兎を助けるのは女神じゃなくても間違っていないのではないだろうか   作:わんこたろう

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実に5か月ぶりの更新!

お待たせして、大変すみませんでした!


兎は跳ねるよ、どこまでも

 白樫の扉に下げられたドアベルが、軽やかな音を立てて揺れた。

 白一色の石材(せきざい)を組み上げて造られた建物。光玉と薬草を描くエンブレムの良く映えるその中には、展示用の飾り棚(キャビネット)に並べられた色とりどりの液体が詰まった小瓶と、大勢の人々の姿があった。

 ずらりと規則正しく並んだ長椅子に腰かけ、隣と話している者。棚のガラスに鼻先をくっつけるようにして、中のビンの前に置かれた値札を見比べて眉根を寄せながら唸っている者。薄緑色の液体の詰まった、見るからに高そうな()った意匠のガラスボトルを挟んで、カウンター越しに値切り合戦を繰り広げる者たちもおり、奥の一角にある三つの部屋の一つからは、今正に大きな取引を終えたばかりの二人が、ホッとした表情をお互いに何とか隠そうとしながら出てくるところであった。

 

 オラリオにいくつか存在する、治療と製薬の派閥の一つ----【ディアンケヒト・ファミリア】が今日も盛況であることは、ここ『青の薬舗』の販売スペースを見れば一目瞭然であった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 主に冒険者からなる客と【ディアンケヒト・ファミリア】の団員である売り子たちで賑わう中、その売り子の中の一人が、新たに入店してきた者たちに対して声をかけた。

 白を基調としたファミリアの制服と白銀の長髪、同じ色の長い睫毛(まつげ)が印象的な、ヒューマンの少女だ。はっと息をのむ美しさとは違うが、愛くるしさが溢れるその容姿に、一五〇(セルチ)にも届かないような小柄な体付きも相まって、何だか人形のような印象を受ける少女である。

 

「アミッド、久しぶり~♪」

「こんにちは、【ロキ・ファミリア】の皆さん」

 

 少女がほんの少し表情を和らげて見つめるその先には、今しがた来店したばかりの女性が四人。ティオネ、ティオナのアマゾネス姉妹、アイズ、レフィーヤの常連四人娘がいた。

 

「アミッド、ちょっと見ない間に背伸びた?」

 

 自信の言葉の通り久々の対面であるはずのティオナが、言うが早いか、目の前の少女の白い頭をワシワシと撫で付ける。

 決して大柄とは言えない彼女だが、自分よりも更に一回り低いところにある(つや)やかな髪に手を伸ばすのに、高低差的な障害は少しも無い。アミッドと呼ばれた少女の方は「や、やめてください……!」と僅かに慌ててみせる。可愛らしい抵抗でティオナの手をなんとか逃れた彼女は、ほんのりと朱を差した頬をぷぅっと膨らませて、少しだけ非難するような視線をティオナに向けた。

 

「最近来てなかったけど、やっぱりアミッドは可愛いね~」

「うぅっ……これでも私の方が年上なんですよ……?」

 

 自分の視線に堪えた様子もなく「ほにゃ」と笑うティオナに、がっくりと項垂れるアミッド。全体に華奢で小さな身体付であることから、ティオナだけに限らず何かと周囲の人間から子ども扱いされがちな彼女であるが、残念ながらそう言った仕草が余計にその悩みを加速させるものであることに、少なくとも当の本人は全くと言って良いほど気付いていない様子である。

 

「ところで……今日は、ティオナさんもいらっしゃるんですね?」

「さすがに今日の受け取りは分は量がすごいから、この子もいないと無理よ」

 

 ややあってコホンと咳ばらいを一つ。立ち直りを見せたアミッドが、そう言えば、というように口を開く。

 ここ数日、【ロキ・ファミリア】の構成員がホームを訪ねてくることは度々あったが、その中にティオナの姿はなかった。一度ティオネやアイズから、新入団員の教育のため、という事情は簡単に聞いているが、だからこそ今日はそのティオナが来ていることが特異に感じられる。

 

「あ~ぁ、ホントだったら今日はアルミラージくんについて行きたかったんだけどなぁ……」

「だから、人手が足りないって言ってんでしょうが」

「一緒にいるのは楸さんですから、大丈夫だと思いますけど……」

 

 両手を頭の後ろで組んでボヤくティオナに、姉であるティオネが呆れたような調子でツッコみ、更にレフィーヤが後に続く。昨晩から何度目かになる同じ話を聞かされたティオナは、しかしながら「けどさー」と、これまた同じだけ繰り返した文句を言いながら、口をとがらせる。

 

()りにも()って今日じゃなくても、良いのに~」

「今日、何かあるんですか?」

 

 特に“今日”という部分に引っ掛かりを感じているらしいその言葉に、アミッドが小首を傾げつつティオナに尋ねた。すると、聞かれたティオナは「そうなんだよ~」と、まさに“我が意を得たり”と言わんばかりの食付きを見せて、銀髪の少女に向き直り、わさわさと興奮気味に身振り手振りを加えながら話し始めた。

 

「だって今日はさ…………」

 

 

 

 

 

 

その頃

 

 

 

「ではベル、始めようかの」

「はい、お願いします!」

 

 

