──1人。
諜報科のランク考査が始まってオレの順番に回ってくるまでにこの校舎へと戻ってきた生徒の数だ。
オレを除けば3年生は全員で25人いたのだが、その中で機密文書を持って帰って来られたのは、ゼロ。
戻ってきた生徒も機密文書を持ち出すまでには至らなくて生存して戻ってくるのがやっとだったようで、評価としてはおそらく25人の中では最高だろうが、試験を突破したとは言えない。
「これ普通じゃねぇな」
オレが失敗すれば全滅という、なんか間違ってるんじゃねとさえ思えてくる学校側の難易度設定には文句も言いたくなるが、それはオレが失敗した時にでも3年生と一緒にやる方が効果的だろうと、今はそれを引っ込めてスタンバイしていたところに教諭がスタートを告げる。
制限時間は特に設定されていないのでじっくりといきたいところなのだが、そう考えるヤツもいたはずの中でのこの結果だ。当然そうさせない仕掛けもあるんだろう。
目標の建物はロンドン武偵高を出て1kmほど西に移動したパディントン地区の一角にあり、5階建ての地下はない商業ビルだ。
周囲にも同じような建物はあるが、部外者が立ち入るには不審感を与えるような雰囲気はあるため、堂々と正面からの侵入は無理そう。
しかもビル内にはエキストラとは思えない一般人が普通に仕事をしている様子が見え、演技では完全にないところを察するに、本当にビルだけお借りして試験をしているっぽい。おいおい、人が死んだら責任取れるのかよ……
こうなると一般人を巻き込むかもしれない中での荒事はご法度で、いるという警備も学校側が絶対にミスをしないプロを雇ってる可能性が高い。
「監視カメラ……」
だがそこまでわかると機密文書の保管場所も当たりはつけられる。
場所だけを借りているなら機密文書は本来の業務をしている彼らに差し支えない場所に保管してあるはず。迷惑をかけたら抗議文とか怖いしな。
なんか学校側と会社側の思惑を考えてる辺りで思考がズレている気がするが、そういうことなので通行人を装ってまずは建物の監視カメラを探して配置を確認。
道路を挟んだ向かいには手頃な建物もあって屋上は観察にはもってこいなんだが、嫌な気配がするんだよな。侵入する建物より背が低いから見る場所によっては屋上も丸見えだし、スナイパーがいる可能性も考慮すると狙い撃ちされる。
監視カメラは物凄く緩く表の出入り口に1つあるだけ──商業ビルだし当たり前ではあるけど──で、入ろうと思えば裏口から普通に入れそうではある。
鍵はかかってても電子ロックではないのでピッキングで開けられるはず、なのに、どうにもこの裏口からの侵入は匂う。
一般人の仕事の支障になるトラップは無いと見ていいが、裏口なんて「この日は使わないでくれ」と通達があれば非常時を除けば何の問題もないはずだし、赤外線センサーならそもそも邪魔にさえならない。
外部からのあらゆる侵入口に設置されてると仮定するなら、警備が最も駆けつけるまでに時間がかかるのは厳重にする1階から遠い上階になる。
ということでスナイパーがいるかもしれない屋上からの侵入に決めたオレは、建物と建物の間がわずか50cm程度しかない隙間に人目を盗んで入り込み、3階建ての隣の建物までは力業で登り、そこから残りの8mほどの高さはミズチのアンカーを撃ち込んで巻き取りながら登頂。
ここが最も人目につくので1秒でも早く登りきってみせて、屋上に顔を出す際にはスナイパーがいないかを一瞬で見極めて転がり込む形で音もなく到達。
案の定、スナイパーが1人いたのだが、オレの予想通り正面の向かいの建物への注意と、他の面への警戒を一定時間ごとに変えているようで、オレが屋上に来たことには気づいていない。
死角を利用して隠れて、スナイパーが無線で他の警備と会話するのを聞いて、移動する間隔を把握してから、タイミングを見計らって奇襲し意識を刈り取ると、武装を単分子振動刀で破壊し、ナイフなどは屋上の高い場所の上に置いてワイヤーで拘束。
最後に無線を回収して完了だが、装備からして武偵ではなく軍隊所属の人間のようで、中のヤツらもそうなのかね。
「……性格悪いヤツがいるよなぁ、これ」
まだ警備がどれだけいるかも分からないから慎重に行動して屋上から中へと入る扉をピッキングで開けてみると、扉のすぐ内側に上下左右で2本ずつの赤外線センサーが設置されているのが確認できて、隙間を通ろうにも人1人が通り抜けるだけのスペースがない。
なのでだいぶやっつけで取り付けられているそれをセンサーに引っ掛からないようにと、正常な稼働を阻害しないようにしながら取り外して、2個1組の小さなセンサーを赤外線照射する面同士でくっつけてワイヤーで縛り固定。これで稼働しながら異常を検知されることもないはずだ。
