ハイスクールD³   作:K/K

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巡合、右足

 平地にて一人でポツンといる人物――デュリオは、死人を彷彿とさせる顔色に尋常では無い汗を流しながらも、目を閉じ、腕を組み、胡坐をかきながら静止状態を続けていた。事情を知らない者が見れば、死んでいると錯覚するほどに微動だにしない。

 

(……情けないなー)

 

 赤き獣の穢れによる肉体、精神を蝕まれる苦痛の中で、デュリオは己の不甲斐なさを自己嫌悪していた。通常の天使ならば視界に入れただけで即消滅するほどの穢れをその身に受けてもまだ考える余力があるのは、神滅具所有者だからというよりもデュリオ個人の精神力の強さ故であった。

 その苦痛に耐えながら、デュリオはその身に宿す神滅具『煌天雷獄』の力と、天使の光の力を合わせて、体内の穢れを取り除いている。

 

(大丈夫かな。オーディン様やシンたんは……)

 

 彼をここに連れて来たオーディンと、僅かな間だが共闘したシンのことをそんな状況では無いと分かっていても心配してしまう。

 後は離れる隙を作ってくれたあの巨大な存在――オーディンとシンが言うに元龍王であるタンニーンらしい。龍王の名の大きさと強さはデュリオも承知のことだが、それでも相手はあの魔人とほぼ同格の存在。一人で戦うには危険である。だからこそ、オーディンもシンもすぐに戻ったのだが。

 

(あのお姉さんたちも……上手く戦場から離れられたかな……)

 

 シャボン玉に閉じ込めて飛ばしたディオドラの『兵士』たちのこともデュリオは心配していた。

 神滅具の力を回復に回したせいで、シャボン玉に向けていた力は途切れた。シャボン玉はすぐに割れることは無いが、いずれは割れる。問題は割れた後、彼女たちが何処に居るかである。

 なるべく戦いから離れた場所に運ぶ予定であったが、シャボン玉が割れた場所がそこだという保証は無い。ましてや彼女たちは完全に戦意喪失している状態である。そうしたのはデュリオであり、彼は彼女たちを無事助けるという責任を自ら背負っていた。

 

(……このままじゃ終わらない)

 

 デュリオは静止した中で、内に想いを滾らせる。神滅具の力の根本は想いである。その想いをくべる度に神滅具は活性化していく。

 天界の切り札は、自らを切る時の為に力を取り戻し続ける。

 

 

 ◇

 

 

 帝釈天がいきなり立ち上がる。それだけの動作で周りにいる付き人たちは、落雷でもあったかの様に大袈裟に体を震わせる。尤も、帝釈天という存在を知っている者ならばそれが大仰だとは思わないだろう。彼の一動作一動作は雷鳴の様に心臓に悪い。

 ことの成り行きをただ観客の様に静観すると宣言していた筈の帝釈天が動いたことに、周りにいる付き人の一人が恐る恐る尋ねる。

 

「ど、どうなされましたか?」

「ああん?」

「ひぃっ!」

 

 丸グラス越しに帝釈天に睨まれた付き人は、一瞬にして蒼白となり、生まれたての家畜よりもその身を震わせる。

 

「そんな質問をしている時点でナンセンスだZE。お前ら、全員天界に戻ったら一から修行し直せ」

 

 帝釈天は、僅かに漂う魔人の気配を鋭敏に感じ取っていた。甘い、というよりもいざなわれる様な官能的な気配。それに気付かない力量不足の周囲を嘆くが、同時にもし感じ取っていたなら、抵抗する間も無くこの魔人の気によって骨抜きにされ、廃人となっていることが予想出来ていた。

 

「ちょっと出てくるZE」

 

 帝釈天が部屋から出ようとして、周りは慌てて後を追おうとする。

 

「一体どちらへ!」

「暇つぶし」

 

 悪魔同士のつまらない小競り合いを見物しているよりも、神出鬼没の魔人と戯れる方が遥かに面白そうである。

 周りには具体的なことは言わない。付いてくるなら、帝釈天は直前まで魔人について喋るつもりはなかった。知らない内に魔人と邂逅したらどんな反応を示すのか、質の悪いサプライズを考えながら帝釈天は部屋の外に出る。

 

「ん?」

「あん?」

 

