コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

15 / 48
第十二話「ハイパーカバディータイム」

 それは、潜入調査にうってつけの能力だった。

 

 ここに優秀な人材がいる。勤勉で頭も回り腕も立つ。重要機密の溢れる中、他意の一つもなく適切に処理し、決してそれを洩らそうとしない。無論、業務に必要ない情報には、最初から手を触れようともしないだろう。なぜなら、あらかじめそのような指針を銘記させられているのである。故に、彼女は若くても経験豊富な情報の専門家であり、それ以外の何ものでもないのだった。

 

 彼女は決して焦らない。その日が訪れるまで絶対に。彼女は決して尻尾を出さない。そもそも尻尾が存在しない。彼女は信頼されるだろう。彼女は絆を育むだろう。彼女は期待に応えるだろう。

 

 そして、組織に深く食い込むだろう。

 

 能力の名をメモリーボム、記憶を司る銃弾である。彼女、パクノダはそれを自身に用い、潜入に都合がいいように、自らの人格を改竄した。無論、盗みを働く為だった。

 

 幻影旅団を構成する団員は、団長の招集に応じない限りは各自思い思いに過ごしている。パクノダは以前から、気が向けば個人的にハンターとして活動する事があった。主に暇つぶしや慈善活動のつもりだったが、最新状勢や注目すべき念能力者の把握など、旅団の情報担当として思う所もあったのだ。

 

 その縁で今回のチームに誘われた。聞くに、リーダーはカイトという人物らしい。彼は派手な活動履歴こそ存在しないが、若手で屈指の実力派ハンターとして知る人ぞ知る人物だった。地力、経験、直感の全てにおいて優れており、戦闘では旅団の戦闘担当組とも互角かそれ以上の強さだろう。一説によれば、師はかのジン=フリークスであるともいう。

 

 それほどの実力者と、その下に集う精鋭ハンター達で構成される捜査チーム。彼らの所持する念能力は、どんなに強力で、どこまで洗練されているのだろう。彼らの隠し持つ弱点を、赤裸に剥くのはどれほど快感だろう。パクノダは情報特化の念能力者である。故に、誰よりも未知に飢えを抱き、誰よりも秘密の甘味を知っていた。

 

 少し早いが、今年の誕生日プレゼントは豪勢になりそうだと、当時のパクノダは唇を舐めたのだ。

 

 

 

 パクノダが胡乱な暗中から浮き上がるまで、撃たれてから実に5秒もかからなかった。肩に刺さったアンテナを抜くと、痛みで意識にかかった霞が完全に取り払われた。傷は極めて軽度らしい。重要な神経も血管も、上手く避けてくれたようだ。

 

「どうだ?」

 

 クロロが尋ねた。

 

「ちょっと待ってて。まず記憶を整理したいから」

 

 言って、パクノダは愛銃をブレイクする。中折れ式の拳銃が大きく開き、先ほどの薬莢が一つ排莢された。代えて、弾倉に新たな二発を装填する。忘れるべき記憶と刻まれるべき記憶。順番を間違えるようなミスはしない。躊躇なくこめかみに銃口を突き付けて、パクノダは拳銃を連射した。

 

「……お待たせ。久しぶりね、みんな」

 

 先ほどまで本気で戦っていた者達に、パクノダは親愛の微笑みを浮かべていた。マチに捕まり、パクノダを救おうと必死にもがくジャッキーは、もはや路傍の石同然の価値しかない。

 

「貴方達も来たのね。団長の手伝いかしら?」

「ああ、ちょうど暇だったからね」

「オレは欲しいものがあってそのついで。兵器の運用情報あったら教えてくれない?」

「ええ、いいわよ」

「サンキュー」

 

 一転して敵と談笑を始めたパクノダを見て、取り残されたジャッキーは愕然とした。だが、驚愕はそこで終わらなかった。旧友と親しげに会話を躱す格好を崩さぬまま、パクノダは新たな弾丸を拳銃に装填し、二人の男を打ち抜いたのである。撃たれた側は避けようともせず、額に甘んじで銃撃を受けた。だが、ダメージを負った様子はない。

 

「おおっ! すっげー便利っ!」

 

 シャルナークが感激し、クロロは佇んだまま思考に沈んだ。

 

「マチは? せっかくだから体験してみる?」

「あたしはいいよ。どうせ貰っても使い道ないし」

 

