聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版 作:水晶◆
物言わぬ躯と化したグラティオンを一瞥し、アグリオスの表情が歪む。
「ふざけた事を……我等を相手に、一人で立ち向かおうと――そう言うのか?」
「人間如きの――分際でッ!!」
ギガスの人間に対しての意識がこの一言に集約されていた。
自分達が『上』であり、お前たち人間が『下』なのだ、と。
「その思い上がり、貴様の魂魄諸共に粉砕してくれるわ!」
憤怒の形相を浮かべて巨人――トオウンが動く。大地を踏み砕き、天へと突き出した両の拳に力を込める。
「コォオオオ!!」
息吹と共に巻き上がる小宇宙がトオウンの身体を包み込む。
ギチギチと音を立てる
変化を見せたのはトオウンだけではなく、アグリオスもまた自らの小宇宙を高めその体躯を更に巨大なものへと変えていた。
「なるほど、確かにより
その光景を見てもシュラに動じた気配はない。むしろ、更に一歩海斗の前から歩を――ギガスとの間合いを詰めていく。
「先程、お前から感じた小宇宙は――」
その最中、シュラが淡々と言葉を紡ぐ。
視線はギガス達に向けたままであったが、海斗はそれが自分に対して向けられた言葉だという事を理解していた。
「まるで大海のうねり……いや、荒れ狂う嵐の如く苛烈だった。激し過ぎる程にな。片鱗は掴んでいる、それは間違いなかろうが、お前自身がソレが何であるのかを認識し、自覚する事が出来ていない」
トオウンが、それにやや遅れてアグリオスが動いた。
「いかに切れ味が鋭くとも抜き身の刃では意味がない。それでは使い手だけではなく周りをも傷付ける。刃とは――振るうべき時に振るうからこそ意味がある」
迫るトオウンの巨体の陰に隠れる形となり、背後のアグリオスの動きが海斗達からは掴めない。
「我が鞘とは理だ。己の全てを掛けるに足る、決して揺るがぬ正しき理。そして振るう刃は決して折れぬ我が心、我が意志よ」
シュラは動じない。ただ真っ直ぐに正面を見据えるのみ。
「お前の鞘を意識しろ、そして研ぎ澄ませ――戦う意志を。小宇宙を高めるだけでは、命を燃やすだけでは辿り着けぬ境地がある。意識しろ、感じ取り自覚せよ。それが――小宇宙の真髄。五感を超えた第六感、その先にある第七感――セブンセンシズ」
突き出されたトオウンの拳がシュラの心臓を穿つ。
トオウンの背後から跳び上がったアグリオスの蹴りがシュラの顔面を打ち貫く。
「ッ!?」
海斗の側にいたセラフィナが幻視したその光景――その幻想を、シュラは正面から打ち砕いた。
トオウンの拳が触れた瞬間、身体を後方へといなす事でその威力を殺し、勢いのまま前に進むトオウンの身体を回転のエネルギーを加えた蹴りで打ち上げる。
「ば、馬鹿な!? 俺の拳速より――うばぁああああ!?」
正中線をなぞる様に奔った一条の光が金剛衣もろともにトオウンを両断する。
それは、瞬時に相手の攻撃を見切り、その勢いを利用して攻撃するシュラ必殺のカウンター。
「
「トオウン! おのれぇえ!!」
吹き飛ばされたトオウンの身体が壁となり、跳び上がるタイミングを逃したアグリオス。
「ならば、この手で粉砕してくれる!」
組み合わせた両手を振りかぶりシュラ目掛けて振り下ろす。
それはグラティオンの放った鉄鎚と同種の技。破壊の槌がシュラへと迫る。
「今はまだ未熟なれば――戦いの場に在ってはただ一つのみを考えよ。一意専心。揺るぎなく、ただ己が成すべき事に集中し感覚を、小宇宙を研ぎ澄ませろ」
そう言ってシュラは手刀の形とした右腕を振り上げた。
「武骨であろうが歪であろうが――決して折れぬ刃の様に」
振り下ろされる鉄鎚に合わせる様に、シュラは振り上げた右腕を腰だめに構える。その姿勢は例えるならば刀による抜刀術――居合いのソレ。
