胸元への突然の銃撃にオレは息が止まりかけるが、その弾が防弾制服を貫通してこなかったのを確認しつつ、1度呼吸を整えてから状況を整理しにかかる。
オレは確かにシャーロックから見えない位置に隠れていた。
だが、今のは明らかにシャーロックからの攻撃だ。
信じたくないが、あの人は『跳弾』を利用してオレに銃弾を撃ち込んできた。
しかも音から察するに2バウンドしてる。それでオレの心臓を正確に狙ってきたのだ。
昔レキがやってるのを見たことがあるが、そんな簡単にやられると恐ろしいぞ。
「怒りは人の感情をさらけ出すものだ」
場所がバレたと思ったオレは、すぐに移動して身を隠すと、シャーロックは先生のような感じでオレに話をしてきた。
「今の君は少しばかり自制心を欠いているね。それでも漏れ出す気配は実に希薄だ。並みの人ならばまず気付けないだろう。しかし僕には今の君の居場所が手に取るようにわかる」
言われて最初はハッタリだと思ったオレは、息を潜めて気配を殺すが、ガゥン!
1発の銃声が響き、キンキンキンビシュッ! またも跳弾がオレの胸元に襲いかかる。
……どうやら本当にオレの居場所はバレてるらしい。
撃たれた胸を押さえながら、オレはまた息を整えてシャーロックを観察する。
「僕を殴る。君は今それにこだわりすぎているね。そのせいで君は君自身の良さを殺してしまっている。それでは及第点はあげられないよ、猿飛京夜君」
マジで先生発言になってきたな。
だからといって、はいそうですねと言うほどオレも素直な性格をしていない。シャーロックは宣言通り殴る。全力で。
しかしまぁ、シャーロックの言ってることもわかる。
――パァン!
だからオレは1度自分の頬をひっぱたいて気持ちをリセットした。
そうしてあらゆる私情、雑念を取り除き、およそ人が発するべき気配を消し去った。
「……素晴らしい。この僕でさえほとんど君の動向を掴めない。それが君の良さであり、他者を寄せ付けない絶対的なアドバンテージだ。さて、京夜君が本領発揮となったところで時間だ。君は隙あらば僕に仕掛けてくれて構わないよ。それが君の戦い方なのだからね」
時間? 何のだ?
と思いながらシャーロックを観察していると、そのシャーロックは傍に置いていたであろう蓄音機を動かして音楽を流し始めた。
「音楽の世界には、和やかな調和と甘美な陶酔がある」
その言葉は、オレに対しては言っていないことがすぐにわかる。
よく見れば、この空間にいつの間にかキンジとアリアの姿があった。どうやら説得には成功したらしいな。
「それは僕らの繰り広げる戦いという混沌と、美しい対照を描くものだよ。そして、このレコードが終わる頃にはーー戦いの方も、終わっているのだろうね」
そう話すシャーロックに対して、キンジはようやくといった顔をしていた。
「はは。いよいよ解決編、という顔をしているね。だがそれは早計というものだよ。僕は1つの記号ーー『
「序曲……?」
「そう。この戦いはキンジ君とアリア君が奏でる協奏曲のーー序曲に過ぎない。僕のこの発言の意味は、直に分かる事だろう。さて、ところで、同士討ちーーカナ君がイ・ウーに仕掛けようとしていた罠の味は、いかがだったかな」
途中から呑気にパイプを取り出し一服して話すシャーロックに、キンジとアリアは横目を見合わせる。
やっぱり実力行使になってたのか。オレも撃たれたしそんな気はしてたがな。
「曾お爺さま……あ、あたしは……私は、曾お爺さまを尊敬しています。だから、この銃を向けることはできません。あなたに、命じられない限り」
おそらく決死の覚悟でここまで来たアリアは、1歩前に出てシャーロックにそう言うと、足元に自分の銃を置いてしまった。
「私は恐らくあなたの思惑通り……あなたに立ち向かおうとするパートナーと友人を、この銃で追い返そうとしました。でも、止めることはできなかった。彼は……遠山キンジは、私がやっと見つけ出した、世界にたった1人のパートナーで、京夜は頼れる仲間です。曾お爺さま、どうかお許し下さい。私は……彼らに協力しようと思います。それは……あなたに敵対する行動を取るという意味なんです。どうか、お許し下さい」
「いいんだよ、アリア君。ーー君は今、僕の存在を心の中で乗り越えた。そして1人の特別な男性を理由に、僕と敵対することさえ決意した。それは君の心の中で、僕よりもキンジ君の方が大きな存在になったという意味なのだ。まだ、愛の量は僅差のようだがね。君たちは子供だが、男と女だ。女心は僕の不得意な分野ではあるがーー敢えて語るなら、女というものは、どんなに男から酷くされてもとことんまで男を憎みきれるものじゃない。たとえそれが銃を向け合うような事態であったとしてもね。『
……何だ?
