聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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2021年2月10日 誤字修正。ご指摘ありがとうございます。


第4話 シャイナの涙!誇りと敵意の巻

 ――教皇の間で行われたやり取りから時は僅かに遡る。

 

 

 

 ホテルの宿泊費を支払った時点で、悲しい事に俺の財布はその役目を終えてしまった。

 気分転換の散策、その程度の名目で渡された金額では当然と言えば当然だったが。

 

「必要な物は経費で落ちるとしても、自分の買い物一つ自由にできない、ってのは面倒臭いよな。適当な金策でも考えるか」

 

 考え事に没頭していたせいか。俺が“それ”を確信したのは、既に日は沈み辺りは夜の闇に包まれようとしていた頃だった。

 

「昼間に感じていた視線から、ひょっとしたら、とは思っていたんだがな」

 

 聖域から出れば、俺に対してグラード財団やあの男(シードラゴン)からの何らかのアクションがあるのでは、と期待をしていたのだが。

 

「お前らさ、『聖域の聖闘士候補たる者みだりに聖域を離れてはならない』って、この掟ぐらい知っているだろうに」

 

 どうやらハズレがかかったらしい。

 落胆する気分を隠すことなく振り返った先には、聖域で見覚えのあった顔がちらほらと。

 岩影から、海岸から、出るわ出るわ。あっという間に二十人近くが集まって来た。よくもまあと呆れるやら感心するやら。

 聖域の年若い雑兵たちだけではなく、その中には聖闘士候補生やゴンゴールの姿もあった。

 

 ……皆、聖域での服装のままである。

 

 百歩譲って服はまあいい。しかし、プロテクターやらヘルメットやらで武装した姿は目立ち過ぎやしないだろうか?

 まさかそれらを身に着けたまま聖域からここまで来たのだろうか?

 秘匿義務はどこへ行った?

 いや、むしろあまりにアレ過ぎて、何も知らない人からは古代ギリシアをモチーフにした仮装とか、テレビや映画の撮影だとしか思われないだろうから逆に大丈夫なのか?

 恐るべし聖域。俗世から離れ過ぎて現代との感覚のギャップに気が付いていないのか?

 確かに聖域はそこだけで完結できる箱庭めいた場所でもあったが。聖域生まれではない俺には真似できない。

 

「フンッ、馬鹿なことを言うな! 俺達は勝手に聖域を離れた貴様を捕えるためにやって来たのだ!!」

 

 俺を指差し見得をきるゴンゴールに、周りのやつらも「そうだそうだ」と気勢を上げる。

 

「勝手に、って。許可は取ったぞ? 助祭長のサインだってある正式な物だ」

 

 これは嘘ではない。幾らなんでも聖闘士になって直後にそこまで好き勝手やる程馬鹿ではないつもりだ。体裁に拘る神官連中と諍いを起こすのは面倒以外の何物でもない。

 ジーンズのポケットから取り出した書状を見せると、何がおかしいのかゴンゴール達が一斉に笑い始めた。

 

「正式ねぇ。それが本物ではないとすれば?」

 

「……ナルホドね。そういう筋書きか」

 

 つまり、俺は嵌められた訳だ。この間の件で俺は自分で思っている以上に連中から嫌われていた事は分っていたが。

 

「許可証を偽造して勝手に外に出て行った俺を、それを口実に私刑にかける、ってか。お前ら、自分のやった事が分っているのか?」

 

 聖闘士を、身内を騙しただけではなく、聖域の発行する書状を偽造するなど最悪死罪となってもおかしくはない大罪だ。それを理解していないはずがないだろうに。

 どうしたものかと頭を抱えたくなった俺の前に、意外な事にシャイナまでもが姿を現した。

 

「……おいおい……」

 

 聖域での服装のままで。

 シャイナよお前もか、と突っ込もうかと思ったが、どうにもそういう空気ではない。

 

「ハッ、馬鹿を言うな。そんな書状など知らんなぁ。俺達はただ無断で聖域を飛び出した貴様を連れ戻しに来ただけよ。力尽くで、だ」

 