「――
手刀は光の刃となり、一条の閃光がアグリオスの身体を奔り抜けた。
「ふ、ふふふ、ふはははは! なにが聖剣だ、この身体にはキズ一つ……ま、待て! なぜ背を向ける!?」
そのまま立ち去ろうとするシュラの背に、「ふざけるな」とアグリオスが拳を振り上げる。
その瞬間、アグリオスの視界に映る光景が縦にずれた。
「お、おおおお!? こ、これは……まさか!?」
アグリオスの眼前で両断される世界。
「まさか、既に断たれて――」
最後まで言葉を発する事は出来なかった。
ずるりと、右と左に分かたれたアグリオスの巨体が音を立てて大地に崩れ落ちた。
第11話
同日、同時刻――
ジャミールとの時差は約四時間。聖域では今ようやく日が昇ろうかという時間である。
女神アテナの元、地上の平和を守る聖闘士が在る場所とはいえどもそこで暮らす人全てが闘いを行う者という訳ではない。
いかに超常の力を振るう聖闘士とはいえ、最低限の衣食住は必要である。結界によって外界とは必要以上の接触を断っている聖域ではそれらを賄う為の職人や商人、関係する者達の家族等も暮らしている。
そんな聖闘士の存在を知っていると言う事を除いては一般人と変わらぬ彼らの居住区は、聖域の中央――アテナ神殿を守護する十二宮から最も離れた外界との結界付近に幾つかの区画に分かれて存在していた。
「おや、星矢じゃないかい。今日は随分と早いねぇ」
とある区画のとある一画。小さな商店街ともいえるその場所は料理の仕込みや開店の準備等で早朝からにわかに活気づき始めている。
「ああ、おばちゃんか。はは……ハァ。早いって言うより、今訓練が終わったとこなんだよ」
「ああ、一周回って遅いってことかい。魔鈴ちゃんは真面目だからねえ。でもさ、それもアンタの為を思っての事なんだろ? ほら、こいつをあげるからシャンとしな」
「いや、それは違うと思うケド……おっと、ありがとおばちゃん!」
果物屋の女主人から手渡されたリンゴを受け取った星矢はお礼の言葉を言うや否や噛り付いた。
この聖域で魔鈴と星矢が共に暮らし始めてから四年。共同生活の中で食材の調達はいつからか星矢の仕事となっていた。
こうして毎朝商店に向かうのはもはや日課であり、それもあってここでは顔馴染みとなった星矢に対してこうして気さくに話し掛けて来る者もいる。
雑兵や候補生達からは外国人と言う事で何かと目の敵にされている星矢であったが、ここではそういった事はあまりなくある意味では落ち着ける場所でもあった。
「へへっ、うめえや! あ、でも……」
「分ってるよ。魔鈴ちゃんには内緒にしといてやるさ」
魔鈴の折檻を思い浮かべて動きを止めた星矢であったが、女主人の言葉に安心したのか再びリンゴへと向かう。
「それにしてもさ、なんだかここ数日聖域全体がピリピリしている様に感じるんだよねぇ。見回りの人員も回数も多くなっているし。アンタ何か知らないかい?」
星矢のそんな姿を微笑ましく見ながら椅子に腰掛けていた女主人であったが、ふと最近感じる様になった不安を星矢に問い掛けていた。もちろん確たる答えは期待してはいない。
本当に、ただなんとなく思った事を口にしただけだったのだろう。
「ん? さあ、おれは知らないよ? 魔鈴さんだったら何か知っているかもしれない――」
星矢がそう言った瞬間であった。聖域全体に一つの音が響いたのは。
ボン、と何かが燃え上がる様な音が。
それはボッ、ボッ、ボッと規則正しい感覚で続く。大気を震わせたそれが合計五回。
「な、何だ、この音は? 一体何が燃え上がったんだよ?」
「あ、あれは!? あれを見なよ星矢!」
女主人が指示したのは聖域の中央部――十二宮。その中央部にそびえ立つ一つの建造物。
「火時計だ! ここからでもはっきりと見えるよ。あの巨大な火時計に炎が灯ったんだよ!!」
