朱乃、祐斗、アーシア、小猫の戦い方は確認されている筈だし、ゼノヴィアの奥の手もコカビエルの件で割られている。……お兄様に報告する為の書類をソーナと一緒に作成したから。ギャスパーの神器も匙を通じて知っているだろうし、今回の小猫のこともシンから聞いていると思うわ」

「筒抜けと考えていい訳か……全く、有名人も辛いなぁ?」

 

 アザゼルが冗談っぽく言うが、メンバー誰一人くすりともしない。『こういうときこそ笑ってみせるもんだぜ?』と愚痴の様な言葉を洩らすが、事態を深刻に捉えているメンバーはやはり笑わなかった。

「ちぇ、まあいいや。で、お前の方はどれくらいあちらを把握している?」

「ソーナの扱う魔術、副会長である『女王』の使用する神器、あと他何名かの能力は知っているわ。けど、一部判明していない能力の者もいるし、神器を持っているかどうかも分からないわ。ただ、念の為に言っておくけど、これは一月以上前の情報よ。レーティングゲームが決まってから一体どれほど実力を伸ばしたのかしら……」

 

 不確定要素を語るリアス。一誠は、このパーティー当日の匙との会話を思い出していた。凄まじい気迫を内に秘めており、尚且つサーゼクスからの信頼も厚いセタンタから短い期間ながらも手ほどきを受けている。間違いなく格段に力をつけているに違いない。

 

「そんなとこか。じゃあ、シンの奴の能力はどれぐらい認識している?」

 

 敵として戦う仲間の実力の詳細を尋ねる。

 

「近距離戦は相当なものよ。純粋に体術が優れているのもあるけど、何よりも掴んだ相手から魔力を吸収することも出来るし、だからといって中距離戦で戦うのも難しいわ。魔力を広範囲に放ったり、冷気を吐き出したり出来るから。狙うとしたら遠距離かもしれないけど、あの子やソーナたちが何の対策もしないとは考えられないわ」

「味方だと頼もしいが、敵だと厄介という訳だ」

 

 マタドールとの戦いで共闘した経験のあるアザゼルはしみじみと語る。

 

「……姉――『禍の団』に襲われたとき、手から炎を出していました。それもかなり強力な炎を。……もしかしたら私たちの知らない技を増やしているかもしれません」

「成程。こういう言い方はあれだが、本番前にあいつの戦いを見られたのは有り難い」

 

 一通り情報が出ると、アザゼルは次に各メンバーの能力をデータ化したプリントを渡し、それぞれどんなことに気を付けるべきか助言を送る。

 

「――と俺が言えるのはここまでだな。ああ、最後に付け加えておくが、絶対に最後まで油断をするなよ? 前評判ではお前たちが勝つと言われてるが正直な話、そんなもの当てにするな。勝率八十パーセントだかなんだか知らないが、お前たちとソーナ・シトリーの戦いは一回きりだ。この先、何度か戦うかもしれないが、今のリアスたちと今のソーナ・シトリーが戦うのは明日の勝負だけ。分かるよな?」

 

 同じ勝負など二度と無い。次があるなどという考えを持てば、それは即敗北に繋がる。負けてもいいなどという勝負など無い。他人が予想する勝率など関係無い。十回戦って八回勝てるなど無意味。

 必要なのは、絶対に勝つという強固な意思なのである。

 

「言いたいことも済んだし俺は行かせてもらう。少し仕事もあるんでな。明日のことで話し合うのはいいが、あんまり夜更かしすんなよ?」

『はい』

 

 リアスらが頷くのを見て、アザゼルは退室する。

 

「――じゃあ、もう少し明日の戦術について話し合いましょうか?」

 

 リアスや朱乃が具体的な案を出し、そこに一誠や木場たちが思い付いた意見を言う。

 夜遅くまでリアスの部屋から会話が途切れることは無かった。

 

 

 ◇

 

 

 夜も更けた頃、シンはそろそろ床に着こうとしていた。既にベッドでピクシーとジャックフロスト、ジャックランタンが眠っており、ベッドの横でケルベロスが体を丸くして寝ている。

 するとドアを軽くノックされる。誰が尋ねて来たのか、と思いつつドアを開ける。

 その向こうに立っていたのはソーナであった。彼女も就寝前なのか寝間着姿である。

 

「少しいいですか?」

「明日のことについてですか?」

「はい」

 

 生徒会メンバーを集め、明日のレーティングゲームの戦術について話し終えた筈だが、まだ話すことがあるらしい。

 

「分かりました。少し準備をしてから――」

「いえ、お構いなく。――間薙君には先に言うべきかと思ってきました」

 

 ソーナの表情はいつものような冷徹なものだったが、シンの目には痛みに耐えている様に見えた。

 

「……明日、貴方には兵藤君の相手をしてもらいます」

「理由を聞いてもいいですか?」

「総合的に見て、兵藤君が禁手を使用しても貴方ならば対処できると判断しました」

 

 ソーナは、匙が一誠をライバル視し、今回のレーティングゲームで戦いがっていることも知っている。しかし、その匙を一誠にぶつけずにシンを向けることを選択した。

 或いは当初は匙を当てるつもりだったかもしれない。だが、先日の戦いにおいてシンが高い実力を持つ黒歌と互角以上の戦いをしてしまったことで、判断を変えざるを得なくなったのかもしれない。

 ソーナは冷徹だが、情が分からない悪魔では無い。しかし、それでも割り切った判断をしなければならないときがある。

 しかし、シンはソーナの選択にある疑問があった。聞きたい気持ちもあったが、自分が気付くということは当然ソーナもまた気付いている筈だと思い、この場で問うのは止める。

 

「――そうですか」

 

 その判断を聞かされたシンは、肯定も否定もしなかった。あくまでソーナの判断を優先する意思だけを見せる。

 

「……さっきまでどうするか考えていました。貴方にするかサジにするか。……あの子の気持ちは十分知っています。ですが、私は結局少しでも勝率の高い選択を選びました。……もしリアスだったら、きっとサジの気持ちを優先していたでしょうね」

 

 自嘲するソーナ。少しでも勝率を上げる。それは上に立つ者として間違ってはいない。だが、その為に感情をないがしろにすることに罪悪感を覚えている様子であった。

 

「……ごめんなさい。夜中にこんな話をしてしまって」

「別に構いませんよ」

 

 シンが眷属という立場ではないからこそ、つい弱音や悩みを洩らしてしまう。また、話したことを口外しないという信頼もあった。

 

「匙にはもう言ったんですか?」

「いいえ」

「代わりに言ってきましょうか?」

 

 シンの提案に首を横に振る。

 

「私の口から直接伝えます。それが主としての責務です」

「分かりました。――ああ、多分匙は部屋に居ないと思います。まだ庭で特訓している筈です。二人で」

「二人……セタンタさんも来ているのですか?」

 

 シンがシトリー家に来てから匙もセタンタから特訓を受けているのは知っている。セタンタの立場からして、ソーナたちに肩入れするのは不味いのではないかと思い、ここに来ることをやんわりと断ったが、わざわざサーゼクスとリアスの父から直筆の許可証を貰って戻って来たときには流石に度肝を抜かれたと同時に、なんて頑固な人なのかと少し呆れた。

 

「夜遅くにこんな話をしてごめんなさい。そして、ありがとう。話を聞いてくれて」

 

 いいえ、と短く謙遜するのを見てからソーナはシンに背を向け、匙の下に向かおうとする。そのとき、シンから声を掛けられた。

 

「会長」

「何でしょうか?」

 

 足を止めて振り返る。

 

「さっきの話、取り敢えず暫定ということに出来ますか?」

「……というと?」

「戦況がどうなるか分かりません。場合によっては、俺があいつと戦うことを優先したことで不利な状況になる可能性もあります」

「そういうことですか。……私も自分の考えで自分を縛るつもりはありません。状況が状況ならそれに合わせた対応をするつもりです」

「ならいいです。ありがとうございます」

「……気を遣わせてしまいましたね」

「――何のことですか?」

「そういうことにしておきます」

 

 シンが何故そんなことを言い出したのか、真意は分かっていた。しかし、当の本人はとぼけてみせる。その態度が少し可笑しく、ソーナは小さく笑いながらシンの部屋を後にした。

