コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第九話「迫り来る雨期」

 車は大きなゲートを潜った。厳重な警戒。多分軍人さんだと思う。小銃で武装した制服姿の人達は、アルベルトの示したライセンスを確認すると、フリーパス同然で通してくれた。

 

 広い、広い敷地内。わたし達の乗った自動車は建物の群れには向かわずに、離れた場所にあるスロープから地下に降りて、シェルターのような地下駐車場に吸い込まれた。分厚い鉄の扉を開けた先の通路には、私達以外の人影がなかった。

 

 深海魚になった気持ちだった。

 

 リノリウムの廊下に足音が響く。蛍光灯が明々と照らす、無色透明な白い廊下。警備の人さえ一人もいない。観葉植物の一つもない。やや早歩きで進んでいく。3人とも無言。わたしにとって初めての実戦が待ち受けるからだろうか。さっきから肌がぴりぴりしてる。大気の組成が違って感じる。異星に迷い込んだと言われても信じられる。

 

 張り詰めた雰囲気に息が詰まって、傍らのアルベルトをふと見上げた。そして、理解した。これが普通なんだ。この人が今まで潜り抜けてきた舞台。空気がアクリルでできていて、秒針がアレグロモデラートのステップを刻む。硬質で、真剣で、頼もしいけどちょっと怖い。まだ入り口にも立ってないんだろうけど、きっとこれが、男の人の世界なんだ。

 

 わたしの視線に気付いたアルベルトが、いつもの優しい瞳に戻った。ほっとする。だけど、甘えるのはまたの機会にしよう。わたしは足手纏いになりに来たんじゃない。安心してもらえるように笑顔を返しつつ、心の中で拳を握った。

 

 広い会議室に案内された。入り口以外の3面の壁が全て大きなモニターで、木製の円卓にも各席に小さな画面がある。わたし達が入ると、先にいた人達が一斉に振り向いた。何人かの軍人さんとスーツの人達。制服組の中で一番偉そうな人は、色とりどりの略綬を胸に付けている。詳しいわけじゃないけれど、偉い将軍さんなんだと思う。そして、ラフな格好の男女が二人。纏をしてるから、この二人もアルベルトと組んでるチームのメンバーなんだと目星を付けた。

 

「どうも。皆さんお待たせしました」

 

 アルベルトが気さくに挨拶して、わたしも続いて自己紹介する。偉い人を次々と紹介された。スーツの人達は内務司法省の高官や国を代表する程の政治家で、制服の人は国家憲兵隊司令官とか特別機動部隊の隊長さんとか、それはもう、肩書きだけで気圧されるような方々ばかり。あとはいかにも有能そうな専門家や実務者の皆さん。そんな人がこんな小娘に敬意を持って接してくれて、改めてプロハンターという職業の異質さを思い知った。

 

 世界で六百人しかいない探索と収集のスペシャリスト。ライセンスをめぐって人が死ぬ民間資格。懐に入れたどこにでもありそうな薄いカードを、あまりに重く感じて冷や汗が出た。動揺を表に出さないように気を張った。滑稽な強がりかもしれないけど、わたしはライセンスを背負っていて、あの試験で亡くなった人も沢山いるんだ。

 

「そしてこちらがハンターチームのリーダー、カイト君だ。本来であればカキン国で長期契約の最中だったのだが、無理を言って一時的にこちらに廻ってもらった。私の私的な友人で、世界でも最高峰と信じるプロハンターだ」

 

 そう、将軍さんに紹介されたのは、細身だけど力強い印象を受ける男性だった。最高峰という評価の割にはとても若い。だけど雰囲気は針のようで、生半可な実力じゃない事がよく分かる。

 

「エリスです。何の経験もない未熟者ですが、どうかよろしくお願いします」

「カイトだ。世界最高峰というのは大げさだが、よろしく頼む」

 

 一通り挨拶が終了して、話題が本題に移る前に、将軍さんが一つ確認した。

 

「伝えられているとは思うが、これから説明するのは我が国の重要な機密作戦だ。もし仮に事情を聴いた上で不参加か、もしくはカイト君により不採用の判断を下された場合、失礼だが作戦終了まで軟禁させてもらう。あなたを推薦したレジーナ君は過去にも本件においても重要な功績を上げており、我が国でも多大な信頼を寄せているが、だからこそ厳正に対応したい。無論、待遇については国賓級を用意しているから安心してくれたまえ。それについてはよろしいかね?」

 