時刻を表す文字盤には黄道十二星座を模した記号の刻まれた、聖域のどこからでも見る事の出来る巨大な火時計である。
一体どうやって、何者が灯したのか。今は牡牛座、蟹座、乙女座、蠍座、水瓶座の五つの枠に炎が灯されている。
「……すげえ。あれに火が灯ったのなんておれ初めて見たよ。飾りじゃなかったんだな、あれ」
「驚いたよ。……確か、以前見たのは十年近く前だったかね? 嫌だよ、あの人達がいなくなっちまったみたいに、また今度も何か起こるんじゃないだろうねぇ……」
「一、二の、と。五つって事は、さっきのあの音はあの火時計の炎が原因なのか? でも、あれじゃあ時間も何も……」
「あれは、
分らないと、そう続けようとした星矢の背後から、若い男の声が掛けられた。
その声の持ち主は、星矢にとってこの聖域での数少ない知人の一人。
「どうやら聖域のみならず、世界各地の黄金聖闘士全てに召集が掛かった様だな」
「アイオリア、どうしてあんたがここに?」
星矢が振り向いた先には、雑兵たちと同じ簡素な闘衣を身に纏った青年――アイオリアの姿があった。質実剛健を体現したような青年である。
毎日こうして見回って下さっているんだよ、と女主人に耳打ちされて星矢は思わず呆れた声を出していた。
「見回りなんて部下にでも任しとけばいいじゃないか」
「まあそう言うな。こればかりは性分でな、この目で確かめん事にはどうにも落ち着かん。そのおかげでこうして面白いものも見れたからな」
そう言ったアイオリアの視線の先には、星矢が手にした食べかけのリンゴがある。アイオリアと魔鈴の仲が良かった事を思い出し、星矢の顔がしまったと言わんばかりに引きつった。
「フフッ、安心しろ。つまみ食いの一つや二つでどうこうは言わんよ。人から好かれるという事は誇るべき事だ」
より一層精進しろ星矢。そう言い残すと、アイオリアは星矢達に背を向けて足早に立ち去って行った。
「何だ? 急ぎの用事でもあるのか?」
「ほら、アイオリア様もああ仰ってるんだから頑張りなよ星矢!」
女主人にバンバンと力強く背中を叩かれて星矢の身体がつんのめる。
「あ痛タタタッ!? わ、分ってるさ! おれは絶対に――聖闘士にならなくちゃいけないんだからな!!」
(そうさ――そのためにも)
炎の灯った火時計を眺めながら、星矢は己の中の誓いを確かめるかの様にその拳を強く握り締めていた。
薄暗い教皇の間にあっても、その黄金の輝きには一切の翳りも無い。
玉座に腰掛ける教皇を中央として、その左右に並ぶのは五人の黄金聖闘士。
灯された明りによって、その場に居並ぶ黄金聖闘士達の姿がよりはっきりと露わとなった。
黄金の野牛、
現世と冥府を行き来する事が出来る聖闘士であって最も死に近き男、
最も神に近い男と称される、
真紅の一指、
氷結の小宇宙、
皆が二十代前後の若き青年であり、彼らこそが当代の黄金聖闘士たちである。
そして――
「
黄金の獅子が加わった事で、教皇の間に黄金聖衣を纏った黄金聖闘士が六人揃った事となる。
「遅いぞアイオリア」
「そう言ってやるなミロ。アイオリアは先程まで居住区の見回りをしていたのだろう? 十二宮にいた我らより遅れるのは仕方あるまい」
アイオリアに対してのミロの叱責を、アルデバランが諌める。
「何を悠長な事を。黄金結合の意味を忘れたかアルデバラン。聖域の危機が迫っていると言う事だぞ?」
スコーピオンのミロ。
彼は十一年前に起きたとある事件により、アイオリアに対してある懸念を常に抱いている。
普段はそれを表に出す事は控えてはいるものの、実直過ぎる性格が災いしてか時折こうしてその感情を表に出し、アイオリアに対して強く当たる事があった。
「落ち着けミロよ。聖域に住まう者達の安全を守る事も、聖域に迫る危機を防ぐ事も同意だ。ならばアイオリアはこの場にいる誰よりも早くこの聖域を護っていた事になる」
