聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版 作:水晶◆
1986年8月31日――ギリシア。
現地時間09:30――アテネ市内シンタグマ広場。
シンタグマ広場に面した小さなカフェ。
多少古びた感じはあるものの、多彩なメニューと他と比べてリーズナブルな値段から地元の人々や観光客によってそれなりに繁盛している店である。
これからの予定を話し合っている観光客や、地元の常連客の何気ない雑談の声もあって、こんな時間であっても中々に騒がしい。
そんな中、カメラを首に下げた日本人男性と眼鏡をかけた女性、そして地元の客からは馴染みである初老の神父。この三人が、テーブルを挟んで何やら話をしている。
「……アテナの
「そう、聖闘士じゃよ。しかし、ここに住む人々でも彼らに出会う事などまれじゃというのに。……おまえさんらは運が良い観光客じゃのォ」
「運が良いって! 冗談じゃ――」
神父の言葉に対して思わず出た大声に、しまったと男性が周囲を見れば、何事かと店内の視線が集まっている。
昨晩見た光景を思い出し、いささか興奮気味であった彼ではあったが、やがて気まずそうに立ち上がると周りの客たちに「何でもないですから」とペコペコと頭を下げる。
隣に座る彼女が「何やってるのよ」と溜息交じりに呟いた言葉を聞き、それなりに恰幅のある身体を一回り小さくして椅子に座り直した。
(しょぼくれたクマ、いや、パンダかしらね?)
そんな男性の姿を見ての女性の内心など彼は知らず。
「ホッホッホ。まぁ落ち着きなさい」
年の功か性格か、気にした様子もなく笑いかける初老の神父に毒気を抜かれたのだろう。
「……はぁ。……もう、笑い事じゃないですよ、神父さん。驚くやら怖いやらで……こっちは死ぬかと思ったんですから」
「それで、えっと、そのセイントって、いったい何なんですか?」
内心そのような事を考えている等おくびにも出さず、彼の脇腹をつつきながら女性が神父へと尋ねた。
「――ふむ。その前に、もう一度よいかのう? おまえさんらが昨晩見たという光景を、その話しを、の」
好々爺とした雰囲気はそのままに、しかし、まっすぐと姿勢を正した老神父の様子に二人は思わず互いに顔を見合わせた。
「あ、はい。あれは、私たちが凄い音を聞いて、これまで聞いたことが無いような大きな音だったので、流星が落ちたんだと思って。そんなワケない、とは思いましたが、何なんだろうって。気になって気になって、そうしたら彼女がその音がした方へ向かって――」
言葉に詰まった男性の後に続き、少しばかり逡巡を見せたものの、女性が口を開く。
「気を失った中学生ぐらいの男の子がいたんです。多分……私たちと同じ日本人だと思います。全身傷だらけで、酷い怪我で。痣とか擦り傷とかがいっぱいで……」
そうして二人で昨晩見た事をポツリポツリと語り始めた。
「大丈夫かって、声をかけたんですよ? そうしたら、その子は目を覚ましたんですけど。混乱してるのか、こっちの質問には何も答えてくれなくて――」
「あいつはどこだ、って。あいつが来る、って。すごく怯えた様子で。だから、聞いたんですよ、あいつって誰なのかって。その直後です。今度は落雷みたいな大きな音がして。何なんだって振り向いたら、こっちに近付いてくる人影が見えて。誰もいなかったのに。そこには私たちしかいなかったはずなのに、いつの間にか――」
1986年8月30日――ギリシア。
02:18――エーゲ地方古代神殿跡地。
衝撃で飛びかけた星矢の意識が全身に奔る激痛によって覚醒する。
「くっ、そっ!」
血反吐を吐き、震える膝を抑える。痛む体を気力で奮い立たせると、必ず来る追撃を警戒して即座に構えを取った。
大量のアドレナリンが星矢に痛みを忘れさせ、しかしその五感を鋭敏にしていく。
すると、強化された聴覚がこれ見よがし――姿は見えずとも――に、カシャンカシャンと、聞きなれた聖衣のすり合わせる音が聞こえて来る。
(……意味もなく敵に接近を知らせる事は愚行、だったっけ?)
