5月22日。夜9時過ぎ。
Nのメンバーとなっていた勇志さんとモニカの待ち伏せで窮地に陥って、そこを偶然に鉢ち合わせた百地さんとサイオンに助けられてからすでに6時間ほどが経過。
今はアビレスのホテルへと戻って各々で時間を使い、やることがあるからと一旦別れた百地さんがホテルに来るまでにやるべきことはやっておこうと色々と実行中。
まずはすでにNにも嗅ぎ付けられかけているオレとバンシーとの関係性は非常に危険。
バンシーを追う組織がNである確証は取れたが、漏れ聞いた話ではバンシーには死にまつわるあれこれの他にもNにとって重要な力を有している可能性が浮上した。
これは早急に知るべき案件だが、撤退していった勇志さん達がオレ達の監視をしていない保証もない以上、堂々と携帯などで連絡したり、場合によっては帰宅も出来ないかもしれない。
さらにすでにオレの住居がバレて動かれていたら後手に回ってしまうので、バンシーに身の危険を知らせ、一時的にでも別の場所に潜伏した方が良さそう。
だからオレはバンシーの情報を唯一共有できている羽鳥に連絡を取り、それとなくバンシーを避難させるように伝えることにした。
「……あー、嫌だぁ」
『開口一番に失礼な男だ。死ねばいいのに』
「起きてるってことは欧州辺りにいるのか。ロンドンに戻る予定は?」
『今のところない。私の予定など聞いて何が目的だ。気持ち悪い。用件があるなら手短に言いたまえよ。あと死ね』
「いや、実はシルキーに頼まれてたものを買い忘れてて、明日の朝までに何とかしないといけないんだが、オレも今はスペインだからどうしようも……」
『し・ん・で・く・れ』
本来なら羽鳥からオレに対して使われる予定だったコールだっただけに逆転現象で頭が痛い。
だが背に腹は代えられないので仕方なく普段なら絶対に言わないようなことを羽鳥に言って、その中で『シルキー』『明日の朝』『どうしようもない』の3ワードを使ってバンシーの身の危険を知らせる。
そのワードの最後を言い切るより前にイラッとする態度で語彙力を失った死ねの連発によって通話は終了。
ここまでいつも通りにやられるとこっちも平常心でいられなく、通話の切れた携帯をベッドに叩きつけてしまった。あの野郎がぁ!! 野郎じゃないけど!!
一応、バンシーにもエメルという仮の名前はあるのだが、シルキーの方が有名でいても不思議はない──エメルがいるとなるとまた設定を盛らないといけないから──からと暗にバンシーを指すワードに指定した背景があるが、上手くやってくれるのだろうか。
羽鳥が今ロンドンにいない、帰る予定がないとか言っていたが、オレからの電話で察して嘘は言ってるはずだし、そこは信用するしかないな。
それから壊れずにいてくれた携帯を持ち直して、時差の関係で向こうが朝方になるのを待っていた相手に電話し聞きたい案件を早々と問いかける。
が、直近の相手が羽鳥だったことと、相手が相手なのでオレも少しアドレナリンが出ていたせいで妙なテンションが言葉に出てしまう。
「よう
『…………切るわ。今のあなたが殺したいほど気持ち悪いから』
「……うん。自覚はあった。悪い。この前に羽鳥のアホと話したから変になってた」
『……それで、冷静になったあなたは私から何を取ろうと言うのかしら?』
「情報を。言い値で買う」
自覚できるほど気味の悪い調子に対しての毒使いのイ・ウー残党、夾竹桃。
彼女も今は東京武偵高に通う花の高校2年生──実年齢20歳越えの年齢詐称だが、見た目はまぁそのくらいでも不思議はない──なので、武偵らしく要求には対価を求めてくるのはわかっていたから、オレも出し惜しみなしで上限なしの交渉に応じれば、携帯越しに小さく笑った夾竹桃は面白そうに口を開く。
『言い値で、ね。何が聞きたいのかは私の専門に関係するのでしょう? 聞くだけ聞いてあげる。その結果がどうなるかはお楽しみ』
「頼むから現実的な額で頼むぞ……」
こういう時に遠慮がないというか、こっちの足元を見るというかな夾竹桃の性格は嫌だが、頼りになるのは今はこいつだけなので甘んじて受ける覚悟で用件を尋ねようとすると、部屋に理子とヒルダがやって来て聞き耳を立ててくるから、スピーカーにして通話を続行。
「聞きたいのは毒に関することで間違いないんだが、それがどういうものかがわからない。『刺毒』っていう技? というか術というか、そんな名前のものなんだが」
『刺毒なんて、広義だったらサソリもそうだし、クラゲやエイもそうなるわよ』
