聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第14話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ聖闘士(前編)の巻

 神話の時代より常に噴煙を立ち昇らせる火山島。そこでは今より二百数十年程前に一度大きな噴火があったと歴史は記している。

 幸いにして大きな被害が出る事もなく、一説には噴火を食い止めたのは若き少年――聖闘士であったとも言われているが、今となってはその真偽について語れる者はいない。

 常に熱く滾る大地の力に満ちたこの島は、効能高い湯治場として現在も遠方から多くの人々が訪れている。

 

 そこは、地中海に浮かぶ島々の一つ――カノン島。

 人々の知る表の顔と、神秘によって隠され裏の顔を持つ島である。

 

 

 

 噴煙と熱波に満ちたその火口。

 煙とガスに満ち、生身の人間では立ち寄る事の出来ないその場所で、時折りゆらりと動く影――人影があった。

 金色の鱗衣を身に纏った男の姿があった。

 まるで『そうするために』あつらえられたかの様に形作られた岩に腰を下ろし、静かに瞑目をしている。

 海斗との戦いの後に何処かへと姿を消した男――カノンの姿がそこにあった。

 

「驚いたな。肉体の負傷だけではなく、まさか鱗衣の破損まで修復されているとは」

 

「……何の用だ?」

 

 知己の声に、カノンが億劫そうに閉じていた瞼をゆっくりと開く。想像通り、その目には鱗衣を纏ったソレントの姿が映る。

 

「湯治と言うものは知っているが、噴煙の中七日七晩身を置くならば、だったか。カノン島の伝承、まさかこれ程のものだったとは。しかし、普通の人間ではそれに気付く前に命を落とす」

 

 穏やかな笑みを浮かべるソレント。その表情はカノンの知るソレントに違いはない。

 

「ならばそれに気付けるのは普通ではない存在。人知を超えた存在なのだろう。海闘士には伝えられてはいない伝承であるならば、それを伝えているのは――」

 

「もう一度聞く。何の用だ」

 

 しかし、ソレントの言葉の中に含む様な“何か”を感じ取った事で、カノンの言葉にもどこか棘の様な物が含まれる事になる。

 僅かに立ち昇ったカノンの小宇宙はまるで拒絶の意思を示すかの様に、周囲に斥力を伴った力場を生じさせていた。

 

「お見舞だよ。しかし、『傷付いた聖闘士が噴煙に身をひたし再び立ち上がる』だったかな」

 

 力場の圧が増し、周囲の岩肌に亀裂が奔る。

 その力場はソレントをも巻き込んでいたが、当の本人には全く意に介した様子もない。

 ソレントは海闘士の中でも早期に覚醒した事も有り、海闘士の中ではカノンとの付き合いが最も長い人物である。

 カノンが見せるこの不安定さには最早慣れたものであった。

 

「伝承が……伝えるものなど真実の一端にしか過ぎん。“聖闘士の様な”力ある存在しかこの場所に留まる事が出来なかった、ただそれだけよ」

 

「……アテナの加護故の奇蹟、その可能性は? 我等海闘士にとってこの地は、この場は毒であったかも知れん」

 

「くどいぞ。言いたい事があるならばハッキリと言ったらどうだ」

 

「別に。ただ疑問に思った事を口に出しただけ。他意は……ないさ」

 

 肩を竦めてそう言うソレント。

 カノンはそれを苦々しく思いながらも一瞥すると、「そうか」と呟きゆっくりと立ち上がった。

 

 お互いに無言。そのまま暫く。

 

「フッ、まあいい」

 

 ややあって、先に口を開いたのはカノンであった。

 

「それよりも、だ。俺は言ったはずだ、迂闊に動く事は控えろ、と」

 

「言ったでしょう? 貴方を心配して、ですよ」

 

「ぬかせ。『俺に成代わるために命を取りに来た』そう言われた方がまだ納得できる」

 

 軽く腕を振り調子を確かめながら、カノンはシードラゴンの鱗衣の状態も確認する。

 

