ハイスクールD³   作:K/K

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攻防、不退

 本陣にて皆の吉報を待つリアス、アーシア、朱乃。開始して数分も経っていないが、アーシアは手を組んで一誠たちの勝利を祈っていた。

 そんなアーシアの肩にリアスがそっと手を置く。

 

「大丈夫よ。あの子たちは強くなった。きっと作戦を成功させて戻ってくるわ」

「私……怖いです。イッセーさんたちが傷付いて戻って来るのを思うと……」

「ええ……私も怖いわ。でもその時は貴女の神器で癒してあげて」

「……そうですね。私にしかそれが出来ないですよね。私、頑張ります!」

「それはどうでしょうか?」

 

 突然声と共にソーナがリアスたちの前に現れた。

 いきなりのことに驚くアーシアであったが、守る様に朱乃が前に立つ。

 

「アーシアちゃん。大丈夫ですよ。あれは実体ではありませんわ。恐らく魔術で姿を投影したもの。でも、何が起こるか分からないので私の後ろに居て下さい」

「は、はい!」

 

 一瞬でこの場に居るソーナの正体を見抜いた朱乃は、安心させる様にアーシアに微笑んでいる横顔を見せた。その朱乃の背に身を寄せると、さっきまでの驚きが嘘の様に静まっていく。

 リアスは鋭い眼差しのまま映像のソーナに詰め寄る。

 

「随分と大胆ね。戦う前の挨拶は済ませておいた筈だけど?」

「そうね。でもいくつか貴女に言っておきたいことがあって」

「言っておきたいこと?」

 

 リアスは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「今回のレーティングゲームにあった特別ルール。あれを不自然だとは思いませんでした?」

「特別ルール……ギャスパーの神器に関することかしら」

「ええ、そうです。実は、あのルールは本来『ギャスパー・ヴラディの神器使用を禁ずる』というものでした。――私たちがルールの変更を頼んだのです」

「なっ!」

 

 それ以上の言葉を継げることが出来ず絶句してしまう。ソーナの言葉を信じるなら、リアスたちが有利になる様にわざわざ嘆願したことになる。

 

「説得には中々骨が折れました。審判側や関係者は目による暴走でゲームが台無しになることを危惧していました。ギャスパー君が今どれ程の実力が有り、暴発の危険性はどれだけ低下したのかを説明しなければならなかったので」

 

 主催者側はさぞかし困惑したであろう、何せ有利を蹴って、自分たちを不利な状況に追い込んでいるのだから。

 ソーナの話を聞き、ある疑問が浮かぶ。

 

「ちょっと待って。私たちが特別ルールを知ったのはついさっきのことよ。どうして貴女たちの方が先に知ることが出来たの?」

 

 いくら説得したとしても急遽ルール変更など出来るとは思えない。少なくともゲーム前には知っていたことになる。

 

「……まあ、これに関して何と言いますか……実はある方が、アザゼル先生がギャスパー君専用の神器封じの眼鏡を作っている所を偶然目撃したらしく、そのことを私の家の前でとても大きな独り言で教えてくれました。私たちはそれで今回の特別ルールを知ることができ、直談判することが出来たのです」

「まさか……そのある方って……」

「貴女の想像通りの方だと思います」

 

 リアスの頭の中で大酒を呷りながら品の無い笑い声を上げる阿修羅の姿が浮かび上がる。その人物に色々と言いたいことがあるが、それよりも新たに浮かんだ疑問の方を優先した。

 

「何故――」

「――そんなことを、ですか? 理由は二つ有ります。一つはギャスパー君に全力を出してもらう為です。ヴァンパイアとしての能力も確かに厄介ですが、脅威かと言えば『いいえ』と答えます。ヴァンパイア対策なんていくらでもありますから。彼の実力は『停止世界の邪眼』もあってこそ。実力の半分も出せない相手よりも、全力を出せる相手に勝つ方が勝利の価値が高まります」

 

 一歩間違えれば自分たちの首を絞めるだけの結果になる、危険な賭けを行うソーナに戦慄を覚える。

 

「別に貴女が思う程危険な賭けという訳ではありませんよ?」

 

 リアスの内心を正確に見抜き、先回りをして答えた。リアスからすれば『王』という立場である自分の動揺を悟られたことに悔しさを感じる。

 

「どういう意味かしら?」

「能力が封じられているギャスパー君よりも能力が封じられていないギャスパー君の方が、精神的な隙が生み出されると予想したまでです」

「精神的な隙、ですって?」

「ええ。何せギャスパー君にとってこのレーティングゲームは初めてのゲームであり、数少ない実戦です。恐らくゲームを始めるまで彼には相当の重圧がかかっていたことでしょう。彼にはその重圧を跳ね除ける程の経験がありませんので。そこに突如として充てられる重要な役目。彼の過去のことを考えれば、内心舞い上がっていたかもしれませんね。何せ、経験不足の負い目を一気に払拭する程の強力な権利を手に入れたのですから」

 

 すらすらと言い淀むことなく語るソーナに対し、リアスの表情は言葉が進む度に険しいものへとなっていく。

 

「きっと貴女は無理をするなと忠告はしたでしょう。ですが、ギャスパー君が誰よりも勝利を献上したいと思っているのはリアス、貴女自身です。貴女の忠告も、彼の奉仕の心に深くは届かなかったでしょう」

 

 ソーナは冷淡な眼差しをリアスに向ける。

 

「貴女に予告しておきましょう。グレモリー眷属で最初にリタイヤするのはギャスパー君だと」

「そんなこと!」

 

 無い、と否定しようとしたリアスであったが、そのとき頭上からアナウンスが流れ始める。

 

『リアス・グレモリー様の「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 まさにソーナが予告した通りのことが起こり、リアスをはじめとして朱乃、アーシアも愕然とする。ここまでの流れ全てがソーナの掌の上でのことであったと思い知らされた気持ちであった。

 

「どうやら間薙君は上手くやってくれたみたいですね」

 

 ソーナの表情が僅かに緩む。表には出さなかったが内心では安堵していた。どんなに場を整え、相手の調子を下げようとも、肝心のシンが勝たねば意味が無い。シンの実力からして負ける可能性は低いと思っていたが、それでもソーナの性格から万が一を切り捨てられなかった。

 

「あとはギャスパー君を誘い出すだけです。蝙蝠になれる能力が使えるギャスパー君は高確率で偵察を任される。そこで不審な動きを発見すれば、多少怪しんでも気持ちが先走り、単独行動をとった所を狙うだけ。間薙君がギャスパー君を倒した様に」

 

 さも事もなげに言っているが、この策はシンがいなければ最初から成り立たないものであった。仮にシンが今回のゲームに参加しなかった場合、特別ルールに従ってギャスパーの神器を封じていたであろう。シンがギャスパーの神器を防ぐのに必要な能力を持っていることを知り、更にそれでどうギャスパーを封じるのか本人自身がよく分かっていたことで成り立った策である。余談だが、ギャスパーの神器を防ぐ方法をシンがソーナたちに喋っていた際、シンには珍しく若干苦い表情をしていた。それには思い出したくも無い記憶も伴っていたらしい。

 

「どうやら私の方は予定通りに進んでいる様です。リアス」

 

 その言葉に奥歯を強く噛み締める。自分もギャスパーもソーナに都合の良く動かされていたことが、彼女のプライドを傷つける。

 

「……まだゲームは始まったばかりよ」

「ええ。そうですね。安心下さい。私は貴女相手に微塵も油断をするつもりはないので」

 

 そう言い残し、ソーナの姿が消える。後に残された三人。朱乃とアーシアは俯くリアスに何と声を掛けていいのか分からなかった。二人もまたソーナに呑まれかけていたのだ。

 するといきなりリアスが顔を上げ、自分の両頬に両掌を叩き付ける。乾いた音が響き渡った。

 リアスの行動と音に思わず驚く二人。リアスはゆっくりと振り返る。両頬が赤くなっていることを除けばリアスの表情は穏やかなものであった。

 

「心配しなくても大丈夫よ。ソーナに一歩上を行かれて悔しいとは思ったけど、これから巻き返していくわよ」

 

 覇気の如き赤い魔力がリアスの全身から昇り立つ。その堂々とした姿は朱乃、アーシアに伝わり、彼女らの中で勇気と化す。

 

「はい! これからですね!」

「うふふ。そうですわね。こんな序盤で気圧される訳にはいきませんね。ところでリアス、さっきの気合いを入れる姿、イッセー君みたいでしたよ」

「あら、そう?」

 

 それを聞き、少しだけ嬉しそうに微笑む。

 

「でも、ソーナ会長はどうしてわざわざギャスパーさんのことを言いに来たのでしょうか?」

 

 アーシアが思ったことを素直に口に出す。

 

「きっとこちらを揺さぶって精神的に優位に立つ為ね。私を焦らせて今の策から別の策に変えさせる為の誘導とも考えられるわ」

「なら、このまま最初に言った通りの作戦で?」

 

 リアスはそこで少しだけ考える。ソーナに全て予測されているのならば変えるべきだが、変えさせることが目的ならば更に深みに嵌ることになる。これは重要な決断であった。

 

「――このままで行くわ。でも、いざという時には朱乃、貴女に動いて貰うことになるわ」

「ええ。分かりました」

 

 リアスの決断が下され、朱乃は頷く。成功すれば眷属たちの手柄。失敗すれば主である自分の失敗。後のことは全て自分が責任を背負う覚悟は出来ている。

 するとアーシアがおずおずと手を上げながらリアスに問う。

 

「あの、私は……?」

「事態が動くまで私とここで待機よ」

「ですよね」

 

 肩を落とすアーシア。回復役という重要な役目を与えられているが、きっと本音を言えば一誠と肩を並べて戦いたいのであろう。その気持ちはリアスも良く分かる。『王』という立場でなければ自分もきっと動いていた。

 リアスは慰める様にアーシアの頭を撫でる。

 

「待つしか出来ないというのも辛いわね、アーシア。でも、大丈夫よ。貴女は少しずつ強くなっているわ。いつかきっとイッセーの隣に立って戦えるわ」

「部長さん……ありがとうございます!」

 

