ハイスクールD³   作:K/K

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覚醒、思惑

 新たに使えるようになった能力を存分に使い切ったシンは、目の前に広がる氷の世界を前にして、足をもつれさせその場で転倒しそうになった。あの氷の息を吹き出している最中、ずっと体力が削られていくような感覚を覚え、吐き切った後には体全体に錘を吊るされたかのような疲労のみが残る。それが自分でも完全に把握していない力に払った代償であった。

 地に倒れるかと思えたシンの体が途中で止まる。木場が倒れていくシンの腕を掴み、転倒を防いだからであった。細い腕からは想像出来ない力強さでシンの体を引き上げようとする。シンもそれを見て、いつまでも支えて貰う訳にもいかず、力の入りきらない足に鞭打って無理矢理立つ。

 

「大丈夫かい?」

「ああ……」

 

 木場の気遣う声を聞き、最近の自分はこのようなことばかりをしていると改めて思い、この戦いが終わったら本格的に体力を付けようと、このとき心に誓った。

 

「それにしても凄いね、間薙くん。さっきのは悪魔よりも悪魔らしかったよ」

 

 そう賞する木場たちの目には氷が張っている床や霜の付いた壁、その床の上ではシンたちに襲いかかろうとした神父たちが氷漬けとなって倒れている。だれもが血の通いが少ない青白い顔色をし、寒さを耐えるように体を激しく震わせ、救いを求めるような呻き声を出している。一応は生きているらしいが、誰もが立ち上がるほどの体力は残っていない様子であった。ほんの十数秒程の冷気に当てられていただけでこのような状態なら、自らの放った先程の氷の息には凍結だけではなく、体温を急激に奪う効果もあったのかもしれない。

 

「怪獣みたいでした……」

「いつもよりも悪魔らしかったよ!」

 

 木場も小猫もピクシーもシンのことを褒めているのだが、言葉が言葉なだけに素直に喜べない。

 

「……褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 とりあえずは皆の賞賛をそのように返し、地下室一帯を見回す。神父は全員倒したことが確認できたが、肝心の人物の姿が見当たらない。

 

「塔城」

 

 小猫の名を呼ぶシン。シンの意図を察して小猫はすぐに行動に移る。

 

「……あの女の人の匂いはこの部屋からもうしません」

 

 数秒後に返ってきた答えがそれであった。この場に居続けることに危機感でも覚えて去って行ったのかと木場たちは考えた。

 このときシンは珍しくその場の誰もが苛立っていると分かるほど、腹立たしげに舌打ちをした。その苛立ちは逃げたレイナーレに対してだけではなく、自信満々に力を皆の前で使い、その機に乗じられてまんまと敵に逃げる機会を与えてしまった自分の間抜けさにもあった。敵を倒すことは倒したが肝心の頭を潰さなければ意味がないし、そして一瞬でも全て一人で片づけようと心の隅で思った自分の過信に嫌気が差す。

 そんな自己嫌悪に陥っている最中、誰かが肩に手を置き、袖を引っ張り、頬を掴んだ。考えるのを止めて、それが誰なのかを確かめると、木場がシンの肩に手を置き、小猫が袖を引っ張り、ピクシーがシンの頬を掴んでいた。

 

「敵はもういないのに肩に力が入っているよ? 間薙くん」

 

 剣を納めた木場が、いつもの爽やかな笑顔で窘める。

 

「……間薙先輩。顔が怖いです」

 

 袖を掴む小猫。その表情はいつもの無表情では無く、相手を気遣う色が浮かんでいた。

 

「そーそー。その顔似合わないよ?」

 

 いつもの無邪気な態度で、ピクシーはからかう様に更にシンの頬を引っ張った。

 シンが最近気づいたことがある。リアスとの件といい、この件といい、自分は誰かに気付かせられないと、必要以上に物事を背負い込もうとする気があるらしい。自分なりの善意からそれを行って相手に心配を掛けさせているのだから、改めて質の悪さを実感してしまう。

 シンは大きく息を吸い込み、心の裡に溜まった黒いモノと一緒に吐き出すようにイメージしながら一回深呼吸した後、木場たちの方を向き、悪いと一言謝罪をした。

 そのとき、突如地下室に魔法陣が現れる。全員咄嗟に構えようとするが、その魔法陣にはこの場に居る誰もが見覚えがあるものであった。

 その魔法陣が誰のものか真っ先に木場、小猫が先に戦闘態勢を解く。続いてシンも構えを解く。

 魔法陣の中から現れたのは、用事の為出掛けていたリアスと朱乃であった。

 