星矢が思い浮かべたのは師匠である魔鈴の教えであった。
ならば、これは、どういう事か。
油断か、ミスか?
「……ンなワケないよな~」
地獄の六年間の付き合いは伊達ではない。つまりはメッセージだろう。『時間をやるから抵抗して見せろ』と、余裕を見せ付けているのだ、あの
その事が解り過ぎるだけに、バカにして、と。星矢の苛立ちは収まらない。
とはいえ、実際に手加減をされている身である。本気の一撃であれば自分はとうに死んでいる。ここで迂闊に文句の一つも言おうものなら、ただでは済まなくなるのは身をもって知っていた。
「さっきの、あの人たちは……離れたのか?」
先程まで自分の近くにいた男女の姿はない。
意識を広げてみれば、走り去る気配が二つ。気持ちは分るので非難するつもりもない。
おそらく、ではあるが、気絶した自分を心配してくれていたのであろう。薄っすらとではあるが呼び掛ける声は聞こえていた。
そんな二人を巻き込まずに済んだ事は、星矢にとっては数少ない僥倖であった。
「……魔鈴さんも気付いてるな。なら、この隙に少しでも回復しないと」
だからと言って、自分の置かれた状況が好転したわけでもないのが頭の痛いところ。
目前に迫ったカシオスとの聖衣を賭けた決戦を前に、未だ結果を出せていない自分に対しての最後の追い込み。
「無茶苦茶だ! 聖衣を纏った聖闘士相手にだぞ!? ったく、どんだけ性格が悪いんだよ、魔鈴さんは……」
その事は理解できるが、この最終試験の合格条件は魔鈴に確かな一撃を与える事。
出来るわけないだろう、と。そう愚痴をこぼしつつも「どうにか」と、星矢が策を弄する前にソレが現れた。
「ハンッ、まだそれだけ軽口を叩ける元気があるんなら――」
「!? クッ、魔鈴さん!!」
目の前には魔鈴の姿。
気付いた時には――もう遅い。
「聖域に戻ってあと百回はシミュレーションだ」
魔鈴が構えを取った。星矢がそう認識した時には――
「げ、げふ……」
その身は既に天高く殴り飛ばされており、受け身を取る間もなく星矢は額から大地に叩き落とされていた。
「やれやれ……カッコ悪いね、星矢。今の一撃程度をかわせない。そんなザマでどうやってカシオスに勝つつもりなの?」
「い、いっつぅう~~。生身の魔鈴さんに勝てないのに! 聖衣を纏うって、なんだよそれ!! 心配しなくてもオレはカシオスなんかには負けないよ! それに、試合は今日だってのに、これ以上シゴかれたらカシオスと戦う前にあんたに殺されちゃうよ!!」
頭を押さえ、多少ふらつきながらでもあったが、即座に起き上がって文句を言い始めた星矢のタフさには、さすがの魔鈴も呆れ半分感心半分。
「……相変わらず頑丈な奴ね」
その姿に、思わずこの頑丈さだけは評価してやっても良いか、と魔鈴は考えてしまう。
とはいえ――
「どの道、頑丈なだけならカシオスとやり合ったところで殺されるだけさ。いや、なまじタフな分、より凄惨な殺され方をするだろうね。じわじわとさ。耳を落とし、鼻を削ぎ落し、そして最後にはその首を……」
「ちょっ!? お、おどかさないでよ魔鈴さん!!」
「……だから、さ。そうならないように、せめて相打ち程度には持って行けるようにしてやろう、ってのさ。ほら、聖域に戻ってあと百五十回だよ」
「増えてるよ! だから! オレは魔鈴さんには勝ててないけど、だからってカシオスには負けないって言ってるだろ!!」
「……ふぅん」
これまでも魔鈴の言葉に星矢が逆らう事は多々あった。初めて会った時からこの気の強さ、向こう見ずなところは変わっていない。
