コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第三章 闇の中のヨークシン
第三章プロローグ「闇の中のヨークシン」


 光の天使が熱に病んで

 あなたは苦海をさまようだろう

 どこよりも出口に気をつけなさい

 きっと蜘蛛の巣に続くから

 

 蜘蛛が脚を噛み切るとき

 あなたは失せ物を取り戻す

 疲れていたら眠るといい

 愛しい天使の腕に抱かれて

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

1999年8月30日(月)

 

 深夜。今日という日も、残すところあと三十分を切っていた。潮香るヨークシンの蒸し暑い夜風に、涼しさと寂しさが混ざりはじめる季節の頃だった。そろそろ、夏も終わりに近づいている。

 

 この時期のヨークシンは眠らない。一足早い祭の気配は観光客の気分を高揚させ、熱は地元民にまで伝染する。盛り場では誰もが笑っていた。まだはじまってもないオークションの夢と希望に酔いしれて、瞳を子供のように輝かせながら笑っていた。

 

 そんな騒がしくもほほえましい喧騒の中を、一人の女がものめずらしそうに見回しながら歩いていた。長い黒髪につややかな肌。海老茶の袴に洋傘を持ち、編み上げ靴を履いたうら若い少女。とある小国の過ぎ去った時代から湧き出たような、かつての女学生風の格好だった。名を、皐月という。

 

 右手に薄緑色の洋傘を、左手には食料の入った買い物袋をぶら下げて、皐月は仲間達の下へと帰路についた。ただの散歩ではあったけれど、自然と微笑みがこぼれていた。厳しい家庭で育った身には、午後十一時半の街並みは、そこにあるだけで楽しく見える。仮宿に帰れば、楽しい仲間達が待っている。皆、底抜けに優しい人たちだった。

 

 市街地見物の土産は、ヨークシン名物と名高いベーグルサンドの各種だった。歯ごたえのあるドーナッツ型のパンを二つに切って、チーズやサーモン、各種の野菜などを挟んだものだ。軽い夜食にしてもらうつもりだったが、数は何十も用意してある。そのおかげで買い物袋はパンパンだが、皐月は重さも感じずに、軽い足取りでリパ駅へ向けて歩いていく。皆さん、たくさん食べる方達ですから、と彼女は心の中で呟いた。

 

 ああ、楽しい。こんなに楽しくていいのだろうか。皐月が楽しみにしていたフェスティバルの開催まで、まだあと二日もあるというのに。

 

 だが、帰る前に、皐月には済ませねばならぬことがあった。溜め息をつき、うんざりしながら立ち止まる。人の流れの中で急に止まった彼女の背中に誰かが軽くぶつかったが、それには一顧だにしなかった。

 

「もういいでしょう? 殿方、ご用事なら早く済ませていただけませんか」

 

 透き通った声でささやくように、夜風にそっと言葉を流した。虫を仮宿までつれていくことはできないのだ。ならば、余計な時間をかけるつもりはなかった。それは相手も同じだったようで、数拍の後、不審者がどこからともなく現れた。気配から読み取ったとおり、男。観光客として当り障りのないラフなファッションに身を包み、翡翠だろうか、首にさげたネックレスが柔らかく揺れる。

 

「さきほどから、私をつけてらっしゃいましたね」

 

 美形だ、と皐月は思った。意外に若く、歳は二十かそこらだろう。柔らかい金の若草を思わせる髪をそよがせて、やや薄い緑の瞳に優しそうな光を灯している。人目を引く派手な美しさでこそなかったが、聡明で包容力のありそうな、端正な顔立ちの青年だった。

 

「やっぱり、気付いていたね」

 

 じゃれつく子供をあやすように、優しい声で彼は言った。あからさまに見下した言いように、皐月は少しむっとした。

 

「白々しいですね。それほど禍々しいオーラを、これ見よがしに纏っておきながら」

 

 観光客でごった返す大通りの歩道の真ん中に、不思議な空き地が広がっていく。それはこの男のせいだろう。いかなる恨みを秘めているのかは分からないが、これほど行儀悪く誇示される害意に、一般人が耐えられると考える方が間違っている。必死の形相で押し合いながら逃げていく一般人の群れを無感動に眺めながら、皐月は、目の前の男の挙動を待った。

 

「アルベルト・レジーナ。ブラックリストハンターをやっている」

「ハンター? 尾行すら満足にできぬあなたがですか?」

 

