「休息も時には必要だよなぁ……」
サウサンプトンへ調査に行って帰ってメヌエットへの報告を済ませた翌日。
昨日の姿なき襲撃者のことはニュースにもなっていて、幸いなことにオレ以外の死者は出ていない──そういう情報操作をサイオンに頼んだからな──ような報道がされていて安心したが、襲撃者には顔を覚えられた可能性もあるため1、2週間は大きな動きをしない方が良いだろうとのメヌエットの判断で、オレはいつも通りの日常を過ごすため登校していた。
一応は無傷ではないしそのダメージを回復させる意味でもこの休息はありがたく、得られた情報を整理する時間も出来て有意義に思える。
メヌエットの推理では世界規模での変革を扇動する組織が本格的に動き始めているってことだが、その構成員の姿さえ確認できていない現状、かつてのイ・ウーよりも難敵であるのは間違いない。
こうなってくると世界のどこかにいるシャーロックの予言に近い推理、
というかあれは人間なのだろうか。120歳越えて超人レベルの肉体と能力を維持してるヤツを人間と呼んでいいものか。
「……アリアとは繋がっておくか」
そんなビックリ人間に頼るという不可能に近い行為はさておき、隠し財産の捜索をメヌエットと同じく勅命を受けてるアリアとはちゃんと意思疏通をしておいた方が得られるものは大きそうなので、アリアのいる日本との時差を計算して昼休みにでもメールすれば大丈夫かと、今のうちにメールの内容だけは考えておくことにする。
あんまりストレートな言い方だと書類にも出来ない案件ってやつに触れるので間接的にオレがメヌエットと協力して事に当たってることを伝えるにはまず……
と、メールの内容に集中しようとしたのだが、やっぱり気になるものは気になるので無視を続けるのは不可能と諦める。
実は授業が始まってからクラスの生徒の1人に異様な視線で見られ続けていて、それを無視するために色々と別の事を考えて意識しないようにしていたのだが、一向にやめてくれないのでいい加減にその正体を確かめることに。
さすがに向こうもここまでやって気づいてないなんてことあり得ないだろ的なことは思ってるはずだし、これだけの視線を浴びせられて気づかないヤツは武偵としてとっくに死んでる部類。別の意味でヤバいヤツだ。
敵意とかそんな感じではないので身構えたりはしなかったものの、どんな思惑があるかはわからないので油断はせずにオレの右斜め後ろの席にチラリと視線を向けると、2人ほど挟んだ先の席に座る女子生徒が視線の正体だとわかる。
女子にしては高い170cmの身長とスレンダーな体は、ロンドン武偵高の入学パンフレットにも起用される予定もあるらしいほど無駄がないプロポーション。
胸はお世辞でも大きいとは言えないが小さいわけでもないので、本人も気にした様子はない。
それら身体的特徴に加えて天然らしいウェーブのかかった茶髪のロングは肩甲骨の辺りまで伸びていて、サファイアのような青い瞳と整った顔立ちに、日焼けなどしたこともないというほどの白い肌。
日本人にはあまりない大人びた印象もある、ロンドン武偵高でも5指に入る──誰が決めたかは不明だが──ほどの美人武偵。
名前はヴィッキー・リンドバーグ。専門はオレと同じ諜報科だが、主な手段として
オレが表舞台に出ることを極力避けながら仕事を遂行するのに対して、ヴィッキーはその表舞台で堂々たる立ち振る舞いで女という武器を生かして情報収集して仕事をこなす。
影の中のさらに影に存在ごと潜もうとするオレと、眩しいほどの光の中で己の内側だけを影で覆って戦うヴィッキー。
だからなのか留学してからこれまで同じ学科でも話すことなど皆無で、留学初日に少し話したかくらい記憶にない。
武偵ランクはオレと同じA評価を貰うくらいには優秀だが、ニアSランクくらいでなければ服装をいじれない不文律も存在することから、それを弁えてかヴィッキーも武偵制服・黒を着用している。
そんなヴィッキーとは接点もほぼないはずなのだが、今回のこれはどんな意味があるのか。
武偵なら探るのが基本だが、この手のものにあれこれ動くのはエネルギーの無駄遣いと結論を出して、昼休みに本人から聞き出してしまおうとヴィッキーには視線には気づいたと目で合図して授業に戻り、昼休みまで時間を待つこととなった。