「もー、夾ちゃんの意地悪ぅ。わかってて言ってるのわかっちゃうんだからね」
「桃子、おふざけはいいから教えなさいな」
『あら、理子とヒルダがそちら側にいるなんて、大方その刺毒にしてやられたといったところかしらね。でもおかしいわね。私の知る刺毒の使い手は警察関係者だったと記憶してるけど……犯罪にでも手を出したのかしら?』
オレも百地さんから聞いてから少し調べたが、刺毒というのは夾竹桃の言うようにトゲに毒のあるものを指す意味合いがあり、勇志さんが使ったという刺毒は厳密には毒という分類ではないはずなのだ。
だが毒に関連するあれこれに美学というか執着のある夾竹桃なら詳しく知っているかもしれないと尋ねてみれば、やはり霧原の家のことも知っている口ぶりで刺毒に関しても知識があるようだ。
『まぁ渋る情報でもないし教えてあげるわ。刺毒は霧原って家に代々伝わっていた秘伝の名前で、毒とは付いてるけど成分的な意味では無毒よ。毒っていうのはその効力に対しての畏怖を込めてね』
「お前、まさか霧原の家から秘伝を?」
『あら、知り合いだったのかしら。でも仕方ないじゃない? あの頃はイ・ウーにいたし、秘伝も毒っていうからわざわざ調べに行ったのに、口伝で聞き出すのにも手間を取ったのよ』
「さっすが夾ちゃん。ブレねぇよ」
『誉めてくれてありがとう。それで刺毒についてだけど、そうね。100万でどうかしら?』
情報取得の概要まで話してから値段交渉をしてきた夾竹桃の商才はさすがだが、100万は高い。
それを携帯越しでも嫌な顔をしていたら夾竹桃が怪しく笑うので反応を楽しんでるのだろう。値下げ交渉はまだ出来る。
「構わないわ。私がそれに見合うものを今度あつらえてあげる。だから話しなさい」
そう思っていて、理子もその気満々だったところで、横からなんてことはない調子で割り込んだのは意外にもヒルダ。
100万なんて余裕よと言わんばかりの調子にはこっちが参るものの、ただの遊びだった夾竹桃からすればもう単なる儲け話でしかなくなった。
それを知ってか知らずか得意気に理子に親指を立てたヒルダだったが、オレと理子的にはもう少し抑えられただけに微妙な表情。こいつ商才なさすぎだろ……
ともあれヒルダが肩代わりしてくれることになったのでオレも痛くも痒くもなくなった報酬の件はそれでサラッと流して、いよいよ聞きたかった刺毒についてを話してくれる。機嫌も一際良くなった。
『刺毒っていうのは、もちろん刺して効力を発揮する毒なのだけど、霧原の秘伝は毒を撃ち込むのではなくて、生物の命令伝達神経を一時的に麻痺させる技術のことよ』
「麻痺……そんな感じだったか?」
「うーん。麻痺っていうよりはなんていうか、体への命令にロックがかかってたみたいな? 命令自体が飛んでいってないみたいな」
『あらそうなの。あくまで聞いただけで実物を見たわけではないから、実際の効力に関しては不明だけど、技術としては超精密なもので、首の後ろの脊椎に針の穴を通すように針を撃ち込んで物理的に伝達神経を遮断するらしいわ。実際に出来るのかはともかく、やられたら文字通り木偶の坊になり下がるでしょうね』
霧隠の秘伝については猿飛の人間も知らない中で進化してきた歴史があるが、戦国の時代の猿飛が暗殺に特化していたように、霧隠も殺しに特化していたことだけはわかっている。
それを時代の中でどう進化させてきたかは、今の霧原の家を見れば殺しに特化したものではないはず。
その上で夾竹桃の刺毒の説明を聞いて、オレはスペインに来る前のバンシーの言葉を思い出し、連鎖的に思い出しかけていた記憶も掘り起こされた。
「……そうか。あの話は霧原の……」
存外、バンシーの言葉もバカに出来なかったことを認識しつつ、小さい頃の神経系の話が霧原の秘伝に繋がるものだったと1人で理解していると、話だけで面倒な相手だとしか思ってなかっただろう理子とヒルダがオレを見てくる。
「それで、その刺毒を使う勇志って人。知り合いなんでしょ」
「こっちは襲われているのだから、情報くらい無償で提供しなさい」
「それは隠すつもりはないが、話なら百地さんが来てからしよう。その方が要領が良いと思う」
話したいのは山々だったが、オレも勇志さんについて知っていることは少ないので、オレ以上に知ってそうな百地さんが来てからにしようと話を一旦終わらせて、夾竹桃との通話もお礼を言ってから切る。
それからすぐにヴィッキーも部屋にやって来て全員が合流してから、百地さんが来るまでに今後の行動指針を決定しておくのだった。