 マチの返答に頷いて、パクノダはクロロの指示を待つ事にした。報告すべき事は一通りメモリーボムで強制的に植え付けてあったが、量が多いため把握に数秒はかかるだろう。

 

「信用は得られたようだな」

「そうね。大丈夫だと思うわ」

 

 潜入とチームへの取込みは成功したというのが、クロロとパクノダ、シャルナークに共通した見解だった。ハンター達の顔と名前から体を動かす際の細かい癖まで種々諸々の基礎データは、あるとないとでは大違いだ。シャルナークが欲しがった兵器の運用や軍の編成などの機密情報はパクノダの目的に直接関わるものではなかったが、上手くやればこれだけで莫大な利益を生むだろう。

 

 しかし念そのものについては、直接的な成果は乏しかった。

 

 カイトは未だ発を使用しておらず、常用ではなく切り札として使うタイプだと推測されるだけだった。ジャッキーの場合は本人が大声で喧伝してるから分かりやすいが、盗む価値があるかどうかは疑問があった。アルベルトの能力は微妙に分かりにくく。そもそも本人が掴みにくい。そしてもう一人、新しく入った娘についてだが、これは非常に期待できそうだった。大量の禍々しいオーラを放っていたが、本人の性格や身体能力と合わせて考えれば、付け入る隙は少なくあるまい。

 

「次は予定通り、私の発で本格的に調べてくるわ。数日もあれば十分でしょう。ついでだから、連続死事件の犯人の能力についても情報があれば流すわね」

「ああ、頼む。それとな、アルベルトという奴の能力だが、悪いが優先的に探ってくれないか」

 

 パクノダには意外な事だったが、クロロはカイトでもエリスでもなく、アルベルトに最大の興味を持ったようだった。しかし、彼が望むなら異論などない。なにせ、盗むのはパクノダではなくクロロなのだ。

 

「アルベルトね。了解」

「無理はするなよ。万が一気付かれそうなら脱出を優先しろ。それも無理ならオレ達が乗り込む」

「ええ、もちろん。頼りにしてるわよ」

 

 クロロはあくまで、パクノダの生存を優先した指示を出した。所詮、これは旅団としての正式な行動ではない。脚を切り捨てても蜘蛛を生かすというルールもあったが、パクノダほどのピースの損失に見合うだけのメリットは、今回の一件からは得られそうになかったのだ。

 

「マチ、そいつは殺せ。使えそうな能力は何もない」

「いいのかい? あたしが喰らった一撃はかなり良いと思ったけど」

「ああ、あれはな」

 

 マチの疑問にクロロは答えようとしたが、中断して後ろを振り向いた。続いて、旅団全員がそちらを注視する。コツコツと闇に靴音が響いてきて、青年と少女が現れた。二人とも纏でオーラを留めており、念能力者だと一目で知れた。

 

「なんだ、もう終わってんじゃねーか」

「まったく、だから言ったじゃないですか、野次馬なんてやめましょうって」

 

 短く刈った金髪の青年が残念そうにそう言って、銀髪で褐色の肌の少女が呆れを隠さず呟いた。旅行者だろうか。二人とも鞄らしきものを手にしている。危機感は全く感じられず、堅を行う様子すらない。纏の様子から読み取るならば、少女はともかく男の方は、この状況を察せないほど初心な使い手とも思えなかったが。

 

「わりぃ、邪魔したな」

 

 それでも、殺してしまえば大差はない。

 

「やれ」

 

 クロロは命じた。修練と殺戮を積み重ねた者だけが放てる圧倒的な害意が、二人に対して牙をむけた。例え相手が念能力者であったとしても、これだけで心を潰しかねない重圧があった。少女は目を見開いて後ずさり、手に持つ鞄を取り落とした。あと一呼吸、少女の脳が感覚の正体を悟った時、彼女の心は折れるだろう。

 

「大丈夫だ」

 

 男は少女の頭に手をおいて、力のこもった声で告げた。そのままぐりぐりと強く撫でる。そのやり取りに何の意味があったのか。少女は平静を取り戻し、ほっと息をついて肩の力をぬいた。よほど男を信頼しているのだろうか。瞳からは、既に恐怖は霧散していた。未だ髪を撫で乱す腕を迷惑そうに見上げていた。

 

