聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第6話 分かたれた魂!の巻

 そこは白が全てを覆い尽くす、そんな場所であった。

 見上げる空も、見下ろす大地も、その全てが吹き荒ぶ雪によって。

 

 その白の中にあって、異質さを感じさせる白があった。

 それは生命の輝きを、艶を失った白――エクレウスの聖衣。それを身に纏い立ち尽くす人影である。

 

 ビュウと音を立てて一段と強い風が吹き抜ける。

 ざあっと空の白が流され、そこに星々が煌めく夜空が姿を現した。すると、どこからともなく現れた一羽の白鳥が空を舞い、星々の彼方へと姿を消す。

 白鳥が飛び去った後にはただの白だけが残った。

 エクレウスの聖衣を纏った人影は動かない。

 

「ここは現実と虚構の狭間。魂と魂が触れ合うことのできる刹那の場。初めまして、先代のシードラゴン」

 

 若い男の声だった。

 白の世界にその声が沁み渡る様に広がり、瞬く間にその世界の姿を変える。

 見渡す限りの本の山であった。蔵書が詰み込まれた棚は幾重にも積み上げられ、その上限がどこにあるのかも窺い知れぬ程に高い。

 

「まさか、こうして話をする機会を得られるとは思いもしなかった」

 

 そして現れる新たな人影。

 それは、紫がかった銀色の髪と大海の青を瞳に宿した青年であった。

 穏やかに笑みを見せるその姿は一見すると学者の様でもあった。

 

「僕の名はユニティ。君の事は鱗衣が教えてくれていたから知っているよ。恐らくは“君自身”よりもね。こうして出会えたのも何かの縁、少し話さないか――キタルファ」

 

 エクレウスの聖衣を身に纏った男がユニティへと振り返る。

 身に纏ったエクレウスの聖衣はその姿を大きく変え、必要最低限の箇所を覆うだけであった鎧はほぼ全身を包み込んでおり、流線形を多用したフォルムとその背に備えられた翼が大きくシルエットを変えていた。

 黒い髪はブロンドに、黒い瞳は澄んだ青い瞳へとその色を変える。

 

「……まさか、再びその名でオレを呼ぶ者が現れるとはな」

 

 

 

 冥王ハーデスと女神アテナの戦い、前聖戦の中盤においてその趨勢は大きく冥王へと傾いていた。

 天空へと昇りし冥王の居城――ロストキャンバスへと至る道を見出せぬまま、聖闘士と地上は消耗をし続けていたのだ。

 その状況を打破すべく打ち出された案が東シベリアの最果て、極寒の地ブルーグラードにて封印された海皇ポセイドンの助力を得る、というものであった。

 敵の敵は味方。そう単純な事でもなかったが、地上を死の静寂に満たそうとする冥王の行為は海皇にとっても容認できるものではなかった。海皇は死者の国を統べる気はなかったのだから。

 利害の一致が認められる以上、交渉の可能性はゼロではないとしてアテナは二人の黄金聖闘士をブルーグラードへと派遣する。

 アテナによって施された封印を解き、アトランティス海底神殿へと向かった二人はそこで冥王軍と海闘士と遭遇し、暴走した海皇の力と戦いを繰り広げた。

 

 それが、今から二百数十年前の出来事である。

 

「僕はそこでシードラゴンとしてアクエリアスの黄金聖闘士と戦い――自分の弱さと愚かさを思い知った。その後の僕がどうなったのかは知らない。心折れたまま朽ち果てたのかもしれないし、或いは――。

 いや、今となっては、だね」

 

 淡々と自身の事をまるで人事であるかの様にユニティは語る。

 

「所詮、この僕は鱗衣に宿ったユニティという男の願いの、想いの残滓にしか過ぎないのだから」

 

「確かに今更だな。それで、わざわざこんな場まで用意した理由は、用件はそれだけか?」

 

