彼女とマザーハーロットとの因縁には、もう一人別の魔人が深く関わっている。
魔人マタドール。各地にて殺戮を繰り返す最悪の存在として、あらゆる勢力から蛇蠍の如く忌み嫌われた存在である。
マタドールは、過去に何度か冥界に侵入し、その度に多くの悪魔が彼の手によって葬られてきた。
悪魔よりも悪魔染みた存在であるマタドールを、冥界に来る度に撃退していたのが魔王サーゼクスである。
最初の戦いではサーゼクスが未熟であり、マタドールへの知識も殆ど無かったことから敗北を喫したが、その時にサーゼクスの中にある秘めたる力に気付いたのか、マタドールはサーゼクスの命を奪うことなく冥界を去った。
二度目の戦いのときには、サーゼクスも力を覚醒させており、マタドールを実力にて冥界から追い出した。
そして、三度目の戦い。その記録は、魔王が魔王たる所以、魔人が魔人たる所以をこれでもかと見せつけたあまりに凄絶なものであり、見る者が怖気づくほどであった。
恐怖や力による統治を望まないサーゼクス本人によって、その記録は歴史から完全に抹消され、関係者以外知る由も無い戦いと化した。
このときに、サーゼクスは一生消えない傷痕をマタドールによってその身に刻まれ、マタドールもまた度重なる冥界侵入によって得られたデータを四大魔王にして稀代の天才アジュカ・ベルゼブブが利用し創り出した対マタドール用結界のせいで、二度と冥界に入ることが出来なくなった。
そして、この三度目の事件の陰にもう一人魔人が存在した。それが、マザーハーロットである。
彼女は冥界に密かに侵入し行ったことは、サーゼクスの眷属たちの妨害である。彼女の存在によって、サーゼクスはマタドールと一対一で戦わざるを得ない状況へと追い込まれた。
マザーハーロットという存在は、グレイフィアや他のサーゼクスの眷属たちにとって忌み名であり、そしてセタンタにとっても忘れたくとも忘れられない存在である。
生涯を賭して守ろうとした。だが、その願いを踏みにじり、血塗れとなって半死半生となったサーゼクスを見たグレイフィア。その筆舌に尽くし難い悔恨に苦しむ姿を見たときのマザーハーロットの哄笑は、どんなに時が過ぎようとも耳の奥に鮮やかに残っていた。
◇
自分でもここまで冷静に居られることに、グレイフィアは密かに驚く。あるいは、感情が飽和し無感情に等しいものとなったのかもしれないとも考えた。
背後に立つのは、堕落にして穢れの化身でもあるマザーハーロット。グレイフィアを抱き締める手、頬に這わせる指はグレイフィアよりも細く、病的にまで白いが見た目など意味は無い。少なくとも彼女の手は、数え切れぬほどの存在を様々な意味で堕としてきている。
マザーハーロットの手が、グレイフィアの胸に当てられる。その胸の奥から伝わってくる命の脈動。死の象徴というべき魔人に触れられているのに乱れることはない。
伝わる鼓動。そして、その深奥にある純粋なまでの想いに触れ、マザーハーロットは恍惚とし、その音すら艶美な吐息を洩らす。
マザーハーロットは、以前感じたグレイフィアの純粋な想いが全く変わっていないことに喜ぶ。
純粋な想い。或いは『愛』とも表現出来るが、言葉で表すには『愛』などと言う一言など陳腐であり不粋である。だが、マザーハーロットは敢えてグレイフィアのその想いを愛と表現する。
誰かを心の底から思う気持ち、もしくは魂。それに触れる度にマザーハーロットは、それを慈しみ、愛し、抱き締めたくなる。
そして、同時にこうも思う。
この愛を踏み躙り、穢し、壊したくなる。
マザーハーロットがそういった純粋な想いを愛と表現するのも、形無きものを定まった形に押し留めるという一種の侮辱に近しい。
だが、愛を否定したいから蹂躙するのではない。マザーハーロットは、肯定する為に愛を徹底的に凌辱する。
踏み躙ることで痛みが分かる。穢すことで形が分かる。壊れたことで存在が証明出来る。
あの想いは間違いなく愛『だった』と。
グレイフィアは、ただ静かに時を待つ。実力者であるグレイフィアの背後を難なく取った敵である。今の状況で動けば間違いなくやられる。
相手がどんなに不快な存在だろうと、自分の体を味わう様な屈辱的な真似をされようと、グレイフィアは黙って、表情を全く変えずに待つ。それこそが、マザーハーロットへの無言の反抗であった。