 皐月が吐き捨てた皮肉と侮蔑を、アルベルトはひとつ頷いて肯定した。そうだね、とあっけない返事が返ってきた。だが、その瞳の底には熱があった。そして彼女は気が付いた。優しそうな光は表層だけだ。軟弱ともいえる自然体の奥には、渦巻き鳴動する灼熱の憎悪。てっきりゴミを掃除するだけかと思っていた皐月には意外なことだったが、素材としては悪くなかった。

 

「燃えてますね、殿方」

 

 気分が変わった。買い込んだ夜食をそっと置いて、改めてアルベルトと向き直った。すでに億劫さは消えていた。ありったけの真心と愛情を込めて、一期一会の心得で金髪の青年と対峙した。臨戦態勢に入ったオーラが猛々しく滾る。

 

「これでも申し訳ないと思ってるよ。君には、なんの恨みもないんだから」

「かまいませんわ。その秘めた思いのことごとく、私のこの身にぶつけてください」

 

 それは、なんと心地よい遊びだろう。彼女はこんな仕合が好きだった。強い意志をもつ男たちの、振り絞る全力と立ち向かうことが。鋼の肉体を持つ男たちの、汗臭い命の炎と交わることが。殴りたい。殴られたい。体の芯が熱くなる。武道家の娘に生まれたが故の、皐月の愛する悪癖だった。

 

 そして、最後はぼろきれ同然にうち捨てたい。

 

 アルベルトも構えをとっている。オーラは禍々しくも静かなままで、体は素晴らしい脱力ぶりだ。異人の風体にもかかわらず、この男の修めた武の根底には、皐月たちの文化に通じる理があるらしい。ふと、ロックなデザインの猫らしきものが彼の傍らに浮かび上がった。十中八九念獣だろう。いかなる能力を持つのだろうか。少なくとも、直接戦闘を得意とするようには思えないが。

 

 睨み合いがしばし続いていた。アルベルトはじっと動かない。どうやら、この男は自分から喧嘩を売っておきながら、あくまで待ちに徹するつもりらしい。それもまた、面白い。手に持った洋傘にオーラを通し、皐月は能力を発動する。

 

「武藤流兵法、武藤皐月、参ります」

 

 呟いたと同時に、彼女が踏み締めていた路面一帯が陥没した。全くの不動。爪先で軽く蹴ってすらない。にも関わらず、鉄球を叩き落としたかの如きクレーターが現れた。アルベルトが驚きに硬直する。その不様な隙を逃す手はない。舞い上がる粉塵に隠れるように、人体に可能な限りの低い姿勢で、地面を滑るように肉薄した。下段からすくう突きを穿つ。重いうなりをあげて迸る傘を、青年は紙一重で辛うじて躱した。それでいい。皐月は意図通りの展開にほくそ笑む。構えが崩れた懐の中、必死の域に踏み込むと同時に、全身で伸び上がるようなアッパーを放った。自慢の黒髪が夜に流れ、海老茶の袴がはためいた。

 

「え?」

 

 だが、次の瞬間、宙に浮いていたのは皐月だった。力をいなされ、方向を変えられ、首筋から地面へ衝突した。お手本のように綺麗な投げ技だった。オーラの流れに逆らわず、相手の力を利用して、ほんの少しの加速を加える。とっさに重心をずらしてなかったならば、皐月の首は折れてただろう。

 

 冷や汗をかきながら離脱する。投げは予想していたけれど、まさか、これほど鮮やかに決められるとは思わなかった。追撃はこない。念獣も動いていなかった。態勢を整え再び対峙すれば、アルベルトは同じように構えていた。涼しげに、無垢に、盲目的に、自分が何を為したかも知らないように。

 

 皐月は悟った。驚きも硬直も、優しい雰囲気すらも誘いだった。冷徹で、利己的で、猛禽のように鋭い合理主義の化身だった。網の巣を張る蜘蛛のようだ。そういえば似ているなと、彼女は、仮宿で待つ仲間達の眼光を思い出した。胎の奥がぞくりと震えた。

 

 洋傘を手放す。自由落下に従って路面にあたり、轟音とともに突き刺さった。先端から半分までめり込んでいる。この傘は特注でも何でもない、至極普通の市販品である。

 

