聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第21話 閃光の果てに!の巻

 崩落により刻々と姿を変えて行く洞内が、絶え間なく続く振動、噴き上げる炎が、地上へと駆けるセラフィナ達の行く手を幾度となく阻む。

 その度に、シュラの聖剣が障害を、駆け抜けるべき道を斬り開く。

 ただ、ひたすらに前へと。

 繰り返し、繰り返し。それを数えるのに片手だけでは足りず、両の手が必要となる。そんな折であった、セラフィナが足を止めたのは。

 偶然であった。

 シュラとセラフィナの間に噴き上げた炎、そこに光る何かを見付けたのだ。

 先を行くシュラでは気付かなかった。その光る何かは聖衣であった。

 地底湖での戦いによって弾き飛ばされたエクレウスのヘッドギアである。

 それを取ろうと足を止め、手を伸ばした。

 

 その行為がセラフィナの命を救った。

 

 洞内が縦にずれる。

 シュラの立つ場所が上昇し、セラフィナの立つ場所が下降した。

 あのままであれば、セラフィナが駆けて抜けていたであろう場所が、灰色の光によって斬り裂かれていた。

 

「セラフィナ!」

 

「大丈夫です! でも、これって、この攻撃的な小宇宙は――ギガス!?」

 

 斬り裂かれた壁面からは一体のギガスが姿を現していた。

 それは、研ぎ澄まされた刃の様な両手を持ったギガスであった。全身を黒の鎧が覆い、鉄仮面から覗くその眼光は鋭い。

 

「我が名は灰色(パイオス)(スパテー)。我が両腕は全てを切り裂く刃なり」

 

 再び、灰色の光が洞内を斬り裂く。

 その光の数は八つ。全てが同時に現れていた。

 

「“エクスカリバー”!」

 

 シュラの聖剣の一振りが七つの光を捉え、その全てを斬り飛ばす。

 そう――七つを。

 

「な――!?」

 

 シュラの目が見開かれた。

 想定外の出来事に。

 シュラの意識は八つ全ての光を捉えていた。しかし、その腕で抱き抱えていた少女の存在が、アルキュオネウスとの戦いによる消耗が、ほんの僅かな狂いとなって聖剣の刃筋を乱していたのだ。

 残る一つの光がセラフィナに迫る。その瞳に灰色の閃光が映る。セラフィナの意識は光を捉えていたが、それだけだ。

 

(――させん)

 

 シュラが振り切っていた右腕を強引に引き戻して再び刃とする。

 急制動による猛烈な負荷が、完治していない右腕を襲うが、シュラはそれに構わない。任された以上は果たさなければならない、と。

 

 光と光がぶつかり合う。

 セラフィナの目前で、灰色の光が黄金の輝きによって弾き飛ばされた。

 

 シュラの放った光に、ではない。

 

「ふむ、あの場からこの様に繋がっていたか。しかし、この再会は、奇遇、と言うべきかな」

 

「あなたは……セイレーン、海闘士のソレント……さん? あ、ありがとうございます」

 

「無理に敬称を付ける必要は無い。そして感謝の言葉も必要無い」

 

 それは、セラフィナをかばう様に立ったソレントの身に纏う鱗衣の輝きであり――

 

「戦いに疲労し、足手まといを抱えた身でありながら見事な剣閃。お前ほどの戦士を目の前にしながら、この場で刃を交えられぬ事が残念でならん」

 

海将軍(ジェネラル)。確か、クリュサオルのクリシュナと言ったな」

 

「あらためて名乗ろうか、カプリコーンの黄金聖闘士よ。そう、オレは七つの海を守護する海将軍の一人、クリュサオルのクリシュナ」

 

 それはクリシュナの持つ黄金の槍の輝きであった。

 

「フッ。どうやら、この地にはまだこの黄金の槍を振るわねばならぬ邪悪が残っていたらしい」

 

 黄金の槍(ゴールデンランス)の一撃がセラフィナを救ったのだ。

 

「今は行くが良い、アテナの聖闘士。お前もだ、ソレントよ。偉大なるポセイドン様の敵、邪悪なるギガスは、このクリシュナの黄金の槍が貫く」

 