 励まされたアーシアの表情から陰が消える。

 アーシアは、今は『聖母の微笑み』で傷を癒すことしか出来ない。だが、いずれはそれ以上のことを為さなければならない。

 歯がゆいが今はただ待つしかない。だが、せめてこの想いが届くようにアーシアは皆に祈りを捧げた。

 

 

 ◇

 

 

 シンと向き合う小猫と一誠。互いに手の内を知っているが、いざ相対するとどう戦えばいいのか一誠は迷ってしまう。いつもの様に全力でぶつかればいいのかもしれないが、それで倒せるほど容易な相手では無いことは身を以って知っている。

 実戦形式での特訓でシンと戦う時、互いに力を制限した場合、技術の差でいつもシンに負けている。接近戦での動きと反応の早さは一誠から見て異常であった。

 一方で、シンが小猫との特訓で何度か組み伏せられている場面を見たことがあるが、それは対ライザーのときの合宿までで、それ以降二人が戦っているのを少なくとも一誠は見たことが無い。

 

(どうするか……)

 

 禁手の使用が頭に浮かぶが、発動するまで二分もかかり、その間は倍化も譲渡も出来なくなる。更に、禁手を発動して三十分を過ぎれば、このゲーム内では二度と神器の使用が出来ない。

 全力で戦わなければならないとは分かっているが、後々のことを考えるとここで禁手は厳しい。

 迷う一誠。だが、状況は刻々と動き続けていた。

 シンが動き出す。走る訳でもなく一定の歩幅で歩み寄って来る。すると小猫もまたそれに受けて立つ様にシンに向かって歩き始める。

 もう迷っている時間は無い。一誠は決断し、『赤龍帝の籠手』の力を発動させる。

 シンと小猫の距離はたった十数秒で詰められ、あっという間に両者の間合いが重なる。

 

「……いきます」

「いちいち声を掛ける必要は無いぞ」

 

 小猫の律儀な態度に、シンは少しだけ表情を緩める。

 ほんの僅かだが、小猫の体が沈む。両足に力を十分伝達させるために膝を曲げた為である。いつでも地を蹴る体勢を整え、溜めた力を解放しようとした瞬間、その出鼻を挫く様にシンの前蹴りが小猫の胸部目掛けて放たれていた。

 誤差程度にしか見えない体勢の変化。しかし、シンの目はその些細な変化も捉えていた。故に攻撃を仕掛けてくるタイミングを読み、小猫が攻めるより一瞬先にシンから仕掛けた。

 攻めの姿勢から守りの姿勢に移るには、どうしても間というのが発生する。特に小猫の様に意識が攻撃する瞬間を狙われるとよりそれが顕著になる。

 ――筈であった。

 小猫はまるでそれを知っていたかのように素早く腕を交差し、シンの蹴りを受ける。小柄な体はそのまま蹴り飛ばされず、その場で踏み止まった。すると小猫の足元に無数の亀裂が生じる。小猫はその亀裂の中心でまるで地と足が一体化したかの様な不動を貫いていた。

 小猫は先手を取られたのではない。先手を取らせたのである。猫魈としての力を解放した小猫には相手の気が読める。これにより相手の動きを予測することが可能になる。両足付近に気が溜まっていくことから初撃が蹴りであることが分かり、動く振りをして逆に相手を動かした。

 だが、このとき小猫が使用した気を扱った技術はこれだけではなかった。

 蹴り足から伝わってくる重い感触。『戦車』の特性もあるだろうが、それだけではない。何か小猫の見た目よりも遥かに重いものを蹴った様な気分であった。

 シンの感覚は決して間違ったものではない。事実、シンが蹴ったのはこのデパートそのものと言ってもいい。正しく言えば、小猫が受けた衝撃を自身の体内にある気の流れに乗せて足元から床に流したのだ。蹴りに対し微動だにしなかったのも、足元が不自然に罅割れたのも全てこのせいである。

 小猫は交差している腕を離し、片腕でシンの足を受け止めつつ、空いた手でシンの足首を向け掌打を放つ。その手は淡く輝く白い光が纏っていた。

 シンは小猫の腕を押し、その反動で掌打が届く前に後方に退く。あまり自分の痛みや傷に対し無頓着とも言える面があるシンであったが、その素早い動きから小猫の掌打を必要以上に警戒しているのが見て分かる。

 気や仙術についての知識を、シンはソーナから最低限教わっている。外部ではなく内部を破壊することに特化した拳打を放てるという。腕で受ければ腕の機能を断ち、胸で受ければ心臓の鼓動を断ち、頭で受ければ意識を断つ、問答無用の防御を貫く一撃。仮に先程の小猫の掌打を足に受けていたら、中の骨は砕け散り、肉と神経とごちゃ混ぜになって、足首より下が只の血袋と化していたかもしれない。

 仙術を極めれば離れた場所にいる者すら触れずに命を奪うことが出来るというらしいが、流石に年数のこともあり、小猫がそこまでのことを出来るとは考え難い。

 下手に受けることも出来ないことで戦いの難易度は上昇する。

 そして、そこに更なる難易度上昇の報せが声で伝えられる。

 

『Boost!』

 

 『赤龍帝の籠手』が倍化したことを告げる。シンが小猫に警戒しつつも声の方に目を向ければ、一誠が拳を振り上げて殴り掛かって来る最中であった。

 振り下ろされた『赤龍帝の籠手』。シンはそれを片手で受け止める。五指が籠手に食い込む様にして突き立てられ、砕く勢いで握り始める。ミシミシと音を立て装甲の一部が歪み、僅かではあるが亀裂が生じる。

 

『ふざけた力だ』

 

 素手で神器を破壊しようとしているシンに、ドライグが僅かな焦燥を混ぜた声を一誠の頭の中で零す。

 神器を握り潰すだけに留まらず、一誠の拳を手の甲側に向けて折り曲げ始める。抵抗するも一回目の倍化では力負けしてしまう。

 

「ぐぅ!」

 

 思わず苦しそうな声が洩れる。このままでは手首がへし折られてしまう。しかし、この戦いは二対一の戦い。それを小猫が黙って見ている筈が無く、一誠を助ける為にすかさずシンに飛び掛かる。

 警戒をしていたシンは、すぐにそれに反応し片手で一誠の身体を引き摺り、小猫の前に壁として立たせた。

 

「……イッセー先輩、ごめんなさい」

 

 一言詫びを入れた後、小猫は跳躍。一誠の後頭部を踏み付ける。

 

「ぐへっ!」

 

 小柄とはいえ、人一人分の体重が首に掛かり、カエルの潰れた様な声を出す一誠。そんな一誠を踏み台にして小猫は更に跳躍し、シンの真上に跳んだ。

 迎撃しようと構えようとするシンであったが、空いている方の手を掴まれてしまう。

 

「そうはさせない!」

『Boost!』

 

 視線が小猫に向いた一瞬の隙に、迎撃させまいとシンの手首を掴み、動きを封じようとする一誠。更に倍化が掛かったことで簡単には外れない。

 ――と一誠は思っていた。

 次の瞬間には、頭が仰け反る程の衝撃が額に奔り、後頭部が背中に密着しそうになる。

 

(え? 痛っ! 何だ! 何を! クラクラする!)

 

 痛みと衝撃でぶつ切りになる思考。何をされたのか必死に思考と紡ぎ合わせ、シンが頭を垂れる様な姿勢をしていることから頭突きをされたことに気付いたときには、胸部に足裏を叩き込まれて蹴り飛ばされていた。

 デパートの床を数度跳ね、精肉店のガラスケースにぶつかってようやく止まる。

 妨害していた一誠を引き剥がしたシンであったが、間髪入れずに小猫の掌打が頭部に向かって放たれていた。シンの視線は未だに一誠の方に向けられている。まさに回避困難の絶体絶命のタイミングであった

 小猫の白い気がシンに打ち込まれる――と誰もが思った。しかし、小猫の掌打はシンに触れず寸前で止まる。シンに手首を掴まれたことで。

 このときになってシンの視線が小猫へと向けられた。宙に小猫が跳んだ時点で、シンは小猫があと何秒後に来るのかを凡そ把握していた。後はその秒数以内に行動に移ればいいだけである。直感と勘に任せたかなりの力技である。

 シンの前で吊り上げられる小猫。すぐにもう一方の手で掌打を打ち込んでくるが、構えの崩れた体勢から放つ掌打に速度は無く、これもシンに容易く掴まれてしまう。

 両腕を引き、手前に引き寄せると同時に小猫の鳩尾に向け、貫けと言わんばかりの膝を打ち込む。それも一発では済まず、相手の反応など一切無視して立て続けに数発、それも同じ箇所を正確に狙って打ち込んだ。

 容赦などしない。出来る筈が無い。『戦車』の頑丈さは知っていればこそ手加減等出来ない。少しでも手を抜いた瞬間、手痛い反撃を貰うのが目に見えている。だからこそ、全力の一撃を正確且つ連続で叩き込む。反撃させない為に。

 シンのこの用心は正解であった。初撃をまともに受けた小猫であったが、『戦車』の特性によって耐えることが出来た。しかし、同じ箇所を抉る様にして打ち込まれれば如何に頑強な肉体であっても痛みを覚えるし、苦しみも感じる。シンの膝が打ち込まれる度に肺が圧迫され無理矢理息を吐かせられ、吸う暇も与えられない。肉体のダメージよりも酸欠で意識を失いそうになる。

 作業の様に単調だが無慈悲に行われる繰り返し。それは唐突に終わる。

 数度目の膝を打ち込んだとき、小猫の身体はシンの手から離れ、商品棚に向かって吹っ飛ぶ。そのまま棚を数台ドミノ倒しにし、落下してきた商品に埋もれてしまう。

 あのまま続けていれば小猫の意識を断てた筈であったが、何故か手放してしまったシン。何か考えがあるのかと思いきや、眉根を寄せながら自分の両手を見ていた。このことはシンにとっても予想外のことであったらしい。

 

『Boost!』

 

 だが、考える時間は側面から聞こえて来る音によって中断しなければならなかった。

 情報が耳から入り、脳に伝わった瞬間、一切の無駄も戸惑いも無く顔を僅かに後ろへ下げた。

 その眼前を通り過ぎていく赤い籠手。その腕が完全に伸び切った所で、シンは右足を軸にして右に半回転。それと同時に左手を突き出す。一誠の腕と交差しながら反撃の掌打を一誠の額に叩き付ける。