 そう言って出てきた大柄な男に俺は見覚えがあった。

 確か――ジャンゴといった名だったか。

 候補生の中でもずば抜けた実力を見せつけており、その小宇宙は既に正規の聖闘士の域に達している、と聞いた事がある。

 

 それにしても、これ程までの無茶をしでかしてまで恨まれる覚えは全くなかったのだが。日々を地味に過ごし、人付き合いも最低限に留めていたというのに。

 訝しむ俺の視線に気が付いたのか、一人の候補生が激昂しながら唾を飛ばす。

 

「テメエ、人気のない所で散々俺らをボコった事を忘れてやがるのか!」

 

 仕掛けて来たのはそっちからだろうに失礼な事を。人前でやらなかっただけ優しいと思え、と言いたい。

 他人に泣いて土下座する姿を見られんで済んだだろうが。

 

「……シャイナ、お前も同意見か?」

 

「さてね。その書状が本物か偽物か、嘘か真実かなんてあたしが知るワケないだろう? こいつ等に事の顛末を見届ける様に頼まれただけさ。まあ、お前の言葉が嘘であった方が面白いんだけどね」

 

 俺の問いにシャイナは肩を竦めてそう答える。

 

「このサディストめ。……後で覚えとけよ」

 

 どうやらシャイナには連中を止める気はないらしい。

 こうなるともう書状の真偽は問題ではなくなってしまった。あいつらにとっては何だってよかったのだ。切欠が欲しかったのだろう。

 

「余所見をするとは余裕だなぁっ!」

 

 ジャンゴはそう言い終えるや否や、俺目掛けて拳を放つ。右のワンツーだ。成る程、確かに速い。

 ブチッ、と聖衣箱を担ぐ為のベルトが断ち切られた。

 ドスン、と音を響かせて聖衣箱が足下に落ちる。

 

「フフフッ、見えたか? 気付いたか? 今は手加減をしてやった。理解できたろう? たかが青銅に選ばれた程度の日本人如きが、このジャンゴに適うなどとは思わん事だ!」

 

 悪いがハッキリと見えていた。

 

「ス、スゲエ。俺には全く見えなかった!」

 

「さすがはジャンゴさんだ!」

 

 盛り上がるゴンゴールと雑兵達。

 周りからの賞賛の声に気を良くしたのかジャンゴは胸を張って続ける。

 

「俺の小宇宙は青銅を超え白銀の位まで高める事が出来るのだ。やがては黄金の域に達し、聖域を、いやこの地上を手にしてくれるわ!!」

 

 ジャンゴ、ジャンゴ、ジャンゴ!

 取り巻きの連中の喝采が一層ジャンゴを高揚させていた。

 

「フフフフッ、うわはははははははっ!!」

 

「…………」

 

 もう、何と言えば良いのやら。若手がこれで本当に大丈夫なのか聖域は?

 思わず瞼に込み上げて来る熱いモノを抑え、俺はシャイナを見た。お前だけは、と期待を込めて。

 

「……好きにしな」

 

 俺の視線に気付いたシャイナは、こめかみを抑えながら投げやりに言った。

 この場にまともな感性の人間がいた事を神に感謝したくなった。

 

 ――どの神に感謝すればいいのか分らなかったので止めた。

 

 取り敢えず、馬鹿騒ぎを始めた有象無象は無視して俺はゴンゴールに話し掛ける事にする。

 一週間前の試合で直接俺とやり合ったお前なら理解しているだろうと。

 

「お前、この間負けたのに……またやるのか?」

 

「アレはオレの本気ではなかった!」

 

「……」

 

 その答えに、俺はもう何もかもどうでも良くなった。

 

「お前らさ、泳げるか? 泳げない奴がいたら手を上げろ」

 

「ハァ? イキナリ何を――」

 

「……泳げるのかどうかと聞いている」

 

「ちょ、ちょっと待ちな。落ち着きなって海斗!?」

 

 シャイナが慌てているがどうしたというのか。

 冷静だ。至って俺は冷静だ。

 