「状況は把握している。この纏わり付く様なドス黒い不快な小宇宙。やはり――ギガス共が目覚めた様だな」

 

「地上支配を目論む彼らの存在は、我等にとっても見逃す事は……」

 

「お前の言いたい事は分る。だが手出しは無用だ。他の海将軍達にも――そう伝えておけ」

 

「……静観するのか? 手遅れになる可能性も有る。私としては……承知しかねる、と言わせてもらう」

 

 海将軍シードラゴンのカノン。

 その力は海闘士の中でも群を抜く、言うなれば絶対的強者。

 

「ギガントマキア、それを知らない貴方ではない。そう認識してるのだがな」

 

 最も早く海闘士として目覚め、海皇の名の下に全ての海闘士を統べる者。

 それがソレントの知るシードラゴンの全てである。

 海闘士の誰もがシードラゴンの事を知ってはいても、“カノン”の事を知らない。

 

「ギガス――奴等が万全であれば或いは、な。だが、今の奴等ではさしたる脅威にもならん」

 

 そう言って、カノンは聖域のある方向へと視線を動かした。

 それは、ソレントが知る限り普段の傲慢とも思える程に自信に満ちたカノンから一切の色が失われる瞬間。

 

「聖闘士共には精々頑張って貰うさ。露払いには丁度良い」

 

 しかし、それも一瞬の事。

 

「では戻るか、我らが城に」

 

 カノン自身意識しての事ではなかったのか。踵を返すとこの場から離れるべく歩き始めた。

 

「シードラゴン、貴方は――」

 

 そこまで口に出しながら、ソレントは続ける事を止めた。

 

(貴方には謎が多過ぎる)

 

 先日の事である。

 シーホースとスキュラの海将軍が覚醒を果たし、遂に六人の海将軍が揃った。残る海将軍はクラーケン。しかし、未だクラーケンの鱗衣は覚醒の兆しを見せてはいない。

 ソレントはそこにどうしても引っ掛かるものを感じていた。

 

(それでは、スニオン岬でシードラゴンと戦った彼は一体何者だ? あれほどの力量であれば間違いなく海将軍だ。しかし、残るクラーケンであるならば、鱗衣が反応を見せているはず)

 

「……まさか、な。トリトンなど、あれこそ伝説、伝承に過ぎん」

 

 海闘士でありながらアテナの聖闘士であり、シードラゴンを追いつめる程の力量を持つ存在。

 彼への執着、双子座の黄金聖衣の介入、多くを語ろうとしないシードラゴン。

 本の口から語られぬ以上、何を思ったところで全ては推測でしかない。

 

(「海闘士を纏め上げる力量。シードラゴンとしての貴方は信用出来る。しかし、“カノン”としての自分を隠し続けるならば)

 

 そこまで考えながら、ソレントは頭を振って浮かび上がる疑念を振り払う。今はまだ詮無き事だと。

 だから、ソレントは当たり障りのない、しかし気にはなった事を尋ねてみる事にした。

 

「聖闘士が敗れる様な事があれば?」

 

 答えを期待していた訳ではない。

 ソレントにとっては自分の気を紛らわす、その程度のつもりでしかなかった。

 

「それが起こり得るとするならば、可能性としてはアレの復活か、それとも……。いや、それを許す程に間抜けでもあるまい」

 

「……説明義務という言葉を知っているか?」

 

 その言葉に歩みを止めたカノンは、ゆっくりとソレントへと振り返り――

 

「フッ、憶測に過ぎん事をベラベラと喋る物でもなかろう? まあ、万一にでもその様な事態になれば……」

 

 ハッキリと言った。

 

「俺が片を付ける」

 

 

 

 

 

 第14話

 

 

 

 

 

