コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第二十一話「初恋×初恋」

 地面が揺れてる。降りしきる雨まで震えている。常識がまるで追い付かない。コンクリートの破片が舞い上がって、幾つものビルが倒壊していく。道ではない場所を走りながら、立ちふさがる壁を砕きながら、それは大通りへと躍り出た。

 

 目が合った。いえ、見つかったと言う方が正しいだろうか。わたしの前方、兵隊さん達から見て後方の離れた場所に、一人の男性が地面を削りながら停止した。形相は怒り。そして深い歓喜だった。眼球は赤く充血し、大きな口が殺戮の予感に凶悪に笑う。鍛え抜かれ、逞しく盛り上がった全身の筋肉。毛皮をあしらった野性の衣装。ただ強さだけを突き詰めた、野蛮の果ての理想像。なによりもオーラが凶暴だった。激しく狂わしく爛々と、夜闇の中に燃え盛る。

 

 脊髄を雷鳴が駆け抜けた。今まで遭遇した誰よりも、衝撃的な人物だった。強化系だろう。一目でわかった。わたしとは正反対の能力者。特別な能力に見向きもせず、ヒトであることを極め尽くした完成形。誰かに与えられた力ではなく、一心不乱に追求された暴力の結実。

 

 端的に言えば、怖い。戦力としての脅威ではなく、人間として、芯の部分で怖かった。

 

 男の人が重心を落とす。兵隊さん達がすくみ上がった。無理もない。例え精鋭の兵士であっても、それ以前に一人の人間だから。本能は訓練では消せないから。

 

 相手の名前も、襲われる理由も何も知る由はない。

 

 それでも、ただ、理解した。彼はわたしと戦いたいから戦い、殴りたいから殴り、殺したいから殺すのだと。

 

 獣が吠えて、地面を蹴った。

 

 加速が速い。巨躯に似合わぬ俊敏さ。近付かせてしまっては負けるだろう。接近されれば、わたしの反射神経で追従できるレベルじゃない。

 

 ありえない速さでこちらへ向かってくる影へ向かって、わたしは右腕を真っすぐ延ばした。躊躇わずに放つ。赤い閃光。光子の交換を介した生命力の強制授与。進路上にある雨粒を尽く打ち砕き、乱反射しながら闇を貫く光速の念弾。

 

 それが、パンチ一つで相殺された。

 

 読んでいたのだろう。男性は、激情に見えて冷静でもあった。光の威力も低かったんだろう。牽制のつもりで撃った、なんの溜めもしてない攻撃だった。

 

 だけど、ありえない。あんな防ぎ方をされたのは一度もなかった。特別な発を使ったのだろうか。そうであってくれればいいと思った。その筈がないと分かっていた。あの人は、単純な強化と筋力の相乗効果、基礎的な身体強化だけでわたしの能力に打ち勝ったんだ。

 

 爆発が起こる。打ち重ねられたオーラが激しく反発して水滴が爆ぜる。広がる湯気の向こうから現れたとき、男性は傷もろくに負ってなかった。上着が吹き飛ばされただけで済んでいた。

 

「痛てぇな」

 

 獰猛な笑顔を浮かべて彼は佇む。わたしも笑ってしまいたい。いつから慢心していたのだろう。オーラの出し惜しみができる相手じゃなかった。わたしより強い人なんて、この広い世界、いくらでもいるって知ってたのに。

 

 男の人が堅をする。今まではただの纏だったのか。もう、ますます人間の領域じゃない。兵隊さん達を見渡すと、誰も彼もが蒼白だった。一人も倒れてないのが不思議だった。全身の筋肉が引き絞られる。一秒後、巨体は弾丸と化すと悟った。

 

 それを、横から止める人がいた。

 

「そこまでにしとけウボォー。団長から命令されただろうが」

 

 白煙に遮られた向こうから、新しい人達が現れた。アルベルトでも、カイトさんの声でもなかった。全く見知らぬ、だけど優れた念能力者。最悪だった。このタイミング、この状況、旅団の一員でないはずがない。

 

「あの女だけは、四人全員でかかれってな」

 

 その中の一人が諭すように言った。大きな上半身とアンバランスな下半身、顔の傷と長い耳たぶが特徴の、大柄な体格の男性だった。

 

「必要ねぇよ。ありゃ念に振り回されてるだけだぜ」

「おいコラ。団長の命令無視する気か? フェイタンまでやられてるんだぞ」

 