「むぅう。……カミュよ、お前にそう言われては、これ以上は何も言えんではないか」
ミロ自身、アイオリアの黄金聖闘士として力量を認めている。嫌っているわけでもないのだが。
「ハッ、そいつは詭弁だカミュよ。まあ、そんな事は些細な事だ。どうでもいいさ。現にアイオリアはここに来た。呼ばれたのに来ない奴等よりは遥かにマシってもんだ」
何かを含む様なデスマスクの物言いに、それまで黙っていたアイオリアの眉が僅かに動く。
「――静まれ」
にわかに険呑な雰囲気となったこの場を収めたのは、心の奥底にまで響き渡る様な重さを持った教皇の一言であった。
教皇に向かい、この場の全ての黄金聖闘士達が膝をつき頭を下げた。
「黄道十二星座の内
玉座から立ち上がった教皇に合わせる様に、黄金聖闘士達も立ち上がる。そんな彼らを見渡して教皇が続ける。
「アフロディーテはピンドスの地にて一足先に任に当たらせている。シュラには万一の場合に備えて
教皇の言葉にデスマスクが頭を下げる。
(……実質総動員って事か。さて、一体何が起こったのやら。退屈はしなさそうだが)
デスマスクが胸中でその様に思いながら頭を上げると、教皇の言葉に首を傾げる者たちがいた。
アルデバランとアイオリア、そしてカミュである。
その中で口を開いたのはアルデバランであった。
「失礼、教皇は今エクレウスと仰られましたが……」
教皇の間でアルデバランが海斗の小宇宙を感じ取ってから既に二週間近く経っていたが、その消息について語られる事は無かった。
どうやら無事であった様だと内心胸を撫で下ろしつつも、この場で教皇の口からその名を聞く事になるとは思ってもいなかった為にアルデバランは動揺を隠せない。
「うむ、これまで黙っていてすまなかったなアルデバラン。この際だ、皆にも伝えておこう。エクレウスの青銅聖闘士――海斗の事を。青銅聖闘士となって日は浅いが……私はその者に現在空位の黄金聖衣を任せようと考えていたのだ」
「な、何と!?」
「黄金聖衣を……。その様な者がこの聖域にいたのですか!?」
アルデバラン達とは異なり、海斗の存在を知らないデスマスクとミロはその言葉に驚愕した。
これが他の者の言葉であるならば、戯言であると一蹴も出来たがそれを発したのは他ならぬ教皇である。異論など挿める筈も無い。
「知っている者もいるであろうが、あれにはそれだけの力がある。見極めも含め相応の試練を課してその成長を促し、やがてはジェミニの黄金聖衣を任せようかと考えていたのだ。皆も知っての通り、聖闘士は己の守護星座を持ち、身に纏う聖衣はそれに準じた物となる。ここにいる皆は幼少時より黄道十二星座を守護星座としていた者ばかりであるが、稀に例外が存在するのだ。歴史もそれを証明している。青銅から黄金へと昇格を果たした聖闘士は決して少なくはない。多くもないが、な。アルデバラン、海斗の師であるお前に無用な心配をさせぬ為にと思い秘密にした事を許せ」
教皇の言葉であったが、これにはさしものアルデバランも空いた口を塞ぐ事が出来なかった。
「……は、ハッ。いや、教皇のお心遣いには感謝致しますが……。その、海斗を黄金聖闘士と認めるには実力は兎も角、その精神面においてはまだまだ……」
しどろもどろとなるアルデバランの肩に、「落ち着けよ」とデスマスクが手を置く。
その表情は玩具を前にした子供の様に、好奇心を隠そうともしていない。
「何を言っているんだアルデバラン。海斗と言ったか、そいつが使える奴だってんならオレに異論は無い。何よりも、だ。教皇が直々に目を掛けられた奴ならば、むしろ歓迎するぜ?」
そうだろうと、デスマスクが同意を求める様にミロ達に視線を向ける。
「オレはその海斗と言う聖闘士の事は知らん。教皇のお言葉に従うのみよ。その男に共に闘おうという意思があるのならば拒みはせん」