スナイパーの定期報告は移動と同時だったので、その時間もわかってるオレは出来る限りの声真似で無線に報告を流して異常のない風を装いつつ、ようやくビル内部に侵入。
そして無線を持ってわかったことが1つ。中の警備は1人しかいない。
というのもこの無線、かなりの安物でペアでの相互間しか繋がらないタイプ。普通に使えはするが実践においてはオモチャと言っても差し支えない代物だ。セットでも5000円しないんじゃないか。
これが単なる手抜きなのか、はたまたあえての穴なのかはわからない。もしかすればそう思わせる罠かもしれないので、この目で確認するまでは油断は禁物だな。
屋上から5階に降りて、頭に入れていた建物の見取り図を掘り起こし、普段は人の入らない部屋を探し出す。
5階ともなるとそれは顕著で物置みたいな部屋がいくつかあったので、その中で施錠されていない部屋を選んで身を潜める。
いちいちピッキングで開けている時間もあるかわからない状況でリスクを冒す必要はないってこと。
さてさて、これから下の階に行くにつれて人も多くなるのは確実だが、オレの推測では1階と2階。それとこの5階には機密文書はないと見ている。
考えられる侵入口として1階と2階は諜報科なら割と可能性としてはある。手段さえあればオレのように屋上も選択肢に入ってくるが、半端な階層で外からも目立つ高さの3階、4階は入るに入れないと誰もが考えるし、実際に無理に近い。人目につかずにって条件ならオレには不可能とさえ言えるね。
となればその侵入される可能性のある階層には機密文書は置かない。最も安全な位置に配置する、はずなんだが……こういうのは
でも闇雲に探して動き回って見つかってドボンでは意味がないから、いくつか当たりを付けるのは必要なこと。それが外れた時は、危険を冒して行動するしかないかな。
スナイパーの定期報告の間隔が5分置きと割と頻繁なため、行動時間の制限がキツいものの、報告さえ怠らなければ警備にはバレないから焦る必要はない。
だから確実に歩を進めて4階に辿り着いたまでは良かったが、階段の下から人の気配がして鉢合わせはマズいと近くのトイレに潜り込み、1、2段は飛ばして登ってきた人物が社員ではなさそうだと階段側にわずかに顔を出して観察する。
音もほとんどなく軽やかに階段を登ってきたのは、やはり警備の人間っぽく……んーと、フルフェイスと防弾装備で誰かはわからないようにされてるけど、小さくね?
身長は150cmにも満たないし、体格からして間違いなく女。しかし漂う強者感は上にいたスナイパーを遥かに上回る。
「…………ああ、そういうこと」
そんなミニサイズで只者じゃないオーラを出せる人物をオレは数人しか知らないし、4階に到達して1度立ち止まった警備は、同じように降りてきたオレの気配を察知していたのか少しだけ考える素振りを見せてから、5階へと登っていってしまった。
その体重を感じさせない動きと勘の良さ。アリアだなあれ。レッグホルスターに収まってたのもガバメントみたいだったし。
ということはこの前にアリアに直接来ていた依頼っていうのはこれか。道理ではぐらかしてきたわけだ。
そして中の警備がアリアだけなのは『アリアに合わせられる人材がいないから』だろうな。
ここ1年くらいはキンジを筆頭に割とチームプレイというか人と絡んでの仕事をしていたから忘れがちだったが、そもそもアリアはそのスペックがズバ抜けていて、欧州では『
だから中の警備はアリア1人で、外への警戒に1人だけスナイパーを使ってる形なんだろう。それなら連携は最低限でも妨げにはならない。
とはいえこうしてSランク武偵が中を守っていれば、Sランクのいなかった3年生では1人で突破は厳しいだろうよ。
強襲科と諜報科の学科の相性としては諜報科に分があると言われているが、SランクとAランク以下では相性も覆るってことか。
これはオレも相対したらやられるなと確信しながら、何故アリアが5階に向かったかに意識を向けて、おそらくはオレの定期報告に違和感、或いは不備があったからだろうと判断。
もう少し緻密な打ち合わせがあって、それに引っ掛かった可能性が高いので、オレの侵入はアリアに知られたと考えて策を練り直す。
「…………チャンスでもあるか」
だがアリアに侵入を察知されたならと、オレは警備がやりがちな行動パターンに思い当たり、1人しかいないアリアならそれも顕著になるだろうと、アリアが降りてくるのを待つことにする。