グレイフィアの、その静かな決意すらもマザーハーロットには心地好い感触であった。冷徹さの中にある確かな感情の熱。相反する二つの魂の感触は、つい壊してしまいたくなるほどに面白い。
が、それも長くは愉しむことは出来ない。もう一つ、苛烈で、激しく、そして純粋な愛を感じ取った。
「おい」
物音一つ無い通路に響き渡る重々しい声。その声には激しい怒りが込められていた。
通路の端に現れるのは、槍を担ぐ美青年。
「セタンタ……」
グレイフィアがその名を呼び、マザーハーロットが彼の存在を視界に入れた瞬間、姿が消え、マザーハーロットの真正面に槍を構えた状態で現れる。数十メートル離れた距離を、刹那を超える速さで駆けたのだ。
「汚らわしい手で彼女に触るんじゃない。淫売が」
吐き捨てる言葉と共に、マザーハーロットの目の無い眼窩に向けて槍を突き出す。
だが、マザーハーロットは突き出された槍の穂先を、一輪の花を摘まむ様に指先で掴み、止める。
「乱暴だこと」
セタンタが槍を押し込もうとしても、全く動かない。花よりも重いものなど持ったことが無い様な、細く白い手からは想像もつかない力。
目を吊り上げ、睨むその様は、普段の物静かなセタンタを知っている者からすれば驚愕ものである。
押そうが引こうがセタンタの槍は動かない。その様子をマザーハーロットは愉快気に見ている。肉のそぎ落とされた骨の顔では表情など何一つ分からないが、嗤っているという気配だけは自然と伝わってくる。
一見すれば全く力が通じず焦っている様に見えるセタンタ。しかし、セタンタの内心に焦りは無い。
全ては一秒。否、百分の一秒でも注意を自分に惹きつけておくこと。
不意に、マザーハーロットはグレイフィアに回していた腕を僅かに緩める。
直後、マザーハーロットの頭部を拳が背後から貫く。
拳を繰り出したのは、ディハウザー。気配全てを殺し、マザーハーロットに接近して拳を打ち込んだのだ。
事前にセタンタと会っていたからこそ、ディハウザーの為にセタンタは自分に注目する様に仕向けた。尤も、怒り自体は演技でなく本物だが。
しかし――
「ホォーホッホッホ。危ないこと」
――ディハウザーの拳はマザーハーロットを貫いておらず、頭部に纏うベールを捲り上げただけ。
完璧と思われたタイミングで打ち込んだ拳を、まるで幻を見せる様に避けてしまう。
マザーハーロットは、グレイフィアに回していた腕を蛇の様に這わせて移動させ、顔のすぐ側に突き出されているディハウザーの拳をその指先で触れる。
ディハウザーの背筋に、味わったことの無い衝撃が駆け抜ける。ただ指先で撫でられただけというのに、全身に鳥肌が立ち異性に初めて触れられたかの様な初心な反応を示し、母親の腕に抱かれた様な安堵感を覚え、同時に体を巡る血が加速し、体温が上昇していく。
見て、触れることで初めて実感する魔人の恐ろしさ。死という負をまき散らす存在から、今の様な感覚を覚えること、その矛盾はただ恐ろしく思う。
「汝からは深い情の絆を感じとれる。――同時にその中にある喪失も」
「……」
ディハウザーの心を見透かす様なマザーハーロットの言葉。正確に読み取られたことにディハウザーは危機感を覚え、会話をする気など無い意思を示す。
「その喪失、妾の愛で埋めてやろうかえ?」
「……黙れ」
抑えていても感情の波が乱れていく。マザーハーロットの言葉の響きだけでも心を乱す。そして、触れられたくないものに触れてくるせいで余計に感情の制御が難しくなる。
マザーハーロットの挑発に一言だけで済ますディハウザーの精神は、寧ろ強靭なものと言えた。
「オーホッホッホッホ」
何が面白いのか、マザーハーロットは声高く笑う。すると場に満ちる甘い香りが一層強まったのを感じた。セタンタ、グレイフィア、ディハウザーはその香りが鼻腔に触れた瞬間、心臓が高鳴り、不味いと感じる。
脳が思考を放棄し始める。張り詰めた感覚に虫食いの様に空白が生まれていく。
他者を堕とし、惑わし、誘惑する力の濃度が増した。いくら超人的な精神力を持つ三人でもこの状況が続けば、いずれは意識が蝕まれる。
アオォォォォォォン!