シャーロックの意図が見えなくなった。ここまでがシャーロックの展開通りなら、あの人の狙いがわからない。
思えばオレに対しても始めから手加減してる感じではあったし、今だってオレが生かされているともとれる。
これはどういうことだ?
「ーーつまり、何もかも自分の推理通り事が運んでるって言いたいのか。シャーロック」
「ははっ。こんなのは推理の初歩だよ、君」
「じゃあ、これも推理できたか」
そうしてキンジが取った行動は、ベレッタの銃口をアリアの側頭部に突きつけるというもの。
いやいや、そんな子供騙し以下の作戦じゃ……とは思ったが、ここにきてそれがわからないキンジではないとすぐに考え直し、ゆっくり移動を開始。
シャーロックに仕掛けてみるか。
「君は撃たない」
「言っとくが、俺はもうヤケクソだぜ。そういえばシャーロック。あんたにプレゼントがあるんだ。ーー兄さんからのな!」
叫んだキンジはピンッ!
何か小さな物を投げ放つと、それは次の瞬間にはまばゆいまでの閃光を放った。
もしかしてあれは、職人にしか作れなくて、かつ超一流の武偵にしか与えられないっていう武偵弾か?
実物を見るのは初めてだが、本当に手投げでも使えるんだな。
などと思いながら閃光を防ぎつつ、直前までシャーロックが目を開けていたことを確認していたオレは、光が止んだと同時に背後に音もなく降り立ちその右拳をシャーロックに振るう。
――ドスッ!
しかし、それがシャーロックに当たるより前にシャーロックが持っていたステッキの先端で腹に殴打を加えられて拳を引っ込めざるを得なくなり、さらに怯んだオレにシャーロックは胸ぐらを掴んで投げ飛ばし、キンジとアリアの足元まで後退させられた。
「うん。今のは知恵を回した方だと思うよ。人質を取るフリをして、実際にはーー閃光を使う作戦だったんだね。京夜君も仕掛けるタイミングとしてはベスト。打ち合わせていなかったのに素晴らしい。しかし、君たちは推理不足だったようだ」
言われながら立ち上がりキンジと並ぶと、オレはそこで気付いた。
目眩ましが通用しない。2度も確認できればわかる。シャーロックは……
「ーー僕は盲目なのだよ。60年ほど前、毒殺されかけた時からね。でも、それを知る者はいない。何故なら僕は目が見えるように振る舞っていたし、実際視覚に頼る君たちよりも、自分の周囲で何が起きているのかよく分かっているのだからね。初めの頃は推理力が助けてくれたものだが、今は音や気流で分かるんだよ。たとえばいま、キンジ君の心拍数が驚きのために上がっていることもーー手に取るように、分かる。京夜君は仕掛けられるまで気付けないんだがね。実際、今君がキンジ君の近くにいるかも自信がないよ」
よく言うぜ。そんな顔微塵もしてないだろうがよ。
「キンジ……京夜もそこにいるの? 逃げなさい! 曾お爺さまは、あたしが説得を……!」
先程の武偵弾で怪しまれないように目を閉じなかったアリアは、虚空を見ながらオレとキンジに言葉をかけるが、
「ーーできる相手だと思ってんのか」
「今更あとには退けないさ。まだ幸姉の分の仕返しもしてねぇしよ」
つまりはそういうことだ。
そうしてアリアの前に出たオレとキンジは、並んでシャーロックと対峙する。
「シャーロック」
「ここで決めよう」
「何をだい」
「「探偵と武偵ーーどっちが強いか」」
