兎を助けるのは女神じゃなくても間違っていないのではないだろうか   作:わんこたろう

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とぅいんくる・とぅいんくる・りとるらびっと

 燈燭(とうしょく)の暖かな光が、未だ人通りが絶えない夜道へ、格子の形に影を投げかけている。まだ陽の落ちて間もない夕闇の薄い時間帯、古ぼけた大きな扉が開け放たれた入口を抜けたその奥の店内では、今日も多くの客が門前市をなしている。

 木製のジョッキを、互いに勢い良く打ち付けているノームの二人組。むっつりと顔をしかめて、一人ちびちびと杯を進める壮年の犬人(シアンスロープ)。鍛治師の勲章である傷や細かい火傷の跡を、頬や腕のいたるところに覗かせた、まだ頬の赤い若い青年鍛冶師二人が、相手の唾がかかるのも厭わない様相で、職人としてのこだわりを熱くぶつけ合う目の前で、灰色のものを混ぜた無精髭の親方が楽しそうに、どこか眩しそうに苦笑しながら、安酒で喉を鳴らしている。どのくらいそうしているのか、思わず眉に唾をつけたくなる冒険潭を自慢げに語る狼人(ウェアウルフ)の男に、わかりやすい()()を作って笑顔を浮かべつつ瞳の奥を(あや)しく、獰猛に光らせたアマゾネスが、段階的にアルコール度数を上げながら、目の前の男に次から次へと酒を勧めている。隣のテーブルでは、目の前にある通り掛かりの猫人(キャットピープル)の給仕の尻を一撫でした男が、こめかみに銀盆の()の直撃を喰らって、突っ伏していた。

 所属も種族も多種多様で騒がしく、華やかさはなくとも活気に満ちている。

 西のメインストリート周辺で一番大きな酒場、『豊穣の女主人』の店内。その広い客席のスペースの半分では、日々お馴染みとなっている光景が、今日も繰り広げられていた。

 

「よっしゃ、(そろ)うたな!」

 

 残り半分のスペースの最奥(さいおう)。一番大きなテーブルに据えられたイスに片足を乗せて立ち、握り締めたジョッキをぐっと掲げた神物(じんぶつ)が、店いっぱいに響き渡るよう、声を張り上げた。

 細い糸目をニィッ、と笑みの形に曲げ、唇の隙間から健康的なことこの上ない真っ白な歯を剥き出しにする。店の席の半分を埋め尽くす自らの眷属(こども)たちをぐるりと見回したロキは、各々の前に置かれたジョッキや色とりどりのグラスを認め、音頭をとった。

 

「みんな! ダンジョン遠征、ご苦労さん!」

 

 楽しそうな声を響かせたロキが、次いで斜め前方をビシリと指差し、言葉を続けた。

 

「あ~んど、(ひさぎ)たん、おかえりっ! ほんで更に、ベルやんっ! ようこそ、ウチのファミリアへ! その他、なんやかんや色々おつかれ、っちゅうことで、今夜は宴や! 思う存分飲めぇ~ぃ!」

 

 最後が何だかグダグダにはなったものの、主神の大号令を契機に、ジョッキをぶつけ合う重たい音が鳴り響く。それまでの店全体の喧騒を倍する勢いで交わされた乾杯は、たまたますぐ近くに座っていただけの無関係の酔っ払い数名をも何故か巻き込み、テラス席を越えて表通りまで轟いた。

 楸の帰還祝いに合わせて、ダンジョン遠征の慰労会とベルの歓迎会が、【ロキ・ファミリア】行きつけの酒場の半分を借り切って催されていた。

 とにかく酒が飲みたい者はガレスの周りに集まり、逆にアルコールを摂りたくない者はリヴェリアの周囲を囲い(ほとんどが彼女のファンやシンパ)、あとは各々、近しい者同士でかたまっている。本日の主役の一人でもある楸に、久々に顔を合わせた団員が何名か、入れ代わり立ち代わり挨拶に来ては、楽しそうに会話を弾ませ、次いでもう一人の主役であるところの少年に明るく声をかけていった。

 

「おう、ベルって言ったか? よろしくな、新入り!」

「あ、はい。宜しくお願いします!」

 

と、先輩の男性冒険者にバンバンと背中やら肩やらを叩かれながら話しかけられることもあれば、

 

「君が新入り君? 冒険者のわりに、可愛い顔してるね~」

「…………それは、言わないで下さい」

 

と、年上お姉さまに、自分でもちょっと気にしているところを突かれもしている。

 入団から少しだけ日をおいて行われた歓迎会に、緊張したりへこんだりと忙しく表情を変えながら、それでも何とか一人一人の名前と顔を覚えようと、ベルは昼間の特訓のせいでプルプルと震える手で乾杯を繰り返していた。

 

「…………」

 

 そしてそんな彼を、ティオナを挟んだ二つ隣の席からじぃっ、と見つめる少女の目が一対。

 

「ん? どしたの、アイズ?」

 

 時折会話に混じりつつ横目にベルを見ながら、料理にひょいひょいと手を伸ばしていたティオナが、ふと、ベルとは逆隣りに座る少女に声をかける。果実水の入ったグラスを、小型の齧歯類(げっしるい)のように両手で持っていたアイズは、その中身を一口飲んで喉を潤わせ、「んと……」と言葉を探す表情をチラリと見せた。

 

「そう言えば、ちゃんと話したこと……なかったな、って……」

「? …………あぁ、アルミラージくん?」

 

