聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第15話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ聖闘士(中編)の巻

 人が地を這う蟻の生死に何の関心も抱かぬ様に。旧き神族であるギガスにとって人間とはその程度の存在である。

 リュアクスに関して言えば、他のギガスに比べても特にその考えが強い。

 

「くくくっ。そうだ、その表情だ、その嘆きだ」

 

 だから、であろうか。

 オリンポスの神々の加護を受けていたとは言え、かつて自分達を冥府へと封じたのはその取るに足らぬとしていた人間の戦士。

 

「もっと見せろ、もっと聞かせろ。絶望と恐怖に満ちたその情念こそがオレの渇きを満たすのだ!」

 

 その記憶が、人間への憎しみが、憎悪の記憶がリュアクスの嗜虐性を加速度的に高めていた。

 無関心が反転し、歪みの果てに辿り着いた思考――ヒトの存在を無価値と断じ、その全否定へと。

 

「グフフフッ。辛かろう、苦しかろう? さあ、このまま死にたくなければ抗ってみせろ」

 

 生かさず、殺さず。全てはこの時の為に。倒れた者達の中から意識を保っている者を見付けるとリュアクスは嗤った。

 

「抗えぬのならば死ぬのみよ。恨むなら己の弱さを恨むのだな。弱いとは――」

 

 目が合ったのは幼い少年。彼の頭部を鷲掴みにすると、周囲に見せ付ける様に掴み上げジワリジワリと力を込める。

 

「それだけで罪よ。そうらどうした? ほんの少し力を入れただけだぞ?」

 

「あ、あが、ぎ……ゃぁあああ……」

 

 ある者は目を閉じ、ある者は耳を塞ぎ。

 無力な己を呪いながら、目の前の暴力を見ている誰もが少年の死を確信し、訪れる惨状を幻視していた。

 反応の無くなった少年に向かって「つまらん」と呟き、リュアクスは手にした少年を放り投げる。

 あのまま地面に落ちれば死ぬ。それが分っていても動ける者はいない。

 

 だが――

 

 何時まで経っても少年の身体が地に落ちる音が、その気配が無い。

 誰かが恐る恐る少年の行方を捜した。

 

 そして、見た。

 

 宙に浮かぶ少年の姿を。意識は失っている。だが、上下する胸元が少年の生を示していた。

 

「弱さは罪、か」

 

 それは、若い男の声だった。

 少年の背後から眩い輝きが溢れ出し、それを見ていた者が瞬きする間に輝きは人の形となっていた。

 砕けた石畳の上を、音も無く歩む男。

 黄金に輝く聖衣を身に纏い、薄く笑いを浮かべたその表情、その雰囲気は不敵にして傲岸不遜。

 

「同感だ。良い事を言うな。そう、弱い事はそれだけで罪だ」

 

 現れた男の声に、リュアクスは己の意識を瞬時に戦いのソレへと切り替えた。

 気配を感じさせる事無く現れた男を無意識の内に警戒したのだ。

 

「だがな? それをそう断罪する権利が――資格がお前にあるのか? そんなにお前は強いのか? オレにはな、とてもそうは見えないんだよ」

 

「……その聖衣、貴様黄金聖闘士か。何者だ?」

 

蟹座(キャンサー)だ。キャンサーの黄金聖闘士デスマスク。ああ、名乗らんでいいぞ? オレに滅ぼされる雑魚の名前なんざ一々覚えていられんのでな」

 

「雑魚……だと? このオレが、神であるこのリュアクスを貴様の様な虫けらが“弱い”と――ほざくかぁあっ!!」

 

 リュアクスの巨体から繰り出す剛腕の一撃は、全てを薙ぎ払う嵐の如く。

 

「ハッハァーッ! この程度の挑発でブチ切れるのか? 流石は神様、気が短いなぁ!」

 

 その嵐をデスマスクは笑みを浮かべたまま涼しげに避ける。

 

「おうおう、オッチョロピーってな。それで、どこが弱いって? まず一つ、頭が弱い」

 

 遠巻きに眺めていた兵士の下へ、気絶した少年を送ってみせる余裕すら見せて。

 

「技法も何もあったもんじゃないなぁデカブツ。扇風機ならもっとマシな風を送ってくれるぞ?」

 

「があああああっ!」

 

「ハッ、阿呆が」

 

 滅殺の意が込められた攻撃は、成程、当たればただでは済まないのだろう。

 