「……キンジ君、京夜君。僕は150年以上、世界中で凶悪かつ強靭な怪人たちを数多仕留めてきた。一方の君たちは、たかだか17年を平和な島国で生きてきた子供だ。その未熟な君たちがーー僕と、決闘しようというのかね」
「ああ。俺は確かに、偉大な名探偵様から見りゃ未熟者だろうさ。武偵としてもEランクの落ちこぼれだしな。だけどな……自分のパートナーに手ぇ出したヤツを放っておけるほど、腐っちゃいねえつもりだぜ」
「オレはそんな大層な理由じゃないが、目の前で大切な人が傷つけられて黙ってるような人間になりたくない。それだけだ」
シャーロックの上からの物言いに対して、オレとキンジはそれぞれの決意をシャーロックに語る。
聞いたシャーロックは、やれやれといった顔をしながらコートを脱ぎ捨て、手にしていたステッキを構えた。
「僕は強者として君たちに警告したが、君たちはそれを受け入れなかった。理解できているね?」
「いいのか、銃じゃなくて。俺は年寄り相手でも油断しない
「銃も、後で1度だけ使わせてもらうよ。そしてそれは僕の『緋色の研究』にピリオドを打つ、極めて重要な1発になると推理している」
要はオレ達2人が相手でも余裕と言いたいんだろう。
その鼻っ柱、へし折ってやるよ。
「おいで。君が言う通り、決闘に敬老精神なんかは不要なのだ。遠慮はいらないよ」
「心配するなシャーロック。俺は武偵だ。武偵の任務はーー無法者を狩ること。任務は、遂行するッ!」
ガウンッ!
言ったキンジは1発の銃弾をシャーロックめがけて放ち、シャーロックはそれを当然のようにステッキを突き出し防ぐ。
「シャーロック!」
続けて2発目を放つキンジだったが、これも同様にステッキで防がれてしまう。が、
ーードウウウウウッ!!
防がれた銃弾は紅蓮の炎を撒き散らして炸裂し、シャーロックを襲った。
あまりの威力に撃ったキンジもオレも爆風から身を守るため両腕で顔を覆った。
どうやらまた武偵弾らしいな。なんであの小ささでこの爆発が起きるのか不思議でならない。
キンジも撃つまでこの威力を知らなかったみたいだが、死んだんじゃないか? これ。
「キャーヒトゴロシヨー」
「…………いや、マジで冗談じゃないぞこれ……」
ははは、キンジさん。あなた冗談が上手くなったわね。笑えませんわよ?
と、現実逃避をしたのも束の間。武偵弾の炸裂した煙の中から、シャーロックの気配をはっきりと感じた。
生きてんのかよ、今ので。
しかも、さっきまでより手強い気配になってやがる。
これは知ってるぞ。キンジと『同じ』だ。ヒステリア・サヴァン・シンドローム……HSS……だったか?
「ーーここまでが『復習』だよ、君たち」
何かの噴射音と共に白くて重たい煙が流れ込んで、炸裂した黒煙を混ぜ合いながら押し退け、シャーロックの姿が見えてきた。
「ここからは……これから君たちが闘うであろう難敵の技を、『予習』させてあげよう。なにしろ僕は、古い仇敵と同じ名前ーー『教授』と呼ばれているのだからね、ここでは」
言ってから武偵弾で破けたジャケットとシャツを脱ぎ捨てたシャーロックの身体は、とても引き締まった筋肉質だった。
あんたホントに150年以上生きてるのかよと疑いたくなる。
思っていると、足元からよろしくない振動が伝わってくる。
見ればこの部屋にあるミサイルの下部から白煙が吹き出し始めていた。
え、発射すんの? 危なくないか?