 部屋を出た直後、天井に頭が着きそうな巨体が目の前を通り過ぎようとしていた。

 四本の腕。鉱物から削り出された様な荒々しい肉体。頭頂部には噴き出す様に燃える炎。

 それは、帝釈天の良く知る化物であった。

 

「――おやおやおやー?」

「――HAHAHAHAHA!」

 

 帝釈天を見た途端、その異形は牙が並ぶ口を歪めて笑みらしきものを見せる。帝釈天もまた化物を見ると声高らかに笑い始める。

 互いに一拍置いたのは、この邂逅が完全な不意打ちだったことにある。帝釈天もそうだが、この化物もまた微かに漂う魔人の気配を追っていた。意識がそちらの方に傾いてしまった為に、お互いの存在を察するのが疎かになってしまっていた。

 花の蜜を探す蝶の様に。尤も、両者の存在は蝶の様に華やかで脆弱なものではない。理不尽にして不可侵な存在。

 

「こんな所で呑気にゲームの観戦かぁ? 良い身分だなぁ? ああ、そう言えば良い身分だったな。訂正するぜぇ。何様だぁ? ああ、そう言えば神様だったなぁ。名前は御大層だけど中身がからっきしなせいですぐに忘れちまう」

「化物もボケるのか? 初めて知ったZE。というかここに中身が入っているのか? 化物っていうのは? お前の場合、酒が代わりに入っているんじゃないのか? まあ、それだったら空っぽの方がマシだな」

 

 出会って早々、悪意を剥き出しにして互いを皮肉る。

 

「へっへっへっへっへっへ!」

「HAHAHAHAHA!」

 

 気の合う親友の様に笑い合うが、相手への嫌悪を微塵も隠そうとはせず、敵意を超えた殺意をぶつけ合う。

 衝突し合う殺気は物理的な影響も及ぼし、帝釈天たちが笑う度に壁や床に亀裂が生じ、空間全体が細かく震える。その現象は、まるで世界が彼らに恐怖していると錯覚させる。

 両者とも人知を超えた存在故に、向け合う殺気など涼風の様に流してしまうが、仮にこの場に並みの人、悪魔、天使が居れば、二人の殺気で死を迎えていたであろう。

 そして、大勢の死が生まれたとしても彼らは止まることは無く、また止めることも出来ない。そもそも彼らの争いを止められる者など、この世に数える程度しか存在しない。

 帝釈天の付き人など、二人が認識し合った瞬間に九割が気絶し、残りの一割はまだ自分の意識が有ることを呪い、ひたすら気を失うことを願うという現実逃避をしていた。

 

「お前のその耳障りな笑い声、二度とさせなくしてやるよぉ! インドラァァァァ!」

「気安くなぁ、そっちの名で呼ぶんじゃねえよ! マダァァァァ!」

 

 業火と雷が怒号と共に発せられ、衝突し、打ち消し合う。この時に最後の付き人も意識を失う。これにより完全に二人のみの領域と化す。

 会場内では未だに旧魔王派の悪魔たちが活動しているが、最早二人にとってはどうでもいいこと。そもそも既にこの場は逸脱した者しか入ることが出来ない神域となっている。仮に資格が無い者が踏み入れれば、肉体だけでなくその魂すら消滅させられるだろう。

 旧魔王派の襲撃。魔人の襲来。そこに更なる厄災が重なる。

 神とそれに近い力を持つ阿修羅の戦い。誰かが止めなければ確実に冥界は滅びる。

 

 

 ◇

 

 

 ギリメカラとアーシアの逃走劇が開始された直後に、ゲオルクは一切手を緩めることなく追走する。

 鈍重な見た目とは裏腹に凄まじい速度で走るギリメカラ。背に乗るアーシアは、向かい風に目を閉じながら、落ちまいと必死な様子でしがみつく。

 一方ゲオルクの方は、『絶霧』の能力を応用し、前方とそこから離れた位置に霧を発生させ、その霧を通って短距離の転送を繰り返すことで、身体能力が劣っていてもギリメカラたちとの距離を一定に保てられていた。

 この方法を使えばギリメカラを追い抜くことが可能だが、ゲオルクは何故か先回りしない。当然ゲオルクも最初はしようとしたが、それをやろうとした結果ギリメカラは転送先に毒を含んだ息を吹きかけられ、転送した瞬間に毒殺出来る状況に仕上げてしまった。

