想いを量れたのなら、どれだけ重いのか   作:千玖里しあ

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3 言葉にしなくても気づいて、そう少女は思う

 

どんなことを比企谷君と話しましょう。

 

まだ一日も過ぎてはいないのだが、雪乃は片手に持ったスマホの画面を眺める。

暇な時間帯があれば学校の中でさえも気にせずに、液晶を点けていたので電池の減りがはやく、昼休みにこっそりとコンビニまで抜け出し急速充電器というのを買ってこなければいけなかった。

 

液晶に映る八幡の寝顔、を見ていて考えるのは、このあと彼の待つ病室でどう会話するか。

 

 

下駄箱からもう片手で革靴を取り出し、外靴に履き替えると、

屈んだ姿勢から腰を上げて、持ち替えた内履きをかわりにしまう。

 

 

彼に勉強を教える、と口実もあるので、話題に気をかければ会話を絶やすこともないだろう。

話したいことや知りたいこと、八幡の散りばめられたトラウマの地雷を踏まないように会話を組み立てておけば、

気に障ってしまうこともなく、存分に話を楽しめられる。

 

ふと自分が考えてることに、スマホに笑みを向ける。

 

男性と会話する、ことに思考を費やしてまでして楽しみにしてる自分、がいるというのもおかしく思えた。

おとといに、八幡の捻くれた詰問を受けて、

その内容について考えだしてから自分は変わったと、雪乃は思う。

意識しなくとも、八幡に関することを考えてる。

 

雪ノ下雪乃はどこの誰なのか。

訊かれたことに答えることができず、わからないとうやむやにしてしまったことに答えを自分でも出したいからこそ、

悩んでいれば、スマホに映る彼の姿に心の中で問いかけてしまう。

答えが返ってこなくても、それはそれでいい。

 

自分では考え込んで眉を寄せてるつもりなのだが、

雪乃は気づいていなくても、

彼女がスマホを片手に眺めながらにこにこと、たまにむぅーっとし、

表情を一喜一憂させてる様子は学校中、彼女が出歩く場所で目撃されてる。

 

ケータイを気にして、いつもはにぁーんと幸せそうに笑顔を振りまいてる雪乃、とわかるように、

学校でも有数の美少女に彼氏ができたのでは、とまずは学年で噂されるようになっている。

のだが、社交性に乏しく周囲と関係性も薄いので、噂されてることにも気づかずに今日もまた笑顔を漏らす。

 

 

校門へと向かう途中、雪乃の横を擦れ違った少女。

 

 

団子に纏めた以外の黒髪を流し、雪乃にとっては忌々しい肉の塊を胸で揺らして、走り去っていく。

擦れ違いざまに見えた顔、と姿のシルエットはどこかで見た覚えがあったのだが、

思い出せずに、考えを放棄すると校門近くに待たせた迎えの車に向かう。

 

その行き先はいつものように、八幡のいる病院だ。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

病室のドアをいつものように、ノックしてみると今日は彼の返事は聞こえない。

 

数分、待ってみても反応がない。

いないのだろうか、と思いつつ、静かにそっと入室してみれば、八幡は布団もかけずに眠ってしまっている。

 

寝顔を意図せずまた見れた。

 

彼を起こさないように、物音を立てずテーブルに鞄を置き、ベッドの空きスペースに腰かける。

昨日よりもよく熟睡してるのか、寝息は一定で穏やかだ。

 

 

「よく寝てるのね」

 

 

呟いた言葉は思いのほか、病室に響いたが、八幡の様子は変わっていないことに雪乃は安堵する。

起こしてしまえば、したいことはできない。

 

身を寄せて顔を覗き込み、彼に圧しかからないように片手で体を支える。

 

見つめる寝顔は、雪ノ下が昨日見続けて、スマホに映して眺めていたものから変わってはいない。

 

 

「比企谷君」

 

 

応えは返ってはこない。返ってくることを、今は期待していない。

 

もう片手を伸ばして、頬に手を添えてそのまま指先で側面を撫でる。

ふにふに、むにむにと指先で弄んでその感触を、温かさを堪能している。

 

どれだけ熱中していたのか。

時間の感覚さえ覚えず、雪ノ下が気がすむまで好きに触っていたのに、彼は起きる様子も見せずに寝息をこぼす。

 

 

すると、病室のドアがノックされる。

 

 

「すいません、見舞いに来た者ですが……」

 

 

ナースではない、若い女性の声。雪ノ下には聞き覚えはなく、

彼を起こすのももったいないと思ったので、音をたてずのベッドから腰を上げてドアに近づく。

 

 

「ごめんなさい、彼眠っているから静かにしてもらいたいのだけれど」

 

「ご、ごめんなさい。

 あの……、ここ比企谷さんの病室、ですよね?」

 

 

外が見えるようにドアを開ければ、そこにいるのは見覚えがある少女だ。つい眉を寄せてしまう。

 

 

「そうね、ここは比企谷君の病室よ。

 あなたは、どちら様かしら? 彼の知り合いが来るなんて、聞いてはなかったわ」

 

 

雪乃と同じように、総武高校の制服を着ている。

覚え間違いがないなら、下校時に雪乃と擦れ違った少女だ。

 

彼女が病室を訪れたよりもだいぶ遅れてはいるが、

雪乃は車で寄り道もせず来て、電車やバスを使ったにせよ、眼前の少女は歩かざるをえなかったのだから遅いのも当然かもしれない。

 

それに、彼女が遅れた分だけ、雪乃が八幡の寝顔を堪能できたのも事実だ。

 

 

「その前に、彼を起こしてしまうのもどうかと思うから、室外で話してもあなたはいい?