「まさか。言ったはずだよ『思いもしなかった』と。これは鱗衣を、シードラゴンの資格を継承する為の儀式の様なものさ。先代の意志に、記憶に触れて力と技を継承するんだ。とはいっても、今のシードラゴンは随分と自我が強いせいか鱗衣からの干渉を一切受けていない。力でねじ伏せて従えているのさ。それは君も同じだったみたいだけどね」

 

「全てはあの男の実力か。まあいいさ。継承の儀式と言ったな。では、“俺”はまだ死んではいないのか。運のいい事だ。いや、いっそ死んでいた方が良かったのかもな」

 

「随分と素っ気ないものだ。君自身の事だろうに、まるで他人事だ」

 

「オレ自身の事だからさ。所詮こいつもオレでしかなかったという事だ。力があっても何も救えず、その手から全てを取り零すのだろうよ。それに気付く事なく、絶望を知らずに死んでゆければ幸せだろう」

 

「――成る程、どうして僕と君がこうして出会う事ができたのかが解った気がするよ。あの男との戦いでのシードラゴンの鱗衣との直接的な接触だけが原因かと思っていたが――違う」

 

 スッと、ユニティの目が細められる。その視線は、まるで何かを観察する様な、嫌な視線だとキタルファは感じた。

 

「あの男、カノンは強靭な、揺るがぬ自我によって鱗衣の干渉を抑え込んだ。それはかつての君も、だ。それが、今の君はこうして鱗衣からの干渉を受けている。揺るがぬ自我、君が君であり、君たらしめていたモノが欠けている。君は――何かを背負わなければ生きていけないんだ。それは兄の夢であり、妹の幸せであり、戦場に散った聖闘士たちの願いであり、託された希望だ。誰かに必要とされなければ――君は自分に価値を見出せない。生の実感を得られない。今の君には背負うモノが何もない。だから目の前に迫る死にもそんな淡白でいられる。容易く死を受け入れようとしている」

 

「……分った様な事を言う」

 

「分るさ。そして、君も僕の事が分るはずだ。見えているのだろう、君には僕の過去が」

 

 ユニティの語る事は正しい。

 魂が理解をしている。

 

「無二の友が僕の元を去り、僕にとって太陽の様な姉も死んだ。人は太陽がなければ生きてはいけない。極寒の地ブルーグラードでは太陽なくして生きていく事は、希望を持つ事なんてできはしなかった。世界を憎み、妬み、父を殺してまでも力を欲した心弱き愚か者、それが僕だ」

 

 シェアトを亡くし、フェリエを殺した。故郷を失い、ならばと託された願いを理由として力を振るい――カストルに敗北したのがキタルファだ。

 力を持ちながら、それを振るう理由を他者に求めた続けたキタルファと、己の憎悪を吐き出す為に力を欲したユニティ。

 

「隠していてもしょうがない事だから、君の記憶の影響がなかったとは言わないよ。こうして全てが終わったからこそ、傍観者となった身だからこそ言える事だけれどね。お互い愚かだったと」

 

 ザッ、と周囲にノイズの様なモノが走り、積み上げられた無数の本棚が音もなく崩れ始め、光の粒となって白の中に消えてゆく。

 

「ああ、もう時間のようだ。もっと気の利いた話をしたかったのだけれども」

 

 ユニティの身体も同様に、四肢の末端から光に粒となって周囲の白に溶け込むように消え去ろうとしていた。

 

「君と僕は間違ったんだ。それは変えようのない事実さ。そして、過去でありながら現在に繋ぎとめられた君が自分に絶望するのは分らなくもないが、それを君自身(海斗)にまで重ねるのはどうかと思うよ」

 

 ユニティの腕が消え、脚が消える。胴体が透明度を増し、輪郭がぼやける。

 

「過去でしかない(キタルファ)現在(いま)を生きる君自身(海斗)は違うのだから」

 

 

 

 

 

 そう言い残し、ユニティと名乗った記憶の残滓はその全てを白の中へと消した。

 後には、ただ立ち尽くすキタルファのみが残された。そして役目を終えた白の世界が、周囲からあふれ出た黒の中へと呑み込まれる。

 これで現実に戻るのかと思った時、そうなればこの意識はどうなるのかとキタルファは考えた。

 キタルファに海斗の記憶はあるが、海斗にキタルファの記憶はない。実際はあるのだろうが、それが表面に出る事はないだろうとも思っている。

 それは、キタルファが己の背後に背中合わせに立つ海斗の存在を感じているからだ。自分と海斗は違う。それを認識した時、海斗はキタルファの背後にいたのだ。

 カノンとの戦いで負ったダメージによるものか、海斗に意識はない。

 

「……キタルファ(オレ)海斗()は違う、か。ならば、俺のこの手は――」

 

 誰かを救う事ができるのか?