「一足遅かったみたい、残念ね」

「あらあら、凄いことになっていますね」

 

 凍結した部屋を見渡し、リアスと朱乃は少々の驚きを込めそう言った。

 

「部長。思ったよりも早い到着でしたね」

 

 リアスがいずれここに来ると分かっていたのか、木場は特に驚いた様子も無く尋ねる。

 

「そうね。あなたたちが、いつ教会に到着するのかは分かっていたから急いでこっちに来たけど、どうやら余計な心配だったみたいね」

 

 事情を知らない木場はリアスが教会に着く時間を知っていたことに疑問符を浮かべ、リアスは悪戯っぽくシンへと視線を向ける。そのリアスの肩にはいつの間にか使い魔の蝙蝠が止まっており、シンとピクシーの姿を見てキーキーと嬉しそうに鳴き、ピクシーもそれに応えるように手を振っていた。

 リアスの視線を辿って木場もシンを見るが、当のシンは視線を逸らし、話題も逸らす。

 

「もう用事は終わったんですか?」

「ええ、もう終わったわ」

 

 そう言ってリアスは二枚の黒い羽根を懐から取り出し、シンたちに見せる。

 それは紛れも無く堕天使の羽根であった。

 

「部長としては、出来れば話し合いで終わらせたかったんですが、女二人で行ったのは少し失敗でしたわ。そのせいで見くびられてしまいましたから」

「でも、そのおかげで最近この辺りに出没していた堕天使の計画を知れたわ。こういうのを怪我の功名って言うのかしら?」

 

 痛い目にあったのが相手で、なおかつ怪我所で済んでいない点に目を瞑れば、概ねリアスの言った通りなのであろう。

 もっと詳しい話を聞きたかったのだが、居なくなったレイナーレの存在が気になり、先に一誠と合流することを決め、互いの情報交換は移動の間にすることとなった。

 移動の最中。

 最初にリアスたちの方から、ここに来るまでにあったことを言う。この町での堕天使たちの不穏な動きを察知していたリアスは、何かしらの計画を立てていると睨んでいたが、それが堕天使全体の計画だと思い、大規模な戦いを避ける為に手を出さずにいた。しかし、最近起こったシンとドーナシークとの戦いで、その考えに些かの疑問が生じたという。いくら背後に大勢の堕天使がいたとしても、ドーナシークの行動は軽率過ぎ、下手すれば計画内容を悪魔に知られる危険性があった。それでも確信に至る程の証拠が無かったため、リアスは一誠の救出作戦に難色を示した。リアスが一誠たちを教会へと向かわせたのは一種の賭けに近かったらしい。

 根拠は僅かな相手側の不審な点と自分の勘。外れれば眷属及び自分の命の危機、当たればアーシアの救出、まさに一か八かの決断であった。

 そのときになって堕天使たちが動き出したという情報が入り、その場へと向かうと居たのは、レイナーレの協力者の堕天使。その協力者の堕天使たちはリアスたちが少し下手に出たら、調子に乗ってベラベラと計画の内容、何故自分たちが計画に乗ったかという理由、おまけに、一番言ってはいけない上の堕天使たちには知らせずに行動していたことまで喋ってくれたという。

 

「おかげで、気兼ねなく消し飛ばしてあげられたわ」

 

 ハッキリというリアス。シンの頭の中に、シンを襲ったドーナシーク、それを連れて行ったカラワーナ、ミッテルトが消滅していく光景が浮かぶ。リアスの言葉で死んだ三人の堕天使を嗤うような気持ちは湧かなかったが、同情する気持ちも微塵も湧かない。

 所詮、敵は敵というシンの認識が心動かすようなことをさせなかった。そのせいかリアスの命を奪う行為にも嫌悪感を覚えない。この事実は、シンに自分のドライな精神部分を認識させるものであった。

 リアスたちの話が終わり、今度はシンたちがリアスにこれまであったことを話す。説明するのは木場、シンはこういった説明が苦手であった。

 聖堂内でのフリードとの戦い、アーシアの儀式が既に完了したこと、レイナーレとの戦いなど、簡潔ながらも要点をしっかりと押さえた木場の説明、初めは普通に聞いていたリアスであったが、アーシアの下りから表情に険しさが混じり始め、一誠とレイナーレの話を聞いた後は、それらが表情と共に一切消えた。その代わりに、全身からは怒気が発せられ、見る者に寒気を与える。