 それとも、彼に用事があるなら、

 起こしてくるけど、あなたは彼にどんな用事があってがあってここに」

 

「あ。寝てるなら起こさなくても大丈夫、です。すぐどきますから」

 

 

雪乃が通れるように、少女が慌ててドアの近くから後退る。

彼女もまたそれを見ると、ドアを開けて室外へと出て、後ろ手に閉める。

 

これで廊下で話していても、室内にまではさほど声も響かないだろう。

 

ドアを背にして雪乃が声をかける。

 

 

「それであなたはどちら様なのか、聞いてないのだけど。

 ああ、私は、雪ノ下雪乃。あなたと同じ総武高校の生徒で、彼の見舞いに来てる者よ」

 

「あ、あたしは由比ヶ浜結衣です。

 総武高校の一年で、こないだの入学式の朝に比企谷さんにサブレ、

 えっと、飼ってる犬が車に轢かれそうになったのを、助けてもらったんだけど、

 比企谷さんが轢かれちゃったんで、病院に聞いてここに来た、んだけど……」

 

 

彼女、結衣の言葉を聞いてるうちに雪ノ下の眉がしかめられ、その表情を見てしまい声から勢いが失われる。

 

聞いていればわかってしまう。

結衣の犬が八幡が事故に遭う原因であり、彼女もまた当事者である以上は八幡を見舞いに来た。

 

だが、八幡を起こしてまでして彼女に会わせたいかでいえば、雪乃はそうでもない。

 

 

「そう。あなたも、あの事故に関わってるのね。

 

 ごめんなさい。

 あなたの飼い犬を轢きかけた車は私が乗ってた車なの」

 

 

会わせるべきか、でいえばそうなのだろう。

その前に雪乃自身の責任は果たしておくべきだと彼女は思い、

虚言を吐かず正直に事実を語り、頭を下げて謝罪を告げる。

 

下げた向こう側で、見ることはできないが彼女が慌ててる気配がする。

 

 

「あ、あの、頭を上げてください!

 轢かれてなんてなかったから。

 比企谷さんは代わりに入院しちゃってるけど、うちのサブレは無事でなんともなかったから、

 謝られても、その困ります」

 

 

雪乃が顔を上げてみれば、結衣は両手をわたわたと振るって否定している。

 

「そう。そう言ってもらえると助かるわ。

 あなたの飼い犬に支障をきたしてないなら、比企谷君が入院した甲斐もあるもの。

 でも、身を呈して庇ったりして、あなただけでなく私まで困らせてるのだから、

 後先考えずに行動してしまうところ、なおしてほしいのだけど……。

 それで、あなたから彼に伝えておくこととかがあるなら、私でよければ伝言承ります」

 

「えっ、その仲が良いんですね。

 あたしからは、サブレ、家族を救けてくれてありがとうございました、って伝えておいてください

 それとこれお見舞いの品なんで、二人で食べてもらえると嬉しいです」

 

「わかりました。

 私からもごめんなさい、変なこと言ってしまって

 これは比企谷君にちゃんと食べさせておくから、安心して」

 

 

結衣が肘にかけていた紙袋を受け取り、にこりと微笑みを返す。

 

 

「それじゃああたし、これで失礼します。

 比企谷さんにもお大事に、って言ってたってお願いします」

 

 

ばっと頭を下げてお辞儀すると、結衣は足元に立てかけといた鞄を持って足早に去っていく。

最後まで慌ただしそうで落ち着かない様子だった彼女に、はぁ……とため息をこぼすと、焼き菓子の銘菓がプリントされた紙袋を片手にドアを開ける。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

昼食を食べてから退屈を持て余して横になってたと思うのだが、気づけば寝てたようだ。

 

壁掛けの時計を見てみれば、いつも雪ノ下が来る時間はとうに過ぎていて、

彼女が来ているのかと思って室内を見回しても、誰もいない。

が、テーブルに彼女の鞄が置かれている。

 

持ち手の金具に、ディスティニーのパンさんキーホルダーがつけてあるのが特徴的すぎてわかりやすい。

 

雪ノ下が来てるのはわかったが室内にいないとなると、どこにいるのやらと疑問に思う前に、

病室の外で誰かと話してる雪ノ下の声が聞こえる。

あいにくと声は聞こえても内容がわからないぐらいには、病室の壁も厚い。

 

手をついて起こしてた上半身をベッドに預け、雪ノ下が話し終えて戻ってくるのを目を閉じて待つ。

 

 

ここ二日は、以前よりも雪ノ下について考えてることが多い。

思考の割合的には小町よりもスペースを占めてる。

 