 アイズの言葉を聞いて、その視線を追っていった先の少年を見て、ティオナが納得の声を上げる。言われたアイズは、「アルミラージ……?」と僅かに疑問符を浮かべつつも、状況的に目の前の少年を差しているのだろうと理解し、こくこくとティオナに向かって首肯してみせた。

 

「そっか、そっか。なら…………んぐんっ…………アルミラージくん!」

 

 なるほど、というように頷いたティオナは、右手のフォークに突き刺さっていた鶏肉の大きな塊を大雑把に咀嚼(そしゃく)して飲み込み、隣で別の団員と話しているベルを呼び、肩をたたいた。

 

「何ですか、ティオナさん?」

 

 話し相手に一言断りを入れてから振り向いたベルに、ティオナは「えっとね」と話し始める。

 

「アルミラージくん、アイズとちょこっとしか顔合わせてなかったから紹介してあげようと思ってさ」

「アイズ・ヴァレンシュタイン。アイズでいいよ」

 

「よろしくね」と一言添えて名乗り、アイズがペコリとお辞儀をした。

 

「あ、こ……こちら、こそっ! よろしくお願いしますっ!」

 

 突然自分のような新人(ペーペー)に頭を下げてきたファミリア幹部に、案の定と言うか、ベルは恐縮しきりといったように慌て、びゅんっと音がなりそうなほどの勢いで目の前の少女に(なら)った。

 ところで、このお辞儀という動作。実に単純なものでありながら、それ一回に使う時間は、個々人の感覚に依存するところがかなり大きいものである。かと言って、ただ頭を下げて上げるだけのことに、10秒、20秒という時間差がつくこともこれまた有り得ないわけで。

 当然、先に頭を下げたアイズが、先に頭を上げることになる。

 

「……?」

 

 スッ、と姿勢を戻したアイズの視界に入ってきたのは、こちらに向けて完璧につむじを見せている白いくせっ毛だった。

 人差し指を顎に当てて、疑問符をたくさん飛ばしていた心の中の幼いアイズの頭上に、魔石灯が一つポンッと灯る。

 

 “相手より先にお辞儀を戻すと失礼になる“

 

 アイズだってちゃんと知っている。

 その上で改めて考えてみる。新しく後輩として入団してきたこの少年に(アイズ的に)失礼をはたらくことが、果たして良いことなのかどうか。

 

(…………だめ)

 

 良くないと思う。

 とっても良くないと思う。

 ので、アイズは、少年が顔を上げる前に、再びペコリと頭を下げた。

 ということは……

 

 

 スッ

 

 

(あれ!? アイズさん、まだ頭下げてる!?)

 

 必然、それ以前から頭を下げていたベルの目の前には、金髪の頭頂部が見えるわけで……

 

 ペコリ

 

 こちらも、まさかLv.5の大先輩相手に先に頭をあげるわけにもいくまいと、改めて頭を下げる。

 二度あることは三度ある。

 誰が言った言葉なのか、やっぱりアイズが顔を上げると……

 

(…………まだ下げてる?)

 

 白兎(しょうねん)の頭とご対面。

 

スッ

ペコリ

 

スッ

ペコリ

 

スッ

ペコリ

 

スッ

ペコリ

 

ペコリ

 

ペコリ

 

ペコリ

 

ペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコリペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコペコ……

 

 

 

 

 

 

(((なにこれ、ちょー癒される)))

(アイズさん…………素敵ですっ!)

 

 天然と天然のかけ合わせによる永久機関が、そこにはあった。

 突如始まった奇跡のシンクロに、周囲に座っていた者から順に二人へ目を向けるようになり、それが徐々に広範囲へと波及していく。気が付くころには【ロキ・ファミリア】以外の客からも見守られながら続いていた二人の挨拶合戦に多くの者は、はふん、と表情を緩ませ、フィンやガレスは面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべている。リヴェリアに至っては、一体どのレベルで彼女のツボを突いてしまったのか、身体をくの字に曲げ、顔をほとんどテーブルに突っ伏すような姿勢で、小刻みにぷるぷると痙攣していた。右手に持ったままのグラスの中身が、大変なことになっている。

 

(うぉぉぉっ!? あかん! ウチとしたことが、アイズたんというもんがありながら、(ベル)に萌えとる場合やないのにっ!?)

 

 大テーブルの反対側では、主神(ロキ)が頭を抱えて、一人静かに萌え盛っていた。

 

「あ~も~! 可愛いなぁ、アイズもアルミラージくんもっ!」

 

 間に挟まれていたティオナが、双方の肩に両腕を回して抱きつくまで、アイズとベルの二人は珍プレーを演じ続けているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、団長! グラスが空ですよ! どうぞ、もう一杯!」

「あぁ、ありがとう……ただ、これが何杯目なのか、記憶があるうちにそろそろ止めてくれると助かるんだけどな……」

「ほんっと、一貫してやがんな、この女」

「ラウル君、顔色やばいけど、大丈夫……じゃないわよね?」

「なんや、ラウルー! もうそんなに飲んだんかいなー!」

ロキ(あんた)所為(せい)っす…………っうぷっ」

 

 

 贔屓(ひいき)にしている店の半分を占拠して歓談に盛り上がる【ロキ・ファミリア】の面々は、見事な酒と料理の数々に舌鼓を打っていた。

 既にできあがっている団員もかなりの人数が散見され、店のそこかしこで愉快な笑い声が響いている。【ロキ・ファミリア】の大半の者は既に店員とも顔見知りの関係であるらしく、給仕に忙しく動き回っている少女たちを(つか)まえては、気安い感じで言葉を交わし、追加の注文を出している。

