6月9日。水曜日。
ロンドンに戻ってきて2日目の朝。
理子とジャンヌ──ついでにヒルダもか──が日本に発つので、その見送りのために空港までやって来たら、時差ボケ対策でオールナイトして、理子のハイテンションに付き合いゲッソリしていたジャンヌをとりあえず合掌して弔ってあげる。
完全に脱け殻状態だったから別れの挨拶も無理と悟って、まだ元気を残していた理子に向き合うと、これから飛行機では爆睡モードに移行するからか、最後の元気をオレに吐き出してくる。
「結局こっちじゃゆっくり出来なかったから、ちょっと残念だったなぁ」
「修学旅行Ⅲは観光が目的じゃないんだから、健全ではあったがな」
「もー! すぐそういう正論で返すのキョーやんの悪いとこだよ。でもまっ、理子のいないとこで死にそうにないってことはわかって安心しましたよ」
「何を根拠にそんな風に思えるんだか……」
「えー? 普通だったらスペインで死んでたけど、キョーやんも理子も生きてるもん。それはキョーやんの死亡フラグがばっきばきに折れてるからだよぉ。その悪運はヒルダの保証付きだぞ」
今回は理子に危険が及んでしまったのは申し訳なく思っていたが、武偵が命の危険に晒されるのは常であり、そこに飛び込んだのは自分の責任と割り切ってる理子に謝罪するのは違うので、比較的いつも通りに接して最後の挨拶にする。
理子としては今回の修学旅行Ⅲはオレの生存確認とか諸々の目的があったっぽいし、謎の根拠で安心してくれたのは素直に喜んでいいのかわからん。
なんか保護者みたいな心配の仕方の理子には違和感が満載ながら、それだけ心配してくれる理子に報いるために留学中には死なないようにしようと強く思う。
「それじゃあ、その悪運とやらに頼らなくてもいいように平和的に留学生活を終えようと思う」
「そりゃ無理な話だよぉ。雪ちゃん曰く、キョーやんの留学生活は波乱万丈に満ちてるみたいだからねぇ」
「なぁ、そういう占いとかって本人を無視してやっていいもんなの?」
「占いの結果を知りたいならタダじゃダメだよ? 現金もしくは……理子への愛のキッス。括弧マウストゥマウス限定です!」
Nと関わる以上は安全無事に留学生活を終えるなんてことは不可能とわかっていて、8割は冗談のつもりで言ったら、なんかオレの留学生活の行く末を白雪に占ってもらっていたっぽいことが判明。
どのくらい具体的に占ったか知らないが、知りたいなら金を払うかキスをしろと言ってきた理子は、始めから金で解決する気ゼロの態度で目を閉じてオレにキス顔を晒して待ちの姿勢。
周りからすれば恋人同士の別れのキスにしか見えないので、場面だけ見た人からは「早くしてやれよ」と視線をぶつけられる。
まぁそんな視線もなんのそのなオレは無防備に目を閉じる理子に対してデコピンを実行して現実に戻してやり、そんなことするわけないだろと笑ってやると、わざとらしく頬を膨らませて「ぷんぷんがおー」をやってから小さく笑う。
「雪ちゃんの占いでもキョーやん死ぬことはないみたいだし、その辺は気を付けてれば大丈夫だと思うよ」
「そりゃどうも。理子もあんま無茶するなよ。ヒルダも変なことし出したら止めるくらいしてくれ」
あんまり長く話していると別れが辛くなりそうだからか、そろそろ頃合いと見た理子が話を終わらせに来たので、オレもキスほどではないにしてもハグだのなんだのと要求されても困るから、後腐れなく話を終わらせる。
理子の影になってすでに寝ぼけ始めているヒルダもオレの言葉には影絵でOKと見せてはきたが、たぶん反射的に反応しただけだなこれ。
ともかくこれで別れの挨拶となって、ぐったりしていたジャンヌを引き摺って搭乗便に乗り込んでいった理子達を見送り、オレが空港に来たもう1つの目的を遂行しにいく。
昨夜、陽陰から普通に解放されて上海からずっとオレにくっついていたらしいバンシーが、これから先もオレと一緒にいるのはリスクがあるということで、潜伏先をスペインのアストゥリアス州に身を潜めるドラゴン。クエレブレのところへと移すことが決まった。
そのアストゥリアスまで行ける便をオレが探してバンシーを送り出す必要があったので、今も姿を消してついてきているバンシーに聞こえる程度の小声でどの便でどこに行けばいいかを独り言。
クエレブレとはシャナの件でNから引き剥がす依頼という形で、今も繋がりがあり、シャナという本当の名前もクエレブレから聞いて、上海ではオレの背後にクエレブレがいることを印象づけておいた。