百地さんが来たのは夜の10時を回りそうになる頃で、老体には堪えるとかなんとか言いながら部屋の椅子に座ってタバコを一服。
その様子を見ながらに戦力分析をしてしまったオレは、言い方は少し悪いが、戦闘力という意味合いで百地さんはそこまで高くはないと思われた。
確かに還暦近い人としては鍛えてある方で頑丈なレベルだろうが、そこ止まりの評価は覆らないし、タバコも身体面の維持で武偵としては非推奨だ。
まぁ吸う人もいるが体が商売道具のオレや理子は一生縁がないものだし、副流煙も少し気になるなと思っていたら、気づいた百地さんが窓を開けてその近くに移動してくれる。優しいなぁ。
「んでだ。まずは何から話す?」
「とりあえずは……百地さんとオレ達のこれからについて」
「まぁそうだわな。さっき聞いた話じゃ、お前らはNが欲しがってる情報を持ってる可能性がある。つまりこれから先もNにマークされるかもしれねぇな」
「逆に言えば、こっちが何もしなくてもNが接触してくる可能性もあるってことです」
「でもそれってやっぱりギャンブルだよねぇ。今回のでヴィッキーは死んだと思われてるかもだけど、理子とキョーやんはずっと一緒にいられるわけでもないし、分散したところを狙われたら辛いよぉ」
「言いたいことはわかるぜ。お前らを保護するって手もあるにはあるが、ICPOは武闘派な組織ってわけじゃねぇ。働きかけとしては各国の武偵庁や武偵局、警察組織への救援って形になる。そうなると動きにも制限を加えられるかもな」
現状で百地さんとは協力関係には出来るが、ICPOの百地さんではNの動きを監視するのが精一杯とホテルに来る前に聞いていた。
そしてバンシーの情報を持つかもしれないオレ達は今後、こっちが願わずともNから接触してくる可能性があるため、不用意な行動も慎まなければならない。
だがやりようによっては今後、その接触も1度限りで以降は狙われる可能性を無くすことが出来るかもしれない。
「そのことでオレ達が持ってるカードが切り方によって使えるかもしれないことがヒルダの話でわかりました。なので次にNから接触された際に切ってみて、上手くいかなかった場合は百地さんの力を借りるということにしたいのですが」
「……そのカードってのは、今は言えないってことか」
「これはまだ理子達にも詳しくは話してないので」
ただバンシーに関してはヒルダとの筆談によって新情報を入手済みで、それが本当かどうかは本人に尋ねるしかないのでまだ手は打てない。
なのでバンシーのことはまだ伏せたまま、確証が得られた際にそのカードを切ると言って理子達を納得させることはできた。
百地さんも知ることによるリスクを考えて今はそれでいいと納得してくれて、一応は今後のNの動向を監視する目的で連絡はし合ってくれると約束してくれた。
オレもNにマークされたからといって引き込もってはいられないので、百地さんもそれを咎めたりはしないようだが、これは自己責任になるから死んでも文句は言えない。
その覚悟を決めるにはまだ少し揺らぎはあるが、それを見せると不安は伝播して不幸を招き寄せたりするし悪循環は避けたい。
そうした意味でも話を次に移行させるため百地さんには勇志さんについてを話してもらおうと尋ね、今後の対策を練る。
「勇志のボウズとは俺も霧原の家族が旅行でリヨンに来た時に会ったのが最後だからなぁ。あいつがまだ15歳の時だったと思うが、その時にはもう異常さの片鱗を見せてたぜ」
「異常さ、ですか?」
「まず刺毒ってのは霧原の秘伝として完成形に辿り着くまでに20年はかかるって言われる代物だって話だ。刺毒についてはもう調べがついたろ。それだけ繊細で精密な技術だから圧倒的な経験値が必要だってことだが、ボウズはこれを10歳になるより前に修得した。天才なんてもんじゃねぇさ。あいつの指先の感覚は常人のそれとは一線を画すほど鋭敏なんだよ。その指で刺毒を操る速度と正確さは恐怖すら覚える」
オレも話には聞いていたので、勇志さんが10歳になる前に秘伝を修得したことには特に驚きはなかった。
だがナノニードルを撃ち込む場所を指先の感覚だけで探って撃ち込むまでのタイムラグがないに等しいほどの鮮やかな手際の良さは、実際に味わったオレと理子が鳥肌を立ててしまう。
あんな速度だと首を掴まれた時点でほぼアウト。勇志さんとの接近戦はこれまでにない以上の緊張感を孕むものになる。特に即死攻撃ではない点でオレとの相性も悪い方だ。