 自身も黒に呑み込まれながら発せられたその呟きに答える者はいない。

 

 いないはずであった。

 

 

 

「一つの器に二つの魂。限りなく同一に近くありながら、その性質は水と氷の如く、か。その歪められた輪廻にも何者かの力を感じる。これは、教皇が気になされるのも頷ける」

 

 瞬く間に黒が弾け飛び、黄金の輝きが周囲を埋め尽くす。

 黄金の輝きに満ちた海の中から幾つもの蓮の花が芽生え、その花弁を開いてゆく。

 

「この輝きは……まさか、黄金聖衣か? この異界ともいえる空間に黄金聖闘士だと!?」

 

 色とりどりの無数の蓮華の中、黄金の輝きが人の形となってキタルファの前に姿を現した。

 腰まで届く金色の髪、両眼を閉じたその姿は海斗がアルデバランから聞かされたとある黄金聖闘士の特徴と一致する。

 アルデバランは海斗に言っていた。その男は聖域で最も恐るべき男であると。そして、その強大な小宇宙から『最も神に近い男』と呼ばれていると。

 

「フム、まるで天秤の支柱だな。確固たる己を持たず、秤の重さで己のあり様を決める。その秤が善に傾く内は良し。しかし、悪に傾くのであればその魂、この場で六道輪廻へ落とすのみ」

 

「くっ……やつの両手の内に小宇宙が……!」

 

「君が何者であるか興味深くはあるが、少なくとも今の君の成長という点においては害悪でしかない。君という過去が未来の可能性を閉ざしてしまうのだ。それは我々も、君も望むべき事ではあるまい」

 

「小宇宙が燃焼し爆発する!? こ、これは!!」

 

「さあ、眠りたまえ。この乙女座(バルゴ)の手によって――“天魔降伏”!」

 

「う……おぉおおおおっ!?」

 

 放たれた小宇宙がキタルファ目がけて炸裂した。

 

 

 

 

 

 第6話

 

 

 

 

 

 聖域黄金十二宮、その第二の宮――金牛宮。

 

 自身が守護する金牛宮の中で、黄金色の小宇宙を全身から静かに立ち昇らせるアルデバラン。

 瞳を閉じ、腕を組んだ姿勢で立つその様は、彼と相対する者に巨大な壁を連想させる。

 

「……むぅ……」

 

 それからしばらく。陽が落ち、十二宮が夜の闇に閉ざされた頃。

 しばらくしてアルデバランは眉間にしわを寄せて一つ唸った。

 教皇の間から金牛宮へと戻った彼は、それからこれまでの間ずっと海斗の小宇宙を探り続けていたのである。

 しかし、教皇の間で感じ取ったあの時を境として、一向に海斗の小宇宙を感じ取る事は出来なかった。

 

「……どういう事だ?」

 

 続けたアルデバランの呟き。それは海斗の事についてだけではない。

 

「ありえん。この十二宮にいる他の黄金聖闘士の小宇宙すら感じ取れぬとは」

 

 現在十二宮にいるはず他の三人の黄金聖闘士。

 彼らの小宇宙も感じ取れなくなっている。その事態にアルデバランは更なる困惑を隠せない。

 教皇の間から金牛宮へと戻る際に、確かに彼らの存在を確認していたのにも関わらず、である。

 

「まるで十二宮全体が深い霧に包まれた様な……。これでは、万一の事態でも起きてしまえば対応が遅れかねん」

 