 ソーナは一人廊下を歩きながら、匙にどの様に話すか考えていた。一つ案が浮かぶとすぐにそれに伴う結果が頭を過り、その案を却下してしまう。どうすれば良いか悩み続けるが、目的の場所に辿り着いたことでそれも時間切れとなった。

 

(もう少し廊下が長ければ良かったのですが……)

 

 通常の感覚ならば長過ぎる廊下も、時間が少しでも欲しかったソーナからすれば短い。

 シトリー家の庭園。駒王学園のグラウンドよりも広いが、隅々まで手入れが行き届いている。

 夜深く使用人も誰一人居ない庭。その一角で夜の静けさを吹き飛ばす程の音と戦いが繰り広げられていた。

 

「おらぁ!」

 

 『黒い龍脈』から伸びるラインが鞭の様にしなりながら縦に振るわれる。激しい特訓を繰り返し行ってきたことで匙の神器にも変化が起こっていた。可愛らしい蜥蜴の様な形をした籠手は、面影が全く無い禍々しい龍の頭部を模した形状となり、そこから伸びるラインも一本一本が黒い蛇の形に変わり、それぞれが独立して動いている。一度に出せるラインの本数も十を超えていた。

 今も腕の軌道とは別に数本のラインが縦だけではなく、左右、下、斜めという多方向から、且つタイミングを僅かにずらしながら、相手の逃げ道を塞ぐ様にして襲う。

 だが、匙の相手をするセタンタは蛇たちを一瞥すると全ての軌道を見極め、前に一歩踏み込んだかと思えば、二歩目を踏み出す時には全ての蛇を躱しきっていた。

 匙の視点から見ればすり抜ける様な動き。一体どうやって躱したのか、肉眼で追えない。

 セタンタが三歩目を踏み出したとき、彼は匙の目の前に立っていた。

 

「おわっ!」

 

 思わず仰け反る匙。すると何かが背中に当たる。振り向けば、セタンタが匙の背に手を押し当てていた。

 反射的に飛び退こうとしたがその途端、視界が百八十度回転する。足を払われたと気付いたときには脳天から地面に着地していた。

 

「おぐおっ!」

 

 目玉から火花が飛び散り、匙は頭を押さえながらその場で悶絶してしまう。

 

「今日はここまでにしましょう」

 

 匙の様子を見て、セタンタが特訓を終了させようとしたが、地面を転がっていた匙はその言葉で急いで立ち上がり、涙目になりながらもセタンタを見る。

 

「……もう少しだけいいですか?」

 

 それを聞き、セタンタは溜息を吐く。

 

「『もう少しだけいいですか』は、先程も聞きましたよ? 『あと一回だけ』というのも聞きましたが?」

「本当に! 本当に次で最後にしますんで! あと一回! あと一回だけお願いします!」

 

 額を地面に着けそうになる程の勢いで頭を下げながら懇願する。セタンタは、眉間に皺を寄せ悩んでいる様子であったが、頭を下げ続ける匙の姿にもう一度だけ溜息を吐く。

 

「……分かりました。あと一回だけですよ?」

「ありがとうございます!」

「本当に次で最後です。もし駄々をこねるようならば、貴方を強制的に眠らせた後部屋のベッドに縛り付けます」

「わ、分かりました!」

「分かって下されば結構です。――次を始める前に少し休憩しましょう。その間にこれで怪我の治療をして下さい」

 

 セタンタから小瓶が手渡される。

 

「これって……」

 

 匙は小瓶の栓を抜き、一滴手の平に垂らすと、それを特訓で出来た擦り傷に塗る。瞬く間に消える傷を見て確信した。

 

「フェニックスの涙! いいんですか!」

「お気になさらず。私物ですから」

「でも……」

 

 手に届かない程の値段という訳は無いが、それでも高価であり数にも限りがある。貰ったからといって即全部使うなどということは出来ず、躊躇ってしまう。

 そもそも、セタンタは本来シンを特訓する為にシトリー領まで来ているのである。あくまで匙はそれに便乗して鍛えてもらっているに過ぎない。そんな自分がここまでしてもらっていいのだろうかと後ろめたさを覚えてしまう。

 

「……彼を鍛えるのも貴方を鍛えるのも、全部私の意思でやっていることです。そこに差などありません。特訓の長い短いも、内容の濃い薄いも関係ありません。私が貴方にそうするべきだと思ったから、貴方にそれを渡しただけです」

 

 匙の内心を見抜いた言葉。これ以上遠慮すれば逆に失礼と思った匙は、短く息を吐いた後に瓶の中身を頭から浴びた。

 

「……有り難く頂戴します」

 

 運動で熱が籠った体には、フェニックスの涙の冷たさが心地好く感じられる。

 休憩ということもあって、暫し間沈黙が続いていた。

 

「明日のレーティングゲーム、貴方はどうなると思いますか?」

 

 セタンタは夜空を見上げながら匙に話し掛ける。具体性の無い曖昧な問い掛けであったが、匙は少し黙った後に思っていることを話し出した。

 

「兵藤と戦って勝ちます――と言いたいですけど、その役目は俺じゃないかもしれません」

 

 その言葉を意外に思ったのか、セタンタは見上げるのを止め、匙の方を見る。

 

「きっと会長なら兵藤の相手に間薙をぶつけると思います」

「彼を、ですか? ソーナ様なら貴方の心情を良く把握している筈だと思われますが?」

「俺だって会長のことはそこそこ分かっているつもりっすよ。会長にはきっちり人情もあります。でも、冷静でもある。だから何となく分かるんですよね、戦力を見て誰を誰に当てるかってのが」

 

 願いが叶わないかもしれないという予想している匙だが、その顔に悲愴感は無い。

 

「しょうがないと言うか何と言うか……間薙が俺より強いってのは間違いないことだし、他の生徒会のみんなも知ってます。まあ、普通に考えたら一番厄介そうな奴に一番強いのをぶつけるのが当たり前ですよ」

 

 匙が苦笑を浮かべる。

 

「貴方はそれでいいのですか?」

「……悔しくないって言えば嘘ですが、だからといって間薙を恨むのは違うでしょ? 間薙は強いです。あいつが生徒会の補佐として会長の協力者なときから今日まで特訓で勝ったことないし、生徒会の仕事も出来るし……あと何人もの美人と混浴したし……」

「最後の、関係ありますか?」

 

 話が若干ずれる。

 

「まあ、結局は俺があいつより弱かったのが原因です。俺が誰の文句も言えないぐらい強ければなぁ……」

 

 そこで匙の顔に悔しさが混じる。シンに対し劣等感を覚えているのは事実だが、同時に敬意があるのも事実である。故に複雑な心境になってしまう。

 

「だからこそ、その気持ちをソーナ様に明かすべきではないですか? 冷静と言っても情があると貴方も言っていた。頼めば貴方の希望通りに――」

「それはダメです」

 

 セタンタの提案をきっぱりと断る。

 

「会長は俺よりも頭が良いですから、きっと俺の何十倍も考えて考えて答えを出していると思います。その答えを俺は否定出来ないです。俺、会長を尊敬しているんで」

 

 歯を見せニッと笑う匙。それを見てセタンタは目を細める。セタンタもまた微笑を浮かべていた。

 

「まあ、それでも兵藤と戦って勝ちたいってのが本音ですけどね」

 

 しかし、それはすぐに消える。

 

「今から言うことは、貴方には少し酷なことかもしれません」

「え?」

 

 セタンタは匙から目を離し、再び空を見上げる。

 

「私の経験からはっきり言えば、一部の例外を除けば強い想いで勝負の明暗が分けられることなどありません。叶えたい願いがあっても、崇高な目的があっても、実力の差を埋めるのはあまりに薄い」

 

 匙はじわりと背中が汗ばんでいることに気付く。セタンタの言葉に不安感を覚えていた。

 

「貴方と赤龍帝の実力差は、あまりに大きい」

 

 突き付けられる現実に、匙は無意識にセタンタに詰め寄っていた。

 

「そんなこと今更――」

「貴方は認めている様で認めていません。だからこそ、こうやって私と戦い、足掻いている。伝わってきますよ、貴方がどんなことを考えて戦っているのか」

 