 聖域には聖闘士となるべく修行する多くの聖闘士候補生達がいる。

 その大半は十代の少年少女である。

 そして、聖域を守る雑兵の多くは、聖闘士を目指し修行を積んだ者達である。

 その多くは青年から壮年であった。

 これには、少年期を過ぎた者の小宇宙の体得率が著しく低下する事が関係している。

 少年期の内に小宇宙を体得出来なかった彼等にとって、聖闘士は絶対であり、憧れであり、夢であり、希望である。

 聖域に於いては最下級とされる彼等ではあるが、修練により得たその力は“普通の人間に比べて”遥かに高みにあり、だからこそ自分達も『聖衣さえあれば』と思い願う。

 

 その想いが自らを高める糧となるのか、妄執として枷となるのか。それは、誰にも窺い知る事は出来ない。

 

 

 

 聖域東側の城楼。

 聖域を守るのは結界だけではない。物理的な城壁もまたぐるりと周囲を覆う様に建てられている。

 

「くっ、ひ、怯むな! 怯んではならん!!」

 

 物見台に立った雑兵――兵士長が声を張り上げる。

 迫り来るギガスの徒兵を前に、ここを守る兵士たちの気合の声が響く。

 突然の襲撃に即座に対応できた者は極僅か。指示も何もあったものではない。

 

「うおおおおおお!!」

 

 眼前の恐怖から自らを鼓舞すべく、雄叫びを上げて立ち向かう兵士たち。

 

「くそっ! 何なんだあの鎧は!? 硬過ぎる!!」

 

「おい! そっちに行っ――逃げ――」

 

 彼ら兵士たちに迫るのは雑兵に過ぎなくともギガス。

 人間を凌駕する身体能力、聖衣を彷彿とさせる鎧、倒しても倒しても立ち上がるその姿。

 前聖戦から今日まで、かろうじて保たれていた平和。故に、聖域の兵士達の多くは人ならざる者との戦いを経験していない。

 

「こ、こいつら痛みが無いのか!?」

 

「くっ、わあああ、うわああああっ!!」

 

 突然の襲撃、未知なる敵に成す術無く兵士たちが倒れる。

 しかし、その命は無駄ではなかった。

 

「敵は多くはない! 一人で向かおうとするな! 三人で掛かれ!! 倒せない相手では!!」

 

 そう、決して“倒せない”相手ではない。

 数人掛りであるとは言え、確かに“倒せている”のだ。

 その事実が彼らの闘志を支え――希望を繋ぐ。

 

「お前達――下がれ!」

 

 大気を切り裂く拳圧がギガスの身体を弾き飛ばし、次いで白銀の輝きが兵士達の傍を駆け抜けてギガスへと向かう。

 

「ここからは我々の仕事だ!」

 

「おお!! 皆! 白銀聖闘士様だ!!」

.

 戦場に現れた白銀(シルバー)の輝き――聖闘士達の姿が希望となる。

 

「ここは聖域! 貴様等の勝手がまかり通る等とは思わぬ事だ! 行くぞアルゲティ! ディオ!」

 

「応!」

 

「おうよ!」

 

 巨犬座(カスマニヨル)白銀聖闘士(シルバーセイント)シリウスの堂々たる宣言に、ヘラクレス星座の白銀聖闘士アルゲティが、銀蠅座(ムスカ)の白銀聖闘士ディオが応じる。

 先頭を走るのはシリウス。

 白銀聖闘士屈指の敏捷性を持つ男。

 

「シリウス! 何人か抜かれているぞ!!」

 

 天高く飛翔したディオが叫ぶ。

 その星座が司る様に、ディオの得意とするのは空中戦であり、その跳躍力と滞空時間は白銀聖闘士の中でも上位に位置していた。

 上空から見れば良く分る。既に戦域は聖域全体に広がっている事が。

 

「構うな、向こうはシャイナやモーゼス達に任せておけ!」

 

「俺達はここにいる奴等を叩きのめす! まとめて喰らえ、このヘラクレス星座アルゲティの必殺技を!」

 

 目前へと迫るギガス達を前に、アルゲティがその身を屈めて地面に両手を突き刺す。

 

