聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第19話 Never~魂の記憶~!の巻

 ポルピュリオンは無言のままエキドナの左腕を掴み上げると、真紅のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。

 

「う……あっ……」

 

 その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がったがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナであった少女の身体を投げ捨てる。

 

「あ、がっ」

 

 祭壇に叩き付けられた少女は、セラフィナの身体に覆い被さるようにして力無く崩れ落ちた。

 

「聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とした。それは良い。しかし、その者にこのルビーを与えていたとは。ドルバルめ、下らぬ事を考える」

 

 手にした腕輪から真紅のルビーを外したポルピュリオンは、それをセラフィナの胸へと押し当てた。

 途端にルビーから赤い闇――そうとしか形容の出来ない何かが溢れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始める。

 

「ク、クククッ。フハハハハハハハハ――」

 

 赤い闇が、セラフィナだけではなく、倒れた少女や哄笑を上げるポルピュリオンにも迫る。

 

「いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います」

 

 全てが赤い闇に呑み込まれる中、ポルピュリオンの声だけが広間に響き渡った。

 

「全ては我らが――“王”のために!」

 

 セラフィナの身体に押し当てたルビーを、胸元から下腹部へゆっくりと引き下げる。

 すうっと、まるで刃物に当てられたかの様に、セラフィナの白い肌に一条の赤い線が浮かび上がる。

 つうと流れる赤い血と、ルビーの中から湧き上がる熱に、その時、ピクリと、セラフィナの瞼が、身体が動いた。

 

「……目覚めたか娘よ」

 

「……うっ……く、あ、あなたは……?」

 

 セラフィナの霞がかった思考、ぼやけた視界が徐々に鮮明になり、その瞳に目の前に立つギガスの姿がはっきりと映る。

 

「――ッ!? あの人は?」

 

 それによって瞬時に覚醒する意識。ここがどこなのか、自分に何があったのかをセラフィナは思い出す。

 

「くっ!」

 

 鎖に絡め捕られ身動きが取れない事は分っていたが、それでも、と身を乗り出してある人物の姿を探す。

 それは、自分をこの場所に連れてきた敵――仮面を着けた少女であり、仮面を捨て、自分を守るために戦ったエキドナの姿を。

 直ぐに見つかった。自分の足下に。血にまみれた姿で。

 

「~~ッ!! ギガスッ!!」

 

 その無残な姿にセラフィナが激昂した。

 自分を戒める鎖を振り解こうと激しく身体を動かすが、黒い鎖はその戒めを緩める事は無く、むしろセラフィナが動けば動くだけ、高めた小宇宙に応じる様にその身をきつく縛りつける。

 拘束された手足――鎖の触れた個所から血が流れて出してもセラフィナは抵抗を止めなかった。

 

「解せんな。アレはお前の敵であり、今やただの“物”だ。人の言う繋がりとやらがある相手でもあるまい。お前がそこまで激昂する意味が解からぬ」

 

 人間の機微とやらは理解出来ん。ポルピュリオンはそう呟くと、セラフィナの下腹部に押し当てた手に、そこにある真紅のルビーに力を込める。

 

「あッ――ぐうッ!」

 

 押し当てられたルビーが、まるで心臓の鼓動を思わせる様に、妖しい明滅を繰り返す。

 下腹部から浸透する様に熱が全身の隅々にまで広がり、セラフィナの全身から夥しい汗が噴き出していた。

 肌は紅潮し、乱れた鼓動が呼吸を狂わせ荒い息を吐かせている。

 

「だが、お前は違う。偉大なる神の、王の母となる身だ。アレの様には無碍にはせん」

 

「あ――ハァ、は――ッ、ハァ……う……っぅ」

 

 裸身のまま磔にされた自分、母という言葉。

 これから自分の身に何をされるのかは分らずとも、その果てに何が起こるのかは想像出来る。

 それが、とてもおぞましい事だと。

 自分は、きっとその現実に耐える事ができないだろうという事も。

 

「――っ、グッ、あ……くうッ……ッ!!」

 