「――やれやれ、気の早い方達だ」
ミロの言葉が終わるのを待っていた様に、これまで教皇の横で黙したまま一言も話さなかったシャカが口を開いた。
「教皇は成長を見極めたうえで、やがて、と。そう仰ったはず。ならば話はそこで終わり。ここからは黄金結合の意味を伺うべき時では?」
穏やかでありながらも、どこか逆らい難い力の籠ったシャカの言葉に、黄金聖闘士達はその身を正して教皇へと改めて向き直る。
「うむ。ここ数カ月の間、人知を超えた怪異や、神話に語られる魔物と思わしき異形の報告が急激に増えている。その事は皆も承知であろう」
地上の平和を守る事が聖闘士の使命とは言え、彼らが表立って国家間の争いに等に関わる事は無い。
さすがに人類の存亡に関わる様な致命的な事案であれば動きはするが、基本的には不干渉であった。
関わろうと思えば如何様にも出来るのだが、人の行く末は人の手に委ねるべきとするアテナの意向に従っている為である。
これは、一見すると放任しているだけの様にも取れるが、その実人はそこまで愚かでは無いと、人の心の善性を信じようとするアテナの強い想いに因る。
であるならば、聖闘士にとっての敵とは何か。それはアテナの想いを踏みにじろうとする邪悪なる意思であり、人の手ではどうする事も出来ない人知を超えた存在である。
神話の神々――神々の意思を宿した人間や聖闘士、海闘士達が実在する様に、伝説の中にある怪異や魔物もまた実在していたのである。
「
「かつてゼウス率いるオリンポスの神々と、地上の覇権を掛けたギガンテスと呼ばれる巨人達の戦い――ギガントマキアがあった事は皆知っているか?」
教皇の言葉を引き継ぎ、皆に告げる為にシャカが一歩前に出る。
「オリンポスの神々を敗北寸前まで追い詰めた大神ウラノスと大地の女神ガイアの子――ギガス。神の力では決して倒れる事は無く、人の力を――半神半人の英雄ヘラクレスの力が無ければ倒す事が出来なかったとされる神々の敵」
「オリンポスの神々の力により封じられていたギガスが、何者かの手によってその封印を解かれていた事が発覚したのだ。ここ数カ月の異変はそれに呼応した物であったのであろう」
「神々の敵だと? それは真実か、シャカよ」
教皇の言葉を受けたアイオリアの問いに、さして動じた様子もなくシャカは続ける。
「ええ。このシャカ、北ギリシアの洞窟に隠れ住んだと言う曰くの通り、先日ピンドスの地にてギガス十将ポリュボテスを名乗る者と戦った。十将と名乗った彼がギガスの中でどれ程の地位にあったのかはもはや分らんが、少なくとも並の
「封印に関してはカミュの方が適任であったかも知れんが、アフロディーテが自ら名乗り出たのでな。任せる事にしたのだ」
「とは言え、既に門は開かれた後。どれだけのギガスが冥府からこの地上に蘇ったのかは不明だ。既に彼らの王は目覚めた、ポリュボテスはそう言っていたが」
淡々と、事実をあるがままに語るシャカの様子は普段と何ら変わる事はない。
「クククッ、勿体ぶるなシャカ。つまり、俺達にそのオリンポスの神々ですら手を焼いた過去の遺物をぶちのめせって事だ」
十将だかなんだか知らんが、と呟きデスマスクが続ける。
「歯応えのある相手と出会わなくて久しいんだ。教皇、このデスマスクにお命じ下さい。今すぐにでもそのギガス共を冥府へと送り返して見せましょう」
なんならば教皇のお心を乱す者――全てを
そう言って恭しく一礼するデスマスク。
「フフッ、頼もしいなデスマスク。しかし、この件に関してはお前一人だけに任せる訳にはいかぬのだ。ギガスの狙いはどうやらこの聖域にあるらしいのでな」
再び玉座に腰掛けた教皇の傍にシャカが並ぶ。
「今はその力の大半を封じられている為に左程脅威とはならない。だが、ある物を手にした時、かつて神々すら恐れた彼らの不死の力が甦るのだ。ギガスの真の恐ろしさはその不死性にある」