 焦りと儚い希望。それが、匙と戦ってセタンタが感じ取ったものであった。姿、形の無い希望に縋ろうとしている。セタンタと戦うことで何かが変わるかもしれないという、根拠の無い希望を抱いている。

 

「そんなことは!」

「無いと言い切れませんよね? 甘く見ないで下さい。これでも私は貴方の何倍も生きているので。何を考えているのかなど容易く見抜けます」

「……確かに無いと言えば嘘になります。でも、間薙の方が勝つ可能性が高いんです! 赤龍帝を倒せば、ゲームの展開も」

「シトリー眷属では無く外部の、それも人間が倒したとして、果たしてソーナ様の評価に繋がるでしょうか? 仮に倒してもソーナ様の実力というよりも間薙様の実力が評価されるか、逆に今の赤龍帝は人間に負ける程弱いと評価され、ソーナ様にとってマイナスになるかもしれません」

 

 セタンタの考えこそ、ソーナとの会話でシンが抱いた疑問であった。評価に繋がらない戦い。むしろ、戦いそのものにケチがつけられる。

 勿論ソーナもそのリスクを承知である。それが分かっている上でシンに頼んだ。リスクがあっても勝てば一定の評価を得られる。だが、負ければそれも無い。ソーナにとっても苦渋の選択であった。

 その答えにどれほどソーナが苦しんだか知っているからこそ、匙はセタンタの否定的な意見を黙って聞いていられなかった。

 

「だったら!」

 

 匙はセタンタの胸倉を掴んでいた。だが、掴む手の力は弱々しい。

 

「……俺たちはどうすればいいっていうんですか。俺だって会長の夢なら命を懸ける覚悟はあります。……会長の、俺たちの夢を笑った連中にシトリー眷属の本気を見せつけてやるって気持ちもあります。……でも、それだけ懸けてもきっと足りない。兵藤は……あいつは俺よりも強い。……あいつが赤龍帝だから……」

 

 そこで我に返り、自分が今何をしているのかを理解して、セタンタから手を離す。

 

「……すみません」

「いえ。こちらも無神経に言い過ぎました」

 

 匙は気まずそうに目線を地面に逸らす。教えてもらっている立場だというのに、激情に任せて礼儀に反する行為をしてしまったことに自己嫌悪する。

 

「……先程、私が言ったことを覚えていますか?」

「え?」

 

 セタンタの急な質問に咄嗟に答えることが出来ず、呆けた声を出してしまう。

 

「……えーと、間薙を戦わせることが会長の為にならないって所ですか?」

「違います。その前です。一部の例外を除けば強い想いで勝負の明暗が分けられることなど無いという所です」

 

 話の意図が分からず困惑する匙。

 

「私の言う一部の例外、それは貴方がた神器使いのことです」

「え! 俺がですか!」

 

 匙が思わず聞き返すが、セタンタは首を縦に振り、肯定の意を示す。

 

「想いの力は、そのまま神器の力に繋がります。正も邪も無く強い想いを抱き続けることで、神器は力を増していく。これは恐ろしくもあり、同時に素晴らしいことでもあります」

 

 匙はただ黙ってセタンタの話に耳を傾ける。

 

「貴方には強い想いがある。誰かの願いを、そして自分の願いを。進むべき道が見えている。だからこそ全力で前に向かって走ることが出来る。その若さで中々見つけられることではありません。貴方の想いには芯がある。曲がらない、ぶれない想いは神器にとって最高の糧です」

 

 セタンタの一言一言を心の中に刻み込む。

 

「その想いは決して赤龍帝に負けていない。忘れないで下さい。想いを絶やさない限り、その神器は貴方の味方です。どんなことがあっても、折れない限り。……想いを強さに変えることは簡単なことではありません。きっと神器使いにだけ許された特権なのでしょう。……だからこそ、私は貴方たちが羨ましい」

 

 最後の言葉に感じられたのは羨望と僅かな嫉妬。あのセタンタが羨む。改めて神器が宿ることの大きさを突き付けられた気分であった。

 

「急にこんな話をしてすみません」

「い、いえ! 何か、逆にやる気が出てきましたから!」

 

 頭を下げるセタンタに、匙は慌てて言葉を並べる。

 

「休憩は……少し延ばしましょう。何か飲み物でも持ってきます」

「それなら俺が――」

「いえいえ。私の話に付き合ってもらった匙様のお手を煩わせる訳にはいきません。ここでお待ちください」

 

 そこまで言われてしまうとこれ以上は相手の面目を潰すことになると思い、匙は引くことにした。

 匙に一礼し、セタンタはシトリー邸へと戻る。

 その途中――

 

「匙様にお話があるのであれば今のうちに」

 

 独り呟く。

 その声に反応し、柱の影に隠れていたソーナが顔を出す。セタンタと匙の話の邪魔をしない為に気配を隠していたが、やはりセタンタには見抜かれていたらしい。

 飲み物を取りに行くというのも、二人に話をさせる為の方便なのだろう。

 その心遣いにソーナは小さく礼の言葉を送る。

 

「ありがとうございます」

 

 セタンタは一瞬だけソーナの方を向き、頭を小さく下げるとそのまま足を止めずに屋敷の中へと入っていた。

 ソーナは柱の影から出ると深呼吸をする。匙の覚悟は既に聞かされている。ならば自分もまた覚悟を決めなければならない。

 匙が敬愛するソーナ・シトリーとして。

 

 

 ◇

 

 

 レーティングゲーム当日。若手悪魔たちの戦いを用意されたVIPルームで見学している者たちが居た。

 主催者であるサーゼクスの『女王』であるグレイフィアと護衛を務めるセタンタ。更には実子であるミリキャスに、リアスの父と母の姿もあった。

 他にも三勢力の幹部。他勢力の上位者たちの姿もある。

 三勢力代表として呼ばれたアザゼルは、椅子に背をもたれさせながら両チームの登場を待っていた。

 

「へっへっへっ。ついに始めるなぁ?」

 

 アザゼルの隣に座るマダが酒瓶を片手に話し掛ける。

 

「こんなときでも酒かよ」

「若い奴らの青い戦いは良い肴になるんだよぉ」

「良い趣味してんな」

 

 呆れるアザゼルであったが、ふと視線を動かしたときにあるものが目に止まる。

 全員揃っている筈の要人席に一つだけ空席があるのだ。

 

「……あそこは誰が座るんだ?」

「あん? 俺は知らねぇ」

 

 指差すアザゼル。マダが興味無さそうに答える。

 

「オーディン殿から急遽一つ席を用意して欲しいと言われたのでね」

 

 アザゼルの質問に答えるのは背後から現れたサーゼクスであった。

 

「オーディンのジジイがか? はっ、しきたりや礼儀を重んじる神族様が随分と我儘なことを言ってくるじゃねぇか」

 

 北欧神話の最高神オーディン。それに苦手意識を持っているせいもあり、アザゼルの口調も少し刺々しい。

 

「いや、オーディン殿にとっても想定外のことだったらしい。突然現れたせいで揉めていたという話だ」

「はっ。想定外ってか? 未来を見通す眼が泣くぜ」

「だが、人物が人物なだけに納得も出来るがね」

 

 サーゼクスにそこまで言わせる者とは誰かとアザゼルが思考し始めようとしたとき、扉が開き、その答えが向こうからやって来た。

 白銀の長髪をなびかせ、剣呑な目つき周囲を一瞥する美青年。青年の登場に室内の視線が注がれるが、動じることなく鼻で一笑すると用意されてある空席に座る。

 

「……マジかよ。ロキ、だと?」

 

 オーディンと同じく北欧の神ロキ。悪神、あるいはトリックスターという言葉の代名詞的存在とも呼べる狡猾な神。

 アザゼルが驚いたのは、ロキは自らの神話体系を至上とし、他勢力と交わることをよしとしないことを公言している。そんな存在が冥界に、しかも若手悪魔のレーティングゲームを観戦しに来るなど、本来あり得ないことであった。

 

「……何か企んでいやがるのか?」

「無い、とは断言出来ないね。一応は監視の目は光らせているが、今のところは不審な動きは無いよ。尤も、あのロキ相手にどこまで通用するかは分からないが」

「まあ、何か企んでいるにしても堂々とし過ぎだよなぁ?」

 

