兎を助けるのは女神じゃなくても間違っていないのではないだろうか 作:わんこたろう
遠く、ぼんやりと霞んで見える西の稜線の向こう側に、オレンジ色の夕日がさしかかる。
いつもの勤めを終えた労働者たちが三々五々家路につき、あちこちの通りに幾筋もの人の流れが形作られていく。
脇目も振らず、黙々と帰宅を急ぐ者。疲労感の中にも、ほんの少しの充足感を同居させながら歩を進める者。昼間の内に何をやらかしたのか、明らかに肩を落としながら足を引きずる者。そんな彼らに対して声をかけ、愛想をふりまきながら、商品や店を売り込んで、一日を締めくくるギリギリまで利潤を追求しようとする商人たち。むしろここからが本番だと、酒場の軒先や店内の魔石灯には次々に灯が入り、都市部南東に向かう人々―――主に男性―――には、お楽しみはこれからというそわそわした様子が、大なり小なり散見される。
迷宮都市『オラリオ』
その名の通り地下に大迷宮を抱え、地上では日々ヒトが、モノが、そしてカネが目まぐるしく飛び交う街。
その地に人を惹きつける最大の要因たるダンジョンから、今日も冒険を終えた者たちが、次々と地上に帰還してくる。
重厚な鎧に身を包んで、飾り気のない実用一辺倒の大剣を背負った男も、懐にしまった報酬入りの袋の重さを改めて確かめて、ニヤリと笑みを浮かべる獣人の青年も、獲得した生産素材の換金額に今一つ呑み込み切れていない疑問の表情を浮かべるエルフの少女も、上機嫌に肩を組み、互いの健闘を称えあって大声で笑うドワーフも、冒険という非日常から抜け出して、雑踏に加わり、日常へと帰っていく。
そんな彼らから遅れること数刻。
大都市の足元から潜ること5階層分の地点に、一人の冒険者が未だ残っていた。
見上げるほどの体躯に、鋼のように鍛えられた全身の筋肉。生まれつきなのか戦闘慣れによるものなのか、握りしめた両手は節くれだって大きく、獲物を見つめる眼光は鋭い。荒々しく踏み出された足が強く地を蹴る度に、目を見張らんばかりの推進力が生み出されている。
そして、何より……
「ヴォォォォォォォォォォォ!!」
「ほぉおおおおおおおおおお!?」
側頭部から伸びる
そんな容姿の怪物、『ミノタウロス』に追い回されること暫し。件の冒険者『ベル・クラネル』は、自分史上最高の大逃走中だった。
線の細い身体に、最も目を引く白い癖っ毛と深紅の瞳。どこかで切ってしまったのか、白い頬からはうっすらと血が滲んでいる。元はあどけないその顔は原始的な恐怖に限界まで引きつり、汗と言わず、涙と言わず、鼻水と言わず滂沱として留まるところを知らない。
(コワイコワイコワイコワイコワイコワイ!
マズイマズイマズイマズイマズイマズイ!!)
完全にパニックを起こしている少年の頭の中を、二つの言葉だけが埋め尽くす。本能的に身体が判断する「生存のために最適な行動」をとること以外、全くと言っていいほど思考が回らない。
判断力を失い、筋力でも
速さが足りない。
目の前の脅威を打倒するだけの力が足りない。
ミノタウロスに通用するだけの武器も無ければ、その一撃を凌ぐための防具も無い。
状況を丸ごとひっくり返すだけの策も、まさかの事態に備えた便利なアイテムも、何もかもが無い。
何より最大の問題として、本人は知る由もないが、ダンジョンに潜る冒険者にとって最も大事なものを、このときの少年はそもそも持っていない。
どうしようもなく絶体絶命だ。
曲がり角や障害物を最大限上手く使うことで、今は何とか逃げ切れているが、それも長くはもたないだろう。どこかで長い直線の一本道に入ってしまえば、純粋な走力の差であっという間に追いつかれるに違いない。最悪の場合、角を曲がった先が……
「ひっ!?」
こんな風に、ちょうど彼の目の前に現れたような
「ヴォォォォォォ!」
心の片隅で密かに恐れていた事態を前に、茫然自失している少年の耳に届く咆哮。
ぐりん、と素早く振り返って見てみれば、吠え声の主たる牛頭人体の怪物は、既に目と鼻の先に迫っていた。
「あ……」
絶望に染まった少年の視線が、ミノタウロスのそれと交差する。
無駄を一切捨てて殺意だけを煮詰めたような眼差しに、「麻痺」を食らったわけでもないのに、体が硬直する。
猛牛が、とうとう白兎を射程圏内に捉えた。
少年を追いながら駆けることで前傾していた上半身を、思い切り後ろへと反らして“溜め”を作り、固めた拳を構える。
2秒と待たず発射されるだろう一撃に、熟れすぎたトマトのように全身を叩き潰される様を幻視した少年は、反射的に両腕で頭を覆い、視界を塞いでいた。
(お爺ちゃん、ごめんなさい。僕には、やっぱり無理だったよ……)
今は亡き祖父に対して心の中でそっと謝罪を述べながら、直後に訪れるだろう衝撃に備えて、全身を固くした。
が……
ドズンッ!