通路を揺さぶる雄叫び。それは聞いた者の本能を揺さぶる様な大声量であった。しかし、グレイフィアたちにとっては逆に気付けとなる。
雄叫びの主は、通路を駆け、壁を駆け、天井を駆けてマザーハーロットの頭上まで行くと、落下と共にその爪を振り下ろす。
「次から次へと」
新たな乱入者の存在に、愉しむ様な言葉を残しながらマザーハーロットは爪が当たる直前に霞の様に消える。
マザーハーロットから解放されるグレイフィアたち。天井から落下するそれは、標的が消えたのを見ると振り下ろすのを中断し、そのまま通路に降り立つ。
「貴方は……」
「グルルル。無事カ?」
乱入者ケルベロスは、三人の無事を確認してくる。
「……まさか貴方が来るとは思っていませんでした。助かりました」
「コッチモ同ジキモチダ。オマエラガ居ルトハナ」
セタンタがケルベロスに礼を言う。
襲撃してきた悪魔たちを全て倒したケルベロスは、初めて嗅ぐ不気味なニオイと背筋が寒気立つ気配を感じ取り、この場に現れた。
そして、来て正解だったと思う。ケルベロスが睨み付ける先には、マザーハーロットが何事も無い様に立っている。
その黄金比の肉体は、立っているだけでも一つの芸術となりえたが、ケルベロスからは、マザーハーロットはあまりに不気味な存在に見え、存在すること自体に強い拒否感を覚える。
「二人とも彼とは知り合いでしたか。――ここに来たのは間薙君の指示かい? ケルベロス君」
「……アイツハ変ナ二人ニ何処ヘ連レテイカレタ。他ノ仲魔トモハグレタ」
その返答に、ディハウザーだけでなくセタンタ、グレイフィアの表情が曇る。シンの強さは知っているが、それでも無事で居られるという確証は無く、またピクシーたちもこの場所は危険過ぎる。
その非が自分たちにあると分かっている故に、ケルベロスに対して罪悪感を覚えてしまう。
グレイフィアが何か言おうと口を開いたとき――
「マア、強ケレバ生キ残レルダロウ。弱ケレバ死ヌダケダ。オレモ、コイツノコトニ集中シナケレバ死ヌ」
達観とも冷淡とも呼べるケルベロスの態度。しかし、間違ったことは言っていない。グレイフィアたちもこの先、生き残れる保障は無い。
グレイフィアは、喉から滑り出そうになっていた謝罪の言葉を呑み込み、『そうですね』と同意の言葉に変える。
「気をつけてください」
セタンタは声を潜めてディハウザーに注意すべきことを告げる。
「あの魔人は二人組です」
「二人組、ですか」
あの魔人に近い力を持った存在がもう一人居ることに驚くべきなのかもしれないが、その余裕すら、目の前に居るマザーハーロットを警戒するディハウザーには無い。
「もう一人というか、正確にはもう一頭ですが、どこかに潜んでいるかもしれません」
「それは――無いかと思います」
セタンタの警告に、グレイフィアが口を挟む。
「私も気になっていましたが、彼女自らが言っていました。遊ばせに行かせた、と」
その言葉に、セタンタの眉間に深々と皺が刻まれる。
この場所の何処かで、マザーハーロットと同じ脅威が暴れようとしている。それに巻き込まれるのは一体誰か? リアスたちか? サーゼクスたちか? シンか?
誰にせよ、グレイフィアたちは一刻も早く目の前魔人を退けなければならない。
グレイフィアたちの心の中の焦りを愉しむ様に、マザーハーロットは顎を震わせ、人を食う様に嗤う。
◇
シンはひたすら神殿に向かって走っていた。時折、遠く離れた場所から聞き慣れない音と破壊音が聞こえてくる。
バトルフィールド内でも誰かが戦っている証である。その音の方に向かえば、オカルト研究部のメンバーの一人ぐらいに会えるかもしれないと考えたが、すれ違う可能性も考慮し、結局最も目立つ神殿のみを目指すことにする。
行けば味方か、敵の一人ぐらいは居るだろうと考えながら。
ある程度神殿にまで近づいたとき、シンの足が止まる。
前方に、ローブを深く被った八名の人物の姿。ローブの者たちは、何かを探す様に視線を彷徨わせていたが、その内の一人がシンに気付くと皆の視線が一斉に向けられる。
そのローブにはシンは見覚えがあった。ディオドラの眷属たちが纏っていたのと同じ装飾である。
「お前は……」
向こうもまたシンの顔に見覚えがあるらしい。
「……アーシア・アルジェントは今何処に居るか知っているか?」
ローブを纏った集団の一人の問いに、シンは表面上無表情に徹しつつ、内心では眉をひそめる。
(どういう状況だ? アーシアが行方不明になったのか?)