 

「儀式は終わって、『神器』は奪われたのね」

「……はい」

 

 真剣な口調でリアスは尋ね、木場は重々しく頷く。

 

「……それは、かなりまずいことですか?」

「……『神器』を奪われた人間は、同時に命まで失ってしまいます」

 

 シンの問いに、朱乃が悲しげに答える。初めて聞かされた事実にシンはその場で足を止めてしまった。肩に乗っているピクシーもそれを聞いて動揺し、周りをオロオロと見ている。

 一誠自身この事実を知っているのか、という疑問が浮かんだが、レイナーレという堕天使の性格上、そのことを伝えている可能性が高い。そう思うと、如何なる心中でアーシアを抱えてこの道を走っていったのか。

 

「だけど、まだ希望はあるわ」

 

 リアスの言葉にシンは顔を上げ、リアスの方を見る。リアスの顔には確かな自信があった。

 

「……希望ですか?」

「それには、どうしてもレイナーレからアーシアの『神器』を取り戻さなければならないわ」

 

 リアスが何をしようとするのか、この時点でシン以外のメンバーはリアスの意図を察していた。

リアスは続けて話す。

 

「そして、みんなに予め、聞いておいてほしいことがあるわ」

 

 リアスは落ち着いた口調で自らの意思を皆に伝える。全員が意識をそちらに向けられる。

 

「もし、ここを出たとき、イッセーがレイナーレと戦っていたら――手出しをしないでほしいの」

 

 まだ、新米の悪魔に過ぎない一誠に堕天使と一対一の勝負をさせるように指示するリアス。いくら『神器』を持っているとは言え、戦いの経験がゼロに等しい一誠にとっては酷とも言える戦いを強いるということである。

 

「……それはあいつに敵討ちをさせるためですか?」

 

 最初に口を開いたのはシンであった。リアスの指示を咎めるためのものではなく、純粋にリアスの考えを聞きたいがための問いであった。

 

「それも理由の一つね。でも、もう一つ理由があるわ。それは一誠に自分の力を自覚させること」

「……自分の力?」

「『神器』には様々な力を秘めているわ。でも、『神器』の力を決めるのはその力だけじゃないわ。肝心なのは、それに込める想い。その想いがあれば神ですら屠れる」

 

 『神すら屠る』大袈裟とも言えるリアスの言葉。だが、冗談を言っている様子は無い。『神器』にはそれを可能とする明確な根拠があるのだろう。

 

「あの堕天使と戦わせて、それが起きる切っ掛けを作るわけですか……賭けですね」

「大丈夫よ。あの子は強い気持ちを持っている。強い気持ちは強い想いを生み出す。その想いは絶対に『神器』に届く」

 

 リアスは確信を持って言い切る。

 

「それに賭けだとしても、分の悪い賭けじゃないわ」

「ああ――それには同意します」

 

 

 

 

 微笑んだまま動かないアーシアの前で、一誠はただ涙を流す。ほんの数十秒前まで生きていた彼女はもういない。今、一誠の目の前にあるのは物言わぬアーシアの亡骸であった。

 膝をついたまま一誠は動かない。否、動くことが出来なかった。味わったことのない虚脱感が全身を奔り、指一本動かすことが出来なかった。そのくせ頭だけは正常に動き、目の前の理不尽に対し、ただ問いを投げかける。

 何故、彼女が死ななければならないのか、何故、傷付いた者を助けたことが罰なのか、何故、彼女を救う者がいなかったのか、何故、自分は彼女を救えなかったのか、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故。

 気付けば喉が裂けそうなほどの大声で叫んでいた。何度も心の中で救いを求めていた神に対して。

 

「なあ、神様! 神様!」

 

 答えを求め、神に訴える。アーシアという少女に何も罪は無いということを、もっと彼女に微笑んで欲しかったという自分の願いを。だが、訴えれば訴える程に彼女を救えなかった後悔だけが一誠の心の中で増していくだけであった。

 

「あら、こんなところで悪魔が懺悔?」

 

 最早聞きなれた嘲笑と共に、レイナーレが一誠の前に姿を現す。レイナーレの姿を見た一誠は怒りから歯が軋む程、奥歯を強く噛んだ。そんな一誠の様子を無視し、レイナーレは自らの右腕を見せつける。その右腕には痣のような青黒い跡が付いていた。

 

「見て御覧なさい」

 