 目を開き、おそらくはこの事態の元凶であろう人物のいる場所へと視線を向ける。

 黄道十二宮、その第六番目の宮――処女宮へと。

 

「やはり……お前もこの異様な気配を感じたのかアルデバラン」

 

 背後からかけられたその声に、アルデバランはそれが誰のものであるのかを確認するよりも速く、己の意識を戦闘のソレへと切り替えた

 感覚が狂わされているとはいえ、己の守護する宮にこうも容易く侵入を許す、侵入を果たした相手を警戒しない道理はない。

 

「――何者だ」

 

 タイミングも悪い。故に、アルデバランの声には一切の温かみもなく、鋼の如き冷たさと鋭さがあった。

 

 その鋼を熱い何かがするりと抜けた。

 熱は燃え盛る炎の様でもあり、凍えた身体を癒す暖の様な温かさがあった。

 

「あまり怖い事をするなアルデバラン。いかに俺でも聖衣のない生身でソレを受けてはただでは済まんのでな」

 

 己の組んだままの腕を静かに抑え込んだその熱を――目の前に立つ男が誰であるのかに気が付いたアルデバランは相好を崩して笑った。

 

「おお、アイオリアか! いや、ウワハハハハハッ!!」

 

 組んでいた腕を解いたアルデバランは、豪快に笑いながら「すまん」と加えて相手に詫びた。

 

「ハハハッ、まあ細かい事は気にするなアイオリアよ」

 

「……全く、こちらとしては笑い事ではないのだぞ?」

 

 そう言って苦笑したのは聖域で活動する聖闘士の一人であった。

 身に纏う衣服こそ聖域で活動する雑兵たちと同じ物であるが、その眼差しの鋭さと、醸し出される気配は彼が“モノが違う”事を雄弁に知らしめていた。

 

アルデバランと同じく、当代の黄金聖闘士の一人――獅子座(レオ)のアイオリアである。

 十二宮五番目の宮“獅子宮”を守護する彼であったが、普段は主に聖域周辺における警護の任に当たっている。

 女神アテナ、そして教皇への忠誠も厚く、聖域では『聖闘士の鑑』として尊敬の念を集めている男でもある。

 聖闘士にとって王道ともいえる“拳による闘法を極限にまで極めた男”とも呼ばれ、実力者の集う黄金聖闘士の中でも一目置かれる存在であった。

 

「だが、うむ。良い所に来てくれたなアイオリア。俺は今より少し金牛宮を離れる。この十二宮を覆う小宇宙も気になるが――」

 

「先の巨大な小宇宙は俺も感じていた。お前の弟子である海斗が聖域から離れる許可を求めていたらしいが、それに関係しているのかも知れんな」

 

「何だと? あいつめ、俺が戻るまで待てぬ事でもあったのか? まあいい。教皇は気にするなと言われたが、やはり気になるのだから仕方があるまい」

 

 頼んだぞ、と。アルデバランはアイオリアにそう頼もうとし、アルデバランが何を頼むのか予想の付いていたアイオリアもまた、構わんと、そう答えようとした。

 

 その二人の動きが不意に止まった。止められた。

 

 

 

 ――それは無用ですよアルデバラン。

 

 

 

 突如として脳裏に響いた声によって。

 

「……俺の脳裏に、いや、小宇宙に直接語りかけるこの声は……」

 

「まさか!? いや、あの男ならば十二分にあり得る。この十二宮を覆う異様な小宇宙、この様な芸当が出来るのは聖闘士の中でも“あの男”しか考えられん」

 

 キッと、アイオリアは射抜く様な鋭い視線を処女宮へと向けた。

 

「これはお前の仕業か。乙女座(バルゴ)の黄金聖闘士――シャカ!」

 

 乙女座のシャカ。

 彼は自ら五感の一つである視覚を封じており、常にその瞳を閉じ、結跏趺坐を組んだままの姿勢で己の守護する処女宮で静かに小宇宙を高めながら瞑想を続けている人物である。

 最強を誇る十二人の黄金聖闘士にあって『最も神に近い男』と呼ばれており、また女神アテナを護る聖闘士でありながら、異国の宗派を改めず、その絶大な小宇宙によってあらゆる空間を自在に行き来し、神仏と対話を行うとさえ言われることから『仏陀の生まれ変わりである』とすら呼ぶ者もあった。