 白髪の小柄な少年と、その少年よりもさらに二回り以上も小さな女性が、ダンジョン一階層のとある通路で向かい合っていた。

 【黄昏の館】の敷地内で訓練を重ねること数日。

 毎度毎度、訓練が終わるころにはぐったりと絞られきっていたベルに、それでも(ひさぎ)は「ある程度耐えられるようになってきた」という判断を下し、とうとう本日からは“ダンジョンでの実地訓練”が開始である。

 所謂実地での訓練が始まったことに、ベルの方はすっかりやる気を溢れさせているところだ。

 

「ここでは、実際のモンスターとの戦闘の仕方を中心に訓練をしてゆく。加えて、モンスターを探さねばならぬ故、副団長殿より教わっておる探索についてのいろはを、移動しながら確認していくこととする」

 

 そんなベルに対して本日の訓練内容と趣旨を説明しながら、楸は自らが改めて訓練の細部を確認するべく、ここ数日のベルとの訓練の内容を、頭の片隅で思い返していた。

 

 

 

数日前

 

「まずは何も言わん。ベルよ、そのナイフを持った状態で構えをとってみるのじゃ」

 

 ベルの朝食当番の無い日には恒例となった、早朝の訓練時。『黄昏の館』の中庭に、ベルと楸の二人は、各々の手に小振りの刃物を持って立っていた。ギルド支給の(安物の)ナイフを持ったままのベルの前で、自身もファミリアの倉庫から適当に見繕ったナイフを持ったまま、楸はベルを俯瞰できる位置まで二~三歩後ずさった。

 本当に何もなく「構えろ」と言われたベルは、「えっと……」と少し戸惑いながらもその場で姿勢を作った。シャン、という金属性の擦過音(さっかおん)を鳴らしてナイフを引き抜く。右手で順手に持ったそれを軽く前へと突き出し、左手はそれより体に近い位置で胸の高さに掲げる。肩幅に開いた両脚をほんの少し曲げて(かかと)を浮かせ、ベルは楸に対して正対した。

 

「なるほどのう……」

 

 ふむふむ、と(うなず)きながらしげしげとこちらを眺めてくる楸に、ベルは若干の居心地の悪さを感じていた。訓練中なのだから当たり前なのだが、さも観察するかのような視線に、どうにも落ち着かない気持ちになる。

 

「あの、どうでしょうか……?」

 

 自己流の構え方が正しいのかどうかが気になったのが半分、いつまでも見られていることに耐え切れなくなった気持ちが半分といった心境で、ベルが楸に声をかける。すると、話しかけられた楸の口から出てきたのは、

 

 

「うむ。最悪、じゃな」

 

 

これ以上ないほど明確な赤点判定(ダメだし)であった。

 

 言い訳の余地もないほどばっさりと切り捨てられ、「さ、最悪……」と中々のショックによろめいたベルが、よろめきそうになりがらも何とか持ち直す。

 一方、そんなベルの様子を知ってか知らずか、楸は持っていたナイフを留め具でパチンと鞘に固定しながら、ベルの元へと近づいてきた。

 

「直すところはいくらでもあるんじゃが、とりあえず……」

 

ぺちん

 

 つかつかと近寄ってきた楸は、最悪という評価をされてしまった姿勢のまま動かなくなったベルの左手を、鞘に入ったナイフの腹で軽く叩いた。突如ハタかれたベルは咄嗟(とっさ)に「あうっ」と声をあげる。

 ダメージと呼べるほどのものは何も無いが、驚いたように左手を引いたベルを見て、

 

「この左手は何に使うつもりじゃ?」

 

と、一言。

 

「えっ? あー……」

 予想もしていなかった問いに、思わず間の抜けた音を口から漏らしたベルは、一拍遅れて質問の内容を理解したが、続けて(こぼ)れ出たのは質問への答えではなく、ただの無意味な長音であった。

 何に使う、と聞かれても困る。

 別段何かに使おうとしている訳でも、何かしらの意図があるわけでもなく、ただ納まりが悪いから持ち上げているに過ぎない。

 無理にそれらしいことを言えば“バランスを取っている”と言えなくもないのだろうが、正直な話“ただ何となく”である。

 そして楸の方も、そんなことはある程度わかっているらしく、ベルから何かしらの返答を待つまでもなく口を開く。

 

「ナイフを使う場合は、基本的に攻撃も防御もナイフを用いることになるんじゃが、どうにも長さがないからのう。不自然にならん限り、要らん(まと)を増やすくらいなら、左手は腰に回しておく方が良い」

 

 そう言いながら、軽く握った左拳を後ろに回してそっと腰に当てた状態を作った楸は、ベルに見本を見せるべく体を(ねじ)った。

 

「同じ理由で、体が真正面を向いているというのもいかん。できるだけ少ない手数で攻撃を防ぐためには、体は相手に対して真横に向けるくらいのつもりで良い。相手が直接狙える表面積を減らした上で、自分の身体のどこを狙ったとしても、相手の攻撃の軌道上に必ずナイフを割り込ませられる位置関係が理想じゃ」

 

 「なるほど……」と納得したように何度も頷くベルに、軽く背面を見せていた姿勢から、楸が今度は完全に真半身(まはんみ)になって鞘付ナイフを構えて見せた。

 すると、その姿勢のまま「急所もがら空きじゃしの」と言い、ほんの僅かに踏み込んで右手を閃かせる。

 