 あらかじめ聞いてた事だ。それを知った上でここまで来た。アルベルトを見ると頷かれた。大丈夫。緊張なんて、してない。

 

「はい。異論はありません。事件終息後の守秘義務についても、誠実な対応をお約束します」

「うむ。すまんがよろしくお願いする」

 

 口頭でのやりとりの後、何枚かの書類にサインして、報酬や義務を確認する。その上で具体的な説明がされる運びとなった。モニタに映された資料を見ながら、事件のあらましが解説される。アルベルト達が関わっていた案件。この国を騒がせている現象は、あまりに衝撃的な内容だった。

 

 雨が降ると人が死ぬ。

 

 確認されただけで、犠牲者は八百人を超えていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ビルの並ぶビジネス街で、少女はひとり空を見上げた。今日の降水確率は十パーセント。穏やかに晴れた一日だった。

 

 春風の心地よいカフェテラスでアイスココアを飲みながら、少女はのんびりと寛いでいる。わずか二百ジェニーの出費ながら、かつては想像もできなかった贅沢だった。はじめて飲んだときなど、あまりの甘さに涙が溢れた。もう二百五十ジェニーも払えば最安値のケーキセットに手が届くが、それは男に禁じられていた。あんま急に贅沢に溺れると生きる気力が無くなっちまうからよ。そんなセリフに真剣に頷いた。麻薬中毒者の哀れな末路は、少女もよくよく知っていた。

 

 服も、今は真新しいワンピースだった。どこにでもある、誰でも着るような普通の安物。それが彼女には贅沢だった。男を誘う衣装ではなければ、普段着代わりのぼろでもなかった。

 

 幸せだな、と少女は思った。豊かなで清潔な暮らしは寝物語に聞く事こそあっても、スラムの中では夢のまた夢だった。まして、少女はあの宿から出た記憶がない。物心付いたときには拾われていて、ある程度育ったら売り物にされた。ただそれも、特筆するほどの不運ではない。少なくとも彼女は食べていけた。売れ筋商品の見栄えを維持するためであろうが、腹の足しになるのは善意ではない。宿側の都合で歪だが熱心な教育も受けられて、忍び寄る麻薬からも遮断された。

 

 これが一人であったなら、最良でも最下層の花売りとして何度か小銭を手にした後、野垂れ死ぬのが精々だろう。最悪など、想定する事さえ無意味だった。

 

 だが、それでも少女は男を嫌う。その理由は主に二つあった。どんな境遇に生きようとも、人殺しだけはしなくなかったのがその一つ。もう一つは、男に自分を好くなと命じられているためである。今の少女の奥底には、奴隷としての立場が刻まれていた。自分の念だと男はいった。抱いた女を隷属させ、自在に操る能力だと。

 

 待ち合わせの時刻までもう少し。男は今や、少女にとって神の声の持ち主だった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 わたしが絶句してる間にも、説明は淀みなく進んでいく。去年の暮れ頃から話題になった、ある一つの事件の法則。当初、連続殺人事件と考えられたそれは、不可解な点の多さから事故や自然災害の可能性まで疑われた。

 

 雨天集団窒息死事件。

 

 個人の犯行にしては規模が大きすぎ、組織的犯罪にしては形跡が残ってなさすぎる。テロリストなら、犯行声明が出てないのも奇妙だった。絞殺痕はなく、現場が屋外の例も多く、特筆すべき異常気象の痕跡も見あたらない。降っても犠牲が確認されなかった日もあったみたいだけど、確認された場合、小雨の時でも五十人以上、雨脚が強かった日は二百人を上回る数が亡くなっている。

 

 様々な対策がとられるのを嘲笑う様に、事件は場所を移しながら犠牲者をこつこつと積み上げていく。秋から冬にかけて乾燥した気候の続くこの国では、恵みの象徴だったはずの雨を凶器に代えて。

 

「犠牲者の数も事件による政治経済など各分野への打撃ももちろん深刻ですが、それ以上に懸念されてきたのが民衆に蔓延する恐怖そのものです。全国各地で暴動が発生した場合、最悪では社会秩序そのものへの損害すら懸念されました。我々は情報統制に腐心しつつ、大げさに見えない範囲で可能な限りの対策を講じました。捜査そのものはもちろん、諸外国への協力要請、有力な解決方法への懸賞金、科学者による対策委員会の編成。しかし……」

 

