武偵高というのはその基本的な構造として上下関係をしっかりとする封建主義なので、先輩は後輩に対して頭を低くしたりは余程の事がない限りはしてはならない。
とりわけ最上級生である3年生は閻魔の3年と呼ばれるくらいには威厳も持たねばならないし、2年生も鬼の2年として1年生には弱いところは見せないよう注意を払うものだ。
そしてオレもその枠組みの中では閻魔として君臨する最上級生……のはずなのだが、現在進行形で自室のリビングで肩身の狭い思いを、何故か威厳を示すべき後輩にさせられていた。
「……何これ……」
「何がですか? 京様?」
「いや、何がって……」
思えばあの理子が何かを察して早々に退散した時から変な空気は感じ始めていたが、オレにはこれ系の危機を察知し回避する能力が若干ながら未熟だったようだ。
理子が部屋を出ていってからわずか10分という驚異的なスピードでやって来た真田幸帆は、来るなりリビングのテーブルに持ってきた雑誌を広げてソファーに足を組んで陣取る。
その様子は普段の幸帆から感じられる清楚さや大和撫子なおしとやかさはあまりなく、態度としては戦姉のジャンヌに近いふてぶてしさ。
あまりにも我が物顔で陣取っているから、オレの部屋がアウェーになったような錯覚を起こすほどの存在感を放つ幸帆は、2年生になって色んな意味で成長してしまったのか。悪い方向に行ってそうで嫌だなぁ。
ただ長年の付き合いもあって今の幸帆の機嫌があまり良くないことくらいはわかるので、その原因についてを考えたいところ。
理子曰く、報告なしに留学に行ったことを根に持ってるっぽいことは含まれるだろうが、それが全てではなさそうなことを言われている以上、単に謝罪すれば終わる話ではない気がしてならない。たぶん。絶対。
そんな幸帆はオレが席を外すことをまず真っ先に咎めてソファーに釘付けにしてきたおかげで、行動の自由を奪われて幸帆の顔色をうかがうしか出来ない。
頑張れオレ。ここから生還して無事に夜を迎えねば明日はないぞ。なんとかして幸帆の機嫌を上向きにしろ。
まさか帰国後半日もしないうちに窮地に立たされるとは思いもしなかったものの、問題解決の糸口はある。幸帆の性格を考え、持ってきた雑誌にも意味があると思え。
考えながらいくつかある雑誌の表紙を見てみると、共通しているのはどれもが旅行雑誌ということ。
夏休みだし小鳥なんかと旅行の約束もあるんだろうし、そこに何の不思議もないが、それを何故オレの部屋でわざわざ物色するのかということ。
そしてその行為をオレを拘束しながらする理由とは何なのか。そこに答えがあるのなら……
話しかけてくるわけでもない幸帆に対して選択のミスが許されない状況下で1つの可能性を確かめようと口を開きかけたところで、タイミング良くか悪くか部屋のチャイムが鳴り響き、住人であるオレではなく幸帆の声に招かれてリビングにやって来たのは、去年の学期末までオレの戦妹だった橘小鳥。
たったの3、4ヶ月程度では見た目的な変化はほとんどなく、年齢よりも少し幼く見える容姿は健在。相棒のセキセイインコ、昴も小鳥の肩に乗って元気に羽を広げてアピールしてきた。
「京夜先輩、お久しぶりですね」
「お、おう。久しぶり」
「昴も『元気にしてたか?』って言ってます」
「五体満足で生きて帰ってくるくらいには元気だが……」
幸帆と違ってオレに普通に挨拶をしてきた小鳥に少し安心したかったのはあるのだが、変に警戒心が芽生えていたせいで小鳥の些細な違いに気づいてしまって動揺。
それを表面上には出さなかったにしても、勘づかれたらヤバいと普通に接して難を逃れたが、何事か。
小鳥は確かにオレに対して丁寧語で話しはするものの、幸帆のように敬語バリバリにはならないから、「お久しぶりですね」とか固い感じでは言わない、はず。
その証拠かはわからないまでも、挨拶もそれだけですぐに幸帆と会話をし始めてウキウキで旅行雑誌を物色。
オレなどこの部屋の置物であるかのごとく扱う2人の態度。無視に近い。
普段の2人なら留学中のあれこれを根掘り葉掘り尋ねてきたり、オレのいなかった期間の東京武偵高の様子をざっくりにでも話してくれていただろうに、それがないのが怖い。これが女を怒らせると怖いってやつなのか!