 泣き叫び許しを請えればどれだけ楽か。

 助けてと、叫ぶ事が出来たなら。

 しかし、セラフィナは、口から漏れ出そうになった悲鳴を懸命に堪えていた。

 それは意地だった。

 聖闘士としての意地であり、女としての意地であり、セラフィナという少女の十六年の生に対する意地だ。

 

(わたしを母とすると言った。だったら……)

 

 少なくとも、目の前のギガスの目的の為には自分が必要であるという事。目的を果たすまでは命を奪うつもりは無いという事。

 つまり、自分に居なくなられては、死なれては困るという事だ。

 どのような仕組みなのかは分らないが、聖闘士としての力を持ってしても己の身を戒めるこの黒い鎖から逃れる事が出来ない。

 少なくともここから自力で逃れる事は無理だろう。

 ならば、助けを待つのか? どことも分らぬこの場所で? 誰が? どうやって?

 こうして考えている間にも時間は刻一刻と過ぎている。押し当てられたルビーから感じる熱が増している。その明滅も間を置かずに激しいものへ変化し始めていた。

 おそらく、残された時間も僅かしかないはずだ。

 

 つまり、ここから逃れる事は不可能。

 選択肢が無くなったという事。

 ならば、残る手立ては一つだけ。それだけしかセラフィナの取れる手は無かった。

 

(……ありがとう)

 

 セラフィナは瞳を閉じ、瞼に浮かぶ親しき人たちへ、届かないとは分っていても、心からの感謝を想った。

 

(怒るかな?)

 

 いつも澄ました表情で、滅多な事でもない限り感情を乱す事のないムウ。

 

(泣いちゃうのかな)

 

 お姉ちゃん、と。小さなころから自分を慕ってくれた可愛い弟。

 そして、

 

(……あ……)

 

 伸ばされた手と手が触れ合った瞬間を、セラフィナは覚えている。

 つい先程の事だったのだ。忘れるはずが、忘れられるはずがない。

 自分を守る為に戦ってくれた海斗の事を。

 あの後にどうなったのかは分らないが、せめて無事であればと願う。

 話したい事も、聞きたい事もたくさんあった。

 それでも――

 

「――ごめんなさい」

 

 思考を打ち切り、想いを、言葉を口に出す。決別の言葉だった。

 これ以上は決意が、覚悟が鈍りそうだったから。

 

 泣いてしまいそうだったから。

 

 命を断つ。

 

 自分にできる事はもう――これしかないのだから。

 

 

 

 

 

 ~聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~

 

 

 

 

 

 海斗と呼ぶ声があった。キタルファと呼ぶ声があった。

 エクレウスと呼ばれて振り返る。シードラゴンと呼ばれて振り返る。

 男がいた、女がいだ。子供がいた、老人がいた。

 聖闘士がいた、海闘士がいた。

 友がいた。敵がいた。親がいた、兄妹がいた。

 知らない顔だ。だが、自分はその名を知っている。その名を知っている。だが、自分はその顔を知らない。

 踵を返して東京の街中を歩く自分がいた。聖域を歩く自分がいた。

 太陽が昇り朝を迎え、月が昇り夜を迎える。

 朝が来れば目を覚まし、夜が来れば眠りにつく。

 何度も何度も目を覚まし、何度も何度も眠りにつく。

 

 どれ程それを繰り返したのか。

 次に“海斗”が目を覚ました時には、その身は石造りの簡素な一室の中にあった。

 年季の入った木の机とベッドがあるが、部屋の中にはそれぐらいの物しか無かった。この部屋は寝床でしかないのであろう。

 ベッドから起き上がった海斗は何も身に纏ってはいなかったが、その手には一冊の古びた書物が握られていた。

 擦り切れ、色褪せたその本には多くの破れがあり、欠落した様にページが抜けている場所もある。

 文章は検閲でもされた様に黒塗りの箇所が多く、内容を完全に理解しようとするのならば多大な労力が必要となるだろう。

 そこに記されているのは、名も無き一人の男の生涯――その十七年間の記録であった。

 男の喜びと悲しみ、平穏と闘争、想いと怒りが綴られた物語であった。

 

「……細部は違えども、大まかな流れは同じ。だから、か?」

 