運命の昼休みとなって、すぐに近づいてくるのかと思ったヴィッキーだがそうはせずにあえて場所を移動して話をするようで、自分の机に何か書いたことをオレにそれとなくわかるように手で撫でるように触れて教室を出ていってしまう。
仕草の1つ1つが謎の色気を纏うヴィッキーの妖艶さはCVRで培ったものだろうが、そういうあからさまな色気には耐性があるオレは特に気にすることなく、ヴィッキーが触れていた机の部分を教室を出るついでにチラ見すると、アルファベットで『MRPr』と書かれていたので、廊下に出つつ推理。
場所なら校舎内にある教室を指している可能性が高いので、割とすぐに
中にはまだ誰もいなくて、呼び出しておいてヴィッキーの方が遅刻なんてダメだろとかなんとか思いながら少し奥に入ってみると、準備室なだけに音楽室とを繋ぐ扉があって、その扉の前にこれ見よがしにパイプ椅子が置かれていた。
ああ、そういうことね。ヴィッキーはこの扉の奥ですか。
その意図を察したオレは、オレと話しているところを見られるのも避けている節があるヴィッキーの話が、何やら不穏な気配を纏っていることに気づく。
深刻な問題に発展する何か、とかではなく、オレ個人にとってあまり得ではなく、ヴィッキーにとってだけ得な話ということだ。
それがわかっていてもこのまま立ち去ってしまえば、また熱視線攻撃が待っているなら乗り切るしかない。
その心構えでパイプ椅子に座って存在感を向こうに出すために買ってきたパンの袋を音を立てて開けて食べ始める。
「1人で来たんだ。警戒心が薄すぎない?」
「そっちも1人なのは余裕の表れか?」
オレの到着はそんなことをしなくてもわかっていたとでも言うように、こっちにはオレだけなこともわかってるヴィッキーの気の強そうな声が扉のすぐ向こうから聞こえてくる。
そしてこの挨拶みたいな会話は諜報科では割とポピュラーなもので、常に油断しないだけの緊張感と余裕はどこかに持っておけという教訓的なやつだ。
「オッケー。女だからと侮ってるわけじゃないのは今のでわかった。メヌエット女史とコンタクトしてコミュニケーションが取れてる男ってのも、信じがたいことではあってもあながち間違いじゃないのかもね」
「狙いはオレかメヌエットか。いや、口ぶりからして両方の可能性もあるな。何が目的だ?」
だが今回の場合は同時にヴィッキーがあらかじめ仕掛けていたブービートラップのいくつか──引っ掛かると盛大に音が鳴るタイプのやつだった──をすでにオレが解除して平然とパイプ椅子に座ってることで、ヴィッキーもこの程度のトラップが全く通用しないことを音で判断していたのだ。
まぁあまり状況を冷静に見たくはないが、ロンドン武偵高で5指に入る美女武偵からの呼び出しなら、普通のヤツは何らかのラッキーイベントと思って完全に油断するから、その有象無象の男かどうかを試されたといった感じだろうな。
そうしてオレの実力を計るようなことと、メヌエットとの交友を信じた節のあるヴィッキーの口ぶりから、オレとメヌエットのどちらか、或いは両方に用があるのだと推測し聞き出しにかかる。
「別に怖い気配を出さなくてもいいでしょ。ちょっと美味しい話を持ってきてあげたの。ただそれは私1人だといくつかクリアできないかもしれない。だからあなたと、あなたと繋がりのあるメヌエット女史の知恵を借りたい。そういう話」
「生憎とあの貴族様は仕事だからって『はいそうですか』と推理ショーをするほど簡単な性格はしてない。オレも報酬が良いからってホイホイ乗っかるような都合の良い方針で動いてない。悪いが他を当たってくれ。ヴィッキーの誘いなら乗るヤツは大勢いるだろ」
「報酬では動かない。なら人命がかかってるってなったら、あなたはどうするのかしら?」
全容こそわからないものの、依頼の協力要請であることは今ので判明し、その解決のためにオレとメヌエットの力が必要とのこと。
ただそういう話なら協力するのは難しいとちゃんと理由も述べて断りを入れたオレに対して、動じることもなく先に言うべきことを後に持ってくる話術で引き止めに来る。
報酬の多い少ないは武偵にとって大事なところではあるが、言うようにオレにとっては最重要な項目ではない。
しかしその依頼に人の命が関わってくるなら、猿飛の血は否応なく反応してしまうのだ。ずっと真田家を守り支えてきた猿飛の血は、命という価値に貴賤がない。
「抗争とかなら強襲科のやつらの方が向いてるぞ」
「荒事とか流血沙汰ってわけでもないのよね。でも解決しないと人命に関わってくるの」