 打ち上げ兼歓迎会という名目上、一応はベルと楸の二人が主役ということになるのだろうが、率直に言って、随分前からただのどんちゃん騒ぎと化している。

 

「うぉぉ! ガレスー! ウチと飲み比べやー!」

「ふん! よかろう、返り討ちにしてやるわい!」

 

 ちょうど運ばれてきたエールのジョッキを高々と掲げながら、ロキがガレスに向かって拳を突きだして宣戦布告する。少なくともロキの方は、既に糸目の下の頬骨がある辺りに薄っすらと赤みが差しており、それなりの量の酒を摂取していることがわかるのだが、そんな思考は完全に脇へとうっちゃっているようである。

 

「ちなみに、勝った方はリヴェリアのおっぱいを自由にできる権利進呈やー!」

「なっ!? じ、自分もやりますっ!」

「お、俺もだ!」

「むにゃ……あ、じゃあ、ボクも」

「団長ぉーっ!?」

 

 主神の放った一言を特大の火種として、飲み比べ勝負は一気に色めきたった男子団員の間に延焼していった。一方の女性陣はといえば、これは反応がきれいに三つに分かれており、当の本人であるリヴェリアを筆頭に“完全に放置を決め込んでいる”者。そのリヴェリアを強く慕う者たちを中心として、名乗りを上げた男子団員に“冷え切った軽蔑の視線を突き刺している”者。あるいはレフィーヤを始めとしたその他数名のように“大丈夫なのかとわたわたしている”者に大別されていた。

 そんな中、当然というか予想を裏切らないというか、初心(うぶ)な白兎の少年は、その輪の中には入らずに完全に目の前のテンションに圧倒されているのだった。

 

「失礼します、お客様……」

 

 ふとそんな声が自分のすぐ近くで聞こえて、くるりとそちらを振り返ってみる。

 そこには、ベルに声をかけてきたらしい人間(ヒューマン)のウェイトレス。他の給仕と揃いの若葉色の制服にエプロンと、頭頂部でお団子に結った薄鈍色(うすにびいろ)の髪のよく似合う、清純そうな少女であった。

 突如おかしな方向性を持って燃え上がっていたベルを引き戻したその声に振り向くと、彼女は握っていた白い手をベルの目の前で開いてみせ、小指の先ほどもない小さな紫紺(しこん)の欠片を見せてきた。

 

「これ、落ちてましたよ?」

「え?」

 

 予想外の台詞と状況に、ちゃんと聞き取れていたにも関わらず、思わず聞き返してしまうベル。それもそのはずで、開かれた彼女の掌に乗せられていたのは、剥き出しの魔石であった。

 世界随一の魔石製品の生産都市であるオラリオで生活していれば、魔石にふれる機会は、立場を問わず多くはなる。だが、それはあくまで“加工された製品として”の魔石であり、彼女が持っているような、モンスターの体内から取り出された、加工前の素材としての魔石は、冒険者でもなければ、換金・加工の流通経路に携わっている者以外は、ほとんど目にすることすらない代物である。目の前の、いかにも“良質な街娘”といった風貌の少女には、とても似つかわしくない。

 実際、その少女が言うには、当の魔石の欠片はベルの足元に落ちていたようなのだが、今日までダンジョンでまともにモンスターと戦闘した経験を持たないベルが、それを今この場で落としたとはとても思えないのだが……。

 

「えっと、それ多分僕のじゃないです」

 

 あって困る物でもなければ、どんなに小さかろうとギルドで換金もしてくれるので、そこは黙ってもらっておいてしまえ、というのが通常の冒険者の思考というものなのだろうが、お人好しのこの少年からそんな発想は出てこない。素直に断りを入れると、彼女は「そうなんですか?」と小首を傾げてしまった。

 

「僕、まだダンジョンにちゃんと潜ったことないので……」

「あぁ、今日はあなたの歓迎会でもあるんですよね」

 

 相手が入団したての新人であったことを、今ちょうど思い出したようにそう言って、「てへ」とばかりに舌先を覗かせてみせる少女。一歩間違えれば「あざとい」ととられかねないそんな仕草も、何だか不思議としっくりくる。

 と、その彼女が、さも何かを視界の端に捉えたかのようにピクリと形の良い眉を動かし、ついっ、と視線を下に逸らせた。

 

「あら? 冒険者さん、脇の下に何かついてますよ?」

「え? 脇?」

 

 言われたベルは、右腕を持ち上げて、指摘された箇所を自ら覗き込む。

 

 

 

 

 それがいけなかった。

 

 

 

 

「おぉー! なんや、ベルやんも参加するんやなー!」

「へっ?」

 

 直後、ロキの楽しそうな声が自分の名を口にするのを耳にし、次いで、彼女の周りで一緒に騒いでいた男衆から「うおーっ!」だの「(おとこ)だな、新入り!」だのという歓声が飛んでくる。

 

 

 何だろう?