「当たれば、な」

 

 だが、それも全ては怒りに身を任せての単調な攻撃。

 それを避ける事はデスマスクにとっては造作も無い事。

 

「まあ、空振りの余波だけで大地が抉れるってのは……流石は自称神様って事か」

 

 巻き上げられた土砂は散弾と化し、周囲に破壊の雨を降り注ぐ。

 散弾の中には息絶えた兵士達の遺体も混ざっていた。

 リュアクスは人間を虫けらと蔑んだ。遺体の事など気にもしていない。

 

「……チッ、面倒臭い……」

 

 そう呟きながら、デスマスクは飛散する“それら”を自らの拳や蹴りで次々と撃ち落とす。

 弾かれる散弾には赤い色が混じっている。その事に気が付いた者達の中には目を逸らす者も、嫌悪感に顔を顰める者もいた。

 しかし、デスマスクを非難する事は誰にも出来ない。

 その行為のおかげで、自分達が破壊の雨から守られている事を解っている為だ。

 

「うがぁらぁああああああっ!!」

 

 薙ぎ払う様に振るわれたリュアクスの拳を掻い潜り、デスマスクは無防備となった胴体を力任せに蹴りつける。

 

「二つ、技量が低い」

 

 ギシッ、という軋みを響かせて金剛衣に亀裂が奔り、衝撃が波となって浸透しリュアクスの巨体を浮かび上がらせていた。

 そして、自らの身体を反転、宙に浮くリュアクスに背を向けるとサッカーで言うところのオーバーヘッドキックの要領で大地へと蹴り飛ばす。

 

「ガァああああああああああっつ!!」

 

 大気と大地を震わせて瓦礫の中へと叩きつけられたリュアクスであったが、憤怒の表情を浮かべて即座に立ち上がる。瓦礫を吹き飛ばしながら拳を振り上げてデスマスクへと迫る。

 

「ぐ、ぐぐぐっ、ば、馬鹿なああ!?」

 

 響き渡るリュアクスの声。

 己の一撃がデスマスクの手に受け止められていた為に。

 

「三つ、動きが遅い。ウスノロが」

 

「何故だッ! こんな事が――」

 

 それだけでは無く、逆に押し返されようとすらしている事に。

 

「四つ、まるでなっちゃあいない。馬鹿力だけでこの俺の相手が務まるか」

 

「ぬあっ!?」

 

 瞬間、デスマスクが手を引いた事で、リュアクスは押し込もうとするその勢いのまま前のめりになり、体勢を大きく崩した。

 

「ほれ、間抜け」

 

 踏ん張ろうとした足を払われ、頭から地面へと倒れるリュアクス。

 起き上がろうと手を着けば――

 

「――頭が高い」

 

 笑みを浮かべたデスマスクが右脚を振り上げ――リュアクスの頭を踏み抜いた。

 

「ぶぐああああっ!!」

 

 顔面を地面に打ち付けられるリュアクス。

 

「ハハハッ、い~い土下座だなぁ。ハハハハハ! 総評だ! 弱過ぎるぞカミサマ!」

 

 巨人の後頭部を踏みつけながら、デスマスクの嘲笑が響き渡る。

 その言葉の通り、両手を地に付けて頭部を地面へと埋め込まれたリュアクスの姿は土下座以外の何物でもなかった。

 

「おいおい、どうしたよ神様? マンモス哀れな姿だなぁ? 下に見ていた人間から見下される気分を教えてくれよ。それとも、虫けら相手じゃあ本気を出せないのか? それともこの程度が全力か?」

 

 この光景を見ていた者達は言葉を無くしていた。

 聖闘士という存在に、自分達を歯牙にもかけなかったあのギガスを相手に見せたデスマスクの圧倒的なまでの強さに。

 

「チッ、神と聞いて多少は期待していたんだがな……」

 

 不満気に呟かれるデスマスクの言葉。皆がデスマスクの勝利を確信していた。

 これで終わったと。そう誰かが安堵の息を吐いたその時であった。

 

「がぁああああああああぁっ!!」

 

 獣の如き咆哮を上げてリュアクスが立ちあがった。

 その手はデスマスクの左足を掴み取り、彼の身体を一気に引き上げるとまるで小枝の用に軽々と振り回す。

 

「殺す! 捻り潰す!! 叩き潰す!!」

 