 海斗は開いていた本を閉じると溜息を吐く。

 圧し掛かる様な倦怠感に眉を顰めて頭を振った。

 理解が出来た。共感が出来た。

 男の心情がまさしく手に取る様に。

 だからこそ、それが尚更腹立たしく、どうしようもなく海斗を苛立たせる。

 同情も出来た。しかし、納得は出来ない。納得する事が出来ない。

 

 本はその役目を終えたのか、形を崩しながら海斗の手からずるりと滑り落ちた。そのまま崩れ去り、灰と化した。

 

「……」

 

 握り締められた海斗の拳。

 ゆっくりと広げられたそこから零れ落ちた灰がふわりと舞い上がり、周囲へと広がる。

 

「こんなモンを見せたのは、俺には無理だから、と? だから……諦めろ、って事か?」

 

 呟く海斗の目の前で、舞い上がった灰が一カ所に集まり男の姿となった。

 

「……そうだ。あるいは、とも思いはした。だが、駄目だ。お前は――弱い。オレよりも弱いお前が、オレに出来なかった事を出来る訳が無い」

 

 それは、海斗の知らない形状をした、しかし紛れも無くエクレウスの聖衣を身に纏ったキタルファであった。

 向かい合った海斗の身にも、ムウの手によって新生されたエクレウスの聖衣が傷一つ無い状態で纏われている。

 

「知識、経験、技量、覚悟。何かを成そうとする強靭な意志。揺るがぬモノがお前には――」

 

「――黙れよ」

 

 キタルファの言葉を遮ったのは海斗の拳。

 突き出されたその拳がキタルファの顔面を捉える。

 キタルファの頭部を覆っていた聖衣のヘッドギアが弾け飛び、甲高い音を立てて床に落ちる。

 

「お前と比べりゃ、俺に足りないモノが多い事ぐらい分っているさ。だがな、意志や覚悟の強さなんてモノを――お前が語るな」

 

「確かに……お前の言う通りだ。全てを諦めたオレの言えた事ではないな。だが、ならばこそ、どうするのだ? 強い想いは揺るがぬ意志となって熱く小宇宙を燃やす。想いが力となる。それは事実だ」

 

 キタルファの手が突き出された海斗の拳を掴み、ゆっくりと引き離しながら言葉を続ける。

 

「しかし、それも土台となる力があってこそだ。極限まで高められた小宇宙は奇跡を起こすと言うが、容易く起こらぬから奇跡なのだ。起こるか起こらぬか分らぬ奇跡に縋れる余裕は無いぞ? 今、お前にとって必要なのは障害を吹き飛ばせるだけの、目の前の敵を打ち倒せる確実な力なのだ」

 

 キタルファの諦観に満ちた瞳が項垂れた海斗を映す。

 キタルファが掴んだ海斗の拳からは力が抜けていた。

 

「それが、お前には――足りていない。だから、諦めろと言ったのだ」

 

 それに対してキタルファが思う事は少ない。ただ、やはり自分は自分であったかと思っただけだ。

 いつしか、二人のいた部屋の中から机が消え、ベッドが消えていた。

 天井が消え、壁が消え、床が消え、部屋そのものが消えていた。

 何もない白の世界に二人の姿だけがあった。

 やがて、二人の輪郭が白の中に溶け込み始め、自分と言う輪郭が消えて行くのをキタルファは感じていた。

 おそらくは死へと向かっているのだとキタルファは認識した。世界が白だけに染められた時に、この生も終わるのだと。

 

「――足りないのならば、補えばいい」

 

 そのキタルファの意識に熱い何かが触れた。

 海斗だった。

 白に溶け込んだはずの海斗が、ハッキリとした輪郭を持ってそこに在った。

 

「――力なら、在る。分らないか? 直ぐ側に在る事が」

 

「……お前は……」

 

 ニヤリと口元を歪めて笑う海斗の眼差しを見て、キタルファは同じだと思った。

 その笑みは、自分が海闘士として、シードラゴンとしての生きる事を受け入れた時に時に浮かべた笑みと同じだと。

 来い、と呟かれた海斗の声を最期に、キタルファの意識が、意思が、自分を自分とする要素の全てが、白の中へと消えた。

 

 

 

 

 

 第19話

 

 

 

 

 

 海斗の肩に手を回したメフィストフェレスは、さも旧年来の友人にそうするかの様に気安く、気さくに語り続ける。

 

「さあ、ここに力があるぞ? 手を伸ばす、それだけでいいんだ。なぁ、助けるんだろう? あのお嬢ちゃんを。助けたいんだろう? このままじゃあ間に合わないぞ?