「クククッ、面白い。お前の持つその槍、あの名高い黄金の槍か!」

 

 クリシュナが黄金の槍の切っ先をパテーに向ける。

 対峙するパテーもまた、己の両腕を、その切っ先をクリシュナへと向ける。

 

「ならば、我が灰色(パイオス)(パテー)とどちらが上か、試し、分らせるのも一興か」

 

「試し、か。よかろう。だが、心せよ。試しで終わる、二度目は――無い」

 

 両者の意識が既に自分達に向けられていない事を悟ったシュラは、セラフィナに「行くぞ」と声を掛ける。

 逡巡を見せたセラフィナであったが、手にしたエクレウスのヘッドギアと、シュラに抱えられた少女の存在を思い出し「はい」と頷く。

 

「待ちたまえ」

 

 そうして駆け出そうとしたセラフィナをソレントが引き止めた。

 何か、と振り返ったセラフィナの目が、ソレントの手の中でまるで大海の青を思わせる様な美しい光を放つ宝石に惹き付けられる。

 その輝きは、ポルピュリオンによって押し当てられていた真紅のルビーにも似た妖しさがあり、美しさがあり、存在感があった。

 あれと同種の物だと、直に触れたからこそ瞬時に理解したセラフィナであったが、同時に全く異なる物だとも感じていた。

 澄んでいた。澄み渡り、清浄であった。神々しさがあった。

 

「君は、彼と……エクレウスとは親しいのだろう? ならば、これを彼に渡してもらいたい。なに、害のあるモノではない」

 

 ソレントの手から投げ渡されたそれをセラフィナが受け取る。

 

「えっ? あ、あれ?」

 

 すると、まるで波が引く様に先程までソレントの手の中で見せていた輝きが失われ、ただ青く輝く宝石でしかなくなっていた。

 

「その宝石はアクアドロップ。我らにとってはお守りの様な物だ。君の知らない事だろうが、彼とは妙な縁があってね、友好の証とでも伝えてくれればいい」

 

「あなたは――」

 

 一体何を、そう続けようとしたセラフィナであったが、その言葉が出る事は無かった。

 

「時間を取らせたな。それでは、急ごうか」

 

 するりと、抵抗する意思を見せる間も無く、ソレントに横にして抱き抱えられていた為だ。

 そして、気付けば先に行ったはずのシュラの背が目前の位置にまで迫っていた。

 

「な、なななな!?」

 

「いかに鍛えられた聖闘士とは言え、生身の限界というものがある。見たまえ、君の足は血塗れだ。君では素足のままこの洞窟を抜ける事は無理だ」

 

 淡々と事実だけをソレントが述べる。

 

「……ッ……」

 

 セラフィナにはそれに対して言い返せる言葉が無い。事実、足の指の爪はめくれ、剥がれており、血に濡れた足の裏は更に酷い事になっているのだろう。

 

「いざとなればカプリコーンが何とかするつもりであったのだろうが、道中何が起こるかは分らん」

 

 君に何かあれば彼に嫌われてしまいそうなのでな。呟かれたソレントの言葉は誰の耳にも届く事は無かった。

 

(そうだ、今はまだその時ではない。見極めなければならない)

 

 

 

 

 

 第21話

 

 

 

 

 

 ムウの手によって新生されたエクレウスの聖衣。

 それを身に纏った時、海斗は聖衣に満ちた、修復前の聖衣からは感じ取れなかった命の息吹に、迸る“生命の躍動感”に感動していた。これ程のモノか、と。

 そして、今。

 アテナの聖闘士にとって最高にして至高の聖衣とされる黄金聖衣(ゴールドクロス)を身に纏い、海斗は己を包む“躍動感”を超えた“飛翔感”に、“万能感”を超えた“全能感”に、思わず口元を歪めていた。

 

(……これは、拙いな。ああ、これは拙い)

 