「ようし、誰も手を上げていないな。ならば遠慮はせん!」

 

 何やら有象無象共が直立不動で固まっている。

 誰一人として口を開こうとはしていない。静かなのは良い事だ。

 右腕をゆっくりと振り上げる。

 エクレウスを構成する四つの星をなぞる様にして描かれる小宇宙の軌跡。

 軌跡の描く歪な台形はやつらへ向けた俺の手の前で完全な四角形となり、その内側では高められた小宇宙が集中し、集束し、圧縮を繰り返し――限界を迎えたそれは今にも爆発しようとしている。

 無論、本気で放つつもりはない。有象無象共は確かに馬鹿者共には違いはないが、まだ笑って済ませられる馬鹿共だ。

 ただ、今の自分にどの程度の事が出来るのかを試すだけだ。

 

「寝覚めが悪くなる……かもしれないからな。死ぬなよ? 冥府へ向かいしヘルメスの足となりお前達に終焉を告げる――受けろ“最終宣告”(エンドセンテンス)

 

 

 

 

 

 第4話

 

 

 

 

 

 海斗の拳が光った。そうとしかジャンゴには感じる事が出来なかった。

 

「い、一体な、何が起こった?」

 

 まぶしさに思わず目を閉じてしまったジャンゴであったが、身体には何のダメージもない。

 警戒しつつ目を開けば、腕を組みこちらを見ている海斗と、その横で立ち尽くしているシャイナの姿があった。

 

「チッ、目くらましか? 小癪な……真似……を?」

 

 そこで、ジャンゴは何かがおかしい事に気が付いた。自分の周りが余りにも静か過ぎる事に。

 気配がない。

 自分の後ろに控えていたはずの者たちの気配が。

 ぞくりと、背中を流れる冷たい汗にゆっくりと振り返ったジャンゴは――

 

「な、なんだと……!!」

 

 言葉を失っていた。そこには誰もいなかったのだ。まるで最初からここに来たのが自分一人であったかのように。

 ここに来るまでに夢でも見ていたのかと、現実を疑いそうになったジャンゴであったが、海岸や砂浜に残された足跡が確かな痕跡となってこれが現実であると雄弁に物語っていた。

 

「あ……ば、ばば……」

 

 呂律の回らぬまま、全身を襲う震えを必死に抑え込み、ジャンゴは海斗へと振り返る。それは理解が追い付かないモノへの恐怖であった。

 そのジャンゴの眉間に、ピタリと海斗の人差し指が付き付けられていた。

 

「どうやらお前が主犯かな? いや、多分神官連中の誰かも手伝っているんだろう? 聖域に保管された聖衣はギリシア人にこそふさわしい、って考えが透けて見える奴が多かったからな」

 

 突き付けられたその指を掴もうと手を伸ばしたジャンゴであったが――

 

「まあ、その事は聖域でゆっくりと話してもらうさ」

 

 その直後、脳裏に巨大な波に呑み込まれる自分の姿を幻視する。

 波は迫り来る無数の海龍の頭となり、大きく広げられた口腔から覗く巨大な牙がジャンゴの全身を貫きその全てを咀嚼した。

 

「ぃぎゃあっ!?」

 

 あまりにも現実離れしたそのヴィジョンからジャンゴはそれが幻覚であると理解していたのだが、眉間から全身を貫く様に走った激痛が脳裏に浮かぶ惨殺された自身の姿と一致してしまう。

 それがあたかも現実であると誤認させられたジャンゴは耐え切れずに意識を失いその場に崩れ落ちた。

 

 

 

「か、海斗、アンタ一体何を? いや、それよりも今見せた力は……」

 

「何って、ちょいと軽く海へと吹っ飛ばしただけだ。ジャンゴに関しては精神感応(テレパス)に現実の痛みを組み合わせた……幻通拳とでも名付けるか?」

 