 皐月は車道へと躍り出た。歩行者と違い、車の通行は絶えてない。少女が身一つで乱入したことで、ブレーキとクラクションが合唱した。無論、皐月の気にするところではない。彼女は手近な乗用車に目をつけると、歩道へ無造作に蹴り飛ばした。車体が凹み、乗せた家族連れもそのままに、黒の軽が飛んでいく。アルベルトはわずかに顔を顰めると、見事な体捌きでそれをいなして躱してみせた。車は建物に衝突し、金属や肉片が飛散する。しかし、注目する者などいなかった。皐月が次弾を蹴り放ってみせたからである。ダンスパーティーの幕開けだった。

 

 破片が舞う。砕けた金属片の一つ一つが、超重の鈍器となって降り注いだ。皐月には、車体に周を施す余裕があったのだ。あるときは軽く、あるときは重く。変化自在の不可思議な軌跡を描いて降り注いだ。鋪装が面白いように砕けていく。ガソリンが飛び散り、炎が生まれる。ヨークシンの夜空の下で、鉄の雨が音楽を奏でた。

 

 その差中、アルベルトは縦横無尽に踊っていた。怪我一つない。綺麗、と皐月は感嘆した。あるいは嫉妬だったかもしれない。天性の感性なしではできぬ動き。並の天才では辿り着けぬ、世界と一体化して初めて可能な、武の神に愛された者だけが踏めるステップだった。まるで絶でもしてるかのように、透明な表情で念獣と一緒に舞っていた。全身を包み込む禍々しいオーラの中心には、翡翠の首飾りが揺れていた。

 

 負けじと皐月も踊り狂う。この時期、大通りの交通量に不足はない。車の流れは簡単には途切れず、阿鼻叫喚に呑まれたこの場所にも、弾丸は自然と供給される。なんとか切り抜けようと必死に暴走する車の群れのなかを駆け巡って、手ごろな車体を次から次へ宙に舞わせた。炎の風が吹き荒れて、白いうなじに汗をかいた。

 

 その時、ブレーキの絶叫を響かせて、巨大な10トントラックがスピンしてきた。チャンスだった。全身にひときわ強くオーラをこめ、トラックの車体を真正面から受け止めた。暴力的な質量の横薙ぎを受けて、少女の小柄な体は小ゆるぎもしない。物理法則は冒涜され、編み上げ靴の踏み締めるアスファルトは陥没し、トラックはひしゃげながらも横転した。そこへ、皐月は渾身の殴打を打ち放った。力の支点とベクトルを見切り、勢いに逆らわずに方向を変えた。巨大な車体は跳ね上がり、アルベルトへ向けて猛然と飛んだ。なにも、合力の投げ技は彼だけの専売特許ではないのである。

 

 【偽造質量(パーソナルダークマター)】。奇術のタネは単純だった。皐月のオーラは質量を持つ。強くオーラを込めるほど、物体は比例して重量を増していく。ただし、皐月との距離が開くほど効率は落ちる。変化系能力者の例に漏れず、彼女も放出系の技が苦手だったからだ。

 

 アルベルトのいた空間は、今や破片と土煙に支配されていた。視界はゼロに近いだろう。千切れて変形したシャーシーの名残りが、前衛芸術のようにそびえている。だが、あの一撃で仕留めるつもりで投げはしたが、禍々しいオーラを確かに感じる。それでこそ皐月の見込んだ男だと、戦いがいがある敵だと彼女は笑った。

 

 夜を染めあげる惨状の中へ、皐月は果敢に飛び込んでいった。迫り来る破片をものともせず、縫うように躱してオーラの元へ接近する。接近戦の再開である。勢いにまかせ、踏み込みと同時にまずは軽いジャブから入った。小手先だけの牽制技。だが、重いハンマーで殴られたように、アルベルトのガードが弾き飛ばされた手ごたえがあった。そう、彼女の自慢の能力は、抜群の応用性を誇っている。接近戦から中距離まで、場合によっては遠距離まで、些細な体重移動から面攻撃まで。そして、戦闘以外の用途まで。

 

 間髪いれず、手近に降ってきた破片をジャブで殴る。重低音が炸裂し、冗談じみた速度で飛んでいった。しかし当たりはしなかったらしい。聴覚で成否を判別すると、躱したと思しき方向へさらにさらにと攻撃する。そんな彼女の二の腕を、再びアルベルトが絡めとった。制限された視界の中、完璧とも言えるタイミング。振れられた瞬間、投げ落とされることが確定するほどの熟練技能。だが、かかった、と皐月は唇を釣り上げた。彼女の身体は、いつまでたっても浮かなかった。

 