 髪の毛を頭上で結わえて、刀を持った男の人がガンを付ける。ウボォーと呼ばれた人は反論せず、じっと相手を見下ろしていた。小さな、顔を長い髪の毛で隠した人も隣に現れ、その様子をじっと見守っていた。

 

「……悪い。熱くなった」

 

 睨み合いはすぐに終わった。一番背の高い男の人が、すぐに自分を省みたのだ。

 

「はっ。どうせどっかの雑魚にでも上手いこと逃げられて逆上したんだろ」

「うっせえな。見てたのかよ」

「カカッ、マジかよ。しっかりしてくれよウボォーさんよ」

 

 苦々しく視線を逸らす大きな人と、楽しげに笑い飛ばす刀の人。普段から仲が良いのだろう。男の人らしい純朴な友情。こんな時でなかったら、微笑ましい気持ちになってたぐらい。

 

 だけど、今の状況は最悪だ。想定外の援軍。そして冷静になった強力な敵。

 

 髪を揺った人が無精髭を片手で投げながら、さて、とわたしたちを見渡した。なんの気負いもない自然体で、殺すか、とその目だけが告げていた。

 

 勝てない。

 

 胃液の酸っぱい味がこみ上げてきた。拍動が耳まで響いてくる。恐怖だ。殺される側の感情だ。これまで経験した戦いとは違う。わたしは今、明らかに狩られる側に回っていた。そして何より恐ろしいのは、わたしがこれから殺すという事だった。今までの犠牲とは全く違う、大勢のため戦いに臨む人達を、自分の意思で捨て駒にするという初めての決意。

 

 空を飛び、距離をとるにはオーラが足りない。午前の戦い、強烈な噴火とそこからの回復、ここまでの飛行、そして先ほどの遠距離射撃と、オーラを消費する要因が多すぎた。わたしのオーラは多ければ体に毒となってしまうけど、少ないと込み上げる暴走を抑えきれない。

 

 仮に飛んだとしても、遮蔽物に隠れられたら午前の戦いの繰り返しになってしまうだろう。だけど接近戦では勝負にならない。なら、とれそうな手段は一つしかなかった。

 

 だから、わたしも全力を尽くさないと。

 

 生涯、最初で最後になればいいと、流れ出すオーラを絞らないままに纏をする。おぞましいオーラが体に留まり、わたしの体をなめらかに覆う。心臓が破裂しそうな高揚感。宇宙と一体になったかのような全能感。全身がひとつの自己になって、指先の細胞一つまで、わたしというわたしが、わたしで満ちる。

 

 これが本当の纏だった。念を学ぶ人が最初に修める、常人と超人を隔てる初めの一歩。

 

「皆さん、命を下さい」

 

 静かに、だけどはっきりとわたしは告げた。兵隊さん達が注目する。頭の中で、できるだけ直接的な言葉を選んだ。逃げる事は、したくない。

 

「時間稼ぎをして下さい。皆さんが殺されている間に、わたしは先ほどの光を最大まで溜めます」

 

 しっかりと見据えて言い切った。彼等は困った様に顔を見合わせ、だけどその後、意思の篭った目で頷いてくれた。確実な死しか待ち受けてないと、魂で理解しているはずなのに。

 

 アイコンタクトと単純な合図。それだけで中央の装甲車が突撃した。即断即決の極みだった。小銃を握った歩兵が続く。左右の部隊は、やや遅れてから追従する。上手いと思った。大胆かつ洗練された戦術だった。負けてられず、意識を両手に集中させる。

 

 フルパワーで迫る中央部隊を、顔に傷のある男性が余裕のある動作で迎撃する。両手の指先から念弾が放たれた。無造作にばらまかれる弾丸の一つ一つが、装甲をいとも容易く貫いていく。鋼の塊が火花を散らし、砕け、夜闇に煌めいては燃えていく。豪雨に打たれる街の底で、壮大な星雲が誕生していた。

 

 流れ弾が路面を柔らかい土と同じように抉り砕いて、そこかしこで黒い粉塵が吹き上がった。叩き付ける雨の中でなお色濃く、空気から鉄とアスファルトの味がした。

 

 瞬く間に壊滅していく中央の部隊を見向きもせず、左右の部隊が跳躍する。炎上する残骸を追いこして、発砲しながらの両翼挟撃。自然に、念弾を撃つ手が左右に分かれる。弾幕の密度が半分になった。先行車両の命を犠牲に、後続が先へ先へと続いていく。歩兵の小銃が援護をする。