 憤怒、屈辱、恥辱。リュアクスの顔は鬼の形相と化していた。

 デスマスクを振り上げて大地に叩き付ける、振り上げて叩き付ける。何度も、何度も何度も。

 

「その身を引き裂き四肢を捩じ切る!! 臓物をばら撒き魂魄すらも破壊する!!」

 

 頭上に振り上げたデスマスクを両手で掴み、その身を引き裂こうとリュアクスが力を込める。

 赤黒い靄の様な何かがリュアクスの両腕に纏われると、それは瞬時に業火となってデスマスクを包み込んだ。

 紅の熔岩、その名が示す通りリュアクスは炎を、熱を操る力を持つ。

 

「虫けらが! 脆弱な人間が! 弱者が強者に逆らうな!! 神が人に屈するなどあってはならんのだ!! 貴様の罪は――」

 

 重い。その一言を口に出そうとしたリュアクスが動きを止めた。

 生きたまま炎で焼き、その身を引き千切る。そうするはずであった。リュアクスにとって決定事項であった。

 この期に及んで手を止める理由は無い。なのに、腕が動かない。

 腕だけではない。脚が、首が、全身が動かない。動けない。

 視覚と聴覚、味覚、嗅覚は正常。しかし、触覚のみが絶たれているという異常。

 耳からは不快な音が、声が響き始め、それが摩耗し始めていたリュアクスの精神をより一層掻き乱す。

 そして“デスマスクの身を包んでいた炎の色が変わる”という、目の前で起きているあり得ない光景に思考が追い着かない。

 赤い炎がその色を徐々に蒼へと変える。蒼が赤を侵食する。

 

「俺の罪が何だ? 強過ぎる事か?」

 

 炎がその全てを蒼へと変えた時、リュアクスの前には依然変わらぬ不遜な笑みを浮かべたままデスマスクが立っていた。

 

「な、何だと! 何だこの蒼い炎は!? なぜオレの身体が動かない! この音はなんだ! この不愉快きわまる声は何なのだッ!!」

 

「積尸気」

 

 そう言って、デスマスクが右手を掲げる。人差し指を立て、まるで天へと道を示す様に。

 デスマスクから立ち昇る異様な小宇宙に、リュアクスは言い知れぬ何かを感じていた。

 遥かな昔に感じた事があったこれは一体何であったのかと。

 

「どうやら声は聞こえても、姿は見えてはいないのか。ならば見せてやろう」

 

 デスマスクがその指先をリュアクスへと向けた。

 すると、リュアクスは周囲に浮かび上がる幾つもの燐光を見た。

 それを認識した途端、これまで以上に悲鳴とも叫びとも、咆哮とも感じ取れる音がリュアクスの脳裏に響き渡る。

 

「ぐぅああああああ!? 煩い、五月蝿い、うるさい!! 何だこの声は!! 何だこの光は!!」

 

 分らない、解らない、判らない。

 己の知の範疇を超えた事態にリュアクスは激しい混乱状態に陥っていた。自分の身体が震えている事にも気が付かない。

 

「その燐光は鬼火。死体から立ち昇る燐気、肉体を離れたヒトの魂の炎。そして、お前が聞いている音はこの場で息絶えた者達の怨嗟の声。どうだ、全てお前が聞きたがっていた声だぞ?」

 

 その言葉を肯定する様に、遺体から、血に染まった大地から次々と燐光が立ち昇り、それらは全てリュアクスへと向かう。

 まるで生者に群がる亡者。燐光はその姿をヒトの形へと変えて、リュアクスの腕へ、脚へと縋り付いていた。

 これが、リュアクスが動きを止めた理由。

 精神を掻き乱す音の正体。

 

「虫けらと嘲り、弱者として一蹴した人間。その魂がお前の動きを封じ、精神を掻き乱していたのだ。知っているか? 一寸の虫にも五分の魂という言葉がある」

 

「う、うわぁ、うおわあああああああああああああああああああああッ!?」

 

「そいつらの怒りと憎しみは余程のものだな。よ~く燃えている。ああ、勘違いはするなよ? 俺は火種を与えてやっただけにすぎん。炎の勢いはお前の所業によるものよ、まあ、自業自得と言う奴だ」

 

 リュアクスに取り着いた燐光が次々と蒼い炎となって燃え上がる。

 その炎がリュアクスの肉体を傷付ける事はない。

 

「これが――“積尸気鬼蒼炎”だ」

 

 蒼い炎が燃やすのは魂。

 リュアクスは肉体ではなく魂そのものを焼かれていた。

 