 ならば見えない位置に転送すればいいという考えもあるが、その場合ギリメカラは即座に方向転換する可能性が高い。わざわざ相手が待ち構えているかもしれない道を走る必要など無い。

 しかし、いつまでも追い続けても埒が明かないことはゲオルクも重々承知している。何らかの方法でギリメカラを足止めするか、アーシアを奪うしかない。それも限られた猶予の中で。

 

(……仕掛けてみるか)

 

 ゲオルクから霧が発生する。白い霧は、ゲオルクの姿及び通路を覆い隠す程の密度と量であった。

 

「霧よ!」

 

 発生した霧がギリメカラたちに向けて撃ち出される。触手の様に幾本に分かれて伸びる霧。その速度はギリメカラよりも速い。

 

「ギ、ギリメカラさん!」

 

 それに気付いたアーシアが急いでギリメカラにそのことを報せる。だが、ギリメカラは速度を上げることも進路を変えることもせず、直進し続ける。

 

「きゃっ!」

 

 間近に迫った霧に、アーシアはギリメカラに密着する様に身を低くするが、アーシアの想像とは異なり、霧の触手はギリメカラたちを素通りする。

 霧の触手の群れは、ギリメカラたちの現在位置から十数メートル程度離れた先で絡み合い始めたかと思えば、一気に形が崩れて通路の両端、天井まで広がり、通路を塞ぐ壁と化す。

 

(さて、どうする?)

 

 通路に霧が張られてるだけに思われるかもしれないが、強度だけなら例えギリメカラが全力で突進しても防ぎ切れるし、それどころか神滅具の一撃すら耐え切ってみせられると豪語出来る。

 『絶霧』の壁を前にしてギリメカラはどう対応するのか。そのとき、前方ばかり向いている筈のギリメカラが一瞬だけゲオルクの方を見た。

 単眼を細め、その長い鼻を一回鳴らす。ギリメカラは、ゲオルクの絶霧を鼻で笑ったのだ。

 ゲオルクはそれを見た時、血流が増すのが分かった。ゲオルク自身が自慢することは無いが、少なくともゲオルクは人として生まれも才能も上位に位置する。それに溺れるつもりもないし、鼻に掛けるつもりも無い。だが、それでもそれなりのプライドというものが成される。

 ゲオルクの人生の中で一瞬だけのこととはいえ、ここまで小馬鹿にされ、下に見られるのは初めてのことであった。

 

「突破出来るものならしてみせろ!」

 

 誰の怒声かゲオルクは最初気付けなかった。一コンマ置いてそれが自分の声だと気付く。冷静さでは御しきれない激情が自分の中にあるとは。場違いな所で自分でも知らない一面を見た気がする。

 

「パオッ」

「は、はい!」

 

 それに答える様にギリメカラは鳴くが、ゲオルクにではなくアーシアに向けられたものであり、内容は『今すぐ目と口を閉じろ』というもの。

 アーシアはギリメカラの突然の指示にも疑問を持つことはなく素直に従い、その目と口を閉ざした。

 間も無く霧の壁にギリメカラが接触する。

 どうするのか。それを張ったゲオルクも自然と注目してしまう。

 ギリメカラは鼻で息を吸い込み、霧に向けてどす黒いガスを噴射する。それは、ゲオルクも見た毒を含んだ息であった。

 毒ガスは霧の壁に阻まれたかと思えば、霧の壁と混ざり合い始め、白一色であった霧の壁が白と黒のマーブル色に変わる。

 

「しまっ――」

 

 ギリメカラが何をしたのかに気付いたが、ゲオルクにそれを止める術は無い。ギリメカラは白と黒の壁に躊躇なく突進すると、壁は『絶霧』で出来たものとは考えられない程呆気無くギリメカラの侵入を許し、簡単に突破された。

 その光景を見せられたゲオルクの心は、屈辱感で蝕まれる。

 ギリメカラが行ったことは至極単純なこと。『絶霧』の中に自分の魔力を含ませた毒ガスを混ぜることで、ゲオルクの魔力を阻害し、『絶霧』本来の力を発揮出来なくさせたのだ。

