ヘロヘロさんと41人のメイドたち   作:satoari

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蝸牛の目覚め

 

 

 身体が重い。暖かい砂の中に埋もれているかのように、その境界線が不明瞭だ。久しぶりに熟睡したようだが、最後に身体がこんなに鈍るほど眠ったのはいつだったか……。強張った身体を思いっきり伸ばし、ぐにゃぐにゃにほぐそうとした。直後。

 

「……寝すぎた……!?」

 

胸を突き上げるような衝撃と、どっと吹き出す冷汗。時計を見ずとも、身体で寝坊したことを直感する。やはり遅くまでユグドラシルをしていたのがまずかったか、仕事は始発に乗らないと間に合わないと、と思考がぐるぐると渦巻き、嘔吐きそうになる。慌てて身体を起こし、ベッドから転げ落ちそうになる。身についた社畜の習慣が体を突き動かす。

 が、突如世界の回転が止まり、焦りが霧散する。精神がすとんと落ち着き、まるで凪のように静まる。――同時に周りを見渡すだけの余裕が生まれる。

 

「ここは……?」

 

自室の薄暗い白色灯ではなく、柔らかいシャンデリアの灯りが其処彼処の装飾に反射している。ほどよい弾力で体を受け止めているのは安物のボロのマットレスではなく、広いベッドだ。自分の周囲は柔らかい白のカーテンに包まれている。――こういうベッドを天蓋付きというんだったか。明らかに1DKの自室とは違う場所だが、何故か覚えがある。いや、それよりも……

 

「なんでこんなに……見えるんだ?」

 

人間に目で捉えることができる範囲には限りがある。人間の目は前方にあるのだから、当然だ。

 その範囲が異様に広い。正面は特に違和感もなく認識できる。が、それだけではとどまらず、前方60°、90°だけではない。霞んだようにだが、自分の真後ろが視認できている。――首を捻ることなく、自分の真後ろに果実の籠が描かれた静物画が掛けてあるのが分かる。恐ろしいことに、視界の外のものでも焦点を合わせるとくっきりと見ることが出来る。まるで身体全体を使って見ているようだ。ぞっとするような感覚のはずなのに、やけに心が覚めきっているのがますます不気味だ。まるでそうあるのが当然であるかのように、この異変を受け入れてしまっている。

 

「俺は……どうしたんだっけ。確かユグドラシルに……最後の日にログインして、そして」

 

昨晩の出来事のはずなのに随分前のことのように感じる。寝起きのせいもあるだろうが、頭が回らない。やけにぼんやりとしている。身体も重たく、ふわふわとした所在無さを感じる。酒を飲んだ時と風邪状態がないまぜになって、軽くなったような、ぶよぶよふわふわした状態だ。遅刻しそうだとか、突然豪奢な場所で目を覚ましたとか、そんな焦りもまるで他人事にしか感じられない。酒を飲んだ覚えはない。DMMOを疲れたまま遊んで、酔っているのだろうか。

(――過去には『3D酔い』という言葉があったそうだが、DMMOでリアルな体感をしても、実際には体はその体験をしていない。五感の体感と体の体感の相違が『DMMO酔い』の原因と言われているとかなんとか。)

 

突然、控えめなノックの音が思考を破る。返事をしようと口を開く前に、大きな扉が開けられた。

 

白と黒にふんわりとしたフリル。メイドだ。まごうことなきメイド。それもとびきり綺麗なメイドさんが現れた。まるで絵の世界から抜け出てきたような、可憐でかわいいメイド。

 それを非日常的と思うより前に、彼女が誰なのかを思い出す。彼女に費やした時間はとても長く、辛くも楽しい時間だったから。

 

「……シクスス?」

 

 がしゃんと音をたて、銀器が落ちる。

 

 ああそうだまぎれもない。かつての仲間の姿が思い出される。大味のキャラ設定はなかったものの、素朴で明るく、嫌みなところがない彼女のキャラメイクを自分は気に入っていた。

 そう、彼女は作られた存在だ。

 

 落ちた水差しが絨毯を濡らしていくが、シクススは凍りついたかのように動かない。やがて大きく見開かれた金眼から、ぼろりと大粒の雫がこぼれる。

 

「……ヘロヘロ、さまぁ……」

 

 美しい顔がくしゃりとなり、堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れる。

 

今、自分はユグドラシルにいる――NPCであり、自身とその仲間たちが作った存在、シクススを前に、ヘロヘロはようやく自分の状況にようやく気付いた。

 

 

 

「な、え、あっ……その、大丈夫……?」

 