 進行役の人が顔を歪める。理知的な印象の、眼鏡をかけた男の人。その人が中心となって、時々専門の人の補足が入る説明は、わたしにもとても分かりやすい。画面の資料には事件の進行が表示され、犠牲者の数を表すグラフは無慈悲な右肩上がりを描いていた。

 

「さらに、現状で我々が直面している問題が二つあります。事件発生現場の北上、及び雨期の到来です。まず前者ですが、御覧下さい、これは事件発生現場のプロットです」

 

 それはランダムにふらふらしながら、北上する傾向を示していた。広域の地図が写し出される。北方、国境線の向こうには、聞き覚えのある地名があった。世界で最も異質な都市。公式な地図には掲載されてない、この世に存在しないはずの場所。流星街。

 

「最も近い事件現場との間隔は、五十キロメートルも離れていません。現状において当現象が流星街の領域に移動する事は避けねばならないというのが、政府内で一致した見解です。彼らに対する攻撃と見なされても、受け入れられても重大な問題となりかねません。外交的にも内政的にもです。現時点では国境警備隊によって厳戒体制を敷いておりますが、肝心の原因が判明してないので確実に阻止できるとは限りません。続いて、雨期についての問題ですが」

 

 あくまで淡々と、事務的に説明が続けられる。だからこそ余計に悲しかった。抽象化された愛国心と呼ばれる感情の有無は分からないけれど、郷里を愛してないわけではないだろう。その気持ちはわたしにもよく分かる。いっそ激昂してくれたなら、わたしも少しは気が楽だったのに。

 

「我が国には一年に二回、春と夏に雨期があります。春の雨期は期間こそ短いのですが、一度に降る雨の降水量が多く、集中的な豪雨となります。また、春の雨期が終わると初夏にかけて、湿気が多く、雨の豊かな季節が訪れます」

 

 進行役の人が一端区切って、手元の水を口に含んだ。そして、続ける。

 

「現状で最も懸念されているのが雨期の到来です。例年ではあと1週間程ですが、今年の気象予測も大きなずれはなく、場合によっては数日早い可能性もあるという結果となっております。雨期より前に事件解決の確証を得る事。それが国家全体の急務でした。が、成果は得られず、時間のみが経過していきました。私達には時間がありませんでした」

 

 そこからは、進行役の人に代わって将軍さんが説明を引き継いだ。

 

「そこで我々はプロハンターに直接依頼し、国権の一部を一時的に委ねる事により事態の抜本的解決を図った。カイト君を筆頭に、メンバーは過去、この国に大きな貢献を果たしてくれた人物から厳選した。事件の性質と行使してもらう権限の大きさから人数は最小限の少数精鋭。しかし、従来の懸賞金によるハントの推奨ではない。この国の警察組織である国家憲兵隊に対する最優先命令権を極秘に与え、従来の捜査班も全面的に指揮下に入った。超法規的措置の黙認も密約された。この国の司法は現状、実質的に彼らの手中にある。無論、これも極秘事項だが。

 一ヶ月にも満たない期間だが、彼らはよくやってくれている。素晴らしい成果をあげてくれた。だが、もうすぐ春の雨期だ。もう一ヶ月早く依頼できなかったのは、ひとえに我々の無能さによるのだろう。ならば、泥は我々がかぶるべきだ」

 

 わたしは辺りを見渡した。色々あったんだと思う。誰も彼もが苦虫を噛み潰したような顔をしてる。その胸の内にあるものまでは、正確に読み取る事はできないけれど。

 

「さて。ここからは極秘事項中の極秘事項だ。皆、すまないが退室してくれたまえ」

 

 そういう段取りだったんだと思う。ハンターと将軍さん以外の人達が、ぞろぞろと退出していった。部屋が一気にしんとする。普通の人に話せない話題。それは、きっと。

 

「改めて自己紹介しよう。国家憲兵隊司令官ワルスカだ。階級は憲兵大将。念能力は使えないが、その存在は先日カイト君から告げられた。この世には、不思議な力があるらしいな」

 

 それにわたしも頷いた。この事件も十中八九、聞いた話から、わたしも念能力者の仕業だと考えていた。自然現象より遥かに画一的で、唐突に現れた謎の現象。人が生身で起こすには大規模すぎるし、何より手段が不可解だから。

 

 次は、カイトさんがハンターチームによる調査結果を説明してくれた。

 

