「ここが藍幇上海支部です」
「さすがにデカいな」
Nの襲撃をしのいで会議まであと2時間と迫った昼前。
しっかりと身支度を整えて蘭盛街を出発し、車で10分程度移動した大通りに面したところにある藍幇上海支部へと到着。
さすが藍幇全体で5人しかいない大将がいる支部だけあってその規模は大きく、50階はあるビル全てがそうだと言う。
すでに他の支部の重役が到着していることもあって、劉蘭は着いて早々に挨拶回りに奔走。
それにはメイファンさんが付いて回り、オレは猴と一緒に支部の中を早足で確認。
こういうことは事前にやっておくべきだったが、劉蘭を蘭盛街から出すわけにはいかないと止められていたから出遅れる形になった。
まぁその蘭盛街にいても襲撃されてしまったのだから笑えない話だが、今度こそ守りきるために全力だ。
メイファンさんのおかげで体の方もずいぶん回復して、万全とは言わないが戦闘になっても問題ないし、次にNが仕掛けてくるとするなら、そのタイミングもほぼ特定できている。
会議はビルの25階にあるコンサートホールで行われることになっていて、おあつらえ向きにステージと客席が設置されている。
外が見えるような窓はなく、防音設備も完備しているから構造的に外部からの狙撃などは不可能。
人の出入りも厳重にチェックが入っているので会議が始まってしまえばむしろ安全性が格段に上がるということだ。
「あとはどうやって侵入してくるかだが……」
つまりNが仕掛けてくるなら会議が始まる前のこの2時間弱がリミット。
会議後に仕掛けてくる可能性もあるが、会議後では手遅れになる可能性の方が高い以上、確実性重視のNの行動の確率としては会議前しかない。
ただしそれを可能にするにはどうやってもこの支部の中に侵入しなければならないため、オレはほぼ素通りしてくるだろうその方法についてをビルの確認をしながらに考える。
なるべく騒ぎを起こさずに劉蘭だけを狙い打つには……
用意周到なNなら昨夜の暗殺が失敗した時に備えた計画も当然あるはずで、それはこのビルへの侵入を前提としたもの。
そうなるとかなりの準備期間があったことを意味していて、昨日今日考えた作戦とは練度がまるで違うはず。
そこまで考えてオレは、スペインでクエレブレが言っていたことを思い出し、それまでのシャナの行動でピンと来る。
「……あれしかないな」
「どうしたですか、京夜」
「いや、Nが仕掛けてくるのを待ち伏せ出来そうだってな。蘭達と合流しよう」
ここに来て冴えてきたオレの頭にちょっぴり自画自賛しつつ、警戒すべき要点を絞ったオレはよくわかってない猴と共に劉蘭とメイファンさんと再び合流し、Nを追い詰めるべく行動を開始した。
会議開始まで残り1時間。
ここまで来ると会議のために人の出入りは制限されてしまい、ビルは完全に外と隔離される。
その頃合いを見計らって行動を開始したオレは、配布したインカムを通して劉蘭、メイファンさん、猴と連携。
特に藍幇の人員に詳しい劉蘭とメイファンさんには都度で確認をしてもらって、手当たり次第に紛れ込むNの構成員を探す。
探し方はシンプルだ。
スペイン、アストゥリアス州でシャナはクエレブレの食料確保のために、その顔を変えて何百年も同じ町に暮らし続けていた。
顔を変える方法についてはクエレブレが言うには水の超能力で顔の表面を別の顔でコーティングするとからしく、その精度は触れても見破れないほどとか。
それだけの精度なら『藍幇の人員に変装して入り込む』ことも十分に可能と考えたオレは、昨夜に遭遇した3人がまた襲撃してくると読み、言語の上で不自由そう──中国語も話せないだろうし、テルクシオペーには呪いがある──なシャナとテルクシオペーは変装こそ完璧でも会話が不可能なら必ずボロが出る。
それを出さないためには記憶能力がずば抜けてる勇志さんが中国語をマスターした上で行動を共にしないといけないだろうから、彼らは
さらに変装で誤魔化しが利かない部分として身長などの体格があるため、3人のおおよその体格を把握していたオレは劉蘭とメイファンさんにそれに近い体格の人物をピックアップしてもらって、その人達を遠目から確認していた。
「──いた。猴、25階のコンサートホール前の東側廊下」
『確認したです』
オレ達が劉蘭から離れて行動してるとわかれば、向こうに疑念を抱かせる要因になるため、可能な限りの隠密行動で探っていたが、それらしい体格の人物3人が固まっているのを発見。
元から女性の数もそこまで多くはなかったのと、その3人がそれぞれ別の支部の人間であることも確認できる。