 掌打の一撃で仰け反る一誠の頭。シンの左手はそのまま一誠の頭に指を突き立て、渾身の力で締め上げる。

 

「あぐぁ!」

 

 頭蓋骨を押し潰されそうな程の激痛。骨の中にある脳の形すら変えられてしまうかと思える程であった。引き離そうと両腕でシンの腕を掴むが、一体化したのかと錯覚してしまうぐらい微動だにせず、それどころか更なる力で締め上げてくる。

 その体勢でシンはそのまま腕力にものを言わせ、一誠の身体を床に向けて押し倒そうとする。

 無理に力を込めれば首の骨が折れると、激痛の中で冷静に判断した一誠は、敢えて脱力し、シンにされるがまま床に叩き付けられようとするが、直前にありったけの力で床に左腕を叩き付け、可能な限り勢いを殺す。

 後頭部が地面に接した瞬間、衝撃が両眼を突き抜けていく様な感覚を覚えると共に、視界の中に火花の様な点がちりばめられる。

 頭蓋が割れる、砕けるというのを通り越して、自分の身に何が起きているのか、というよりもここは何処なのか、そもそも何をしにきたのかという記憶の混乱が一誠の中で起こっていた。

 意識を断つつもりで地面に叩き付けたシン。受け身で勢いを削がれたが、それでも異常の域に入っている一誠の頑丈さに感心しつつ、今度こそ完全に断とうと拳を握り締める。 

 

 ――カラン。

 

 積み上がった商品の山が崩れ、落ちた缶が音を鳴らして転がる。視界のみを動かすと小猫の上に重なった商品が盛り上がっていくのが見えた。 

 間もなくして小猫が立ち上がると察したシンは、追撃の手を止めるとその場で一誠の頭を掴んだまま地面に円を描く様に引き摺る。

 

「いででででででで!」

 

 摩擦によって一誠の髪が音を立てながら千切れていくが、手を緩めない。

 積まれた商品を突き破って小猫が立ち上がる。そのときを狙い、勢いに乗せたまま一誠の身体を小猫目掛けて投げ放つ。

 状況を確認しようと視線を動かした小猫が見たものは、自分に向かって一直線に飛んできた一誠。その光景に驚き、瞠目する。

 そして、逃げる暇が無いと悟った小猫は、飛んできた一誠をその小柄な体で受け止める。『戦車』の力と頑丈さがあれば苦でも無いことだが、咄嗟のことなので不自然な体勢で受けたせいで完全に受け切ることが出来ず、立ち上がったその場に一誠を抱えた状態で尻餅を突いてしまった。

 二人が重なったこの瞬間、シンは左手に魔力剣を創り出す。二対一という不利な状況、更に時間が経てば一誠の『赤龍帝の籠手』の能力、そこから派生する『赤龍帝からの贈り物』により一層追い込まれることになる。追い込まれる前にどちらか、あるいは両方をリタイヤさせる為に全力の一撃を叩き込もうとする。

 多量の魔力を収束させ、剣の形に押し留めようとしたそのとき――

 

(……)

 

 ――小さな違和感を左腕に覚える。まるで歯車の中に砂利でも挟まったかの様なつっかえる感覚であった。だが、所詮は一粒の砂粒。僅かに力を込めれば容易く砕け、歯車は元の通り動き始める――筈であった。

 シンの左手の中で魔力によって創られた剣がグニャリとその形状を変えた。

 砂一粒の抵抗。しかし、それを退かす為にシンは無意識のうちに必要以上に力を込めてしまっていた。熱波剣は、大雑把な理屈を精緻の操作で可能にするもの。それ故に小さなミスだが、それが一気に連鎖し、一つの大きなミスへと変わる。

 

(急ぎ過ぎたか)

 

 二対一という状況を打破する為に、知らず知らずのうちに急いでいたことを自覚する。その結果が目の前で起こっているこれである。

 魔力剣の歪みが伝播し、剣を中心にしてその周囲もまた歪んで見え始める。その歪みが剣を持つ左手にまで達した時、シンは危険を承知で魔力剣を手放した。

 これにより、辛うじて抑えてあった魔力が完全に解放される。長剣の形が瞬時に螺旋状に捩じれたかと思えば、内包されていた魔力が爆発し、辺りに不規則に暴れ狂う魔力の波を撒き散らす。

 手放し急いで離れたことで何とか爆心地から逃れられることが出来たが、それでも完全に回避することが出来なかった。シンの眼が爆発直後に見たものは、揺らぎ、歪んでいく光景の中に呑まれた自分の左手。その直後に魔力の波に弾かれ、商品棚を何台も巻き込みながら飛ばされていった。

 

(ここまでの大失敗は初めてかもしれないな)

 

 飛ばされて行く中、そんな他人事な感想を抱いていた。

 派手な衝撃と爆発の後に残るのは静寂。音すらも爆発で飛ばされていったかのように錯覚してしまう。

 突然の衝撃から身を守っていた一誠たちが構えを解くと、そこには破壊されて広く見渡すことが出来る食品コーナー。ここまでくると逆に清々しさすら覚える。

 

「ど、どうなってんだ?」

 

 いきなりのことで思考が追い付かない。一誠にはシンが自爆した様にしか見えなかった。

 

「……恐らく私の気の影響です。打ち込んではいませんが、多分私の手を掴んだ時に、微弱ですが気が流れ込んだのかもしれません」

 

 一誠の疑問に小猫が応える。ならば小猫の力で危機を切り抜けたことになるが、小猫の顔色は優れない。その表情には喜びよりも不安の色が強かった。

 

「……こんなことになるなんて」

 

 明らかに小猫は動揺している。小猫にとってこれは予想外の展開であった。本来ならば気を打ち込み内部にダメージを与え意識を奪う程度で納めるつもりだったが、偶然流れ込んだ気が、偶然シンの使う技に影響を与え、至近距離で魔力を暴発させるという結果になってしまった。己の力を忌避していた小猫にとってこの結果は、自分が一番恐れていた展開でもある。

 

「だ、大丈夫だって! まだリタイヤのアナウンスも流れていないし! きっとすぐに姿を見せるって!」

 

 震え出す小猫を慰め出す一誠。敵がまだ生きていることを安心の為の材料にするという何とも矛盾した慰め方であった。

 

『ソーナ・シトリー様の『騎士』一名、リタイヤ』

 

 直後、アナウンスが鳴り響きビクリと体を震わす二人であったが、呼ばれたのが『騎士』であって安堵する。シンは『戦車』の代理で出ているからだ。

 本来なら仲間の善戦を喜ぶべきところだが、素直に喜べずにいた。

 すると一誠が小猫に掛けた慰めを後押しするかの様に商品が潰れていく音が、シンの飛ばされた方向から聞こえてきた。

 

「やっぱり無事……」

 

 安堵の声も、シンの姿を見た時絶句に変わる。

 

「二人揃って何だその顔は?」

 

 平然とした態度のシンであったが、体の至る所に擦り傷、切り傷を負っている。特に左腕は酷く、全身が血で真っ赤に染まっていた。肩から腕にかけて無数の裂傷が刻まれ、大量の流血をしている。手の指は殆どが真面では無い方向に捩じれ折れており、人差し指と中指の間が深く裂け、そこから絶えず血を地面に滴らせていた。

 重傷を負うシンの左腕を見て、小猫は震える声で思わず言ってしまった。

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

 謝罪する小猫にシンは呆れた様に溜息一つ吐くと、破れてボロボロになった袖を引き千切る。破かれた袖の端を唯一まともに動く左親指で掌に押さえ付けて挟む。すると、シンは右手で折れた左手の指を無理矢理元の向きに直し、更に右手でそれを覆って拳の形にすると、挟んでいた袖を巻き始める。

 治療というにはあまりに荒々しい行為。直す度に血が飛び、折れた骨の生々しい音が聞こえて、見ていた一誠や小猫は思わずその痛みを想像し、寒気で鳥肌を立たせる。

 傷を負った者が平然とし、負わせた者が蒼褪めるという真逆の構図であった。

 

「いちいちこれぐらいで謝るな。敵同士だぞ」

 

 シンの突き放しつつも気にするなという態度に、小猫は迷う様な表情となる。それは、これ以上仙術や気を使ってもいいのだろうかという迷いが表に出たものであった。

 すると、シンは無言で左手を動かし、近くにある転倒を免れた商品棚に叩き付けた。商品棚が大きく歪み、商品が飛び出させながら倒れる。

 行動を以て、左腕はまだ使えることを示す。

 

「まだお前の全力を見たつもりは無いぞ、塔城。俺に対していちいち詰まらないことを考えるな。――安心しろ、俺は死なない」

 

 状態を見ればやせ我慢の様に聞こえる。だが、その傷を負った身から発せられる気に、一切の揺らぎも弱々しさも小猫には見えなかった。常に一定の波を保ち続けている。

 血を吸って朱色になる巻いた袖。そこから滴る血。命そのものが流れ出ているというのに、シンの生命に陰りが見えない。

 小猫は戦う前に全力で戦うと誓った。それにより、小猫は初めて自分の本来の力で他者を傷付けた。こんな状況でなければ、もう一度この力を放棄していたかもしれない。しかし、シンはそれを赦すどころか、もっと見せろと言ってくる。

 小猫は震えそうになる体を必死で抑えようとする。シンが体を張っているのに、それに応えなければ本当に失望させてしまう。頑張らねば、頑張らねばと思うも、それが呪縛の様に小猫の心を縛りつけていく。

 

「……わ、私は……!」

 

 そのとき、側に立つ一誠が小猫の肩に手を置いた。

 

「そんなに自分を追い詰めなくてもいいよ」

 

 不安そうな眼差しで見上げてくる小猫に、一誠はそれを吹き飛ばす様な笑みを見せる。

 

「言っただろ? 小猫ちゃんが暴走しそうになったら俺が止めるって。それに間薙の奴はそう簡単に死なないって。だから俺や間薙を信じて、このまま全力で行くんだ、小猫ちゃん」

 