 

「っらあ!」

 

 野性味のある男性が、地面を殴って礫を飛ばした。巨大なショットガンにも等しい攻撃。原始的でシンプルな一撃は、効果的に突撃を阻害した。スピードが落ちた所へ念弾が容赦なく降り注ぎ、装甲を千々に引き裂いていく。丸く赤黒い塊が、大量に飛び散っては湯気を立てる。肉体と鋼が掻き混ぜられ、焼け焦げて絡み合った成れの果てだった。

 

 何もかもが壊れていく。あっけないほど簡単に。人間の生命に価値は無い。少なくとも、この場所ではそれが事実だった。

 

 地獄へと果てた弾幕の下、宿命の川と成り果てたカーテンを、一台の装甲車が突破した。たった一台、だけど、それですら奇跡の一台だった。雨の中、履帯でドリフトをかけながら後背に回る。そこは完全な懐だった。背中という人類絶対の死角だった。

 

 一条の光が奔った。

 

 ただ、無慈悲。装甲車はどこにも存在しない。かつて装甲車だった残骸は、水平に両断されていた。下半分は横転して、上は慣性でどこかへ飛んでいく。居合による斬撃。だけどその脅威の性能は、わたしの知る物理法則と噛み合わない。

 

 残っているのは歩兵が数人。決死の突撃は傷一つ相手に与えていない。

 

 でも、時間は稼げた。

 

「撃ちます! 逃げて!」

 

 兵隊さん達に警告する。両手に宿るこの光は、わたしの罪の証だった。絞り出せる全てのオーラを凝縮した、怨念宿る赤の光塵、髪が揺れる。ドレスが激しく羽ばたきだす。零れ出る余波だけで濡れた服が乾いていた。わたしの周りだけ、雨が降らない。落ちてこれない。空中で蒸発してしまうから。

 

「ボクに任せて」

 

 小さな人が進み出た。だけど、それも無駄だろう。手加減はしない。オーラの出し惜しみなんてするものか。血塗られた手で放つどす黒い赤光。問答無用で叩き付けて、庇った仲間まで殺してみせる。

 

 両手を掲げて、全ての絶望を解放した。閃光が夜を赤く満たす。断末魔の如く無音。狂気の如き極陽。赤を越えて絶色。雨粒で散乱し、ささやかな乱反射さえ圧力となる。軌道直下の路面が粉砕され、暴風が周囲に吹き荒れた。それでも足りず、見渡す全てが血塗られた薔薇色に染め上がる。周囲のビルの硝子が砕け、コンクリートに亀裂が走る。この街を喰らおう。潰して砕き、全て塵にして吐き出そう。死体も残骸も大地に還そう。幻影旅団もろともに。

 

 狂り、真紅の花弁が世界に満ちた。

 

 その直撃を、突如出現した壁が受け止めていた。なぜだろうか、空中にアスファルトが浮かんでいる。坂道、ではない。赤く照らされたシュールな光景。盾にするつもりだろう。確かに、光を介してしかオーラを遠隔作用させられないわたしには、それは有効な障壁になる。それでも。

 

 脆い。絶対的に脆弱すぎた。瞬く間に路面は貫通される。分子間力が用を為さない、日常とは次元の異なる超高圧。圧倒的な、物体の許容値を一瞬で超える念の奔流。その前では、アスファルトも水面と変わらない。

 

 貫かれ、些細な光の残滓だけで砕かれる黒い壁。その先にはさらに壁があった。連続的に生成される、砕かれる先から出現し、出現する先から砕かれる路面の群れ。轟音が地震となって激しく揺らす。黒い瓦礫の濁流が、噴火の様に立ち昇る。竜巻きの様に巻き上がる。この世の有り様が変わっていく。景色が赤と黒に塗り潰される。

 

 終末だった。世界が滅びる光景だった。都市という名の虚構が壊れ、現実が現実感を失っていく。箱庭から銀幕が剥がれ落ちた。装甲車両が空を舞った。

 

 幾百のアスファルトを破っただろう。終わりが見えない。それが堪らなくもどかしかった。白煙で、黒煙で、水と破片と粉塵で、光線は拡散を余儀なくされる。出力で圧倒していても押し切れない。歯軋りとともに力を込めた。