 レイナーレの全身から緑の光が発せられると、変色していた部分は元の健康的な肌の色へと戻り、レイナーレはさも自分の力のようにこの力を褒め称え、一誠へと自慢をする。

 一誠の目から見れば、その行為はアーシアを辱めているかのように見え、怒りは更に燃える。

 その後にもレイナーレは陶酔したかの様に何かを言っていたが一誠の耳には届かない。一誠にはレイナーレの言う事全てが戯言でしかなかった。

 

「もう目的を果たしたからこのまま去って行ってもいいけど、悪魔たちに逃げたと思われるのも癪だし、そう思われない為にもここは奪い損ねたあなたの命を取っていこうと思って――」

「知るかよ」

 

 レイナーレの言葉をその一言で切り捨てる。話を中断されたレイナーレは不機嫌そうに一誠を睨むが、一誠はそれを上回る感情を乗せてレイナーレを睨み返す。

 頭の中で言葉を考えるよりも先に、気持ちが言葉として一誠の口から吐き出される。アーシアという唯の少女は、神にも悪魔にも堕天使にも振り回されるような存在ではなく、ただ一人の少女として静かに暮らすべきだったと。

 しかし、レイナーレは一誠を無知だと嘲って、その考えを否定する。『神器』をその身に宿した時点で平穏など望めず、異質な力を持った故に人間たちから弾かれ、疎まれるのが常であると人間を小馬鹿にしながら冷笑する。

 

「……なら、俺が。俺がアーシアの友達として守った!」

 

 それを聞いた瞬間、レイナーレは哄笑する。死人を守るという一誠の言葉の矛盾を指摘し、以前にもアーシアに助けてもらったことを持ち出して過去の傷を抉りながら道化でも見ているかのように笑う。

 レイナーレの笑い声を受けながらも、一誠は怒り狂うことは無かった。何故なら自分自身でも理解していたことだからだ。アーシアの命と『神器』を奪ったレイナーレを許せないという気持ちはある、そして、それと同じくらい無力な自分を許せないという気持ちもあった。

 力が欲しい。

 そう強く想う一誠の脳裏に戦いの前に言われたリアスの言葉が蘇る。リアスは言った――想いなさい。『神器』は想いの力で動き出すの、と。

――神様に祈る時間はもう終わりだ。

 

「返せよ」

 

――いまからはただ一つのことを強く想う。

 

「アーシアを返せよぉぉぉぉぉぉぉ!」

『Dragon Booster!』

 

 

 

 

 異変に最初に気付いたのは、シンであった。突如顔を跳ね上げて、地下通路の天井を見上げる。それに続くかのようにピクシーが大きく体を震わせてシンの肩を強く掴んだ。

 

「どうしたの?」

 

 二人の反応にリアスが心配そうに尋ねると、ピクシーは体を震わせたまま、か細い声で言う。

 

「……上に怖いのがいる」

 

 警戒するピクシーの言葉に全員が足を止め、天井を見上げた。この場に居る全員もそれを感じたからだ。

 

「シン。あなたも感じたのね?」

「……はい」

 

 尋常ではない存在感が、天井を隔てた向こう側から伝わってくる。動物的な本能が危機感を知らせる程『濃い』存在であった。だが、その存在感も気付けば空気の様に霧散し、幻だったかのようにその気配は消えた。

 

「――どうやら、そろそろ決着がつきそうね」

 

 一瞬感じた力にリアスは、そう確信したかのように呟く。

 止めていた足を再び動かし、聖堂へと繋がる階段を昇りきったとき、一同が目にしたのは、長机の上で横たわるアーシアの姿と、鳥肌が立つほどの力を左腕の籠手から放ちながら、レイナーレに拳を振るおうとする一誠の姿であった。

 

「うおりゃぁぁぁぁぁ!」

 

 渾身の叫びと共にレイナーレの顔面に左拳がめり込む。めり込んだ拳は、その威力を衰えさせることなく殴り抜くと、レイナーレの体は藁屑のように宙へと舞い、壁に叩きつけられると、勢いそのままに壁を突き抜けて、砕けた破片と一緒に壁の向こう側へと消えていった。

 殴り飛ばした格好のまま一誠の体が崩れ落ちそうになる。それを見た木場が、誰よりも早く飛び出して、一誠の体を支える。支える人物を見て、一誠は疲れ切った表情ながらも軽い笑みを浮かべ、続いてやってきたシンの姿も視界に収めた。

 

「よー、遅ぇよ、お前ら……ってボロボロじゃねぇか」

「それをお前が言うか?」

 