 この瞬間こそ、小猫が踏み止まる時であった。逃げず、恐れず、泣かず、嘆かず、己の力を信じ、相手の力を信じ、真に自分の力を我が物としなければならない。

 

「でもって、力を克服して、将来的に猫又や猫魈の力を乗り越えていけばいい」

「……乗り越えて……乗り越えたら私は何になるんでしょう?」

「え? それは……」

 

 考える一誠の足元に何かが当たる。視線を下げると、そこにはヒーローの写真がプリントされた子供向けソーセージの箱。そのヒーローに一誠は見覚えがあった。敵キャラの女幹部が子供向けとは思えないやたら扇情的なコスチュームを着ていたので。

 

(たしか名前はヘル――)

 

 その時、閃光の様にある名をひらめく。

 

「そう、小猫ちゃんは猫又や猫魈を乗り越え、いつかヘルキャットになるんだ」

「……ヘルキャット?」

「冥界猫と書いてヘルキャットと読む! そう! これだ!」

 

 一誠なりに考え、小猫に目標を与える。小猫は最初目を瞬かせていたが、やがてクスクスと小さく笑う。

 

「……ヘルキャットですか。ならイッセー先輩は何になるんですか?」

「小猫ちゃんがヘルキャットなら俺は……そうだな……ヘルドラゴン、いやもっとカッコよく邪悪な赤龍帝(ダークネス・ウエルシュ・ドラゴン)にでもなろうかな? ふふふふふ」

「……センスないな、お前」

「うるさい!」

 

 一誠のネーミングセンスを評価するシンに一誠は噛み付く様に吼える。

 

「話は十分だな。それで? 来るのか? 来ないのか?」

 

 手に袖を巻き終え、拳の形を固定すると、シンはそう問い掛ける。

 小猫は構えることで応じ、一誠もまた神器を構えた。

 闘志を戻した小猫の姿にシンは、一瞬表情を緩めるもすぐに元の無表情に戻す。そして、大きく息を吸い込み始めた。

 シンの胸部が膨れ上がるのを見て、二人は氷の息を吐くのかと警戒し、小猫が前に出る。仙術を使えば冷気を無効化出来るという考えからであった。

 息を吸い込むのを止めるのを見て、来るかと神経を尖らせる二人。

 いざ溜めた力を解放しようとした直前、屋内に響き渡るある声を耳にし、シンの動きが止まった。

 隙だらけな行動であったが、一誠も小猫もまたその声に反応し、動揺を現すかの様に周囲を見渡し始める。

 ただの声ならばここまで動揺しない。ならばこの声はそれほどまでにおかしなものであるのか。

 デパート内を揺さぶるこの声。否、咆哮は――

 

 

 ◇

 

 

 木場は一人、立体駐車場を目指して走っていた。本当ならばゼノヴィアと一緒に目指す筈であったが、彼女は現在別のルートから立体駐車場に向かっている。

 何故別ルートを行くことになったのか、それは道中でゼノヴィアが不審な人影を発見したからであった。

 木場はその人影を見ていないが、ゼノヴィアが見たというならばそれを無視することは出来ない。もしかしたらソーナ側の眷属が隠れていて、後々挟み撃ちにされる可能性も捨てきれない。

 木場は少し考えた後、リアスに連絡。起こったことを手短に話し、指示されたルートとゼノヴィアが人影を見た道を経由して立体駐車場に向かうルートと二手に分かれることを提案する。

 通信機の向こうのリアスはその提案を聞かされ暫し黙っていた。戦力を分散させるのはリスクがある。しかし、不審なものを発見したにもかかわらずそれを放っておくことにもリスクがあった。

 リアスは考えた末に木場の案を採用する。ただし、敵と接触したら直ちに連絡を取る様にと念を押す。

 そして、二人は分かれそれぞれ別ルートから目的の場所を目指すこととなった。

 やがて木場は目的の立体駐車場前に着く。慎重に中を確認し、駐車してある車に身を隠しながら先へと進んで行く。

 神経をこれでもかと尖らせ、自分は物音一つ立てず、逆に小さな音には即座に反応しながら徐々に二階の駐車場内を進んで行く。

 ゼノヴィアと分かれて数分程経過するが、未だにゼノヴィアからの連絡は無いし、後から追い付いてくる気配も無い。

 もしかしたら先に一階の方に向かっているのではないかと思いつつ、特に敵と接触することなく二階立体駐車場を踏破した。

 そのまま、車用通路を下り、一階の立体駐車場へと下りる。

 ここでもまた周囲を警戒しつつ先へ進もうかとしたとき、木場はすぐさま車の陰に身を隠した。

 立体駐車場のど真ん中に陣取る様にして立つ二人の人物。『女王』の真羅椿姫と『騎士』の巡巴柄である。椿姫は長刀を、巡は日本刀で武装していた。

 

「やっぱり読まれていたか」

 

 二人の様子を観察しながら、独りごちる。事前に二人の情報を見ている為、勝てない相手では無いと思っているが、それ相応の苦戦を強いられると木場は予想する。

 二対二ならば確実性が増すが、未だにゼノヴィアの姿は見えない。内心、二手に分かれたことを失策だったと思い始めるが、今は後悔するよりも先にあの二人をどう倒すかに思考を傾けることを優先する。

 幸い二人は木場の存在には気付いておらず、無防備な背を木場に向けている――

 

「隠れていないで出てきたらどうですか? 木場祐斗君」

 

 ――かと思いきや椿姫は木場に背を向けたまま、木場に声を掛けた。

 鼓動が早まる。ブラフではなく明らかに確信を持っている。声の響きにそれが感じ取れた。

 このまま隠れていても仕方が無いと思い、木場は車の陰から姿を現す。それに合わせて椿姫たちもゆっくりと振り返った。

 

「ごきげんよう、木場君」

「こんにちは。真羅先輩――いつから気付いていました?」

「貴方がここに来る前から知っていました。ゼノヴィアさんと二手に分かれたときから」

 

 どうやら椿姫たちは、何らかの方法を使って木場たちの動きを監視しているらしい。出来ればもっと情報を知りたい所だが、相手が馬鹿正直にそれを話すとは思えない。

 相手を警戒しつつ事前に話し合っていた通り、通信機でゼノヴィアに呼び掛ける。しかし、返ってきたのは耳障りな雑音だけであった。その音に僅かだが木場は顔を顰めてしまう。

 

「ゼノヴィアさんを呼ぼうとしたのなら無駄ですよ。ここでは外との通信は断たせてもらっています」

 

 木場の表情の微妙な変化から正確に行動を読み取る椿姫。この辺一帯、立体駐車場には通信妨害用の結界が張られている様子であった。ゼノヴィアからの通信が来ないのではない。通信が出来ないのが正しかったらしい。

 こちらの行動を一歩先に潰してくる椿姫たち。それに指示を出しているだろうソーナに苦々しさと敬意を半々に覚える。

 木場は手元に聖魔剣を創造し、構える。椿姫もまたそれに応じて自らの得物を構えた。一方巡は日本刀の刀身に指を滑らした後に構えた。巡は悪霊退治を生業としている一族の出なのでなんらかの儀式ではないかと木場は推測する。

 

『リアス・グレモリー様の『僧侶』一名、リタイヤ』

 

 アナウンスが響き、仲間の脱落を報せる。

 ゲームが開始してからまだそんなに時間は経っていないことや、アーシアの居る場所を考えても脱落したのはギャスパーであるのが濃厚であった。

 

「どうやら私たちが一歩リードしたみたいですね」

「のようですね。でも、それもすぐに追いつきます」

「冷静ですね」

「戦いはまだ始まったばかりです。こういうのを聞かされる度に怒っていたら身が持ちません」

 

 苦笑してみせる木場。表面上冷静に、しかし、その内心では言葉とは裏腹に臓腑が煮え滾る様な悔しさが湧き上がってくる。

 

「……きっと落とされた『僧侶』はギャスパー君でしょうね」

 

 木場と同じ答えを椿姫も出す。

 

「倒したのは十中八九間薙君ですね」

 

 続けて出された言葉に、木場の目が見開かれる。

 

「……彼はこの先に居るのかい?」

「さあ? どうでしょうね」

 

 答えをはぐらかされたが、椿姫の態度からしてシンが一階の何処かにいるらしい。それを知った瞬間、先程とは違う熱が木場の中に生まれる。

 闘志という熱が。

 戦いたい。それも全身全霊を込めて。親友であり共に死線を潜り抜けた戦友であり、尊敬すべき好敵手として。

 目の色が変わった木場に椿姫と巡の警戒心は強まる。普段はクールな木場が、熱すら感じさせる程の戦意を見せていることに軽く驚く。

 互いに得物の切っ先を向けたまま静かに間合いを詰めていく。

 最初に仕掛けたのは長さのある長刀を持つ椿姫であった。床の上を滑らす様に一歩踏み込むと、木場の胸部目掛け刀身を突き出す。

 木場はそれを聖魔剣で斬り落とそうと横薙ぎに振るが、聖魔剣の剣身と長刀の刀身が触れ合った瞬間、火花の様に魔力が散る。

 対聖魔剣用に魔力による加工を施されているらしく、長刀は聖魔剣の斬撃に耐える。

 ならばと聖魔剣を長刀の刀身に押し当てたまま椿姫との間合いを詰めようとする木場であったが、椿姫を守る為に前に出た巡の日本刀による振り下ろしがそれを阻む。

 もう片方の手に聖魔剣を創造し、これを防ぐ木場。巡の日本刀もまた椿姫の長刀と同じく、魔力の保護によって聖魔剣に耐えられる様になっていた。

 女性とはいえ悪魔と化している二人の斬撃を腕一本ずつで抑える木場。再び距離を取ろうと足に力を入れようとしたとき――視線の端に人影を捉える。

 

(伏兵っ!)