 認めたらどうだい? 受け入れればどうだい? 分っただろう? 今のままのお前さんじゃあ無理なんだ。でも、コイツがあれば助けられる! 勝てる!! 何者にも負けやしないさァ!!」

 

 ピクリと、これまでメフィストフェレスが何を語っても反応を見せなかった海斗の身体が、指が動いた。

 

「我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウス。いや――」

 

 それを見て、とても、とても楽しそうに、愉しそうに、メフィストフェレスは笑みを浮かべ――嗤った。

 

「我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウス。いや――新たなる天雄星ガルーダよ」

 

 ゆっくりと伸ばされる海斗の手。

 その動きに呼応するかの様に、ガルーダの冥衣が震えた。胎動を始めた。

 二百数十年の時を経て、再び依り代を得る事への歓喜によって。

 

 冥衣は聖衣とも鱗衣とも、その在り方が根本的に違う。

 冥衣を得るのではない。

 冥衣が得るのだ。

 

 冥衣――ガルーダの瞳が妖しく輝く。

 

 ――さあ、早く手にしろと。

 ――その身を委ねろ、と。

 

 そして、ついに海斗の手が冥衣に触れる。

 ガルーダの冥衣が一際大きく震えた。

 魔鳥が羽ばたき、その身体を人の身に纏わせるための鎧へと変化させて、新たな器の――海斗の身体を覆い尽くす。

 

「お一人様ご案内~~っと」

 

 ここから先は全て冥衣が済ませる事。自分に出来る事は、する事は何も無い。

 

「ほい、お仕事終了。いや~、イイコトをした後は気分が良いねぇ」

 

 メフィストフェレス自身、海斗に対して興味と期待は確かにあったが、それだけだ。

 

「もしかしたら、とは思ったんだがな。やはり本命はペガサスか」

 

 その関心は既に海斗には向けられてはいなかった。

 

「期待していた流れにゃあならなかったが、暇潰しとしてはそれなりに楽しめたよ少年」

 

 そう呟き、メフィストフェレスが海斗に背を向け――

 

「!? な、何ぃッ!?」

 

 その瞳が驚愕によって大きく見開かれた。

 

「おいおいおいおいおいおいおいぃっ!? 冗談じゃないっての!」

 

 メフィストフェレスの足下から、眼前から、背後から。

 四方八方から次々と撃ち込まれる光弾がこの“留まった空間”に、モノクロームの世界に無数の亀裂を生じさせる。

 

『こそこそと見ているだけなら見逃しもしてやろう。――だが!』

 

 閉ざされた空間に響き渡る第三者の意思。

 強大な攻撃的小宇宙が空間を満たし、メフィストフェレスの生み出したこの世界を内側から破壊した。

 異界の扉が開き、メフィストフェレスと海斗の姿が赤みを帯びた洞内に現れる。

 

「うおっとお!? バレてたとは思わなかったよ、さっすがカミサマってか! 怖い怖い!!」

 

「貴様は瀕死のエクレウスを異界へと隠し、あの破壊の光から逃がした。わたしとエクレウスの戦いに水を差したのだ。その罪は――その命で償ってもらうぞ!!」

 

 メフィストフェレスの眼前に現れたのは、憤怒の表情を浮かべ攻撃的小宇宙を燃やしたトアス。

 トアスの眼前に現れたのは、笑みを浮かべたメフィストフェレス。

 

「“アヴェンジャー・ショット”!」

 

 メフィストフェレスへと迫る無数の光弾。

 触れる物全てを破壊するその光を前にして、メフィストフェレスの笑みが深まった。

 