今回の機密文書の奪還という任務の特性上、物自体を機械的なセキュリティーで守るのはよくあるし、アリアみたいな警備も配置される。
だから警備は侵入者を察知すると意識的にでも無意識的にでも『対象の近くに移動する心理』が働くもので、1人で迎撃しなきゃならないアリアはあちこち動き回ってる間に奪還される可能性を排除しなきゃならないから、機密文書のある部屋を固めないといけなくなる。
その動きに意図があるかどうかを見極めて場所を特定することにしたオレが、警備であるアリアを見張るという逆転した状況には違和感満載。
それでもアリアが相手な以上、下手に動いて尻尾を掴まれてブンブン振り回してぽーいされる可能性は限りなく高いのだから、最小限の動きに留めるにはこれしかない。
……そう思っていた時期が私にもありました。
予想通り戻ってきたアリアは真っ先に機密文書のあるだろう部屋を確認しに行き、実際に中にまで入って確認もして出てきたのだが、その行動に迷いがなさすぎる。
確かに機密文書の有無は警備としては最も気にかけるべきところだろう。
それでもアリアのこの行動は言い方を悪くすれば、軽率。配慮が足りていないように思えた。
それを裏付けるようにそれ以降は部屋の前を動くこともなく不動の構えで警備するアリアは、絶対に通さないといった雰囲気を放出してアンテナが鋭くなったのがわかる。
アリアには侵入者がまだ猿飛京夜であることはわかってないはずだが……もしもオレだと断定して動いているなら、これはもう読み合いになってるのかもしれない。
眞弓さんはいつも『こうなってほしくない状況』に対しての対策をまずすると言っていた。
そうすると必然、それ以下の状況には冷静でいられ精神的にも余裕が出来るからだと論理的な説明もされたことがある。
「この状況での最悪……か」
熟考するにも腰を落ち着ける必要はあったから、1度5階の備品倉庫に退避して状況を整理。
そこから最悪の状況というのを考えられる範囲で想定してみる。
詰みという状況がそれなら迷いなく撤退するが、想定はそこではなく、任務遂行に当たっての壁の話。つまりまだ望みがある前提での最悪だ。
吐きたくなる状況としては……アリアにはもうオレという人物の特定が完了していて、オレのここまでの考えも勘と経験値から行動を監視されると読んで、オレの思考を誘導していた場合だ。
とすればアリアのあの軽率な行動にも意味があって、機密文書はここだとオレに印象付けしたことになるのかもしれない。
問題はアリアがオレにどう行動させたいのかを読むことだが、普段のオレならアリアの守る部屋には逆に機密文書はないと踏んで足を止めてくれてるならと別の部屋の捜索に走る。うん。これは間違いない。
労力は使ってしまうがそれで他のところになければ消去法で結果としてはあの部屋に辿り着けるしな。
だが消耗狙いならアリアにしては消極的な攻めとも言え、オレがそういう行動を取ると読めたなら、そこに罠を仕掛けてくる。
部屋を印象付けて警備を固めたところまで見せてから、他の部屋の捜索に行ったところを御用。
もしくは最後に残ったあの部屋しかないと諦めて正面突破してくるまで我慢する根比べか……
そう考えていた時に全身の細胞がそうではないと警鐘を鳴らしてくる。
……いや違う。もうオレのこの思考も誘導されてるんだ!
──キィィィィ。
それに気づいたのとほぼ同時に隠れていた備品倉庫の扉が静かに開けられて、明らかに社員の開け方ではない、音を殺す開け方はアリアだ。
今は明かりを点けていないから窓もないこの部屋は薄暗く、人がいるかどうかはすぐにはわからないが、明かりが点けば……
勘も良いアリアなら上手く隠れてもバレるのは確実。詰んだか?
意味もなくスナイパーの安否の確認のために5階。または屋上まで行ったとは思えなかったが、まさか施錠の有無まで確認してたのか。
オレがアリアの行動の意図を考える時間を取ることを読まれて、その場所に当たりを付けられていたってわけだ。Sランクは伊達じゃないぜ。
扉は内開きのため、物理的な死角はまだあるが、それも数秒で有視界内に変わってしまうとあってオレも四の五の考えてる余裕はなく、半開きにまでなったところでガバメントを持つ反対の手で明かりのスイッチに手をかけたアリアを見て覚悟を決める。
片手がスイッチにいった瞬間にそばにあった消火器を持ってアリアを奇襲。
さすがの反応でガバメントを向けはしたが反射神経も良いから消火器を見て撃つのをキャンセルしてくれて、そこで間を詰めたオレが消火器を投げつけてやると、逆に蹴り返してくる狂暴さはアリアらしいが今はやめてくれ!