 額、喉、心臓、鳩尾(みぞおち)、丹田、金的。

 

 小突く程の威力もなく、それでいて目で全く捉えられない速度で連続して急所を突かれたベルは、一回当てられる度に「あうっ!?」と立て続けに情けない声を出していた。

 

「そして、何よりも……」

 

 まだダメなところあるんだ、と早くも落ち込み始めそうになっているベルの右手を、突然とんでもない衝撃が襲う。いつの間に放たれたのか、ほぼ180度に開かれた楸の脚から繰り出されたらしい強烈な蹴りに、上体をも一緒に仰け反らされる程に跳ね上げられた右腕を、ベルは慌てて引っ込めた。が……

 

 

 ヒュン、ヒュン、ヒュン…………ザンッ

 

 

 何かが空を切り裂き、次いで少し離れたところで刃物が地面に刺さる着地音が聞こえた。確認するまでもなく、既に右手には何かを持っている感触がない。最早直接目視しなくても十分わかるが、着地音が聞こえたその場所には、つい3秒前までベルが持っていたナイフが、ざっくりと芝生に突き刺さっているのだった。

 

「握りが甘いせいで、これほどの打撃で簡単にすっぽ抜ける。ちなみに、握りが甘いのは下手に戦闘に慣れてるくらいの者ならば、時折上級冒険者ですら見かける光景じゃから、相手の得物の握りが甘い場合は、こうしてしまうのが一番じゃ」

 

 挙げていた脚をスッと戻して、乱れた袴の折り目をパンパンと軽く叩いて直す楸。そんな彼女を見ながらほんの少しだけ(ほう)けたように立ち尽くしていたベルは、ハッと我に返って、落ちているナイフをいそいそと拾いにいく。

 ベルの頭をゆうに超える高さまで蹴り上げられたせいか、ベルのナイフはブッスリと深く地面にめり込んでいる。それを引き抜くのを待っていたかのようなタイミングで、楸が声をかけてきた。

 

 

「とまぁ、色々と言いはしたがのう。最初は姿勢だけ意識してやってみるのじゃ。まずは防御の仕方を覚えんと始まらんからの」

 

「? 攻撃じゃなくて……ですか?」

 

 

 話した内容をそう言ってまとめた楸に対して、ベルはきょとんと首を傾げつつ尋ねた。

 当たり前だが、ただ避けているだけでは敵には勝てない。

 正直に言ってベルとしては、組手形式の稽古で楸と打ち合いながらも、「自分から攻撃せねば勝てぬぞ!」と叱咤されている光景しか想像ができていなかったのだが、ベルの反応を見た楸は、当たり前とばかりにはっきりと頷き、言った。

 

「当然至極じゃ。極端な話、ただ相手を殴るだけなら誰にでもできようが、相手が殴ってきたのを防いだり(かわ)したりするのは、少なからず鍛錬が必要じゃろう?」

 

 言われて納得したベルが「なるほど」と、うんうん頷いている目の前で、楸はにっこりと笑顔を浮かべながら、すっと右手を持ち上げて鞘付のナイフを見せながらさらに続けた。

 

 

 

「っちゅうわけでベル、最初の訓練じゃ。まずは、ワシの攻撃を全部防げるようになろうぞ」

 

「ぜ、全部ですか!?」

 

 

 

 突如放たれたとんでもない一言に、ベルが目を剥いて驚きを露わにする。

 

「もちろん、ワシは本気なぞ出さぬ。あくまで、今のベルに合わせたレベルの攻撃をするだけじゃ。それを間髪入れずに続ける故、お主はそれら全てを一分間防ぎきるのじゃ」

「えっと……ちなみに、もし一回でも当たっちゃったら……」

「そこからもう一度カウントし直しじゃな」

 

 半ば返事を正確に予想しながら質問したベルに対して、楸は何の気負いも含みもなくあっさりと答えてみせる。

 

 ちなみにこの日の夕方、ベルが鍛練終了時間のギリギリで漸く楸の猛攻を一分間連続で捌けるようになるまで583回のやり直しがあったことは、途中でカウントを止めたベルや楸も知らない事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、訓練を続けること数日の現在。

 ベルが潰れない、かといって決して楽もさせない絶妙な加減で日々更新されてきたハードル。それを設定してきた楸は、当の教え子が本日三匹目のゴブリンへと向かって突っ込んで行くのを見守っていた。

 ベルの訓練であるため、ゴブリンが万が一にも楸を標的としないようにある程度の距離はとっているが、それでも何かあればすぐさま駆けつけられる位置に立ち、まさかの時の回復薬(ポーション)も上等なものを一つ、荷物入れの風呂敷包みから出して直接手に持っている。

 だが、正直に言って楸は一階層での戦闘には全くといって良いほど心配などしていない。

 勿論ベルは、戦いの技術に関して一人前と呼ぶには程遠いし、パッと見ただけで分かるほど隙や無駄も目立つ。相手の動きの先読みはまだ全くできていないに等しいし、細かい挙動の一つ一つについての判断の遅れやミスは、それこそ挙げていけば切りが無い。

 

「ギィィ!」

「……ッ!」

(………………ほぅ……)

 

