聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第16話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ聖闘士(後編)の巻

「どうやら、この辺りは片付いたみたいだね」

 

 瓦礫に腰掛けた魔鈴が聖衣についた埃を払い落しながら呟いた。

 その身に纏うのは鷲星座(イーグル)白銀聖衣(シルバークロス)

 純粋なプロテクターとしての防御性能を特化させた物が多い白銀聖衣にあって、魔鈴の身に装着されたイーグルの聖衣は敏捷性を重視した必要最低限の部位を纏う程度に留められていた。

 その形状は丸みを帯びた女性的なものであり、どう見ても男性が身に纏う事を考慮された形状ではない。

 所有者を失い聖衣箱の中で眠りについた聖衣は、次の所有者が現れた際にはその者に相応しいカタチとなって目覚める。聖闘士を目指す者に人種や性別、年齢といった制限がない事の理由であった。

 

「……フン」

 

 魔鈴の呟きに答えるシャイナもその身に聖衣を纏っている。

 それは蛇遣い星座(オピュクス)の白銀聖衣。

 イーグルの聖衣と同じく敏捷性を重視している為か、身に纏う部位は青銅聖衣並に少ないが、上半身だけで言えばイーグルの聖衣よりもパーツが多く身を守る範囲も広い。

 それは相手の懐に飛び込み接近戦を仕掛けるシャイナの特性に合わせたカタチとも言えた。

 

「まあ、所詮コイツらはギガスにとっても雑兵なんだろうさ。こんな風に、ね」

 

 そう言ってシャイナは足下に倒れているギガスの徒兵の身体を蹴り転がした。

 邪魔な小石を蹴飛ばす、その程度の動作。その僅かな衝撃で、倒れ伏していたギガスの身体が崩れ去り塵となった。

 風が吹き、塵を空へと舞い上げる。

 それを目で追いながら、「そう言えば」と、シャイナは魔鈴にふと気になった事を問うてみた。

 

「……アンタ、星矢はどうした?」

 

 今二人が居るのは居住区から少しばかり離れた小高い丘であった。

 ここからは居住区全体を見渡す事が出来るのだ。幸いにも、居住区への被害は最小限に抑えられた事が見て取れる。

 聖域からは未だ戦いの気配は消えてはいないものの、悪意ある巨大な小宇宙が次々と消えている。

 その事を感じ取っていたからこそ、こうして世間話を持ちかける程度の余裕が生まれていた。

 

「身の程もわきまえずにおれも戦う、なんてふざけた事を言ったから寝かしつけてきたさ。今頃良い夢でも見ているだろう」

 

「へぇ、そりゃあまた随分と過保護な事で」

 

「どう足掻いたって勝てない相手に挑んで殺されるのは星矢の勝手。でもね、この四年間の苦労が無駄になるのは面白くない。……それだけさ」

 

「無駄、ね。だったら一日も早く聖闘士になる事を諦めさせてやったらどうだい? 星矢じゃあたしが育てたカシオスには勝てないよ。今までもそうだったように、これからもそうさ。変わりはしない」

 

「それが出来れば楽なんだろうけどね。諦めろと言って諦めるような奴ならとうの昔に日本に帰っているよ」

 

 魔鈴はそう言うと、無駄話は終わりだと言わんばかりに立ち上がり周辺の様子を窺い始めた。

 意識を集中し、感覚を広げる魔鈴。その身体からは、うっすらと小宇宙が立ち昇っている。

 これはシャイナには分らない感覚であったが、空から周囲を俯瞰する、そういうイメージなのだと魔鈴から聞いた事があった。

 

(……こういう繊細さはあたしにはないな)

 

 好きか嫌いかで聞かれれば、迷う事なく嫌いと答える。シャイナにとって魔鈴はそういう相手であったが、その能力は認めている。

 状況把握を魔鈴に任せ、手持無沙汰となったシャイナは「何もしないよりはマシか」と呟き、魔鈴の真似事をしてみる事にした。

 イメージするのは水面に落とした一滴の雫。そこから広がる真円の波紋。

 