 

 今、とてもマズい何かをしてしまった気がする……。

 

 

「わかるでー、ベルやん。男の子やもんなぁ。なぜ触りたくなるんか。そこに(リヴェリアのおっぱい)があるからやんな」

「……!? えっ!? いやっ、ちがっ……! ぼ、ぼぼぼ僕は……っ!」

 

 一人ニヤニヤと嬉しそうに頷くロキの姿を見て、遅まきながら事態を把握し、顔を熟れすぎたトマトのように真っ赤にして取り乱すベル。彼がが気付いていなかっただけで、未だ進行中だった飲み比べの参加者を募集しているそのタイミングで、まさかの挙手をしてしまっていたのだ。無論、自らの意思で手を挙げたわけではないのだが、ロキたちにしてみればそんなことは知ったこっちゃない。むしろ、仮にわかっていたとしても、面白がって無理やりにでもベルを参加させようとしてきただろうことは、想像に(かた)くないし、今更「脇の下を見ようとしていただけだ」と言ったところで、ますます言い訳がましく、嘘っぽく聞こえるだけで却って逆効果でさえありそうだ。

 

(って、そうだ! さっきの人……!)

 

 唯一の当事者である例の少女なら、この状況を説明できるだろうと慌てて振り返るも、その姿はいつの間にやら忽然と消えてしまっている。猛スピードで首を旋回して見回してみれば、一体いつ動いていたのか、既にカウンターの奥へと回り込み、更に奥の厨房の方へと入って(逃げて)いこうとするお団子ヘアーの後姿。そこから尻尾のごとく垂れる髪を一房小さく振りながらこちらを向いた彼女と目が合うと、いっそわざとらしいまでの満面の笑みで、ベルに向かって手を振ってきた。

 

(ちょっとぉーーーーー!?)

 

 

 

 分かりやすく言えば、完全にハメられた。

 あとはもう、近くの席にいる者たちに自身の身の潔白を証明してもらうぐらいしかないのだが、

 

「ア~ァ。ケッキョク、あるみらーじクンモ、胸デスカァ~。ソーデスカ、ソーデスカァ~…………」

「わしの故郷の民族衣装には、むしろ小さい方が似合うんじゃもん…………偉い人にはそれがわからんのですじゃ…………」

 

 約二名が、完全に(すす)けていた。

 ティオナの方は、片肘を椅子の背もたれにひっかけて半目になり、もう一方の手に持ったジョッキをぐびぐびと、やけっぱちのように(あお)りながらやさぐれているし、楸に至ってはぶつぶつと呟くその言葉遣いがおかしい。

 ちなみに、そのティオナの隣にいる金髪金眼の剣姫は、じっとベルを見ていたかと思えば、そのまま視線を落として自分の胸元をほんの少し見やってから、おもむろに自らの()()に手を添えて、くにくにと指を曲げ伸ばししていた。

 

(味方が、いない…………!?)

 

 そろそろ脳が処理しきれる事態を越えそうになり、「あとアイズさん、その動作は色々とマズいです!」と、どこか現実逃避気味に、ベルは脳内でツッコミを入れ始めた。

 中には、少年の焦りようを見て大雑把に事態を把握したのか、苦笑を浮かべて見守っている団員の姿も見られたが、それでも彼らはそんなベルの反応を面白がって見ているだけで、誰からも救いの手は差し伸べてもらえなかった。

 絵にかいたような四面楚歌(しめんそか)でありながら、しかし状況は待ってくれない。

 あれよあれよという間に騒ぎの渦に巻き込まれていき、奮戦空しく少年の微力な抵抗は圧殺される。気が付いた時には、目の前のテーブルの上に、透明な液体がなみなみ()がれたグラスが鎮座ましましていた。

 

「ほないくでー!」

 

 全員の前に新たな杯が配られるのを確認したロキが、すぐさま号令をかけてしまう。

 もう逃げられそうもない。

 観念したベルは、用意されたグラスを仕方なくつかみ、意を決して淵に口を近付け、許されるギリギリまでゆっくりと酒を口内に流し込んだ。

 

 ……流し込もうとした、そのときだった。

 

ドンッ

 

「!?!?」

「あ、すまんニャ、少年」

 

 ベルがグラスに口をつけて、恐々と、ゆっくりと傾け始めたまさにその瞬間、背後からの軽い衝撃がベルの身体に伝わってきた。

 空のジョッキを両手いっぱいに持ち、さも曲芸のように運んでいた猫人(キャットピープル)の少女が、よろけた拍子に体重を預けるようにぶつかってしまったようだ。故意でないとは言え、客に、それもファミリア単位での常連客に対して、間違ってもしてはいけない謝罪の軽さであるが、今一番の問題はそこではない。

 

ごくんっ

 

 図ったようでいて、毛の先程も想定していなかったタイミングでのまさかの衝撃に、ちょうど少年の口にちびちびと(そそ)ぎこまれようとしていた液体が、津波の如く押し寄せ、食道へと消えていく。

 

 ナニコレ……?

 

 無色透明の、ともすればただの水にも見えてしまうその液体の色と、酒にしては薄めのにおいに、完全に油断しきっていたベルの喉に、次の瞬間電撃が走った。

 熱い。

 というか、痛い。

 (いかずち)でも飲み下したかのような、信じられない程の刺激が喉と言わず食道と言わず駆け抜け、胃の腑を焼いていく。

 (もっと)も、当の本人(ベル)は、それら諸々を感じる間もなく……

 

 

ばったーーん!