 一誠の両足はレイナーレの光の槍で貫かれたのか、向こう側が見えてしまいそうな程の大穴が開いている。未だ絶えず血が流れ、足下に血溜まりを作っている一誠の頬には涙が流れた跡があった。少なくともシンにはそれが痛みから来るものであったとは思えなかったが、その涙の意味は問わない、木場もシンと同様であった。

 そして、よくよく見ると一誠の赤い籠手に細やかながらも変化があった。シンの記憶では以前は紅玉以外特に目立つ部分が無かった籠手であったが、金属部分に龍と思しき紋様が浮かんでいた。その部分について気にはなったが最優先することではなく、すぐに頭を切り替えて今すべきことをする。

 

「ピクシー」

 

 シンがピクシーの名を呼ぶと、シンの肩から降りて一誠の傷口付近まで飛んでいく。一誠の籠手を見て刹那の間顔を顰めたが、すぐに気を取り直し傷口の前に両手を翳すと以前見せた淡い光が手からこぼれ、傷へと注がれていく。初めて見たピクシーの能力に一誠は驚いた表情を見せた。

 

「やっぱり、あなたなら堕天使レイナーレを一人で倒すことができたわね」

 

 一誠は驚いた表情そのままで声の方へと顔を向ける。そこには笑顔で自分の方へと向かって来るリアスの姿があった。

 

「部長――どこから?」

 

 地下室に魔法陣で直接転送したことを教え、なおかつそれが初めての試みであったことも教えるリアス。その話を聞くとシンは、確かに魔法陣から現れたリアスと朱乃の表情は普段よりも硬いものであったと、今更思う。

 そんなことを考えていると、いつの間にか姿を消していた小猫が何かを引き摺る音を出しながら、持ってきました、と言ってリアスの前に現れた。小猫の手に持っていたのは黒い翼、そこから少し目線を移動させると、そこには気絶したレイナーレがいた。

 完全に意識を失っているレイナーレの頬には痛々しい殴られた跡がくっきりと残っている。その跡を見て思ったのは、自分も一撃でこれ程の跡を残せるかどうか、というもの。シンは男女平等を唱えるような思想も無ければ、フェミニストでも無かった。

 気絶したレイナーレの前でリアスが朱乃に指示を出すと、朱乃は手を上に翳し、魔力を使用して何も無いそこから水の塊を生み出す。そして、その水の塊をレイナーレの顔面に落とした。

 顔面に水を浴びたレイナーレは気管に入った水を吐き出そうとむせながら覚醒する。そんなレイナーレの視界に最初に入ったのは、冷たく自分を見下ろすリアスの姿であった。

 

「ごきげんよう、堕天使レイナーレ」

 

 それを見たレイナーレは、グレモリー一族の娘か、と吐き捨てるが、そんなレイナーレの態度にも余裕といった感じで、初めましてと改まった挨拶をする。笑顔を浮かべているがその瞳は極寒の冷たさがあった。

 レイナーレの方も取り乱すことなくリアスを殺気に塗れた目で睨んでいたが、すぐに口の端を吊り上げ笑みを形作ると、まだ自分には仲間が控え、いざとなれば助けに来ると言う。ここにくるまでの間にリアスたちが何をしていたか知らされていたシンには、それが意味の無い勝算であることと分かっていた。

 リアスはレイナーレの言葉を聞き流し、その頼みの綱の堕天使たちを葬ったことを告げ、シンたちに見せた堕天使の羽根を取り出すとレイナーレの方へと放る。

 それを手にしたレイナーレの表情が凍りつく。

 リアスは地下通路でシンたちに聞かせた内容をレイナーレにも聞かせる。それを聞いたレイナーレの表情は見る見るうちに変わり、屈辱と悔しさに耐える様なものとなっていった。

 リアスの話を後ろで聞いていた一誠の表情も変わっていた。リアスのことを少しでも悪く思ってしまった過去の自分から来る罪悪感と陰で支えてくれたことに対する感動から、泣き出す前の子供のような表情となっていた。

 

「うふふ、部長は別名『紅髪の滅殺姫〈ルイン・プリンセス〉』と呼ばれる程の方なのですよ」

 

 リアスの実力を補足する朱乃の説明。その禍々しい呼び名に一誠が目を剥く。すると、一誠の傷の応急処置をしたピクシーがシンの耳元に飛んできた。

 

「ねえ、るいんぷりんせすって、どういう意味?」

 