 浅い斬り付けに、僅かによろけたゴブリンへ追撃をかけようとしたのを、何とか我慢したというように踏みとどまったベルを見て、楸が内心で感心したように声を漏らした。

黄昏の館(ホーム)』での訓練初日の終了間際に。

 更には、今日の――――ベルにとっては、生涯で正真正銘最初の――――一匹目のときにも、ベルは楸から同じ注意を受けている。

 

「わかりやすい隙に、何も考えずに飛びつくな」

 

 『ダンジョン最弱』、『新米(ニュービー)の練習台』と揶揄(やゆ)されることもあるゴブリン相手に、何ともまぁ慎重に過ぎる意見だ。

 

 …………というのが、素人の意見である。

 

 確かに、敵としてゴブリンのみを想定したならば、少々過剰な反応と言えなくもない。事実、【ロキ・ファミリア】の構成員の大半は――――近接戦闘が苦手と、自他ともに認めるレフィーヤが魔封じを喰らっていてさえ――――ゴブリンの四、五匹程度は何事もなく瞬殺してのけるだろう。

 しかし、この考えはダンジョンの到達階層を更新していくと、早晩通用しなくなる。

 事実、六階層で出現する『ウォーシャドウ』によって、そんな甘い考えの代償を払わされるLv.1冒険者が、今も昔も一向に減少する気配を見せないのだ。

 故にこそ、功を焦ったそんな先人たちの二の舞にならぬよう、ギルドからもアドバイザーを通して注意喚起がなされているのだが、そんな忠告を素直に受け止めた上で(おご)りも慢心も無くいられる冒険者はA級のレアドロップ品並というのが現実である。

 

 しかし……

 

(うむ、昨日注意した踏み込みも大分気を付けてるようじゃな)

 

 未だ、深緑の小鬼と鈍臭(どんくさ)く格闘を続けているベルという少年は、実に素直であった。

 所謂、一を聞いて十を知るような、凡人が普通に見過ごすようなところから電撃のように得た(ひらめ)きを実用にこぎつけるような才覚は、残念ながら期待できないようだが、一度教えたことの呑み込みはなかなかどうして悪くない。

 “言われたことしかできない”と、(あなど)るなかれ。『自己流』という名のオブラートで過剰包装しただけの(たいていの場合は質の低い)ただの“クセ”をきちんと殺し、確立された技術や指導に従える人間というのは、どの分野であっても実は驚くほど少ない。

 

“素直さは、性格ではなく能力”

 

 遠い昔、楸が自身の師から(たまわ)った言葉を思い返していたその目の前で、ベルの予備動作(モーション)丸出しの突きが、ゴブリンの小さな胸骨(きょうこつ)を突き破り、心臓を真一文字に貫いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、本日はここまでじゃ」

 

 最後に倒した十六体目のモンスターとの戦闘終了から、歩を進めること20分。二階層最奥(さいおう)にて目の前に現れた下り階段を確認した楸は、横を並んで歩いている弟子(ベル)に訓練終了を告げた。

 

「? ……もう、ですか?」

 

 いつもより早めの終了宣言に、はっきりと怪訝そうな表情を浮かべるベル。ダンジョンでの訓練が初めてである以上、昨日までの訓練とは正確な比較にはならないはずであり、あくまでも感覚的なものでしかないのだが、それでも今までよりも随分と終わりが早い気がする。初のダンジョン実地訓練とあって気合い十分だったベルは、物足りなさから「僕、まだいけますけど?」と珍しく自分から続行を(ほの)めかす言葉を発した。

 しかし、そんなベルに対して、楸の方ははっきりと首を横に振ってみせる。

 

「いや、副団長殿から許しを得ているとは言え、初日から三階層はいくらなんでもちと性急に過ぎる。ここまでの道のりも、完璧にこなせていたか、と問われればそんなことはないしのう。第一お主、ここから更に帰りの分がある、ということを忘れておらぬか?」

 

 片方の眉をピクリと持ち上げて聞かれた内容に、ベルの口から「あっ」という音がこぼれ落ちる。

 当たり前のことだが、ダンジョンは潜ってそれでお(しま)いではないし、そうあるべきではない。五階層まで下りたなら五階層分、二階層までなら二階層分、ちゃんと地上まで引き返さなくてはならない。

 「本拠地(ホーム)に帰るまでがダンジョン探索」

 リヴェリアの座学講習でも何度か姿を現していたそんな言葉を思いだしたベルは、なるほどと一つ頷いてから、ここまでの道中を思い返して「またあの道を通っていかなきゃいけないのかぁ……」と、若干げんなりと全身を弛緩させながら、一階層へ続く階段にむけて歩き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「団長殿から、帰りに寄るようにと遣いを頼まれておったんじゃった」

 

 地上へと帰還し、バベルから外に出るなり思い出したようにそう口にした楸と別れ、ベルは小人族(パルゥム)の少女と正反対の方向、『黄昏の館』へと向かって歩いていた。

 二階層最奥(さいおう)からの復路を、魔物を探しつつ駆逐しつつ降りてきた往路以上の順調さで引き返した二人が地上に出たのは、まだようやく太陽が橙色に変わり始めるか否か、というころ。まだまだ活気と人通りに溢れる街の光景の中には、ベルと同じように探索を早めに打ち切った同業者の姿が、ちらほらとだが見られる。