 

 そのとき、ドクンと心臓が跳ねた。

 

 辿り着いた深域。沈澱していた憎悪。汚染されていく意識。それは始まりの記憶だった。受け継がれるなかで薄まった、千年前の渇望だった。戦慄を伴って理解する。オーラを使いすぎたのだと。

 

 纏うオーラのおぞましさが、今までが児戯に思えるぐらいに増していく。惨憺たる戦慄。悲惨な絶望。悲鳴が、汚濁が、黄昏が、頭の中に満ちあふれる。聖なるかな、この世界。気が付けば、思考が空白になっていた。

 

 光が途切れる。しまったと焦ったときには遅かった。頭上に気配を感じて、空を見上げて驚愕した。ビルが、空中に出現している。基礎ごと、土壌ごと具現化された建物が、こちらへ向けて倒れ込む。それも一つや二つじゃない。五、十、いえ、まだ増えるっ……!

 

 嘘みたいな質量が雪崩れこんで、わたしは為す術もなく押しつぶされた。迎撃も回避も間に合わない。とっさに体を翼でくるんで、繭を堅くしてひたすら耐える。次から次へとビルの重量が加算されて、衝突の衝撃で砕けていく。コンクリート製の土石流。上下左右にもみくちゃにされる。加圧の連鎖が無遠慮に重なる。ダンプカーに跳ねられ続けたほうがましだろう。掻き混ぜられる質量の底は、重く、ただひたすらに痛かった。

 

 攪拌がようやく治まった。ぐちゃぐちゃに掻き回された意識を無理矢理叱咤する。瓦礫という名の海の底で、どうやって出るかという心配は杞憂に終わった。全方位からの突然の圧縮に続く開放感。驚いたわたしは、翼の合間から空を見た。雲に覆われた雨模様。コンクリートが粉砕されて、巨大なクレーターが穿たれていた。

 

 真上には、人影。左の拳を降り抜いた直後の体勢で、真っすぐに落ちてくる野生の男性。その右手には、これ見よがしに溜めたオーラが篭る。渾身の、絶対必殺の右ストレート。

 

 もう、避けられない。

 

 死に瀕して、体感時間が圧縮された。ゆっくりと流れる絶望の刹那。与えられた役目は果たせてない。みんなの思いを叶えられない。命を捨てて、わたしに託してくれた人達に顔向けできない。そしてなにより、アルベルトの笑顔を見足りない。

 

 死にたくないなと、そう思った。

 

 力が足りない。オーラが足りない。あの人の攻撃に耐えるには肉体が弱い。わたしの中の呪縛が吠える。解放しろと。開花しろと。嫌だ。暴走なんてしたくなかった。わたし以外の何かになんてなりたくなかった。それでも、このままだとそうするしか術はなくて。人格を侵食されるしか道はなくて。だから、せめて。

 

 そのエサを、よこせ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 地上より来たりて、それは、疾風のスピードで駆け上がって来る。武器を持たずに無手のまま、垂直の壁面を踏み締めてくる。男は屋上から飛び下りた。重力に身を任せた自由落下。右手にシャベル、左手に拳銃。今度こそ、今度こそ一対一だと男は笑った。セントラルビルの外壁を舞台にする戦いに、一般人が手出し可能ないとまなどない。

 

 右手のシャベルを投合しようと全身を捻る。ぎりぎりと、限界まで筋肉を収縮させ、直後、解放した。槍と化し風を切り裂くシャベルを、相手は壁面を蹴って紙一重で躱した。元より当たるとは思っていない。男はただ、挑発のつもりで投げたのだ。

 

 登り迫る青年の瞳が光る。相変わらず嫌な目だと男は思った。メカニカルな、可愛げの欠片もない眼光だった。機械的な堅に機械的な流。体が金属製でないのが不思議なぐらい、この敵は人間離れした印象だった。

 

 男の顔を夜気が叩く。敵が強く外壁を蹴った。摩天楼のガラスにヒビが走った。交差は一瞬。その一瞬に備えるべく、男は愛銃を両手で構える。言霊の効く相手ではない。自分への暗示は、事前に十分すぎるほど与えてあった。

 

 お互い小細工のできない空中決闘。男はこの瞬間を待ち望んでいた。沸き上がる血潮が愛おしい。唇が自然と釣り上がる。接触まで刹那も残っていない。殺意を胸に、引き金に優しく力を込める。