 絶対的防御力を誇る『絶霧』が破れたことへのショックはゲオルクには無い。何よりも屈辱なのは、ギリメカラが破った方法がゲオルクの力不足を指摘するものであったからだ。

 霧の結び付きが甘いせいで、ギリメカラの魔力が入り込むのを許してしまった。もっと密度を濃く、結合を強めれば、先程の毒ガスなど跳ね返すことが出来たのだ。

 持ち前の頭脳故に、ゲオルクは自分の未熟さをすぐに理解してしまう。

 体の末端から頭の頂点まで血が煮える様な感覚であった。ゲオルクとて失敗した事がないわけでは無い。実験で多くの失敗を経験している。しかし、それは失敗も視野に入れてのこと。ミスを許されない時のミスはこれが初めてとも言える。

 

「パオ」

「あ、はい!」

 

 ギリメカラが『もういい』と言うと、アーシアは目を開け、口を開き、ついでに止めていた呼吸を再開する。

 アーシアが振り返ると、佇んでいるゲオルクの姿が見えた。

 つくづく色々な思いを味合わせてくれる相手だと、小さくなっていくギリメカラたちを見ながらゲオルクは思う。

 爪が食い込むほど握った拳を開く。

 

(まだだ。まだ終わっていない。俺にはまだ出来ることがある。これで終わりじゃない)

 

 ゲオルクは自分にそう言い聞かせる。神器を扱う上で最もやってはいけないことは『勝てない』『もうダメだ』と思い込むことである。その時点で神器はその相手に対して力を発揮出来なくなる。想いを糧にするということは、こういったネガティブな考えも反映してしまう。

 ゲオルクがギリメカラに対し、絶対に勝てないと思うことは二度と勝てないことを意味する。強引にでもその考えから抜け出さなければならない。

 敗北感を例え冷静さを欠くことになっても怒りに変える。自分への怒り、そしてギリメカラへの怒り。理由はどうあれ心が沸き立つことが神器の強さに繋がる。

 

「――ん?」

 

 ゲオルクの感覚があるものを捉えた。自分と同じ神滅具の力である。しかも禁手に至っている。

 

(赤龍帝か……)

 

 力の波動はそう遠く無い。アーシアを探しにここに来ているのだとしたら、赤龍帝が禁手化したのが一番考えられる可能性である。

 残された時間がもう少ないことが分かる。『赤龍帝の籠手』に後れを取るつもりは全く無いが、四大魔王の実妹であるリアス、魔聖剣の木場、聖剣使いのゼノヴィアという無視できない存在も居り、そこにギリメカラも加わるとなると分が悪い。

 

(早く終わらせなければ……攻め方を変えるか)

 

 神滅具へ道を塞ぐやり方から別の手段に変更することを決めると、ゲオルクは再びギリメカラを追い掛ける。

 霧そのもので足止めすることを止め、もっと単純な方法に切り替える。

 ゲオルクは、ギリメカラたちの頭上に向けて霧を伸ばす。その動きにギリメカラも気付くが、事を起こすまで何もしない構えをとる。

 石造りの天井に吸い込まれていく霧。すると、突然天井に幅数ミリの切り口が生まれた。

 ゲオルクは天井に吸い込ませた霧を内部で細長い形に変え、その形に合わせて天井の一部を別の場所に送る。

 それにより天井は内部から切断され、繋ぎ止めるものが無くなった結果、天井の一部が大量に落下する。

 原始的だが質量による足止め。正直アーシアも巻き込まれる可能性大の方法だが、ゲオルクとて必死である。成か否ギリギリの手段でなければ、ギリメカラからアーシアを奪うことは出来ない。

 上から降ってくる大量の石片。ギリメカラの今のままの速度で行けば巻き込まれず、道を塞がれるだけで済む。しかし、ギリメカラは逆に速度を上げた。

 

「ギ、ギリメカラさーん!」

 

 アーシアの悲鳴が聞こえるが、ギリメカラは無視。落石の中に突っ込んでいく。

 その光景を見てもゲオルクはもう驚かない。無茶苦茶に見えてもギリメカラの行動は一貫してアーシアを守るというものである――守る対象としてはかなり扱いが悪いが。

 一瞬にしてアーシアを圧殺出来る石片の塊が、アーシアの頭上に落ちてくる。アーシア本人はギリメカラにしがみつくことに夢中になっており気付かない。

 すると、アーシアに翳す様にギリメカラの鼻が後ろに伸びる。その鼻に石片が触れたか触れないか分からない内に、石片は弾かれて端に飛んでいってしまった。

 

(あれは……!)