 だが、何が大丈夫だというのだろう。彼ら二人が生き残る道はここにいる旅団員を残らず倒すか、拷問の末、クロロに能力を気に入られて盗まれるかしかないというのに。

 

 パクノダが拳銃を向けている。クロロが本を開いている。マチはジャッキーを捕らえたままだったが、男に対して、誰よりも鋭い殺意を向けていた。アンテナを手にしたシャルナークは、いつ飛び掛かってもおかしくない。

 

「お前らは、動けない」

 

 男が言った。幻影旅団を前にして、叫ぶでもなく、震えるでもなく、よく響く低い声で言の葉を置いた。それは恐らく、新しい事象を紡ぐ意図ではないのだろう。創世から在り続けた真理がごろんと転がっているのを指し示しただけの様な、気負いなくも傲慢な態度だった。

 

 そして、それは真実となった。

 

 クロロは動けない。パクノダは動けない。マチは動けない。シャルナークは動けない。お前らは、動けない。

 

 5秒ほど呪縛が続いていた。並程度の強者であっても飽きるほど命を刈り取れるその間、男は何一つ仕掛けず、逃げようとさえしなかった。ただ、つまらなそうに旅団の面々を眺めていた。

 

「じゃあな」

 

 完全に興味を失ったのを隠そうともせず、男はそう言って踵を返した。地面に落ちた鞄を拾い上げ、少女を促して闇へ消える。男は逃げたのではない。去ったのだ。それが厳然たる事実だった。

 

「シャルナーク」

「ああ」

 

 クロロが口を開いた。それは、旧い付き合いの者でもゾッとするほど底知れぬ声だった。怒りでも、恐怖でも、屈辱でもない。得体の知れない感情が漆黒の深海にただよっていた。

 

「あいつを探れ」

「分かった」

「マチはホームにいる連中を連れて来い。パクノダは引き続き潜入だ。だが、あいつの情報が入ったら最優先で知らせろ」

 

 男は旅団の障害になると判断され、潰す事が決定された。団員達にも、異存があろうはずがない。仮にあの男がその気であったなら、幻影旅団はこの場で壊滅的なダメージを負ったのだ。団長のクロロおよび屋台骨となる後方支援の中枢メンバーを失って、蜘蛛の再生が容易であるはずがなかった。対峙した状態での5秒という隙は、それほどまでに致命的だったのだ。

 

 だが、男はその時間を利用しなかった。そうする価値も無いとでもいうかの如く。だから、もしも、男が為した行為の恩恵を受けた人物がいたとしたら、それはジャッキーだっただろう。

 

 ジャッキーを中心に半径およそ20メートル、円が、広がっていた。

 

「スーパービックリボンバー!」

 

 叫びとともに能力が発動した。薄い濃度のオーラでは、大きな驚愕は望めない。ほんの少し、極々微かな驚きだった。だが、紙一重を覆すにはそれでもいい。わずかなマチとの筋力差を覆すには、ほんの少しの硬直で十分だった。

 

 問題があるとすればそれは唯一、ジャッキー自身の硬直時間にあった。

 

 【法門無尽誓願智(スーパービックリボンバー)】。能力者のオーラに触れた者を驚愕させるこの能力は、例外規定が何もない。その者が操作可能であれば問答無用で驚愕させるため、当然、ジャッキー自身も驚かされる。それどころか使用者は自身のオーラを緩和に用いる事ができず、距離も最も近いため能力が最も色濃く作用する位置にいる。つまり、発動させる度、ジャッキーは誰よりも強く驚愕していたのである。

 

 それでいい。否、そうでなくてはとジャッキーは思う。他者の心を無理矢理揺り動かしておいて、自分は除外されたいなど何の為の求道か。この能力の欠陥を、疎ましく思った事は一度もなかった。であるならば、即ち、補ってみせるだけだった。

 

 浮かぶ梵鐘が慟哭した。委ねられたオーラを使い尽くす、破裂しそうな程の狂想連打。轟音が突如として出現し、周囲を物理的に激震させた。全身を襲う音響の暴力に、心地よい、とジャッキーは感嘆した。止水明鏡の極みだった。かつて、これほど静かで趣ある夜があっただろうか。感激が驚愕を上書きし、ジャッキーの硬直を刹那に解いた。

 