 

 青年は、射線の先から消失した。

 

 消えた。否、横へ高速に滑ったのだ。なんの足場もない空中で。男が視線で追いかけると、敵は右手からビルの壁面へ延ばしたオーラを収縮させていた。変化系。オーラに、粘着力と弾力を与えたか。まるで、ガムとゴムを合わせたかのような性質付与。

 

 発動が速い。効果も洗練されている。だが、強い想いの込められた念ではないと男は思った。相手に似合わぬトリッキーな変化の性質は、もっと戦いを楽しむ者にこそふさわしい。しかしあまりに状況にマッチしていた。

 

 さらに滑る。今度は左手から粘性のあるオーラを延ばして、敵は男の背後に回り込んだ。体を捻るも間に合わない。相手の右手に粘着された。左手には例の、常識外に圧縮された硬が宿る。勝負は既に見えていた。完全に男の敗北だった。だが、大人しく殺されてやるのは趣味ではなかった。嫌いな奴に命を盗られるぐらいなら、自殺するぐらいが丁度いい。

 

 分かっていた。もう一度あの能力を使ったならば、今度は確実に死ぬだろうと。相手は初見で対処していて、あれ以上の成果など望めないと。それでも、このまま死ぬよりずっとましだと男は思った。

 

 第七の弾丸を拳銃に込めて、ためらいもなく引き金を引き絞った。敵は一時的に硬を解き、憎らしいほど精密に弾道を読んで威力を軽減してみせる。さすがに体勢は崩れたが、その隙を男が活かす術はない。魔弾は過たず彼を穿ち、左胸を今度こそ貫くだろう。そのはず、だった。

 

 ならばなぜ、男は未だに生きてるのか。

 

 男は驚愕に襲われた。七番目の弾丸が当たってない。しかし、それでは辻褄が合わないのだ。困惑が脳内をぐるぐると回る。体に染み付いた習性が敵の青年をビル内部に向けて蹴り込んだ。頭上で大音響が響いている。摩天楼の濡れた外壁に足をかけ、摩擦で落下速度を殺していく。しかし、今では全てが些事だった。

 

 能力者本人が無意識で最も命中してほしくないと願う箇所へ必ず命中する七番目の魔弾。それは確かに発射された。男に当たってないならば、別のどこかへ向かったのだろう。男に家族はいなかった。友人達も生きてはいない。執着する物品といえば愛銃ぐらいのものだったが、それもこの通り無事だった。思い当たる対象なんて、男には一つしかありはしない。

 

 ひとつ、あってしまったのだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。男はそうやって笑い飛ばした。笑い飛ばしたかった。笑い飛ばせれば、良かったのだが。

 

 しかし、直感はそれが正解だと告げている。銀の髪、紅の瞳、褐色の肌が脳裡に浮かぶ。何を今さらと男は笑った。女など、腐るほど抱いて殺している。いまさら陳腐な感情なんて、抱く余地などなかったのだ、

 

 そう、信じ込めれば幸せだった。

 

 離れていてくれればいいと男は願った。あの念弾は減衰が激しい。ある程度の距離さえ離れていてくれれば、あるいは少女の纏でも防げるかもしれないのだ。それが唯一の希望だった。とにかく一度顔が見たい。

 

 そこに、死神が出現した。

 

 長い髪が闇夜に流れる。細身の体が大鎌を振るう。見覚えのあるピエロが笑っていた。セントラルビルの内部から飛び出した人影は、見覚えのある人物だった。生きていたという驚きより、不思議と納得の方が大きかった。

 

 絶好の状況、最適の舞台、切り札の先の切り札。積み重ねられた苦心の結果に、男は賞賛すら抱いていた。これほどの達人、これほど重要な戦力を、よくぞここまで温存したと。

 

 大鎌が円舞を踊りだす。銃を構えるのは間に合わない。否、構えなければ間に合うのだ。七発の魔弾さえ撃ち込めば、直近の死だけは延ばせるだろう。例えジリ貧になったとしても、粘れば光明は探し出せる。それは、幾つもの修羅場をくぐり抜けたが故に持つ、男の確かな直感だった。A級首は決して伊達ではない。

 

 撃てさえすれば。そう、撃てるならとっくに撃っていた。撃てるはずなどなかったのだ。

 

 ワルツを押しとどめる術は他にない。決して間に合わないとは知りながら、男は通常の念弾を照準する。悪い最後ではなかったが、下らない死因だと自嘲した。煙草を吸いたいと男は思った。