 セラフィナの力によって僅かながらも傷を癒す事が出来ていたとはいえ、海斗自身が満身創痍の身であった事に変わりはない。

 対する敵は、配下であり同胞であったギガス達を生贄としてかつての力を、オリンポスの神々と戦った当時の、古の巨人族の力を完全に取り戻しつつある。

 不死性を取り戻し、その肉体にギガスにとって最高位の金剛衣を纏った真なるギガス――ポルピュリオン。

 存在の格で言うならば、人と神。どちらが上か、など比べるまでもなく。

 力にしても同様。相手は神でありながらTyphonとガイアという更なる上位にある二神の加護を受けている。

 対する自分には何がある? ご大層な加護など受けた覚えは無い。

 あるのは己の意志と、託された人の遺志。

 

「ク、ククッ」

 

 油断も慢心も、そんなモノを抱けるような相手では無い。

 それが分っていても、なお、海斗は口元に浮かぶ笑みを抑える事が出来なかった。聖衣から与えられる力と、聖衣から引き出した力、己の内から湧き上がる高揚感に呑み込まれそうになっている。

 

(落ち着け、抑えろ。しかし、本当に拙いぞこの感覚は。これが黄金聖衣。まるで……負ける気がしない)

 

 ポルピュリオンが右腕を振り上げた。吹き荒ぶ大風を纏った右腕を。

 

「“ストームスラッシャー”!!」

 

 ――大地母神ガイアと苦界タルタロス(冥府)の息子であるギガスの神Typhon。

 ――背に生やした巨大な翼は、羽ばたき一つで吹き荒ぶ嵐を巻き起こす。

 

 腕を振る。ただそれだけの動きで大地がめくれ上がる。

 嵐は周囲で噴き上がる熔岩や熱波を巻き込ながら、炎を纏った無数の風の刃と化して、四方八方、縦横無尽に海斗へと襲い掛かる。

 頭部全体を覆うヘルメット型のジェミニのマスクに隠れて分り辛かったが、それを見て海斗が僅かに眉を顰めた事がポルピュリオンには分った。

 

「さあどうする?」

 

 ポルピュリオンが期待を込めた眼差しを海斗に送る。この程度で終わってくれるな、と。

 果たして、海斗は無造作に右腕を振り上げ指を伸ばして手刀を作ると、気合いの声とともに一気に振り下ろした。

 

「フッ!!」

 

 一閃。

 振り下ろされた手刀に宿された光の軌跡に沿って、海斗へと向かっていた風の刃の尽くが打ち砕かれる。

 しかし、刃を砕かれた風は、ならばと、炎を纏った衝撃の飛礫と化して、次々と海斗の身体を打ち据えていた。

 そんな中で、一際高い音が響き渡る。ジェミニのマスクが弾き飛ばされ宙を舞っていた。

 衝撃によるものか、それとも他の要因か。マスクを飛ばされ仰け反った海斗の額からつうと血が流れる。

 

「……チッ、やっぱり見様見真似じゃこんなものか。分っちゃいたが」

 

 ふらついたのは一瞬。そう呟く海斗の目にはまだまだ確かな力がある。

 

「線や点では無理だ、ってんなら!!」

 

 打ち砕いた刃が無数の飛礫になるのなら、その全てを打ち砕く。

 暴論であったが間違ってもいない。それができるのであれば、だ。

 そして、今の海斗にはそれが出来るだけの力がある。

 

「ぅおおおおおッ!! “エンドセンテンス”!!」

 

 破壊の光弾が、閃光が、嵐を貫きポルピュリオンへと届く。

 金剛衣に傷を与え、鋼の肉体に確かなダメージを与える。

 絶え間無い衝撃がポルピュリオンの巨体を後退させる。大地には後退させた分だけ深い溝が刻み込まれていた。

 

「ぐっ、むうぅっ! まさか、この、最強の金剛衣に傷を付けるか!!」

 

 エンドセンテンスによって与えられた衝撃に巨躯を揺らしながらも、気迫に満ちた叫びを上げて仁王立ちするポルピュリオン。

 

「だが、言ったはずだ……我は力を取り戻したと!! ガイアの加護をッ!!」

 