 小声で聞いてきたのは場の空気にそぐわない間の抜けた質問。後で教えるから少し静かにしていろ、とシンも小声で呆れたように言う。不満そうではあったが、ピクシーは大人しくシンの肩に腰を落とした。

 そんなやりとりをしているうちに、リアスもまた一誠の籠手の変化に気付き、レイナーレに一誠の『神器』が普通の物ではなく、それこそが一誠の勝因であったと教える。

 

神滅具(ロンギヌス)』『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)

 

 それが一誠の左腕に宿る力の正式な名。十秒ごとに力を倍にし、極めれば神すら葬る力を持つ可能性を持った武器。

 そういった肩書きを持っていたのを知ったシンは同時に、ピクシーが怯えていた理由も理解する。本能でこの籠手に秘めていたものに感付いていたのであろう。

 

「部、部長」

 

 一誠がリアスの側に移動すると、そのまま頭を下げてリアスに謝罪をする。アーシア救出前に無礼とも言える態度をとったこと、そして、そのままアーシアを救うことの出来なかった悔恨、それを涙を流しながら語る。

 そんな一誠の姿にシンは顔を背ける。男であれ女であれ泣いている人物を見続けるのは無粋だと思ったシンなりの気の使い方であった。

 そんなシンの耳にリアスの慰める声が入ってくる。と同時に視界の端にある窓の向こう側に見逃せないモノが映り、シンは眉根を寄せる。

 

「木場」

「えっ」

「少し席を外す」

「――何かあったのかい?」

「ただの確認だ。すぐに戻る」

 

 隣にいる木場に小声で話し、危険が有ったらすぐに知らせると言って背後にある扉からひっそりと出て行く。幸いにも最後尾に居たため、隣に立っていた木場以外に気付かれることは無かった。

 扉の外に出ると一気に駆けて外に出る。そして聖堂の方面へと足を進めたとき、そいつはいた。

 

「おい」

「おんやぁ? わぁーお! どこかで見たことがあるかと思えば、さっきのクソ悪魔くんじゃないですか!」

 

 逃げた筈のフリードが変わらない歪んだ笑みを浮かべて、そこに立っていた。

 

「何をしている」

「うーん? んー上司の天使様を助けちゃおうかなぁーと……ごめーん! 嘘でぇす! 救うなんて無理無理! 状況マックスで不利だし! あのあったまの弱ーい天使様の最後見るのとイッセーくんにラブコールでも送っちゃおうかと思って参上しちゃおうという算段でござんしたが、まあ別にいいや、代わりにチミが聞いてくれる?」

 

 言葉の軽さとは裏腹にフリードからは隠す気も無い殺意が沸き立っていた。

 

「イッセーくんとチミは、俺の殺したい悪魔ランキングトップ5にワンツーでランキングしてるから、そのうち殺しにいくからシクヨロ! あ、そうそう、まだチミの名前を知らなかった! おせぇーて頂戴!」

 

 シンは答える代わりに、地面に落ちていた拳大の教会の破片を拾い上げると、無言でフリードに投げつける。言葉ではなく行動で『失せろ』という意思を伝える為に。

 フリードは首だけを動かしてその場から動かずに回避すると、口が裂けたのではないかと思える程口の両端を吊り上げ、他者に生理的な嫌悪を与える笑みを浮かべる。

 

「んっんー! 中々好みの答えだよん! じゃあ、バイなら!――あっ、ちなみに今のでイッセーくんとのワンツーから同位なったから、そこんとこよろしく」

 

 嬉しくも無い言葉を残し、フリードは近くにある雑木林の中に消えていった。

 

「あいつやっぱ気持ち悪い」

 

 フリードが消えていった雑木林の方に舌を出していたピクシーが、嫌悪感を隠さずに言う。シンは、そうだな、と同意し教会の中へと入っていった。

 聖堂内へと戻ってきたシンが最初に見たのは、先程まで死んでいたと思っていたアーシアが上体を起こしている姿と、それを抱き締めている一誠であった。アーシアは事態を飲み込めずに視線を忙しなく動かしている。

 

「えっ? えっ?」

 

 肩に乗っているピクシーもアーシアの様に驚いている。そこにシンの姿に気付いた木場が近寄って来る。

 

「確認は済んだのかい? どうだった?」

「瑣末なことだ。それよりこれはどうなっている?」

「ああ、部長が彼女に『僧侶〈ビショップ〉』の駒を使って転生させたんだ」

 