「んはっ! いいねぇ、でも――さぁッ!!」

 

「何!? まさか! アヴェンジャー・ショットが“止まった”だと!?」

 

 あり得ない、と。その事実に驚愕するトアス。

 目の前の敵がした事は、ただ右手を振り上げただけ。

 放たれた光弾の、その全てが、メフィストフェレスの身体に触れる事無くその場に留まっていたのだ。

 トアスの驚愕はそれだけでは終わらない。

 メフィストフェレスがパチンと指を鳴らしただけでアヴェンジャー・ショットの光弾が掻き消され――

 

「ほ~ら、お返しだ。受け取りな」

 

 メフィストフェレスの手から放たれる“アヴェンジャー・ショット”。

 それは、自分が放ったものよりも速く、重い。

 

「……流星拳、なんちゃってな」

 

 そう言ってシルクハットのつばを抑えながら、メフィストフェレスが笑う。

 

「がはあっ!!」

 

 洞窟内にドゴンと、大きく重い音が響いた。トアスは背後にあった青銅の扉へとその身を叩き付けられていた。

 衝撃により洞内が大きく揺れ、壁の、天井の崩落が加速する。

 

「き、貴様あッ……」

 

 落ちてきた岩盤を押し退けて立ち上がるトアス。その両目が大きく見開かれた。

 

「全く、そちらさんに関わる気は無かったって~のにさ」

 

 メフィストフェレスは追撃する事よりもタキシードに降りかかる粉塵を払い落す事を優先し、やれやれと、大げさに肩を竦めて見せた。

 演技であった。

 関わる気が無かった事は事実であったが、こうして直接的に関わってしまった以上は楽しまなければと考えていた。

 先の戦いを見ていた事で、トアスの性質は把握している。

 目の前でこのような態度を取られればどう動くのかも。

 

(さあ、どうするね?)

 

 純粋な好奇心であった。

 果たして、目の前のギガスは自分の思い通りに動くのか。それとも、と。

 

「……おんや?」

 

 しかし、どれだけ待っていてもトアスは動かない。

 

「何だ? 動こうともしていない? 動けない程のダメージでも無かろうに」

 

 よく見れば、トアスのその視線は自分を見ていない事に気付く。もっと遠くの何かを見ていた。

 

「後ろか? 後ろに何が――」

 

 メフィストフェレスがトアスの視線を追う為に振り向いた、その瞬間であった。

 目の前を黒い弾丸が通過した。

 ガシャンと、洞窟内に甲高い音が響き渡る。

 一度だけではない。

 二度三度と、続けてである。

 

「――こいつぁ!?」

 

 漠然とではあったが、確かに感じた不安。己の直感を信じてメフィストフェレスはその場から飛び退いた。

 トアスに背を向ける形となるが気にしてはいられない。

 そんな事よりも、もっと重大な事が目の前で起きていたのだから。

 

 音の正体は、海斗の身体から弾き飛ばされた冥衣のパーツが洞内にぶつかる音であった。

 それは、海斗の“意思”が“冥衣の意思”を拒絶した――凌駕した証。

 

 もしかしたら、とは考えていた。

 

 五感を失い、血を失い、肉体は生命の危機に陥った。

 あの少女を使い、そこからさらに精神を追い詰めた。

 素養はあったのだ。

 幾度となく黄金化を果たした聖衣がそれを証明している。

 想定通り、海斗は五感を超えた第六感、そのさらに先にある超感覚である第七感――すなわちセブンセンシズ、小宇宙の真髄に辿り着いたのであろう。

 

 それは良い。

 それは良いのだ。

 メフィストフェレスにとって、新たなる天雄星の誕生など、どうでも良い事であったのだから。

 冥衣を受け入れればそれで良し。

 この先の聖戦で、きっと良い駒となるであろうから。

 拒むのならばそれも良し。

 エクレウスという役者が繰り広げるであろう舞台を、こうして特等席で見続けられるという事なのだから。

 

 しかし、これは違う。

 こんな事は想定すらしていなかった。

 

「……アドリブにだって限度ってものがあるでしょうが」

 