 金剛衣にこそ傷が残ってはいたが、その内にある肉体は瞬く間に再生を果たしていた。

 ポルピュリオンの上げた気勢が物理的な圧力を伴って海斗の全身を叩く。

 

「う、ぬッ!? くっ、速いな。あの速度で回復するのか……」

 

 ポルピュリオンが左腕を振るう。

 灼熱の業火を纏った腕を。

 

「嵐は凌いだか! ならば、これを受けてみよ、大いなる大地の怒りを!! “フレグラスボルゲイン”!!」

 

 ――其は百の蛇の頭を持ち、その眼窩からは炎を放つ。

 

 振るわれた左腕の軌跡に沿って大地が煮沸し、瞬く間に炎の海と化す。その炎の海から巨大な炎蛇が姿を現す。荒れ狂う勢いのままに、その巨大な顎を開き海斗へと襲い掛かる。

 その密度、その大きさ、その異様。デルピュネの生み出した炎蛇とは比べようもない。

 

「その手の攻撃は散々見てきたんだよ! “ハイドロプレッシャー”!!」

 

 海斗の突き出した両手から、巨大な槍とでも形容出来そうな水流が放たれる。巨大な水槍がまるで杭の様に炎蛇の口腔に突き刺さり、瞬く間にその頭部を四散させた。

 

「何? 手応えが無さ過ぎる……っく、そういう事か!」

 

 海斗はその光景にどういう事かと訝しんだが、その答えは直ぐ目の前で示される。

 炎蛇は頭部を破壊され四散した――のではなかった。

 

「……自ら分れた、か。まるでヤマタノオロチだな」

 

 一つの胴体に複数の頭部。

 四散したはずの炎はそれぞれが頭となり、それぞれの顎を開いて海斗に迫る。

 それはまるで炎の壁であった。

 

(迷っている暇は――)

 

 多少のダメージは覚悟の上と、迫る炎の壁を前に海斗は決断した。

 

「“レイジングブースト”!」

 

 水流を身に纏い、炎の壁を蹴り穿つ。貫いて飛翔する。

 眼下では炎がまるで津波のように押し寄せ、先程まで自分の立っていた場所を炎の海へと変えていた。

 

「……おいおい」

 

 もはや、この戦場に足場と呼べそうな場所は多くは無い。ほとんどが炎の海の中へと消えてしまっていた。

 第六感、いわゆる超能力を超えた第七感“セブンセンシズ”に目覚めた黄金聖闘士にとっては些細な事であったが、今の海斗にとってはそうではない。

 聖闘士は一般人の常識を超えた存在ではあるが、その聖闘士にも常識は存在する。

 少なくとも“足場のない炎の海で戦う”事は、海斗の常識ではない。

 どうするかと僅かに逡巡する。

 

 それが隙となった。

 

「呆けている場合か?」

 

 ぞくり、と。

 背後から感じるプレッシャー。しかし、空中にいる海斗に取れる手は多くはない。

 海斗が振り返るよりも速く、ポルピュリオンの手が頭部を鷲掴みにしていた。

 

 ――其の咆哮は大地を揺るがし、何本もある手足は容易く大地を打ち砕く。

 

 その手から逃れようとした海斗であったが、何一つ身動きが取れない。

 

「よくぞTyphonの力に抗った。最後は我の力で仕留めてやろう」

 

 風が、全身を拘束している事に気が付いた。

 獰猛な笑みを浮かべたポルピュリオンの手に、一層の力が込められる。

 グンッと、海斗は全身に重圧が掛かるのを感じていた。

 風の拘束を打ち破り、海斗がポルピュリオンのその手を掴んだ時にはもう遅い。

 

「打ち砕く――“ギガントクラッシャー”!!」

 

 空気を貫き、風を貫き、炎の海を貫き、大地を貫き。

 夜空から地上へと落ちる流星の様に。

 二つの小宇宙が大地の底へと突き進み。

 

 やがて、大きく弾け。

 

 忽然と――消えた。

 

 

 

 

 

「おおっ!!」

 

 刃を振るうパテーの気勢が大地を揺らし、

 