「何だ? 今感じた小宇宙は……」

 

 何かに当たり、真円がその形を歪めた。歪みが生じたのは十二宮の方向。

 僅かに感じたのは覚えのある小宇宙。白と青、二つの色が螺旋を描く特徴的な小宇宙だった。

 そちらに視線を向ければ煌々と炎を灯す火時計が見える。そこで何かが起こっている事は分っていたが、それが何かまでは分らない。

 一種のトランス状態となっている今の魔鈴には、話し掛けたところで返事が返る事はない。

 

「まさか、ね。この辺りならまだしも、十二宮に海斗が?」

 

 それはないか、と。あらためて意識を集中させてみるが、今度は何も感じない。

 やはり自分には向かないかと、さてどうするかとシャイナが視線を動かし――視界に映る違和感にその動きを止めた。

 

「……何だ? あたしは何に違和感を覚えた?」

 

 見晴らしの良い丘の上。

 ここにいるのは自分と魔鈴の二人だけ。

 周囲にあるのは朽ちた遺跡の瓦礫と塵と化していくギガスの骸。

 四方へと撒き上がる塵。

 

「四方に? 一方ではなく? 風は……吹いていない。なのに――塵が撒き上がる!?」

 

 魔鈴は何も捉えてはいないのか動きを見せる様子はない。自分も何も感じてはいない。

 シャイナは静かに魔鈴へと近付き、半身を下げて身構えた。

 周囲には他の気配は無い。

 それでも、このままでは拙いと、感覚が訴える。

 

(……こういう時は直感に従う)

 

 感覚に従い思考を打ち切る。

 今は考えるよりも動け、と。

 塵が撒き上がる場所。何も無いはずのその場所へ空を引き裂く拳を撃ち込む。

 二発、三発と続けて放つ。

 拳撃は空を切り裂き、雷を纏って大地を穿つ。

 手応えは――ない。

 

「シャイナ!」

 

 背後から焦りの籠った魔鈴の声。

 何だ、とシャイナが問う間もない。

 

「~~ッ!?」

 

 四方から迫る圧迫感。

 脇目もふらず、シャイナはその場から急ぎ飛び出した。

 その直後、大地に十字の亀裂が奔る。

 背後から吹き付ける熱波と飛礫、そして轟音によって宙に浮いていたシャイナの身体が成す術なく吹き飛ばされる。

 

「っぐぅううう!!」

 

「シャイナ!?」

 

 コンマ数秒、シャイナより早く動いていた魔鈴は回避に成功。叫び、シャイナのもとへと駆け寄ろうとして気付く。

 

(飛礫が――砂塵が“あの場所にだけ”届いていない)

 

 遮る物が何もない、見晴らしの良いこの場所で、そこだけが何かに遮られているかのように影響を受けていなかった。

 

「まさか、小宇宙によって姿と気配を消しているのか? 自身の小宇宙を周囲と同化させる事による完全なる陰行……」

 

 右足を引き右拳は腰だめに。構える魔鈴から立ち昇る小宇宙は先程までとはうって変わって攻勢的なものとなる。

 

「……試してみるさ」

 

 相手の正確な位置が分らない以上、必要となるのは手数。

 回避できぬ程の弾幕だ。

 

「“流星拳”!」

 

 それは、秒間百発以上の拳を放つ音速の連撃。その全てがほぼ同時に相手へと突き刺さる拳はまるで小宇宙の散弾である。

 広域へと広がる散弾が、無数の拳撃が空を切る中、鈍い音が響く。数発の拳が見えぬ敵を捉えた。

 

「でかした魔鈴! そこだねッ! 倍にして返してやるよ!!」

 

 立ち上がったシャイナが好機とばかりに追撃を仕掛ける。

 今まで見えなかった敵の姿が、流星拳によって巻き起こされた風によってじわりと浮かび上がろうとしていた。

 

「コイツを喰らった奴は口を揃えてこう言うのさ――まるで、電撃を喰らったようだ、とね」

 

 右手の指先を鉤爪の様に曲げ小宇宙を込めて大きく振り上げる。

 