 聖闘士でありながらシャカは明らかに異質な存在であり、シャカ自身もそれを自覚しているのか他の黄金聖闘士達から一歩引いた場所に己を置いている。

 シャカが一体何者であるのか、それを知る者はいない。その意がどこにあるのかも。しかし、その実力に異論を挿む者もまたいない。

 

『フッ、そう気を荒立てるものではないアイオリア』

 

 シャカの声にはまるで赤子をあやす様な穏やかさがあり、二人は緊張から我知らず握っていた拳を解く。

 

「……では、この十二宮を覆う小宇宙は何なのだ?」

 

「うむ。これでは十二宮はおろか『外』で何が起こっているのか、それすらも分らんではないか。それに、海斗を探しに行く必要がないとは――」

 

『二つお答えしよう。まず一つ。十二宮を覆う小宇宙についてはこのシャカの落ち度である事を認めよう。先程教皇より新たな結界を求められて試してみたが――どうやらアテナの結界と作用し合った事で必要以上に君達の感覚までもを狂わせてしまった様だ』

 

 ――今解こう。

 そのシャカの言葉と共に、パンという柏手を叩く音が鳴り響く。十二宮を覆う様に感じていた小宇宙が瞬く間に消えた。

 

「ん? おお、分る。感じるぞ小宇宙を」

 

 十一番目の宮“宝瓶宮”にカミュの、処女宮にシャカの、そしてこの金牛宮にいるアイオリアの小宇宙を。視界が晴れ渡るような感覚に、シャカの言葉が真実であったと納得するアルデバラン。

 しかし、アイオリアは未だ難しい顔をしたままである。その顔を上げてシャカに問う。

 

「シャカよ。お前は先程海斗を探しに行こうとしたアルデバランに無用と言った。では、お前は知っているのか? 何があったのかを」

 

『二つ目だ。それを君が気にする必要はないよアイオリア。それは君もだアルデバラン。教皇は気にするなと言われたのだ。聖闘士にとってアテナに次いで教皇の御言葉は絶対。素直に従いたまえ』

 

 穏やかな口調に反し、その言葉の中に秘められた拒絶の意思。

 

 そこに隠さねばならない何かがあった事は明白。それをシャカは知っている。

 生来から、隠し事や謀といったものを嫌う一本気な性格であると自他共に認めているアイオリアである。だが、と食い下がろうとするアイオリアの肩を、しかしアルデバランが抑えていた。

 

「アイオリアよ、俺の弟子の事を気にかけてくれるのはありがたいが、そこまでにしておけ」

 

「……アルデバラン……だが、しかし」

 

「シャカよ、お前の言うことは分った。その言葉に従おう。何があったとも問わん。だが、これだけは聞かせて貰いたい――海斗は無事か?」

 

『……フム』

 

 アルデバランの問いに僅かの逡巡を見せたシャカであったが、この程度ならば構うまいと、こう答えた。

 

『彼は教皇の勅命を受け数日の内にこの聖域から『外』へと向かう事となった。私が伝えられるのはそれだけだ』

 

 

 

 

 

 聖域の端には、一見すると廃墟同然の朽ち果てた一角が存在する。古の古戦場の跡でもあると言われているがその真偽は不明である。

 そこでは、聖闘士を目指す多くの若き候補生達が昼夜問わずに激しい修行を行っていた。

 早朝であるにもかかわらず、周囲からは大地を砕く音や、気合いの声が聞こえて来る。

 

 彼らと同じ様に、聖闘士を目指す星矢は師である魔鈴と共にここで修行を行っていた。

 

 突き出された拳を、蹴りを、避ける、躱す、受け止める。

 十字に交差させた両腕で受け止めたにもかかわらず、その衝撃は星矢の内臓を激しく揺らし、込み上げる嘔吐感に堪らず大地に膝をつく。

 