「フンッ!!」

 

 クリシュナの気迫が大気を振るわせる。

 火花を散らし、刃を鳴らし。二合、三合と打ち合わされる致死の一撃。交されるその質は実に対照的であった。

 二刀を振るうパテーの刃は重い。ただひたすらに重かった。速度を捨てた重さであった。捨てた速度を二刀流の技量が補っていた。

 対するクリシュナの槍は早く、速く、疾い。

 剣の間合いでありながら、いなし、捌き、打ち払い、隙あらば連撃を繰り出せる程に、巧みであった。

 

「クははッははは!! やるではないか人間!」

 

 一際大きな音を残し、両者が弾ける様にして間合いを広げる。

 熱を増すパテーに対して、クリシュナは手にした黄金の槍を一瞥すると、その石突きを地面に突き立てる。

 そして、こう言った。

 

「分った。もういい。十分だ」

 

「何?」

 

「試しは終わりだと言っているのだ。確かにやるようだが、それでも先に戦った獣将とやら程ではない。底があるなら早く見せる事だ。でなければ――終わらせるのみ」

 

「貴――キサマッツ!! この我を、神を愚弄するかァあああああッ!!」

 

「愚弄などでは無い。事実よ」

 

 パテーが両の剣を振りかぶり、左右と続けて振り下ろす。

 灰色の閃光がクリシュナに迫る。だが、横薙ぎに振るわれた黄金の槍の一閃がその閃光を絶ち斬り、パテーの左腕を斬り飛ばし、その身を覆う黒の鎧を斬り裂いた。

 

「がぁ!? ぐぅああああああああっ!? こ、これしきの、これしきの事でェえッ!!」

 

 パテーが残る右腕を振り上げる。

 一本の剣であった腕が、八つの刃を持った剣へとその姿を変えていた。

 

「この刃は全て! 我が小宇宙によって意のままに動く!! 逃げ場は無いッ!! 捉えきれるものか!! “八陣爪ォオオオオ”!!」

 

「ほう、これが最初に見せたハつの斬撃の正体か。だが、たかが八つ。捉える必要すらありはせん、そう――この黄金の輝きの前には無意味! くらえ“フラッシングランサー”!!」

 

 クリシュナの手によって繰り出される黄金の槍による連続突き。

 あまりの速度とその回数に、点であるはずの穂先の輝きが一面を埋め尽くす程の光と化してパテーの身体を埋め尽くす。

 

「言ったな、二度は無いと」

 

 光がパテーの八つの刃を、黒の鎧を、その肉体を、全てを打ち貫いていた。

 

 

 

 

 

 聖域。

 アテナ神殿へと繋がる十二宮、その第三の宮である双児宮に教皇――サガの姿があった。

 今は純白の法衣に身を包み、首には――装飾過多であるとしてサガはあまり好んではいない――ロザリオをかけている。

 教皇に代々受け継がれている翼竜を模した兜を被り、顔を覆い隠すマスクによってその感情の色を知り得る者はいない。

 聖域を統べる教皇、その様な立場にある者が、こうして素顔を隠しているという事は一見おかしな話であるが「己という個を捨てて地上の平和のた為に、アテナの為に尽くす」という題目によって、千年ほど前からの慣例となっていた。

 それだけでは無いのだろうとは薄々感づいてはいたが、故あって正体を隠さねばならないサガにとっては好都合であった。

 

「……いや。むしろ、だからこそこの現状がある、とも言えるか」

 

 素顔の分らない存在。だからこそ入れ替わりという事が出来た。

 そう一人ごちながら、サガはかつて己が暮らしていた双児宮の奥へと足を踏み入れる。

 

 それは海斗がデルピュネと共に聖域から姿を消して暫く、襲撃してきたギガス達のほぼ全てを打ち倒し、少なくとも目先の脅威は払拭されたかと、皆が僅かに緊張を、警戒を緩めた時の事であった。