 残された右腕でマチの念糸を振りほどき、動きを止める旅団の面々を後目にパクノダへ駆けた。彼女の身体を片手で抱き上げ、胸元にきつく抱き締める。左腕を失った今ではいささか不自由な抱き方だが、まさか淑女を肩に担ぎ上げるわけにもいくまい。ジャッキーはそう判断し、走り出した。

 

 だが、旅団とて逃走を見逃すほど間抜けてはいない。

 

 硬直したのは一瞬の事。轟音をかき鳴らす梵鐘など見向きもせずに、事態を即座に把握してジャッキーへ向けて殺到した。ジャッキーは逃げる。残った生命力を燃やし尽くしても構わないという勢いで。クロロが、マチが、シャルナークが追う。彼らはすぐに追い付くだろう。一瞬のスタートの差など瞬く間に詰められるだろう。傷の有無、残された体力、オーラの残存量、それら全てでジャッキーは不利な立場だった。しかし現実には、追い付かれるまで粘る事すらできなかった。

 

 銃声は、腕の中から響いてきた。焼け付くような痛覚が、ジャッキーの胸部に広がった。熱く、ひたすらに痛い。オーラを込めに込めたパクノダ渾身の銃撃は、過たずジャッキーの上行大動脈、心臓直後の血管を千々に吹き飛ばしていた。それは、どう見ても致死量の損害だった。

 

 ジャッキーにも分かっていた。撃たれて豹変する前後のパクノダの、どちらが本来の姿なのか。彼女にとってどちらが本当の仲間だったのか。そんなものは、注意深く観察すれば違えようはずもない。信じられなかったからこそ理解してしまった。ここでパクノダを連れて逃げおおせても、彼女は純粋に迷惑だろう。

 

 そんな事、ジャッキーとて分かっていたのである。

 

 それでも、見捨てぬと決めたのだ。

 

 滑稽な姿ぞ良し。嘲笑いたくば嘲笑え。ジャッキー自身、嘲笑が込み上げて止まなかった。未だ走りながらもぐらつき崩れ落ちる寸前の彼の巨体に、マチが背後から手刀を見舞った。躊躇のない鋭利な貫きは、見事にジャッキーの脇腹を貫いた。内臓がぐずぐずに引き回されて、体は二度目の致命傷を負った。

 

 しかし、ジャッキーは倒れない。倒れる事が、許せなかった。今生で最後の息を吸う。千切れてしまった腹筋で、血液が溢れる肺腑に空気を入れた。

 

「カバディー!」

 

 叫んで、ジャッキーは再び地面を蹴った。足取りは異常にしっかりしていた。走っている。カバディーカバディーと吠えながら。声と一緒に血を吐きながら。パクノダを腕に抱き締めながら。

 

 ジャッキーの体を纏うオーラの様相が、一変しておぞましく無気味になった。見る者に死を連想させる不吉なオーラ。既に生者の有り様ではない。死してなお蠢く呪われた遺骸。腐ってないだけの死体だった。これは、【煩悩無量誓願断(ハイパーカバディータイム)】。その名にたがい、煩悩しか肯定しない末期の能力。決して使わぬと決めていた、使用しない事に意義があると思っていた第4の発。

 

 ここに、ジャッキーの生涯は台無しになった。

 

 魂を燃やして増幅されたオーラにまかせて身体を強化する。カバディーと連呼しつつ追っ手から逃げる。拳を避け、蹴りを躱し、ただ脚を動かしてカバディーと叫んだ。腕の中のパクノダが逃れようともがく。脇腹に開いた穴から内臓がぼろぼろと零れだし、長い腸がこぼれて垂れた。胸元から、血がばしゃばしゃと吹き出してくる。それでも、ジャッキーはひたすらカバディーと叫んだ。

 

 なにが求道者だ。なにが誓願だ。結局の所ジャッキーは、信念を貫けない弱虫だった。どうしてだろう。迷いを断ち切りたくて生き方を選び、死に様を選ぼうと能力を決めた。それが、なぜ。最後の最後で煩悩に捕われているのだろう。ありのままに受け入れるのではなく、拘泥してしまっているのだろう。

 

 ジャッキーの脚は駆けるのをやめない。やめてくれない。分かっている、これは全く無意味な疾走だった。

 

 だけど、仲間を見捨てぬと、決めてしまったから。

 