 

 

「ベ、ベル!?」

「新入りが死んだー!?」

 

 (まん)()いた(というか、引かされた)直後、ふらりと揺れることもなく、真っ直ぐに後ろ向きにひっくり返っていった。冗談で済むレベルを軽く超えるような轟音と共に、後頭部から床にヘッドバットをかました少年に、(したた)かに酔っている故に笑い出した者以外は、一様に焦りの表情を見せた。

 

「何飲ませたのよ、アンタたち?」

「えっと……そっちのテーブルにあった、白いビンの……」

「……もしかして、これ……ですか?」

 

 呆れた様子のティオネが近くに座っていた団員を捉まえて聞くと、ちょうど指差した先にあった大瓶をリーネが掴んで、ラベルを他の皆に見せるように持ち上げた。

 

 

 

○殺し(デーモン・スレイヤー)

 

 

「……えっ、なに? まさか、これを一気飲み(イッキ)させたの?」

「そんなもん、儂でもまずやらんぞ……」

 

 大昔、まだ魔石が照明機器として使われ始める前には、非常時に灯りの燃料として用いられていたという噂もあるドワーフ産の火酒(かしゅ)の名に、ナルヴィが思い切り顔を引き攣らせ、酒豪のガレスですら渋い顔を作る。

 冒険者の街であるオラリオにおいて、子どもの飲酒は推奨こそされていないものの、規制や締め付けはその他の規則に比べて、もの凄くゆるい。が、だからといって、誰でもかれでもどんな酒でもぐいぐい飲める、というものでも、もちろんない。全五種族いる亜人(デミ・ヒューマン)の中でも、頭抜(ずぬ)けてアルコールの分解能が高いドワーフ族が、ちゃんと()()()ことを目的に作られたその酒は、人間(ヒューマン)の中でも酒に弱い方に属する少年にとって、ほとんど劇薬である。

 仰向けになって目を回している少年の頬をぺちぺちと叩いているティオナを見ながら、ロキは給仕の少女を一人呼び止めた。

 

「すまんけど、水持ってきてもろてええかな?」

「かしこまりました…………きゃっ!」

 

 またもいつの間にやら現れた少女は、ロキからそう告げられるや否や、お団子ヘアーから垂れるポニーテールを揺らして、厨房の方へと駆けて……いったところで、短く悲鳴をあげる。真正面から小さな衝撃を受け、その場に尻餅をついてしまった。

 痛みを堪えながらも前方を見やれば、そこにはモスグリーンのフード付きマントに包まれた人物の姿。どう見てもぶかぶかのそれから連想される中身は、恐らく小人族(パルゥム)の者だろう。所謂(いわゆる)“怪しい店”とは比べるまでもないが、『豊穣の女主人』とて客に酒を振る舞う店である。陽も落ちてしばらく経つこんな時間に、すぐそこで伸びている兎ぐらいの年頃ならまだしも、身長が100(セルチ)に届くかどうかというような子どもは、さすがにいない。

 

「す、すみませんお客様……大丈夫ですか?」

 

 慌てて立ち上がったウェイトレスの少女は、すぐさま追突した相手を助け起こし、深々とお辞儀をして謝罪をする。一方の謝られた方であるパルゥムは、少女の方に顔を向けつつも、何故だか一言も言葉を発しようとしない。目深に被ったフードの淵から、辛うじて確認できる口元だけでは何の感情も読み取ることはできない。とりあえず顔がこちらを向いているのはわかるのだが、実のところ目線がこちらを向いているのかまでは、判然としていなかった。

 よれよれで、あちこちにほつれのあるボロボロのマントで全身をすっぽりと覆い、頭部もほとんど隠してしまっているために性別まで識別ができないが、不幸中の幸いというか、相手はそれ以上何かを言ってくる様子もない。とりあえず今は、飲み過ぎで倒れた客の方が緊急性が高いと判断して、もう一度「本当に、すみませんでした」と、丁寧に頭を下げ、再度厨房へと足を向けた。

 しかし、

 

「おいおい、嬢ちゃんよぉ。そりゃあ、ねぇんじゃねぇか?」

 

 今度は周囲にいつも以上に気を配りながら動き出した彼女を止める声が、すぐ隣から耳朶を叩いた。

 割れ金のような声のした方を振り返ってみれば、そこに座るのは、あまりこの店では見かけたことのない三人の冒険者の男たち。その内の一番手前に座っていた男が、荒々しく片手をテーブルにつきながら、立ち上がった。げじげじと太い眉が、不愉快を示す形に歪められていたが、無精髭(ぶしょうひげ)の浮く、白い古傷の走った頬は、心なしかニタリとしている。

 

「そっちの不注意で他人様(ひとさま)を突き飛ばしといてよぉ。何もなしで、行っちまおうってのか?」

「えっと……ですから、すみません、と……」

「バカを言っちゃいけねぇな。俺たち冒険者は、体が動いてナンボなんだぜ? 今のでこいつが怪我でもしてたら嬢ちゃん、責任取れんのかい?」

 

 最初に立ち上がった男とちょうど向かい合う位置に座っていた馬面の男が、畳みかけるように少女に言葉を投げつける。同調するように、残りの一人も着席したままニタニタと頷いた。

 無礼を働いた仲間に対して、誠意を見せろ。

 尤もらしく言葉を並べたてる彼らは、あくまでも一見して耳触りの良さそうな「仲間のため」というようなセリフを口にしているが、周りからしてすればただ難癖をつけて、何かしらの弱みを引き出そうとしているようにしか映らない。純然たる当たり屋である。

 

「もういいです」

 