 複数の眼がロキの動向を密かに探る中、当のロキはモニターに映し出されているレーティングゲームの舞台を心底興味無いという白けた目で見ていた。

 

「誰よりも遅く来てその態度か? おぬしのその席を用意させる為にどれだけわしやサーゼクスに迷惑をかけたか自覚がないのかのぉ?」

 

 床に着きそうな程長い白鬚を撫でながら、オーディンは片方しかない目でロキを睨む。

 するとロキはモニターから目を離し、オーディンに向け微笑む。

 

「なに、私と主神殿の仲です。礼を言うのは逆に無礼かと思って」

「心にもないことを」

「いやいや。急な願いを聞き届けてもらい心の底から感謝している」

「ならばその礼をサーゼクスにでもしたらどうかのぉ?」

「そうしたいのはやまやまだが、きっとサーゼクス殿を前にしたら礼の言葉も喉の奥で詰まってしまいそうだ。何せ、私は人見知りなのでね」

「全く、お前という男は……」

 

 ロキの態度に呆れ、オーディンは杖を突いて立ち上がる。それに合わせて隣で待機していた鎧を纏った女性、戦乙女のヴァルキリーがお供する。

 

「お前の代わりにもう一度サーゼクスに礼を言ってくる」

「流石は主神殿。御歳の割には色々と『軽い』。見習いたいぐらいだ」

「減らず口を」

 

 一瞬だけオーディンとロキの間に冷たい空気が流れる。それを敏感に感じ取ったヴァルキリーが緊張から身を固くする。

 しかし、それ以上発展することはなく、オーディンは無言で会話を打ち切りサーゼクスの下へ向かう。その後ろを緊張から解放されたヴァルキリーが慌てて追った。

 オーディンたちが行くのを見てから、ロキは再びモニターへ目を向ける。

 

「……お前とは長い付き合いだが、これは意外だったな。まさか子供のお遊戯を鑑賞する趣味があったとは」

 

 誰にも聞こえない程の小さな声で、独り呟くロキ。悪魔に対する侮蔑を隠そうともしない。

 

「――ふははは。同感だな。しかし、これは私への嫌がらせだな。若い悪魔の児戯など時間の無駄。苦痛そのものだ――心にもない慰めなど結構」

 

 独り言の筈が、まるで誰かと会話している様であった。オーディンのときとは違い、口調に何処か気安さがある。親しい友人と話している様な軽さがあった。

 

「――さて。お前が気にしている奴の戦いぶりを見せてもらおうか。――ああ、そうだな。十番目の魔人、その実力を見定めさせてもらうとしよう」

 

 

 ◇

 

 

 レーティングゲーム決戦日。戦いの舞台へ既に到着していた一誠たちは、審判役であるグレイフィアのアナウンスで今回の戦いのルールを聞かされていた。

 今回の戦いの場となるのは駒王学園近くにあるデパート内。一階、二階は吹き抜けでショッピングモールが広がる横長の全三階建ての建物である。魔力や実物を使用し、内部は忠実に再現されている。

 一誠たちが現在居る二階の東側が本陣であり、ソーナたちは一階西側を本陣と設定されている。一誠がプロモーションをするにはこの場所まで移動する必要があった。ちなみに一誠たちは飲食フロアで説明を聞いている。

 

『今回は特別ルールとして各陣営に『フェニックスの涙』が一つずつ支給されます。バトルフィールドの詳細、今回のレーティングゲームの追加ルールについてはこのアナウンスが終了後に資料が送られますのでご確認下さい。ゲーム開始は今から三十分後となります。その間の移動等は問題ありませんが、相手選手と接触は禁じられております。接触次第即退場となるのでお気をつけ下さい。では今回のレーティングゲームのルールについての説明を終了します』

 

 アナウンスが終わると同時に、リアスの手元に資料の紙束とフェニックスの涙が出現する。

 

 資料にざっと目を通す。

 

「今回の追加ルール、『バトルフィールドであるデパートを破壊し尽くさない』こと――つまり、大規模な技や魔術はあまり使用しない方がいいわね」

 

 提示されたルールは一誠たちにとって不利とも言える内容であった。

 一切の破壊を禁じられている訳ではないが、どれほどまで破壊していいかという制限も書かれていない。こうなると、山まで吹き飛ばした一誠のドラゴンショットや、体育館を一撃で破壊した朱乃の雷の魔術の使用も出来ない。

 

「屋内戦だから元々あまり使用させる気は無かったし、ある意味では良かったのかしら。イッセーや朱乃の力で倒壊して巻き添えという可能性もゼロではないわ」

 

 強すぎる力を狭い場所で使えば、それに伴った被害も起きる。そして、それの被害を受けるのは相手だけでは済まない。味方の攻撃で味方に害が及べばそれだけで戦意の低下に繋がる。

 

「私も極力デュランダルの力は抑えておくよ。振り上げて力が天井を貫いたり、振り下ろして床を貫いたりしてイッセーたちを傷つけたら笑い話にもならない――やりようはいくらでもあるがね」

 

 聖剣は悪魔にとって必殺に等しい武器だが、諸刃の剣でもある。その気になれば離れた場所にいる相手も斬れる為、万が一それに巻き込まれることもある。そういう意味では事前にこのルールを知ったことで、皆に誤爆の恐れを強く意識付けることが出来た。

 

「それとギャスパー」

「は、はいぃぃぃ!」

 

 名を呼ばれ裏返った声で返事をする。

 

「貴方の神器のことについてだけど……」

「あ、あの何か不味いことが、あ、あったんですか?」

 

 言い淀むリアスに、ギャスパーが狼狽える。

 

「不味いというか逆よ。『ギャスパー・ヴラディの神器で停止し、十分以上解除されなかった場合リタイヤと見なす』らしいわ」

 

 その内容に一同驚く。特にギャスパーなど目を見開いて全身を震わせていた。あまりにこちらに有利なルールなのである。

 

「それってギャスパーが見たらほぼ勝ちってことですか?」

「でも敵味方とは書いてないから、仮に僕らが停められてもリタイヤってことになるんじゃないかな?」

「あ、そうか。というかギャスパー、お前って十分以上の時間停止って出来るのか?」

「ち、力を込めて神器を使えば可能だと思います。れ、練習のときにはそれぐらいと、停められました」

「そっか。――でもいいんでしょうか? こっちに有利過ぎません?」

 

 ソーナ側にとって不利なルールに一誠が疑問を持つ。するとリアスが資料を皆に見せる。ギャスパーの神器についてのルールの文章の終わりにシトリー家の紋様が書かれていた。

 

「同意のサインよ。ソーナはこのルールに文句は無いみたい」

「そうですか……」

「そうなるとギャスパーが真っ先に狙われる可能性も出てくるな。ここは遮蔽物も多い。それを壁にして闇討ちを仕掛けてくるかもしれない」

「そうね。視界を塞ぐ術はいくらでもあるわ。それを気にしていたら戦いなんて出来ないけど、常に注意を払うのは当然ね」

「逆に利用されたら厄介ですからね」

「そういうこと。力が強ければ必ず勝てるという訳では無いわ。力の工夫、使い方、ルールへの適応の仕方。それによって戦局は変わるわ。『兵士でも王を取れる』、レーティングゲームの格言よ。差を様々な理由で埋め、それによって下克上を成す。これこそが冥界や他の勢力でレーティングゲームが広まった理由ね」

 

 リアスの言葉を忘れないように一誠は記憶に刻む。

 

「まあ、仮に神器が使えなくなっても、ギャスパーにはヴァンパイアの力がありますしね」

 

 一誠の言葉にリアスが同意する。

 

「そうね。ギャスパーの蝙蝠たちを使ってデパートの各所を飛んでもらえば、多くの情報を手に入れることも出来るわ。特別ルールは出来たら程度で考えておいてくれる? ギャスパー」

「りょ、了解です!」

 

 声を張り上げるギャスパーの顔は紅潮していた。あまり日の下に出ないせいで色白であるため、より目立って見える。ギャスパーにとって今回は初のレーティングゲームである。そこに相手の監視や特別ルールのこともあって、使命感から普段の内気さからは想像出来ない程の気迫が感じられた。