衝撃は、彼の予想とはずいぶん違う形で現れた。
まず、タイミングが僅かに早い。
衝突音も、肉体同士がぶつかったにしては、変に硬質な音であるし、そもそも音の発生源も、自分の体のどこかからというよりは、もう少し前方なのではないだろうか?具体的には、ちょうど
そして何より、あんなに巨大な拳が直撃したなら……
何故、いつまでたっても痛みが襲ってこない?
「……?…………っ!?」
頭を覆っていた腕をゆっくりと除け、恐る恐る顔を覗かせた少年が、次の瞬間には絶句する。
ミノタウロスは、依然として目の前に立っていた。上体を大きくのけ反らせ、バランスを崩し……
腹部から、少年の胴体ほどもある巨大な刃を生やして。
突然の現象に、ベルはもちろん、当のミノタウロスですら何が起きたのかを全く理解できていない。先程まで哀れな白兎を睨みつけていた目を白黒させ、二、三歩たたらを踏んだかと思うと、せり上がるものを堪えきれなかったかのように、グフッと息を漏らして口角から僅かに鮮血を飛び散らせる。
自分の背中から腹までを真一文字に貫いている
次の瞬間。
「ふっ!!」
立ち尽くすミノタウロスの背に、再度大きな衝撃。ベルの位置からはちょうどミノタウロス自身の陰になって見えないが、巨大な背骨の真上に裂帛の気合とともに放たれた蹴りが、超重量級であるはずのモンスターを軽々と吹き飛ばし、地面に叩き付ける。
反動を利用して、ずるりと胴体から引き抜かれた大剣を持った人物は、着地と同時にもう動き出していた。やっとこさ乱入者に意識を向けられるようになったミノタウロスが、既に瀕死の身体の許す限り素早く回れ右をする。
しかし、先程から俯瞰して見ているベルにすら「人間大の大きさの白っぽい“何か”がもの凄いスピードで動いている」としか認識できないのだ。ミノタウロスが振り向くのに合わせて、数倍近い速さで同じ方向へ、敵を中心に円運動した何者かを、“たかだかダンジョン中層程度のモンスター”が捉えきれるわけもない。
「やぁぁぁぁぁぁっ!!」
ミノタウロスの視界から完全に180度後ろに回り込んだところからの会心の一撃。横一閃、走り抜けた銀光がミノタウロスの首筋に吸い込まれると、丸太ん棒ような太い首は易々と胴体に別れを告げることになった。
斬られれば、血が出る。
そんな事実すらを忘れていたかのような刹那の後、切り離された断面から噴水の如く血飛沫があがる。首なしの身体が、どうと地面に倒れ伏すころには、不幸な白兎は、それは見事な“赤兎”へ変身を遂げているのだった。
より具体的に言えば、血まみれだった。
「……ふぅ~っ」
今しがた大立ち回りを演じたその人物が、長々と息を吐きながら、構えを解いた。
「いや~、あせったーっ! きみ、大丈夫だった?」
血のりを振り払った大双刃をドスン、と傍らに突き立て、裾の長い白い腰巻を小さくはためかせながら振り向く褐色肌の少女。明るく、それでいて気遣わしげな言葉とともに向けた視線の先には……。
「……あれ……?」
全身を真っ赤に染めたまま、立て続けに起こった事件に心がついていかず、ついに限界を迎えて気を失ってしまった白髪の少年が転がっているのだった。
これは、ここではないどこかでの冒険譚。
誰にも語られず、どこにも記されず、いつまでも語り継がれなかった
まずは原作と同じく、ミノさん襲来です。
お気付きの方がほとんどだと思いますが、兎を助けたのはティオナさんです。
メインヒロインは誰にしようかまだ若干悩んでいますので、タグには載せていませんが、今のところティオナで行こうと思っています。
更新速度は遅めになりますが、宜しくお願い致します。