状況が刻一刻と変わる中、オレはもう1つのことしか考えないようにした。
シャーロックを殴る。
ただこの一点に意識を集中させた。後のことは超人のキンジ君に任せます。
ーーバキィィインッ!
オレが半ばやけくそになりかけた時、シャーロックが持っていたステッキを床に叩きつけて割り、中から仕込まれていた片刃剣を取り出した。
あの人が持ってる剣だ。きっと名前を聞いたら目が飛び出るような代物なんだろうな。
「……いい、刀だな」
「ーー銘は聞かないほうがいい。これは女王陛下から借り受けた大英帝国の至宝。それに刃向かったとあっては、後々、君たちの一族がそしりを受けるおそれがあるからね」
「イギリスだと、エクスカリバーとかアスカロンとかそんなんじゃないのか?」
オレはテキトーに知ってる剣の名前を述べてみると、シャーロックは少しだけ驚いたような顔をして眉を上げた。
「ははっ。凄い推理力だ。君には探偵の素質がある。僕が保証しよう」
「それなら将来を考え直そうか。探偵業も良さそうだ」
「僕でよければ働き口を紹介しよう。もちろん英国にはなるがね」
どこまでが冗談なんだこの人。これ以上はオレも付き合わないぞ。
そんなオレの胸中がわかったのか、シャーロックは笑みを消してみせる。
「もう、時間もあまりないようだ。1分で終わらせよう」
「気が合うな。こっちも、そのつもりだ」
ゆっくりと歩き出したシャーロックに合わせて、キンジも言ってシャーロックへと歩み寄っていき、両者の距離が5メートルまで近付くと同時に駆けた。
ゼロ距離となった両者は剣とナイフで切り結び、その動きを止めたが、バチィィン!
突然出現した雷球でキンジが後ろへと吹き飛ぶ。
その一瞬前、オレはキンジの後方から左右に2つずつの手裏剣を投げてシャーロックを狙い、吹き飛ぶキンジと入れ替わる形で跳躍して前に出て残りのクナイを正面から投げ下ろす。
しかし、左右前方から迫るそれらをシャーロックはその手に持つ剣で全て弾き、跳躍から迫っていたオレに鋭い突きを放ってきた。
咄嗟に取り出した小刀で切り結びつつ、落下の勢いを生かした蹴りをシャーロックに放つオレだったが、剣を持つ反対の腕にガードされ、キンジ同様に突然出現した雷球で吹き飛ばされてしまう。
初見ではなかったからなんとか直撃は避けて着地してみせたのだが、ピチャッ。着地した床が濡れている。これはおかしい。
そう思った矢先、オレとキンジは煙と一緒に現れた濃霧に覆われ、そして見えない何かで身体を撃ち抜かれた。
痛みを堪えながら傷口に触れてみるが、銃撃ではない。高圧の水の矢で撃ち抜かれたのだ。
ならばと交錯の瞬間に仕掛けたワイヤーでシャーロックを絡め取ろうとワイヤーを引っ張って見せるが、そのワイヤーは途中で寸断されていたようで、手応えなど皆無だった。
バッ!
次には何かが足元に迫ったのを察知したオレはジャンプで躱すが、キンジはそれを受けてしまったらしく、膝をつく。
見ればキンジの足には何かで斬られたような一文字の傷があった。今までの現象から鑑みると、鎌鼬か?
雷に濃霧に水に鎌鼬。もう何でもアリだなこの人は。
それに『予習』とか言ったか。当然これらを使えるイ・ウーのメンバーがいるってわけだ。
ーーブゥン!