元からオレやICPO、MI6にも潜伏先がバレてしまってるシャナは、もうアストゥリアス州には戻れないところで、クエレブレとまで意見が割れてしまっていよいよ近寄れなくなっている。
つまりNが近寄れないポイントがクエレブレのところで、たとえ接触されたところで協力者であるクエレブレがバンシーを引き渡すことはないはずだ。
シャナの件も確実に進めないとクエレブレに食われる重大案件なので、なるべく早めにどうにかしたいところだが、そう簡単じゃないことはここまでで十分にわかっている。
彼女達も強い決意を持って行動していて迷いがない。それを説得するのは専門家でも難しいのは明らかだ。
勇志さんだってオレはまだ何とかしてNから引き剥がしたいと思っているし、それが不可能ではなさそうなのもわかっている。
ただあれもこれもと抱えても処理しきれないで混沌とするだけなので、気づけば色々と抱えてしまっている案件を1つずつ解決していくしかない。
そのためにバンシーには安全圏にいてもらうのが最良であり、無事にアストゥリアス州まで行ける便まで誘導して、姿はなくともバカではないバンシーはこれでクエレブレのところへは行けるだろう。
幽霊みたいなバンシーは完全に不正で搭乗していくことになるが、上海にもそれで行ったし今さら罪悪感とかも特になく、しばらくは会えなさそうなことを少しだけ残念に思いつつ空港をあとにする。
Nに関しては問題山積みだが、それとも別に4日後にはロンドン武偵高では学期末の武偵ランク考査が控えている。
ロンドンでは学年が上がる直前のランク考査なので、ここでの評価は新学期にも多少なりとも響くため、今頃のロンドン武偵高は少しピリッとした空気を纏っているはず。
そういう空気がすこぶる嫌いなオレは、当日までなるべく行きたくないなぁとか思いながら、何気にシルキー問題の解決のあとに登校して以来から全く顔を出していないことを思い出し、ヴィッキーとの怪しい噂の進展すらわからない状態だ。
こういうのは後回しにすれば面倒臭いのは経験上ほぼ100%間違いないので、ランク考査前に片付けてしまおうと足取りは重いがこの期間にこなした依頼の報告も兼ねて登校。
時間としては完全に遅刻だったが、依頼が絡むと武偵高に遅刻の概念はそんなにないから、全く気にせずにまずは教務科に寄って依頼書と報告書を提出して欠席を正当化。
ただ一般教科の単位は補充できないから、あまり外に出てると夏休みは補講地獄だと言われてしまったので、出られる授業には出なきゃと本気で思い、今やってる授業にも途中から参加。
席に着く間に出席していたヴィッキーのそばを通るので、昨日に連絡していたから今日は登校すると読んであらかじめ用意していたか、誰にもバレないように小さく折り畳まれたメモを手渡される。
こういうことは普通に上手いんだよなぁと、同じ諜報科として評価しつつ席に着いてから渡されたメモを見ると、オレの留守中に広がってしまったありもしないヴィッキーとの交際の噂が現状でどのくらい誇張されているのかが簡潔に書かれていた。
ざっくり言えばもう体を重ねるほどの関係だと思われてるみたいで、ヴィッキーが否定しても元々が常に男の影がチラつくような武偵活動をしているからか、半信半疑が精々だったみたいだな。
さてさて、まずはそこから解決しないといけないみたいだが、この授業中に解決する策を見出だせるか。
一番簡単なのはみんなの前でヴィッキーに盛大に嫌われることなのだが、匙加減によっては痴話喧嘩程度にしか思われない可能性もあって、オレとヴィッキーの演技力次第のギャンブル性がある。
まぁ嫌われる手段が胸を揉むだのスカートを捲るだのと小学生レベルのことしか浮かばない時点でやるべきじゃない。
幼稚すぎるし、心にもないことを言うのも他の人の心象も悪くして学校での立場を失う。長期的な観点から見れば、うん。なしだな。
……なら逆転の発想でいくか。
下手に誤魔化したところで実力のある武偵には見抜かれる可能性が高い。
ならデキてると噂になってるオレとヴィッキーが体まで重ねておいてまさか『体に触れるだけで照れる』なんて現象が起きようはずがないわけで、授業終わりに早速群がってきた連中は予想通りオレとヴィッキーを持ち上げて無理矢理にくっつけようとしてくる。
その力に適度に抗いつつもヴィッキーと軽く抱き合うような状況にわざとなって、ヴィッキーにも意図を理解してもらうためにオレがすぐに離れて照れながら謝罪。
「わ、悪いヴィッキー。昨日までの依頼のせいで疲れててな」