「それで貴希さんはどうなりますか?」
「来週末から鈴鹿サーキットでレースクイーンのお仕事が入ったみたいなんで、行くならその前にって」
「では思いきって海外へというのは無しの方向ですね。残念です」
どのタイミングで話に割り込むべきかを探っている段階でも2人の会話はどんどん進み、どうやら貴希も参加予定らしい旅行の都合から、海外旅行の雑誌が取り除かれ、場所は国内限定に。
しかし疑問なのは金銭的な問題で学生にとってハードルが高くなる海外旅行を視野に入れていたこと。
言語に関しても勤勉な幸帆はともかく、英語も危うい小鳥と貴希がポジティブだったのは引っ掛かる。
何か信頼というか保証というか、そんなのがある前提な気がしないでもな…………あれ? これ……
その間も候補地や観光ルートなどがキャッキャと話し合われていながら、肝心な予算については全く勘定に入っていない計画の杜撰さ。聞いてて怖すぎる。
「あの……お2人さん? 質問よろしいかい?」
「はい、何でしょうか?」
「女の子同士の会話に入るんですから、つまらないことだったら怒りますからね」
置かれた状況的に悪寒しかしなくなったので堪らず割り込みをかけ、少しムッとした2人に臆しながらもここで退くわけにはいかないと奮起。後輩相手に何の覚悟だこれ……
「旅行に行くのは大いに結構なんだが、聞いてるとお前らの計画って予算度外視で正直バカっぽいから、なんかアテがあるのか?」
「それはもちろん。私達もそこまでバカではありません」
「ちゃーんとアテがあって話をしてまーす」
「…………そのアテって……」
ピンポーン。
話す中でどんどんと悪寒が増していき、いよいよ核心に触れようとしたところでまたも来訪者が。
話の流れとして人物はほぼ特定できたに等しいし、オレが招き入れる前に2人が対応した時点で拒否権もなし。
予想通りリビングに入ってきたのは話に出ていた武藤貴希で、何かの依頼の後に直行してきたのか業者用の制服でいつもの美人要素は顔だけに留まっている。
「こんな格好ですみません京夜先輩。すぐに着替えるんで洗面室お借りしますね」
「あ、貴希さん。着替える前にこちらのプランを見て欲しいのですが」
「ちゃんと貴希さんの希望も考慮したんだけど、どうかな?」
貴希に関してはオレに対する態度に変化は見られない。これは声色や表情からほぼ確実なもので疑う余地は少ない。
そこには安堵しつつ、着替えようとしていた貴希を引き留めてぶつ切りになっていた話を再開させた幸帆と小鳥に促されて、ざっくりと箇条書きにしていたガバガバな旅行プランを見る貴希。
オレも全てではないにしてもその中身は理解していたから、候補地が3つ。プランが5つほどあったよなと思いながらルンルン気分っぽい貴希の反応を観察。
鼻歌混じりに全てのプランに目を通した貴希は、ふむふむと少し吟味してから何故かオレにその視線を向けて口を開く。何故に?
「こんな贅沢してもいいなんて、京夜先輩も太っ腹ですね!」
「……おい……?」
「私はどのプランでもいいからそのまま進めてていいよ。それじゃ着替えてきまーす」
はい確定しましたと。
悪寒の正体は2人の言うアテがオレだったってことだよねこれ。ふざけてやがりますか。殴っていい?
貴希の無邪気さというか毒気のない感じに悪意がないから、おそらくこのバカ2人から旅費をオレが負担するような話だけを一方的に聞かされたと見るべき。
そこに疑問を持たなかったのも問題ではあるが、罪としては相当に軽いし今なら撤回も利く気がするから後回しでいい。
なので貴希が着替えて戻ってくる前にこのバカ2人には灸を据えねばならん。
「今なら謝れば仲良し3人割り勘旅行で済む問題だが、どうする?」
「うぅ……やっぱり怒られた……幸帆さーん……」
「小鳥さん、京様の迫力に負けてはいけません。こちらにだって言い分はあるんですから。京様、怒るのでしたら、まずはご自分の行いを省みてくださってからでも遅くはありませんよ」
「留学の件ならメールで謝っただろ。小鳥に報告する義務はなかったが」
「酷いです!」
「幸帆には幸姉の件もあったから本当に悪いとは思ってる。何かの形で償いはするつもりだ。だがそれでこのアホみたいな旅行の旅費を全額負担は重すぎると思うがな」
やっぱりってことは言い出しっぺは幸帆ってことになるな。
幸帆に対して負い目はあるとはいえ、省みてもさすがに謝罪の形として割に合わないのは明白だからオレも退くわけにはいかない。
そんな気持ちを目で訴えて幸帆を威圧に近いもので圧すものの、オロオロし出した小鳥と違って全く動じない幸帆もまた、退かないという強い意思を感じさせる。