それもこれも口にしてしまった雪ノ下を知りたい、知っていきたいと、

俺が知ってる女とは違って、気持ち悪いとか態度や言葉で拒絶されなかったってのが大きい。

 

傷つけたと思ってそれは正しかったが、雪ノ下はそれでも変わらずに接してくれると言われたことは嬉しかった。

 

罪悪感を抱いているわけでもない。

そんなもん正直に言えばばっさりと否定された。

だから、今抱いてる気持ちは雪ノ下って人間に対する興味や関心だ。

 

ここ数日で雪ノ下の印象はかなり変わった。

 

知ろうとすればするほどわからなくなる。

裏表のない性格だからとはいえ、それで把握できちまうほど単純ってわけでもなく。

目を凝らして捉えてしまえば、見ようとしないでも見えてた痛々しさ、ってのがなくなった。

俺が知りたかった雪ノ下に乏しかった、個性ってものが深まったようで、

それをもっと知りたいからこそ、今もこうして考えてるわけだ。

 

馬鹿の考え、休むに似たりだな。

 

ひとまず結論づけて起きようとする前にドアノブが回され、その音でつい固まってしまいそのまま寝ころんだ姿勢を維持する。

すぐに誰かが入ってくる気配がするが、

目を閉じてるからか、室内に香るいつもの匂いで雪ノ下が入ってきたのだとわかってしまう。

 

俺においフェチじゃないんだけど。

 

がさごそと紙でできた何かをテーブルに置く音。

 

それから雪ノ下は動きを見せない。

 

 

沈黙が重い。

 

 

せめて声をかけるなり、なにかしらアクションがあるなら、こっちとしても目を開けてしまえるのだが。

正直起きるタイミングを逃して、どうすればいいかわからない。

 

寝たフリを続けようにも、雪ノ下に起こされるまでなにもしないってのは無理があるし、それは見舞いに来てくれた客への対応じゃない。

 

雪ノ下の行動を待って、それをきっかけにしようと考えていれば、ベッドを軋ませる物音がする。

 

驚きで声が出る、その前に。

 

 

俺の手首を両方とも掴みあげると、両手で抑えつけて固定して、

雪ノ下が下敷きにした俺の下腹部に体重がそのままかかり、馬乗りになられる。

 

起きようにもどう反応すればいいのか、わからなさすぎる。

いったいどうしろと。

 

耳元に雪ノ下の息遣いが聞こえる。背筋にぞくぞくとなにかが走る。

 

 

「ねぇ比企谷君、寝たフリしてても起きてるのはわかってるわ。

 私が客の対応してる間に起きたのに、疲れてる私にお帰りって言葉もかけてくれないのね。

 目を開けたくないならそのままで、いてもいいのよ。私になにをされてもいいのなら、ね」

 

 

怖っ。ていうか、そんなどっから出してるかわかんない凍った声で囁くのやめてください。耳が凍傷になる。

 

 

「起きないのなら、聞き逃さないようにしてなさい。

 さっきまで来てたのはあなたに来てた、見舞いの客よ。

 私も言われるまで忘れてて、あなたは覚えてるかもわからないけれど、他人に興味がない比企谷君なら忘れてしまってるんでしょうね。

 今どきの可愛らしい女の子よ」

 

「あなたが事故に遭ってまで車から救けた、犬の飼い主だそうよ。

 よかったわね、可愛い女の子が見舞いに来てくれるなんて。

 でもあなたには会わせてあげなかったわ。

 比企谷君への言伝とお見舞い品だけいただいて、帰ってもらったわ。

 家族を救けてくれてありがとうございます、お大事に、ですって。

 よかったわね、私以外にも心配してくれる娘がいて。

 嬉しいのでしょ。どうして帰したのかって? 教えてあげない、内緒よ」

 

 

聞きたくないというか、目を閉じてることがここまで怖いなんて思うの初めてだわ。

つうかこれなに、ホラー?

 

いやいやいや、首、首。喉片手で抑えるのやめて、首絞まってるから。

 

 

「……あのときの事故を思い返してみると、

 改めて思うわ。

 私は、あなたが傷つくことがあれば……不安と、心配で胸が苦しくなるわ。

 咄嗟の行動だったから、後先考えなかったのは仕方ない。

 とでも……あなたはそう思ってるのかしら。

 思ってない? にしても、似たようなことは思っているのでしょう。

 あなたは自分を顧みないのは、もうわかってるから。

 似たようなことがあれば、また同じことを繰り返すのでしょ。

 私の気持ちも考えないで。

 なのに、これだけ私を困らせて、悲しませてるのに気づかない

 私を傷つけて、楽しい?」

 

 

声遠くなる。

意識が白い。雪ノ下の声で、意識が。

 

やば、これきもちいい、かも……。

 

 

「ねぇ、比企谷君。聞こえてるかしら。

 

 目を開けて。私を見て。

 

 私の考えてること、知ろうとして。

 

 どうして、私がしてもらいたいことがわかってても、

 

 なにもしてくれないの。

 

 ……そんなだから、あなたはどうしてけばいいかも、

 

 私、からも目を逸らしてるので な く て ?」

 

 

 

暗転。

 

 

 


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