「受けてみな! “サンダークロウ”!!」

 

 帯電し、バチリバチリと音を立てながら輝くその腕を振り下ろす。引き裂かれた空間に沿って雷光が走った。

 雷の爪。その名の通り、シャイナの繰り出した拳は落雷にも似た轟音を響かせて見えざる敵へと打ち込まれる。

 

「ハッ、見たか!」

 

 確かに感じた手応えにシャイナは勝利を確信し――

 

 

 

『ほう。私の存在に気が付くとは、女の身でありながら――見事』

 

「な、何だ!? 声が、直接脳裏に響いてくるこの声は!」

 

『しかし……神である我に対して拳を向けるその姿勢、やはり人間は邪悪よな』

 

「小宇宙が、巨大な小宇宙がヒトの形を!? お、大きい……十メートル以上? マズイ!! 駄目だ! そこから離れろシャイナ!!」

 

 距離を置いていた魔鈴だからこそ気が付く事が出来た。

 シャイナでは近過ぎて気付けなかった。

 そこに現れたのは群青の炎を纏った巨人。

 

「我が名は群青(キュアノス)の炎《プロクス》也。神の前ぞ。さあ、平伏せ娘よ」

 

 無造作に振るわれる巨腕。

 ただそれだけの動きであったが、巨人が身に纏う破壊の小宇宙はそれすらも必殺の技とする。

 

「――ッ!?」

 

 目前に迫る破壊の力。

 シャイナがそれに気付いた時にはもう遅い。

 先のダメージもあった。

 受けるのか、避けるのか、相討つのか。思考が身体に追いつかない。身体が思考に追いつかない。

 

「あ、あ……」

 

 視界の中、魔鈴がこちらへと飛び出そうとするのがシャイナには分った。

 無駄だ、と言ってやりたいがそんな猶予が無い事は理解している。

 迫る拳。

 この時、不思議な事に、シャイナはこの場を中心として聖域全体の様子が手に取る様に解る、そんな奇妙な感覚を経験していた。

 

(死を前にして小宇宙が爆発したって事か、この感じは)

 

 身体は動かない、なのに思考は澄み渡る。

 今まで感じ取れなかった各地の小宇宙が判る。

 生命と小宇宙は必ずしもイコールではないが密接な関係にある事に違いはない。

 実際、極稀ではあったが五感の一部を失った聖闘士の中には、以前よりも遥かに小宇宙を高める事が出来る様になった者もいたという。

 

(だからってこんな時に。あ~あ、こんなのがあたしの終わりとはね)

 

 悔いは有る。やりたい事もすべき事も。自分は死を目前にしても生き足掻く。

 そう思っていただけに、妙に達観している今の自分に苦笑する。

 

 迫り来る死の瞬間。

 

 ふと、自分が死んだと聞いたらあいつはどう思うのか、と。瞳を閉じたシャイナはそんな事を思い浮かべて――

 

「……?」

 

 何時まで経っても訪れない衝撃。

 痛みすら感じる間もなく死んでしまったのか。

 ならば、今こうして思考している自分は何なのか。

 死を意識した瞬間のあの奇妙な感覚は既にない。

 焦点を取り戻したシャイナの目に映ったのは、視界に広がる一面の赤であった。

 風に吹かれて空へと舞い上がる赤――薔薇の花弁。

 その中で悠然と佇むのは黄金の輝きを纏いし聖闘士。

 純白のマントを翻し、彼は右手に持った一輪の薔薇でプロクスの拳を止めていた。

 

「急ぎ戻ってみれば、何とも無様な状況ではないか。……全く、情けない。シャカやアイオリア、黄金聖闘士が顔を揃えていながら。聖域を汚らわしい巨人族の血で染める事になるとは。実に嘆かわしい」

 

「……何者だ貴様」

 

 問い掛けるプロクスの口調が固い。

 それも当然であった。花一輪で自分の拳を止める。そんな事が出来た相手など話にも記憶にもない。

 

「我が名はアフロディーテ。魚座(ピスケス)のアフロディーテ」

 