「……ハッキリものを言わないのは癖か何かか? 協力させたいなら依頼の内容くらいちゃんと話せ」
「始めからやる気のないヤツに丁寧に話すほど私もお人好しじゃないからね。関心のあるなしで吸収力も変わるものだし」
とはいえ本当に誰彼構わず助けていたらオレの命の方がいくつあっても足りないので、オレ以外のヤツが動いて救えるのならオレが固執する必要はないと考えてもいる。
だからその辺でもオレである必要性について言及するが、どうにもヴィッキー的にオレにこだわる理由がありそうで引き下がってくれそうにないので、仕方ないから話だけでも聞こうと耳を傾ける。
「話す前に、あなたってゴーストとかのオカルトな存在は信じてる?」
「信じてるとか以前にそれに近いのを見てきたしな……」
「日本にはそういうのも結構いるんだ。じゃあ別に怖かったりはしないわね」
その話をする前に何やら霊的な存在の信憑性について尋ねられたので、人外のあれこれやら妖怪の類いと会ってきた経験からいないこともないだろうと返す。
ヴィッキーもそれらしいものは存在すると思ってる人間なのか、当たり前のようにそれ前提で話を続ける。
「依頼の内容自体は割と簡単なもので、いわゆる立ち退き交渉ってやつ。建築物がかなり老朽化してて、地震とかの災害でいつ倒壊するかわからないから、1度取り壊して建て直そうって計画が前からあるんだけど、そこの住人っていうか……憑いてるっていうかなヤツがずっと邪魔してるって感じ」
「憑いてる? 物理的に妨害してるのか」
「どうにも超能力を使えるみたいで、
「そういうのって
「交渉の余地があるなら私達にだって解決はできるわよ。それにこれは街が抱える問題なだけに報酬も破格で……っと、これはあなたは興味ないんだっけ。とにかく、やりようでは私達でも解決できる可能性があるし、無理なら諦めてSSRにでも回すわよ」
現金主義の武偵の鑑だな、ヴィッキーは。
話だけなら超能力専門のSSRがやれば簡単に解決しそうなものを、報酬に目が眩んだヴィッキーはそれ目当てに動かないオレを選んで人員を削減し、取り分を多くしようとしてる。
ただ専門外だから不安なこともあってオレとメヌエットの推理を頼ってきたのは冷静な判断で、依頼書の方も人の目につかないようにいち早く掲示板から外して受理したのだろう。
オレも依頼書を貼る掲示板は登下校のついでに2度ほど見るが、そんなオカルトな内容と破格の報酬なら覚えているから、そういう経緯で間違いないはず。
「それで一緒に来てくれるの?」
「……メヌエットに頼るのはあくまで最終手段。そういう前提なら行ってやる」
「じゃあ決まりね。出発は学校が終わってからすぐに発つから、ヒースロー空港で待ち合わせましょ」
「ちょっと待て。肝心の場所を聞いてない。どこに行くんだ」
「ニューカッスル・アポン・タイン。ロンドンの北北西約400kmにある都市よ。まぁ目的地はそこから少し移動するけど、今日はそこで1泊してくわ」
話はしたので順当に返答を求めてきたヴィッキーに、少し楽観視しすぎな部分はあると思いつつも、オレが断ったところでやめはしないだろうとテンションからわかるし、荒事じゃないならオレもそこまで拒否する理由もない。
なのでヴィッキーが金に目が眩んで強行策に出たりしないようにストッパーの役割を果たす意味で同行に了承すると、もう色々と手配はしていたのか、すでに決まっているフライトと今後の予定を述べて音楽室を出ていってしまった。
せめて準備室に仕掛けたブービートラップくらい片付けていけと思いつつ、パンを食べ終えてからヴィッキーが取った依頼書の方を確認しに教務科の方に行って、ちゃんと目を通しておく。
確かに報酬は破格で太っ腹なほどだが、注意書きの方に『依頼に失敗した場合、訴訟にて賠償金を請求する』とかなんとか不穏すぎるものがある。
これ、すでに街として失敗してて、それでどうなるかがわかってる前提で書いてるよなぁ……つまり訴訟できるだけの不安要素がすでにこっちを見てる。嫌だわぁ……
ヴィッキーの話じゃ念動力で追い出しにかかってくるとか割とやんわりな表現だったが、解決してくれる武偵が現れないのもあれだからと依頼主が表現を和らげてるだけっぽいぞ。
「…………まっ。争い大好きな緋緋神ほど厄介なヤツじゃないだろ。そう思おう」