「それに加えてあいつは記憶の分野でほぼ完璧にエピソード記憶を物心ついた頃から内包できてる。自分の見聞きした体験なんかを全部、昨日のことのように思い出せるってのはつまり『過去に相対した相手の技を記憶し反復させて修得する』なんてことも十分に可能ってことさ。実際、その能力であいつは日本の公安0課に配属された」
「……確か勇志さんはマキリさんって言ってたな……そのマキリって人もNにいるっぽいが……」
「マキリ……
さらに勇志さんは記憶能力にも先天性の優れたものを持っているようで、その記憶力なら他人の技のコピーも不可能じゃないと説明され、それでマキリとかいう人の技を使えたのかと納得。
そのマキリも元0課のメンバーで上司だったなら、0課解散から2人が結託してNに下った可能性も出てきたな。
やはり尋常ならないNの戦力に警戒を強めたオレ達に、自らは正面切ってやり合うつもりはないといった雰囲気で百地さんは忠告してくれた。
「マキリに関しては戦うこと自体を避けるべきだが、対峙しちまえばそんなことも言ってられないか。実力のほどは俺にも測りかねるが、マキリは0課時代から人を殺すことにためらいがないと聞いてる。それだけは覚えておけ」
──翌日。
百地さんは昨日の夜のうちに出発してリヨンに戻っていき、アリアとの約束も明日に控えたせいでオレも今日のうちにローマには行きたいので、それらの手配やらを理子とヴィッキーに頼み、オレ1人でクエレブレにモニカのことを報告をしに行った。
理子達には1人では危険と言われた。
それも当然。何せクエレブレの捜索をしていたオレ達にモニカに会えと言ってきたのはあのクエレブレ当人で、そこに待ち伏せされていたらクエレブレを疑うしかない。
だがオレはいくつかの疑問からクエレブレがNと通じてる可能性は薄いと見ている。
それを確証するためにまたクエレブレのいる洞窟内に踏み入ったオレを、クエレブレは昨日のような警戒心は最初だけ見せて普通に招き入れてくれた。やっぱりな。
「モニカには会えたか」
「会えたが、話なんて聞ける状況じゃなくなった。Nの待ち伏せに遭った」
「……俺を疑うか」
「いや、今回のことはこっちの落ち度だろうな。モニカがNのメンバーだとわかっていればもう少し慎重になれた」
「…………そうか。やはりあれはNと……」
クエレブレが嵌めたならここに来た時点でオレは消し炭になっていたはずだが、そうせずに話をするということは、クエレブレは待ち伏せの件は知らなかったと見える。
さらに1度目の来訪の前にオレ達はヒホンの街でレジスタンスの騒動に遭遇している。
あれはおそらく勇志さん達がオレ達に対して仕掛けた戦力調査。取り逃しがないように人員の数やらを把握するためにやったことだろう。
だからオレ達がクエレブレに会う前から、Nにはマークされていたのだ。おそらくレス島のセイレーネスとの接触を悟られてアストゥリアス州に網を張っていた。
他にもどこかに網は張られていたのかもしれないが、それに引っ掛かったオレ達はクエレブレを責めることなど出来ない。
モニカがNのメンバーだということを知らなかったが勘づいてはいたっぽいクエレブレは、少し落胆したような、消沈したような気配で俯くと、その目でオレを見てくる。
「あれがNに下ったことを俺は咎められん。その理由については察しがつくからな」
「……クエレブレは今を変えるつもりはないんだったな。だとしたらモニカは、今を変えたいと思ったってことだ。それは……」
「俺のためだろう。あれは俺のこの姿を美しいと言った。雄々しく、猛々しく翼を広げた俺を好きだと言った。その俺をここに留める今を、あれは良しとは思わなかった」
「……Nの悲願が叶えば、またクエレブレのそんな姿が見られると」
戦っている時は人間をゴミのような目で見て残酷なことも平然とやる雰囲気だったモニカだが、その行動理由をクエレブレから聞くと、きっとモニカも必死なのだと理解が及ぶ。
それほどまでの愛情を持ったモニカをどうすることも出来ないクエレブレの歯痒さはオレにも伝わり、人間の感情として敵ではあるがどうにかしてあげたいと思ってしまう。甘いのかね、オレって。
「なぁクエレブレ。オレは武装探偵。武偵だ。依頼されればどんなことでも武偵法が許す範囲でなら受けてやれる。オレに何か依頼はないか?」
「武装探偵……見返りは何を求める」
「金品なんてどうせないだろ。ならオレに協力してくれ。一緒にモニカを取り戻すぞ」