「おぉぉおおおぉおおおおお!?」

 

「このまま“鬼蒼炎”で焼き尽くしてもいいんだが……丁度良い、カミサマ相手にコイツが通用するか試させてもらう」

 

 蒼い炎に照らされながら、デスマスクが再びリュアクスへと指先を突き付ける。

 

「積尸気とは――中国での蟹座の散開星団プレセペの事。霊魂が天へと昇る穴。そして積み重ねられた死体から立ち昇る鬼火の燐気の事でもある。それが積尸気」

 

 デスマスクの指先に小宇宙が集束する。

 集束した小宇宙は白いオーラへとその姿を変えた。

 

「さあ、時代遅れの骨董の神よ。積尸気を通って再び冥府へと帰れ」

 

“積尸気冥界波”

 

 デスマスクの指先から放たれたオーラがリュアクスへ迫る。

 オーラが身体に触れた瞬間、リュアクスの全身を激しい虚脱感が襲い、次に己の目が映した光景にリュアクスは絶叫した。

 

『う、うぉおあぁあああああああ!? 馬鹿な、なぜオレの身体がそこに在る! オレはここだ! ここにいるのだぁあ――』

 

 それは“力無く崩れ落ちる身体を上から自分が眺めている”という状況に。

 己の魂が肉体から切り離されたという事実に。

 積尸気へと急速に引き上げられる感覚に、リュアクスは自分が再び冥府へと送られる事を理解した。

 あの暗くて寒い場所に戻される。

 一度は光を手にしていながら。

 今度はいつ光を手にできるのか。

 口惜しい。許せない。

 自分をこの様な目に遭わせたあの人間を許す事など出来はしない。

 

(ああ、そうだ。人間の寿命など我等に比べれば余りにも短い。ならば、奴の魂が冥府に来た時に――)

 

「なんて事でも考えているのか? サービスだ。コイツも試させて貰う」

 

「な――に!?」

 

 肉体から切り離されて積尸気へと向かっていたリュアクスの魂。

 その行く手を遮る様に、リュアクスの目の前にはデスマスクの姿があった。

 デスマスクがその両腕を大きく広げた。指先は鉤爪の様に曲げられている。

 そこに灯されている蒼い炎を見て、リュアクスはこれから己に何が起こるのかを理解した。

 

「肉体という鎧を失くした剥き出しの魂。神様とはいえ、コイツに耐えられるか?」

 

 理解して――絶望した。

 

「直に喰らえ――」

 

 耐えられるはずがないと。

 

「じゃあなカミサマ。“積尸気鬼蒼炎”」

 

 意識が消え去る刹那、リュアクスは言い知れぬ感情の正体が“恐怖”であった事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 第15話

 

 

 

 

 

「うわわわわっ!?」

 

 ジャミールからセラフィナを攫った者達の小宇宙を辿り行った長距離テレポーテーション。

 幼い貴鬼にとって負担の大きな能力の行使であったが、セラフィナを助ける為とあれば躊躇う理由はない。

 テレポーテーション自体はこれまでにムウの指導の下で幾度も成功させている。ここ半年の間に限れば失敗した事は一度もなかった。

 異なる点はムウが傍にいない事。万一の事態に対する保険がない。つまりはそういう事なのだが、貴鬼には失敗はしないという自信があった。

 能力を発動させた瞬間に分るのだ。感覚が成功したと教えてくれていた。

 

「うわあ~~っ、お、落ちるぅうううう!?」

 

 それが、どういう事か“失敗”した。

 転移中に感じた普段とは異なる感触。それは全身を包み込む様な抵抗感と、引っ張り上げられる様な奇妙な感覚。

 イメージするならば、水中から何者かによって引き上げられる。腕ではなく足首を掴まれて。

 その異様な感覚に戸惑い、そして目の前に飛び込んできた光景に、貴鬼は混乱し悲鳴を上げていた。

 

 一言、運が悪かった。

 これは、聖域に張られた結界による影響であり、決して貴鬼が失敗したという訳ではなかったのだが、そんな事を本人が知る由もない。

 もう一つ。目的地が聖域だと分っていれば、貴鬼に代わってムウが行っていた。しかし、小宇宙を目印としてのテレポーテーションではそこまで分るはずもなく。

 結果、シャカの誘導もあってテレポーテーション自体は成功したものの到達場所に問題が残った。

 