「そうれっ! 天高く舞い上がり叩きつけられて砕けろ!! “コルネホルス”!!」

 

 コルネホルスとはギリシア語で棍棒を持つ者の意。

 アルゲティは白銀聖闘士の中でも最も大きな体躯とパワーを持ったヘラクレス星座に恥じぬ剛腕の持主。

 裂帛の気合と共に、ギガス諸共地面をめくり上げ天高く放り上げた。

 

「うおぉおおおお!?」

 

「ぐああああああっ!!」

 

 高速で吹き飛ばされる事で身動きを封じられたギガスは、受け身を取る事も許されず、舞い上げられた土砂と共に次々と地面へと叩き付けられる。

 コルネホルスから逃れたギガスも、体勢が崩れた隙をシリウスとディオに狙われ打倒されていく。

 

「おおっ!」

 

「凄い、これが聖闘士の力か!?」

 

 劣勢から転じての圧倒的な逆転劇。それは見守る兵士たちの士気を否応もなく高める。

 

「フッ、伝説のギガスとはこの程度か。精々が青銅レベルより、と言ったところだな」

 

「くくく、まあ所詮は過去の遺物だ」

 

 それは、シリウス達とても同じ事。

 かつて、神話の時代にオリンポスの神々すら退けて見せたギガスとはこの程度かと。

 

「……お、おい?」

 

 高揚に沸く中で、周囲を確認する余裕が生まれたのか、ある兵士が奇妙な事に気が付いた。

 

「ちょっと見てみろよ。死体が……」

 

 倒されたギガス達の身体が次々と土くれと化して砕けて行く事に。

 

「人間じゃ……生物でも無い? こ、こいつ等は!?」

 

 

 

『――この程度、その認識は間違ってはいない。なぜならば、そいつらは全て土くれ(木偶)に過ぎんのだ』

 

 その“声”は、その場にいた者達全ての脳裏に響いた。

 

『――貴様等虫けらを掃除するためのな。虫けらを始末するのに態々我が手を汚す必要がどこにあるのか』

 

「――!? 巨大な小宇宙」

 

「い、いかん! 避けろアルゲティ!! お前達も下がれッ!」

 

「う、うわあ――あああああっ!!」

 

「こ、これは!? 何だ、この強大な……異常な小宇宙は!?」

 

 

 

「我が名は紅玉(アントラクマ)の鉄《ジギーロス》!」

 

 

 

 それは、紅く輝く巨大な鉄鎚を持った、黒く輝く金剛衣に全身を包んだ巨人であった。

 腕も、脚も、胴も、全てが巨大。

 

「こ、コイツは!? こ、この小宇宙は我等を遥かに――いや、違う! これは、これではまるで――」

 

「――“光槌破砕”!」

 

 ジギーロスの手に握られた鉄鎚が紅の輝きを纏って振り下ろされる。

 目を焼かんばかりの閃光、耳をつんざく様な爆音が周囲を埋め尽くす。大気と大地が激しく揺れる。

 巨人の名乗りと共に振り下ろされた鉄鎚は大地を穿ち、光を纏った衝撃波が水面に浮かぶ波紋の様に周囲へと広がり弾けた。

 

 そして、静寂が訪れる。

 

 破壊の中心にて悠然と立つジギーロス。

 破壊の波濤は触れた物全てを粉砕していた。

 岩も、城壁も、残っていたギガス達ですらも。

 

 自らの一撃で更地と化した足下の様子に、いつもの事と、さして気にするでもなくジギーロスが歩を進める。

 目指すは遠くに映る六つの炎を灯した火時計。

 巨体の動きで風が吹き、その流れが粉塵を舞い上がらせる。

 

「う、ううぅう」

 

「……あ、ぐく……」

 

 僅かながらも聞こえた呻きの声にジギーロスはその歩みを止めた。

 

「ほう」

 