 

 木場の視線が人影の方に向けられる。しかし、そこにあるのは黒塗りの自動車だけ。人の姿は無かった。

 意識を無理矢理逸らされてしまった木場。その隙を狙い、巡は木場に袈裟切りを振るう。

 それにすぐさま反応し、聖魔剣で防ごうとするが僅かに遅れ、刃が木場の肩を浅く斬った。

 制服に血が滲む。だが、この程度ならば戦いに支障をきたすことはない。

 椿姫の長刀が今度は振り下ろされ、それを受け止めると横薙ぎ、回避すれば突きが繰り出され、巡の日本刀もまた上段斬り、下段斬りと隙を突くように振るわれる。

 しかし、二人の猛攻は木場の二本の聖魔剣によって悉く防がれる。

 突き出される長刀。その刀身に左の聖魔剣の刃を押し当てて逸らすが、この際に巡に対して背を向ける格好となる。当然の如くその無防備な背に刃を振り下ろされる。木場はそれを背に回した右の聖魔剣で受け止める。剣舞やアクション映画でしか見たことが無い曲芸染みた技を実戦で難なくやってみせる。

 これだけでなく、右と左が独立して動いているのではないかと思う程左右の刃を自在に操り、時には受け止め、時には流し、時には斬り落とす。二対一という不利な状況でも互角に戦っていた。木場自身の高い技量が見て取れる。

 

(攻めに転じられない!)

 

 状況を見れば互角ではなるが、木場は内心で焦っていた。椿姫と巡との剣戟だけではなく、時折視界の端に映る人影のことが気になる。逃げに徹しているのか一向に攻めては来ず、ただ姿を見せては消えていく。攻めようとする絶妙なタイミングで現れるせいで意識を取られ、その度に攻める機会を潰されていた。

 聖魔剣という剣の特性上、一太刀でも浴びせればそれだけで回復手段が限られている彼女たちはリタイヤしなければならない傷を受けることになる。だが、守り一辺倒ではそれも出来ない。

 また、何処かに隠れているのか分からない見えざる敵の重圧も、木場の精神に圧し掛かってくる。

 そこでふと思い出す。ゼノヴィアもまた謎の人影を見たことを。仮にこの人影が同一のものだとしたら。

 

(……正体を突き止めないといけないかもしれない)

 

 そろそろ謎の人影に振り回されることに嫌気が差してきた木場は決断する。

 二人の斬撃を捌く中、再び視界の端に人影を捉えた。その瞬間、木場は手に持っていた聖魔剣を影目掛けて投擲する。

 何に突き刺さったか木場の目に映らなかったが、金属音だけが木場の耳に届いた。

 戦いの中で得物を手放した木場に椿姫が長刀を振るう。これはもう一本の聖魔剣に防がれたが、がら空きになった胴体に巡の刺突が放たれる。

 その直後に響く肉を貫く音――ではなく、つんざく様な金属音。

 

「嘘っ!」

 

 驚く巡。そして片足を上げた木場。曲げられた膝裏には聖魔剣が挟まれており、聖魔剣の腹で巡の突きを受け止めていた。

 まさか脚で剣を創造するとは思っていなかったのか、椿姫もまた木場の器用さに驚き、意識がそちらに向いてしまう。

 その隙に木場は地に付いている足で力の限り後方へ宙返りをし、二人との距離を取った。その時に膝裏に挟んでいた聖魔剣を手に持ち替える。そして、先程投擲した聖魔剣の側に降り立つ。

 

 

(成程……)

 

 聖魔剣が突き刺さっていたのは車の車体であった。よく磨かれていたボディは現在凹んでおり、そこには歪んだ木場の姿が映り込んでいる。注目すべきは聖魔剣が刺さった部分。その中心には、真っ二つに割れた小さな文字が書かれていた。

 魔術などで用いられるものではない。だが、朧気だが木場にはこの文字に見覚えがあった。東洋の、それも日本で主に術などを施す際に使われる文字である。

 これらの情報。そして、事前に頭に入れてあるシトリー眷属の情報を合わせると、一つの仮説が浮かび上がる。

 相対する真羅椿姫。彼女はこの日本で最大規模の異能集団『五大宗家』に名を連ねている『真羅』の出である。椿姫は神器だけでなく鏡に関する能力を持つという情報があるが、もしも、その能力は鏡だけでなく、鏡面など姿が映し出されるものも範囲に入っているのだとすれば。

 事前にこちらの姿を把握していたこと。そして、人影の正体も分かった気がした。

 結論を出すにはまだ早いかもしれないが、木場は自らの考えを行動で証明することにした。

 木場は双剣を構え、姿勢を低くすると十数メートルの距離を『騎士』の速さによって一足で詰める。

 今までの中でも最速の動きに椿姫はワンテンポ遅れ、巡は更にワンテンポ遅れて反応する。

 急いで長刀を振るうが、既に間合いの奥に入っている木場には刀身ではなく柄の部分が当たってしまう。

 狙いが巡だと判断した椿姫は、瞬時に術を発動させる。この辺りにある反射物全てに椿姫の術が施されており、その内のどれかでも視界の中に映れば、反射物から幻影を生み出し、相手を攪乱させる。

 木場の動きについていけていない巡を少しでも間に合わせる為に木場の意識を逸らそうとする。

 椿姫の思惑通りに木場は視界の端に幻影を捉えたのか、視線を幻影の方に向けてしまう。

 その隙に巡が斬りかかろうとした。

 事は椿姫の望み通りに進んでいる。しかし、木場が幻影に意識を取られた瞬間、強烈な違和感を椿姫は覚えた。

 木場の視線。その先にある筈の幻影。そこで気付く。木場の目線が幻影に向けられていないことに。

 

「巴柄っ!」

 

 椿姫は反射的に叫んでいた。

 横から入り込んできた椿姫の声に巡の動きが急停止する。

 木場は振り向かないまま巡に向けて腕をしならせ、その速度が最高点に達すると同時に今度は手首をしならせた。腕の速度を乗せた高速の手首の返しから繰り出される斬撃。巡の目には胸元に光が通り抜けた様にしか見えなかった。

 何が起こったのか考える前に椿姫に腕を掴まれ、木場の間合いから離される。

 巡を守る様に前に立つ椿姫。その背中を少しの間呆然と見ていたが、やがて先程走った光を確かめる様に胸元に触れる。

 指先で感じ取る違和感。制服に段差があった。目線を落とせば、光が通過した胸元に一筋の切れ目が出来ている。

 これが何を意味するか、頭に伝わったとき巡は全身から汗が噴き出てきたのが分かった。もし、あの時椿姫の声で動きを止めなかったら、今頃どうなっていたのか。あまりに容易く想像が出来てしまい、今度は呼吸が乱れる。

 

「落ち着きなさい」

 

 背中越しに巡の荒い呼吸を聞いて、椿姫が安心させる様に声を掛ける。

 

「どうやら私の仕込みの方もばれてしまったみたいですね。それどころか逆に利用してくるとは、その冷静さ、流石ですね」

「ありがとうございます」

 

 椿姫の称賛を素直に受け取る。

 傍から見れば巡への追撃の機会なのに何を呑気に会話しているのか、と思われるかもしれない。それには理由があった。椿姫が巡を守っていることである。

 椿姫の神器の能力を木場は知っている。実際に自分の目で能力を使っている場面を見たことがあるからだ。神器名『追憶の鏡』。その名の通り、巨大な鏡であり、鏡が受けた攻撃を倍にして返すというカウンター能力を持つ。同士討ちの危険性がある近接戦闘とは違い、守りの体勢の今ならばその神器を使用してくる可能性がある為、下手に手を出せない。

 

「やはり手強いですね、木場君は。……ですが、それでもこちらが一歩リードしている事実は消えませんが」

 

 術を見破られたというのに椿姫に焦りはない。逆に余裕すら感じさせる。今の言葉も油断させる為のブラフではなく確信して言っている気がした。

 

(まだ何か隠している策があるのか?)

 

 木場は椿姫たちだけでなく周囲の警戒も強める。

 

「ふぅぅぅはぁぁぁ……」

 

 椿姫の背後で巡が乱れていた呼吸を整える。深く吸い、長く吐くことで、早まり痛いほど聞こえていた鼓動を強引に正す。

 短時間で状況を立て直し、再び構える巡。

 

「行けますか?」

「はい!」

 

 返事一つすると、先程の動揺が嘘の様な勢いで木場に向かって走り出した。

 踏み込み一つで最高速に達し、三歩目で木場の前に現れ、そのまま刀を振るう。

 その動きを目で追っていた木場は、初撃を頭を下げて回避。勢いで木場の後ろに駐車されていた車の天井が斬り飛ばされる。

 刀を掻い潜り、巡の胴体に横薙ぎの一閃を放つ木場。それは下に向けて突き出された刀が受け止める。続け様に二本目の聖魔剣を振るおうとするが、巡は聖魔剣の柄ごと木場の手を掴んで振るうのを妨害する。

 

「うくっ!」

 

 聖魔剣の柄に触れた巡の手から白煙が上がる。聖の属性が巡を浄化しているのだ。彼女は今、手の中に溶鉄を流し込まれた様な熱さと痛みに襲われている。だが、それでもこの手を離す訳にはいかない。

 自分の手を犠牲に、木場の腕を今から奪う。

 

反転(リバース)!」

 

 その瞬間、木場が肩に負っている傷口が白色に輝く。

 

「あぐあっ!」

 

 生きたまま焼かれた様な痛み。同時に四肢から力が抜けていく脱力感。そのせいで手から滑る様に聖魔剣が落ちる。

 

(まさか、これは!)

 

 自分を苦しめる正体に気付くと同時に、巡の蹴りが木場の腹部に捻じ込まれる。

 数十メートルの距離をほぼ一直線に蹴り飛ばされた挙句、停めてあった車のフロントガラスを完全に砕き、前半分を半壊させたことでようやく止まる。

 内臓がかき混ぜられた痛みも中々のものだが、それでも肩の傷の痛みに比べれば針と掘削機程の差がある。

 剣士としての性か、この様なことが起きてもまだ握り続けていた聖魔剣を杖の様にして突き立て、歯を食い縛りながら体を起こす。

 体の隅々まで行き渡る灼熱感、全身を駆け巡る痛みに神経を嬲られながら、木場の思考は何が起こったのかを冷静に分析しようとしていた。

 

(この肩の傷から感じられるのは、間違いなく聖の気だ……いつ付けられた? 巡さんは直前に何を言っていた? ――『反転』、反転だ。文字通り反転させて聖の気を生み出したのか?)

