贖罪の紅椿 作:のん
一夏は……一夏は帰って来なかった。
福音の攻撃から私を庇った際のダメージが致命傷となって……そのまま帰らぬ者となってしまったのだ。
鈴は涙を迸らせながら私を責め。
セシリアは魂が抜け落ちてしまったかのようにその顔から一切の感情が消え失せた。
シャルロットは動かなくなった一夏の遺体に縋り付きむせび泣き。
ラウラはそんなシャルロットの背中に手をやりながらも頬を伝う涙を堪え切れないでいた。
そんな皆を前にただ立ち尽くすことしかできない私の頭に千冬さんはポン、と手を置いただけだった。戦場に立つのなら死は避けられないものだと――そう言い残して暴走したままの福音の対策を練るためにその場を後にした。
実の弟を失ったというのに……それなのにも関わらず、千冬さんは尚もこんな私に気を使ってくれたのだろう。
新たに得た力に酔ってしまったばかりに――傲慢になってしまったばかりに一夏は死んだというのに、千冬さんは涙をみせることも――激情して私を罵ってくることすらしなかった。
幼い頃からずっと……強い人だと……そしてなにより、優しい人だと思っていた。
ただ今の私にはその優しさが……気遣いが……なによりも……なによりも……辛かった。
誰の目も届かない離れた場所で一人崩れ落ちて「いちかぁ……いちかぁっ……」と泣かれるくらいなら、殴られたほうが――いや、いっそのことその両の手で絞め殺されたほうがマシだった。
一体私は何度、同じミスを犯せば気が済むのだろうか。
中学生の時の剣道の全国大会の時から……いや、それよりも遥か以前からずっとそうだ。
醜いことであることは理解できているはずなのに……それなのに自分で自分をコントロールすることができない。
自分の中にある≪力≫に振り回されてしまう。≪力≫を得るとその≪力≫を振るわずにはいられなくなる。何の意義も、信念もない力はただの暴力でしかない。
わかっているはずなのに……どうして私は自分を抑えることができないんだ。後から気づいたところで、その時にはもう何もかもが手遅れであるというのに。
そして挙句の果てがコレだ。
もう絶対に取り返しのつかない。
償っても償い切れない罪を、私は犯してしまった。
あまりにも惨めで……滑稽だ。なぜ私が生きている? 私なんかが生き延びて、一体何の意味があるというのだ?
どうして、どうして、どうして。
「どうして私なんかではなく……一夏なんだ……」
+++
千冬の嗚咽を背に人知れず旅館を抜け出した箒は、ほとんど無傷であった紅椿を展開した。
それは暴走したままである福音を自分自身の手で止めるため。
もうすでにまともな思考回路では無くなっているのだろう。
任務失敗の上に同行者を死なせ、さらに独断で再び福音に挑もうなど正気の沙汰とは思えない。
ただ、一言、言えるのは――もう箒に居場所など無かった。
誰よりも愛おしかったはずの男をこの手で死なせ、大切な友人たちを傷つけた。このままあの場所にいたら自分は己の犯した罪の重さに耐えきれず、発狂してしまいそうだったから――
「――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!」
絶叫しながら空中に静止する福音に切り込んでいく。
無意識のうちに≪
音速すら振り切り、紅椿に搭載された二振りの刀の内の一つ――≪空裂≫を振りかぶるが福音は流石の反応速度でグルンと体を反転させ、避けてしまう。
そして頭部の巨大ウィングスラスターから無数の光弾をばら撒いてくる。紅椿が即座に警告アラームと共に弾道予測線を示してくるが、箒はそんな警告を無視して福音に突っ込んだ。
当然のことながら箒の身体を無数の光弾が穿いていく。ISの絶対防御は搭乗者の生命に危険が及ぶ範囲の重攻撃に対してしか展開されないため、あくまでも死ぬ程度の攻撃ではない福音の光弾は容赦なく箒の身体を貫いていくのだ。
絶え間ない光弾によって徐々に身体から肉が削ぎ落とされていき、凄まじい痛みが箒を襲う。
しかし、そんな肉体的な激痛と裏腹に精神は冷たく……何の痛みも感じていなかった。
そうだ……こんな肉体的な痛みがいったいなんだというのだ?