 その口から感嘆の声が漏れる。

 粉塵が晴れた先には倒れ伏した白銀聖闘士たちの姿。

 聖衣は砕け、肉体的にも重傷を負ってはいたが、その身は城壁やギガスの徒兵の様に砕け散ってはいない。

 しかも、その後ろには意識を失くした聖域の兵士たちの姿もある。

 

「余波とは言え、我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無駄な事。倒れたその身で何ができるのか。ただ――無力」

 

 そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事なく振り下ろした。

 

 

 

 

 

 聖域の外れにある修練場。

 打ち砕かれた資材や鮮血に赤く染まった大地、粉砕され、めくれあがった石畳がこの地で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。

 この場にいたのは聖闘士を目指し修練を積んでいた若者たち。

 希望に満ちた声、情熱が生みだしていた熱気。今やその全てが失われていた。

 僅かに聞こえるのは怨嗟の声か、苦痛にむせび泣く声が、呻きが、生への渇望が。それだけが辺りに響き渡る。

 

 むせかえる様な濃密な死の香りが漂うその中心に、全身を返り血で赤く染めた巨人の姿があった。

 中世の騎士が身に纏った甲冑の様な、全身を黒い金剛衣に身を包んだ巨人。そして白い甲冑の様な金剛衣に身を包んだ巨人。

 そして、剣闘士を思わせる軽装な金剛衣に身を包んだ巨人。

 

「ヒヨコですらもっとマシではないか? レウコテース()アネモス()よ」

 

「そう言うな。育てれば卵を産む分、ヒヨコの方が遥かにマシだとは思わんか? メラース()ブロンテー()

 

 ハハハハハ、そう声を大にして笑う白と黒のギガス。

 その様子を見て、意識のあった候補生や兵士達には、あるいは恐怖に震え、あるいは悔しさに唇を噛み締める事しか出来なかった。

 そう、この場にはまだ絶命した者はいない。彼らはほんのちょっぴりではあったが、まだ“生かされて”いたのだ。目の前の巨人達はいつでも自分達を殺せるのだと、その事がハッキリと分っていた。

 瓦礫に半身を埋められながら、見ている事しか許されない男は涙していた。

 死を恐れているのではない。

 戦士となるべく聖域に来た時点でその事は覚悟していた。

 悔しかったのだ。

 絶対的な力を前にして余りにも無力な自分が。

 恐ろしかったのだ。

 このまま“何も成す事なく”死を迎える事が。

 このままでは只の犬死。受け入れられる訳がない。

 意味が欲しかった。どんな小さなことでも良い。戦士として生きると決めた以上、死ぬ時には意味が欲しかった。

 

(力だ! 何者にも屈さない圧倒的な力!! それさえあれば、それさえ……あれ……ば俺だって――)

 

「さて、では我等も動こうか。お前はどうするのだ、ポインクス()リュアクス(熔岩)よ」

 

「そうだな、ここにいる雑魚共ともう少し遊んでから動こう」

 

「それは構わんが、程々にしておけよ? 我等の使命は聖域の破壊だけではないのだからな」

 

「分っている」

 

 そう言ってアネモスとブロンテーがこの場を去ると、リュアクスは生き残っている者達の下へと向かい歩き出した。

 

(力、力、力、力、ちから、ちか――)

 

 目前に迫る血に濡れた巨大な拳。

 男が意識を失う直前に見たのは、醜悪極まる笑みを浮かべた暴力の具現たる存在であった。

 

 

 

 

 

「余波とは言え、我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無駄な事。倒れたその身で何ができるのか。ただ――無力」

 

 そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事なく振り下ろした。

 

「“光槌破砕”!」

 

 爆音が響き閃光が再び周囲を覆い尽くす。

 衝撃は光り輝く波濤となって、全てを粉砕せんと倒れたシリウス達に迫る。

 

「……何だと!?」

 

 光を受けた者達はその身を砕かれて塵となる。

 そうなるはずであった。

 