 楸との実践訓練が始まってからというものの、クタクタになるまで徹底的に(しご)きぬかれ、当番があるときにはその分の仕事をし、次の日に備えるため、部屋に戻った後は(しかばね)のように眠る、というような生活を毎日過ごしているベルは、こうやってふとしたタイミングで外に出たときには、無意識のうちに色々なところに目を向けることが多くなっていた。

 建ち並ぶ商店や、その建物の屋根越しや隙間から覗き見える民家は小綺麗で品が良く、建築の審美眼などまるで持ち合わせていないベルでも感じ取れる程分かりやすく、高級住宅街の姿を形作っている。バベルのある中央広場(セントラルパーク)からさほど離れていないせいか、冒険者向けの商店や施設が北の区画の中でも比較的多く、高級な雰囲気が苦手なベル一人で歩いていてもそんなに緊張せずにいられる場所だ。一昨日(おととい)に、歳の離れた先輩団員と買い出しに出かけた西の区画の市場とはまた少し違う活気に溢れている背景の中で、エルフやらノームといった亜人(デミ・ヒューマン)狸人(ラクーン)犬人(シアンスロープ)などの獣人といった様々な種族の人々が行き交い、言葉を交わし、ちらりと見えた脇道に立っている露店では、売り子の小さな女の子が長いツインテールを揺らしながら、笑顔で接客をしている。

 

「プレーン2つと、あずきクリーム1つだね! 今なら、ボクのファミリアに入れば、おまけでもう一個サービスしとくよ!」

「え……いや、それは……」

「ほらほら、お客さんを勧誘するならバイト代出さないよ」

「あうっ!?」

 

(……あんな、小さな子が所属してるファミリアもあるんだな)

 

 店主らしき女性に後ろから頭をペチンとやられてつんのめる少女を見ながら、ベルが「どこの神様のファミリアだろう?」と、何の気なしに疑問を抱いていると、

 

 

ドンッ

 

 

「!?」

「……ってぇ! ぁンだ、コラァ!」

 

衝撃と共に怒号が降りかかってきた。

 

 露店のやり取りの方に気をとられていたベルは、知らず知らずのうちに前方へ注意をしないまま歩を進めていたらしく、正面から歩いてきた誰かとぶつかってしまったらしい。驚き慌てて相手を見てみれば、見るからに粗野な風貌の――こう言ってはなんだが、北の区画ではあまり見られない三人連れの男だった。

 

「あ、ごごごめんなさいっ……!」

 強面の相手に凄まれ、この手の輩に慣れていないベルが脊髄反射で謝罪の言葉を口にした。

 こういう場合の常として、まず十中八九、これで相手は引き下がってなどくれない。それが、いかにもケンカ慣れしていなそうなベルのような少年ならば、なおのことである。

 尤も、山奥の暮らしが長いベルのこと。そんな都市部のよくある話についてそうそう詳しいわけもなく、こういったときの上手い対処の仕方などは心得ているものではない。

 

「おいディーゴ、このガキ……」

 

 しかし、実際の相手の反応は、そんなベルの事情とは全く関係のないレベルで不可解であった。

 ベルが衝突してしまった男(ディーゴ、というらしい)のすぐ脇に立っていた細身の馬面男が、その仲間に対して注意を促すように言葉を紡いだ。次いで振り向いてみせた男に、馬面はクイッとその細い顎をベルに向かってしゃくってみせ、他の二人の視線を導いていた。

 頭を下げていた筈のベルが、目の前の男たちの意外な反応を前に思わず顔を上げて見つめ返すそのすぐ先で、件の二人は至近距離からベルの顔をじっと観察し始めるのだった。

 

「……! てめぇ、こないだの……!」

 

 やがて、一瞬だけハッとした表情を見せたディーゴが、次の瞬間には憤怒に大きく顔を歪ませた。

 

 具体的な言葉がないためイマイチ要領を得ないのだが、どうやらこの三人は自分を知っているらしい。

 

 いっそう強く漂い始めた剣呑な雰囲気に、そこまでは何とか察したベルだったが、しかし順調に頭が働いたのはそこまでだった。

 ただの顔見知りという以上に相手から自分への心証は最悪らしく、困ったことにこちらには相手の顔に全く見覚えがない。とりわけ、ベルの知り合いにはまずいないようなタイプであるだけに、一度でも顔を合わせていたらそうそう忘れるはずもないのだが、はっきり言って「もしかして」というようなとっかかりすら、思い浮かびそうもない。

 それもそのはずで、ベル少年がこの三人と初めて会ったとき、彼は正常に意識を保った状態ではなかった。

 より正確に言えば、()()()()()()()()

 歓迎会で飲まされたドワーフの火酒(かしゅ)は、翌朝までの少年の記憶をバッサリと容赦なく刈り取っており、おまけに今日までの間、そのときのことをファミリアの誰に聞いても決して教えてくれないので、最早ベルにとっては、目の前の三人のことなど、分かりようはずもない。

 そんなベルの事情を知らない三人だったが、それでもその表情の中身をほぼ正確に読み取ったのだろう。

 

「舐めやがって……!」

 

 明らかに「あなたのことなんて覚えていません」と告げんばかりのベルの反応は、目の前の男の赤化した感情に油を差した。

 すぐさまベルも不穏な空気を感じ取ったが、今更何をどう言い(つくろ)ったところで、男の怒りは収まらない。明らかに激昂した様子で、右手でベルの胸倉を……

 

 

 

 

 

 

 

ベチャッ!

