Slash62
「──なるほど。貴重な情報を持ち帰ったこと、誉めて差し上げます」
「そりゃ良かったよ」
アストゥリアス州での案件を終えてロンドンへと帰ってきた翌日。
疲労回復優先で後回しにしていたメヌエットへの報告のために朝早くからホームズ宅に訪れて、半分くらい寝ぼけていたメヌエットを覚醒させながらアストゥリアス州で掴んだ情報を報告。
サシェとエンドラに仕度をさせながら、自室の扉越しにちゃんと働いてるのか微妙な頭でそんな返事をしたメヌエットは、仕度を終えて自室から出てくると、廊下の壁に寄りかかるオレをキロッと睨んでくる。理由は……はいはい、わかってますよ。
「しかし報告は結構ですが、来るなら来るで時間を選びなさい。紳士たる者、寝起きの女性の顔など、人前に出しにくいことは考えなくともわかることでしょう」
「こっちもこのあとは武偵高の修了式なんだよ。放課後も留学のあれこれとか帰国の手続きとかで遅くなるし、明日の朝には日本に発つんだぞ。メヌが思うほど時間に余裕がないんだ。そこは見逃してもらいたい」
「では日本に帰らなければいいのでは? いっそのことイギリスに帰化してしまえばよろしいのです。まぁ素敵。これで日本に帰る必要がなくなりますわ。いえいえ、帰るではおかしいですわね。旅行に行く、ですか」
「何でそんなことを嬉々として饒舌に語るのか……」
まだ若干だが覚醒していない頭を起こすために食事をしようと1階キッチンへ移動しながら、事前の連絡を到着の30分前にしたことをプンスカ怒られる。
どうせ昨日にメールでもしようものなら「いま来なさい。すぐ来なさい」とか言われると思ってあえての行動だったが、予想通りのリアクションで助かるね。リカバリーのしようがあるよ。
当然、寝起きのメヌエットの攻撃力は低下するので、ダメージを抑えつつそれらしい言い訳──とはいえ本当のことなんだが──をして弁明。
移動の際に車椅子からメヌエットをお姫様抱っこしてお嬢様扱いで階段を降りることでご機嫌取りもし、キッチンには来る前に買ってきた苺をこれ見よがしに置いておいた。完璧だね。
「……謝罪の気持ちはわかりました。仕方ないので早朝の無礼な訪問は不問とします。私がレディーで助かりましたね」
「ははー。ありがたき幸せ」
「わかりましたから下ろしなさい。まさかこのまま私に苺を食べさせるつもりではないでしょう」
「メヌが良いなら食べさせるけど?」
「冗談もそのくらいにしなさい……朝から疲れますね……」
ぐはは。寝起きのメヌエットは攻撃力半減どころではないな。これからたまに狙ってやろうかなこれ。
好調なメヌエットなら家から追い出してしばらく訪問禁止くらいの判決が下りそうな行為にも目をつむってもらい、これ以上はやめておけと本能も告げたことから素直に車椅子へと下ろしてあげて、膝の上に箱ごと苺を置いたメヌエットはそのままリビングへの移動を促してオレをソファーへと誘導。
「私は超能力に関して博識ではありませんから、そこに至るまでの推理が出来ませんでしたが、別の世界ときましたか。まるでファンタジー小説のようなことが現実に起こっているとは」
「そんなこと言ったらそもそも超能力なんてものもファンタジーみたいなものだろ。むしろオレは超能力の由来が別の世界にあったって方が納得するよ」
「別の世界とは言いますが、それは果たしてファンタジー小説のような地球とは別の次元に存在する異なる世界。つまり『異世界』なのか。それとも……」
「えっ? そこに複数の説があるのか?」
「あります。京夜はそんなことにも考えが及ばないのですね」
さっそく苺を食べながら先ほどの報告の中のNの目的について触れたメヌエットは、回り始めた頭でいきなりオレの想像を越える話でマウントを取ってくる。仕返しはやっ。
残念なことに考えが及ばない現実は変えられず苦い顔をしたら、やれやれといった雰囲気でまた苺を頬張ってからいつもの口上から親切に説明してくれる。
「想像力に乏しい京夜のために小舞曲のステップの如く丁寧に説明してあげましょう。まず異世界の定義として一般的なのは、先に挙げた次元の異なる世界であることは理解していますね?」
「少なくともこの地球上のどこかにあるものではないってことだろ?」
「説としては世界の分岐の上で分けられた、所謂パラレルワールドがその1つと言えますが、ドラゴンや人魚が存在する以上、生物の進化の歴史から覆すような差異があるようですから、可能性は捨てきれませんがこの説はあまり有力ではありませんね。何故ならそれほど古代の分岐が存在するならば、もっと直近の分岐世界とも繋がる可能性が高く、世界はとうの昔に混沌としていただろうからです」
「それでもう1つの説ってやつか」
「京夜はその説を導くだけの情報を与えられていますよ。ヒントはこれです」