 聖域の上空である。

 

 失敗したとショックを受けた矢先にこの状況。

 全身に受ける風圧。

 迫り来る建造物。

 敷き詰められた石畳。

 完全に、パニックに陥った貴鬼にはただ叫ぶ事しか出来ない。

 

「ひッ、ひぃやぁああああああ!? ム、ムウ様ぁあああ!? おねえちゃぁあああん!!」

 

 もう駄目だと、貴鬼が諦めかけたその時――ぐいっと、力強い何かが貴鬼の身体を掴んでいた。

 

「……耳元で叫ぶな」

 

 海斗である。貴鬼の身体を小脇に抱え、迫り来る眼下を見据えながら空いた手で聖衣の肩をトンと叩く。

 その瞬間、ガシャンという音を立て、聖衣の背中から純白の翼が展開する。

 

「この程度の高さならコイツでいける……か?」

 

 広げた両手よりも更に大きなそれは天馬の証、天駆けるエクレウスの翼。

 身に纏う際には動きの邪魔にならない様、背中に収納されているパーツである。

 

「うわあぁあ――って。あ、あれ?」

 

 グンと、上へと引っ張られるような感覚と、自分の身体に感じていた風圧が急速に収まった事で、貴鬼は恐る恐る目を開く。

 先程とは異なりゆっくりと迫る石畳。自分を抱えている海斗。その背に広がる聖衣の翼。

 

「すっげぇえ~~」

 

 安全が確保されたと分った途端に余裕が生まれたのか。

 貴鬼はきょろきょろと眼下の光景を見渡し始める。

 真下には巨大な神殿の様な建物が幾つも在り、その建物同士を繋ぐ様に一本の長い階段が続いていた。

 少し視線を動かせば巨大な火時計が見えた。時間を示す場所には幾つかの炎が灯っている。

 貴鬼が見慣れない風景にせわしなく首を動かしていると、その耳に海斗の呟きが聞こえた。

 

「ひょっとしたらパラシュート代わりになるかと駄目元でやってみたが……。翼は飾りじゃなかったワケだ、さすがムウ」

 

「……え?」

 

「黙ってろ、舌を噛むぞ」

 

 何やら聞き捨てならない事をさらっと言われた気がした貴鬼であったが、海斗が聖衣の翼を収納した事を確認すると、急いで口を閉じて落下の衝撃に備えた。

 

 しかし、速度を感じたのは一瞬。何時まで経っても貴鬼が予想していた様な衝撃を感じる事がない。

 

「ん~~んんっ……あれ?」

 

 ふわりと、羽根のように柔らかく海斗は静かに着地を果たしていた。

 

 

 

 

 

 上空からの光景と慣れ親しんだ空気、炎が灯された火時計と回廊によって繋がった宮。

 海斗はここが聖域であり、今自分達が居る場所が十二宮である事を即座に把握した。

 

「ねえ兄ちゃん、ここって?」

 

「……聖域だ。しかも、よりにもよって――十二宮とは」

 

「十二宮?」

 

「怖~い聖闘士の居る場所だ」

 

 貴鬼の問い掛けに返事を返しながら、その実海斗は周辺の様子を窺う事に集中していた。

 自分達の侵入に反応がない事からここが無人の宮だとは推察できたが、何れにせよ海斗としてはあまり長居したい場所ではなかった。

 

「……どうにも妙な感じだな。重苦しい、いや息苦しい感じ、か?」

 

 十二宮はそれぞれの星座に因んだ装飾やオブジェが、各宮の入り口にはそれぞれの星座を示す刻印が刻み込まれている。

 鏡映しのように左右対称に作られた宮。そして入り口に刻まれた双子座の印。

 

「……双児宮、か。だったら、この下が金牛宮で上が巨蟹宮」

 

 この先にアテナが住まう神殿が在る。

 

(今はどうでもいいか)

 

 ふと、脳裏に浮かんだそれを海斗は軽く頭を振って片隅に追いやると貴鬼に問う。

 

「貴鬼、セラフィナの小宇宙は?」

 

「……ううん、この辺りにお姉ちゃんの小宇宙は感じない。でも、とんでもなく大きな小宇宙をあちこちから感じるよ!」

 

「こういう感覚は一流だよなお前。正直、俺はそういう繊細なのは……って、この感じは戦闘の真っ最中か? それで、一番近いのが……」

 