 軽重自在、出滅自在の虚構の質量。故に、重い拳がいつまでも重いままのはずがない。身軽だった体を重くすることなど朝飯前だ。打撃の瞬間だけ重さが増す、反則的な利便性がここにある。

 

 一瞬の硬直で十分だった。数たび手を合わせただけだが、彼の弱点は見切っていた。流が下手だ。いや、そもそも使ってもいなかった。禍々しいオーラを纏っただけ。武術の腕は素晴らしいが、念能力者としては三流だった。

 

 あの、無思慮に垂れ流されるオーラを目印に、渾身の豪碗が唸りをあげる。踏み込んだ脚が大地を揺らし、超重量の拳が眼前の空間に突き刺さった。空気が弾かれ、舞い狂う粉塵が晴れるほどの暴力である。手ごたえはあった。しかし、それは人体を殴った感触ではなかった。オーラの中心にいたのはアルベルトではない。奇妙な猫に似た念獣が、体にネックレスをひっかけていた。打撃を受けて吹き飛ばされる。あれだけの攻撃で壊れないとは随分と頑丈なイメージだったが、今重要なのはそこではない。

 

 つまり、彼ではなかったのだ。シンプルな翡翠のネックレスこそが、オーラを纏う中核だった。アルベルトは、絶で皐月の至近にいた。右手には、隠し持っていたナイフがある。なにもかも最初から擬態だった。この瞬間のために積み上げた布石だった。彼女は己の死を覚悟した。

 

 ナイフが奔る。皐月は全力で仰け反った。生と死が交差する一瞬を超え、刃先が頸動脈の表層を掠めていった。それは純粋な奇跡だった。なぜ躱せたのか、どうやって動いたのかも本人にさえ分からない。しかし、思案するには必死すぎて、奇跡とすらも認識できなかった。今すべきことはただ一つ、神が与えた恩寵の刹那に、もう一度、全力の拳を叩き込むだけだ。

 

 その時、秒針が動いて、日付けが変わった。

 

 そしてアルベルトが爆発した。そう、感じた。そうとしか、感じることができなかった。皐月の驚愕は、首から上だけのものだった。体は、既に切り離されていた。ナイフをオーラが覆っている。吹き荒れるオーラの量に物を言わせた、稚拙きわまりない周のカタチ。だが、恐ろしく早く速かった。動きの質が別人だった。

 

 少し、皐月は悔しかった。もし、この戦いの最初から、この状態の彼と戦えていたら。もし、驚きに邪魔されず、最後の瞬間まで打ちあえていたら。それは、どれほど楽しい戦いだっただろうかと。

 

 だけど、それよりも。

 

 暗くなっていく意識の中で皐月は思う。せめて、あと一日だけ生きたかったと。くだらない未練だ。それでも、ついぞ会えなかった仲間がいた。明日の正午、集合時間まで生きられたら、そう思えば寂しくてならなかった。みんなと一緒に、初めて出会う人たちとも一緒に、楽しく食事でもとりながら、ベーグルサンドでも齧りながら、一度ぐらいは、笑いたかった。

 

 

 

 暗い路地裏にアルベルトはいた。二つになってしまった遺体を持ち、首からは翡翠のネックレスを下げていた。禍々しいオーラと彼自身のオーラ。二つが混じり合って拡散し、余人を寄せつけぬ悪寒の異境を辺りに形作っていた。あのまま現場に居座っていたら、さぞかし事後処理の邪魔になっただろう。

 

「お疲れ様です。素早い規制をしいていただき、どうもありがとうございました」

 

 路地裏に入ってきた数人の男達へ向かって、アルベルトは軽く笑顔を作ってみせる。近付いてくる彼らを手で制し、無理をする必要はないと言ってみせた。彼らの内の二人こそ、ここ、ヨークシンの市長と警察署長である。他の数人は護衛だろう。

 

「おかげで被害も極限できたでしょう。あなた方のお手柄です」

 

 実際にはそれほど早くもなかったのだが、世事を言っておだててみせた。そもそも、いくらライセンスを持つプロハンターとはいえ、突然乗り込んで幻影旅団の潜伏を告げた若輩者に対し、全力を傾けて協力する警察組織は逆に怪しい。常識的なリソースを割いた上での対処なら、十分に有能と言える結果だった。

 

「それで、それが、例の……」

「ええ、悪名高き蜘蛛の構成員です。ご確認下さい」

 