 

 最新の資料には載っていなかった情報である。最近収得した巡の神器なのかもしれないと推測する。

 

(ということは……)

 

 木場は戦う前に、巡が日本刀に指を這わせていたことを思い出す。聖と反転させたのならば対となるのは魔力である。対聖魔剣用に強化を施していたのかと思っていたが、最初から傷口に魔力を付着させ、それを反転させることで戦闘を困難にさせる程のダメージを与えることが目的だったのだ。

 傷一つ付ければ勝ち。そう考えていた自分だが、傷一つ負わされて追い詰められているこの状況が皮肉に思える。

 

「あまり動くことはお勧めしません。このままおとなしくリタイヤする方が貴方の為だと思いますが?」

 

 冷徹な言葉で優しい提案をしてくる椿姫。彼女の言う通り大人しくリタイヤを受け入れれば楽であろう。

 しかし――

 

『ソーナ・シトリー様の『兵士』一名、リタイヤ』

 

 ――ここで屈したら今もなお戦っている皆に申し訳が立たない。

 椿姫の提案に応える代わりにコンクリートの地面に聖魔剣を突き立て、手を空ける。

 その行動に椿姫たちは抗おうとする意思を感じ取った。

 

「……もう一度言います。これ以上の抵抗はしないで下さい。命に関わりますよ?」

「真羅先輩。貴女が同じ立場だとしたら簡単に諦めますか?」

 

 その言葉に椿姫は後の言葉を詰まらせる。蒼褪めた表情で木場は微笑を見せると、その手に光が灯り、形を変えていく。

 光が消えると木場の手の中には一本の短剣が握られていた。

 椿姫たちは訝しむ。神器を使用した筈なのに、その短剣からは力が感じ取れないのだ。

 

「その短剣でどうするつもりですか?」

「こうするのさ」

 

 木場はおもむろに短剣を振り上げて、一回だけ深呼吸をした後腕の傷口にその短剣を突き刺した。

 

『なっ!』

 

 突然の自傷行動に二人揃って目を剥き驚く。

 端正な顔を苦痛に歪めているものの木場は歯を食い縛り、声を上げることは無かった。

 刺し口からは血が垂れ、制服の片袖を赤く染め上げていく。だが、不思議なことに流れる血に反して木場の顔色には赤みが戻り、生気を取り戻し始めていた。

 刺して逆に回復するという矛盾した現象。これを見た椿姫の頭に一つの説が思い浮かぶ。

 

「……まさか、その短剣は聖剣?」

「正解です」

 

 椿姫の出した答えをあっさりと認める。

 もう一つの神器『聖剣創造』によって生み出した聖の気を吸い取る聖剣。既に体内に入ってしまった聖の気を今の様に直接体に突き刺して吸収させたのだ。

 それなりの代償を払ったが、辛うじてリタイヤすることは免れた。

 

「何て無茶を……」

「ハハハハハ。無茶ですか。でも、僕の尊敬する人たちはもっと無茶をしますよ?」

 

 聖剣を突き刺した腕をダラリと垂れ下げたまま、聖魔剣を引き抜く。

 何故だろうか。さっきよりも深手を負っている筈なのに、椿姫たちは木場から威圧感が増したと感じていた。

 

「不屈と根性。彼らの持つそれを、僕も手に入れたいんです」

 

 如何なる困難であろうと屈しない力。途方も無い茨の道だろうと一歩一歩進む力。壁を前にしても己を貫く力。自分に足りないと思っている、その精神が欲しい。

 

「貴方からそんな言葉が出るとは思いませんでした」

「アハハハ、似合わないですよね?」

「おっしゃる通り似合いませんが……私は素敵だと思います」

「はい?」

 

 最後の辺りが小声だったせいで思わず聞き返してしまうが、椿姫は何も答えずそのまま黙ってしまった。

 

「はいはい。お喋りはそこで終わり。私たちもそうだけど木場君もあまり時間をかけていられないでしょ?」

 

 椿姫に変わって巡が話す。彼女の言う通り、いくら聖剣で聖の気を吸った所で完全に除去される訳では無い。聖の気の影響は体に残っている。

 

「――そうですね」

 

 戦いは始まったばかりであり、戦うべき相手はまだいるのだ。

 木場が構えるのと椿姫たちが臨戦態勢をとったのはほぼ同時であった。

 両者の距離は十数メートル。だが、『騎士』の足ならば短い距離である。

 巡の身体が僅かに沈むのが分かった。踏み込んでくる。そう判断すると同時に木場は地面を蹴った。

 巡は木場が一歩踏み出したことで、想像以上に聖の気の影響が体に出ていることが分かった。

 あの目にも止まらない速度が、巡の目で追えるほどまでに低下している。

 巡もまた木場から僅かに遅れて駆け出すが、先に距離を詰めたのは巡の方であった。

 間合いに入ると共に上段から日本刀を振り下ろす。木場も片手の聖魔剣でそれを受け止めようとするが、受け切れずに一歩後退。続けて右から左に一直線の横薙ぎの斬撃を放つ。これに合わせて聖魔剣が振るわれる。刃と刃が嚙み合い、火花が散る。力負けしたのは木場の方であり、日本刀の勢いに押されて体が傾く。

 片手持ちと両手持ち。どちらがより力が加わるかなど答えるまでも無い。ましてや木場の身体能力は衰えている。

 巡は手首を返し、下から上に向けて斬り上げた。すぐに態勢を立て直した木場が聖魔剣で防御しようとする。

 甲高い音の後に空を裂く音。木場の手から聖魔剣が離れ、宙で舞っていた。

 丸腰になってしまった木場に止めの一撃として、斬り上げた日本刀をそのまま振り下ろす。

 手応えあり――かと先走る思考を冷やすかの様な空を斬る感触。

 居るべき筈の場所に木場の姿が無い。何処に、と視線を動かそうとしたとき、軽い衝撃が脇腹に走る。

 

「え?」

 

 視線を横に動かせば、消えた木場の姿。そのまま落とせば脇腹に突き刺さる短剣。

 その短剣は木場が聖の気を吸い取る為に自らに突き刺した物。吸い取ることが出来るなら逆に――

 そこから先を考える前に巡の全身に貫く様な衝撃が駆け抜け、その意識を断つ。

 

『ソーナ・シトリー様の『騎士』一名、リタイヤ』

 

 巡が光を放つと立体駐車場から姿を消す。戦闘継続不可能と判断され、転送されたのを見送ると同時に、木場の顔から汗が幾筋流れ落ちる。

 巡が一瞬見失う程の急加速からの神速の一撃。通常時でも疲れを覚えるであろうそれを絶不調の状態で繰り出せば、当然凄まじい反動となって返ってくる。

 四肢の筋肉が熱と痛みを発し、不快感を伴う汗が体を濡らす。喉の奥は渇き、呼吸をする度に鈍い痛みを感じた。

 自然と垂れてしまう視線。映るのは冷たいコンクリート。その温度を感じさせない無機質さに今すぐにでも横たわり、全身でその冷たさを感じ取りたくなる衝動に駆られる。

 だが、それは許されない。今のは長くも短い戦いのたった一戦が終わった程度のこと。次なる戦いは更なる苛烈さを伴うのは容易に想像出来る。

 下げた視線を上げれば、目に映るのは険しい表情をする椿姫。ソーナと同じく常に冷静であまり表情を変えない彼女が、ここまで露骨に感情を見せている。仲間をリタイヤさせられたことへの悲憤が彼女の中に渦巻いていることが一目で分かった。木場もまた、同じ感情を以て戦っているからだ。

 

「どうやら私は、貴方の実力を把握していたつもりになっていたのかもしれません」

 

 表情から険しさが消えるが、その双眸は未だに感情の炎が燃え盛っている。

 

「その結果、仲間が一人討たれてしまった。ここから先は、もう二度と見誤りません。私の全身全霊を以て貴方をここで倒します!」

 

 宣言した椿姫の隣に大きな鏡が現れる。彼女の神器『追憶の鏡』である。

 木場はその行動に疑問を抱く。相手の攻撃を倍にして返すカウンター系の神器であるそれを、戦いの最中に出すのではなく今出したことが不自然に思えた。

 その不自然さに警戒を強める木場の前で椿姫は長刀を振り上げ――『追憶の鏡』に叩き付けた。

 

「なっ!」

 

 意図が分からない椿姫の行動に驚く木場。

 長刀を叩き付けられた『追憶の鏡』の鏡面に罅が生じ、その割れ目が鏡面全体に行き渡ったとき、鏡面が割れ、鏡の破片が木場に向けて一斉に飛んで来る。

 すぐさま聖魔剣を創造する。無数の鏡の破片を片手で全て打ち落とすことは出来ないと判断した木場は、聖魔剣を顔の前に翳す構えを取って、最低限の部位だけは守ろうとした。

 だが、とっくに直撃していてもおかしくない時間は過ぎているのに、衝撃も痛みも来ない。

 構えを解いた木場が見たものは、辺り一面に浮かび上がる中小大きさの不揃いの無数の鏡の破片。

 その全てに椿姫の姿が映り込んでいる。

 

『貴方は』

 

 姿が。

 

『神器の結界に囚われました』

 

 声が。

 

『この合わせ鏡の中で散って貰います』

 

 気配が全て反射する。

 閉ざされた鏡の結界の中で木場は更なる苦戦を予感した。

 

 

 ◇

 

 

 ゼノヴィアは、木場と分かれて謎の人影を追うこととなったが、どういう訳か探しても探しても見つからない。それどころか逃げた痕跡すら見つからない。

 気付けば一階まで来てしまっていた。

 ここで流石に誘われたのでは、という疑問を抱き始めたゼノヴィアは仕方なく立体駐車場に向かおうとする。が、ここで更なることに気付く。自分の現在場所が分からないことに。

 一応は戦闘前にこのデパートの地図に目を通していたが、細かい所までは覚えていなかったせいで完全に迷ってしまった。

 どうしたものかと頭を悩ませるゼノヴィア。やみくもに歩けば敵に見つかる可能性や罠に掛かる可能性も考えられる。すると視界の端にあるものを捉えた。デパート内部が詳細に書かれた案内板である。

 すぐにこれを見て地図を頭に叩き込むと、木場と合流しようと立体駐車場へ向かう――かと思いきやその場で急停止した。

 案内板の挟むようにして並ぶ二つの扉。扉の横には上向きの矢印が描かれたボタンが付いている。よくあるエレベーターの扉であった。

 

(そういえば……)

 

 ゼノヴィアはゲーム開始前にリアスが言っていたことを思い出す。

 

『エレベーターがもし機能していてもなるべく使わないこと。乗っている最中に襲撃されたら逃げ場所が無いから』

 

 そんな注意を受けていた。

 

(使わないなら、いっそのこと停めておいた方がいいかもしれないな)

 

 階層の移動手段が限られている方が戦い易いと判断したゼノヴィアは、エレベーターのボタンを押し、扉を開ける。

 そして中に入り、そこで首を傾げる。

 

(……どうやったら停められるんだ?)