きな臭いと感じていたディオドラの眷属が、アーシアの行方を探す。いくつか考えられる可能性が浮かぶ。リアスの眷属のうちの誰かが、アーシアを連れて逃げ回っていること。乱入してきた禍の団がアーシアを連れていってしまったこと。
あるいはどちらにも関与してない別の存在にアーシアが連れていかれたこと。この考えをしたとき、脳裏に単眼の巨象の姿が浮かび上がる。
シンはこのとき解答を知らなかったが、最後の考えは当たっていた。ディオドラの眷属たちは、当初の計画では神殿内でリアスたちを待ち構えるという予定であったが、主のディオドラからアーシアが逃走したことを告げられ、彼女たち八人の『兵士』は神殿の外を探し、残りの眷属たちは神殿内でアーシアを探している。
「黙っていないで、何か言ったらどうだ?」
沈黙し続けるシンの態度を無視と判断したのか、声に少し感情が乗る。
それでもなお、シンは彼女らの存在など見えないかの様に何も喋らない。
「……沈黙は決して利口な答えでは無いぞ?」
ディオドラの眷属たちが構え始め、その手に魔力、あるいは魔法陣を浮かび上がらせる。全員既にプロモーションによって『女王』に昇格している。シンは八人の『女王』と一人で戦うことを意味している。
しかし、他者から見れば窮地という中でもシンは特に構えることはせず、右手、左手の紋様を淡く輝かせながら八人の眷属たちを見ている様で、その焦点はその向こうの神殿に向けられていた。
この状況に於いてもシンは、彼女らを眼中に入れない。
隙があるようでいて、何故か攻めることを躊躇させるシンの無防備に等しい構え。対峙し、構え、相手の出方を窺うことで、彼女らは得体の知れない不気味さをシンから感じとっていた。
だが、いつまでも膠着してはいられない。彼女らには主からの命がある。絶対に逆らうことの出来ない主からの命が。
眷属の一人が一歩にじり寄る。削られる土の音。巻き込まれる砂利たちが擦れ合う音で、ようやくシンの目線がその音の方へと向けられた――が、すぐにその視線は別の方向を向く。
舐められているのかと思い、眷属たちから殺気が迸る。
「おっとっと。ちょっと待ってくれるかな」
殺気も薄れる様な軽い声と共に、白い翼を羽ばたかせて一人の青年がシンと眷属たちの間に降り立つ。
「どうも」
青年はシンとディオドラの眷属たちに気安い感じで挨拶をする。
シンにとっては初めて見る顔。ディオドラの眷属たちは『天使……』という声を洩らしながら、驚きと何故か怯えを混ぜた反応を見せる。
「……誰だ?」
「初めましてー。イリナちゃんと同じ『御使い』のデュリオ・ジェズアルドだよい。お見知りおきおー」
緊張感が無いというか、自然体とも呼べる態度で自己紹介する。
「えーと。君って間薙シン君で合ってる?」
「……そうですが」
「ああ、やっぱり。イリナちゃんから聞いた通り、凄い無表情。想像の倍はいってるね」
「……そうですか」
「気を悪くさせたらごめんねー。何か見事なまでに無表情というか鉄仮面みたいな顔だったからついつい。ああ、あと敬語とか使わなくていいよ。普段通りに喋ってくれていいから」
デュリオのマイペースさに、ディオドラの眷属たちは言葉を失っていた。一方でシンは、そのマイペースさにイリナと似た感じを覚える。転生天使というのは、基本的にこの様な性格なのだろうかと思い始めてもいた。
「……天使の御使いがこの場に一体何の用だ?」
ディオドラの眷属が、場の流れを制しているデュリオに逆らう様に会話に割り込む。その声は絞り出す様な声であり、デュリオを恐れている様にシンには聞こえた。
「まあ、用はあるね。――貴女たちにさあ」
軽薄にも見えた笑みが消える。憂いを秘めた眼差しで、デュリオはディオドラの眷属たちを見つめる。
「正直、こういうことをハッキリ聞くのは好きじゃないけど――どうして悪魔の眷属に?」
その問いに対し、ある者は息を呑み、ある者は視線を逸らし、ある者は身を守る様に己を抱き締める。動作はバラバラであったが、全員共通しているのは、デュリオの言葉に動揺していた。
「そっかぁ……全員かー……」
「どういう意味だ?」
「教えるけど、一つだけ俺のお願いを聞いてくれる?」
「……何だ?」
「ここは全部、俺に任せて欲しい」
「――分かった」
「あんがとね」
シンの質問への答えは至ってシンプルなものであった。この場にいるディオドラの眷属たちは全員教会の元信者たちである、と。
デュリオは、ディオドラの眷属たちの中に元教会関係者が、どれほどの数居るのか正確には把握していなかった。しかし、彼女たちの反応で全員が元信者であると確信した。
デュリオの中にやるせない気持ちが湧いてくる。
「で、だ。お姉さん方にお願いがあるんだけど。――出来れば、このまま黙ってこの戦いから手を引くっていうのは――」
「それは……無理な話だ」
「――そうですか」