 その様子に、一誠たちはギャスパーの成長を感じた。だが、もしこの場に観察に優れた者が居たのであれば、頼もしさと同時に微かな危うさも感じ取っていたであろう。どんなに戦いへの意欲を見せたとしても彼にとっては紛れも無く初のゲームであり、そして実戦経験も皆無に等しいのである。

 その後細かな戦術を決め、ゲーム開始まで残り十五分となった。開始五分前に今の場所に集合することをリアスが告げ、一時解散する。

 

「あ、ちょっといいかい?」

 

 折角の飲食フロアなので軽食でもしようかと考えていた一誠に、木場が話し掛ける。

 

「何だ?」

「実はゼノヴィアの提案でね――の使用権を――されたんだ」

「え! そんなこと出来るのか?」

「今の僕ならね。それで相談なんだけどイッセー君の――を僕とゼノヴィアにも――させることが出来ないかな?」

「あー、多分大丈夫だと思うけど……ドライグ?」

『問題無い。すぐに終わる』

 

 ドライグの言う通り、木場に頼まれたことは内容としては一分も掛からずに終了するものであった。ただ、それをやる際に互いの手を結ぶ必要があり、本気で一誠が嫌がったので無駄に時間が掛かってしまったが。

 木場からの頼み事も終わり、時間を確認するがまだ余裕がある。すると飲食フロアの近くに本屋があることを発見した。

 一誠の頭に邪な考えが浮かぶ。

 

(もしかして、あれか? 中の物も忠実に再現されているのか? ……エッチな本も?)

 

 思春期男子高校生の溢れ出る欲求に従い、疾風の如き動きで本屋の中に突入すると、一切無駄の無い動きで成年雑誌コーナーに向かう。

 

「う、嘘だろ……!」

 

 成年雑誌コーナーの前で一誠は震える声を出した。

 紐が無い。ビニールも無い。無防備な姿で置かれている成人向け本。買いたくても買えず、読みたくても立ち読みすら出来ず、入手経路が限られている一誠にとっては衝撃的過ぎた。

 涙が零れ落ちそうな夢の光景。しかし、今はそれを流す時間も惜しい。

 取り敢えず一番手前にある巨乳の女性が表紙となっている本を手に取り、心を高鳴らせながら表紙めくった。

 そして目に飛び込む白紙。

 

「んだよチクショウッ!」

 

 上がりに上がった期待を裏切られた瞬間、一誠は怒りと共に雑誌を床に叩き付ける。

 

「どうしてここだけ手を抜くんだよ! いや、まあ、バトルフィールドでエロ本を忠実に再現するのも意味が分からないけど! だけど! だけど! この裏切り物!」

『相棒、落ち着け。言っていることが意味不明だぞ』

「ドライグ……裏切られるってやっぱり哀しいな……」

『何と同列にして悟っているのかは知らんが、見られているぞ?』

「え?」

 

 首だけ後ろに向けると背後で微笑む朱乃の姿。顔から冷や汗が噴き出す。その状態で体が硬直してしまう。

 

「……どこから見てました?」

「うふふ。イッセー君が本を叩きつけた所からです」

 

 一連の醜態を見られていたらしい。恥ずかしさで今度は全身から火が噴き出そうになる。

 

「あ、あの、な、何と言うのでしょうか、こ、これは戦いの為のテンションを上げる為のものというか、モチベーションを高める為の儀式というか」

 

 自分でも苦しいと思う言い訳を並べ始めるが、朱乃は軽蔑も怒りも見せなかった。

 

「大丈夫、分かっていますわ。いつも通りのイッセー君らしくて逆にこっちが安心します」

 

 朱乃は、一誠が地面に叩き付けた本を拾い上げる。

 

「こういうのが好みなんですか?」

「え、ええ、まあ……」

 

 今度は言い訳をせずに素直に認める。

 

「こういう衣装、今度着てあげましょうか?」

 

 脳みそを殴られた様な衝撃的発言。朱乃が指している本の女性の格好は、最低限の面積しかない紐同然の姿をしている。

 

「マ、マジですか!」

「ええ、本当ですわ。ただその代わりに――」

 

 首に両腕が巻かれ、柔らかな感触が二つ背中に押し当てられた。絹の様に滑らかな朱乃の頬の感触が一誠の頬に触れる。背後から朱乃に抱きしめられていた。

 

「あ、朱乃さん?」

「ちょっとだけ勇気を下さい。戦う勇気はありますわ。……でも、私の欲しい勇気はもう一つの力を使う勇気。堕天使の力を扱う勇気が欲しいんです」

「……やっぱり、怖いですか?」

「ええ。……私にとって堕天使は――父は許せない存在。その力を使うなんて本当は嫌。……でも、私の我儘でリアスたちに迷惑をかけるのはもっと嫌。だから……」

 

 一誠は朱乃の両手を握る。

 

「俺の勇気でよかったら持っていって下さい!」

「……私が光の力を使うのを見守ってくれる?」

「それで朱乃さんの不安が和らぐなら喜んで見守らせてもらいます!」

「――ありがとう」

 

 一誠を抱き締める力がより強くなる。

 相手の鼓動すら伝わってくる程の密着に、一誠の鼓動も早まる。

 

「……そろそろ集合時間ですが?」

 

 突如掛けられた小猫の言葉に鼓動が加速するどころか一気に跳ね上がり、胸から飛び出すかと思いであった。

 

「こ、ここ、こここ!」

「……鶏の真似ですか?」

 

 不意打ちの登場に舌が回らない一誠。そんな一誠に小猫は普段通りに接する。

 

「あらあら、小猫ちゃんに見られてしまいましたわね。ありがとうございます。イッセーくん。おかげで元気を貰えましたわ」

 

 一誠からあっさりと離れ、何事もなかったかの様に去って行く朱乃。こんな状況に一人置いてかれた一誠は、朱乃のS気質を改めて感じた。

 小猫と一誠の間に沈黙が流れる。

 それを嫌い何か話そうとするが、生憎一誠には都合の良い話題が思い浮かばなかった。

 

「……イッセー先輩」

 

 気付けば小猫が一誠の前に立っている。思えば、こうやって向かいあって話すのは小猫が倒れたとき以来であった。

 小猫は一誠に無言で両手を出す。それの意味が分からず、一誠は突き出された両手を見詰める。

 

「……私の手も握って下さい」

 

 無表情だが、少しだけ頬を赤くする。

 

「え?」

「……お願いします」

「……分かった」

 

 小猫の小さな手を両手で覆う様に握る。指先が冷たく強張っている。小猫の緊張が伝わってくる様な感触であった。

 

「……イッセー先輩は私が、猫又が怖くないですか?」

「ん? いや全然」

「……猫又である姉様に殺されかけたのにですか?」

「あれはあれ、だよ。そもそも猫又なんて小猫ちゃんとお姉さんしか知らないし」

「……その気になれば、私もイッセー先輩を殺すことが出来ると言ってもですか?」

「小猫ちゃんはそんなことしないでしょ?」

 

 並び立てる言葉を平然と流していく一誠に小猫は驚いた表情をし、そして俯く。

 

「……イッセー先輩はやっぱり優しい赤龍帝ですね」

「そうかな?」

 

 優しいと言われて、少し恥ずかしくなり視線を斜め上に向ける。小猫の顔を真正面から見ると余計恥ずかしさが増すからだ。

 

「……私が倒れたときのことを覚えていますか?」

「ああ、あれね」

「……あのとき間薙先輩に凄く怒られました」

「色々と容赦無いからな、あいつ」

「……間薙先輩の言う通りでした。……私は、きっと周りを信じ切れ無かったから猫又の力を使うのが怖かったんです。……傷付けて嫌われるのが、避けられるのが怖かった」

 

 シンは小猫に言った。仲間を見縊るな、と。猫又の力は自分が思っているよりも悪いものではない、と。

 

「……このゲーム、私は猫又の力を使います」

 

 小猫の決意に息を呑む。

 

「……私は猫又の全力を使って、間薙先輩と戦います」

 

 自らの決意を見せる為。シンの言った言葉を信じ、自分の全てをぶつけることを一誠に告げる。

 

「……そうか分かった。そんな顔しなくたって大丈夫だって! 間薙なんか殺しても死ななそうというか、死んでも蘇りそうな奴だし! ……もし、猫又の力が暴走しそうになったら俺が全力で止める。俺が居なくても部長や朱乃さんや木場が絶対に止めてくれる。だから小猫ちゃんは怖がらずに、間薙を全力でぶっとばしてやれ!」