虚偽は依頼する側にもペナルティーはあるが、このグレーゾーンな書き方はその手に詳しい人からのアドバイスを受けてそうな感じだ。
まぁ武偵憲章の7条にも『悲観論で備え、楽観論で行動せよ』ってあるし、ヴィッキーほどじゃないにしても、どうにかなるさくらいの心持ちでいよう。
それからヴィッキーとは一言を話すことなく放課後となり、1度帰宅してから簡単な荷造りをしてヒースロー空港へと向かう途中、アリアからメールの返信が来て内容を見てみると『20日にロンドンに行くからその時に詳しく話そう』とだけあり、まだ10日以上も先の話になるのかと思いつつ了解の返事を出してヒースロー空港に到着。
来る前にメヌエットに連絡しておくか迷ったが、ここ最近はちょっとわがままが目立ってオレもそれに振り回されていたので、何でもかんでも自分の思い通りにはならない現実の厳しさというのも思い出させてあげようととりあえず放置。
オレが結果として泣きつくことにならなければいいが、最初から誰かに頼るのも武偵としてはプライドの問題もあるから、自分の甘えを無くす意味でもこれで良いのだ。
空港にはすでにスーツケースなんて持ってるヴィッキーがいたが、フライトがギリギリだったかすぐに呼ばれて2人でしばしの空の旅へと出発。
距離的には東京・大阪間に満たないくらいなものなので、フライトも2時間程度。
その間にヴィッキーからは「アリアとは東京でも顔見知りだったの?」とか「彼女とかいるんじゃない?」とかプライベートに関する質問をあれこれとされていたが、隣の席を良いことに肩に寄りかかってきたり手に触れてきたりと、この親近感を武器に情報収集する感じは理子と通ずるものがあって、躱し方が自然とそれと同じになってしまう。
人とは何1つ真面目に答えない人間に質問を繰り返すのは、個人差はあるが必ずどこかで飽きる。
そうなればオレの勝ち。理子はその辺で吹っ切れてしまって、その地点を過ぎると独り言のように自分語りを始めて自己満足の世界に入ってくれるが、ヴィッキーの場合は質が悪かった。
真面目に答えないオレに業を煮やしたヴィッキーは、触れていたオレの手を握って何を思ったか自分の胸に押しつけるように触れさせてくる。
「キャッ! ちょ、ちょっとやめてよ……こんなところでなんて……私達そんな関係じゃないでしょ……」
大変な危機感を覚えたオレは寸でのところでそれは拒んだのだが、ここは女の武器が勝り周囲にも聞こえる声量で悲鳴を上げられてしまう。
こうなると男は非常に不利な状況になるのはほぼ万国共通で、セクハラ紛いのことをしたと思われたオレは他の客に変な警戒心を与えてしまった。
心象を悪くするというのはどんなことにも有利に働くことはないので、これが2度3度と続けば御用となるのも割と現実的にあり得てしまう。
「……1つだけだ。答えられる範囲の質問には答えてやる。だからそういうことはやめろ」
「聞き分けが良いじゃない。社会的に避難を浴びるのは厳しいものね」
「それもある。だがCVRじゃそういうのが常套手段なんだとしても、それをためらわずにやれる女性にオレがするのは嫌なだけだ」
それを察して仕方なく折れてやったが、癪なので窓の景色に目を向けて不貞腐れたら、面白そうなヴィッキーが顔を除いてそんなことを言うから、正しくはあるが全てではないので『正直』に話してやる。
これで約束は守ったのでズルだなんだと言われなくて済むなと薄く笑ったのだが、なんか反応がないのでチラッとヴィッキーを見たら、何故か席に直ってアイマスクをして仮眠に入っていた。
この会話を拒否するような反応は覚えがあるが、何がそのトリガーになったのかよくわからない。
恥ずかしい、怒った、飽きた。このくらいが今の反応の正体なのだが、ヴィッキーが何に反応してそうなったのか不明なので傾向的にオレから尋ねたりはしない方がいいかと、それ以降は会話もなく2時間のフライトは終了し、到着したニューカッスル・アポン・タインの空港近くのホテルで1泊──もちろん部屋は別だ──して、チェックアウトを済ませたところでようやくいつものヴィッキーになってひと安心。
女は未だによくわからない生き物だが、鈍感になろうとしていた昔のオレとは違うので、理子で言うところの『フラグ』とやらにも気を付けていこう。
そんな謎の決意と共にヴィッキーと2人で目的地へ向けて移動を開始したオレは、このあとに待ち受ける展開に少し楽観的になりすぎていた。