「~~ッ!? ッぐぅ~~うえぇえ……」

 

「何をぼさっとしてるのさ」

 

 吐しゃ物を撒き散らし、いかに苦しんで見せたところで魔鈴の攻撃の手が緩む事はない。

 目前に迫る爪先を、どうにか身体を逸らした事で回避した星矢であったが、そこで油断した。

 

「……フゥッ……。全く、成長しない奴だね」

 

 そのまま振り下ろされた魔鈴の踵の一撃を背中に受け、顔面から地面に叩き付けられてしまう。

 

「……な、なにおぅ……!」

 

 嘲りと呆れを含んだその声に、こなくそと闘志を燃やして立ち上がろうとした星矢であったが――

 

「キャンキャン吼えんじゃないよ。よわっちいお前なんかがいくら吠えたところで喧しいだけさ。吼えるだけならそこらの番犬の方がよっぽどマシだ、って事を叩き込んでやったろ?」

 

 忘れたのかい、と。駄目押しとばかりに星矢の頭を踏みつける。

 普段の修行であれば、組手であれば魔鈴はここまではしない。

 事の発端は、切欠は海斗の試合である。自分と同期である海斗が聖闘士となった事で星矢にも思うところがあったのだろう。自分もそろそろ聖闘士になれるのではないかと、思わず口にしてしまったのだ。

 それを魔鈴に聞き咎められたのが星矢の運の尽きであった。あわれ、この四年間で得たちっぽけなプライドごと完膚なきまでに叩きのめされた星矢はその意識を失った。

 

 

 

「痛テテテッ。魔鈴さん、これ絶対コブになってるって。もうちょっと手加減してくれたって……」

 

「したさ。でなきゃあお前の頭は――」

 

 こうだよ、と。

 拾い上げた石を軽く握り潰して見せる魔鈴。

 それを見た星矢の顔から血の気が引く。

 

「今の組手の採点をしてやるよ。喜べ星矢、零点だ」

 

「な、何でだよ! 今日はいつもよりも持った筈だろ!?」

 

 星矢と魔鈴の修行はこの早朝の組手から始まる。

 この結果によってその日の修行内容が決定され、魔鈴の採点が低ければ低い程、その日の修行は辛いものとなる。ちなみに、零点は二年間ぶりであった。

 その時の地獄を思い出す。それだけに、この採点は星矢にとって到底受け入れられるものではなかった。

 しかし、この星矢の態度は減点要素になりこそすれ加点要素になるはずもなく。

 

「げふっ!?」

 

 魔鈴の繰り出したパンチの衝撃波を受けて吹き飛ばされた星矢は、瓦礫の中に頭から突っ込む事となる。

 

「ケツの青いガキが生意気言ってんじゃないよ。この間教えてやった事をもう忘れたのかい?」

 

「ペペッ、そうやってすぐに暴力を振るってたんじゃ、魔鈴さんには絶対嫁の貰い手が――あぶしっ!?」

 

「――今、何か言ったかい?」

 

 気にしていたのかいないのか。

 折角這い出せたものの、余計な一言を言った星矢は再び瓦礫の中へ。

 先程よりも深くめり込んでいる様に見えるのは気のせいか。

 

「昔教えてやっただろう? 聖闘士は原子を砕く破壊の究極をモノにした存在だって。そんな相手の攻撃を、生身で受けたいのかい? 自殺したい、ってんなら止めやしないけどね」

 

 バタバタと動いていた星矢の足が止まる。

 

「もっとも、小宇宙を極めた連中――黄金聖闘士であれば可能かもしれないけどね。まあ、あいつらは例外だ。避けるか、間合いを潰すか、相手よりも先に当てるか、大人しく死ぬか。お前が選べる選択肢はそう多くはないさ」

 

 しょうがないね、と呟いて魔鈴は星矢の足に手を伸ばす。

 

「……あんたたちはいつもこんな事をやっているのか?」

 

 その時、そう言って現れたのは、どこか呆れた様子を隠せないシャイナだった。

 

「成程ね。毎度毎度カシオスにあれだけこっぴどくやられておきながら、翌日にはぴんぴんしているのはこのせいか」

 

 瓦礫の中で「それは違う!」と星矢は声にならない抗議の声を上げる。でも、内心そうかもしれないと思っている事は絶対に口には出さない。

 それを言ってしまえば、このドSの師匠は嬉々として自分をいたぶるだろう。猫がネズミをいたぶるよりもヒドく。そんな脳内未来予想図を全力で破り捨てる。

 

(姉さん、美穂ちゃん。オレ絶対に生きて日本に帰るからな!)