穏便に済ませたいというデュリオの考えは、即座に拒絶される。デュリオ本人も甘い考えだと自覚しているが、それでも穏便に済ますことに一縷の望みを懸けていた。結果が駄目であったが。
「……なら、仕方ないのかなー」
その言葉で、デュリオが戦闘態勢に入ったと思ったのか、ディオドラの眷属たちが一斉に構える。
「――何がそんなに怖いの?」
構えるディオドラの眷属たちを見て、デュリオは目を細めて問う。微かに震える指先。ローブで顔を隠しているが、一筋に汗が流れている者も居る。
デュリオの未知の力を恐れているというよりも、別の何かに恐れている様子であった。
「私達には……もうここしかないのだ」
強迫観念に満ちた言葉であった。自分たちを縛る唯一のものに縋り、依存する様は、デュリオには痛々しく見える。
「俺が天使だからしんどいのかい? それとも教会に関係しているから? 或いは両方? 止めたいなら止めてもいいと思うぜい? 誰も怒りゃあしない。当然俺も怒りはしないよ。まだ間に合う」
「教会を……! 神を裏切った我らに、最早行く場所などありはしないのだ!」
涙に濡れた声で一人が叫び、デュリオに向けて魔力の塊を飛ばす。それに伴い他の眷属たちも次々に魔力を放った。
過去との決別、というよりも自傷行為を彷彿とさせる行動。堕ちた身故に救いも求めず、救いの手も払い、更に堕ちることを自ら罰とした行為。
秘めた叫びを乗せた様な攻撃に、デュリオは悲し気に息を吐く。
途端、デュリオの周囲を囲う様に氷壁が現れ、魔力を防ぐ。シンもまたその氷壁によって守られながら、冷静に氷壁について観察もしていた。
厚みはそれ程無く、向こう側が透けて見えるほどの透明度と薄さだというのに、魔力をいくら浴びせられても、氷壁は砕けず、溶けず、シンたちを守る。
出会って、たかが数分程度。デュリオがどんな能力を持っているかなど全く分からないが、この氷壁は力の一部でしかないのは分かる。デュリオからは、まだ底が分からないほどの余力が感じられた。
全ての攻撃を防ぎ切ると、氷壁が呆気無く溶けて消える。
氷壁が消えた後、デュリオは人差し指と親指で輪を作り、そこに息を吹き込む。輪の中から虹色のシャボン玉が息を吹き込む度に作られ、それがフワフワと漂いながら眷属たちに向けて飛んで行く。
得体の知れないシャボン玉を恐れ、皆がそれに魔力を放つ。
魔力が直撃し、割れたと思った彼女らの目の前に割った筈のシャボン玉が漂ってくる。
シャボン玉は強風に扇がれた様に魔力が触れる直前に避け、そのまま速度を増して彼女らの側まで移動していた。
シャボン玉が彼女らに接触し、音も無く割れる。その途端、彼女たちは目を見開き、次の時に滂沱の涙をその目から流す。
蹲り声を押し殺して泣く者。空を見上げて呆然としながらただ涙を流す者。感情のままに泣き叫ぶ者。反応は異なるが、全員から戦意が削げていた。
「今更……今更こんなことを思い出して、どうなるというんだ……お前は、残酷だ……!」
嗚咽の混じった声で非難する眷属の一人。
「憎んでも、恨んでくれてもいいよ。それで立ち止まってくれるなら。……俺には、堕ちるとこまで堕ちようとするお姉さん方を黙って見ていられなかったんで」
デュリオはもう一度指で輪を作り、そこからシャボン玉を噴き出す。
今度は抵抗も無く、抵抗する気力も失ったのか簡単にシャボン玉は彼女たちに触れる。
シャボン玉は割れずに、彼女たちを包み込んでしまう。
ふっ、とデュリオが息を送ると眷属たちを包み込んだシャボン玉は、空に向かって飛んでいってしまった。
「――何をしたんだ?」
「あのシャボン玉はさあ、触れた相手に昔の大事な記憶を蘇らせるって力があるんだよ」
「成程」
シンはデュリオの説明に納得する。大切な記憶と今の現実との非情な差を突き付けられ、あの眷属たちは泣き崩れたのだろう。下手をすれば精神崩壊、もしくは自殺にすら追い込めそうな能力である。
「言っとくけど、あんまりえげつない追い込み方なんてしないよ」
シンの考えていることを見抜いて、デュリオは誤解しない様に言う。
「それにしても――」
デュリオは地面に腰を下ろし、疲れた様に溜息を吐く。
「しんどいなぁ。誰もが幸せってのが一番だけど、中々最良の方法なんて見つかんないねえ」
「――これが最良かは知らないが、血は流れなかったな」
「慰めてくれんの? あんがとね。あ、シンたんって呼んでいい?」
変な愛称を付けられたが、可否は答えずに話を進める。
「俺一人だったら血は流れていた」
「え? スルー? 勝手にシンたんって呼ぶよ? ――じゃあ、俺がこっちに来て正解だったのかなー……」
「ところでイリナは?」
「こっちに入ってきた所で分かれた。広いし、手分けして探す為にね。ディオドラの眷属の中に俺が昔世話になった人も居るんだけど、もしかしたらイリナちゃんが向かった方に居るかも」
「そうか」