 

 行動したのはいいが、手段が全く分からないゼノヴィア。とりあえず階数が描かれたボタンを全て押してみる。特に変化は無し。

 次に二つの三角の底辺が向かい合っているボタンを押してみるが、やはり変化は無かった。

 今度は三角の頂点が向き合っているボタンを押してみる。すると開いていた扉がしまってしまう。

 

「しまった……」

 

 二つの意味を込めた言葉を洩らしてしまうゼノヴィア。使うなと言われて乗ってしまった事態をどうするべきか考える。

 しかし、そんなゼノヴィアを焦らさせる様にエレベーターが上に向かって動き始めた。

 

「――よし。壊そう」

 

 一秒の思考の末エレベーターを壊して停めることにするとデュランダルを出現させる。

 デュランダルをいざ振り上げようとしたとき、ティーンという音の後に扉が開いた。

 開いた扉の向こうでは匙と仁村がこちらを見ており、最初は目を瞬かせていたが、少し時間が経つと何が起こったのか分からないという困惑した表情へと変わる。

 

「……何でエレベーターから出てくるんだ? ゼノヴィアさん」

「ああ――迷ったからだ」

 

 包み隠さず本当のことを言うと、二人揃って今度は唖然とした表情となった。

 

「――だが、ある意味で正解だったらしい」

 

 追う人影は見つからなかったが、代わりにシトリー眷属の『兵士』を二人も見つけることが出来た。匙の方に至っては、シトリー眷属でも二名しかいない神器所有者である。ここで倒しておくべき必要がある。

 

「……ああ、チクショウ。予定外だ予定外。聖剣使いと戦うなんて……でもな、それを超えなきゃ彼奴と戦えないってんなら戦って勝つだけだ!」

 

 事故の様な不幸に嘆きながらも『黒い龍脈』を現し、戦闘体勢へと移る。隣に並ぶ仁村もまた構えた。仁村は徒手空拳が戦闘のスタイルの様である。

 デュランダルの剣先を匙たちに向けたまま、ゼノヴィアはエレベーターから出る。

 その一挙手一投足に敏感に反応し、エレベーターから二、三歩前に進んだだけで、匙たちはその倍間合いを広げた。臆病ともとれるかもしれないが、聖剣を一太刀受けただけでもこのゲームに於いて致命傷となることを考えれば、当然の反応と言えた。

 強く警戒している状況は、ゼノヴィアにとっても都合が良いもので、この隙に通信機で木場と連絡を取ろうとする。

 

「聞こえるか?」

 

 悟られない様小声で呼び掛ける。しかし、通信機からは雑音しか聞こえず返信が無い。

 

(妨害でもされているのか?)

 

 そう判断し、ひとまず木場への連絡は後回しにする。

 一方で匙と仁村も、ここから先どうするかゼノヴィアから視線を外さないまま、小声で相談していた。

 

「まさか、こんな展開になるとは……」

「奇襲かけるつもりが、こっちが奇襲されましたね。――迷子とか言っていましたけど、実は嘘で狙ってやったという可能性は?」

「無い無い。絶対無い」

 

 即答で否定する。ゼノヴィアの残念な部分を知っている匙からすれば、馬鹿にしている訳ではないが、そんな賢い真似をするなど万が一も無いと言い切れた。

 

「兎に角俺が最初に仕掛ける。何とか神器で動きを封じる」

 

 ラインの射程と聖剣の間合いを考えれば、匙の方に分がある。なるべく距離をとりつつ上手くラインを繋いで力を吸い取り、ゼノヴィアを弱らせた後に仁村で攻めるというのが咄嗟に考えた匙の案であった。

 特に反対も無いだろうと思っていた匙であったが、仁村は匙の考えていたものとは違っていた。

 

「――匙先輩、すみません。私が先に攻めてもいいですか?」

 

 匙の案とは逆の案を出す仁村に、匙は思わず横目で仁村の顔を見てしまう。

 

「どうしてだよ?」

「上手く言えませんが――ここは私が最初にゼノヴィアさんの出方を見た方が良い気がするんです。……勘ですけど」

 

 最後に付け加えた言葉に匙は顔を顰める。勘という曖昧な根拠で自分の案を否定されたことに不快感を示している訳では無い。仁村は生徒会メンバーの中でもかなり勘が鋭いのである。相手の雰囲気、僅かな表情の変化、放っている気配から相手の内心を見抜くことが多々あった。

 それを知っているからこそ仁村は今のゼノヴィアから何かを感じ取り、匙の案では駄目だと判断したのであろう。しかし、分かってはいるが先輩という立場だからこそ後輩が危険を買って出ることに躊躇ってしまう。

 だが、仁村は匙の答えを聞くよりも先に匙の前へと出てしまった。声を掛けて戻そうとするが、仁村が動いたことに反応し、ゼノヴィアも動き始めてしまう。

 右足を引き、体を斜めに構えながらデュランダルの切っ先を後方に向け、逆に柄を相手に向ける。その剣身を体で隠す構えは脇構えに近い体勢であった。

 相手が戦う構えをとってしまったことで匙は仁村に何も言えなくなってしまう。下手に声を掛ければ、ゼノヴィアに隙を見せることになる。

 こうなってしまっては仁村の言った通り、仁村が攻め、匙がそれをサポートする戦法を取らざるを得なかった。

 

「気を付けろよ」

 

 出来ることがあるとすれば、後輩の背に向けて言葉を掛けるぐらいしかない。

 

『リアス・グレモリー様の『僧侶』一名、リタイヤ』

 

 そのときアナウンスがリアス陣営の脱落を告げる。

 『僧侶』がリタイヤした、即ちギャスパーが落とされたことを察した匙たちは、ソーナの作戦が上手くいったことに内心喜ぶ。

 しかし、その喜びも次の瞬間には吹き飛んでいた。

 

「まったく、彼奴は体の鍛えが足りないな」

 

 嘆息するゼノヴィア。彼女もまた落とされたのがギャスパーだと察している様子であった。表面上は後輩の不甲斐無さに呆れている。だが、言葉と態度に反し、その身からは匙たちも身震いしそうになる程の重圧が放っていた。

 

「たが、可愛い後輩をやられて黙っている訳にもいかないな。八つ当たりの様に思われるかもしれないが仇はとらせてもらうよ」

 

 ゼノヴィアの全身に力が込められていくのが分かる。両者の距離は十メートル程。デュランダルの間合いを考えれば、それ未満となる。

 速度では『兵士』より『騎士』の方が圧倒的だが、匙と仁村も仲間の『騎士』との訓練で、ある程度ならその速度に対応出来る様にはなっている。

 必ず喰らい付くとゼノヴィアの重圧を跳ね除けるぐらいの気合いを込める二人であったが、それを見てゼノヴィアがポツリと呟く。

 

「残念だが――」

 

 ゼノヴィアは左足で一歩踏み込む。そこから駆け出し距離を詰めて来ると考えていた二人。だが次の時には全く違う光景が流れていた。

 踏み出した左足でしっかり床を踏み締め、構えていたデュランダルを下から上に向け振り上げようとする。

 明らかに剣の間合いの外。何をするかと匙が思った瞬間、仁村が急に仰け反る。そこから後ろ向きに倒れていく仁村。その胸部はいつの間にか斬り裂かれていた。

 

「既にそこは私の間合いだ」

 

 何が起こったのか分からなかった。倒れていく仁村もまた何が起こったのか分からないという表情をしている。

 倒れていく仁村を慌てて支える匙。それと同じくして匙は頭上から悪寒を感じ、天井を見上げる。

 天に向かって伸びる光の帯らしきもの。注視すればその光の帯とデュランダルが繋がっていることに気付くが、頭上から振り下ろされる光の帯が匙に逃げる暇も考える暇も与えない。

 仁村を支えていることで咄嗟に動くことが出来ない匙。すると胸部に衝撃が走り、匙の体が後方へと飛んで行く。

 全てが緩慢に見える中、匙が見たものは自分を突き飛ばした後に消えていく後輩の姿。さっきまで立っていた場所に突き立てられる光の帯。

 背中から床に倒れる匙。しかし、痛みも衝撃も感じない。

 

『ソーナ・シトリー様の『兵士』一名、リタイヤ』

(情けねぇ……!)