 裸に剥いた皐月の体を放り投げ、旅団の目印を確認させる。右太腿の外側に、特徴的な入れ墨があった。これぞ世にも有名な、十二本足の蜘蛛である。

 

「で、では! 本当にこの街に集結しているのですか!?」

 

 すがるように市長が言う。信じたくないという想いが、全身を通じて現れていた。それを、アルベルトは優しく微笑んで打ち捨ててみせる。

 

「はい、最初に申しました通り、これは確実な情報です。付け加えますと、街中で上位の実力を持つ団員が暴れた場合、被害はあの比では無いでしょう」

 

 相手を絶望させるには、事実を告げるのが一番だった。男達が色めき立つ。表通りの惨状は、彼らが今まさに直面している覚めない悪夢だ。あの十二倍、あるいはそれ以上が起こると予想されては、それも当然の反応だった。

 

「そこで、私から皆さんにお願いしたいことが2つあります。一つは各方面への警告、特に規模が大きな競売に関連してる方々へは厳重な警戒を呼び掛けてください。旅団全員が集まるということは、それだけ獲物も大きいことが予測されますから。ただ、最も権威あるサザンピースは6日からですから、恐らく、彼らの狙いは別でしょうが」

 

 言外にマフィアンコミュニティーの地下競売が狙われているとアルベルトは言った。市長は警戒した様子を示したが、彼はあえてそれを無視し、つまらない贈収賄事件などに興味はないと態度で告げた。そして、それからともう一つの要求を追加した。もちろん、こちら側が本題だった。

 

「特に狙われそうな方々……、もちろん善良な市民の皆さんのことですが、その人達と接触できるように連絡を回しておいて頂けませんか。私としては、要望がない限り彼らの自主警備に干渉するつもりはありませんが、状況は逐一把握しておきたいのです」

 

 柔らかいが、有無を言わせぬ口調だった。断るという選択肢ははじめからなかった。なにしろ、相手は旅団の一人を殺害できるだけの実力者である。全身から尋常でない威圧の噴流を出していることもるのだろう。アルベルトが少し視線を強めてお願いを重ねた時には、市長はしどろもどろになって快諾していた。快諾せざるを得なかった。皐月の体を手土産に、彼らはすごすごと引き下がった。

 

「あまり強引な手段は使うんじゃないぞ」

「師匠、お体の具合は?」

「ああ、かなりつらい。悪いがこれが終わったらすぐに帰らせてもらうわ」

「そうして下さい。エリスも、あなたが倒れたら心配します」

「それがよ。あいつ、電話してもお前の話ばかりなんだぜ。まあ昔からだけどよ」

 

 現れたのは四十代らしき男だった。赤みがかった金髪が、暗い路地で鈍く光って揺れていた。赤銅混じりの金塊の色、とは、彼が現役だった頃によく使われた表現である。少し緑がかったダークブルーの瞳が、強い意志を宿して輝いていた。

 

「ほら、これが残りの頼まれた物資だ。だが、こんな事言っていい状況じゃないかもしれんが、極力使うな」

「いえ、肝に命じます。できるだけ、でしかありませんが」

「すまんな。こんな体じゃなかったら、俺も戦ってやりたかったんだが」

 

 そう言って、服の上からアルベルトの胸元に軽く触れる。絶の状態で首飾りのオーラに触れていたその場所は、火傷のように腫れていた。体表の傷はさほどでもないが、精神の圧迫はいかほどだったか。心配そうに呟く己が師匠に対して、アルベルトは静かに首を振った。もう、十分すぎるほど助けてもらいました。そう、無言のうちに語っていた。そうか、と、彼は頷いた。

 

「じゃあな。生き残れよ、そして、今度こそ俺を父さんと呼んでくれ。な」

「ええ、是非。師匠もお体に気をつけて」

「なに、俺のはただの一過性だ。お前こそあまりエリスを泣かすんじゃねぇぞ」

 

 心臓の上を強く握って油汗をかきながら、男は路地から去っていった。アルベルトも、こんな場所に長居するつもりは全くなかった。皐月の首を片手に抱え、翡翠の首飾りを胸に揺らして、ヨークシンの闇へと消えていった。

 

 

 

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【偽造質量(パーソナルダークマター) 変化系】

使用者、武藤皐月。

オーラに質量という性質を持たせる念能力。

変化させたオーラの量に比例して、大きな質量として発現する。

 

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次回 第二十三話「アルベルト・レジーナを殺した男」


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