最初にオレが考える異世界の認識を確認してから、パラレルワールド説を否定気味に話してオレの考えが及ばなかった方の説を説明するためにメヌエットが懐から取り出したのは、オレが誕生日にプレゼントした銃弾に加工したほぼ純正の瑠瑠色金。瑠弾。
肌身離さず持っているとアリアのように人体にも影響を受けるかもしれない──理子がそうなってないし杞憂かもしれないがな──からか、割と厚いケースに入れているそれを見せてきた意図は……
「瑠瑠色金……いや、色金か……」
「珍しく察しが悪いですね。ではこの色金という超常の金属生命体は『一体どこから来たもの』なのですか?」
「どこからって……何千年も前に宇宙から落ちて……ッ!」
今年の3月にアリアと緋緋色金の一件で、アリアと緋緋神は和解のような形になり、緋緋色金はその取り引きとして本体を宇宙へと戻された。
そう。緋緋色金。ひいては今もレキの故郷であるウルス。アメリカのエリア51の地下に保管されている璃璃色金と瑠瑠色金も、元を辿ればこの地球上には存在しなかったのだ。
それは隕石のように地球の重力に引き寄せられて飛来した地球外生命。言ってしまえば宇宙人に他ならない。
「あー……つまりあれか? 色金が宇宙由来のものなら、ドラゴンや人魚もそうだって説か?」
「確定させるにはまだいささか弱い根拠ではありますが、なくはないでしょう。京夜は先月の無人島での一件ではワームホールを利用して移動させられたのでしたよね。同じ地球上の座標から座標へ移動したに過ぎない事象ですが、注目すべきはこの移動に『距離』が無視されるということ」
「えっと……まさかとは思うけど、そのワームホールが『地球以外の惑星』に繋がるんじゃないかってことじゃ……」
「ふふっ。それこそまさに
非現実的な事象とは最も遠いところにいそうなメヌエットから、夢のような説が飛び出したことにオレも心底驚く。
ただこれまでの超常の事象を受け入れなければメヌエットさえも推理に支障が出るところまで来たのだと察することもでき、またこの説を絶対にないと否定する根拠がオレから出てこないのも事実なのだ。
「ドラゴンや人魚が地球の環境に適応していることから、彼らの故郷も地球の環境に近いか、順応性に長けているか、もしくは適応したのか。そしてその地球以外の生物が存在する惑星がいくつ存在し繋がるのか。考えられる可能性を考慮すると尽きませんが、今のところの説としてはこれが有力なところかと」
「宇宙人か……スケールがデカすぎて実感が湧いてこないな」
「説明している私も真面目に話しているのが不思議なくらいですから無理もありません。それとこの話はまだお姉様には伏せておきなさい。良くも悪くもお姉様は決断が早いですから、Nとの敵対が強い以上、ほぼ確実に砦側に回ってしまいます」
「それはまぁ想像するに容易い。話す相手も慎重にとは言われてるし、今のところはメヌだけにしようと思ってる」
「懸命な判断ですね。京夜のもたらす情報1つで、我々の側の統率がどれほど乱れるか想像も尽きませんから。それに表面化していないだけですでに裏では対立が生まれているやもしれませんね。Nが仕組んでいることとはいえ趣味が悪いとしか言えません」
とんでもない説はどうあれ、メヌエットも無闇に話すことではないと結論を出して釘を刺してきて、オレも話すならメヌエットくらいだろうと始めから決めていた。
1人いるとするならエンゲージのあった時代に先祖がいたことが確定してる星伽。その子孫の白雪だが、現状で話したとしても進展があるかと言えば、ほぼないだろうな。
「なんにしてもNが起こそうとしてるサード・エンゲージとやらを止めるか否か。それをオレやアリアといった個人レベルの武偵やどこかの団体・組織が決断していいものか。それと扉側のメリットってのがよくわからないんだよなぁ」
「決定権に関しては難しいところですが、扉側のメリットは比較的容易に想像できますよ。要するに人類にとって超常の存在とのコンタクトが利益や発展に繋がればいいのですから。先のエンゲージでもたらされた最たる例が、今日に世界各地に存在している超能力者達と言えますよ」
「……そうか。世間一般的には超能力の存在はまだまだ眉唾モノだから世界への影響ってのに繋がらなかったが、これが認知されて一般に利用されれば十分な利益や発展を生む可能性があるのか」
「超能力だけに限らず、あちらに存在する未知の技術や物質もその対象になりますね。ただし、その発展のために大きなリスクを負うのも事実です。あちら側から来る者が全て世界にとって無害の存在であるなど、誰が保証できましょう」
時間もそろそろなくなってきたから、最後にオレが考えてもわからなかった扉側のメリットに関して尋ねると、これもすぐに考え至っていたらしくスラスラと回答の例を述べてくれて納得。
人類の発展の上でほぼ欠かせないのが、未知。今は教育の中でも教えられるようなことも昔はわからなかったことばかりで、これを解き明かした人間がいて、利用し発展させた人間がいたから常識が生まれたんだ。