 

 また一つ、ゲオルクはギリメカラの能力を見た。よく観察すれば、他の大小の石片もギリメカラの体に触れた途端弾かれていく。大きさも重量も関係無く。

 

(弾く……反射しているのか? もう少し確認する必要がある)

 

 ゲオルクは移動しながら足元に転がってきた石片を撫でる。撫でられた石片は宙に浮かび上がり、ゲオルクが指を鳴らすと一斉にギリメカラ目掛けて放たれる。

 すると、石片がギリメカラの臀部へ次々に直撃していくが、逆に粉砕されていく。

 このことが、ゲオルクに一つの仮説を与える。

 

(どうやら魔力を帯びたものは反射出来ないようだ。反射出来るのは物理的なもの限定か? だが――)

 

 相手の反射能力について大凡理解出来たが、問題はその先にある。石片を当てて分かったことだが、ギリメカラ自身も非常に硬い。ゲオルクが簡単に放ち、ギリメカラが何事も無い様にしているせいでそうは思えないだろうが、先程の石の投擲、人体ならば穴が開いていた。

 ギリメカラに傷を付けるには、反射能力とギリメカラの硬さという二重の壁を超える必要がある。

 『絶霧』自体に攻撃力は無いので、ゲオルクの魔術を使うことになるが、その魔術でも突破出来るか確証は無い。

 そんなことを考えている内に、ギリメカラは落石地帯を無事抜けてしまった。

 残されたのは、ギリメカラの足止めに失敗した無数の天井の残骸。

 

(――いや)

 

 残骸を見てゲオルクは一つ考えが浮かび、すぐさまそれを実行に移す。

 『絶霧』を伸ばし、大量の天井の残骸を包み込む。小規模で創り出した『絶霧』の結界。

 残骸を内包した『絶霧』の形を変化させる。四角形、それも可能な限り厚みを薄くする。すると中の残骸が圧縮されていく、大きな音を立てて砕けていき、『絶霧』の形に合わせられていく。

 圧縮され平たい形になった『絶霧』を更に分割し、三角形状へと変えた。

 結界を応用して即席で作り上げた『絶霧』の刃である。重量の無い霧だが、中に圧縮したトンを超える量の石を詰め込むことで重さを付け、更に魔力を帯びているのでギリメカラの反射能力の対象にはならない。

 

(これなら!)

 

 ゲオルクの周囲に浮かぶ複数の『絶霧』の刃。その先端をギリメカラに定め、そして放った。

 風切り音を超えて進むそれは、ギリメカラの足を掠り、またはギリメカラの臀部にその先端を刺す。

 

(どうだ……?)

 

 ゲオルクが注意深く見ると、掠めた箇所から、突き刺さった箇所の間から青黒い体を伝わって赤い血が僅かに流れていく。

 ギリメカラの体格から見ればほんのかすり傷。音速を上回る速さで発射したにもかかわらずその程度で済んでいることから驚異的な頑丈さである。しかし、活路は見えてくる。

 

(血を流させることが出来たなら――)

 

 途端、ギリメカラの体が緑色の光に包まれ、足の傷は無くなり、刺さっていた刃も勝手に抜け、刺傷跡に肉が盛り上がって傷を塞ぐ。

 

「大丈夫ですかっ!」

 

 ギリメカラが傷ついたと分かって、アーシアが神器を発動させた。

 その光景を見てゲオルクは理解する。ギリメカラを止めるには、反射能力を超え、ギリメカラ自身の防御力を超え、尚且つアーシアの治癒能力が追い付かない程の致命傷を与えるという三重の壁を超えなければならない。

 見えた活路が一秒も満たずに潰えたことを知り、ゲオルクは――

 

「アーシア・アルジェントッ! お前ぇぇぇ!」

「ひゃ、ひゃい! ご、ごめんなさい!」

 

 ――思わずキレた。

 名指しで怒鳴られたアーシアは反射的に謝ってしまう。性格からしてあまり敵を作らないアーシアだが、ここまで相手を怒らせたのは初めての経験であった。

 尚、ギリメカラの方は怒るゲオルクと、最高のタイミングで嫌がらせの様に神器を発動させたアーシアを面白がり、『よくやった』と鼻でアーシアの頭を撫でる。

 何もかも思い通りに行かず、怒りと苛立ちで煮える様に頭を抱えるゲオルクから遠ざかっていくギリメカラたち。

 

(まだだ! まだ手段ならいくらでもある!)