 エンドセンテンス――四角形の中で極限にまで高めた小宇宙を破壊のエネルギーとして変換し、その波動を対象目掛けて一気に放出する技。

 前のオレのダイダルウェイブもそうだったが、どうやら俺は小宇宙を高め拳と拳をぶつけ合う聖闘士の王道的な闘法よりも、高めた小宇宙を相手へと解き放つこういった闘法が向いていた。

 とはいえ、四年前の当時は小宇宙の更なる圧縮という工程に手間取っていたが、“溜め”と“放出”というのは師アルデバランが得意とする分野であったのが幸いだった。

 居合拳から学びコツを得てモノにしたのだが、思った以上にしっくりきた事を不思議に思ったのも懐かしい。

 

「あいつらも鍛えてるんだから、その内泳いで戻って来るだろうよ。それにしてもコイツ重いな」

 

 二人ぐらいはこの場に残しておけばよかったか。そう軽く後悔するが今更だ。

 

「取り敢えず、アテネまでタクシーにでも乗せて……いや、金がない。バスも……駄目だな。なあシャイナ金持ってない?」

 

「質問に答えなよ。こっちは真面目に聞いてるんだ。一瞬だったけど確かに馬鹿げた小宇宙を感じた。あの時も、今も。それに今の技だ。試合の時にも思ったけどね、確信を持った」

 

 一言一言を噛み締める様に、シャイナは静かに俺へと詰め寄って来る。

 

「アンタは聖域で過ごしたこの四年間ずっと手を抜いていたワケだ」

 

 確かに手を抜いていたと言われれば否定は出来ない。自分の力を高める事には本気だったが、少なくとも聖闘士となる事に全力で取り組んではいなかった。

 それに、理由など話せるはずもなく、言ったところで到底納得出来るモノでもないだろう。

 

「……ふざけんじゃないよ。アタシらはね、聖闘士となるために命懸けでやってきたんだ!」

 

「落ち着けって、そんなに興奮して叫んでいたらマスクが外れるぞ?」

 

「そんな事はどうでもいい!」

 

 どうでもいいって、お前自分が何を言っているのか分っているのか?

 そう軽口を叩こうとした俺だったが、ジャケットの襟元を掴みそのまま首を締め上げようとするシャイナの尋常ではない様子に、何も言うことが出来なかった。

 

「再起不能になった奴もいれば死んだ奴だっている!! それを何だアンタはッ!?」

 

 ギリギリと締め付けられる力が強くなる。

 

「それだけの力があったんなら、アンタにとってアタシらが必死になっている姿はさぞ滑稽だったんだろうね? 陰で笑っていたんだろう?」

 

 パシンと、乾いた音が鳴った。

 

「アンタは凄いよ、天才って言葉が相応しいのかもしれない。でもね……馬鹿にするのもいい加減にしな」

 

 掴まれていたジャケットの襟元が破れ、行き場を失ったシャイナの手が俺の横っ面を叩いた音だ。

 

「……なんで避けないのさ? 同情かい? 憐れみかい? それとも、余裕過ぎて避けるまでもないって?」

 

「……」

 

「何とか言ったらどうだい?」

 

 俺を見上げるシャイナのマスク、その隙間から流れる涙が見えた。

 言えるはずがない。何を言ったところで言い訳にしかならない。

 俺がここで謝罪の言葉を述べたところで、それは侮辱にしかならない。そんな気がする。

 そのまま、互いに無言で向かい合う。目を逸らしはしない。それをしてはいけない事ぐらいは分る。

 

 

 

 そうして、しばらく経った頃。ハァと大きく息を吐いたシャイナが拳を握り――トンと俺の胸にその拳をあてた。

 

「……悪かったね。あんまりだったからさ、ちょっと驚いちまってね。黄金の弟子なんだから才能や力があってもおかしくはない」

 

 才能のない人間のやっかみだとでも思ってくれて構わない。そう言ってシャイナは倒れているジャンゴの下へ歩み寄りその身体を担ぎ上げる。

 

「心配しなくても聖域にはちゃんと事実を報告してやるさ。ただ、野心を持つのは勝手だがジャンゴの言った言葉は聞き逃せるもんじゃない。コイツには何らかのペナルティが与えられるだろうね」