蹴り返された消火器を受け止めて自棄気味に持ったままアリアに突撃をかまして、体重差で押し切りにいくと、フッと消えるように沈み込んだアリアが仰向けになってオレの足を蹴り転倒させようとしてきた。
そのままオレが転倒する間に潜り抜けて立ち上がろうという魂胆も見えたのであえて蹴りを食らって体勢を下向きにし消火器をアリアにタッチダウン。ほぼ落としたんだけど。
急な消火器の襲撃で「ぐえっ」と小さく呻いたアリアのそばに手をついて、前に転がり備品倉庫を脱出。
これでアリアとのおいかけっこが始動してしまったが、こっちも後手後手に回りたくはないから、色々と先手を打たせてもらうぞ。
まずはすぐに追いかけてきたアリアとの距離を開くために屋上へと逃げる。
スナイパーを解放されていたらマズいが活路はここしかないから行くしかない。
全力ダッシュで屋上まで辿り着いて扉を開けると、幸いスナイパーは解放していなかったみたいで待ち伏せはなかったが、1秒を争う状況で安堵などしてる時間はない。
扉を開けてすぐに単分子振動刀を抜き、開けた扉の裏側へと逃げるようにして動き、外側のドアノブを単分子振動刀で破壊。ただしドアノブはほんの2mm程度だけ残してドアとしての機能は辛うじて残るようにする。
そこから屋上に飛び出してきたアリアを見るよりも早く扉の上を掴んで反対側へと乗り越え出入り口の前に着地。
そこでアリアとは至近距離で対峙することになったが、わずかに先手を打てたオレが振り返るアリアを蹴り飛ばして距離を強引に開けて扉を閉める。
防犯上の理由で内開きが基本の欧州では珍しく外開きのこの扉は、閉まると割とピッタリ壁と一体化するため、開けるにはドアノブがほぼ必須。引っ掛かりがないとたとえ施錠されていなくても開けるためには道具か何かは必要になる。
まぁアリアなら鉄の扉だろうが蹴破ってきそうだし蝶番が外にある都合でそこを破壊される危険性はあるが、扉の構造上、物理的に内側に開かないようになってる扉を力業では破りにくいはずだ。
これに時間をかけてくれれば万々歳。油断はできないからここを突破してきた際に踊り場を経由しないで飛び降りる選択を迷わずするだろうアリアのために手をつく位置に古典的だが撒き菱を置いておく。踏んだりすると当然ながら痛い。
とにかくこの1分あるかどうかな時間は貴重なので、急いでアリアの守っていた部屋まで行き、屋上での対峙の際にこっそりと拝借していたこのビルのマスターキーを使ってあっさりと中へと侵入することに成功。
扉の内側には赤外線センサーがあったが、もう見つかってるからと無視してこれ見よがしに置いてあった暗証番号入力式の金庫に近づいて迷いなく単分子振動刀で両断。いや便利便利。
──パキンッ。
問題なく金庫は突破したので単分子振動刀を納めようとしたら、ここまでの酷使が響いたのか単分子振動刀の刃が先端から5cmほどが欠けてしまう。
ぎにゃー! これジーサードに修理依頼しなきゃならないやーつ!
これまで色んな物を斬ってきた単分子振動刀だが、やっぱり耐久も一緒に落ちてはいたんだな。南無三。
この試験が終わったらすぐにジーサードに連絡することにして、今は機密文書と切り替えて金庫の中にあった機密文書を取り、さっさと出ないとアリアに捕まると部屋も出ようとする。
しかしこの部屋に金庫以外のある物があったため、少しだけ考えてそれも一緒に持ち出して部屋を出る。
さてさて、アリアがどこから来るのか全く予想ができないから、どうやってこのビルから出るかね。
屋上の扉を開けられないと判断したならワイヤーでも使って降りてるだろうし、なりふり構わないなら瞬間移動で地上まで跳ぶことさえ出来るからな。Sランクの超々能力者はやることがわからん。
それでもこっちが安全無事に脱出する方法がないわけでもないので、そのための準備をして上の階には危険だから行けないから下の階を目指して降りていく。
「逃がさないわよ」
そこを狙うかのように下から上がってきたアリアと鉢合わせして、3階と下の踊り場で再び対峙することになってしまった。
やっぱり降りてたか。だがここが最後の正念場ってところだな。意地でも通らせてもらうぜ、その先を!