私はこんな痛みよりももっと残酷な痛みを生み出してしまったというのに――この程度の攻撃で痛がっていられるか!
「――ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
がむしゃらに両の剣を振るう。
鮮やかな紅に染まっていた紅椿の装甲は、いつしか箒自身の血によって赤黒く染まっていた。
自分への憎しみ――絶望が全てを飲み込んでいき、視界が真っ赤に染まる。そんな中、ただ
絶え間ない攻防の果てに決着は訪れた。
箒が福音の胸元にまさにその剣を突き立てようとして。
「ガッ……ハ……」
同時に、箒の下腹に衝撃が走ったのだった。
「……」
ゆっくりと視線を落とすと――箒の腹には巨大な風穴が開いていた。
「……ゴホッ」
口内に鉄の味が広がると同時に視界がグルリと反転する。
不意に落下感が襲ったかと思うと、箒は頭から遥か下方の海に墜落していた。
冷たい、暗闇の底へと引きずり込まれていく。
ああ、死ぬのかと、悟り――ああ、死ねるのかと思い直す。
これこそが私に相応しい結末。戦いの果てに惨めに死んでいく。力に溺れた愚か者にはピッタリの
「……」
でも、本当になんで……なんで一夏が死ななければならなかったんだ。
悪いのは全部、私であったはずなのにどうして……。
(ゴメン……ゴメンナサイ、一夏……)
もし……全てをやり直せるのなら……今度は私がお前を守りたい。かつてお前が私にそうしてくれたように。
振り回されることしかできなかった自分自身の≪力≫を、今度こそは使いこなして。
もし……この世界に神様が本当にいるのだとしたら……お願いがある……。いや、神様じゃなくても仏でも悪魔でも誰でもいい。
愛なんていらないから。
幸せなんていらないから。
最後にもう一度だけ、私に贖罪のチャンスをください……。
+++
ゆっくりと目蓋が持ち上げると、妙にぼんやりとした視界が目に入ってきた。
そう、たとえを上げるのなら水中でゴーグル無しに無理やり目をこじ開けたかのような感覚だ――。
「……!?」
そこに来て箒はようやく自分が水中に沈んでいることに気が付いた。と同時に鼻孔に容赦なく水が浸入してきて、あまりの苦しみに箒は半ばパニックに陥りながらもバタバタと手を上に伸ばした。
「ブハッ! ――ゲホッ! ゲホッ!」
手すりらしきものを掴んだ箒は一気に自分の身体を引き上げ、咳き込む。
鼻がツンと痛む。どうやらずいぶんと水を飲みこんでしまったようだ。
「ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」
しばらくむせていた箒であったが、やがて呼吸が落ち着いてくると辺りを見回す。
そして視界に飛び込んで来たのは、つい今しがた福音に撃墜された海ではなく。
「なっ……!?」
なんの変哲もない、どこの家庭にもあるようなバスルーム……つまり箒は自分以外誰もいない浴槽で一人溺れていたのだった。
(なんだこれはなんだこれはなんだこれは!?)
状況が呑み込めず、箒はぬるくなった浴槽に身体を浸したまま絶句する。
ついさっきまで自分は確かに福音と戦って、そして無様に敗れたはずなのだ。腹に風穴を開けられて、死んだはずなのだ。いくらISに優れた生体維持機能が搭載されているにしても、あのような重傷では絶対に助かるはずもないのだ。
それに仮に万が一、生還できたとしてもなぜ自分はこんな浴槽で溺れていたというのか。溺れるなら福音に撃墜されたあの海だろう! ――等と若干見当違いな思考を凝らした箒であったが、やがてのろのろとどうにか身体を動かし浴槽から這い出ることに成功した。
そしてバスルームに備え付けられた鏡に移る自分の姿を見て、再度の絶句。
(これはなんだ!? いったいどういうことだ!?)