「……そのある物とは一体何なのだ、シャカよ」
「それは教皇の間の先、古の――」
カミュの問い掛けにシャカが答えようとした時、それが起こった。
「――!?」
「何だ!!」
「こ、この纏わり付く様な不快な小宇宙は!」
上空から圧しかかる様な不快な、悪意そのものとしか感じられぬドス黒い小宇宙にアイオリア達が反応する中、法衣を翻して教皇が玉座から立ち上がる。
「―――来たか、ギガス共よ」
その呟きに応えるかの如く、ズンと圧し掛かる様な黒い小宇宙の圧力が強まりを見せる。
「この小宇宙は……十二宮の周辺だけではないぞ。聖域全体に広がりつつあるのではないのか!?」
アルデバランの危惧は正しい。
『聖域にいる全ての戦士に告げる! 雑兵と候補生、青銅聖闘士は聖域の民を護れ! 白銀聖闘士は即刻侵入者を排除せよ!! これは――勅命である』
教皇の思念波が聖域全土に響き渡る。
聖域の平和の時が終わりを告げた瞬間であった。
「クッ!」
教皇の間から外へと駆け出すアイオリア。それを追う様に、ミロ達も続く。外へと出たアイオリア達が目にしたのは、空一面を覆い尽くす不気味な黒雲であった。
そして地を見れば聖域のあちこちから悪意に満ちた幾つもの小宇宙が立ち昇っている。夜明けを迎えていたはずの聖域は今まさに漆黒の闇に包みこまれようとしていた。
「馬鹿な、結界の張られたこの聖域に侵入されただと!?」
「黄金聖闘士が六人もいて気付かなかったとは! 何が最強の黄金聖闘士か、これでは只の無能ではないかっ!!」
聖域の守護を任されていたアイオリアと、黄金聖闘士である事に強い誇りを持つミロ。
至る過程は違えども、その心に沸いた感情は同一であった。己に対する不甲斐無さと怒りである。
「この小宇宙、これがギガスの先兵なのか? クッ、一つ一つはどうとでもなるが、数が――いかん! あそこは居住区に近い!!」
「急ぐぞアイオリア! オレは向こうに現れた連中を片付ける!!」
「ま、待てお前達!!」
アルデバランが手を伸ばすが、駆け抜けて行った二人の背には届かない。
「ええいッ! 気持ちは分らんでもないがあれは明らかに陽動だ。アテナと十二宮の護りはどうする気だ!」
「ハン、聖域に侵入した事は褒めてやるが……この十二宮周辺の結界を破る事は出来なかったみたいだな。だったら、ここはお前らの誰かが居れば充分だろ? 待つのは性に合わないんでな、オレも出るぜ?」
手を伸ばしたままのアルデバランの横を、デスマスクもまた駆け抜ける。
「デスマスク!? ええいっ、どいつもこいつも――」
人の話を聞けと、思わず叫びたくなったアルデバランの横をスルリとまたも人影が通り抜ける。
「……任せるぞ」
「カミュお前もか!?」
冷静沈着、常にクールたれと皆を抑える役割のカミュまで。
思わず抜けそうになる気力を奮い立たせ、「ならばなおの事」と、オレがしっかりせねばとアルデバランが気合いを入れる。
「……アルデバラン」
その肩に触れる者があった。
「いい加減にせん――」
ここまでの流れから、次はシャカかと、反射的に叫んだアルデバランであったが、その叫びが途中でピタリと止まる。
アルデバランの肩に触れたのはシャカではなく――教皇であったのだから。
「アテナの護りは私とシャカが務めよう。行くが良いアルデバラン」
「きょ、教皇!? し、失礼致しました! しかし……構わぬのですか? 敵の狙いがはっきりせぬ以上は」
「……君は妙なところで責任感が強いのだな。構わぬよ、この場は教皇とこのシャカに任せて行きたまえ」
二人の言葉にアルデバランが見せた逡巡は一瞬。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
教皇に一礼し、頼むぞとシャカに告げてアルデバランもまたこの場から駆け出して行った。