「……はい。ぶっとばしてみせます」

 

 

 ◇

 

 

 ゲーム開始五分前。シトリー本陣では『仕込み』を終え既に皆が集合していたが、誰も口を開こうとはしない。誰の顔にも緊張の色があった。あのソーナですら緊張のせいかやや顔色が悪い。

 そんな中でシンは小指から順に折り曲げて拳を作り、作ったら今度は親指から開いていくという動作を黙々としていた。

 

「……なあ?」

 

 緊迫した空気に耐え切れなくなったのか、匙がシンに話し掛けてくる。

 

「何だ?」

「緊張してるか?」

「さあな。――お前の顔色は真っ青だな」

 

 匙の顔から血の気が引いており、病人の様な見た目になっている。

 

「……平然としてるお前が羨ましいよ」

「見た目だけだ。今でも吐きそうだ」

「嘘吐け」

「ああ、嘘だ」

 

 初めは虚を突かれた表情になったが、シンがしょうもない冗談を言っていることに思考が追い付き、思わず吹き出す。似合っていない者から似合っていないものが飛び出すギャップに耐え切れなかった。そして、それが自分の気を紛らわす為に言ったのだと気付いた時、笑いが止まる。

 蒼白だった顔が笑ったことで赤味が戻る。

 

「……なあ、作戦は上手くいくと思うか?」

「断言は出来ない。こればかりはな」

「失敗したら、自分で自分の首を絞めた馬鹿集団だな」

「不安か?」

「会長が決めたんだ。不安なんてあるか。俺は全力を尽くすだけだ」

 

 言い切る匙であったが、視線が下がる。何か別の不安を抱いている様子であった。

 

「会長は決めた。でも俺は……」

「何かするつもりなのか?」

「……俺はもしかしたら、このレーティングゲームで大きな賭けに出るかもしれない」

「賭け?」

 

 どんな賭けなのかは分からないが、匙の余裕の無い表情を見ればあまり分の良い賭けでは無いらしい。

 

「当たればでかいが、外れれば俺のせいで会長に迷惑を掛ける所か、ゲーム自体台無しにするかもしれない」

 

 その切羽詰まった雰囲気から大袈裟に言っている様には見えなかった。

 

「この勝負に勝つには命懸けじゃ足りねえ。自分の存在意義を全て注ぎ込む気でやらなきゃ、聞く耳すら持ってもらえない」

 

 匙の口振りから誰かに覚悟を見せるのは分かったが、それがソーナや上位陣では無いとシンには思えた。ならば誰かと考えても、どうにも対象が思い浮かばない。

 

「どんな決意をしたのかは知らないが……」

 

『頑張れ』『お前なら出来る』『信じている』『大丈夫だ』。かける言葉ならいくらでも思い付く。しかし、言わない。代わりに出てきた言葉は――

 

「背中を押そうか?」

 

 ――少々意地の悪い問いを投げ掛ける。

 匙は、それを鼻で笑った。

 

「はっ。なめんなよ。そこまで面倒見て貰う気はねぇよ。いざという時の一歩ぐらい自分で踏めなきゃ意味が無い。……色々とモヤモヤしてたんだ。ただ聞いてくれるだけで十分だ。悪かったな、ゲーム前に弱音みたいなもの聞かせて」

 

 シンは軽く手を振り、気にするなと動き告げる。

 

『開始の時間となりました』

 

 頭上から降るグレイフィアの声が開幕を告げる。

 

 

 ◇

 

 

 一誠と小猫はデパート内を小走りで駆ける。今回のレーティングゲームは三時間の猶予しかない。一分一秒が惜しい。しかし、足音を出して自分たちの位置を報せるのは避けたいため、なるべく足音を立てず且つそこそこの速さで移動する為に小走りなのである。

 目指すは相手の本陣。一誠が『女王』のプロモーションを行うのが目的であるが、その他にも目的があった。敵を引きつける囮である。

 一誠はリアス側にとって最強の一角。更に『女王』に昇格するとなると、相手も無視することは出来ないとリアスは考えていた。

 一階を駆ける一誠と小猫が囮ならば本命の戦力は誰か? それは現在立体駐車場を経由して本陣に向かっている木場とゼノヴィアの騎士二人である。

 作戦としては一誠たちが相手の注意を引き、木場たちが本陣に攻め込む。その隙に一誠は『女王』に昇格。その後退き、待機しているリアスたちと合流した後に『王』を攻めるというもの。個人よりもメンバーの動きを合わせる作戦である。

 

『聞こえますか? 今のところ相手の姿は見えません』

 

 通信用のイヤホンからギャスパーの声が聞こえてきた。ギャスパーは偵察として無数の蝙蝠に分裂し、先行して索敵を行っている。

 

「分かった」

『引き続き――あっ!』

 

 ギャスパーの驚く声にビクンと体が震える。

 

「どうした!」

『人影が見えました! すぐに角を曲がったせいで姿ははっきりと見えませんでしたが! 誰か居ます!』

 

 興奮気味に話すギャスパー。声量の加減が出来ないのか、耳の奥に響いて来る。

 

「落ち着け。場所は何処だ?」

 

 出来ることなら作戦が最終段階に入るまで無駄な戦闘は避けたい。その道は避けなければならない。

 

『雑貨品売り場の近くです! 食料品売り場に向かった様です! このまま追跡します!』

「あ、おい!」

 

 通信が切れる。

 ギャスパーの積極的な行動。普段ならば喜ぶべきことだが、今のギャスパーの行動には不安が感じられた。どこか前のめりになっている印象を受ける。

 

「大丈夫かあいつ……」

「……少し急ぎましょう」

 

 小猫もギャスパーの行動に不安を覚えたらしく、歩を進める速度を少し速める。

 

「そうだね」

 

 一誠も足を速めようとしたとき、視界の端で何かが動いたことに気付く。慌てて首を動かすと、何かが道の角に消えていくのが見えた。

 

「小猫ちゃん!」

 

 小猫の手を引っ張り近くの自動販売機の影に隠れる。

 

「あの角の向こうに誰かが居る」

「……あそこですか?」

 

 すると小猫の頭部から猫の耳が生え、さらに尻尾まで生える。目を瞑ると猫耳がピクピクと動く。

 

「……おかしいです。気配が感じられません」

「おお……え、分かるのかい?」

 

 小猫の愛らしさに暫し心を奪われていた一誠だが、その情報で正気に戻る。

 

「……はい。現在、仙術の一部を解放していますから、気の流れでそこそこ把握出来ます。……先輩の指した場所からは人の気を感じられません。……人の気配というより」

 

 小猫が自販機の影から出て、怪しい影を視た曲がり角に向かう。

 

「ちょっと待って! 小猫ちゃん!」

 

 いきなりの行動に一誠は反応が遅れ、小猫に少し遅れて自販機の影から出た。

 曲がり角に着くと、小猫は地面付近を見回し始め、何かを見つけたのかしゃがみ込む。

 

「何かあったのかい?」

「……これを」

 

 小猫が一誠に見せたのは小さなガラス玉であった。何の変哲も無く、覗き込む一誠の顔が歪んで映るだけである。

 

「……微かにですが魔力の気配を感じます。恐らくは何かの術を施してあったのかも」

「そんなの持っていても大丈夫かい?」

「……一回きりの使い捨ての術だと思われます。術を発動出来る程の魔力は感じられません」

「どうしてここにそんな物が……」

 

 相手の意図が分からず、悩む一誠。すると小猫が、推測ですがと前置きをしてから自らの考えを話し始める。

 

「……恐らくこのガラス玉に施された術は、相手に幻影を見せるものだと思います。一瞬でもガラス玉が視界に入ればそれに反応し、曲がり角に消えていく人影を見せる」

 

 一誠は、レーティングゲーム前に見たシトリー眷属の資料の中で、副会長の椿姫が鏡に関する能力を持っていることを思い出していた。

 

「……もしそうだとしたら、何の為にこんな仕掛けを?」

「……私たちみたいに警戒をさせ時間稼ぎをするか、或いは……」

「或いは?」

「……相手を誘い込む為に」

 