 

 そのとき、上空から黒いコートが乱入した。

 

 

 

 がざり、がざりと床を摩る、雑音がひどい。ノイズが頭蓋骨の中を反響する。暗く静かなビルの中で、アルベルトは馴れない感覚に浸っていた。肉体が上手く動かせない。なんとか操ろうと試行錯誤を繰り返しながら、懐かしい現象に苛まれていた。

 

 彼は、アルベルトだった。

 

 アルベルトという一個の人間の人格以外、何も含まれないアルベルトだった。

 

 随分と、久しぶりの事だった。

 

 破れた窓ガラスの向こうでは、緑の光が煌めいている。戦っているのは誰なのか、考えなくてもすぐに分かる。彼女に会いたい。無事でいてほしい。慣れない体の動かし方を思い出しながら、ただそれだけを望んでいた。遠目に眺めたエリスのオーラは、今までとは毛色が違っていた。

 

 天井には大穴が空いている。アルベルトが建物内部に蹴られたとき、落下の衝撃で突き破った穴だった。肉体の方も、かなりのダメージを負っていた。しかし、重要なのはそこではない。

 

 息が苦しい。拍動の緩急が不規則だった。体力はもう、いくらも残っていないだろう。それでも、アルベルトはなんとか立ち上がった。エレベーターは動かない。ならば階段しかないのだろう。壁に手を着いて支えとしながら、痛みに耐えて歩き出した。

 

 黒コートの男が脳裡にちらつく。旅団の団長だと彼は名乗った。邂逅は、つい先ほどの出来事である。確保直前の犯人に蹴り飛ばされ、ビルの内部に突っ込んだ際、それは間もなく現れた。

 

 アルベルトはその時に思いを馳せた。彼は言った。ビルの外壁で行われた戦闘ではなく、大通りでの衝突を指して告げたのだ。自分なら、それを止める事もできるのだと。罠だとは分かっていた。だが、エリスに深く関わる件ならば、アルベルトに無視するという選択肢はない。

 

「だが、条件がある」

「……なんだ?」

「その前に一つ確認させろ」

 

 そう、低い声が響いたのを覚えている。

 

「お前の念能力は、自分自身の機械的制御。そうだな」

「ああ、そうだけど」

 

 だけど、それがどうしたとアルベルトは尋ねた。

 

「いや、もう用はない」

 

 彼は笑った。直後、逆十字を背負った体がぶれ、鋭く重い拳が迫った。マリオネットプログラムが分析を上げる。ヒソカを彷佛させる強者だった。ダメージを負った体では対処しがたい。身体の強化効率こそ低かったが、体術のセンスが抜群に良い。

 

 拳を右腕で防御した。その手がとられ、疑問に思う暇もなく、具現化した書物の表紙を押し付けられた。それっきり、マリオネットプログラムが応答しない。もう、存在すらも掴めなかった。

 

 蜘蛛の長を名乗った男は、窓を破って外へと落ちた。とどめを刺される事はなかったが、追いかける術も既になかった。全身の精孔が開き切り、オーラが勝手に噴出しだした。制御はもはや不可能だった。

 

 階段を一歩一歩降りながら、アルベルトは沸き上がる雑念に戸惑っていた。実行可能か否か、ランできるかどうかという、二律背反の条件ではない。クリアでデジタルな思考から雑味のあるアナログな思考へ。曖昧で、不明瞭で、抽象的な、原始的な脳の使い方が戻ってきていた。勝手に雑音ばかりかき鳴らす、演奏不能の楽器だった。

 

 それでも、アルベルトは少し楽しかった。新鮮みがあった。懐かしかった。マルチタスクもできない、高度な統制もされない不器用な脳髄を愛しく思った。アルベルトは完全に人間となった。表情を偽装する必要も、外部から感情を補給する必要もない、暖かい機械になったのだ。

 

 そしてなにより、エリスの事を思うと心が躍る。胸がざわめく。苦しいほどに締め付けられるのにとても楽しい。彼にとって初めての感情だったが、嬉しさとともに理解した。余人が恋と呼ぶ感情を、アルベルトは今、手に入れたのだ。

 

 アルベルト・レジーナ、十九歳。彼の初恋の瞬間だった。

 

 

 

次回 第二十二話「ラストバトル・ハイ」


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