 羽織っていた純白のマントを翻し、アフロディーテが名乗りを上げる。

 それに応える様に、宙を舞っていた薔薇の花弁が螺旋の渦と化して一斉にプロクスへと迫る。

 

「ぬうっ!? この様な目眩ましで……ッ!?」

 

 視界を埋め尽くさんばかりの赤。

 小宇宙の込められたそれは、プロクスの視界を奪っただけではなく、感覚すら狂わそうとしていた。

 

「チッ、小賢しい真似を」

 

「そこのシルバー二人、あのギガスの相手はこのアフロディーテが行う。安心して立ち去るが良い」

 

 敵の姿を見失い動きを止めたプロクスを前に、アフロディーテはシャイナ達へ「邪魔なのだ」と言い放った。

 

「なっ!」

 

 助けられた事は感謝するが、邪魔だと、こうもハッキリ言われて素直に引き下がれるシャイナではない。

 

「……よしなシャイナ。相手は黄金聖闘士、言う事には大人しく従うものさ」

 

 いきり立つシャイナを抑え「ほら行くよ」と魔鈴がシャイナの腕を取る。

 

「フッ、分れば良い。それに、どうやらまだ戦闘を続けている地区もあるようだ。そこに向かいたまえ。非力なシルバーでも出来る事はあろう」

 

 

 

「……素直に自分に任せろと言えばいいのにねぇ」

 

「何か言ったかイーグル?」

 

「いえ、別に」

 

 

 

 

 

 第16話

 

 

 

 

 

「ええい、この程度!!」

 

 プロクスが拳を引き構えをとった。腰を沈め両手を正面へと突き出す。

 プロクスの小宇宙によって生じた炎が拳を包み込む。

 炎を宿した両手を広げ、宙を舞う花弁目掛けて振り下ろした。

 

「我らギガスは大地(ガイア)の加護を受けし者! 大地に宿りし炎の力の前にこの様な花弁など!!」

 

 その言葉の通り、次々と燃え上がり灰と化していく花弁。

 視界が晴れたプロクスの視線の先にはその場に立ち尽くすアフロディーテの姿が見えていた。

 握り締めていた拳を開き、その手に纏った炎を指先へと伸ばす。

 

「敵を切り裂き打ち砕く我が炎を受けろ――“焔爪鞭”!!」

 

 それは片手に五本、計十本の炎の鞭となってアフロディーテへと襲い掛かった。

 アフロディーテは動かない。

 

「神の裁きを受けろ!」

 

 振り下ろされる炎の鞭。

 空を裂き、大地を抉り、アフロディーテの身体を捉える。

 炎が引き裂き、粉砕し――その身を燃やし尽くした。

 

「愚かなり、人間よ」

 

 業火の中で崩れ落ち灰となったアフロディーテの姿を一瞥すると、プロクスはその場から立ち去るべく踵を返す。

 先程から共に聖域へと侵入した十将や兵神達の小宇宙を感じ取れなくなっている。

 その事がプロクスに若干の苛立ちと焦りを生んでいた。

 

「千年の封印から目覚めたばかりとはいえ、たかが人間に敗れたのか?」

 

 あり得ぬと、逸る気持ちを抑えて一歩を踏み出し――

 

『――ほう、万全であれば負けぬと? 自ら攻め込んでおきながら、その言い訳は実に見苦しい』

 

「何!? 馬鹿な!! 何故貴様が生きている!? 灰と化した筈だ!!」

 

 聞こえた声に振り返る。

 そこには目の前で灰と化したはずのアフロディーテが何事もなったかの様に悠然と立っていた。

 焔爪鞭で砕いた筈の聖衣には傷一つ無く、焼き尽くしたはずのその身には火傷の痕一つ見当たらない。

 

「こ、これは一体? 我は幻でも見ていたとでも!? それに……何、だ? 力が……入らぬ……」

 

 突如として全身を襲う脱力感。

 膝をつき頭を垂れるプロクスの目に、自らの四肢に突き刺さる紅い薔薇が映った。

 