 

 

 

 

 

 

 

掴もうとしたところで、動きが止まった。

 

「んぶっ!? な、何だっ……!?」

 

 咄嗟(とっさ)にびくりと身体を竦めたベルが見たのは、目の前の男の顔面が、真っ赤な液体で染まる瞬間だった。

 突如として頭部を染めた、ドロッとした赤い液体。

 すわ、流血かと、かなりスプラッターな想像をしてしまったベルだったが、直後には自身の勘違いに気付く。

 飛び散ったそれらからは、血液特有の鉄錆(てつさ)びのにおいが感じられない。むしろ、鼻腔(びくう)の浅部を刺激するような爽やかな酸味の芳香と、ホンの少し顔を覗かせる青臭さの混じったこの薫香(くんこう)の正体は……

 

 

「…………トマ……ト?」

 

 

少々強めに熟れた果肉と、小さな種を多分に含んだ果汁を滴らせる男の顔を見ながら、ベルが無意識に言葉をこぼす。あまりに突然且つ予想外の出来事に、「トマト野郎」という、平時なら思い浮かびもしないような言葉が脳裏を(よぎ)り(なぜか、脳内ではベートの声で再生された)、知らぬうちに弛緩(しかん)していた口は、声の出し方も呼吸の仕方も忘れてしまったかのごとく、何の目的も意味もなく只々ぽかんと半開きになっていた。

 

と……、

 

 

「はーい、そこまで~」

 

 

 空白と化した空気に、突如割り込む声と、その主が一つ。

 トレードマークの白いパレオを揺らしながら登場した少女(アマゾネス)が、さも緊張した空気を強制的に脱力させるように、単に「ちょっと自分の話を聞いてくれ」とでも言いたかったかのような気楽さで場に割り込んできた。

 

 

「あっ……!」

 

 とてとて、とまさかのタイミングで現れた顔見知り(ティオナ)に、ベルは驚きの表情を浮かべてみせた。振り返って見れば、その後ろからは呆れたようにため息顔でこちらに近付いてくる双子の姉(ティオネ)の姿も見えるし、そのさらにずっと後ろでは、髪色とお揃いの瞳をじっとこっちに向けている剣士(アイズ)と、大通り沿いの青果店のおばちゃんに10ヴァリス硬貨を数枚渡しながらお辞儀をしているエルフ(レフィーヤ)の姿がある。

 

 あたかも天上の何者かが(今は地上にも沢山いるが)仕組んだ悪戯(いたずら)のように、図ったようなタイミングで現れた彼女たちに、しかしながら目の前の男の心中は穏やかではいられなかった。

 

「こンの、クソアマァ!!」

 

 ただでさえ油を注がれていた火に炸薬(さくやく)を放り込むようなその行動に、最早自失するほど激昂したディーゴは、振り上げた拳の下ろしどころを完全にティオナに切り替えた。

 

「ほいっ」

 

 しかし、上位の第一級冒険者にとって、そんなものは止まっているのにも等しい。

 ワザと激突直前まで待ってからギリギリでくるりと突進を(かわ)し、瞬きする間に相手の背後をとる。顔面を捕らえると信じて疑わなかった大振りの突きは、余らせた勢いを、本人の体勢を崩すことに余すことなく使い、よろけさせる。そんな風にして小さくたたらを踏んだその刹那を、ティオナは見逃していない。本当に軽く、裸足のつま先を蹴り出すと、一瞬とは言えほぼ全体重が乗った膝を裏から突かれた(カックンされた)ディーゴは、糸を切られた(あやつ)り人形よろしく地面に崩れ落ちていった。

 それでもサッと、憎々しげに歪んだ顔を上げたディーゴだったが、睨みつけたティオナとは反対側から、別の声が降ってきた。

 

「別にかまわないけど、やめといた方がいいんじゃないの?」

 

 漸く妹に追いついてきたティオネが、ため息交じりにそう告げる。そのまま「第一ねぇ」と続けながら、隣に立ったベルの肩に手を置き、ポンと一つ軽く叩く。

 

「ついこの間、この子に()されたばっかりでしょうが」

 

 改めて告げられた思い出したくない事実に、「ぐっ」と声になりそびれたような音が喉から漏れる。

 目の前のアマゾネスの言う通り、こんなちっぽけな少年に投げ飛ばされて意識を刈り取られ、気が付いた時には店の勝手口近くの路地で朝を迎えたという出来事は、まだ記憶に新しい。その上後から聞いてみれば、実力的には大差ない他の二人でも全く手も足も出ないということは、どうやら自分が気絶している間に確認済みであるらしいのだ。であるならば、明らかにその少年よりも上手(うわて)であろう目の前の双子に力が及ばないのは、どんなに冷静さを欠いていたとしても想像に難くない。

 それでも尚、舐められてたまるか、という気持ちが戦略的撤退を邪魔しそうになる。しかし、残り二人の内の一人が、ふと生じた冷静な連想ゲームに、徐々に顔色を失い始めた。

 

 

「こないだの酒場……ってことは、【ロキ・ファミリア】…………双子の…………アマ……ゾネス……!?」

「おい、ってことはもしかしてコイツ……」

 