 落雷かと誰もが思う様な轟音が鳴り響き、無人の双児宮から眩いばかりの輝きを放つ光の柱が立ち昇ったのだ。

 教皇の間の前からその光景を見下していたカミュやサガ、シャカが一体何事かと反応する間もなく、そこから流星が飛び立って行った。

 

 その流星の正体に、それがジェミニの黄金聖衣であると真っ先に気付いたのは、当然の事であるが本来のジェミニの黄金聖闘士であったサガである。

 とはいえ、それが千年前のジェミニの黄金聖闘士カストルの遺志による奇跡であったなどと、その光景を目にしても理解出来た者はいない。いるはずが無い。

 故に、その奇跡は知らぬ者からすれば紛う事無き異変以外の何者でもない。

 十二宮を守護する黄金聖闘士とはいえ、他の宮の内情までをも把握している訳ではない。例外があるとすれば、それは彼らを統べる教皇かアテナか、である。

 ジェミニ不在としている以上、教皇の立場を利用してサガ自身が確認の為に双児宮へと向かったのだ。

 

 サガが足を踏み入れたのは居住区の、その先にある小さな一室であった。

 扉の鍵を開け、およそ十年ぶりに踏み込んだその室内は、サガが予想していたよりも荒れ果ててはいなかった。

 天井を見上げれば、開いた穴から陽の光が差し込まれ、降り注ぐ光の元には石造りの台座が、その上には開かれたパンドラボックスがあった。

 薄暗い室内にあって、陽の光に照らされ黄金の輝きを放つパンドラボックスには神々しささえ感じられる。

 

「カノンでは……ないな。もっとも、あれが今更聖衣を求めるとは思えんが」

 

 サガに弟がいた。その事実は聖域ではほとんど知られていない。

 幼き頃から心優しき誠実な男、神の様な清き男として育ち、育てられ、称えられてきたサガ。

 そんな兄とは異なり、カノンはサガに匹敵する力を持ちながら己を悪だと言い切り、悪事にも手を染めていた。双子の兄弟でありながら、その生き様は正反対であった。

 それでも、と。サガはいつかカノンが正義に目覚める事を期待していた。血を分けた兄弟を信じていた、とも言える。

 しかし、それが誤りであったとサガが痛感した出来事が起こる。

 

 それは、今からおよそ十一年前の事であった。

 聖域に赤子としてアテナが降臨してから、当時の教皇が次期教皇にサガではなくアイオロスを指名してから僅か数日後の事であった。

 

『馬鹿な!? カノン! お前は一体自分が何を言っているのかを分っているのか!? アテナを、聖域に降臨された幼きアテナを――』

 

『力のある者が欲しい物を手に入れようとする、それだけの事だ。幸いにしてオレ達が双子である事を知る者はいない。オレが手伝ってもいい。そうすればこの地上はオレ達兄弟の物になるんだ。そうさ、アイオロスを次期教皇に選んだマヌケな老人共々――アテナなぞ殺してしまえ』

 

 自分の心を偽る必要はない。兄さんの本質もオレと同じ悪なのだから。

 そう言ったカノンの視線を、表情をサガは忘れる事ができない。

 サガとカノンは瓜二つ。従って、悪に堕ちたカノンの顔は、悪に堕ちたサガが見せるであろう顔なのだ。

 自身の内面すら見透かそうとするカノンの視線が、悪こそが本質だと言い切る、その事がおぞましく、サガには許せなかった。

 

『出せ!! サガ! オレをここから出してくれーーッ!! 弟のオレを殺す気かーーッ!!』

 

『お前の心から悪魔が消えてなくなるまで入っているのだ。アテナの許しが得られるまでな』

 

『サガ! お前のような男こそ偽善者というのだぞ! 力のある者が欲しい物を手に入れようとして何が悪い! 神の与えてくれた力を自分のために使って何故いけないというのだ!』

 

 だからこそ、神の力を持ってしか出る事がかなわないとされるスニオン岬の岩牢に、サガは人知れずカノンを幽閉した。

 

『オレには分るぞサガよ! お前の正体こそ悪なのだーーッ!!』

 