「あっ……い、いいのよ。周りも強引なところあったし、不可抗力ってやつでしょ。っていうかそんなに照れないでよ。私の手も握ったこともないからって動揺しすぎ。女に免疫ないの?」
「いや、免疫っていうか、オレのせいでいらん噂が広がったみたいだから、あんまり近づかれるの嫌だろうなと」
「ああもう! そもそも誰よ私とキョーヤがデキてるとか噂したのは! こっちはランク考査前でピリピリしてるんだから、くだらないことで盛り上がるのもいい加減にしなさいよね!」
普段のオレならもっとドライな対応をするのはもうヴィッキーには見抜かれているので、そうとは違う反応をしたオレに気づいて即興で設定を合わせてくれる。
この辺はやはり演技派の潜入武偵でアドリブに強い。伊達にAランクではない。
さらに女の子の日みたいなイライラをランク考査に置き換えて怒りを噴出したヴィッキーにふざけていた周りもオレとヴィッキーの関係をまだ疑いつつも、これ以上の言及は銃を抜きかねないとあって退散。
ふーふーと息を荒らげるヴィッキーはそのまま怒りを鎮めるためにトイレに行ってしまい、あの怒りは演技じゃなくて割とマジだったんだなと苦笑するのだった。
「あースッキリした。キョーヤが来たらますます弄られるんだろうなって辟易してたから、言いたいこと言えて満足」
「あの啖呵なら気になってももう寄っては来ないだろうな。オレもヴィッキーがアドリブに強くて助かったよ」
「いきなりキョーヤらしくない反応したからビックリしたけどね。でもああいう反応しても周りが不審に思わないって、やっぱりキョーヤはおかしいわ。普段どれだけ素を出してないのよ」
「単に性格まで把握されるほど学校にいないってだけの話なんだが……」
教室でそんな出来事があったからか、他の教室のヤツらはヴィッキーの逆鱗に触れることを恐れて突撃してくることもなく、普段が割とテキトーな性格のヴィッキーの豹変が効果抜群だったようだ。
それでオレは最小の労力で問題をほぼ解決できたからヴィッキーに感謝で、昼休みにはいつもの音楽室と準備室の扉を隔てての密会。
こういうことしてるから怪しまれるんだろうが、学校での情報を仕入れるのにヴィッキーは使えるので必要あっての接触。他意はない。
「それでランク考査でピリピリしてるってのは本当なのか?」
「あー、それ? 怒りを爆発させるほどではなかったにしても、試験前でふざけてる場合でもないのは本当。日本がどうかは知らないけど、ロンドンじゃ武偵ランクは依頼の質に関わる大事なものだし、特にAとBのランクの差はバカにできないわよ」
「そういえば掲示板の依頼書もA以上とB以下では区画で分けられてたな」
「はぁ……何でそんな他人事なのかしら。キョーヤだってランク考査くらい真面目に受けてるでしょ?」
「んー、一番真面目に受けたのは中学に上がった時の編入試験だから、5年前になるか。それからはEランクに落ちたりで割とテキトーだったような……」
雑談なら情報料とか言われないので、さりげなく流れるような会話で情報を仕入れるオレに扉越しのヴィッキーは口が軽い。
しかしランク考査へのモチベーションにはヴィッキーや世間一般とで乖離があったっぽいオレの言葉に扉越しでも呆れるような雰囲気が伝わってきた。
「……リバティー・メイソンから勧誘に当たってキョーヤの略歴はもらってたけど、京都武偵高じゃインターンで3年間A評価だったのに、東京武偵高に編入してからのEランクだった1年半の落差。それが謎だったけど、本当にやる気なかったのね……」
「やる気というか、武偵であること自体が自給自足のためで仕方なくって感じだったからな。どっかのピンク髪のツインテールに関わらなきゃ今もそれは変わらなかったかもしれないが」
今も割とリバティー・メイソンへの勧誘を諦めてないヴィッキーはそれに当たって略歴も知っていたようだが、そりゃ略歴だけ見ればこの落差は不可解すぎるしな。今の認識の違いで納得されたのはこっちが納得できないけど。
落ちぶれたきっかけは幸姉の失踪で、復調のきっかけはアリア。
考えればオレの人生は女に振り回されてばかりだが、今はそうじゃないと言えるように今回のランク考査を頑張るのも1つの手段なのかもしれないな。
オレが自分の意思で武偵であると決めたその証明として。
「ランク考査って言えば、諜報科は今回、実践形式らしいわよ」
「実践形式? 模擬戦でもやるのか?」
「内容まではわからないけど、総合的な能力を見るための試験になってるかもって。真偽はさておき、私は戦闘力重視じゃないからそっちに振られるとA維持は厳しいかなぁって今から不安よ」