 

 活火山のマグマ溜まりとこの場所を繋げて一体を溶岩地帯にも出来るし、深海と周囲の空間を入れ替えて陸地でこの世で最も深い海水の味を教えてやることも出来る。いっその事、大気圏外と空間を繋ぎ合わせて隕石の雨を――。

 

「……はあ」

 

 そこまで考えて、ゲオルクは止めた。

 

「今回はそちらの勝ちだ」

 

 ついでに負けも潔く認め、これ以上ギリメカラたちを追うのも止める。

 深追いしてもゲオルクにとって益は無い。こちらの手札を相手に見せるだけのこと。仮にアーシアを奪還出来たとしても、喜ぶのはシャルバとディオドラだけ。虚しさも感じられない程意味が無い。

 

(やれるだけのことは最初にやった。これ以上連中の言う事を聞くのは調子に乗らせるだけだ)

 

 レーティングゲームのバトルフィールドの隔離。そして、無意味となったがアーシアの神器を利用した結界装置を渡しただけでゲオルクの役目は終わっていた。今までゲオルクがギリメカラたちを追っていたのはゲオルクの生真面目な性格故。シャルバが、自分を上手く転がしているつもりになっているのを当然見抜いていた。

 不本意とはいえ為すべきことが為せなかったことにプライドが傷付くが、引き際を見極めなければ醜態を晒すことになる。

 

「笑われるか? ――いや、笑われないか」

 

 仲間たちのことを思い浮かべ、自分の失態が嘲笑の対象になるか考えたが、すぐにその可能性を払拭する。寧ろ、このことで旧魔王派が責めることがあれば真っ先に自分を庇うだろうし、怒りも見せるだろうと理解していた。それでもこのことを曹操たちに報告するのは気が重い。

 ゲオルクはシャルバたちに何も言わずに去ることにする。顔を合わせて嫌味か皮肉でも言われたら、折角冷静さで押し殺した屈辱感と怒りが溢れて殺してしまうかもしれない。

 ゲオルクの足元から霧が立ち込め、体へ徐々に覆い被さっていく。

 冥界から消える前にゲオルクの視線はある方角に向けられる。

 

(曹操が言っていた通りになったか……)

 

 寒気立つ感覚。間違いなく魔人の気配であった。曹操が予見通り、マザーハーロットがこの地にやって来たのであろう。

 目的は何なのか分からないが、ゲオルクはそれについて深く考えるつもりは無く、当然彼女を手助けするつもりも無い。下手に手助けなどしたら巻き込まれて死ぬ可能性がある。

 マザーハーロットの力はゲオルクも知っている。彼女の力は敵味方の区別が付けられる程融通が効くものでは無い。

 精々、彼女が遠慮無しに力が振る舞える様に一刻も早く退散するのが一番の助けである。

 霧がゲオルクの首元まで這い上がる。転送の間際、ゲオルクは一言零す。

 

「次は、こうはいかない」

 

 この日の記憶と感情を心に深く刻み込み、ゲオルクは冥界から消えた。

 

 

 ◇

 

 

 疾走するギリメカラであったが、突然走るのを止める。

 急停止に振り落とされそうになるのを、四肢のありったけの力でしがみついて耐えるアーシア。

 伸ばされた鼻がアーシアの胴体に巻き付き、地面に降ろす。

 驚きながらギリメカラを見上げるアーシア。ギリメカラはいつの間にか獣から人型の姿になっていた。

 

「パオォー」

 

 眠気混じりの鳴き声。追手がもう来ないこと、一誠たちが近くまで来ていることを告げる。

 

「本当ですか!」

 

 ディオドラに攫われてから今までを時間にすれば短い時間の出来事であったが、その間の不安、焦燥、恐怖がそれを何倍も引き伸ばし、長く会って居なかった様に感じさせる。

 アーシアの双眸から安堵の涙が溢れ出ようとしていた。

 

「パオ」

 

 するべきことが済んだからもう寝る、とギリメカラは大きく口を開けて欠伸をする。

 

「あ、あの!」

「パオ……?」

 

 休眠に入ろうとするギリメカラをアーシアが呼び止める。ギリメカラは半眼でアーシアを見詰めた。

 

「助けて頂いてありがとうございます!」

 