 

 聞かせるでもなく呟かれていた独り言を、しかしてすぐ横に立つがゆえに聞こえていたもう一人がきちんと拾い、同じ結論に至る。やがてその様子は、トマト果汁に(まみ)れたディーゴにも伝播(でんぱ)し、遂には三人そろって悲鳴のような声を挙げさせた。

 

 

「「「ア……【大切断(アマゾン)】!?」」」

「だから、二つ名(それ)で悲鳴あげるの、ホントにやめてほしいんだけど……」

 

 本来より上の階層で強いモンスターと遭遇しました、とばかりの悲鳴にティオナが不機嫌そうに顔を(しか)めてぶすっくれた。それでどうこうなるような性質(たち)でこそないものの、やはり化物扱いはそれなりに傷付く。というか、気に入らない。

 しかし、そんな少女の心境を顧みる余裕などは彼らには無い。

 目の前にいるのが噂の暴走少女だと認識した瞬間、そこから連鎖的に【怒蛇(ヨルムンガンド)】、【剣姫】の存在が目に入ってくる。かの【巨人殺し(ジャイアント・キリング)】のファミリアの、それも中核を担う第一線級の構成員の登場に、さっきまで抱いていた怒りもどこへやら、三人連れだってスタコラサッサと遁走(とんそう)していく。後に残ったのは、未だ面倒くさそうな表情を残したティオネと、追い払いに成功はしたもののどこか納得いっていなさそうなティオナ、事態が収拾したらしいことを認めて近付いてくるアイズとレフィーヤ、そして今更ながら所属派閥(ロキ・ファミリア)影響力(ネームバリュー)に圧倒され気味のベルだった。

 

「あの、ありがとうございました……」

 

 ややあって、ベルが四人にペコリと頭を下げた。本人としては、何だかよく分からない内にかけられた因縁に、何だかよく分からない内に巻き込まれ、それを同じく何だかよく分からない内に助けられた、という“終始よく分からないままに全てが流れていった”という印象なのだが、()にも(かく)にも、あのおっかなそうな男たちから彼女たちが助けてくれたらしいことだけは、きちんと理解していたようだ。

 おずおずと差し出された御礼の言葉に、ヒリュテ姉妹は二人揃って「いーから、いーから」と何でもないことのように手を振り、アイズは無言のままに小さく首を左右に振った。

 咄嗟にティオナが放り投げたトマトの代金を肩代わりしたレフィーヤだけは、ただ一人文句顔で腰に両手を当て、「まったく」というように口を開いた。

 

「あんまり、面倒事に首を突っ込まないでください。そもそも、あれぐらいの人たちなら自力でも……」

「いやぁ、見た感じあいつらLv.2でしょ? さすがにまだアルミラージくんじゃ、ムリじゃない?」

「うぅ、すみません……」

 

 不満を口にしたエルフの少女と、苦笑しながら冷静なツッコミを入れるティオナの言葉に、自分の尻拭いができていないことを再確認させられてしまったベルが、呻くように謝罪を口にする。

 それでもまだ何かしら思う所のあるらしいレフィーヤが、「でも」と更に言い募った。

 

「こないだのときは、完全にあの人たちを圧倒してたじゃないですか! だったら今日だって……!」

「…………あの~」

 

 やや興奮気味に(まく)し立て始めたレフィーヤの言葉を、申し訳なさに小さくなっていたベルが、精一杯の勇気を()ってカットインする。当然ながら集まる四人の視線に緊張しながらも、「えいや!」とばかりに心を奮い立たせて、少年が一つの疑問を口にした。

 

 

「そもそも、あの日一体何があったんですか……? 僕、今の人たちと何かあったんでしょうか…………?」

 

「「「「……………………」」」」

 

 目の前で明らかに空気が固まる瞬間を、ベルは目撃した。

 今に始まったことではなく、あの日以降、楸やフィンを含めた誰に聞いても同じような反応が返ってくるばかりで明確な答えを得ることが、ベル少年にはできていない。

 一体、自分の知らぬところで何があったのか。あるいは、自分は何かとんでもないことをしでかしてしまったのではなかろうか。

 ただただ膨らみ続けるそんな疑問を解消するには絶好の機会だという判断の基になされたベルの発議は……

 

 

 

 

 

「さて、早いとこ戻らなきゃ。団長が私の報告をお待ちなのよ」

「きょ~ぉの、おっかずは、な~にっかな~♪」

 

 

 

 

光の速さで“無かったこと”にされた。

 

 よく聞くと若干棒読み気味にも聞こえるティオネと、反対に白々しさ満載に明るい節をつけて歌い出すティオナが、見事なまでの双子連携(シンクロ)を見せてスタスタとまっすぐに『黄昏の館』目指して歩き出した。

 そんな彼女たちと、突如置き去りを喰らった哀れな白兎との間に交互に視線を行き来させ、見る人が見ないとわからないぐらい僅かに“あわあわ”としたアイズ。一体どんな思考プロセスを経てその結論に達したのか、殆どその様子を見せない踏込からは想像もできないほどに高く跳躍し、(さなが)ら流星の如く人垣の向こうへと消えていった。

 

「……えっと」

「……!?」

 