「げっ……オレも機械工作とかあったらヤバいぞ」
そうやって意気込んだ出鼻をくじくようにすでに諜報科らしくランク考査の内容について噂程度の情報は仕入れていたヴィッキーが苦手分野もねじ込まれているかもと話してきて、努力はしているがまだまだ苦手意識の強い機械関係が絡んできたらオレもA評価は厳しいだろう。
あと4日しかないし、付け焼き刃の技術であれこれやるよりは今あるもので全力で立ち向かう方が良い気もする。
たとえA評価を落としたところで、考えてみれば学校からの依頼なんて全く受けてないし、ロンドン警視庁からの協力依頼とかで仕事にも特に困ってない。
むしろ今は一般教科の単位の方がよっぽど大事だ。あれ、オレってやっぱりおかしいわ……
「それで、この情報料とか取るのか?」
「ふーん。自分から払ってくれるっていうならありがたい話だけど、今回は無料で良いわよ。私達の安全のために2週間も頑張ってくれたんだし、そのお礼ってことで」
「そういうことならありがたく」
ランク考査前に午後の専門科の授業を一般教科の補習で埋め合わせようなんて奇抜なことを考えるのはオレだけだろうなと、自虐気味にこのあとのことを笑ってから、今のがタダでくれた情報ではないだろうとさすがに怪しんで自ら切り出す。
しかし意外と律儀というかなヴィッキーはNの標的としてから外してくれたお礼と称して情報料は取らず。
自分の命に関わる案件だっただけに不安もあったのだろうから、それから解放してくれたオレへの感謝は本物なのだろうが、この情報料と命が釣り合うかと言えばそんなことはない。
それでもオレは恩を売るために上海に行ったわけじゃないし、自分の責任でもあると思ってたから、これで良いんだ。
その後ヴィッキーは食事も終えたのかそそくさと音楽室から出ていって、準備室に残ったオレも午後の授業を一般教科の補習に回すために教務科へ行こうとする。
が、その足を止めるようにオレの携帯が通話の着信を知らせてきて、誰かと思えば今は確かローマにいるはずのアリアからで、出ないと風穴を開けられるので通話に応じる。
『ああ京夜。今どこにいるの?』
「今はロンドン武偵高。昼休みがもうすぐ終わるから用件なら手短に頼む」
『じゃあロンドンにいるのね。まぁランク考査もあるし、いるとは思ってたんだけど。あたしも今夜にはロンドンに戻るから、報告会も兼ねてメヌの家に来てちょうだい』
「そっちも一段落したみたいだな」
『そっちもってことは京夜の方も進展ありってことね。頼もしいわ。じゃあまた後でね』
早々に所在を聞いてきたからには、直接会って話がしたいのだろうと予想しつつ、アリアの声色がローマで会った時よりもずいぶん明るい調子になっていたから、ベレッタの護衛任務も無事に済んだことがわかる。
劉蘭と連絡した時にはまだ確かNに狙われる可能性がある期間だったからどうなるかと思っていたが、そこは良かったよ。
手短にと頼んだ都合でザックリとした話になったが、また今夜もメヌエットの毒のコントロールをしなきゃならないと思うとちょっと気が重い。
アリアとメヌエットの姉妹仲はすこぶる良いはずなのに、その愛情表現が歪んでるからきっと面倒臭いことになるのは目に見えてる。緩衝材も楽じゃないぜ……
アリアがメヌエットの家での報告会を開くと言ったからには、すでにメヌエットにも話はいってるとみて、放課後はちょっと買い物をしてから連絡なしで訪問すると、やっぱり待ってましたなメヌエットはオレの訪問する時間まで推理していたか、珍しく1階のリビングでくつろいでいた。
そうしてわざわざ1階にいたのはオレも推理ができていて、昨夜に大変お気に召していた日本食、おうどん様を早速ご所望だろうと思っていた。
だから材料の調達をして来たオレを見てご機嫌なメヌエットは「皆まで言わずに準備してきたので、ご褒美をあげましょうか?」と冗談半分に頬にキスをしようとするから、おあずけを食らうくらいならと自分から頬を寄せてメヌエットの唇に触れて勝手にご褒美を賜る。
するつもりはなかったからか逃げるようにキッチンに移動したオレに空気銃を数発撃ってきたメヌエットだが、当たらなければどうということはないのだよ。ホホホッ。
しかしこれが良くなかったのか、そのあとの味の審査が死ぬほど厳しくなって、出汁から麺まで全てにおいて赤点を食らったオレは、次の品評会までにクオリティーを上げてこいと課題を出されてしまうのだった。