「その真紅の薔薇は“ブラッディローズ”。お前の血を吸って紅く染まった白薔薇だ。そしてこれが――」

 

 我が身に起こった異変に動揺するプロクスを前に、アフロディーテは続けて一輪の赤い薔薇を差し出した。

 

「これが“デモンローズ”。良い香りがするだろう? と言っても、本来のデモンローズに比べて色も香りも劣る物だがな。この香気を吸った者は幻に囚われ、まどろみの中このアフロディーテの放ったブラッディローズによって更に思考と体力を奪われる」

 

「……馬鹿な、一体、何時の間に? その様な物は……まさかッ!!」

 

 そこでプロクスは思い出した。

 目の前の聖闘士が現れた時の事を。アフロディーテが薔薇の花弁に包まれて現れた事を。

 

「あの宙を舞っていた花弁がそうだったと言うのか!?」

 

「フッ、気付いた時にはもう遅い。このアフロディーテと対峙した時には既に、そうギガスよ――お前は既に敗北していたのだ」

 

「お、おのれぇええええええッ!! 認めぬ! 神が人間如きに屈するなどあってはならぬ!! うオォオオオオオオオ!!」

 

 プロクスの身体から吹き荒れる小宇宙が炎となって、周囲の色を紅蓮に染め上げる。

 爆炎と化した炎が巻き起こす風がアフロディーテのその身を震わせた。

 

「神を前にしてのその傲慢、許すまじ! 神に逆らう人間よ! 貴様は邪悪だ!! 私の手によって神罰を与えられなければならない!!」

 

 身に纏った炎が四肢に突き刺さったブラッディローズを焼き払い、自由を取り戻したプロクスが怒りの咆哮を上げてアフロディーテへと迫る。

 

「愚かな。美しい薔薇には棘があるのだ。無碍に手折れると思っているのならば、それこそが傲慢であると言わざるをえない」

 

 アフロディーテの手にした薔薇の色が変わる。赤から黒へ。

 

「実に醜悪。だからこそ、せめて散り際だけはこのアフロディーテが美しく飾ってやろう」

 

「花弁如きでこの焔爪鞭は止められん! 燃やし尽くして――な、何だとぉお!?」

 

「舞えよ黒薔薇! “ピラニアンローズ”!!」

 

 目前の光景に驚愕するプロクス。

 アフロディーテの放った無数の黒薔薇は焔爪鞭に触れて燃え尽きるどころか、逆に焔爪鞭の炎が掻き消されていく。

 それは、触れる者に死を与える毒を秘めた黒薔薇。

 それは、触れる者全てを破壊する棘を持った黒薔薇。

 そして、遂に放たれた内の幾つかの黒薔薇がプロクスに触れた。

 亀裂を奔らせ金剛衣が、プロクスが崩壊する。

 

「こんな事が……こんな事が……」

 

 それが、プロクスが残した最期の言葉であった。

 

 

 

 

 

 白い巨人アネモスと黒い巨人ブロンテーの戦いは、正しくギガスの在り方そのものであった。

 行く手を阻む兵士達を歯牙にもかけず吹き飛ばし、立ちはだかる青銅聖闘士や白銀聖闘士達はその巨躯を持って象が蟻を踏み潰すが如く粉砕した。

 その行いは千年の時を経ても変わらない。

 母なるガイアより託されし憎悪を持ってゼウス率いるオリンポスの神々を打ち倒す。

 侵略して勝利する。

 蹂躙して支配する。

 それが暴力の権化であるギガスにとっての全て。

 

 しかし――

 

「ば、馬鹿な! 身動きがとれぬ!? それに……何だ、この巨大な小宇宙は!?」

 

「人間が……人間如きの小宇宙が我等に匹敵するなど――ありえん!!」

 

 全身の感覚を麻痺させて、拳を振り上げた体勢のまま動きを止めたアネモス。その前に現れたのは蠍座(スコーピオン)の黄金聖闘士ミロ。

 