 段々と立ち込める暗雲を吹き払うかのような言葉に、詰め寄られていた少女が声の主である同僚の方を向いた。

 

「リュー……」

「シル、こちらは私が引き受けます。あなたは、早く彼に水を持っていってあげて下さい」

 

 自分と同じ制服に身を包んだエルフの親友の言葉に、シルと呼ばれた少女は、ホンの少し逡巡するような素振りを見せたが、言葉の通りに厨房へと駆け出して行った。

 

「何だぁ、妖精さん? あんたがあのコの代わりに償いでもしてくれよう、ってぇのかい?」

 

 足早に立ち去ってしまったシルの方をサラリと一瞥した三人が、すぐさま目の前に残ったエルフに詰め寄っていく。それまでは座ったままでいた最後の一人も、ひどく曲がった猫背をいっそう強調するように身をかがめて、挑発するようにエルフの少女に顔を寄せた。

 典型的な、性質(たち)の悪い客。

 だが、その不躾で無遠慮な目線を一身に浴びながらも、リューと呼ばれていた彼女は、特に臆した様子も見せずに、淡々と言葉を紡いでいた。

 

「代わりも何も、彼女はもう十分に謝罪をしていました。これ以上、更に何かしらの謝罪の意思を示すようなものは必要ないと判断します」

「だからよぉ、俺の仲間が傷んでるんだぜ? それを「すいませんでした」の一言ですませようってなぁ、ムシが良すぎんじゃねぇか?」

「お連れの方は、特に怪我もしていないようですし、問題ないでしょう。それに……」

 

 男たちを見据えて話していたエルフの少女は、スッと視線をそらして、渦中にいるにも関わらず、先程から一言も発しようとしない、マントの人物を一瞥してから言った。

 

「ずっと見ていましたが、その人は、あなたたちに何かを言われた直後に、ちょうどシルが走り出すタイミングに合わせて立ち上がり、シルが通ると同時に彼女の前に出ていました。非常にスムーズな動作でしたよ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉と同時にマントの下の身体を本当に微かにギクリと一つ震わせるパルゥム。リューという名のエルフの少女は、自分の胸の高さほどにあるフードの頭を、透かして見ているかのような視線をキュッと細めると、そのままじろりと残りの三人を睨みつけた。

 その効果は実に絶大だったようで、マント姿の彼(もしくは彼女)は除くとしても、屈強そうな男三人を僅かに後ずさりさせる。

 

「…………てめぇ……」

 

 男の内の一人が、かみしめた奥歯の隙間から重低音の唸り声を響かせた。こめかみでピクピクと痙攣する青筋の脈動が、次第に強く、感覚を狭めていく。

 やがて、噴火の瞬間は訪れた。

 

「この、いけ好かねぇ、クソエルフがぁ!」

 

 店全体に男の大音声(だいおんじょう)が響き渡る。

 砲声(ほうせい)のごとく(とどろ)かせた怒鳴り声と同時に男が、目の前の少女に掴みかかるべく猛禽(もうきん)の足を思わせる形に開いた手を突き出した。対するリューの方はと言えば、怯えるでも身を竦ませるでもなく、いっそ無防備と見える様な姿勢のまま、迫りくるLv.2のスピードを冷静に眺めている。

 そんな態度が、ますます男の怒りを煽り、燃焼速度を上げていった。

 

 しかし…………

 

 

 

 

ガッ

 

 

 

「――ッ!?」

 直後、一つの衝撃が男の身体を揺らす。

 突き出した途中で、中途半端に曲げられていた腕。

 その太く荒々しい手首を、白い小さな手が、がっしりと掴んで止めていた。

 酒が入って気が大きくなり、肉体的にも頭脳的にも制御がかかりにくくなっているであろう男の攻撃と、それを向けられたエルフの女性。そこから予想され得た状況との、あまりに乖離(かいり)した事態に、言葉を失って時を止める男――――()()()()

 

 

「えっ?」

 

 目と同じように真ん丸に開いた口から、意図せずこぼれた音を、リューは自分の声ではないようにさえ感じている。

 何が起こったのかを、いまいち脳が認識しきれていない。

 正直、日々酔っぱらいの冒険者を手際よく捌いているリューにとって、目の前の不埒者の掴みかかりなど、何ほどのものでもない。あまりにも直線的に過ぎた腕の動きに、完全に油断して(というより、舐めきって)いた彼女の眼前には、しかしながら、余裕故にした(まばた)きの間に、くしゃくしゃの白い癖っ毛が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

(さかのぼ)ること数十秒

 

「何だぁ、妖精さん? あんたがあのコの代わりに償いでもしてくれよう、ってぇのかい?」

 絡まれていたヒューマンの少女を救うかのように現れたエルフへと、男たちの照準が移った、その頃。

 座っていた椅子から降り、倒れたベルの介抱に屈んでいたティオナやアイズが、状況の変化を感じ取ってほんの一瞬、意識と視線を離したそのとき。

 

 

むくり

 

 

「あ……」

 

 視線を戻したアイズの口から、ごく短い声が(こぼ)れ落ちる。

 瞬間的に余所見をしていたからなのか、目の前で仰向けになっていたベルが、なんの前触れもなく上体を起こしていた。

 

「あ。アルミラージくんが起きた」

「大丈夫か、ベル?」

 

 アイズの反応に、周囲の何人かもベルが起きたことに気が付いたようで、再びベルへと目線の矛先を戻す。まだ少し危なっかしく左右に揺れている頭と、とろんと垂れた目尻を認め、体調を案じた楸が声をかけた。

 するとベルは、左手で軽く額を(おさ)え、意外にもすぐに立ち上がろうとしていた。床に右手をつき、よいしょ、という感じに身体を持ち上げ、少し(しゃが)れた声で楸に答えた。

 

 

 

 

「あぁ、悪い。心配しないでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

(((…………ん?)))