詳細な事情は分からないが、ディオドラの眷属たちは真っ当では無い理由で眷属になったことと、デュリオとイリナはそれを伝えに、或いは真相を突き止めに来たのだと推測する。
デュリオはゆっくりと立ち上がる。
「お話はここまでかな?」
「だろうな」
ディオドラの眷属たちとの戦いは終わった。だが、シンはまだ紋様を輝かせ、警戒を解いていない。そもそも、デュリオもわざわざ彼女らをこの場から遠ざけるという謎の行動をとっている。
背中に走る悪寒はまだ消えない。寧ろ強まってきている。
シンがディオドラの眷属たちから目を離したのは、デュリオの存在を感じとったからではない。そもそもシンの視線とは違う方向からデュリオは現れた。
デュリオは、会場で感じた気配とは似て非なる気配を、このバトルフィールド内に入った直後から感じたことに内心驚いていた。
ただの気配ではない。心の中を侵す様などす黒く、呪いの様な穢れた気配。それを感じるだけで、純白の翼が穢されていく気分であった。
「本当に俺がこっちに来て正解だ。イリナちゃんには悪いが荷が重い。――というか俺でもキツイ」
「外れかもしれないぞ?」
「まあ、そんときはそんときってことで」
冷たい死を伴った穢れが近付いて来る。方角は――頭上。
二人の行動は迅速であった。頭上から迫るそれに向け、デュリオは竜巻を起こす。
大地を抉りながら回る小規模ながらも破壊を秘めた高速の旋風。土煙に濁ったそれに、シンは炎を吐き出した。
灰色の竜巻は一瞬にして紅に染め上げられ、竜巻が周囲の空気を取り込むことで炎は更に激しく燃え盛る。
即席の連携によって生み出された火炎旋風が中に居る者を焼き尽くそうとする。だが、その赤い竜巻も内側から放たれる一撃によってただの火の粉となって霧散する。
中から現れたものを一目見た瞬間、デュリオの表情から血の気が失せ、脂汗を流し、苦痛に耐える様な顔となる。
全長数メートル程で決して大きな体躯ではない。暗い赤の体、それは乾く前の血と似た赤色。その体に一定間隔にある黒の紋様。紋様は生物の様に蠢き、形を秒単位で変化させていく。
長い尾と両翼はまるでドラゴンを彷彿とさせるが、その体から生える頭はドラゴンとは異なる。
鼻が削ぎ落された様に低く。瞳の無い白い目。上顎を突き破りそうに下顎から伸びた長く、反った牙。獣と人を混ぜ合わせた様な顔は見る者に嫌悪感を与える。
王の様に黄金の冠を被り、頭頂部から伸びる角。
赤い獣の目がシンとデュリオを右から見て、左から見て上から見下し、下から見上げ、真正面から見て来る。
目線の数に矛盾は無い。何故ならその赤き獣から伸びる頭は一つでは無い。その体躯が窮屈に感じさせる七つの頭。どれも同じ顔をしているが、唯一の個性として生える角の数が違う。
一本あるもの、二本あるもの、角がないもの。その角の数は合わせて十。
知識ある者が赤き獣の姿を見れば、恐れ戦き、あるいは発狂するかもしれない。
その赤き獣は、過去に、未来に、そして終末に現れる存在。
しかし、この場に立つ二人にはその赤き獣についてあれこれと考える余裕は無い。その暇など与えてくれることすらさせて貰えない。
赤き獣は咆哮を上げる。その咆哮が二人の耳に入った瞬間、脳を穢す様に聞くに耐えない罵声、暴言、怒声、冒涜、侮辱の言葉へと変換される。
頭の中で鐘を鳴り響かせられたかの様に大音量でそれが反響する。無意味と分かってしても鼓膜を抉り取りたくなる衝動に駆られる。
シンは言葉から逃れる為に身を丸めそうになるのを、奥歯を擦り減るかと思うほど強く噛み締めて耐える。
デュリオは、膝の力が抜け片膝を地面に付けてしまう。赤き獣に対して、デュリオの体は先程から過敏に反応しており、その存在だけでも悪影響を及ぼされている。
彼らは知るまい。その常に蠢く赤き獣の紋様は、神を冒涜する言葉の集合体であり、常に新たな言葉が出ては、別の誹る言葉に覆い被されていく。
視覚化された呪詛であり穢れ。吐き出される鳴き声すら相手を呪い尽くす。その場にいるだけで空気を、大地を汚染し、全てを己の領域へと変えていく。
赤き獣は唸り声を上げ、両翼を羽ばたかせて飛び掛かってくる。最初に狙うのは、赤き獣の影響を最も受けているデュリオ。
七つの頭が人の頭など容易く噛み砕けるほど大口を開ける。
分かり易く狙う獣の前にシンが立ち塞がる。シンがデュリオを守る様に横入りしてきても獣は、眼中にも無い様に速度を緩めない。
シンは迎撃するのではなく獣に向かって走る。距離は瞬く間に詰められたが、獣はあくまでデュリオに狙いを定めており、どの頭もシンを襲おうとはしない。
獣の胸元にまで接近すると同時に、シンは拳を打ち込む。
拳に伝わってくる感触をどう表現すればいいのか。ただ分かるのは、自分が全く無意味な行動をしているということであった。
シンの拳では獣の動きを鈍らせることも出来なかった。
獣の走破は止まらず、シンはもう一方の手を獣に叩き付ける様に当て、つま先を地面に刺す様に立てる。