その発展がサード・エンゲージで起きるとなれば、確かに人類にとってのメリットに十分なりえるが、それと同時にメヌエットの言うリスクも背負うんだ。
下手をすれば人類滅亡なんて未来も可能性としてある以上、サード・エンゲージ大歓迎っていうNの考えは過激に思える。
「そのリスクを軽減、或いは排除するためにNが慎重に計画を進めているという捉え方も出来ますが、そうだと断定する材料もない以上、私や京夜がすべきことは変わりません。Nは我がイギリスから黄金を盗み、世界各地で法に触れるテロ紛いの行為を繰り返しています。これを止め秩序を取り戻すのは武偵の本分でもあるでしょう?」
「武偵は世界平和を目指すような綺麗な職業でもないが……そうだな。それらを放置していい理由もないか。ありがとな、メヌ」
「何のお礼ですか。訳のわからないことを言ってる暇があるのなら、1人でもNのメンバーを逮捕なさい」
扉と砦。双方の主張がわかったのと、色々な情報を取り込んだオレがこれからの行動についてを迷っているのを悟ったのかはわからない。
それでもメヌエットはオレがこれまでにやって来たことが無駄ではない。これからもやることは変わらないとほぼ断言して背中を押してくれた。
その辺の意図を汲み取るのが早かったからか、メヌエットもそれ以上の会話は嫌ってオレを遠ざけつつ顔を背けて苺をパクリ。照れ隠しだと信じたいね。
大事な話のあとはオレの夏休みの帰国の日程を尋ねてきて、それを教えてやれば、長いだの土産はあれがいいだのと文句やらが噴出してきたから無視してホームズ宅をあとにして登校。
メヌエットの要望を全部聞いてたらオレの帰省なんて10日もなくなるだろうし、何かあればすぐ戻って来いとか言い出しそうで怖い。
こっちの都合も考えない我が儘は聞くだけ付け上がるだけだから、土産を少し豪勢にすることでバランスを取ろうそうしよう。
そんなメヌエットお嬢様のちょっとした寂しがりな部分を察しつつ、ギリギリ修了式には出られたオレも無事にロンドン武偵高での生活に一区切り。
一区切りとか言うほど学校での思い出も出来事もなかった気もするが、それはそれとして午前中の内に終わった学校の放課後は、マリアンヌ校長に呼ばれて校長室へと招かれていた。
オレの他にも3人。学年はバラバラだが生徒が先に到着していて、顔ぶれを察するとロンドン武偵高に留学に来てる生徒が集められてる。
オレが最後の1人だったか、到着して早々にソファーへと促されてマリアンヌ校長の淹れた紅茶を皆が口に含んでから、対面に座ったマリアンヌ校長が口を開く。
「さて、時期はバラバラながら、4名とも無事に我が校での学習期間を終えました。引き続き新学期以降も留学を続ける方が1名おりますが、生きて故郷に帰れることを嬉しく思います」
なんとも武偵高らしい生き死にの安堵の話から始まり、冗談ではないマジな心配事の1つが消えてマリアンヌ校長もさぞホッとしたことだろうよ。
オレなんて運がなきゃこの4ヶ月くらいで3回くらい死んでるからね。報告書とかには無事だなんだと書いておいたけど、洒落にならないっす。
それもあと3ヶ月ほど続きますがよろしくお願いしますよ。
などと表情には出さないが辛労になりそうなことを思いながら話を聞いてると、留学を終えた他の3人にそれぞれ書類を渡して言葉を贈り、割とアッサリと3人は退室させられ、残されたのはオレ1人。
まぁ4月が新年度になる日本が時期的に悪いのもあるし、留学期間が変になるのは仕方ないさ。他の3人はみんなヨーロッパの武偵高だったはずだしな。
日本も9月からの新年度になれば良いのになぁ。とかマイノリティからの脱却を密かに考えながら改めて対面に座ったマリアンヌ校長がオレに向けた書類をテーブルに置いてくれる。
「そちらには留学に関するものと評価等の書類。あとは帰国用の航空チケットを封入させていただきました」
「航空チケット……何かのサービスですか?」
「捉え方はご自由に。我々としてもSランク武偵の扱い方は慎重にならざるを得ないとだけ。それから今後の留学に関して1つ」
失礼を承知で話の最中に書類を開いて中から航空チケットを確認し、搭乗便を見つつ裏を探る。
ただこれはSランク武偵への配慮みたいなもので、オレ個人に恩を売ろうとかそんな下卑た話ではなさそうでひと安心。
これで素直に受け取って「これで留学ではなく晴れて転学になります」とかなったら理不尽にもほどがあるし。
ロンドン武偵高としてもオレの日本人気質を見越して先に何かを提示し追加要求が来ないようにした形だろうし、オレとしても特に何かを絞り取ろうとかないからありがたく受け取っておくことにする。
そしてこっちが本題とばかりに少しだけ真剣さを増した表情になったマリアンヌ校長に合わせてオレも話に集中。今後の留学?