 

 

 

 

 ティオナ、アイズ、楸の三人と、たまたまベルの微かな声を耳で拾えた幾人かが、ぽかんとフリーズする。もう一度、自分の耳が捉えた音情報を整理し直すため、若干のタイムラグを生じさせて、やっぱり全員が同じ違和感を消すことに失敗した。

 明らかに、ベルの様子がおかしい。

 

「アルミラージ…………くん……?」

 

 日常だろうがダンジョンだろうが、大概のことには動揺しないティオナが、珍しく呆気にとられた様子で、ベルに声をかける。立ち上がったベルをよくよく見てみれば、未だに目尻は下がっているものの、最早ふらつきはなく、立姿も安定しているように見える。

 

 と……、

 

「この、いけ好かねぇ、クソエルフがぁ!」

 

 こちらも、ちょっと見ない間に何があったのか、怒声を発しながら目の前の女性に掴みかかっていく男の姿に、反射的に意識をとられ、またもや少年から目線を外すが、

 

 

ガッ

 

 

 振り向いたその先に、少年の姿が見えた。

 

 

 

 

 今しがた突き出された、逆上した男の手首を握っている姿勢で。

 

 

 

「えっ!? あれ!?」

 

 突如流星の如く視界に現れたベルの姿を認めた瞬間、ティオナが素っ頓狂な声を上げた。今ベルが立っている場所と、ついさっきまでその身体があった場所に何度も視線を行き来させ、目を白黒させる。

 瞬間移動。

 本当にそうだとしか思えないような速度で、ベルの身体は男との距離を一気にゼロに詰めていた。なまじ反応速度や動体視力に自負があるだけに、上位の冒険者であればあるほど、目の前のできごとに驚きを禁じ得ず、普段は感情の起伏を表出することに乏しいアイズですら、大きく見開いた目を、白髪の少年に釘付けにしていた。

 これに対し、驚いてばかりもいられないのが、今まさに少年に腕を掴まれたままの男とその連れだった。

 

「なんだ、テメェ?」

 

 ドスの利いた、不快感をたっぷりと含ませた重低音を響かせながら、男が目の前の少年をジロリと睨みつける。それに触発されたのか、残りの二人も同様に怒りの表情を浮かべながら、椅子から立ち上がり、少年に詰め寄ってきた。

 大の男三人に線の細い少年が頭上から鋭い眼光を飛ばされているという、どう考えても次の瞬間には少年が逃げ出していそうな事態に、しかしながら少年の表情に恐怖の色はない。むしろ、相対した三人にざっと目を走らせると、目元は凍りつかせたまま、片方の口の端だけを持ち上げて怪しく笑っていた。

 

「大の大人三人で女の子一人を襲うのはちょっとカッコよくないなぁ」

 

 表情は不敵な笑み、いっそ嘲笑(ちょうしょう)すらをも(にじ)ませたまま、挙句の果てには相手を煽るような言葉まで口にした少年に、神経を逆撫(さかな)でされた男たちが一瞬で沸騰していた。

 

「ンだと、コラァ!!」

「舐めやがって!!」

「すっこんでろ、クソガキがぁ!!」

 

 見ず知らずの、それも子供に馬鹿にされたとあって、標的(ターゲット)を、元々のエルフから完全に切り替えた三人が、逆上して少年に掴みかかる。小さな身体を目がけて、ぬっと伸びてきた手が、ベルの元へと殺到し――――

 

 突然、ドターンという床板を抜くような轟音が鳴り響き、ベルが手首を掴んでいた男が、床に仰向けに倒れた。

 

「「うぉっ!?」」

 

 声に先んじて体が反応して、大きく上体を仰け反らせた二人の鼻先を、何かが掠めるように薙ぎ払った。完璧に捕縛していた相手から向けられた力を逆手に取ったベルが、その力をきれいにいなして逆に利用し、明らかに自分よりも大柄な男の身体を振り回して、フローリングに叩き付けたのだ。

 まともな受け身もとれずに後頭部を強襲した衝撃に、(たま)らず男は意識を手放す。

 

「この……っ!」

 

 仲間を一人倒されたことで、更に強く憎々しげに顔を歪めた男の一人が、さっと身を屈める。すぐさま立ち上がったその手には、ブーツに仕込んでいた短いナイフが、店内の照明を照り返してギラリと危なっかしく輝きを放っていた。

 

 

キィンッ

 

 

 その状態が、一秒と待たずなかったことにされる。

 白兎の姿が微かにブレたかと思った直後、手元で響いた甲高い金属音と共に、握りしめたナイフが忽然と姿を消していた。とても保持していられないほどの強さで弾かれたそれは、くるくると回転しつつ直上に跳ね上がり、やがて持ち主の足元スレスレにざっくりと着地。まさかと思って見てみれば、いつの間にか両手を振り抜いた姿勢でピタリと静止していた少年の両手には、銀色に輝く得物が存在していた。右手には、刃渡りは短くともただ“肉を切る”という一点にのみ機能を集約された、ギザギザとした刃のナイフを握り、左手にはそれと対となって用いられる、