鏡に映っていたのは確かに篠ノ之箒自分自身の姿だった。だがそれは正確にいうのであれば、今現在の自分の姿ではなく、過去の自分の姿。
まだ胸の発育も始まっておらず、身体も一回り小さい小学校高学年ほどの自分の姿だったのだ。
「ななななんっ……これは……いいいいいったい!?」
福音に開けられた風穴が影も形もなく修復されている事実に気づく余裕もなく、箒は若返ってしまった自分の姿を呆然と見つめ続ける。半ば無意識のうちに鏡の自分に向けて手を伸ばすと、鏡に映る少女も唖然とした表情を見せたままこちらに向けて手を伸ばしてくる。――万が一、この鏡に映っている自分の姿が全くの違う赤の他人であるなどというケースを半ば被害妄想のように想像してしまったわけだが、やはりそのようなことはなかった。
「なんだこれは……これはいったいなんだ!?」
バァン! とバスルームを飛び出した箒は叫びながらもフローリングの廊下をドタドタと走る。バスタオルで身体を拭かなかったため、びちゃびちゃと廊下が濡れていくが、今の箒にはそのようなことを気にしている余裕はなk――
「ふぎゃ!?」
案の定、ツルンと足を滑らせた箒は奇妙な悲鳴と共にお尻から派手に転んでしまう。
ゴツン! と少々洒落にならない音が辺りに響き渡った訳だが、ある意味その痛みのおかげで箒はある程度の冷静さを取り戻した。
そうだ……まずは落ち着け……。
その場で正座して深呼吸。とにかくまずは状況を整理しなくては。フローリングの廊下にて水の滴る全裸の少女が正座とはなんともシュールな光景ではあるが、当の本人は気にしていない……というよりは気づいていないようであった。
(たしかに私は福音に撃墜された……それは間違いないはずなんだ)
そのあまりの罪の重さに耐えきれず……半ば自暴自棄になりながら箒は福音に捨身の特攻を仕掛け、そしてその胸元に刀を突き立てるその寸前で腹に風穴を開けられ、撃墜したのだ。
そして冷たく、暗い海の底に沈んでいく中、願ったのだ。
どうか、自分に贖罪のチャンスを与えてください……と。
「あ」
時間が、止まったような気がした。
まさか、いや、そんなことが――。信じられない思いで一杯になったが、考えれば考えるほどそれしかないような気がしてきた。
その場から立ち上がった箒は物一つ存在しないリビングルームに出た。部屋の隅には引っ越しのものと思わしき段ボールがいくつか積み立てられている。
そして壁に掛けられていたカレンダーを見て、箒の予感は確信に変わった。
幼くなった身体。カレンダーに示された年数は、
(間違いない……私は時間を遡っている!)
よくよく見ればこの部屋にも見覚えがある。ISの生みの親であり、箒の実姉である篠ノ之束が姿を眩ませ、その結果箒たち家族は政府の定めた≪保護プログラム≫によって全国を転々と移動させられていたのだ。≪保護プログラム≫の目的はIS技術の全てを把握している開発者が行方不明の今、テロ組織などが箒たち家族を人質に取り、自分たちの欲求を達成するための手段として利用されることを防ぐ……というのが表向きの目的らしい。あくまで表向きというのは、実際箒は束の妹ということもあり政府の役人から絶え間なく束のことやISのことについて事情聴取をされ、それは半ば尋問といっても差し支えのないような代物だったからだ。プライバシーもへったくれも無かったと言っても過言ではなかったのかもしれない。それほどまでに箒はこの≪保護プログラム≫に対して良い印象は持っていなかった。
≪保護プログラム≫は箒がIS学園に入学する(させられる)前――つまり中学三年生の時まで施行されており、今箒のいるこの家――正確に言うのであればマンションの一室――はその≪保護プログラム≫が施行された初期の頃に移転した際に政府から用意された箒の寝床兼政府の監視部屋だったのだ。
「あ……ああ……あ……」
ぽたぽたと涙が頬を濡らしていく。
膝がガクガクと震え、思わず崩れ落ちてしまう。
戻ってきた。戻ってきてしまったのだ。
どうして時間を遡れたことなど、そんなことはどうでもいい。
自分は……贖罪のチャンスを与えられたのだ。箒が認識すべき事実はただそれだけでいい。
「ありが……と……う……ありがとう……ございます……」
その言葉が誰に対して告げたものなのかは箒自身、よく理解できていなかったが……とにかく今、箒は感謝の言葉を述べずにはいられなかった。
――守る……今度は……今度こそはお前を守って見せる。それが私にできる、たった一つの
今にもはち切れてしまいそうなほどの決意を胸に、篠ノ之箒は立ち上がった。
自分のあまりの表現力の無さに苛立ちを覚えてしまう今日この頃。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。