 

「……ああ、そうだな。頼む」

 

 俺とシャイナはそれ程親しいわけでもなかったが、さすがにさっきまでの空気を引き摺り続けるのはキツかった。

 身に纏う雰囲気が俺の知る普段のシャイナに戻った事で、気持ちが少し軽くなった気がした。

 

「アンタもさっさと聖域に帰りな。これで知っただろうけどね、アンタも星矢も『上』の連中から目を付けられているんだ。今日みたいに難癖を付けられるのが嫌なら、もうしばらくは迂闊な行動は控える事だね」

 

「俺だけではなくて星矢も名指しか? 連中の国粋主義も大概だな」

 

 聖闘士はギリシア発祥とは言え、閉鎖的にも程がある。

 あくまでぼやきであって、特に誰かに返答を期待したものではなかったのだが、シャイナには聞こえていたのだろう。

 

「確かに聖域の連中には快く思われていないけど、意外と聖闘士の中にはギリシア人以外も多いさ。まあ、ほとんどは聖域の外で聖闘士になった奴らだけどね」

 

 つまりは肯定ってわけか。東洋人以外で、俺と星矢に共通する点といえば城戸光政かグラード財団ぐらいしか思い付かない。

 こうなると、ますます城戸の爺さんが聖域の反感を買う様な、余計な事をしていたんじゃないかとの仮定が信憑性を帯びる。

 

「ご忠告感謝するよ。それにしても、今日は随分と優しいな」

 

「フン、殴った分はこれでチャラにしといてやるから――他言は無用だよ」

 

 みっともない所を見せちまったからね。そう言い残し、ジャンゴを担いだシャイナはこちらを振り向く事無く去って行った。

 

 

 

 

 

「意外といい女かもねアイツは。あれでもう少しキツさがなければ……想像出来んな」

 

 人気のなくなった砂浜に腰を下ろし、星座の輝く夜空を眺め打ち寄せる波の音を聞きながら、俺はシャイナに言われた事を思い出していた。

 

「馬鹿にするな、か。全く、痛い所を突く」

 

 あえて考えない様にしていた事だけに、それを指摘されて心情的にかなりクルものがあった。

 

「俺は……どうしたいんだろうな」

 

 ずるずると先延ばしにしていた結論。

 地上粛清を完全に否定する気はないが、海闘士として生きるには俺にはオレ程の熱意もない。

 現世では海闘士の活動自体が時期尚早であるという、オレと俺の知識から得た確信もある。

 海皇の完全なる覚醒にはあと二百年程は必要であり、不完全な覚醒状態の海皇の下ではその加護をどれ程得られるのかが分らない。

 神の意志に完全に覚醒してこそ、その魂を宿した人間は現世において神の力を正しく行使できるのだ。

 姿を見た事はないが、アルデバランからアテナは既に聖域に光臨していると聞いている。ただ、今はまだ幼い少女であり、女神アテナとして正しく覚醒を果たすまではアテナ神殿で教皇に守られながら学び日々を過ごしている、とも。

 いつ覚醒してもおかしくはないアテナとその加護を得られる聖闘士。不完全な海皇でも神話の時代よりアテナと戦ってきた神だ。負けるとは思わないが、正しき加護を得られぬ海闘士が勝てると思えない。

 追い詰められた海闘士がどんな無茶をしでかすかもわからない以上、聖闘士との不必要な開戦は避けるべきだ。

 

「降りかかる火の粉は払うべきだが、徒に火を付けて回るのは違う」

 

 こう考えてしまう時点で、俺はかなり聖闘士寄りになってしまっている。

 だが、シャイナにも言われた通り、俺が聖闘士を目指したのは力を得る為の打算であり成り行きに過ぎない。

 海闘士となってやがて聖闘士になるであろう星矢たち孤児仲間に拳を向けるつもりもない。

 アルデバランには育てて貰った恩義はあったが、だからと言って真実を打ち明けるつもりもなければ、海皇にも女神アテナに対する忠誠もない。

 どちらにもなるべき理由が、目指すべきモノが俺にはない。

 