 

 

「…………フォーク?」

 

 

切った肉を始末する(食す)ための、三叉槍がどこか勇ましい姿で納まっているのだった。

 

「な、な…………!?」

 

 完全に圧倒できるとしか考えていなかった、三人組の最後の一人は、怒涛のように押し寄せる予想外の連続に、酸欠の金魚のように口を開け閉めすることしかできない。

 実力的には自分と大差ないであろう二人が手も足も出ないという事実に、戦きすら抱いていた彼は、それでもまだ僅かに残った勇気を振り絞って、少年と対峙しようと、ほとんど自棄に近い覚悟を固める。

 あるいは、そこで逃げ出すなり、いっそ気絶してしまうなりしておけば幸せだったのかもしれないなどと、想像すらもできないままに。

 

 

 

ズゥンッ

 

 木製のカウンターに雷が落ちた。

 

「ひっ……!?」

 

 直前に張った去勢など些かの抵抗にもならずに吹き飛ばす一撃に、今度こそその場の全員が一切の行動を止めてしまっていた。

 砲弾の着弾跡に似たクレーターが、備え付けてあった卓を大きく陥没させ、変形している。そしてその目の前には、酒場の主人たる巨身のドワーフの女将が、固めた拳から煙を立ち上らせて仁王立ちしていた。

 

「騒ぎを起こしたいってんなら、表でやんな。ここは飯を食べて酒を飲む場所さ」

 

 ギラリと尖る眼差しに、恰幅の良い身体から繰り出される地響きを思わせる声音。何よりも、自分の店で騒ぎを起こすなら、ヒトだろうが神だろうが容赦しないというこれ以上ないほどに明確な意思を(たぎ)らせたその風貌。

 『豊穣の女主人』店主、ミア・グランドはキレていた。

 

 これに完全に止めをさされたのは、(くだん)の不届き者。

 既にぼろぼろになっていた心を、完膚なきまでにぽっきりと折られて半狂乱になりながら、懐から金貨の詰まった小さな袋を何も考えずにテーブルに叩き付け、お互い他の仲間には目もくれぬまま、フード付きマントのパルゥムも含めた四人同時に、一目散に走り去っていった。

 

「ふん」

 

 情けなく転がり出て行った冒険者たちに不満そうな鼻息を一つくれてやり、ミアは厨房に戻る前に、【ロキ・ファミリア】の幹部たちに向けて言い放った。

 

「自分のトコのぐらい、きちんと躾けな」

 

 それだけ言い残して、のしのしと店の奥に引っ込んで行ったミアは、ついでとばかりに「あそこで伸びてるアホンダラは、勝手口から外に転がしときな」とシル、リューの二人に指示をとばし、自身は再び厨房(せんじょう)へと戻っていくのだった。

 言われた二人が、白兎に投げ飛ばされた中年の男を担ぎ上げて店の奥へと消えていくのをきっかけに、客たちの間には徐々に喧騒が広がり始め、今まで目の前で繰り広げられていた嵐などどこ吹く風とばかりに、そこかしこで食事や飲み直しが始められるのだった。

 

「……なんか、すごかったです……」

「チッ、酒がマズくならぁ」

 

 未だ立ち直りきれていない様子のレフィーヤがぽつりと本音をこぼす。対照的に、少し離れたところに座るベートは、目の前のジョッキを傾け、中に残ったエールをすぐさま飲み干していた。

 

「ところで、アルミラージくんは……?」

「うむ」

 

 【ロキ・ファミリア】のテーブルでも元の空気を取り戻す中、ティオナと楸の二人が、ベルに近付いていった。

 

「あ~、ベル? お主、大丈夫じゃったか……?」

 

 先刻から身動きもほとんどとらずに棒立ちとなっている少年に、楸が恐る恐る話しかける。普段のベルからは想像もできないほどの、言ってしまえば“奇行”を見せたベルに対し、どう接したものかと考えあぐね、結局答えを見出せない。気のせいか、記憶違いか、日頃と全くの別人に変貌していたベルの身体に問題がないのか、非常に気にかかる。

 

 

 

 

 そして、どうやらそれは、大丈夫ではなかったらしい。

 

 

 

 

 

びたーーーーん!!!!

 

「ベル!?」

「アルミラージくん!?」

 

 

 楸が、その小さな手を肩に乗せた瞬間、それを合図とするかのように、がっくりと首を前に折り、ベルは『豊穣の女主人』の床へ、顔面から突っ込んで、目を回していた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 前夜の記憶をすっぽりと失っていたベルが、自分史上最大の頭痛と胸焼けに苦しみながら、それでも容赦なく楸に扱かれている間に、主神・ロキの名の許に、ファミリアの全団員へと新たな規則が通達された。

 

 

 

 

 

 

 

『ベルやんを酔わせたら、絶対にアカン』




気が付きゃ、一か月以上も更新してないじゃないの…………

先月末から、実生活の方がべらぼうに忙しくなり、更新が遅れてしまっていて、本当にすみません(TωT)


今回のお話について。
投稿直前まで、このお話をここに挟もうかどうか悩みましたが、どうしても必要だと判断して、入れさせていただきました。
決して幕間劇的なものではない、ということだけここで宣言しておきます。


とりあえず、このままのペースで行けば、あと二話で一区切りがつくはずなので、まだまだペースは伸び悩むと思いますが、これからもお付き合いいただければ幸いです。

今後とも、よろしくお願いします。
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