「あっちだよ、大きな小宇宙が四つ。ジャミールで感じたイヤな小宇宙と……バルゴの小宇宙!?」

 

「シャカか。ああ、俺にも分る。で、この纏わり付く様な感じは――エキドナ、いやデルピュネか」

 

 逃がすかよ。そう言って駆け出す海斗。

 

「ちょ、兄ちゃん!?」

 

 待って、と続けて貴鬼もその後を追い――

 

「ふぎゃ!?」

 

 突然その足を止めた海斗。

 走り出した貴鬼は急には止まれない。

 海斗の足――聖衣にぶつかり鼻を抑えて涙目の貴鬼であった。

 

「~~ッ!?」

 

 文句を言おうとした貴鬼であったが、不意に“気が付いて”しまう。

 この場に急速に接近しつつある悪意に満ちた小宇宙に。

 予感に従って背後を、金牛宮を見る。

 

「に、兄ちゃん! 後ろからいっぱい来るよ!!」

 

「時間が惜しいんだがな。ま、後ろから邪魔されるのも面白くないか」

 

 うざったい。そう小さく呟いて背後へと振り返る。

 そこには金牛宮を抜けて駆け上って来るギガス達。

 

「白羊宮はともかく、金牛宮を素通りしたのか? あの人(アルデバラン)は不在なのか」

 

 ギガス達も双児宮の前に立つ二人の姿に気が付いたのであろう。

 明確な敵意と殺意に満ちた攻撃的な小宇宙が二人へと向けられた。

 

「ひいっ!? う、うわわわわっ!?」

 

 遊びでも訓練でもない、貴鬼にとって初めて向けられた敵からの明確な殺意。

 圧迫されるような感覚。

 吐き気を催す様な不快感。

 全身が震え、思わずその場にしゃがみ込んでしまいそうになる。

 未だ幼く、戦闘経験のない貴鬼には、戦いの空気を平然と受け止められるだけの余裕がない。

 

「……え?」

 

 その感覚がぷつりと途絶えた事で貴鬼がゆっくりと顔を上げた。

 

「ほれ、双児宮の中で隠れてろ貴鬼」

 

 そう言って海斗が貴鬼の前に立つ。

 それだけの事で貴鬼の身体からは震えが消えていた。

 貴鬼が見上げた海斗の表情からは、不安も緊張も浮かんでいない。

 むしろ、何がおかしいのか口元には笑みを浮かべてすらいた。

 

「クッ、ククッ。いやいや、まさか俺が十二宮を背に戦う日が来るとは。全く、人生何が起こるか分らない、ってか?」

 

 双児宮を前に、ギガス達を見下す様に立ち塞がる海斗。

 その身からゆらりと立ち昇る青と白の小宇宙。

 海斗の戦意を示すかの様に、徐々にその大きさを増す。

 

「……来たな」

 

 そうして遂に、海斗の目前までギガス達が到達する。

 その数は十人以上。

 

「ほう、ここまで無人の宮が続いたので、我等に恐れをなして逃げたものと思っていたぞ」

 

「……退け小僧」

 

「十二宮にはそれを守護する聖闘士が居ると聞いたが? 小僧、お前がそうか?」

 

「苦しみたくなければさっさと退け。痛みを感じる間もなく殺してやろう」

 

 海斗を前に口々に語り出すギガス。言っている事は違えども、その根底にあるものは同じである。

 

「まあ待て」

 

 その時、両者の間に一際屈強な体躯のギガスが歩み出た。

 

 十二宮がアテナを守る為の砦である以上、それらを繋ぐ回廊には当然の様に侵入者に対する備えも考慮されている。

 この場で最もギガス達に影響を及ぼした事は通路の幅の狭さである。

 並の人間よりも一回りも二回りも巨大な体躯を持つギガス。それが十人も集まれば、同時にはまともに動けるものではない。

 どれ程の数を引き連れようとも正面から対峙するしかなく、仕掛けられる人数も限られる。

 そこまで考えての行動であったのか、単なる驕りであったのか。

 

「たかが聖闘士の小僧一人に我らが全員で掛かる必要もあるまい。このギガス十将の――」

 

「黙れ」

 

 口上を待ってやる義理はないとばかりに海斗が口を開き、相手が名乗りを上げるよりも早く、抜き放った拳がギガスの顔面を打ち抜いた。

 

「ガッ!?」

 

「――遅い」

 