 メフィストフェレスの目の前で、トアスの視線の先で海斗が“変わる”。

 黒い髪はブロンドに染まり、色彩を失っていた瞳は本来の濃褐色から澄んだ青色へと。

 額に、腕に、胸に、足に。

 破壊されたエクレウスの聖衣から発せられる純白の輝きが、まるで光の衣を纏わせるかの様に海斗の身体を覆っていく。

 ムウの手によって新生された聖衣が重厚な防御性能を重視した“鎧”であったとするならば。

 曲線を多用し、身体に密着する様に、全身を覆う様に纏われたそれは、まさしく“聖なる衣”。

 海斗の身体から立ち昇った白と青の小宇宙が、螺旋を描き巨大な光の柱へとその姿を変える。

 青と白が交じり合い、混じり合う。

 二つの色が一つになる。

 それは空の青。スカイブルーのようであり。

 それは海の青。アクアブルーのようでもある。

 血を奪われ、五感を奪われ。

 碌に身動きの一つも取れなかったはずの海斗が、迸る自身の小宇宙が生み出した光の中でゆっくりと立ち上がった。

 

「ふ、ふふふ、ふは、ふははははははははっ!! やはり、やはり運命だったのだ!!」

 

 メフィストフェレスの背後から、狂ったかの様な笑い声が聞こえる。

 背後へとちらりと視線を向ければ、そこには“狂喜”としか形容出来ない表情を浮かべたトアスが全身に小宇宙を滾らせて立ち上がっていた。

 

「覚えているぞ、その聖衣だ! その髪だ! その瞳だ!! なぜ、も。どうして、も。そんな言葉は、理由は重要ではないッ! 君が目の前にいる、それが全てだ!! 逢いたかったぞ――キタルファアッ!」

 

 言うが早いか。トアスはメフィストフェレスの存在など知らぬとばかりに飛び出していた。

 事実、この時のトアスには立ち上がった海斗の、キタルファの姿以外は何も見えてはいなかった。

 

「今こそ、千年の決着だキタルファ!!」

 

「なッ、速えっ!」

 

 その速度は、メフィストフェレスの目をして速いと呼ばせる程。

 

「そして、わたしが勝つ! “アヴェンジャー・バースト”!!」

 

 放たれるのはトアスの真の必殺拳。

 その勢いは、これまでのアヴェンジャー・ショットとは比べ物にならない程に凄まじく。

 トアスの千年の執念、妄執とも言えるその全てが、この拳に込められていた。

 

 しかし――

 

「な!?」

 

 その閃光の全てが、海斗の身体を――すり抜けていた。

 

「マジか!?」

 

 トアスの驚きとメフィストフェレスの驚きは異なる。

 両者から間合いを離し、全体を見渡せていたメフィストフェレスだから分った事。

 海斗の姿は既にその場所には無い事を。

 

「トアスッ! お前の妄執に付き合っている暇は無いッ!!」

 

「――妄執だと? 違うッ、これは愛だッ!! 狂おしいまでのッ!!」

 

 海斗の姿はトアスとメフィストフェレス、二人を直線に並べる位置にあった。

 海斗が両手を左右に大きく広げて円を描く。

 それは、これまで一度たりとも海斗が見せた事のない構えであった。

 それを見て、メフィストフェレスの表情から、その目から笑みが消えた。

 

「ッ!? あの構えは!!」

 

 果たしてそれは幻であったのか。

 二人を見据える海斗の瞳は濃褐色に、ブロンドに染まっていた髪の色は黒に戻り。

 五体を覆っていたはずの純白の聖衣は、亀裂と破損にまみれた、破壊された聖衣へとその姿を変えていた。

 

「力なら在った。手を伸ばせば届く程近くにな。知識、経験、技量。俺に力が足りないのであれば、補えばいい。拒絶では無く、受け入れる。それだけでよかった」

 

 ただ一つ。

 それが幻でなかった事の証があった。

 

「千年前の因縁か。悪いが、そんな事は後回しだ。そしてメフィストフェレス、礼を言うぜ。お前が何を企んでいたのかは分らんが、おかげで自分を見つめ直す機会を得られたよ」