 ただ、カバディーと。

 

 腕の中のパクノダを抱き締めて、ジャッキーはなおも速度を上げた。全身から、禍々しいオーラが大量に吹き出る。走る以外の機能はいらない。涙が、鼻水が、涎が、血液が、内臓が、糞尿が、止めどなく漏れ出て飛び散っていく。既に声は声ではない。自らの血が喉にまで溜まり、ガボガボと溺れながらもカバディーと叫んだ。パクノダの拳が側頭部を打ち、漏れ出るものに脳漿が加わった。苦しい。苦しい。痛い。痛い。辛い。それでも、ただ、カバディーと。

 

 ジャッキーの遁走は醜悪なほどに速かった。浅ましいまでに脚部を動かし、鍛え抜かれた旅団をも引き離し、カバディーと叫びながら夜の街を疾走した。地理など把握してるわけがない。目的地など念頭にあるはずもない。ジャッキーはただ走る為に走り、逃げる為に逃げ、叫ぶ為に叫びながら駆けたのだ。

 

 その様な無茶が長く続くはずもない。膨大だったオーラは見る間に消費され枯れていく。肺腑は萎み、喉は枯れ、血は尽き、筋肉は萎び脚は壊れる。走っていたと表現できる時間は、実際には1分もなかっただろう。もはやジャッキーの足取りは重く、引きずる様に足を擦るだけだった。本気の怒号であるはずの連呼は、ぼそぼそと呟くようにしか聞こえてこない。それでも、ジャッキーは全力で走り叫んでいた。パクノダが抱いていた抵抗する意思は、とうの昔に冷めていた。

 

 そして、ついに。旅団を振り切った地点からわずか5キロ、たったそれだけ走った先で、ジャッキーは唐突に崩れ落ちた。逞しかった巨体は老人の如く枯れ果てて、オーラは欠片も残っていない。5キロ。それはハンターにとって指呼の間にも等しい距離。ジャッキーはたった5キロを走るため、走って死ぬために生き返ったのだ。生涯を台無しにした代わりに得たものは、あまりに短い逃走劇だった。

 

 炉端にしゃがむジャッキーは何も言わない。何一つ言う事ができなかった。その亡骸は乾いていた。ジャッキーは二度と笑わない。彼の野太い笑いが響くことは、永遠に、無いのである。

 

 パクノダは一人、ジャッキーの最後を見つめていた。旅団には既にメールで無事を告げていた。本当に、ジャッキーのした事は無意味だった。パクノダのスーツを血糊で染め上げ、クロロ達との打ち合わせを邪魔しただけ。それでも、怒りだけは湧いてこなかった。

 

 別段、感傷に見舞われていたわけでもない。彼女が踏みにじってきた切なる願いは、ゴミの街で見届けた届かぬ志は、この程度で心を動かすほど乏しくはなかった。むろん涙腺も弛みはしないし、この男の冥福を祈ってやる義理もない。今宵、この街で馬鹿な男が一人消えた。それ以外の何かでは決してなかった。

 

 ただ、なぜだろう、遺体をしばらく眺めておきたかった。

 

 そういえば、とパクノダは思い直した。緊急コールを発信した後、彼女一人だけが生還した事実。その言い訳の材料は、ジャッキーの死に様が役立ってくれるだろう。この遺体の有り様を見れば、疑問を抱くものなどおりはしまい。そんな結論に達したパクノダは、ジャッキーに微かな感謝の微笑みを向けた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 わたしが現場に着いたとき、まず浮かんだ感情は怒りだった。ジャッキーさんを失った事は、とても悲しくて苦しくて、涙が出るほど悔しかったけど、それでも怒りが一番大きかった。

 

 たぶん、わたしの表情は、とても醜い。

 

 ぎりぎりと奥歯を噛み締めて、掌を必死に握りしめて、建物の壁面を殴りたい衝動を必死に抑える。萎び果てたジャッキーさんの遺体はとても寒そうで、抱き締めて暖めてあげたかったけど、悲しくて抱き締めさせてほしかったけど、現場保存のためにそれもできない。世界はこんなにも理不尽で、わたしはこんなにも無力だった。

 