それでも一撃くれてやると納得して静かになったものだが、今日の星矢は違った。
真っ直ぐに自分を見つめて来るその視線に、その眼差しには、確かな自信が、力があった。
「そうね、そこまで言うなら証拠を見せてよ。お前はこの六年間、カシオスに勝てた事は一度もない。そんなお前が明日は勝てると言っている。納得出来ると思う? ムリね。お前が死のうがどうなろうが、私にはどうでもいい。でもね、お前に付き合った六年が無駄になるのはシャクなのよ。だからさ、私が安心して眠れるように――」
――証拠を見せて。
その魔鈴の言葉に星矢の顔つきが変わった。
悪く言えば、年相応のおちゃらけた悪ガキのような雰囲気が――戦士のそれへと。
「へ、ヘヘッ! よぉ~し!! よっく見ろよ魔鈴さん! これがオレの力のすべて……」
深く息を吸い、静かに吐く。
二度、三度と繰り返し、星矢は拳を振り上げる。
狙うのは己の足下。
星矢は大地に刻み込もうとしていた。自分がカシオスに勝てるという証拠を。
魔鈴は何も言わない。
静かに腕を組み、星矢がこれから行おうとする事を見逃すまいと、その動きをじっと見つめていた。
「これがオレの中の――」
だから気が付かなかったのか。
第三者の接近を。
「フンッ、証拠なぞ必要あるまい」
星矢が自らの拳を大きく振り上げたその時、巨大な影が星矢の身体を覆った。
身長二メートル以上はあろうかという巨漢の男がこの場に姿を現していた。
ファンタジー風に言い表すならば、“火竜”のようにも見える意匠を施された真っ赤な鎧――頭部と両肩、両膝、そして胸部。合わせて六つの魔獣の顔が存在する、異形の聖衣を身に纏った男であった。
「お前は……ドクラテス」
魔鈴の言葉に星矢が首を傾げる。
「ドクラテス?」
「……お前の相手、カシオスの兄貴さ」
魔鈴の言葉に「兄貴って、兄弟!? アイツに兄弟がいたのか?」と、星矢が近付いて来るドクラテスと呼ばれた男を見た。
(カシオスの兄貴、ていっても……似ていないな。デカイってことぐらいだぞ。それに、アイツの後から出てきたこいつらも……一体何者なんだ?)
ドクラテスの後から、その配下と思われる男たちも現れていた。皆が同種の赤い聖衣らしき物を纏っている。違うのは魔獣の顔が頭部の、ヘルメット型のマスクの一つだけである事か。
そうして星矢と対峙したドクラテスが無言のまま腕を動かす。
それを合図として、配下の男たちが星矢と魔鈴を囲い込むように動いた。
「なんだ!? くっ、こいつら!? やる気か!!」
「落ち着きなよ、星矢。さて……これは何のつもりだいドクラテス?」
逸る星矢を抑え、自分たちを囲い込む男たちを見渡しながら魔鈴が静かに問いかける。
「フッ、何のつもりか、だと? お前こそ何を言っているのだ魔鈴よ。ここはどこだ? 聖域の結界の外だ。聖域の掟を破った者には罰を与えねばなるまい?」
「無用だよ。見ての通りシゴキに力が入り過ぎただけさ。心配しなくても――」
「な、何だと! 誰が逃げたりなんかするもんか!!」
「!? 待て星矢!!」
逃げ出した、と。そう言われた事で星矢がいきり立った。
魔鈴の手を払い除け星矢がドクラテスへとその拳を向けた。
しかし――
「口では何とでも言えるぞ」
「現に、お前は結界の外にいる」
「フフフッ」
「一候補生でしかない、しかも日本人のお前の言う事と、聖闘士であるドクラテス様の言う事。さて、聖域はどちらを信じるかな」
ドクラテスの部下たちが立ち塞がり、星矢の行く手を阻む。