劉蘭が言うには各支部で交流はあっても、会議などの場においては上司でも馴れ合いはしないと断言していた。
それであの状況は明らかにおかしいが、その辺は調べがついてるのか決して仲良くしてるわけではなく、喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気が出ているから周りも咎めたりはしない。仲裁くらいしてほしいものだがな。
まぁそこは謝った方が日和ったとか、仲裁が新たな火種を生むとかそういう考えなんだろうから、何かとすぐに謝ってしまったり、空気を読んでしまう日本人の感覚では理解が難しいところか。
思考が脱線したが、その3人以外には怪しい人物はいなかったし、注目を集めることも考慮して1度解散したのを見て、猴と一緒にこっちも撤退。
襲撃者がわかれば、あとは仕掛けるタイミングをこっちがコントロールして罠に嵌められる。
時間に余裕もないため、取り急いでN包囲網を完成させるべく劉蘭達と話し合い、昨夜のお返しとばかりの迎撃をした上で安心安全に会議を迎えてやるさ。
来るなら来いよN。オレ達は逃げも隠れもしないぞ。
会議が始まる30分ほど前。
劉蘭も治療を終えて合流した機嬢とプレゼンの最終確認をコンサートホールの隣の準備室で行っていると、部屋をノックする人物が訪ねてきて、それにはオレが対応し扉の前で対応。
訪ねてきたのはオレ達がマークしていた3人のうちの男。
おそらく勇志さんだが、近くで見ても変装だと見抜けない。予測してなきゃ騙されてたぞ。
「うちの中将に劉蘭中将へこれを渡してこいと言われまして、会議前で余裕はないかもしれんが受け取ってくれ」
中国語も物凄く自然で外人が使う独特の固い発音もないのは素直に驚きだ。オレはここまで話せない。
その勇志さんが持ってきたのは、包装されたお菓子などが入る箱で、中身は不明。
こっちとしては護衛の立場と同時にすでに確認が取れた人物の訪問とあって、警戒と安心の板挟みで非常に曖昧な雰囲気を出さないといけないため、オレの演技力が勇志さんに通じるかが勝負の分かれ目だ。
とにかく無反応は怪しまれるので渡された物を受け取って、一応は中身を警戒する素振りを見せてから、他に用件はあるかと中国語で尋ねると、勇志さんは何もないと返して立ち去ろうとしたので、オレもその背を見送りながら扉を閉めようとする。
しかしその前に勇志さん達が仕掛けてきて、閉じかけた扉の死角にいたシャナかテルクシオペーが水超能力で高圧の水の刃を作り出し扉を破壊。
さらにその奇襲に便乗するように切り返してきた勇志さんが怯んだオレの首を掴んでナノニードルを撃ち込もうとしてきて、バンシーの情報を握るオレが殺される可能性が低いことは承知していたから、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。
「ごっつぁんゴールってやつやろ!」
「せいやぁ!」
向こうは主導権を握った奇襲のつもりだっただろうが、奇襲を仕掛けたのはこっちだ。
オレが勇志さんに対応している間に室内をオレをブラインドにしてメイファンさんと猴には扉の横に張ってもらい、向こうが仕掛けてきたら即座に応戦してもらう手筈だった。
だから勇志さんが飛び込んできたところを襲撃した2人の挟撃にはさすがの勇志さんも急ブレーキをかけて後退するしかなく、畳み掛けるつもりでいたシャナとテルクシオペーも変装に用いていた量でしか操れる水がないからか力押しはせずに室内へ入ってこない。
完全に奇襲を失敗した勇志さん達が再び攻勢に出る手があるとすれば、オレが渡された箱しかないので、始めからこれな爆弾だという前提があったオレがそれを後退した勇志さん達へと投げつければ、勇志さんもおいそれと爆発させるわけにはいかず動きに隙ができる。
その隙を見逃さずに投げつけてすぐに懐からブローニング・ハイパワーを抜いて箱を発砲し爆弾を起爆。
結構近い位置で爆発させたのでこっちも危険があったものの、爆発するとわかっていれば距離の取り様もあるから、3人とも爆発の範囲からギリギリ逃れ、勇志さん達はだいぶ直撃コースで受けたはず。
「油断すんなや! ちゃんと受け切っとるで!」
手応えも多少はあったはずだが、黒煙で見えない勇志さん達が防御したと叫ぶメイファンさんの言葉で身構える。
すると黒煙が晴れた先ではシャナとテルクシオペーが攻撃に使っていた水を防御に回して盾にしたような気配があり、爆発で水は蒸発したみたいだ。