 その後、どうやってかは分らないがカノンは脱出不可能とされた岩牢から姿を消し、海闘士として再びその姿を現した。

 何を目論んでいるのか。サガにはおおよその見当はついていた。地上支配、おそらくはこれだろう。

 アテナを、神すらを害しようとしたカノンだ。おそらく海皇ポセイドンに対しても何らかの企みを持っているはず。

 

 ふうっ、と溜息をつきサガは頭を振った。

 今はカノンの事を考えている時ではない。

 

「五老峰の老師か? それともムウか?」

 

 聖域から黄金聖衣を持ち出す事の出来る、そうしてもおかしくない人物をサガは思い浮かべる。

 

「いや、それはない。あの二人がその様な軽率な行動を取るはずがない。ならば……まさか、いや、あり得なくは、ない。聖衣が自らの意思で動いたとするならば、あのタイミングで向かったとするならば、それはおそらく――戦いの場だ。ふっ、くくく。はははははははっ!!」

 

 そして、とある可能性に至り、サガは笑った。

 

「そうか、海斗の元へ向かったか!」

 

 この度のギガスの襲撃もそうであるならば、ジェミニの聖衣が本来の所有者たる自分の元を離れた事も想定外。

 カノンが海闘士として現れた事もそうであるならば、海斗という力のある聖闘士が現れた事も想定外。

 

「はははははははははっ!!」

 

 笑い、嗤い、哂う。

 最高だ、と。“自分達”の想定を超えた出来事がこうも立て続けに起こるとは、と。

 今の自分が“サガ”の主導権を握れる期間は、もうさほど残されていない事は自覚している。

 幸いにして、今は己の中の“もう一人の自分”は眠っている。

 いずれは今日の事も感付かれるであろうが、もう暫くは耐えてみせよう。

 

「全ては、試練だ。アテナへの試練であり、聖域への試練であり、聖闘士への試練であり、私という存在への試練」

 

 サガの視線が、パンドラボックスの影に向けられた。

 石造りの台座、そこに僅かな歪があった。

 サガの指がその歪に触れると、隠されていた引き出しが露わとなる。そこには一振りの黄金の短剣が収められていた。

 それは、サガが幼きアテナの命を奪うべく振り下ろした短剣であった。

 

「……我らの敵は、ハーデスだけでは無いのだ。やがて、この地上を襲うであろう厄災は数多の神々の物。それはアテナを中心として引き起こされる神々の争い。ならば、我らアテナの聖闘士は、地上の平和の為に――神を打ち倒す事の出来る力を手にしなければならない」

 

 サガの手が、黄金の短剣に触れる。柄を手に取り、輝く刃を天へとかざす。

 

「幼きアテナはこのサガの死の試練を乗り越えた。ならば、我らは強くならねばならない。聖域は揺るがぬ盾となり、聖闘士は決して折れぬ剣とならねばならない、全てを打ち破れる剣でなければならない。そう、私は最強の聖域を創り上げよう。そして――アテナよ」

 

 そして、サガが手にした短剣を逆手に握り、台座へと突き立てる。

 

「あなたには、このサガが創り上げる最強の聖域を超えて頂かなければならない。強大なる力を宿した神々と戦い、勝利を得ようとするならば、地上の平和を守ろうとするのであれば――その程度の事は乗り越えて頂かなくては困るのだ」

 

 台座にサガの影が落ちる。

 突き立てられた刃は、その影の心臓を貫いていた。

 

 

 

 

 

 不意に、腕に伝わる抵抗が無くなった事にポルピュリオンが違和感を覚え、しかし、構うものかと再び力を込めた――その時であった。

 周囲から一切の音が消えていた。色が消え、熱が消える。

 大地が消え、重力が消え、その身を包むガイアの加護が――消えた。

 

「な、何ッ!? 馬鹿な、ガイアの加護が感じられ――!?」

 

 ポルピュリオンの言葉が止まる。

 後を次いで出たのは、信じられぬとばかりの、呆然とした呟きであった。

 

「……何だ、ここは? 空、か? いや、星空にいるのか我は!?」

 