「躾がなっていないようだな魔鈴。聖闘士でもない候補生如きがとっていい態度ではないぞ? これは教育が必要だ。ああ、礼はいらんぞ魔鈴。聖闘士として、聖域の掟を破った者には罰を与えんといかんからな」
部下を下がらせてドクラテスが前へと踏み出した。
見上げる星矢と見下すドクラテス。知らず、星矢の足が一歩下がる。
「もっとも、多少熱が入ってやりすぎてしまうかもしれんが、な」
体格差だけではない“存在感”そのものの差に、星矢は背中に冷たい汗が流れるのを感じ取っていた。
第24話
星矢の眼前に“赤”が迫る。
視界を埋め尽くす赤色はドクラテスの拳だ。それが瞬く間に星矢の視界を覆いつくした。
パンチは見えていた。しかし、身体が動かない。
意識と肉体のズレ。反応が追い付かない。
「ぼさっと――」
そんな星矢の身体に衝撃が走る。
ドクラテスの拳ではない。側面からだった。
「――してんじゃないよ星矢!!」
「がぁッ!!」
吹き飛ばされた星矢の身体が遺跡の――瓦礫の山へと叩き込まれる。
石材が音を立てて砕けるのと同じく、先程まで星矢が立っていた場所からも爆音が鳴り響く。
瓦礫を振り払い、腹を押さえて立ち上がる星矢。
「う……ぐぅ……。ま、魔鈴さん?」
巻き上げられた砂塵が風に吹かれ、星矢の視界をクリアにしていく。
すると、星矢の目に大きく抉れた大地が、
そこに魔鈴の姿は――見当たらない。
「ま、魔鈴さん? 魔鈴さーーん!!」
星矢の声が辺りに響く。
返事は、ない。
「……う、嘘だろ?」
脳裏によぎるのは最悪の光景。
――ドクラテスの巨体がゆっくりと立ち上がり、大地に突き立てた拳をゆっくりと引き抜く。
――その手に掴まれたのは赤く染められた――魔鈴。
「う、うおおおおおおおおおおおおっ!!」
全身に受けた打撲の、裂傷の痛みも忘れて星矢が吼えた。
視界には何も映っていない。拳をふるう。感情のまま、激情のままに。
「ドクラテスッ!」
突き立てた両の拳に伝わる感触にドクラテスは眉を顰めた。
星矢に向けて振り下ろした“一撃”は咄嗟に割り込んできた魔鈴によって逸らされた。
それはいい。
仮にも白銀の聖闘士であれば“そのくらい”はやって見せるだろう。
だが、しかし――
(あの体勢から左拳の“二撃目”をかわした、だと?)
確証はなかった。ドクラテス自身、魔鈴に当てた瞬間も、避けられた瞬間も見ていないのだから。
ハッキリとしている事はただ一つ。拳に伝わる感触は、それが伝える事は、ただ大地を穿っただけなのだと。
その通り、砂塵の晴れた視界にはクレーターと化した大地が映るのみ。
どういう事だと、ドクラテスが僅かに思考しかけたその時――
「う、うおおおおおおおおおおおおっ!!」
咆哮と共に立ち昇った
視線を向ければ、瓦礫の中から立ち上がった星矢の姿。
「な、何だと!? まさか、何故お前のような、候補生にすぎんお前からこれ程の小宇宙を感じるのだ!? それに、その背に浮かび上がるのは!?」
全身に打撲と裂傷を負った傷だらけの姿。しかし、その身から立ち昇る小宇宙にドクラテスは動揺を隠せなかった。
星矢の小宇宙の強さに、だけではない。
「ドクラテスッ!」
拳を振りかざして迫る星矢。
その背に浮かぶ――立ち昇る小宇宙がオーラとなって映し出したビジョンに、である。
「馬鹿な……。何故だ!? 何故お前の背に――ペガサスが見えるッ!!」
天駆けるペガサスの如く。
青白いオーラを纏った星矢の拳がドクラテスへと迫る。
「おおおおおおっ!!」
ドガッ!!