 それを聞いた瞬間、一誠は、通信機に向かって叫んでいた。

 

「ギャスパー!」

『な、何ですか!』

 

 突然大声で名前を呼ばれたギャスパーが通信機の向こう側で驚いている。返事があったことに安堵する。

 

「今、お前は何処にいるんだ?」

『今ですか? 食料品売り場にまで来ています』

「そうか。あのな――」

『わっ!』

「おい! どうした!」

 

 ギャスパーが悲鳴を上げたのに反応し、大声で上げてしまう。

 

『も、靄が! いやこれはき――あう!』

「ギャスパー! おい! ギャスパー!」

 

 返事は無い。通信機からは雑音しか聞こえなくなった。壊されたか通信妨害を受けている。

 最後に聞こえたのは苦鳴。こんなものを聞かされて黙っていられる筈が無い。

 

 

「小猫ちゃん!」

「……ギャー君を助けに行きましょう」

 

 小猫はすぐに同意を示す。

 本来の作戦から外れる真似をすることを内心でリアスに詫びつつ、ギャスパーが現在居る食料品売り場を目指す。

 

 

 ◇

 

 

 無数の蝙蝠に分裂したギャスパーは、曲がり角に消えた影を追っていた。他の分身も同じように角に逃げ込む影を発見しており、途中で合流。現在は全体の三分の二の数を引き連れて飛び回っている。

 固まって飛ぶことで四方に目を向けることができ、死角が無くなる。これならば相手を発見次第、即『停止世界の邪眼』で動きを停めることが出来る。

 普段は弱気のギャスパーは、自分の存在が思わぬ形で重要になったことで気合いが満ち満ちていた。

 ギャスパーは、リアスにとって初となるレーティングゲームに自分の都合で参戦出来なかった。それは彼にとっての負い目にもなっている。神器の操作にも慣れ始めると、もし自分が参戦していたらという空想を頭に描くことも度々あった。

 リアスからは、無理に邪眼を使う必要は無いと言われていたが、ギャスパーはどうしても自分の力で一人でもいいから相手を倒し、世話になっている先輩たちや同級生に貢献したい、役に立ちたいという一種の欲が芽生え始めていた。

 人影が向かったと思われる方向を飛ぶ蝙蝠の群れ。間も無く食料品売り場に到着する。

 本物かどうかは分からないが野菜やパックに包まれた肉、魚などが置かれ、棚にはインスタント食品、レトルト食品、菓子などが置かれている。

 遮蔽物の多いこの場所に誰かが、あるいは複数人身を潜めている可能性がある。

 蝙蝠たちをいくつかのグループに分け、食料品売り場を徹底的に探る。

 

『ギャスパー!』

 

 そのとき、頭の中で一誠の大声が響き渡った。

 

「な、何ですか?」

 

『今、お前は何処にいるんだ?』

 

 通信機の向こうの一誠の声に余裕が無い。

 

「今ですか? 食料品売り場にまで来ています」

 

 戸惑いつつ現在の場所を教える。

 

『そうか。あのな――』

 

 一誠が何かを言おうしたとき、蝙蝠のグループの一つがいきなり現れた白い靄の中に突っ込んでしまう

 

「わっ!」

 

 視界の中で白が一気に広がっていく。

 

『おい! どうした!』

 

 ギャスパーの驚く声に反応し、一誠が焦った声を出す。

 

(も、靄が! いやこれはき――)

 

 霧という言葉を伝えることは出来なかった。その白い霧に紛れ、誰かが飛翔する蝙蝠の一匹を背後から掴んだのだ。伝わってくる手の感触、しかし、それもすぐに消える。掴む手が躊躇うことなく蝙蝠を握り潰す。

 

(あう!)

 

 分裂してようと、一匹一匹がギャスパーの肉体である。視界の一つが消えると共に本体のギャスパーにダメージが伝導され、その痛みに声を上げてしまう。

 百を超える分身の内の一体が潰されただけ。味わう痛みも百分の一程度。

 だが、白い霧に乗じて襲い掛かってきた襲撃者が、たかが一匹程度潰した程度で終わる筈が無かった。

 

(うああああああああ!)

 

 断続的に走る痛み。襲撃者の手で次々と分身の蝙蝠たちが潰されていくのが、文字通り痛いほど分かる。一匹の痛みは耐えられる。しかし、十の痛みが重なれば激痛へと変わる。

 神経が焼かれる程の痛みに苦しみながら、何とか蝙蝠たちを動かして襲撃者を邪眼の中に収めようとする。

 しかし――

 

(あ……)

 

 白。白。白。白。視界全てを覆い尽す絶望の一色。見えているのに見えないという窮地。右を見ようとも左を見ようとも、あるのは白い霧のみ。まるで箱の中に閉じ込められた様な閉塞感を覚える。

 問題はそれだけではない。白一色のこの状況。仮に『停止世界の邪眼』を発動させた場合、何処まで停止するのか。見た部分の時間だけが停まるのか、それとも周囲を霧全てが停まるのか、仮に霧全てが停まってしまえば、発動した蝙蝠たちは時間停止した霧に閉じ込められて出られなくなってしまう。

 

(ど、どうしよう! 時間停止で動けなくなった物の中に閉じ込められたら僕も失格になっちゃうの? で、でも閉じ込められるのは僕の一部だから――あ、だ、だけどルールには一部だったらセーフなんてか、書いてなかったし! ど、ど、どうしたら!)

 

 記載されているルールには無い特殊な状況に置かれてしまったことで、正否が分からないギャスパーはパニックを起こしてしまう。

 考えれば考える程思考が絡まり、そして空回りし、視野が狭まっていく。蝙蝠たちの動きもおざなりになってしまう。

 そんな絶好の機会を襲撃者が見逃す筈が無い。

 

(あぷっ!)

 

 別の順路から探索していた蝙蝠たちが先程と同じ様に白い霧に包まれる。視界が限定された瞬間、同じ様に次々と蝙蝠たちが潰され、破壊されていく。

 

(あうううううう!)

 

 あっという間に過半数の蝙蝠たちが使いものにならなくなってしまう。それに加え、蓄積していくダメージもかなりのものになっていた。

 このままではいずれ蝙蝠たちは全滅してしまう。全滅するならばいっそのことと、ギャスパーは一つの決断をした。

 群れ為す蝙蝠たちが集い、一つとなってギャスパーの形に戻る。

 元の姿に戻ったギャスパーの足元に床を這う様にして無数の影が集まり始め、ギャスパー本体の影の中に吸い込まれていった。潰された蝙蝠たちの残骸であり、こうなると当分の間蝙蝠に変化させることも出来なくなる。

 蝙蝠単体だとあっけなくやられてしまうが、人の姿ならばまだ蝙蝠よりも持つ。その分ダメージを分散することも出来ないが、既に消耗しているギャスパーには些細な問題である。

 ギャスパーの赤い眼は絶えず動き続け、周囲を見回す。瞬きすら恐ろしくて出来ない。

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

 極度の緊張から自然と呼吸が乱れ、顔からは汗が滴り、膝が震える。ついさっきまで嵐の様な襲撃があったというのに、今は凪の様に静かであった。

 だが、この静けさはギャスパーにとって安らぎにはならない。逆に静寂がギャスパーの神経をゆっくりと削いでいく。

 いっそのこと泣き喚きたくなる衝動に駆られるが、リアスたちの役に立ちたい、シンやジャックランタンたちに成長した自分を見せたいという思いを支えにして耐えていた。

 

 ――カーン

 

 静寂を破る音。心臓が胸を突き破りそうになるほど驚くが、それでも特訓で身に染み込ませた動きで音に向かって邪眼を向ける。

 が、この時ギャスパーは自分の失敗を悟ってしまう。咄嗟に動いたのではない、動かされたのだ。

 しかし、既に手遅れ。ギャスパーの両眼から光が放たれ、音源となった物の時間が停められる。時を停められたのは床から跳ね上がっている缶詰であった。だが、ギャスパーがそれを確認することは無かった。

 

「う、あ……」

 

 ギャスパーの背後から回された腕が喉を絞め、小柄なギャスパーの体を吊り上げる。顎を強引に上向きにされた上に、気道が狭められているギャスパーだが、辛うじて爪先が地面に接しているおかげで窒息だけは免れた。尤も、それは背後から絞めている人物が意図的にやったことだが。