 女性陣でただ一人残されたレフィーヤに、どうにも気まずさに(たま)りかねたベルがおずおずと声をかける。やや再起動に遅れた彼女は、ビクリと一度身体を震わせ、小さなパニックを起こしながら、意味の有無を問わずあちこちに視線を走らせた結果、

 

 

「……し、知りませんっ!!」

 

 

オーバーヒートの(のち)、一切合切を丸っきり投げ出す、という行動に出た。

 

 より端的に言えば、顔を赤くして一声叫び、走り去った(逃走した)

 

 

 

「…………えぇ~……」

 

 

 まさかの置いてけぼりを喰らった可哀そうな兎は、しばしその場所に立ち尽くしていたが、やがて先の四人が消えて行った方角へと向かって、とぼとぼと歩き始めるのだった。

 

 何も知らない楸が、相も変わらず自身の身の丈に不釣り合いな程の大荷物を抱えてそこを通り過ぎたのは、それから半時(はんとき)後のことだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある酒場にて

 

 

「畜生がっ!!」

 

 本日六度目の悪態をつきながら、同じ数だけ叩き付けられてきたジョッキを空けたディーゴに、カウンターの内側に立つ店主が、迷惑そうな視線を飛ばす。

 

 東のメインストリートから細い路地をいくつも入った先にある(さび)れた酒場。

 薄暗い馴染の店で古ぼけた卓について荒ぶる彼は、()()()こと未だ止まずにいた。

 

「ディーゴ、壊しやがったら弁償しろよ」

 

 さんざん乱暴に扱われている栗の木でできたジョッキを指して言いながら、店主がジロリと睨みつける。

 深酔いの暴れ客をも黙らせる眼光に晒されながら、それでも怒れる男の勢いは止まらない。

 

「っるせぇ! こっちはあんなクソガキどもに立て続けにコケにされてんだ! 落ち着いてられるかってんだ!」

「けどよぉ、ありゃ仕方あるめぇよ」

 

 隣の席で同じくジョッキを傾けていた細身の男が、零すように言葉を出した。次いで、その更に奥に座る馬面も、「だよなぁ……」と同調するように頷いていたが、勿論そんな反応はディーゴにとって気に食わず(わめ)き散らす。

 

「モーガン! バリン! てめぇら、どっちの味方だ!」

「じゃあお前、あの状況で【大切断(アマゾン)】やら【怒蛇(ヨルムンガンド)】相手に喧嘩売った方が良かった、ってぇのかよ?」

 

 激して言い返すでもなく(さと)すように語られた馬面男(バリン)の言葉に、ディーゴが鼻っ柱を叩かれたように「うぐっ!?」と黙り込む。

 

 方や、都市最大一派の中の最上位団員たるLv.5。

 方や、四年かかって果たした人生初の【ランクアップ】から、その倍以上の時間をかけても未だにファンファーレの音が聞こえてこない、Lv.2。

 

 深酒で酔いが回っていようが、烈火の如き激情に我を失っていようが、そこに挟める否やなど出てこようはずもないぐらい、瞬時に計算が働くほどの実力差である。この場の誰も知り得ないが、いつぞやどこかの小人族(パルゥム)が言っていたように、(あり)がゴリラに挑んだところでそうそう討ち果たせるものではない。

 冒険者の街『オラリオ』において、力は全てでこそないものの“己を通すための強烈な一要因”ではある。

 何より、一応は『上級冒険者』と呼ばれている彼らこそ、下級冒険者と比して得られている(神々のもとはまた別の)“恩恵”も確実に存在しているのだ。

 

「くそっ!」

 

 七度目の今度は叩き付けるジョッキは持っていない。自棄のように追加で注文したエールが、店主の呆れ顔にのせて供されるや否や、ディーゴは頭を反らして一息に煽り始めた。

 

 

 

 

 

「その話、詳しく聞かせてもらおうか……」

 

 

 

 

 全体の三分の一ほどが喉の奥に消えていった、ちょうどそんなときだった。

 全身をすっぽりと覆う、濃紺のローブの誰かに声をかけられたのは。

 

 

「あァ……?」

 

 

 イラついているところを不意に話しかけてきた相手に対し、三人が不機嫌そうにじろりと一瞥をくれる。

 立っているのは、一人の男だった。

 体格は昼間の少年と比べてもなお小さく、深く被ったフードのせいで人相もまともに判断できないが、女にしては声が低い。特別太いというほどでもないが、少なくとも聞いた瞬間にあきらかにそれとわかるほどには。

 何も言葉を発しない相手に焦れたのか、三人の胡乱(うろん)げな空気を感じ取った様子のその男は、ゆっくりとカウンターに近付いて、被ったフードはそのままに自分の顔を相手に見せた。

 

 

 

 

「……!? あ、あんたは……」




何やらきな臭い感じになったところで、次回に続きます。

活動報告ではこの後の第9話まで一気に書いているとお伝えしましたが、
さすがに更新遅れがはなはだしいことになりそうだったため、
完成済みの第8話を先行して公開することにしました。

ここまでベルくんがひたすら扱き倒されてくるばかりのお話でしたが、
ようやくはっきりと物語が動き出しそうな予感をお見せできました。
次話で、最初の大きな区切りを迎える予定ですので、ここまでお付き合い頂けている方は、
どうぞ引き続きご愛読ください!
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