 

 でも、その前に引っ張り上げて欲しい、この状況は地味にキツイから。そう願う星矢の声が二人に聞こえるはずもなく。

 魔鈴は星矢の足へと伸ばした手を引くと、シャイナと向き合った。

 

「なんだシャイナかい。よその候補生の修行を覗きに来るなんて、あんまり良い趣味とは言えないよ」

 

「フン、別にあんたたちの修行に興味はないね。同じ日本人なんだ、ここに海斗がいるかと思って来ただけさ」

 

「……何で海斗の名前が出るのかが分らないけど。あんたとあいつに大した接点なんて……ああ、ひょっとして昨夜のアレかい?」

 

 昨夜、二十人近くの若手の候補生や雑兵たちが聖域を離れた事は魔鈴の耳にも入っていた。その中には海斗に敗れたゴンゴールやジャンゴの姿もあったと。

 何をしようとしていたのかは知らないが、どうせロクでもない事だろうと魔鈴は当たりを付けていた。

 

「どうだっていいだろ、そんな事は。で、魔鈴。あんたは知ってるのかい?」

 

「知らないよ」

 

「使えないね」

 

 魔鈴の返事を予想はしていたのか。それ以上何を言うでもなく、シャイナは周囲を見渡した。

 

「あっちにも……いないか。おい星矢」

 

 魔鈴の横を通り過ぎたシャイナは星矢の足を片手で掴むと、まるで道端の雑草を抜く様にあっさりと瓦礫の中から引き抜いた。

 

「ぶへっ、ぺぺぺぺっ。口の中が砂利だらけだよ、って。何だよシャイナさん?」

 

 片手で吊り下げられた星矢が見下ろしながら見上げた先には自分を見下すシャイナの姿。

 引き上げてくれた事には礼を言いたいが、男としてこの体勢はいかがなモノかと悩む。

 

「あんた、海斗とは親しかったよね。アイツが普段どこにいるのかを知らないか?」

 

「海斗? さあ? そりゃあ、オレはあいつと同じ所から来たけど、聖域ではそんなに頻繁に会っていたわけでもないし。むしろ、あいつが普段何をしているのかを知っている奴っているのか?」

 

「そうかい」

 

 なら用はないと言わんばかりに、シャイナは星矢の身体を放り捨てた。

 

「邪魔したね。精々無駄な努力を頑張んな」

 

 再び瓦礫に突っ込んだ星矢が何か文句を言っている様だが、シャイナにとっては既にどうでもいい。

 振り返る事なくこの場を後にすると、ならば海斗はどこに行ったのかと考える。

 しかし、いくら考えたところで思い付くはずもない。

 つい先日まで海斗とシャイナはお互いの顔と名前が一致する、その程度の間柄でしかなかったのだから。

 

「チッ、ジャンゴの事を教えておいてやろうと思ったのに」

 

 不機嫌さを隠そうともせずに呟くシャイナ。

 そもそも、自分がこうして探してやっているのに姿を見せないのが気に入らない。

 

「全く、どこに行ったんだか」

 

 呟き足を止める。見上げた空には雲一つない。

 だと言うのに気分は晴れない。それが何故なのかが分らない。

 

「ハァ……ならアイオリアにでも聞いてみるか。それで駄目ならもう知ったこっちゃないね」

 

 

 

 結局、シャイナはこのまま海斗の捜索に丸一日を費やしたが、結局アイオリアに出会う事も、海斗の行き先を知る事もなかった。


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