 アーシアがギリメカラに感謝の言葉と共に頭を下げる。ギリメカラは少しの間、下げられたアーシアの頭を眺めていたが、やがて鼻先を伸ばし、最初の時の様にアーシアの頭をペシペシと叩くと、お休みと一声鳴いた後、その鼻でアーシアの影に触れ、その中に吸い込まれて様に消えていった。

 

「ギリメカラさん……?」

 

 自分の影の中に消えたギリメカラを呼んでみたが返事は無い。あっという間に深い眠りへと入ってしまった様子であった。

 

「ありがとうございました」

 

 もう一度だけ礼を言い、アーシアは走り出す。

 彼女の耳には届いていた。こちらに向かってくる複数の足音。そして、その音に紛れて聞こえてくる慕う者たちの声が。

 

 

 ◇

 

 

 焼く。貫く。潰す。叩く。蹴る。使える手段を全て用いて目の前の敵を打倒しようとする。

 しかし、焼かれようが、貫かれようが、踏み潰されようが、殴り飛ばされようが、赤い獣は何事も無いかの様に立ち上がり、叫びの様な鳴き声と共に七つの頭を凶器の様に振るう。

 強いことは最初から分かっていた。だが、北欧の主神、元龍王、半端ながらも魔人の三人が揃って戦っていても、最初の認識がまだ甘かったことを思い知らされる。

 シンに向かって前足を振り上げながら獣が飛び掛かる。シンにとって見切られない動きでは無い。しかし、七つの頭から同時に放たれる咆哮が彼の動きを鈍らせる。

 咆哮が耳に入った瞬間、筆舌し難い穢れた声が理解し切れ無い情報へと変換されて脳に入り込み、悪寒を走らせ、本人の意思とは関係無しに体を一瞬だけ硬直させてしまう。

 神であるオーディン、人外のタンニーン、並外れた精神力を持つシンだからこそ一瞬の硬直程度で済んだ。並の精神ならば、咆哮を聞くと同時に意識を手放している。

 獣の真横から黄金の光が奔り、獣の首を三本貫く。これにより飛び掛かりの勢いが僅かに殺され、それによって出来た時間がシンに反撃の機会を与える。

 シンの両手に魔力剣が握られると、すぐさま魔力の波が放たれ獣を捉える。

 不規則な軌道を描く魔力の波が、閉じ込めた獣の体を引き裂こうとするが、捩じり裂く力の渦中でも獣はまだもがく。

 渦の中から何かがシンに向かって飛んできた。反射的に手を翳してそれを受け止める。掌が赤黒い血で染め上がった。

 獣の首を貫いた黄金の光――オーディンの投げたグングニルの傷は、襲い掛かる力に耐えることが出来ず、穿たれた穴は広がっていき血しぶきを散らす。魔力波が通り過ぎた後には三本の首が文字通り首の皮一枚でぶら下がった状態となっていた。

 七つの頭の内三つを再起不能した――と一見すれば思うかもしれない。シンたちがそれに対し全く手ごたえを感じている様子は見せていない。

 千切れた首の根本が横に激しく振るう。ぶら下がっていた首が吸い込まれる様に断面に乗せられると、他の頭が舌を伸ばし、傷口及びそこから流れる血に舌を這わせる。すると、手品の様に傷口は消えて元の七つの頭へ戻った。

 見ていてうんざりする程の再生速度である。ただでさえ頑丈な上に打撃もまるで手応えを感じない。唯一魔力による攻撃が一番効果的だが、それも今のような再生で無かったことにしてしまう。

 シンたちも最初、誘爆させて破壊した頭部が瞬きをしている内に無傷な状態に戻っていたときには、目の錯覚を疑う程であった。

 

「呆れるのう……」

「……馬鹿げた再生能力だ」

 

 ここまで底無しの生命力を見せられると、一種のコメディー映画かマンガでも鑑賞させられている様な気分になってくる。

 度を超えているせいで滑稽さを感じさせるが、状況はかなり悪い。山を素手で掘削するように果てしなく、終わりが見えない。

 しかし、この場に於いてその程度で絶望する様な精神を持つ者は居ない。

 

「――向こうが死ぬまでやるだけだ」

「まあ、そうだのう」

「それしかないな」

 