 首が完全に固定されており、動かすことが出来ず『停止世界の邪眼』での反撃も出来ない。腕に爪を立てるなどの抵抗を試みてみるものの、びくともせず。

 

「手短に聞く。グレモリー眷属の現在位置を教えろ」

「間薙、先輩……?」

「余計なことは喋るな」

 

 巻き付けてある腕に力が込められ、ギャスパーの息を止めさせる。

 

「うぐ…………はあ! はあ! はあ!」

 

 数秒間だけではあるが呼吸が出来なくなる。腕の力が緩んだ瞬間、ギャスパーは大きく口を開けて息を吸う。

 

「もう一度聞く。全員の配置を教えろ」

 

 はたして背後に立つ人物は、自分の知っている人なのであろうか。あまり感情を見せず常に無表情で一見近付き難いが、実際は何度も助けてくれた優しく頼もしい先輩。だというのに、今のシンから発せられる言葉は感情を一切排した零下の冷たさを持っており、一つ一つ耳に入って来る度に体が震える。

 

「うう……ううぅぅぅ……」

 

 慕っていただけに、その落差で心が折れそうになる。

 

「答えればすぐに楽になる。――言え」

 

 苦しさと怖さで視界が滲んでくる。シンの言葉に従いそうになる。

 

「い、言いま、せん……!」

 

 しかし、それでも抵抗する。皆の役に立つ為にこのレーティングゲームに参加したのだ。何も残せずに終わらせたくない。

 

「――意地を張るな。きっとここで負けても部長は許してくれる」

 

 冷たい声が一転して相手を気遣うものに変わった。

 

「部長だけじゃない。他の皆も誰も責めない。もう少し甘えてみたらどうだ?」

 

 甘言とはこのことを言うのであろう。その言葉に飛びつきたくなる。しかし、それは出来ない。シンの言う通り、ここで負けてもリアスたちは許してくれるだろう。だからこそ許されない。ギャスパー自身がそれを選択することを許さない。

 もうリアスたちに甘える時間は終わったのだ。

 

「僕は、絶対に、言い、ません……!」

 

 断固とした意思をシンに見せる。

 

「――そうか」

 

 短く言った後、ギャスパーの首が一気に絞められる。今度は呻き声を上げることすら出来ない。絞めるどころかギャスパーの細い首を折ろうとしている様にすら見えた。

 このまま数秒も持たずギャスパーの意識は途切れるだろう――かと思われた。

 シンの腕の中でギャスパーの体が崩れた。崩れた体の破片は蝙蝠たちへと変身していく。

 ギャスパーはこの瞬間を待っていた。蝙蝠の群れから人型へと戻ったのは耐久力を上げる為だけでは無い。相手を誘い込む為に我が身を囮にした、捨て身の策の意味もあった。

 このまま反転し、蝙蝠全ての目で邪眼を発動すれば、シンの時間を停めることが出来る。

 蝙蝠たちが、その赤い目でシンの姿を捉えた。

 

(……あっ)

 

 鉤状に曲げられた左腕。それがさっきまでギャスパーを絞めていた。そして、振り上げられた右腕。その手には魔力で形成された剣が握られている。

 攻撃に移るまでの動きがあまりに速い。速過ぎると言ってもいい。ギャスパーが拘束から抜けた時点からでは遅い。絞めているときには既にその手に魔力剣を握っていたのであろう。

 

(全部読まれてた?)

 

 ギャスパーの反撃もシンにとっては想定内のことであったのだ。そう考えると悔しく思ってしまう。

 間もなく振り下ろされる魔力剣。その魔力の波を受ければ脆い蝙蝠たちは一瞬で全滅するであろう。ここにいる蝙蝠たちが全滅すれば、恐らく自分の意識を保つことは出来ない。ギャスパーは、窮地のせいか逆に自分の状況を冷静に判断していた。

 魔力剣から魔力が解放される寸前――

 

「少し、男らしい顔付きになったな」

(え?)

 

 ――思いもよらなかった言葉を送られ、ギャスパーは刹那の間呆けた。その直後に魔力の渦が蝙蝠たちを呑み込み、壁、天井、床へと叩き付けていく。

 意識が霞んでいく中でギャスパーは思う。やはりシンは最初から全部見抜いていたのだと。どれだけ強く脅しても、優しい言葉で諦めさせようとしても、最後に刃向かってくると。

 

(ああ……ダメだなぁ……)

 

 負けて悔しいとは思う。だが、いけないとは分かっているのに、自分が泣いて逃げる奴では無いと思われたことを嬉しく思ってしまった。

 

(部長、すみません……小猫ちゃん、イッセー先輩、頼み――)

『リアス・グレモリー様の「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 アナウンスがギャスパー脱落を告げる。

 魔力の波で荒れた食料品売り場でシンは軽く息を吐く。()()()()()()()ギャスパーを倒すことが出来た。これで役目の一つを果たしたことになる。

 そして、役目はもう一つ。

 

「――早かったな」

 

 この言葉には二つの意味があった。ここまで来る時間。そして、ゲーム序盤でこの展開となったことに。

 

「……間薙先輩」

「お前が、ギャスパーを!」

 

 食料品売り場に現れる一誠と小猫。一人立つシンに両者鋭い視線を向ける。

 一誠が一歩出ようとするが、それを小猫が手で制止し、代わりに小猫が前に出る。

 

「迷いは晴れたのか?」

 

 小猫の猫の耳と尻尾を見てシンは問う。

 

「……正直に言うとまだ不安です。先輩は言いましたね? 『お前の力なんかでどうにかなるかと思っているのか?』と。……私は、あの言葉を信じて全力で行きます」

 

 構える小猫。シンはそれに何か言うことはせず、己の拳を固く、強く握る。

 既に小猫の覚悟は出来ている。掛ける言葉は不要。必要なのは、その覚悟を受け取るという意思。

 シンはゆっくり左腕を上げ、上向きにして小猫に向け真っ直ぐに伸ばし、手首から先を小刻みに動かし手招きをした。

 魔人対猫魈・赤龍帝、戦闘開始。

 

 ◇

 

 

(大丈夫か? 間薙の奴……)

 

 デパート二階を慎重に移動する匙は、周りを警戒しながらも一人一階に残っているシンを心配していた。強さは十分知っているが、一対複数となればそれを発揮出来るとは限らない。

 

「――先輩? 匙先輩?」

「うん? ああ、どうした?」

 

 一緒に行動している同じ『兵士』であり後輩の仁村留流子が声を掛けてきたが、考え事をしていたせいで少し反応が遅れた。

 

「あそこ辺りはどうでしょう?」

 

 仁村が天井を指差す。そこには何枚か広告用の大きい垂れ幕が下がっていた。

 

「ああ、いいかもな」

 

 二人は匙の神器を使い、天井から周囲の様子を観察し、場合によってはそこから奇襲しようと考え、その為に上手く身を隠せる場所を探していた。

 丁度いい場所も見つかったので、匙は仁村を背負い天井に向けラインを伸ばそうとする。

 

 ティーン。

 

 一瞬それが何の音か分からず、二人揃って音の方に目を向ける。視線の先にあるのはエレベーターの扉。すると扉が開き中から現れたのは――

 

「……何でエレベーターから出てくるんだ? ゼノヴィアさん」

「ああ――迷ったからだ」

 

 清々しい程に言い切るゼノヴィアの姿に脱力しそうになる。

 

「――だが、ある意味で正解だったらしい」

 

 しかし、すぐにそれも緊張によって消し飛ぶ。伝説の聖剣デュランダルを構えられたことによって。

 

「……ああ、チクショウ。予定外だ予定外。聖剣使いと戦うなんて……でもな」

 

 匙は『黒い龍脈』を顕現させる。

 

「それを超えなきゃ彼奴と戦えないってんなら戦って勝つだけだ!」

 

 黒龍(ヴリトラ)聖剣(デュランダル)、戦闘開始。

 




レーティングゲームへとやっと突入出来ました。
ソーナ側で戦ってせいかシンと匙のダブル主人公みたいな話になってますね。
スラッシュドッグが文庫かするのを知ったので、もし出たら幕間か何かでこれとクロスした話を書くかもしれません。

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