「猿飛京夜さん。あなたの本校での評価はSランク取得などを加味して十分な高評価と言えるでしょう」
「それは、はい。ありがとうございます」
「ですが、一点だけ気になることがあるとするなら、これでしょう」
最初に留学生としてのオレの評価が総合すれば高いことを述べてくれたので、オレもそれは素直に感謝しつつも、次に1枚のレポート用紙を見せてきたマリアンヌ校長に促されてそれを拝見。
これは……うげっ。オレの出席日数ではなかろうか……
とりあえず問題はギリギリないとはいえ、公欠扱いの入院期間を除けば授業に出てる日が60日程度。えっ、4ヶ月って何日でしたっけ?
「勘違いしないでくださいね。武偵高は依頼による校外活動で欠席扱いはしませんし、日本では最上級生であるあなたが、今後に向けて依頼に力を入れるのも大いに構いません。私はそれを咎めているのではありません」
「それじゃあ、これの何が……」
「本来、留学の目的は他校の校風や文化を知り、将来の人脈を広げるなどのコミュニケーションに寄るところが大きいです。先の3名はあなたに評価こそ及ばないものの、その点で見ればあなたよりも良い傾向にあったと言えますね」
あー、これはあれだ。つまりオレが留学の目的に沿ってないってことだ。
おそらく東京武偵高で全く同じ行動を取ったとしても、あっちでは何も言われることもなく、むしろ蘭豹なんかなら「お前も出世したなぁ、ガハハッ」とか背中をバシバシ叩かれる優等生だったはず。
それがそうならないのは、これらの行動を留学先でする必要があまりないから。
話からオレが悟ったのを察して、全てを話すまでもないかとオレの欠点は直接的には言わず、ただし暗い話ではないのだというようにニコッと笑顔を向けてくる。
「私はこれまでのあなたの行動をネガティブに捉えてはいません。本校で言えば神崎・H・アリアさん。アンジェリカ・スターさん。そしてフローレンス。彼女らもまたあなたと同じように『学校』という狭い枠に収まらない器なのです。あなた方のような武偵にとって学校というものが足枷になってしまうのなら、早くに決断しても良いのかと考えているのです」
「えっと……おそれ多い評価ですが、それはつまりオレが……」
「プロの武偵として、どこかの団体・組織に所属するか、独立し個人事務所を立ち上げるかの選択です。もちろん、卒業のための手続きは別途で必要にはなりますが、あなたの成績ならば問題はないでしょう」
これはまたずいぶんと飛躍した提案が来たもんだな……
こんなにアクティブに依頼をこなすなら、留学なんて手間なことをしていないでさっさと武偵高を卒業してしまえという、割とぶっ飛んだ提案に表情が固まる。
「たとえそうしたことでなくとも、あなたの今の行動力をこれからも発揮するならば、無理に留学を継続する必要はないと私は考えています。あなたにとってこの留学がメリットになりうるかどうか、この夏休みの間にもう1度よく考えてみるのもいいかもしれませんね」
さすがにいきなり卒業だ起業だ就職だと言っても困惑するのは目に見えていただけに、マリアンヌ校長もそれはそれとして留学に関しては自分にとってのプラスになるかをよく考えてみるようにと意見してくれる。
確かにこんな出席率で留学をしている意味があるかと言えば疑問が出てくるところではあるし、Nの問題でも日本にいる方がアリア達と色々な行動を擦り合わせることが出来るだろう。
「……期限はいつまでに?」
「諸々の手続きなどを考えて、夏休みが終わる1週間前には返答をくだされば。あなたの人生ですから、ゆっくりと考えてください」
正直なところではオレもこの留学に意味があるのかと考えた瞬間は何度かあった。
ただそれ以上にNの問題に振り回されてそれどころではなかったから考えないようにしていたことを、学校側から提案してくれたのは、ある意味で良かったのかもしれないな。
もちろん留学に意味を持たせる努力をオレがしないのは怠慢だし、Nだとかそういうのを理由に留学を取り消すのはもっと違う。
これは夏休みを前に大きな大きな宿題を出されたような、そんな気分になってしまった。