感覚に頼る動きは少しコツはいるができないことじゃない。
オレは濃霧を突っ切って迫るシャーロックをいち早く察知して、横っ飛びで難を逃れたが、キンジはシャーロックの鋭い剣撃と切り結び壁に叩きつけられてしまう。
マズイな。もう投げられる物がない。
壁に叩きつけられて怯むキンジに対して、シャーロックは容赦なく追撃の突きを左胸に放ち、その命を刈り取りにかかる。
その速度はオレの反応を上回るレベルだったが、直前でキンジの腕にワイヤーを巻き付けていたオレは、その腕を引っ張り狙いからずらしてみせた。
ーーガスンッッッ!
シャーロックの剣はキンジの防弾制服を貫いてその脇を抜け壁へと突き刺さり、なんとか難を逃れたが、キンジは自力で避けたように見えた。余計なお節介だったか。
剣が刺さって動きが止まったシャーロックに対して、キンジはすぐさまその手のナイフでシャーロックに切りかかるが、その手を足場にフワリと宙返りをして、大きく距離を開けた。
ーーここだ!
好機と感じたオレは、宙を舞うシャーロックの着地点に迫り、剣も手放したシャーロックに切りかかる。
そのシャーロックは、上下逆さのまま右手の人差し指と中指でオレの小刀を真剣白刃取りし、そのままくるりと身体を回転させて小刀をひねり着地した。
腕をあらぬ方向に曲げられそうになったオレは、素早く小刀を手放し着地際の足を払いにいくが、シャーロックは奪った小刀を床に突き刺してその蹴りの軌道に割り込ませてオレの動きを止めてしまう。
ヤバイ!
思った瞬間、オレはコンマ1秒の間に水の弾丸、鎌鼬、雷球を連続して浴びて数メートル吹き飛ばされてしまう。
こいつは……効いたなぁ。目眩までしやがる。
「猿飛!!」
朦朧としていたオレの耳に、キンジの叫び声が聞こえる。
見ればシャーロックがオレの小刀を手に正面から迫っていた。うへぇ、動けねぇよバカ野郎……
片膝をついた状態でかろうじて床に座っていたオレは、恐ろしい速度で小刀を振るうシャーロックに対して何もできなかった。
ーーガギィィィン!
何もできなかったはずだったオレは、ほぼ無意識。人間の防衛本能とも言える反射で右腕を出して小刀を受けていた。
右腕にはミズチが装着されていたため、小刀との接触により粉々になってしまったが、耐えたぞ!
オレは少し驚いた表情をするシャーロックの小刀を持つ腕を左手で掴み、バラバラとミズチの部品を撒き散らしながらその右腕を振りかぶり、今の精一杯の一撃をシャーロックの顔に叩き込んでやった。
いっってぇぇぇ……
拳で人を殴るなんて久しぶりだからなぁ。
でも、届かせたぜ、幸姉。借りは返した。
ーーバチィィン!
そのことに安堵したオレは、そのあと放たれたシャーロックの雷球で入ってきた隔壁まで吹き飛ばされて床に倒された。
そこでレコードから聞こえる曲の音が1つになる。何て言ったか。ああ……確か『
「このオペラが独唱曲になる頃にはーー君たちを沈黙させているつもりだったのだがね。君たちは僕が推理したよりも長い時間を戦い抜いた。つまり僕は生まれて初めて、推理をし損じたのだ。君たちは、賞賛されるべき男たちだ。さて、戦いの最中で悪いけど、ここから先は僕の『緋色の研究』について話す時間だ。しかし京夜くん。これからの話を全部聞くには、どうやら君は限界らしいね。そこでゆっくりと休みたまえ。世の中には必要以上に知らなくてもいいことが多々あるのだからね」
「……元々、あんたの小難しい話なんて、聞く気もねぇよ。さっさとキンジにやられて逮捕されろ」
「ははっ。それは聞き入れたくはないね。僕にもまだ、やるべきことが……」
そこから先の言葉は、もうオレの耳には届かなかった。
冷たい床の上で意識を手放してしまったオレは、その直前にキンジとアリアが無事であることを願っていたのだった。