 

 海斗から立ち昇る、混じり合い一つの色となった強大な小宇宙である。

 

「受け入れてしまえば、一つになれば自分が自分でなくなる。そう思っていたからこそ拒んでいたし反発もしていたが、意外としっくりくるのが笑えるな」

 

 エクレウスの聖衣が黄金の輝きを放つ。

 まるでこれが最期の輝きだとでも言わんばかりに。

 

(海斗)オレ(キタルファ)だってな」

 

 海斗の両手に膨大な小宇宙が集束する。

 それは、まるで銀河に浮かぶ星々のように光り輝いていた。

 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。

 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから互いの天地を入れ替えるように回された軌跡は真円を描く。

 意識して行っている訳ではなかった。

 ただ、身体が動くままに任せているだけであった。

 それでも、海斗自身にはこれから何が起こるのか、その結果ははっきりと分っていた。

 

 なぜなら、自分はその技の威力は身をもって知っている。

 

 なぜなら、自分はその技を誰よりも間近で見続けていた。

 

 なぜなら、自分はその技を同胞へと――己の師へと向けて放っていた。

 

(……記憶に引き摺られ過ぎるな。罪の意識も後悔も、今は、必要ない。想うのは過去ではなく未来だ)

 

 聖域での生活は、なかなか胃に来るモノが多くはあったが――悪くはなかった。そう思う。

 この数週間、ジャミールでの生活は退屈ではあったが――悪くはなかった。そう思う。

 セラフィナがいなくなれば、ジャミールでのあの生活は失われる。

 澄ました顔のムウとだけの生活では貴鬼は寂しがるだろう。

 救えなかった事を責められるのは構わないが、泣かれるのは面倒だ。

 シャイナの時もそうだったが泣かれては困る。どうすればいいのかが分らない。

 

「フッ」

 

 堪え切れずに笑みがこぼれた。

 こんな状況にあって自分は一体何を馬鹿な事を考えているのか、と。

 

 ああ、そうだと海斗は思い出す。

 

『思いましたよ、わたしはボロボロの海斗さんしか見てませんから!』

 

 セラフィナがギガス達に襲われた時だ。

 助けてやったのにあの感想はない。

 あれでは、まるで自分が負けっぱなしのようではないか。

 自分が最強だ、などと言うつもりはないが、誤った認識は正さなければならない。

 

(――そのためにも!)

 

 ――今、何よりも優先すべき事だけを考えろ。

 

 ――あの扉の向こうから感じるのは紛れも無くセラフィナの小宇宙。

 

 ――そこに居る。

 

「セラフィナは返してもらう」

 

 

 

「チイッ! なんてモンを隠し玉にしてやがったんだ!!」

 

 メフィストフェレスは思わぬ因縁に舌打ちした。

 ブラフかとも思ったが、海斗の視線がどこを見ているのかを悟り確信した。間違いなく“使える”のだ、と。

 

「そうだったよなぁ! 千年前のエクレウスの師はジェミニのカストル。あの大甘な兄ちゃんなら、己の奥義を可愛い弟子に伝えないワケがない!!」

 

 肉体に宿る“魂の記憶”、聖衣に宿る“魂の記憶”。

 あり得ない話ではない。

 事実、二百数十年前の聖戦に於いて、メフィストフェレスは“魂の記憶”が引き起こした奇蹟を目の当たりにしていたのだから。

 

「しかも、さっき見せたあの変化は……気付ける訳が、想像できるはずか無いだろうが! ははっ、……少~しばかり、追い詰め過ぎったって事か。笑うっきゃね~よな、オイ」

 

 海斗の視線の先にあるのは王の間への道を閉ざす青銅の扉だ。

 自分とギガス、そしてあの扉。全てをまとめて吹き飛ばす気なのだと、メフィストフェレスは理解した。

 なるほど、確かにあの技をもってすれば可能であろう。

 ジェミニの黄金聖闘士に伝えられる最大の拳。銀河を砕くとまで言われたあの技ならば。

 その威力は自分自身が骨身に染みて知っているのだから。

 

 

 