まるで赤子と大人の力比べであった。獣の速度は緩まず、シンのつま先は後方に向けて地面に溝を刻むだけ。
触れられることを鬱陶しく思ったのか、頭の一つが開いた口をシンに向ける。頭蓋を噛み砕き、その中身を啜り取る為に。
牙がシンの脳天に突き立てられる前に、頭上から迫る獣の顎を掌で打ち、開かれた口を無理矢理閉じさせる。
しかし、獣にとっては何ら影響も無いこと。噛み砕く牙と啜り取る口はまだ六つある。
残り全ての頭がシンの体を引き裂く為に牙を剥く。
「危なっかしいことをするのう」
絶体絶命の状況の中で穏やかとも言える年季の入った声。直後、シンの顔のすぐ側に突き出される三ツ又の槍。
空気を震わす音と共に、槍の先端から一条の光が放たれ、獣の体に当たる。か細いとも言える光が、前進する獣にその場でたたらを踏ませ、更には後退させていく。
シンを八つ裂きにするはずだった七つの頭は、空振りに終わる。
シンと獣との距離が十分に開いたとき、獣を押し込んでいた細い光は、獣の姿が光で見えなくなるほど巨大なものとなる。力を更に注いだのか、あるいはあの細い光自体が元々これ程力を束ねていたのか分からないが、地面を抉りながら獣を彼方へ飛ばしていく。
数百メートルほどの距離を光が奔った後、消える。
「やれやれ」
突き出していた槍をクルリと回し、肩に担ぎながらシンの隣に並ぶのは隻眼の老人――オーディン。
「また会ったのう」
「貴方は……」
シンは、前のレーティングゲーム後に病室前でオーディンと会ったことを思い出していた。
「もしかして、オーディン様、ですか?」
痛みに耐える様な途切れ途切れの言葉で、デュリオがその名を呼ぶ。
「あんまり喋るな。天使のお主があれと戦うなんぞ自殺行為だわい。よく形が保てているものよ。ただの天使なら堕天を通り越してとっくに消滅しておる」
「は、はは、一応ジョーカーなんて、呼ばれて、いるんで」
血の気の無い顔で無理矢理笑ってみせる。痛々しく感じるその笑みに、オーディンは呆れた様に溜息を吐くと指を宙に走らせ、何か文字を書き、それをデュリオに向けて飛ばす。
デュリオの胸に、見たことの無い文字が浮かび上がり、一瞬だけ輝いた後に消える。すると、デュリオの顔に僅かに血の気が戻ってくる。
「気休め程度にはなるだろう。しかし――」
オーディンは目を細め、愛槍によって吹き飛ばした獣を見る。
「頑丈な奴め」
シンもまた目を凝らして獣を見る。オーディンの言う通り、あれ程の攻撃を受けても獣に目立った傷は見えない。思い返せば、炎の竜巻のときも無傷であった。
咆哮を上げる獣。その声にオーディンも顔を顰めた。
「耳障りな声だわい」
獣がシンたちに向かって走り出そうとした、そのとき。
真上から巨大な影が獣を踏み潰す。その勢いで地面は割れ、割れた大地は隆起し、土煙が舞い上がる。
急なことに驚く暇も無く、落下による轟音の余韻を掻き消す雷鳴の如き声が響き渡る。
「可能な限りここから離れろ!」
土煙で姿は見えないが、その声をシンは知っていた。
「……タンニーン?」
答えが当たっているのか判明する前に、オーディンが呟き、半透明の円がシンたちを包み込もうとする。
円が全てを覆う前にシンは見た。土煙の中で輝く橙の光を。
次の瞬間には、シンたちは別の場所へ跳んでいた。元居た場所からどれほど離れているか分からない。
大地を揺るがす様な衝撃と音が聞こえる。
音の方に目を向けたシンの目に映ったのは、煌々と輝く炎。それは地平線に沈む太陽の様であった。
◇
血の痕と苦痛に呻く声を引き連れながら、旧魔王派の悪魔たちはひたすら逃げていた。
行く当てなど無い。ただ少しでもあのオーディンから離れたかった。
あれ程居た悪魔の数は、今では数え切れる数にまで減少している。更に殆ど負傷しておりまともに戦える者だけを数えたらもっと少ない。
先頭で誘導する上級悪魔は、屈辱と恐怖で頭の中が埋め尽くされていた。
神であるオーディンに復讐したいという気持ちはある。しかし、見せ付けられた力のことを思い出すと体が自然と震える。既に心が折られている状態であったが、その事実から必死に目を背けていた。
何処へ行けばいい。何処に逃げればいい。敵を前に逃亡してしまった自分たちには戻る場所は無い。『禍の団』に戻った所で、事情を知られたら残っている旧魔王派たちによって処分されるのは目に見えている。それどころか、戻る前に今回の作戦を指揮している二人の魔王によって処刑される可能性の方が高かった。
最悪しか待っていない未来に、何処で間違ったのかと自問自答してしまう。
答えの出ない自問に、一人葛藤する。
「……?」
ふと、葛藤の合間に疑問が生じた。
静か過ぎる。
深く没頭し過ぎて、それに気付くのが遅れた。苦しむ声も呻く声も聞こえなくなり、妨げになるものが消えていたせいでもあったが。
立ち止まって振り返る。