「確かに姉上の一件で少なからず不安に襲われたのは事実です。そちらに対しての謝罪であれば今は素直に受け取り許します。ですが私や小鳥さんが申し上げたいことはそこではありません」
「だったら何に怒ってる」
「京夜先輩が周りに何も言わずに留学したこと自体は別にいいんです。私達も武偵の端くれですから、そうした情報を引き出せなかった未熟さを怒りとしてぶつけるほど子供ではないです」
「私は……京様のことを姉上の次に近くで見てきた自負があります。だからこそなんとなくわかるのです。京様が黙って留学した隠れた理由について」
何がそこまで2人を怒らせているのか本当にわからなくなったオレが眉間にシワを寄せていると、黙って留学したこと自体に憤っているわけではないことはわかる。
さらに長年の付き合いから行動以上のものを感じ取っていたらしい幸帆が、ブスリと鋭い針を刺してくる。
「表立っては私達に情報戦をさせる意図があり、大勢のお見送りを嫌ったこともあると理解できますが、おそらく京様は留学の件を公にすることで私や小鳥さん他、誰かしらの今後に影響を与えてしまうと考えたのではありませんか? 自分が誰かの何かを変えてしまうのではないかとお思いになられたのではありませんか?」
あくまで推測だという風な幸帆ではある。が、その本質はほぼ的を射ていた。
言われなければオレ自身も思い出さなかっただろうことを指摘され、咄嗟に何も言えなくなったのを察して、幸帆は責めるでもなく、しかし語気は強めに言葉を続ける。
「京様はお優しい方です。ですからそうした考えに至ったとしても私にとって何ら不思議はありません。実際、留学の話を予め聞いていたなら、私も小鳥さんも今とは違った選択をしていた可能性はなくはないでしょう。ですがこれだけは言わなくてはならないと思って言わせていただきます。京様のその優しさは杞憂というものです」
「……えっ?」
「私達は京様と少し深く関わってしまった以上、大きな行動1つで選択肢が出来てしまうのは仕方のないことなんです。それは京様に限らず、姉上でも、眞弓さんでも同じこと。それならば今回の件でも選択肢が前後したり変わっただけに過ぎないことになりませんか。それら全てをケアなど、到底できないかと」
「それは……そう、だろうけど……」
人と人が関わる以上、誰かしらに何かしらの影響を与えるもの。
長く説明させてしまったが、要はそう言いたい幸帆の言葉に納得したようなしてないような微妙な反応をするしかないオレが言いあぐねていると、若干重たくなった雰囲気を和らげるように「要するにですね」と立ち上がった小鳥がまっすぐにオレを見てくる。
「私達が言いたいことは、京夜先輩がどんな選択をしたにせよ、その後に私達が選んだ道は全て自己責任で、京夜先輩のせいとかそういう問題じゃないってことです。そんなことまで京夜先輩に背負わせるほど私達は子供じゃないんです。ハッキリ言って『何様のつもりなんですか』って話ですよ」
「私はそこまで言うつもりはありませんでしたが、いつまでも心配されるばかりの幸帆ではないと、そう認識してくださればそれでいいのです」
…………確かに、その通りだな。
オレは自分の留学を知れば小鳥や幸帆に焦りや戸惑いを与えてしまう可能性を考慮していたし、他の人にも色々と要らぬ心配をしていた。
心配するのは用心深くあるべき武偵にとって悪いことばかりではないだろう。
ただ、たまたま今回は留学という大きな選択をしたから必要以上に過敏になってしまった結果、今のような状況にもなったし、オレも当時は重要な決断をした気でいたんだ。
でも実際はそうではなく、事の大きさに関わらず誰も彼も状況の変化に自分自身が常に選択をしていて、そこにオレの心配や思考など不要なものだったんだ。
それにオレがあれこれ考えたところで、究極的に言えばオレと関わりが薄くて──同じ諜報科の生徒とかな──も、留学の話を聞いて選択を迫られた人がいたかもしれず、そんなことまで考え至ってしまえばまさに杞憂としか言いようがない。笑えるね。
とすれば2人の怒る理由も納得がいき、そんなことにまで気を回しても疲れるだけだろうと説教してくれた2人に真摯に向き合う。
「……悪かった。どうやらオレはお前らをまだ子供扱いしていたらしい。ちゃんと成長してるのに見えてなかったんだな。むしろ成長してないのはオレの方か」
「それは違います。京様は単に優しすぎるだけです。優しすぎる故に多くの心配事を人知れず抱えてしまっているので、今回のことでその心配事の1つが減ってくださればと思い申し上げた次第で」