「まったく、貴様はイレギュラー過ぎるな。教授が絶妙に条理予知を外されている。まるで存在自体にモヤがかかっているかのようだ」
「何でもお前らの思い通りにはいかないってことだ」
Nとしてはこの襲撃は成功するはずだったという意味合いの言葉を口にするシャナが忌々しげにオレを見てきて、アリアも話していた教授とやらの条理予知をオレが狂わせているらしいことがわかる。
その要因についてはオレにも見当がつかないが、Nの思い通りになっていないならこちらにとっては好都合。このまま返り討ちにしてやる。
操れる水もなくなってシャナとテルクシオペーは攻勢に出にくいのが目に見えたため、何か仕掛けられる前にメイファンさんが突貫。
触れれば必殺の外気勁はN相手と言えど変わらないようで、明らかに接近戦を避ける動きに切り替わった3人。
メイファンさんが前に出たことで3人がさらに後退して、好機と見たか猴も加勢して出入り口付近は完全に制した形になるように思えた。
だがオレはこういう時こそ冷静に見るべきと視野を広げて、劉蘭と機嬢を別の出入り口から避難するように指示。
この準備室は廊下に繋がる出入り口とは反対側に扉があり、その先はコンサートホールのステージ裏を通る幅4mほどの細長い廊下が伸びて、もう1つの準備室とで繋がっている。
オレの指示でその廊下へと逃げた2人を背にして、狭い廊下で交戦するメイファンさん達を観察すると、攻め気の2人では気づかないくらい緩やかにシャナとテルクシオペーが絶妙の距離感を保って引き付けて、勇志さんが何かのタイミングを図っているのがわかる。
しかしそれを口にすれば2人の意識が一瞬でもオレへと向いて決定的な隙を作り出す気がしたので声を出すに出せず、それならオレが勇志さんを徹底的にマークすればいいと判断。
「さすが神虎と斉天大聖。隙がほとんどない」
爆弾の爆発によってコンサートホールに入ってしまっている人は除いてこのフロアにいる人なら異変には気づいているはずで、おそらく数人いるかどうかだがそれが駆けつければいよいよこっちに戦況が傾く。
そのギリギリのラインは向こうにもわかるらしく、どうにかして劉蘭へと辿り着こうとする執念のようなものを捉えて、無意味に敵を称賛するような人じゃない勇志さんが口を開いたことに警戒。
それはメイファンさんと猴も同じで、実力者だからこそそれを警戒して勇志さんを反射的に見てしまう。
その瞬間を狙い定めたように両手の指先を鋭く動かした勇志さんがメイファンさんと猴に何かをして、2人は顔に何かを当てられたのか軽く頭が弾かれるくらいの衝撃で怯み、その隙に勇志さんが壁を突破してオレへと迫る。
何か物を飛ばしたのは見えなかったから、目に見えない何かをぶつけて怯ませたと分析したオレに、勇志さんは2人と同じように指先を動かしてきたので、咄嗟に顔を腕でガード。
その判断は間違っていなく、ガードした腕にデコピンくらいの衝撃があり、今のから猫だましみたいな技であることが確定。
原理についてはあとで考えるとして、今は横を抜けて劉蘭を追おうとする勇志さんの前に立ちはだかり妨害。
だがオレへの猫だましと同時に死角を利用して何かしていたらしい勇志さんが激突の前にビタッ! と止まったのが明らかに不自然で思考に入った瞬間、オレの後ろの扉が爆発。
くそっ! 猫だましと一緒に爆弾を扉に投げて設置してたのか!
爆発のせいでバランスを崩したオレに対して急接近した勇志さんは当然のようにナノニードルを首の裏に刺して身動きを封じてきて、あっさりと横を抜かれてしまう。
ただオレも悪あがきはしてやって、ナノニードルを撃ち込まれる寸前にミズチのアンカーを勇志さんの腰のベルトに取り付けて5m程度の遊びですぐに気づかないようにしておいた。
「猴ッ! 頼む!」
予想通り、扉をほんの少し進んだ先でワイヤーが張ってオレ自身が重りとなって勇志さんを足止めし、ワイヤーが切られるまでの間に近寄ってきた猴にナノニードルを抜いてもらい自由を取り戻す。
状況として数的不利は作るべきではないと猴にはメイファンさんの加勢を続行させて、ワイヤーを切った勇志さんとの距離を詰めて腕のリーチを意識した接近戦でさらに足止め。
ただし位置的によろしくないのでそうと気づかせないギリギリの隙を作り出して単分子振動刀を抜き、利き腕を使えなくしようと肩を刺そうとする。
さすがに切れ味抜群の単分子振動刀には触れられない勇志さんも素早い身のこなしで単分子振動刀を躱して、オレの勢いを利用して柔道の一本背負いで床に叩きつけようとしてきた。