そこには付いてきている筈の他の悪魔たちの姿は無かった。
「どういう、ことだ……?」
考えが追い付かなくなりそうになる。少ないとはいえ、転送用魔法陣など無しで悪魔たちが一斉に消えるなど在り得ない。
混乱による沈黙の中、地面を這うザリザリという音が聞こえてくる。
音が聞こえた先には大小様々な岩が並んでおり、音の主はその岩の陰に隠れている。
現魔王派の悪魔でも潜んでいるのかと警戒し、ゆっくりと距離を取ろうとしたとき――
「うあっ!」
岩から何かが伸びてきた。それが瞬時に足に巻き付く。咄嗟に外そうとするが、巻き付いた箇所から白煙が上がり、悪魔の肉体を滅していく。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
生まれてきてここに至るまでの間で、間違いなく最上級の痛み。逃げようとする意識を上塗りし、ただ激痛のみで染め上げ、何も出来なくさせる。
巻き付いた何かは、悪魔を凄まじい速度で引き寄せ、岩陰の中へと連れ込む。
そして、悪魔は見た。陰に隠れたものの姿を。
その姿は――
「――はっ?」
悪魔は気付けば光の無い空間に立っていた。不思議なことに、光源が無い筈なのに自分の姿がくっきりと見える。
いくら悪魔が夜目が効くといっても微小の光が全く無い漆黒では見ることなど出来ない。闇の中で自分だけ浮き出ている様に見えた。
「どこだ……?」
見回すが何も無い。出入口も無い。そもそもどうやってここに来たのかすら分からない。
悪魔にはここに来る前の記憶が完全に抜け落ちていた。
「一体……ッ!」
もう一度見回したとき、悪魔は見つける。誰かの後ろ姿を。
「おい!」
その後ろ姿に向かって全力で走る。かなり遠くに見えた筈なのに、不自然なまでにあっという間に接近していた。だが、悪魔はこの不自然さを何故か気にもしない。
「んんー?」
声に反応し振り返るその人物。男であり白髪に神父服を纏っていた。悪魔にはその人物に見覚えがある。作戦前に協力者なので手を出すなと言われた者であった。
「お前は……」
「お前もかぁ……?」
「いったい――」
「お前も俺を殺しに来たんだろぉー?」
悪魔は気付く。白髪の人物の足元に転がる同胞の姿を。悪魔の見ている前でその体は粒子状に分解され、白髪の男の体に吸い込まれていく。
「何をしたっ!」
「やっぱ殺しに来たのかー。そうだよなー、そうじゃないかと思ってたんだよ」
「質問に――」
「やだなぁ。やだやだやだやだ。殺されるなんてノーサンキュー。絶対無理」
嚙み合わない会話に業を煮やし、悪魔は白髪の男に魔力を放とうとして気付く。魔力が出てこない。息をする様に、生まれたときから共にあった魔力が一切反応しない。
「これは! があっ!」
動揺する悪魔を、白髪はいきなり殴り飛ばす。
地面に倒れる悪魔に、白髪は跨った。
「殺されるのが嫌なら――先に殺るしかないよぁー?」
悪魔の顔を何度も殴打する。悪魔は身を守ろうとするが、白髪の拳はその甘い防御を抜けて的確に悪魔を痛めつける。
「誰だって死にたくないよ! 俺もそうだ! てめえもそうだろ! だけど俺の代わりに死んでくれ! っていうか死ねぇぇぇぇぇ!」
両手で悪魔の首を締め上げる。見る見るうちに変わっていく悪魔の顔色。
「フ、リー、ド」
白髪の男――フリードの名を最後に呼び、悪魔の体は先程の様に粒子状となってフリードに吸収されていく。
「フリード……? 誰? 何だろ……すっごく大事な様な気が……」
自らの名前すら思い出せないフリードは、視線を斜め上に向け考える表情でフラフラと立ち上がる。
「……あ」
フリードを取り囲む幾つもの姿。人では無い。鷹の上半身と獅子の下半身を持つ獣。岩の肌を持つ蜥蜴。九つの頭を持つ蛇。蒼い鱗の龍。半透明の軟体生物。様々な種類に富んだ怪物たち。
統一感の無い群れであったが、唯一、フリードに向ける並々ならぬ殺意だけは共通していた。
「またかよ……」
フリードは何も見えない天を仰ぐ――が、すぐにその顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「そういや殺したら何か分かったんだよねぇ! ということは殺れば殺るほど俺がだーれなのか分かるってことだよねぇ? ドゥーユーアンダスタン? 諸君?」
殺意の中で、フリードは道化の様にはしゃぐ。
「だからさぁー、どいつもこいつも死んでくれやぁぁぁ! 俺の為によぉぉ! 皆死んでくれ! 俺の為に犠牲になれ! 俺の為に殺されてくれ! 俺の為にくたばってくれ! はははははははははははは!」
暗闇の中で狂人と怪物たちが殺し合う。否、これは戦いでは無い。
これはあるものの中で起こっている共喰いである。
書いてて物理吸収って難しいなーと思いました。
RPGと違って回復の表示が無いので気付くのに難しいことと、殴って回復する様子を見たら自己治癒能力と勘違いしそうですよね。