次に目を覚まして最初に視界に飛び込んできたのは、オレの顔を柔らかな表情で覗き込む幸姉の顔だった。
「起きた? どこか痛いところは?」
どうやらオレは寝ている間、ずっと幸姉に膝枕されていたようで、頭を撫でながらそう言ってきた幸姉に対して恥ずかしくなりながらも言葉を返した。
「骨とかに異常はなさそう。外傷も見た目ほど酷くない、かな。それより幸姉が大丈夫かよ。胸に穴開きかけたんだぞ?」
「パトラが治してくれたわ。あの子、本当は優しいのよ」
うっそだー。絶対なんかあるぞ。
完全に覚醒したオレは身体を起こして改めて状況を確認すると、どうやらここは水上飛行機の中らしく、前方の操縦席には武藤が座っていて、オレと幸姉の前方の席にぐっすりと眠る金一さんとパトラ。
後ろの席にはキンジを挟む形でアリアと白雪が座り、全て終わったという顔で眠っていた。
「あの人は……逮捕、できなかったのか……」
「落ち込むこともないわ。あの人はいずれにせよ寿命。逃げ仰せても永くはない」
「結局、オレ達はあの人の手の上で踊らされてただけ、か。いま思えば、オレ達を殺るチャンスなんていくらでもあったのに、それをせずにオレ達を試してた節がある」
「あの人の考えはおよそ人には到達し得ない領域にあるわ。結果として私達は誰1人死なずに生還してるし、京夜の言うように、試されてたのかもね」
「あ、そうだ幸姉。あの人に1発借りは返しといたから。その代償は高かったけど……」
言った後オレは右腕をそっと触ってみるが、やはりミズチは壊れてしまったんだな。なんか寂しい。
帰ったらあややに新しく作ってもらわないとな。
「よくやったわ京夜。私なんてあの人に一撃を入れることすらできないだろうから、大したものよ。さすが私の京夜ね」
「おう猿飛! いま聞き捨てならねぇ言葉が聞こえたが、俺の聞き間違いか?」
そこで入ってくんな武藤。黙って操縦してろ。
「所有物みたいな言い方はやめてくれ幸姉。あらぬ誤解を招く。武藤もどうでもいいところに食いつくなよ。轢くぞ」
「てめ! それは俺の台詞だろ! パクんなよ!」
「轢いちゃうぞ?」
「それはキキの台詞だ! ったく、お前はそんなになっても変わらないな」
「褒めんなよ」
「……もういいっての。やっぱお前とのやりとりは疲れるわ。運転に集中させてもらう」
そうして武藤は再び運転に集中していき、そんなやりとりを見た幸姉はクスクスと笑いながら大きなあくびをして口を押さえた。
「まさか幸姉、オレが起きるまで寝てなかったんじゃ……」
「気にしなくていいわよ。私が好きでしたことだし。それに京夜が起きた時に話す相手がいないと困ると思ったのもあるから。ほら、報告とかその他諸々」
「そんな気を遣わなくても良かったのに。だけどまぁ、せっかくだし聞いておこうかな。ボストークは? あと、あの組織は?」
せっかく起きていてくれた幸姉の厚意を無駄にしないため、とりあえず武藤に聞こえないようにそう聞いてみる。
「ボストークは後日国連が回収、かな。組織の残党はみんな散り散りになったから、事実上では壊滅。ただ、この結果は……ううん、今はやめましょう」
「なんだよ幸姉。焦らして……」
「それは戻ったら話してあげる。長くなるからね。ふぁあ……京夜が起きたら安心して一気に眠気が襲ってきちゃった。京夜、膝枕とかしてくれない?」
「肩くらいなら貸すから、それで勘弁してくれ」
「ん、ありがと、京夜」
それから幸姉はオレに寄りかかる形で眠りに就いてしまった。
幸姉、お疲れ様。あと、ありがとう。
「猿飛、死ね」
そんなオレと幸姉をバックミラー越しで見た武藤が涙ながらにそんなことを言ってきたが、またコントを繰り広げるのも疲れるだけなので華麗にスルーしつつ、しばらくしてからまた深い眠りに落ちていった。