「若さ、か。彼らを軽率と諌める事は出来ん。さて、この流れをどう見る、シャカ?」
聖域の各地から立ち昇る無数の小宇宙。黒は広げる版図を白が塗り返そうとしているのを感じ取りながら教皇が問う。
「この侵攻は予想していたモノよりも早く、ギガスの王の復活だけとは考えられません。何かギガスを勢い付かせるだけの事があったと――」
そこでシャカが言葉を止めた。その表情に浮かぶのは僅かな困惑であった。
「考えられる事は一つ。ギガスはソーマ――ネクタールの力を持つあの少女を手に入れた」
「馬鹿な!? ムウが不在とは言え、いや、だからこそセラフィナの傍には海斗だけではなくシュラも置いたのだぞ!」
『――そこな』
その時、ビシリと、何も無いはずの空に亀裂が奔り、
『美しき男の言う通りよ』
パリンと、まるでガラス細工を壊した様な音を立てて空が割れた。
聞こえた声と音に教皇が視線を上げる。空いた穴からはまるで這い出す様に人のカタチをした何かが現れていた。
それは、色素の抜けた白い髪に漆黒の仮面、大蛇を模した意匠の施された金剛衣を纏った女であった。女性体である事を強調するかのように、胸元は開かれ、大腿を曝け出している。
妖し過ぎる色気があったが、その身から感じる小宇宙は深く暗い。澱みに満ちたおぞましい物だと感じる。
「何者だ」
「我が名はデルピュネ」
教皇の問いに女はそう名乗り、ゆっくりと地上に降り立った。
仮面の為か、くぐもった声からは女の正体を窺い知る事は出来ない。
「あの小癪なヘルメスの使い――エクレウスの名を宿した小僧も、黄金の山羊も所詮は人の子。神すら倒して見せた我等の前では余りにも――無力」
空に向かって掲げたデルピュネの右手に燃え盛る炎が現れると、それは劫火となってデルピュネの身を包み込む。
炎はその内にあるデルピュネを守るかのように渦を巻き、舞い散る火の粉が火種となって周囲に次々と炎の柱を生み出していた。
「さて、ネクタールの力を宿した娘は手に入れた。後はこの地に封じられたアンブロシアさえあれば、憎き
デルピュネの纏った炎の勢いが足下を、十二宮に敷き詰められた石畳を融解させ始めていた。
吹き付けられる熱波から教皇を護るべく、シャカがその身を盾として二人の間に立つ。
「シュラと海斗を倒したと? しかし、お前の言葉が真実であろうが偽りであろうが、このシャカが成す事には何の変わりもない。選びたまえ、再び冥府へと送り返されるか、魂諸共に消滅するかを」
その手で印を組み、力ある言葉を静かに呟く。
「――
シャカの周りから吹き上がる小宇宙の炎。それは不動明王の浄化の炎。悪意を焼き払い、敵を焼き尽くす迦桜羅の炎。
デルピュネの熱波とカーンの熱波がぶつかり合う。
「むぅ、二人の生み出すこの炎、まるで巨大な炎の壁だ。シャカの炎とあの女の炎がぶつかり合い互いを喰らっている為か」
その余波は、シャカの背に守られていた教皇の身体すら押し下げる。
「ほう、凌ぐかえ」
デルピュネの言葉に喜色が混じる。
「ふむ。アンブロシアについてはそこな仮面の男に語らせるとしよう。喜べ、美しき男よ。お前はこの我が直々に喰ろうてやろう」
宣言と共にデルピュネが左手を掲げた。
そこから生じた炎は巨大な蛇のカタチとなり、炎の壁へとその身を投げ込む。
生み出されては炎の中へ。次々と姿を消して行く。
均衡が崩れた。
「むっ!? くっ、まさかこのシャカが押される!?」
「いかんシャカ!!」
シャカに迫る炎の壁。駆け寄ろうとする教皇の身体をぶつかり合う小宇宙が奔流となって弾き飛ばす。
「ふふふっ、さあ、骨も残さず――喰ろうてやろうぞ」
互いを喰らい合っていた炎の壁は遂にデルピュネのものとなり、それは、さながら巨大な大蛇の如くその姿を変えていく。
炎蛇が巨大な口を開き、シャカの身体を呑み込んだ。