 振り下ろしたその手に握られたのは鉄鎚の柄のみ。

 

「紅玉槌が折れた? いや、この痕跡――これは!?」

 

 その事実にジギーロスが到達した時、ドゴンッ、という轟音を響かせて鉄鎚が落ちた。

 

「これ以上、無差別な破壊を振り撒かせる訳にはいかんのでな。先ずは、その武器を破壊させて貰った」

 

「……何者だ!」

 

 聞こえてきた声にジギーロスが視線を向ける。

 現れたのは、黄金に輝く聖衣を身に纏った巨漢であった。

 

「黄金に輝く聖衣、黄金聖衣。そしてマスクにある巨大な二本の角と聖衣に施された意匠。そうか、……貴様がこの時代の黄金の野牛――タウラスか」

 

「人に名を尋ねるのなら、先ずは自分が名乗れ。それが礼儀だ。いや、所詮は旧き蛮族でしかないギガスに礼儀を求めても無駄か?」

 

 ならば、そう言って男はジギーロスに向かい真っ直ぐに歩を進める。

 

「この俺が――タウラスのアルデバランが、貴様に礼儀を叩き込んでやろう」

 

 ジギーロスの前に立ち、両腕を組んだアルデバラン。

 見上げねばならない巨人を前にして、まるで見下すかの様に悠然と言い放つその態度は大胆不敵。

 それは、明らかな侮辱。ジギーロスにとって、アルデバランのその姿勢は神をも恐れぬ許されざる不遜であった。

 

「虫けら如きが何たる不遜! 万死に値する! 神をも恐れぬその厚顔、言葉の如く討ち砕いてくれるわ!!」

 

 激昂したジギーロスが掲げた両腕に紅い輝きが宿る。

 その輝きは紅玉槌と同じ輝き。

 

「紅玉槌を破壊した程度で思い上がるでないわぁっ!!」

 

 鉄鎚をそうした様に、ジギーロスは己の両腕を大地へと叩き付ける。

 

「光腕破砕!!」

 

 放たれる紅い輝き、鳴り響く轟音。

 紅い衝撃破がアルデバランに迫る。

 

「己の傲慢を悔いあらた――」

 

 悔やめと、思い上がるなと言い捨てようとしたジギーロスの声が驚愕に震えていた。

 

「――な、何だとぉおっ!?」

 

 全てを破砕するはずの破砕光が押し止められている事に。

 腕を組み、不動のままのアルデバランの目の前で。

 不可視の障壁。目の前の光景をジギーロスにはそう表現する事しか出来なかった。

 

「フンッ、この程度の涼風が如何程のモノか……。この程度、この程度で――このアルデバラン揺らぎはせんッ!」

 

 アルデバランの一喝。

 それを切欠として、密度を増した障壁と光腕破砕のエネルギーが消滅する。

 

「う、うう、うおおおおおおおおおっ!!」

 

 人は、己の理解の範疇を超える存在と対峙した時に恐怖を覚えずにはいられないという。

 それを受け入れるのか、拒絶するのか。対峙したその先に取る行動にこそ、人の真価が現れる。

 ならば、このジギーロスの上げた咆哮は、未知への存在に対する恐怖であったのか、それとも……。

 

「矮小な人間如きが! 神に刃向うと言うのかあぁあああっ!!」

 

「むうっ!? この速度は!」

 

 無数に繰り出されるジギーロスの連撃。

 巨体から繰り出されるその連撃の速度にアルデバランは驚愕する。

 

「そうか、貴様の闘法は鉄鎚を用いた物では無く――」

 

「我が名はアントラクマジギーロス! 紅とは血、鉄とは我が拳! この拳こそが紅の鉄よ!!」

 

 矢継ぎ早に放たれる拳がアルデバランを捕える。

 鋼と鋼が打ち合う様な音を響かせてジギーロスの連撃が続く。

 アルデバランの足下が連続する衝撃と圧力に耐え切れずに砕け始める。

 