その光景に、ドクラテス配下の兵達がざわめき立つ。
彼らからすれば、ドクラテスが大地に拳を突き立ててから今までの間は僅か数瞬の出来事に過ぎなかったのだ。
「ドクラテス様ッ!?」
「馬鹿な!?」
「お、おのれ星矢ッ!!」
砂塵が薄れ、視界が晴れた先に目にした光景は彼らにとっても理解の範疇を超えていたのだ。
気合いの声とともに振り抜かれた星矢のパンチがドクラテスの胸元へと突き立てられていた。
赤い血が聖衣を伝い流れ落ちる。
「……う、ううっ……」
だが、苦悶の声を上げているのはドクラテスではなかった。
「ぐぅううっ」
右手を押さえてよろめく星矢。
拳から流れる血が、ポタリポタリと地面に落ちる。
「フンッ、馬鹿め。小宇宙に目覚めていた事には驚かされたが……未熟者の拳程度でこの聖衣を砕けるとでも思ったのか」
「う、ううっ、な、なんて硬さ――がっ!?」
振り下ろされたドクラテスの手刀が星矢の身体を打ちのめす。
「ドクラテス様!」
「おおっ!」
ドクラテスの無事を確認して安堵する部下達を片手で制する。
「フンッ、静まれ。さあ星矢、聖域から逃亡を図ったお前には罰を与える。それが掟だ」
そう言って、ドクラテスは蹲る星矢へ再び拳を振り上げる。
しかし、その拳が振り下ろされることはなかった。
「そこまでだ」
何者かによって掴み取られたドクラテスの拳。
振りほどこうと力を込めてもピクリとも動かない。
ギシリ、と。聖衣を通して感じる圧力が伝えていた。ここまでだ、と。
「お前は……」
己の手を掴んだ人物――海斗の姿と、その傍に立つ魔鈴の姿を見て、ドクラテスが苦虫を嚙み潰したような顔で呟いた。
「……エクレウスッ!」
「そこまでだドクラテス。落ち着けよ、少しばかり“早とちり”が過ぎるぞ?」
「……魔鈴を助けたのはお前か」
「さて、な。いいから聞け、星矢が結界を出たのは修練中の事故だ。証人もいる。逃亡云々はお前の誤解だよ、それで納得しろ。これ以上騒ぎを大きくするな」
ドクラテスは忌々しそうにその手を振り払うと、星矢の事など最早眼中にないとばかりに海斗を睨む。
「……不問にしろと言うのか?」
「お前がカシオスを溺愛している事は皆が知っている。そんなお前がこのタイミングで星矢に手を出す。邪推されるだけだ。カシオスでは星矢に勝てないからお前が手をまわしたのではないか、ってな」
海斗がそう言い終わったのと同時であった。
「黙れっ!!」
轟、と。
ドクラテスの剛腕が唸りを上げて突き上げられたのは。
大地がその勢いに巻き込まれるようにめくれ上がり、遥か上空へと吹き上げられる。
「チッ」
跳躍しその拳を避けた海斗であったが、周囲に広がる惨状に思わず舌打ちをしてしまう。
「派手にやり過ぎだ! 観光地だぞ!?」
「なっ!? ガッ!!」
その瞬間、ドクラテスの表情が驚愕と苦痛に歪む。
飛び上がった海斗が振るった腕の一振りによって生じた圧力が、めくれ上がった大地を押し込み、ドクラテスの巨体を跪かせていた。
「俺の力が抑え込まれて……いや、打ち消されただと!! 聖衣もない生身の相手にぃいっ!?」
ドクラテスの驚愕はそれで終わらない。
降り注ぐ閃光によって周囲にいたドクラテスの部下たちが次々と倒されていく。
「……化物か……」
そう呟く事しかドクラテスにはできなかった。
「……頭は冷えたか? 確かに、今の聖域の連中なら星矢たちの言葉より参謀の覚えが良いお前の言う事を信用するだろうな。事実がどうであれ、だ」
背後から聞こえる海斗の声、そして背中に当てられた拳から伝わる攻撃的小宇宙に。
「……」
「今なら穏便に済ませるさ。もう一度言うぞ、何もなかった、だ。このまま聖域に戻れ。カシオスのやってきたことを無駄にする気か?」