 大きく仰け反り、がら空きとなった胴体に追撃を加える。

 左のボディーブローを受け、巨体をくの字に折り曲げて崩れ落ちようとするギガス。その身体を「邪魔だ」と蹴り飛ばす。

 そして、海斗は密集状態にあったギガス達の中心へと自ら飛び込んだ。

 

「な、何いっ!? エウリュ――」

 

 小僧と侮っていた相手からの予想外の先制攻撃を受けて、ギガス達から余裕が消え去った。

 

「き、貴様あぁあッ!?」

 

「許さんぞ小僧!!」

 

 拳を振り上げて次々と海斗へと迫るギガス。

 

「兄ちゃん!!」

 

 危ない、と。その光景を見ていた貴鬼が叫ぶ。

 

 死ね、と。ギガス達が叫ぶ。

 

 

 

(集束させる……もっと鋭く、もっと速く!)

 

 シュラは言った、小宇宙を研ぎ澄ませと。

 その言葉を思い浮かべ、海斗がイメージしたのは“エクスカリバー”であった。

 求めるのはあの鋭さと速さ。目の前に立ち塞がる全てを撃ち貫くための力。

 突き出された海斗の右拳を中心として放たれる青い光弾。

 

「“エンドセンテンス”!!」

 

 それは海斗の小宇宙の高まりに、意志に応じる様に徐々にその形を変えていく。

 

 細く、鋭く。

 

「な、何だこの光は!?」

 

「ひ、光が……」

 

 光弾が閃光と化し、ギガス達の身体に無数の軌跡を奔らせる。

 

「ッ!?」

 

 眩いばかりの輝きに思わず目を閉じてしまった貴鬼。

 だから分らなかった。黄金の光を放った聖衣の輝きを。

 海斗の身体から立ち昇った小宇宙のビジョンを。

 天駆ける天馬がその姿を変えようとしていた事を。

 

「うぎゃああーーーーーーッ」

 

 嵐の様に吹き荒れる巨大な小宇宙。

 爆発にも似た轟音と、それに混じるギガス達の絶叫。

 巨体が弾かれるように次々と宙へと舞う。

 光は深く、鋭く、金剛衣をものともせずに、ギガス達の肉体に破壊の力を刻み込んでいた。

 砕け散る金剛衣。弾き飛ばされ、舞い上げられたギガス達が次々と大地に叩き付けられていく。

 呻き声もなければ、身動ぎ一つする気配もない。

 

 静寂が双児宮の前に訪れる。

 

「……分っちゃいたが、あの切れ味は俺には無理だな。さすがに門前の小僧、とはいかないか」

 

 海斗から激しく吹き荒れていた小宇宙は、まるで凪の様に穏やかな静まりを見せていた。

 

「貴鬼、終わったぞ」

 

 静寂を破ったのは海斗の声であった。

 ポンと、頭の上に置かれた手の感触に貴鬼が顔を上げる。

 

「どうやら上でも戦闘が始まったな。俺はこのまま行くが貴鬼、お前は――」

 

「おいらも行くよ! 大丈夫、危なくなったら隠れるからさ」

 

「巻き込まれても知らんからな。……離れとけよ」

 

 ジャミールへ戻れ、と言おうとした海斗であったが“言われると思った”とばかりの貴鬼の反応に、隠れてコソコソされるよりはマシかと妥協した。

 

 

 

 

 

 ジャミールを離れる前、ムウは海斗にこう尋ねた。

 

『海斗、君は地上の平和にもアテナの意志にも興味はないのでしょう?』

 

 拳を握り締め、ただ前だけを見る。

 

『己の力を何にどう揮うのかは君の自由。その思想も。しかし、以前にも言いましたが聖衣には意志があります。君を守り、死の淵から新生したエクレウスの聖衣。それを再び身に纏い戦うのであれば、聖衣の意志を裏切る様な真似だけはしないように』

 

 セラフィナは気にもしてはいないだろうが、海斗は命を救われた事を恩だと感じているし、大きな借りが出来たとも思っている。

 やられた事はやり返す。恩を受けたのであれば恩を返す。

 一度死んだ身だからこそ、やれる時にやれる事をすべきだと思うようになって来た。そこには聖闘士も海闘士も関係ない。あるのは“そうしようとする”己の意志だ。

 

「……ちゃんとした礼の言葉もまだだったからな」

 

 そう呟いて、海斗は十二宮を駆け上がる。

 目指すのは十二宮最奥、教皇の間。

 


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