 『僧侶』その駒の特性は魔力の向上、主に他の駒を補佐する役割を持つ。これがリアスが言っていた『希望』なのだろう。一誠もまた駒の力によって九死に一生を得たことを思い出す。

 

「色々と彼女にとって不便なこともあるけど、多分大丈夫だよね?」

「大丈夫だろ。死ななきゃ安い。未来〈さき〉のことを考えられるのは生きている奴の特権だ。それに――」

 

 そこでシンは一旦言葉を止める。言葉を止めたシンの目の前に漂う物体、それを反射的に掴む。掴んだ指先にあったのは一枚の黒い羽根。視線を動かし、レイナーレの居た所に向けるとそこには大量の羽根が散っている。それがレイナーレという堕天使が居たという唯一の名残であった。

 命を奪った者が最後に死に、命を奪われた者が最後に生き返る。皮肉な結末だと思いながら掴んでいる羽根をじっと見つめる。レイナーレという存在の死を悼む程、シン自身人間が出来ていないという自覚はある。だが、せめて死んだ存在の名前ぐらいは覚えておこうと心の中で思う。それ自体に意味が有るわけではない、敢えて言えば生きているからこそ出来ることがそれなのであろう。

 

「それに?」

「――支える存在〈イッセー〉もいる」

 

 指先で掴んだ羽根を爪先で弾き、ひらひらと地に落ちるのを見ながら、シンはハッキリと言った。

 

 

 

 

 深夜を回ろうとする時刻。一人の男が、戦いによってボロボロとなった教会へと現れた。男の顔には包帯が巻かれ、表情を読み取ることが出来なかった。

 教会からリアスたちは既に去り、ほんの数時間前まで激戦があったことが嘘の様に静まり返っている。

 男は教会の中に入ると、聖堂内まで足を進める。そして、聖堂内に散らばる黒い羽根を見つけると慌てて走りだす。散っている黒い羽根の一枚を震える手で拾い、それを凝視した途端、両膝を地面に着けた。

 

「バカな……」

 

 呆然とした様子で声を洩らし、顔に巻かれた包帯を解いていく。

 月光の下、素顔を晒したのは堕天使ドーナシーク。

 

「バカな……」

 

 もう一度同じ言葉を繰り返す。

 ドーナシークは今まで傷の治療をしていた。だが、正確に言えばそれは治療と称した監禁であった。悪魔に敗れた罰として、治療も行われずに拠点の一室に閉じこめられ、出てこられない様に多重の結界が張られていた。しかし、その結界は突如として破られ、胸騒ぎを覚えたドーナシークはもう一つの拠点に行くと、そこでカラワーナとミッテルトの残骸を発見、顔を蒼褪めさせながら教会に行き、今に至る。

 ドーナシークの胸中にあったのは絶望であった。上の堕天使たちに秘密裏の行動をしていたせいで、堕天使側に戻ることが出来ない。仮に戻ったとしても不必要に悪魔と争ったことを理由に処罰されることは明白である。

 彼はほんの少しの間に縋る者、帰る場所の両方を失ったのである。

 動揺し続けるドーナシークの顔に鋭い痛みが走り、思わず蹲る。

 

(痛い……痛い……痛い痛い痛い痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!)

 

 和らがない痛みと絶望にドーナシークの精神はゆっくりとその形を歪なものにしていく。

 何故自分がこんなに苦しんでいるのか、何故自分は全てを失ったのか、何故自分がこんな思いをするのか。

 歪んでいく思考が、一人の人物を思い浮かばせる。

 

(そうだ……お前だ……全てが狂いだしたのはお前が居たせいだ……)

 

 全ての元凶に思い至り、ドーナシークは嗤う。

 可能ならば今すぐにでも殺したいという気持ちを抑え、今は機会を見る為に身を潜ませる選択を取る。

 

「殺してやる……必ずお前を殺してやる! はははははははははははははははははは!」

 

 狂ったような哄笑を上げ、ドーナシークはレイナーレの残骸を撒き散らしながら夜の闇の中に飛んで行った。

 

 

 

 

 朝、シンは他の生徒よりも早く学園へと登校する。昨晩、リアスから早朝から集まりを行うという指示があったからであった。シンは鞄ともう一つの物を手に持って部室へと向かう。

 部室に入ると全員が既に集まっており、シンが最後であった。そのときシンの視界にあるモノが映る。その途端、シンの表情は険しくなり、手に持ったもう一つの物を後ろに隠す。