 

 後輩に救われた不甲斐無い自分への怒りで、そんな些細なことを感じることなど出来なかった。

 

「く、そぉぉぉぉぉ!」

 

 後悔に浸る暇など無く。床に突き立てられた光の帯は、ゼノヴィアが振るうデュランダルの動きに合わせ、倒れている匙を追撃する。

 匙は近くの柱にラインを伸ばし巻き付けると、急速にラインを巻き取り光の帯の追撃を避ける。

 柱まで到達するとすぐさま立ち上がり柱の陰に身を隠す匙。

 

「はあ! はあ! はあ――」

 

 乱れる呼吸を何とか整えようとしたとき、頬の薄皮が炙られる様な感覚を感じ取る。

 その感覚に従い、目を向けると柱の横を通り過ぎていく光の帯――かと思いきやいきなり方向転換して、柱にもたれていた匙の首元目掛けて襲い掛かってきた。

 

「嘘だろぉぉぉ!」

 

 悲鳴の様な声を上げながら殆ど崩れ落ちる様に身を屈める。間一髪、光の帯は匙の頭上を通過し、匙の毛髪を数本と柱に浅い切り傷を付けて消えてしまった。

 感傷に浸る暇無く必殺の追撃を避けきった匙。だが、戦いも試練も途切れることは無かった。

 黒い影が柱の側を通り過ぎていく。それが何なのか考えるよりも先に匙の体は動いていた。

 『黒い龍脈』から伸びたラインを束ねながら掴み、それを顔の横に持っていき力の限りラインを張る。数千、数万回は繰り返してきたであろう守りの構え。

 身に染みついたその動きをほぼ無意識に行った匙は、構え終えた後に何故自分がこの構えをしているのかと疑問に思い、その直後の両腕を伝わってくる衝撃で答えを知る。

 

「受け止めるか。やるな、匙」

「ゼノ、ヴィア、さん!」

 

 接近戦に切り替えてきたゼノヴィアに、匙は食い縛った歯から漏れ出す様な声を出す。

 匙が張ったラインに受け止められるデュランダル。だが、余裕など全く無い。あと数センチ進めば頬に触れる程の近距離に聖剣の刃があるのだ。

 匙がデュランダルを受け止められたのは、一割の実力と九割の幸運によるもの。デュランダルの刃先が、匙が背にしている柱に入り込み、それによって勢いを殺されたことで辛うじて防ぐことが出来たに過ぎない。

 細い糸の様な幸運であったが、所詮は実力外の偶然。長くは続かない。それを証明するかの様にデュランダルの刃が柱を斬り進め、匙にその刃を埋めようとする。

 負ける。負ける。負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける。戦いたい相手の顔を見ることなく。すべきことを全うすることなく。敬愛する人の役に立つことなく。

 何一つ為すことなく負け――

 

「てたまるかかぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 吼えると同時に匙の両足が床から離れる。ゼノヴィアと匙にある僅かな間に膝を折り曲げて両脚を入れると、一気に膝を伸ばしゼノヴィアを蹴り飛ばそうとする。

 匙の反撃に対し、ゼノヴィアは押し当てていた聖剣を引き、柄で両足を受け止めた。

 

「くっ」

 

 短い声を洩らしながらゼノヴィアの身体が後方へと飛ばされていく。数メートル程飛ばされた後に両足で床を踏み付けて減速させ、無理矢理止まった。

 距離を空けられたが、『騎士』の俊足を以ってすれば無いも同然。すぐに攻めようとデュランダルを構えようとする。

 匙もまたゼノヴィアに全くダメージが通っていないことは分かっていた。だからこそ、ゼノヴィアを蹴り飛ばしたことで出来た僅かな時間の間に、ある物目掛けてラインを伸ばす。

 目的の物を掴むと、構えようとするゼノヴィアに向けてそれを投げ放つ。

 正面から高速で迫る赤い筒状の物体に、ゼノヴィアは条件反射でそれを両断する。その瞬間、薄紅色の粉が一気に広がり、ゼノヴィアの視界と身体を覆い隠してしまった。

 匙が投げたのは消火器であった。中の消火剤を煙幕代わりにして時間を稼ぐ為である。

 相手のペースで追い詰められ、戦況は最悪の状態。ほんの少し時間を稼いだ所で、打開策が見つかる保証は無い。だが、それでも勝たなければならない。その為に思考を回転させ続けながら、体も動かそうとする。

 次の瞬間、全身に刺さる様な悪寒を覚えた。

 煙幕を斬り裂き、何かが匙に向かって飛来する。

 一目見てそれが何なのかは分かった。しかし、何故それがそんなことになっているのか意味が分からず、この時本気で思考が停まってしまう。

 悪魔にとっても。天使にとっても。そして、敬虔な信者にとっても悪魔の様な光景である。

 聖剣デュランダルが旋回しながら飛んで来る。

 投擲武器の如く投げ飛ばされているデュランダルにコンマ数秒唖然とする匙だったが、すぐに正気に戻り、身を屈めて避ける。

 対象を失ったデュランダルは、そのまま柱に突き刺さった。

 頭上すぐにある聖剣に体が冷たくなるが、すぐにある疑問が浮かぶ。

 

(ゼノヴィアさんは、何で武器を手放したんだ?)

 

 大雑把で大胆な性格なのは知っているが、だからといって戦いの最中に武器を手放す様な考え無しとは思えない。ならば武器を手放しても、それを埋める手段があるのでは。

 そこまで考えたとき、舞う消火剤が一際激しく揺れるのが見えた。

 その揺らぎに向けて複数のラインを伸ばす。

 揺らぎを裂いて数度瞬く銀色の煌きが奔ると、ラインが切断され溶ける様に消えてしまう。

 目の前で起こったことに匙は驚くしかない。ラインを斬るには聖剣でもそれなりの力が必要だというのに、容易く斬られてしまったことに動揺を隠せない。

 消火剤の煙幕を突き破り、ゼノヴィアが姿を現す。その手には推測通りもう一本の剣が握られていた。

 それを見た瞬間、匙は恐怖を覚える。ある意味で聖剣以上に厄介な代物だったからだ。

 

「なんでアスカロンを持ってるんだよぉぉ!」

 

 一誠が所持しているのは知っていたが、それがゼノヴィアに譲渡されているとは思わなかった。というよりも、その様な最悪な状況を考えたくなかったのかもしれない。

 『黒い龍脈』に対し、龍殺しの聖剣(アスカロン)は最悪の相性だからだ。

 どんなにラインを放とうと全て斬り飛ばされていく。

 匙が剣の間合い入った瞬間、ゼノヴィアは横薙ぎの一閃。

 咄嗟に右腕を剣の軌道に置いてしまったが、直後にそれが失策だったと悟る。

 腕を貫く衝撃。『黒い龍脈』に傷が刻まれる。アスカロンの一撃に耐え切れずに飛ばされる匙。だが、そんなことは些細なことであった。もっと焦るべきことが今の匙の身に起きているのだから。

 

(動かねぇ!)

 

 神器と繋がっているという感覚が、アスカロンに傷を負わされたと同時に断たれてしまった。龍殺しの力によりヴリトラの神器の能力を封じられた。今、右手に装着されているそれは只の重石に過ぎない。

 神器を使用不能にされた状態で聖剣を相手に戦わなければならない。

 

(それでも……それでも!)

 

 絶望的な状況に、先の無い未来に折れそうになるが、それでも立ち上がろうとする匙。

 しかし、現実は信念も覚悟を全て圧壊させる程の光景を匙に突き付けた。

 柱に突き刺さっているデュランダルから光の帯が伸び、アスカロンの剣身がそれを纏う。デュランダルの力がアスカロンに注がれる。

 

「……マジかよ」

 

 龍殺しと聖なる力。今の匙にどちらも防ぐ手立てはない。

 その言葉を呟いた直後、二つの力が重なり合ったアスカロンの一撃が匙の身体を斬り裂く。

 力が抜け前のめりに倒れていく最中、匙は決意する。

 最後の賭けに出ることに。

 

 

 ◇

 

 

 匙を切り伏せたゼノヴィアは、軽く息を吐く。

 デュランダルの力をアスカロンに流すというのは初めての試みであったが、上手く扱うことが出来た。

 特訓の中でゼノヴィアがひたすら行ったのはデュランダルの力の操作であった。じゃじゃ馬で扱い辛い力をどれ程まで精密に制御出来るかをひたすら研鑽した。

 今までとは違うデュランダルとの向き合い方に当初はかなりフラストレーションが溜まったが、そんな折にアザゼルが来てゼノヴィアに言い聞かせた。

 

『はっきり言ってな、お前の聖剣の扱い方は雑なんだよ。この脳筋にデュランダルを渡したのは誰だ! って思ったもんだぜ。ただその雑な扱い方も一概に間違った扱いとは言い切れないんだよなぁ……。単純さってのは割と聖剣と相性が良いし。でもな、もっと戦い方の幅を広げたければ、そのデュランダルを使いこなせ。その暴れ馬を乗りこなせたとき、お前はきっと色んな聖剣を上手く扱える様になる』

 

 その言葉を信じ、ゼノヴィアは特訓に特訓を重ね、聖なる力を光の帯の様に伸ばして自在に扱うことが出来る様になった。通常の斬撃よりは威力が落ちるものの、射程と変幻自在な動きはイリナの『擬態の聖剣』に迫るものがある。

 そして、アザゼルが当初予定していた通り、新たな聖剣として一誠からアスカロンを借り、今の様に振るうことが出来た。アスカロンはデュランダルに比べるとかなり大人しく、初めて振るうというのに、こちらの望むままに力を発揮してくれた。

 手から離れた状態でもデュランダルの力を操り、その力をアスカロンに纏わせる。自分の強化だけでなく、応用すれば木場の聖剣も強化出来る、ゼノヴィアの新しい技術である。

 木場との共闘でも是非試してみたい。

 

「――と思っているのだけどね。……匙、君は――」

 

 振り返り、地に伏している匙を見る。匙は未だに倒れたままであった。だが、その右腕からはラインは無数に伸び、生き物の様に蠢いている。右手の神器から伸びているのではない。右腕から直接生えているのだ。

 

「――何をしたんだ?」

 

 蠢くラインが解き放たれる。急いで回避するゼノヴィア。

 伸びたラインは、床、天井、柱、製品など無差別に突き刺さる。そして、ラインが突き刺さった物体、あるいはその周辺が霧散しラインへと吸収されていく。

 魔力によって生み出された物体が、魔力に再変換されていく。

 今までとは比較出来ない何十ものラインから、膨大な魔力が匙へと注ぎ込まれる。

 ゼノヴィアの前で、匙はゆっくりと身を起こし始めた。

 両眼が赤く輝き、首から頬にかけてラインが血管の様に伸びている。

 

「何をした、じゃないな。君は――()()()()()?」

 

 答える代わりに匙の口からデパートを揺るがす程の声、否もはや咆哮と呼べるものが放たれた。

 それは人のものではなく、その咆哮に最も適したものがあるとすれば――

 

「ドラ、ゴン……!」

 

 

 




原作だと工夫をしたり命懸けの危うい方法で戦った匙ですが、この作中ではもっと危うい戦い方をするといった感じです。何でこうなったのかは次回で。
それとスラッシュドックを買いました。ダイジェスト風になるかもしれませんが、こっちの話と混ぜたものを書いてみたいと思っています。

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