 トアスは見た。

 軌跡の中から迫り来る銀河の姿を。無数の星々の煌めきを。

 

 メフィストフェレスは――笑っていた。

 堪らない、と。

 どこまで楽しませてくれる気かと。

 

「前の聖戦にエクレウスの姿は無かった。そうだ、この千年、エクレウスの魂は冥界のどこにも存在してはいなかった。その痕跡すら。てっきりお花ちゃんの仕掛けかとも思ったが……」

 

 海斗が天地を宿した両の手を打ち合わせた。

 メフィストフェレスの目の前で、煌めく星々が、銀河が――爆砕する。

 

「んははっ! 千年前のはノータッチだったってえのにさァ!! ナルホド! お前が跳ばしたんだな!? ハハハハッ!! とんだ意趣返しだ! コイツァ確かに因縁だよ! 確かに、二百年前の聖戦では色々とやらしてもらいはしたがなァ……。 図らずも、先にちょっかいを掛けてくれたのはジェミニの方だったってワケかい!!」

 

 洞内を埋め尽くす破壊の光。

 それは宇宙の始まり――ビッグバンの輝きにも、星の終焉――超新星の輝きにも似て。

 

 ――“ギャラクシアンエクスプロージョン”!!

 

 トアスを、メフィストフェレスを、そして行く手を阻む青銅の扉を。

 海斗の前に立ち塞がる障害の全てを光が呑み込んで行く。

 

 

 

 そして――

 

「ぬぅ!? 何だこの光は! この小宇宙は!?

 

 赤い闇を吹き飛ばし、光が王の間を埋め尽くす。

 背後から迫る破壊の、衝撃の波にポルピュリオンが動きを止めた。セラフィナの身体に押し付けられていた真紅のルビーが光を失い零れ落ちる。

 

「聖闘士か。まさかトアスを打ち倒しこの場に現れるとはな」

 

 ポルピュリオンが振り返る。

 そこにあったはずの青銅の扉は周囲の岩肌ごと消滅しており、ぽっかりと大きな口を開けていた。

 そこから姿を現したのは、見るも無残に破壊された聖衣を纏った男。

 その身は血と砂塵にまみれながらも、瞳の輝きは、小宇宙は、僅かの陰りさえ見せてはいない。

 

「……え……あ……」

 

 これは一体何の冗談なのだろうかと。

 セラフィナは目の前の光景に言葉を失っていた。

 

「……海斗……さん?」

 

「おう、海斗さんだ。迎えに来たぞ」

 

 気負った様子も無く、こちらへ歩み寄って来る海斗は、まるでお伽噺の主人公。

 しかし、その姿はどう見てもお伽噺の主人公ではあり得ない。

 ボロボロだった。

 ムウの手によって新生されたはずの聖衣は見る影もなく破壊されており、身体はまるで初めて会った時の様に傷だらけとなっていた。

 ジャミールからこれまでにそれほど時間は経ってはいないと思うが、その姿を見ればここに来るまでにどれ程の事があったのかは想像に難くない。

 

 無茶をするなと怒りたい。

 大丈夫なのかと確かめたい。

 ごめんなさいと謝りたい。

 ありがとうと感謝したい。

 

「待たせたか? それ程時間は経ってないと思うんだがな」

 

 それなのに、目の前でひらひらと手を振って見せる海斗の姿は、見慣れた飄々としたままで。

 

「~~ッツ!!」

 

「って、なぜ泣く!?」

 

 その事が滑稽で、おかしくて。

 直前まで死を意識していながら、いつの間にか、こんな事を思えるだけの余裕が生まれている。

 喜怒哀楽がごちゃ混ぜになり、声にならない。言葉にならない。もう、何を言っていいのかが分らない。

 嬉しくて悲しくて。

 感情が溢れ出し、涙が出る。

 

「知りませんっ!」

 

 そんな自分を見て慌て始めた海斗の姿に胸が少しスッとして。

 後でもう少し意地悪をしてやろうと思い始めていた。

 状況は決して楽観出来るものではない。それでも、何故か今のセラフィナには不安が無かった。

 あれ程までの焦燥感も、絶望も今は――無い。

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