「“リストリクション”。この指先から放つ光速の刺突を敵の中枢神経に打ち込み身体を麻痺させる技よ。ヒトのカタチをしているからと、小宇宙を込めて試してみたが……蠍の一指、効果はあったようだな」

 

 ゆっくりと、ミロが右手の人差し指をアネモスに突き付ける。その爪は紅く鋭い。

 

「これ以上、お前達の好き勝手に出来る等と思うな」

 

 片膝をつき腹部を抑えて蹲るブロンテー。その前に立つのは獅子座(レオ)の黄金聖闘士アイオリア。

 静かな口調とは裏腹に、その身から迸る小宇宙は熱く激しく、どこまでも猛々しく。

 ギシリと音が鳴る程に力強く握り締めた右拳を、ブロンテーの眉間へと突き付ける。

 

 暴力の権化が今、明らかな怯えを見せて恐怖に揺らいでいた。

 目の前に立つ二人の若き黄金聖闘士を前に。

 

 力無き人々の嘆きの声を聞き、アイオリアにその“拳”を止める理由は無い。

 戦士達の血に濡れた巨人を前にして、ミロには“慈悲”を与える理由が無い。

 

 ブロンテーはアイオリアの背後に吠え猛る黄金の獅子の姿を見た。

 アネモスはミロの背後にその毒針を今まさに自分へと向ける巨大な黄金の蠍の姿を見た。

 

「もはや――」

 

「貴様ら相手に――」

 

 その言葉に込められた思いに違いはあれども、この時、この瞬間、奇しくもアイオリアとミロの啖呵は一致していた。

 

「問答無用!」

 

 アイオリアの右拳が輝きを放つ。

 

「“ライトニングボルト”!!」

 

 それは雷を纏ったアイオリアの必殺の拳。

 光の一撃。全てを破壊する光速の拳。

 撃ち込まれた拳が空を引き裂き“神鳴り”の如き轟音を響かせる。

 

「このミロが今から放つこの技は……蠍座の星の数、すなわち十五発を撃ち込む事で完成する。降伏か死か、その十五発の間にそれを考えるゆとりを与える慈悲深い技ではあるが――お前達には必要あるまい」

 

 針よりも細く、髪の毛よりも細く。

 ミロの右手から次々と放たれる赤い閃光。

 

「“スカーレットニードル”。これが蠍の真紅の針よ」

 

 相手の中枢神経へと直接撃ち込まれるその一撃は、蠍の毒のような激痛を相手に与える。激痛は身体を麻痺させ思考能力を奪う。

 

「むぅおッ!? な、何だこの傷跡は! まるで針に刺されたこの傷は――ぐぅああああああっ! あ、熱い!! 何だこの痛みは!?」

 

「常人であれば一針、いかに鍛えた者であろうと五、六発も受ければ激痛に耐えきれずに絶命するか、命乞いをするか、発狂する。人を見下し、自ら神を名乗るならば耐えてみせろよ」

 

 アネモスの身体をキャンバスに見立て、金剛衣を打ち貫き刻まれた刻印は、蠍座の軌跡を描くように正確無比に撃ち込まれたその数は十四。

 

「がぁあああああああああああッ!!」

 

「残る一点は蠍座の心臓部に位置する赤い巨星。スカーレットニードル最大の致命点」

 

 アネモスの肉体に刻まれた蠍座の刻印。

 

「スカーレットニードル――“アンタレス”!」

 

 蠍の心臓を狙った致命の一撃。

 それは、アネモスの心臓の位置と一致していた。

 

 光。それが、ブロンテーの脳裏に焼き付いた最期の光景。

 熱。それが、アネモスが感じ取った最期の感覚。

 

「――――――――!!」

 

 大気すら震わせる絶叫。

 それはもはや声ではなく、音として周囲へと響き渡る。

 砕け散る金剛衣。破片を撒き散らしながら衝撃に吹き飛ばされる白と黒の巨人。

 それは互いにぶつかり合い、灰色となって大地へと崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「おかしな事だ。ゼウスすら封じたと豪語しておきながら、たかが一聖闘士の生死すら判断する事が出来ないとは。これではシュラを倒したとの言葉もどれ程信憑性のある物か」