「オレ達が調査した結果、被害者の遺体には口元に微かにオーラの痕跡が見つかった。そこから推測すると、何らかの柔らかい物体で口と鼻を塞ぎ、呼吸を阻害したものと思われる。推測するならば操作系か具現化系の能力者。雨の日のみ事件が発生するのは、能力の規模から見て目くらましではなく制約の可能性が高い。雨や水に強い思い入れのある人物だろう。

 これらの特徴を元にハンターサイトで情報を徹底的に洗ったが、該当する能力を持つ人物はいなかった。また、かなり特徴的な能力ながら過去の事例を見てもこれに類する殺害方法は一つも見つかっていない。これは犯人が表に出て日が浅いか、ごく最近能力に覚醒した者である可能性が高いことを示している。

 だが、それにしては念の使い方がさまになりすぎている。事件発生当初から能力が実用段階にあっただけではない。使うタイミング、隠し方。素人が偶然開眼したにしてはできすぎだ。しかし熟練した能力者が教授したと考えると、それもまた不自然な点が多い。特に問題なのは事件の目的だ。なぜこんな発を修得したのか、どんな目的で使っているのか、動機が全く推測できない。念を使い慣れた者の思考ではないな」

 

 カイトさんの言う事はもっともだと思う。これだけの事件を起こしておいて、何の目的もないと言うのはおかしすぎる。念とは一生付いてまわる力だから。かといって念が使えるから使った、人が殺せるから殺したという犯行そのものが目的だったにしては、手口が洗練されすぎてる気がした。

 

「だがな、実は弟子にそんな馬鹿げた使い方をさせそうな人物に心当たりがあった。通称『こそ泥のビリー』。そこそこ有名だから君も知ってるかもな」

「いえ、初耳です」

「そうか。こいつはいくつかの偽名を好んで使い、本名は不明。その本質は渾名の通り、世界一頭の悪いこそ泥だ。はじめはただの直感だったが、ハンターサイトで調べた所、この半年間に国内で確認された痕跡情報が3件あった。入国記録はないから密入国だろう。

 裏付けではアルベルトが活躍してくれた。事件が起きた現場近くを縄張りにする場末の街頭娼婦を片っ端から篭絡してくれてな。おかげで彼女達が憲兵には決して話さないような情報をふんだんに入手できた。もっとも犯行時刻前後に立っていた奴は全員死んでいるわけだが、それでも事件後に周辺の建物に忍び込むビリーらしき男の目撃情報をいくつか得た。その結果を分析して、オレ達は事件にこの男が関わっていると断定した。

 奴はな、つまらない窃盗の為なら何人でも殺す、そんな気の狂った犯罪者だ。目的と手段が逆転してるだけでなく、程度というものを全く知らん。一回に盗む金額は数万ジェニーから精々数十万ジェニー。それ以上の金銭や貴金属が目の前に転がっていても見向きもしない。だが、その数十万ジェニーの為なら大金持ちの屋敷に入り込んで全員惨殺ぐらいは朝飯前にやってのける。

 ただのこそ泥と、それに附随する罪状だけでA級賞金首に指定された男。あまりに馬鹿馬鹿しいが、被害を受ける方としてはたまったもんじゃない。そして何より厄介なのが、奴の実力は本物だという事だ」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「相変わらず最低ですね、マスター」

 

 二時間も遅刻して悪びれずに座った男を、少女は冷たい目で出迎えた。歳の頃は二十歳ほど。健康的に日焼けした肌に短く刈った金髪をのせ、お馴染みとなった安っぽい服に身を包んでいる。そんな男の袖の辺りに、小さく染み付いた血痕があった。どうせまた、いつもの娯楽のためだろう。

 

「だから娯楽じゃねーよ。仕事だって。俺様自慢のライフワークだぜ。いやそれがな、ここに来る途中でいい形の窓がある家を見つけちまったからよ、懐も軽くなってたし、ついついひと汗流しちまった。ありゃ俺を誘うために建てたとしか考えられんな」

 

 男は軽薄に笑いながら、アイスコーヒーの氷をガリガリ噛み砕いた。よくあんな苦い飲み物を注文できるものだと少女は思った。一度だけ飲ませてもらったが、美味しいとは微塵も思えなかった。もっと苦いもの、まずいものはいくらでも口にした経験のある少女だが、男はあれを嗜好品として楽しんでいるらしい。はっきり言ってありえない。だから頭がおかしくなるんだと結論付けた。

 

「で、それよりこれからどうするんです? 世間では雨期の到来について大騒ぎですが」

 