「あれ? 幸帆さん『帰ってきたら絶対文句を言ってやるんだー』って意気込んでたのに?」
「そ、それは言葉のあやというか、その場の勢いなども助けてしまった結果ポロッと口から出てきただけで……」
「私もっとガミガミ言う幸帆さんが見たかったなぁ」
「こ、小鳥さん……勘弁してください。これでも勇気を振り絞ったんですから……」
自分の非はしっかりと認めながら2人に謝罪すると、それ以上のことを言うつもりもなかったらしくて一気に重い雰囲気も払拭。
それを裏付けるように小鳥が幸帆のことを弄って仲良く言い合いを始めたから、オレも変に割り込んで話を掘り返しても仕方ないと黙っていると、完全に蚊帳の外だった貴希がタイミングを見計らってぬるりと顔だけリビングに覗かせる。
「お話は終わりました、よね?」
着替えるだけにしてはこっちの話が長すぎた気もするので、数分くらいは待たせただろうことも加味して3人で空気を察してくれた貴希に感謝しつつ迎え入れ、真面目な空気が苦手な節がある貴希は頭を軽く掻きながら苦笑いで輪の中に加わった。なんか悪いね。
「それで結局、この旅行って京夜先輩の奢りでいいんですか?」
待たせたついでに聞きづらいこともズバンと切り込んできた貴希に判断が難しかったオレが、言い出しっぺの2人を恐る恐る見ると、2人も本気でそんなつもりはなかったのかそれらしいリアクションでオレを見た後、やれやれといった雰囲気で判決を言い渡す。
「仕方ないので京様には私達の旅行の移動費を負担するということで手を打ちましょう」
「車は貴希さんが出してくれるので、相当安くはできますよ」
「あー…………つまりオレはお前らの旅行に同行するってこと?」
「そうなりますね。良いではありませんか。可愛い後輩3人を引き連れて旅行できるなんて、ご褒美ですよ」
「まさか嫌、なんですか?」
「京夜先輩の運転で旅行したいなぁ」
自分から可愛い後輩とか言っちゃって恥ずかしくないんですかね。3人とも外見が可愛いのは認めるけど、中身はもうすっかり武偵なのよ? プラマイゼロと言っても過言じゃないね。
割と拒否権も行使できないような物言いに本気で移動費だけ支払ってやり過ごす手が使えそうにないなぁとたじろいでいたら、タイミング良く誰かから電話がかかってきて、逃げるように玄関の方に引っ込んで携帯を取り出すと、相手はまさかの眞弓さん。はい今すぐ出ます!
「はいはい! どうしましたか?」
『ん? 何をそない慌てておりますのや。ウチは電話に出るのが「多少」遅れたくらいで怒るような短気とちゃいますよって』
「……ちなみにあと何秒遅れたら怒りました?」
『そうどすなぁ……あと2秒といったところどすか』
怖いんどすわよこの人! 心臓が口から飛び出しますえ!
まだ留学から帰ってきたことを知らせてもいなかったから、料金のかかる国際電話はかけてこないだろうと油断してたが、この人にはどんな油断もしちゃいけないんだよな。反省。
「そ、それでどういったご用件ですか。眞弓さんもお忙しいでしょうし、手早く済ませられるならそれに越したことはないかと」
『お気遣いおおきに。話は例の依頼の件どすが、電話ではもしもがありますさかい、数日中に直接お話しさせてもらえまへんやろか?』
「直接、ですか。眞弓さんが東京に来る予定があるわけではないのなら、こちらからうかがいますが。帰省も兼ねられますし」
『そう言ってくれる思いましたえ。あー、愛菜はんがやかましく……』
時間にうるさ……厳しい眞弓さんを怒らせないように迅速に用件を聞き出しにかかり、そのスムーズさに少し声色が優しくなった眞弓さんが例の依頼の件で直接お話をということでトントン拍子で帰省が決まる。
あ、でも旅行……仕方ないよなぁ。仕事だもんなぁ。
と、小鳥達の旅行を断る口実を得たオレが少しテンションを上げたところで、後ろからギロリと鋭い視線が注がれたのがわかり振り向くと、何故か幸帆が電話の相手を眞弓さんと看破して携帯を渡すようにジェスチャー。えぇ……
替わらなきゃ面倒臭いことになりそうな予感がしたから仕方なく眞弓さんに替わる旨を伝えて幸帆に携帯を渡すと、物凄いペコペコする幸帆が玄関から外の廊下にまで出て盗み聞きを防止。そこまでして何を……
話は1分程度続いて、待ちぼうけを食らいながら日程をどうするか考えていると、戻ってきた幸帆が通話を切っていたから、かけ直すの? とか思っていたら、
「京様、旅行先が決まりましたのでお知らせしますね」
唐突にオレの知らないところで何かが決定してしまっていたのだった。
はたしてオレの意思とは何なのか。