 短すぎる付き合いになってしまったけど、ジャッキーさんは良くしてくれた。だけど、わたしがジャッキーさんに向けていた感情は、きっと親愛ではないのだろう。どこにでもある、仕事仲間に対する他人行儀な普通の好意。その先に進む前に関係は途切れた。だから、この怒りは正当ではないのかもしれない。状況に惑わされてるだけかもしれない。でも、今はその感情に酔っていたい。身を焦がす憎悪に浸っていたい。それが供養になるかはわからないけど、少なくとも事件解決の糧にはなる。

 

 憎悪を胸に、わたしは、人を殺そう。

 

 連続殺人の犯人を、ジャッキーさん達を襲った人も、わたしの光線で焼き払おう。それが必要とされたなら、わたしはこの手を汚してみせよう。そう、心に刻んだ。

 

「エリス、深呼吸して」

「……アルベルト?」

「勘違いしてはいけないよ。僕達は、全知全能の神じゃない」

 

 アルベルトは言った。いつも通りの優しい瞳で。これはありふれた理不尽だと。怒りに身を任せてはいけないと。それは確かにそうかもしれない。今までもいくらでもあったんだろう。戦争、飢餓、貧困、殺人。わたしにとってはそれが、今まではモニタの向こう側の世界だっただけで。だけど、ジャッキーさんの死は目の前にある現実で、そんな言葉で納得なんてできなかった。

 

 ともすれば嗚咽をもらしそうになるわたしを、アルベルトはきつく抱き締めてくれた。震える体を温めて、あふれだす感情をやわらげてくれる。

 

「もしね、エリスがどうしても堪えきれないなら、僕がその感情を半分貰おう。今まで通り、僕に君の思いを分けてくれ。そうすれば、僕もきっと怒る事ができる」

 

 カイトさんとパクノダさんの前だけど、他にも現場検証の人達が沢山いたけど、それでも恥ずかしさより嬉しさが勝った。アルベルトの力が強すぎて、胸が少し苦しかった。しばらく、アルベルトはそのままでいてくれた。

 

「カイト、捜査方法の変更を提案する。ジャッキーもご覧の通りだ。もう、手段は選ばない」

「ああ、詳しく聞かせろ」

 

 わたしを放したアルベルトは、自分の能力を最大限使う事を発案した。それは能力の全貌を丸裸にするに等しい事だって、それぐらいわたしにも分かっている。本気になったアルベルトの瞳はとても頼もしくて、だけど冷たくて少し怖い。きっと、この人はまた無茶をするから。

 

 携帯電話の赤外線通信部分に目を合わせて、アルベルトは能力を実演した。わたしには詳しくわからないけど、眼球周辺から赤外線を具現化して、同時に網膜の視細胞を赤外線に合うよう操作してるんだと思う。そう、アルベルトはその気になれば、生身でデータ通信に対応できる。人間離れしすぎてるから、あまり披露して欲しくない技だけど。

 

「便利だな。よし、詳しく詰めよう」

「便利すぎて、師匠にはあまり頼るなって言い付けられているんだけどね」

 

 冗談めかしてアルベルトは言って、ふと、何かをじっと見つめていた。視線の先にはパクノダさん。ジャッキーさんの血にまみれているけど、本人は大した怪我がなさそうで本当に良かった。

 

「……どうしたの?」

 

 アルベルトを見上げて尋ねてみた。カイトさんと話しながら現場検証の人達に指示を出していく彼女の姿を、特に背中を注視している。

 

「いや、なんでもないよ。寒くないのかなって思っただけだから」

 

 確かに、春とはいえ夜はまだまだ肌寒い。薄手のスーツの上1枚でワイシャツも着ていないパクノダさんは冷えそうだ。でもそれは普通の人の場合ならで、念能力者にも通じるはずがない。例え纏しかできない人でも、肉体の耐性がぐんと上がっているのだから。

 

「アルベルト?」

「ごめん、また後で」

 

 疑問を浮かべるわたしを振り切る様に、アルベルトは二人に混ざっていった。

 

 

 

##################################################

 

【煩悩無量誓願断(ハイパーカバディータイム) 操作系・死者の念】

使用者、ジャッキー・ホンガン。

能力者が明確な死の瀬戸際にいるときのみ発動させる事ができる能力。

息継ぎなしで「カバディー」と叫び続ける限り能力者を此岸に留める。

発動させた瞬間、能力者の死亡が確定する。

 

##################################################

 

次回 第十三話「真紅の狼少年」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。