 少女は読んでいた新聞を見せた。そこでは降水量と犠牲者を比例させた予測がショッキングに舞い踊り、政府の無能さを批判する論調であふれている。数万人規模の犠牲というのは少々大げさすぎる気もするが、二次被害も含めれば、あるいは不可能な数字ではないのかもしれない。富裕層の国外脱出も目立ってきているようだった。

 

「ん? あー、どうすっかな」

 

 男はぼりぼりと頭をかき、どうでもよさそうに考えている。この場で天秤にかけられているのは、少女の命そのものだった。雨期の豪雨の中で能力を発動させれば、それは大いに目立つだろう。予測される被害を鑑みれば、当局もこれまで以上の強行姿勢をとるはずだった。どう考えても、虐殺を実行する役である少女が生き残れる道理がない。

 

「実はな、正直言って迷ってる。別にお前を使い捨てにしてもいいんだが、火事場泥棒にも飽きてきたしな。最後に一発でかい花火を打ち上げるか、別の国にでも行って、もうちょっとお前を引っ張りまわすか。ま、そのときの気分次第ってとこか」

 

 青く澄んだ目で見据えられる。少女はこれが苦手だった。男の方が十も年上だというのに、何故か年下に感じるから。

 

「私としては、今すぐ解放してくれるのが一番嬉しいんですがね。あるいはマスターが死んでくれてもいいですよ」

 

 掛け値無しの本音でそういうと、男は嬉しそうに微笑んだ。変態だ。少女は改めて実感した。女を人形にできるこの男は、人形同然の女が嫌いらしい。少女の好意に、あるいは嫌悪に、男に対する媚が少しでも浮き出た瞬間、あっさりと廃棄処分されるだろう。少女の、他者が自分へ向ける感情に対する優れた嗅覚が、それが正しいと告げていた。

 

「しょうがねーな。気が向いたら考えといてやるよ。ま、あれだ。逃げ出そうとはしない事だな。俺の系統は知ってるだろ、おい」

 

 言って、残り少ないアイスコーヒーを男は掲げた。その色が見る見る赤くなる。真っ赤なコーヒーは余計にまずそうだなと、少女はどうでもいい事を考えた。

 

「教えた通り、水の色が変わるのは放出系だ。俺の能力は複雑な操作こそできないが、その有効範囲には自信がある。昔試したから断言できるぜ。世界の果てまで行っても解除はされねえ。どうしても逃げたければ、ははっ、いっそ宇宙船にでも乗ってみるんだな」

 

 赤いアイスコーヒーをテーブルに置くと、男は鋭く静かに、力を込めて囁いた。

 

「何にせよ。お前は俺には逆らえねぇ」

 

 その通りだった。言葉の持つ意味が少女に深く染み込んでくる。既に嫌と言う程実感していたが、彼女はこの男に逆らえない。それが絶対の事実だった。故に、頷く必要すらないのだった。男はそれに満足したのか、伝票を手にして立ち上がった。

 

「そろそろ出るぞ。ひと仕事終えたせいか血が騒いでな。適当に女買ってくるからお前はアジトに戻ってろ。なんかあったらいつもの方法で連絡するからすぐ来いよ」

 

 どうせまた自分が遅刻するだろうに、男は少女に念を押す。が、気が変ったのか、男は前言を翻した。

 

「もったいねぇからお前で済ますか。今日は晴れてるし、別にいいだろ?」

 

 決して断れないと知りながら、ヘラヘラ笑って要求された。最低すぎると少女は思った。だが、売春宿にいた時と違い、客に媚びる必要はない。少女は微塵も遠慮せずに、心底軽蔑した視線で睨み付けた。

 

「どうぞご随意に。マイマスター」

 

 余計な事は言わなくていい。言っても男を喜ばせるだけだ。そんな少女の内心を察したのか、男は嬉しそうに頭を撫でる。わしゃわしゃと無駄に力強く、少女が嫌いな撫で方だった。会計を済ませ、二人並んで街路を歩く。しかしふと、男は何か引っ掛かったのか立ち止まった。

 

「そのマスターっての、そろそろ変えねえか? いや、面白がってそう呼ばせたのは俺だけどよ、なんか飽きてきた気がするわ。普通に呼んでいいぜ」

「そう言われても、マスター、私は貴方の名前すら知らないのですが」

 