 予想もしないところで目覚めた混乱もあったが、目の前で女性が泣いているという事態が、ヘロヘロの頭から『より重大な問題』を押し出してしまう。

 泣きじゃくるシクススのもとにたどり着こうとして、身体に違和感を覚える。紫の粘液に覆われた不定形の身体。間違いなく、古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)―ユグドラシルでの己の姿である。よくよく思い出せば、豪華な部屋もかつて仲間たちと作り上げた仮想の自室ではないか。ならば今、自分はユグドラシルにログインしていることは間違いないわけだが。

 

「あれ?でもサービス終了したんじゃ?」

 

なんらかの理由でサービスが延期したのだろうか。それならば納得できないわけではない。DMMOのシステムはプレイヤーに五感を感じさせるもので、プレイヤーの神経にも多くの影響を与える。何処かのDMMOでは通信障害で何人かのプレイヤーが気を失い、社会問題になったことがある。おそらく終了間近にまでログインしていたところ、気を失うか記憶が混乱する何かがあったのか。

なんにせよ、このNPCシクススがいて、この部屋にこの姿でいることは、ユグドラシルでしかありえないことだ。

――それではこの違和感はなんなのだろうか。

その正体に気付く前に、廊下から息をのむ声と、さざめきが起こる。

 

「シクスス!何、今の……ええ!?」

「へ……ヘロヘロ様!?」

 

音を聞きつけて来たのか、扉の前に白黒フリルの麗しいメイド達が集まりだす。どれもこれも皆美しく、そしてヘロヘロには覚えのあるNPCたちだ。

 

「こ、これは……一体……」

「ひぐっ、う、よ、よがったです、ヘロヘロさまぁ〜〜!」

ふらふらと歩み寄ってきたシクススの頰は赤く、目もハレぼったい。ぼろぼろと溢れる涙がぽとんとヘロヘロに落ち、そのまま表面を滑るように落ちる。

 

――生きている。

涙で濡れた表情、溢れた涙を指で拭う動き。鼻が詰まったような声。緻密すぎる挙動はかつてのものとは比べ物にもならない。呆然とシクススの顔を見つめていると、ヘロヘロの視線に気づいたのか、シクススはおろおろと辺りを見渡し、恥じ入ったように俯く。

自分がかつて、そうあれと造った通りの動き。

 

「シクスス……お前、一体……」

突然、メイド達の騒めきが更に大きくなった。

 

「あなた達、何をしているの!至高なる御方のお部屋ですよ!」

 

夜会巻きのメイド。眼鏡のフレームにはレンズはなく、その奥で知的そうな瞳が見開かれる。

 

「ヘロヘロ様!?お、目覚めになりましたか!あ、あなた達!本当に下がりなさい!至高の御方が……ちょ、ちょっと!僕を押すのはやめて!」

 

が、眼鏡のメイドの言葉も虚しく、気がつけば周りを何人ものメイド達に取り囲まれてしまう。押し出されたメイドがこめかみに指を当て何か喋るも、すぐに他のメイドたちに隠れて見えなくなる。

 

「おかえりなさいませ!ヘロヘロ様!」

「私達の偉大なる造物主!」

 

「何……?ほんとになにこれ??」

 

目が覚めれば(スライムの体になったとはいえ)豪華な部屋で、何人もの美しいメイド達に囲まれ、歓声と涙で迎えられているこの状況。ゲームの世界とは思えない、リアルに感じられる夢のようなこの世界。

 

「なるほどー……ユグドラシルじゃなくって、俺、ひょっとして死んじゃったんですかね。」

 

「ヘロヘロさん!」

 

突然の声に鞭打たれたように、メイド達が一斉に立ち上がり、身を引き首を垂れる。まるで波が割れるように道が開く。

白と黒の間から、黒い影が現れる。

その姿は昨日見たばかりのはずなのに、とても懐かしく、まるてかつての旧友に出会ったように覚える。

 

「おはようございます、ヘロヘロさん」

 

長いローブを纏い、暗い眼窩には赤い光が揺らめいている。黒いオーラは後光のようにも見え、禍々しい気配を湛えている。そんな恐ろしいオーバーロードの姿に似つかない、優しく慈しむような声。

 

「も、モモンガさん……ですよね?これは一体……」

 

オーバーロード―モモンガは頷くと、辺りを指し示すように手を開く。

 

「ようこそ、ナザリック地下大墳墓へ。お目覚めをお待ちしておりました、ヘロヘロさん。」

 

すると、まるで統率されているかのようにメイドたちが顔を上げる。

 

「おかえりなさいませ!我らが造物主!」

 

 

 

 

 

 

「……とりあえず、遅刻は考えなくていいですかね。」

 

間の抜けたヘロヘロの呟きはメイドの耳に聞こえることはなかった。

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