合気の可能性も考慮していたが攻撃力という点で柔道技を繰り出してくれたので、オレも投げられる前に単分子振動刀を手首のスナップで劉蘭と機嬢のいる方向へと投げておき、体が浮いて完全に投げられる前に掴まれていた腕を全力で引き抜いて脱して、勇志さんの肩辺りに手をついて跳躍。
跳躍と言うほど綺麗なものではなかったが、やや斜め下へと投げ飛ばされたオレが両手から床に触れて受け身を取りつつ前転から単分子振動刀を回収し劉蘭と機嬢の前で立ち上がり、無事に守りやすい形へと持っていける。
「昨夜より動きが良いな。迷いがない」
「オレは決めたんです。何があっても蘭を信じるって。だからもう、勇志さんが何を言おうと揺らがない」
勇志さんとしては嫌な位置取りになったのは確かで、そうなるように誘導されたことを自覚してオレの動きを評価。
敵でなければ光栄とさえ思える言葉でも今は違うので、昨夜は劉蘭の計画のほころびを指摘されて揺らいだが、今日は違うと意思を強く持つ。
そしてここが勝負どころと判断したのか、Nを前にして初めてバンシーがその姿を現してオレの隣に堂々と立ち、勇志さんも誰かはすぐに理解したようだ。
「お前らが俺を探していたのは100年くらい前からわかってる。俺を欲する理由はまぁ、1つしかねぇよな」
「バンシー。このタイミングで姿を現したということは……」
「おうともよ。お前らがやってほしくないことをやるつもりだぞ。止めるならこの男を退かしてみろよ」
挨拶もなしにいきなり駆け引きに出たバンシーは、不敵な笑みを浮かべたまま勇志さんとの会話に応じながら、ゆっくりと後ろへと下がって劉蘭のそばへと寄る。
そのバンシーがこれから何をするのかをもう理解した勇志さんは、さっきまで余裕のあった表情に怒気を含んだ真剣さを増してオレを倒そうと仕掛けてくる。
勇志さんが何故そこまで必死になってバンシーの行動を止めようとするのか。それは死を告げる妖精、バンシーが持つ固有の能力にある。
オレも知ったのはスペインでNに襲撃を受けてヒルダに聞いてからだが、バンシーには死にまつわる能力とは別のベクトルの能力があるのだ。
その方法は男としては実行したくないことではあるが、バンシーの乳房を吸った者の願いを叶えるという強力無比な能力があるという。
すでに本人にも確認は取れているが、かつてこの行為に及んだクー・フーリンは、その後の史実であるエメルへの求婚を見事成し遂げたらしい。
あまりにも強力で人の運命すらねじ曲げる願望器の存在は、バンシー自身も危険だということで伝説上の代物だと吹聴し、ヒルダもNに狙われてるとわかるまではお伽噺だと本気で思っていた。
そしてこの能力には当然のごとく厳しい制約もあって、1度でも使えば次に使えるようになるまでに最低でも500年の年月はかかるらしく、それを今から劉蘭に使おうとしているから、勇志さんも本気で焦っているというわけだ。
Nとしては自分達の計画の最重要案件に対して確実な保証を得るためにバンシーを欲していたのだろうが、これでやつらの企みがまた1つ潰せる……
攻撃的になった勇志さんの動きは少し強引な部分が出てきたので、冷静ささえあれば今のオレでも防戦でしのぎきれるし、抜かせない立ち回りは十分に出来る。
しかもバンシーの1手はNにとっては2つ同時に計画を潰されるに等しい行為──劉蘭の願いが計画の成就にあるからな──とあって、オレも守ればいいだけで余計なことを考えなくて済む。
そう、思っていた。
『何を勿体ないことをしているのだ』
しかし現実は非情であり残酷。
不意に降ってきた男の声で全員の動きが止まり、その男が誰か唯一わかっただろうオレが警戒を強めた瞬間、オレの後ろにいたバンシーが1辺2mくらいの無数の札で作られたキューブに閉じ込められてしまう。
そしてそのキューブの上には今の今までその存在すら消していた陽陰の式神の鳥が降りて留まる。
『まさか貴様がバンシーと繋がっていたとは、こちらとしても嬉しい誤算だった。悪いがこれは俺が貰うぞ。万能の願望器とやらの力、俺も興味があるのでな。クックックッ』
「てめぇ、土御門陽陰!」
ここにきて現れた陽陰が完全に予期しない動きを見せてバンシーを拘束し、自分のものにしようとしてきて、こっちの計画を狂わされたオレが怒りを露にして式神にクナイを投げつける。
だが式神は避けるでもなく足下のキューブをトンと踏みつけると、キューブは高速回転して収縮し一瞬で1辺1cmのキューブへと変わり、その収縮で高さの変わった式神はクナイを避けてその足でキューブを軽々と持ち上げて飛び立ち、オレ達の前から姿をくらませた。