 

 デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。シャカの言う通り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来たのだ。

 ジャミールで遭遇し、拳を交わしたのはつい先程の事なのだ。忘れられるはずが無い。

 

「もう一度言おう。聖闘士を甘く見るな――と」

 

 対峙したシャカの言葉に嘘はない。

 感じ取れる小宇宙は確かにエクレウスのもの。

 しかし、だからこそデルピュネは困惑していた。ジャミールで対峙した時とは明らかに小宇宙の高まりが違う。

 

 そして――

 

(馬鹿な、聖域に侵攻した者達の小宇宙が感じ取れぬ)

 

 十将だけではなく、王に黙って兵神すらも動かした。

 必勝を期しての侵攻であった。

 勝てると、そうヤツは言っていたのだ。

 今の聖域にアテナはなく、兵も無いと。

 

「ク、ククク、クハハハハハハッ! そうか、そう言う事か!! 口惜しい! 口惜しいぞ!! アハハハハハハハハ!!」

 

 そう叫ぶや否や、デルピュネは仮面を抑えながら、まるで気が触れたかの様に哄笑を始めた。

 その異様な光景に、サガもカミュも、目の前で対峙するシャカでさえ何事かと訝しみ動きを止める。

 

「王は知っていたのか? 所詮我等は贄だとでも!? そんな事が認められる筈があろうものかッ!!」

 

 気鬼迫る、そう形容するに相応しいデルピュネの変貌。

 そして、振り上げた右腕から迸る炎が無差別に撒き散らされる。

 

「ムッ、見境なしか? お下がりください教皇。この程度の炎はこの“ダイヤモンドダスト”で」

 

 カミュの放つ凍気の拳がデルピュネの撒き散らす炎を凍結させる。

 

「……これは」

 

 シャカもまた迫り来る炎を相殺していたが、勢いこそ激しいが先程までと比べてあまりにも威力が低い。その事にシャカは疑念を抱く。

 

「何かの策か?」

 

 シャカの考えを肯定する様に、その答えは即座に明らかとなった。

 

「最早貴様等の相手をしている暇などはないわ」

 

 天高く舞い上がったデルピュネが、その身体を何もない空間へと溶け込まそうとしていた。

 アンブロシアと言う物にあれほどの執着を見せておきながら、突然の逃げの一手。

 

「転移するつもりか? だが、逃がさん」

 

 その動きに反応したのはカミュ。

 転移される前に仕留めると拳を向けたが、突如左右から襲い掛かって来た炎の蛇にその動きを止められてしまう。

 

「炎蛇だと!? そうか、先程の炎に紛れて!」

 

 無差別に放たれたかに見えた炎は、一カ所に集まると巨大な炎の蛇の姿となってこの場にいる者達全てを焼き尽くそうと動き出す。

 カミュが見上げた先では既にデルピュネの半身は空間に溶け込んでいた。

 

(くっ、これでは間に合わん)

 

 そのカミュの目がデルピュネへと向かう一筋の光を捉えた。

 それは純白の聖衣を纏った聖闘士の姿であった。

 

「海斗か!」

 

 教皇の言葉に、この者が、とカミュが注目する。

 青銅聖闘士と聞いてはいたが、纏う聖衣の質は、その小宇宙は青銅のそれではない。

 

「キ、キサマ――」

 

 デルピュネも自身に迫る海斗の存在に気付いていたが、既に転移に入っていてはどうする事も出来ない。

 伸ばされた海斗の手がデルピュネの肩を、その身に纏っていた金剛衣を掴む。

 

「セラフィナは返してもらう。聞けないと言うのなら――」

 

 ぞくり、と。静かに告げる海斗の様子にデルピュネの身体が震える。

 

「テメエら全員、残らず――」

 

 デルピュネの耳にビシリと、掴まれた肩から金剛衣の砕ける音が聞こえた。

 

「叩き潰す」

 

 その言葉だけを残し、海斗とデルピュネは聖域の空からその姿を消した。


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