 これまでも考えなかった事はないが、思考はいつもぐるぐると同じところを回る。

 些細な変化もなくただ回り続けるだけであるならば、それはある意味で停止しているのと変わらないのではないかと考える。

 

「結局、中途半端とは分っていても今のままが良いのだろうな」

 

 ある種ぬるま湯のような。現状維持、行き着くのはそこだ。

 

「なら、せめて現状維持への最高の一手は無理でも最善の一手は打たせてもらおうか」

 

 聖衣の箱に手を伸ばす。

 箱の正面に描かれたレリーフ――馬の口に咥えられた握りを捻り、一気に引き抜いた。

 ジャッという音を立てて鎖が引き出され、ドンという空気を震わせる衝撃を伴って聖衣箱が開かれる。

 立ち昇るのは、夜空へと向かい飛翔するエクレウスのオーラ。長き眠りより解き放たれたかの様に、高く、高く舞い上がる。

 残されたのは、槍を咥えた天馬を模した白いオブジェ――エクレウスの青銅聖衣。

 オブジェ形態から、弾かれるように四散した聖衣が俺の身体へと装着される。

 (レッグ)(ウエスト)(チェスト)(アーム)(ショルダー)そして(サークレット)へと。

 海将軍の鱗衣や黄金聖衣に比べて必要最低限の部位の保護しかない鎧であったが、それでも内なる小宇宙の高まりに応じる様にエクレウスの聖衣が俺の力を増しているのを感じる。

 

「聖衣は……コイツは俺を聖闘士として認めた、か」

 

 嬉しくもあり悩ましくもあり。思わず苦笑してしまった。

 これでは、ますますどちらの道を選ぶべきかの判断に迷う。いっそ拒絶されていれば悩む事もなかっただろうに、と。

 

「どちらにせよ、やるべき事は一つだけだ」

 

 ゆっくりと視線を動かす。

 スニオン岬の崖下には一般人が気付かぬ様に張られた結界があった。そこに隠されているのは懲罰房だ。聖域が捕えた敵や、過ちを犯した聖闘士を懲らしめるために使ったとされる岩牢だ。

 波が岩肌にぶつかり、飛沫を散らして海へと帰り、再び波と化して岩肌へ。大きな波がぶち当たれば、大きな飛沫を撒き散らす。

 

 舞い落ち散る飛沫の中に影があった。人の影だ。

 

 ゆっくりとこちらに歩み寄る人影は、夜空に輝く星々の煌めきに照らされて闇の中からその姿を晒し出す。

 それは黄金の輝き――シードラゴンの鱗衣を纏った男だった。

 その身から立ち昇る小宇宙は間違いなく前世のオレを殺した男と同一。あるいは、この世界とあの世界の過去は違うという期待もあったのだが。

 十中八九、この世界でもこの男が海皇復活に関わっているのは間違いないだろう。

 

「ほう、奇妙な小宇宙に興味を持ってやって来たが、まさか聖闘士とはな」

 

「そういうお前も、鱗衣で上手く誤魔化している様だが――俺には分る。海闘士とはやはり少し違う。思った通り――聖闘士か?」

 

 ハズレを引くは忠告を受けるはと色々あった一日だったが、最後に大当たりが来てくれた。

 

「……貴様、何者だ?」

 

 その男の問い掛けに、俺は笑いを抑えきれなかった。

 

「何がおかしい」

 

「ハハハハハッ! いや、あの時とはまるで逆だと思ってな。気にするなよ、『お前』には分らない事だ」

 

 拳を握り、真っ直ぐに相手を見据える。

 

 あの時と同じ。

 いや、あの時と今の俺とでは決定的に違う。

 

「俺が誰かって? 見て分らないのか? お前が言ったじゃないか」「聖闘士さ、お前を倒す為の聖闘士――エクレウスの海斗だ」

 

 この世界で何を成すにしても、シードラゴンで終わった俺は、この男(シードラゴン)から始めなければならない。

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