 見渡す限りの宇宙、そう言うべきか。

 暗闇の中に輝く星々の輝きは、まさしく宇宙のそれであった。

 しかし、よく見れば宙に浮かんだままの岩石や、形を変える事なくその場で燃え上がる炎、上下には天地の境を示すかの様に光の網目の様なものが広がっている。

 ポルピュリオンをして、異界、そうとしか表現が出来ない。

 

「何なのだ、この場所は!!」

 

 その問いに答える事が出来たのは、ただ一人。

 

「成したのは“アナザーディメンション”。ここは、次元と次元の狭間。未来も過去も、現在もが同一の中に存在する止まった世界、世界から切り離された場所だ」

 

 その声は、ポルピュリオンの“下”から聞こえていた。

 

「やり方は知っていたが、完全に制御しきる自信が無くてな。精々が自分の周囲に異界の入り口を開くだけで精一杯だ。後は、どうやって放り込むかが問題だったんだが……誘いに乗ってくれて助かった」

 

 指先で自分のこめかみをトントンと軽く叩きながら語る海斗の姿に、ポルピュリオンは何とも言えぬ不気味さを感じていた。

 

「きさま……いつの間に!? 今の今まで、確かにこの手で、その頭部を掴んでいたはずだ!!」

 

「ここは異界。圧し付ける為の大地は無い。“後ろに下がれば”抜けるのは簡単だった――さ!」

 

 言うや否や、繰り出された海斗の蹴り――レイジングブーストが、ポルピュリオンの身体を突き上げる。

 

「ぐぅおおッ!?」

 

 海斗のその蹴りを、咄嗟に両手を突き出す事で受け止めたものの、金剛衣が軋みを上げて亀裂を奔らせる。

 力の余波が金剛衣を通り抜けて、ポルピュリオンの掌からは血が噴き出していた。

 それを確認した海斗は、牽制を込めた拳撃を放つと、ポルピュリオンとの距離を取る。

 追撃を警戒したポルピュリオンであったが、海斗はじっと見つめるだけで動こうとはしていない。

 ならばと、先に動きを見せようとしたポルピュリオンを制するように、海斗が口を開く。

 

「思った通りだ。その程度の傷が“まだ”治らない。やはり、世界から切り離されたこの場所ならガイアの加護ってやつも届かない、か。ならば――」

 

 両手を左右に大きく広げ、円を描くように動かす。

 その動きに合わせるかのように、周囲に輝く星々が動いた。

 海斗の身体を中心として、幾多の星々が凄まじい速さで引き寄せられ、次々とその動きを加速させる。

 

「その肉体を破壊して消滅させる。肉体を失えば、お前の魂はこの次元の狭間に取り残される事になる。座標が頭に無くてな、この空間を開いた俺自身が二度と辿り着けない場所さ、ここはな」

 

 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。

 

「つまり、誰もここへ辿り着く事は出来ない」

 

 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから互いの天地を入れ替えるように回された軌跡が再び円を描く。

 

「肉体と共に粉砕される魂は、この空間にあっては再生する事もかなわない。永遠に――眠れ」

 

 立ち昇る小宇宙は黄金の輝きを放ち、天地を宿した両手が打ち合わされたその瞬間――

 

「う、うおおおおおおおおおおーーッ!!」

 

 不死の身でありながら、いや、だからこそか。

 目前に迫る死の気配に、ポルピュリオンの本能が恐慌した。しかし、王としての誇りが、神としての意地が、恐れを知らぬが故か、それを認めまいと肉体を突き動かした。

 神が人に恐怖するなどあってはならぬ、と。

 

「我はポルピュリオン! ギガスの――」

 

 視界を埋め尽くす光の奔流。

 それは、集束し凝縮された、極限まで高められた小宇宙が内包する力に耐え切れずに一気に拡散する事で生じる光。

 無限に崩壊し爆発する、それは銀河の終焉の光景。

 光の海の中で、ポルピュリオンはその最期の瞬間、ある事を思い出していた。

 千年前、己を討ち倒した相手が誰であったのかを。

 

「“ギャラクシアンエクスプロージョン”!!」

 

 ――銀河が爆砕した。

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