 シンの様子を不審に思ったのかアーシアがシンの側に寄ってくる。その格好はシンと同じで駒王学園の制服を纏っていた。

 

「あ、あの、どうしました?」

 

 若干シンを怖がりながら尋ねてくるアーシア。

 

「……アルジェント、すまないがそのテーブルの上にあるケーキは?」

「え? あの、これはリアスさんが作ってくれたケーキみたいです。あと、私のことは名前で呼んでくれても構いません」

「――そうか、手作りか……」

 

 言葉を尻すぼみにしながら、困ったようにシンは頭を軽く掻く。その肩ではクスクスと可笑しそうにピクシーが笑っている。

 

「……アーシア」

「は、はい!」

 

 意を決したシンは、後ろに隠していた物をアーシアの眼前へと突き出す。

 

「甘いものは沢山食べられるか?」

 

 かぶってしまったケーキの箱を見せながら、少し恥ずかしそうにシンはアーシアに質問した。

 

 

 

 

 某時刻某所

 音の無い空間の中で、一つのテーブルに二人の人物が座っていた。片方は腰まである黒髪に同じ色のワンピースを着た少女、精巧とも言えるバランスの容姿をした美少女であるが表情には感情が乏しく、人形のようであった。

 もう片方は肩まである金髪に黒のスーツを纏った少年、こちらは少女よりも幼い容姿をしている。顔立ちは少女と同様に緻密とも言える配置がされた美しいものであったが、こちらも感情を映さない無機質な表情をしていた。

 両者ともに会話は無く、機械の様に一定の間隔でティーカップを口へと運んでいる。そんな気が狂いそうになる静寂の中で、最初に言葉を発したのは黒髪の少女であった。

 

「ルイ、遅い」

「済まない。あと、出来ればこの姿のときはベルと呼んでほしい」

 

 金髪の少年の側にいつの間にか灰色のスーツを着た一人の青年が立っていた。年の頃は十代後半、ハンチング帽を被り、帽子の端からは少年と同じ金髪が見えていた。そして、髪の色と同じく容姿もまた少年と酷似したものであった。

 

「今のルイは彼なんだ」

 

 未だに紅茶を飲む少年にベルと名乗った青年は目を向ける。

 

「我不思議に思う。ルイはベル、ベルもルイ。二人は一つ、でもいまは二人、何故?」

「君にとっては不思議だろうね。そんなに深い意味はないさ。ただ今は居ない彼の名残だよ。それに一人よりも二人の方が動きやすいからね」

 

 そこに紅茶を飲み終えた少年が、青年にしか聞こえない声量で何かを言う。

 

「そうだね。ようやく全員が揃ったということだね。そして、これを『きっかけ』に彼らは動き出すだろうね。彼とはいずれ接触する」

 

 青年はそう言って席に着く。

 

「だけど、まだ僕らが動く刻ではない。『きっかけ』によって生まれた事象がやがて僕らと彼を引き合わせる。それまでは待つとしよう。オーフィス、僕にも一杯紅茶を貰えるかい?」

 

 オーフィスと呼ばれた少女はティーポットを傾け、青年のカップに注ぐ。

 

「それまで君との再会を待つとしよう。期待をしているよ『人修羅』」

 

 そう言って青年は静かにカップに口を付けた。

 

 

 

 

 何体もの死体が積み重なり、血で覆い尽くされた大地の上で、『殺戮者』の名を持つ者が最後の一人の心臓に剣を突き立て、ふと空を見上げる。

 黄の法衣を纏った一人の僧侶が英雄たちの名残と共に言葉を交わしていたが、その途中で黙り込み、遠くを見つめ始める。その側らに居て、黄金の杯を傾けていた婦人もまた同じ方向へと目を向ける。

 地獄の最下層にある永久凍土の中、『地獄の天使』と呼ばれた存在の目に炎のような光が微かに灯る。

 この世界の何処にも無い場所で、四頭の馬とそれに跨る四人の騎士が同時に目を覚まし、言葉を交わす前にある一点を見つめる。

 天界の最奥において、鎖で何十にも巻かれて十字架に磔られた『笛を吹く者』は静かに俯かせていた顔を上げた。

 様々な場所に居ながらも彼らは遠く離れた場所に現れた同類の存在を確かに感付いていた。

 三界に居る者は彼らという存在をこう呼んだ。

 

『魔人』と。

 

 

 




これにて一巻の話は終わりです。
いろいろと長くなってしましました。
幕間を一話入れてから、二巻の話へと入っていく予定です。

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