カシオスの名を出され、ドクラテスの口元からギリッと噛み締めた音が鳴る。このような状況でなければ激昂していた事であろう。
「それに、気付いていないのか? 自分の胸元を見てみろ」
「!? ……こ、これは……。馬鹿な!? 聖衣に亀裂が! お前の仕業か!?」
「違う。星矢だ。星矢の放ったあの一撃だ」
聖衣の中でも強固であるはずの胸部。そこに刻まれた深い亀裂。そこは、星矢が突き立てた拳の位置に合致していた。
「届いていたんだよ、あの一撃は確かに、な。少なくとも、それだけの力はあると証明して見せたぞ?」
「……」
「言っておくが、お前がどうなろうが知った事じゃない。だが、まあカシオスとは知らない仲でもない。シャイナの事もある。二人の六年間が無駄にされるのはさすがに、な」
「……四年だ。この二年間、カシオスを育てたのは俺だ」
「だったら自分の弟子を信じろよ。こんな周りくどい事をせずとも、正々堂々正面からやり合っても勝てる、と」
会話が止まる。
しばし、無言のままの睨み合いが続く。
「……当然だ」
「そうかい」
先に視線を、動きを見せたのはドクラテスであった。
周囲に倒れた部下達も、呻きを上げながらも次々と立ち上がり始めていた。
「この場は退いてやる。そうだ、俺が手を出さずともカシオスが負けるはずがない」
そう言い捨てるとドクラテスは踵を返し、部下達を引き連れて聖域へと戻って行った。
去り際に見せたその視線から若干嫌なモノを感じた海斗ではあったが、嫌悪の矛先が自分に向けられたのならば特に問題はないな、と気にする事を止めた。
閉鎖的になりがちな聖域では、いわゆる東洋人が聖衣を得る事を良しとしない考えを持つ者がある程度はいる事を知っている。
多少は行き過ぎな気もするが、ドクラテスの場合はそれに加えて兄弟愛が強すぎるのだろうと結論付けた。過保護なのだろう、と。
「そんな事よりも。そう、そんな事よりも、だ」
差し迫った問題がある。
目の前の惨状の隠蔽だった。
周囲の遺跡はその原型を失い、地面には大きなクレーター。
深夜とはいえ、幸いにして市外からは離れているとはいえ、人気が全くないわけではない。これはさすがに一般人にも気付かれた可能性が高い。
「しまったな。不問にするって事は、この始末を俺一人でやるしかないって事か? いや、見なかった事にするか?」
こういった隠蔽工作に対応する部門が聖域には存在するが、そこに手伝いを頼むとすると、当然何かしらの理由をつける必要がある。
適当に誤魔化せば、とも思ったが――
「アイオリアに下手な嘘は通用しないからな。こういう時に頼りになる
全てを話せば理解してもらえるとも思うが、今の海斗には可能な限りアイオリアと会う事を避けたい事情があった。
「……後でシャイナに、いや駄目だな。デスマスクに口裏を合わせて――合わせるわけがないな。しょうがないニコルを引っ張って来るか」
また嫌味を言われるな、と深く溜息を吐く。
悪い奴ではないのだが、海斗にとってニコルは正直言って余り関わりたくない相手であった。
厳密にいえば、ニコルの側にいるユーリに関わりたくない。
敬愛するニコルに面倒事を持ち込む人物として嫌われているのだ。
「面倒事を持ってくるのはニコルだぞ?」
とはいえ、部下を持たず、知人も少ない海斗にこういった事を頼れる相手など数える程度しかいない。
友人や知人の少ない人生だったな、と。
どこかの誰かのいつぞやのあやふやな記憶を思い起こし、今もそうだな、と。その事に思い至り頭を抱えたくなった。
「ま、魔鈴さ~~ん! 良かった! 無事だったんだ!!」
「……人の事より自分の心配をしな。何で怪我人に心配されなきゃならないんだ」
背中越しに聞こえる星矢と魔鈴のやり取りに「ま、仕方ないか」と、海斗は時間外労働の覚悟を決めた。