「ぬぅおおおおおああああああ!!」

 

「くっ、速い!」

 

 砕けた大地は土砂となり、アルデバランを中心として舞い上がる。

 

「砕け散れ人間よ! 神に逆らった己の愚かさを悔やめ!!」

 

 ジギーロスが振り上げた巨碗は言わば撃鉄。

 その腕に込められた破壊の力を打ち出すための。

 

「光腕破砕!!」

 

 破砕光を纏った拳がアルデバランに振り下ろされる。

 

 ドンッ、という音が鳴った。

 

 打ち出された光輪は拳を伝い、アルデバランの身体を包み込む。

 圧力に押される様に、大地に巨大なクレーターが作りだされた。

 

「く、くくく、くはははははは――!?」

 

 振り下ろされた拳は確かにアルデバランを捕えていた。

 直撃。無事で済むはずが無い。粉微塵に砕け散っている。

 

(ならば、この拳に“感じている”手ごたえは何だ!?)

 

 全てが終わったのであれば感じるはずの無い感触。

 そこに在る、と。ハッキリと判る感触。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 金色の輝きが在った。

 大地に根差す大木の様に両の足で大地を踏みしめ、腕を組み仁王立ちするアルデバランの姿が。

 

「む、むぐぅううう……!」

 

 それだけではない。

 アルデバランから立ち昇る小宇宙は衰える事が無く、今この瞬間も高まりを見せている。

 ジギーロスにはアルデバランがギガスである己すら圧倒する程の巨人に見えていた。

 

「貴様の拳は確かに早く力強い、まさしく暴力。だが、そんな拳では――このタウラスを怯ませる事など出来ぬと知れ!」

 

 知らず、ジギーロスの足が動いていた。後方に――一歩。

 

「我の拳が……効いていないと言うのか!?」

 

 ダメージは有るのだろう。

 よく見れば、聖衣の隙間から覗く肉体には擦り傷や打撲の痕が見て取れる。

 だが、それだけでしかない。

 全身全霊を込めた一撃で“この程度の”ダメージしか与える事が出来なかった。

 

 アルデバランが一歩を踏み出す。

 ジギーロスが一歩下がる。

 アルデバランが一歩を踏み出す。

 ジギーロスが二歩下がる。

 

「冥府へと戻れギガス。地上に我等聖闘士が在る限り貴様等の好きにはさせん!!」

 

 アルデバランの背後に浮かび上がる黄金の野牛。

 それは、小宇宙の生み出す力のビジョン。

 

「神を騙る者よ。聖闘士が、このアルデバランが信じる神はただ一つ……」

 

 それは、極限まで高められたアルデバランの小宇宙が生みだす力の具現。

 

「女神アテナただ一人よ!」

 

 それは、対峙する者に抜き手の動すら見せぬ――神速の居合。

 極限にまで高めた小宇宙を両腕に集束させ――肉体と言う鞘から一瞬の内に解き放つ。

 

「う、うおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

「受けよ、タウラス最大の拳!!」

 

 そこから生み出される衝撃波はあらゆる物を撃ち貫き破壊する。

 それは破壊の暴風。

 

威風檄穿(グレートホーン)!!」

 

 その瞬間、ジギーロスは己に迫り来る――猛れる黄金の野牛を見た。

 

「た、耐えきれん! 押し切られ――」

 

 堪えようとするジギーロスの眼前に迫る巨大な掌底。

 

「ぐぅわあああああああああああああああ!!」

 

 感じた衝撃は一瞬。ジギーロスはその先を知る事はなかった。

 

 

 

「――愚かさを悔やめ、貴様はそう言っていたな?」

 

 風がジギーロスの巨体を吹き飛ばし、その意識を四散させ――

 

「確かに悔やまねばならん。な。貴様の所業にどうにも加減が出来なかった。倒す前に――礼儀を叩き込む事を忘れていたわ」

 

 ジギーロスという存在そのものを破壊した。


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