 折れることなく、躊躇することなく、果ての無い戦いに飛び込む者しかこの場には居ない。

 獣の口部に青白い光が零れ出る。ドラゴンの鱗をも貫通する雷の光。

 それを視認した直後に七つの口部から雷が迸る。

 七条の光がシンたちに向けて迫るが、光を見た時には既にシンたち動いており、雷の狙いは外れる。が、獣は七つの頭を動かし、シンたちを追跡する。

 大地を裂く様にして吐かれる稲妻がシンとオーディンに迫るが、その矛先が自分に向くよりも先にシンは次の場所、次の場所と目まぐるしく動き、オーディンは魔術を使い連続して短距離の空間跳躍で避ける。

 宙を飛翔するタンニーンに、獣は首を振り回して稲妻を横薙ぎ、振り下ろしなどをするが、タンニーンの巨体からは想像も出来ない巧みな飛行により、狭間をすり抜ける様にして回避される。

 縦横無尽に吐かれる雷撃を、同じように縦横無尽に避け切るシンたち。

 獣が雷を出し切ると同時に即座に反撃に移り、シンが先手として魔力剣を掌に生み出そうとする。

 手の中で集められた魔力が、そのまま剣の形に押し留められ――呆気無く霧散する。

 今までに無かったことがこの状況で起き、短い間ながらシンは動揺する。すぐに魔力剣を作り出そうとするが、今度は掌に集中させた魔力が剣になろうとすらしない。

 魔力が流れているのは分かる。だが、その魔力が体の内に封じ込められたかの様に外へ出て行こうとしない。

 僅かな動揺。魔力剣の再形成。短い時間だが、シンの意識が散漫となる。この隙を、獣の十四の目は見落とさない。

 地面に爪を立てると、それに力を掛けると瞬時に最高速に達し間合いを詰める。

 シンの意識が獣に向けられたときには、七つの口が限界まで開かれ、シンを貪ろうとしていた。

 しかし、その牙が届く前にシンの姿が消える。

 獣との戦いの前にオーディンはシンに魔術を施していた。オーディンが念じれば彼が認識出来る範囲だが好きな場所に転送出来るというもの。

 これにより、オーディンはシンを自分の側に運ぼうとしていた。

 消えたシンが現れる。現れた位置は元の場所から一メートルも離れていない。

 もう一度魔術を発動させる。今度は消えることすら無かった。

 オーディンは隻眼を見開き、タンニーンは驚愕する。オーディンにとって魔術とは代名詞そのもの。それが失敗するなど自惚れでなくあり得ることではない。理由があるとすればそれは外因しかない。

 タンニーンは、止むを得ず獣に向けて炎を吐こうとする。位置からしてシンを巻き込むことになるが、自分の炎を耐え切ったシンの頑丈さはタンニーンも知っており、今はそれを信じるしかない。

 タンニーンは喉の奥にある熱を感じ、それを吐こうとしたとき熱が急速に消え、元の魔力へ還元されたのを感じた。

 シンもオーディンもタンニーンも実感する。魔力が封じ込められていることに。

 彼らは知らなかった。獣の持つ穢れを。

 天使に対し魂ごと滅するだけが穢れでは無い。獣の行動全てがあらゆるものを穢し、呪い、侵す。その場に存在するだけで、周囲が、空間がまともなものでは無くなる。

 当然ながらシンたちもその影響を知らず知らずのうちに受けていた。それが、唯一獣に効果のある魔力を使用出来なくなるという最悪の形で。

 獣が姿を現したシンに頭を伸ばす。有らん限りの力で後ろへと跳んで避けようとするシン。

 火花が散りそうな程嚙み合う獣の牙の音を聞きながら、シンは背中から地面に着地し、すぐに立ち上がろうとし、違和感を覚える。

 

(軽い……)

 

 体の軽さ。数キロの重りを外された様に。

 その軽さを感じたまま立とうとし、再び背を地面に付ける。

 

「あー……」

 

 気付いてしまった。体の軽さの理由を。

 見てしまった。獣の口の一つが何かを咀嚼しているのを。

 触れてしまった。粘りとまだ暖かさが残る赤い液体を。

 

 シンの右膝から下は無くなっていた。

 

 




黙示録の獣に色々と設定を盛り過ぎたかも。
精神汚染にレーザーみたいな雷を吐いて、物理攻撃は一切効かず、でも魔力は封じる。
ウンダイジョウブ、カテルカテルー。

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