 一瞬の沈黙。ぽかんと惚けた数秒後、男は突然笑い出した。それは楽しそうに笑い出した。自分勝手な大股で歩く男の後ろを、少女は早歩きでついていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「だが、カイト君がそこまで辿り着いてくれたと言うのに、我々は別の方針を立てる必要に迫られた。先ほど説明した通り、時間の逼迫が原因だ。従来の捜査と並行して雨期に犯行が行われた際の反攻作戦も準備せざるを得ない時期に来てしまったのだからな。秘匿名称『第四の段階』。ミス・エリス。あなたを招いたのは他でもない。その作戦の要になってもらいたいからだ」

 

 将軍さんの重い眼光がわたしを見据える。とても重大な役割だった。手の中にうっすらと汗をかいた。だけど、わたしがいればアルベルトが残りの時間も捜査に専念しやすくなら、それを彼が望んでいるなら、迷う理由なんてあるはずなかった。それだけじゃない。事件のあらましを聞いて、わたしも……。

 

「作戦は我が国が誇る虎の子の最新鋭高速飛行艦によりハンターチームを強襲させる事を主眼にしている。

 このため、雨期の到来までに解決できなかった場合、我々は陸軍空挺師団を投入する事を決めた。国内各所に展開させ、事件が発生した都市を即座に強襲し、ハンターチームが到着するまで犯人の拘束を試みる。この際、該当エリアの住民の安全は優先順位が低くなってしまう事はあらかじめ了解してもらいたい。

 犯人の逃走、特に瞬間移動系の放出系能力者による救援を考慮し、作戦は時間との戦いになる。故に求められるのは確実な決定力。ハンターチームの検討により、作戦の性質上最善であるのが強力な念能力者を遠距離からの一撃で確実に撃破する優れた火力であると判断された。これに該当するのがあなたの能力だという事だ。次善としては単純に決定力に長ける能力者。これは接近型でも止む終えない。

 そこであなたに問いたい。今私が話した任務は、あなたの念能力で可能だろうか?」

 

 将軍さんの熱い視線が、ハンター達の鋭い眼差しがわたし一身に集中する。わたしはアルベルトを見て、アルベルトもわたしを見据えていた。大丈夫。この人がいてくれれば強くあれる。

 

「目視できれば可能です。遠距離狙撃はチャージと収束に1分程かかりますが、撃てば外れる事はないでしょう」

 

 アルベルトと一緒にいたいからだけじゃない。この事件の解決をわたしが手伝いたい。そう思った。誰かを手にかけた経験はないけれど、それはとても怖いけれど、きっとこれは、わたしにしかできない事だから。

 

 しばらくわたしの目を覗き込んだ後で、将軍さんはほっとした様に力を抜いた。

 

「その言葉だけで十分だ。我が国はあなたを全面的に支援しよう。あとはハンターチーム内で検討してくれたまえ。必要なものがあれば遠慮なく言ってほしい。可能な限り手を尽くそう。

 今や国民の不安と政府に対する不信は最高潮にある。加えてこの強引な対処。たとえ解決したと発表しても、生半可な方法では納得してはもらえないだろう。かえって混乱を招くだけかもしれない。国民を混乱させる事は容易いが、混乱を収める事は難しい。時間という手段を抜きにしては。

 しかし、プロハンターならそれができる。彼らとハンター協会の優れた実力に対する世間一般の信頼は信仰の域にある。例え突然現れた不思議な人物が事件を不思議な手段で解決したと発表したとしても、主体がハンターであれば説得力を持つ。否、それだけで国民は納得できる。我々がプロハンターに期待する理由は念に対して最高の対処能力をもつが故のみではない。事件解決後も見据えた最高の解決役だと信じるからだ。

 だから、貴方に余計なプレッシャーをかけるつもりではないが、どうかこの国を救ってもらいたい。この通りだ」

 

 深々と、本当に深々と頭を下げられた。父さんと同じかそれより年上の男の人が、こんなに真剣に。だけど、わたしはそれを黙って受け入れた。この人の行為を否定するのは、かえって失礼な気がしたから。

 

「一つだけ、伺わせて下さい」

 

 私に聞かせられない話もあるだろう、後は専門家に任せると言って、一人先に退出しようとする将軍さんに向かって最後に尋ねた。

 

「なにかね?」

「第四の段階があるのなら、第五の段階もあるのですか?」

「第五段階は全軍を動員した重戒厳令および殲滅戦になる。たとえ国中を灰燼にせしめ跡地をコンクリートで埋め固めようとも、我々は全ての禍根を根絶する覚悟だ」

 

 

 

次回 第十話「逆十字の男」


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